学校教育の仕事は「学ぶ力」を起動させることです。「学びのスイッチ」が入ったら、あとは自学自習ですから、教師にはすることがない。でも、それまではいろいろなことをして「学びのスイッチ」が入るように仕向けなければいけない。これには「こうすれば誰でも『学びのスイッチ』が入る」というオールマイティのやり方はありません。だから、いろいろ手立てを尽くす。さまざまな教科を教え、さまざまな教師を並べて、さまざまな教育方法を試すのは、要するに「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」からです。そのうちどれかが引っかかって、「学びのスイッチ」が入るだろうと思って、あれこれやっている。だから、単年度で学力を測ることなんかできるはずがない。スイッチの入るのが遅かった人がその後猛烈な勢いで学ぶこともあります。子どもたちの学びがどういう成果をもたらしたのかを知るためには、20年、30年という長い時間をかけなければならない。学校教育の成否は、それから数十年経った後に、日本社会にまっとうな大人の頭数が十分に揃っていて、おかげで国運が衰えていないという事実によってしか検証できません。でも、そういうタイプの教育観って、今の日本にはないですよね。

白井聡(以下、白井): 同感です。本当に、生徒・学生の能動性が起ち上がったらこちらはほとんど何もすることはない。せいぜい「こんな本があるよ」って教えてあげるくらいですね。

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