■接客は人の心で決まる 徹底した“つじ田イズム”
いい店を作るためには、従業員一人ひとりに「つじ田」イズムを理解してもらうことが必要だ。辻田さんは店長・マネージャークラスの社員を定期的に集めて、創業時の話や「つじ田」の考え方についてレクチャーを行っている。だが、マニュアルは用意しない。
「接客は最終的には人の『心』で決まります。行列を当たり前に思わず、一人ひとりのお客さんと徹底的に向き合う姿勢を作り上げたいんです。『つじ田』で働いていることにプライドを持ってもらえるように、日々従業員と対話しています」(辻田さん)
着実に成長する「つじ田」だが、大きな戦略を立てているわけではない。新規出店する際は勝機が見込めるまでの準備を怠らない。そして出店の裏には、従業員への思いがある。お店の数が少ないと売り上げは頭打ちになり、従業員の出世や給料アップに限界がきてしまう。会社を大きくすることで、ポストや給料を担保することもできるというのだ。
11年に米ロサンゼルスに進出したとき、業界の誰もが無謀な挑戦だと思った。アジアに出店するラーメン店は多いが、欧米進出のハードルはまだ高い。1億円を投じた出店が失敗すれば、倒産する可能性もあった。それでも、従業員に夢を与えたいとチャレンジした。「つじ田」が世界にも通用することを従業員に伝えたかったのだ。
ロサンゼルス進出は大成功を収め、2時間半待ちの大行列を作る話題のお店となった。しかし、辻田さんは決して油断はしない。
「日本食が海外で注目されているという報道をよく目にしますが、それはほんの一握りの話。アメリカでも日本のラーメンはまだ西と東に少しある程度です。日本食はまだまだアメリカ人の眼中にないと思いますよ。日本での報道を真に受けて、過大な期待をして海外進出するのは本当に危険です。うちも石橋を叩きながら、少しずつ広げていっています」(辻田さん)
飛ぶ鳥を落とす勢いに見える「つじ田」の展開の裏には、辻田さんのどこまでも慎重で堅実な思いがある。これからも扉を一枚ずつ開いていく「つじ田」の明日に期待したい。
■“魚”に育てられた店主の挑戦
江戸川区葛西にある「ちばき屋」。1992年に和食出身の料理人・千葉憲二さん(68)が開いた支那そばが人気の名店だ。流行に踊らされないあっさりした支那そばを手掛けて今年で27年、今も全く色褪せることはなく、業界内での人望も厚い。かつて日本ラーメン協会の理事長を務めた千葉さんは、日本のラーメン界をまとめてきた人物でもある。
千葉さんは18歳まで宮城県気仙沼市で過ごした。実家は魚屋と魚の仲買の仕事をしていたが、父親が42歳で他界。母親が慣れない仕事を受け継ぎ、何とか家計を支えていた。