永井はケニアのNGOと手を携え、ナイロビのイスリー地区のギャング団の脱過激化に焦点を絞った。逃げ込んだケニアでもソマリア人の青少年は爪はじきにされ、貧困の底に押しやられていた。
一部はギャングになり、強盗や殺人、ドラッグの密売に走る。治安の悪化が最大の問題だった。
13年9月、永井はイスリー地区のバスケットボール場に歩み入った。粗末な屋根が細い柱に載っただけの、壁もないコートで仲間とバスケットに興じていると、刺すような視線を向けられた。
「あいつらギャングだよ。関わるな、ヨスケ」と現地の仲間が耳打ちした。
永井は7、8人の一団に近づき、「僕は日本のNGOの代表。ソマリアが大変なので、同年代の僕らで社会を変えよう。一緒にどう?」と名刺を渡した。脱過激化のプロジェクトを説明すると、突然、左目が真っ赤なギャングが立ち上がり、「じゃあ俺の目を治せ。おい治してみろ」と叫んで永井の胸を突いた。その名もレッドアイ。約60人のギャング組織、カリフマッシブのリーダーだった。マリフアナの吸い過ぎで目が充血しているようだ。
「僕は医者でも金持ちでもない。問題を一緒に解決したいだけだ」と永井は睨みつけた。一触即発、ソマリア人青年が取りなし、その場を収めた。コートを出て「ヨスケ、何で名刺なんか渡したんだ。名前も連絡先も覚えられたじゃないか。しばらくイスリーに近づくな」と仲間にたしなめられ、永井は足がガタガタ震えた。ギャング間の抗争で死人が出るのは珍しくなかった。怖さが襲いかかる。
ケニア側のスタッフの尽力で、何とかギャングとの対話セッションが滑りだした。
●社会を変えるのは僕ら、一緒にヒーローになろう
帰国前に永井は、ソマリアの多国籍治安部隊に勤める男性職員に付き従い、初めてモガディシオに入った。コンパウンド内を視察していると、街の中心部で自爆テロが起きて32人が死亡した。
その夜、夕食のテーブルで男性職員が言った。
「今朝のテロで甥っ子が死んだ。おまえは熱意がある。ソマリアのために働きたいと言ってくれるのは嬉しい。だけど、いまのおまえに何ができる? よく考えろ。何ができるのか」
永井は自分の無力さを痛感し、押し黙った。偉そうなことを言っても何もできない。長い沈黙のあとに腹の底から言葉をしぼり出した。
「最速で、必ずソマリアに戻ってきます。問題の解決に向けて、絶対に価値のあることをします」
紛争解決のプロフェッショナルになろうと覚悟を決めた。2度目の転機であった。