それから2カ月もたたない4月7日、最初の緊急事態宣言が発出されると、感染への恐怖から東京の繁華街からも人波が消えた。その日の東京都の新規感染者数は87人。その約2年後、第6波のピーク時には新規感染者が2万人を超えたことと比べると、はるかに少ない人数である。
「感染者や死亡者の数字と、恐怖の感情というのは比例しないことがよくわかった2年間でしたね。人間というのは実に非科学的な生きものだと、日々街を歩きながら思っていました」
緊急事態宣言下の東京を「まったく、自粛することなく、躊躇することもなく撮り歩いた」。
20年7月、『東京、コロナ禍。』(柏書房)を緊急出版すると、取材が殺到した。メディアの数は50以上にもなる。しかし、時代の寵児となった初沢さんの気持ちは複雑だった。
「写真家の作品としてはもの足りないというか、納得いくものができたという感覚はぜんぜんなかった。だから、最初の写真集が出来た後も毎日のように東京を歩き続けた」
一方、義務感のような気持ちも湧いてきたという。
「誰に言われたわけでもないですけれど、やっぱり自分がちゃんと撮らなきゃな、と」
■まなざしは社会学的
オリンピック会場周辺を警備する警察官や、東京出入国在留管理局に収容されている外国人など、スナップ写真の間に時事的、あるいは政治的な要素を挟み込んでいるのが初沢さんらしい。
「まなざしとしては、ジャーナリズム的というより、社会学的です。社会学的に空間や人々の流れを見ている。東京の多様な要素を分析するような視線で撮っています」
8月15日に靖国神社で撮影した写真には大勢の参拝者が黙とうする姿が写っている。
「ものすごくたくさんの人がいたんですよ。例年よりも多いんじゃないか、というくらい。特に若い女の子。ファッションなのか、どういう気分で行っているのか、よくわからないですけれど」
撮影した写真は自身のFacebookに掲載することを日課にした。
「そこでいろんな反応をもらえるのも励みになりました。全部Facebookに載せちゃった写真で写真集をつくるなんて、初めてじゃないですか。そんな写真家、一人もいないでしょう(笑)」
21年元旦、前夜の渋谷駅前のスクランブル交差点で目にした光景をFacebookに掲載し、こう書き込んだ。
<1日0時、スクランブル交差点に集った人達は、警官の多さにおののいたか? 蛍光テープを突っ切って突進しろよ! とファインダー越しに念じたが、実にだらしのない光景となった。ここでも周りの空気を読みながらの行動となる。ビビるくらいなら、この時間に渋谷に来るなよ、と言いたくなる>
従順に警察官の指示に従う若者に対してザラついた胸の内をみせる。コロナ禍の直前、香港で目にした警官隊の催涙ガスを浴びながらも一様に目が輝いていた若者の姿を思い浮かべたのかもしれない。