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「現代の肖像」に関する記事一覧

サッカー強豪国のコーチとして異例の抜擢 セルビアサッカー男子A代表アシスタントコーチ・喜熨斗勝史
サッカー強豪国のコーチとして異例の抜擢 セルビアサッカー男子A代表アシスタントコーチ・喜熨斗勝史 セルビアサッカー男子A代表アシスタントコーチ、喜熨斗勝史。サッカーの強豪国がひしめくヨーロッパ。そのワールドカップの最終予選でセルビアが劇的な逆転勝ちをおさめた。コーチを務めるのが喜熨斗勝史だ。ヨーロッパのチームで日本人コーチは異例中の異例。道のりも平坦ではなかった。一つのミスも許されない。勝てなかったらクビ。重いプレッシャーだが、指導者としての高みを目指して挑戦が続く。
「モテるために生きてる」宣言が人生を変えた モテクリエイター・ゆうこす/菅本裕子
「モテるために生きてる」宣言が人生を変えた モテクリエイター・ゆうこす/菅本裕子 モテクリエイター、ゆうこす/菅本裕子。ユーチューブのチャンネル登録者数は87万人、ツイッターのフォロワー数38万人を誇るインフルエンサー。アイドルとして挫折し、SNSで誹謗中傷を受けながらも、もがいてたどり着いたのは、「モテ」を追求する道だった。異性にモテるためだけではない。自立し、自分も相手も大事にし、成長し続けることができるようにと、ゆうこすは発信する。
「もうあかんわ」を笑いに変え、困難を抱える人にエールを 作家・岸田奈美
「もうあかんわ」を笑いに変え、困難を抱える人にエールを 作家・岸田奈美 作家、岸田奈美。13歳で父が亡くなり、16歳のとき母が大動脈解離で入院、以来車椅子生活を送る。弟はダウン症で、祖母の認知症は進む。なぜか岸田奈美の人生は一筋縄ではいかないのだが、そんな悲喜こもごもをユーモアたっぷりに笑いに変え、文章を綴(つづ)る。活躍の場はウェブメディア。ネットを駆使し、拡散していく岸田の作品は、みんなの「もうあかんわ」も笑いに変えていく。
「思い通りにならない体」の不思議さに耳を傾ける 美学者・東京工業大学教授・伊藤亜紗
「思い通りにならない体」の不思議さに耳を傾ける 美学者・東京工業大学教授・伊藤亜紗 美学者・東京工業大学教授、伊藤亜紗。目が見えない、耳が聞こえない、しゃべるときにどもる、幻肢が痛む……。自分の体なのに、ときに体がままならない。伊藤亜紗は、それぞれの体が持つ「固有性」や詳細を聞き取り、それを抱える人々の悲喜こもごもや、生きるための工夫を記してきた。体は理由がないことをする。説明できないこともたくさんある。そこを理解し、言語化していきたいと伊藤は考える。
決断の理由を胸を張って言えるリーダーに 大阪府四條畷市長・東修平
決断の理由を胸を張って言えるリーダーに 大阪府四條畷市長・東修平 大阪府四條畷市長、東修平。2017年、東修平は28歳で大阪府の四條畷市長となる。全国最年少、無名の新人が現職の市長を破っての当選だった。大学で原子力の研究をしていたが、東日本大震災の際に、行政に的確な指示を出す人間がいることの重要性を感じ、官僚になった。地方から日本を良くしていきたい。その思いから、反発も覚悟の上で公平を徹底し、「市民のため」を貫く。
歌舞伎の小道具復元に奔走、職人の技術を未来へ 「伝統芸能の道具ラボ」主宰・田村民子
歌舞伎の小道具復元に奔走、職人の技術を未来へ 「伝統芸能の道具ラボ」主宰・田村民子 「伝統芸能の道具ラボ」主宰、田村民子。歌舞伎座の1カ月の公演で使われる小道具の数は、約1千アイテム。その中には技術継承ができていないものもある。小道具製作の技術が継承の危機にあると知り、田村民子は技術者に会い、専門家に話を聞き、復元のため奔走してきた。手弁当のプロジェクトも多い。でも、「裏方の裏方」でありたいと、今日も「困っていることはないですか」と職人に声をかける。

