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3度の結婚で子ども4人の母親、土屋アンナ41歳が語る 「ママっぽくない」私が大事にしていること
3度の結婚で子ども4人の母親、土屋アンナ41歳が語る 「ママっぽくない」私が大事にしていること 土屋アンナさん(撮影/いずれも小黒冴夏)  モデル、歌手、女優の3つの顔を持つ土屋アンナさん(41)。3度の結婚を経験し、現在は、2男2女の母として、にぎやかな生活を送っている。家事は協力し合っているという土屋さんに、子育てで大切にしていることを聞いた。 * * * “子どもらしさ”を絶対に捨ててほしくない ――お子さんたちといい関係を築くために、大切にしていることはありますか?  いろいろな母親、父親がいるとは思うのですが、私自身は、世間の“母とはこうでなければいけない”という枠は持たないようにしています。だから、うちは親子での上下関係はなく、仲間みたいな感じなんです。  「勉強しなさい」「○○しなさい」ばかりを言わないようにしています。それぞれ違うタイプの子どもたちの素質を伸ばしてあげたいし、 “子どもらしさ”を絶対に捨ててほしくないんです。  もちろん人前にいるときは、「静かにしなさい」「食べ方に気をつけなさい」などと注意することはありますが、子どもらしさがない子は寂しい。泣いてもいいし、大きい声を出してもいい。それは“子どもの特権”なので。 ―――現在、お子さんは、澄海(スカイ)君が20歳、心羽(シンバ)君は15歳、星波(セイナ)ちゃんが8歳、虹波(ニイナ)ちゃんは6歳です。さらに猫ちゃんは6匹いるんですよね。  生き物ばっかりです(笑)。動物は単なるペットではなく家族。子どもたちも猫のトイレ掃除をしたり、ごはんをあげたりと、みんなでお世話をしています。「猫のごはんがなくなっているから、入れなきゃ」とか、自主的な作業をみんなでする。サークルのような環境なので、学ぶことが多いんですよね。  動物から教えてもらうことはとても多い。生も死もあることをきちんと理解し、一緒に生きていこうかと。動物からは形のないものをいっぱいもらえます。言葉が通じない分、ダイレクトに愛情がくるし、嘘をつかないんでね。 ――お子さんに教えているルールは、ありますか? 「嘘をついたり、人を傷つけたりは、自分も息苦しくなるからやめときな」とは教えています。そうはいっても、人は嘘をつく。私も嘘をつくんですよ。それも子どもたちに言う。「ママも嘘つくなって言っているけど、嘘ついちゃっているよ。大人は大変でね。でもいい嘘もあるし、線引きが難しい。なぜ、嘘をついちゃいけないのかというと、つじつまを合わせるために嘘に嘘を重ねていくことになり、自分が苦しむことになるから。特に“人を傷つける嘘”は、全部自分に返ってきてしまうからしないほうがいいよ」って。 「NO」と言わないので、本当に感謝しかない ――朝のルーティンはどんな感じですか?  家族はみんな朝7時に起きて、私は朝ごはん作り。メニューは別にこだわってなく、栄養が取れるので、米とみそ汁があれば十分という感じ。今朝も塩おにぎりと野菜たっぷりのみそ汁でした。  次男と長女は2人で学校に行って、一番下の子は保育園。バイトがある長男は、私が仕事のときの朝は手伝ってくれています。日によって、下の子を送る人は代わります。うちにはシッターさんもいないので、家族で協力し合っています。猫の世話もするので、あっという間に出かける時間になってしまいますね。  家事は次女もよく手伝ってくれます。私が雑巾を持って何かを拭こうとすると「やる!」と言って、お手伝いを楽しんでくれています。長男、次男も絶対「NO」と言わないので、本当に感謝しかないし、みんな優しい。まあ、「NO」と言ったら、私がすごいブチ切れるわけですが……(笑)。  でも、みんなが協力してくれるのは、多分、「私がママっぽくない」からだと思います。子どもの前で泣くし、怒るし、感情はむき出しにするタイプなんです。大人になると、みんな我慢しているじゃないですか。泣いちゃいけないとか。でも、私は別に大人だからってそうしなくていいと思っていて、子どもにも弱いところをいっぱい見せています。そうすると、子どもたちも「あ、ママも人間なんだ」って分かるので、助けようとしてくれます。 ――「お母さんは完璧じゃなくていい」ということでしょうね。  もちろん子どものために、自分の時間もなく100%の労力を注いでがんばっている人も、いい母親。逆に私みたいに「子どもはいるけれども、自分のやりたいこともやる」というスタイルもアリ。100人いたら100人違って当然。なにが正解かは分からないけど、子どもと向き合って一生懸命育てる。それだけしてれば、いいんじゃないでしょうか。 新たな夫は父親であり、サポーター ――「元夫との間に子どもがいる上での再婚」は難しいとされています。土屋さんは結婚を3回しているわけですが、気をつけたことはありますか?  再々婚をして、新たな夫と一緒に住むようになっても、それは私とその人の関係の話。その人は必ずしも“子ども全員の父親”ではないんですよ。父親でもあり、サポーターとして一緒に暮らしている感じです。  一つ屋根の下なので、みんなで仲良くやっていこうという気持ち。「みんなで笑顔になろう」「みんなで助け合おう」ということだけを芯に持っていればいい。細かくやってしまうと、お互いに苦しんでしまうから。夫に対しても、「お父さんらしくいてほしい」なんてことは求めないですしね。 ――澄海君と心羽君にとってはサポーターということですね。再々婚された当初、2人はどんな様子でしたか。  結婚するときには、すでに夫と子どもは仲良くしていました。私は一緒に遊んでいるときに「子どもたちが自然に会話をしているかどうか」は、よく観察していました。  うちの母は、私たちを育てるときに「子どもを最後まで守るのは、私だ」とずっと言ってくれていました。私も“子どもを守る気持ち”はとても強いです。  本当は全ての大人が子どもに対してそう思ってくれたらいいですよね。大人のみんなが子どもを大事にする世界、命がけで守る世界をつくっていけたら、どんなにいいかって思いますね。 (聞き手・加藤弓子) ※【後編】<土屋アンナ41歳と母・眞弓67歳の絶妙な距離感 「品格があるのに破天荒」「一緒にいると刺激」>に続く。 つちや・あんな/歌手、モデル、女優。1998年にデビューし、モデルとして雑誌やファッションショー、CM、テレビ番組に出演。2004年公開の映画「下妻物語」に出演し、「第28回 日本アカデミー賞」新人俳優賞、助演女優賞、「第47回 ブルーリボン賞」新人賞などを受賞。昨年、4人組のロックバンド「BLVCKPHOENIX」(ブラックフェニックス)を結成し、インディーズ活動も行っている。
「なぜこんなものが…」海外の富裕層が日本で欲しがる「10円以下のお土産」とは?
「なぜこんなものが…」海外の富裕層が日本で欲しがる「10円以下のお土産」とは? ※写真はイメージです(gettyimages)   コロナ禍が収束し、海外から日本を訪れる観光客が増加している。日本は、富裕層にとっても人気の旅先の一つ。海外の富裕層は、何に魅力を感じて日本を選んでいるのか。グローバル企業トップやハリウッド関係者などVIPのアテンドを行う筆者が見た、富裕層が今日本に来たがる理由とは。(ライター・通訳案内士 矢吹紘子) 海外の富裕層が日本で感動した 意外な光景とは?  コロナ禍を経て、日本への入国制限が撤廃されてから2年。日本政府観光局(JNTO)によると、2025年2月の訪日外国人旅行者数は、前年比16.9%増の325万8100人に上りました。こんな話をすると「そりゃ円安だからね」という声が聞こえてきそうですが、実はコトはそんなにシンプルではありません。  とりわけ私のクライアントは誰もが知るグローバル企業のトップやハリウッド関係者、国を代表する富豪一家のメンバーといった超富裕層揃い。たとえ今真逆の円高だったとしても、とるに足らないのは容易に想像がつくし、その気になれば世界中のどこへでも簡単に飛ぶことができます。  そんな彼らが今、名だたる観光地を差し置いて日本を選ぶこと。そして「やっと来られてうれしい」「友人や親戚も、皆が来たがっている」と口々に話すこと。その理由を考えた時、人の温かさ、懐かしい光景、そして秩序だった安全な社会という3つの要素が絡んでいるように思えるのです。 京都を訪れた富裕層ファミリーは 「家のあるもの」に興味津々  京都でプライベート通訳をしていると、お茶や金継ぎ、陶芸などのアクティビティーに同席する機会が多々あります。  そういった体験モノではたいていお寺や京町家の一室などをお借りするのですが、先日某大手証券会社で働く夫婦と10代の子どもたちをお連れした会場は、代々続く老舗商店の京町家でした。  アクティビティーの終了後、お家も見学させてもらうことに。そこで、一家が最も興味を示したのは、趣のある日本庭園でも、歴史を感じさせる茶室でもなく、居間の片隅に控えめに鎮座していた仏壇でした。中でも、年季の入った過去帳(故人の名前や命日が記載されている蛇腹式の手帖)に釘付けで、明らかに体験したアクティビティー以上の前のめり具合だったという(笑)。  宗教的には、私のゲストのほとんどがキリスト教かユダヤ教です。ユダヤ教徒は民族間のコミュニティーを大切にしますし、何よりも富裕層は家族や親族の絆が深い。  仏教徒でありながら八百万の神を敬うという私たちの宗教観は驚きの対象ではあるのですが、先祖を祀り、仏壇という目に見える形で継承する日本人の感覚に、温かみと親近感を覚えるようです。  加えて家という日常の場に、先祖代々の名前が書かれた、古くていわくありげなノートが、さも当然のように保管されている。そんな“日常の中の非日常”が心に響いたのでしょう。手書きの毛筆や、その墨の掠れ具合がZ世代にとってはビジュアル的にも「クール」だという側面もあります。 現金文化はもはやエンタメ 日本はノスタルジーを感じる場所に  仏壇のエピソードに限らず、富裕層の旅行者は日本の日常生活を、私たちとは全く異なるアングルと解像度で見ていると感じることが多々あります。  買い物のシーンを思い浮かべてみてください。昨今、日本でも現金以外の決済の選択肢が増えてきていますが、「CASH ONLY」を掲げる店もまだまだ多い。一方、欧米の先進国では貨幣の廃止論が上がっている国もあるほど、現金を使う機会はほぼ皆無です。  そのため店の店員がお釣りを丁寧に数え、一円の間違いもないよう几帳面に確認しながら手渡しする様は、崇高な儀式のようにも、エンターテイメント的にも感じられるのだといいます。同時に、少し前まで現金を使っていた世代にとっては、懐かしさを誘うのも事実。  もちろんこれは、彼らが日本の現金主義を喜ばしく思っているということでは決してありません。インバウンド客を呼び込みたいならキャッシュレスが必須条件であることは間違いないですし、何事もクイックさを最重要視するので、選択肢がある場合は迷わずクレジットカードのタッチ決済一択です。  でも、どんな品物も欲しいとなったら迷いなくゲットする富裕層にとって、紙幣や硬貨を自ら手にして買い物をするという行為は、母国での生活においては忘れられがちなお金の有り難みを実感させてくれるという、思いもよらぬ副産物も生み出しているようです。  少し前まで訪日観光客にとって日本は最新のテクノロジーを享受する場でもあったのですが、その立場は逆転。昭和ブームが海外旅行者にまで広がっていることにも共通するのですが、良くも悪くもそのレトロさやアナログさが、今の日本の魅力にもなっているのです。  ちなみに硬貨で最も人気があるのは、真ん中に穴が空いた5円玉と50円玉。海外土産に困ったらぜひ。 百貨店での感動ポイントとは? ラッピングが神道の学びとなる  百貨店やショップでしばしば見られるラッピングにも、富裕層が感動するポイントが隠されています。まず、あの箱や商品に四隅をピッタリと添わせて、指先を使って手早く折り目をつける技術はもはやアートとの呼び声が高いです。確かに、思い返せば海外では買ったモノを、時に乱雑に袋に入れて終わりというパターンが多いですよね。  しかし心に残るのは、テクニックの素晴らしさだけではありません。  有名ファッションデザイナーの妻で、自身もプロダクトデザインに携わる女性は、「全ての動作にIntention(意図)があって、Pride(プライド)をもって扱ってくれる。だから日本にはBeauty(美)が溢れている」と話していました。改めて考えるとこれは、茶道や生花などの伝統文化にもピッタリと当てはまります。  こういった場合に私は、全てのものに神が宿るという神道の根本的な考え方を説明するようにしています。すると、有難いけれど謎だった日本人の丁寧さについて点と点が繋がるよう。「私の国にも神道が必要」と口にしたゲストは、実は一人や二人ではありません。 保育園児が秩序のバロメーター!? “治安の良さ”を感じる意外な場面  欧米では小学生以下の子どもの学校への登下校などには家族の同伴が必須です。それゆえ、日本で公共のバスや電車に子どもたちが自分たちだけで乗り降りする姿を目にすると心底驚くとともに、この国がいかに安全か身をもって実感するのです。  保育園児や幼稚園児がおとなしくカートに乗せられて散歩するという、私たちにはお馴染みであろうあの光景も大人気。「日本の子どもは世界一可愛い」とは私のゲストがよく口にする言葉ですが、彼らが魅力を感じる背景には、子どもたちが幼い頃から秩序正しく、ルールを守って行動しているモラルの高さがあるといえるでしょう。  ドラッグストアなどの商店が表に商品を陳列する様子も、驚嘆の的となっています。なぜならアメリカなどの都市部では万引きや窃盗が日常化していて、屋外に商品を出すことは、まずあり得ないからです。  軒先に観葉植物や盆栽などを並べる民家も同様で、「パリだったら一晩のうちに全部なくなる」と、フランス人政治ジャーナリストは言っていました。物騒な事件が増えている昨今ですが、こういった光景が日常的に見られる日本は、彼らにとってまさに理想郷なのです。 (矢吹紘子:ライター・通訳案内士)  
授業を聞かない、長期で休む…「小学校の先生」は中学受験に賛成なのか? 67人の教員が答えた意外な“ホンネ”
授業を聞かない、長期で休む…「小学校の先生」は中学受験に賛成なのか? 67人の教員が答えた意外な“ホンネ” 画像はイメージ(撮影/写真映像部・東川哲也)    メディアで中学受験が報じられる際、多くは「親子」や「塾」の視点で、小学校の現場にいる「先生」からの声はあまり聞こえてこない。そこで、AERAでは小学校の先生に緊急アンケートを実施。義務教育の現場で指導にあたる小学校の先生たちが中学受験についてどう感じているかを調査した。そこからは、先生たちの意外な“ホンネ”がみえてきた。 *  *  *  アンケートは2025年3月1~28日に「AERA」と「AERA dot.」のSNSやメルマガを通して、小学校の教員(元教員も含む)と答えた人に実施した。期限内に寄せられた回答は67件。公立小が91%、私立小が9%だった。  まず、「あなたは小学生が中学受験することをどう感じていますか」という問いには、「賛成」が32.8%、「どちらかといえば賛成」が25.4%と約6割が肯定的だった。代表的な意見としては、 「自分に合った学校に出合うチャンスなので、本人と家族が同意して、本人の負担がないようなら中学受験にチャレンジすることはプラスの経験になる」(神奈川県、40代、女性) 「できる子はどんどんレベルの高い問題に取り組めるし、そういう集団に入ったほうがいい」(千葉県、40代、男性)  などが挙がった。    一方、「どちらかといえば反対」は14.9%、「反対」も1%いて、 「低学年のうちから勉強ばかりになっていまい、遊び時間が減る」(愛知県、50代、女性)など、否定的な意見も一定数あった。  かつて神奈川県のある公立小学校に勤務していたミサキさん(仮名、60代)はこう話す。 「昔は中学受験をする家庭に対して否定的な教員は珍しくありませんでした。『通知表には悪いこともちゃんと書く。中学を受験しようが関係ない』『(受験の)1週間前から学校を休むなんて、おかしい』などと話す教員を職員室でよく目にしました」  だが、年を追うごとに中学受験をする家庭が多くなり、最近ではクラスの半数以上の児童が受験するようになった。 「よく聞くのは、慶應義塾普通部、開成中、桜蔭中といった名門校です。そこまで高望みしない子たちには、偏差値40~50くらいの学校が人気です。かつてのように中学受験に否定的なことを言う先生は一人もいません」(ミサキさん) 神奈川県の公立小に努めるミサキさん(撮影/米倉昭仁)   教員の子どもが受験したら?  ミサキさんがかつて職員室で聞いた会話にも出てきたように、中学受験をする小学6年生の生徒が受験直前期から学校を休むのは珍しくない。インフルエンザなどの感染症予防だけでなく、学校を休んででも追い込みの勉強に費やしたいという理由が多いとされる。  そこで、アンケートで「あなたが勤務する(していた)小学校に、受験前の3学期から長期欠席する6年生はいますか」と聞くと、46.3%が「はい」と答えた。    とはいえ、長期欠席すること自体に賛成しているわけではないようで、「受験勉強が大変でも、義務教育の6年生は学校に通うべきだ」と考えている人が71.6%に上った。 「小学校という集団生活の環境で社会性を育むことは成長につながるから」(福岡県、50代、女性) 「学校に来て、小学校でしかできない友だちとの関わりを大切にしてほしい」(愛知県、40代、男性)  一方、感染症にかかったり、在校中のけが、児童間のトラブルなどで受験に支障をきたすことを心配する意見もあった。 「そのようなことが起こった場合、児童のメンタルへの影響は計り知れず、家庭がかけてきたコストが無になるショックも極めて大きい」(東京都、50代、男性)  教員の子どもが中学受験するケースもあるが、その場合はどうなのか。ハヤトさん(仮名、40代)が勤務する大阪市中心部の小学校では6年生の約2割が中学受験をする。それに向けて、冬休み明けから長期で学校を休む児童も多い。 「ただ、息子が中学を受験した際は、ぼくも妻も、『学校には最後まで行け』と言った。息子も『行く』と言っていた。ですが、結局、試験前の1週間は休ませました」(ハヤトさん)  休む前にインフルエンザに感染していたとしても、1週間あれば回復して受験できると見込んだからだ。 「ぼくが若手教員だった20年前は、『児童は学校に来なければならない』という意識が強かった。