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なぜ小室圭さんの動向にざわついてしまうのか 名古屋大河西准教授が語る意外な理由
なぜ小室圭さんの動向にざわついてしまうのか 名古屋大河西准教授が語る意外な理由 小室圭さん  秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さん(30)と結婚した小室圭さん(31)が、3度目の受験をした米・ニューヨーク州の司法試験に合格してから1カ月がたつ。司法試験に晴れて合格して、小室さん・眞子さんの話題は終息していくかと思いきや、なぜ、我々はこの二人の動向にざわついてしまうのだろうか。象徴天皇制に詳しい歴史学者で名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉氏に話を聞いた。 *  *  *  小室圭さんが再試験に挑んだ米・ニューヨーク州の司法試験の合格者の名前がホームページに掲載されたのは、日本時間10月21日の午後のこと。前日には本人に合格の通知が届いたと報じられ、朝の情報番組では「速報・小室圭さんまもなく合格発表」などというテロップを打ち出し報じていた。  3度目の挑戦で合格の第一報には、SNS上で「合格おめでとうございます。国民のほとんどが合否を気にしているというプレッシャーの中の合格はすごい!」などの声が書き込まれた。この合格の吉報のあとも小室圭さん・眞子さんの話題は「定期的」に尽きることがない。このことに、名古屋大学人文学研究科准教授の河西秀哉氏は「皇室のことは世代を問わず国民の誰でもが知っているから」だと分析する。 「人気のアイドルグループは、国民の全員が全員知っているわけではないですよね。アイドルの話は刺さる人には刺さるけど、わからない人には顔も名前も全く分からない。一方で皇室の方々および、小室圭さんのように皇室に関わる人はみんなが知っているから、ヒットしやすいというか、平均点以上の関心を集められるから報道されるのでしょう」  世代を問わない認知度と言えば、たしかに小室圭さんは絶大だ。一方で「ある世代だけにヒットするのではなくまんべんなくヒットするということは、それだけ不特定多数が叩いてくることにもつながる」と河西氏。その一つの要因にあるのはコロナ禍ではないかと推測する。 「コロナ禍で社会が鬱積してしまって、結局、はけ口を探している面もあると思います。今のところ、皇室に対して叩いても訴えてはこない。小室圭さんは皇室の方ではないですが、皇室とつながる方ですよね。世代を問わずみんなが知っている人に不満のはけ口が向き、訴えられないから鬱積しているものが投げかけられているのだと思います」 「海の王子」に選ばれた当時の小室圭さん  一方で、小室圭さんのように「まんべんなくヒットする」人物は叩かれるばかりではないとも河西氏は言う。 「世代を問わずまんべんなくという意味では、若い人たちの中では小室圭さんと眞子さんを擁護した人たちもいた。『なんで好きな人と自由に結婚できないの?』『なんでみんなが小室圭さんとの結婚に文句言うの?』みたいな声もあった。学生たちは普通に言うんですよね。若い世代の人たちからすると『自分たちが思った通りに自由に結婚できないのは一体何なんだ』と思ったようです。そういう意味でも、小室圭さん・眞子さんは関心を呼んだんですよね」  普段、皇室に関心が薄いであろう年代にも刺さった話題であった。また、こうして継続的に話題になる小室圭さんに対し、河西氏は「小室さんに勝手に抱いたイメージ」による部分も大きいと指摘する。 「結局、私たちには皇室に対するイメージみたいなものがある。被災地訪問を繰り返され、ある種の滅私奉公とも言えるようなものを私たちは見てきました。とくに平成の最後のほうは、皇室に対するイメージが純化してしまったところもある。それが、最終的には令和の即位の時の国民の支持にもつながったわけで、そこに、ある意味『ちょっと違う人』が現れた」  たしかに、2017年、ご婚約内定のときには、国際基督教大(ICU)在学時の同級生で法律事務所勤務、さらには湘南の「海の王子」という肩書きも話題になった。思い返せば「ちょっと違う人」ではあった。 「小室圭さんのような方は、実社会には普通にいるんですよね。私も大学で若い世代と普段接していますが、多様な考えを持った人たちはいる。昔より個性が尊重されます。しかし、こと、皇室の方と結婚した人となると、そうではなく、『期待していた分、裏切られた』みたいな感情が生まれてしまうのでしょう。でも、繰り返しますが、これも私たちが皇室に対して抱いた勝手なイメージからくるもの。そのイメージが諸刃の剣となり、小室さんに対しては拒否反応を示す結果になったと思います」  11月30日は小室圭さんの「義理の父」である秋篠宮さまの57歳のお誕生日。誕生日には小室圭さんに関するコメントもあるのではないかと既に報じられている。また「小室圭さん」の話題を目にすることになるだろう。 (AERAdot.編集部・太田裕子)
小室圭さんと眞子さん「渡米1年」 佳子さまイチゴ色の装いは“美智子さま流”公務のはじまり
小室圭さんと眞子さん「渡米1年」 佳子さまイチゴ色の装いは“美智子さま流”公務のはじまり 10月11日、「いちご一会とちぎ国体」閉会式で、皇后杯を手渡す佳子さま  秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚し渡米したのが昨年11月14日。それから1年の間、秋篠宮家を取り巻く状況は変わった。小室圭さんは、3度目の正直でニューヨーク州の司法試験に合格。眞子さんもニューヨークの有名美術館へ「就活」で足を運んだと報じられた。だが、もっとも変わったのは、佳子さまだろう。 *  *  * 「佳子さま、ふっきれたご様子だね」  佳子さまを知る人物は、公務に励む姿を映すテレビ画面を見てそうつぶやいた。  確かに最近の佳子さまは、内親王としてひとつ成長した印象を受ける。公務の場で相手にお辞儀をして歩く所作ひとつ見ても、指先まで意識が及び、優雅さが増している。  佳子さまの公務への覚悟が国民へ広く伝わったのは、イチゴ色の装いが話題になった「いちご一会とちぎ国体」の閉会式の場面だろう。 「ミルキー・ベリー」の装い  10月11日に催された閉会式の装いは、ピンクがかったスカーレットレッドのワンピースと共布(ともぬの)のリボンであしらえた帽子に、同色のイヤリングだった。正確にはワンピースのレース柄と帽子の布と飾りに用いられた意匠は、薔薇の花。しかし、とちぎ国体のキャッチフレーズでもあり名産品の「イチゴ」になぞらえたのは明らかだ。 10月11日、「いちご一会とちぎ国体」閉会式に出席した佳子さま 「国体など大きな式典の場では、帽子を合わせるのがマナー。最近は、帽子をつけずに公務に出席することが多かったのですが、今回は久々に新調なさった服と帽子で臨まれました」(事情を知る人物)  10月末には、同じく栃木県で国体の後に行なわれた全国障害者スポーツ大会の試合を観戦した。佳子さまは、白いスーツに赤い靴とクラッチバッグという装い。栃木県の農業試験場いちご研究所(栃木市)が開発し、2018年1月に「栃木iW1号」として品種登録を申請した、白色のイチゴ「ミルキー・ベリー」を意識した装いだと一部で話題になった。 10月30日、「全国障害者スポーツ大会」で、バレーボールを観戦する佳子さま  全国障害者スポーツ大会は、昭和の時代より上皇ご夫妻が大切にしてきた公務。平成の時代は、皇太子ご夫妻の「七大行啓」としていまの両陛下が引き継ぎ、令和への代替わりとともに皇嗣である秋篠宮ご夫妻の大切な公務となった。佳子さまの装いは、皇嗣家の大切な公務である障害者スポーツ大会の開催県へのメッセージとも受け取れる。  皇室は、言葉だけではなく装いから相手への敬意やメッセージを伝えてきた。佳子さまのとちぎ国体での配慮は、訪問する場所や人に合わせて装いに意味を込めてきた上皇后美智子さまを思い起こさせる。 「皇室を出たい」佳子さま  秋からは、姉の眞子さんより引き継いだ公務や、春日大社(奈良県)の神様を仮殿から本殿に戻す「本殿遷座祭」への参列など、重みのある公務に次々と向き合っている。 「迷いを断ち切ったような表情です」(前出の人物) 10月28日、春日大社の本殿を参拝する佳子さま  佳子さまは大学生の時期などは自身の立場に悩み、「皇室から出たい」と親しい人に漏らしたこともある。ヒゲの殿下として愛された故・寛仁親王の意思表示ように、「皇室会議を経て皇室を出たい」と真剣に考えたこともあったという。姉の眞子さまが結婚して渡米した際も、現地でパパラッチに追いかけまわされる様子を見て、悔しさに涙をにじませたこともあった。  コロナ禍で公務そのものが激減し、実現する公務もリモートが中心になり、国民と皇室の距離が遠くなった時期だった。  その時期、眞子さんもひっそりとニューヨークでの生活を送っていた。入籍直後に、小室圭さんは司法試験の1回目の不合格が判明。今年2月には、2回目の試験も不合格。10月に行われた3度目の挑戦で「合格」が発表されるまで、辛い時期が続いた。  時折、現地でパパラッチされる眞子さんの服装も、黒をはじめとする暗い色のトップスやコートにゆったりしたデニムパンツが多く、現地メディアが「ユニフォーム」と表現するほどであった。 眞子さんの「ユニフォーム」  宮内庁が診断した眞子さまの体調も関係していたのかもしれない。  複雑性PTSDなどの症状を抱える患者を多く診察してきた精神科医の井上智介医師は、こう話す。 「精神状態が不安定な患者さんの中には、服をコーディネートする作業すらしんどい、状態にある方も少なくありません。そうなると、本人は社会に受けられるパターンの組み合わせで選びやすい物を着るようになる。当然、着るものは偏って同じものばかり、となります」  井上医師によれば、人と会ったり会話をしたりするといった対人関係にエネルギーを使うことが辛いと感じる場合、周囲と接触が少ないよう、視線を集めない、目立たない色や格好を選ぶ傾向にあるという。 小室圭さんと眞子さん  そうしたなか、「合格」を勝ち取った小室さんの3回目の試験は、早くも手ごたえをつかんでいたようだ。現地で小室さんを知る人物も、 「試験直後から、小室さんは合格に自信を持っているような印象でした」  小室さんが周囲に見せた自信と呼応するかのように、合格発表前の9月、眞子さんはニューヨークで心機一転、活動を始めている。  「女性自身」は、9月下旬に眞子さんがニューヨークの四大美術館のひとつであるMoMA(ニューヨーク近代美術館)などを、メトロポリタン美術館のスタッフと訪れたと報じた。 赤い装いを選ぶ心理  佳子さまがいきいきとした表情で公務に勤しみ始めたのも、この頃だ。  9月中旬には、眞子さんから名誉総裁を引き継いだ日本工芸会が主催する「日本伝統工芸展」で、明るい表情で説明担当者の話しを聞き、1時間以上滞在。さらに、 「もっと、ゆっくり一点一点、見たいですね」  と、笑顔を見せた。  9月末の「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」の開会式でも、表情豊かに手話でのパフォーマンスを見せている。  赤や深紅、ピンクなど赤系の装いで公務に出席する機会も増えた。 「赤い色は自分を目立たせる色。自信があって注目してもらいたい、という気持ちや、自分は元気だと周囲に伝えたいという深層心理から身に着ける人もいます。服装は、自分がというより人にどう見られたいか、という点から選ぶことも多いものです」(前出の井上医師) 10月11日、「いちご一会とちぎ国体」閉会式に出席した佳子さま  冒頭の人物は、こう話す。 「佳子さまにとって、皇室会議で皇室を出るという方法は現実的ではない。お姉さんのように、結婚によって離脱する道で十分だと、悟ったようです。佳子さまが公務に対して意欲を見せた背景はわかりません。結婚が遠い先ではなくなったために、『あと数年ならば頑張れる』という意味なのか。それとも、政府が検討したように、結婚してもなお『女性皇族』として弟の悠仁さまを支えるという覚悟をお持ちなのか――」  佳子さまは、小室さんについてこうも漏らしたという。 「世間で言われるほど、悪い人じゃない」  秋篠宮家も新しい潮目を迎えそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)
映画「ある男」妻夫木聡×安藤サクラ×窪田正孝 “この作品に出会って生きやすくなった”
映画「ある男」妻夫木聡×安藤サクラ×窪田正孝 “この作品に出会って生きやすくなった” 俳優として自作の評価は気になるところ。妻夫木さんは出演したどの作品も「初見は必ずあまり面白くないと思ってしまう」そう。シビアな見方が自身を成長させるのか(撮影/山本倫子)  平野啓一郎のベストセラー小説『ある男』が映画化された。“ある男”の正体を追う弁護士・城戸を演じた妻夫木聡と亡き夫の身元調査を依頼する里枝を演じた安藤サクラ、“ある男”を演じた窪田正孝が撮影から俳優業まで語り合った。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。 *  *  * ──離婚した里枝(安藤)は子どもを連れて帰った郷里で大祐(窪田)に出会い、再婚する。幸せな家庭を築いていた彼女だったが、ある日、大祐が事故死。葬儀にやってきた大祐の兄は遺影を見て彼が大祐ではないことを告げる。  愛した夫は誰なのか?  里枝は離婚時に世話になった弁護士の城戸(妻夫木)に大祐の身元調査を依頼する。  妻夫木と安藤が共演を果たすのは本作で3度目、窪田が二人と同じ映画に出演するのは初めてだ。脚本を読んだ妻夫木は当初、原作が長編小説だけに、2時間の映画に集約することへの不安があったと言うが……。 妻夫木:原作を読んでいた中で、僕が思い描いていたイメージを良い意味でみなさんが裏切ってくださいました。お二人が演じることによって魂が宿った感じがすごくありました。特に、大祐は勝手に謎めいた役だと感じていたので、窪田君が演じることによって生を得た、というか、実際の生きた大祐を見たという気がしました。里枝という人も安藤さんが演じることで、(愛する夫の正体を知らなかったという経験をしたにせよ)最終的にそれでも生きていくんだと、僕たちも見終わった人たちも納得させられる、説得力を持ったのではないかと思います。 窪田:妻夫木さんと一緒にお芝居するシーンは残念ながらありませんでしたが、お二人と同じ作品に出演させていただいたことが何より嬉しかったです。大祐には「心に傷のある人」というものをすごく感じましたが、それはサクラさんと一緒に演じられたからこそ。里枝もどこか大祐と似ている部分がある。(離婚や子どもとの死別といった)過去を背負っているというのが、実際感じられました。そういう空間の中でお芝居ができるというのは本当にうれしく、「ゾーンに入る」ような経験を何度もしました。里枝が亡くなった子どものことを話しているシーンは本当にその子がいたかのようでした。 妻夫木聡(つまぶき・さとし)/1980年生まれ、福岡県出身。「ウォーターボーイズ」(2001年)で映画初主演。主な映画出演作に「悪人」(10年)、「愚行録」(17年)など(撮影/山本倫子) ■衝撃的なスター性 安藤:ありがとう。彼女が過ごしてきた時間をどう伝えるかというプランはまったくなく、あのシーンは演じてみないとわからないなと思っていたんですよね。窪田君は完全に謎な役だったけど、私は家族として一緒にお芝居を重ねていく中で、とても素直な方なのではないかと推測したんです。私はあまり人を見る目がないのでわからないんですけど(笑)。この映画で私の記憶に残っているのは、笑っている顔はすごく少ないはずなのに大祐の笑顔なの。私は映画を見た時一コマ一コマが印象に残る感じなんですけど、それで言うと、妻夫木さんは最初の飛行機に乗っている姿ですね。衝撃的なスター性にドキッとしました(笑)。 窪田:映画を見た時に、僕は妻夫木さんの背中に実力が表れていると思いました。すごく理不尽な世界の中で生きているという、重さのようなものをずっと感じていたんです。きちんとお会いしてご挨拶ができたのは、僕の撮影の一番最後の日だったと思いますが、妻夫木さんがちょうどインスタを始められた時だったんですよね。僕の写真を撮っていただいて、インスタにあげていただいたのがすごく嬉しかったです(笑)。 ──他のだれかになり代わって人生を歩んでいた男。俳優という職業もまた、だれかになるという意味では通じるところがあるのではないだろうか。 3人には自分とは違う誰かになりたいという欲望はあるのだろうか。 妻夫木:自分ではない誰かになりたいという思いはあるかもしれません。僕は中学生になるもっと前からかな、人間観察がすごく好きなんです。渋谷のスクランブル交差点にずっといたこともあります。でも多分、今は相手が僕を認識していることが多いからそれはできない。みんながやっている普通のことを普通にやってみたらどうなるのか、という思いはあるかもしれません。 窪田正孝(くぼた・まさたか)/1988年生まれ、神奈川県出身。2006年俳優デビュー。主な映画出演作に「ふがいない僕は空を見た」(12年)、「劇場版ラジエーションハウス」(22年)など(撮影/山本倫子) ■人生を面白がれるか 窪田:僕は誰かになりたいと思ったことはないですね。人を観察することはありますが、僕の場合はその人を噛み砕いていいなと思うところやリスペクトするところを自分の一部にしたい。