「クラスのまとまりを大切にしよう」とか「絆」「団結」なんて「目標」が、学校では盛んに語られます。

 けれど、これらは、「何かをするため」の「手段」です。「何かをする」ためにまとまり、団結するのです。ですが、何をするかという「目的」は語られず、ただ、まとまろうという「手段」が声高に語られ、「目的」にされるのです。

 工藤さんは書きます。

「『みんな仲良くしなさい』という言葉があります。この言葉によって、コミュニケーションが苦手な特性を持った子どもたちは苦しい思いをしているのではないでしょうか。よかれと思って、多くの教師が使っている言葉で、結果として、子どもが排除されることになってはいけません。『人は仲良くすることが難しい』ということを伝えていくことの方が大切だと私は考えています」

 これが、教育評論家ではなく、民間人校長でもなく、教育界プロパーで育った、現場の中学の校長先生の言葉であることに僕は心底、感動します。

 工藤さんは「手段の目的化」以外に、もうひとつ、「より上位の目的」を忘れてしまうことが問題だと書きます。

 買い食いをした生徒を厳しく叱っている先生に対して、「どうでもよいことと、どうでもよくないことを、分けて叱りませんか」と提案します。

 より上位の目的、最上位目標は何か?と常に問いかけることは、「所与性」の対極に位置します。

 ワークショップをしていると、参加者がいつのまにか床に「体育座り」をしている風景をよく見ます。足を折り曲げて、手を足の前側で抱えるように組んで座る「体育座り」は、小学校低学年から指導されます。大人になっても無意識にやっている姿を見ると、本当に日本人の身体に染み込んでいるんだなと感じます。

 でも、この座り方は、曲げた太股が下腹部を圧迫し横隔膜を下がりにくくするので、呼吸が浅くなり、身体に良い影響は与えないのです。特に、運動する前、深く呼吸して気持ちを落ち着け、身体に酸素を行き渡らせるという大切な目的に対して正反対の座り方で、運動する時には最も不適切な座り方なのです。

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それでも続く「体育座り」の指導