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3人の父・庄司智春が語る、子育てで大切にしていること 「僕は子どもたちに嫌われてもいいから、しっかり叱ります」
3人の父・庄司智春が語る、子育てで大切にしていること 「僕は子どもたちに嫌われてもいいから、しっかり叱ります」 庄司智春さん  今年、結成30周年を迎えるお笑いコンビ「品川庄司」の庄司智春さん。歌手でタレントの藤本美貴さんとともに、5歳から中学生まで3人のお子さんを育てています。「気づいたことはいいことも悪いことも言葉にして伝える」という庄司さん。父親としてどのように子どもたちと関わっているのでしょうか。※前編<庄司智春が妻・藤本美貴と「マジで結婚してよかった」と言う理由 「ストレートに惜しみなく、お互い愛情表現しています」>より続く 気づいたことはいいことも悪いことも言葉にする ――ご長男は中学2年生。思春期ですが、関わり方など、難しさを感じることはありますか?  ママに対して強めに言っちゃうみたいなところはありますね。それを僕が叱ると素直に受け入れられなくて、不機嫌になるというか。でも僕が中学生のころはそういうとき、「もういい!」って自分の部屋に閉じこもっていたと思うんですよね。それはなく、息子はリビングにずっといるんです。家族の前で不機嫌でいるので、妻から「思春期は自分の部屋に閉じこもるものなんだよ!」とか言われて(笑)。  でも最近は、反抗はしたいのだろうけど、親の話を受け入れようとする態度も感じられるので「前はすごく反抗していたのに、最近はちゃんと受け入れるようになったね」って伝えています。 ――息子さんの変化を言葉にして、褒めるんですね。  うちは夫婦ともに細かいことでもちくいち褒めますね。態度の悪さなどを指摘することも多いので、指摘されてばっかりだと子どもたちも「何なんだよ」ってなってしまうので。気づいたことはいいことも悪いことも言葉にするという感じです。 ――コミュニケーションをしっかり取られているんですね。  特に息子とは男同士ということもあって、下ネタなんかも話します。息子が小6から中1くらいのとき、学校で聞いて意味がわからなかった下ネタを純粋にママに質問しに行くんですよ。それを妻から聞いて、息子と2人のときに「下ネタのことは、ママじゃなくてとーたんのところに聞きに来い」って言って、ごまかしても仕方ないので聞かれたことは全部教えました。 庄司智春さん Instagram(@tomoharushoji)より  家族の前でわざと下ネタを言うときには「言っちゃいけないことを言うのって楽しいよね。でも人前で言うのは恥ずかしいことなんだよ」って。こんなこと父親がやっていいのかなと思いつつ、息子の耳元でこそっと下ネタを言うこともあります(笑)。そんなコミュニケーションをとることで、何でも話せる関係になれたらいいなって。 子どもたちに嫌われてもいいから叱る ――ミキティさんがテレビなどで話されているエピソードから、庄司さんはしっかり叱るパパという印象があります。  そうですね。僕のことを怖いと思っているかもしれません。例えば息子が妻に「うるせぇ、ばばぁ」って言ったら、妻は「えーすごいじゃん!ばばぁとか言うんだ」みたいに言って、受け流していますが、僕は「ママにそんなこと言うな。朝早く起きて弁当作ってくれているだろ」って、しっかり叱ります。  僕は子どもたちに嫌われてもいいから、社会に出たときに恥ずかしくないようになってほしいと思っているんです。子どもたちにも宣言しています。「うるさいかもしれないけど、言うからね」って。 ――特に厳しく言っていることは?  あいさつです。習い事とかで僕や妻が車で送迎をするときには、車に乗ったら「お願いします」降りるときは「ありがとうございました」って言おうね、って。僕も妻が運転するときは、言うようにしています。僕が運転で、子どもが車に乗っても何も言わないときには発車しません。「どうして動かないの?」って言われたら「『お願いします』って聞こえないから動けませんよ」って返しているんです(笑)。 ――徹底されていますね。  僕らの時代と違って、今は社会に出ても注意されにくくなっているじゃないですか。上司が部下に「あいさつないよ」って言ったら、イヤな上司だと思われてしまうから言わないとか。だからこそ、うちは家族でしっかりやっていきたいな、っていう気持ちがあるんです。親が教えたところで、どれだけ効果があるかわかりませんが。でもうちの子たちは飲食店に行くと、お店の方に「ごちそうさまでした」って言いますね。そんなときは「いいね、厨房のかたも喜んでいると思うよ!」って、声をかけています。 庄司智春さん Instagram(@tomoharushoji)より 自分がどこまで言うべきか…ひとりで悩むこともある ――ご長女は小4でプレ思春期の年齢ですが、変化は感じますか?  うーん、そこまで感じないですね。娘は何かを指摘されても素直に受け入れて、淡々とやりますね。好奇心が強くて、ギターとか自分のペースで習い事もいろいろやっています。僕もギターを弾くので、一緒にやることもあります。 ――3人のきょうだい関係はどうですか?  5歳の次女は自由な子で、みんなでかわいがって、みんなでカバーしてという感じなんですけど、長男と次女がケンカをするんですよね。もうくだらないですよ。お菓子をあげないとか、くれないとか。3人で言い争うこともあるので、そういうときは「1回リビングから出て、3人で話し合ってこい」って言います。まとまったら「僕が譲れなかったのが悪かった」とか「しつこく言っちゃった」とか子どもたちの話を聞いたうえで、「とーたんは、こういうときはこうしてほしいな」って僕の意見も伝えます。 ――何でも言葉にして伝えるというのは、お子さんが生まれてからずっと実践されてきたことですか?  自分が子どものころに親に叱られたとき、今はその理由はわかりますが、当時は「なんでこんなことで怒られなきゃいけないんだよ」って思ったこともありました。そのへんのズレがないようにということは考えてきたかもしれません。でも、子どもたちと日々接するなかで、模索している感じですね。今でも言い過ぎたかなとか、いちいち親が言うよりも友だちに教えてもらったほうがいいのかなとか、ひとりで悩むこともあります。 ――お子さんたちの将来への思いは?  生まれてきてよかったな、幸せだな、って思ってくれたら、それでいいです。自分もそう思ってるから、僕も母親に伝えたんです。「俺の人生、最高だよ」って。「お母さんが産んでくれたから、いま好きな仕事ができているし、大好きな美貴ちゃんと結婚できて、子どもが3人いて、最高だよ」って。「そんなこと言われたらお母さん、うれしいわ」って幸せそうな顔をしていましたね。 (構成/中寺暁子) 〇品川庄司 庄司智春(しょうじ・ともはる)/1976年生まれ、東京都出身。サラリーマンを経て95年に吉本総合芸能学院東京校(東京NSC)に入学、品川祐とお笑いコンビ「品川庄司」を結成する。テレビのバラエティ番組やお笑いライブで活躍
積水ハウスが「男性育休」を経営戦略に据えるワケ 制度をすすめるうえで一番の「壁」になったものとは?
積水ハウスが「男性育休」を経営戦略に据えるワケ 制度をすすめるうえで一番の「壁」になったものとは? 写真はイメージ(GettyImages)  2018年9月、多くの企業に先駆けて、男性育休の促進に取り組み始めた「積水ハウス」。制度化から6年半を経過したいま、その成果をダイバーシティ推進部の木原淳子さんに聞きました。 スウェーデンの街で見かけた光景に衝撃を受けて  ——男性育休に取り組み始めたきっかけを教えてください。  2018年、仲井嘉浩社長が就任直後にスウェーデンを訪れる機会があったんです。ストックホルムに滞在中、街でベビーカーを押しているのが男親ばかりという光景を目にし、社長は衝撃を受けたそう。聞けば、スウェーデンでは、育休は出産休業と併せて「両親休業」と呼ばれ、子ども一人につき最長480日、そのうち90日ずつが父親、母親それぞれに割り振られ、相手に代わって取得することができないといいます。ジェンダー関係なく育児をするのが当たり前という社会に、社長は深く感銘を受けたそうです。  当社のグローバルビジョンは、“「わが家」を世界一幸せな場所にする”。そのためにはまず従業員とその家族が幸せでなければならない。家族の幸せを支える男性育休の取り組みこそ、当社にマッチするのでは、と思った社長は、帰国後、すぐに制度化に着手しました。  スウェーデン出張が5月、社内外への告知が7月、そして9月には制度がスタート。当社でも異例のスピード感でしたね。 ——そこで生まれたのが、男性に育児参加を促す「イクメン休業」制度(現在は「特別育児休業制度」)ですね。  3歳未満の子を持つ従業員を対象に、 1か月の育休を推奨としました。それまで、当社の男性育休取得率は95%。ただし平均取得日数はたった「2日」と、恥ずかしながら男性の家事・育児参画とはほど遠いというのが実情でした。  建設業界は男性が多いイメージがあると思いますが、当社も社員の7割以上が男性で、営業職も多い。制度を検討するにあたって、全国の支店にヒアリングしたところ、「トップセールスが3か月も休んでしまっては、営業目標の達成が厳しくなる」という声がありました。しかし、1週間や2週間では育児家事を担うことができないのではないか、ということでひとまず“1か月の取得推奨”に落ち着いたんです。経済的不安を払拭してもらうため、最初の1か月は有休としました。  仕事の調整もつけやすいよう、休みを最大で4分割できるようにし、さらに、2021年からは、産後8週間は1日単位で何度でも取得できるようにして、個々の事情に合わせてより柔軟に休みを調整してもらえるようにしました。 ——家族や業務の都合に合わせて、柔軟に取得できるんですね。  共働き世帯の男性社員の場合は、出産直後に2週間、そして妻の仕事復帰のタイミングに合わせて残りの2週間を取得し、保育園の慣らし保育をパパが担当する、というケースも少なくないようです。「おかげでスムーズに仕事復帰できる!」と、妻側からも好評のようです。
  また、「育休中、何をしたらいいんだろう?」という社員も主体的に家事育児に関われるよう、育休前には当社オリジナルの“家族ミーティングシート”を使って、育休中の家事育児の分担を夫婦で話しあってもらうようにしています。 福利厚生ではなく、“経営戦略”としての男性育休 
——制度導入に当たって、苦労したことは。  一番の壁は、上司層の意識改革でしたね。かつての自身の体験から、「俺の時代は、仕事から帰ったら子どもが生まれてたよ」とか「里帰りしてもらって実家に任せておけば安心だよ」など、男性育休の重要性をなかなか理解してもらえないこともありました。  そこで、制度導入の翌月(2018年10月)に、“社内版男性育休フォーラム”を開催し、男性育休対象者とその上司に参加してもらいました。社長が自ら「男性育休は、取りたい人だけが取るという福利厚生ではなく、『経営戦略』として取り組むものです」と力強く宣言。また、「半年以上前から時期を想定できる育休をチームメンバーに取得させられないマネージメントで、今後、介護や怪我の治療など、突発的な休業に対応できるでしょうか。あなたたち上司のマネージメント力も問われているのです」というメッセージを直接伝えました。  有識者として登壇いただいたNPO法人ファザーリング・ジャパンの安藤哲也さんからは、男性育休の意義、父親が子どもに与える影響などについて情報提供頂きました。 「子どもは本来、父親・母親の両方から保育される権利を持っているのに、夫婦の役割分担意識でその権利を奪っていませんか」という安藤さんの言葉は印象的でしたね。  最終的には「チームビルディングや、人材育成にも有効だったという意見もありますので、だまされたと思って、チームメンバーに(男性育休を)取らせてみてください」なんて説得しながら、少しずつ少しずつ、社内の意識を変えていったのです。 「家族を大事にする人から家を買えてうれしい」 ——導入から6年。社内からはどんな声が上がっていますか。  2025年3月現在、これまで3355名の男性社員が取得対象となり、そのうちすでに子どもが3歳の誕生日を迎えた社員が延べ2361名。全員が1か月以上の育休を取得しました。  取得後のアンケートではポジティブなものが多く、「家事や育児に参加することで、住宅メーカーの営業として、共感力と提案力がアップした」「料理に目覚めて料理教室にまで通いました」「送迎だけでなく、幼稚園の読み聞かせのボランティアにも行きました」など、育休中の充実ぶりを感じさせる声や、「育休で子どもと充実した時間を過ごせたので、チームメンバーが育休や介護休を取得するときには進んでサポートしたい」という声も。休みをカバーし合うことで組織に“助け合いの風土”が育っていると感じます。  また、お客様から「家族を大事にする人から家を買えてうれしい」という言葉をかけていただいて、会社の取り組みをちょっと誇らしく思えた、なんて声もありました。社員のエンゲージメント向上にもつながっていると思います。 150以上の組織を巻き込み、ムーブメントを起こす 2025年3月現在、154の企業や自治体、大学などがプロジェクトに賛同している。 2024年に、賛同企業から集めた育休中のパパの写真をもとに、男性育休という選択肢を提案する動画「僕は知らなかった」を発表 ——社内だけにとどまらず、『IKUKYU PJT.(育休プロジェクト)』として発信を始めました。  一社だけで取り組みを進めているだけでは、なかなか社会全体の理解が進みにくい。企業として何かできないか、という思いから情報発信をスタートしました。2019年には、9月19日をゴロ合わせで「育休を考える日」と制定し、育休に関する白書を発表し、産官学で男性育休を考えるフォーラムも開催。2022年からは、「『日本でも男性の育児休業取得が当たり前になる社会』を目指して9月19日に一緒に何か発信しませんか?」とお声がけし、企業や自治体、大学など賛同組織を募っています。   2025年3月現在、154の企業や自治体に賛同していただいています。 積水ハウス本社ビル=提供 保護者連絡先の“1番”に母の携帯番号を書いていませんか? ——今後の課題や目標は?  男性育休の取得は当たり前になってきましたが、育休取得後、時短勤務を選ぶのはまだまだ女性ばかり。性別役割分業意識にもとづくジェンダーバイアスをできるだけ少なくしていけたらと考えています。  以前、社外講師の方に「保育園に提出する書類の保護者連絡先欄、“1番”にお母さんの携帯番号を書いていませんか?」と指摘され、ハッとしました。男性育休推進は、女性活躍や少子化対策、介護対策など、幅広い社会課題の解決につながるもの。これからも賛同していただける仲間を増やし、一緒に社会を変えていきたいですね。 * * * * *  社員の子育てを応援したり、育児休業取得促進に向けユニークな取り組みをしていたり――。編集部員が実際に企業を訪問し、子育てをしやすい職場、パパママにやさしい職場とは何かを考えていくAERA with Kids+の新連載「編集部・平井が行く! 子育てしやすい会社って?」。第2回は「積水ハウス」を紹介しました。次回もお楽しみに! (取材/AERA with Kids+編集部 構成/中村茉莉花) 〇積水ハウス 戸建住宅の請負・分譲を中心に、賃貸住宅、マンション、都市開発、リフォーム、国際事業など、住まいと暮らしに関わる幅広い事業を展開。“「わが家」を世界一幸せな場所にする”というグローバルビジョンを掲げ、持続可能なまちづくりの実現に注力するなど建築の枠を超えてグローバルに成長中。また、人財戦略の重要テーマとして、キャリア自律支援、DE&Iの推進、多様な働き方の推進、幸せの基盤づくりの4つを掲げ、従業員にとって世界一幸せな会社を目指す。 YouTube 積水ハウスグループ 公式チャンネル「僕は知らなかった #育休を考える日」 本社:大阪市北区大淀中1丁目1番88号 従業員数: 28869名(連結) ※2025年3月現在
部活顧問「人生を奪われ、楽しいことはひとつもない」 妻は「部活未亡人」化、離婚秒読みの教員も