疑似体験をするというイメージですかね? 俳優はアウトプットをし続ける仕事だと思うので、必然的に中身が空っぽになってしまう。僕はそのためにインプットを心がけています。役者は純粋にシンプルに人生を面白がれるかどうかだと思うんですよ。それと役者として仕事をするというのは表裏一体だと思う。私生活が豊かでないと感情が閉ざしていくのではないかと思うので、そこは充実させたいです。 安藤サクラ(あんどう・さくら)/1986年生まれ、東京都出身。奥田瑛二監督作「風の外側」(2007年)で映画デビュー。主な映画出演作に「百円の恋」(14年)、「万引き家族」(18年)など(撮影/山本倫子) 安藤:私は他の人になりたいという欲望があります。例えば、世界一速く走れる人になれるんだったらその能力が欲しいし、何も思わずに涙を流せる人になれるならその能力も欲しい。なんだって興味があります。いろんな人を演じると、考え方を理解できない人の言葉であっても、言ってみたら「そういうことか」と納得したことがすごくたくさんあります。出会う役というのは、誰かといてその人をもっと深く思いやることだと思う。だから得るものが多すぎて、私は現場で誰かを演じることがものすごく自分の人生のインプットになる。逆に、それ以外で私の人生で何をどうしたらいいのかわからないことが多い(笑)。誰かを演じることは、自分の学びになることがすごく多いです。 ──本作に出演して印象に残ったことは何だったのだろうか。 妻夫木:僕はこの作品と出合えたことで楽になりました。どこかで自分とはなんなのかとずっと考えていたような気がするんです。認めたくない自分とか許せない自分とか失敗した自分とか。どこかでそんな自分を排除しようとしていた自分がいるのかもしれませんが、そういう自分さえも認められるようになったというか。そういう自分も自分なのではという感覚をもらいました。だから、いろんなことに対して自由になりましたね。 安藤:この作品をきっかけにグイッと変わったんですか。 平野啓一郎の同名小説を映画化したヒューマンミステリー。11月18日から全国公開 (c)2022「ある男」製作委員会 ■考え方が柔軟になれた 妻夫木:そうだね。この作品をきっかけにやり始めたことがすごく多くて、しかもずっと続いている(笑)。熱しやすく冷めやすいタイプの人間だったのに、いろんなことに対して、考え方が柔軟になれたのかな。僕はこうと決めたらずっとやりたいタイプなんですけど、目標を決めるとやっぱりどんどん自分がしんどくなっていく。そういうものを持たなくなったんだ。おかげで一つの物事に対し、シンプルに自分の純粋な気持ちと付き合えるようになりました。 安藤:実は私もこのくらいの時期からめっちゃ変わったんです。 妻夫木:本当? 安藤:私もこの映画に入った時は、いろんなことをくよくよ考えていた時だったんですが、撮影が終わって以後は、いろんなことを割り切るようになれた。窪田君にすごく相談していたんだよね。その辺から自分がどうすれば生きやすくなるのかわかるようになった。生活も仕事も余計なことを考えないからパフォーマンスが上がるんだって。その節は窪田君、ありがとう。窪田君も変わったよね(笑)。 窪田:お二人の流れからしたら変わりました、ですね(笑)。でも、この作品に出演できてよかったなと純粋に思いました。僕は一映画ファンとして、映画にもっと携わりたいと思っていた時にオファーいただいたんです。ここからが僕の分岐点と勝手に思っているんですが、一番この映画に出て思ったことは、私生活の時間をもっともっと大事にしようということ。僕は以前は休みがあると不安で、私生活を置き去りにしていたんですが、結婚をしたこともあって、私生活の豊かさで心の機微のようなものがどんどん生まれていきました。現場での心のゆとりや居住まいみたいなものなど、視野が狭かったと今は感じます。みなさんと話して改めて思いましたが、本当にこの作品から変わったのかもしれません。人生を変えてくれる映画ですね。 (構成/フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2022年11月21日号
「ぶっ飛んでるぜ!」とLiLiCoも絶賛 異色すぎるグルメホラー公開
「ぶっ飛んでるぜ!」とLiLiCoも絶賛 異色すぎるグルメホラー公開 (c)2022 20th Century Studios. All rights reserved.  11月18日から映画「ザ・メニュー」が日米同時公開される。監督はテレビドラマでゴールデングローブ賞3冠に輝き、今ハリウッドが最も注目する俊英マーク・マイロッド。製作は「マネー・ショート華麗なる大逆転」「ドント・ルック・アップ」のアダム・マッケイ。  世界で最も予約の取れないレストラン「ホーソン」。太平洋岸の孤島にあるこの店への入場チケットを獲得したのは、著名な料理評論家、人気映画俳優、富裕層の熟年夫婦など、選び抜かれたゲストたち。  マーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)とタイラー(ニコラス・ホルト)のカップルもその一組。お目当ては、天才的なセンスとカリスマ性に満ちた伝説のシェフ(レイフ・ファインズ)が振る舞う、極上のメニューの数々。目にも舌にも麗しい料理の数々に涙するタイラーに対し、マーゴが感じたふとした違和感をきっかけに徐々に不穏な雰囲気に。果たして極上のコースメニューにはどんな秘密が隠されているのか? そして超有名シェフの正体とは? 本作に対する映画評論家らの意見は?(★4つで満点) (c)2022 20th Century Studios. All rights reserved. ■渡辺祥子(映画評論家) 評価:★★★★ 孤島の高級レストランという空間の息苦しさの中、喰い意地の張るグルメを皮肉り、腕の良い料理人の傲慢を皮肉って見る者の感情を逆なでする。食べ物を扱う映画としては異色すぎるホラーもので、面白いけど気色は悪い。 ■大場正明(映画評論家) 評価:★★★★ 高級レストランと料理を通して、現代消費社会における格差や労使関係、虚栄、粉飾、強欲などを巧妙かつ痛烈に風刺するブラックコメディ。あの「コックと泥棒、その妻と愛人」に匹敵するような斬新な発想と表現が刺激的。 ■LiLiCo(映画コメンテーター) 評価:★★★★ この作品ぶっ飛んでるぜ! 見終わってから話が止まらない。シェフ狂ってるけど言ってることも一部正論。いろんなお客様いるなぁ。最高! 見終わってからすぐお世話になっているシェフにいつもご馳走様のメールしました。 ■わたなべりんたろう(映画ライター) 評価:★★★ ルイス・ブニュエル作品を思わせる不条理劇。倫理劇でもあるのだろうが、エスカレートしていく過程についていけるかが評価の分かれ目だろう。俳優陣が良いのと美術が素晴らしいので、その点では十分に見応えあり。 (構成/長沢明[+code])※週刊朝日  2022年11月25日号
カミラ夫人が射止めた王妃の座 嫌われ者からの逆転劇の陰にチャールズ3世の献身
カミラ夫人が射止めた王妃の座 嫌われ者からの逆転劇の陰にチャールズ3世の献身 エリザベス女王在位70年を祝う「プラチナ・ジュビリー」のイベントに登場した女王とチャールズ3世、カミラ夫人(6月5日、ロイター/アフロ)  エリザベス女王が残した“遺言”がまさかの大逆転劇を生んだ。チャールズ3世(74)の妻、カミラ夫人(75)が、女王の鶴の一声で王妃の称号を得たのだ。その背景には、ダイアナ元妃の不幸の元凶とされた彼女の努力と夫の支えがあった。 *  *  * 「チャールズ皇太子が国王になるとき、カミラ夫人を王妃にしてほしい」  エリザベス女王が生前語ったこのひと言で、カミラ夫人は女性ロイヤルの最高位に就くことが決まった。ダイアナ元妃がパリで事故死した1997年当時、こんな状況を誰が想像しただろうか。  国民から「まるでおとぎ話のよう」と称賛されたチャールズ3世とダイアナ元妃の結婚。カミラ夫人はそれを破局に導いた“元凶”として嫌われ続けてきた。不倫が発覚した際、通りすがりの人にパンや卵を投げつけられ、女王からは「性悪女」と吐き捨てられた。  ダイアナ元妃は「仮面夫婦」のまま結婚生活を続けることを拒否し、女王に「あなたの息子は不倫している」と直談判した。夫フィリップ殿下の浮気の噂に見て見ぬふりを貫いた女王は、元妃にも同じ振る舞いを求めた。チャールズ3世に訴えても「愛人のいない皇太子にはなりたくない」と開き直られ、カミラ夫人に向かい合うと「あなたは世界中の人から愛され、かわいい2人の息子がいる。これ以上何を望むの」と言い返された。元妃は「私はただ夫の愛情がほしいだけ」と答えたが、一笑に付された。「ロットワイラー(一度食いついたら絶対に離さない大型犬)」とは、元妃が夫人に付けたあだ名だ。  95年、BBCの番組「パノラマ」のインタビューで、ダイアナ元妃は「皆さんの王妃にはなれないが、心の王妃になりたい」と打ち明け、その後わずか2年ほどで36歳の命を散らした。  チャールズ3世はまもなく再婚を望んだが、国民の反発に配慮した女王が止めに入り、2005年にようやく許可した。さらにダイアナ元妃を追慕する国民感情に慮(おもんぱか)り、夫人を「ウェールズ皇太子妃」と名乗らせずコーンウォール公爵夫人にとどめた。息子が玉座を継ぐときも「王妃」ではなく「国王夫人」と名乗ることも約束した。  再婚を果たしたチャールズ3世は夫人の「王妃」格上げ作戦を遂行する。  まずは慈善団体のパトロンに就かせた。母が骨粗鬆症に苦しんだ夫人は、この病気の予防や治療に関心があった。それを知った彼は、英国骨粗鬆症協会の名誉会長に就任させたのだ。ダイアナ元妃の敵をトップに戴くほど協会はおちぶれたのかと国民は非難したが、将来の国王の依頼に反対できるはずもなかった。  その後、夫人は次々にパトロンの数を増やした。DV被害者支援団体に足を運び、読書会を催し、子どもに絵本を読み聞かせするなど、年間200件ほどの公務をこなす。孤独な高齢者に電話をかけて話し相手になる慈善活動は特に好評だ。  さらに夫人をロンドン一のセレブ御用達の美容院に通わせ、いくつかのヘアスタイルを試させた結果、日本でいう「聖子ちゃんカット」に落ち着いた。蜂の針を刺すアピセラピーなどあらゆる美顔術を採り入れた。  カミラ夫人も離婚経験者で、前夫アンドリュー・パーカー・ボウルズ氏との間に2人の子どもと5人の孫がいる。英南西部ウィルトシャーにある夫人の私邸で実子らと過ごすことも許されている。とはいえ夫人は目立つことを注意深く避け、女王と夫の気持ちに沿って暮らした。コロナ禍でロックダウン中は、オンライン会議システムで女王とのたわいないおしゃべりを欠かさず、夫を絶えず褒めて励まし、気持ちを安定させた。  女王は、チャールズ3世の「王妃」への執念と夫人の地味な努力を評価したのだろう。女王の鶴の一声は、国民にくすぶるダイアナ元妃への愛惜とアンチ・カミラの雰囲気を和らげた。王妃となったカミラ夫人の支持率は60%ほどと倍増した。  そんな夫人も王室に入った2人の若い女性には困惑した。キャサリン皇太子妃(40)がウィリアム皇太子(40)と婚約したとき、先輩がアドバイスを与えるとしてランチに誘った。そのとき、夫人が発した「ダイアナ元妃のようになってはいけません」という言葉に、キャサリン皇太子妃が激怒した。元妃のファンだったからだ。夫人は「夫より人気が出たり、目立ってはいけません」と続け、「彼女は思ったより頑固よ」とチャールズ3世に報告している。 チャールズ3世が70歳になったときに公開された家族写真(2018年9月、代表撮影/The Mega Agency/アフロ)  ハリー王子(38)がメーガン妃(41)と結婚する前にも、ランチの席を設けて王室の慣習やマナーを教えようとした。しかし、メーガン妃は全く興味を示さず、「わが道を行く」とばかりに夫人を無視した。  夫人はメーガン妃の妊娠を知ると、「赤ちゃんが赤毛のアフロヘアだったら、さぞ面白いでしょう」と言い放ったとされる。メーガン妃が米テレビ司会者、オプラ・ウィンフリーさんのインタビューを受けた際に、「王室内で人種差別を受けた」と訴えるもとになったといわれる。  ハリー王子が来年1月10日に発売する回顧録『スペア』では、ロイヤルファミリーすべてがターゲットになる。特にカミラ夫人は「母の敵討ち」とばかりに非難されるだろう。一方、兄のウィリアム皇太子は、妻と子どもたちとの幸せな生活のなかに少年時代の悲しみや苦しみを昇華させた。「カミラ王妃は子どもたちのおばあちゃんではない」と一線を引きつつも、「父親を幸せにしてくれる人」と冷静だ。  わずか12歳で最愛の母を亡くしたハリー王子は、夫人を無罪放免にはできないでいる。もっとも、夫人は心配していない。夫は今や国王で、何らかの反撃に出るはずだ。それは王子の子どもたちに称号を授与しない、にはとどまらないだろう。  来年5月6日にはチャールズ3世と共に戴冠する。光り輝く王冠を載せ、バッキンガム宮殿のバルコニーで国民の歓呼の声に応える。ハリー王子の恨み節など、もう届かないはずだ。(ジャーナリスト・多賀幹子)※週刊朝日  2022年11月25日号
「YOASOBI」生んだソニーの「やりたいことを思う存分やらせる」文化 30代の生みの親が明かす舞台裏
「YOASOBI」生んだソニーの「やりたいことを思う存分やらせる」文化 30代の生みの親が明かす舞台裏 人気ユニットYOASOBIの誕生は元気なソニーの象徴だ(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)  ソニーグループが営業利益1兆2023億円(2022年3月期決算)をたたき出した。営業利益1兆円超えは国内製造業ではトヨタ自動車に次ぐ2社目だ。家電の不振から復活した原動力は、そこで働く「ソニーな人たち」だ。短期集中連載の第1回は、人気ユニット「YOASOBI」を生み出した30代の2人。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。(前後編の前編) *  *  *  音楽業界の“文化革命”だ。  3年弱にわたるコロナ禍。  人々の暮らしや働き方が激変する中で、社会現象といわれるほどの爆発的人気ユニットが誕生した。「YOASOBI」だ。  2019年12月にリリースされたYOASOBIの第1弾楽曲「夜に駆ける」は、わずか5カ月でストリーミングサービス再生回数が1千万回を超えた。20年と21年にはNHK紅白歌合戦に出場、21年12月には日本武道館でライブを開催した。現在、同楽曲の累計再生回数は、史上初の8億回を突破している。ソニー・ミュージックエンタテインメントによって、はじめて成し遂げられた快挙である。元気なソニーの象徴そのものといっていい。  ソニーグループ会長兼社長CEO(最高経営責任者)の吉田憲一郎は、YOASOBIが21年2月、初のオンラインワンマンライブを配信した際、「妻と一緒に、ワインを傾けながら楽しみました」と、担当者にメールを送って労をねぎらった。 ■積極的な支援が文化  その担当者とは、ソニー・ミュージックエンタテインメントデジタルコンテンツ本部の屋代陽平(33)だ。YOASOBIの生みの親の一人である。  2012年に大学卒業後、入社し、3年間、iTunesやレコチョクといった音楽配信サイトに曲を売り込む仕事をした後、中長期の戦略を立てるための資料作成の裏方など、経営幹部のサポート業務に従事。そして、「新規事業創出」のミッションを与えられた。  読書好きだった屋代は、小説投稿サイト「monogatary.com(モノガタリードットコム)」を17年に立ち上げた。  小説投稿サイト自体は珍しくないが、いまなお、毎日200~300本が投稿されている。優秀作品を商品化するコンテストも開催されており、最終的な審査をするのは、屋代含む運営チームだ。 屋代陽平(やしろ・ようへい、右):1989年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年YOASOBIプロジェクトを発足/山本秀哉(やまもと・しゅうや):1988年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年からYOASOBIプロジェクトの立ち上げに参画(撮影/写真映像部・東川哲也) 「ウェブサイトの初期投資としてそれなりの費用がかかりますから、事業計画を出す必要がありました。3年後、5年後の展望とかを書いて、それっぽいことをいって、上の方には納得してもらった感じです」  やりたいことを思う存分やらせるのが、「ソニーの法則」だ。「これだ!」というものを持っている人を積極的に支援する。放任に近い。それは、ソニーミュージックの文化でもある。 「小説は、音楽、映像、アニメーションなど、ビジネス展開の大きな可能性を秘めています。現に、ソニーミュージックはその分野の事業を展開していますからね」  4歳から18歳までピアノを習っていた屋代の脳内に、あるアイデアが浮かぶ。小説は、言葉による説明になりがちだ。いっそのこと、小説を生の感覚の音楽にできないか。彼のセンスは並ではない。 ■とがった感性の賜物  YOASOBI誕生には、もう一人の才人を紹介しなければならない。屋代の同期で、ソニー・ミュージックレーベルズ第3レーベルグループエピックレコードジャパンの山本秀哉(34)だ。屋代は、小説の楽曲化の企画を進めるにあたり、山本に一緒にやらないかと声をかけた。彼はいま、YOASOBIのA&R(アーティスト&レパートリー)を務める。  