この人と一緒に考える

3度生まれ変わってもまた鮨屋をやりたい 鮨職人・日本橋蛎殻町すぎた主人、杉田孝明
3度生まれ変わってもまた鮨屋をやりたい 鮨職人・日本橋蛎殻町すぎた主人、杉田孝明 鮨職人・日本橋蛎殻町すぎた主人、杉田孝明。東京でもっとも予約困難と言われる鮨屋「日本橋蛎殻町すぎた」。その主人の杉田孝明はそれでも一流店だと思ったことがない。もとは野球少年。挫折し、張りのない生活の中で鮨職人を目指すドラマに出合った。その姿にあこがれ、鮨の道へ。有名店の主人が魚をどこで仕入れるのか、尾行をしたこともある。もっと鮨を極めたい。客の幸せな顔で、杉田も幸せになる。
「宇宙船も夢じゃない」100年続く造船所を気仙沼に みらい造船代表取締役社長・木戸浦健歓
「宇宙船も夢じゃない」100年続く造船所を気仙沼に みらい造船代表取締役社長・木戸浦健歓 みらい造船代表取締役社長、木戸浦健歓。2011年3月11日、宮城県気仙沼市の浪板地区に連なる造船所が被害を受けた。木戸浦健歓が営む木戸浦造船もあった。木戸浦はただ復興するだけでなく、ライバル社と4社で合併し、100年先まで続く造船所を作りたいと交渉し続けた。19年、「みらい造船」の工場が完成。100年先には宇宙船も含めてすべての船を造りたいと、力強く舵を取る。
MISIAやレディー・ガガも着用 カラフルで美しい“ラッフルドレス”で希望を届けたい ドレスデザイナー・小泉智貴
MISIAやレディー・ガガも着用 カラフルで美しい“ラッフルドレス”で希望を届けたい ドレスデザイナー・小泉智貴 ドレスデザイナー、小泉智貴。子どもの頃からファッションが好きで、自分で洋服を作っていた。ジョン・ガリアーノを雑誌で見て、その世界観にあこがれた。自分らしいデザインを模索していく中、ラッフルドレスにたどり着く。世界的なスタイリストの目に留まり、NYで初のコレクション。一夜にして世界で注目されるようになった小泉智貴。希望をくれたドレスで、世界に希望を届けたいと願いを込める。
「クレージーと誰も僕を信じてなかった」自信を吹き込みバスケ女子を五輪銀メダルに導くバスケ男子日本代表HC トム・ホーバス
「クレージーと誰も僕を信じてなかった」自信を吹き込みバスケ女子を五輪銀メダルに導くバスケ男子日本代表HC トム・ホーバス バスケットボール男子日本代表ヘッドコーチ、トム・ホーバス。東京五輪でバスケ女子が銀メダルに輝いた。バスケで日本がメダルを取るのは初めて。率いたのが、トム・ホーバスだった。23歳のときに来日し、トヨタで仕事をしながら選手としてプレーをした。その後、女子バスケのコーチの声がかかった。通訳はつけずに、自分の言葉で語りかける。昨年から男子バスケ日本代表のヘッドコーチとなった。新しい旅が始まる。
義足をかっこいいアクセサリーに 足を失ったことを恨まない強さ<義足モデル・海音>
義足をかっこいいアクセサリーに 足を失ったことを恨まない強さ<義足モデル・海音> 義足モデル、海音。人気キッズモデルだった。街を歩けば、スカウトされるのが当たり前。おしゃれが好きで、モデルの仕事が好きだった。12歳で難病になり、右膝下から切断する手術をした。義足を誰にも言えず、モデルの道も一度はあきらめた。それでも、海音は義足モデルとして復帰を決意した。どんな夢でも叶えるために、この足で強く歩いていく。
生と死の意味をアートで表現、生命のリテラシーを問いかける バイオアーティスト・福原志保
生と死の意味をアートで表現、生命のリテラシーを問いかける バイオアーティスト・福原志保 バイオアーティスト、福原志保。バイオアートとは、生物学と技術の進化で生まれたアートの先端ジャンルだ。20世紀の終わりにクローン羊が世界に衝撃を与えて以来、遺伝子を扱う作品は賛否両論を生んできた。DNAプリントが手軽に入手できるいま、いかに生命に向き合うべきか。生命と非生命の境目はどこにあるのか。そのリテラシーを問う福原に昨年、乳がんが発覚した。

