空襲警報の前段階、警戒警報でも、このレベルではまだ出しませんでした。
今のJアラートの水準を繰り返せば、国民は、だんだん、緊急性のないものがJアラートと思うようになるのではないかと勝手に心配するのです。
緊急性ではなく、政治性のためにJアラートを出していると思うようになると感じます。
「そもそもJアラートの目的は政治性だ。北朝鮮はこういうことをしているということを伝えるためにやっているのだ」と言う人もいるでしょうが、「政治性」と「緊急速報」を頻繁につなげていると、だんだんと「緊急速報」の価値がなくなると思います。
もちろん、これは僕の思いですから、大反対の人もいるでしょう。どこに落ちるか分からないから出すんだ、それは国民を守るためには絶対に必要なことだと、この文章を読みながら憤慨している人もいるかもしれません。
はっきり言えば、未来は誰にも分かりません。
ロシアのウクライナ侵攻も、直前まで「可能性はある」と言う人と「可能性はない」と言う人に分かれていました。
ウクライナの状況を見て、日本でも「台湾有事」の問題や「日本に対する中国の脅威」が多く語られるようになりました。
でも僕は、ロシアとウクライナの関係やウクライナの世界の中での立場と、中国と日本の関係や日本の世界の中での立場はまったく違うと思っています。
「仕事をしている間に、寝ている間に、もし有事が起こってしまったら……と考えてしまい」と読子さんは書きますが、僕は何の予感もないまま、いきなり有事が起こることはないと思っています。
もちろん、これも、「何を言ってるんだ。寝ている間に原爆を落とされる可能性だってあるんだ」と言う人もいるでしょう。未来は誰も分からないのですから、あらゆる可能性はあると思います。
でね、読子さん。
「個人の気の持ちようで解決しようのない、どうしようも無い現実を、どう受け止めたら良いのでしょうか」と書かれていますが、この「どうしようも無い現実」が問題だと僕は思っています。