でも、今は不登校児童の増加もあって、子どもたちを無理に学校に来させるような意識は薄れた。中学受験のために学校を休んでも全然問題ないと思います」(同) 画像はイメージ(撮影/写真映像部・東川哲也)   新型コロナで増えた長期欠席  東京都心には、さらに多くの児童が休む小学校がある。 「冬休み明けに、ある小学校で行われた研究発表会に参加すると、中学受験で来なくなった6年生の机やイスが教室の隅に寄せられて、子どもたちが授業を受けていました。その時期はクラスの人数が半分になるような状況が当たり前なので、教員たちは誰も気にしていませんでした」  そう語るトモコさん(仮名、50代)は東京23区内でも私立中学への進学率の高い区の公立小学校に勤めてきた。  文京区のある小学校では、30年前も児童の多くが中学を受験していたが、受験前に休むような児童はあまりいなかったという。だが、10年ほど前から“ポツポツ”と学校を休む児童が増え始めてきたと話す。 「それでも、受験の2週間前くらいに『中学を受験するのでしばらく休ませます』と連絡をしてくるお母さんがたまにいたくらいでした。学校としては『自己都合による欠席』という扱いでした。それが新型コロナを境に一気に変わりました」(同)  文部科学省は2020年6月、新型コロナウイルスへの感染不安で登校しない場合は「欠席」ではなく「出席停止・忌引等」で扱えると、全国の教育委員会に通知した。 「保護者から学校に『コロナが怖いので行かせません』という電話が1本あれば、欠席扱いにはなりません。そのため、21年1月からは中学受験をする子どもたちはぱったりと来なくなりました」(同)  最近は12月から学校を休む受験生も珍しくないという。 「今は、試験日以外は『欠席』扱いになりますが、欠席を気にする保護者はもうほとんどいません」(同) 休んでも「権利」を主張  千葉県の小学校で管理職を務めるユウさん(仮名、50代)は、中学受験のために学校を休む児童の保護者への対応に苦慮してきた。 「自分の子どもへの愛情過多から、休んでいる間も『権利』を強く主張する保護者が少なくないのです」(ユウさん)  たとえば、班ごとにクラス活動を行う際、中学受験で登校しない児童も必ずメンバーに加えなければならない。学校に来ないからとメンバーに入れないと保護者からクレームがくるのだという。 「私は、教室の掲示板に貼られた班のメンバーの名前を数えて、クラス全員が入っているか、よくチェックしていました。経験の浅い若い教員には特に注意をうながしていました」(同)  学校給食でも同様だ。 「デザートの味が選択できる日は、担任は中学受験で休んでいる児童全員に電話して、『チョコレート味とカスタード味、どちらがいいですか』と聞かなくてはならない。もちろん、その子たちは学校に来ないから、給食は食べない。でも、そういう作業が欠かせないんです」(同) 画像はイメージ(撮影/写真映像部・東川哲也)   「憂さ晴らし」に学校へ  わが子への愛情が行き過ぎるがゆえに、過敏になる親が多いのも中学受験家庭の特徴の一つかもしれない。その結果、家庭内で問題が起こることもある。アンケートで「過去に中学受験に臨む家庭で『教育虐待』のようなケースを見聞きしたことはありますか」と質問したところ、26.9%が「はい」と答えた。   「成績が伸びない子に対しての暴言、遊びの禁止など。ただ、本人が訴えないかぎり、学校は家庭の問題に対処できない」(福岡県、60代以上、女性) 「児童の学力が志望校より低いため、家庭で暴力があり、保護者と面談したが理解してもらえなかった」(高知県、60代以上、男性)  前出のミサキさんも教育虐待と思われるケースを目にした。教育熱心な父親からたびたび殴られて、あざだらけで登校する男児がいた。 「当時の私は、それにきちんと対処できなかった。今も彼が保護されたときのことを思うと、本当につらいです」(同)  家庭で過度なプレッシャーをかけられたがゆえに、学校で問題行動を起こす子どももいる。受験生の中には、学校の壁に落書きをしたり、トイレットペーパーを便器に投げ込むなどをした子がいたと話す教員もいる。ミサキさんは担任のときにこんな経験をした。 「彼らは小学校の学習過程を塾で学び終えているから、授業を聞きにくるのではなく、気分転換のために学校に来るんです。そのため授業中はイスに座らずに、勝手気ままに立ち歩いたりします。それを注意すると『うざったい』などと反抗する子もいて、まるで『憂さ晴らし』に学校に来ているのではと感じることもあります」  前出のユウさんも「中学受験に合っていない子どもたちの疲弊がすさまじい」と話す。 「塾では成績順で机の位置が変わり、成績が悪ければ、自分が落ちていくさまが可視化される。そのストレスを学校で発散させないと、彼らもやっていけないのでしょう。だから、授業妨害が起こる」(ユウさん) 画像はイメージ(撮影/写真映像部・東川哲也)   荒れる「エリート校」  力量のある教員であれば、それを表出させないように抑えられるが、そうでない場合は、落ち着かない状態が教室全体に伝播してしまう。問題行動がエスカレートして警察や児童相談所が介入するケースもあるという。 「ただ最近は、めちゃくちゃ無反応な子が多い。学校ではただじーっと座って、時間がたつのを待っている」(同)  都内のある有名小学校の校長はこう語った。 「世間ではウチは『エリート校』と思われているかもしれませんが、ある意味、『荒れた学校』です。子どもたちは『勉強さえできれば、何をやってもいいだろう』という雰囲気を体全体から出してくる。保護者もそれを容認する空気があります」  前出のトモコさんは、「最後に全員で何かやろう」という雰囲気のあった6年生の3学期を懐かしむ。 「今は親も子も、そんな思いは薄れた。都市部の保護者にとって学校は塾と同じように『利用するところ』なのでしょう。そういう時代になったんだと思います」  多くの先生たちは、時代の流れとして中学受験そのものに反対ではない。家庭の意向を尊重したいとも思っている。それでも、小学校の最後くらいはみんなで一つの思い出をつくりたい、という気持ちは強いようだ。 (AERA編集部・米倉昭仁)
1日の生活で「大谷翔平を見る回数」は? コンビニ、銀行から「背番号17」の外国人まで…合計は“驚きの数字”
1日の生活で「大谷翔平を見る回数」は? コンビニ、銀行から「背番号17」の外国人まで…合計は“驚きの数字” 都内のショッピングモールに掲示された大谷の巨大広告( 写真:アフロスポーツ)    今、日本で生活しているとドジャースの大谷翔平選手(30)を見ない日はない。その動静が朝夕のニュースで大きく取り上げられ、テレビCMにも出ずっぱり。街を歩けば、コンビニや銀行などいたるところで大谷の姿を目にする。一体、私たちの生活にはどれだけ大谷があふれているのか。そう思って、4月のある日、1日の生活で「大谷と出会う数」をカウントしてみることにした。 *  *  *  朝8時過ぎ。ニュースでも見ようかとテレビをつけると、真っ先に映し出されたのは、ちょっととぼけた表情の大谷翔平人形だった。昨年のMVPを記念してつくられたボブルヘッド(頭が揺れる人形)で、前日の試合で配られたらしい。その試合で大谷はサヨナラホームランを打っていたことから、見ていた番組では15分にわたって大谷の活躍を詳報した。別のコーナーをはさんだ後の番組中盤では、大リーグで注目される新バットの話題を大谷のコメントも交えながら取り上げる。こちらはなんとCMも含めて45分にわたる大特集だった。朝の情報番組がまるで野球チャンネルかと見まごうほど「大谷尽くし」だ。  続けて新聞を開いてみると、これもスポーツ面のトップニュースは大谷のサヨナラ弾。田中将大(巨人)の568日ぶり勝利や平野佳寿(オリックス)のNPB通算250セーブはその半分以下の扱いだった。  ニュースを1枠1回、新聞を1回としてカウントすると、朝家にいるだけで3回出会った。それもかなり長時間。この日は妻が朝早く出かけていったので、寝ぼけまなこで二言三言しゃべって見送っただけ。妻の顔よりも大谷の顔をずっと長い時間見ていることになる。  子どもを保育園に送り、コーヒーでも買おうかとコンビニに寄ると、入り口でまた、あの笑顔と目があった。白シャツ姿でおにぎりをほおばっている。「僕はおむすびのおいしい国に生まれた。」というコピーを見て、急におなかが空いてきた。  店内を見回すと、その他にも何人もの大谷がいる。おにぎり2個と、大谷が広告に出演するお茶をセットで買うと100円引きになるらしい。割引を告知するポップとお茶の広告がおにぎりコーナーだけでちょうど10枚、すべて大谷の写真入り。ついサケとツナマヨのおにぎりを手に取り、お茶コーナーに向かった。そこには、ラベルにバットを振る大谷が印刷されたボトルがずらり。レジのサイネージにまで大谷がほほ笑んでいる。このコンビニ1軒だけで、20人近い大谷翔平が目に入った。 東京・表参道付近を埋め尽くしていた大谷の広告。画像の一部を加工しています(撮影/川口穣)   原宿~表参道間は「大谷一色」  午後は渋谷と原宿で取材がある。昼すぎ、電車に乗るために家を出て、駅前の書店に立ち寄った(新刊チェックのための日課だ)。雑誌コーナーは足を止めるともなく通りすぎただけだったが、その一瞬で大谷を表紙にした雑誌が3冊、目に入る。ちなみに、後日都内の大型書店で確認すると、スポーツ書コーナーには大谷が表紙の雑誌やムックが9種類、大谷をテーマにした書籍が19タイトルも並んでいた。  この日は駅前の大型サイネージなどでは大谷の姿は見かけなかった。それでも、街中を歩くといたるところに大谷がいる。朝寄ったのと同じコンビニチェーン、赤い銀行、自動販売機、アメリカに本社を置くシューズメーカー。ジャケット姿でカードを持つ大谷、スポーツウエアを着てバットを構える大谷、ユニフォーム姿の大谷。笑顔の大谷、遠くを見据える大谷、決め顔の大谷……挙げていけばキリがない。  と、すぐ近くで「背番号17」が信号待ちをしているのが目に付いた。ユニフォーム風のTシャツを着た外国人。「オオタニさん」と声をかけると、「He is awesome.」(多分そう言った)と返してくれた。この日東京は暖かったが、それでもTシャツ1枚は寒くないのか。  原宿から神宮前交差点、表参道への通りを歩くと、そこは大谷一色だった。街灯の一つ一つにぶら下げられているコスメブランドの広告はすべて大谷。広告で大谷を起用している化粧品のポップアップストアが開かれ、「サンプルお配りしてま~す」と呼び込みがされていた。爽やかな大谷の大看板が異彩を放つ。もう、このあたりで正確に数えるのを諦めたが、通りにいた大谷を仮に30人とすれば、今日ここまでで、既に64人の大谷に出会ったことになる。  大谷が広告契約を結ぶスポンサーは20社以上に上るという。コンビニ、銀行、コスメブランドなど、野球や大谷のパーソナリティーと直接結びつかない会社まで、こぞって大谷を起用している。野球とは無関係の企業まで大谷を起用する背景について、マーケティングコンサルタントで桜美林大学准教授の西山守さんはこう語る。 「大谷選手は、今の日本で全世代にアプローチできる唯一無二のスターです。情報メディアが細分化され、タレントの不祥事も相次ぐなか、安心して起用できてこれほどブランド価値を高めてくれる存在はほかにいません。加えて、かつては近寄りがたい超人という印象がありましたが、昨年結婚し、妻の妊娠を発表するなど家庭的なイメージもついてきました。食品やコンビニなどのCMにも起用されているのは、こうした新しいイメージも影響していると思います」 2025 MLB 東京シリーズ 開幕戦が行われた東京ドームにも大谷の広告が。(写真:Imagn/ロイター/アフロ)   広告価値は下がらないのか?  一方で気になるのは、これだけ大谷だらけで広告価値は維持されるのか、ということ。大谷個人ではなく、所属チームであるドジャースと契約する企業も増えた。昨年以降、大谷個人がJAL、ドジャースがANAという「同業かぶり」まで起きている。大谷がANAの広告に出演するわけではないが、個人での移動はJAL、チームでの移動はANAを使うという。西山さんは続ける。 「これだけ多くの広告に出演しても、相乗効果で広告価値は高まっていると思います。『同業かぶり』も、かつては元ヤンキースの松井秀喜選手のときに個人がJAL、ヤンキースがコンチネンタル航空と契約するなど、前例がないわけではありません。今回は日本企業同士なので一歩踏み込んでいる印象はありますが、それだけ大谷選手のブランド力が大きいということ。広告の仕事は無制限に増やせるものではないので、これからさらに大きく増えることはないでしょう。一方、イメージが高いからこそ、仮にスランプに陥っても多くの企業は『支える』はず。大谷選手を日常的に見かける状況はしばらく続くと思います」   こんなに大谷のことを考えた1日だったからだろうか。その夜、夢の中にも大谷が出てきた。大谷が打ったホームランボールをキャッチしてみるとそれがおにぎりで、サインしてもらおうと持って行ったらロバーツ監督に食べられた。そんなおかしな夢だった。これも、大谷の宣伝効果ゆえなのか。 (AERA編集部・川口穣)
【「本屋大賞2025」候補作紹介】『人魚が逃げた』――銀座に現れた王子様の正体は一体......!? 現実とフィクションが巧みに交錯する5つの物語
【「本屋大賞2025」候補作紹介】『人魚が逃げた』――銀座に現れた王子様の正体は一体......!? 現実とフィクションが巧みに交錯する5つの物語 『人魚が逃げた』青山 美智子 PHP研究所  BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2025」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、青山美智子(あおやま・みちこ)著『人魚が逃げた』です。****** 今回をふくめて本屋大賞に4年連続ノミネートされた注目の作家、青山美智子さん。『人魚が逃げた』では、銀座という現実の世界を舞台にアンデルセン童話の『人魚姫』を交えた5人の男女の物語が連作集として描かれています。 ある日曜日、銀座の街でテレビ番組の生放送に映し出されたのは、自身を「王子」と名乗る謎の青年。インタビューされた"王子"が「僕の人魚が、いなくなってしまって......」「逃げたんだ。この場所に」と答えたことから、SNS上では「#人魚が逃げた」という言葉がトレンド入りすることとなります。そんな人魚騒動の裏では、場所を同じくしてさまざまな人間ドラマが繰り広げられていました。12歳年上の恋人に自分の本当の姿を打ち明けられないでいる会社員、明日渡米する娘に複雑な気持ちを抱いている主婦、絵の蒐集にのめり込み過ぎて妻に離婚された60代の元ビジネスマン、カフェで文芸賞の選考結果を待つ作家、12歳年下の男性と交際しているものの自分に自信が持てないクラブのママ。実はその誰もがちょっとした人生の節目を迎えており、"王子"と交流することで自身を見つめ直す気づきやきっかけを得ることとなります。 青山さんといえば、見事な伏線回収がなされるハートウォーミングな作品が多く、それは同書でも健在です。各ストーリーで主人公となる人物の心の変化が丁寧に描かれ、共感や感動を得られ、全体を通じた大きな謎である「銀座の街に現れた王子とは一体何者なのか?」という問いがしっかりと明かされ、大きなカタルシスとともに読み終えることができます。さらには、最後に「えっ、そんなところに伏線が散りばめられていたの!?」と驚くような仕掛けまでついていて、読者は改めて読み返したくなることでしょう。 『人魚姫』の物語が収録されたアンデルセン童話は美しく、幻想的な世界が展開されるいっぽうで、厳しい現実や困難な人生について描かれている部分も多く見られます。同書は銀座という洗練された街の中で恋愛や家族、仕事などの悩みを抱えた人たちを映し出した、まさに"大人のためのおとぎ話"と言えるかもしれません。「現実世界にも、複雑多岐に張り巡らされた素敵な物語が、あふれかえっております。人間が思いつく創造も想像も、はるかに超えた素晴らしい出来事ばかりが。しかし、その現実を知らないまま過ぎていくこと、ささいな誤解から大きくすれ違っていくことの、なんと多いことか」(同書より) 上記の一節は、私たちに投げかけられた教訓と受け取ることもできるのではないでしょうか。陽だまりのような温かさが心に残る同書は、青山美智子作品が初めての人にも自信を持っておすすめできる一冊です。[文・鷺ノ宮やよい]
元夫・石橋貴明はがん公表「鈴木保奈美」アラ還でドラマに引っ張りだこの理由
