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 哲学者の内田樹氏は「学校教育の成否は、数十年後の日本社会にまっとうな大人の頭数が十分に揃っていて、国運が衰えていないという事実によってしか検証できないが、そういうタイプの教育観は、今の日本にはない」と語る。同氏と政治学者・白井聡氏との新著『新しい戦前 この国の“いま”を読み解く』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、“本当の学力”について紹介する。

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本当の「学力」とは何か

内田樹(以下、内田):この30年の日本社会を見ていて感じるのは、国民の市民的成熟を支援する気がないということですね。大人になって欲しくない。みんな幼稚な子どものままでいてもらいたいという政策に政府もメディアも教育もすべてが加担している。これは市民の成熟は資本主義延命の邪魔になるからだと思います。みんな子どものままでいる方が資本主義が栄える。

 特に教育の分野でそう感じます。学校教育の目的は、子どもたちの市民的な成熟を支援することに尽きるわけですけれども、「学校教育の目的は子どもたちの市民的成熟を支援することであり、それに尽くされる」と言うと、教師も保護者も、みんなびっくりする。

「学力」というのを、ほとんどの人は数学や英語のテストの点数が上がることだと思っている。子どもの頭の中に貯蔵されている知識やデータが量的に増えることが「学力が向上すること」だと思っている。そんなわけないじゃないですか。「学力」というのは「学ぶ力」のことです。「生きる力」と同じです。数値的に計測できるものではないし、他人と比べるものでもない。「学ぶ力」というのは、「自学自習」できる力のことです。乾いたスポンジが水を吸うように、触れるすべてのものから知的滋養を摂取できる能力のことです。

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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