山本は、自分が演奏するより聴くのを好む。それも、なぜその曲が売れているのか、なぜ自分が「いい」と感じる曲が売れないのか、そんな背景を深掘りして考えるのがおもしろいという。入社以来、CDやゲームのパッケージの制作やゲーム会社に販促物や店頭ポップを提案して回る仕事をしていたが、一方で、そんなことをブログに書いて発信していた。  ある日、屋代から「これ、いいよ」という言葉とともに、山本のもとに一本の動画が送られてきた。それが、ウェブ発信を続けていたAyaseの音楽で、彼の発掘につながる。とがった屋代の感性の賜物である。  Ayaseは山口県出身で、地元ではピアノの腕前は神童と称されていた。後日、出演したテレビ番組の「情熱大陸」の中で、「音楽でご飯を食べるなんて夢だと思っていた。初給料で『バイトがやめられる』と思ってめちゃくちゃ嬉しかった」と語っている。  YOASOBIという不思議なユニット名は、彼の発案だ。ボーカロイド(ボカロ=歌声を合成するソフトウェア)プロデューサーを“正規の顔”とすると、新たに始める活動は、いわば“非正規の顔”だ。 AERA 2022年11月21日号より ■時代の波すくい取る  一種の「夜遊び」のようなものではないか。命名の由来だ。近年、一般的なビジネスパーソンにも「兼業」や「副業」が浸透しつつある。YOASOBIのネーミングは、そうした時代の波をすくい取っているのだ。 ボーカルのikuraに目をつけたのも、彼だ。彼女は、シンガー・ソングライターである。 「小説を音楽に組み替えてアウトプットするなど聞いたこともない。物語の主人公はどんな感情を抱いているのか、その人になりきることにしました」  と、ikuraは、あるインタビューで語っている。  チームを組んだ4人は、グループLINEを使って、屋代が「思考停止するくらい」と表現するほど、何時間にもわたって議論を交わし、およそ3カ月かけて原作の星野舞夜作「タナトス(注・ギリシャ神話に登場する死神)の誘惑」の若い男女のストーリーをもとに歌詞をつくり込んでいった。  山本は、次のように振り返る。 「Ayaseには強い思いがあったし、すごい努力をするタイプだから成長する。ikuraもそうですね。YOASOBIが爆発的にワッといったのは、そうした思いや努力や才能が掛け算され、とてつもない熱量が生じたから。それが、僕たちが提供するものにうまくハマった」  昭和世代は、YOASOBIの曲はアップテンポ過ぎて、歌詞がうまく聞き取れない。雑音、騒音……にさえ思える。お手上げだ。  それでも聞いていると、ゲーム、アニメのシーンが頭の中に断片的に浮かんでくる。これが今流の音楽か……。  ♪沈むように溶けてゆくように  二人だけの空が広がる夜に── 「夜に駆ける」は、イントロなしでいきなり始まる。小説の音楽化だから、1番とか2番とかの区切りがない。延々と詞が続く。「明けない夜に落ちてゆく前に」「二人でいよう」「君の為に用意した言葉どれも届かない」──。ikuraの透き通った歌声とテンポの良いリズム。YOASOBIの数々のヒット曲は、魂の叫びとは異なる。時代に抗議するでもない。先を見通せない、生きづらい「今」の時代の若者たちの不安や寂しさ、焦りの中で揺れ動く心情に寄り添う。(文中敬称略)(ジャーナリスト・片山修) ※AERA 2022年11月21日号より抜粋
241年前「天王星」を発見したのは音楽家 作曲と天体観測で睡眠不足も「長生き」だった背景
241年前「天王星」を発見したのは音楽家 作曲と天体観測で睡眠不足も「長生き」だった背景 11月8日の皆既月食。天体観測が趣味でもある筆者・早川智医師が撮影した 『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は、天王星を発見した作曲家ウィリアム・ハーシェルを「診断」する。 *  *  *  11月8日は皆既月食と天王星の星食が重なるという442年ぶりの天文現象があった。この日は本業を早く切り上げて、埼玉の山の中で待機、同好の方々と共に世にも珍しい写真を撮った。この前に皆既月食中の惑星食(土星食)があった1580年というと「本能寺の変」の2年前、日本では織田信長が安土城を築き、英国では処女王エリザベス1世、スペインはフェリペ2世、フランスはアンリ3世の治世である。1580年7月26日の皆既月食中の月が土星を隠す現象は目の良い人は見たかもしれないが現存する観測記録はない。今回の天王星は6等級で望遠鏡でなければ見ることができないが、オランダのハンス・リッペルハイが望遠鏡を発明(正確には特許申請)したのは1608年である。そもそも天王星がウィリアム・ハーシェル(1738-1822)によって発見されたのはその200年後の1781年のことである。 本業は音楽家  今年は奇しくもハーシェルの没後200年にあたる。  彼の名は天王星の発見者のみならず、円盤形銀河系モデルや広範な星雲星団カタログの創始者として広く知られている。しかし天文については、もともとはアマチュアであり、本業は作曲家兼オルガン奏者だった。  フレデリック・ウィリアム・ハーシェル(Sir Frederick William Herschel)は1738年11月15日、ドイツ北部ハノーバーの軍楽隊オーボエ奏者イザーク・ハーシェルと妻アンナ・イルゼの次男として出生し、4歳のときからバイオリンの英才教育を受けた。父同様にオーボエを好み、15歳でギムナジウムを退学してオーボエ奏者として軍楽隊に入り、軍用で1755年、英国に渡る。当時、ハノーバー公国と英国は同君連合の関係にあり、人々の交流は盛んだった。ドイツ出身で英国籍を取得し、国民的作曲家となったヘンデルが彼の理想だったのだろう。 11月8日の天王星食。天体観測が趣味でもある筆者・早川智医師が撮影した  その後、1756年に除隊。当初は写譜で糊口をしのいでいたが、1760年にはダーラム(イングランド北東部)の管弦楽団の指揮者兼作曲家に。1766年、伝統あるバース(イングランド南西部)にあるオクタゴンチャペルのオルガニストに就任し、1770年までの10年間、多数のシンフォニーや協奏曲、 オルガンソナタ、室内楽ソナタを作曲した。  1772年には故郷ハノーバーに錦を飾り、妹カロリーネをソプラノ歌手として英国に伴う。妹は音楽活動もさることながら天体観測助手を務め、さらに彼女自身が多くの星雲星団や二重星を発見した。  1781年3月13日、ハーシェルは土星の外軌道にある天王星を発見した(彼自身はハノーバー出身の英国王に敬意を表して、ジョージの星<Georgium Sidus>と命名したが、後にベルリンの天文学者ヨハン・ボーデが命名したUranusが学界で承認された)。この功績により王立学会から表彰されて正会員となり、国王ジョージ3世に気に入られ、ロンドンで幼い王子王女に惑星を自作の望遠鏡で見せる王室付天文学者に任じられた。彼はその後も、王室付天文学者の地位に甘んじることなく、多数の二重星の観測データからニュートン力学が太陽系外の恒星の間でも作用する普遍的な原理であることを証明した。 最大口径の望遠鏡自作  あわせて、音楽活動も続けていた。  演奏される機会は少ないが、ハーシェルの音楽は後期バロックから初期古典派の典型的な作風で彼自身が創始した目新しいものはなく、変奏のパターン化や展開部の不足など作曲技法のぎごちなさもあった。しかし、それを補って余りあるメロディーラインの美しさや明快な構成が聞き手に心地よい印象を与える。同郷の先輩であるヘンデルや同時代のモーツァルト、ハイドンには及ばないにせよ、サリエリやシュターミッツなど他の前古典派作曲家の作品に、決して引けをとらないように思われる。  本業になった天体観測も天体望遠鏡作りも、作曲も、神によって創造された神秘的かつ数学的に明快な世界を解明するという彼の一生を通しての目的とは、なんら矛盾がなかったに違いない。ただ、有名となったハーシェルが王室付の天文学者、王立天文学会の初代会長としての活動が忙しくなり、作曲活動をやめてしまったことは大変に残念である。 ウィリアム・ハーシェル(gettyimages)  1786年、ハーシェルはウィンザー近郊スラウのクレーホールに移住した。この地で当時としては英国最大の口径48インチ(122センチ)の40フィート望遠鏡を自作し、さらに遠くの淡い星雲や惑星の観測をはじめた。この望遠鏡で1789年、土星の6番目と7番目の衛星「エンケラドス」と「ミマス」を発見したとされる。ただ、この望遠鏡は大きすぎて自動装置のない当時としては制御が難しかったらしく、天王星の衛星「チタニア」と「オベロン」や大部分の暗い接近重星の観測は愛用の20フィート望遠鏡で成し遂げたという。  ハーシェルは1788年にメアリー・ピットと結婚し、4年後に一子ジョン・フレデリック・ウィリアム・ハーシェルをもうける。十分な教育が受けられず独学で天文学を極めたハーシェルは、息子のジョンに大きな期待をかけた。その期待に違わず、ジョンはケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジを首席で卒業し、科学者になった。  彼は銀板写真術で有名だが、天文学でもケープタウンに大望遠鏡を建設し、高齢の父が果たせなかった南天の星々の観測を行い、多数の星雲星団を記載して父のカタログを完成させた。ハーシェルは晩年にナイトに叙せられるが、ジョンも王立天文学会会長を務め、彼の代でハーシェル家は従男爵に叙せられた。 健康な老年時代  ハーシェルは、青壮年期には昼と宵は音楽活動、夜は天体観測。有名になってからは、昼間は宮廷に伺候した後に天文学会や王立学会の仕事をこなし、晴れた夜は天体観測、曇った夜は執筆活動と、まさに慢性的な睡眠不足だった。だが、大きな病気をすることもなく、当時としては長寿の83歳まで健康に生きることができた。1792年スラウの自宅兼天文台には英国訪問中のハイドンが訪れ、親しく歓談した。そのときの英国滞在日記には、ハーシェルはたとえ来客中でも、晴れてさえいればいかに寒くても毎晩、数時間を観測に費やしていることが記されている。 11月8日、天体観測が趣味でもある筆者・早川智医師が撮影した  ハーシェルは亡くなる2、3年前まで精力的な観測を続け、1819年には詳細な彗星の観測記録を残している。しかし、その後はさすがに観測記録が少なくなり、1822年の死因は老衰といわれている。息子ジョンも健康に恵まれ79歳の天寿を全うした。さらにハーシェルの妹カロリーネは97歳まで長命している。家系的に長生きだったのかもしれないが、貴族になっても上流階級との華美な付き合いを避けて粗食に甘んじ(ふつうの英国料理かもしれないが)、真面目で規則正しい生活を送ったことも関係あるだろう。もちろん深酒すると天体観測はできないので、禁酒または節酒のはずである。  実は、アイザック・ニュートン、エドモンド・ハレーなど近代天文学の夜明けに貢献した学者に長生きは多い。またチャールズ・ダーウィンなど生物学の父たちも長生きしている。18~19世紀の英国紳士階級出身の彼らにとって立身出生競争や金儲けに追われず、趣味そのものであった大好きな学問と田舎の暮らしで人生を楽しむのが、長生きの秘訣だったのではあるまいか。 ◯早川 智(はやかわ・さとし)1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。83年日本大学医学部卒、87年同大大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など。趣味は天体観測。 ※AERAオンライン限定記事
女だからと押し付けられることには「なめんなよ!」 枝元なほみがキッチンから見た社会問題とは
女だからと押し付けられることには「なめんなよ!」 枝元なほみがキッチンから見た社会問題とは 「食べる」と「生きる」はつながっている。人が笑っている顔を見たいから、枝元はキッチンに立つ(撮影/植田真紗美)  料理研究家、枝元なほみ。捨てられる食べ物がある一方で、今日の食事に困る人がいる。「夜のパン屋さん」は、そんなねじれを解消する取り組みだ。売れ残ったパンを集め、ビッグイシューの販売員が販売する。この「夜パン」の発起人が、枝元だ。台所から見えてきたのは、フードロスや農業、貧困などの社会問題。女性に押し付けられる理不尽さをかわしながら、未来をつくりだす。 *  *  *  真っ赤に熟れたトマト、みずみずしいキュウリやナスと、旬の野菜で彩られたサラダやマリネ。カリッと揚げたてのカボチャ、フライパンで炒めた空心菜には生ハムとチーズの欠片を入れたオリーブオイルを隠し味に。キッチンに立つ枝元(えだもと)なほみ(67)は「今日はB品の集いなの」とほほ笑む。  8月末、東京都港区のマンションを訪ねると、枝元は手料理でもてなしてくれた。知り合いの農家から取り寄せたのは、形や色が不揃(ふぞろ)いで「B品(規格外)」とされる野菜だが、滋味あふれる格別の味。枝元は無農薬栽培で手をかけて作る生産者に思いをはせる。「本当においしいものを食べると、力をもらう感じだよね」と。  料理の世界では「エダモン」と親しまれ、テレビや雑誌で活躍。その活動は「料理の人」にとどまらない。「チームむかご」を立ち上げて、流通にのらずに捨てられてしまう食材を広める取り組みをする。近年はNPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表を務め、生活に困窮した人たちがパン屋で売り切れなかったパンを販売する「夜のパン屋さん」をスタート。今年10月には、キッチンから食べ物と向き合う視点でフードロスを考える『捨てない未来』を上梓(じょうし)した。 「フードロスとは、そもそも社会システムの問題なのに、家庭やキッチンにいる女に押しつけられるのはおかしい。男たちは知らん顔しているけれど、『なめんなよ!』と思う」と枝元の鼻息は荒い。  日本の農業の未来を憂い、貧困問題にも熱いまなざしを注ぐ「エダモン」。ふんわり柔らかな物腰に潜むパワーはどこから生まれているのだろう。  枝元なほみの「なほみ」は、本名「菜穂美」だが、姓名判断を調べて、ひらがなにしたという。 「漢字で書くと、『内助の功を尽くす良妻賢母』タイプ。ひらがなで書くと、『淫乱のパッパラパー』。どっちが楽しいかといったら、淫乱のパッパラパーでしょう。内助の功なんて絶対あり得ないもの」 神楽坂の「かもめブックス」の軒先で週3日開く「夜のパン屋さん」。自家製天然酵母にこだわったパンや人気の総菜パンが並び、仕事帰りや犬の散歩中に立ち寄る人たちがお目当てのパンを買っていく(撮影/植田真紗美) ■ヒッピーに憧れた高校時代 劇団に入ると賄いの担当に  父はサラリーマン、母は小学校教員という横浜の中流家庭で長女として育ち、幼い頃から超マイペースな少女だった。小学校では授業中に「宇宙の果てはどこか」などと考え、自分がどこにいるか忘れてしまうこともしきり。将来の夢もぼんやりしていたが、高校の教師に「おまえ、家政科へ行けよ」と勧められたときはひどくムカついた。 「女だから台所にいて、家族の食事を作ることを押しつけられるのなんて、鼻で笑っちゃうよと」  高校の頃からレッド・ツェッペリンが好きで、ロック喫茶に入り浸る“ハードロック少女”だった。ヒッピーカルチャーに憧れ、サリンジャーにも傾倒した。明治大学の英米文学科へ進学。19歳のとき、書き置きをして実家を飛び出した。 「一人暮らしの『清貧』に憧れて、まずは学生寮の友だちの部屋へ転がりこんで。そしたらバイトに行く電車賃もないくらい貧乏になっちゃった」  インスタントラーメンばかり食べていたら、友だちが見かねて牛肉のカレーを作ってくれた。大鍋にゴロゴロとお肉が入り、がんがん食べたら、夜中に鼻血が出たことも。やがて東京・阿佐谷の4畳半一間のアパートへ移ると、台所には鍋一つ。友だちにもらった素麺(そうめん)を茹(ゆ)でたり炒めたりと工夫を凝らす。さすがに飽きてスーパーで試食販売のバイトをしたら、素麺の担当でへこんだ。  大学3年のとき同級生のバンドマンの彼と東京・国立で暮らし始めた。当時、大学は学園紛争でロックアウト。枝元は友人に誘われ、学内の劇団へ入る。卒業後も就職せず、国立の長屋住まいは売れないミュージシャンや役者のたまり場に。「何を作っても『すげえ、うまい!』と喜んでくれる。お金がない食卓も面白かった」と懐かしむ。  あるとき現代音楽のパフォーマンスで、詩人の伊藤比呂美(ひろみ)と出会った。伊藤は枝元をこう顧みる。 「まともじゃなかったですよ。恰好(かっこう)も普通じゃなかったし、表情もしゃべり方も声もたぷたぷして、要領をえなくて、なかなか先に進まない。私たちの世代はヒッピーくずれなのにそれをまんまやっているのはすごいなと。でも、気が合ったんです」  伊藤に誘われ、「転形劇場」を観たのは26歳の頃。主宰の太田省吾の作品「水の駅」は、旅姿の役者が舞台上をゆっくり歩き、水道からつーっと垂れる水と関わり、またゆっくり去っていくという沈黙劇。人の生死や反戦の思いを表現する芝居に惹(ひ)かれ、大杉漣(れん)らがいる劇団の研究生になった。 台所で「捨てない」工夫も楽しんでいる。野菜はピクルスや浅漬けに、フレッシュハーブやだしをとった昆布は冷凍保存し、柑橘の皮は砂糖で煮てピール作りを。ベランダでは生ごみコンポストも実践中(撮影/植田真紗美) 「でも、私だけどんくさくて、『一人ママさんバレー』みたい(笑)。太田さんにはいつも、『おまえ、そのスカートは児童劇団?』といわれていて」  公演前やイベントのときは賄いを務め、団員や何百人ものお客さんに出す料理を作る。