元夫・石橋貴明はがん公表「鈴木保奈美」アラ還でドラマに引っ張りだこの理由 ドラマに引っ張りだこの鈴木保奈美 写真:Pasya/アフロ    石橋貴明が食道がんの治療のため、芸能活動休止すると発表し、騒然となるなか、元妻である鈴木保奈美(58)は近年、再び女優業を活発化させている。今期ドラマでも、Travis Japanの松田元太主演ドラマ「人事の人見」(フジ系)のキャストの1人を演じている。本作は古い熱血体質の残る大企業を舞台に、主人公らが人事部の面々と社員の様々な問題に向き合っていく痛快オフィスエンターテインメントで、鈴木は悩める人事部長役を演じる。  鈴木といえば、3月まで放送された唐沢寿明主演ドラマ「プライベートバンカー」(テレ朝系)にもメインキャストとして出演し、唐沢と33年ぶりに地上波ドラマで共演したことでも話題になった。鈴木といえば、1991年放送のドラマ「東京ラブストーリー」(フジ系)の赤名リカ役が有名だろう。同役でブレイクし、その後も1992年放送の「愛という名のもとに」(同)や、1995年放送の「恋人よ」(同)といった主演ドラマが大ヒット。トレンディドラマを代表する女優として一世を風靡したことでも知られる。  一方、私生活では98年にとんねるずの石橋と結婚し、子育てに専念するため99年から2011年まで12年間休業していた。そのため、90年代に活躍した女優という印象を持っている人も多いだろう。ただ現在は再び引っ張りだこ。その理由はなんなのか。 「女優として近年は特に若作りせず、年相応の役柄を違和感なく演じている印象ですよね。23年放送のドラマ『フィクサー Season2』(WOWOW)では、東京都知事夫人の殺害未遂事件に巻き込まれた新聞記者を弁護する敏腕弁護士役を演じ、キリッとしたかっこよさが好評でした。一方、22年放送のNHK朝ドラ『ちむどんどん』では、ヒロインの恋人の母親という役どころで、父が銀行の重役という家で育ち、ヒロインとの結婚に反対するセレブを好演。また、同年放送のドラマ『家庭教師のトラコ』(日テレ系)でも、銀行の重役の後妻でハイブランドの服を身にまとったセレブママを演じています。最近はそうした、エリート女性やお金持ちの母親といったハマり役があるところも、女優としての魅力に繋がっていると思います」(テレビ情報誌の編集者)   そんな個性的な母親役にも定評がある鈴木だが、私生活では離婚を2回経験した“バツ2”でもある。週刊誌の芸能担当記者は言う。 「鈴木さんは1995年にF1解説者と結婚したものの、すぐに離婚し、98年に石橋貴明さんとバツイチ同士で授かり婚するなど、恋多き女性というイメージもありました。その後、石橋さんとは3人の子どもをもうけるも、2021年に離婚したことが話題になりましたよね。離婚の理由は『子育てが一段落した』とのことですが、三女が高校を卒業するタイミングで鈴木さんから離婚を切り出し、門限があったりなど石橋さんの亭主関白ぶりが理由だとも報じられました。そんな中、離婚後に行われた出演作品の記者会見に出席した際、家庭円満の秘訣について聞かれ『それがあればみんな困っていない』と、苦笑いしながら返答していました。離婚した人に対してかなり失礼な質問ですが、軽く受け流しているところを見ると、心が自由になり、より寛容で器も大きくなっているのかもしれません」 若い頃がかっこつけていたけど  20代の頃はクールビューティーというイメージで、シャープな演技が目立っていた鈴木だが、子育てと離婚を経てアラ還になった今、達観フェーズに入っているようにも見える。表情が穏やかになり、演技も丸くなったと感じる視聴者も多いようだ。 「LEON」(2022年2月10日配信)では、自身の子育てについて「お弁当を20年間作っていた」が、「そのほうが良い母親だ」みたいな主張に映るのがとても嫌だと告白していた。自分はたまたまそうしたが、そうしなくてはいけないということは全くなく、そういう考えが母親のプレッシャーになるのは最悪だと思っており、「お弁当なんか作らなくても、子どもは育ちます」と話していた。  また、「あさイチ」(NHK、2024年12月9日放送)では長谷川京子やLilicoと老いについてトークを展開。冒頭、「体の変化」について聞かれると、「最近、むせますね」と返答し「でも、そんなものかな。とっかかりはビックリしますけど、忘れますよ」と、淡々と語った。 【こちらも話題】 元フジテレビ「渡邊渚」90分インタビューで語った「ウソをつきたくない」という言葉の真意 https://dot.asahi.com/articles/-/253074 「若い頃のほうがかっこつけていて『分かりません』が言えないタイプだったが、50歳を過ぎたら、そんなことは別に恥ずかしくないと思い始めた、と昨年インタビューで明かしていたのも印象的。自身の好きな人はどこかおっちょこちょいだったりして、そういう人こそ魅力的で楽しくてまた会いたいと思い、『あれ、完璧な人なんていない。何で私はちゃんとしてないといけないって今まで思っていたんだろう』と感じるそうです。そうした、精神的な安定や余裕のある姿勢が魅力となり、人を惹きつけるのでしょう」(前出のテレビ情報誌の編集者)  一方で、知性豊かな一面も好感している要因のひとつかもしれない。 「現在、書評番組『あの本、読みました?』のMCを担当するなど、鈴木さんは読書家としても知られています。昨年6月のインタビューでは、読書について、本はお風呂や寝る前、移動の時間などで読むが、課題図書は常に積み上がっていると告白していました。書店に行くと『これも読みたい』と買ってしまい、自宅が凄いことになっているそうです。さらに、2023年に更新された自身のインスタグラムでは『大学入学共通テスト2023』の英語リーディングに挑戦したことを報告していました。『恒例の、脳みそチェック。87/100。思考力と根気が衰えている。反省』と綴っていましたが、大手予備校の河合塾が発表した東京大学文科一類のボーダー得点率は86%で、87点はそれを上回る好成績。鈴木さんの場合、そんな知的さがあるからこそ、エリートやセレブな女性を演じるとより存在感が増すのでしょう」(前出の週刊誌記者)  エンターテイメントジャーナリストの中村裕一氏は鈴木保奈美の魅力につてこのように分析する。 「ドラマ界では“レジェンド級”の存在ですが、織田裕二や唐沢寿明といった、かつて共演した俳優と再び共演することが話題になるのも、華やかなスター性を感じさせます。個人的には髪をショートにし、革ジャンにジーンズ、くわえタバコという、それまでのお嬢様的キャラからの脱皮に大胆にチャレンジした1994年の『この世の果て』が一番好きな作品です。離婚後の精力的かつリラックスした活動からは、彼女本来のナチュラルでフラットな性格がうかがえ、それが新たなファンの獲得にもつながっているのでしょう。若い頃よりも柔軟性や幅を感じさせる今の演技も素敵ですが、狂気を帯びた犯罪者や冷酷非情な役など、さらにイメージを打ち破る怪演を見たいところ。代表作の一つでもある『白鳥麗子でございます!』のような、浮世離れしながらもどこか憎めない個性あふれるキャラクターを振り切って演じる姿も見てみたいですね」  トレンディドラマで一世を風靡した頃とは違った魅力を放つ鈴木。演技だけでなく、その生き方も合わせて、新たなファンも増えそうだ。(丸山ひろし) 【こちらも話題】 朝ドラ「おむすび」視聴率ワースト更新か 過去の名作と何が違ったのか… 視聴者を置き去りにした「ギャル」と「震災」 https://dot.asahi.com/articles/-/252942
支店の「飛び込み営業」で得た「正しい」を貫く姿勢 野村ホールディングス・永井浩二会長
支店の「飛び込み営業」で得た「正しい」を貫く姿勢 野村ホールディングス・永井浩二会長 この坂で疾走したら、農作業をしていた人が「若者が背広を着て、鞄を手に走っているが何かあったのか」と怪訝な顔でみていた。光景は、いまも浮かぶ(写真:山中蔵人)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年4月7日号では、前号に引き続き野村ホールディングス・永井浩二会長が登場し、「源流」である初任地の高松支店がある香川県を訪れた。 *  *  *  仕事の具体的なイメージはなく、会社の雰囲気や採用担当者の人柄にひかれて入社を決めたが、与えられた仕事の軌道にうまく乗れず、早々と会社を辞めようかと思ったことがあった。現代の若者にも、入社1年目で転職を考える例が多い。入社前に聞いた話や紹介情報から描いた「想像」と、入社して目の当たりにした「実像」に、かなりの乖離があるからなのだろう。  でも、そこで辞めてしまうのか。いまのトップの世代には、現代の若者に多い「転職の繰り返し」へ陥った例は、少ない。まだ転職が不利な処遇を生む時代だったことで我慢強かった面もあるが、「実像」で出会った客や先輩から、仕事への張りや愛着が生まれた例を多く聞く。永井浩二さんも、その一人だ。  企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。  この1月、初任地の高松支店がある香川県を、連載の企画で一緒に訪ねた。二度までも「会社を辞めようか」と思ったものの、客から得た真っ直ぐな手応えが「誠意をもって相手と向き合い、正しいと思うことを貫けばいい」とする永井さんのビジネスパーソンとしての『源流』を、生んでくれた地だ。 住所録で電話をかけ面談の約束を取り新規客を探す「開拓」  高松空港は、小雪がちらついていた。車で向かったのは、高松市から約20キロ西の坂出市の警察署前。1981年4月に野村證券へ入社し、赴任して2カ月目のある金曜日、この地の医師宅を訪れたのが最初に「会社を辞めようか」と思った日だ。  新入社員はまだ客がいないから、株式や国債の売買をしてくれる新たな客を探す「開拓」から始める。会ったこともない人に、各種の住所録をもとに電話をかけて面談の約束を取り、自転車やバスで街を巡って訪ねる「飛び込み営業」だ。医師とは、電話で面談の約束が取れた。  警察署前のバス停に着き、医師宅へつながるあぜ道を探したが、半世紀近くの間に宅地開発が進み、みつからない。  あの日は、バスを降りたら、雨が降っていた。傘を持っていなかったのが、まずかった。濡れながらあぜ道を急ぐと雨脚が強まり、やむを得ず、肥料用の糞尿を溜める場所に架けてあるトタン板の下で雨宿りした。糞尿の上をまたぐ姿勢を余儀なくされ、「何でこんなことをやっているのか、もう会社を辞めて東京へ戻ろう」と思う。  でも、ともかく約束は守ろうと、医師宅へ向かう。ズボンも靴も泥だらけで、玄関へ入ったら汚してしまうので、インターホンを鳴らして待つ。すると、玄関を開けた医師の妻が「何をしているの、入りなさい」と言って、濡れや汚れをふくタオルも渡してくれた。「ああ、こういう人のために、役に立ちたいな」との思いが、湧いてくる。  医師夫妻は、国債を買ってくれた。妻は、帰る際に傘も貸してくれた。初めて会う証券マンにも、分け隔てしない。それが正しいことだ、と思っているのだろう。胸に響くものがあり、「会社を辞めよう」との気持ちは消え、『源流』が生まれた。  もう一度、「会社を辞めようか」と思ったのも、坂出市だ。 「うわっ、昔のままだ」──再訪で王越のバス停前で車を降りると、声が出た。道路から少し上がったところに、あのとき訪ねた診療所が残っている。道路を右へ下っていくと、当時は火の見やぐらがあった。  診療所へ初訪問したのは、警察署から近かった医師宅より後だ。蚊に刺されたことを覚えているから、7月になっていた、と思う。午後4時過ぎに着き、帰りのバスの時間を確かめると5時過ぎで、次は2時間後。5時までには戻らなければいけないと思って、診療所へいった。 患者が多かったので医師との面会を待ち帰りのバスを逃す  すると、患者が多くて、医師と話すまでかなり待つ。ようやく話ができて何か証券を買ってもらうと、もう時間ぎりぎり。バス停まで全力疾走したが、途中で、バスがいってしまうのがみえた。落胆してバス停へいくと、火の見やぐらの下にベンチがある。目の前に小さなよろず屋があり、牛乳とあんパンを買って腹に入れた。  暗くなってきて、火の見やぐらの赤い灯をみていると、いろいろなことを考えてしまう。まだ22歳、「こんなことが一生続くのか」と思い、二度目の「こんなところで何をやっているのか、もう会社を辞めて東京へ帰ろう」との気持ちも湧いた。  でも、診療所の医師も、タオルや傘を貸してくれた医師の妻と同じく、新人証券マンに優しかった。そのありがたさが『源流』からの流れを強め、「辞める」という文字を消す。 どの地方にも特徴があり、「食」が美味しい。「地域」へ入れば、温かく付き合ってくれる。支店時代に「もう辞めたい」と二度も思ったが最初に大都会の支店でなくて高松でよかった(写真:山中蔵人)    84年11月、東京の本店営業部へ異動した。全国から腕利きの営業担当が集まる部署へきて、刺激的だった。2年目に従業員組合の支部代表になり、さらに組合専従の役員を務め、90年夏には委員長に選ばれた。  ここでは、全国の支店で働く「ミディさん」と呼ぶ女性外務員の組合加盟で、苦労する。前号で触れたので詳細は省くが、ミディさんたちが非組合員のままでは支障が多いので、組合大会へ加盟を提案した。でも、本支店の若手社員の多くがベテラン揃いのミディさんを煙たがって反対し、執行部も自分以外は全員、提案の撤回を主張した。  でも、「正しいと思うことを貫く」という『源流』からの流れは、止まらない。ただ独り諦めず、執行部の面々を説得、大会で可決へこぎ着けた。 商工会議所で並んだ50代の銀行支店長と36歳の若き支店長 『源流Again』の2日目、95年6月から初めて支店長を務めた愛知県豊橋市へもいった。ここで実感したのが、業績を上げるのは課長でもできるが、支店長にしかできないこと、支店長にしか入れない場があり、そこへ入って野村の存在感を上げるのが支店長の仕事だ、との点だ。  商工会議所の理事になり、金融の課題などを検討する理財部会で、東海銀行(現・三菱UFJ銀行)の支店長が部会長になり、自分は証券界代表として副部会長に並んだときだ。豊橋市は東海銀行が強い地域で、支店長は50代の取締役。自分は36歳の若さで、「野村は豊橋をなめとるのか」とまで言われた。  そこで、どんなに小さな会合でも、顔を出す。休日は、街のゴミ拾いに参加した。すると、だんだん認めてくれた。「誠意をもって向き合い、正しいと思うことを貫く」という『源流』からの流れが、流域を広げた。  2012年4月に野村證券の社長となり、8月に親会社の野村ホールディングスの代表執行役グループCEOに就任。5年前にホールディングスの会長になり、3年弱前から務めている経団連副会長として、地方の経済界との交流に力を入れている。豊橋市の後で岡山市や京都市、大阪市でも支店長を経験した蓄積が、『源流』からの流れを全国へと広げていく。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2025年4月7日号  
伝説の写真家とその妻、異形の愛の形があった 映画「レイブンズ」
伝説の写真家とその妻、異形の愛の形があった 映画「レイブンズ」  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回はマーク・ギル監督の映画「レイブンズ」について。 「レイブンズ」 2024年/フランス、日本、ベルギー、スペイン/日本語、英語/116分/配給:アークエンタテインメント ⒸVestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国公開中 *  *  *  鑑賞後、僕の頭に浮き上がってきたもの、それは本編の主人公、伝説の写真家・深瀬昌久(浅野忠信)の被写体であり、自由と表現を心より愛する妻・洋子の生き様だった。  撮ることしか取り柄がなく、自らの心の闇を象徴する幻の化身である鴉(からす=レイブン)相手にぼそぼそ問答を続ける男と結婚した洋子は、高度成長期の60年代から70年代への移り変わりを体現し、現在に繋がる女性性、ジェンダー意識の新しい高まりを予感させていた。  瀧内公美演じる洋子は、映画のストーリーを完璧に支配していたと言える。  ウェディングドレスを着て煙草を吸い、身体を揺らせ夫のカメラの前に立つファンキーさ。イギリス人マーク・ギルのメガホンにより、三島由紀夫の自決、ゴーゴーパーティ、昭和歌謡、フォークソングなどカラフルで激動だった時代のアイコンが次々登場するが、その中でも美しく、キラキラした洋子の目の動きは観客の目をくぎ付けにし、父との相克に悩みながらのたうち回る夫の醜態を眺める一方、彼を救い、末期を看取ろうとする慈悲深いピエタの視線にも思えた。  己の作家性にこだわるあまり生活が困窮し、「これ(カメラ)が私を殺すんだよ!」と洋子は夫に迫る。「そんなもの(カメラ)の後ろに隠れてないで、ちゃんと見てよ。カメラじゃなくて、あなたの目で見てよ! これ(カメラ)が私を殺すんだよ!」  そこには写真を通してでしか育むことのできない異形の愛の、夫婦の形があった。 「レイブンズ」 2024年/フランス、日本、ベルギー、スペイン/日本語、英語/116分/配給:アークエンタテインメント ⒸVestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国公開中 「レイブンズ」 2024年/フランス、日本、ベルギー、スペイン/日本語、英語/116分/配給:アークエンタテインメント ⒸVestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国公開中  昌久の写真はニューヨーク近代美術館(MoMA)に展示される栄誉を授かり、二人は勇躍アメリカへ向かう。しかし、その後夫は再び酒に溺れ、修羅場の末、離婚となる。だが、その離婚は夫の成長を促そうとする洋子の意志にも取れた。 「賞を獲ったんだって? 新聞が絶賛していたよ」。受賞祝いの昌久の個展に洋子が姿を現すなり、「私、結婚したのよ」と告げる。傍らにはどこにでもいるごく普通の中年男。昌久は奈落の底へ突き落とされるが、洋子は鴉を写した彼の作品を指して「この鴉はあなたの肖像にも見えるわ」と言い残しその場を立ち去る。男の人生のメルクマールに彼女は必ず位置し、極めつけの言葉を投げかける。  このシーンについて、瀧内は「私、結婚したのよって、わざわざ彼の個展を見に行った中で言う必要はない。でもそれをやる。それは彼女の中でやっぱり彼と分かり合えるものがあったからだって思ったんです。あの時代の人たちってそういう遊び心もあった。今はそんなことは通用しないけど。そういう色っぽい遊びみたいなものは当たり前のようにあったんだろうなって」と言う。あの時代を調べ尽くした上で獲得された何とも豊穣な瀧内の言葉だった。  昌久は深酒のため新宿ゴールデン街の店の階段から転げ落ちて脳を損傷し、自らを破壊してしまう。人事不省、意識があるのかわからない元夫を洋子は見舞い、「久しぶりじゃない。ね、洋子よ。私を見て。昌ちゃん。オイ」と語りかける。  ラストに置かれたこの「オイ」との呼びかけが素晴らしかった。ともに時代を作ってきた連帯の証しが見事な句読点になっていた。  瀧内にそう告げると、「嬉しいです。あれはアドリブなんです。私の」と微笑んだ。 「洋子が仕事に出かける写真を昌久がバンバン撮っていく場面があったじゃないですか。あの写真を撮るときに、必ず『オイ』『オイ』って昌久が言い続ける。いつもは『洋ちゃんはさ』なんだけど。その印象が私の中ですごく強かった。だから、私が『オイ』って声をかけたら、ぱっと意識が蘇ってくれるかなって」  言葉は一瞬にして消えてしまう。だが映画は残る。瀧内公美の放った「オイ」は今後語り継がれる名セリフになるだろう。 「私もいろいろ作品に出させてもらいましたけど、この作品は自分の中ではベストアクトになっているなって思いました。浅野忠信さんはもちろん、監督のマーク・ギルさんにも引き上げていただいたと思います」 「レイブンズ」 2024年/フランス、日本、ベルギー、スペイン/日本語、英語/116分/配給:アークエンタテインメント ⒸVestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国公開中 (文・延江 浩)  
ヘンリー王子が慈善団体のパトロン職辞任 トラブルの影に人種差別?
