整形完了後、ユウナさんはオンラインでつながった趣味の集まりによく顔を出した。会場に入ると、参加者の視線が自分の顔に集まるのがわかる。容姿がいいと、その場を支配できるのだとわかった。
「ルールに合わせる側じゃなく、ルールを与える側になれた、と思いました。マウントされている状況から抜け出すには、人によっていろんな方法があると思いますが、私にはそれが整形だった。いまはもう“いい子”じゃありません」
“いい子”が親離れするには、ドラスティックな方法が必要な場合もある。ユウナさんはそうだったのだろう。“いい子”の呪縛が断ち切る方法は、人それぞれだ。『傲慢と善良』の真実はどうだったのだろうか。
本作は、再生の物語でもある。真実は“いい子”として生きていくことの限界がきたから、すべてを投げ出して失踪したのではないか。さらにすべてを投げ出した真実が自分自身を生きられるようになるには、何が必要だったのか。
親と物理的、心理的な距離ができることで、親へのまなざしも変わる。母親は思ったよりダメな人だと気づいたと語るのは、ミフユさんだ。
「30代半ばをすぎたいま、母親とは壁を感じずに話せています。末っ子の私が独り立ちしてからは、母も荷が降りたのでしょう。私も母の重みを少しずつ感じなくなってきました。そうすると、あんなに立派で威圧的に見えていた母の、ダメなところが見えてくる。実は意外と社会性がないんだな、とか。親は親というだけで自分よりすごいと思っていたけど、そんなことなかった。よくも悪くも、母って普通の人だったんです」
本作は二部編成となっており、前半は架の目を通した真実が描かれ、衝撃的な事実が明らかになる。追い詰められた真実がとった驚くべき選択と、開放された真実が選び取った未来。“いい子”として生きてきた人にとっても、そうでない人にとても、人生で一番刺さる一冊になるだろう。
(取材・文/三浦ゆえ)