二升釜で「飯炊き」に励み、大根入りのカレーや鶏手羽先カレーなど、お金のかからない料理を工夫した。 ■家庭的に見えるが 価値観を壊すような料理  枝元の料理は、誰に習うことなく自分で考えた創作メニュー。腕が鍛えられたのは、中野の無国籍料理店「カルマ」でのアルバイトだ。店主はレモングラスや香菜など当時珍しかった食材やスパイスを仕入れ、好きなように料理していいという。 「値段につり合うものを作らなくちゃと思い、味やボリューム、見た目もすごく考える。お客さんに納得してもらえるよう切磋琢磨(せっさたくま)していました」  転機が訪れたのは32歳のとき。いきなり劇団の解散を知らされた。同居人の彼も「中国へ行く」と旅立ち、連絡が途絶える。数カ月後、帰国した時には心も冷め、枝元は彼と暮らした家を出た。 「劇団はなくなる、男はいなくなる、住むところもなくなった。普通なら結婚して、子どももいるような年頃なのに何にもなくなっちゃって……」  そんな枝元に友だちが料理のアシスタントの仕事を紹介してくれた。その後、「女性セブン」で初めて料理を作る仕事をもらう。4ページで30品のおかずを紹介する、料理研究家の登竜門のようなページだ。最初の頃はカメラマンに「先生はどなた?」と聞かれ、「(大学の)亀山ゼミです」と大ボケをかましたことも。料理界では著名な先生についたり、料理学校を出たりしている人が主流だったが、経験はなくとも枝元には確信があった。 「芝居を10年続けてもお金にならないし、役につけるかどうかもわからなかった。人生全般の下積みはあったから、何とかやっていけるだろうと」  仲間とつくっていく芝居の現場で培われたプロ魂があり、観客に喜んでほしいという思いは、自分の料理を見てくれる読者への目線につながる。 「母が教員だったので、急いで仕事から帰って家族のためにご飯を作る後ろ姿が浮かぶ。働く女性たちに向けてという思いはすごくありましたね」  主婦向けの雑誌や料理番組で活躍し、「エダモン」ファンが増えていく。多忙を極めていた40代の頃、枝元は伊藤比呂美とFAXのやりとりをしていた。独身で料理の仕事に追われる枝元と、詩人で主婦の伊藤。「何、食べた?」と、日々の食事を延々としゃべっていた。 「料理の話をしていると、すごく深くなるんですよ。彼女は本当に無国籍な人。文化人類学者と話している感じがするんですね。枝元の料理は一見平和に家庭的ですが、全然違う。むしろ家庭の持っている価値観をぶち壊すような脅威がある。日本の文化の中におさまらず、違うところで常に何か取っかかりを探していると思います」(伊藤) ■日本の農業の問題を見て 「チームむかご」を発足  40代に入り、枝元が初めて師事したのは料理研究家の阿部なをだ。明治生まれの阿部は青森出身の人形作家で、離婚を経て料理の道へ。みちのく料理の「北畔(ほくはん)」を営み、旬の食材を生かした心尽くしの料理をふるまっていた。「台所は女が一人でいられる場所」という凛とした生き方に憧れ、料理をする姿勢や食材との向き合い方を教えられた。  仕事の現場では全力投球。だが、食材の流行や時短テクなど時流のスタイルがあり、メディアが求めるものに応え続けることで消耗していく自分もいた。料理の仕事では食材の産地に招かれる機会も増えていく。生産者の声を聞くと、農業収入が安定しない現状があり、後継者不足も深刻だ。このままでは日本の農業がダメになると危惧した。 「生産者は『きれいな野菜じゃないと買ってもらえない』と言い、消費者は『見かけは悪くてもおいしくて安全なものを食べたい』と言う。生産者と消費者の関係がねじれていると思ったの。その真ん中にいる私にできることはないかと考えたとき、捨てられているむかごを思い出したんです」  むかご(山芋の葉の付け根につく球芽)は栄養があり、塩茹ですると美味(おい)しいが、売れないからと廃棄されていた。もったいないと思った枝元はそれを販売できないかと考える。捨てるものがお金になれば「希望の種」になるんじゃないかと。  その話をすると「よしわかった。何か力になれれば」と聞いてくれたのが、農畜産物流通コンサルタントの山本謙治だ。山本は北海道の山芋の一大産地へ枝元を連れて行くが、生産者は「人手が足りない」と冷ややかだった。それでも他の産地を訪ね、無農薬栽培の農家と懇意になっていく。新幹線で畑へむかごをとりに行き、洗って干して袋詰めし、マルシェで販売しても1袋200円。「どれだけ老後資金を注ぎ込んだか」と苦笑する。 「彼女はピュアでまっとうにぶつかっていく人。困っている人がいれば、ひと肌脱がないと気がすまない。料理研究家という枠だけにおさまらないアクティビストなのだと思います」(山本) (文中敬称略) (文・歌代幸子)※AERA 2022年11月14日号
生放送中にメモしたくなる店! オーダーメイド練り切りの精度がすごすぎる
生放送中にメモしたくなる店! オーダーメイド練り切りの精度がすごすぎる 山田美保子・放送作家、コラムニスト  放送作家でコラムニストの山田美保子氏が楽屋の流行(はや)りモノを紹介する。今回は、『大黒屋製菓舗』の「オーダーメイド練り切り」を取り上げる。 *  *  * 「ちょっと、これ、メモしていいですか?」  とは、生放送の情報番組に出演しているコメンテーターが時折、口にすること。余白にメモしたQシートを握りしめ、担当ディレクターを捕まえて、どうやってコンタクトをとればスムーズなのかを聞くのである。  10月12日、メ~テレの『ドデスカ!』に出演していたスピードワゴンの井戸田潤さんと私は、まさにそんな状態だった。「東海3県のマチの魅力を再発見!」をコンセプトに月~木曜の4日連続で同じエリアのクイズを出題する「いいね!わがマチQ」が同日、取り上げたのは、1804年創業、愛知県東浦町にある『大黒屋製菓舗』。8代目主人、久米寛則さんは、代々続く酒元饅頭や金粉入りの於大羊羹などの和菓子だけでなく、5年前からオーダーメイドの練り切りを200点以上、作ってきたそうだ。  クイズは、これまでの注文の中で主人の久米さんが一番驚いたオーダーメイド練り切りは何かで、答えは「チキン」だった。これがクリスマスの食卓に出てくるような見事さで、井戸田さんも私も「食品サンプルよりよく出来ている」と同じ感想を抱いたほどである。 愛知県で文化元年創業の200年以上続く老舗和菓子店。自家製、国産北海道小豆100%の餡にこだわり地元に根づいた商品、季節感と話題性にとんだ菓子を製造販売している。写真の「オーダーメイド練り切り」は、写真や似顔絵を元に、ペットや顔をかたどった練り切りを、職人さんがソックリかつ美しく作ってくれる。結婚式や新生児誕生の際のお祝いなどおめでたい席の引き出物に大人気だ。価格:1個1050円(税込み)~(要相談)。問い合わせ:大黒屋製菓舗 営業時間9:30~17:30、定休日・月曜日住所:愛知県東浦町緒川屋敷3区44-2  さらにスタジオには「ハンバーグ師匠」にちなんで、ハンバーグと井戸田さんの似顔の練り切りが登場。これまた素晴らしい出来で、井戸田さんはコーナーを仕切る小松崎花菜アナから試食を勧められるも「写真を撮ってからにしたい」「食べたくない」と拒み続けた。そのまま持ち帰って、新妻・蜂谷晏海さんに見せたかったに違いない。  実は私もオンエア後、我が家の愛犬3匹にソックリな練り切りをいただいた。私のブログの画像を見て作ってくださったのだが、思わず撫でたくなったし、8年前、虹の橋を渡っていった“長女犬”の顔と瓜二つだったため楽屋で号泣してしまった。私が愛してやまない、メ~テレのキャラクター、ウルフィの練り切りも、ソックリだった。  感動したのは私たちだけではなかったようで、『大黒屋製菓舗』のホームページへのアクセスが数十件から1000件を超えたとか。井戸田さんは、「何かまた、注文したい」と。今後もし、結婚披露宴をなさるなら、ウェディングケーキや、引き菓子にするのもいい。楽屋から飛び出した流行りモノとなりそうだ。 山田美保子(やまだ・みほこ)/1957年生まれ。放送作家。コラムニスト。「踊る!さんま御殿!!」などテレビ番組の構成や雑誌の連載多数。TBS系「サンデー・ジャポン」などのコメンテーターやマーケティングアドバイザーも務める※週刊朝日  2022年11月18日号
白髪を隠す派? 染めないで見せる派? グレイヘア芸能人1位は
白髪を隠す派? 染めないで見せる派? グレイヘア芸能人1位は おおたわ史絵さん(本人提供)  年齢を重ねれば、白髪が増えたり、髪のつやがなくなったりするのは自然なこと。とはいえ、何もせずに放っておけばいいというわけではない。染める、色を抜く、白髪で魅了する。芸能人のように、とはいかないまでも、参考にはしたい。あなたはどう楽しむ? *  *  *  テレビのコメンテーターなどで活躍する医師のおおたわ史絵さんの髪はつややかだ。うなずくたびに、ふわりと揺れる軽やかなヘアスタイル。白髪は見えない。思わず「触ってもいいですか」と言いそうになるほど。  50代でなぜ、こんなにキレイなのかと聞いてみると……。 「コロナ禍で巣ごもり生活を始めたころ、友人から『ヘナ』を教えてもらいました。ヘナを使うようになって、切れ毛も抜け毛もうねりも減っただけでなく、髪につやが出るようになって、半年もすると天使の輪が出てきました。もともとは丈夫な髪質だったので、戻った感じです。小学生のころの髪みたいですよ」  ヘナは、自然素材の白髪染めとなる植物のこと。粉状になっているものを湯で溶いて髪に塗る。いわゆるハーブパックだ。カラー染めではないが、塗れば髪色は明るく変化する。  結果、おおたわさんの白髪は見えなくなった。それまでは、カラーリング派だった。ただ、髪が先細ったり、うねったり。それも加齢のせいだと諦めていたという。 「カラーリングのしすぎだったんですね」  40代で化粧をやめ、50代でカラー剤をやめた。今は10日に1回、自宅でヘナ染めをしており、経済的にも安くすむ。 「キレイになろうと、良かれと思ってやっていた数々のことで、肌や髪を傷めてしまっていました。ヘナで白髪染めに対する意識が変わりました。“キレイ”にお金はかかりません」  リクルートが行った「白髪・グレイヘアに関する意識調査2022」によると、白髪が気になりだした平均年齢は男性37.1歳、女性40.4歳。白髪染めを始めた平均年齢は、男性が39.8歳、女性は42.6歳。  専門のサロンなどで染める人もいれば、今は自宅でできる白髪染め商品も多くの種類が出ており、手軽にできる。 「自分が使いたい」をコンセプトに自ら化粧品を開発、販売しているジュエルジャパン代表で美容家の前田眞里さん(64)は、ヘアマニキュアからカラートリートメントまで使ってきたという。 「ヘアマニキュアは、髪が傷みにくく、地肌への刺激が気になる方にはお勧めです。髪の表面をコーティングするため、つやが出るのもメリットの一つです。自宅でできる商品もありますが、マニキュアが地肌に付くと取れにくく、面倒な準備や後片付けを考えると、サロンでお願いしたほうが気軽です」  一方、カラートリートメントについては、 「家でできる手軽さと、コストの低さが魅力です。以前に比べて最近の製品はしっかり染まるものも増えてきた印象で、各メーカーがこぞって新製品を出しています。種類も、一度でしっかり染まるもの、こまめに足してだんだん染まるものなど数十種類も発売され、ヘアケアの定番商品になってきた印象です。いろいろ試して色や染まり具合など、ご自分に合ったものを見つけると良いと思います」  前田さん自身は、 「マニキュアもトリートメントも髪を明るくはできないため、私の場合は2~3カ月に一度、サロンで根元の色をヘアカラーで明るく、その間にカラートリートメントで白髪隠しをするという使い分けをしています」  とのこと。 「ブリーチをしたこともありますが、中高年がやると、若い人と違ってつや感が出にくいように思います。ぱさぱさしたブリーチヘアは老けて見えます。ブリーチをするにはトリートメントやオイルでのしっかりとした保湿が必須です」  ブリーチ剤は、髪の毛のメラニン色素を抜く脱色剤だ。髪へのダメージは大きいが、金髪など明るい色に染めたいときに組み合わせるケースが多い。  お笑いコンビ「ダウンタウン」の浜田雅功さんの妻で、タレントの小川菜摘さん(59)もバッサリ髪を切り、インナーカラーにカーキのブリーチを入れたことをブログで明かしたこともある。 近藤サトさん  好きな方法で好きな色に髪を変え、その変化を楽しむ。そうすることで、外見だけでなく内面の若々しさもキープできるのだろう。 「たとえば、色合いの強い髪色にした場合、派手な化粧やユニークな眼鏡、ファッションをマッチさせると、より『魅せられる』と思います。逆に地味な格好に金髪だったりするとちょっとマッチしません。自分の顔立ちや肌の色、髪質なども考えて、トータルで髪色を決めるのも良いと思います」(前出の前田さん)  一方、染めない自分を「見せた」人もいる。 草笛光子さん  アナウンサーの近藤サトさん(54)は40代で白髪染めをやめ、白髪の姿を公開した。「グレイヘア」と表現し、多くのメディアでも取り上げられた。前出のリクルート調査で、「グレイヘアがすてきだと思う芸能人」の女性1位に近藤サトさんが挙げられている。ちなみに、2位は草笛光子さん(89)、3位は中尾ミエさん(76)。 中尾ミエさん  中尾ミエさんが3人のグレイヘア仲間とともに立ち上げたのが、チャリティー団体「チーム ソルトン セサミ(胡麻塩頭の会)」だ。 「女性の大切な髪を自然のままに、白髪染めをしない女性」という生き方をグレイヘアの4人が見せている。 手塚理美さん(@tezuka_satomiインスタグラムから)  女優の手塚理美さん(61)も、かつては黒髪サラサラのロングヘアがトレードマークだったが、今はベリーショートのグレイヘア。  これまで手塚さんの白髪染めをしていたヘッドスパ「CASPA」(東京都目黒区)のヘアケアリスト小原望美さんはこう話す。 「ちょうど短くカットされたタイミングでのグレイヘアへの変身。優雅な手塚さんの魅力が出ています。髪の色も髪形も、自分の生き方を見せる大切なツールなんです。誰からどう見られるか、よりも、自分がどうなりたいか、どう見せたいのか。大切なことは身なりをキレイにしておくことです。髪のお手入れもしっかりされている方は美しい。『超高齢社会』で、そんな強さと美しさを持った女性が増えていくことは素晴らしいですよね」  白髪があるからといって後ろ向きになることはない。手入れをして、見せ方次第でいくらでも美しさは保てるようだ。(本誌・大崎百紀)※週刊朝日  2022年11月18日号
天龍さんが語る“近況報告” プロレス観戦に競馬、リハビリと入院生活も暇じゃない
天龍さんが語る“近況報告” プロレス観戦に競馬、リハビリと入院生活も暇じゃない 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)  9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、今は入院してリハビリ中だ。この連載も少し休んでいたが、頭は元気なのに、思うに任せぬ自分のからだにずっともどかしい気持ちでいるよ。 ただ、俺が入院している間、9月に妻のまき代が綴った『天龍源一郎の女房』(ワニブックス)、11月に俺がこれまでに戦った強敵との思い出を振り返る『俺が戦った 真に強かった男』(青春出版社)という2冊の書籍も発売されたから、読んでくれている人もいるんじゃないか!? どちらも“プロレスラー・天龍源一郎”の歴史と魅力がたっぷり詰まっている本になったと自惚れている(笑)。  俺は今、試合会場には行けないけど、天龍プロジェクトでは代表で娘の紋奈が先頭に立って大会を開催している。なかなか会場に行けないのが歯がゆいが、出場しているレスラーは俺が見ていなくても、お客さんを満足させる試合をしてくれていると信じている!  俺は若い頃は相撲で部屋の揉め事とか、いろんなことがあってプロレスに転向したから、勝敗よりも、お客さんに満足して帰ってほしい。そんな、他のレスラーたちとは違う感覚が芽生えたんだよね。  もちろん、相撲を幕内でやめてきたから「プロレスでへこたれるもんか、トップになってやる」という思いもあったけど、それよりもお客さんに「面白かった!」という気持ちを持ってかえってほしいという意地があったんだ。  そんな気持ちは紋奈にもしっかり遺伝したようで、10月9日には天龍プロジェクト再始動後初となる後楽園大会を開催した。勝手ながら、ここまで俺を支え、WARや天龍プロジェクトでも関わってきてくれた選手や関係者を集めて、女房のまき代の追悼的な興行もやったんだ。  俺自身が不在の中、新日本プロレスの石井智宏や、レッドシューズ海野、ウルティモ・ドラゴン、ドン・フジイ、望月成晃たち懐かしいメンツに天プロらしいはちゃめちゃなラインナップで、寄せ集めだけど「天龍プロジェクトここにあり!」を見せつけてくれたなと自負しているよ。 6月24日に亡くなられた妻・まき代さんの写真と親子3ショット(公式インスタグラム@tenryu_genichiroより)【大会情報】第二回 「龍魂杯」/11月13日(日) OPEN17:30/18:00GONG/会場:新木場1stRING (東京都江東区新木場1-6-24)【チケット料金】(金額は前売りチケット+当日券は500円UP)特別リングサイド…6,500円(1列目、2列目)※天龍プロジェクトショップは1列目完売/指定席…5,500円(南側ひな壇)天龍project…https://www.tenryuproject.jp/product/531  そのときにも会場に来ているお客さんには映像として見せたんだけど、今は頭蓋骨にボルトを入れて外側から首の神経を支えるハローベストというものを装着して生活をしている。