ヘンリー王子が慈善団体のパトロン職辞任 トラブルの影に人種差別? 2024年4月12日、アメリカ・フロリダ州であった慈善団体「サンタバリー」が主催したチャリティ・ポロマッチに参加したヘンリー王子。アルゼンチンのプロポロ選手イグナシオ・ナチョ・フィゲラスさん(左)、サンタバリー理事長のソフィー・チャンダウカ(左2人目)、サンタバリーCEOリチャード・ミラー(右)とともにカメラに収まった(photo PA Images/アフロ)  へンリー王子(40)が先週、慈善団体「サンタバリー」のパトロン職を辞任した。王子自身が創設に関わった思い入れのある団体にも関わらず、だ。  2004年、名門イートン校を卒業したヘンリー王子は、ギャップイヤーを取得して南部アフリカに滞在した。その時、レソト王国のセーイソ王子(58)と出会い、貧困やエイズに苦しむ若者の実態に触れた。その結果、2006年、セーイソ王子と共に彼らの救済を目的として創設したのがサンタバリーだ。  23年にヘンリー王子が来日し、「スポ―ツ平和サミット」に出席しているが、これもサンタバリーの広報活動の一環だった。私も東京の会場でサミットを取材したが、その時もレソトの子どもたちの笑顔が大スクリーンに表示され、サンタバリーの活動が紹介されていた。ヘンリー王子は「母ダイアナの遺志を継ぐ仕事に関わることを誇りに思う」と熱く語った姿が印象的だった。 慈善団体理事長が「人種差別といじめを受けた」と訴え  しかし、このたびの辞任をめぐっては、サンタバリー理事長のソフィー・チャンダウカ博士(47)から、人種差別やいじめなどをしたとして、ヘンリー王子は糾弾されている。一体何があったのか。  理事長はジンバブエ出身。オックスフォ―ド大学法務研究所で学び、金融関係の弁護士として活躍、名誉博士号を授与された。存命だったエリザベス女王から「ビジネスにおける多様性の貢献」で勲章を与えられるなど、評価は高い。 2003年6月1、イートン校を卒業したヘンリー王子。最後のAレベル試験を受け、13歳から5年間通った英国トップクラスの私立学校に別れを告げた。この後のギャップイヤー期間に南アフリカなどを訪れている(photo ロイター/アフロ)  そんな理事長だが、24年アメリカ・フロリダ州でのポロ試合時にメーガンさん(43)とトラブルになっている。写真撮影をする場面で、ヘンリー王子の横に立とうとした理事長にメーガンさんは王子から離れるように2度指示。そのため、理事長は“ぎこちなく身をかがめて”移動し、メーガンさんは望んだ通り王子のすぐ隣の位置を占めたのだ。メーガンさんは当初はポロの試合を欠席としていたが、ネットフリックスのカメラクルーが来ると知ると急遽やってきたという。 過去にメーガンさんとトラブルに  メーガンさんが理事長を追いだすような動きをしたことに彼女への非難が高まった。するとヘンリー王子が「メーガンを支持する声明」を出すよう圧力をかけてきた、と理事長は証言した。以前からメーガンさんは理事長を嫌い、何かと王子を焚きつけていたとも言われているそうだ。  ヘンリー王子夫妻の友人らからは「夫と妻の間に分け入ろうとする理事長がおかしい」「理事長はメーガンに嫉妬しているだけ」と理事長を批判する声が上がる。けれど、理事長は「まるで法律の上にいるかのような態度をとる人がいる。サセックス・マシ―ンを私に向かって解き放った」と反論。その発言に「彼女の言葉を信じる。応援したい」との声も集まる。 2019年11月に来日したヘンリー王子は、東京のパラアリーナを訪れ、パワーリフティングのトレーニングセッションを見学した。これも慈善団体サンタバリーの広報活動の一環だった(photo ロイター/アフロ)  かつて、オプラ・ウィンフリーのテレビインタビューで、王子はメーガンさんの「王室から人種差別を受けた」との訴えに同調したが、今度は逆に黒人女性から「差別された」と非難されているのだ。これには「因果応報」との厳しい声が上がる。 ヘンリー王子のパトロン職辞任に激震走る  ヘンリー王子が「サンタバリー」のパトロン職を辞任したことは、王子が役員を務める他の慈善団体にも激震が走った。難病の子どもを支援する「ウエルチャイルド」は王子の辞任発表直後に、「医療知識を持つ人物が好ましい」として新たに「理事」を探し始めた。わざわざ「この件は、王子のパトロンとしての役割に影響しない」と断っている。  また、ヘンリー王子自身も「インビクタスゲーム」を失う危機感を持ったのか、この財団の役員に王室時代の側近ニック・ラフラン氏を任命した。王子は彼を厚く信頼しており、自分の評判回復にあたらせるという。  またもや騒動勃発のヘンリー王子夫妻。チャールズ国王(76)ががん治療の副作用で入院したことを王室の誰からも知らされなかったようで、アメリカ・モンテシートの邸宅から出ることはなく、数少ないイギリスの友人と電話などしてイギリスを懐かしんでいるという。 「王子はパブでビールをひっかけ、仲間たちと他愛もないおしゃべりをしたいのだ」と友人は明かす。現在のアメリカでの友人は、メーガンさんの友人の夫しかいない。適切なアドバイスは少なく、ヘンリー王子の孤独はますます深まっているように思える。なお、チャールズ国王(76)は、この件について「知らない」と答えているそうだ。 (ジャーナリスト 多賀幹子) *AERAオンライン限定記事
「ピカピカの台所や料理自慢は除外」 ロングラン連載の秘訣は、作られる料理ではなくそこに流れる時間
「ピカピカの台所や料理自慢は除外」 ロングラン連載の秘訣は、作られる料理ではなくそこに流れる時間 おおだいら・かずえ/1964年、長野県生まれ。市井の人々の生活を独自の視点で描くルポルタージュを中心に執筆。2013年から続く「東京の台所」連載のほか、著書に『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『注文に時間がかかるカフェ』など(撮影/写真映像部・佐藤創紀)    AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。  『ふたたび歩き出すとき 東京の台所』は「&w」(朝日新聞デジタルマガジン)の人気連載「東京の台所」の書籍版で、同シリーズ4冊目となる。妻を亡くし、娘と2人暮らしのシングルファザーや神風特攻後続隊に志願経験のある94歳の女性など21人21カ所(一部沖縄もあり)の台所が登場し、それぞれの物語が綴られる。写真撮影は一部をのぞき2006年度木村伊兵衛写真賞受賞作家の本城直季氏。著者の大平一枝さんに同書にかける思いを聞いた。 *  *  *  連載は13年目に入り、取材した台所は優に300を超える。書籍化は今回で4冊目。多くの支持がなければ実現できないロングランだ。台所に着目するとなれば、著名人などがしゃれたデザインとインテリアの空間で存分に腕をふるうという華やかなイメージが一般的だろう。実際多くの雑誌ではそうなっている。ところが大平一枝さん(60)が描く「東京の台所」はまったく異質で、悩みや苦しみと日々向き合う人、時にはほとんど料理をしない人まで登場する。 「『取材してください』という自薦のお便りをいただきますが、ピカピカの台所や料理自慢の人はまず除外します(笑)。そうではなく、長年やっていると、子どもが不登校だとか料理が苦手で困っているとか、ネガティブに見える書きぶりの中で『この人のルーツをたどっていったら何かある』とわかるようになるんですね。物語がきっとある。そして同じような境遇の人が励まされるだろうと思われる人を取材対象に選びます」  股関節を痛め、2020年4月から写真家の本城直季さんと交代したが、それまでは撮影も自身で行っていた。相当なハードワークである。もっとも、場所が東京に限定されることで利便性と多様性は担保されたのではないか。 「東京という大都市には高齢者や一人暮らし、LGBTQなどさまざまな人がいますから、自分は例外だと感じていた人でも、読んで『自分も一人じゃない』『私も料理苦手だけどがんばってみようか』と思ってもらえたりするんです」 『ふたたび歩き出すとき 東京の台所』(1870円〈税込み〉/毎日新聞出版)「&w」(朝日新聞デジタルマガジン)の人気連載「東京の台所」の書籍版で、同シリーズ4冊目となる。妻を亡くし、娘と2人暮らしのシングルファザーや神風特攻後続隊に志願経験のある94歳の女性など21人21カ所(一部沖縄もあり)の台所が登場し、それぞれの物語が綴られる。写真撮影は一部をのぞき2006年度木村伊兵衛写真賞受賞作家の本城直季氏   「東京の台所」シリーズの眼目は作られる料理ではなく、そこに流れる時間にある。 「連載が始まってやや経った頃は、憧れから、どこか型通りにまとめていた気がします。ある時、あまり原稿を気に入っていない印象を持っていた人が、『今でも読み返します、私には尊い経験でいつかお礼を言いたいと思っていました』とわざわざ訪ねてきてくれて、自分を深く省みることになりました。市井の人にとってインタビューという体験は一生に一回の出来事かもしれない。その貴重さを私は理解していませんでした」  自慢とは遠い距離にある人が、台所という最もプライベートな場所に書き手を招き、その連載が長く読まれているこの不思議。豊かさ。 「キッチンという語彙が全盛の頃、台所やお勝手といった言葉のあらわすもの、その精神性を大切にしたいと考えるようになりました。この呼び名を失いたくない。台所は、たとえカップラーメン一つでも、お湯を注いで、ああできた、と肯定感を感じられる空間だと思うんです。そしてこのデジタルの時代に、必ず手を動かす場所でもあります。自分の他に誰かがいたら“おいしい”という言葉が聞けたり、笑顔が見られたり。今はしんどくても、肯定するきっかけがすごく多い台所という場所を、まだまだずっと書いていくつもりです」 (ライター・北條一浩) ※AERA 2025年4月7日号  
2児の父となった「加藤晴彦」が“失礼な保護者”に怒り心頭 小学校の運動会で体験した「非常識な父親」の振る舞いとは
2児の父となった「加藤晴彦」が“失礼な保護者”に怒り心頭 小学校の運動会で体験した「非常識な父親」の振る舞いとは 加藤晴彦さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    4月から放送される日曜劇場「キャスター」(TBS系)で7年ぶりのドラマ出演を果たす加藤晴彦さん(49)。インタビュー【前編】では「キャスター」への出演が決まるまでの経緯や、寝る間もないほど多忙だったという20~30代の芸能生活などについて聞きました。【後編】では、38歳で結婚した際のなれそめや結婚生活について、また、俳優以外でこれから取り組みたい活動についてうかがいました。 ※【前編】<「加藤晴彦」が日曜劇場で7年ぶりにドラマ出演 「僕は芸能人ではなく『人間・加藤晴彦』として生きたい」>より続く *  *  *  自分がどんどん壊れていってるんじゃないか――ヘリコプターで仕事現場へ移動するなど超多忙な生活を送るなかで、加藤さんはそんな不安を抱くようになり、30代前半から徐々に芸能の仕事をセーブ。心身を整える生活にシフトしていくなか、私生活で大きな変化がおとずれる。 20代でブレイクしていた頃の加藤晴彦さん(事務所提供)    2014年、39歳のときに一般女性と結婚した。  生まれ育った名古屋のことが大好きで、どんなに忙しくても1日でも休みがあればすぐに帰るほど、地元愛は強かった。 「昔から、家庭を持って住むなら絶対に名古屋だ、と思っていました。名古屋といえば赤みそなんですけど、『赤だしのみそ汁が上手に作れる子と結婚したい』なんてことも言っていました」  キューピッドになってくれたのは、名古屋の中京テレビで働く黒宮英作さんだ。 「妻も名古屋の別のテレビ局に勤めていた社員で、黒宮さんが『なんか2人は合うんじゃないかと思った』と言って引き合わせてくれたのがきっかけです。本当に恩人というか、人生を変えてくれた人だと思っています」  結婚から10年がたち、2人の子どもにも恵まれたが、妻との関係は「本当に仲が良いです」という。 「家にいると、ずーーーっと話しています。些細なことを共有しあうのはもちろん、絵にかいたようにボケたり突っ込んだり、冗談を言い合ったりとか、会話を止める方が難しいくらいです。妻は『芸能人のあなたと結婚したわけじゃない』と言ってくれていて、それも合っているんだと思います」と話す。 加藤晴彦さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)   2児の父となり「世界が変わった」  子育てに積極的に参加することで、見える世界がガラリと変わった。 「子どもが生まれて物理的に変わったという事ではなくて、視野が広がりました。例えば遊びに行く場所ひとつとっても、子どもにとってどうなのか? 便利さや楽しさだけではない『学びがあるのか?』を考えています。子どもが成長し、進学する上でも考えさせられることも多いです。幸いなことに我が子の幼児期の園生活はとても恵まれていました。しかし、小学校では教育現場の違和感や混乱を目の当たりにしました。そのため、教育にもとても興味が湧いてきました」  教育に関心を持ったことで、必然的に教育現場との接点が増えた。保護者会役員から始まり、現在は、保護者会とは別の学校法人の理事にも就任している。  さらに加藤さんが今参加しているのが、NPO法人の立ち上げだ。教員の働き方改革などで部活動が減少する中、子どもたちにさまざまな競技との出会いと、体を動かす機会を提供するスポーツ組織「AOZORA」の立ち上げに参画している。