部活顧問「人生を奪われ、楽しいことはひとつもない」 妻は「部活未亡人」化、離婚秒読みの教員も (写真はイメージ/撮影・写真映像部・和仁貢介)  長時間勤務などで、教員の仕事が「ブラック教職」と言われるようになって久しい。その大きな要因の一つが部活動だ。顧問を務める一部の教員からは、悲痛な声があがる。 *   *   * 部活で1カ月休みなし 「楽しいことなんてひとつもない。部活動にかかわること、すべてがつらい。授業の準備をしたいです」  東京都の公立中学校に勤めるヒロシさん(仮名、30代)は、そう語った。  ヒロシさんはある運動部の顧問だ。  教員はただでさえ業務量が多く、部活指導中は仕事ができないため、早朝出勤が日課になった。平日の部活は週2、3回。授業が6時間目まである日だと、午後4時から6時半ごろまで部活動を指導する。退勤は8時半ごろだ。  休日も部活で土日のどちらかがつぶれる。特に憂鬱なのが5月から7月にかけての大会シーズンだ。土曜に練習、日曜に試合、会場の準備に駆り出されることもあり、1カ月間は休みがない。 学校や管理職から「打診」  AERA dot.とAERA編集部が行った部活動顧問に関するアンケートには、109件の回答が寄せられ、回答者の6割が「学校・管理職からの打診」で部活動の顧問を務めた。そのうち、「進んで引き受けた」教員は4割だった。  部活動顧問経験者に活動にかかわる時間を尋ねたところ、週10~20時間は38%、20時間以上は33%だった。「負担が大きい」「私生活が犠牲になっている」と答えた人は実に77%にもなった。  実はヒロシさんは、担当する部活の競技経験はほとんどない。顧問になって競技の教本を購入し、部活動や仕事の合間にルールを学んだ。練習メニューはインターネットの動画を参考に考えた。部員に、「以前の顧問の先生はどんなことをやっていた?」と聞くこともある。  現在の学校に異動したとき、管理職から「どの部活の顧問を希望しますか」と尋ねられた。だが、希望を通すための仕組みではまったくないという。 AERAが2025年3月実施したアンケートから 顧問は「ものすごく断りづらい」 「希望する部活動の顧問に空きがなければ、希望とは関係なく、異動した顧問の空きを埋めるかたちで配置されます。できるだけ楽な部活の顧問をしたかったのですが……」(ヒロシさん)  文部科学省が定める学習指導要領は、部活動を「学校教育の一環」と位置づけるが、あくまでも「教育課程外」の活動だ。そのため、部活動顧問を断る教員もいる。 「ただ、数は少ない。ものすごく断りづらいですから」(同) AERAが2025年3月実施したアンケートから AERAが2025年3月実施したアンケートから 無償で働かせるのはおかしい  断ると、周囲から白い目で見られるのではないか、浮いてしまうのではないか、という不安がある。 「教員は部活動顧問はやらざるを得ないという空気があります」(同)  顧問としての業務がほぼ“ボランティア”になる実情も不満だ。休日に部活動を行えば「部活動手当」が支給されるが、1時間約1千円の薄給だ。他校に練習試合に出かけ、1日拘束されても最大3時間分しか手当は出ない。自治体の部活動のガイドラインが休日の活動を「3時間程度」と定めているためだ。  教員のなかには自らの「趣味」のように部活動顧問を務める人もいるという。 「僕はそういうかかわり方は、はっきりと否定したい。部活動顧問は『趣味』でもなく、ボランティアでもなく、『仕事』です。ほぼ無償で働かせるのはどう考えてもおかしい(同) 部活動は「時間外勤務」  教員の勤務時間と部活動は密接に関係する。地方公務員の勤務時間は7時間45分だが、教員勤務実態調査(文部部科学省が実施/2022年度)によると、中学校教員(教諭)の平均「在校等時間」は11時間1分。部活動の活動日数が多いほど在校等時間は長く、活動日数が週0日の場合は10時間12分(平日1日)だが、7日の場合は12時間4分(同)だった。  部活動にかける時間は、法的な勤務時間には含まれず、教員が「自主的」に行う時間外勤務として扱われる。公立学校の教員は「教職調整額」を除き、部活動業務に対する残業代は支払われない決まりだったが、政府は今年2月、教職調整額を現在の月給の4%から段階的に10%へ引き上げる給特法の改正案を閣議決定した。  だが、部活動を「労働問題」の視点から研究する早稲田大学スポーツ科学学術院の中澤篤史教授は、「実際の先生の労働時間からすると、10%では全く足りません」と指摘する。 「時給」は最低賃金を下回る  休日に部活動業務(3時間程度)を行うと、3000円(都立学校の場合)の「特殊業務手当(部活動手当)」が支給されるが、「時給換算すると都の最低賃金を下回る水準だ」(中澤教授)。  加えて部活動は「教育課程外」にあたり、顧問が過労で倒れたとしても、十分な補償を受けられない恐れもある。 「一般労働者が職務で疾病を患ったり、死亡した場合、労働災害補償を申請しますが、部活動の場合、どこまでが教員の『公務』なのか、裁判で争われたケースもあります」(同) 2025年3月AERAが実施したアンケートから   妻が「部活未亡人」化  中部地方の中学校教員・ダイスケさん(仮名、40代)は、2児の父だ。部活動のために、一時期家族を犠牲にしていた実感がある。 「私の妻は、いわゆる『部活未亡人』状態でした」  ダイスケさんは書道や美術といった文化部出身。だが、割り振られた部活動は剣道や野球、テニスなど運動部が多かった。平日は朝から晩まで職場にいて、週末は部活動でつぶれた。 「部活で疲れて帰ってくる毎日でストレスが溜まり、家族にあたってしまうこともありました。休日も家族とは出かけられず、部活に行くほかなかった」(ダイスケさん)  ほとんど家にいることができず、自分の子どもの面倒も見られず、育児は妻にワンオペ化していた。妻にとっては「つらい毎日」だったと思う。 「限界」を感じ、ダイスケさんは10年ほど前に部活顧問を辞めた。 「お互いに教員であればまた違うのかもしれませんが、こんな働き方は理解しがたいですよね。部活をきっかけに離婚してしまうケースもあるようです」(同) 「家族が精神を病んだ」ケースも  アンケートでも、部活動で家庭を犠牲にしているという教員の声は少なくない。 「土曜日は子どもを保育園や学童保育に預けることになる。子連れで部活の指導をすることもあるが、教員の世界では別に珍しいことではない。子どもに習い事をさせたくても、多忙で断念することが多い」(大阪府、40代、女性) 「土日に休みが全く取れない。部活動手当は本当に乏しい。家族には愛想をつかされ、離婚秒読み」(千葉県、50代、女性) 「家庭を顧みる時間がなく、家族が精神を病んだ」(東京都、60代以上、男性) 「平日は帰宅が遅く、休日も出勤。家族と疎遠になった」(福岡県、60代以上、男性) 「休日は1日中、練習試合。その後、18時に学校戻り、自分の仕事をしたりするので、プライベートの時間は全くない。家庭が崩壊する」(三重県、30代、女性) 「自分の時間を失い、パートナーを探せない」(山形県、40代、男性) 「部活動で運動場を駆けずりまわり、納得いく授業を準備できない。私生活に割ける時間はほとんどない。健全な状態ではないと思います」  先のダイスケさんは、実感を込めてこう話す。 「部活顧問を引き受けたことで結婚の機会を失った教員もいると思います。部活によって教員は人生を奪われる。それが実感です」 (AERA編集部・米倉昭仁)
東原亜希が語る、柔道一家の子育て 「子ども4人は全員柔道家。みんな父の姿を目指しているのだなと感じます」
東原亜希が語る、柔道一家の子育て 「子ども4人は全員柔道家。みんな父の姿を目指しているのだなと感じます」 東原亜希さん(提供)  モデル・タレントとして活躍中の東原亜希さんは、15歳の長女・14歳の長男・9歳の双子(二女・三女)の母であり、柔道家の井上康生さんの妻でもあります。子育ての一番多忙な時期を脱したかのように思える現在ですが、「子どもたちの夢を応援することが、今の私の最大の仕事」と話します。東原さんの現在の子育てについて、たっぷりうかがいました。※前編<4人の母・東原亜希に聞く、ポジティブ子育ての秘訣 「手が回らなくなったら、子どもたちは急にしっかりしました」>から続く。 私の弁当は常に中身がほぼ同じ「デジャヴ弁当」 ――東原さんのご主人である井上康生さんは、柔道指導者や大学教授として多忙を極め、海外出張も多い方です。4人のお子さんの育児にはあまり参加できなかったそうですね。  はい、家事も育児も基本的には私の担当です。  でもそれは、夫と結婚すると決めたときからわかっていたことなので不公平だなんて思ったことはありません。夫も本来なら一緒にいたかったはずなので、なるべく成長過程を動画で共有したりしていました。 子どもたちは父・井上康生さんから直々に柔道の指導を受けることも(提供) ――アスリートであるご主人のサポートをしつつ、4人を育て、仕事ではモデルやタレントのほかに、ご自身のブランドも立ち上げて商品開発もしています。1日24時間ではたりないのでは?  私はよくばりなのでしょうか(笑)。やらずに後悔するよりやって後悔したい派です。  でも、常に最優先事項は子育てです。土日は極力仕事を入れませんし、学校行事や授業参観は絶対に参加します。  魅力的な仕事のオファーがきても、夕方4時以降からの仕事はお断りしていました。残念でたまらないけれど、仕事先にも家庭にも「すみません」と謝りながら働くのは失礼ですし、ご縁があればまたいつかきっとできると思って。  家事もほどよく手抜きしていますよ。弁当なんて毎日ほぼ同じ。「デジャヴ弁当」って言っています(笑)。  上の子2人は本気で柔道をやっているので、お弁当のごはんは1人2合。分量的にも栄養面でも市販のお弁当ではすませられませんから、「デジャヴ?」と思いながら日々つくっています。 東原さんの「デジャブ弁当」(提供) ――お子さんたちは柔道をやっているんですね。4人とも?  はい、4人とも。   最初は続けるかわからないけど室内競技だし、礼法も身につくので体操教室の延長のような感覚で始めたのですが、先生方や道場の仲間たちのおかげでみるみる魅力にハマっていき、楽しく続けています。  ママみたいな仕事をしたい、と言う子は今のところおらず、長男なんて、私がモデルをしていることに気づいたのは小6のときです。私が表紙の雑誌をコンビニで見つけて、初めて知ったと言っていました(笑)。  いろんな意味で、わが家は夫が中心です。家にいる時間は短くても、子どもたちは父にあこがれて、父の姿を目指しているのだなと感じます。 ストイックに柔道に打ち込む長女、全力で応援したい ――長女さんは春から高校生。少し手が離れて子育てもラクになるのでは?  それがですね、別の意味で大変な時期に入っていまして……。  長女は本気で柔道に打ち込んでいるので、親のサポートがめちゃくちゃ必要なんです。朝練もはもちろん、土日も練習や遠征、合宿があったり、体づくりも大切な時期なので車の中で少しでも寝かせてあげたい時は送迎もします。中には仕事を辞める人や引っ越しをする親御さんもいらっしゃるんですよ。そのくらい親子で二人三脚、真剣に向き合っています。 ――東原さんのママ仕事は、まだまだラクにはならないのですね。  長女はこれまで、まったくと言っていいほど手がかからない子でした。  だからこそ、ここからの3年間くらいはがっつり手をかけてあげたい。長女の夢の応援をしたい。そのくらいは私にやらせてほしい、って思っています。  休みの日も自分で起きて朝からランニングに行ったり、体のことを考えて食べないようにしているものがあったり、あると見たくなってしまうから、と、いらないアプリを自ら削除したり、15歳とは思えないほど我が子ながら見習うところがたくさんあります。  でも、それほどまでに目指したい目標、やり続けたいものに出会えたことがすばらしいですよね。  それに、スポーツを通じた人と人との関係にも感動します。  試合に負けて悔しいときにも、親ではなく、まず仲間の元に行くのです。仲間と励まし合って乗り越えていく姿が見られることが、私にとっても幸せです。  だから……勉強は、まあいいかな……って、自分に言い聞かせています(笑)。 さまざまな国の子たちとともに柔道に取り組む井上一家の子どもたち(提供) 子どもたちには生きた英語を学ばせたい ――お子さんたちは英語の勉強もしているそうですね。  そうですね、せめて英語だけは(笑)。  一番がんばっているのは夫です。海外に行くことも多いので、5分でも時間があるとオンライン英会話をしています。  結婚してすぐイギリス留学したときには、「be動詞って何?」って聞いてきたのを覚えています。彼は勉強時間を削りに削って柔道に専念していたため無理もありません。でも現代はアスリートにも英語は必要不可欠だと感じているので、子どもたちにも英語だけは学んでほしいと思っています。 ――英語はどのように学ばせていますか?  幼稚園はインターナショナルスクールだったのと、現在は週1回、英語教室に通わせています。あと、上の子たちは英検も受験しています。この春、2級に受かりました。  長期休みには海外に短期間の語学留学やホームステイにも参加させています。  双子は昨年の夏にカナダのサマースクールに3週間、2人だけで行きました。この春休みにもハワイの学校へ1カ月行っています。  長女も小4のときに、同級生のアメリカのおばあちゃんの家に1カ月ホームステイさせてもらいました。 ――東原さんが現地に子どもを送り届けるのですか?  今は航空会社にも様々なサービスがあるので羽田でお見送りをしてその先はサポートサービスを利用しました。子どもだけで飛行機に乗るのが不安にならないよう、周りにも迷惑をかけないよう、日頃から飛行機に慣れさせてみたり、ちょうど津田梅子の伝記を娘が読んでいたので、「津田梅子は6歳で船に乗って海外に行ったんだね」と説得しました(笑)。  現地の空港にはお迎えの人がいるし、日本とは毎日LINEで連絡も取れるので、私もそこまで寂しさを感じることもありませんでした。 LAへの家族旅行を満喫する東原さん(提供) LAドジャー・スタジアムでの思い出の一枚(提供) ――高校や大学での海外留学も考えているのですか?  行ってほしいですが、柔道が強い国はやはり日本なので、柔道をやっている限り、留学は難しいのかなと思っています。  ただ、最近は海外の留学生が日本にも来ているので、積極的に英語で話しかけるように子どもたちには言っています。  学校で海外からの留学生を短期間ホームステイさせるプログラムがあったときには、わが家に泊まってもらったりもしています。 子育ては自育。だからこそ楽しんだ者勝ち ――お子さんたちには「こうなってほしい」というイメージはありますか?  それはまったくありません。子どもは私のものではありませんから。  サポートはするけれど、切り拓いていくのは子ども自身。「自分で考えて、自分で決めて進んでください」って伝えています。 ――すでに子離れしているんですね。  というより、意識的に子離れしなくては、と自分に言い聞かせています。  長女が生まれたとき、あまりにもかわいくて「このままだと子どもに依存する重たい母親になってしまいそう」と怖くなり、専業主婦になりたかったのですが、社会とのつながりを保つべく仕事を続ける決心がつきました。 ――お子さんたちが夢をかなえるためには、まだまだ大変な日々が続きますね。  子どもたちが本気だから、私も本気でやっています。私ががんばれているのは、子どもたちががんばっているから。  子育てって自育ですよね。こんなにも自分の思い通りにならない日々って、人生にそんなにないですから、楽しんだもの勝ちです。 「子育てさせてくれてありがとう」の気持ちでやっています。 (取材・文/神 素子) 〇東原亜希(ひがしはら・あき)/1982年神奈川県横須賀市出身。2008年柔道家の井上康生さんと結婚。09年夫のイギリス・スコットランドのエディンバラ留学に同行し、長女を出産。10年に帰国して長男を出産。15年に双子(二女・三女)を出産し4児の母に。モデル、タレントとして活動しながら、12年に「Mother」を設立し、無添加や素材にこだわった食品、親子で使えるスキンケアグッズなどを展開。18年にはアパレルラインの「FORME」をスタートさせる。
平成の“結婚したい女優”トップクラスだった「鶴田真由」 令和ではスナックのママ役で再び脚光
