ハタハタを求め、荒れる海に挑む漁師たち(撮影:高橋智史)
ハタハタを求め、荒れる海に挑む漁師たち(撮影:高橋智史)

 高橋さんはナマハゲ行事のほかに、秋田伝統の「季節ハタハタ漁」の取材にも取り組んだ。ハタハタは漢字で「雷魚」、または、魚へんに神で「鰰」と記す。

 冬の日本海上空にたっぷりと湿り気を含んだ雪雲が湧き上がり、雷鳴がとどろくようになると、ハタハタは産卵のために秋田沿岸に押し寄せる。それを小型定置網で漁獲するのが伝統的な季節ハタハタ漁である。

「古来、秋田県人にとってハタハタは、雷とともにやってくる神秘の魚なんです。冬を越すための糧となる尊い魚でもある。なので、来訪神であるナマハゲにささげるんです」

 男鹿半島の風土を象徴する季節ハタハタ漁はどうしても撮りたいテーマだった。しかし、「撮影は本当に大変でした」と振り返る。

「何が大変だったんですか?」と尋ねると、高橋さんは「表現が難しいんですけれど……」と言って、口ごもった。筆者は昔、さまざまな漁師の取材をした経験があるので、事情はすぐにのみ込めた。要は次々と取材を断られてしまったのだが、理由は新型コロナだけではない。漁師の世界は独特で、なかなかよそ者を受け入れない空気があるのだ。

「番屋」で休息をとる漁師たち(撮影:高橋智史)
「番屋」で休息をとる漁師たち(撮影:高橋智史)

■「来年もまたこさけ」

 そんなとき、まさに助け舟を出してくれたのが、ナマハゲの取材を快く受け入れてくれた双六地区の三浦さんだった。

「三浦さんは『俺に任せておけ、知り合いのハタハタ漁師がいっぱいいるからな』と言ってくださいました。本当にうれしかったです」

 夜明け前、暗い漁港を訪ねると、番屋の窓に明かりがともっていた。「どうやって入ろうか、カンボジアの壮絶なデモの現場に足を踏み入れるよりもドキドキしました」。

 乗船が許されるか、最後の瞬間までわからないのが漁師の世界だ。事前に了解を取り付けていても、出漁直前に取材を断られる場合もある。

「満を持して番屋に入り、『今日からぜひ撮影をお願いします。魂を込めて撮らせてもらいます』と言ったら、『おお、よく来た、よく来た。まずは温まれ』と。もう感謝しかありません」

 高橋さんを乗せた船は猛吹雪の海を突き進んでいった。荒れる冬の日本海の恐ろしさは半端ない。立っているのも困難だった。「昔はハタハタ漁で亡くなった漁師が少なくなかったそうです」。

 かつては船が埋まるほどハタハタがとれた。1960年代の最盛期、秋田県では年間2万トン以上もの漁獲量があった。ところが近年は漁獲量が激減し、昨年はわずか約280トンだった。

「漁師のみなさんが肩を落とすシーンがとても多かったです。『うーん、とれねえな』と。悔しい気持ちを抱えながら、たくさんハタハタがとれたころの話を聞かせてくれました」

 漁期を終える際、船長は高橋さんに「来年もまたこさけ」と、声をかけた。

「秋田弁で『こさけ』って、『おいで』という意味なんです。船長の言葉が胸にしみました。また絶対に撮りにくるぞ、という気持ちなりました」

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】高橋智史写真展「男鹿-受け継がれしものたち-」
OM SYSTEM GALLERY(東京・新宿) 10月27日~11月7日