「そんな姿まで見せて……」と思う人もいるかもしれないけど、俺にとっては楽ちゃん(三遊亭円楽)が往って、アントニオ猪木さんが旅立たれたときだったから、残されたものは「生きているんだ」ってことを伝える役目があると思ったんだよね。  それと同時に、俺のこんな姿をさらけ出すことで「生き抜いていかなきゃいけない」と、自分自身を鼓舞することにもなったと思うんだよ。  あとは、俺はプロレスを続けてきて、この年になってこんなことになったけど、今リングに上がっている選手たちも「こんなに大きなリスクを背負っているんだよ」ってことを理解してほしかった。きらびやかな世界だけど、いつも死やケガと隣り合わせだし、選手たちはそんなことはつゆほども考えちゃいないと思うけど……でも、確かにあるリスクなんだよ。  今俺は、上下左右全く首は動かせないし、頭蓋骨に直接ボルトを入れて支えているから外したくても外すこともできない。肉体も精神もダメージが大きいなと感じる日々だよ。それでも、新聞を読んだり、まき代や、俺の新刊を読んだり、競馬をしたり、相撲を見たりして何とか自分を奮い立たせているというのが正直なところだよね。 「もう何もかもどうにでもなれ!」って投げ出したくなるけど、娘の紋奈が一人奮闘している姿や、「こんなとき、まき代だったらどうするかな」と思ったり、甲斐甲斐しく世話をしてくれる看護師や医師の皆さん、そして選手やスタッフ、ファンのことを思うとここで、俺がくじけるわけにはいかないなと踏みとどまっているって感じだね。  それと、このAERA.dotもそうだけど、連載の取材はしゃべることで成り立つから、仕事としてこなせるし、今の閉鎖的な生活に刺激を与えてくれるからとってもありがたいよね。「最近のプロレス界はどうよ?」とか、昔話をしながら楽しんでいる。ただ、病院にいるとすっかり口数も減っちゃうから、最近もっと活舌が悪くなった気がするよ。こりゃまた仕事が増えるな!?(笑)  11月12日と13日、天龍プロジェクトの「龍魂杯」が開催だ。16人の選手がトーナメントで頂点を争う大会で、俺の名をどこかに残していこうと代表の紋奈が考えて2021年から始まったんだ。今年で第二回だが、その第二回目にして天龍不在だ……。 「龍魂杯」のタイトルの題字を書いたのはまき代で、まだ生きているときに紋奈ががんの治療で入院しているまき代のところに紙と筆と墨汁を一式持って行って看護師さんに「渡しといてください!」って言ったてんだから、本当にうちの女たちは大したたまだよ(笑)。  今年の「龍魂杯」もテッペンに立とうと思ったら2日で4試合を勝ち越さないといけない。出場する選手にはケガ無く乗り越えてもらいたいし、始まったばかりの「龍魂杯」を盛り上げて、腹いっぱいにして帰ってもらって、自分の自信につなげてほしいなと思うよね。  この記事が配信される日は、そんな「龍魂杯」も2日目で、大会の日はもっぱら病院の消灯時間を破って大会映像を見ているよ。しかも天龍プロジェクトは1大会観るだけで本当に体力を使うから、主治医にはもちろん内緒だ(苦笑)。  でも、その中で「天龍コール」や「エイエイオー」を見ると力が出るし、それをまた代表と「あーでもない! こーでもない!」って話して、リハビリをがんばっているところだ。土日は競馬に「龍魂杯」にリハビリにと、俺はとっても忙しいよ!  首が上下左右全く動かないからだで何もできないと感じる一方、こうしてプロレスに競馬にリハビリと、出来ることもあるんだと考えるようになった! そうして今、俺にもできることがあるんだと感じさせてくれる人たちには感謝しているし、待ってくれている人たちにも同じ気持ちだ。 そんな人たちに少しでも早く元気な姿を見せられるようがんばるから、もう少しだけ待っててくれよ! 以上、今回は俺の近況報告。次回からはまた、昔のエピソードや最近思ったことを語れると思うから、よろしく! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
刺し身の「つま」は残さない方がいい? 実は“高級食材”もある奥深さ
刺し身の「つま」は残さない方がいい? 実は“高級食材”もある奥深さ 刺し身の「つま」には料理人の思いがつまっている(写真はイメージ) 居酒屋などの刺し身に添えられている「つま」について、疑問に思ったことはないだろうか。この変わった素材は何? これって食べられるのか、残した方がいいのか……などなど。そもそも、つまはなぜ存在するのか。食文化に詳しい専門家にイロハを教えてもらった。 *  *  * 「つまはすべて食べていいものです。『いい』というより、ぜひ食べてください。料理人も、どのつまが、その刺し身と相性がいいかを考えて量も調整しています。お皿を下げるときにきれいに残されていると、逆にさみしいんですよ」  そう教えてくれたのは食文化に詳しい「辻調理師専門学校」の今村友美さん。  今村さんによると、刺し身につまを添える慣習は、江戸時代にはあったことが文献で確認できるそうだが、いつから始まったかは分からないのだという。 「昔は魚の鮮度を保つのが大変だったはずです。例えば大根は毒を消す作用があると古くから伝えられてきましたが、つまにはそうした薬効や臭みを消す効果も期待されていたと考えられます。時代が変わった今は、刺し身のおいしさを際立たせるためや、見た目を華やかにするための食材として存在しています」  古い時代。主をたてる存在なら、つまは「妻」にかけて名前がついたのだろうか。今村さんによると語源は「妻」や「褄(物の端の部分)」など諸説あるものの、定かではないそうだ。  刺し身に添えられた野菜などをつまと呼ぶことが一般化しているが、正確には「つま」「ケン」「薬味」に分かれるという。  よく見るのが桂むきした後に細切りされた大根やニンジンだが、あれは「ケン」と呼ぶそう。ただ細く切っているのではない。繊維に沿って縦切りしたものは「縦ケン」。繊維に逆らったものは「横ケン」と言う。 「立てて盛りたい場合は縦ケン。敷く場合は横ケンにします。『すべての料理に通じる』と言われるほど、ケンを作るには包丁を扱う高い技術が必要なため、和食の料理人を目指す人は最初は大変な思いをしながら特訓します」     【こちらも話題】 (写真閲覧注意)150以上の魚に寄生「アニサキス」の食中毒は秋にも多い 東京海洋大・嶋倉邦嘉准教授が特徴を解説 https://dot.asahi.com/articles/-/202828   ニワトリのとさかのような形をしている「トサカノリ」。実は高級な海藻だ。  ワサビやショウガ、すりおろしのにんにくは「薬味」である。ただ、例えばカツオの刺し身に添えられる薄くスライスされたにんにくが、つまなのか薬味なのかはグレーゾーンなのだという。つまかケンか、薬味かの分類を細かく気にする必要はなさそうだ。  つまに使う食材に、決まりはない。  香りがいい青シソやネギ、みょうがなどは説明不要の、おなじみのつまだろう。  このシソの小さな若芽が「芽ジソ」と呼ばれ、こちらもつまに利用される。青シソの若芽は「青芽」、赤シソの若芽は赤色の「紫芽(むらめ)」。こちらも香りがよく、刺し身に合わせて色で使い分ける。  緑色の茎のようなものの周囲に、かわいらしい小さな花が複数咲いているつまを見たことはあるだろうか。あれはシソの花穂で、そのまま「花穂ジソ」と名付けられている。主に赤シソの花穂が利用されており、紫色の花が特徴だ。    飾りのようで食べ物には見えない気もするが、こちらも立派な食材。 「軸を持って箸で上から下にしごいて花を外します。花は香りが良いですが、軸の部分はおいしくないので残された方が良いと思います」(今村さん)  濃い紫色の小さな葉っぱは「紅タデ」。赤シソの若芽と見た目が似ている。 「蓼(タデ)食う虫も好き好き」(タデの辛い葉でも好んで食べる虫がいるように、人間の好みも人それぞれの意)のことわざに登場する、あのタデのことである。  ことわざでは何やらまずそうな扱いだが、「ピリッとした辛みがアクセントの、大人のおいしさがあります」と今村さん。食べると確かにその通りの味わいだ。  定番ともいえる、タンポポのような黄色い花は「食用菊」だ。かむとつんとした香りが鼻を抜けていく。実は栄養価も高い。  主に赤色でニワトリのトサカのような形をしたつまは「トサカノリ」という海藻で高級品とされる。弾力があり食感を楽しめる。 「つまは香りが良いもの、辛みや程よい苦みがあって口をさっぱりさせてくれる食材が目立ちます。刺し身に飽きてしまわないように、つまと交互に食べることがおすすめです」(今村さん)  この他、ワカメなどの海藻やカイワレ大根、ワラビなどの山菜類もおなじみのつま。今村さんによると、カイワレもそうだが、最近は野菜の「スプラウト(新芽)」の商品の種類が増えており、つまに使われることが多くなっているという。 「江戸時代の書物には、つまに関する記述がたくさんあります。日本人は、それだけ古くから魚のおいしい食べ方を考えてきたということ。先人たちからの工夫の積み重ねがあって、さまざまなつまが存在しているのだと思います」  ただ、そもそも食べていいのかを知らない人や、残すことがマナーだと思っている人もいるかもしれない。 「どうしてなのかと疑問に思います。最近はめったに見ませんが、昔はスーパーなどで売っているお刺し身の下に敷かれた大根に、魚の水分が染みて色がついてしまっていたものがありました。あれを見て、つまは食べる物ではなく刺し身を乗せる飾りのようなものと思ってしまったのかもしれません」  重ねて書くが、料理人は刺し身をおいしく食べられるようにつまを添えている。大人数で刺し身の盛り合わせを食べるときも、遠慮なくつまを食べてほしいという。  今村さんに、おすすめの刺し身とつまの組み合わせを聞いてみた。 「ナガイモと酢でしめた青魚のお刺し身を一緒に食べると、おいしいですよ」  え? つまと刺し身を同時に食べちゃってるじゃないですか。交互がおすすめなのでは? 「あはは、そうですよね。でも、本当に相性が良くて好きなんです」  刺し身とつまの楽しみ方は、人それぞれの自由。今村さんは最後に、一番大事なことを教えてくれた。(AERA dot.編集部・國府田英之) 【こちらも話題】 葬式で「ご愁傷様です」と言われたら、なんと返せばいいのか…「ありがとうございます」を避けるべき理由 https://dot.asahi.com/articles/-/875
水野美紀がSNSバッシングに危機感「避けるのではなく理解したい」
水野美紀がSNSバッシングに危機感「避けるのではなく理解したい」 水野美紀(みずのみき)/ 1974年生まれ。三重県出身。2007年に自身が主宰する演劇ユニット「プロペラ犬」を旗揚げ。主な舞台出演作に、ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本・演出「グッドバイ」(読売演劇大賞最優秀作品賞)、栗山民也演出「ヘッダ・ガブラー」、蜷川幸雄演出「コースト・オブ・ユートピア」など。9月に子育てエッセー第2弾『水野美紀の子育て奮闘記 今日もまた余力ゼロで生きてます。』を上梓。(撮影/写真映像部・高野楓菜 ヘアメイク/面下伸一(FACCIA) スタイリスト/山下友子)  主宰する演劇ユニット「プロペラ犬」で、6年ぶりに作・演出・出演を務める俳優・水野美紀さん。舞台「僕だけが正常な世界」ではコロナ禍で実感した、想像力の大切さ。自分なりのメッセージを込めつつ、笑ってもらえる舞台を目指す。 *  *  * 「僕だけが正常な世界」は、池袋にある東京芸術劇場「シアターウエスト」で上演される。裏切られて傷ついた青年が、犯罪者へと突き進むなか、一人の役者が、隣にある劇場「シアターイースト」と間違って舞台に紛れ込んでしまい、「シアターウエスト」の世界を狂わせていくというストーリー。テーマは“コミュニケーション”だ。 「世の中には、コミュニケーションが得意な人と、自分は得意じゃないと思っている人がいますよね。私は、コミュニケーションって難しいなと常々思っているほうですが、コミュニケーション巧者からすると、『何をそんなに難しく考えているかわからない』と言われてしまったりする。でも結局、同じ時間に同じ場所で、同じ経験を共有したとしても、人によって見たことや感じたことは違うし、その場で起きたことの何を拾って、何を記憶に残しているかは、そこにいた人の数だけ変わってくると思うんです。でも、『同じ場所にいたから同じこと思ってるでしょ』って完結できる人は、コミュニケーションに強かったりする。そういう感性の違いから起きるソフトな断絶を物語にできないかなって」  昔から、心理学の本を読むのが好きだった。俳優として役を演じながら、台本にない役の心情──。「どうしてここでこういうセリフを言うんだろう?」だとか、「この行動を選択するに至るには、どういう気持ちの変化があったんだろう」という行間の部分は、すべて自分の想像で埋めていった。 「そうするうちに、人が何かを選択したり行動したりするときの動機を考える癖がついたのかもしれないです。日常生活でも、理解できないような行動をとる人がいたりすると、その人を避けるのではなくて、理解したいなと思うんです。人間の、少し変わった部分に興味を持つのは、職業病かもしれません(笑)」 撮影/写真映像部・高野楓菜 ヘアメイク/面下伸一(FACCIA) スタイリスト/山下友子 ■人と寄り添う感覚を大切に  いろんな人の立場を想像する癖がついているせいか、SNSの時代になって事件が起こるたび、一方だけがバッシングされてしまう風潮には危機感を抱くようになった。 「バッシングにさらされている人がいたとしますよね。でも、そういうときに、なぜそういう行動をとってしまったのか、少しでも理解しようと寄り添う感覚って、人とコミュニケーションをとっていく上で、すごく大事だと思うんです。私が演劇をやっていてとくに面白いと感じるのは、自分の欠陥や、愚かさ、情けない部分をさらすことができるところです。とくに空間がキュッとしていて、いちばん後ろの席でも、役者の表情の違いまで見える小劇場の空間は、俳優の人間的な部分を伝えやすくて、好きです」  映像作品では、人間的な部分というより、「できた人」を演じることが多かった。正義感の強い弁護士、人間的によくできた医師、人間離れした能力のある人……。それぞれに演じがいはあったが、与えられた役に対しても、「できた人物」の中に潜む、弱くて人間臭い部分を探りたくなった。 「メジャーな作品の主要キャストがお手本であることが求められるのは仕方がないこと。ただ、私の体質として、真っ当なものばかりに触れていると、少し息苦しくなってしまうというのがあって(笑)。ときどきでも、自分の中にあるひねくれた部分や、愚かな部分を、舞台でさらしていくことが必要なのかも。……なんていろいろ言ってますが、別に今度の舞台で難しいことを伝えたいわけじゃない。楽しんでいただければそれでいいです」  それにしても、水野さんの肩書は多い。母で妻で俳優で物書き、稽古が始まれば演出家。忙しい中、いつ書き物の時間を作っているのかと聞くと、「基本は子供が寝てから。夜の作業が多いですね」と言って、書き物がある日の一日のスケジュールを教えてくれた。 「幼稚園にお弁当の日と給食の日があって、お弁当の日は7時半ぐらいから準備を始めます。すごく締め切りに追われていたら、5時とかに起きて書いたりもするんですが、夜のほうが圧倒的にはかどります。9時までに幼稚園に子供を送っていったあと、エッセーだったら近くの喫茶店で書いたりすることもあります。子供を迎えに行く2時までの間に、買い物も済ませておいて、そのあと習い事に連れていったりして、6時ぐらいに先に子供だけ夕食を食べさせます。7時半から8時の間に寝かしつけて、読み聞かせもその時間にします」  そこから、書く仕事がないときは軽く晩酌をして、夕食。締め切りが迫っている場合は、お酒を飲まずに夕食を取って、あとは執筆。でも、一日のスケジュールはとにかく子供優先だ。 「子育てと舞台制作の共通点は、自分の目の前で人が“変化する瞬間”を見られることかもしれないです。稽古をしながら、役者さんが提示してくれるものがあって、それが思いもよらないようなプランだったりすると、稽古を重ねていく中で、どんどん現場の空気が変わっていく。そのプロセスがめちゃくちゃ面白いんですよ」  余力ゼロなのに、あれもこれもつい頑張ってしまうのは、想像しなかった何かが生まれる瞬間が、いつも人とのコミュニケーションの中にあるからだ。(菊地陽子 構成/長沢明)※週刊朝日  2022年11月18日号より抜粋
更迭の葉梨法相、「死刑はんこ」以外にも「失言」を連発 派閥でも「こりゃ、ヤバイ」