平成の“結婚したい女優”トップクラスだった「鶴田真由」 令和ではスナックのママ役で再び脚光 鶴田真由(写真:アフロ)    4月21日にスタートした北川景子主演のドラマ「あなたを奪ったその日から」(フジテレビ系)では、北川の鬼気迫る演技が話題となっているが、同時に、かつて“トレンディー女優”と呼ばれた鶴田真由(55)がキャスティングされたことにも注目が集まっている。  同作は過去に食品事故で子どもを失った母親(北川)が、事故を起こした惣菜店の社長(大森南朋)を恨み続ける中、意図せずその社長の次女を誘拐してしまうというストーリーだ。復讐と親子愛を描くドラマだが、鶴田は社長の元妻役で娘2人を残したまま家を出て、スナックで働くママを演じているのだ。第1話では登場はなかったが、「次回 鶴田真由!? やさぐれ役なんて珍しい~」と登場を期待する声がSNSでは見受けられた。  近年では、2023年の朝ドラ「らんまん」(NHK)で、主人公(神木隆之介)が印刷技術を学んだ印刷工場社長の妻役を好演したことも記憶に新しいが、全盛期に比べればマイペースで活動しているようだ。 鶴田真由(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)    鶴田は1988年に女優デビュー。92年に大沢たかおと共演した日本石油のCMで注目を集め、ドラマ出演のオファーが続々と舞い込んだ。その後は「悪女」(92年・日本テレビ系)、「ジェラシー」(93年・同)、「妹よ」(94年・フジテレビ系)など話題のドラマに次々と出演し、トレンディー俳優の仲間入りを果たした。96年には、映画「きけ、わだつみの声 Last Friends」での従軍看護婦役が評価され、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞している。 「鶴田さんといえば、凛としたたたずまいと少し鼻にかかった独特な声が魅力的で、全盛期は雑誌の『結婚したい女優ランキング』で常に上位に入っていました。90年代後半まではドラマに引っ張りだこでしたが、鶴田さん本人は屋久島へ一人旅をしたことがきっかけで、仕事に対する考え方が変わったと語っており、実際それ以降はマイペースな活動にシフトしていきます。その後、休暇のため滞在した米ニューヨークで、夫であるアーティストの中山ダイスケ氏と知り合い結婚します。彼女がブレークした94年の月9ドラマ『妹よ』で演じた妹役は、“ダメなバンドマンに恋する女性”だったのですが、同作以降もそういう役が多くなり、ついには実生活でもアーティストと結婚してしまった、と最近もバラエティーで語っていました」(週刊誌の芸能担当記者) 和服姿の鶴田真由(写真:Natsuki Sakai/アフロ)   現在は鎌倉との二拠点生活  結婚後もしばらくニューヨークでの生活を続け、日本の芸能界から距離を置いていたが、2003年に夫婦そろって帰国。鶴田は脇役などでいくつかのドラマに出演しつつ、世界を飛び回るドキュメンタリー番組でも活躍するようになり、一風変わった女優というイメージになっていった。 「鶴田さんは女優だけでなくカメラマンとしての顔も持っているんです。旅をきっかけに写真を撮り始めたそうで、以前は、人物や景色を被写体にしていたそうですが、18年頃からは花の写真を撮っていて、個展もたびたび開催しています。また、実は車好きな一面もあります。18歳で免許を取得して以来、4台の車を愛用してきたそうで、今、乗っている車は世界200台限定の希少モデルのメルセデス・ベンツ Gクラス、いわゆるゲレンデだそうです。岩手県から東京まで7時間以上かけて、ノンストップで運転したこともあると話していたことからも、運転が大好きなんでしょうね」(同)  近年では、生まれ故郷である鎌倉と仕事が多い東京の二拠点生活を送っていることを明かしている鶴田。東京は何でもコンパクトに集まっていて便利だが、「どこか疲れているように感じることも」(「日経REVIVE」2022年3月号)あると言い、鎌倉に帰ってくると「リセットされる感覚がある」と話していた。地元を一度離れると、住んでいたときにはわからなかった「私はこの土地に育ててもらったんだな」という感覚も生まれるという。鶴田は、30代でヨガや瞑想を始めたそうだが、「鎌倉は禅の街で通じるものがある」など、幼いころの環境が今の自分に影響していると感じてもいるようだ。  芸能評論家の三杉武氏は鶴田真由についてこう述べる。 「鶴田さんは美大出身の両親を持ち、中学から成城学園に通っていたことから、デビュー直後は“お嬢様女優”として人気を集めました。凛とした上品さに加えて、こうした背景もあり『結婚したい女優ランキング』でも上位の常連でした。ただ実際は若い頃から海外を一人旅したり、バイクや車が好きだったりとかなりアクティブな一面も。これまで50カ国以上を旅しており、ドキュメンタリー番組の企画でイランを訪れたり、アフガニスタンに2カ月滞在したり、ミャンマーを約3週間かけて旅したりもしています。テレビでの露出は多いとは言えませんが、以前からのファンはもちろん、そうしたライフスタイルに憧れる女性も多いのではないでしょうか」  スナックのママという珍しい役どころで、鶴田が新ドラマにどんなスパイスを注入していくのか、楽しみだ。 (高梨歩)
杉村太蔵、人生の最大のラッキーは「外資系証券会社に勤められたこと」 “人脈は金脈”と語る理由
杉村太蔵、人生の最大のラッキーは「外資系証券会社に勤められたこと」 “人脈は金脈”と語る理由 撮影/岡田晃奈    著名人に「お金」に対する思いや考え方を聞く不定期シリーズ「私とお金」。第2回は杉村太蔵さん(45)。2005年、26歳で当時史上最年少の国会議員に。議員になる前は、時給800円のビルの清掃バイト中にスカウトされた外資系証券会社に入社し、金融の知識を身につけたという異色のキャリアも持つ。現在は地方の商店街活性化にも取り組んでいるそうです。明るく前向きな杉村さんに、【後編】では、地方創生事業、投資に必要なことなどについて、ずばり聞きました。 【前編】節約のプロを自認する「杉村太蔵」 なぜ「専用冷凍庫」を勧めるのか 「投資と資産形成は全然違う」から続く * * * ――現在取り組んでいる地方創生事業とはどのようなものでしょうか。  新規事業の立ち上げを中心に商店街の活性化に取り組んでいます。今は北海道旭川市と山口県下関市の2カ所の商店街で行っています。今はまだ2カ所だけですが、可能性にあふれる日本の地方都市を底上げしていきたいと思っています。地方の魅力をもっと広め、人々の雇用を増やしたい。 ろくな投資家がいなかった  商店街の出店には、敷金も礼金も保証金も一切不要で、厨房機器も標準装備。いつやめても違約金がかかりません。出店のハードルを下げて意欲ある出店者を募っています。最初の半年間は売上金に対して20%の施設使用料だけ頂くことにしています。こういう条件であれば「思い切ってやってみよう」という気持ちになると思います。こんなチャンスを地方にたくさんつくるというのが投資家の役割だと僕は考えたんです。社会をよくするためにお金を使うということです。だから私は胸を張って投資家だと言えるわけです。本来投資家はそうあるべきで、日本がなぜにこの30年間成長しなかったかというと、日本にろくな投資家がいなかったからなんです。みんな自分のリスク回避と自分の利益ばかりを考えて投資をしてきた。だから失われた30年だったんです。 旭川平和通商店街振興組合理事長とともに(ここはれて提供)     ――お金が貯まりにくい人とはどのような人でしょうか。  私が強く申し上げたいのは、もっともお金が貯まりにくい人の典型は「東京で賃貸物件で一人暮らしの人」です。とにかく家賃が高い。これからもどんどん厳しくなるでしょう。40代で年収400万円未満で、もし田舎にご実家がある方であれば、東京で高い家賃を払ってお暮らしになるより、ふるさとに帰って生活するほうがいいと思います。地方だと家賃も食材コストも安く抑えられ豊かな生活ができると思います。  体力もある20代の若いうちは都市部で挑戦してもいいと思います。東京には優秀な人がいっぱいいます。体力もあり頭も良くて、性格もいい。そんな人はごろごろいて、そういう人に仕事が集まっていきます。東京で勝負をしたい、生き残っていきたいと思ったら専門性を身につけて磨いていくことです。自分の強みを見つけて、自分にしかできないことを伸ばしていくことです。40歳を過ぎたら、自分の得意とする1つの分野で90分間話せること、またはそのテーマで3万6千文字の論文を書けなかったら東京で暮らすのは厳しいですよ。自分に武器がないということですから。 「教えていただける」 ――資産形成や投資に必要なこととは?  僕はとにかく恵まれていたと思います。いまだに小泉純一郎さんや武部勤さんから声をかけていただいたり、かわいがってもらったり。分からないことがあったら、教えてもらえる人が近くにいて、気軽に相談できる人もいます。「教えていただける」というのは、資産形成においても投資においても非常に大切なこと。「お前には話したくない」なんて思われるような生き方をしている人はどんどん人脈が減っていきます。そういう人は金脈が細っていると思います。人脈は金脈ですから。  僕はただただ自分を助けてくださる全ての方に感謝をしながら敬意を示して生きてきました。僕の人生の最大のラッキーは、清掃員時代にスカウトされて、そのビルの中にある外資系証券会社に勤められたことです。 撮影/岡田晃奈        僕の土台になっているものは、すべてあの会社で叩き込まれました。清掃の仕事からいきなり外資系証券会社に就職ですから、もちろん任されたのは底辺中の底辺のような仕事。アナリストの下にいるジュニアアナリストのアシスタント業務です。でも僕は嬉しかった。その部署の全員の雑用を日々こなしていたおかげで、ほぼすべてのアナリストと繋がることができました。みなさんにすごくかわいがっていただいたし、知識もいっぱいつけることができました。  あれから20年ほど経った今でも彼らとの交流は続き、今やっている地方創生事業も彼らと考えて事業化しました。彼らの存在は僕の財産です。巡りあわせに本当に感謝しかありません。 ――明るく素直なキャラクターが生きているのかもしれません。  妻は結婚する時に「この人と結婚したら食いっぱぐれることはない」と思ったそう(笑)。確かに僕は前向きだし、意欲的だと思います。人にも恵まれ、人を大事にしています。資産形成に重要な「心の健康」をキープするために人間ドックと並行して、定期的に心療内科で医師に診てもらって、心の健康もチェックをしています。自覚はなくても見えないところで心にストレスがかかる仕事です。どんな時も笑顔で元気で生活できるように心がけています。 (構成/ 編集部・大崎百紀) 杉村太蔵(すぎむら・たいぞう)/1979年8月13日、北海道旭川市生まれ。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙で最年少当選(当時)を果たし国会議員に。労働問題を専門に、特にニート・フリーター問題など若年者雇用の環境改善に尽力する。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程所定単位取得退学。TBS系「サンデージャポン」の準レギュラーコメンテーター、フジテレビ系「サン!シャイン」木曜日のスペシャルキャスター。テレビ出演などメディアで活躍するかたわら、(株)ここはれての代表取締役社長として新規創業支援を中心とした新しいまちづくりを提唱し、2022年7月には北海道旭川市に「旭川はれて屋台村」を、2024年1月には山口県下関市に「唐戸はれて横丁」を開業した。趣味はテニスと釣り。3児の父。  
テレ東6月退社の「大江麻理子」最後の言葉――「モヤさま」“アイドルアナ”時代経て報道局キャスターになるまで
テレ東6月退社の「大江麻理子」最後の言葉――「モヤさま」“アイドルアナ”時代経て報道局キャスターになるまで 24年間所属したテレビ東京を6月末で退社する報道局の大江麻理子キャスター  24年間所属したテレビ東京を6月末で退社する報道局の大江麻理子キャスター。11年にわたりメインキャスターを務めてきた経済情報番組「WBS(ワールドビジネスサテライト)」への出演は3月28日が最後となり、別れのあいさつが反響を呼んだ。  エンディングで共演者から「11年を支えたもの」を問われた大江キャスター(46)は、涙をこらえながら「やっぱりここの仲間たち、チームワークですね。本当に良い仲間が多くて、毎日心を込めて番組作りをしていますので、そういうみんなの頑張りを絶対無駄にできないという、その気概で11年走ってきた気がします」と力強くコメント。さらに、「心強い仲間がいます。春からのWBSもお願いします!」と伝え、番組を後任の“仲間”に託した。  これを受け、ネット上では「大江さんが仲間に恵まれたこと、一ファンとしてうれしい」「大江さんの言葉に感動。テレ東の報道局は温かい職場なんだろうな」といった声が続出。一方、フジテレビの元女性アナウンサーなどをめぐる一連の騒動を思い出した人もいたようで、「フジもテレ東の番組作りを見習ってほしい」との声も見られた。エンタメ誌の編集者が話す。 「今回、番組関係者を『仲間たち』と表現し、そんな仲間の頑張りを誇らしげに強調した大江さんですが、本当にいい環境でないと出てこない言葉だけに、対照的ともいえる“フジ騒動”を思い出した視聴者もいたのでしょう。ただ、バラエティー番組で重宝されていた頃の大江さんが露骨に男性ファンを意識した冠番組を持たされたり、手放しで『テレ東はフジとは違う』とは断言できない部分もあります」  実際、2009年に深夜枠で放送された冠番組「麻理子の部屋」は、大江とかわいい動物が部屋で戯れるイメージビデオ的な内容で、のちにDVDも発売された。   大学卒業後の進路は報道志望  大江といえば、フェリス女学院大学卒業後の01年にテレ東へ入社。大学時代に中国へ留学中、北朝鮮が日本の方向へ弾道ミサイルを発射して日本中が騒ぎとなる中、北京のニュース番組では全く報じられないことに気づき、“報道の裏側”に興味を持ったのだという。  しかし、いざテレ東でアナウンサーとして配属されると、10年以上にわたりバラエティー番組での活躍ばかりが目立つように。この頃の大江について、24年1月放送の同局系「伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評」に出演した元テレ東社員の佐久間宣行氏は、「なんで大江が(『モヤさま』のレギュラーに)選ばれたのかわからない」「大江って『モヤさま』が始まる前、バラエティーが嫌で泣いてた」と回想していた。芸能評論家の三杉武氏が振り返る。 「長年テレ東のエースアナとして活躍を続けた大江さん。開局50周年を記念してカレンダーを発売した際、他の女性アナウンサーたちが『テレビ東京女性アナウンサーカレンダー 2014』の1冊に収まる中、大江さんだけが『大江麻理子アナウンサーカレンダー 2014』として単独で発売されたことでも、その人気がうかがえるかと思います。  もともと報道志望の彼女ですが、テレ東に関しては『WBS』『ウイニング競馬』『モヤモヤさまぁ~ず2』『出没!アド街ック天国』など女性アナウンサーが活躍する人気番組が限られています。『WBS』以外の多くはバラエティー番組で、局アナ時代の鷲見玲奈さんや森香澄さんが出演していた『ウイニング競馬』もバラエティーノリを求められる部分があります。若手女性アナの有望株はこうした人気番組を担当するケースが多く、バラエティーノリに順応する中で自然と“アイドルアナ”的な見られ方をするようになるのではないでしょうか」   飾らず運動音痴ぶりもさらけ出す  バラエティーや一部経済・金融番組をこなす中、長らく会社へニューヨーク支局への異動の希望を伝えていたという大江。13年にようやく海外赴任が叶い、翌年に報道局キャスターとして帰国すると「WBS」のメインキャスターに就任した。  加えて、同就任から約半年後、資産85億円といわれたマネックス証券創業社長・松本大氏と交際半年でスピード婚。大江より15歳年上で、かつ離婚した前妻との間に1男1女がいることもあって、ファンから心配の声も上がった。前出の編集者が語る。 「一般的に女性アナが資産家と結婚すると、世間では皮肉が飛び交うケースも多いですが、大江さんに対しては祝福の声や『連れ子がいるみたいだけど大江ちゃん大丈夫?』と心配するファンが目立った印象です。世間から余計な嫉妬を買わずに済んだのも、『モヤさま』で歌のヘタさや運動音痴ぶりをさらけ出すなど、これまでの彼女が飾らず“等身大”で仕事に打ち込んできたからではないでしょうか」  退社理由を「身体にガタがきている」などとXにつづり、退社後は「ゆっくりしたい」という大江。一部で“政界進出説”などのうわさも飛び交っている彼女の今後の動向が注目される。 (小林保子)   【こちらも話題】 想定より早いテレビ復帰の「加藤綾子」元フジテレビエースアナがテレ東で返り咲いた事情 https://dot.asahi.com/articles/-/253955
園遊会 注目は華子さまの希少な帯と「遊び心」のお着物 ぷっくり「エナガ」に、願いの「おしどり」今年の装いは?
