ここ数年、家族をケアする子ども、「ヤングケアラー」がメディアで頻繁に報じられるようになった。しかし、言葉そのものが独り歩きするかのように、身体的な介護や家事労働に時間を取られ、学校に通えない子どもといったイメージが固定化しがちではないだろうか。実際には、そのどちらもしていないケースもあれば、鬱病や薬物依存の親をケアしている子どももいる。
大阪・西成地区を始め、子育てや看護の現場でのフィールドワークで知られる大阪大学教授の村上靖彦さん(専門は現象学)は、こうした社会一般のイメージと現実との乖離を危惧し、ヤングケアラー経験者へのインタビューを重ねてきた。そして、その「語り」を丁寧に分析し、当事者が抱える困難の本質、その多様さを掘り下げた。村上さんは、介護や世話の前に、まず、家族を心配し気づかう子どもという視点で捉えている。ここでは、著書『「ヤングケアラー」とは誰か――家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日選書)から一部抜粋・改変し、かつてのヤングケアラー・ショウタさんのケースを紹介する。
ショウタさんは、インタビュー時、20代後半の会社員。ひとり親家庭の一人っ子として、自身が小学校に入る前に深刻なうつ病が再発し、覚醒剤依存にも陥った母を支えた。1週間寝込む、自分に包丁を突き付ける、交際相手から暴力を受ける――。そんな母からは目が離せない状況が続いた。中学3年生のとき、警察の「ガサ入れ」を警戒して部屋に転がっていた注射器を隠し、にもかかわらず、その翌日に訪れた警察に母親が逮捕されるという経験もしている。転居を繰り返したのちにたどり着いた大阪・西成で“居場所”を見つけていくショウタさん。しかし、高校2年生のとき、母親は亡くなった。
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■繰り返される転居
このあと紹介する語りのなかで登場する、「〔母親は〕僕が一番には思ってくれてた」という言葉は、ショウタさんの大きなモチーフである。私の投げかけは「お母さんは終始、ショウタさんの味方」だったのだが、彼は「一番」という最上級を導入している。ショウタさんは、母親が彼を「一番」に思うという言葉を何度か用いた。これは彼を支える最も大きな要素となっている。ショウタさんが母親を心配することは、母親が彼を一番に思ってくれたことと対(つい)を成している。