「アクセプト」=受け入れが出発点なのだ。投降兵はDRR施設の職業訓練で手に職をつける。往々にして国連や他のNGOの取り組みはそこで終わるが、溶接や縫製を覚えても簡単に職が見つかるわけではない。巷には失業者があふれている。まして元テロリストだ。さぁ、これからと膨らませた希望が潰え、テロ組織に戻るケースもある。

「職に就けず、何だ、話が違うと幻滅してテロにUターンさせてはいけない。そこが勝負です。前もって投降兵には社会に出ても差別や偏見がつきまとうと明確に言います。そのうえで就労の過程を緻密に検討して彼らの視座を増やす。幻滅させてはいけません。厳しい現実への抵抗力が必要です」

 話を聞きながら、私は投降兵を受刑者や虐待加害者に置き換えれば日本でも応用できるのではないか、と思った。再犯を防いだり、虐待を減らすには他人に危害を加える心と行動を変えなくてはならない。永井の関わり方は普遍的だ。

 しかし……テロの根は深く広く張っている。

 4月中旬、ケニアとソマリアの国境地域マンデラで2人のキューバ人医師が誘拐され、永井も参加予定だったテロ化予防青年センターの開所式が延期された。医師の消息は不明だ。永井がソマリアに着いて間もなく、スリランカで連続爆破テロが発生し、「イスラム国」の悪夢が甦った。現地での活動に影響はないか、とメールで問うと、こんな返信がきた。

「直接的影響はありません。世界中どこでもテロが起きる。ソマリアは和平合意もなく、テロ組織が極めて活発なので(投降兵を)信頼しようがないというのが人びとの本音。どうにかしようと奔走しています。初志貫徹でベストを尽くします」
 永井は常々、ニーズに応じて動く、問題の提起よりも解決が重要だ、と説く。ときには「テロの被害者を支援しろ」と批判も浴びる。だが加害者がいる限り、紛争はなくならない。精神の武装解除に全身全霊を傾ける。この新しい突破力は、いかにして育まれたのだろうか。新時代の到来を感じさせる若者の肖像を描いてみよう。

 
●ケニアのイスリー地区へ、恐怖で足が震えた

 少年は、無意識のうちに転機を求めていた。

 大企業に勤める父と、しっかりものの母の間に生まれた。傍目には恵まれた中流家庭のようだが、内実は違っていた。体罰と反抗的暴力の連鎖を断てず、鬱屈したままエネルギーのはけ口を求めた。少年は悪ガキ集団に入り、弱い者をいじめた。自己中心的で他人は眼中になく、部活のバスケットボールだけが熱中できるものだった。中学時代の偏差値は40前後、3月入試で辛うじて高校に滑り込んだ。

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