園遊会 注目は華子さまの希少な帯と「遊び心」のお着物 ぷっくり「エナガ」に、願いの「おしどり」今年の装いは?   2023年11月に米寿となる88歳の誕生日を迎えた常陸宮さま。愛犬の「福姫(ふくひめ)」をひざにのせ、この年の7月に妻の華子さまとともに撮影に応じた。華子さまの訪問着は、夏らしく海の世界を描かれており、合わせる帯にはなんと大きなヒトデが!=2023年7月21日午後、東京都渋谷区の常陸宮邸の応接室、宮内庁提供  4月22日、春の園遊会が開催される。女性皇族は、春と秋で和装と洋装を交互に着こなして招待客をもてなすが、なかでも常陸宮華子さまの和装を楽しみにしている人は少なくない。旧陸奥弘前藩主の津軽家の出身の華子さまは、若いころからごく自然に和装をお召しだ。実は、華子さまの和装には、遊び心がたっぷり詰まっており、ご夫妻が長年慈しんでこられた「あるモチーフ」も多く見つけることができる。 ***   生き物へ深い関心をお持ちの常陸宮ご夫妻の写真や映像には、愛らしい生き物が一緒に登場することが多い。たとえば、常陸宮さまの米寿の誕生日を迎えた2023年11月に公開された写真には、ミニチュアダックスフントの「福姫(ふくひめ)」こと「福ちゃん」が常陸宮さまの膝の上にちょこんと座り、一緒に写真におさまっている  撮影されたのは7月。このときの華子さまの訪問着には、夏の季節らしい遊び心があふれている。海底の世界を描いた図柄で、色彩豊かな二枚貝や巻貝、そして朱色の珊瑚が海をイメージした雲取り文様にちりばめられている。  「粋な着こなし」と評判だったのは、「海」の訪問着に合わせた帯。「つづれ織り」の帯だが、なんと大きなヒトデの図柄が織り込まれている。  また常陸宮さまは、日本鳥類保護連盟の総裁を務め、おふたりは鳥をはじめとする野生動物の保護に長年取り組んでいることもよく知られている。そんなおふたりは、お住まいの常陸宮邸の庭で野鳥の観察を楽しまれることもあるという。   「第33回高松宮殿下記念世界文化賞」の授賞式典に出席するため、会場に到着した常陸宮妃の華子さま。胸元にはぷっくり愛らしい「エナガ」、全体に十数羽の小鳥が配された、華子さまらしい訪問着=2022年10月19日午後4時9分、東京・元赤坂の明治記念館  実は、華子さまの着物にはお好きな鳥をモチーフにされたものが少なくない。  華子さまの着物をこれまで多く仕立ててきたのは、東京・世田谷区にある老舗呉服店、京和工藝だ。代表を務める国見修二さんも印象深いのは、常陸宮ご夫妻のダイヤモンド婚で公開された写真や23年春の園遊会で華子さまがお召しの水色と灰色が混じった「白藍」の訪問着だという。  というのも、胸元には愛らしい「エナガ」が左胸に配され、さまざまな種類の小鳥が十数羽描かれたなんとも華子さまらしい、お着物だからだ。 2017年の園遊会。常陸宮さま(左)の横に立つ華子さまは、カワセミが優雅に飛ぶ美しい訪問着をお召し=2017年4月、東京・赤坂御苑、JMPA 「ぷっくりと愛らしいエナガを」  そうした華子さまのご希望で、細かな刺繍をほどこしてエナガや小鳥ににぷっくりと厚みと丸みをだした。紅葉の枝にとまったり、花をついばむ小鳥が草花の間で生き生きとさえずっている。見る人が思わず笑顔になるような一枚だ。華子さまは、この「エナガ」と小鳥の訪問着もお気に入りのひとつのようで、公務などの機会でもたびたびお召しだ。  鳥の図柄といえば、2005年の黒田慶樹さんと清子さん夫妻の結婚披露宴に出席した華子さまがお召しになった着物も素晴らしかった、とほほ笑むのは国見さん。  めいの大切な日の装いとして華子さまが選んだのは、「おしどり」が描き出された柿茶色の訪問着。仲睦まじく月日を過ごされてほしいという、祝意と愛情が伝わってくるような装いだ。  小鳥がお好きな華子さま。15年の春の園遊会では、羽ばたくカワセミの訪問着をお召しだった。紅葉や菊など雲取り文様で配された四季の花々の間をカワセミが優雅に舞う写実的な一枚だ。 70歳の誕生日を前にした常陸宮さま。華子さまは、「おしどり」が織り込まれた帯を選ばれて=2005年11月、東京都渋谷区の常陸宮邸の庭、宮内庁提供  2005年、常陸宮さまが70歳の古希を迎えた際に公開された写真では、華子さまがお召しであったのは明るい柿茶色の訪問着。  吉祥模様の松と訪問着の裾には、どこまでも広がる波の文様に未来まで続く平穏を願うといわれる吉祥文様の青海波(せいがいは)を描いた優雅な一枚だ。  松の葉や青海波には、繊細な手仕事で刺繍がほどこされている。  このとき華子さま選んだのは、おしどりの織り込まれた帯。夫婦仲睦まじくお過ごしになりたいという願いが伝わってくるようだ。  宮邸の庭で野鳥の観察を楽しまれるご夫妻らしい、粋な装いだ。   2003年の秋の園遊会。常陸宮妃の華子さまは、柿茶色の訪問着に稲穂が織り込まれた秋の季節にふさわしい帯をお召し。お持ちの帯はいずれも見事で、いまでは希少なものばかりだと評判=2003年、赤坂御苑、JMPA  ちなみに03年秋の園遊会では、同じこの柿茶色の訪問着に締めたのは稲穂が織り込まれた帯で、季節にふさわしい。華子さまの装いは、いつもちょっとした遊び心がおありになる、と国見さん。  近年は、ご高齢のため常陸宮さまは園遊会に出席されず、華子さまも杖をお使いになりながら、園遊会の冒頭、天皇陛下と皇族方と一緒に「三笠山」と呼ばれる小高い丘に一列に並ばれるところまでの参加だ。  それでも昨年秋の園遊会では、隣に立つ佳子さまの本振袖の着付けをささっと直される場面が映像で流れると、「さすがは華子さま」といった賞賛の声があがった。  今年春の園遊会も女性皇族は和装で臨む予定だ。日本画のような美しい着物が、赤坂御苑の春の草花と調和する光景は、招待客の心を和ませてくれそうだ。 (AERA 編集部・永井貴子) 2010年春の園遊会。常陸宮妃の華子さまは、平安時代の宮中遊び「貝合わせ」の入れ物である貝桶と躍動感のある紐文様など吉祥模様が配された訪問着=2010年4月、東京・赤坂御苑、JMPA  
”リゾートバイト”にはまるシニア層 「お金よりも経験」「ご褒美のような時間」
”リゾートバイト”にはまるシニア層 「お金よりも経験」「ご褒美のような時間」 リゾート地でバイトをする中高年が増えている(photo gettyimages) 「リゾートバイトは若者」に変化 「リゾートバイトの担い手といえば若者」というかつての常識が覆りつつある。観光地などで働く50~60代が急増しているのだ。シニアらを引き寄せる魅力は何なのか。  リゾートバイトの人材派遣会社「ダイブ」(東京都新宿区)によると、リゾートバイトで働く50歳以上の就業者数は、2022年に199人だったのが24年には759人と2年間で4倍近くに急増している。何がシニアらをリゾートバイトに引き寄せているのか。 ダイブの調査から作成 保育園長だった女性は日光と阿蘇へ 「前職の保育園の運営会社には『50歳を機に新しい働き方をしたい』と申し出て退職しました」  こう打ち明けるのは、昨年3月まで保育園の園長だった女性(51)だ。昨年5月から今年1月まで栃木県日光市の鬼怒川の宿泊施設でレストランサービスの仕事を、今年2月からは熊本県阿蘇市の宿泊施設で同様の仕事に就いている。  女性が園長の仕事を辞めてリゾートバイトに就いたのは、さまざまな要因とタイミングが重なったことによる。最も大きかったのは子どもの自立だ。女性には4人の子がいるが、一番下の息子が昨春就職した。園のオーナーと保育士の間に立つ中間管理職的な園長の立場にストレスもたまっていたという。 「園長の仕事も6年間続け、『石の上にも三年』を2回もこなしたんだからもういいんじゃない、と友人たちにも背中を押されました。生き方や働き方に変化がほしいと考えたとき、真っ先に浮かんだのがリゾートバイトでした」 子育てと仕事に邁進してきた時期が過ぎ、自分のために経験を重ねたいと考えるシニアは多い(photo gettyimages) 離婚後は子育てと仕事に精一杯  女性には、リゾートバイトでお金をためては海外旅行に出かける同年代の独身の親友がいる。この親友から、リゾートバイトの楽しさをたびたび聞き、その都度うらやましいと感じていたが、「私には家族もいるからそういう働き方はできない」と諦めてきた。十数年前に離婚した後は働きながら子育てするのに精いっぱい。自由な時間はほとんどなかった。東北の自宅では70代の両親も同居している。 「両親が元気でいてくれる今のうちに、と思い切ってリゾートバイトに登録しました。今は時間が流れていくのが惜しいと感じるぐらい、貴重な経験をさせてもらっています」  最大の魅力は職場環境だという。鬼怒川の職場のレストランではジャズやクラシック音楽が流れる中、一面ガラス張りの窓越しに映える雄大な山並みを満喫しながら勤務した。阿蘇の絶景も楽しんでいる。 「お金を出して旅行に来る人たちがたくさんいるような素晴らしい環境で働き、暮らすことができて給料までもらえるのは本当にありがたい。見知らぬ土地は新鮮で、家族と離れて一人で過ごす解放感は最高。ご褒美のような時間です」  女性には学生時代にスキー場のレストランで住み込みのアルバイトをした経験もある。バイト仲間とワイワイ声を上げながら一緒に賄い料理を囲んだシーンなど楽しい思い出が残る。今は当時の青春を取り戻しているような感覚もあるという。 「休日は勤務先周辺の観光スポットを訪ねて回ったり、県外の観光地へ移動する際は節約のため車中泊も経験したりして趣味の神社巡りを楽しんでいます」  配膳や接客の仕事にもすぐに慣れた。前職の名残で小さな子ども客にはつい敬語ではなく、「ありがとう」「バイバイ」とフレンドリーな声をかけてしまうが、それも喜んでもらえる。家族連れが旅先で楽しそうにしている雰囲気に触れられるのも働く喜びにつながっている。インバウンド客に英語でコミュニケーションをとる若い同僚をうらやましく感じ、自分も英語の勉強をしたいという思いが膨らんだ。 収入半減も娘との仲が改善  最もうれしかったのは、鬼怒川の宿泊施設に娘夫婦が孫を連れて泊まりに来てくれたこと。施設側のはからいでその日は休暇をもらい、一緒に食事や観光地巡りを楽しんだ。 「じつは娘とは思春期以降、あまり仲が良くなくて、一緒に旅行したこともなかったんです。まさかこんな時間がもてるなんて……本当にいい思い出になりました」  とはいえ、収入は園長時代の手取りのほぼ半額。それでも女性は「今はお金よりも経験を優先したい」と考えている。ただ、鬼怒川でも阿蘇でも住み込みで食事も提供されるため、生活費はほぼかからないという。  少し気になるのは東北の自宅で同居していた両親のこと。50歳を過ぎて「第二の青春」を謳歌する娘の動向に不安を隠さない両親には、帰宅するたび「帰る家はここ。今はあちこちに出張に行っていると思って」と伝え、心配をかけないように努めている。女性は朗らかな笑みを浮かべ、こう話した。 「ただ、帰宅すると父は『おかえり』と言わず、『いらっしゃい』と嫌みを言うんです。でも、私はもうしばらくこの幸福な生活を続けていたいんです」 早期退職をして、リゾートバイトに向かう人もいる(photo gettyimages) 敷かれたレールの上を歩くだけでは物足りない  公務員を早期退職し、リゾートバイトに飛び込んだシニア男性もいる。 「役職定年後の職場もだいたい想像がつく年齢になり、全く違う世界でチャレンジしてみたいと思いました。役所にとどまれば65歳まで働けますが、敷かれたレールの上を歩くだけでは物足りないと考えました」  こう話すのは、東日本の地方都市の市役所に勤務していた男性(57)だ。今年2月に約30年間の公務員生活にピリオドを打ち、4月から同じ県内の温泉街の宿泊施設のレストランで働いている。  市役所では観光や移住促進を担当してきた。その経歴もあって、観光業界の関係者とは長年交流してきたが、これからは行政とは逆の立場から現場を見たいと思ったという。 「管理職になるとどうしても現場に出る機会が減ります。しかし、もともと人と接するのが好きなので、接客の現場でどんな課題や醍醐味があるのかを知りたいと思いました」 きっちりしたマニュアルがなく戸惑いも  とはいえ、行政とは勝手が違うシーンに直面し、戸惑うことも。 「行政の場合、きっちりした引き継ぎ書やマニュアルがあるため、異動先でもそれほど苦労することはありません。一方、サービス業はマニュアルを覚えることも重要ですが、それに加えてお客様一人ひとりに合うサービスを提供する、臨機応変な対応が非常に大事だと実感しました」  収入は公務員時代の3分の1ほどになるが、2人の子どもは独立し、住宅ローンも完済しているため、別居することになる妻の反対も受けなかったという。  男性はリゾートバイト先では「あまりお金を使わなくなる」と吐露する。住み込みで食事も白飯が提供されるため、おかずを用意する程度。公務員時代に日課だった週2回の飲み屋通いをしなくなっても、ストレスや違和感はないという。 保育園長を退職した女性が働いた鬼怒川温泉(photo gettyimages) 「先輩」の19歳から仕事を学ぶ 「目の前の仕事が充実しているからなのか、まだ余裕がないからなのか分かりませんが、今は毎日違うお客様が来て、おなかいっぱいになって喜ぶ顔を間近で見られるのが何よりの楽しみです」  勤務時間は朝食を提供する午前6時半~午前9時半と、夕食を提供する午後4時半~午後10時。日中はほぼ休憩時間という、行政時代には考えられないような勤務体系。男性は「慣れるまでは大変そうです」とこぼすが、夜の勤務が終わった後、館内寮に戻って温泉につかっていると充実感も湧く。  得がたい経験もした。勤務して間もない頃、職場の「先輩」に当たる19歳の男子アルバイト学生から業務内容やルールを一つひとつ教えてもらった。 「抵抗は全くありませんでした。逆に、年齢の離れた人ともフラットに話ができるのは楽しいと感じています」  リゾートバイトに就く50~60代は、大手自動車メーカーや有名デパートなどの大企業で勤務してきた人も少なくないという。何にやりがいを見いだすかは、人それぞれ。ただし、その魅力はやってみないと分からない。 (AERA編集部・渡辺 豪)
1993年まで続いた「寝たきり老人」を介護する「模範嫁」表彰制度 いまは介護や看取りはプロの手に
1993年まで続いた「寝たきり老人」を介護する「模範嫁」表彰制度 いまは介護や看取りはプロの手に ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  死亡年齢の高齢化、葬式・墓の簡素化、家族関係の希薄化……、社会の変化とともに、死を取り巻く環境も大きく変化してきました。かつて高齢者の介護や看取りは家族が担うものでしたが、いまは外部サービス化が進み、プロがおこなうものになっています。  この30年間、死生学の研究をしてきたシニア生活文化研究所代表理事の小谷みどりさんが、現代社会の「死」の捉え方を浮き彫りにする新刊、朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観』(朝日新聞出版)を発刊しました。同書から「高齢化と家族の変化」を抜粋してお届けします。 *  *  * ほとんどの人が70代までに亡くなっていた1980年  1980年には、亡くなった男性のうち80歳以上だった人の割合はわずか22・3%、女性でも36・9%にとどまっており、ほとんどの人は70代までに亡くなっていた。  日本には、60歳の還暦以降、70歳の古希(こき)、77歳の喜寿(きじゅ)、80歳の傘寿(さんじゅ)、88 歳の米寿(べいじゅ)、90歳の卒寿(そつじゅ)と、長寿を祝う習慣があるが、かつてはそんな年齢まで生きる人が滅多にいなかったからこそ、長寿は盛大にお祝いをしていたのだ。1980年には、80歳の傘寿を祝ってもらう高齢者はほとんどいなかったが、2022年には、80歳以上で亡くなった人は、男性で57・5%と過半数を占め、女性では78・0%とほとんどの人が傘寿を通過している。 朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観 「一人称の死」とどう向き合うか』(朝日新聞出版)より    また厚生労働省「簡易生命表」で65歳時の平均余命の推移をみると、この50年間で男女ともに10歳近くは余命が延びている。高齢者として生きる期間が20年以上もある昨今と違い、40、50年前は、せいぜい10年の余生しかなかった。高齢期の生き方において、この10年の延伸は大きな影響を与えている。 現在、介護は家族よりも専門家に頼むのが当然という意識  では、現在はどうか。内閣府が2022年に実施した「高齢者の健康に関する調査」によれば、将来、排せつ等の介護が必要な状態になった時、誰に介護を頼みたいかをたずねた質問では、「ヘルパーなど介護サービスの人」(46・8%)と回答した人が最も多く、「配偶者」(30・6%)、「子」(12・9%)、「子の配偶者」(1・0%)が続いた。1986年の調査では外部サービスの専門家に依頼したいと考える人は1割しかいなかったが、昨今では、介護は家族よりも専門家に頼むのが当然だという意識が浸透している。 【こちらも話題】 『〈ひとり死〉時代の死生観』著の死生学者が30年前に感じた違和感 ライフプラン表に「死」がない https://dot.asahi.com/articles/-/254341  一方、介護が必要になったら配偶者に依頼したいと回答した人は3割程度いるが、性別でみると、男性では50・8%、女性では12・5%と、男女で大きな差がある。しかし男性も特にこの20年間、長生きして亡くなる人の割合が増えている。2000年に亡くなった男性のうち、80歳以上だった人は33・4%しかいなかったので、妻はまだなんとか夫を介護できる年齢だったが、2022年には57・5%と過半数が80歳以上で亡くなっている。男性の長寿化で、妻はもはや夫を介護できる年齢ではなくなっており、現実は、介護サービスに頼らざるを得ない。 死後の処置は家族の役割で、ノウハウを学校で学んでいた  亡くなるときも、家族から専門家への移行は同様だ。少し古いが、大正時代の家政学書『家政講話』には、臨終が近づいたら、寝床をきれいに整頓し、静かに臨終を遂げさせ、医師の死亡診断を経て、衣類を脱がせて消毒薬で全身をぬぐい清めるといった手順が記載されている。  