特集special feature

    サブカルから原発まで“鳥の目”で日本を見る「職業ドイツ人」、マライ・メントライン
    サブカルから原発まで“鳥の目”で日本を見る「職業ドイツ人」、マライ・メントライン 「職業はドイツ人」を名乗るマライ・メントライン。幼い頃に見た絵本でアジアに興味を持ち、民族博物館で日本の文化に引かれた。16歳になると、日本の高校に留学。2008年から本格的に日本に住むと、日本語もドイツ語もできることで、通訳、翻訳以外にもさまざまな業界から声がかかる。日本のサブカルやエンタメも大好き。マライ・メントラインを通して見る日本は、新しい魅力であふれている。
    音楽家・坂東祐大 自分が生きる“時代性”を考えながら10年、20年先に残る音楽を
    音楽家・坂東祐大 自分が生きる“時代性”を考えながら10年、20年先に残る音楽を 作曲家・音楽家、坂東祐大。ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の音楽を担当し、「竜とそばかすの姫」の音楽チームにも参加。2021年は大躍進の年だった。映画やドラマの音楽で注目を集めるが、坂東祐大にとっての核は「現代音楽」。そこがブレたことは一度もない。多くの若手音楽家が「クラシック界を立て直したい」との思いを持つ。坂東もまた、次世代に残る音楽を作るための挑戦を続ける。
    ドキュメンタリー監督・大島新 何を撮るべきかを常に野性のカンのように嗅ぎ分ける
    ドキュメンタリー監督・大島新 何を撮るべきかを常に野性のカンのように嗅ぎ分ける ドキュメンタリー監督・プロデューサー、大島新。2020年、衆議院議員の小川淳也の初出馬から17年を記録した「なぜ君は総理大臣になれないのか」が、大きな注目を浴びた。撮ったのは大島新。大島渚の息子として見られることに居心地の悪さを感じながら、自分の表現を追求してきた。昨年10月の衆議院選挙で小川や平井卓也らの戦いを追った「香川1区」も公開。ドキュメンタリーとは何か。大島を追いかけた。
    こんまりを世界で成功させた引き算のプロデュースとは プロデューサー・川原卓巳
    こんまりを世界で成功させた引き算のプロデュースとは プロデューサー・川原卓巳 プロデューサー、川原卓巳。ノーベル賞受賞者が海外に籍を移し、J-POPの世界進出も後れをとる。日本は才能が開花しづらいのかと、ため息が聞こえてくる。しかし、諦めるのはまだ早い。世界が何を喜ぶかを知るプロデューサーの川原卓巳が「本気を出す」と決めたからだ。「こんまり」の世界進出を成功させた川原。才能ある人が自分らしく生きていけるプロデュースを、仕掛け続ける。
    俳優・谷原章介 役者としてMCとして率直に向き合い続け、今できるベストを尽くす
    俳優・谷原章介 役者としてMCとして率直に向き合い続け、今できるベストを尽くす 俳優、谷原章介。テレビを通して感じるイメージは「華麗でさわやか」。だけど実像はそれだけではないようだ。器用にそつなくこなす一方、挫折感も味わったし、人と比べて落ち込んだこともある。50歳を前に、「人生は何かを得れば何かを失う。僕は今が良い」と語る。一人の社会人として、一人の親として、いつも目の前のことに率直な気持ちで向き合っている。
    梅原大吾 17歳で世界王者に…日本初のプロゲーマーが「勝つため」にやっていること
    梅原大吾 17歳で世界王者に…日本初のプロゲーマーが「勝つため」にやっていること プロゲーマー、梅原大吾。11歳で格闘ゲームに出合った。梅原大吾にとって、それは自分の存在価値を実感できる全てだった。周囲との生き方の差に悩み、将来を憂えた時期もある。それでも自分で自分を見限らないために、格闘してきた。好きなことを一生貫く。その生き方を学んだのは、表彰台の上ではなく、毎日通った地下のゲームセンターだ。
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