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【世界の名だたる文学賞総なめの快挙! 前代未聞の最注目翻訳小説が日本上陸!】ピュリツァー賞、全米図書賞、英国図書賞など驚異の5冠受賞、各紙誌で年間最優秀図書最多選出の『ジェイムズ』、6月27日発売。
【世界の名だたる文学賞総なめの快挙! 前代未聞の最注目翻訳小説が日本上陸!】ピュリツァー賞、全米図書賞、英国図書賞など驚異の5冠受賞、各紙誌で年間最優秀図書最多選出の『ジェイムズ』、6月27日発売。 不朽の名作『ハックルベリー・フィン』を過激な笑いと皮肉で覆す、アメリカ人作家パーシヴァル・エヴェレットによる衝撃の話題作。西加奈子氏、星野智幸氏、三宅香帆氏絶賛! - 河出書房新社 株式会社河出書房新社(本社:東京都新宿区/代表取締役:小野寺優)は、パーシヴァル・エヴェレット著、木原善彦訳による小説『ジェイムズ』を、2025年6月27日に刊行いたします。 「容赦なくも慈悲深く、美しくも残酷で、悲劇であり茶番劇」──エルナン・ディアズ 「恐ろしくも抱腹絶倒、そして深く胸を打つ」──アン・パチェット 「衝撃的で爽快な結末」──ワシントン・ポスト紙 「この本は読者の心をまっすぐに撃ち抜く」──ニューヨーク・タイムズ紙 2024年3月にアメリカで刊行以来、ありとあらゆる言葉で賛辞が贈られ、次々と世界の名だたる賞を受賞し、有名各紙誌の年間最優秀図書に選定される小説、パーシヴァル・エヴェレットによる『ジェイムズ』。 本作はアメリカにおいては文学的大事件となり、多くの読者諸氏から熱狂をもって受け入れられています。また、ユニバーサル・ピクチャーズが映画化権を取得し、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を務めるというニュースも話題となっています。  *各賞等の実績は、下記をご参照ください。 著者のパーシヴァル・エヴェレットは、これまでの作品も高評価を得ており、『Dr. No』(原題)はPEN/ジーン・スタイン図書賞を受賞し全米批評家協会賞最終候補に、『The Trees』(原題)はブッカー賞最終候補に、『Telephone』(原題)がピュリッツァー賞最終候補などに選出。また『Erasure』(原題)を原作とした映画『アメリカン・フィクション』(ジェフリー・ライト主演/2023公開)は、アカデミー賞の作品賞ほか5部門にノミネートされ、このうち脚色賞を受賞しています。 『ジェイムズ』表紙 US版(上段)、UK版(下段) ■『ジェイムズ』とは?少年ハックと逃亡する黒人奴隷ジェイムズを待ち受ける、地獄の旅路……。 本書は、かつてヘミングウェイが「あらゆる現代アメリカ文学の祖」と称した『ハックルベリー・フィン』を過激な笑いと皮肉でくつがえす、衝撃の作品です。 この『ハックルベリー・フィン』の物語を黒人奴隷ジムの目を通して語り、たっぷりのブラックユーモアで残酷な逃避行を描きます。そして、人間の尊厳と自由を守るための闘いとはどのようなものかを、私たちの魂に深く問いかける小説です。 『ジェイムズ』は、2024年のアメリカ文学界最大の話題書であるとともに、日本翻訳大賞受賞の名訳者・木原善彦氏による翻訳によって、今年、日本でも翻訳文学における最大の事件となることでしょう。 ■推薦の言葉日本人作家、文芸評論家の皆様からも、推薦の言葉をいただきました! 西加奈子氏── 物語は往々にして誰かの人生を破壊し、利用する。 だが、鮮やかなやり方で新たな命を与えることも出来る。この小説のように。 星野智幸氏── 読み始めたが最後、『ハックルベリーの冒険』を愛する私がいかに「白人」であったか、 自分を笑い飛ばして痛快になる。 三宅香帆氏── 地獄の故郷を抜け出して、いっしょに生きよう。 この小説にそう誘われた気がした。 ■『ジェイムズ』、圧巻の受賞等実績一覧!・ピュリツァー賞受賞(フィクション部門) ・全米図書賞受賞(フィクション部門) ・英国図書賞受賞(フィクション部門) ・カーネギー賞受賞(フィクション部門) ・カーカス賞受賞(フィクション部門) ・ブッカー賞、全米批評家協会賞、PEN/フォークナー賞最終候補 ・ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー第1位 ・オバマ元大統領2024年サマー・リーディング・リスト選出 ○2024年、年間最優秀図書選出メディア一覧ガーディアン紙/ニューヨーカー誌/ロサンゼルス・タイムズ紙/パブリッシュ・ウィークリー/ニューヨーク・タイムズ紙/ヴァニティ・フェア誌/ワシントン・ポスト紙/カーカス・レビュー誌/シカゴ・トリビューン紙/インディペンデント紙/アトランティック誌/アマゾン・ブックス・エディターズ年間ベストブック/ロサンゼルス・タイムズ紙「過去30年間のベスト・フィクション」…… ○各紙誌による書評より・「天才」──アトランティック紙 ・「挑発的で啓発的な文学芸術作品」──ボストン・グローブ紙 ・「恐ろしく、胸をえぐり、そして笑わせる小説」──ガーディアン紙 ・「アメリカ神話を刷新し、ジムに新たな声を与える知的スリラー」──タイム誌 ・「アメリカ文学の古典の一つを再定義する傑作であり、それ自体が偉大な業績である」──シカゴ・トリビューン紙 ほか □著者 パーシヴァル・エヴェレット(Percival Everett) 1956年生まれ。アフリカ系アメリカ人作家。南カリフォルニア大学卓越教授。著書に『Dr. No』(全米批評家協会賞最終候補、PEN/ジーン・スタイン図書賞受賞)、『The Trees』(ブッカー賞最終候補)、『Telephone』 (ピュリツァー賞最終候補) 、『So Much Blue』、『Erasure』、『I Am Not Sidney Poitier』などがある。小説『Erasure』を原作とした映画『アメリカン・フィクション』が2023年に公開され、アカデミー賞脚色賞を受賞。 妻で作家のダンジー・セナや子どもたちとともにロサンゼルス在住。 Photo: Michael Avedon □訳者 木原善彦(きはら・よしひこ) 1967年生まれ。京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科修士課程・博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学大学院人文学研究科教授。英米文学研究者。翻訳家。訳書にウィリアム・ギャディス『JR』(国書刊行会、翻訳大賞受賞)、リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』、アリ・スミス『両方になる』(以上、ともに新潮社)、エヴァン・ダーラ『失われたスクラップブック』(幻戯書房、翻訳大賞受賞)など多数。 ■書誌情報 書名:ジェイムズ 著者:パーシヴァル・エヴェレット 訳者:木原善彦 仕様:46判/上製/416ページ 初版発売日:2025年6月27日 *電子書籍も同時発売予定。 定価:2750円(本体2500円) ISBN:978-4-309-20928-9 https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309209289/
【追悼・長嶋茂雄】「決断は8月でした」生前に本人が明かした2001年巨人軍監督退任の舞台裏 「バトンを次の世代に」
【追悼・長嶋茂雄】「決断は8月でした」生前に本人が明かした2001年巨人軍監督退任の舞台裏 「バトンを次の世代に」 「現代の肖像 長嶋茂雄」(文=西村欣也 写真=高井正彦)AERA 2001年12月31日-2002年1月7日号  プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)終身名誉監督の長嶋茂雄さんが(89)が亡くなった。王貞治さんと共に「ON」時代を築き、9年連続日本一の原動力になるなど「ミスタープロ野球」として広く親しまれた長嶋さん。元朝日新聞編集委員の故・西村欣也さんによる「現代の肖像」(AERA 2001年12月31日-2002年1月7日号掲載)全文を期間限定で掲載する(記事中の年齢・肩書などは当時)。 * * *    長嶋茂雄がプロ野球の公式戦でユニホームを着ることは、おそらく、もう二度とないだろう。そのことは、彼の中で何を意味するのだろうか。20世紀の後半から21世紀最初の年まで、長嶋茂雄は最も有名な日本人の一人であり続けた。その彼がプロ野球の表舞台から降りる。もう、戻ってはこない。 「ユニホームを脱いだと言いましてもね、この時期にやっていることは、昨年(2000年)までとそんなに変わらないんですよ」  陽が沈みかけた都心のホテルの一室で、日本茶を口にしながら、長嶋は話し始めた。  支援者へのあいさつ回り。パーティーへの出席。ゴルフ。マスコミへの露出。野球のワールドカップを観戦するため、台湾にもでかけた。監督時代から、ポストシーズンは、あわただしく過ぎていくものだった。 「変わらないというより、行事は増えましたね」  巨人球団広報部主任で監督退任後も長嶋付き広報担当を続ける小俣進は言う。広島、巨人、ロッテで投手として活躍した小俣は、長嶋が監督を退任した9月28日以来、1日も休んでいない。ゴルフならば、午前6時前に田園調布の長嶋邸に出向く。テレビの収録は深夜にまで及ぶこともある。小俣に休みがないということは、当然、長嶋茂雄に休日がないことになる。 「でもね、2月のキャンプ、あるいはキャンプを終わりましてね。オープン戦からいよいよレギュラーシーズンに入る時、気持ちの変化が出てくるでしょうね」  長嶋は、少し遠くに視線をやって話した。  その時、わき上がってくる感情は安堵に似たものなのか。あるいは、寂しさの色合いが濃くなるのだろうか。 「たぶん、疼くでしょうね」  長嶋はそう表現した。 『疼き』。その微妙な表現にこめられた思いがある。  以前、ユニホームを脱ぐタイミングについて、話を聞いたことがあった。 「80歳まで生きるとして、あと20年弱。野球界から身を引いて、次の人生を、と考えますよ。しかし、生ある限りは生き続けなければいけませんからね。ファンのみなさまが『長嶋、ご苦労さん』と言ってくださる時でしょうね。引き際は本当に難しい」  それが、長嶋の答えだった。今季、ユニホームを脱いだのは、その「時」がきたと悟ったからだろうか。2002年には日韓共催のサッカー・ワールドカップが開催される。大リーグ人気に押される日本のプロ野球は、さらなる危機にさらされるのは間違いない。プロ野球界を考えて、あと1年は監督を続ける、というのが大方の見方だった。「続投」が既成事実のように言われていた。いったい、いつ彼は監督の座を降りる決断をしたのだろうか。 「決断は8月でした」  きっぱりと言って、続けた。 「時あたかもミラクル宣言でね。『奇跡を求めてミラクルアゲイン』とさかんにコメントしながら、ひたすら勝負に徹してきたつもりですが、気持ちのうえでは8月には。選手あるいはコーチには微塵もそういうことを察せられることなく、ね」  もう一度、ユニホームを脱ぐ理由を尋ねた。 「理由ですか。バトンを渡すタイミングだけは、逸してはいけないということです。前回、ユニホームを脱いだ折には、いろんな形で憶測推測が入り、大きなトラブルに巻き込まれて、渦の中でみなさんにご迷惑をおかけしてね。12年ぶりにユニホームを着た時点で、次に脱ぐ時は前回のようになってはいけないという気持ちが強くありました」 退任を表明した巨人の長嶋茂雄監督(当時)。右は原辰徳ヘッドコーチ(当時)=2001年9月28日、東京都内のホテルで 「前回」とは、1980年10月21日のことだ。長嶋は3年連続リーグ優勝を逃したことから、巨人の監督を辞任した。記者会見で「男としてケジメをつけたい」と話した。  しかし、実体は「解任」だった。川上哲治元巨人監督が裏で糸を引き、藤田元司監督を誕生させたともうわさされた。ファンはユニホームを脱いだ長嶋にラブコールを送り、読売グループは大きな痛手を受けた。  あのような騒動は避けたい、という思いが、彼には強くあった。 「昭和30年代の前半からファンの支援をいただき、育てていただいたという恩というか、そういう感謝の気持ちが僕は非常に強いものですから、やっぱり身の処し方というのは非常に難しいですよね。ややもすると、トラブルが起きてみたり、不本意に相手に迷惑をかけてしまったり。今回の場合はみなさんに迷惑をかけずにいい形でバトンを渡しながら、将来にはばたくセレモニーで受け継ぎをしたい、という半ば夢みたいなものがありました」  去り際の「美学」のようなものにこだわったのは理解できる。しかし、やめなければならない理由は、やはりはっきりとしない。 「8月に決断して、渡辺(恒雄)オーナーにお話ししたのは9月に入ってからですね。直接お目にかかってね。原(辰徳)監督も僕のそばについて3年。ヘッドコーチとしても成長しているし、もうそろそろいいじゃないかという形でね。ぜひバトンを次の世代に託したいということをオーナーに申し上げました」  9月27日の夜に、長嶋は退任を家族に告げたと言う。 「記者会見の前の晩ですね。それまでは、家内も含めて一切明かしていませんでした。その晩、子供たちに久々に集合をかけて、『明日、記者会見をやるから』と。家内は『長い間ご苦労様でした』と言ってくれた。子供たちは『今度はもう自分の好きな人生を送ってください』ってね」  私事になるが、僕は28日の記者会見に出られなかった。8月末からサッカーと大リーグ取材のために、ドイツと米国に出かけていた。日本にもどったのは大リーグ・ワールドシリーズの取材を終えた11月初旬だった。  現地時間の27日、シアトルのホテルの一室で携帯電話が鳴った。東京のデスクから、長嶋監督の記者会見が設定されていることを知らされた。周辺取材の電話を、ホテルからかけ続けた。原稿を送り終えるころには、夜が白々と明けていた。  その中で、気になる情報をもたらしてくれる人がいた。読売グループの首脳だった。 「50歳以上の巨人戦のテレビ視聴者は、今でもむしろ増えているんです。でも、いつまでも、その層に頼っているわけにはいかない。先を考えて構造改革が必要なんです」  電話口の声は、早口で続いた。 「少なくとも、35歳を中心とする視聴者の支持を得ないとだめなんです」  では、ある意味で、長嶋茂雄は再び「解任」されたのだろうか。  ぶつけた質問に、少し間を置いて答えた。 「それは、少し違う。留任、退任の選択権は最後まで長嶋さんにあったわけです。ただ、これで、コーチを含めて若い顔がベンチに並ぶことになる。それだけで、雰囲気は違ってきますよ」   「現代の肖像 長嶋茂雄」(文=西村欣也 写真=高井正彦)AERA 2001年12月31日-2002年1月7日号  長嶋退任の裏に、確かに視聴率の問題が隠れていた。  巨人戦ナイターの視聴率は8月末までで15・1%だった。2000年の年間平均18・5%を3ポイント以上下回っていた。7月11日、午前中に放送された大リーグのオールスター中継は11・2%だったのに対し、その夜の巨人戦は10・2%しか稼げなかった。シーズン後半には一桁まで落ちる日も少なくなかった。  長嶋はシーズン中、ずっと視聴率を気にしていた。知り合いのアナウンサーを見つけては、数字を確認していた。その率の低さに落胆を隠さなかった。  読売グループ全体からの「圧力」を長嶋は敏感にかぎとっていたに違いない。「どうしても続投してほしい」という空気が希薄なことを感じ取り、あの「退任劇」に追い込まれていったのではなかったか。長嶋は、いかに潔く退くかを考え続けた。  小俣広報が、ぽつんと言ったことがある。 「長嶋さんの好きな花をご存じですよね」  桜である。それは、何度か聞いたことがある。 「理由を尋ねたことがありますか。潔く散るからですよ」  退く動機よりも、そのスタイルの方が、長嶋茂雄にとっては重要なのだ。  ファンからどう見えるか、ということが、彼の最も大事な行動基準となる。 「昭和32年の12月の何日だったかな。このホテルのそばの東京会館で巨人とサインしてね。契約金1800万円。僕の持論であるファンあってのプロ野球。何かちょっと理論めいたことで言うと、時代が球界をつくり、そしてその時代のなかにいる国民がヒーローを育成するという格言が昔からあるんですよ」  それを「格言」と呼ぶかどうかは別にして、長嶋は自らが、時代に育てられた存在だという意識が強い。 「昭和30年代の前半をみてみますとね。非常にやっぱり高度成長の時代の息吹みたいなね、そういうものがバッと揺れ動いていたわけでしょう。それに乗っかって長嶋も球界も、突っ走ったんです」  1955年から73年にかけてを日本の「高度成長時代」と定義することが多い。長嶋が立大で1号本塁打を放ったのが55年。巨人でのルーキーイヤーが58年。現役を引退したのが74年だから、確かにその活躍は「高度成長時代」とピタリと重なる。  この間にテレビ普及率は6倍、国民総生産(GNP)は5倍に伸びた。 「昭和34年6月の25日にね、昭和天皇が初めてプロ野球を観戦なさって、あれからファンのみなさんの見方が非常にホットになってきたと思います。その試合で期待通りに結果と力を発揮してね。プロ野球が時代のメジャーに入ってきたわけでしょう」 「僕は、時代の一節であったということで、いいと思っているんですよ。高度成長の一番よき時代に野球ができた。国内はもちろん、海外に、みなさん会社を代表して出ていってね、一生懸命頑張り抜いたわけでしょ。そういう時代の活力になれたかな、と」  しかし、「時代」は長嶋茂雄を手放さなかった。  20世紀最後、2000年の巨人対ダイエーの日本シリーズを「ONシリーズ」と呼ばなければならなかったことに、それは端的に表れている。  そして、時代は動き、時はうつろっていくのに、長嶋茂雄だけが長嶋茂雄であり続ける。 