また、高等女学校などで使われた『応用家事教科書』にも、呼吸が切れたら医師の検診を受け、遺体を仰向けにして目と口を閉じ、消毒薬で全身をぬぐい、衣服を着替えさせ、白布で覆うという手順が細かく書かれてある。死人の看取りや死後の処置は家族の役割であり、そのノウハウを学校で学んでいたのだ。  しかし病院で亡くなるのが当たり前になると、湯かんをしたり、服を着せ替えたりという作業は、家族の役割ではなく、外部サービス化されていった。  私の曾祖母が祖父母の自宅で40年ほど前に亡くなった時、水に湯を足して「逆さ水」を作り、みんなで遺体を拭き、曾祖母が生前に自分で縫っていた死装束を着せたことを覚えている。その時代は、逆さ水で全身をきれいにすることを「湯かん」と呼んだが、昨今では、葬祭業者が、遺体を湯舟のなかに入れ、体や頭髪を洗うことを指すようになっている。  病室で亡くなる人が増えると、看護師が故人に装着されていた医療器具や管をはずし、排泄物などを処理し、全身をアルコールでの清拭をおこなうので、それを「湯かん」としたケースも多かったが、昨今では、葬祭業者の熱心な売り込みもあり、「最後のお風呂に入れてあげよう」と、葬祭業者に湯かんを依頼する遺族も少なくない。湯かんの費用は5万円から10万円程度かかるが、葬祭業者にとっては、貴重なオプションサービスとなっている。 【こちらも話題】 50年前一人暮らし高齢者は8・6%の「かわいそうな存在」 1986年世論調査6割以上が家族介護可能 https://dot.asahi.com/articles/-/254343  納棺師は、『おくりびと』という映画が大ヒットして以来、広く知られるようになったが、遺体を湯かんし、死装束を着せ、故人が女性なら化粧をしたり、男性ならひげをそったりして、身支度をさせるのが役目だ。こうした役割は、かつては家族が担っていたが、業者はこれを「納棺の儀」として仕立て、遺族はプロに任せるのが当たり前だと思うようになっている。  その背景には、祖父母や親が、老いて、病に倒れ、死んでいくという姿を日常のなかで見なくなったこともある。病院では、家族が付き添って看護することは、医療保険制度上は原則禁止とされているし、介護や看取りもプロの手にゆだねられるようになっている。  しかし1970年頃には、家族だけで介護をした人を表彰する制度が自治体で次々に誕生しており、家族介護は美徳であるとされていた。例えば高知県では、表彰の対象者は、30歳以上なら5年以上、30歳未満なら1年以上、「寝たきり老人」の介護をしている嫁と孫嫁で、「常に強固な意志と信念を持って明るく誠実な生活を営み、人格円満で寝たきり老人の介護に心身共につくしている模範的な嫁」とされた。  86年から対象を「模範嫁」から「優良介護家族」に変えたが、表彰制度自体は93年まで続いた。 朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観 「一人称の死」とどう向き合うか』(朝日新聞出版) ※朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観 「一人称の死」とどう向き合うか』(朝日新聞出版)から一部抜粋   小谷みどり(こたに・みどり) 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。博士(人間科学)。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所代表理事。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。
2025年のフェミニストから「選択的夫婦別姓すら許さないなら、強制同姓のまま母系にしませんか」 北原みのり
2025年のフェミニストから「選択的夫婦別姓すら許さないなら、強制同姓のまま母系にしませんか」 北原みのり   写真はイメージ(gettyimages) 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、「選択的夫婦別姓」について。 *  *  *   選択的夫婦別姓議論が高まっている。次の参議院議員選挙では選択的夫婦別姓に反対する議員には投票しないという運動も起きたりなどして、もういよいよの段階に来ている……と信じたい。その過程で子の氏はどうなるのか、戸籍制度はどうなるのか。これまで考えなくてもよかった問題に対しても、具体的に現実的に語る機会も増えていくだろう。時代は動いているのだ。  それにしても、選択的夫婦別姓を巡る議論でつきつけられるのは、改めての「氏」の重さというようなものである。  氏とは、たかが記号という軽さではなく、多くの人が氏を一つのアイデンティティーとして捉えている。それは戦前のイエ制度で重んじられた氏としてではなく、「私が私であることの姓」として。毎日のように呼ばれ、使われ、私が私であることを証明する氏は、実は私たちの心理を、私たちが意識している以上に深く支配しているのかもしれない。「手続きが大変だから」だけではなく、アイデンティティーとしての氏を手放したくない人のためにも選択的夫婦別姓はある。  それでもいったい氏とはなんだ。戦後になって婚姻時に妻か夫の氏を選択できるようになったが、ほとんどの日本人が「父親の氏」を名乗って生きている。それが「当たり前」だからこそ、いまだに婚姻する女性のほぼ100%(最近は95%前後)が自らの氏を捨てる選択をするのだろう。そんなふうに、「日本は父系でいきますよ」というふんわりとしたルールを、私たちはのみ込んできた。誰が決めたルールなのかもわからないまま。  強制的に夫婦同姓にする法律は、今、日本だけにしかないと言われているが、ふんわりとした「父系ルール」は、いまだに多くの国にあるものだ。父親が誰かを厳しく問う社会は例外なく女に厳しく、男に甘く、女と男に違う性のルールを敷く。そういう二枚舌をフェミニストたちは「家父長制」と呼び、批判してきた。多かれ少なかれ今の世界、たいていの国が家父長社会である。そのなかでも選択的夫婦別姓すら許さない日本は、それだけ家父長制が強烈だということだろう。 「選択的夫婦別姓」の導入を法制審議会が答申したのが1996年だった。民主党政権時代に実現直前まで議論が進んだかのように見えたが、結局頓挫した。リベラルな民主党政権の中の「家父長」が、選択的夫婦別姓を許さなかったのだ。たかが氏、でもやっぱり氏の世界。家父長の権限が薄れることを絶対に許さない力でこの国は運営され、そしてその強情さで、もしかしたら衰退しているのではないかと思うほどである。  ところで、選択的夫婦別姓についてフェミニストたちはどのように考えてきたのだろう。先日、2002年にベストセラーになった『ザ・フェミニズム』という本を久々に開いた。50代前半の上野千鶴子さんと小倉千加子さんが、性を巡る現象、女を巡る様々についてフェミニズムの観点から関西弁で露悪的に自由奔放に語り合う対談だ。メディアで大活躍していた著名なフェミニスト二人の対談は、当時大変注目された。その中でお二人は明確に夫婦別姓を支持しないと言い切っていた。 ---- 小倉 上野さんは夫婦別姓、どう思ってはるの? 上野 私ですか? あほくさ、と思ってます。小倉さんはどう思ってるんですか? 小倉 「あほくさ」もええとこよ。 上野 意見が合いますやん。 小倉 けど、これが通じてないんですよ。「小倉さんはフェミニストだから、当然、夫婦別姓に賛成ですよね」と言われることがいっぱいあってね。とまどってしまう。「フェミニスト=夫婦別姓賛成」って、世の中ではそういう 上野 誤解が・・・ 小倉 ある。(『ザ・フェミニズム』筑摩書房) ------  日本で最も著名なフェミニストがそろって夫婦別姓に冷笑的だった時代もあったのだ。お二人の意見は、そもそもセックスする相手を国に登録する制度自体(結婚のことです)が問題なので、夫婦別姓などあほくさ、ということである。かなり乱暴な論だし、困っている人にとっては冷酷だし、はっきり言って誰の役にも立たないフェミニズムである。だいたいそもそも上野さんご自身が2021年に男性と法律婚をされたので、ちょっと!? とも思うが、それでもどこか痛快な感じがするのは、「制度を壊す」「制度を無視する」自由がフェミニズムの面白さであることを思い出させてくれるからかもしれない。  私自身は、選択的夫婦別姓導入を願うフェミニストである。ただ、今の日本社会でたとえそうなったとして、子供の氏を父系にしていく家族が大多数なのではないかと想像する。結局、それは大多数の人が父の姓を名乗り生きていく社会を変えることにはならないのではないか。そしてそういった連綿と続く無意識の父系社会は、女の生きづらさにどのような影響を与えているのだろう……そんなことが気になる。  なので、2002年の露悪的なフェミニストに倣い、2025年のフェミニスト、ちょっと露悪な提案をしてみたくなりました。  選択的夫婦別姓なんてね、女たちが最大限に譲歩したギリギリの生ぬるい提案であることを理解してほしい。それすら受け付けられない国ならば、この際、強制同姓のまま母系にしませんか。夫婦の姓は女側で統一し、産む人の姓を子供は引き継ぐ。そういう社会を生きてみてこそようやく、男の方たちも、父権制の呪縛から逃れられたりするのではないでしょうか。  そんな社会を妄想しながら、この生ぬるい選択的夫婦別姓すらここまで通らなかった国のやばさを痛感している。  
「老後2000万円は誤り」と専門家 結局いくら必要? インフレ率、支出額…“最新データ”で試算してみた
「老後2000万円は誤り」と専門家 結局いくら必要? インフレ率、支出額…“最新データ”で試算してみた 写真はイメージです(gettyimages)   「食費も仕事で使うクルマのガソリン代も上がり続けて、我が家の家計は火の車です」  こう嘆息するのは千葉県在住の47歳男性だ。2歳と5歳の2女の父親で、建設系の個人事業主として働く一家の大黒柱。42歳の妻は派遣社員として事務仕事をしており、世帯年収は800万円弱だ。借家住まいだが、実の母親が認知症を患って昨年、施設に入り、父親はがんで闘病中のため、将来的には同じ千葉県内にある実家に移り住むことを考えている。 * * * 「親の介護費用や医療費は負担してませんが、それだけに遺産は期待できそうにない。妻も私も会社員として働いた期間が短いので、将来もらえる年金もわずかでしょう。高校の授業料が無償化されるので、下の子が高校を卒業するまでの今後15年は生活費をできるだけ切り詰めて貯金していくつもりですが、数千万円もの老後資金を貯められるかどうか……」  インフレや親の健康状態に悩まされながらも、今、最も不安を抱いているのは自身の老後のお金だという。「娘に私たちの面倒を見させたくない」と話すが、下の娘が成人するのは男性が63歳になる年とあって、その表情は暗い。 「もっと用意しなくては…」  老後に必要な資金は2000万円――。そんな数字がクローズアップされたのは2019年のことだった。金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」が、夫65歳以上・妻60歳以上の高齢夫婦無職世帯が95歳まで生活するためには2000万円の蓄えが必要だと試算し、公表したのだ。  その試算方法は単純だ。同世帯の年金受給額と支出額を集計し、平均的な赤字額を12倍(12カ月)したうえで30倍(65歳から95歳までの30年)してはじき出された金額だった。あくまで平均であるため、「わずかな年金しかもらえない平均未満のウチらはもっと用意しなくてはならない」と男性は頭を抱える。 【こちらも話題】 「専業主婦年金」は本当にズルいのか 保険料を納めないのに…「年金3号」を廃止したい経済団体と政府の“思惑” https://dot.asahi.com/articles/-/254369  追い打ちをかけるように、昨年は「4000万円問題」へとバージョンアップした。足元で進むインフレの影響を加味すれば、今後必要になる老後資金は2000万円でなく4000万円だ、とメディアが報じるようになったのだ。 「5年で倍に増えたら、これからまだまだ増えるのでは?」  そう不安に駆られる国民が急増したのは間違いない。先の男性も、その報道後に「投資経験ゼロだったけど、新NISAを始めた」と話す。  だが、「4000万円問題」は国民をミスリードしている。第一生命経済研究所の永濱利廣・首席エコノミストは「そもそも2000万円問題も誤った認識だ」と話す。 「2000万円問題は、2017年の家計調査で高齢夫婦無職世帯の月の収支が5万4520円の赤字だったため、それが30年ずっと発生すると2000万円の蓄えが必要になるとして公表されたものです。ところが、その世帯の収支は2020年には月1100円ほどの黒字になり、勝手に2000万円問題は解消されたんです。コロナ禍で支出が減った影響と考えられますが、2023年のデータで見ても月の赤字は3万8000円弱に縮小している。これを30年分にすると1400万円弱になる」 約2030万円   つまり、「老後1400万円問題」へとスケールダウンしているのだ。ただし、インフレを加味すると、必要になる金額は少々変わってくる。 「昨年話題になった『4000万円問題』は、『3.5%のインフレが30年続いたら』という仮定のもと算出した金額です。しかし、日銀は今年1月に物価見通しを若干引き上げましたが、25年度は2.4%で、26年度は2%という予想。つまり、3.5%のインフレが続いたらという仮定は、明らかに過剰なのです。日銀の物価目標に合わせて、安定的に2%のインフレが進むなかで毎月3万8000円の赤字(2023年の高齢夫婦無職世帯の月間赤字額)が発生すると仮定した場合、30年間で必要になるのは約2030万円になります」(永濱氏)  やはり2000万円は必要じゃないか……と思った読者は早まるなかれ。これはあくまで65歳の高齢夫婦も90歳の高齢夫婦も含めた平均的な値。年齢別の支出の傾向を分析すると、さらに必要になる蓄えは小さくなる。 「高齢夫婦世帯のひと月の赤字を細かく見ていくと、60代に比べて85歳以上の世帯は4分の1程度に減っています。人間は年を取るほど支出が減っていくから、赤字が減っていくのです。その年齢層別の支出を勘案し、さらにインフレ率2%を前提に試算してみると、高齢夫婦が30年間生きるために必要な蓄えは1200万円でした。物価の変動に合わせて年金の給付水準が徐々に減少していくことも念頭に入れても、1400万円あれば十分事足りるでしょう」(同)  夫はバリバリ会社員として働き、妻は家庭を守る――そんな“平均的”な家庭であれば、「老後に備えて蓄えておくべき資金は1400万円」が正解となる。一方で、夫婦ともに会社勤めをしてこなかった夫婦は、当然のことながら必要になる蓄えは大きく増える。 自助努力による備えは重要  年金制度を端的に示す際に用いられる夫婦の“モデル年金”は、夫と専業主婦の妻の老齢基礎年金に夫の老齢厚生年金を足したもの。昨年度のモデル年金は約23万円。一方、24年(令和6年)の家計調査結果によると、65歳以上の単身無職世帯(高齢単身無職世帯)の家計収支は2万7817円の赤字だった。  仮に、夫婦ともに基礎年金のみの場合は14万円弱にしかならないためにさらに赤字は大きくなる可能性がある。もらえる年金は人によってまちまちのうえ、インフレも進む中で、自助努力による備えは重要になる。  ファイナンシャルプランナーの岩城みずほ氏は「働き方は多様化しているし、お金の使い方などもさまざまなので、個々に必要な老後資金を試算することが重要」と話す。 「老後2000万円問題は、65歳から95歳までの30年間に必要なお金として示されたものですが、人生100年時代と言われるように、人の寿命は着実に長くなっています。同時に、“現役生活”も長くなっています。フルで働かなくても、パートなどでもいいので、なるべく長く働き、少し収入を得ることで、老後資金不足に対処することもできます。一方で、インフレ傾向が強まり、現金の価値が低下していることにも注意しておくべきでしょう。2%のインフレが続くと、10年で物価は約2割上昇し、30年でお金の価値はほぼ半分になる。このことを踏まえて、リタイアする10~15年前から老後プランを考えていくべきです」 健康寿命を延ばす   永濱氏によると、「シニアの労働参加率が右肩上がりを続けており、直近では60代前半でも7割以上が働いているほか、70代以上で見ても10%以上のシニアが働いている」という。  長く働き、長く収入を得ることが、老後資金問題の一つの解決策と言える。 「国民年金は60歳までしか加入できませんが、再雇用等で条件を満たして働けば、厚生年金は70歳まで加入できます。長く働けば、それだけ受け取れる年金は増えるわけです。加えて、年金は受給開始時期を繰り下げるほどもらえる金額が増える。原則として65歳から支給開始ですが、受給は60歳から75歳まで自由に決めることができます。5年繰り下げて70歳から受給すると42%も年金額が増えて、それが一生続くのです」(岩城氏)  このように、健康寿命を延ばして老後に備えるのと同時に、“資産寿命”を延ばすよう努めるべきだという。当然、活用すべきは新NISAやiDeCoだ。 「早く始めて、長く運用するほど複利効果で資産が増えやすくなります。最もメジャーな“オルカン”と呼ばれる全世界株式指数に1998年7月から毎月1万円ずつ積み立てた場合、25年3月末まで約27年間の投資額321万円は、トランプショックで大きく下落したものの、直近の時価総額で約1600万円へと5倍に増えています。今後も運用を続けながら、老後に必要な分だけを取り崩すようにすると資産寿命を延ばせます。例えば1500万円を65歳から毎月6万円ずつ取り崩していったら20年10カ月で使い切ってしまいますが、オルカンのような投信で、期待リターンは控えめに想定し年率5%、リスク量18%で運用しながら同じように取り崩していけば、市場の状況にもよりますが資産を長持ちさせることができます。上位50%の確率では、95歳時点で200万円ほど資産を残せます」(同) 固定支出を減らす   その運用の鉄則は、長期・分散・低コストだという。 「お子さんのいる家庭の多くは子どもの教育資金を確保するために学資保険に入る傾向にありますが、返戻率が非常に低いのでお金を増やす目的なら不向きです。個人年金保険も同じです。保障と運用の両方にコストがかかる分、資産が増えません。お金を増やす目的なら、新NISAやiDeCoを優先させましょう。途中で引き出さないですむように運用の計画を立てることが必要ですが、新NISAなら資金を一部引き出すことも可能です。また、突発的な支出の備えとして、普通預金に1年分の生活費をプールしておけば、仮に大きな医療費がかかっても高額療養費制度でカバーもできるため、医療保険も不要と考えます。こうした固定支出を減らして、資産運用に回すべきでしょう」(同)  将来受け取れるであろう年金は「ねんきんネット」で誰でも確認できる。自分の年金受給額をチェックしたうえで、老後に必要な資産と体力づくりに励むべし。 (ジャーナリスト・田茂井治)
