店主の千葉憲二さん。ちばき屋 葛西店前で/東京都江戸川区東葛西6-15-2/平日11:30~14:45、17:00~23:00、土曜11:30~23:00、日曜祝日11:30~22:45/定休日なし/筆者撮影
店主の千葉憲二さん。ちばき屋 葛西店前で/東京都江戸川区東葛西6-15-2/平日11:30~14:45、17:00~23:00、土曜11:30~23:00、日曜祝日11:30~22:45/定休日なし/筆者撮影

 魚の商売で学校に通わせてもらっている身だと感じた千葉さんは、将来魚に関わる仕事をしようと思っていた。高校時代、千葉さんの家は友人たちのたまり場になっていたが、そのときよく友人に冷蔵庫の余り物を使ってご飯を振舞っていた。「うまい」と食べてくれるのがうれしく、料理人になろうと決めた。

 高校卒業後、すぐに料理の道に進むことも考えたが、兄から「まず大学に通って、それから考えてもいいのではないか」と勧められ、横浜商科大学に入学。大学時代はバンドでドラムを務め、一時はプロを志したが、初志貫徹。

 大学を卒業後、千葉さんは東京・京橋の和食店「ざくろ」の門を叩いた。大学を卒業した22歳は、料理の道に入るのはやや遅い。「ざくろ」には年下の先輩が8人もいた。30歳までに一人前になれなかったら料理の道は諦めようという思いで、休憩時間や仕事後の時間も必死で料理の勉強をした。努力が実り、29歳で副料理長にまで上り詰める。次なる目標として、40歳までに「千葉憲二のオリジナルの料理を作れるようになる」ことを掲げた。

 34歳で「ざくろ」を退職し、銀座「江島」のオープニングスタッフとして再出発する。「ざくろ」の看板がなくても自分の料理を評価してもらえるかという挑戦だった。当初、前職よりも月5万円多い給与を提示されたが、千葉さんは前職より5万下げてほしいと頼んだ。自分の実力をきちんと判断してほしいと、「2年間で結果を出すので、そこで再評価してくれ」とお願いしたという。

 2年後、「江島」は日に200~250万円を売り上げる名店に成長した。千葉さんの努力は評価され、取締役・総料理長にまで上り詰めた。その後お店は支店を構えるなど、さらに勢いに乗り始める。

 総料理長になった千葉さんは経営に関する仕事が増え、お店の現場に立つことが少なくなっていた。そんなある日、テレビで今にも傾きそうな古いラーメン屋に30人ほどの行列ができている光景を目にした。ラーメンとはこれほどまで人を熱狂させる食べ物かと、衝撃を受けた。

 早速、休みの日を利用して、そのラーメン屋に足を運んだ。

「店が傾いていようが、一杯のラーメンが旨ければ人を魅了させられるんだということを知りました。ここが30人なら、俺は50人並ばせてやる! と思いましたね。当時はここがそんなにすごいお店だとは知らなかったので(笑)」(千葉さん)

 千葉さんがそのとき訪れたお店は「東池袋大勝軒」。千葉さんにラーメンを作った店主は、“ラーメンの神様”山岸一雄さんだった。

東池袋大勝軒 本店/東京都豊島区南池袋2-42-8、営業時間11:00~22:00、水曜定休、スープがなくなり次第終了(筆者撮影)
東池袋大勝軒 本店/東京都豊島区南池袋2-42-8、営業時間11:00~22:00、水曜定休、スープがなくなり次第終了(筆者撮影)

 こうして千葉さんは40歳で「江島」を退職し、ラーメンの道へ進むことになる。これまで培った和食の技法を使ってラーメンを作ろうと決め、修行はせず、いきなり独立の道を選んだ。

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