日本シリーズ開幕を控え、握手するダイエー・王監督(左・当時)と巨人・長嶋監督(当時)=2000年10月20日、東京ドーム  01年11月11日には立大時代からの親友、南海のエースで南海、ダイエーの監督を務めた杉浦忠が亡くなった。  12月6日未明には阪神の野村克也監督が、夫人が脱税容疑で逮捕された責任をとって、辞任を発表した。「長嶋茂雄が常に太陽に顔を向けているひまわりなら、自分は月夜にひっそり咲く月見草や」。そう話し続けた終生の「ライバル」の退場だった。  長嶋、杉浦、野村は同じ学齢である。 「そう、同じ世代の人間がああいう形で亡くなったり、身を引いたりというのはね、感慨がありますね。杉浦は野球人生を目いっぱい生きた男。多彩な趣味を持って、人生をエンジョイした。でも、もう少し自愛していれば、まだまだねえ」  ここ2カ月の彼の動きを並べてみると、長嶋だけが、時にからめとられないかのような錯覚に陥ることがある。  11月12日には野球のワールドカップ観戦のために訪れていた台湾で、陳水扁総統と会見した。 「日本と台湾の野球がさらに交流を深めるために力を尽くしたい」  11月21日、イチローが米大リーグ、ア・リーグのMVPに選ばれ、コメントを求められる。 「期待していましたが、やりましたね。イチロー君は、パワー全盛の時代にスピードと技のすばらしさを日本から持ち込んでくれました」  12月2日の夕方には、皇居前広場で皇太子ご夫妻の赤ちゃん誕生を祝う集会に出席してあいさつする。 「全国民が待望した瞬間を切に待ち望んでいました。新宮様が健やかにお育ちになることを、祈念申し上げます」  彼らしい言い回しに、会場を埋めた2万5千人が沸いた。  11日には、阪神監督就任を要請されていた星野仙一と都内で対談した。 「東の巨人に対し、西の阪神と言われるチームでがんばれ。危機にあるプロ野球界を、もう一度ユニホームを着て救ってほしい。安芸(阪神のキャンプ地)でコーヒーを飲ませてね」  そして13日には、11日に亡くなった王貞治ダイエー監督の妻恭子の通夜があった。 「世界の王の記録も、一人で達成されたわけでなく、恭子ちゃんがいたからこそ。立派な勝負師の妻として全うされたと思います」  監督退任後の彼の動きを俯瞰的にみて、僕は長嶋茂雄を誤ってとらえていたことに、やっと気がついた。  誤解の原因は、以前聞いた印象深い言葉にあった。 「長嶋茂雄をずっとやっていくのも、大変なんですよ」  そう話した日があった。朝日新聞日曜版で「100人の20世紀」(99年3月14日掲載)を書くためのインタビューだった。  だから、僕は、次に彼がユニホームを脱ぐのは、長嶋茂雄が長嶋茂雄であることを、一度休もうとする時だと思いこんでいる部分があった。  そのことを、もう一度聞いてみた。 「長嶋をずっとやっていくのは大変。もちろん、そういう面はあります。ただひたすら、がむしゃらに走ってきましたからねえ。その走りがこの先どうなっていくのか」  だからこそ、一度、長嶋茂雄を休もうとは、思いませんか? 「のんびりは、できないんじゃないですかね。僕自身の性格がこういう性格ですからね。動きながら自分の人生というものをつかみながら、ずっとやってきてますから、やっぱりじっとしてたら自分の人生というのはジ・エンドでね。何かもう終わりを告げるんじゃないかというのが、一方であるんです」 「現代の肖像 長嶋茂雄」(文=西村欣也 写真=高井正彦)AERA 2001年12月31日-2002年1月7日号  そうだったのか。長嶋茂雄は長嶋茂雄をやめるつもりはない。実は、長嶋茂雄であり続けるために、巨人のユニホームを脱いだのではなかったか。  今も、巨人の母体である株式会社「よみうり」の重役についている。終身名誉監督のポジションに就任することも断らなかった。それは、しかし、退任をソフトランディングさせるための道具立てのひとつだった。 「うまく言えないんですけど、監督をやめてから、長嶋さんは確かに変わった気がします」  小俣広報は言う。 「僕なんかが言うのはおかしいんですけど、巨人の呪縛から解放されたというんですかね」  今回の退任は、野球人・長嶋が巨人という一チームから「解放された」瞬間だったのかもしれない。 「うん、野球人の誇りというのかな。これは人一倍強い男ですから。その誇りをかざして、新たな世界に入っていきたい。それなくしては、僕はもう生きていけないですもの」  長嶋は「誇り」という言葉に力をこめた。  そんな彼のカリスマ性に期待して、低迷するプロ野球のコミッショナー就任を待望する声がある。 「僕には全くそういう気はありません。まだ体力も若干あるしね。そういう動きの方で、何か役割を担えるんじゃないかという気持ちでね」  日本プロ野球の空洞化に対する危機感は、もちろん長嶋の中にもある。  松井秀喜君は、巨人球団重役の立場から、大リーグに行かせたくないですか? 「うーん、これは1時間、2時間で結論はでないですね。肯定する面もあるんですよ。1回、チャンスにチャレンジさせてあげたい。今の若い世代はプレッシャーを恐れずに羽ばたいて、生きていくエネルギーがあるからねえ。まだ、彼の気持ちを聞いたことはないけれど」  野球人の答えだった。  長嶋茂雄は、時代から退場したのではない。  時代が彼に、巨人の呪縛から自由になることを、望んだのだ。 (文中敬称略) (文/西村欣也) ※AERA 2001年12月31日-2002年1月7日号
矢沢永吉、羽生結弦、イチロー、三浦春馬など "一流"の日本人男性 88名が一同に会する唯一無二の写真展。 東京/大阪の二拠点開催。
矢沢永吉、羽生結弦、イチロー、三浦春馬など "一流"の日本人男性 88名が一同に会する唯一無二の写真展。 東京/大阪の二拠点開催。 「HERO3」現代を代表する日本人男性88名のポートレート 第三弾 スペシャルエディション - 合同会社クラージュ 写真家 HIRO KIMURAが数年に渡り撮り溜めた現代を代表する日本人男性のポートレート展を東京と大阪の二拠点にて開催。 大盛況を博したHERO1、HERO2に続くシリーズ第三弾、3年振りの今作はスペシャルエディション(ベスト版)として再編集。 厳選された88名のモノクロポートレートをご覧いただけます。 尚、本写真展はチャリティ企画であり、図録(パンフレット)による収益は全額、日本赤十字社へ能登半島地震災害義援金として寄付いたします。 被写体との張り詰めた間合い、身を切るようなセッションから生まれた重厚なポートレートには、 人間の美しさ、色気、生命力が写し出されています。 「人間のセクシャリティーは特異な経験値から成る挫折や悩み、他より劣る事 それら特別である事がいかに美しく慈悲深いか 個人の保持するそれぞれの光を切り取った 肖像写真とは撮影者自らを写すもの 他は自で有り、己のセクシャリティーが反映される 被写体と私の間に存在するもの ここではその摩擦を楽しんでいただきたい」              ―HIRO KIMURA ■HIRO KIMURA 1977年生まれ。1999年に渡米、スタイリストとして活動開始。日本屈指のアーティストやコレクション等を手掛けるスタイリストとして活躍していたが、撮影する側と被写体の間に生まれる感覚に魅了され、フォトグラファーに転身。操上和美氏のアシスタントとして0からキャリアを始め、独立後NYへ渡米。現在は、広告/ファッション/ミュージシャンの撮影を中心に活躍。シャープでスタイリッシュな人物撮影を得意としながらも、その作品には被写体自身の内面、まだ見ぬ側面が映し出されている。 近年ではムービーディレクターとしての活躍も目覚ましく、ミュージックビデオやT Vコマーシャルなども数多く手掛けている。 【HP】 ・ http://www.hirokimura.com/ ・ https://ccp-tokyo.com/ 【Instagram】 ・ https://www.instagram.com/hirokimura_/?hl=ja ■写真展概要 【大阪会期】 「HERO3」2025年7月16日(水)~20日(日) ※5日間 【開館時間】 10:00~20:00 ※7/16(水)10:00~16:00 ※7/20(日)10:00~12:00 【会場】 https://www.enokojima-art.jp/ アクセス:阿波座駅」下車、8番出口から西へ約150m。徒歩3分 ------------------------------------------------------------------------------------------ 【東京会期】 「HERO3」2025年7月22日(火)~27日(日) ※6日間 【開館時間】 10:00~20:00 ※7/22(火)のみ 10:00~17:00 【会場】 http://hillsideterrace.com/events/12394/ アクセス:代官山駅から徒歩3分、代官山 蔦屋書店に隣接。 約300平米に及ぶ開放的なスペースでゆっくりご覧いただけます。 【入場料/本展特典】 入場料:無料 本展特典:図録(パンフレット)販売 ※図録は期間中、会場でのみ販売 ※写真展の収益は日本赤十字社へ能登半島地震災害義援金へ寄付 ■第3回目出演者88名 ※五十音順 秋元康 浅野忠信 阿部寛 綾野剛 鮎川誠 石原慎太郎 市村正親 イチロー イッセー尾形 井上尚弥 今市隆二岩城滉一 岩田剛典 宇崎竜童 内田裕也 大泉洋 大杉漣 奥田瑛二 ØMI 片岡愛之助 片山勇 加山雄三 唐沢寿明 岸谷五朗 吉川晃司 窪塚洋介 隈研吾 桑田佳祐 斎藤工 斉藤ノヴ 堺正章 堺雅人 さだまさし 佐藤浩市 佐藤健 佐野史郎 椎名桔平 柴田恭兵 陣内孝則 鈴木敏夫 菅田将暉 関根勤 高橋克典 高橋幸宏 竹内涼真 舘ひろし 玉木宏 チバユウスケ Char 堤真一 妻夫木聡 ディーン・フジオカ テリー伊藤 堂安律 トータス松本 中井貴一 中尾彬 永瀬正敏 長渕剛 仲村トオル 西島秀俊 西野亮廣 野村萬斎 萩本欽一 長谷川博己 羽生結弦 福士蒼汰 福藤豊 藤原竜也 別所哲也 細川護煕 松井一郎 松方弘樹 松坂桃李 松本幸四郎 三浦友和 三浦春馬 MIYAVI 役所広司 矢沢永吉 山田孝之 山田洋次 吉沢亮 吉田鋼太郎 吉村洋文 ルー大柴 渡辺謙 渡部篤郎
「小泉進次郎たたき」は百害あって一利なし 「農家はかわいそう」という洗脳を解かないとコメ農政は変わらない 古賀茂明
「小泉進次郎たたき」は百害あって一利なし 「農家はかわいそう」という洗脳を解かないとコメ農政は変わらない 古賀茂明 備蓄米を販売するスーパーの視察を終え、取材に応じる小泉進次郎農水相    小泉進次郎農林水産相の登場で、永田町は、「雄一郎ブーム」(国民民主党・玉木雄一郎代表の人気急上昇)を吹き飛ばす「進次郎劇場」に舞台が一変した感がある。参議院選挙を前に、コメの価格対策は最大テーマに浮上した。  そんな折、私は、農林水産省の元改革派幹部官僚と話をする機会があった。彼は、一貫して農水官僚とは思えない国民目線の考え方でやってきた人だ。私が10年以上前から主張している農政改革の考え方とも非常に近い。そして、今回の米騒動についての解説が極めて分かりやすく、いちいち頷けるものだった。彼は、小泉氏のブレーンであるとも言われる。  そこで今回は、彼の話を噛み砕きながら、令和の米騒動とその先行きについて、考えてみることにしたい。  まず、なぜ、今回、コメがここまで高くなってしまったのか。  2024年8月頃、かなり広範な地域でコメが店頭から消えた。  当初は、インバウンドなどで需要が増えて品薄感が出たところに、23年産米の供給が猛暑による品質低下などで予想より少なかったため、供給不足で価格高騰になったのだという専門家による説明がなされた。  ただし、農水省は、全体としてコメが足りないのではなく、ごく一時的に消費者の買い急ぎや流通段階での目詰まりにより末端での需給バランスが少し崩れただけで、24年産米が出回れば、コメは店頭に並び価格も下がると説明した。  しかし、農水省は間違っていた。  24年産米の1年前の23年産米は、猛暑の影響で品質が非常に悪かったが、実は、「作況指数」は平年並みだった。これは単位面積あたりの収量を指数化したものなので、作付面積が減れば、作況は平年並みでも事実上の減反で、面積が減っているため量は減る。しかも、品質がかなり悪く、スーパーの店頭に並べられないようなものがかなりあった。そのため、23年産米は24年初夏頃になると店頭では品薄感が出て在庫も減ってきた。要するにコメの供給は足りなかったのだ。しかし、農水省の需給計画は平年並みを前提に作られ、何の対策も取られなかった。  実は、法律上、農水省はコメの需給状況を調査できる。しかし、現実には、国民の主食のコメの需給について全く把握できていなかった。  農水省が本来やるべき仕事をやっていたら、24年6月頃には、その後コメ不足が起きると予測できたはずだ。ここが失敗の始まりである。  日本人の主食であるコメの安定供給は、政府の責務だ。食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)にも価格の安定とともに需給の安定が目標として掲げられている。  1993年の大凶作で、平成の米騒動があったが、その時は備蓄制度がなく大混乱に陥った。その教訓を踏まえて備蓄制度を作り、100万トンのコメを蓄えてきた。  古今東西、食糧の安定供給は、国家の2大責務の一つだ。国家の安全と食糧供給、二つの安全保障である。ガザを見ても食糧供給の重要性はよくわかる。 前農水相の背後にいた農協と農水族議員  前述のとおり、2024年8月頃に店頭からコメが消え、価格も上昇した。国民に対して食糧の安定供給ができない事態だから、備蓄米を放出するのが政府の責務である。  しかし、農水省は、これを拒み続けた。今回の米騒動最大の原因だ。  コメが足りないことを認識できず、気づいても備蓄米放出が遅れたのはなぜか?  それは、価格を高く維持したい、少なくとも下げたくないという農協とこれと癒着した農水族議員がいたからだ。しかも当時は、まもなく自民党総裁選挙があり、その後に衆議院の早期解散総選挙が予想された時期である。農協を恐れた自民党は、価格低下を招く備蓄米放出を口にすることができなくなり、スーパーの棚はスカスカのままだった。  これを見た消費者やコメを仕入れる企業は、自分の分だけは確保しよう、値上がりする前に買っておこうと考える。多くの人、企業がいつもより多めにコメを買い、ますますコメは足りなくなった。  さらに、小売店は、いつもより高くコメを仕入れたので、高く売るしかない。値上がりを待って売ろうという輩も現れる。これがスパイラルを生み、価格は急上昇し始めた。  こうしてみると、今回の米騒動の原因は、農水省の無能さと無責任さにあると言って良い。もちろん、農協と族議員の責任も重大だ。  中でも、「コメを買ったことがない」という妄言を吐いてクビになった江藤拓農水相は、渋々備蓄米の放出を決めてもなお、後述するとおり、コメの価格低下を阻止しようとした。A級戦犯と言って良い。  食糧管理制度があった時代は、国が農協からコメを買って、これを卸売業者に売り渡していた。この制度が廃止された後に、政府が備蓄しているコメを市場に出した時も農協に売ったことは一度もない。普通に考えれば、今回もJA全農ではなく、少なくとも卸売業者に売るべきだったし、最初から小売業者に売ることも自由にできた。  また、政府は、買い戻し条件など過去に一度もつけたことがないのに、今回だけはそれをつけた。卸売業者などは後で大量のコメを集めることはできないので、事実上入札に参加できなかった。農協に備蓄米を集中させるための汚い手段としてこの条件が使われたのだ。  最も川上の農協に売れば、その下につながる卸売以下の段階で流通コストがかかる。  農協と言っても、地域の農協、県単位の農協、さらに全国単位の全農がある。彼らがそれぞれ手数料を取る。消費者に届く価格が高くなるのは当たり前だ。  韓国では、産地で精米して袋詰めし、それを直接スーパーに運んでいる。極めて効率的だ。  政府が多くの小売業者や外食産業などに備蓄米を直接売れば価格が下がるはずだが、そうしなかったのは、江藤前農水相とその背後にいる農協と農水族議員が原因だ。 備蓄米以外のコメの価格は下がらない  さらに、コメの価格を下げると言っているのに、入札にすることで、より高い価格で売ろうとした。政府が高い価格で売るのだから、末端価格は下がらない。  小泉農水相がやっている定価販売(随意契約)の仕組みも、実はもともと法律で可能な仕組みだ。価格を下げることは簡単にできる。  以上が備蓄米を出してもその備蓄米の流通が滞り、さらに価格も高くなってしまったことの解説である。  小泉氏が進めていることは、今解説した問題をクリアしようとするものだ。基本的に正しい方向を向いている。世論調査でも小泉氏への期待は高い。  ただし、備蓄米の価格は下がっても、その後、備蓄米以外のコメの価格が下がるわけではない。  国会などでも、この点を追及する野党議員もいた。下がるかどうかはわからないと答えれば、「やっぱり下がらないのか。選挙前のパフォーマンスに過ぎないのか」と言われるから、小泉氏は、意味不明なことを言いながら、「生産者と消費者双方が納得できる価格を見出すことが重要」などと、抽象的な言葉で逃げざるを得なくなっている。  では、本当の見通しはどうなのか。  これは、今農家が作っているコメの価格の問題だ。  農協が農家に出荷段階で渡す金を概算金(仮渡金)と言うが、今年のコメについては、各県の農協がすでにこれをかなり高くする「方針」を出している。昨年の5割増しという報道もある。  普通に考えれば、今年の秋から出回るコメを高値で農協が買い取るのでコメの価格は上がる可能性が高い。これが真実である。  自民党政権は、農協の方ばかり向いた政治をやっている。消費者は二の次。それが自民党の本質だ。  自民党政権である限り、消費者のためにコメの価格を下げようというのは、表向きの話に過ぎない。