■母の告白

 母親は当時、薬剤師として病院に勤めていて、子供ができなかったため、病院の産婦人科の医師に相談に行った。そこで一通りの検査をすると、母親の生殖能力には問題がないことがわかった。ついで父親の精子の検査をしたところ、無精子症と言ってもいいほど、精子が少なかった。無精子症の治療で有名なのは慶應義塾大学病院の産婦人科だからと、母親は紹介状を携えて検査に行くようにすすめられた。

 慶應病院で提案されたのが、他人の精子を使って妊娠することだった。慶應の医学部生の精子を父親の精液と混ぜて使う。「夫の子が生まれてくる可能性はないが、夫との子かもしれないと思って実施してください」と言われたという。この方法を2年続け、ついに妊娠した。 生まれてきたのが加藤だった。

 妊娠がわかってから母親は、地元の国立病院に移り、普通にできた子供だと偽って出産した。母親は加藤に、「あまり話したくない」と言いながらも、ゆっくりと話し始めた。このとき母親は70歳を超えていたので、加藤は母を責める気持ちにはならなかった。検査結果を知った日から母親に聞くまで、親戚の中に親がいるかもしれないと思ったときもあるし、母親が浮気をしてできたのかもしれないと邪推したこともあった。しかし、どこかで母親に聞けば、“本当の父親”がわかるだろうと思っていた。

 しかし、誰が父親かわからない――その状況に突然、加藤の中に怒りが込み上げてきた。「これって何だろう。29年間もだまされてきたのか」。これがAID出生者がよく経験する「喪失体験」である。AIDとは、「Artificial Insemination by Donor」の略で、日本語に訳せば「非配偶者間人工授精」、つまり、夫のものではない精子を子宮に注入して、妊娠・出産する方法で、海外ではDI(Donor Insemination)と呼ばれることが多い。日本では1949年8月に慶應病院で、初めて提供精子による子供が誕生した。それ以来、もっぱら男性側に原因がある不妊カップルを救済するために実施されてきた。

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先進国ではAIDで生まれた人が声を上げ始めている