大野和基著『私の半分はどこから来たのか――AIDで生まれた子の苦悩』(朝日新聞出版)※Amazonで本の詳細を見る
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 2002年12月、加藤の血液検査の結果が出た。輸血部に結果を取りに行くと、係の人は封筒から取り出しながら「ちょっとおかしいですね。でも自分で直接見てもらったほうが早いですから」と言って書類を渡した。加藤と母親は6座中4座まで一致していたが、父親とは6座中1座か2座しか一致していなかったのだ。採血したのも、検査に持って行ったのも加藤本人だから、途中で間違いが起こる可能性は限りなくゼロに近い。「お父さんとは血がつながってなさそうだ」。加藤はそう心の中でつぶやいた。母親と血がつながっているのは間違いない。

 加藤が最初に考えたのは、父親は違うが、母方の親戚の誰かから養子としてもらわれてきたのではないかということだった。親戚が多かったので、よけいにそう思ったのだが、誰が本当の父親なのかとあれこれ考えを巡らせた。母親に聞けば教えてくれるだろうから、そのときはそれほど心配しなかった。いつ聞いたらいいのだろうか、と思いながら、数日間を過ごした。父親はすでに市役所を退職して家にいることが多かったが、こういうことを聞くのは母親一人のときがいいと思ったからだ。

 忘れもしない2002年12月13日金曜日。午前中は実習が普通に行われ、その日が年内最後の授業だったので、同級生と打ち上げに行った。その日、加藤が帰宅したのは夜11時近くだった。母親は一人でテレビもつけずに、ソファに寝そべっていた。父親はたまたま飲みに行っていて、まだ帰宅していなかった。加藤は今がチャンスだと思い、母親にこう切り出した。

「お母さん、お父さんとぼくは血がつながっていないみたいだけど」。母親は何の返事もしなかった。「そんなこともあるかもしれないね」。しばらくして、母親はぼそっとつぶやいた。 加藤が「それはどういうことなんだ?」と咎とがめるように聞くと、「お父さんとお母さんは30歳を過ぎて結婚し、当時としては晩婚だった。3、4年経たっても子供ができなかった。そうこうするうちに35歳を超えてしまったの」。母は意を決したように話し始めた。

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加藤さんが抱いた怒り…“喪失体験”とは