更迭の葉梨法相、「死刑はんこ」以外にも「失言」を連発 派閥でも「こりゃ、ヤバイ」 取材に応じる葉梨康弘法相=2022年11月11日  葉梨康弘法相の死刑を軽んじた発言に批判が止まらず、岸田文雄首相が更迭を決めた。山際大志郎氏に続き、またしても閣僚の失態。ほかにも寺田稔総務相が政治資金収支報告書に虚偽記載をしたとの疑いがあると指摘されている。岸田政権の足元が崩れ始めている。 「法務大臣になり3カ月になりますが、だいたい法務大臣というのは朝、死刑のはんこを押しまして、それで昼のニュースのトップになるというのはそういうときだけ、という地味な役職なんです」  死刑を“ネタ”にした発言で批判の声が広がっていた葉梨法相。岸田首相は11月11日、葉梨法相の更迭を決め、予定していた外遊の出発日を12日に延期した。  葉梨氏の「失言」は、9日、同じ岸田派の武井俊輔外務副大臣のパーティーでのことだった。 「死刑はんこ発言」以外にも、 「今回はなぜか旧統一教会の問題に抱きつかれてしまいました。ただ、抱きつかれたというよりは一生懸命、その問題解決に取り組まないといけないというようなことで、私の顔もいくらかテレビに出るようになったということでございます」 「外務省と法務省は票とお金に縁がない。(武井氏の)外務副大臣、法相になってもお金は集まらない」 「死刑はんこ」以外にも「失言」を連発していたのだ。 「あれを聞いた瞬間、あちゃ~、言ってしまった。こりゃヤバイと思いました。死刑という命と法にかかわる重い問題をネタにしてしまっている。案の定すぐに、テレビや新聞が速報をネットニュースで打ち始めました。同じ派閥の別の議員から『前にもよく似た死刑の発言をしていたんだ』と聞いて、なんでこんな人が法相なんだ?と思った。岸田首相の耳にもけっこう早く届いていたそうで、側近は頭を抱えていました」  武井氏のパーティーに出席し、発言を聞いていたという岸田派の国会議員がそう話す。  翌10日、葉梨法相は釈明に追われる。記者の前に現れた葉梨氏はICレコーダーを出されると、 「紙が見えない」  といら立つように手で払いのけて、武井氏のパーティーでの発言を起こしたものを読みはじめ、こう弁明した。 「昨日の発言の趣旨というのは、まさに根幹は法務省、日本の屋台骨を支える行政である。まさに国士としてその生きがいを持って、やっていかなければいけない。そこに外務省と共通の点がある。このことを強調したかった」 「ただ、その最初の導入ですね。まあ、マスコミの昼のニュースのトップに出ることが、今までは死刑の印鑑を押した、その日の昼のニュースのトップに出るというのがファクトとして、まぁそういうことです」 「地味に見られるかも分からないけれども、極めて大切な行政であるということを、全体としては申し上げたわけです」 「一部を切り取られたという形であっても、自分たちの仕事を軽んじているかのような印象を与えるような発言はやはり今後、非常に慎重にしていく」  などと多くの言葉を並べて釈明した。  そして「法相になってもお金は集まらない」という発言については回答を拒否した。  当初、発言を「撤回しない」とした葉梨法相。それが、急きょ、参院の委員会では「撤回」となったのだ。  自民党幹部が言う。 「死刑という極めてデリケートなことに加え、旧統一教会のことに触れて、最後は『法相はカネにならん』という内容でしょ。そりゃもうダメですよ。岸田首相も傷が浅いうちに交代させたんでしょう」  ちなみに、葉梨法相になってから死刑の執行は行われていない。 「死刑はんこ」をあいさつの“つかみ”にした葉梨法相とは、いったいどんな経歴を歩んできた人物なのか。  そのキャリアは“輝かしい”ものだ。東京大学法学部から警察庁の官僚となり、葉梨信行元衆院議員の長女と結婚。その後、政界に転出した。妻の祖父も衆院議員で世襲3世となる。  義父の信行氏の後を継いで2003年の衆院選で初当選。09年の政権交代選挙では落選し、浪人の身となったが、再度復活し、現在が6期目。岸田派の所属で、今年8月の内閣改造ではじめて閣僚の座を射止めたのだ。 「岸田首相もなんとか自分の派閥から、と葉梨氏を引き上げたけれど、どのポストにするかと、かなり頭を悩ませていたようです。警察官僚上がりで気位が高く、上から目線で近寄りがたい雰囲気がある。ハマるポストが見当たらなかったんです。そこで、外にあまり出なくて、話す機会も少なくていいと法相になった。法相はとにかく、余計なことを話さないという立場ですからね。それが、よりによって、失言でその座を追われるとは皮肉なものです」(前出・自民党幹部)  そして、岸田派内での評判は、 「年に1度は若手議員を誘って食事をごちそうしてくれていました。打ち解けるといい人ですが、好き嫌いがすごく激しい。一度、嫌いと思われたら、声をかけても返事すらしないこともあります」(同)  というのだ。 旧統一教会のイベント参加について説明する山際大志郎経済再生相(当時)  岸田政権の支持率が急落するなか、岸田首相は、10月に旧統一教会との深い関係が明らかになった経済再生担当相の山際大志郎氏を実質的には更迭。そして、寺田稔総務相も自らの政治資金収支報告書に虚偽の記載があるのではという疑惑で、連日、国会で追及されている。 自民党広島県連の政治資金パーティーであいさつする寺田稔県連会長=2022年10月30日  岸田首相は11日午後の会見で、葉梨法相の辞任を受け、 「私自身の任命責任についても重く受け止めている」  と語った。 「山際氏でなんとか打ち止めと思ったら、葉梨法相が急に割り込み、寺田総務相も危ういところ。旧統一教会対策もあって、前倒しの内閣改造が結果的には大失敗では? おまけに、葉梨法相と寺田総務相は岸田派ですから。岸田首相は外交日程を延期してまで、対応を余儀なくされている。寺田総務相までダメになったら……」(前出・自民党幹部)  いよいよ岸田首相の首筋も寒くなってくる。 (AERA dot.編集部・今西憲之)
結婚の決め手は安心感 裏表のない妻、いつも応援してくれる夫
結婚の決め手は安心感 裏表のない妻、いつも応援してくれる夫 夫の森田直和さんと妻の森田淑江さん(撮影/小黒冴夏)  AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2022年11月14日号では、ミライト・ワンで担当部長を務める森田直和さん、個人事業主として身体と心のセルフコーチング講座を運営する森田淑江さん夫婦について取り上げました。 *  *  *  妻が26歳、夫が27歳のときに結婚。息子(5)と3人暮らし。 【出会いは?】学生時代に同じカラオケ店でアルバイトしていた。夫が先に働いていた店に、妻が後から入った。 【結婚までの道のりは?】知り合って1カ月後の初デートで意気投合して交際を開始。5年かけて結婚資金を目標額まで貯蓄し、婚姻。 【家事や家計の分担は?】基本的に家事は妻だが、一緒にいるときは夫婦で。財布は共通。 夫 森田直和[44]ミライト・ワン 担当部長 もりた・なおかず◆1977年、千葉県生まれ。東京電機大学を卒業後、現勤務先へ。携帯電話の無線基地局の受注・交渉・設計・工事管理業務に携わる。20年間は技術職、1年半前から営業職として、携帯電話会社や自治体等との取引を担当する  初めは、まあまあ押しが強い方だなと。でも話していて面白いし、ちょっとツンデレなところもいい。裏表がないから変に気を使う必要もなく、僕も自然体でいられる。結婚の決め手は、そんな安心感ですね。  今は残業ゼロで働いていますが、昔はまさに社畜。夫婦で話す機会もなかったけれど、彼女は怒ったりせず支えてくれて助かった。一度僕が鬱っぽくなったときは「会社を辞めても大丈夫だよ、そしたら私が働くから」と言ってくれて、楽になりました。  息子が生まれ家族を大事にしたいと思うようになったけれど、最初は仕事が忙しくて思うようにいかなくて。でも妻の熱いプレゼンで幼少教育に関心を持ち、一緒に話を聞きにいってみたら「いいな」と思い、僕も子育てを学ぶようになりました。学ぶほど幸せ感が増すことが衝撃でしたね。働き方を変え、家族優先になれて本当によかった。  出会ってくれてありがとう。今、人生すっごい楽しいんで。一生よろしくお願いします。 撮影/小黒冴夏 妻 森田淑江[44]個人事業主 身体と心のセルフコーチング講座 もりた・きよえ◆1978年、茨城県生まれ。淑徳大学を卒業後、ソーシャルワーカーとして施設や病院等で相談業務に12年間携わる。不妊治療を経て出産後、女性の身体と心のあり方を整える講座等をオンラインで行う  こんなに安心して自分をさらけ出せる人に会ったことがなかったし、出会った頃から「この人絶対私のこと好きでしょ」と思っていたんです。それで付き合い始めてすぐ「私たち結婚すると思う」と言ったら彼が固まっちゃって。「えっ、違うの!?」って大泣きしました(笑)。  長期的な不妊で一時は「二人の人生もいいかな」と思っていて。でも35歳で彼が札幌へ3年赴任することになったとき「後悔するかも」と思い、仕事を辞め私も札幌へ。本気で不妊治療を始めたら、この子が来てくれました。  切迫早産で入院していたとき、ブログなどを読んで生理の大切さを知ったんです。私はもともと子宮内膜症や筋腫で悩んでいて、生理を整えないとうまくいかないとわかった。これを女性たちに伝えていかなければと思い、セミナーなどに通って学びを深め、今の仕事を始めました。 「淑江だったらできるよ」といつも応援してくれる彼。守ってもらえる場所をもらっているのが本当に大きいです。 (構成・大塚玲子) ※AERA 2022年11月14日号
モデルは父と母と瀬戸内寂聴 広末涼子も体調悪くした三角関係とは
モデルは父と母と瀬戸内寂聴 広末涼子も体調悪くした三角関係とは 井上荒野さん(左)と寺島しのぶさん[寺島さんのヘアメイク:川村和枝、スタイリスト:中井綾子(crepe)]  作家・井上荒野さんが、父・光晴さんと恋愛関係にあった瀬戸内寂聴さん、そして二人の関係を承知しながら妻であり続けた母をモデルに綴った小説『あちらにいる鬼』が映画化された。寂聴さんの化身といえる主人公・みはるを演じたのは寺島しのぶさん。仏門に入るためのシーンで自身の髪を剃るなど入魂の演技に息をのむ。以前から縁あるお二人が、作品について愛について、赤裸々に語り合った。 *  *  * 井上:最初にお会いしたのは渋谷・宮益坂にあった今はなきバー「デロリ」ですよね。小説家仲間と飲んでいたら「寺島しのぶさんがいるよ」ってみんながざわっとした。 寺島:ちゃんとお話しさせていただいたのはその後にテレビ局で偶然、お見かけしたとき。私は荒野さんの『だれかの木琴』が大好きで直に伝えたくて、楽屋に押しかけた。 井上:それが縁で寺島さんが文庫版の『だれかの木琴』の解説を引き受けてくださって。 ――物語の舞台は1960年代。小説家のみはるは妻子ある作家・白木篤郎(豊川悦司)と出会い、恋に落ちる。篤郎の妻・笙子(広末涼子)は二人の関係を知りつつも家を守り、二人の子を育てる。みはるは寂聴さん、篤郎は井上光晴さん、そして笙子は荒野さんの母がモデルだ。 寺島:みはる役が決まったとき、荒野さんと寂聴さんにお手紙を書いたんです。なんとなく背中を押していただきたくて、少し疑問を持った部分などを書いたら、荒野さんからお返事をいただけたんです。撮影終了まで、お守り代わりに台本に挟んでいました。寂聴さんはもうあまりお加減がよくなかったようで、お返事はいただけなかったんですが。秘書の方に伺ったら読んでくださってはいました。 井上:やっぱり寂聴さんに観ていただきたかったですね。私も自分の原作ではあるけれど、映画には別の道筋ですごく「ぐっ」ときましたから。 ――小説の執筆は2016年から18年にかけて。きっかけは寂聴さんとの出会いだった。 井上荒野(いのうえあれの)/ 1961年、東京都生まれ。作家・井上光晴の長女。89年、『わたしのヌレエフ』で第1回フェミナ賞を受賞。その後、体調不良などで小説を書けなくなるが、2001年に古書店主・須賀典夫さんと結婚。同年に『もう切るわ』で再起。02年に父を書いたエッセー『ひどい感じ』を発表。08年、『切羽へ』で第139回直木賞を獲得。11年、『そこへ行くな』で第6回中央公論文芸賞。16年、『赤へ』で第29回柴田錬三郎賞。 井上:最初に編集者からテーマを提案されたときはいやだって言ったんです。「だってまだ寂聴さん生きているし」って。でもその後、小説とは無関係に寂聴さんにお目にかかったら寂聴さんがずっと父のことをお話しになるんです。「光晴さんがこう言った」とか「ここのお豆腐屋さん、光晴さんが好きでね」とか。それに「ぐっ」ときちゃった。すごく父のこと、好きだったんだな、父とのことをなかったことにしたくないんだな、と。そのときに「もう私が書くしかない」と思いました。といっても小説はフィクションです。実在の3人をモチーフに、私なりの物語を構築したということですね。  寺島:みはる役は50歳にして髪も剃らなきゃならないし、絡みのシーンもある。そういう芝居は久しぶりだったんです。だから撮影がコロナ禍で何度も延期になるたびに、オリンピック選手じゃないですけど毎回、自分の体を奮い立たせて準備をしていました。 井上:寺島さんはもちろんですが、笙子役の広末涼子さんも素晴らしかったですね。 ■「切に生きる」を全うしようと 寺島:あとから聞いたんですけど、広末さん、撮っているとき体調が悪くなっちゃったんですって。眠れなくなったりして、でも本人は理由がわからなかった。そしたら広末さんのお母さんが台本を読まれて「あなた、こんなお話をやっているから具合悪くなるのよ」と言われた、とおっしゃっていました。 井上:あっはは。 寺島:私と廣木さん(隆一監督)は爆笑しながら「やっぱり奥さんだったら、この状況つらいよね、演技でも」って話していました。みはるはワッとぶつかっていく演技だったけれど、広末さんの笙子は全てをわかりつつも、見て見ぬふりなのか、という微妙なお芝居でしたからね。 井上:私、撮影を見学しに伺ったんです。篤郎が笙子と団地の入り口で会って「鰻食べに行こうか」というシーン。二人とも父と母とはまったく違うのに、すごく懐かしくて思い出すものがありました。豊川さん、父の1.5倍ぐらい身長があるんですけど(笑)。 寺島しのぶ(てらじましのぶ)/ 1972年、京都市生まれ。2003年、「赤目四十八瀧心中未遂」(荒戸源次郎監督)と「ヴァイブレータ」(廣木隆一監督)で国内外の賞を数多く受賞。「キャタピラー」(10年、若松孝二監督)では、ベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)。近作に「Arc アーク」(21年、石川慶監督)、「キネマの神様」(同、山田洋次監督)、「空白」(同、吉田恵輔監督)。「天間荘の三姉妹」(22年、北村龍平監督)が公開中。[ヘアメイク:川村和枝、スタイリスト:中井綾子(crepe)] ――みはると篤郎の関係は有り体に言えば「不倫」だ。題材ゆえの難しさはあったのだろうか。 寺島:みはるは映画の初めから終わりまで「生ききる」人。寂聴さんも著作でおっしゃっていますけど「切に生きる」。その気持ちを全うしようとなさったんです。豊川さんはこの題材を演じるのに「篤郎をチャーミングに見せないといけない」と、すごく考えていらしたと思う。 井上:私はほかの作品でもよく「こんな男の人いないよ」とか「男がこんなこと(浮気)をしているのに我慢する女なんていないよ」って言われるんです。でも私にとっては「いや、でもいたしね、実際」と。 寺島:そばで見ていたしね、と。 井上:だからこそ不倫に、言い訳や理由を作ったりせずに、ただ「こういう人たちがいた」ということを書きたいと思ったんです。書きながら私自身が「愛とはなにか、正しい愛とは? いやそんなものあるのか?」などを考えさせられました。 寺島:篤郎とみはるの関係は出家してから本当に深まった気がします。いろいろなものを捨ててからのほうが逆に人間として執着があったというか。 井上 寂聴さんのお話を聞いても、出家で大きく何かが変わったという感じではないんですよね。世の中を捨てるための出家ではなくて、やっぱり生きていくための出家だったんじゃないかなと私は思っています。 ■「ああ、もうそれ更年期ですよ」 ――みはるの出家の理由のひとつに50歳を迎えた「女性の体や心の変化」が描かれることもハッとさせられる。 井上:更年期、というのは寂聴さんがポロッておっしゃったんですよね。私が「なぜ出家したんですか」と一生懸命に聞いてもずっとはぐらかしていらしたのですが、ふと「でも更年期とかもあったかもね」って。 寺島:寂聴さんは51歳で得度されているんですよね。私、今年50歳になるんですよ。体の変化も実際にあって、訳もなく気分がモヤモヤしたり、ぐったり寝込んでいたりする時期もあった。みはるが不正出血で病院に行くと医師に「ああ、もうそれ更年期ですよ」みたいにいなされてどんよりするというシーンがあって、その感覚もすごくよくわかる。もう少し若かったら演じる感覚も違ったかもしれない。 「あちらにいる鬼」(廣木隆一監督)のワンシーン。11月11日(金)から新宿ピカデリーほか全国公開 (c)2022「あちらにいる鬼」製作委員会 井上:小説もその年齢でしか書けないものがある。私ももっと若いときにこれを書いたら、もっと倫理とか道徳に縛られていたかもしれません。 寺島:私、剃髪シーンの後、性格が変わった気がしたんです。男でも女でもない自分になったというか、さっぱりして元気になれた。カツラにしなくてよかった!と切に思いました。 井上:やっぱり剃髪って何かあるんでしょうね。何かが「落ちる」感じが。 寺島:いまもしんどいときがありますが、小説や仕事に没頭すると忘れられます。 井上:私はね、更年期、何ともなかったんですよ。 寺島:ええ~~! 井上:うちの家族全員そうなんです。ただそれまでには書けずに苦しんだ時期がありました。 ――井上さんは1989年にデビューした後、7年ほど書けない時期を過ごした。 井上:あのときは本当に駄目でしたね。仕事もなくて、映画も本もほとんど見る気になれなくて。 寺島:何歳くらいのときですか? 井上:30歳ぐらいから、37歳ぐらいまで。父みたいに書かなくちゃ、って何かに縛られていたんでしょうね。自分の方法論がまだできてなかった。