■東京という同じ船に乗っている
写真に写る人々と初沢さんとの距離は近く、体を張って撮影していることが伝わってくる。
しかし本人は、「どこか突き放して見ている。ちょっとシニカルに社会や人々をまなざしている」と言う。
その言葉がもっともよく当てはまるのは取材先でマスコミにレンズを向けたシーンだろう。
「マスコミというのはちょっと不思議というか、異様な集団なんです。何かあると、だーっと集まって追いかける。ぼくはフリーランスの写真家だから、それを一歩引いた位置から撮っている」
最初の緊急事態宣言が出されたころ、新宿の飲み屋街で目にした光景は忘れない。
「いつも自由とか、反権力とか言って新宿のゴールデン街で飲んでいた新聞記者、ジャーナリストたちが真っ先に消えましたから。会社や家族から、真っすぐ帰ってこいと言われたにしても、ぼくにはぼくなりの自由があるって、思うやつはいませんでしたね」
作品の根底にあるシニカルでシュールな社会に対する距離感。
「言ってみれば、人間という生きもののバカバカしさみたいなもの。まあ、そこには自分も含まれているっていう言い方にはなると思うんですけど、結局、被写体を対象化ができないままこの作品ができた感じがします」
それはどういう意味なのか?
「沖縄を写したり、東北の被災地を訪れて、自分なりの何らかの解釈をして伝えるのとは違います。自分は東京という街に組み込まれた東京人です。いわば、同じ船に乗っているわけで、それを対象化するのは難しい。ただ、組み込まれていると言いながらも、どこかこの社会を突き放して見ています」
■思っていたよりもよく歩いた
写真集のタイトルに「コロナ」を入れず、「東京 二〇二〇、二〇二一」としたのは、時代を撮ったという気持ちが込められている。
「コロナ禍とは関係ない2年間の東京の変化も記録しておこうと、解体される渋谷の東急東横店や、浜松町の世界貿易センタービルも撮影しました。それが作品の縦軸とすると、コロナ的なるものが横軸です」
20年と21年はセットで人々の記憶に残る2年間ではないか、と初沢さんは言う。
「2020年が2021年に流れ出た。違う言い方をすれば、やり残したことを21年にやった。象徴的なのはオリンピック。21年に開催したのに『TOKYO2020』だったわけですから」
今回の写真集はかなり充実した納得できるものになったという。
「最初、思っていたよりも2年間よく歩いたな、と。やりきった感があります。それで、いまは力が抜けてしまった(笑)」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】初沢亜利写真展「東京 二〇二〇、二〇二一。」
フジフイルム スクエア(東京・六本木) 5月13日~5月19日