ただ、強い自我は人知れず生き方を探っていた。高校2年の夏、ネットで南太平洋の島国「ツバル」のニュースを見て愕然とした。地球温暖化で海面が上昇して水没の危機に瀕している。壮大な喪失を通して世界の広さを感じ、無数の「他者」が集まって社会ができていると気づいた。

 ヒーローものの漫画が好きな少年は、「何とかしなくては」と奮い立つ。「他者のために」と考えて頭に浮かんだのが殴ったり、蹴ったりした相手だった。いじめを謝罪しようと先方の家に足を運ぶが、玄関の呼び鈴を押せなかった。せめていじめられる側に立とう。ここが最初の転機だった。

 1浪して早稲田大学教育学部に進むと、1990年代に民族紛争で大虐殺が起きたルワンダを訪ねた。虐殺記念館で割られた頭蓋骨やへし折られた上腕骨を見て、加害者への怒りがこみ上げる。殺された者の「痛み」を思い、暴力を止めよう、最も耐えがたい「痛み」に向き合おうと期した。

 ルワンダからの帰途、たまたまケニアの首都ナイロビのソマリア難民・移民が集まる地域に足を踏み入れた。車で案内してくれたケニア人青年は「ここはイスリー地区。テロリストの巣窟だ。ソマリアの過激派組織とつながっている。たむろしているギャングは人を殺す」と言って眉を顰めた。

 運命的なソマリアとの出合いだった。ソマリアは、91年に激化した内戦で無政府状態に陥り、国連や多国籍軍の武力介入が混乱を増幅させ、泥沼の様相を呈していた。そこに飢饉が追い打ちをかける。国連は「比類なき人類の悲劇」とソマリアの状況を表現していた。世界で最も耐えがたい「痛み」がそこにあった。

 永井は、11年9月、早大のソマリア人留学生2人と「日本ソマリア青年機構」を立ち上げた。手さぐりで活動を始める。平和構築や国際支援の専門家の反応は冷ややかだった。永井が助言を請うと、「素人で知識もなく、英語も喋れないきみには無理だ」「他の国で経験を積んだほうがいい」「ソマリアに行けば死ぬよ」と突き放される。

 少数だが永井の背中を押してくれる大人もいた。早大社会科学部で紛争予防や平和構築の講義を行う教授、山田満(63)もそのひとりだった。

「平和構築には武装解除、動員解除、社会復帰がありますが、日本政府は停戦後にアクションを起こします。永井君は違う。紛争状況で先手を打とうとする。私の科目を取る学生は国連や政府機関、PKOで働きたがるけど、彼は既定路線には無関心でした。独立独歩の大望を抱き、社会起業家に近い。戦略もある。国内より先に国際的評価が高まるタイプです」と山田は述懐する。

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