テクノロジーが変えた
「ゴールラインを割ったか、誰が1番最初にゴールしたか、など客観的に判定できる部分は機械のほうが正確です。しかし、多くの競技では審判の主観によって判定される場面があります。例えばバスケットでは、身体接触があっても流れに影響しない限りファウルではありません。採点種目でも、勢いやキレなども踏まえて判断するケースがある。これらをすべて機械に置き換えるのは難しいでしょう」
実際、システムによる判定が議論を呼ぶ場面もあった。サッカー男子準々決勝の日本対スペイン戦では、細谷真大選手のゴールがビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)によってオフサイドと判定され、取り消された。右足が数センチ、オフサイドラインを越えていたという。肉眼ではオフサイドに見えず、スペイン側がオフサイドを主張した訳でもない。VARの介入がなければ特に議論にならずにゴールが認められたであろう場面だった。スペイン紙は「疑問は残るが、テクノロジーを信じるほかない」と書き、元日本サッカー協会会長の川淵三郎氏は自身のXに「爪先のオフサイドは物理的だけどサッカーの流れから認めてほしかった」と投稿している。テクノロジーがスポーツの「流れ」を変えたとも言えるだろう。
審判員も重圧と戦う
「適正で厳密なジャッジは、今後のスポーツ競技の発展に欠かせないものですが、流れの中で判断できる生身の審判員の役割も残る。各競技で審判員の技量を高めていく努力が欠かせません」(島崎教授)
今回の五輪では、判定を巡って審判員個人に対する誹謗中傷のような書き込みも相次いだ。だが、審判員もまた、五輪という大舞台の重圧と戦いながら懸命に取り組む一人の人間だ。審判員の心理的ストレスなどに詳しい東京理科大学の村上貴聡教授(スポーツ心理学)は言う。
「審判は選手や観客から浴びる不平・不満に対するストレス、勝敗や結果に影響を与える責任感から来る不安、ジャッジミスをした場合の動揺など様々な心理的重圧を抱えながら舞台に立っています。五輪という大舞台で大きなプレッシャーを感じるのも選手と同じです。そして、『うまくやって当たり前』のポジションで、一つのミスや微妙な判定で多くの批判を浴びます。しかし、サッカーなど一部の競技を除き、審判員として生計を立てている人は多くありません。みな本業を持ちながら、国際大会も含めてほぼボランティアで審判活動をしています。スポーツを見る側も、審判員への配慮は必要でしょう」
(編集部・川口穣)
※AERA 2024年8月26日号