さて、ピックさんの疑問です。なぜ、学校の先生達は、「かたくなな校則への執着」を続けるのでしょうか?
僕の考えは、学校というのは、日本に数少なく残っている強力な「世間」だから、ということです。
この連載で、何度か日本特有の「世間」について説明しました。
自分と関係のある人達で作っている集団が「世間」です。無関係な人達を「社会」と呼びます(詳しくは、ニュースサイト「AERA dot.(アエラドット)」に掲載されている【相談2】「帰国子女の娘がクラスで浮いた存在に… 鴻上尚史が答えた戦略とは?」、【相談4】「鬱の妹を隠そうとする田舎の家族… 鴻上尚史が訴える30年後の悲劇」を読んで下さい)。
「世間」の特徴は、「所与性」と言われるものです。これは、「今のままでいい。大した問題が起きてないのだから、わざわざ変える必要はない。昔からある、与えられたシステムを続けよう」という考え方です。
長い時間、日本の「世間」は変わらないまま、あり続けることができました。変えることより、今までのやり方を続けた方がうまくいく、と思われてきました。事実、昭和の真ん中ぐらいまでは、それでなんとかやってきました。
わざわざ、別なやり方をやることは、失敗の可能性の方が大きいと思われたのです。
けれど、今までのやり方では、はっきりと通用しない時代がやってきました。価値観が多様化し、グローバル化が変化を加速しました。
気付いた企業は、試行錯誤を続けながら、生まれ変わろうとしました。けれど、「今までのやり方でいいじゃないか」と思ってしまった企業は、どんどんと傾き始めました。まさかと思われるような大企業が倒産したり、合併したりしています。
学校は完全に取り残されました。世の中がどう変わろうと、「今までのやり方でいいじゃないか」と思っています。そんなことはない、日々、努力していると反論する人もいるでしょうが、今までの枠組みの中での努力です。枠組みの根本的な問い返しをしている人は本当に少数派です。