※写真はイメージです。本文とは関係ありません
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 ヤングケアラーというテーマが念頭にあったので、私は家でどのような手伝いをしていたのかを尋ねた。それに対してショウタさんは、母親から「理不尽なことで怒られる」というモチーフを語った。この理不尽な怒りがインタビュー後半で明かされたことにも意味があるだろう。語りの前半ではうつ病の母親への心配と、母親が「~くれてた」という母からの気づかいがメインテーマだったのだが、母の怒りによって経験が重層化される。

 2つのことが言える。ショウタさんはまず、母が「めちゃくちゃ怒る」と語った。インタビューのあいだ、冷静な語りと「今、考えたら」という回想のモードが何度も登場することが気になっていたので、私は「振り返ると分かるけども、〔中略〕ちっちゃい頃って」と尋ねた。そこで「理不尽」な怒りのテーマが登場する。子どもの頃はわけがわからず「めちゃくちゃ」怒られる体験だったものは、今から意味づけすると「理不尽」である。母親を「理不尽」と意味づけするときには、「〔母はしんどい人だったから〕しゃあないかな」と振り返って理解する眼差しと二重化される。

「めちゃくちゃ怒る」から「理不尽」へ、そして「しゃあないかな」へとあとから意味づけし直されるのだ。これからの引用のなかでも何度か「今、考えたら」「今、考えると」と振り返りながら意味づけを更新する語りが登場する。この言葉がインタビュー後半に登場したことも、意味づけの更新を図るプロセスとリンクしている。言い換えると、渦中にあるヤングケアラー当事者にとっては、語りにくい思いや理不尽さがあるということだろう。

 もう1つは、「私が怒ってんねやから、おまえも怒れよ」というとき、母親はショウタさんを自分と地続きにある一体のものとして見ていたのだろうということだ。母親の感情の動きには何かのロジックがあって、ショウタさんはそれと一体化することを求められている。そして一体化できないときには理不尽に怒られる。

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「そこがなかったら、もっと僕はしんどくなってたんじゃないかなって思う」