がんにもなって、まずい恋愛もしてグニャグニャだったんです。 寺島:その状態から脱出したきっかけは? 井上:それはね、夫と会ったことです。自分が安定できる基盤ができたのかな。ちょうど書き下ろしの依頼もきて、いろんなことがうまく重なり始めたんです。 ――人と人が出会うことの不思議。本作からも「人の縁を感じてほしい」と二人は話す。 寺島:この映画で私は、人の縁とはいかに尊くて、愛おしいものなのか、ということを考えました。奇麗に言いすぎてしまっているかもしれないけれど、人を傷つけるにしても愛し合うにしても、憎しみ合ったり喧嘩したりも全て含めて、人の縁って大切にしなきゃいけないなって思いました。 ■「鬼」はいろいろな意味でつけた 井上:人間は正しいことだけなんてできるわけがない。でもいまはみんなが過剰な「正しさ」だけを求める世界になっていますよね。「サレ妻」とかいやな言葉もあって。でも家族ってひとつひとつ、すごく特殊なもの。一律に「不倫されている妻は気の毒だ」なんて言えないのに。 寺島しのぶさん(左)と井上荒野さん[寺島さんのヘアメイク:川村和枝、スタイリスト:中井綾子(crepe)] 寺島:うちの父もけっこう破天荒だったんですよね。いろいろな女の人が部屋に来たり、京都で遊んで騒いで「クリスマスツリー持ってきちゃった!」って帰ってきたりしました。それでも「なんか、いいじゃん?」って思っちゃったんです。破天荒で女性にモテる父、かっこいいじゃん?って。私の感覚も普通じゃないかもしれない。 井上:みんなそれぞれ、いろいろありますよね。「鬼」も私はいろいろな意味でつけたんです。言葉から受ける恐ろしいものではなく、篤郎を鬼とするならば「鬼はいま、あっち(の家)にいる。私のところにはいない」という鬼ごっこのようなイメージもある。 寺島:荒野さんが書かれる話はどれもさらっと怖いんですよね。『だれかの木琴』も『その話は今日はやめておきましょう』も。恐ろしさや狂気の部分はDNAですか? 井上:どちらかというと父より母のDNAかも。 寺島:映画で篤郎が笙子さんのことを「この人に小説を書かせたらもっとすごいの、書きますよ」と言いますけど、実際にお父様とお母様はそうだったんですか? 井上:そう。本当に母が書いて父の名前で出した短編小説が三つ四つあるんです。私が小説を書き始めてから「実は私も書いていたのよ」と聞かされてすごくびっくりしました。しかも父の短編の中で、私が特に好きな作品だった。私の世の中の捉え方には母のDNAがあると思います。もちろん父の影響も大きい。うちは子どものころから「ちょっといい話」みたいなのを全く拒否する家だったのね。 寺島:ええ? 井上:例えば学校で「今日こういうことがあった」とちょっといい話を話すと父は「それ、どこがおもしろいの?」とか「そいつ絶対、嘘ついているぞ」とか言うんです。そうすると「そう言われればそうかも」とか「そしたらこれ、全然、真逆の話になるんじゃない?」とか考える癖がついちゃった。そういう性格の悪さ、みたいなところで自分は小説を作っているんじゃないかなと思います。 寺島:すごく腑に落ちました! でもうちの夫もですが、フランス人はみんなそうですよ。物事を一つじゃなくいろいろな角度から見ることが大事だと言っています。子どもにもそういう教育をしています。私、もともと物事を斜めに見るタイプだったんですけど、主人に出会ってからもっといやな感じになってきた気がします。 井上:あはは。 (構成/フリーランス記者・中村千晶)※週刊朝日  2022年11月18日号
令和のいま、僕らが物々交換にひかれる理由 肝は「あげたい気持ち」
令和のいま、僕らが物々交換にひかれる理由 肝は「あげたい気持ち」 長野県で行われた「高原の縄文王国収穫祭」での物々交換に出された柿。他にもさつまいもや栗などの収穫物、手作りの手芸品などが出品された (photo 井戸尻考古館提供)  お金を介さず、物と物を直接交換する“物々交換”。原始的なこの手法が今、人と人をつなげ、交流を生むなど、新たな価値をつくり出しているという。AERA2022年11月14日号の記事を紹介する。 *  *  * 「カワハギ物々交換したい方はDMください」  都内のIT企業に勤務する30代の男性はそうツイートした。この日、自分で釣ってきたばかりの新鮮なカワハギだ。  コロナ禍で在宅勤務が増えたのをきっかけに、神奈川県の中でも都内に近い川崎市から自然豊かな逗子市へと移住して2年。釣りと家庭菜園にハマってプチ自給自足の生活を満喫しているが、妻との二人暮らしでは消費しきれないことも多い。そんなとき、物々交換の相手をツイッターで募集するのだという。  これまでも、収穫したパクチーや自家製セミドライトマトなどをおすそ分けし、旅先のお土産のビールなどをもらった。見返りが欲しいというよりも、自分が作った野菜や釣った魚を「おいしいから食べてみてほしい」という気持ちが強いという。カワハギの肝などは釣りたてでしか味わえない絶品だからだ。  知り合いの少ない移住先だったが、こうしたやりとりをきっかけに、家族ぐるみで食事をしたり、釣りの約束をしたり、ゆるいつながりができている。  物々交換──。なんとも原始的な経済の形だが、お金を介さない分、人とのつながりや新たな価値を生み出す物々交換が注目を集めている。 ■宅配のアイデアも得る  青森県弘前市のりんご園・工藤農園のウェブサイトでも、同園で作ったりんごやりんごジュースと、全国の産地直送品との交換を募っている。  20年ほど前からこの試みを始めたというのは、同農園代表の工藤貴久さん(49)だ。当時、まだネット販売が今ほど普及していなかった頃。通販用の箱やチラシなど、同業者はどうしているのだろうと気になって始めたのだという。  以来、「物々交換の依頼は年間を通してコンスタントにあります」と工藤さん。毎年恒例になっている相手もいるし、新規でも年10件以上の申し出がある。  ご当地のめずらしい柑橘類や、放し飼いで育てた鶏の肉や卵など、北海道から沖縄まで各地の特産物と交換してきた。相手が差し出すものはどんなものであっても断ったことがない。  でも、交換するものがいくら相当なのか気になりませんか? 「それは気にしたことがありません。そもそも全国のおいしいものが食べたいし、面白いからやっています。箱のデザインや同封された生産者のメッセージなど、宅配のアイデアとして得るものもたくさんありました」  九州に住む人から、普段食べているりんごと全然違ってとてもおいしかったとお礼の電話をもらったこともある。そうした交流もまたうれしいのだという。 ■貨幣価値によらない  ネットを介した交換だけではない。10月22日に長野県富士見町で行われた「高原の縄文王国収穫祭」でも物々交換イベントが行われた。収穫祭は同町にある井戸尻考古館が毎年主催しているが、物々交換は今年初。企画した同考古館の学芸員・平澤愛里さんが説明する。 「縄文時代に行われていたような、貨幣価値によらないモノと人の交流が、収穫祭に集まるみなさんの間から生まれたら面白いと思い、企画しました」  山梨県との県境に位置する富士見町には204カ所もの遺跡があり、その8割が縄文時代の遺跡だ。中でも代表的な井戸尻遺跡は、1966年に国の史跡に指定され、井戸尻史跡公園として整備され町内外の人に親しまれている。  もともと収穫祭には、地元の人が外から来た人をもてなす意味合いがあるという。例年は考古館で栽培している古代米などを振る舞っていたが、コロナ禍で飲食物の振る舞いが難しくなってしまった。物々交換であれば、人との接触も少ない。収穫祭の目的に沿って、物々交換の品は、野菜や米などの収穫物や地元の特産品、縄文にまつわる品や伝統工芸品などに限定。持参したものにはカードをつけて「どこからきたの?」と「どんなもの?」を記入してもらった。  縄文時代の人々の生活に詳しい同館学芸員の副島蔵人さんは、当時からおすそ分けの精神でいろんなものが行き交っていたのではないか、と見ている。 「当時の人たちの生活の中で、明らかに“等価交換”のようなものが行われていた形跡はあまり見られません。諏訪地域で産出した黒曜石(こくようせき)は、北海道にまで渡った記録がありますが、リレー形式のようにぐるぐる物が回っていたのではないかという気がします」  参加者の様子を見ていた平澤さんはこう感じたという。 「もらうこと主体というより、あげること主体という気持ちで参加されたお客さんが多かったように思います。お金で解決しない、気持ちの交換のようなものをみんな求めているのかなと感じました」 ■複数人での物々交換も  縄文時代にはない現代ならではのインターネットを利用して、さらにユニークな物々交換のプラットフォームもできつつある。 「あげる」と「もらう」のマッチングプラットフォーム「Chain」は、福岡に拠点を置くベンチャー企業BLUE STYLEが昨年10月にリリースしたサービスだ。  複数人で交換できることが最大の特徴だ。ユーザーは自分が不要になったものを出品し、他の人が出品したものでほしいものがあれば「ほしい」マークをつける。複数人の「ほしい」の輪がつながれば交換成立。  システム上、この交換の輪は上限なく何人でも構成することができる。1対1で交換する場合は両者の欲求が一致する必要があるが、複数人なのでその必要がない。  サービス開発に至ったのは、既存のリユースサービスに限界があると感じた経験からだ。「値付け」のややこしさ、売り手と買い手の力関係、転売の横行などがその一例だ。これは「お金」を媒介することに伴う問題でもある。代表の外谷洋二郎さんが説明する。 「僕たちは、価値には2種類あると考えています。一つは値付け・査定による誰が見ても同じ社会的価値。もう一つは主観的な価値。そのものをほしいかほしくないか、個人の感情や思いも価値だと考えているんです」 AERA2022年11月14日号より  つまり、リユースショップに持ち込んだら二束三文の値段しかつかない金銭的価値の低いものでも、Chainの中では、誰かがその品を欲しいと思っていたら、その物の価値は「最大化」している状態になる。 ■価格差は気にならない  実証実験では、実際にこんな交換が起きた。ドリップバッグコーヒーと、ビジネス書、ポーターの名刺入れ。金銭的な価値をつけるとしたら、コーヒーは数百円、本が1千円程度、ブランドものの名刺入れは数千円となるだろう。名刺入れを出品してビジネス書を手に入れたユーザーは、損が大きかったことにはならないのか。 「名刺入れの出品者にヒアリングしましたが、『結局不要になったものだから特に損をしたとは思わなかった』と。出品したものと手に入ったものの価格差は気にならないのだということがわかりました」  いずれは物々交換だけでなく、買い物やパソコン作業、場所の貸し借りなどにも広げたさまざまな「価値交換」ができるプラットフォームを目指している。  ところで物々交換の魅力は大いに実感したが、少々気になることもある。物々交換はGDPには計算されない。記録的な円安や怒濤(どとう)の値上げラッシュ、上がらない給料。金銭的な価値に左右されない経済の形を人々が楽しむ背景に、「お金」からみんなの心が離れていることが、はたして無関係であると言えるだろうか。(編集部・高橋有紀)※AERA 2022年11月14日号
空き家活用で「シェアハウス」 巣立った子どもの部屋を有効利用する人も
空き家活用で「シェアハウス」 巣立った子どもの部屋を有効利用する人も 越谷レイクタウン  部屋数の多い空き家は、一般の賃貸には向かない。だが、シェアハウスとして活用する方法がある。地域住民との交流の場になるなど、増え続ける空き家の問題を解決する一つとして注目できそうだ。 *  *  * 「関西は初めてで、コミュニティーづくりや交流をしたかった。立地や楽しそうな雰囲気も決め手でした。家に帰って嫌なことを打ち明ける人がいることで、安心感が増えました」(20代男性) 「知人がシェアハウスに住んでいたので関心があり、探していました。部屋の内装がきれいで、窓も大きく明るい部屋だったのが気に入りました。幅広い年代や国の人が住んでいて、生き方や価値観で学びがあり、職場と自宅の往復だけでは得られないものだと思います」(20代女性)  入居者たちがこう話すのは兵庫県西宮市のダイバーシティ甲陽園。このシェアハウスを運営するウィル(宝塚市)の広報担当の岡田洋子さんによると、廃業した老舗旅館を有効活用したという。 「著名人も来て、地域で有名な旅館で、人が集まり愛されていました。通常は壊して更地にし、戸建てを建てますが、弊社の創業者がシェアハウスにしたらどうかと考えたのです」(岡田さん)  学生を対象にコンペをし、関西大学大学院で建築を学ぶ学生のプランを採用。2016年に運営を始めた。当初はスタッフが住み込み、入居者と一緒にルールをつくった。  地上3階、地下1階で25部屋あり、地下には防音室3部屋と、ダンスやヨガ教室もできる広いフリールームも。物件を担当する同社の木村雄亮さんによると、入居者は男女ほぼ半々、20代が約6割と多いが、40、50代も3割いる。留学生など外国人も多いという。  1階の広めのキッチンなどでは、春は花見、夏は流しそうめん、秋はハロウィーンの飾りつけ、冬はクリスマスパーティーなどのイベントを開催。費用はウィルが負担し、参加料は無料だ。地域住民も参加できるフリーマーケットやジャズライブなども行っている。  大阪府豊中市のegg豊中は7部屋のシェアハウス。運営するGraf(奈良県生駒市)の高橋雅樹代表は「大阪大学が近く、阪大生と社会人で6対4ぐらい。社会人は20代から30代半ばくらいまでが多い」と話す。  この物件はオーナーが同じ市内に二世帯住宅を建てて両親と同居するようになり、5年ほど空き家になっていた。利用相談を受けた高橋さんが見てみると、「一般の賃貸にするには部屋数が多すぎた」という。そこでシェアハウスにすることを提案し、リフォームして運営を始めた。  入居希望者に対しては「内覧のときにルールを説明し、守ってもらうようにしている。面接で共同生活に適さない方はお断りしている。そういう方が2割くらいいる」(高橋さん)。  高橋さんは5棟のシェアハウスを運営していたが、現在は2棟になっている。「元々オーナーが住んでいたが別のところへ移り、空き家になったパターンが多い」と話す。  シェアハウスひだまりを運営するのがHidamari(熊本市)。関東エリア担当の中原琢さんは、子どもが独り立ちして部屋が空き、所有者が住みながらホストとなり、ルームシェアする事例がいくつもあると話す。一人で暮らすのは寂しいと感じる、3LDKや4LDKくらいの物件に住む60歳以上の人が多いという。共用部分は一緒に使い、「昔の下宿に近い」と中原さんはみる。  シェアハウスでは入居者同士の相性の問題はある。中原さんによると、共同生活がうまくいかない人は1カ月以内に出ていくことが多い。トラブルが起きると、運営する中原さんたちが対応し、別の物件を初期費用がかからない形で斡旋(あっせん)するなどサポートをしている。  シェアハウスの家賃相場は「近くに同じようなシェアハウスがあればそれに準拠し、なければワンルームマンションの相場から2~3割くらい下げる」(中原さん)。  中原さんたちが運営するシェアハウスの一つに、越谷レイクタウン(埼玉県草加市)がある。オーナー夫妻の豊田喜恵子さんによると、すぐ向かいに家を建てて引っ越したため、空いた家をシェアハウスにした。5部屋のうち4部屋が埋まり、男性3人と女性1人が住む。年齢は20代から30代という。喜恵子さんは「向かいの家に住んでいるため、居住者との密着度は高い」と話す。 ダイニングを兼ねたカフェスペース  越谷レイクタウンの1階は、お花の教室やカフェとしても提供する。喜恵子さんは「シェアハウスで和気あいあいとしたかった」と話すが、個人主義的な人もいて、難しさもあるとも。問題があれば入居者と話し合い、中原さんたちも支援して、解決に取り組む。  サラリーマンを辞め、シェアハウスを運営するようになったのは石川健さん。自分で購入しリフォームして自ら運営するのが3棟、運営受託が1棟、計4棟を運営している。横浜市旭区にあるシェアハウスは6部屋のうち半分くらいが外国人で、留学生や日本で働く人たちだ。  石川さんは、学生時代に米国でホームステイをした経験から、日本で外国人の世話をしたいと考えるようになったという。外国人は1年未満で出ていく人も少なくない。不動産賃貸借契約では初期費用がかかるうえ、家具や家電などをそろえるのに費用がかかる。冷蔵庫や調理家電などを備えたシェアハウスならば、外国人も暮らしやすい。  今後のシェアハウスについて、石川さんは「多様化が進むだろう」とみる。たとえば、ペット可能の物件や、シングルマザーやシニア向けなど。  中原さんは「年齢が上がると、一人で生活しているのがさみしくなり、コミュニティーを探している人もいる。女性のほうがコミュニティーを求める人が多い」と話す。  一方、高橋さんは「シニアは譲り合えない部分が多い人もいると思う」と指摘する。シニア向けになると、運営の難しさもあるだろうと話す。若い感覚を持っているシニアだと、コミュニケーションも円滑になるかもしれないとみている。  国土交通省のガイドブックは、空き家の増加が今後も見込まれ、シェアハウスとして活用することで、空き家物件の不具合の早期発見が可能になると指摘する。オーナーは賃料収入も得られるとも。部屋数の多い空き家は、シェアハウスという活用法が選択肢になりそうだ。(本誌・浅井秀樹)※週刊朝日  2022年11月18日号
ルール見直しの「生前贈与」Q&A 相続税への「持ち戻し期間」は5年、7年に?