若い世代が「年金もらえない」は「まったくの誤解」 専門家が指摘する「今の世代より受け取る額は多くなる」は本当か
若い世代が「年金もらえない」は「まったくの誤解」 専門家が指摘する「今の世代より受け取る額は多くなる」は本当か 写真はイメージです(gettyimages)   「年金はもらえないかもしれない、もらえたとしても金額は減るかもしれない」――。若い世代に根強く残る公的年金への不信感。国民年金や厚生年金がこの先100年にわたって維持できるか、厚生労働省が5年に1度、財政状況をチェックする「財政検証」が公表されるたびに、年金への不信感が募る。 * * *  埼玉県内に住む30代半ばの男性もその一人。マイホームを手に入れたばかりで将来のライフプランを立てている。 「住宅ローンを完済できるのは30年後なのと、これから子どもが生まれたら大学卒業まで学費がかかることを想定すると、自分たちの老後はまだ考えられません。将来、受け取れる年金額が少なくなるのであれば、保険料を貯蓄に回した方がいいと思ってしまいます」(男性)  このように若い世代を中心に渦巻く「年金はもらえない」という点について、「まったくの誤解です」というのは、明治安田総合研究所経済調査部エコノミストの前田和孝さん。 「今は水道光熱費や物の値段が上がってきているところに、厚生年金、国民年金保険料に対する負担感が増えてきているので、そこに対する不満があるのだと思います。昨年7月に公表された『財政検証』によると、若い世代は今の世代よりも受け取る年金は多くなります」(前田さん) 不安を抱くのも無理はない  前田さんは今年公表した「『若者は年⾦がもらえない』は本当か 〜不信感はあれども、前の世代より受け取る年金は増加〜」というリポートで、若者たちを激励している。  その財政検証のモデル年金(夫婦2人の基礎年金と夫に支給される報酬比例年金)の所得代替率を見ると、2057年度に50.4%となり、24年度の61.2%から低下する。所得代替率とは、年金を受け取り始める時点(65歳)における年金額が、現役世代の手取り額(ボーナス込み)と比較してどのくらいの割合か、を示す。これを見る限り、年金がもらえなくなると不安を抱くのも無理はないのだが、今回の財政検証で新たな関連資料が提示された。 【こちらも話題】 「専業主婦年金」は本当にズルいのか 保険料を納めないのに…「年金3号」を廃止したい経済団体と政府の“思惑” https://dot.asahi.com/articles/-/254369   明治安田総合研究所経済調査部エコノミストの前田和孝さん   「モデル年金は、夫は40年間サラリーマンで働いてその妻は専業主婦という設定で、若い人にはそれ自体リアリティーがありません。今回の財政検証ではいくつかの追加資料が公表されていて、そのなかの一つ『年金額の分布推計』では、世代ごとに年金額が試算されています。生年度別に65歳時点で受け取る平均年⾦⽉額を見ますと、2004年度⽣まれ(現在20歳)の額は13.6万円で、1959年度⽣まれ(65歳)の12.1万円より1.5万円多くなる試算が出ています」  前田さんがリポートで参考にしたのは「過去30年投影」ケース。財政検証では、個⼈の性別・年代別の⾒通しを今後の経済成⻑の度合いによって、「成⻑型経済移⾏・継続」(実質経済成⻑率1.1%増)と「過去30年投影」(同0.1%減)で提示している。  今後の成長率を控えめに見た「過去30年投影」では、59年度生まれは12.1万円で、その後1974年度生まれにかけてやや減少したのち増加に転じ、94年度生まれは12.7万円、2004年度生まれは13.6万円となった。 若い世代の方が年金を作りやすい環境  さらに受け取る年金額の分布を見てみると、59年度⽣まれは月額7万〜10万円未満の割合が25.8%と最も多いが、64年度⽣まれ以降は10万〜15万円がボリュームゾーンとなり、04年度⽣まれでは37.5%を占める。  15万〜20万円の割合も59年度生まれは24.3%で、氷河期世代(74年度生まれ)で24.0%に下がるが、04年度生まれは28.2%になる。 「若年世代ほど厚生年金に加入する期間が長く、その割合が増加しているのと、女性の労働参加が進展しています。女性の就業率は59年度生まれが20歳になる79年には46.7%でしたが、足元では54.7%まで上昇しています。厚労省はパートなどで働く人が厚生年金に加入できるハードルを下げていますので、若い世代の方が年金を作りやすい環境にあります」  年金の勘違いの一つに、年金の支え手を年齢で区切る考え方がある。少子高齢化で年金の支え手が少なくなり、「胴上げ型」から「騎⾺戦」、将来的には「肩車型」へと支える側の負担が増えていくといった考え方があり、年金制度が破綻するという疑念を抱くもとになっている。  しかし、年金は“就業者”が年金の支え手になる。非就業者(15歳以上のみ)に対する就業者の人数を見ると、1980年は1.6人、2010年に1.3人、2040年に1.7人と、先行きも含めほとんど変わらないことから、年金の支え手が大きく減るわけではない。 すぐに実感しにくい点が不信感の⼀因  厚労省の試算では、若年世代ほど厚生年金の「被保険者期間が20年以上」の割合は増加し、男性は59年度生まれ(24年に65歳)の約80%から、04年度生まれ(24年に20歳)の約90%に上昇、女性は約40%から70%台に上昇する。実質賃金も上昇するので、平均年金額(男女計、実質)は増加し、低年金は減少するといった見通しを立てている。こうした状況から「世代間の損得で考えるのは早計」と、前田さんは言う。 「公的年金は健康保険とは異なり、保険料負担から給付を受けるまでの時間軸が長いので、恩恵をすぐに実感しにくい点が不信感の⼀因になっているように思います。公的年金が保険である以上、長生きや障害などのリスクに遭った時に社会全体で備えるためのものであり、世代間の⾦銭的な損得のみで公的年金を判断するのは適当ではないと考えます」  この先、万が一病気や怪我で働けなくなった時、要件を満たせば障害年金を受け取ることも可能だ。また、想定以上に長生きすることで老後のために蓄えた資⾦が足りなくなるといったリスクは、年を取ってから対応するのでは遅すぎる。こうした点を踏まえたうえで年⾦制度の将来を考えたい。 前⽥ 和孝(まえだ・かずたか/明治安⽥総合研究所経済調査部エコノミスト(主任研究員)。2012年慶應義塾⼤学商学部卒業後、証券会社、商社を経て、20年から現職。専⾨分野は社会保障政策・労働市場の分析、マクロ経済動向の分析(⽇本、⽶国)など。
「こんなはずじゃなかった…」70歳で家計が破綻してしまう人の特徴 なぜ健康で蓄えある男性が年金「繰り下げ受給」の目論見を誤ったか
「こんなはずじゃなかった…」70歳で家計が破綻してしまう人の特徴 なぜ健康で蓄えある男性が年金「繰り下げ受給」の目論見を誤ったか 写真はイメージです(gettyimages)   5年に一度の年金制度改革が予定されている今年、制度が改悪とならないか戦々恐々としているのはシニア世代のみならず、現役世代も同じだ。年金を受け取るタイミングにも戦略が必要な時代。“5年繰り下げると42%増、10年繰り下げると84%増”などとうたわれると、「我慢して待った方がお得なんじゃないか」という発想にもなる。だが、繰り上げと同様、繰り下げにもさまざまなリスクが潜む。 * * * 「年金受給時期の相談に訪れる人の多くが、繰り下げを検討しています」  こう話すのは、老後資金についての相談実績も豊富なファイナンシャルプランナーの有田美津子さん。厚生労働省の「厚生年金保険・国民年金事業の概況」のデータによれば、老齢基礎年金は65歳から受け取る人が87.4%と圧倒的で、繰り下げ受給率は2.2%と、繰り上げ受給率(10.4%)の5分の1に留まる。繰り下げられるほど老後資金に余裕がある人は、多くはないということだろう。ファイナンシャルプランナーに有料相談に訪れる人は、比較的マネーリテラシーが高いと想像されるものの、老後資金を踏まえたキャッシュフローを計算すると、「繰り下げることで、かえって70代で家計が破綻してしまう人も多い」と有田さんは言う。 老後の蓄えもそれなりに  繰り下げした人に取材すると、「こんなはずじゃなかった」という声も聞こえてきた。60歳で定年を迎え、65歳まで再雇用で働いた後退職するも、70歳まで年金の受給を繰り下げた男性のケースだ。男性が繰り下げた理由は、言わずもがな受給額が「4割増」になるため。体の不調もなく、平均寿命を超えて生きられるという期待感も後押しした。  会社の業績が右肩上がりだった時代を生きてきた男性は、あまり節約意識のないまま生活を送ってきた。中学から私立校に通わせた3人の子どもも全員独立し、現在は専業主婦の妻と2人暮らし。老後の生活を考え、家族で住んだ郊外の戸建てから、利便性の高い場所にあるマンションに住み替えて8年になる。住んでいた戸建ては、想定より低い値段で売ることになったが、老後の蓄えもそれなりにあり、70歳まで繰り下げても大丈夫だろうと踏んでの決断だった。 【こちらも話題】 「専業主婦年金」は本当にズルいのか 保険料を納めないのに…「年金3号」を廃止したい経済団体と政府の“思惑” https://dot.asahi.com/articles/-/254369    ところが長年にわたって染みついた金銭感覚は、なかなか変えられるものではなく、ついつい出費がかさんでしまう。再雇用で給料がぐっと減った60歳の時点で、「暮らしも出費もダウンサイジングしよう」と妻と話したのだが、結局は65歳で退職した後も、節約意識のないまま生活を送ってしまった。便利な場所に住み替えたことで、外食率もぐっとアップし、ちょこちょこ買い物する頻度も上がった。2歳年下の妻は、65歳から年金を受け取り始めたが、ジム通いに習い事にと、出費のかさむ生活を送っているため、生活の足しというよりは娯楽の足しに年金を使っている感覚だ。加えて、子どもから結婚資金や新居費用、孫の教育費用と支援を求められると、つい援助してしまう。 70歳を超えてローンが残っている  特筆すべきが、70歳の時点で、マンションのローンがまだ2千万円強残っていること。ローン返済も計算しての老後資金だったはずだが、70歳まで年金を繰り下げたことで、手元にある貯金を随分取り崩してしまった。「4割増の年金を受け取り始めたら挽回できる」と踏んでいたものの、70歳を迎える直前、今後の老後資金とローン返済を不安に思い、ファイナンシャルプランナーを訪ねた。すると「手元の預貯金を取り崩し過ぎている。家計のバランスを見ると、65歳から年金を受け取るべきだった」と言われて深く落ち込んだ。前出の有田さんは言う。 「80歳まで住宅ローンが組める今の時代、70歳を超えてローンが残っている人は珍しくありません。中には収入がかなり高くても、60代で3千万〜4千万円ぐらいローンが残っている人もいます。退職金で繰り上げ返済すればいいと考える人も少なくないですが、退職後に手元にあるお金を減らすのはリスクが高い。繰り上げ返済するにしても、その後の老後資金の計算をしてからが鉄則です。そうした点をあまり鑑みず、年金受給を繰り下げしたほうがお得というイメージから、繰り下げを考えてしまう人がいる。65歳以降は働かず、預貯金の取り崩しで生活する期間が5年ともなれば、70歳までにかなりまとまった額が出ていくことになり、危険です」  なお、総務省の「家計調査年報」(2023年)によれば、夫婦ともに65歳以上の無職世帯(夫婦のみの世帯)の消費支出は約25万円、単身者の消費支出は約15万円。つまり夫婦世帯の場合、年間の支出は300万円という計算になる。 「となると65歳以降は無収入で預貯金を取り崩す場合、70歳までの5年間で1500万円の支出と、かなりまとまった額になります。加えて住宅ローンが残っているとなれば、さらに出費がかさむことになる。働く予定がなく繰り下げを考えている人は、そのぐらいの額を預貯金から取り崩しても、まだ老後資金に余裕があるかどうかが一つの基準になります」(有田さん) 「加給年金」がもらえなくなる  自身も年金世代であるファイナンシャルプランナーの浦上さんは、繰り下げの2つのデメリットについて強調する。1つ目が、年金を繰り下げると、家族手当に当たる「加給年金」がもらえなくなること。加給年金とは、現役時代に会社員または公務員であった第2号被保険者が65歳になった時点で、65歳未満の妻または18歳未満の子がいるときに支給される年金。専業主婦家庭なら、夫が65歳になって配偶者が65歳になるまでの間、年間41万5900万円もらえるが、厚生年金の繰り下げ期間中はそれがもらえなくなる。 「例えば、夫と配偶者の年齢の差が10歳の場合で、夫が75歳まで繰り下げると、本来もらえるはずの10年分の加給年金415万9000円がもらえなくなる。夫と配偶者の年の差が5歳でも、207万9500円を失うことになるため、注意が必要です」  2つ目が、繰り下げにより年金受給額が増えても、税金や社会保険料の比率が増えるため、実際の手取り額は年金受給額ほど増えないという点だ。税金や社会保険料は、他の所得があるかどうかや、住んでいる地域、年齢などによっても異なるため一概には言えないが、収入ベースでは1.84倍になった年金を受け取ることができても、手取り額はそれより少なくなることを忘れてはならない。 「これらを踏まえると、繰り下げをして良い人の条件は、①繰り下げ年齢まで生活に困らない収入が見込める、②加給年金の対象になる配偶者や子どもがいない、③繰り下げ年齢までに万が一のことがあって、年金がほとんどもらえなくなったとしても、それはそれでしょうがないと割り切れるという3つのポイントが当てはまる人ということになります」(浦上さん)  以上のことを踏まえて、浦上さんが勧めるのが、年金は繰り上げも繰り下げもせず、素直に65歳からもらうことだ。浦上さん自身も、65歳で三菱重工グループを退職後は給与収入がなくなり、規定通り65歳から年金を受給している。定年後は、個人事業主として独立したが、「年金が安定的なベース収入になり助かった」と話す。 年金=長生きのリスクに備えるもの 「寿命という不確定要素がある限り、“何歳からもらうと最も多い年金がもらえるか”についての正確なシミュレーションは不可能です。そもそも、年金は高齢になってからの保険の意味合いが強いもので、損得で考えるものではありません。繰り上げにも繰り下げにも一定のリスクがあることを踏まえたら、65歳から受け取って、余裕があるならそれを貯金しておけばいい。65歳以降に収入が減る人は、もらっておいたほうが安全というのは、極めて常識的なアドバイスだと思います」  “年金=損得で考えるものではない”というのは、有田さんも同意見だ。有田さんいわく、年金=長生きのリスクに備えるもの。相談者のシミュレーションは、90歳まで生きた場合を想定することが多く、100歳まで生きた場合を想定してほしいという人もいるという。 「年金は、何歳まで生きるかは誰にもわからないからこそ、長く生きても生活に困らないための保険という意味で考えるべきです」(有田さん)  なるべく健康を維持して長く働くのが一つの解決策となる。政府やメディアから老後不安を煽られる時代だからこそ、目的を見誤らないよう、地に足のついた“戦略”を維持したい。 (フリーランス記者・松岡かすみ)
春風亭一之輔、原稿の締め切りより「大恩ある」広末涼子さんが心配 「とにかく全てがまあるく収まりますように」