選挙前にパフォーマンスで国民を騙すための「対策」や「改革」がPRされるだけなのだ。  もう一つ、私たちが気をつけなければいけないことがある。  それは、「農家は可哀想だから守ってあげなければいけない」という話だ。  農家といっても、稼ぎ頭は町の工場で働き、その妻と年老いた親たちが細々と農業をやっているというような小規模の兼業農家もあれば、法人経営や家族経営でも大規模な農業をしている「プロ農家」もいる。現在、この「プロ農家」が全国の耕地の約6割を使い、農産物の販売金額の約8割を占める。ただし、数では、個人経営の小規模兼業農家の方が圧倒的に多い。  農協は、兼業農家の数を維持するのに必死だ。数が減れば政治力が落ちるからだ。また、彼らは、農協のドル箱、金融事業の顧客だ。住宅ローン、自動車ローン、教育ローン、保険など、農家であれば農協の商品を選ぶ人が多い。小規模で儲からなくても、農家であり続けて農協の組合員でいてくれさえすれば良い。農家の数が減っては困る。 「コメ農家はかわいそう」という感情論  政治家も、プロ農家は数では圧倒的少数なので、小規模農家と農協の方を選ぶことになる。  農業の競争力と生産量を上げ、輸出産業として日本の成長を引っ張る産業にするためには、プロ農家をいかに育てるかが鍵なのだが、今の政治構造ではこれまでの農政を根本から変えるという発想にはならない。  農協幹部は、今のコメの価格は高くないと胸を張った。生産コストが上がっているので、ここまで上がって何とかコストに見合う価格になり、これでやっと農業が続けられるという。それは兼業農家の声でもある。  しかし、プロ農家の考え方は全く逆だ。生産コスト上昇分の価格転嫁は必要だが、1年で倍になるような異常事態は、逆に生産者から見ても困るという。コメ価格高騰で消費者のコメ離れに拍車がかかり、外国からの輸入圧力も高まるからだ。したがって、消費者の購買力の範囲内の値上げに留める努力をすべきだ。それでも十分に利益は出るという。  普通の消費財の生産者なら、そんな考えは当たり前だ。しかし、農業、とりわけ、コメ農家については、そういう議論は「暴論」として叩かれる。 「私たちのために汗水垂らしてコメを作ってくれる農家に感謝すべきだ」「コメ農家は赤字生産を余儀なくされて可哀想だ」という極めて感情的な議論から始まる。メディアもこれを垂れ流すので国民が洗脳され、農協改革を主張するのは、無慈悲な新自由主義者かアメリカの回し者だという話にさえなる。  これにつけ込んで、今、農協や農水族議員が大キャンペーンを張っている。 「進次郎が日本のコメ農家を破壊し、農協資産をアメリカに売り渡そうとしている」というバカな議論さえ広まっている。  小泉氏が今進めていることは、恒久的な対策にはなり得なくても、農協外しのコメ流通の合理化により日本農政の根幹に手を入れるということだ。進次郎叩きは、農協と族議員たちに手を貸すのと同じだ。  やるべきなのは、本当にやる気があり、リスクをとってでもより良いコメをより安く国民に届けようというプロ農家の声を聞いて、「消費者目線の農政大改革」を進めるための政策を与野党が競い合うということだと思うのだが、どうだろうか。  なお、私は今から約7年半前、本コラムに「安倍政権トンデモ農政に無関心なマスコミの罪」(2017年12月4日配信)というタイトルでコメの減反と農協の問題について書いた。  これを読めば、現在のコメ不足と価格高騰の原因は、安倍晋三政権の「エセ」農協改革にあり、今起きていることが必然だったということがわかるので参考にしてほしい。
1995年、日本社会は世界の最先端だった 社会学者が読み解く、「トランプ現象」と「オウム真理教事件」の奇妙な共通点
1995年、日本社会は世界の最先端だった 社会学者が読み解く、「トランプ現象」と「オウム真理教事件」の奇妙な共通点 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 「トランプ現象」の読み解きでも評判の社会学者・大澤真幸氏の近著『西洋近代の罪──自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』(朝日新書)。その論考をさらに進めて、1995年に起きたオウム真理教事件とトランプ現象の奇妙な共通点を探る特別公開版の後編。1995年の30年後に「現象が回帰」したように見えることは、何を意味するのか。共通点を探ることで、どのような「本質」が見えてくるのか。さらに論考を進める。(前編はこちら)。 *   *   * 「歴史の終わり」が言われていた頃  トランプ現象は、オウム現象といかなる影響関係も、直接の因果関係もないのに、まるでその再来のような印象を与える。フロイトの用語を用いるならば、まるで「抑圧されたものの回帰」のように見えてしまう。  無論、その全体像や社会的コンテクストには大きな違いがある。オウム真理教事件は、経済的にはかなり豊かではあっても、政治的にはさして存在感のない国のマイノリティが引き起こした犯罪的なテロである。かんたんに言えば世界の片隅で起きたことだ。それに対して、トランプは世界で最も影響力のある国の大統領だ。いわばグローバルな主流の中の主流であって、トランプの言動は、アメリカ人だけではなく、世界中の人々を翻弄(ほんろう)するインパクトをもつ。  もっとも、次のことは念頭に置いてもよいかもしれない。オウム教団は、自分たちが迫害されているという妄想から、日本政府(やその背後にいると彼らが考えたCIAやアメリカ政府)と戦った。彼らは主観的には、政府を打倒する「革命」の一部として、テロを実行しているつもりなのだ。トランプとトランプ支持者はどうかというと、以前にも述べたように、彼らは政権の座にあるときでさえも――ということは現在も――、反体制運動のノリを維持している。彼らは客観的には主流であっても、主観的には、革命する異端である。  いずれにせよ、30年前のオウム真理教事件は、小さな島国で起きたできごとで、日本人にとっては、戦後史・近代史に消えない足跡を残した大事件だが、グローバルに認知されるほどではない。ゆえに、まるで次のように見えてくるのだ。世界の片隅で起きたことが、30年後に、社会的な規模を圧倒的に――グローバルに――拡大した上で、世界の中心に再来した、と。これはただの偶然の類似か。「他人の空似」のようなものなのか。次に述べるような諸事実を考慮に入れれば、それ以上のものを見てもよいのではないか。  オウムが地下鉄でサリンをばら撒いたとき、当時の人々は――日本人のみならず世界中の人々は――、これを空前絶後の事件であると考えた。宗教的な集団が、まさに宗教的な理由から、先進国の都市の真ん中で――「発展途上国」の紛争地帯ではなく治安のよい豊かな国の都市の中心で――、無差別テロを引き起こすなどということは、それ以前には、フィクションの中でしかありえないことと思われていたからだ。  しかし、21世紀に入ると、9・11テロ(2001年)をはじめ、アメリカやヨーロッパの大都市で、いわゆる原理主義者たちがテロを引き起こすようになった。「頻繁に」とまでは言わないが、この種のテロが「ありえないこと」ではなくなったのだ。オウム真理教によるテロは、21世紀型の政治・宗教的なテロの予兆のようなものだったことになる。さらに、2021年1月6日に起きた、トランプ支持者による議事堂襲撃事件を視野に入れたらどうか。この事件との関係で見れば、地下鉄サリン事件は、そのはるかな前触れのように見えてくる。サリンがばら撒かれた地点を見れば、オウムの主たるターゲットが「霞が関」であったことは明らかだからだ。  1989年にベルリンの壁が崩壊して、事実上、冷戦が終わった。2年後にはソヴィエト連邦もなくなった。その頃、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を論じたテクストが広く読まれるようになった(*3)。おそらく、フクヤマが依拠していたのがヘーゲルの哲学であったこともあって、アレクサンドル・コジェーヴの古い著作、『ヘーゲル読解入門――『精神現象学』を読む』が、突然、再読された(*4)。コジェーヴは、ロシア出身の哲学者で、主にフランスで活動した。彼が1933年から39年にかけて、パリの高等研究実習院で行った講義には、20世紀後半に「フランス現代思想」を担うことになった多くの思想家・哲学者が――ラカンやバタイユやメルロ゠ポンティなどが――出席しており、彼らに絶大な影響を与えた。『ヘーゲル読解入門』は、この講義である。  しかし、1990年代にこのテクストがあらためて思い起こされたときに主に読まれたのは、1930年代の講義の中では絶対に論じられてはいなかったはずの箇所だ。このテクストの第二版で付け加えられた「日本化についての註」が注目されたのだ(*5)。コジェーヴは、1959年に日本を訪問し、日本社会に強い印象を受ける。それまで彼は、人間が「動物化」するアメリカ的な生活様式に、歴史の終わりの姿を見ていた。しかし、日本を直接観察して、日本社会に、歴史の終わりのさらなる後の人間の様態が現れている、と思ったのだ。 大澤真幸著『西洋近代の罪 自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』書籍の詳細はこちら  ここで、1950年代末期にコジェーヴが日本の社会や文化に読み取ったことの妥当性について考えてみようとは思わない。ただ注目しておきたいのは、この部分が、1990年代に熱心に読まれたという事実だ。なぜ、このとき(だけ)、突然、読まれたのか。1990年代中盤の日本社会が、これから世界で起きることの前衛、ポストモダンな世界の先端のように見えていたからである。「歴史の終わり」なるものがあるとすれば、そこに最初に入っていく、あるいはそこを最初に通過する社会が、日本ではないか。そのように、当時の日本人には――そして日本について多少の知識をもっている欧米の知識人の少なからぬ人々には――、見えていたのだ(*6)。  その後、日本は停滞した。というより――あえて雑な言い方で表現しておくが――、日本社会はむしろ「後退」した。ゆえに現在の日本は、世界で起きることが、次々と先行して現れるような場所にはなってはいない。  が、しかし、1995年の段階では、日本は前衛に見えていた。そこは、世界の未来を先取りするような場所、後に起きることが予兆のように出現する場所だと感じられていたのだ。このことを考慮に入れれば、オウム現象に、トランプ現象のはるかな先取りを見ることにも、一定の説得力があるのではあるまいか。オウム現象は、いわば現代社会の――あえて「ポストモダンの」と言っておこう――ダイナミズムの早産の子のようなものだとしたらどうであろうか。そして十分な妊娠期間の後に産まれたのが、トランプ現象だとしたら、どうか。  1995年は、インターネットの爆発的な普及・大衆化の、ほんとうの意味での前夜である。この年の11月に「Windows95」が発売された。この年あたりから、Windows95を搭載したパーソナルコンピュータか、あるいはアップル社のマッキントッシュか、どちらかを端末として使用して、多くの人がインターネットを利用するようになった。オウム真理教をめぐる事件は、まさにそのような年に起きていたことになる。 オウム現象を媒介にして……  もし、トランプをめぐる現象を、オウム事件の再来のように見ることに一定の妥当性があるとしたら、前者の意味を解釈する上で、後者を媒介にすることにも価値があるということになるだろう。トランプ的なるものを理解する上で、オウムを通じて見出されたことを、レンズのように活用するのだ。  なぜ、そんな回り道を経るのか。オウム現象は、トランプ現象と比べると、その社会的な規模は著しく小さい。その代わり、オウムには、観念的なラディカリティ(徹底性)のようなものがあった。どういうことか。  トランプ政権は確かに、常識を大幅に破るような思い切ったことを次々と打ち出してはいるが、それは、それでも現実の政治である。現実の状況、歴史的な事情などがあるために、それらに妥協しながらでなくては、ことを進めることはできない。夢見ていることをそのまま現実にできるわけではない。しかし、オウムの場合は違う。オウムに即して解釈すれば、彼らの行動を規定している幻想のシナリオを純粋に、理念型的に取り出すことができる。そのシナリオを手がかりにして、トランプやその側近のテクノ・リバタリアンがやろうとしていること――実際にできるかどうかは別にして実現することを欲していること――を抽出してみるのだ。  たとえば、トランプは言う。ガザを我が物にして、そこを更地にしたあと、リゾート地にしよう、などと。あるいはグリーンランドを買いたい、とも言う。とてつもない提案である。一体、何をやりたいのか。何を求めているのか。トランプ現象を、オウム現象の回帰という枠組みで解釈したとき、ことがらの本質が見えてくる。 (「一冊の本」2025年6月号「この世界の問い方37」〈朝日新聞出版〉より) 大澤真幸(おおさわ・まさち)/1958年長野県生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。2007年『ナショナリズムの由来』で毎日出版文化賞、2015年『自由という牢獄』で河合隼雄学芸賞を受賞。近著に「〈世界史〉の哲学」シリーズ、『新世紀のコミュニズムへ』『この世界の問い方』『資本主義の〈その先〉へ』『私の先生』『我々の死者と未来の他者』『逆説の古典』『西洋近代の罪』など。 *3 フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』渡部昇一訳、三笠書房、1992年。フクヤマが、「歴史の終わり?」というタイトルの論文を最初、「ナショナル・インタレスト」誌に発表したのは1989年のことである。彼は、これを発展させて、1992年に、『歴史の終わりと最後の人間』というタイトルで書籍にした。 *4 アレクサンドル・コジェーヴ『ヘーゲル読解入門――『精神現象学』を読む』上妻精・今野雅方訳、国文社、1987年。 *5 同書、245-247頁。 *6 コジェーヴの論に触発されて書かれた日本人による著作としては、言うまでもなく、次の一書が特に重要である。東浩紀『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』講談社現代新書、2001年。
なぜ外国人観光客に人気?都庁45階の展望室、月1万杯の特製ラーメン店、「電車男」の撮影スポット…東京の隠れ‟名所”に行ってみた
なぜ外国人観光客に人気?都庁45階の展望室、月1万杯の特製ラーメン店、「電車男」の撮影スポット…東京の隠れ‟名所”に行ってみた   文京区の根津神社を訪れていたロシア人カップル(撮影・上田耕司)   日本人は素通りでも、外国人観光客が多く訪れている「穴場スポット」が、東京都内には存在する。日本人がまだ知らない、外国人が行列し、絶賛する東京へ出かけてみた。  ◇ 「きょうは日本のラストデイ。明日は成田空港からドイツへ帰国します。だから、どうしてもここに来たかった」 ドイツから来た身長190センチほどの男性は雨が降りしきる中、東京都庁にやって来た。目的は、東京を一望できる高さ地上202メートルの都庁45階の展望室だ。 「私はシュトゥットガルトから来ました。33歳です。日本に3週間滞在していました。南展望室からの眺めはグッド。雨は、雨なりに美しい光景だったね」  都内には複数の高層ビルがあり、誰もが思いつくのは、東京タワーやスカイツリーだろう。だが、外国人観光客には都庁の展望室もなかなかの人気ぶりだ。 都庁財務局庁舎管理課の担当者によれば、南と北の両展望室を合わせ、2024年度(昨年4月~今年3月)は1年間で150~160万人が訪れた。ゴールデンウィークに入った5月1日には1日で約7200人の客が訪れた。うち、8~9割が外国人客だ。  展望室にある売店の担当者によると、 3月後半から4月中旬まではピーク。桜を見に来日する外国人が多く1時間~90分待ちの行列になっていたという。     東京都庁の展望室に続くエレベーター(撮影・上田耕司)  都庁の展望室は第一本庁舎の45階にあり、「南展望室」と「北展望室」の南北に分かれる。それぞれ1階に専用エレベーター乗り場がある。 担当者はこう話す。  「ここのビルの高さは地上243メートル。北も南も、東京を340度、一望できるのは変わらないんですね」(都庁財務局庁舎管理課の担当者)    東京都庁の展望室(撮影・上田耕司)    記者が訪れた日はあいにくの雨だったため、窓からの景色は霧がかかっていて、東京スカイツリーや富士山を見ることはきなかった。 ただ、人気の理由は眺望だけではないようだ。 東京タワーはトップデッキで見学しようとすれば大人3500円(窓口)、東京スカイツリーは「天望デッキ+天望回廊」のセット料金で3500円(平日・当日WEB券)。ところが都庁の展望室は無料。  「無料なのも、人気の要因ですね。外国人の方からは『次に移動するまでのつなぎにちょうどいい』という声を聞きます」(同)   展望室に詳しい日本人女性は「ホテル『パークハイアット東京』の手前にあるセントラルパーク(中央公園)では時々、バザーをやっているので、外国人がここから見つけて、『バザーへ行きたい』とおっしゃることもありますね」と教えてくれた。 都庁の展望室からの眺め(撮影・上田耕司)  ちなみに外国人には 「パークハイアット東京」もよく知られている。ソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト イン トランスレーション」の主な舞台となった。残念ながらホテルは全面改修工事で営業を一時休止中だ。 「電車男」の待ち合わせ場所が新宿の撮影スポット   次に、都庁から歩いて向かったのは、西新宿の新宿警察署の裏手にある「LOVEのオブジェ」。