好調な打線を引っ張る近藤健介

「4番の山川が返せなくても、後ろに近藤というポイントゲッターがいる。この並びが絶妙で、相手バッテリーは神経を使います。小久保監督は、山川が6月に絶不調になったときも4番から外さなかった。山川を他の打順にして打線全体のバランスが崩れることを危惧したのでしょう。バタバタした起用法を見せず、白星を重ねても浮つかない。泰然自若という言葉がピッタリきます。近年のソフトバンクに欠けていたのはこの姿勢でした。攻守で信じられないミスから崩れて試合を落としてしまう。スキがない戦いぶりを積み重ねることで、選手たちが自信を取り戻したように感じます」

韓国戦の逆転負けで激しいバッシング

 小久保監督は、指導者として順風満帆なキャリアだったわけではない。12年に現役引退すると翌13年10月に「侍ジャパン」の監督に就任。指導者経験がなかったため不安視する声が上がった。

 その批判の声は15年に開催された国際大会・プレミア12で最高潮に達する。準決勝の韓国戦。先発・大谷翔平(現ドジャース)の好投で3-0と試合の主導権を握っていたが、9回に悪夢が待ち受けていた。則本昂大(現楽天)、松井裕樹(現パドレス)、増井浩俊(元日本ハムなど)をつぎ込んだが、4失点を喫して逆転負け。メディアは「監督としての資質」を問う論調であふれた。
 17年のWBCも指揮をとり、下馬評が低い中で勝ち進んだが、準決勝で米国に1-2で敗れ、試合後に小久保監督の退任が発表された。

プレミア12の韓国戦。9回無死満塁、押し出しで失点した松井(左から2人目)の交代を告げる小久保監督(中央)

 当時の侍ジャパンを取材したテレビ局関係者はこう振り返る。

「世界一にはなれなかったけど、結束力の強いチームでした。小久保監督は勝つだけでなく、グラウンド上でツバを吐かないように選手に伝えるなど振る舞いを大切にしていたことが印象に残っています。プレミア12のときを思い出しても、12球団の監督だったらあんなにバッシングを受けることはないでしょう。侍ジャパンの監督時代が指導者経験の大きな糧になっていると思います」

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新庄監督と同じところ、違うところは