春風亭一之輔、原稿の締め切りより「大恩ある」広末涼子さんが心配 「とにかく全てがまあるく収まりますように」 落語家・春風亭一之輔   落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「老後資金」。  今回のテーマ「老後資金」について考えていたら、広末涼子さんが逮捕されていた。おいおい、ビックリ。  報道ではすでに「容疑者」と呼ばれているが、ここではあえて「さん」で呼ばせてもらおう。  広末さんはなんでも交通事故ののち、搬送された病院で看護師に暴行をはたらいたらしい。暴言を吐きながら、蹴ったり、ひっかいたりしたとのこと。某スポーツ紙には「看護師の左足に右足でローキックを数発」とあった。一面だ。まるでRIZINのメインイベント並み、いやそれ以上のあつかいである。利き足は右足なのだろう。そののち、看護師の右前腕をひっかいたという。「ひっかく」なんて昔話のお猿さんか、落語に出てくる小粋な女性がやきもち焼いて「もう……あの人、ひっかいてやりたいわ……」と呟くくらいのいまや希少な攻撃手段である。その後、病院内を大声を発しながら歩き回っているところをお縄になったという……まあ、とにかく広末涼子さんがいま尋常ではない状態だということはよくわかる。 非常につらい  広末さんの年齢は私の3つ下。高3の時の中3。一浪後の大学2年の時の高3。現在は47歳中年男子と44歳中年女子である。こんな妹がいたらさぞかし居ても立っても居られない毎日なのだろうな……と日本中のボンクラ男子に思わせてくれた存在だ。女神だ。アテナだ。広末のためなら命だっていらん。という存在といっても過言ではなかろう。たしかにここ数年もかなり危なっかしい案件を抱え続けている彼女だが、「大恩ある」広末さんがピンチにいる状況は人ごとながら非常につらい。  なにか少しでも力になりたくて、いまサブスクで彼女の曲を聴いている。代表曲「MajiでKoiする5秒前」を何度もリピートしている。名曲だ。この曲を浴びてるだけで、あっという間に2時間経ってしまった。いや、この曲だけではない「風のプリズム」も聴きました。  しばらく呆けていると、こんなことしてる場合でないことに気づいてしまった。そうだ、私は早く「老後資金」について書かねばならないのだ。  正直どうでもいいよ、「老後資金」なんて。私にとっては広末涼子のことのほうが大切だ。広末涼子のことばかり考えていたい。でも原稿の締め切りが迫っている。  ところで広末さんはどうだろう? 広末さんの老後の資金はどんな塩梅なのだろう? 広末さんはちゃんとプランニングはされてるのだろうか? あれだけの売れ方をした人だけに蓄えはたんとあるだろうが、まだまだ人生半ばいくかいかないか。先は長い。  MajiでDeathする何十年か前からちゃんと考えとかないといかんなぁ……と思うのだ。私も広末さんも。  せっかくだから、この名曲にのせて「老後資金」について改めて考えてみたい。 「Maji で Han 押す5秒前」 1番 ユニクロのネルシャツの 裾から出てるインナー しかめ面の妻の視線 すり抜けてやって来た 銀行はちょっと苦手 初めての新NISA 迷ったあげく飛び込む 閉店の5分前 ずっと前から 老後のコト 無視してた 怖いから フリーの私 退職金 もらえないの 「どうぞ」と椅子をひかれ カウンターで話きく MajiでHan押しちゃいそうな 契約の5秒前 2番 もらえるはずないよと あなたはからかうけど なんとか積み立てた年金 何よりの宝物 水瓶座のおじさん どこか少し大胆 「大丈夫」と固く信じて 職安通りを歩く もっと知りたい老後のコト 本当に生きてける? ムリならもっと早く言って 「もらえない」と 終わりが始まる予感 あなたも感じるでしょ MajiでKaiた年金手帳 破り捨てる5秒前 あっというまに年をとり さよならの時が来る グッとくるセリフ探して 黙り込んだ 「いい人生だった」と 言えるその瞬間が MajiでKuruと思えない 目の前の50代 MajiでKonya眠れない 心配な午前2時 MajiでOreは大丈夫? 酒あおる5秒前  思いの外、いい詞が出来たと思います。老後が心配。広末さんも心配。とにかく全てがまあるく収まりますように。  MajiでKoreで大丈夫? 締め切りの5秒前。
トイレでうとうと、おにぎり食べる人も…公共トイレの長時間使用問題
トイレでうとうと、おにぎり食べる人も…公共トイレの長時間使用問題 便意を催しトイレに飛び込むも満室、誰も出てこず脂汗──。誰しもこんな経験をしたことがあるだろう(写真:iStock / Getty Images Plus)    便意を催しトイレに飛び込むも満室、誰も出てこず脂汗──。誰しもしたことがあるこんな経験。個室数の男女差、そして公共トイレが快適になるにしたがって、長時間使用も問題になっているという。AERA 2025年4月14日号より。 *  *  *  駅や商業施設のトイレの行列を巡る議論が、SNSなどで活発だ。これまでもしばしば話題になったテーマだが、今年1月、「なぜ女性トイレだけ行列? 706カ所調べてみたら…」という朝日新聞の記事が大きな反響を呼んだ。都内在住の女性が公共空間のトイレ706カ所を調べたところ、9割以上で男性用の方が便器数(男性は小便器を含む)が多かったとして、不均衡の是正を求めている。  ここに異論はない。絶対的に女性用トイレが足りない施設も多いだろう。行列に並ぶ妻を長時間待ったこともある。だが、一方で思うことがある。男性に対しても、だ。いったい、トイレで何をしているのですか──。 便意を耐え脂汗が  急に便意を催して、デパート2階のトイレに飛び込む。しかし、5室ある個室は満室。すぐに誰か出るだろうと待っていたが、3分、4分と経ってもひとつも空かない。待っていることを伝えようと咳払いをし、脂汗をにじませながら必死に耐える……。こんな経験を何度したことか。もちろん、体調が悪い人、障害があって時間がかかる人、いろいろな人がいる。女性の場合は男性よりも服の脱ぎ着に時間がかかるし、生理用品の交換が必要な人もいるだろう。それにしても、必要以上に長時間居座っている人もいるのではないか。ちょっとスマホをいじるくらいは私も覚えがある。しかし、みんなトイレで何をしているのだろう。そう思って周りに聞くと、いろいろな人がいた。 「さすがに行列しているときは早めに出ますが、化粧直しやスマホの操作、よくないのはわかっていますが電源を借りて充電することも……」(30代女性) 「トイレくらいしか仕事中に休憩するタイミングがないから、個室でうとうとすることはありますね」(40代男性) 「上司に怒られたあとは、トイレで心を落ち着かせます。深呼吸して、眉間にしわが寄ってないかチェックしてから個室を出ます」(20代女性) 「外回りの営業なので夏はかなり汗をかく。1日数回はトイレで汗を拭いたりシャツを着替えたりします」(30代男性) トイレのなかで化粧直しやスマホの操作、おにぎりを食べるという人までいるという(写真:iStock / Getty Images Plus)    こんな声まであった。 「学生時代のアルバイト先はショッピングモール内の飲食店。休憩場所がないので、出勤前に施設のトイレでおにぎりを食べていました」(30代男性) トイレが快適な場に  トイレに関する調査や施設のトイレ監修などを担うUN&Co.の代表で、現役東大生でもある原田怜歩さんは言う。 「商業施設やオフィスビルではトイレに空間的価値を持たせるようになっています。単なる排泄の場ではなく、快適で落ち着く場としてトイレ空間を提供しているのです」  実際、トイレの使用時間は延びている。原田さんらによる男女各100人規模の調査では、屋内商業施設での小用時のトイレ使用時間は2018年から24年で男性は6.7秒、女性は25.8秒増加した。サンプル数が多くないため誤差を含むほか、小便器を使うことが多い男性のデータは個室の状況をあまり反映しないが、個室利用時間は長時間化する傾向があるという。 「施設管理者に聞くと個室占有時間は平均で5分程度にまで延びていると話す方も多くいます。快適化・多機能化してゆっくりしやすくなったほか、トイレ内でのスマホの使い方にも変化があるようです」(原田さん) 個室の空き状況可視化  ネットワークプロバイダの「NordVPN」が22年から23年にかけて行った調査によると、トイレでスマホを利用する人の割合は日本では68%。この「トイレスマホ」事情が、以前とは少しずつ変わってきている。UN&Co.が昨年、主に10代から40代の500人を対象に行った調査では、トイレ内で利用されるスマホアプリは10~20代で首位がInstagram、2位がTikTok、30~40代ではLINEがトップだった。そして、全年代を通した利用時間ではYouTubeが最も長かったという。 「トイレでYouTubeを視聴することがある人の割合は18年の4倍です。ショート動画の隆盛で、隙間時間に動画を見る人が増えた。1本は短くても次々に動画が表示されるので、滞在が延びているのだと思います」(同)  原田さんは、混雑解消には個室数の最適化に加え、施設全体の利用状況の均一化と回転率の向上が欠かせないと話す。(編集部・川口穣) イラスト:土井ラブ平   ※AERA 2025年4月14日号より抜粋
松田聖子「春」の名曲ランキング 三つ巴の激戦を制しての1位は「チェリーブラッサム」なのか? 惜別の名バラードもランクイン
松田聖子「春」の名曲ランキング 三つ巴の激戦を制しての1位は「チェリーブラッサム」なのか? 惜別の名バラードもランクイン 4月1日にデビュー45周年を迎えた松田聖子  今年の4月1日にデビューから45周年を迎えた松田聖子。数多くの楽曲のなかには「春」をテーマにした名曲がいくつもありますが、松田聖子の「春」の曲と言えば、みなさんはどれを思い浮かべるでしょうか。AERA編集部が読者アンケートを実施したところ、ファンが選んだ3曲がトップを激しく争う展開に。桜前線も北上中の春まっただ中の熱戦となった、「春の名曲」ランキングを発表します。 *   *   *  1980年4月1日、45年前の桜のシーズンにデビューした松田聖子の曲のなかで、「春」をテーマにした曲について聞いた今回のアンケート。3月26日~4月2日にインターネット上で実施し、875人から回答がありました。 (以下に、アンケートに寄せられたコメントを紹介していますが、一部で内容を修正したり、読みやすいように改行を加えたりしています)  まず、惜しくもトップ5に届かなかった曲を紹介します。 6位 少しずつ春 7位 四月のラブレター 8位 続・赤いスイートピー 9位 四月は風の旅人 10位 春・夏・秋・冬   「少しずつ春」は、わずか2票差で6位に。「美しい声質とはち切れんばかりの声量で、初期の聖子ちゃんの隠れた名曲です。『チェリーブラッサム』のB面でも、ファンの中では有名」(60代、男性)という声が寄せられたように、“隠れた名曲”として高い支持が集まりました。  デビューまもない頃の松田聖子の伸びやかな声は、まさに春を感じさせる名曲です。 「イントロからインパクトがあるドラム。そしてはち切れんばかりの聖子の歌声。皆が待ってた春をここまで感じる楽曲があるでしょうか!? まさに隠れた名曲なんです」(50代、男性) 「寒い冬から春の足音が近づいて来るのを、パワフルな聖子の歌声と曲が躍動している春の最高な曲だから」(50代、男性)   第5位 櫻の園 「少しずつ春」を僅差でかわした「櫻の園」は、春を「別れ」の季節と表現した名バラード。バックグラウンドも含めて、感慨深い一曲です。 「亡くなられた大村雅朗さんの作曲で、後から松本隆さんが、作詞された切なさが滲む名曲です。大村雅朗さん最後の作曲でもあり、レコーディング時に聖子さんが泣きながら歌入れをしたと言われている曲。ディナーショーでしか披露されておらず、いつかコンサートで聴きたい1曲です」(50代、女性)  当時、松田聖子の編曲などを数多く担当していた大村雅朗氏が47歳で早逝し、「いつか歌ってもらえたら」と松本隆氏に託していた曲と言われています。  そんなエピソードも含め、ファン自身の思い出とともに心に深く刻まれているようです。 「聖子さんにとって大切な方との別れを歌った曲。自分の大切な人との別れと重なり切なさが胸に込み上げます」(60代、男性)  明るい「春」を表現した曲だけではない、こうした心にしみるバラードの名曲があるのも松田聖子の奥深さです。   第4位 Rock'n Rouge 「Rock'n Rouge」撮影/写真映像部・大野洋介 レコードジャケット/「歌謡曲BAR スポットライト 新橋」所蔵  4位に入った「Rock'n Rouge」は、松田聖子自身が出演した化粧品メーカー「カネボウ化粧品」春のリップスティックのCMに提供された曲。イントロもサビも弾むような明るさのある、まさに春らしい曲。 「春の季節にふさわしいキラキラ、ワクワクする楽曲で、口紅のCMを見る度にキラキラ、ワクワクする恋がしたいなぁと心が弾んだ事を思い出します」(50代、女性)    当時のピュアな思い出を明かしてくれたファン。 「彼女(今の妻)と車でバイトに行く途中の桜並木に盛り上がった土手が有りその手前からスピードを出して軽くジャンプするのが楽しくてその時カセットで流れていたのが『Rock'n Rouge』でした)(60代、男性)  この曲を選んだ理由についてのコメントには、心弾む声が多かったのも特徴的。「サビの部分が流れるとピンク色が浮かんできて、また春がやってくる思い〜ドキドキしますね!!」(40代、女性)と、ワクワク、キラキラ、ドキドキがあふれた名曲。   第3位 「制服」  激しいトップ争いを繰り広げていた3曲のなかのひとつ、3位になったのは1982年にリリースされた「赤いスイートピー」のB面という位置づけの「制服」。  この曲を選んだ理由として、自身の卒業を思い出すという声が多く寄せられました。 「中学卒業の時で好きな人と違う高校で離れてしまうなーと思いながら聞いた曲でした」(50代、女性) 「卒業式の場面が映画のように浮かぶから」(50代、女性) 「私の高校の制服がセーラー服で、卒業式に聖子ちゃんの制服の“セーラー服着るのもそうね今日が最後なのね”が、ずーっと頭で流れてました」(50代、女性) 「コンサートで『制服』を歌う聖子さんが大好きなんです。曲を聴いていると青春時代を思い出し、私も60歳になった今でも聖子さんと共に過ごせてることに感謝の気持ちを感じてます」(60代、女性)   第2位 チェリーブラッサム 「チェリーブラッサム」 撮影/写真映像部・大野洋介 レコードジャケット/「歌謡曲BAR スポットライト 新橋」所蔵  第2位は、曲のタイトルから春そのものである「チェリーブラッサム」。「イントロがカッコいい! 可愛らしい印象の聖子ちゃんですが、この曲はロックぽくてカッコいい」(60代、女性)というように、曲の冒頭から引き込まれ、春のパワーをもらえる一曲です。 「何かが始まる春を感じる曲。力強く勢いのある前奏だけでも気持ちが上がります」(50代、男性)「前奏から、春がきた と感じる大好きな歌です」(50代、男性) 「ひらけていく未来に対する希望に溢れている、まさに春!といえる楽曲。気分も上がる最高のナンバーです!」(50代、女性)    当時の松田聖子のファッションや仕草も真似していたというコメントも多く、新しい季節のパワーを松田聖子から受け取っていたようです。 「聖子ちゃんカットを必死にやって、自分も青春まっただ中でした」(50代、女性) 【こちらも話題】 還暦の松田聖子がティーカップからピンクの衣装で登場! ツアーファイナルで見せる偉大さ https://dot.asahi.com/articles/-/14722   第1位 赤いスイートピー 「赤いスイートピー」/「制服」 撮影/写真映像部・大野洋介 レコードジャケット/「歌謡曲BAR スポットライト 新橋」所蔵   「制服」「チェリーブラッサム」との三つ巴の戦いから抜け出して1位を獲得したのは、「赤いスイートピー」でした。 「もちろん、この曲でしょ……(『チェリーブラッサム』と悩みましたが)『赤いスイトピー』歌詞全体, 曲・メロディー、松田聖子のイメージが、特に伝わりやすいこと、 松田聖子の良さ、独自性や音楽性の特徴などが、特に出ていること」(50代、女性) 「いきなり“春色の汽車に乗って”から始まるので、春=『赤いスイートピー』以外に考えられなくなりました(笑)」(50代、男性) 「春」の曲というだけでなく、松田聖子の代表曲との評価も。 「『ザ・ベストテン』、『歌のトップテン』に毎週かじりつくように見てました。聖子ちゃんの歌声や歌い方、表情にピッタリはまった曲だったと思います。『青い珊瑚礁』みたいな元気な曲も好きだったけど『赤いスイートピー』は聖子ちゃんの代表曲でイメージにピッタリな1曲だったと思います」(50代、女性)    力がみなぎるような曲から、惜別への思いを馳せるバラードまで。「春」というテーマにしぼっただけでも多くの名曲が挙がる松田聖子は、本当に稀有なアーティストと言うことができそうです。 (AERA編集部・太田裕子) 【こちらも話題】 【ランキング】松田聖子の好きな曲 6位には「イントロから盛り上がれる」「夏っぽい」名曲 https://dot.asahi.com/articles/-/221409
土屋アンナ41歳と母・眞弓67歳の絶妙な距離感 「品格があるのに破天荒」「一緒にいると刺激」