アメリカの作家ロパート・インディアナが手がけた。隣接する交差点には、円形の梁で信号機や柱がつながれ、円盤のような輪になっているのが特徴だ。 この日はあいにくの雨。いつもは撮影スポットになっているという(撮影・上田耕司) 「晴れた日には外国人が写真を撮ってます」と外国人の観光客に詳しい日本人女性。  実はこの場所は、日本の映画やドラマでたびたび登場する。「電車男」(フジテレビ系)では、主人公がLOVEのオブジェの前で「エルメス」と待ち合わせをし、円形交差点は映画「君の名は。」のオープニングシーンの背景。 NetflixやAmazonプライムなどで日本のドラマ、映画、アニメは見ることができるので、外国人にもよく知られるようになったのだろう。 円形交差点「西新宿サインリング」(撮影・上田耕司) 住宅街の細い裏道が人気 お寺やお墓だらけのエリアに外国人  新宿から場所を変えて、東京都文京区へ向かった。文京区の穴場スポットは根津神社。 観光客ではないが、ネパール人留学生のデブコタ・アンジャンさん(24)は友人のネパール人女性と2人でやって来た。日本に2年滞在しているそうだ。  「TikTokで、この場所を知りました。きょうは休みの日だからどうしても来たかった。ツツジの花は私の国の花にもある。東京は人がたくさん。一杯綺麗な場所があるけれど、時間とルールが厳しい。それを守らないといけないのが大変ですね」    一人でやって来たインドネシア人女性(25)は「グーグルで検索して、この神社を見つけました。1週間前に日本に来ました。明日、インドネシアに帰国します」。    つつじ苑の近くある、邪気を落とすという言い伝えがある「千本鳥居」が大人気で、写真映えする赤い鳥居をくぐる訪日外国人が後を絶たない。  外国人に人気の文京区の根津神社。ロシア人カップルも気に入った模様(撮影・上田耕司)  鳥居を出た所で、ロシア人の夫婦に出会った。夫のアントンさん(30)と妻のケイトさん(31)夫妻。  「2日前にモスクワから東京に来ました。11日間、滞在する予定です。この神社は鳥がさえずり、木の緑がとても豊かで、美しい。日々の嫌なことや心配事を忘れさせてくれる」   筆者が「ハラショーよい旅を」と言うと、夫妻は「ありがとう」と日本語で返してくれた。 この日、根津神社で筆者が出合った人の9割近くが外国人だった。  千本鳥居の前で出会った日本人とブラジル人のカップル(撮影・上田耕司)  根津神社から谷中銀座に向かう「ヘビ道」と呼ばれる裏通りがある。住宅街のど真ん中を通る細い道がなぜか外国人に人気。近くの喫茶店の店長はこう教えてくれた。  「時々、外国人が迷って、道を聞きに来ますよ。この辺は江戸時代からの寺町で、お寺とかお墓がすごく多い。外国人ばっかりですよ」  ヘビ道の入口。見つけられず迷う外国人観光客も多いとか(撮影・上田耕司)  地元の道路沿いの案内版の「地図」にも「ヘビ道」は紹介されていて、「Snake Winding Road」と日本語と英語で表記されていた。海外のガイドブックやネットにも「ヘビ道」が紹介されているようだ。 「ヘビ道」を歩いている外国人の男女2人に話しかけると、エストニア人だった。  「日本に住んで3年目です。東京でまだ知らない街を訪ねてきました」    と、エストニア人女性は話した。  「さっきまで、根津神社にいました。グーグルマップで調べて、ヘビ道を通って、これから谷中銀座でショッピングの予定です」(エストニア人男性)  ヴィーガンラーメンは月間1万杯 行列の多くは外国人  旅のお楽しみといえばグルメ。午後9時過ぎ、東京駅前の丸の内駅前広場で眺めていた男女に取材すると、インドから来た30代の男性サイさんと女性イシュタさんの2人だった。  「東京駅構内で晩ご飯を食べて、東京駅の周りを散歩していて、ここに来ました」   と話すサイさんは、インド出身で2019年に来日。日本の大学に通っていたが、現在は会社員だという。隣にいるイシュタさんはインドから2週間の旅行で、来日したばかり。2人が東京駅構内で食事をしたのは「T'sたんたん」。ラーメン店だという。  「ヴィーガンのラーメン屋なんです。肉が入っていない。私はベジタリアンなので」(サイさん)    翌日、東京駅構内の「T'sたんたん」グランスタ東京店へ行ってみると、15人ほどの行列ができていた。出直し、翌々日の夕方に行ってみると待ち時間ナシで入れた。   店内は外国人客ばかり。「金胡麻たんたん麺」は肉のような食べ応えや食感で、ソイミートを使用したオリジナルの肉みそとピーナッツクリームを使用しているという。 ソイミートを使ったオリジナルの担々麺「金胡麻たんたん麺」(JR東日本クロスステーション フーズカンパニー提供)   同店の経営はJR東日本の100%子会社「JR東日本クロスステーション」の「フーズカンパニー」。 「『T'sたんたん』は全てのメニューがヴィーガンですが、ヴィーガンの方もそうでない方にも食べてほしい」(フーズカンパニー担当者)   月に何杯くらい売れるのだろうか。 「東京店ではラーメンだけで、毎月1万杯以上販売しています。その中でも、『金胡麻たんたん麺』は月間約4000杯が売れている一番人気のラーメンです」(同)   担当者によれば、全体の8割以上が外国人で、「海外の口コミサイトやGoogleレビューを見てご来店されるお客さまが一番多いです」と言う。 和菓子で人気のどら焼き 「ドラえもんで知った 」   最後に紹介するのは、東京の下町、江東区門前仲町の裏通りの路面店「どらやき焼 どら山」。オーナーの鈴木康之氏(42)はこう話す。  門前仲町の「どらやきどら山」の店構え(撮影・上田耕司) 「近くに富岡八幡宮があるので、先日、境内の中にうちの屋台を出したんですよ。そうしたら、この路面店にも外国人客がやって来るようになりました」  外国人は案外、和菓子を食べ残すという。しかし、どら焼きは外国人の舌にも合うようで完食する人が多いとか。 「フランス人のお客さんはアニメのドラえもんで『どら焼き』を知ったと言っていました」    訪日外国人のたちのリサーチ力たるや……。日本人がまだ気づかない東京の魅力を教えてもらった気がした。(AERA編集部 上田耕司)
49歳で父になった登坂淳一アナが語る、2度の流産と2人娘の子育て「年の功で心にゆとりを持って娘たちを見守れる」
49歳で父になった登坂淳一アナが語る、2度の流産と2人娘の子育て「年の功で心にゆとりを持って娘たちを見守れる」 登坂淳一さん  フリーアナウンサーの登坂淳一さんは、不妊治療と二度の流産を経て、49歳のときに第一子を授かりました。現在、娘たちは3歳と4歳。妻との二人三脚の不妊治療を経て、いま思うこと、そして父親としての素顔について聞きました。 すごく緊張した初めてのレディースクリニック ――49歳のとき、不妊治療を経て、二人のお子さんを授かりました。いま改めて振り返って、どのような日々でしたか?  一年数ヵ月の体験でしたが、長女を授かるまでに二度流産を経験したこともあり、「妊娠し、出産するのは奇跡なんだな」とそれまで以上に強く感じました。結婚した年齢や「子どもを授かりたい」という思いから不妊治療を始めたわけですが、「妊娠したいと思ったらすぐに妊娠できるわけではないんだ」ということを改めて知りましたし、妻も「もっと頻繁に婦人科の検診を受けていたほうが良かったかな」といった言葉を口にしていました。  タイミング療法を経て、人工授精はせずに体外授精に進んだのですが、着床する位置が良くなかったこともあれば、心拍が確認できなかったこともありました。その度にさまざまな検査を受けましたが、主治医には「なにが原因なのか」「どうしたら前へ進めるのか」といった質問を積極的にするようにしていました。長女を授かった後、それまでの日々を妻と振り返ったこともあるのですが、お互い感じていたのは「色々あったけれど、不妊治療は“希望のある治療”だよね」という知見でした。医療の進歩は凄まじいものがあるな、とも感じましたね。 「不妊治療は“希望のある治療”」という登坂さん(提供写真:無事に生まれたご長女) ――不妊治療を始めるにあたり、心理的なハードルはありませんでしたか。  初めてレディースクリニックに足を踏み入れた際は、すごく緊張しました。なぜか帽子を被って行って。いま思うと意味不明ですね(笑)。ですが、いざ入ってみると、プライバシーを尊重する仕組みになっていて安心したのを覚えています。フルネームで呼ばれることもありませんでしたし、みんな思い思いにソファに座りながら順番を待っている。女性一人で来ているケースは稀で、ほとんどがカップルで来ているようでした。 妊娠中の登坂さんの奥様(提供)  最初に看護師さんからレジュメを配られ、レクチャーを受けるのですが、「不妊治療は夫婦揃って行うことが大切」と強調されました。検査の結果、妻が採卵をしたり、内服薬を処方してもらったりと負担が大きくなったのですが、妻が「なんのために薬を飲まなければいけないのかわからない」という状態にはしたくなかった。疑問点があれば僕からも主治医に質問をするようにしていました。  最初は、帽子を目深に被り、挙動不審になりながら入ったレディースクリニックですが、不思議と慣れていくものです。妻が治療を受けている間は、外が見える窓際のお気に入りの席に座り、色々な方の体験談を読んだり、ときには「今日はいくらかかるのだろうか」など現実的なことを考えたりして過ごしました。 「子どもを授かりたいと思っても簡単にはいかない」 ――一年数ヵ月の間で、心が折れそうになったり、ご夫婦で感情をぶつけ合ったりするようなことはなかったですか?  二度目の流産がわかったときは、お互いに「なんでだろうね」「難しいね、やっぱり」という気持ちになり、実際にそんな言葉を口にしていたと思います。僕よりも、妻の方が精神的にダメージを受けていたので、なんとなく「二人で気分転換をしたいな」という気持ちになりました。 「お腹が空いた」と妻が言ったので、通っていたクリニックが札幌にあったこともあり、「じゃあ、お昼はお寿司を食べに行こう」と。お気に入りの店で、思う存分食べました。その後、「まだ食べられるよね」とどちらともなく言い出し、冬だったこともあり、「味噌ラーメンはどう?」と。食べている時間はその美味しさに夢中になり、少しだけ気分が和らいだことを覚えています。心を完全に癒やすことはできないかもしれないけれど、現実を自分たちのなかで受け止め、消化する時間が必要だったのだと思います。 ――不妊治療を取り巻く環境について、「もっとこうなればいいのに」と感じることはありますか。  いま不妊の検査や治療を受けたことがあるカップルの数は4.4組に1組いると言われています。男性も女性も日々忙しなく、知らず知らずのうちにストレスを抱えながら生きているなかで、「子どもを授かりたいと思っても簡単にはいかない」という厳しい現実もよくわかりました。悩んでいる人たちはたくさんいると思います。 「娘たちには振り回されています(笑)」という登坂さん(提供写真)  自分が経験するまでは、「僕たちは少数派だ」と思っていた節がありましたが決してそんなことはなかった。「行きづらい」「人の目が気になる」といったような風潮がまだ日本社会にあるのだとしたら、「風邪をひいたら内科に行く」のと同じように、決して特別なことではなく、もう少し当たり前のアクションとして捉えられるようになればいいな、と思います。  同時に、人の身体や「人体」そのものを学ぶことも大事なことなのだな、とも感じました。一人一人が自分の身体の状況について、知りたい、知っておこうと思うこともすごく大事なことだと思います。 周囲には同年代の“シルバーパパ”も多い ――現在、娘さんは3歳と4歳。登坂さんは、普段はどのような父親ですか?  娘たちには「なんでも思い通りになるパパ」だと思われていると思います。要は、振り回されていますね(笑)。子育てって、基本的に大変なもの。大変さの種類はご家庭それぞれで違うと思いますが、「“大変さ”がない状態はない」と思います。だからこそ、子どもが生まれてからは「スマイルを顔のデフォルトにしよう」とは決めていました。  49歳で長女が生まれたこともあり、「年の功」と言いますか、少し心にゆとりを持って娘たちを見守ることができるのは、年齢を重ねてから子どもを授かることの良さの一つと言えるかもしれません。周囲には同年代の“シルバーパパ”も結構いるので、「若いパパたちのなかで孤独を感じている」という感覚もないですね。 ――父親になり、「自分は変わったな」と思うことはありますか?  そういえば、娘たちが生まれてからは自分の服はほとんど買っていないですね。動きやすければなんでもよく、クローゼットにあるものを順番に着ていく。そんな感覚です。  昔は、そのときに自分が食べたいものを自分の分だけ作るような生活をしていました。ですがいまは、妻や娘たちが喜んでくれるものをまとめて作ることが多くなり、つい先日もストック用にミートソースをたくさん作ったところです。優先順位が完全に変わり、自分のことが後回しになっている。でも、それが決して苦ではないんですね。それこそが子どもが生まれてからの自分のなかでの大きな変化かな、とつくづく感じる日々です。 (構成/古谷ゆう子) ○登坂淳一(とさか・じゅんいち)/1971年生まれ。97年にNHKに入局、2018年まで同局のアナウンサーとして活躍。現在はフリーアナウンサーとして活動しながら、音声プラットフォーム「voicy」などで自身の不妊治療の体験を積極的に発信している。
米国の反DEIで障害者の「医療」と「仕事」に暗雲 ALSのプロテニス大会ディレクター「今まで以上に情熱を」
米国の反DEIで障害者の「医療」と「仕事」に暗雲 ALSのプロテニス大会ディレクター「今まで以上に情熱を」 大会中に47歳の誕生日を迎えたタイネンさんをプレスルームで祝う大会ボランティアと記者たち。左から2人目はタイネンさんの末娘(撮影:長野美穂)    反DEIの動きが進む米国では、障害者の仕事や医療が脅かされている。そんな中、難病で車いすになっても、仕事で現場を駆け回る男性を通して見えた景色がある。AERA 2025年6月2日号より。 *  *  *  米カリフォルニア州の砂漠地帯インディアンウェルズ。今年3月、灼熱の太陽が照りつけるこの地で、世界のトップ・プロテニス選手たちが出場するBNPパリバ・オープン・テニス大会が開催された。  1万6千人の観客が詰めかけたセンターコートの真ん中に、車いすに乗った1人の細身の男性が笑顔で現れた。  彼の名は、マット・ヴァン・タイネン。第5のグランドスラムと呼ばれるこの大会のメディア・ディレクターを18年間務めている47歳だ。  彼はこれまで毎年、バカラ製のガラスの重いトロフィーを自ら運んで優勝セレモニーを仕切り、世界中から集まる200人以上の報道陣の撮影の世話で連日走り回っていた。  たとえば、ロジャー・フェデラー選手が優勝した時には、彼がすかさずスイス国旗を用意し、撮影の段取りを組んだ。昨年、スペインのカルロス・アルカラス選手が優勝した時には、コーチとの感動のハグの瞬間を撮影しようと殺到するフォトグラファーたちを彼がひとりで仕切って誘導した。  そんなタイネンさんは、昨年の大会後、突然、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患していると医師から告げられた。  ALSとは筋肉を動かす神経が障害を受けて、手足や喉や舌の筋肉が力を失い、やせていく進行性の病気だ。治療法はまだない。 車いすに乗って出勤  昨年まで健康体で、センターコートの周囲を走り回って働いていたタイネンさんは、今年は、車いすを誰かに押してもらわなければ、ひとりでは動けなくなっていた。 「僕の身体の力は衰えて、声も変わってしまったけど、今年もプレスルームで皆と一緒に働くことに今まで以上に情熱を燃やしている」とタイネンさんは報道陣全員に伝えた。  喉の筋力が弱まり、発音が不明瞭な彼のために、大会スタッフが彼の過去の音源からAI音声化を実現し、タイネンさんの新しい“肉声”メッセージが会場の巨大スクリーンから観客に向けて流れた。  同大会で過去に5回優勝しているノバク・ジョコビッチ選手がタイネンさんに激励映像メッセージを送り、会場からは大きな拍手が起こった。 インディアンウェルズ大会の全コートに障害者専用席と同伴者の席が完備。大会ボランティアは法で定められた障害者の権利を熟知している(撮影:長野美穂)    車いすに乗ったタイネンさんは2週間の大会中、窓のない狭いメディア・ディレクター室に毎日出勤してパソコンに向かって仕事をしていた。  スタッフたちと協力しつつ駐車パスの手配、取材証の発行、煩雑なメールのやりとりもこなし、2週間後の最終日の優勝セレモニーの際には、紙吹雪が舞うセンターコートで、車いすに乗って満面の笑みを浮かべながら、スタッフたちに指示を出していた。  そんな彼を見ていた多くの記者たちは涙を流していた。  40代の彼には妻と3人の子どもがおり、一番下の娘はまだ13歳だ。妻と末娘もセンターコートで彼を見守っていた。 鋭いけどフェアな人柄  筆者がタイネンさんと初めて会ったのは、十数年ほど前にこの大会を取材したいと申し込んだ時だった。当時、米国の経済新聞で記者として働いていた筆者に対し、タイネンさんは「君の経歴を調べたけど、テニス専門媒体の記者じゃなくて経済新聞の記者だよね? 何を取材したいわけ?」と開口一番鋭く言った。 「このプロテニス大会が地域にもたらす経済効果と、雇用のインパクトについて取材したい」と伝えると「そのトピックなら3日だけ取材を許す」と言ってくれた。その年以来、会見でテニス記者たちがサーブやドロップショットについて質問する中、セリーナ・ウィリアムズ選手に、あなたの試合の3階席のチケットを買うために年金を貯めている高齢者の客がいることを知っているか、大会駐車場で法定最低時給で雇われているメキシコ系の駐車係たちが、あなたの夜の試合が1分でも延びて残業代が出ることを望んでいることをどう思うか、と質問する筆者にも、タイネンさんは嫌な顔ひとつせず、駐車パスを発行してくれた。  