メンバーは現役の教師や校長・アスリートなどさまざまで、心から子どもたちの未来を考える人たちが集まっている。 「実際に動き始めてみると、場所の確保や人の確保なども含めて、想像を絶するほど大変だと感じています。最初からいきなり完璧を目指すのではなくて、子どもたちに楽しんでもらうところから始めていこうと思っています。」  この活動を通して、加藤さんは子どもたちに「人間として成長してほしい」と願っている。その根底には、一部の大人たちが悪びれもせずに身勝手な振る舞いをすることへの“怒り”がある。 「僕は自分が偉いとは一切思ってないですけど、最近は30代~50代のいい大人でも本当に自分勝手な人が多いなと感じているんです。それぞれの個人や家庭で、その人なりの物差しがあるのは当然です。でも一歩外に出たら、社会の物差しに合わせて行動することも必要です。なのに、最近は自分の物差しを家の外でも振りかざしている人が多い。悪いことをしたらまず謝るべきなのに、相手を責める人もいます。トラブルになると先に騒いだ人が勝ちのようになって、結局、正しい行動をしている人がコトを荒立てないように口をつぐむことも少なくありません。直接話したこともない人を陰で悪く言う保護者などなど、言い出したらキリがありません。見えない所から石を投げるような……そういう非常識や理不尽さが許せないんですよ」 加藤晴彦さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)   近所にいた「昭和のオヤジ」みたい  そうした大人たちに怒りを覚えるのは、加藤さん自身が実際に“被害”に遭ったこともあるからだ。 「小学校の運動会での出来事ですが、下駄箱で靴を履いていると突然『あれ! 晴彦君、元気?』と言われて見上げると、立っていたのは全く知らない誰かのお父さんでした。初対面なのにいきなりタメ口で声をかけられ、あとは知らんぷりされて、その場を去っていきました。あまりにクレイジーな行動に一瞬ぽかんとしてしまいましたが、非礼な行いをする人間には、必ずしっぺ返しがくると思っています」  礼儀やあいさつを大事だと強く感じてずっと生きてきた加藤さんだからこそ、今の時代の子どもたちにもそういった社会性をしっかり学んでもらいたいと考えている。 「自分の娘と息子には、『もし怒られるようなことをしたときは、まず自分の側になにかあったんじゃないか考えろ』と徹底して言っています。昔はまず社会や地域のルールがあり、その上で自分や家族の考え方やルールがあったが、今はその線引きがなくなってきてしまっていると感じています」  そして、「あいさつはされるものではなく、するものです!」と語る加藤さん。自身が幼稚園にお迎えに行ったときは、子ども、先生、保護者へ大きな声であいさつをする。あいさつを返してくれた子には「偉いね!」「気持ちがいいね」と褒める一方で、あいさつをしない子どもがいたら、顔を覗き込んでもっと大きな声であいさつをすることにしている。 「僕って近所にいた昭和のオヤジみたいな感じなんです。でも、あいさつから始まるコミュニケーションで地域は作られていて、その地域全体が子どもたちを育てていたと思うんです。今は過保護どころか過干渉な親が多くて、自分の子どもの顔色をうかがっているような状況でしょう。他人の子どもに注意をしてくれる人なんていないんです。そもそも礼儀について注意するのって、そこに愛があるからなんです。だからこの時代でも、ちゃんと愛を持って言えば伝わるんです。今の子どもたちは愛を受けることも知らないし、愛をかける人もいないからおかしくなっちゃうと思うんです。それを少しでも変えていきたいなって思います」  そう語る言葉には、「人間・加藤晴彦」を貫いてきた加藤さんだからこその“熱”がこもっていた。 (藤井みさ) ●加藤晴彦(かとう・はるひこ) 1975年生まれ、愛知県出身。中学2年のときにNHK『中学生日記』で俳優デビュー。高校3年で『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』審査員特別賞を受賞し上京。TBS系『アリよさらば』、朝ドラ『走らんか!』など数々の映画・ドラマ、『アルペン』などのCMにも出演し、『あいのり』『どうぶつ奇想天外!』などバラエティでも活躍。2014年に結婚し、現在は2児の父。
「雅子さまの英語肉声」公開はいつ? 宮内庁YouTubeがコメント欄を開放しない理由は国民への「ロイヤルな思いやり」か
「雅子さまの英語肉声」公開はいつ? 宮内庁YouTubeがコメント欄を開放しない理由は国民への「ロイヤルな思いやり」か   第43回全国豊かな海づくり大会の歓迎行事で、笑顔で漁船を見る天皇陛下と皇后雅子さま。令和に入り雅子さまが海外公務や皇居で海外からの賓客の接遇をされる場面が増えてきた=2024年11月10日、大分県別府市、JMPA  4月1日午前10時に宮内庁の公式YouTube(ユーチューブ)チャンネル「宮内庁 Imperial Household Agency」で動画とショート動画の配信が始まった。公開から4日ですでに登録者は8万人を超え、さっそく、3月にブラジル大統領夫妻を招いた晩餐会で天皇陛下のお言葉がすべて入った長めの動画も配信している。晩餐会の動画では、高円宮家や三笠宮家など宮家の皇族方の映像もあるだけに、かねて期待の高い皇后雅子さまの英語による交流場面の公開も期待されている。 *    *    * 「約21万人のブラジルの人々が現在我が国で生活し、経済活動や地域社会の活性化、そして日本とブラジルとの人的交流に重要な貢献をされており――」  ユーチューブチャンネルで再生回数が6・6万回(4日現在)と群を抜いて多いのは、国賓として日本を訪問したブラジル大統領夫妻を歓迎する宮中晩餐会での天皇陛下のお言葉をアップしたおよそ9分間の動画だ。  1年前に始まった宮内庁の公式Instagram(インスタグラム)で投稿されるのは、最大90秒のリール(ショート動画)が限界だっただけに、6分を超える陛下のお言葉をすべておさめ動画に人気が集まったようだ。  神戸学院大学准教授で、メディア論や歴史社会学を専門とし皇室についての評論も多い鈴木洋仁(ひろひと)さんは、関西テレビでの勤務経験を通じて、表情や動作ひとつで、「生身人間としての魅力や人間性」が直に伝わる動画の影響力は大きい、と話す。そのうえで、宮内庁のユーチューブチャンネルの開設について、デザインや発信の仕方を含めていまの流行りをよくつかんでいる、と感じたという。 4月1日にスタートした宮内庁の公式YouTubeチャンネル。天皇陛下が晩餐会でお言葉を述べた9分ほどの長めの映像の再生回数が目立って多く人気=宮内庁公式YouTubeチャンネルより 「数年前は、数十秒のショート動画が人気だと言われましたが、いまは1時間くらいのユーチューブ動画に人気が戻っています」  視聴者もテレビの40分は長く感じるが、コンテンツを詰め込み過ぎていないユーチューブ動画ならば、別の作業をしながらの「ながら見」に適しているというのだ。     宮内庁公式YouTubeチャンネルでは、ショート動画も充実=宮内庁公式YouTubeチャンネルより  鈴木さんは、写真1枚から発信できる手軽さのあるインスタグラムで世間の反応を見つつ、リールで動画を貯めた上で、日本国内で7300万人を超えるユーザーを持つユーチューブへとステップアップしたのは正解だったと、分析する。 「昔のユーチューブ動画は、ドーンと派手なテロップを入れてゴチャゴチャしていましたが、いまはテロップも最小限で動画自体もシンプルになるなど洗練されてきており、宮内庁の品の良い動画はそうした流れにも上手くはまっています」(鈴木さん)  SNSの先輩格である英国王室の発信と異なるのは、宮内庁はインスタグラムもユーチューブチャンネルでもコメント欄を開放しておらず、国民の意見はメールや電話で受け付けるという姿勢を貫いている点だ。この点について鈴木さんは、 「批判を恐れるというよりは、コメント欄でユーザーがレスバ(レスポンスバトル)を繰り広げるなどして国民同士が傷付き合うのを避けたいのではないか」  と、見る。 約70万の「いいね」がついたのは、長靴を履いた愛子さまが5月の御料牧場でタケノコ堀りをする「奇跡」のショット。プライベート感が伝わるカメラ目線の愛子さまは皇室ではレアショットだ=宮内庁インスタグラム公式アカウントより  ただし、宮内庁のインスタグラムやユーチューブでは、「国際親善の場や公務での両陛下や皇族方と相手との懇談のやり取りを音声付で流すなど、もう少し幅を広げてほしい」と話す。  実際、「語学堪能な雅子さまが英語で長く言葉を交わされる様子を音声とともに見たい」という声は以前から多い。  天皇陛下や皇族方が通訳を介さず英語やフランス語で談笑し、式典や晩餐会でもスピーチをする場面は少なくない。  陛下が皇太子だった2018年に訪仏した際は、大統領主催の晩餐会では英語で、昼食会では仏語でスピーチを行い、昨年の訪英ではバッキンガム宮殿や金融街主催の晩餐会でも英語で答礼を述べている。 オーストラリア・ニュージーランド訪問の旅。シドニーのタロンガ動物園で、しゃがみ込んでワラビーの説明を受ける皇太子さま(当時)と雅子さま=2002年12月、シドニー、JMPA  秋篠宮さまは今年2月に、タイの国立大学から畜産学の名誉博士号を授与された式典で、宮妃の紀子さまも昨年の国際小児がん学会の式典において、それぞれ英語でスピーチをしている。  上皇さまも国際親善の場はもちろん、ロンドン・リンネ協会主催の記念行事において英語での講演や多数の論文を執筆している。上皇后美智子さまの英語のスピーチとしては、2002年にスイスで、自らの疎開体験とともに本や子どもたちへの思いを英語で語った国際児童図書評議会(IBBY)の大会が印象深い。  平成の時代に侍従として仕え、駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使などを歴任した多賀敏行さんは、他の皇族方の英語や仏語でのスピーチの映像も残っているだけに、雅子さまについてはまだそうした機会がないのが残念、と話す。 ご結婚の翌94年、タイから中東へ向かう政府専用機内で、資料を見る皇太子さま(当時)と生き生きとされた表情の雅子さま=1994年、バンコクーリヤド間、JMPA  多賀さんは、皇后さまが外務省時代に通訳として、「It gives me great pleasure to share this evening with you in …(今夕を皆様とご一緒に過ごすことは私に大きな喜びを与えます)」と流暢に話されている映像を見たことがあるという。  一方で、ご結婚後は、皇太子妃時代のオーストラリア訪問でコアラを抱えて「Oh!Lovely」と口にされた場面などはあるものの、 「一単語から成る短い音声がほとんどで、主語、動詞、目的語から成るきちんとしたセンテンスを発音されている映像はほぼ見つけられません。長さのあるセンテンスで話されている音声を聞くと雅子さまの英語はさすがといいますか、知的で発音が滑らかなことが分かります」  それだけに、英会話による接遇場面がほとんど公表されないのが、もったいないと感じる、と多賀さんは話す。 24年の訪英の様子をアップした宮内庁の公式インスタグラム。雅子さまにとって20年ぶりの海外訪問となった23年のインドネシアに続き24年は訪英と国際親善の機会が増えている=宮内庁公式インスタグラムより  天皇陛下や皇族方はいずれも外国語に堪能で、訪問先の国や外国からの賓客と通訳を介さずに親しく接遇する光景も珍しくない。しかし、その懇談の肉声を一般の人たちが耳にする機会はほとんどない。というのも、指定された場所で遠くから撮影するため、音声を拾えないことがほとんどだからだ。  宮内庁職員を長く務めた皇室解説者の山下晋司さんは、その背景をこう解説する。 「懇談相手にマイクを装着して会話を拾うことが許されているのは、いまのところ園遊会だけです。両陛下や皇族方が接遇相手と懇談する際の肉声は、取材設定がある場面で、かつ取材位置から拾えたものは使用しても特に問題はないのですが、もっぱら会話を録音するためにマイクを突き出したりすることはお断りしているはずです」 英王室はいちはやく公式フェイスブックやユーチューブで発信を始めた。2007年に開設され127万人が登録する英王室の公式YouTubeチャンネルは、動画の種類が豊富=英王室公式YouTubeチャンネルより  それでも令和に入ると、雅子さまが英語で生き生きと交流する場面を目にする機会も増えてきた。20年ぶりの外国訪問となった23年のインドネシア訪問では、大統領夫妻とアットホームな雰囲気で言葉を交わす映像もニュースで流れた。  肉声を聞くことができる場面はそう多くはなかったが、水槽で泳ぐ魚について大統領から説明を受けた皇后さまが、「Do you feed them ?」とたずねた映像が流れた。  前出の多賀さんが言う。 「昨年の英国訪問でもそう長いセンテンスではありませんが、皇后さまの音声つきの映像が流れました。これからは、皇后さまが英語でスピーチをなさる機会も訪れるでしょう。宮内庁のユーチューブ公式チャンネルでは、陛下や皇后さまのそうしたお姿もぜひクローズアップしてほしいですね」 (AERA編集部・永井貴子)  
バイオリニスト・廣津留すみれに聞く 英語と日本語の「配偶者の呼び方問題」 他人の妻や夫、なんて呼ぶ?
