「泣く子はいねぇが~」
鬼のような風貌で大声で叫ぶ秋田名物のナマハゲ。それを高橋智史さんが初めて見たのは小学生のころだった。
「確か初夏だったと思います。秋田市内の実家から家族で男鹿半島を訪れた。まだ小さかったので、ほとんど記憶のかなたにあるんですが……」
しかし、ナマハゲの恐ろしさだけははっきりと覚えている。
「あまりの怖さに大泣きして、近くにいた母親に助けを求めた記憶は残っているんですよ」
しかし、高橋さんはこう続けた。
「ナマハゲというと、単に子どもを怖がらせる存在であったり、鬼というイメージを持つ人もいると思いますけれど、実はそうではないんです」
高橋さんが幼いころ目にした、いわゆる「観光ナマハゲ」と、大みそかに行われる伝統のナマハゲ行事は別ものだという。
「本来のナマハゲは1年に一度、山から下りてきて、人々に無病息災と五穀豊穣(ほうじょう)をもたらす『来訪神』なんです。それを数百年前から懸命に受け継いできた営みの尊さ。ぼくはふるさと秋田の誇れるナマハゲの姿を心から感じながらシャッターを切りました」
高橋さんはナマハゲのすばらしさを繰り返し、熱っぽく語った。しかし、以前はそうではなかった。
「テレビで見たり、本で読んだ知識でしかなかった。そもそも、故郷にぜんぜん目を向けてこなかった」
■ふるさはどんなところ?
1981年、秋田市生まれの高橋さんは18歳のとき上京し、日本大学芸術学部で写真を学んだ。
「もう、いち早く狭い故郷から出たかった。もっともっと広い世界に飛び出して、世界の問題の最前線でシャッターを切りたかった。その気持ちを抑えきれなかった」
東南アジアで取材を開始したのは大学在学中の2003年。07年からはカンボジアの首都プノンペンに拠点を構えた。現地に深く根を下ろして撮影した作品は高く評価され、18年、土門拳賞を受賞した。
今回のインタビューで高橋さんは席につくと、フンセン政権による人権弾圧について、堰(せき)を切ったように話し始めた。
「最大野党は解党され、異見を唱えるメディアは閉鎖され、政府に声を上げる政治評論家は暗殺された。18年に帰国するまで本当に悔しい、もう歯を食いしばるような取材をしてきました」
最近のカンボジアの経済発展ぶりには目を見張るが、それは「恐怖のなかの平和」でしかないと言う。
「ちょっとでも政府に対する不満を口にすれば、密告されて投獄される。内戦の悲劇をへて1991年にパリ和平協定が締結されたにもかかわらず、カンボジアの人々はいまだに本当の平和を見たことがないんです」