ESPNやAP通信のスポーツフォトグラファーたちがフェデラー選手の優勝セレモニーをセンターコートのネット前中央に陣取って撮影する中、ネット脇の端から筆者が撮影していると「遠慮せずもっと真ん中で写真を撮れ」と声をかけて最前列に入れてくれたのもタイネンさんだった。  媒体の知名度によって対応を変えることはなく、データや大会のファクトについて質問すれば必ず答えをくれた。  そんな彼は今年も「元気でやってるか?」と笑顔で声をかけてくれた。ひとりで歩き回ることはもうできず、声がくぐもって会話をするのも難しいが、彼の周囲には笑い声があり、ジョークが飛び交っている点は例年と同じだった。 障害者医療が危ない  このインディアンウェルズ大会のセンターコートと第2スタジアムには、車いす使用者のためのスロープやエレベーターが多数設置され、全てのコートの車いす専用の観客席には同伴者の席も完備している。車いす席からのコートの眺めは抜群に良く、その後ろには立ち見客が常に溢れる。  ブッシュ大統領時代の1990年に制定された「障害を持つアメリカ人法」(ADA)によって、スポーツ施設やホテルなどで障害者のアクセスが確保されており、この大会の入り口付近にも、障害者専用の駐車場が設置されている。 「ADA」という言葉を大会ボランティア全員が普通に使っており、健常者が空いている障害者の専用席にうっかり座ると「はい、そこどいて」と厳しく追い払われていた。  つまり、この会場内では、難病を抱えるタイネンさんでも、介助者さえいれば、車いすで自由に動けるわけなのだ。  また米国では、2021年以降、ALSに罹患した場合、診断後5カ月間を待たずに即座に障害者年金の支給が始まる制度が整った。タイネンさんが今後働けなくなって無職になったとしても国が障害者と低所得者に提供する医療保険「メディケイド」で彼の医療費はカバーされるはずだ。  だが5月11日に、共和党の下院議員たちがこの「障害者の命綱」であるメディケイドの財源を8800億ドルほど削減する法案を発表した。もしこの削減案が通れば全米人口の13%を占める約4250万人の障害者たちが十分な医療を受けられなくなる可能性がある。  また、トランプ大統領は、今年1月にワシントンDC近郊で起きた飛行機と軍のヘリの衝突墜落事故を受けてこう言った。「連邦航空局は重度の知的障害者や精神疾患のある人間を積極的に採用していた」。あたかも同局のDEI(多様性、公平性、包括性)採用が事故に関係があるかのように批判し「特別なジーニアスな才能を持つ人がつくべき仕事なのに」とも発言した。  ALS患者は米国に現在約3万人いる。タイネンさんは「家にこもるより大会の現場で皆と一緒に働きたい」と言い、自分が雇ったスタッフの力を借りてそれを実行した。  車いす姿で社会に積極参加し、愛する仕事を続ける姿を、彼は体力と気力が続く限り世界中のプロテニス選手と観客たちに見せ続けていくだろう。 (在米ジャーナリスト・長野美穂) ※AERA 2025年6月2日号
「人が選ばない道の方が面白い」を軸に自然体で 福島県で起業、3人の子育ては夫がメイン
「人が選ばない道の方が面白い」を軸に自然体で 福島県で起業、3人の子育ては夫がメイン 中西信介さん(右)、小林味愛さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2025年6月2日号では、ナチュラルスマイルジャパンの中西信介さんと陽と人の小林味愛さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫25歳、妻25歳のときに結婚。長女(6)、長男(3)と次男(0)の5人暮らし。 【出会いは?】大学生時代、お互い国家公務員を目指して予備校に通っていた。その中で自主的な勉強会に参加した際に知り合い、交流を深めていった。 【結婚までの道のりは?】交際中、「結婚とは?」を民法に遡って議論した。余命がわずかな妻の祖父の、「孫の花嫁姿を見たい」という希望を叶えたいと思い結婚に至った。 【家事や家計の分担は?】食事は妻、それ以外の家事と主な育児は夫が担当。財布は別々で、子どもの教育費などは共に出している。 夫 中西信介[38]ナチュラルスマイルジャパン 保育園・こども園のリソースマネジャー なかにし・しんすけ◆1987年、埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、2010年に農林水産省に入省。豆腐の引き売り士、参議院事務局での勤務を経て、14年に「まちの保育園・こども園」を運営するナチュラルスマイルジャパンに入社し、現職。25年4月から立教大学大学院経営学研究科に在学中  妻を見ていて、働き方が変わったと感じます。公務員時代も経営者になった今も常に仕事のことが頭にあるのが見てわかりますが、今は研究するように仕事をしています。  農家さんの幸せ、女性の健康、仕事と家庭の両立など全てにおいて、仮説を立てて動いている。周りを巻き込んで「楽しくやっていきましょう!」と引っ張っています。  僕は今、3人の子育てをしながら保育園に関する仕事をしていますが、元々明確なキャリアビジョンは持っていませんでした。  人との出会いがきっかけで公務員になろうと思い、今の会社の代表と出会って「この人と一緒に働きたい」と思い、子どもが産まれたら育休を取りたいと思いました。   その時々で自分が思う方向に舵を切ってきました。軸にしているのは「人が選ばない道の方が面白いのでは」という感覚です。それを許容してくれる妻、家族、職場の存在が大きいですね。これからも力を入れ過ぎず、自然体でいたいと思っています。 中西信介さん(右)、小林味愛さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)   妻 小林味愛[38]陽と人(ひとびと)社長 こばやし・みあい◆1987年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、2010年に衆議院事務局に入局し、外務調査室に配属。12年に経済産業省、14年に衆議院事務局に配属。同年、日本総合研究所に転職。17年に福島県に本社を置く地域商社「陽と人」を設立。農産物の生産・流通・卸売事業や地域資源を活用した商品の企画・販売事業を展開  大学卒業後にバリバリ働く中、子育てをしながら出世するキャリアを思い描けず、子どもを持ちたいと思ったことはありませんでした。  転機が訪れたのは、30歳で会社を立ち上げたことです。福島県の農家さんと関わる中で、子どもが5、6人いる家庭に出会いました。東京では子育てにお金がかかると聞くので、「子どもが多いと時間もお金もかかって大変ではないですか」と尋ねたら驚かれました。「お金なんてかかんねぇ。子どもは勝手に育つんだ」と言われ、衝撃を受けました。今では私も母になり、その言葉を実感しています。  夫が育休を取った1年間は、6回ほど一家で福島へ。娘は広大な畑で走り回り、「この野菜は誰が作ったの?」と農家さんの名前を知りたがります。育休後も桃狩りなど忙しい時期に手伝いに行く夫は、農家さんの息子のような存在になっています。  経営をしていると事業のことで頭がいっぱいになるので、育児を全面的にする夫にはとても感謝しています。 (構成・小野ヒデコ) ※AERA 2025年6月2日号  
この息苦しい社会をどうにかしたいと思うと、どうしても「家族」がテーマになる 早見和真さんと「一節対話」
この息苦しい社会をどうにかしたいと思うと、どうしても「家族」がテーマになる 早見和真さんと「一節対話」 『ザ・ロイヤルファミリー』『店長がバカすぎて』など数多くの話題作を世に出し続ける早見和真さんが一節対話に登場! 父と娘、そして祖母・母・娘……家族が『中学受験』という大きな課題に立ち向かうさまを描いた最新作『問題。』について、「家族」という深遠なテーマに向き合うことへの思いなどを語ってくださいました。(朝日新聞出版YouTube:一節対話「問題。以下の文章を読んで、家族の幸せの形を答えなさい」より一部抜粋。 *   *   * 不満だらけだった、子ども時代 担当編集者(以下、編集):この小説は父と娘の物語と、もう一つ、三世代の女性の物語でもあると思います。そこで今回は女性三代の関係性に焦点を当てて、母親が主人公の十和に語り掛ける印象的なシーンを読んでいただきました。  この場面は、かなり早い段階から構想に入っていたと思うんですが、どういうところから、このような語りかけになったんでしょうか。   早見和真さん(以下、早見): まさにここは、物語の核になるワンシーンなんです。  僕自身、子ども時代に母親から「一体何が不満なんだ」って言われることは多々ありました。当時の僕は不満だらけで、でも、どうせ大人たちに言ってもわかってなんてくれないだろうと思っていたんです。  そんな僕が大人になって、僕には娘がいるんですけども、その娘に対して「あの時の自分が欲したであろうこと」を教育として施していると思うんですよね。でも娘はちゃんと不満そうな顔しています。  でも僕は「お前、いったい何が不満なんだよ」とは言ったことはないんです。それ言われるのがすごく腹が立つことだったんで。なので、聞いてはないんですけれども、でもちゃんと不満そうなんですよ。  僕があの頃欲していたものを彼女に与えているつもりでも、彼女が求めているものはきっと違うんだろう。そんなシーンを象徴的に書きたいなと思ったんです。僕以上に僕の妻が、それを思っていそうですが。       「女性が描けてない」と怒られた、デビューした頃 編集:早見さんの小説を読んでいると、本当に女性の主人公が本当に生き生きしている。女性読者も共感できるように描かれていると思います。それこそが早見さんの小説の魅力であり、不思議なところでもあるんですが、ご自身ではどうでしょう? 早見:僕がデビューした頃は「女性が描けてない」ってものすごく怒られましたし、実際、僕も女性という人たちを描けてないなって思っていた時期もありました。それは未だに拭えてないんですけどね。  でも、小説家になってデビュー作を書いた時に、このままじゃ行き詰まるだろうなっていう明確な予感があって。その頃から、女性に限らず、人を見る目が劇的に変わっていると思うんですよね。あの時、人を見る目が変わった自分の集大成が今の作品だと思っているので、そういう風に言っていただけると嬉しいです。  でも、「早見さんの作品は女性がすごく良く描けている」って言ってくれるのは、男の人ばかりなんですよ。だから多分、まだ描けてないんだろうなっていう風に思っています。 家族というものは、社会を構成する最小単位 編集:今、集大成って言葉がありましたが、やはり家族というテーマは、早見さんの小説の“通奏低音”になっていると思います。今回の作品を書き上げての感慨を、最後にひと言をいただけますか? 早見:そうですね。やっぱり僕は、一貫して家族というものが、たとえ血の繋がりがあろうとなかろうと、社会を構成する最小単位だと思っているんですよ。国家を論じられるわけではなく、でも、この本当に息苦しい社会をどうにかしなきゃいけないって思った時に、僕の場合、やはり対峙するのは家族っていうテーマが多くなるんですよね。  あんまり言うとネタバレになるんですけど、今まで描いてきた家族像とは、今回はちょっと趣向を変えているんです。それをミステリー的に読んでもらいたいって気持ちは、特にはなかったんですが、自分の中で新しい家族像を描けたと思っています。  決してお受験の話を書きたいと思ったわけではなくて、中学受験という、小学生にとっては手に負えない、大きな壁に一人ではとても立ち向かえない時に、一緒になって立ち上がる家族を描いてみたかった。そんな風に思って書きました。  出来上がってきた見本を読んで、自分でもよく書けているなって思いました。 早見和真 KAZUMASA HAYAMI/1977年神奈川県生まれ。2008年『ひゃくはち』で作家デビュー。2015年『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞、2020年『ザ・ロイヤルファミリー』でJRA 賞馬事文化賞、山本周五郎賞を受賞。同年『店長がバカすぎて』が本屋大賞第9位に入賞。主な著書に『95』『笑うマトリョーシカ』『八月の母』『アルプス席の母』、シリーズに「かなしきデブ猫ちゃん」などがある。   問題。以下の文章を読んで、家族の幸せの形を答えなさい 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。  
本が売れない時代にヒットを作り続ける「非効率な方法」 成功の法則が 学べる“タノパ重視”の一冊
本が売れない時代にヒットを作り続ける「非効率な方法」 成功の法則が 学べる“タノパ重視”の一冊 くろだ・ごう/1975年、千葉県佐倉市の「黒田書店」(現在閉店)の息子として生まれる。須原屋書店学校、芳林堂書店外商部を経て講談社でPRを担当。2017年、独立してPR会社「QUESTO」を立ち上げる(撮影/写真映像部・和仁貢介)    AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。  18年間、700冊以上の本のPRをしてきた中で著者である黒田剛さんが培ったコミュニケーションの成功の法則。自身が行っているPR方法から、成功した実例も掲載。明日からでも取り組める法則が満載の一冊『非効率思考 相手の心を動かす最高の伝え方』。ちなみに黒田さんの座右の書は村上春樹さんの『職業としての小説家』で、村上さんのルーティンにならい、「一日10PR」することを自らに課し、8年間続けている。黒田さんに同書にかける思いを聞いた。 *  *  *  どんな逆境の分野にもヒットを飛ばす人は必ずいて、黒田剛さん(49)がまさにその人。書籍PRを仕事にする黒田さんは、『妻のトリセツ』(黒川伊保子)シリーズが70万部超え、『続 窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子)が発売2カ月で50万部を突破、葉っぱ切り絵アーティスト・リトさんの葉っぱ切り絵シリーズ本が累計30万部超えと、本が売れない時代に、いくつもの書籍をベストセラーにしてきた。本書にはその黒田さんのコミュニケーション術がぎっしりとつまっている。  たとえば、リリースを作って一斉メールで送ることはせず、一人ひとりに合わせた内容で本を紹介する。取材には全部立ち会う。片付けの本であれば、著者が行って片付けができる家をあらかじめ探しておき、撮影も了解を得た上で、テレビやメディアに企画ごと売り込む。担当する本の著者が勧めることはまず自分が実践し、その体験を自分の言葉で相手に伝える。 『非効率思考 相手の心を動かす最高の伝え方』(1760円〈税込み〉/講談社)18年間、700冊以上の本のPRをしてきた中で著者が培ったコミュニケーションの成功の法則。自身が行っているPR方法から、成功した実例も掲載。明日からでも取り組める法則が満載の一冊。ちなみに黒田さんの座右の書は村上春樹さんの『職業としての小説家』で、村上さんのルーティンにならい、「一日10PR」することを自らに課し、8年間続けている    今の効率重視の社会では、「非効率」なやり方なのかもしれない。でもそのひと手間が大事なのだ。 「非効率なことをしようとは思ってないんです。この方法でしか、僕は結果が出せないだけ。本をベストセラーにすることや、テレビでのPRを決めることも大事なんですが、僕のゴールは、著者や編集者に喜んでもらうこと。相手が嬉しいと思うことをやりましょう、ということなんです」  黒田さんが心がけているのは、本のPRをするときには、相手が何に困っているかを聞き取ること。そのうえで相手の困りごとが解決でき、なおかつ本を紹介してもらえるような提案をする。誰かに会うときも、メールを送るときも、「黒田さんだ、嬉しい!」と思われるにはどうしたらいいかを考える。いかに誰かの心を「クンッ」と動かせるかが鍵になる。  では、自身初の著書はどうPRしているのか。まず、発売前に出版社にプルーフ(見本)を400冊作ってもらったという。 「それをテレビの人でもメディアの人でも、全部会って手渡ししました。そうすると、どこが印象に残ったのかなど、反応がわかりますよね。次に会う人に、そこをアピールしていくんです」  また、書店回りでは、本を売りこむだけでなく、Tシャツにそれぞれの書店名を書いてもらうようにした。そのTシャツが、話の潤滑油になるし、「また来た」と思われずに再度書店を訪れるきっかけにもなる。目指すは10万部。 「楽しいことを考えるのが好きだし、それをみんなでやって結果に結び付けたい。コスパ、タイパより僕は“タノパ”重視です」 (編集部・大川恵実) 著書のPRで書店員さんにサインをもらったTシャツを着る黒田さん。やっぱり非効率…?(写真:本人提供)   ※AERA 2025年6月2日号  
これぞ“世代ガチャ”? 氷河期世代49歳男性「実情は『派遣』です」 給与は上がらず老後に不安