バイオリニスト・廣津留すみれに聞く 英語と日本語の「配偶者の呼び方問題」 他人の妻や夫、なんて呼ぶ? 学校や仕事、生活での悩みや疑問。廣津留さんならどう考える?(撮影/吉松伸太郎)   小中高と大分の公立校で学び、米・ハーバード大学、ジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(31)。その活動は国内外での演奏だけにとどまらず、大学の教壇に立ったり、情報番組のコメンテーターを務めたりと、幅広い。「才女」のひと言では片付けられない廣津留さんに、人間関係から教育やキャリアのことまで、さまざまな悩みや疑問を投げかけていくAERA DIGITAL連載。今回は、ジェンダーニュートラルな呼び方をめぐる悩みに答えてくれた。 * * * Q. ジェンダーニュートラルの時代、夫婦をどう呼ぶかが悩ましいです。自分たちのことを人に話すときは「夫」「妻」でいいと思うのですが、他人の配偶者を呼ぶ際、言葉に困ります。「パートナーの方」というのもなんだかしっくりきません。何かいいアイデアはありませんか。また、アメリカをはじめ海外でもこうしたジェンダーニュートラルな呼び方をすることが増えているのでしょうか。   A. たしかにこの問題は難しいですよね。少し前に知り合いからも「夫婦で旅行に行くと、宿の人からごく自然に“ご主人様”や“奥様”と呼ばれるけど、なんとなく夫婦が対等ではない気がしてしまう」といった話を聞き、考えさせられました。「お連れ様」と呼ばれる場合もありますが、「お連れ」という言葉もどちらかがメインであるという主従のニュアンスを感じてしまいます。かといって「夫様」「妻様」とは呼ばれないし……。今のところ、私個人としては「パートナー」が自分にも人にも使えるのでいいと思っていますが、相談者の方はあえて「パートナー」と呼ぶと何か事情を含んでいそうなことに抵抗感があるのかもしれないですね。その気持ちもわかります。  英語では、自分の配偶者にも人の配偶者にも「husband」と「wife」が使えて、とてもクリア。アメリカ人の知人は博士号を取得している妻のことを、尊敬を込めて“Dr. wife”という呼び方をしていて、素敵だなと思いました。結婚しているかいないかに関わらず、また異性同性関係なく使える「partner」という言い方もよく聞きます。 ジュリアード音楽院では教職員のメールの署名に、自分が呼んでもらいたいジェンダー代名詞をつけることが推奨されていた(撮影/吉松伸太郎)    ジェンダーアイデンティティーの観点でいえば、アメリカでは「彼」や「彼女」といった代名詞の使い方についても注意を払います。名前や外見だけでは、相手がどちらのジェンダーか判別がつかないからです。  ジュリアード音楽院で卒業後にプロデューサーの仕事をしていた時は、教職員のメールの署名に「She/Her/Hers」など、自分が呼んでもらいたい代名詞をつけることが推奨されていました。最近ではSNSのプロフィール欄に自身のジェンダー代名詞を記載している人も増えていますね。宛名をファーストネームで呼ぶ場合はMr.やMs.なども不要なので迷わないけれど、英語は他人のことをhe/she/theirなどの代名詞で呼ぶことも多いため、署名などに明記されていればやりとりしている相手も困らないという考えです。学校のウェブサイトにも多様性を尊重する取り組みとして、「gender pronouns(ジェンダー代名詞)」の解説が詳しく載っているんです。「ジェンダー代名詞とは何か」「なぜ大事なのか」「どんな例があるのか」といった基本知識のほか、ジェンダー代名詞を間違えて使ってしまった場合やジェンダーアイデンティティーを明らかにしたくない人への配慮についても、学校の方針として示しています。  それにしても、やっぱり日本語は「主人」「旦那」「奥様」「家内」など、漢字から受ける印象がジェンダーニュートラルから離れているから、言い方に迷ってしまう気がしますね。気にしすぎるのもよくないのかもしれませんが、今の中国語では配偶者にこういう言い方はしないと聞いたことがありますし、もう日本語で新しい言葉を作ったほうがよさそうですね(笑)。   構成/岩本恵美 衣装協力/BEAMS 英語や海外事情、勉強、音楽、学校、これからの日本。気になることをなんでも聞いてみよう(撮影/吉松伸太郎)   AERA DIGITALでは、ハーバード大学とジュリアード音楽院を卒業・修了した廣津留すみれさんのライフヒストリーを紹介する連載「廣津留すみれのアタマの中」を掲載。2023年からは「Season 2」として、バイオリニストでありながら、情報番組のコメンテーターや大学の教員など多方面で活躍する廣津留さんが、勉強やキャリア、海外のことなどにまつわるさまざまな悩みや疑問に答えます。 そこで、みなさんからの質問を大募集します! お子さんから学生、大人まで、年齢は問いません。 【こちらから気軽にお寄せください】 (https://dot.asahi.com/articles/-/253595?page=3) 例えば…… ·「歴史と英単語の暗記のコツを教えて」 ·「これって今の英語ではなんて言うの?」 ·「ピアノがなかなか上手くなりません。習い事はいつまで続けたほうがいい?」 ·「日本に遊びに来た若い外国人を、廣津留さんならどこに案内しますか?」 ·「英語でプレゼンするときに相手に響くポイントは?」 ·「今、勉強しておくといいジャンルは何だと思いますか?」 ·「ずばり、日本の教育を変えられるならどこを変える?」 廣津留すみれさんのファーストCD「メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲+シャコンヌ」          
50代男性DV被害者は「僕、情けないですよね」と声を上げて泣いた 「男は家族を守らないと」の呪縛とは
50代男性DV被害者は「僕、情けないですよね」と声を上げて泣いた 「男は家族を守らないと」の呪縛とは 男性のDV被害者が増えている。妻など家族から暴力を受けるケースが少なくない(写真はイメージ/gettyimages)  男性のDV被害は、妻などから暴力を受けている。その引っ越しを手伝う「夜逃げ屋TSC」の女性社長は、逃げられる状況にあるのに、暴力と抑圧に頑張って耐え続けてしまった男性たちの姿を目の当たりにしてきた。なぜ、被害者たちは自分から「動けなかった」のか。 *   *   * 妻からの暴力を受ける兄を救いたい  数年前、夜逃げ屋TSCにやってきて、社長と面談した50代の男性がいた。 「兄が長い間、(兄の)妻から暴力を受け続けていて、兄を助けたい。救う方法を教えてほしい」とのことだった。  だが、そもそも、男性の顔には精気がない。頬もこけている。さらに、やり取りを続けると、話のつじつまが合わなくなる場面が増えてきた。男性と兄との関係性や、兄は直接来る気はないのか、などと話を聞くと、言葉が詰まったりする。  社長自身が、元夫から凄惨なDVを受け続けた被害当事者だ。だからこそ、察した。 「被害者はあなたなんだよね? なら、ちゃんと話をして。私も被害者だから、当事者同士で話そうよ」 男なのに暴力をふるわれるなんて  社長のストレートな言葉に事実を認めた男性は、長年の妻からの暴力と抑圧を打ち明けた後、こんな言葉を口にした。 「僕、情けないですよね」 「男なのに暴力をふるわれるなんて恥ずかしい話だと思うかもしれませんが、それでもやっぱり家族は家族だし……。昔は幸せだったんですよ」  どんな夫婦も、少なくとも結婚当時は幸せだったはずだ。最初から加害行為を受けていれば、結婚には至らないだろう。配偶者が加害者になった原因がどこかにあるのかもしれないが、もはや、それを考える段階にはない。 泣いていい、情けなくなんかない  社長は、こう語りかけた。 「でも、もう壊れちゃってるよね? もとには戻れないって、あなたもわかってるんだよね?」 「泣いていいんだよ。何も情けなくなんかない。こんなに頑張ってきて、表彰状ものだよ」  男性は、机に突っ伏して、声を上げて泣き始めた。  夜逃げ屋にやってくる男性の被害者たちは、限界が訪れたからやってくるのではない。  とっくに限界突破した状況で、それでも耐え続けた人ばかり。家族などからの説得を受け、やっと腰を上げた形だ。 被害者を縛る「男とはこうあるべき」  被害者であるにもかかわらず、 「情けない」「恥ずかしくて誰にも言えなかった」「男だから家族は守らないといけない」  社長と面談した男性たちは、一様にそんな言葉を口にする。先の男性のように、兄弟や友人についての相談だと偽る人は他にもいたという。  社長は思う。 「被害者たちは、男とはこうあるべき、というたくましいタイプの人が目立ちます。日本では、『男とは~』という育て方をされたり、男らしさを求める風潮が根強くあって。だから、限界突破しているのに相談すらできず、耐え続けてしまうのだと感じています」 家では食事すら許されず  黙って、うんうんと話を聞くようなタイプの被害者も少なくない。理解をしようと努力をする性分だから、加害者側は「こいつには何をしてもいいんだ」とDVをエスカレートさせる。  前編の冒頭で登場した大手企業管理職の男性も、まさにそうだった。妻とひきこもりの息子からの暴力や抑圧に十数年耐え続けた。1日の小遣いは500円で、家では食事すら許されず痩せこけていた。  地獄絵図のような状況だったが、大きな一軒家の玄関に飾られていたのは、息子が小さかったころの家族写真。みんな、笑顔だった。 「家を建てたころは『家族で出発だね』なんて妻と話して、あのころは楽しかったんですよ」。そんな思い出を口にしたこともあった。  高収入で、一人で十分に暮らしていける。いつでも逃げられるのに、その選択をしない。 半年後、あなたは生きていますか? 「『男は家族を守らないといけない』という考えに支配されているようにも見えました。玄関に家族写真を飾っている家って、なかなかないですよね。あの男性は、自分の中でつくり上げた世間の目に対して、『家族を守っている自分』を演じたかったのかもしれません」(社長)  ――このまま耐えたとして、半年や1年後、あなたはちゃんと生きてる?  ――いつか、うっかりやり返したら、被害者のあなたが加害者になるんだよ。それでもいいの?  かたくなだった男性たちも、被害当事者の社長の言葉だからこそ、心のフタが開くのだろう。  面談が終わると、声を上げて大泣きしたり、放心状態になったり。 自由がさみしいと感じる  夜逃げに成功してしばらくは、心にぽっかり穴が開いたような、喪失感に襲われる人も少なくない。 「私もそうでしたが、自由がさみしいと感じるんですよ。共依存(=あの人のそばには私がいないとダメだ、理解できるのは自分だけだ、などと存在意義を見いだしてしまう心理状態)だったということなのかもしれませんが、自分の大半を占めていたものがなくなって、燃え尽きたような感じで。引っ越し後に、さみしいんだって電話してくる男性は少なくありません」  それでも、DVから避難した男性たちは、新たな日常に幸せを感じられるようになる。おなかいっぱいご飯を食べたり、安心して眠れたり、自由にお金を使ったり……、当たり前が当たり前でなかった彼らにとっては、ささやかだけどそれが幸せだ。 「再会したらだいぶ太ってて、一瞬誰だかわからなかった男性もいました(笑)。でも、その姿を見られて良かった」(社長) DVに耐え続けている人たちへ  声を上げられない男性の被害者たち。今も、DVに耐え続けてしまっている被害者たちが、水面下にいるはずだ。  社長は、男性が言い出しやすくなるように、男性のDV被害者がいるという事実を社会がもっと知るべきだと強く訴える。「そんなわけがない」は勝手な思い込みでしかない。  元夫に鼻をつぶされたときの傷が、今もうっすら残る社長。毎日ボコボコにされ、「このままでは殺される」と、ぼろ雑巾の状態で逃げ出した。その彼女が、取材中に被害者への思いとして、こんな言葉を何度も口にした。  あなたは、何のために生まれてきたの――?   そして、被害者たちへの思いをこう話す。 「情けないとか恥ずかしいなんて、誰も思わないということを知ってほしい。私が耐え続けてしまった当事者だからこそ、『がまんするな。がまんなんてしなくていいんだよ』って伝えたいです。助けてくれる人は必ずいますから、とにかく声を上げてほしい」 (ライター・國府田英之)  
DV被害50代男性の「加害者」は妻と息子   朝5時まで説教、食事も許されず なぜ耐え続けてしまうのか
DV被害50代男性の「加害者」は妻と息子 朝5時まで説教、食事も許されず なぜ耐え続けてしまうのか   男性がDV被害を受けるケースは少なくない(写真はイメージ/gettyimages)  DV被害者といえば女性を思い浮かべがちだが、男性が被害を受ける事例も少なくない。DV被害者らに接する「夜逃げ屋TSC」の女性社長に話を聞くと、家族を守ろうとする男性が、その家族から暴力を受け抑圧され続ける、想像を絶する現実があった。 *   *   * 高学歴で高収入、加害者は妻と息子  首都圏に住む50代の男性。大手企業の管理職の彼は、高学歴で高収入。購入した大きな一軒家に妻と30歳近い息子と暮らしていた。  玄関には息子が小さいころの家族の写真が飾ってある。  男性は10年以上、DVに苦しめられ続けてきた。加害者は、写真では笑顔の妻と息子だ。  妻はことあるごとに男性を怒鳴りつけて、暴力をふるった。男性の財布は妻と息子が握り、好き勝手にものを買う。家の中は通販で買った商品の段ボールだらけだった。  息子はいわゆる「ひきこもり」で仕事をしたことはない。「息子がこうなったのはお前のせいだ」となじる妻に、「俺がおかしいのはお前のせいだ」とキレる息子。 食事もとれず痩せこけて…  男性の小遣いは1日たったの500円で、家では食事は出ないし、勝手に何かを食べることもできない。水筒に水を入れて職場に持っていこうとするだけで、妻が怒り狂う。男性はろくに食事もとれずに痩せこけていた。  生活は過酷だった。仕事から帰宅すると「今日は何をしていたのか」と2人に詰問される。長い日は翌朝5時まで説教が続く。ろくに睡眠もとれず、心身共にボロボロだった。高収入で、一人で十分に暮らしていける。いつでも逃げられるのに、その選択をしない。 「もう、自分のことだけを考えろよ」  家庭環境がおかしいことに気付いていた職場の上司たちが男性を必死に説得し、「夜逃げ屋」の存在を知って、利用するようにサポートした。 妻と息子のいる家から「夜逃げ」 「家を建てたころは『家族で出発だね』なんて妻と話して、あのころは楽しかったんですよ」。そんな思い出を口にしたこともあった。  面談を重ねた末、妻と息子のいる家から「夜逃げ」することを決めた。家を出る時、妻と息子からは感謝の一言もなく、男性や社長らはののしられ続けた。  引っ越しのとき、男性の荷物を積んだ軽トラックの荷台は、スカスカだった。彼には、崩壊した家庭以外には、仕事しかなかったのだ。  男性はいま、一人で暮らしている。周囲の助けがあって、地獄で耐え続ける日々がやっと終わった。 4割が男性からの依頼  この男性のような、ギリギリまで追い詰められた被害者たちを「逃がす」人がいる。DVやストーカー被害者の引っ越しを専門に請け負う「夜逃げ屋TSC」の社長だ。 「20年以上、この『夜逃げ屋』の仕事をしていますが、男性のDV被害が少しずつ認知されてきたこともあってか、依頼の件数が増えています。昔はDV相談のうち1割もないくらいでしたが、今は約4割が男性からの依頼です」  そう話す社長自身、結婚していた当時は夫からDVを受け続け、何度も救急搬送された経験のある被害当事者だ。「毎日、ボコボコにされて、このままでは殺される」と逃げ出したが、暴力で鼻をつぶされたときの傷痕が今も薄く残る。 見て見ぬふりをしたくない  依頼は月に10~20件ほど。引っ越し先を用意したうえで、加害者が家にいない時間を入念に確認して荷物を運び出したり、加害者がいる場合は危害を加えないようにスタッフを配置し、時には警察とも協力しながら作業したりする。危険度の高い案件には、必ず社長自身が現場に出向くようにしているという。  被害当事者だったときに出会った警察官の勧めで夜逃げ屋を始めたころは、男性のDV被害者がいるとは想像もしていなかった。だが、仕事を続けるなかで、「被害者を助けたい。見て見ぬふりをしたくない」との思いは、男性たちにも向くことになる。 両親の死後、ひきこもりの姉は  社長によると、男性への加害者は、妻であることが多いが、親やきょうだいのこともある。  こんなケースもあった。親と、ひきこもりの姉と長く同居していた60代の男性。親は資産家で、家は一等地にある豪邸だったが、両親が他界した後から姉が一気におかしくなった。  男性が家で何かをしようとすると、突然にキレてつかみかかってくるようになったのだ。なだめても怒りは収まらず暴れ続ける。掃除や片付けも許されず、あっという間に「ゴミ屋敷」になった。 「洗濯もさせてもらえなかったようで、汚れた衣類やら残飯やらで部屋があまりに荒れ果てていて、もはや住まいと呼べる状態ではありませんでした。私たちも許可を得て土足で家の中に入ったのですが、数匹のネズミが競走するかのように走り回っていて、凍り付きました」(社長) なぜ逃げようとしないのか  妻から暴力を受け続け、ついにはマンション上層階のベランダから突き落とされそうになった男性。寝ていたら妻に「起きろ!」と怒鳴られ、包丁を顔の横に突き立てられた男性……。にわかには信じがたいが、それが男性のDV被害の現実だという。  それほどまでに悲惨な状況にもかかわらず、男性たちはなぜ逃げようとしないのか。  腕力も妻より強く、どちらかと言えば経済力のある被害者が目立つ。一人になっても十分に暮らしていけるのに、なぜ、その状況に耐え続けてしまうのか。  社長が、今も強く記憶する夜逃げの現場がある。  妻から凄惨なDVを受け続けた70代の男性。熱いお茶を顔にかけられ、やけどしたこともあった。依頼者は、男性の娘。父を救おうと説得し、夜逃げ屋に依頼した。  男性の荷物を搬出していると、妻は社長に「お前は愛人か!」などとわめき散らし、つかみかかってきた。奇声を発しながら、あらゆる罵詈雑言を浴びせ続けてくる。 「僕をどうか許してください」  この男性は、どれほど苦しんできたのか――。そう思慮しながら荷物を積み終えた社長たちに、男性は意外な言葉を発してきた。 「妻に最後のお別れを伝えさせてください」  妻が危害を加えないよう、スタッフを配置してその場を見守った。 「ふざけんなお前、私はこれからどうするんだ!」「他の女のところに行くんだろう!」  怒鳴り散らす妻に、男性はこう話しかけた。 「今までありがとう。本当にあなたのことが好きでした」 「僕のお金は全部あげるから、安心して。こんな決断しかできなかった僕を、どうか許してください」  暴力や抑圧に耐え続けた被害者のほうが罪悪感を抱き、加害者に詫びる。その誠意は加害者には通じることはなく、夫を罵倒し続ける。 「涙がこみ上げましたよね」と社長は振り返る。 限界突破した状況で耐え続ける  男性のDV被害者のほとんどは「限界突破した状況」で耐え続けるのだという。この男性も、冒頭の大手企業管理職の男性も、娘や職場の上司の説得があって、やっと重い腰を上げた形だ。 「男性の被害者と接していると、『男とはこうあるべき』という日本特有の男の子の育て方や、男性観のようなものが災いしていると強く感じます。だから、男性たちは自分から逃げることができないのだと思います」  相談に来た男性たちはどんな様子で、どんな言葉を口にしたのか。後編では、女性社長が見た、被害男性たちの「ありのまま」に触れる。 (國府田英之)
