けれど、ずっと「体育座り」の指導は続いています。
どうしてでしょうか? それは、「体育座り」の目的が「子供達を秩序よく座らせる」ということだからです。足を閉じて手を前で組むことで、手遊びを防止し、ヨロヨロウロウロする余計な動きを防ぐことが目的です。
体育という教科の一番大切なことは、「秩序を作ること」でしょうか? 僕は、体育の最上位の目的は「子供達を健康にすること」だと思います。
「所与性」は「何が一番大切か?」と問いかけません。今あるシステムを続けることが目的ですから、「何がより上位の目的か?」と問いかける必要がないのです。
もちろん、常に「より上位の目的は何か?」と問い続けることは、タフな精神とエネルギーを必要とします。でも、それが結局、よりよい結果を生むのです。
工藤さんは書きます。
「校長が覚悟を持って、自らの学校が置かれた立場で何が必要かを真剣に考え抜くことができれば」学校は変われると。「覚悟」という言葉が素敵です。
ピックさん。
長い文章になりました。「校則」の問題は、言いたいことがたくさんあるのでヒートアップしてしまうのです。でも、同時に、こんなに長く長く書いたのは、あなたの戦いは無駄ではなかったと言いたいからです。
僕は、ずっと高校時代の自分の戦いが自分を支えていると感じています。『愛媛県高校生徒会連合』は、政治党派や宗教団体、あらゆる組織と一切関係なく、純粋に「無意味な校則に怒った生徒達」が集まりました。一年弱で潰されましたが、その時の怒りは本物で貴重だと思っています。
大きな目で見れば、世界は、じつは「個人の自由・権利」がより守られ、拡大する方向に動いています。そんなバカな?と思うかもしれませんが、LGBTQ+への理解や、反ヘイトの潮流、同性婚の拡大など、世界的規模で見れば、「個人を尊重する」方向に時代は動いています。私達は、希望の時代を生きているのです。