これぞ“世代ガチャ”? 氷河期世代49歳男性「実情は『派遣』です」 給与は上がらず老後に不安 就職氷河期世代は、給料が上がりにくい時代を過ごしてきた(写真はイメージ)    就職以降、日本経済の停滞で給料が上がりにくい状況が続いてきた就職氷河期世代。ようやく賃上げの機運が高まったと思いきや賃金は下降局面に入り、「世代ガチャ」の様相を呈している。 *  *  *  大阪府の49歳の男性は就職氷河期のまっただ中で大学を卒業した。志望する企業には落ち続け苦労して内定を得た会社は、いわゆる「超ブラック企業」だった。  パワハラが横行し、労働環境も悪く、3年もたたずに退職。精神を病んで2年間、家を出られず、ひきこもりになった。  その後、派遣で食いつなぎ、30代で通信会社の正社員になれた。年収は300万円台後半。待遇の改善を求めて転職を試みるが、自分より若い人が優先され、思うような転職先は見つからなかった。  40代で今も勤務する通信業界の会社に転職した。年収は500万円ほど。家族を支えるにはもう少し欲しいと思い、別の通信会社にチャレンジするが、マネジメントという役職の経験がないことを理由に断られ続けた。  男性の主な仕事内容は、企業の通信機器の設置やシステムの構築、保守・点検だ。数カ月ごとに勤務地を転々とする。「正社員ではあるが、派遣社員でもありました」と言う。  有期雇用の一般的な「派遣社員」とは異なり、派遣元からは正社員で雇われているものの、働く環境は「派遣社員」と大きな差はない。数カ月ごとに派遣先が変わるたび、「次は仕事があるのだろうか」との焦燥を常に感じる。正社員であるが、次の仕事がなければ「待期期間」として給料は大幅にカットされるという。  派遣先では、通常業務をこなしつつ、その会社の若手社員らに指導や指示もする。しかし、「課長」や「リーダー」という肩書を受けることはなく、転職にも生かせない。自分の受け取る給与は、派遣先から支払われる分の3割は派遣元に搾取されているのではとの疑念もある。 男性は複数の通信技術の資格を持ち、社会経験も豊富だが、一定の役職に就けなかったため、希望する転職は通らなかった。  もうすぐ50歳を迎える男性はこうもらす。 「家庭を持ち、見た目は一般的な社会生活を送れていますが、実情はこの年で『派遣』です。低賃金のままでたいしたたくわえもなく、妻と老後を迎えることが非常に不安です」  氷河期世代の多くが、正社員になれず「非正規」や「派遣」という働き方を選択せざるを得なかった。この男性のほかにもAERAのアンケートでは、切実な声が寄せられた。   「フリーランスで大学の非常勤講師をしているが、給料がまったく上がらない。掛け持ちしているが、生活できるレベルではない」(女性)  こんな声もあった。「氷河期世代が中高年になって本当にやばいと国も気が付いたのだと思いますが、遅い気がします。不遇な目に遭ってきた世代が歳をとったとき、どんな行動に出るのか。(ニュースで)凶悪事件があると、すぐに犯人の年齢を見てしまう。私たちのような世代を生み出さないような社会構造にしていく必要がある」(49歳、女性)  就職氷河期世代を落胆させるデータがある。  第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生さんが厚生労働省の統計データを使って年代別の給与の増減率を比べてみると、氷河期世代が割を食う実態が浮かび上がった。  2019年から2024年の変化率を調べたもので、20代は10%ほど伸びていた。30代は5%ほどで、これが40代ではほぼ伸びが止まる。50代後半はシニアの給与改定の関係などでプラスに出たが、50代前半はマイナス3%だった。  四半世紀前、就職に苦労した氷河期世代。この間、賃金水準は低迷した。産業界には「ベア(ベースアップ=基本給の水準を上げること)は過去のもの」と言い放つ経営者もいた。  賃金を上げようという機運が高まったのは、せいぜいこの数年だ。経団連が「賃上げは社会的な責務」などと、賃金上昇に明確に舵を切ったのは3年前のことだ。  やっとここにきてベアが復活したと思ったら、40代後半から50代後半は社内では比較的給料が高い。このためベア獲得となっても、配分が若手に偏った。すでに管理職になっていると、残業代がつかなくなったり、成果に応じた賃金制度に移行したりして思うほど上がらないケースも少なくない。  経営者の関心はいま、「どうやって若い人を採用するか」に集中している。 熊野さんは氷河期世代の冷遇について「日本経済の大きな問題だ」と力説する。  氷河期世代は、上にバブル世代がいて、最近、入社してくる若手は何かと優遇される。その分、自分たちの給料は上がらない。  「これでは高齢期に入る人たちの勤労意欲が上がらないのは当然です。今の労働市場は氷河期世代を救えない構造になっています」と指摘した。  熊野さんは政府に対しても「雇用延長に努力をしてきたが、賃金格差についてはあまり努力をしてこなかった」とみる。50代以降になると、これまでと同じような仕事をしていても給料は半分というケースも珍しくはない。それを社会が受け入れているようにも見える。  「もっと氷河期世代を活用し、やる気にさせないといけない。企業もやむを得ず高齢期の人を低賃金で雇用するのではなく、意欲を引き出すべきだ。そうしなければ労働力不足の問題はより深刻になる。このままでは10年先に禍根を残す」 熊野さんはそう警告した。  政府も手をこまねいているわけではない。ハローワークに相談窓口を設け、この5年間で氷河期世代の正規雇用が11万人増えるなど計31万人の処遇改善を図ったとアピールしている。ただ、氷河期世代は約1700万人いるとされ、効果は限定的とみられる。  参院選を前に野党幹部は一斉に氷河期世代への厚い支援を口にする。政府も対策をさらに強化しようと、4月25日、「就職氷河期世代等支援に関する関係閣僚会議」の初会合を官邸で開いた。 石破茂首相は「今もなお、様々な困難を抱えている人が大勢いる」と述べ、賃金上昇策について関係閣僚に検討を求めた。各省庁の案は6月のいわゆる「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)2025」に盛り込まれる見通しで、その内容は参院選の結果にも影響を与えそうだ。 (経済ジャーナリスト 加藤裕則)   【特集:解剖 日本の給料】 #1:【ひと目でわかる】日本の給料「一人負け」の実態 右肩上がりのアメリカは日本の1.7倍 #2: 韓国に抜かれて早6年…日本の賃金34カ国中25位の衝撃 先進国で「一人負け」の実態とは #3:平均年収460万円は「実感」とはほど遠い? 実は6割が平均以下の「真実」 1千万円プレーヤーは増加で広がる貧富の差 #4:【平均年収都道府県ランキング】東京は471万円で1位 10位の大阪とは64万円差 生涯賃金では関東と九州・沖縄で4千万円以上の開き #5:初任給59万円でGMO1位 ベスト15にトヨタやソニーなど超大手は入らず【注目ランキング】 #6:これぞ“世代ガチャ”? 氷河期世代49歳男性「実情は『派遣』です」 給与は上がらず老後に不安 #7:平均年収が3年連続2千万円超え 高収益でボーナスが年4回のキーエンスが「接待禁止」を掲げる理由 AERA DIGITALでは、5月26日から「特集:解剖 日本の給料」を随時配信していきます。海外との賃金格差、日本の給料の「実態」、都道府県別や初任給の最新ランキング、就職氷河期世代の苦悩など、多角的にお届けします。  
備蓄米2千円の「小泉バズーカ」で進次郎株は急騰するか バックに「農協の天敵」の元農水次官
備蓄米2千円の「小泉バズーカ」で進次郎株は急騰するか バックに「農協の天敵」の元農水次官 スーパー大手ライフのコメ売り場を視察する小泉進次郎農林水産相   「小泉バズーカ」は効くのか。6月初めに備蓄米を5キロ2千円で店頭に並べたいとぶち上げた小泉進次郎・新農林水産相。政府の備蓄米を随意契約で小売りに直接販売し、足りなければ無制限に放出するという。5月21日の就任後は連日メディアに登場し、怒涛のようにメッセージを出し続ける。なりふり構わぬ姿勢は、官邸の命をうけ、デフレ脱却のために異次元の金融緩和策を打ち出し続けた「黒田バズーカ」を彷彿させる。7月の参院選までに結果を出すために、背水の陣で臨む。 *  *  *  「小泉進次郎です。お元気ですか? また(あなたの)出番がやってきましたよ」  その電話は20日午後に突然かかってきた。驚きながら「ご本人ですか? 出番って?」と聞き返すと「コメですよ、コメ。これを何とかしないと。いくらなんでも今は高すぎますよね。(国民の)コメ離れが起きてしまうでしょう」。  かつて農業や農協問題を取材していた筆者に、強い口調でこう話しかけてきた。 「なんで農業の取材をやめたんですか? 全農(の取材)もやったでしょう」とたたみかけてきた。慌てながら簡単に説明した。  同日午前、経営再建中の日産自動車のイヴァン・エスピノーサ社長が進次郎氏と面会したというニュースが流れた。  筆者は、その確認のために進次郎氏の事務所に連絡した。確認事項をメールしてほしいといわれた。ついでに進次郎氏が自民党農林部会長時代に、筆者が取材していたことも書き込んだ。3時間後に進次郎氏本人から電話がかかってきたのだ。  日産の件で問い合わせをしたのに、いきなりコメ問題を持ち出してきたのが意外だった。 その日の夜に、進次郎氏が農水相に就任とのニュースが流れ、さらに驚いた。  関係者に聞くと、進次郎氏は農水相就任の前から、コメ問題を何とかしないと、とたびたび周辺に話していたようだ。政権や参院選などをにらんで、コメが重要なテーマになると思ったのだろう。  いま思えば、日産の件で問い合わせをしたとき、進次郎事務所の対応が予想外に良かった。確認したい点があれば、進次郎氏に確認すると秘書が言ってきた。日産への対応でも注目を集めた進次郎氏は、自身にプラスになる発信をとても意識しているな、と感じた。そうでなければ、番記者でもない人間に直接電話してこないはずだ。   【こちらも話題】 滝クリ「1歳半の長男を車に放置」でまたも炎上 懲りない小泉進次郎夫妻の“放置癖” https://dot.asahi.com/articles/-/71103  2024年秋の自民党総裁選では、想定外の3位に甘んじた。衆院選の結果をうけて選挙対策委員長も辞任した。復活の準備をしていたと思う。大手商社出身のスタッフが今の進次郎氏をプロデュースしているようだ。  農林水産省は27日、前日から受け付けを始めた備蓄米の「随意契約」に、同日午前9時までにドン・キホーテやオーケー、楽天グループなど19社から申しこみがあったと発表した。19社の購入申請量の合計は9万824トン。当面の放出枠としている30万トンの3割に相当する。  「進次郎でもだめだったらうち(農水省)もつぶれてしまう。もう選択肢はない。進次郎に乗るしかない」。農水省関係者はこう話す。  進次郎氏や関係者がにらむのは7月20日が投開票日として有力視される参院選だ。「(進次郎氏は)いずれ説明が難しくなる時がくることも考えられる。最初の1~2週間でいかに市場にインパクトを与えられるかが勝負だ」と関係者は話す。進次郎氏も「初日からトップスピードだ」と自分を奮い立たせる。  23日の閣議後会見では、25年産のコメの作付面積(4月末時点)が大幅に増え、コメの生産量が前年より40万トン(需要全体は約670万トン)増える見通しであることも自ら発表した。今年はコメがたっぷりとれますよ、とのメッセージを市場に流した。  日銀の「黒田バズーカ」は10年超でも結果を出せなかった。進次郎氏は2カ月での成果を求められている。 農協は戦々恐々  進次郎氏に戦々恐々としているのが農協(JA)グループだ。進次郎氏は「組織、団体に忖度しない」と明言する。農協のことだ。進次郎氏は15年10月に自民党農林部会長に就き「JA全農(全国農業協同組合連合会)改革」を手がけた。全農は農産物や資材の販売などを手がける農協グループの巨大商社だ。「民間」相手で、激しい抵抗もあり、玉虫色の結果になった。  大昔から農協側が絶対譲れないのが「米価維持」。コメ兼業農家が組合員で一番多い。農協の金融口座数と連動する。金融収益が農協の生命線で政治力の背景だ。その源泉の米価を下げるというのだから、今後はガチンコ勝負になる。   【こちらも話題】 パンと白米よりやっかい…糖尿病専門医が絶対に飲まない"一見ヘルシーに見えて怖い飲み物"の名前 https://dot.asahi.com/articles/-/227046  農協側は進次郎氏のバックに元農水事務次官、奥原正明氏がいるとみる。奥原氏は農協関係者で知らぬものはいない「農協の天敵」だ。農協から金融を分離し、農業に専念させたい考えだった。全農改革でも進次郎氏を支援した。  秋田県の農家だった父親が農協にいじめられたのを目の当たりにして育った菅義偉官房長官(当時)の信頼を得て、農協グループの頂点で農協法上の特別認可法人だったJA全中(全国農業協同組合中央会)を一般社団法人(19年9月から)にしてしまった。「ここまでやるのか」と当時の農協幹部がつぶやいたのを筆者は聞いた。全国組織を生贄(いけにえ)にして、票を持つ現場の農協には手を出さなかったのが奥原氏の知恵だった。今回、進次郎氏に助言しているか奥原氏に聞いたところ「そういうことにはコメントしない」と述べた。 政府にとっての誤算  政府にとっての誤算は、備蓄米の放出を表明したのに、コメの価格が下がらなかったことだ。市場が反応しなかった。全農やほかの集荷業者が、既に高い価格でコメを買ってしまっていたため、とみられる。安く売ると損が出るためだ。  また、これまで3回行われた備蓄米の入札で、健全な競争が機能したのかと思われる面もある。資格者は約60の団体や企業があったが、応札するのは一けたの団体・企業。応札が不調に終わることもあった。これまでの3回の入札で合計約31万トンが落札されたが9割超が全農だった。  今回、政府が随意契約で価格を決めて備蓄米を販売する方法に切り替えたが、政府内でさや当てもあった。財務省は、随意契約でと農水省に言ってきたのに動かなかった、との報道があった。「農水省側はずっと打診してきたのに、ダメと言ってきたのはあっち(財務省)だ。官邸が動いたら手のひらを返した」と怒りを隠さない。  「コメ買ったことない」発言で更迭された江藤拓前農水相の問題もあったようだ。江藤氏は農水相2回目。大物農水族議員の故江藤隆美氏の長男で、農水族の中では森山裕自民党幹事長に次ぐ格。会議ではパパッと資料をみて、ガーッと指示を出して、官僚らはだまって従わざるをえなかったという。会議もシーンとすることが多く、活発な議論はできない雰囲気だったらしい。  石破茂首相とも不仲だった。「おれは(自民党総裁選で)石破なんかに入れたことない」とうそぶいていた。  昨年夏の対応が問題だったという指摘もある。23年産のコメが問題で、統計では平年並みだったが、一等米比率が極端に少なく品質が悪かった。「スーパーの店頭に並んでいるコメが少なくなっていたのは十分にあり得る。それが根っこにあって、昨年夏ぐらいからコメが足りなくなるといわれた。そこから準備して備蓄米を放出すれば問題なかった」と話す専門家もいる。 備蓄米以外のコメも下がるか  今後はどうなるのか。程度の差はあるものの、備蓄米の価格は一定の額は下がるだろう、という見方で専門家も一致する。ただ、備蓄米以外のコメは、少なくとも26年産まで下がらないのではないか、との見方が強い。現在コメの平均価格は5キロで4200円程度。石破首相は平均3千円台にしたいと訴えている。  コメの集荷業者は早めにコメを確保したいために25年産のコメの買取価格を昨年より大幅に増やす方向だ。JA全農にいがた(新潟市)は25年産コシヒカリの目標を60キロあたり2万6千円以上とする方針だ。24年産当初より5割高い。全国でこういう傾向で民間の商取引に、政府が介入することは難しい。  24年産も、コメ業者はすでに高いお金で買っており、安く売ると損が出る。  政府としては備蓄米を使ってコメ全体の価格を下げるために最大限の努力を続けることになる。「今に全てを注ぎ込み、参院選後のことは考えていない」と農水省関係者は話す。この秋は、コメが余る恐れもある。コメは保存できるため、生鮮食料品よりは値崩れもしにくく値が下がるかはわからない。  進次郎氏は、21日の大臣就任会見で27年産のコメの生産体制に向けて抜本的な改革の意向も示した。ただ、参院選後も農水相を続けるかはわからない。27年は次の衆院選挙も近くなり、抜本的なコメ制度改革は雲散霧消となる可能性もある。 (元朝日新聞編集委員 小山田研慈) 【こちらも話題】 進次郎&滝クリの”パーフェクト婚“に欠かせなかった一つのこと https://dot.asahi.com/articles/-/128701
メーガンさんがベッカムの息子夫妻を巻き込み、批判の渦中に ヘンリー王子の「王室と和解したい」は実現するのか