土屋アンナ41歳と母・眞弓67歳の絶妙な距離感 「品格があるのに破天荒」「一緒にいると刺激」 土屋アンナさんと母・眞弓さん(撮影/いずれも小黒冴夏)  土屋アンナさん(41)が、芯の通った女性になったのには、母親の土屋眞弓さん(67)の存在が大きいのだという。アンナさんと眞弓さんの親子に「子育てを通して学んだこと」「まっすぐな子どもに育つ秘訣」について語ってもらった。 ※【前編】<3度の結婚で子ども4人の母親、土屋アンナ41歳が語る 「ママっぽくない」私が大事にしていること>より続く * * * 母がいなければ、“自由なだけの人”になっていた ――アンナさんの子育ては、お母さんから学んできたところもあるのですか?  いっぱいあります。母は着物の着付け師。書道は師範にもなっていて、「ここにあったものは、元の場所に戻しなさい」というきっちりしたタイプ。私とは全然違う性格だけど、厳しい教育を受けていなかったら、私は“自由なだけの人”になっていたと思うんです。「人として大切なこと」や「ナイフとフォークの使い方」といったマナー、TPOもきちんと教わってきました。  なかでも、母から引き継いでいるのは、「人を守る力」。母は他人のことも守る。昔から母は私の友達の相談にものっています。私の友達のことも、自身の子どものように考えてきた姿を見て、「守りたいと思ったものは、守ればいいんだ」ということを教わりました。 ――お母さんは、個人事務所の社長でアンナさんのマネジャーもされています。プラス面は?  絶対に裏切らないことですね。親なので、嘘がない。  私が働けなくなったら母も仕事がなくなり、一緒に収入源を失うかもしれない。だけど親子だから、「また共に違うことをやればいい」と思えるのは大事。他の人だと、その人にも家族があるから、私の仕事が続けられなくなったら……といったことを考えてしまいますからね。 ――ここからは、眞弓さんにも加わっていただきます。アンナさんが幼い頃に離婚されて、女手一つでアンナさんと2つ上のお姉さんを育てられました。 眞弓:アンナの子育ての話を聞くと、自分も本当は自由な子育てをしたかったし、私自身ももっと自由になりたかったのだと、60代になってから、やっとわかった感じかな。  私は昭和一桁生まれの父と母を持ち、両親はどちらも完璧な人。私が長女を産んだとき、「母がやったように私もやらなくちゃいけない」と気負いました。お手本がそこしかないから、頑張りすぎてしまって、“本当の自分”じゃなくなった。背伸びして「いいお母さんをやろう」というのもあるのだけど、一生懸命やりすぎて、子どもたちにも厳しくしすぎちゃった。2人が大きくなってから反省しました。 アンナといるとチャレンジも ――眞弓さんが子育てで一番大事にしたことは? 眞弓:やっぱり「食」ですね。幼稚園から高校を卒業するまで、お弁当を十何年も一日も欠かさず、手作りし続けました。冷凍のものは一切使わず。 アンナ:そういうのは、やはり私も受け継ぐんですよね。 「ああ、自分が健康なのは母のおかげだ」って思えて。 眞弓:「嘘をつかない」「弱い者いじめしない」というのは、しっかり言ってきました。 アンナ:「悪口は言わない。必要ならば相手に直接伝える」と言われましたね。 ――眞弓さんの芯の通ったところをアンナさんも引き継いでいるように感じます。アンナさんはどんなお子さんでしたか? 眞弓:めちゃくちゃかわいかった!(笑)。小さいときから「そんな気を使わなくていいのに……」というところがありました。お菓子があっても、「召し上がれ」って言われるまで、絶対手をつけないんです。「アンナちゃん、お食べなさい」って言われると、1つもらい、自分が食べる前に、そこにいる人に「食べる?」って聞く。気の使い方は、“持って生まれたもの”だと感じています。 ――眞弓さんが、アンナさんのモデル事務所を開いたきっかけは? 眞弓:アンナが高校を卒業して半年ほど経ったときに、それまで所属していた事務所の契約を解除。 母親しか自分を守れないと思ったようで、「ママ、事務所つくって!」と、いきなり言ってきたんです。そこからずっと一緒にこの仕事をしてきて、途中でブランクが5年ぐらい。一昨年にアンナから「またママと仕事をやるから!」と言われ、「ええ!?」と戸惑いながらも、次の日からものすごく忙しくなったんです。そしたら、やはり楽しくて。すごくありがたかったです。  アンナと一緒にいると刺激になって、「金髪にしてみようかな」とかチャレンジもするようになりました。以前、アンナが金髪にしたときは、あんなに怒ったのに……(苦笑)。 ――5月には眞弓さんが自身の半生と子育てを綴った書籍『あれかこれか(仮)』(小学館)を出されます。アンナさんは、お母さんの活躍をどのように見ていますか? アンナ:面白い母親だと思うんですよ。品格があるのに破天荒なところもあって。幼いときから「ほかのお母さんとはタイプが違うな」って思っていました。母は芯があり、言葉に“逃げ”がないので、その言葉で勇気づけられる人は、私の友達みたいにいっぱいいる。人生に迷っている人にも刺さるはずです。人を笑顔にする本ができたのなら、そのチームに感謝ですね。 眞弓:はたから見たら、「そんなに悩まなくても大丈夫なのに!」という人ってたくさんいる。私のように悩まない人のほうが少数派でしょうから。本を読んだときに、「あっ、なんだ。今悩んでいたことなんて、どうってことない」って思ってくれたらいいなと思っています。 ――最後にアンナさんに質問ですが、3月に41歳になられました。今後、したいことはありますか?  人生で一番やりたいことは、「海の仕事」。歌はもちろん、一生続けたいのですが、夢は、海のそばに住んで、“海に関わる何か”をしたい。「海の中に住みたい」というほど海が好きですから。いろいろな免許をもう一回取り直そうと思っているところです。そのチャレンジは、50歳になってからでもいいんですが、「自分の人生、夢が叶わなくて終わったな」って思いたくないなと。  芸能の仕事は、お話が来るのであれば、お客さんを笑顔にしたいからやりたい。けれど、この仕事だけにこだわらなくてもいいのかなって。「歌」「俳優」「海の仕事」の三つのバランスが、いつか取れたらいいですね。 (聞き手・加藤弓子) つちや・あんな/歌手、モデル、女優。1998年にデビューし、モデルとして雑誌やファッションショー、CM、テレビ番組に出演。2004年公開の映画「下妻物語」に出演し、「第28回 日本アカデミー賞」新人俳優賞、助演女優賞、「第47回 ブルーリボン賞」新人賞などを受賞。昨年、4人組のロックバンド「BLVCKPHOENIX」(ブラックフェニックス)を結成し、インディーズ活動も行っている。
3度の結婚で子ども4人の母親、土屋アンナ41歳が語る 「ママっぽくない」私が大事にしていること
3度の結婚で子ども4人の母親、土屋アンナ41歳が語る 「ママっぽくない」私が大事にしていること 土屋アンナさん(撮影/いずれも小黒冴夏)  モデル、歌手、女優の3つの顔を持つ土屋アンナさん(41)。3度の結婚を経験し、現在は、2男2女の母として、にぎやかな生活を送っている。家事は協力し合っているという土屋さんに、子育てで大切にしていることを聞いた。 * * * “子どもらしさ”を絶対に捨ててほしくない ――お子さんたちといい関係を築くために、大切にしていることはありますか?  いろいろな母親、父親がいるとは思うのですが、私自身は、世間の“母とはこうでなければいけない”という枠は持たないようにしています。だから、うちは親子での上下関係はなく、仲間みたいな感じなんです。  「勉強しなさい」「○○しなさい」ばかりを言わないようにしています。それぞれ違うタイプの子どもたちの素質を伸ばしてあげたいし、 “子どもらしさ”を絶対に捨ててほしくないんです。  もちろん人前にいるときは、「静かにしなさい」「食べ方に気をつけなさい」などと注意することはありますが、子どもらしさがない子は寂しい。泣いてもいいし、大きい声を出してもいい。それは“子どもの特権”なので。 ―――現在、お子さんは、澄海(スカイ)君が20歳、心羽(シンバ)君は15歳、星波(セイナ)ちゃんが8歳、虹波(ニイナ)ちゃんは6歳です。さらに猫ちゃんは6匹いるんですよね。  生き物ばっかりです(笑)。動物は単なるペットではなく家族。子どもたちも猫のトイレ掃除をしたり、ごはんをあげたりと、みんなでお世話をしています。「猫のごはんがなくなっているから、入れなきゃ」とか、自主的な作業をみんなでする。サークルのような環境なので、学ぶことが多いんですよね。  動物から教えてもらうことはとても多い。生も死もあることをきちんと理解し、一緒に生きていこうかと。動物からは形のないものをいっぱいもらえます。言葉が通じない分、ダイレクトに愛情がくるし、嘘をつかないんでね。 ――お子さんに教えているルールは、ありますか? 「嘘をついたり、人を傷つけたりは、自分も息苦しくなるからやめときな」とは教えています。そうはいっても、人は嘘をつく。私も嘘をつくんですよ。それも子どもたちに言う。「ママも嘘つくなって言っているけど、嘘ついちゃっているよ。大人は大変でね。でもいい嘘もあるし、線引きが難しい。なぜ、嘘をついちゃいけないのかというと、つじつまを合わせるために嘘に嘘を重ねていくことになり、自分が苦しむことになるから。特に“人を傷つける嘘”は、全部自分に返ってきてしまうからしないほうがいいよ」って。 「NO」と言わないので、本当に感謝しかない ――朝のルーティンはどんな感じですか?  家族はみんな朝7時に起きて、私は朝ごはん作り。メニューは別にこだわってなく、栄養が取れるので、米とみそ汁があれば十分という感じ。今朝も塩おにぎりと野菜たっぷりのみそ汁でした。  次男と長女は2人で学校に行って、一番下の子は保育園。バイトがある長男は、私が仕事のときの朝は手伝ってくれています。日によって、下の子を送る人は代わります。うちにはシッターさんもいないので、家族で協力し合っています。猫の世話もするので、あっという間に出かける時間になってしまいますね。  家事は次女もよく手伝ってくれます。私が雑巾を持って何かを拭こうとすると「やる!」と言って、お手伝いを楽しんでくれています。長男、次男も絶対「NO」と言わないので、本当に感謝しかないし、みんな優しい。まあ、「NO」と言ったら、私がすごいブチ切れるわけですが……(笑)。  でも、みんなが協力してくれるのは、多分、「私がママっぽくない」からだと思います。子どもの前で泣くし、怒るし、感情はむき出しにするタイプなんです。大人になると、みんな我慢しているじゃないですか。泣いちゃいけないとか。でも、私は別に大人だからってそうしなくていいと思っていて、子どもにも弱いところをいっぱい見せています。そうすると、子どもたちも「あ、ママも人間なんだ」って分かるので、助けようとしてくれます。 ――「お母さんは完璧じゃなくていい」ということでしょうね。  もちろん子どものために、自分の時間もなく100%の労力を注いでがんばっている人も、いい母親。逆に私みたいに「子どもはいるけれども、自分のやりたいこともやる」というスタイルもアリ。100人いたら100人違って当然。なにが正解かは分からないけど、子どもと向き合って一生懸命育てる。それだけしてれば、いいんじゃないでしょうか。 新たな夫は父親であり、サポーター ――「元夫との間に子どもがいる上での再婚」は難しいとされています。土屋さんは結婚を3回しているわけですが、気をつけたことはありますか?  再々婚をして、新たな夫と一緒に住むようになっても、それは私とその人の関係の話。その人は必ずしも“子ども全員の父親”ではないんですよ。父親でもあり、サポーターとして一緒に暮らしている感じです。  一つ屋根の下なので、みんなで仲良くやっていこうという気持ち。「みんなで笑顔になろう」「みんなで助け合おう」ということだけを芯に持っていればいい。細かくやってしまうと、お互いに苦しんでしまうから。夫に対しても、「お父さんらしくいてほしい」なんてことは求めないですしね。 ――澄海君と心羽君にとってはサポーターということですね。再々婚された当初、2人はどんな様子でしたか。  結婚するときには、すでに夫と子どもは仲良くしていました。私は一緒に遊んでいるときに「子どもたちが自然に会話をしているかどうか」は、よく観察していました。  うちの母は、私たちを育てるときに「子どもを最後まで守るのは、私だ」とずっと言ってくれていました。私も“子どもを守る気持ち”はとても強いです。  本当は全ての大人が子どもに対してそう思ってくれたらいいですよね。大人のみんなが子どもを大事にする世界、命がけで守る世界をつくっていけたら、どんなにいいかって思いますね。 (聞き手・加藤弓子) ※【後編】<土屋アンナ41歳と母・眞弓67歳の絶妙な距離感 「品格があるのに破天荒」「一緒にいると刺激」>に続く。 つちや・あんな/歌手、モデル、女優。1998年にデビューし、モデルとして雑誌やファッションショー、CM、テレビ番組に出演。2004年公開の映画「下妻物語」に出演し、「第28回 日本アカデミー賞」新人俳優賞、助演女優賞、「第47回 ブルーリボン賞」新人賞などを受賞。昨年、4人組のロックバンド「BLVCKPHOENIX」(ブラックフェニックス)を結成し、インディーズ活動も行っている。
「なぜこんなものが…」海外の富裕層が日本で欲しがる「10円以下のお土産」とは?
「なぜこんなものが…」海外の富裕層が日本で欲しがる「10円以下のお土産」とは? ※写真はイメージです(gettyimages)   コロナ禍が収束し、海外から日本を訪れる観光客が増加している。日本は、富裕層にとっても人気の旅先の一つ。海外の富裕層は、何に魅力を感じて日本を選んでいるのか。グローバル企業トップやハリウッド関係者などVIPのアテンドを行う筆者が見た、富裕層が今日本に来たがる理由とは。(ライター・通訳案内士 矢吹紘子) 海外の富裕層が日本で感動した 意外な光景とは?  コロナ禍を経て、日本への入国制限が撤廃されてから2年。日本政府観光局(JNTO)によると、2025年2月の訪日外国人旅行者数は、前年比16.9%増の325万8100人に上りました。こんな話をすると「そりゃ円安だからね」という声が聞こえてきそうですが、実はコトはそんなにシンプルではありません。  とりわけ私のクライアントは誰もが知るグローバル企業のトップやハリウッド関係者、国を代表する富豪一家のメンバーといった超富裕層揃い。たとえ今真逆の円高だったとしても、とるに足らないのは容易に想像がつくし、その気になれば世界中のどこへでも簡単に飛ぶことができます。  そんな彼らが今、名だたる観光地を差し置いて日本を選ぶこと。そして「やっと来られてうれしい」「友人や親戚も、皆が来たがっている」と口々に話すこと。その理由を考えた時、人の温かさ、懐かしい光景、そして秩序だった安全な社会という3つの要素が絡んでいるように思えるのです。 京都を訪れた富裕層ファミリーは 「家のあるもの」に興味津々  京都でプライベート通訳をしていると、お茶や金継ぎ、陶芸などのアクティビティーに同席する機会が多々あります。  そういった体験モノではたいていお寺や京町家の一室などをお借りするのですが、先日某大手証券会社で働く夫婦と10代の子どもたちをお連れした会場は、代々続く老舗商店の京町家でした。  アクティビティーの終了後、お家も見学させてもらうことに。そこで、一家が最も興味を示したのは、趣のある日本庭園でも、歴史を感じさせる茶室でもなく、居間の片隅に控えめに鎮座していた仏壇でした。中でも、年季の入った過去帳(故人の名前や命日が記載されている蛇腹式の手帖)に釘付けで、明らかに体験したアクティビティー以上の前のめり具合だったという(笑)。  宗教的には、私のゲストのほとんどがキリスト教かユダヤ教です。ユダヤ教徒は民族間のコミュニティーを大切にしますし、何よりも富裕層は家族や親族の絆が深い。  仏教徒でありながら八百万の神を敬うという私たちの宗教観は驚きの対象ではあるのですが、先祖を祀り、仏壇という目に見える形で継承する日本人の感覚に、温かみと親近感を覚えるようです。  加えて家という日常の場に、先祖代々の名前が書かれた、古くていわくありげなノートが、さも当然のように保管されている。そんな“日常の中の非日常”が心に響いたのでしょう。手書きの毛筆や、その墨の掠れ具合がZ世代にとってはビジュアル的にも「クール」だという側面もあります。 現金文化はもはやエンタメ 日本はノスタルジーを感じる場所に  仏壇のエピソードに限らず、富裕層の旅行者は日本の日常生活を、私たちとは全く異なるアングルと解像度で見ていると感じることが多々あります。  買い物のシーンを思い浮かべてみてください。昨今、日本でも現金以外の決済の選択肢が増えてきていますが、「CASH ONLY」を掲げる店もまだまだ多い。一方、欧米の先進国では貨幣の廃止論が上がっている国もあるほど、現金を使う機会はほぼ皆無です。  そのため店の店員がお釣りを丁寧に数え、一円の間違いもないよう几帳面に確認しながら手渡しする様は、崇高な儀式のようにも、エンターテイメント的にも感じられるのだといいます。同時に、少し前まで現金を使っていた世代にとっては、懐かしさを誘うのも事実。  もちろんこれは、彼らが日本の現金主義を喜ばしく思っているということでは決してありません。インバウンド客を呼び込みたいならキャッシュレスが必須条件であることは間違いないですし、何事もクイックさを最重要視するので、選択肢がある場合は迷わずクレジットカードのタッチ決済一択です。  でも、どんな品物も欲しいとなったら迷いなくゲットする富裕層にとって、紙幣や硬貨を自ら手にして買い物をするという行為は、母国での生活においては忘れられがちなお金の有り難みを実感させてくれるという、思いもよらぬ副産物も生み出しているようです。  少し前まで訪日観光客にとって日本は最新のテクノロジーを享受する場でもあったのですが、その立場は逆転。昭和ブームが海外旅行者にまで広がっていることにも共通するのですが、良くも悪くもそのレトロさやアナログさが、今の日本の魅力にもなっているのです。  ちなみに硬貨で最も人気があるのは、真ん中に穴が空いた5円玉と50円玉。海外土産に困ったらぜひ。 百貨店での感動ポイントとは? ラッピングが神道の学びとなる  百貨店やショップでしばしば見られるラッピングにも、富裕層が感動するポイントが隠されています。まず、あの箱や商品に四隅をピッタリと添わせて、指先を使って手早く折り目をつける技術はもはやアートとの呼び声が高いです。確かに、思い返せば海外では買ったモノを、時に乱雑に袋に入れて終わりというパターンが多いですよね。  しかし心に残るのは、テクニックの素晴らしさだけではありません。  有名ファッションデザイナーの妻で、自身もプロダクトデザインに携わる女性は、「全ての動作にIntention(意図)があって、Pride(プライド)をもって扱ってくれる。だから日本にはBeauty(美)が溢れている」と話していました。改めて考えるとこれは、茶道や生花などの伝統文化にもピッタリと当てはまります。  こういった場合に私は、全てのものに神が宿るという神道の根本的な考え方を説明するようにしています。すると、有難いけれど謎だった日本人の丁寧さについて点と点が繋がるよう。「私の国にも神道が必要」と口にしたゲストは、実は一人や二人ではありません。 保育園児が秩序のバロメーター!? “治安の良さ”を感じる意外な場面  欧米では小学生以下の子どもの学校への登下校などには家族の同伴が必須です。それゆえ、日本で公共のバスや電車に子どもたちが自分たちだけで乗り降りする姿を目にすると心底驚くとともに、この国がいかに安全か身をもって実感するのです。  保育園児や幼稚園児がおとなしくカートに乗せられて散歩するという、私たちにはお馴染みであろうあの光景も大人気。「日本の子どもは世界一可愛い」とは私のゲストがよく口にする言葉ですが、彼らが魅力を感じる背景には、子どもたちが幼い頃から秩序正しく、ルールを守って行動しているモラルの高さがあるといえるでしょう。  ドラッグストアなどの商店が表に商品を陳列する様子も、驚嘆の的となっています。なぜならアメリカなどの都市部では万引きや窃盗が日常化していて、屋外に商品を出すことは、まずあり得ないからです。  軒先に観葉植物や盆栽などを並べる民家も同様で、「パリだったら一晩のうちに全部なくなる」と、フランス人政治ジャーナリストは言っていました。物騒な事件が増えている昨今ですが、こういった光景が日常的に見られる日本は、彼らにとってまさに理想郷なのです。 (矢吹紘子:ライター・通訳案内士)  

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