また、「学生で恋愛しなくても、医者になれば恋人ができるから……」という、これまた強烈な発言に関しては、綺麗ごとをぬかして言えば、確かにその通りだと思います。もちろん大学生のうちは「将来の収入が」ということを考えて恋愛をするわけではないでしょう。
しかし、年をとっていくにつれて、徐々にパートナーに「安定した高収入」を求める人が増えてきます。婚活するにしても、男性は年収○○以上限定と区切るところもありますし、医者限定、弁護士限定の婚活パーティーなんてものが開かれているのが現実です。
佐藤ママの教育論は、実際、ネットの「子どもにここまでするのはどうかと思う」という批判的な声が納得できるほどのものでした。本を読んでみて、私も「考え方が合わないな」と感じた箇所はいくつもありました。ただ、だったら自分の家庭では取り入れなければいいだけの話でもあります。
育児していく中で、子どもが好ましくないことをしていたら、「将来のため」と思って叱ったり注意したりする場面は多々あります。佐藤ママの過激で強烈な習慣づくりを考えてみると、それだけ自分の時間を子どもに捧げたものともいえるのです。
■東大の試験は、ひたすら字を書き続ける時間との闘い
佐藤ママは徹底的に「将来の子どもにとって受験するのに良好な環境」をつくりました。そういう意味では、不要な過激さではなく、必要性がある過激さだったと思えます。実際、参考になると思った箇所は多々ありました。
たとえば、「筆圧が強いとよくない」という点は、私が自分自身に関して思っていたことでした。試験中に消しゴムで消しても跡が残ってしまって、どの数字が正しいのか混乱したことは何度もあるし、手だって疲れやすくなります。東大の試験は、ひたすら字を書き続ける時間との戦いなので、書くのが遅いのはデメリットになります。
私はそこを矯正しないまま今に至りますが、もし小学校くらいの早い時期に、誰かに指摘されていたら改善できていたかもしれません。そして、そんなことにも気がついて書き方まで矯正させる佐藤ママの教育は、過激ともいえるけれど、裏を返せば、「本当に子どものことをよく見ている」とも思いました。
また、「過激さ」に加え、「実際に勉強して合格したのは本人であり、佐藤ママではないのだから前面に出てくるのはどうか?」と不快に思っている人の批判についても考えてみました。
まず、受験は勉強だけでなく、テクニックや要領、環境づくりがかなり重要な要素です。それらを参考にして自分の子にも取り入れるという意味で、東大医学部に4人入れた佐藤ママの受験テクニックは、価値をもっています。受験する子への参考にしたいのに、佐藤ママが前面に出て話してくれなければ、テクニック等の情報が全く得られないと考えると……快か不快かは関係なく、やはり佐藤ママのメディア露出は必要性があるものだと思うのです。