メーガンさんがベッカムの息子夫妻を巻き込み、批判の渦中に ヘンリー王子の「王室と和解したい」は実現するのか 2018年7月10日、英国空軍創設100周年を記念したイベントの際に、ロンドンのバッキンガム宮殿に姿を見せたウィリアム王子とキャサリン妃、ヘンリー王子とメーガンさん (photo AP/アフロ) 波紋広げる「王室と和解したい」発言  ヘンリー王子(40)は、イギリス滞在中の警護を裁判で訴えていたが、先日、控訴院で敗訴が決定。その後に受けたBBCのインタビュー中に、「王室と和解したい」と発言したことの波紋が広がっている。  王室専門家から様々な声があがり、ヘンリー王子へのアドバイスも多く集まったが、中でも注目されたのは、「ハリー、今こそ謝るときだ」という呼びかけだ。ヘンリー王子は和解を求めるというが、それは“ある言葉”を発しない限り実現しない。これまで自分が王室に対して行ったことを反省し、謝るべきという指摘だ。  また、ヘンリー王子はインタビューの中で、自分に警護が付くよう「国王が動くべき」とも発言しているが、これには「王子の権利意識に嫌悪感を持った」という声が相次いだ。本当に王室と関係改善を望むのであれば「言葉を選ぶべき」と批判されている。王室を責め立てる代わりに、「ごめんなさい。僕が間違っていました」と謝罪するべきだったのだ。  2018年5月19日、ヘンリー王子とメーガンさんの結婚式のため、ウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂に到着したデヴィッドとヴィクトリア・ベッカム夫妻(photo ロイター/アフロ) かつては親しい関係だったベッカム夫妻  そんな忠告がヘンリー王子の耳に届いたのかどうか、その反応が聞かれる前に王子とメーガンさん(43)は新たな批判を招く事態に陥っているようだ。今回は、元人気サッカー選手のデビッド・ベッカム氏(50)と妻のビクトリアさん(51)の長男ブルックリン氏(26)とその妻で女優のニコラ・ぺルツ(30)も巻き込んでしまった。  かつてヘンリー王子夫妻とベッカム夫妻はとても親しい関係にあり、王子夫妻の結婚式にも招待されている。ビクトリアさんはメーガンさんに美容師を紹介するなど仲良く交流していたが、メーガンさんが次第にビクトリアさんにドレスなどの無償提供を要求するようになり、ビクトリアさんはその傲慢さに疑問を持つようになったという。  さらに、メーガンさんが「私のプライバシーを流したのはビクトリア」と一方的に非難する出来事が起きた。メーガンさんに指示されたのだろう、ヘンリー王子はベッカム氏に苦情の電話を入れ、心当たりのないベッカム夫妻は激怒。それ以来二組の夫妻は口をきいていないと言われてきた。 2025 年 2 月 24 日、ファッションイベントに姿を見せるブルックリン・ベッカム氏と妻のニコラ・ペルツ(photo REX/アフロ) ベッカム氏の息子の妻に急接近  そんな状況が続く中、ブルックリン夫妻が、カリフォルニア州モンテシトの知人の邸宅(メーガンさんが自宅に招いたとの報道も)での夕食会に姿を見せたところ、その夕食会にはヘンリー王子とメーガンさんも来ていたという。  この時、ブルックリン夫妻と両親の間には不仲説が流れていた。固い絆で結ばれていたはずの一家だが、ブルックリンがアメリカの億万長者の娘で女優のニコラと結婚した頃から風向きが変わった。ニコラが結婚式でデザイナーでもある義母のビクトリアが手がけたウェデングドレスを避け、ヴァレンティノを選んだことから、嫁姑の仲の悪さが囁かれるようになり、ニコラは堂々と、「義理の両親は有毒でナルシスト」と言ってのけるほど関係は悪化。ブルックリンが父ベッカム氏の50歳の誕生日パーティーを欠席し、ビクトリアが悲しんで泣く姿も目撃されている。  エクスプレス(オンライン)によると、夕食会でブルックリンと顔を合わせたヘンリー王子は実家との確執に共感と理解を寄せ、「大規模な反撃」をサポートしたいと述べたそうだ。  また、メーガンさんは夫の実家との溝が深いニコラに同情を寄せ、「適切なアドバイスができる」と親切に接したという。  メーガンさんと二コラさんはともに「アメリカ人」で「夫より年上」、さらに「女優」と共通点が多い。2人は急速に親しくなったことから、メーガンとベッカムを合わせて「メッカム」とまで呼ばれている。メーガンさんはニコラと共同プロジェクトに着手すれば関心を呼ぶと自信をみせているとも伝えられている。 2025 年 5 月 13 日、ロンドンでファッション関連のイベントに参加したキャサリン妃。ヴィクトリア・ベッカムさんがデザインしたパンツスーツが目を引いた(photo ロイター/アフロ) 「メーガンは他人の不和に乗じて利益を上げるつもりだ」「メーガンは無関係なのに、自分のアピ―ルのため首を突っ込む」と批判が殺到。ニコラと共働することには、「うまくいくはずがない。二つの大きなエゴは一つの部屋には入らない」と言われている。  そうした時期に、キャサリン妃(43)がイギリスのファッション会主催のイベントに出席した際、ビクトリアさんのブランドの約25万円のパンツ・ス―ツを着用し、話題となった。それはキャサリン妃がベッカム夫妻を「サポ―トする証し」とささやかれた。またビクトリアさん側は「スーツはギフトではなく、妃ご自身が選んでくださいました」と感激と喜びの声明を出している。  ベッカム家の騒動に王室が何らかの影響を及ぼすのだろうか。  (ジャーナリスト 多賀幹子)
能登でもっとも人口の少ない町の「民主主義」再生物語 80歳の男性が町を動かす
能登でもっとも人口の少ない町の「民主主義」再生物語 80歳の男性が町を動かす 映画「能登デモクラシー」は東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場で公開中、24日から金沢・シネモンドほかで公開(c)石川テレビ放送    それは町議会への不信からはじまった。能登半島の中央に位置する石川県穴水町で取材を進めるディレクター。そこで目撃した「デモクラシー」の再生とは。AERA2025年5月26日号より。 *  *  *  石川県穴水町。能登でもっとも人口の少ない町に石川テレビのディレクターで監督の五百旗頭幸男(いおきべゆきお)さん(46)が注目したのは、前作「裸のムラ」の登場人物で同町に住む中川生馬さんからの情報だった。 「吉村光輝町長がコンパクトシティ構想を掲げ、自身が理事長を務める社会福祉法人の新施設を国からの補助金と町とで負担して建設するという。あからさまな利益誘導が普通に行われ、それを議会がスルーしている。町長と議会の二元代表制が崩壊し、民主主義が機能していない、危機的な状況だと思ったんです」 滝井さんとの出会い  2023年1月から取材を開始。だが、カメラの前で本音を語る人は少ない。そんななかで出会ったのが本作の主人公となる滝井元之さん(80)だ。20年から手書き新聞「紡ぐ」を発行し、町議会への疑問や意見を人々に届けていた。 「こんなに小さな社会で行政や議会にはっきりともの申している人がいることに驚きました。『紡ぐ』は4年間で当初の180部から500部に発行部数を増やし、年間発行費用100万円のうち70万〜80万円はカンパでまかなわれていた。声を上げられない人々の代弁者なのだと感じました」  カメラに映る滝井さんは終始温厚だ。猫7匹と妻・順子さんと暮らし、テニスコーチなどボランティアに忙しい。私利私欲など一切なく、町のために動く姿は胸を打つ。それでも、町をめぐる状況に大きな変化はなかった。  が、24年1月1日の能登半島地震で様子は一変する。穴水町は死者33人、全半壊1900棟。監督は2日朝に町へ入るが滝井家のある集落へ辿り着くことはできなかった。 いおきべ・ゆきお/1978年、兵庫県生まれ。チューリップテレビを経て2020年に石川テレビ入社。劇場公開作に「はりぼて」(20年)、「裸のムラ」(22年)がある(c)石川テレビ放送   「避難所ではみな口々に『どうせまた輪島や珠洲だけ』『穴水はほったらかしだ』と見捨てられ、切り捨てられる不安を吐露していた。実際そのときのニュースは輪島の火災一辺倒だったんです。自分もメディアの人間として、いたたまれない気持ちでした」  3日に滝井家に到着。滝井さんはすでにボランティア活動で家々を訪問し、声をかけあっていた。そして滝井さんの地道な活動に呼応するように町に変化が起き始める。 「避難所などで町長と対峙した町民たちが『これに困っている』『ここを変えてほしい』とはっきり言うようになった。明らかな変化がありました」 あるべき民主主義  監督がもっとも大きな変化を感じたのは吉村町長だ。コンパクトシティ政策は維持しつつも、地域を切り捨てずコミュニティーを維持させる方針を復興計画に記した。町民から意見を聞き、そのうえで議会や行政が町民のために機能する。あるべき「民主主義」が再生しはじめたのだ。  さらに24年5月に本作のテレビ版が放送されると町議会に傍聴者が急増。仮設住宅をまわる滝井さんに町議会議員が同行するようになった。 「これまで見向きもしなかった議員が態度を変えてきた。正直、滝井さんには思うところもあるはずです。しかしそれは隅に置いて『一緒にやりましょう』と受け入れる。そこにコミュニケーションが生まれる。立場や意見の違いがあっても分断はない。これこそが民主主義を支える重要な基盤だと思うんです」  ラストは自分なりの「デモクラシー」への姿勢だと監督。 「滝井さんの活動はSNSやネットでバズらせるような行為とは対極にある。地味だけれどコツコツと積み上げてきたからこそ信頼され、それが変化につながった。メディアもその姿勢を忘れず、長期的な視線で政治をチェックし続けることが大切です」 (フリーランス記者・中村千晶) ※AERA 2025年5月26日号
俳優・高橋光臣はスイーツづくりが大得意 ハマる“きっかけ”となったDAIGOの一言とは?
俳優・高橋光臣はスイーツづくりが大得意 ハマる“きっかけ”となったDAIGOの一言とは? 高橋光臣さん  ドラマに映画に活躍中の俳優、高橋光臣さん。“筋骨隆々”の姿からは一見、想像できませんが、スイーツ作りが大得意。ご自身のインスタグラムには高橋さんお手製の美味しそうなスイーツがずらり。プライベートでは7歳、5歳、0歳の男の子3人のパパですが、スイーツを作り始めたことで深まったお子さんたちとの絆について伺いました。※後編<高橋光臣が語る3人男子の子育て 「富士山の高さは?」「光の速さは?」毎朝同じクイズを出す理由とは?>に続く はじめて作ったスイーツは、焦げたクッキー ――はじめてスイーツを作られたのは、いつですか?  2023年の3月です。アンパンマンクッキーを作りました。休みの日に子どもたちと時間を持て余していて、「何か一緒にやれることはないかな?」「クッキーでも作ってみようか」って。YouTubeやインスタグラムを見ながら、目分量で作ったところ、アンパンマンの顔は認識できないほど焦げてしまいました。けれど、子どもたちは美味しいといいながら食べてくれました(苦笑)。  それから4カ月ぐらいは作っていなかったのですが、プライベートでも仲良くしてくださっているDAIGOさんのアドバイスがきっかけで本格的に作り始めるようになったんです。 ――どんなアドバイスだったのでしょう。  DAIGOさんとは家族ぐるみでよく遊ぶのですが、ある日、土手のような場所で2人で歩いているときでした。DAIGOさんが「光臣、ちょっとドーナツ作って」と急に言ったんです。  こちらは、ビッグクエッションですよ(笑)。「え?なぜですか?」と尋ねたら、「光臣、ちょっとさ、甘みが欲しいよね」と。DAIGOさんいわく、僕は筋トレや殺陣(たて)に没頭しているという汗っぽいイメージがあるから、甘いイメージが欲しいという意味だったようです。尊敬するDAIGOさんのアドバイスだし、当時は、まだ社会的にコロナ禍の名残のような雰囲気もあり、家でできることとして、挑戦してもいいかなと思ったのです。  その話はすぐに妻たちにも共有され、私の妻も「いいんじゃない」と言ってくれました。そして、せっかく作るのだったらと、インスタへの投稿も始めました。 DAIGOさん(左)と高橋光臣さん(高橋さん提供) ずっとスポーツ好きで肉好き。好きなことにスイーツ作りも加わった ――実際、ドーナツは作りましたか?  はい。今度はYouTubeか何かを見ながらだったと思いますが、レシピ通りに作ったところ、比較的、上手にできました。チョコレートの上にアーモンドを散りばめて、出来上がったドーナツを家族で食べました。その後は、型抜きクッキーやケーキなど、いろいろなスイーツに挑戦し始めました。  それまで、スイーツは作ったことはありませんでしたし、ものすごくスイーツ好きだったわけでもありません。子ども時代は野球、バスケットボール、剣道、ラグビーとスポーツばかりしてきましたし、大人になってからは筋トレや古武術などに力を入れていました。どちらかというと、肉好きでした(笑)。  スイーツ作りの基礎は、通信講座で勉強しました。レシピ通りに作っていく中で、家になくて揃わない材料や、使ってみたい材料が出てきたり、配合を自分なりに工夫したりするうちに、オリジナルのスイーツを作るようになっていきました。 料理をしながら子どもの成功体験を増やす ――お子さんも一緒にスイーツ作りをしてくれるそうですね。  スイーツを作ることで、子どもとのコミュニケーションが取りやすくなったと思います。街中で子どもたちがケーキなんかを見つけると、「パパ、これ作って」って言うことがあって。そんな小さな変化が日々、あります。  次男は最近、私の仕事は、お菓子を作ることだと思っています(笑)。俳優としてテレビドラマに出演していますが、子どもが見るにはまだ早い内容の作品もあるので、私の仕事がいまいちピンときていないようです。そんななか、3月に発売した本『俺とスイーツ ~家族のためのお菓子作り~』の出版にあたり、子どもたちと一緒にお菓子作りの撮影をしました。  子どもたちは一緒に作ることが嬉しいみたいで、すごく手伝ってくれます。  手伝ってもらうときは、必要以上に口も手も出さないと自分で決めています。ですが、時間が限られているときは、卵1個だけ。「一個ずつね。今日はこれで終わりにしよう」って(苦笑)。 KADOKAWA提供  子どもの小さな成功体験を増やすという意味でも、卵割りはすごくいいなと思っています。例えば、1個を割り損ねて、「もう、ダメじゃない!」と言って可能性を奪ってしまうのは、もったいない。3個ぐらい割りそこなっても、最後に成功すれば、彼らにとって成功体験になります。失敗した卵は、後で卵焼きにして食べればいいわけですし。  卵割りが上手になるとスイーツ作りの戦力になるので、こちらもすごく助かります。 ――子育てするうえで、スイーツ作りが役立っているんですね。  はい。子どもたちはショートケーキが大好きなのですが、土台となるスポンジケーキの生地を焼くのは、なかなか難しく、うまく膨らまないことがあります。子どもたちにしてみたら、それはそれで大好物です。「生地ちょうだい、ちょうだい」って言いながら、嬉しそうに食べます。  生地を焼いているときは、オーブンの窓から子どもたちと一緒によく中をのぞきます。膨らんでいく瞬間が、すごく感動的なんです。子どもたちの目がキラキラしていく様子もいいんです。上手く膨らんで生クリームを塗って、完成したショートケーキももちろんですが、ボウルに残った生クリームを食べるのも大好きで、競うように食べています。  そんな喜びや感動、成功体験が、彼らの人間形成に役立てばと思っています。  スイーツを作っていると、作る楽しさと食べてもらう楽しさもあるし、子どもたちとの付き合いも深まっていくことを幸せに感じる日々です。 2枚ともKADOKAWA提供 (取材・文/永野原梨香) ○高橋光臣(タカハシ・ミツオミ)/1982年生まれ、大阪府出身。主な出演作にドラマ「ノーサイド・ゲーム」、「DCU」、大河ドラマ「光る君へ」など。現在ドラマ「夫よ、死んでくれないか」に出演中。初めての料理本として『俺とスイーツ~家族のためのお菓子作り~』(KADOKAWA)が発売中。
「大河ドラマの主役に細川政元を推薦します!」 日野富子を味方につけて革命起こし、延暦寺を焼き討ちした武将の壮絶人生
「大河ドラマの主役に細川政元を推薦します!」 日野富子を味方につけて革命起こし、延暦寺を焼き討ちした武将の壮絶人生 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)   知名度こそ高くないが、大河ドラマの主人公であればきっと見せ場の多い、激動の人生をたどった武将がいる。 細川政元にまつわるエピソードは派手なものが多く、ここに挙げきれないほど。織田信長よりも先に比叡山を焼き討ちし、日野富子を味方につけて足利将軍を追放する革命を起こし、戦国時代の幕を開けた男だ。 細川勝元の息子である政元は、応仁の乱の終結を象徴するエリートとして期待されたものの、若い頃は誘拐事件の被害者になるなど苦難が多かった。 また彼は、天狗の魔法にも憧れを抱いた。自らより低い身分の師匠に弟子入りし、「空中飛行」や「透明になる能力」を会得するための修行に没頭。自らが大将を務める戦の最中に、あろうことか東北での天狗修行を口実に陣を放り出そうとしたこともある。 そんな政元を「もっと評価すべき」と語るのは、細川氏研究の第一人者である古野貢教授。著書『オカルト武将・細川政元』の中で、時代を変えた政元の重要性について言及している。 新刊「『オカルト武将・細川政元 ――室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」』(朝日新書)」から一部を抜粋して解説する。 *   *   * ともすれば歴史上の人物について語られるさまざまなエピソードと歴史的事実の間には、齟齬が生じることがあります。政元の場合も、空を飛ぶ、呪詛をする、妻帯をしないなど、当時の常識からも逸脱した行動が強調され、「戦国の三愚人」と呼ばれたりもします。しかしこの「オカルト武将」とでもいうべき側面は政元を理解するための導入であり、私には室町幕府を維持しながら次代を見据えた政治家として整合的に説明する役割・義務があるのではないかと思い至ったのです。 したがって本書の本当のねらいは、政元を単なる変人としてではなく、その「おかしさ」が彼の政治的ポジションや政策決定、行政執行などとどのように関連していたのか、を描くところにあります。 応仁の乱の中盤に二人の総大将が揃って亡くなったあと、政元は幼くして父の跡を襲って名門武家である細川氏を継ぎました。そして応仁の乱終結後の幕政に深く関わって活躍し、「明応の政変」を引き起こします。政元が主導して時の将軍・足利義材きをその地位から蹴落とし、代わって足利義澄という新たな将軍を擁立する、というものでした。 これはクーデターともいえるもので、将軍と幕府の権威はかつてないほど失われました。そのため、近年ではこの事件をもって戦国時代の始まりと評価することが多くなってきました。そして政元はこの政変をきっかけに〝ポスト応仁の乱の覇者〞として実権を握ることになります。 細川氏は中世後期という時代の政治や権力、社会を理解するうえで最重要な存在です。なかでも細川政元は、細川氏が室町幕府という枠組みのなかで権力を行使してきた段階から、室町幕府を相対化し得るような段階への志向性を見せたという点で、新たな時代の開拓者として評価してよいと思います。しかし実際のところ、政元はそれほど知名度が高いわけではありません。先述した課題をもっとも体現し得る存在であるにもかかわらず、です。ここに細川政元に注目する意義があります。 織田信長よりも先に比叡山を焼き討ちしたのも政元です。彼の一見奇矯で怪しく、整合性を取りにくい動向は、かえって新たな価値観や常識、制度などを生み出す基盤となりました。この政元の動きによってかたち作られた先例が、のちの三好長慶や織田信長に継承され、近世という新しい時代を招来することになるのです。 細川政元は中世から近世への歴史的展開におけるトリガーを引き、ゲームチェンジャーとしての役割を果たした人物であったといえます。非科学的な知識や振る舞い・事柄が大きな位置を占めていた中世社会を十分に体現しつつ、社会の枠組みの再編を企図するなど、新たな時代の可能性を指し示したともいえます。周囲にとらわれず、自らが信じる方向へ突き進む。そのような政元が武器としてまとったのが「オカルト」だったのかもしれません。 近年では、最初の戦国大名とも言われる北条早雲(伊勢新九郎)の生涯を描いたゆうきまさみの漫画『新九郎、奔る!』(小学館)において政元が登場し、応仁の乱以後の政治を動かす人物として活躍しています。 私は、政元を主人公とする大河ドラマがつくられたりすると非常に面白いのではないかと思っています。政元の破天荒な行動は、当時の常識を次々と打ち破り、実に痛快です。 新刊『オカルト武将・細川政元』では、大河ドラマのような彼の人生を余すところなく詳述しています。 オカルト武将・細川政元 室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」 (朝日新書) 商品価格¥957 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。