「中学受験という“敵”が現れ初めて娘とむき出しで向き合えた」 作家・早見和真が「父と娘」の受験を描いた理由とは
「中学受験という“敵”が現れ初めて娘とむき出しで向き合えた」 作家・早見和真が「父と娘」の受験を描いた理由とは 安浪京子さん(左)、早見和真さん  撮影/佐藤創紀(写真映像部)  中学受験を描いた小説『問題。』(朝日新聞出版)を上梓し、2年前に、娘の中学受験を経験した作家の早見和真さん。受験を通して見つけた真の教育観とは? 算数教育家で中学受験カウンセラーの安浪京子さんと対談しました。子育て教育情報誌「AERA with Kids2025年春号」から紹介します。 「父と娘」に焦点を当てた理由とは 安浪京子(以下、安浪) 『問題。』を興味深く拝読しました。これまで中学受験を描いた小説は、「母と娘」の関係をテーマにしたものがほとんどでしたが、「父と娘」に焦点を当てた理由は? 早見和真(以下、早見) まさに「父と息子」、「母と娘」の物語は山ほど世の中にあふれているのに、「父と娘」の物語が本当に少ないからです。娘が生まれた瞬間から「いつか父と娘の物語を取りに行く」と決めていました。 安浪 そうだったんですね! でもなぜ舞台を「中学受験」にしたのですか? 早見 父と娘の関係性って、どこか薄皮一枚挟まっている状態なんですよね。少なくともわが家はそうで、妻と娘が対等に大げんかするようには、僕は娘に接することができなかったんです。それが“中学受験”という共通の敵が現れて初めて、娘とむき出しで向き合えた気がした。「やっと書きたいものに出合えた」と思いました。 安浪 なるほど。「父と娘の物語」のコンテンツとして、“中学受験”が選ばれたわけですね。 早見和真さん 撮影/佐藤創紀(写真映像部) なぜ、子どもに中学受験を経験させたのか 早見 安浪先生は、“娘”として生きてこられた中で、お父さんとの間に小説になりうるテーマって何か、ありましたか? 安浪 私は思春期のころは、父のことがあまり好きじゃなかったので、小説の主人公とお父さんのような関係性とは異なりましたね。でも、最近は、仲良し父娘が増えていると感じますし、中学受験に積極的に関わるお父さんも、ずいぶん増えました。 早見 そうなのですね。小説家として見ると、互いに反発する昭和的な父娘の関係の方が、良い物語が生まれやすいんですけどね。 安浪 そもそもなぜ、早見さんのお嬢さんは中学受験を? 早見 僕は、娘が生後半年で作家になり、東京から伊豆、愛媛へと暮らす場所を変えてきました。あちこち引っ越しをして翻弄してしまった代わりに、娘には、「中学校は世界中の学校から自分で選んでいいよ」と伝えていたんです。 安浪京子さん 撮影/佐藤創紀(写真映像部) 「描きたかったのは“中学受験”そのものではなく、家族の物語」と腑に落ちた 安浪 世界中ですか! 早見 ええ、ベネズエラとか南アフリカとかに行きたいというような面白い子に育つことを期待して……、でも結局、娘は「東京の学校に行く」という僕にすればがっかりする選択をしました(苦笑)。 安浪 引っ越しが多かったから、東京の女子校生に憧れたのかもしれないですね。 早見 そうかもしれません。それで学校選びのために塾に行き始めたのですが、塾は娘にとって、とても楽しい場所だったようです。 安浪 あ、そこは『問題。』の主人公と同じですね。作品を拝読して、ひとつ気になったことを言ってもいいですか? この主人公のように、自分で勉強のスイッチを入れて、真剣に受験勉強に取り組める小学生は、なかなかいません!(笑) 早見 ええ。批判はあるだろうなという前提で書きました。ただ、僕が描きたかったのは、受験をどう突破するかではなく、受験を通して、人生にはいろんな選択があるということに気づくための物語だったんです。 安浪 私も最後まで読んで、「早見さんが描きたかったのは“中学受験”そのものではなく、家族の物語なのだ」と、腑に落ちました。 志望校に落ちたことで、より豊かな人生を選び、歩めることもある 早見 実際に、自分の娘に関しても、受験に合格するかどうかはどちらでも良くて、ただ、娘には自分で人生を選び取れる人になってほしいという思いの方を強く持っていました。 安浪 ええ、今回の作品の主人公のように、よくよく悩んで考えて、自分で道を選べるのが理想だと私も思います。ただ、中学受験をするご家庭を長年本当にたくさん見てきましたが、実際のところは、親が行かせたいと思う学校に子どもを導くケースがほとんどです。 早見 そうなのですね。でも、僕には、子どもの進路を親が決めて選ぶということの意義が本当にわからなくて……。 安浪 親自身が安心を得たいという気持ちもあると思います。でも、実際は、どんな名門校に入っても、お子さんが幸せな人生を歩めるとは限らないのですけれどね。 早見和真さん(左)と安浪京子さん 撮影/佐藤創紀(写真映像部) 早見 それは、そうでしょう。むしろ志望校に落ちたことで、より豊かな人生を選び、歩めることもある……。 安浪 ええ、本当にそう。私はいつも「子育ての最大のミッションはお子さんの自立です」と、保護者にお伝えしています。それでも、偏差値の高い、いわゆる“良い学校”に行かせたら、良い人生を送ることができると考える親御さんが多いのは確かです。 過去の意味は未来の頑張りによって変えられる 早見 人生の安心なんて、買えるものではないと思う。失敗しても、立ち直って生きていけたらそれでいい。それが僕の子育て観です。 安浪 100%賛同します。おっしゃるように、失敗をバネにできる強さを育むことが、何より大切なことだと思います。 早見 過去の意味は未来の頑張りによって変えられるものですからね。悩みながら自分なりに探求する経験が尊いと、娘とも話します。 安浪 父と娘で、そういう話をできるのが、素敵な関係ですね。 早見 薄皮一枚、挟んでいますけどね(苦笑)。 (構成/玉居子泰子) 〇早見和真(はやみ・かずま)/2008年『ひゃくはち』で作家ビュー。その後『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞受賞。『店長がバカすぎて』で本屋大賞ノミネート、『ザ・ロイヤルファミリー』で山本周五郎賞受賞など数々の作品を上梓。 〇早見さんの最新刊 『問題。 以下の文章を読んで、家族の幸せの形を答えなさい』(朝日新聞出版/1760円) 中学受験を目指すも、なかなか意欲が出ない小学6年生の十和。最後の夏に、彼女を変えた出来事は……。家族の気持ちがさまざまに交差する青春受験小説。
50代で工業デザイナーからタクシー運転手へ ミドルシニアの転職「より息長く働くためにギアチェンジ」の傾向
50代で工業デザイナーからタクシー運転手へ ミドルシニアの転職「より息長く働くためにギアチェンジ」の傾向 中高年のキャリア再構築支援の傍ら、昼スナック「ひきだし」のママを務める木下紫乃さん(右)(写真:木下さん提供)    転職を検討するミドルシニアが増えている。総務省の労働力調査によると、2024年の転職希望者は1千万人。年齢別で最も増加幅が大きいのは45~54歳だ。2013年は154万人だったが、2024年は229万人の約1.5倍に増加している。中高年の転職願望の背景には何があるのか。AERA 2025年3月31日号より。 *  *  *  40~50代のキャリア支援のプロである木下紫乃さん(56)が、東京・赤坂に昼スナック「ひきだし」をオープンしたのは2017年。木下さんはここで中高年の転職にまつわる悲喜こもごものシーンに接してきた。  昨年から転職活動を始めた50代男性は、50社ほどの中途採用に応募して面接までこぎつけたのが2社。そのうち1社は給料が半額、もう1社は面接で落とされた。 「朗らかな性格の人ですが、自分はこんなにダメなのか、と人格否定されたのに近い感じで、さすがに落ち込んでおられました」(木下さん)  大手保険会社に勤務していた男性は50歳を過ぎて離婚。元妻に慰謝料を払う費用を退職金で工面するため退職。その後、3回転職を繰り返し、今もマンションの管理人として現役で働く70代の猛者もいる。木下さんは言う。 「これまで我慢して勤めてきた人も、一度きりの人生の残された時間を自分の好きなことに費やしたいと考える人が増えているように感じます。背景には、定年後も働き続けないと経済的に不安という事情もあるようです」  モチベーションを維持して、より息長く働くためにギアチェンジする。そんな感覚で転職を志向するミドルシニアが目立つという。 「会社組織にどっぷり浸かるのはもういいかな、と思いました」  こう吐露するのは、都内のタクシー会社に勤務する50代男性。前職は大手電子機器メーカーで25年間、工業デザイナーとして勤務していた。本気で退職を考え始めたのは50代。退職金が割り増しされる早期退職制度の対象者になったタイミングで離職した。 「もうデザインの仕事はいいかな。違う世界を見たいと思いました」  離職の動機について最初、こう話していた男性。さらに話を聞くうち、男性が離職に踏み切った根本にある「わだかまり」に気づいた。それは、会社のありようそのものへの疑問のように感じられた。 AERA 2025年3月31日号より    男性は「こんな話をしても仕方がないとは思いますが……」とためらいながらも、「これは私がいた会社だけでなく、日本の多くのメーカーに共通すると思います」と自分の思いをたぐり寄せるようにポツリポツリ、言葉を継いだ。 「どうせ量産化されないと思いながら企画書を書いてプレゼンすることの繰り返し。周りと合わせて体裁を繕う、雇用維持のための『仕事のための仕事』をしているというか……」  かつて世界を席巻した日本のメーカー各社も海外勢に販路を奪われ、厳しい経営環境にさらされている。男性の職場でもコストダウンや合理化が優先され、ものづくりに対する熱意や自由闊達(かったつ)な職場の雰囲気がどんどん失われていったという。 「モノが売れない時代に、定年まで会社にしがみついても本当に自分の好きなものづくりはできそうにない。自分がやるべきこともなくなってきている、と感じるようになったんです」  短い沈黙のあと、こうつぶやいた。 「ビジネスとしての実態がない虚業。それが今、あまりに多くないですか」 過去にフォーカスするより、何をやりたいかが大事  メーカーを離職した時点で転職先は白紙だった。退職後、ふと浮かんだのが輸送にかかわる仕事。運転するのが好きで休日はよくドライブした。一人で長時間運転するのも苦にならない。長距離のトラック運転手も考えたが、サービスを提供する相手の反応に直接触れられる仕事がいいと思った。失業給付をもらいながら二種免許を取得し、タクシー会社に就職。研修期間を経て昨年11月からタクシー運転手として営業を始めた。男性は少し照れくさそうにこう話した。 「じつは今の仕事、結構楽しいんです。自分でルートを選べるのもいい。今日はここへ行ってみようとか、毎日違うから面白い」  港区、渋谷区、千代田区など都心を流す。丸一日の勤務明けが休日となる隔日勤務のシフトにも慣れてきた。 「半分ぐらいはインバウンドの観光客。皆さんジェントルです。酔っ払いがいそうなエリアにはなるべく近づかないようにしています」  例外は「銀座のクラブまで店のお姉さんを送っていく時」だという。 「夕方にアプリで予約が入ると緊張します。乗車した直後に『急いで』とピシッと告げられ、絶対にミスは許されない張り詰めた雰囲気になります」  男性の少しおどけた口調からは、そうした緊張感も楽しんでいるように感じられる。  よくも悪くも人間関係にわずらわされない。無理をしなくても生活に必要な額は安定して稼げる。そんな今の仕事に就いてしみじみ感じるのは、東京の夜景の美しさだという。タワマンが立ち並ぶ湾岸エリア。刻々と様相が変化する渋谷駅周辺のビル群。夜の東京タワーも幻想的でいい。 「高校卒業後に東京に出てきて、社会人として35年間暮らした東京生活のいまが集大成のような気持ちで都心を走り回っています。先行きが不透明な世の中で、この美しい夜景だけは崩れ去らないでほしい。そんな愛おしい気持ちがわいてきます」  ミドルシニアの転職に落とし穴はないのか。転職エージェントも「中高年向け」をアピールするようになり、その気になる人もいるが注意が必要と前出の木下さんは言う。 「エージェントはマッチング成立の確率を上げるため、その人の過去のキャリアにフォーカスすることを優先しがちですが、大事なのはその人がこれから何をやりたいのかということです」  50代以降の転職や転身は、それまでに築いた人脈から得られる情報や仲介が大きく寄与するケースが少なくない。そのためにまず必要なのは、自分のやりたいことを言葉にして周囲に伝えることだという。会社員の場合、部署や役職名のついた名刺とは別に、自分がこれからやりたい「ライフテーマ」を記入した名刺を常備しておくことを木下さんは薦める。 「今の自分のキャリアとはかけ離れたライフテーマだとしても、周囲はそれまでのキャリアとセットで受け止めるため、思わぬところでキャリアが役立つ情報が得られるケースもよく見られます」  大事なのは「失敗にめげないこと」だと木下さんは強調する。 「ダメでもともとぐらいの気持ちで半年、1年かけてめげない気持ちを鍛え、活動量を増やし続けていると、思わぬところから『良縁』が舞い込むこともあります。コスパやタイパは中高年の転職にはむしろ弊害。持久戦と捉えるべきです」 (編集部・渡辺豪) ※AERA 2025年3月31日号より抜粋
氷河期世代50代男性、30年勤務の企業から転職決意 決め手は「60歳以降も昇給がある」
氷河期世代50代男性、30年勤務の企業から転職決意 決め手は「60歳以降も昇給がある」 新入社員の給与を引き上げる企業も増えている。就職氷河期など中高年社員は、待遇への不満から転職を検討してもおかしくはない(写真:写真映像部・佐藤創紀)    転職願望をもつミドルシニアが増えている。40~50代を対象にした転職支援も活況を呈し、「35歳転職限界説」は過去のものになりつつある。中高年の転職願望の背景には何があるのか。AERA 2025年3月31日号より。 *  *  *  総務省の労働力調査によると、2024年の転職希望者は1千万人。集計を開始した13年以降の推移を見ると、年齢別で最も増加幅が大きいのが45~54歳だ。24年は229万人で、13年の154万人の約1.5倍に増えている。  ミドルシニアの転職願望の背景には何があるのか。  東京・赤坂で昼から営業するスナック「ひきだし」。17年に同店をオープンした「ママ」は、企業のセカンドキャリア研修や40~50代向けのキャリアコーチングを行う木下紫乃さん(56)だ。同店には連日、悩み深き中高年が集う。 「モヤモヤを抱えて働く40~50代はやっぱり多いですね。50代になると、会社に居場所がなくなり、居心地の悪さを感じるといった声はよく聞きます」(木下さん)  それまでは部下の仕事をチェックしたり、リードしたりする役割だったのが、役職定年を迎えると、周囲に気をつかわれて必要なフィードバックももらえなくなる。 「そういうことがきっかけで、この会社での自分の寿命も長くないのかな、と感じる方は多いようです」(同)  とはいえ、オープン当初は「転職は非現実的」というミドルシニアがほとんどだった。木下さんが変化を感じたのはコロナ禍以降だという。 「DX化やオンラインの普及に順応できるかどうかといったことが試金石になり、会社に必要とされる人とそうでない人との区別が鮮明化し、実際に転職活動に踏み出す人がぽつりぽつりと増え始めた印象です」  つい先日転職が決まったミドルシニアも、積年の「モヤモヤ」から一歩を踏み出した一人だ。 「私たちの世代は就職氷河期ど真ん中。上のポストも詰まっていてなかなか管理職にもなれず、給料も上がらない。いつかはもっと待遇のいいところへ転職したいと考えるのは必然ではないでしょうか」  こう胸中を明かすのは神奈川県在住の50代男性。30年近く勤めたIT・通信系企業を2月に退職した。会社に辞表を提出したのは取材を申し込んだ数日前。上司はかなり驚いた様子だったという。 AERA 2025年3月31日号より   「会社への忠誠心は強いほうだと思われていたみたいです。役職定年をきっかけに50代半ばで転職する人は多いと思いますが、私の場合、役職にすら就いていませんでした。それが即、マネージャー職採用での転職ですからかなり珍しいほうかもしれません」  4月からはやや規模の大きな中堅企業のマネージャー職への転職が決まっている。移籍先の企業は基本給ベースで年250万円増、年収1.5倍以上が見込まれるという。 「社内ではずっと異端でした」  こう振り返る男性の社会人としての原点は「挫折感」だという。新卒で入社した会社になじめず、2年足らずで2社を相次いで退職した。就職氷河期の真っただ中。「もうあとはない」と覚悟して入社した3社目の会社は聞いたこともない中小企業だった。 「大卒は私だけ。周囲は高卒の人ばかりでした」 「失意の入社」だったが、「この会社なら早く昇進できそう」とも考えた。だが30代も昇進はままならず、うっすらとした転職願望は常に抱えていた。ただその時には、結婚や子の誕生を経て、軽々しく動けなくなっていた。給与は低めでも経営は安定しており、会社にしがみつくことしか考えられなかった、と男性は打ち明ける。 「転職先の内定を得た既婚者が妻に反対されたことを理由に内定辞退を申し出ることを『嫁ブロック』と言うようですが、妻だけでなく、私自身も安定を手放すのは怖いと感じるようになっていました」 決め手は長く働けること、60歳以上も昇給ある企業へ  転機は入社15年目に訪れた。新規事業のコンサルタント分野への異動を承諾したことがキャリアの分岐点に。当時は誰も就きたがらない部署だったが、男性は資格も取り、こつこつとスキルを磨いた。にもかかわらず、社内評価は上がらず、管理職のポストも与えられなかった。気づくと社内フリーランスのような一匹狼になっていた。  本気で転職を考え始めたのは、コンサル業務に自信と実績を伴うようになった数年前。転職エージェントに登録したが、実際は転職先を「逆指名」する形になったという。 「エージェントからオファーのあった数社は全てスルーし、自分でリサーチして選んだ1社を挙げ、『この会社にトライしたい』と面談のセッティングを依頼しました」  専門性の高い業務で長年キャリアを築き、業界の動向に通じていたことが転職活動にも幸いした。 「選んだのは私の専門分野を業務の柱に据え、かつ私と同じスキルを持つ人材はいなさそうな、規模も大きすぎない会社です。取引先や業績も調べ、私の実績で十分通用するだろうと考えました」  転職の決め手はもう一つ、長く働けることだ。これまで在籍した会社の定年は60歳。一方、転職先の会社では65歳定年のうえ、60歳以降も昇給があるのは魅力的だった。男性が50歳前後のタイミングで転職を真剣に考えるようになった要因として、一人娘が成人したことも大きかったという。 「精神的にかなり楽になったというか。妻に転職の話を打ち明けたときも、『あなたが楽しそうに見えるから大丈夫じゃないの』と歓迎してくれました。『嫁ブロック』にも遭いませんでした」  60歳定年の会社で、60歳をゴールにした出世競争には加われないと察した男性は、「自分の全盛期は60代」と設定し直したという。そして、いつか巻き返しを図ろうと淡々と準備を重ねてきたと振り返る。男性は明るい声でこう話した。 「人生って60歳を過ぎてからのほうが長いし、実際60~70代で働くのも当たり前になりつつあります。そう考えると、40~50代は助走期間と割り切って努力を重ねることにしました。70歳までは住宅ローンもあるし、経済的にももうひと踏ん張り必要ですから」  昼スナック「ひきだし」で木下さんと何度か本音で語り合ったお客さんは、転身の報告をするためわざわざ来店することも多い。この男性もそうだった。 「その日、お店にいた互いに見ず知らずの人たちと一緒に門出をお祝いしました。自分の転身や新しい決心を励ます存在も大事だと思います」(木下さん) (編集部・渡辺豪) ※AERA 2025年3月31日号より抜粋