ルール見直しの「生前贈与」Q&A 相続税への「持ち戻し期間」は5年、7年に? 小分けされた純金(イメージ)  相続税や贈与税の見直しに向けた検討が進んでいる。焦点は、生きている間に子や孫に資産を渡す「生前贈与」に関するルール変更だ。議論の成り行きいかんでは、相続対策を早めに見直す必要が出てくる。注目点をQ&A形式でみていこう。 *  *  * 「資産移転の時期の選択に、より中立的な税制をどう構築するか」  政府の税制調査会(首相の諮問機関)が9月に設置を決めた専門家会合では、財政や税制の有識者が集まり議論がスタートした。10月5日を皮切りに、21日に2回目、26日に3回目の会合がすでに開かれた。比較的早いペースだ。  とはいえ、「資産移転の時期の選択に、より中立的な税制」などと言われても、ピンとこない。  財務省によると、親や祖父母が亡くなったり、あるいは、生きているうちに子どもや孫へ資産を渡すタイミングの違いによって税負担が重くなったり、軽くなったりといった差が出ないようにすることだという。  日本の税制は主に、資産を移すのが死亡時なら相続税、生前なら贈与税の二本立てになっている。誰がどう負担するかや税率、手続きもそれぞれ違う。そこで、税負担の重さではなく「必要性に応じて資産を移転できるようにしていきたい」(財務省税制1課)という。  専門家会合の設置を決めた9月の政府税調の総会で、注目すべき発言があった。  会長の中里実・東京大学名誉教授が「『近々、暦年課税が廃止されるのではないか』『110万円の基礎控除(非課税枠)が使えなくなるのではないか』といった見方や懸念があるようだが、そうした議論を行うのではなく……」と、断りを入れたのだ。  このところ、年末に向けてまとめられる相続税・贈与税についての税制改正要望で、暦年贈与や非課税枠の見直しが毎年のように取りざたされてきた。会長自ら、こうした懸念をひとまずは打ち消した形だ。  ただし、議論の内容やスケジュールはすべて公開されているわけではない。そこで相続に詳しい税理士ら専門家に議論の行方を占ってもらい、ルール変更への対処法も聞いた。 週刊朝日 2022年11月11日号より ◇    ◇ Q そもそも、贈与税と相続税の仕組みは? A 贈与税は生前、相続税は死亡時、といった具合に資産を渡すタイミングによって分かれる。  税金の決め方も異なる。贈与税は「暦年課税(暦年贈与)」と「相続時精算課税」の2種類があり、どちらかを選べる。  選ぶ人が多い暦年課税は、その年にもらった財産の合計から110万円の基礎控除を差し引いた額に対し、税率をかけて納税額が決まる。  相続についてのコンサルティング事業を手がける「夢相続」代表の曽根恵子さんは「非課税枠は比較的小さいものの、その範囲内で贈与を重ねれば妻や子どもに残す資産を圧縮できるので、相続税対策として活用されるケースは多い」と話す。  これに対し相続時精算課税は、生きているうちにもらった財産はそのつど贈与税を払い、そのうえで死亡後に相続した財産と、生前に贈与された財産とを合計して相続税の額を計算する。払い済みの贈与税の額を差し引くことで、最終的な相続税の納付額が決まる仕組みだ。2003年に制度がスタートした。贈与税と相続税を一体化した制度と言える。  生前にもらった財産にかかる贈与税は、累計2500万円まではいったん非課税となる。非課税枠を差し引いた財産にかかる税率は一律20%だ。  ただし、相続や贈与に詳しい山本宏税理士事務所の山本宏さんは、「効果的な節税につながらないこともあり、同族経営の会社株式の事業承継といった限られたケースを除くと、制度を使う人は限られる」と指摘する。 ■「持ち戻し期間」5年、7年に?  一方、相続税は、相続した財産の合計から「3千万円+600万円×法定相続人の数」で計算する基礎控除を差し引き、額に応じて決まっている税率をかける。  法定相続人が妻、子どもの2人のケースならば3千万円+600万円×2人、つまり4200万円まで相続税はかからない。同じように、法定相続人が3人なら4800万円まで非課税だ。  暦年贈与の場合、最低税率の10%が適用されるのは、非課税枠を差し引いた課税額200万円までなのに対し、相続税の場合は同1千万円までと、最低税率が適用される範囲は広い。基礎控除も相続税のほうが多く設定されているので、基本的には贈与税のほうが相続税に比べて税負担は重いとされる。 ◇    ◇ Q 暦年贈与は今後できなくなるの? A 政府税調の中里会長があえて否定的な発言をしたように、専門家の間では当面はなくならないとする見方が多い。前出の山本さんは言う。 「贈与はほとんどの人が普段からしている行為で、すべてを把握するのは技術的にも困難です。贈与した本人でさえ、すべて把握できているわけではないでしょう。暦年贈与をなくして相続時精算課税に一本化しようと思ったら、贈与分と遺産を合算する必要がある。それは難しいということで、暦年贈与は残す流れになっているのではないでしょうか」  財務省によれば、専門家会合では、暦年贈与と相続時精算課税を選べる現行の仕組みは維持しつつ、後者の使い勝手をよくする方向で話し合っているという。  近年、廃止や縮小がささやかれていた暦年贈与の年110万円までの非課税枠も、会合では俎上(そじょう)に上っていないようだ。 ◇    ◇ Q 相続税への「持ち戻し期間」とは? A 暦年贈与の場合、亡くなる前の3年間にもらった分は相続財産として扱われ、相続税の対象となる。この相続税として加算される期間を「持ち戻し期間」と呼ぶ。  先の専門家会合ではこの期間の延長が議論されており、5~10年などに延びると見込まれている。 「いきなり10年に延長されるのは考えにくい。5年、7年と段階を踏んで変更されていくのではないでしょうか」(前出の山本さん) ■課税対象外の人へ贈与で負担減  税理士法人チェスターの代表で税理士の福留正明さんは「延長されればインパクトは大きい」とみている。 週刊朝日 2022年11月11日号より 「変更がいつ行われるか、またどの程度延長されるか現段階で明確ではありませんが、持ち戻し期間が延長されれば税負担は上がります。もともと、暦年贈与をする人は相続税の対象となるような資産が多い人に限られますが、早め早めの対策を呼びかけています」  持ち戻し期間が延長された場合への備えとしては、相続の対象となっていない人への贈与が一つの手だという。  福留さんは続ける。 「持ち戻しは、相続税の課税対象者が対象となります。このため配偶者や子どもなどに直接、贈与するのではなく、孫や子どもの配偶者ら、課税対象でない人へ贈与すれば負担は和らげられ、相続資産も減らせます」  ただし、相続税の課税対象とならない人へ贈与することに抵抗を感じる人もいるという。配偶者や子どもら相続税の課税対象者に比べて、日頃の関係性が薄いケースが少なくないからだ。配偶者や子ども、さらに贈与を考えている人の理解を得るうえでも、早めの備えが必要だろう。 ◇    ◇ Q 相続時精算課税はどう変わる? A 前述したように、専門家会合では使い勝手を高めるための議論がなされている。  暦年贈与と相続時精算課税の利用状況をみると、20年の課税件数が暦年課税が36.4万件なのに対し、精算課税は4万件にとどまる。  精算課税制度を適用したい場合、贈与を受ければ非課税枠2500万円の範囲内で税を納める必要がない人も、税務署への申告がいる。こうした手続きを簡素化する意見が出ている。  また制度を利用できるのは60歳以上の父母や祖父母から、18歳以上(今年4月1日より前の対象者は20歳以上)の子や孫への贈与に限られたり、精算課税を選択すると暦年贈与を選べなくなったりする点も課題として指摘されている。 「暦年贈与と併用できるようになれば利用が増えるかもしれません。ただ、そのためには贈与された資産をきめ細かく把握し、どの資産をどちらの制度に適用するかの線引きをする必要が生じます。簡単ではありません」(前出の山本さん) ◇    ◇ Q 「結婚・子育て」「教育資金」の特例はいつまであるの? A 子や孫への贈与が一定額まで非課税になる「結婚・子育て資金の一括贈与」や「教育資金の一括贈与」といった特例は、いずれも23年3月末が期限だ。延長されてきた経緯があるが、今回、廃止や縮小が検討されている。  なかでも、挙式や出産費用、保育料など結婚・子育てに必要な資金の贈与は、1千万円まで非課税となるものの、21年度の新規契約数はわずか153件にとどまる。1500万円までが非課税の、教育資金の贈与の新規契約数(8962件)に比べても少なさが際立つ。  前出の山本さんはこう分析する。 「いずれも銀行などの金融機関に専用口座をつくって信託契約をする必要があり、資金は一括で贈与しても、使い道が認められなければ口座からお金を引き出すことができません。結婚・子育て資金の利用者が少ないのは、入学金や授業料といった用途が比較的明確で、まとまった額が必要な教育資金に比べ、利便性を感じられない点が大きいのではないでしょうか」  ただ、廃止や縮小はされても、制度そのものは残る可能性もあると山本さんはみている。 ◇    ◇  専門家会合は今後の議論の結果を政府税調に報告する。今年12月に与党がまとめる税制改正大綱にも反映される見込みだ。前出の福留さんは、相続税や贈与税をはじめ、個人への課税を強めていく方向は今後も続くとにらむ。 「政府の財源が不足する中、企業の生産拠点の海外移転は進み、法人税は思うように伸びない。経済の低成長が続き、富裕な高齢者から資産の移転を促す必要もあります」 ■値上がり期待の資産譲渡が鉄則  見直しの背景には、生前の早いうちに贈与を促し、若い世代に資産が渡りやすい環境をつくる狙いもあるとされる。  だが、ルール変更が見込まれるとはいえ、慌てて対策に乗り出せばよいものではない。前出の山本さんは言う。 「何も考えずいきなり贈与を始めてしまうことが最もよくない。まずは自分が相続税の基礎控除額を上回る資産を持っているか、節税対策が必要かをチェックするのが前提です。生前贈与をして相続税を減らす必要がない人から相談が寄せられるケースも目立ちます。対策が必要な人も、もらう人が喜ぶような資産を贈与したり、残したりするよう心がけることが大事です」  その意味で税理士の板倉京さんは「贈与にあたっては収益が得られるものや、将来的に値上がりが期待できる資産を譲るのが鉄則」と強調する。  例えば、賃貸用アパートの建物を贈与する場合、同じ価値の現金に比べて評価額を抑えることができる。アパートの建物の評価額は固定資産税評価額と同じで、時価の5~6割程度に抑えられるからだ。さらに贈与税の評価にあたっては「貸家」として扱われるため、固定資産税評価額から借家権割合分の3割を差し引くことができる。  そのため評価額は、同じ価値の現金に比べて半分以下で済む。加えて、入居者からの家賃収入も期待できる。「資産そのものを安く移転できるのに加え、収入も移転できます」(板倉さん)  まずはルールがどう変わるか、見極めが肝心だ。個人が置かれた事情はさまざまで、持っている資産も違う。税理士や司法書士ら専門家の力も借りながら、自分に合った対策を賢く探りたい。(本誌・池田正史)※週刊朝日  2022年11月11日号
King & Princeの高橋海人さんが週刊朝日の表紙とグラビアに登場 「フラストレーションがたまっている方を癒やしたい」/11月8日発売
King & Princeの高橋海人さんが週刊朝日の表紙とグラビアに登場 「フラストレーションがたまっている方を癒やしたい」/11月8日発売 誰をも癒やす「末っ子キャラ」が炸裂するKing & Princeの高橋海人さん。単独初主演となったラブコメドラマやダンスへの意気込みを語ってくれました。ほかにも、インフレ時代に必要な資産形成の基本、夫のDVに声を上げる妻たち、習近平国家主席の独裁体制強化で台湾有事がくる? 世界に衝撃を与えた「スリラー」とマイケル・ジャクソン、もう一度会いたい有名人総選挙など、多彩なラインナップでお届けします。 ドラマ「ボーイフレンド降臨!」(テレビ朝日系)で記憶喪失の青年を演じる高橋海人さん。無垢な笑顔と言動が魅力の役を演じた経験は、本業のアイドルにも活かされているとか。「周囲からよくかわいいって言われる」という高橋さんですが、最近色気も出てきたそう。「守るもの」ができたからだといいますが、その意外な相手とは? 「国民的弟」の魅力があふれた表紙とカラーグラビアもお楽しみください。 その他の注目コンテンツは ・人生後半戦に勝つ資産形成ついに日本でも本格的なインフレ時代がやってきました。預貯金や年金頼みだと資産がどんどん目減りしてしまいます。「いまさら投資をしても……」と尻込みする人も多いかもしれませんが、いまからでも遅くありません。人生後半戦に入ったとしても、100歳まで生きることを考えたら、まだまだ時間はあります。むしろ資産を維持したり増やしたりしなければなりません。50~60代以上が知っておきたい資産形成の基本をおさらいします。 ・モラハラ・DVで捨てられる老夫たち「こんなの食事じゃないだろう!」「オレは勤め上げてお前を養ってきた!」。夫からそんな暴言を吐かれても、我慢する必要なんてありません。夫婦間のDV相談は18年連続で過去最多を更新し、熟年離婚も増えています。夫婦問題カウンセラーが考案した「妻の防御策5カ条」を参考にすれば、いくつになっても自分の人生を取り戻せます。 ・習近平「独裁」で迫る台湾有事Xデー異例の3期目に突入した中国の習近平国家主席。彼に忠誠を誓う人物で周りを固め、「独裁体制」が強化された先にあるのは台湾有事か。軍制服組トップ人事も「台湾シフト」鮮明になり、Xデーが迫ります。米中戦争なら東京も標的に? 党大会で胡錦涛前国家主席が「途中退出騒動」した真相は……。謎が深まる中国の政情を読み解きます。 ・「スリラー」40周年、マイケル・ジャクソンとその時代ポゥ!のシャウトにムーンウォーク……。ジャンルの壁を超え世界に衝撃を与えた「スリラー」が1982年12月1日に発売されてはや40年を迎えます。販売累計1億枚を超すヒットの背景には「『これでいけるぞ!』という喜びが詰まった作品」(音楽評論家)があるといいます。「シンプルだけど奥が深い」ダンスの秘密にも迫ります。 ・あなたがもう一度会いたいのは誰? ネット総選挙「ジャズが流れる静かなBARで夏目雅子と」「西城秀樹とカラオケでヤングマンがしたかった」。伝説のスターと語り合いたい……、そんな夢を見たことはありませんか? 週刊朝日では天国から呼び出して飲みに行きたいスターをアンケート。3位は志村けん、2位は樹木希林、1位は昭和に輝いた「あの人」。あなたが飲みに行きたいスターは? 週刊朝日2022年11月18日号発売日:2022年11月8日(火曜日)定価:440円(本体400円+税10%)

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