無国籍でも私は私 「NPO法人無国籍ネットワーク」発起人/早稲田大学国際学術院教授・陳天璽
無国籍でも私は私 「NPO法人無国籍ネットワーク」発起人/早稲田大学国際学術院教授・陳天璽 横浜中華街で生まれ、変遷を見てきた。いま、街の新たな核となる施設を構想している(写真:張溢文)   「NPO法人無国籍ネットワーク」発起人、早稲田大学国際学術院教授・陳天璽。国籍を持たない「無国籍者」が世界に400万~500万人いると言われている。陳天璽もまた、30年ほど無国籍者として日本に暮らした。そこで直面した困難は、自分とは、国とは何かを強く考えさせた。国籍がないことで受ける制約は多い。でも、国籍がなくても、どこの国籍であろうと、私は私。人こそが一番大事にされるべきだ。 *  *  *  教室は200人の学生で満員となった。この春、東京理科大学(東京都葛飾区の葛飾キャンパス)に入学したばかりの新入生向け「教養概論」。  学外の研究者やユニークな活動をしている人を招き、話をしてもらう自由なカリキュラムだ。担当教授の木名瀬高嗣がその日招聘したのは、早稲田大学国際教養学部教授、陳天璽(ちんてんじ)(チェン・ティエンシー)。愛称ララ。クリスチャンの洗礼名「クララ」から、彼女を知る多くの人たちが親しみを込めてそう呼んでいる。  この日のテーマタイトルは「(無)国籍(と私)」。陳は、文化人類学者として国連が本腰を入れて取り組みを始める前から無国籍の実情を調べ、論文や著作を発表してきた。これまで35カ国以上の国や地域で無国籍の人たちの聞き取りを行っている。2024年末には、いくつもの国籍をもつ多重国籍者の家族の調査のため、スペインに出かけた。  無国籍の人たちを支援する団体「NPO法人無国籍ネットワーク」をいち早く立ち上げるなど、現実の問題にもコミットする先駆者だ。国籍の問題を深く研究するのは、陳自身、約30年間「無国籍者」の時期があり、さまざまな壁に阻まれたり、跳ね返されたりしてきたからだ。 「無国籍というと、何か悪いことのように思われたりする。けれど全く違う。同じ立場に置かれる可能性は誰にでもあるんです」(陳)  無国籍者は著名人にもたくさんいる。世界的ピアニストのフジコ・ヘミングは、スウェーデン人の父と日本人の母との間にドイツで生まれたが、18歳から40代まで無国籍だった。ドイツ生まれのユダヤ人物理学者、アインシュタインも一時期無国籍だったという。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は世界に400万~500万人の無国籍者がいると発表している。陳は、「1千万人は超えているだろう」とみる。授業を受けた理科大薬学部の女子学生は、無国籍が存在していることを知らなかったと言う。 「国家と自分との関係なんて全く考えたことがなかった。講義を聞いて認識が変わりました」 「無国籍ネットワーク」のイベント。たとえば、両親のどちらかが無国籍の場合、日本人の子どもが婚姻届を出す時、役所はどう対応し、2人はどう答える?など、寸劇を通して「無国籍」を体感してもらう(写真:張溢文)   横浜中華街に生まれる 6人きょうだいの末っ子  陳のゼミに聴講生として参加している別の大学の大学院生は、陳の研究を、文化人類学や社会学、政治学の枠を超えた意義のある仕事だと話す。 「それだけでなく、国籍に関わらず困った人を助けようとする気持ちがある。状況を改善するために行動している。そこが素晴らしい」  国籍の難しい所は、国によって考え方や法制度が違う点にある。日本は二重国籍は認めず、血統主義で、長く父親の血統のみだった。父母両系血統主義に変更したのは1984年。生地(せいち)主義で二重国籍を認める国も多い。国籍には国際的な基準がないため、国やその人の置かれている状況によっていろいろな問題が起きる。  グローバル化し、国際結婚は日本でも珍しくなくなった。弾圧や貧困、紛争、戦乱から逃れるため国境を越え、海を渡る難民。海外への出稼ぎや移住者も増えている。国を超え、民族が混ざりあう中で「無国籍」となったりする。 「無国籍ネットワーク」は、そうした人たちの相談に乗り、情報を提供している。  ネットワークの共同代表理事、長谷川留理華も元無国籍者。迫害されているミャンマーの少数民族ロヒンギャの一人。ロヒンギャはミャンマーの中で国籍が認められていない。小学校卒業間近の頃、日本に逃れてきた。高校に通っていた10年ほど前、陳と出会う。ロヒンギャの女性はあまり表に出て活動することがない。しかし陳は、女性でも発信することができると言ってくれた。長谷川は、「無国籍ネットワーク」以外にも、難民キャンプの人たちを支援するNPOを自分で立ち上げている。 「ララさんと出会ってなかったらこんな活動はしていませんでした。勇気をもらいました。無国籍ネットの運営に関しても、まず一歩踏み出す。ダメだったらやめればいいと。そういうところがララさんの魅力です」  陳が16年前から支援している旧ユーゴスラビア・コソボ出身の男性があるトラブルから自らを不利な立場に追い込んでしまっていた。 春節の前日、1月28日、横浜中華街の実家「華都飯店」に親族が集合。父・福坡(前列中央)は104歳。陳家の中心として健在。いまも陳と麻雀をする。陳にはここがいまもホームグラウンドだ(撮影:写真映像部・和仁貢介)    男性は無国籍で在留資格がなく、働くこともできない。なんとか資格を取得したいと考えていた。そのためにすこしでも立場をよくしようと、無国籍ネットワークの運営委員に入ってもらった。ところが問題を起こしたため、いったん降りてもらうことに。その対応に男性が納得できないと不満を漏らしていたのだ。陳は、今年1月、大学に来てもらい話をした。 「ところが、彼がなかなか理解しようとしない。最後は大隈講堂の前で大喧嘩の言い合いになっちゃって。守衛さんが驚いてました」と笑う。  この男性の支援のために、いろいろな方策を考える中で09年に知り合ったのが、難民の生活支援に取り組んでいたカトリック東京国際センターの有川憲治(現・神奈川県鎌倉市の「NPO法人アルペなんみんセンター」事務局長)。 「ララさんは実直な方だと思いました。ご自身の体験を踏まえ、真摯に無国籍の方のために取り組んでいるという印象でしたね」  陳は1971年、姉2人、兄3人のきょうだいの末娘として横浜中華街に生を受けた。両親は華僑である。父の陳福坡は今年104歳。明治大学と東京大学の大学院で学んだ学究肌。5人の子どもを育てるために、中華街で妻とともに小さな中華菓子店を始める。7人家族が7畳で暮らした時期もあった。その後中華料理店「華都飯店」を開き、生活が軌道に乗っていく。福坡は、華僑の自治会的組織で、民間外交も担う横濱華僑總會の事務局長として走り回る日々。そんな中、陳が生まれた。名前の天璽には「天から授かった大切なもの」という意味が込められている。(文中敬称略) (文・高瀬毅) 「私はチャイニーズ。でも中国という枠の中の中国人ではなく、国籍を超えた一人の人間として」。国家の視点ではなく、いつも個の視座から世界を見ている(写真:張溢文)   ※記事の続きはAERA 2025年5月26日号でご覧いただけます
「私たちらしい家族をオリジナルでつくってきた」 互いに相手への愛や感謝を伝え合う
「私たちらしい家族をオリジナルでつくってきた」 互いに相手への愛や感謝を伝え合う 柴田純治さん(右)、土屋志帆さん(写真:MIKIKO)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2025年5月26日号では、Co-leadersの柴田純治さんと夫婦・カップルのシステムコーチ、土屋志帆さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 妻33歳、夫37歳で結婚。長男と3人で暮らす。 【出会いは?】リーダーシップ・プログラムの研修で出会う。 【結婚までの道のりは?】交際はせず、夫がプロポーズ。リーダーシップ・プログラム終了後、約半年で結婚。 【家事や家計の分担は?】コロナ禍で役割をチェンジ。今は料理、買い物、ゴミ捨て、食器洗いは夫。洗濯物干し、取り込みは妻。夫婦で会社を経営しているため、家計は経理も含めて一緒に管理。 夫 柴田純治[47]Co-leaders代表取締役/ゆめみ執行役員、コーチ しばた・じゅんじ◆1977年生まれ、長崎県出身。2004年に京都大学を中退、ゆめみにエンジニアとして入社。17年にCo-leadersを設立。22年、ゆめみ取締役。24年に同社執行役員 志帆とはリーダーシップを学ぶためのプログラムで出会いました。その一環でペアを組み、自身の人生の痛みについて語り合う経験を経て、結婚に至りました。  ステップファミリーだからこそ、家族の形に正解はないし、私たちらしい家族をオリジナルでつくってきました。「こうあるべき」ではなく「こうしたい」と考えながら、自分たちだけの家族の形を育てています。  二人で一緒にやりたいことを仕事にしたくて、会社を立ち上げました。仕事でもプライベートでも、一緒に何かをつくるのが本当に楽しい。私が悩んだときには、彼女はもちろん、息子にも相談します。家族がひとつのチームのような存在です。  夫婦で北欧に滞在しながらリモートワークをしたこともあります。11月22日の「いい夫婦の日」には、出会いや気づきをシェアするイベントを開催しています。多様な夫婦に出会うほど、私たちの関係性がよりよくなっていくのを感じています。 柴田純治さん(右)、土屋志帆さん(写真:MIKIKO)   妻 土屋志帆[43]夫婦・カップルのシステムコーチ/Co-leaders代表取締役、CRR Global Japan共同代表 つちや・しほ◆1981年生まれ、千葉市出身。2017年にCo-leadersを設立し、代表取締役に。18年にCRR Global Japanに参画し共同代表兼ファカルティ。関係性のコーチングを教えるトレーナーで、特に「夫婦のコーチング」が専門 一度離婚を経験していて、それ以来、再び誰かと関係性を築くことを恐れて生きていました。二度と傷つきたくなくて心にバリアーを張り、自分を守っていた感じです。でも「この人となら、もう一度失敗してもいいか!」と思えたので、結婚を決めました。  コロナをきっかけにお互いフルリモートワークになり、一緒にいる時間は長いですが、全く苦になりません。休憩時間には2人でよく畑や散歩、カフェに行きますが、そんな毎日がとても幸せです。  日常って当たり前にあると思ってしまいがちですが、実はそうではない。この状況にあぐらをかいていたら、消えてしまうかもしれない。  だから私たちはいつもお互いに相手への愛や感謝の気持ちを伝え合っています。伝えずに人生が終わってしまったらもったいないと思うんです。  じゅんちゃん、愛しています。出会えて本当によかった。これからも楽しさや喜びは2倍に増やし、しんどさやつらさは半分に分け合って、生きていこうね。 (構成・浴野朝香) ※AERA 2025年5月26日号  
なぜ「無銭米」の前農水大臣?  なぜ“女玉木”山尾志桜里? この国で味わう政治家に「相手にされてない」感 北原みのり
なぜ「無銭米」の前農水大臣? なぜ“女玉木”山尾志桜里? この国で味わう政治家に「相手にされてない」感 北原みのり 辞任した江藤拓前農林水産相   作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回はこの国の政治について。 *  *  *  山尾志桜里さんが国民民主党の正式な候補者になると発表され、そのことで国民民主党の支持率が落ちているという。山尾さんだけが原因ではないだろうが、玉木雄一郎代表のXのフォロワーが4日で5000人減るほどの勢いだ。  意外である。  山尾さんはそもそも今の国民民主党結党のメンバーだ。そして、言葉を選ばずに言えば、どこか“女玉木”と言いたくなるほどに玉木さんと似ているように私には見える。  同じ大学(東京大学)出身ということだけでない。2人の持つその言葉の強さ、その目力の強さ、スター性(一時期の山尾さんの人気は大変なものだった)、政治状況にインパクトを与えるほどの不倫報道後も動じない威風堂々な姿勢、いろんな面で2人は似ている。  そういう意味で、大丈夫よ! 山尾さんが入ったところで、国民民主党はきっと変わらないよ! と国民民主党の支持者に言ってあげたい気持ちだ。  とはいえ、きっと、国民民主党の支持者は“女玉木”など求めていないのだろう。玉木さんには「不倫報道などなかったことにしてあげている」(ように見える)寛容は、女の山尾さんには適用されないということなのか。  夏の参議院選挙に向けて、じわじわと政治を巡る空気が動き始めている。  5月に行われたNHKの世論調査で政党別支持率を見ると、年代別での支持政党の違いは大きいが(50代以上は自民党支持者が多数派だが、10〜30代は国民民主党の支持率が一番高い)、男女別の支持率を見ると、あからさまに国民民主党は女性に人気がない。男性の約11%が国民民主党を支持しているというのに、女性で支持している人はたったの約2%なのだ。それは立憲民主党の女性支持率6%よりずっと低く、国民民主党の男女の支持率ギャップは、自民、立憲、維新、公明、共産の各党と比べものにならないほど大きい。これはなかなかの数字だ。国民民主党の躍進が日本の政治状況を変えるような勢いで語られてはいるが、その躍進を支えているのはほぼ男性ということなのだから。 山尾志桜里氏(2021年撮影)    多くの女性は国民民主党が好きではないらしい。それが玉木さんの不倫報道に始まったことなのかどうかは不明だが、「手取りを増やす」と“国民”に寄り添うことは言うが、妻に寄り添わなかった姿勢や、選択的夫婦別姓を公約に掲げて選挙に出ながら、いざその局面になると及び腰になるような姿勢が、なんだよっ!と女性をいらつかせるのかもしれない。   だいたい国民民主党にとって大勝負である夏の選挙に向けて、不倫のイメージが残っている山尾さんを目玉候補者にあげる感覚も、女性有権者の気持ちなどどうでもよいと考えているように見えてしまう。玉木さんの誤算は、多くの男も山尾さんが嫌い、ということだろう。  この国で有権者をやっていると、政治家に「相手にされていない」感をしばし味わう。  投票者数だけでいえば女性のほうが多い。近年の国政選挙でいえば女性は男性よりも100万人以上多く投票している。女性は政治に期待し、真面目に投票しているのだ。それでも、候補者として選ばれる人は、ほとんど男性だ。候補者を選ぶのがそもそもエラい立ち場の男性政治家であることも、女性が候補者なるチケットをそもそも手にいれることが難しい理由のひとつだろう。たとえ「ジェンダー平等」を掲げるリベラルな政党であっても、女性の人権のために働いてきた熟練のおばさまが新人として選ばれることは稀で、ニッコリとフレッシュに微笑む清潔さがウリの女性の新人が目立つ。保守であれば、強面に“恥を知れ“と国防を男以上に勇ましく語る女性候補者だったりする。もうね、フツーに隣にいないような女性たちなのです。  有権者は候補者を選べない。だから、ほぼオジサンばかりの政党が選ぶ候補者の中から鼻をつまみながら、よりマシなものを選ぶことしかできない。そして「よりベターなもの」を選ぶのが選挙である、と思っている。  でも、本当にそうなのだろうか。  最近、そんなふうに感じ始めている。なぜ、本当にいいと思っているわけではない候補者を、「他の人よりマシだから」という理由で投票しなくてはいけないのだろう。それって本当に民主的な政治なのだろうか?  実は様々な民主主義国家では、候補者選びから市民が関わり盛り上げていく選挙を実施している国は少なくない。いつまでも候補者選びがブラックボックスであり続ける限り、政治は有権者の実感からずっと遠く、「米を買ったことがない」農林水産大臣がのうのうとその地位についてしまう悲劇が起きるだろう。そろそろ選挙のあり方そのものを、もっとオープンにし、有権者と共に変えていくべきなのではないか。本当に政治家になってほしい人に政治家になってもらうために。女性の声をきちんと聞ける政治家に、政治の場に行ってもらうために。

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