タワマン高層階に住む“世帯年収3千万円”の30代夫婦の悲哀 「貯蓄ができない」順風満帆なはずなのに…
タワマン高層階に住む“世帯年収3千万円”の30代夫婦の悲哀 「貯蓄ができない」順風満帆なはずなのに… 年収が高くてもお金の使い方には注意が必要だ(写真映像部 和仁貢介)   「長く住み続ける場所だから、マイホームだけは金銭的にも妥協せずに本当に欲しいものを買おうと妻とも話し合っていました。そして、マイホーム以外にはお金をかけるつもりはまったくなかったのですが……」  ため息交じりにこう語るのは、都内のIT企業で役職に就く河島俊介さん(仮名・36歳)だ。某外資系企業に勤める妻の恵梨香さん(仮名・34歳)の給与と合わせると年収が約3千万円に達しており、いわゆる典型的なパワーカップルだ。  さすがに都心の超高額物件には手が届かないが、環状7号線の外側で環状8号線の内側にあるエリアで約1億5千万円の新築マンションを見つけ出し、モデルルームを見学した二人はほぼ即決で契約を結んだ。二人がともに憧れていたタワーマンション(タワマン)の高層階にある物件である。 欲しくもない外車を購入 ふだんの買い物も高級スーパー  ほぼ全額の貯蓄を取り崩して2千万円の頭金を投じ、残りの資金は夫婦それぞれが融資を受ける形式のペアローンで調達した。月々の返済額は合計約36万円に達するが、二人の収入とそれまでの月々の出費を踏まえれば、家計が赤字に陥るリスクは極めて低いと考えられた。  ところが、新居に引っ越してみると、待ち受けていたのは想定外の家計悪化だった。以前よりもはるかに出費が増え、ローンの返済に窮するまでには至っていないものの、貯蓄に回すお金がまったく残らないのだ。  もっぱら至近距離にある高級スーパーを利用することになったことで食費をはじめとする生活費の負担が驚くほど増加しただけでなく、引っ越し前はほとんど発生していなかった交際費(ご近所付き合いのランチ代やお茶代)も軽視できない出費となった。  より深刻なのは、本人たちが望んで贅沢な暮らしを始めたわけではないことだ。 「親しくなった同じマンションの居住者たちと日帰りでドライブ旅行に出かけたのですが、国産車に乗っていたのは私たち夫婦だけで、他の方々はいずれも高級外車。肩身が狭い思いをしたので、我が家も外車に買い替えました」(俊介さん)  妻の恵梨香さんも次のように述べる。 「高級スーパーにしても、好き好んで利用しているわけではありません。私が庶民的な店で買い物をしている姿を目撃されたら、『河島さんのお宅、どうしちゃったのかしら?』と陰口を叩かれかねない雰囲気なんです。私自身、マンションの奥様方がその場に居合わせていない人に関するよからぬ噂話を耳にしたことがありますから」  さらに、恵梨香さんはうんざりとした表情で嘆く。 教育関連費も少なくない負担だ(写真映像部 和仁貢介)   「それに、ウチのマンションでは子どもを有名私立に通わせているケースも多く、そういった家庭の奥様方は私に対して口々にプレッシャーをかけてきます。『河島さんのお宅も、そろそろお子さんが欲しくはないの? 生まれたら、どこの学校に通わせるつもり?』って。悪気はないのでしょうが、少なくとも小学校までは公立で十分だと思っている私の本心なんて、とても口に出せる状況ではありません」 安直に高額ローンを組むと後悔しかねない  河島さん夫婦の苦悩ぶりについて伝えると、家計の見直し相談センター代表でファイナンシャルプランナーの藤川太さんはこう指摘する。 「住む場所によって生活が大きく変わりうるということは、住み替えを決める前からあらかじめ認識しておいたほうがいいでしょう。それまでとは異なるコミュニティーの中で暮らすことになれば、おのずと自分たちの生活スタイルにも影響が生じるものです。いったん贅沢な暮らしを始めてしまうと、家計が多少苦しい程度で生活水準を落とすことは容易ではありません」  河島さん夫婦の場合、ローンの返済自体には困っておらず、「なかなか貯蓄ができない」といった程度の危機感にとどまっているだけに、従来の生活スタイルに戻すのは難しそうだ。そもそも、安直に高額な住宅ローンを組んでしまうこと自体も考えものだと藤川さんは説く。 「二人の収入が現状のまま続いていくことを前提にした金額の融資を受けているわけですから、出産・育児のようなイベントが発生すると、家計が大きく圧迫されかねません。実際に私がお客様から相談を受けた際にも、高収入が続く前提でローンを組むのはやめたほうがいいと忠告したことが多々あります」  先述したように、恵梨香さんは先々に子どもが生まれた場合、その子の進路が「小中高私立」の一択になりそうなことについて危惧していた。だが、河島さん夫婦に対しては酷な言及になってしまうが、実は高額な住宅ローンを組んでしまった以上、子どもを生むことにも慎重にならざるをえないのが現実である。 お金の使い方を身の丈に合わせることが重要だ(写真映像部 和仁貢介)    勤務先によって異なるが、概して産休・育休中の収入はそれまでの3分の2程度に減ってしまう。一方で妻の社会保険料負担が免除され、出産育児一時金や出産手当金、育児休業給付金が支給されるものの、それでも出産前と比べれば手取りは2割程度も少なくなる。しかも、たとえ育休を終えて職場に復帰しても、子どもが幼いうちは時短勤務を余儀なくされるケースが少なくない。 タワマン低層階に引っ越し、余剰資金を投資へ  下手をすれば、タワマン高層階というコミュニティーの暮らしぶりに自分たちを合わせたままでいる限り、産休・育休中にローンの返済も苦しくなる恐れもあるのだ。では、こうした状況を打開するにはどうすればいいのか? 「昔の親がよく口にしていたように、『他所は他所、ウチはウチ』と割り切って、自分たちの家計の状況に合った暮らしぶりに戻すしか術はありません。それができないなら、環境(住む場所)を変えざるをえないでしょう」(藤川さん)  幸い、タワマンは中古住宅市場でも人気が過熱しており、特に高層階なら手放す決断をしても有利に売却できる可能性が高い。ただ、次もタワマンを希望するなら、低層階を選ぶのが無難だと藤川さんは忠告する。 「低層階のほうが地震などの自然災害が発生した際の避難に苦労するリスクも低いと言えますし、販売価格も高層階と比べて安くなるので、そちらのコミュニティーのほうが無理をせず付き合えるのではないでしょうか? 私が相談を受けたお客様の一人も、家業の承継を機に高級住宅地から郊外に引っ越し、移住して本当によかったとおっしゃっていました。以前は近所の手前もあって外車に乗り、特に好きでもないブランド品を身にまとっていたそうです。逆に郊外ではそのように派手な暮らしぶりをしていると後ろ指をさされかねず、妙な見栄を張らずに気楽に過ごせると笑っていました」  プライバシーの問題もあり、今回は河島さん夫婦が近所付き合いをしている方々のバックグラウンド(職業や年収・資産の状況)までは調査を行っていない。したがって、あくまで推測にすぎないのだが、もしも彼らが河島さん夫婦のような悩みとは無縁で当たり前のように優雅な暮らしを送っていたとしたら、それは本当の富裕層だからだろう。  厚生労働省の「2023年国民生活基礎調査の概況」によると、世帯年収が1千万円を超えているのは11%、1500万円以上は3%ほどだ。一方、野村総合研究所が今年2月に公表した調査によると、23年時点で純金融資産(金融資産の合計から負債を引いた額)を1億円以上保有する「富裕層」と、5億円以上保有する「超富裕層」は計165万世帯いる。  世帯年収が1500万円を超えて一般世帯よりかなり高くても、豊富な資産を持っているかどうかは別の話だ。ここでは世帯年収は高いが、資産は多くたまっていない世帯を「プチ富裕層」と呼ぶ。  あくまで河島さん夫婦は、「プチ富裕層」の域を脱していない。推測通りに河島さん夫婦が仲間入りしてしまったコミュニティーが富裕層によって構成されているなら、今の場所で暮らすのは時期尚早だったと言えそうだ。 富裕層向けに資産運用コンサルティングサービスを提供しているウェルス・パートナー代表取締役の世古口俊介さんは喝破する。 「結局、プチ富裕層にとどまっている人たちはフローリッチ(高収入)ではあるものの、キャッシュリッチ(資産家)ではないということです。資産を築きたいなら、清貧な生活を心掛けて手元にお金が残るようにしたうえで、①ノーリスクの預貯金にこつこつと蓄えていくか、②リスクを取ってNISAを通じて株に投資するかの二者択一ですね」  また、前出の藤川さんもこう語る。 「際立って高収入ではなくとも、40代にして億の財を築き上げている人は実在します。マイホームも購入し、子どもの教育費にもきちんとお金をかけたうえで、蓄財に成功しているのです。そういった人たちに概ね共通しているのは、普段は質素な生活を心掛けながらもリスクを取って資産を運用し、その成果として億超えを達成していることです」  肝心なのは、収入の多い少ないにかかわらず、つねに家計の収支をプラスにしたうえで、残った資金を着実に運用に回し、せっせと資産を増やしてくことだ。
ずぶ濡れの身にタオルくれた初めて訪れた客の妻 野村ホールディングス・永井浩二会長
ずぶ濡れの身にタオルくれた初めて訪れた客の妻 野村ホールディングス・永井浩二会長 真剣にこうだと思って仮説を立てて、投資の案を提供する。一点の曇りもない。もし結果が違っても、全力で努力をしたなら自分を信じるしかない(撮影:山中蔵人)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年3月31日号より。 *  *  *  1981年4月に野村證券へ入社して配属された香川県・高松支店で、2カ月目の金曜日だった。西へ約20キロの同県坂出市に住む医師と面談の約束が取れ、自宅を訪ねた。最寄りのバス停で降りると、雨が降っている。傘を持っていなかったが、約束の時間が迫っていたので、医師宅へ通じるあぜ道を急ぐ。  ところが、雨脚が一気に強まった。みると、あぜ道の脇にある肥料に使う糞尿を溜める場所の上に、雨水が入らないようにトタン板がかけてある。雨宿りには、そこしかない。糞尿の上をまたぐ形で雨がやむのを待ったが、頭上のトタン板に落ちる雨がカンカンと響く。5分か10分だけだったが、惨めな気持ちになって、こう思う。 「自分は、何でこんなことをやっているのか。もう会社を辞めて、東京へ戻ろう」  だが、客との約束は守らねばいけない。思い直して、雨に濡れながら医師宅へ向かう。すると、玄関が立派な石のたたきだった。ズボンも靴も泥だらけ。入ったら汚してしまうので、インターホンを鳴らして外で待っていたら、玄関を開けた医師の妻が「何やっているの、入りなさい」と言ってくれた。  医師の妻は、中へ入れてくれただけでなく、顔や服の濡れや汚れをふくタオルも渡してくれた。自然、「ああ、こういう人のために、役に立ちたいな」との思いが、湧いてくる。医師夫婦の投資に対する考えをよく聞いて、適した金融商品を説明すると、国債を買ってくれた。 汚い靴でも招き入れ分け隔てない相手にはっ、と胸に動いた  医師の妻は、帰る際に、傘も貸してくれた。患者にはもちろん、初めて会う証券マンにも分け隔てなくが正しい、と思っている。はっ、と胸に動くものを感じた。いまでも、思い出す。 「あのときにもし冷たくあしらわれて逆に『そんな汚い靴で入らないで』と言われていたら、たぶん、もう辞めて東京へ戻っていましたね。ところが、優しくしていただいて、辞めるという気持ちはなくなった」  永井浩二さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったとする体験だ。医師の妻の人との接し方から得たもので、簡単にはあきらめず、「誠意をもって相手と向き合い、正しいと思うことを貫く」という永井流が固まっていく。  香川県に支店は高松市だけ、同期入社は230人で、高松へはもう1人配属された。2人の最初の仕事は、まだ預かっている資産はないから、株式や国債の売買を始めてくれる客を探す「開拓」。各種の住所録をもとに電話をかけて面談の約束を取るか、初めての客の自宅を訪れる「飛び込み営業」だ。  土地に不案内の1年目は自動車の運転は禁止で、巡る足は自転車かバス。面談の約束が取れれば、その時間にバスでいく。冒頭の坂出市の医師宅が、その一例だ。その後、次号で触れるが、もう一度「会社を辞めようか」と思ったことがあった。  1959年1月に東京都新宿区で生まれ、銀行員の父と専業主婦の母、4歳上の兄の4人家族。父の転勤で引っ越しが続いて、小学校へ入ったのは長野県更埴市(現・千曲市)だ。通学路にある田んぼの横に小川が流れ、夏はその川の中を歩いた。小学校2年生で東京都杉並区へ転居、区立の小中学校へ通う。  高校進学のとき、兄が中央大学杉並高校から中大法学部へいっていたので、親に「あなたもそうしなさい」と言われ、考える暇もなく決まる。でも、大学受験のプレッシャーがないから、高校1年生からずっと、12月中旬に試験が終わると遠い親戚がやっていた北アルプス麓の白馬村のロッジへ、1人でいった。  手伝いをしながら、時間が空くとスキーを楽しむ。刺激を受けたのが、ロッジに泊まる大人たちの会話だ。ときに参加した。大人たちの社会を垣間みる感じで、面白かった。人との接し方に新たな世界が生まれて、『源流』の水源になっていく。 精鋭部隊が揃う本店の営業部でゼロからの出発  高松支店の次は、東京・日本橋の本店営業部。当時の本店営業部はいまと違って、営業地域はとくになく、全国どこへいってもいい。選び抜かれた精鋭部隊が揃い、家族的な雰囲気もあった高松支店とは別世界。入社4年目できた身は最若手で、先輩から引き継ぐ客はなく、また預かり資産ゼロからの出発だ。  ただ、高松支店で4年近くやれば、証券市場のことも営業のやり方も分かっている。上場会社や投資資金がありそうな中堅企業に照準を合わせ、開拓していった。  当時は、どの証券会社でも売買手数料は同じ。そのなかで野村を選んでもらえたとしたら、担当者の善し悪し、個性からだろう。「型にはめられるのが好きでなく、他人と違うことをやりたい」という就職の基準に合っている、と頷いた。  95年6月、豊橋支店で初めての支店長になる。トップ営業もしたが、日常の営業は部下たちへ任せ、商工会議所など地元経済界の集まりへ出た。「野村證券の代表」としてだが、まだ36歳。出席者は年配者ばかりで、何か言うと面白がられて、笑われた。商工会議所の理事になって理財部会の副部会長も務めたが、部会長は50代半ばの銀行の取締役支店長。「野村は30代の若輩者をもってきて、豊橋をなめとるのか」と叱られた。 (写真:本人提供)   豊橋商工会議所では「若輩」を補うため小さな会合にも出た  でも、どんな小さな会合でも顔を出す。休日は、街のゴミ拾いにも参加する。これも「誠意をもって向き合う」の一つだ。そのうちに認めてくれて、いまでも付き合いが続く。  その後、岡山や京都、大阪の支店長を務め、間に東京本社で企業財務を支援する事業法人部長も経験。2012年4月、野村證券の社長に就任し、親会社の野村ホールディングスの役員も兼務した。同8月、ホールディングスの代表執行役グループCEOと、野村グループのトップに立つ。この間、「根底から会社をつくり変えたい」という言葉が出た。掲げたのは当然、「顧客本位の営業」だ。香川県で始まった『源流』の流れが、グループへと広がっていく。 「会社をつくり変える」という言葉は、後になって「そんなことを言ったのか」と思うほど、無意識で言った。ただ、10年くらい溜まっていた「みんな、自分の頭で物を考え、自分で判断することを、いつのまにかしなくなっている」との思いが、言わせたのだろう。  営業を「顧客本位」に徹した効果か、トップに立ったときに70兆円ほどだった客からの預かり資産は、4年間で100兆円を超える。2017年に野村證券の会長、2020年4月にホールディングスの会長に就き、代表権は社長へ渡して経営を監督する側へ回った。でも、社員に求めることは、変わらない。 「自分のやっている仕事に、誇りを持ってもらいたい。おカネという命の次に大事なものを託していただくという、それにふさわしい人間になってほしい」  誠意をもって客と向き合い、正しいと思うことを貫く。『源流』からの流れは、後輩たちも巻き込んでいく。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2025年3月31日号

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