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「働くのは負け」「子育て中も自分のキャリア考えなきゃ」 専業主婦と働く女性の埋められない溝
「働くのは負け」「子育て中も自分のキャリア考えなきゃ」 専業主婦と働く女性の埋められない溝 子どもを慌ただしく保育園に送り届けるワーママと余裕のある佇まいで幼稚園に送る専業主婦──。働く女性と専業主婦との差は日常的に存在している(写真:Getty Images)    何のために働くのか、または働かないのはなぜか。働く女性も専業主婦も、それぞれの意思や必要な状況で生活しているが、その価値観は度々すれ違う。私たちは互いに「わかり合えない」のだろうか。AERA 2024年11月18日号より。 *  *  * 東京都の会社員の30代女性は子どもの育休中、月齢が近い子どもと親が集まる自治体主催の会での出来事が忘れられない。何げなく、復職する予定だと話したところ、参加者のママたちから「働くって何ですか?」と言われたのだ。女性は「住む世界が違いすぎてショックを受けた」と振り返る。  別の会社員女性(44)にも似たような経験がある。育休と夫の海外赴任が重なり、現地で暮らしていた時のこと。日本人コミュニティーで出会う「妻」の多くが専業主婦だったが、その中のひとりが「私、働くのは負けだと思ってるんだよね」と口にしたのだ。 「一瞬フリーズしてしまって、この人は何を言ってるのだろう?と。生きがいを持って働くことが『負け』という発想が理解できず、頭痛がしました。同時に、何を言っても分かり合えないだろうから、ほっとくしかないと思いました」  そんな働く女性たちの声がある一方、専業主婦からも「相手のことがよくわからない」と感じた経験談が聞こえてくる。  小1と2歳の2人の子どもを育てる大阪府の専業主婦の女性(34)は最近、大手飲料メーカーでバリバリ働いていた高校時代の同級生が出産。LINEでお祝いの言葉を贈ったり、赤ちゃんの写真が届いたりといったやり取りをする中で、同級生から「おっぱい、オムツ、沐浴で1日があっという間に終わってしまう」とメッセージが届いたので、「そうだね。そんなかんじであっという間に小学生になっちゃうよ」と返信すると、「焦るね。自分のキャリアのことを考えなきゃ」と返ってきたという。 「キャリアって……。生まれたばかりの赤ちゃんを前にそんなこと考えるんですか? 腹が立ったわけではなく、驚いて言葉が出てこなくて、既読スルー状態になってしまった」 AERA 2024年11月18日号より   働く女性との間に溝  働く女性と専業主婦の間に存在する溝。今年10月、アエラが実施した「働く女性と専業主婦」のアンケートで、「専業主婦」と「ワーママを含む働く女性」の間に感じた価値観の違いを尋ねたところ多くのエピソードが寄せられた。一部を紹介したい。  まずは働く女性側から。 「PTAなどで集まる時、何時でもいいという自由さが専業主婦にはある」(46歳・会社員) 「外資系企業で管理職をしながらシングルマザーとして子育てしているので、子どもがいるから働けないというのが全く理解できない。ベビーシッターを頼んで海外出張もしています」(48歳・会社員)  一方の専業主婦を経験した女性からは、こんな声が届いた。 「専業主婦だと楽していると思われる。ワーママに愚痴は言いづらかった」(50歳・パート) 「専業主婦であることを伝えたときに、『家事と子育てだけなんて私には無理!』とワーママの方に言われてきました。実際は、家庭に閉じこもって1日中家事・育児をしていたわけではなく充実感があった。『専業主婦=世界が狭くなる』というのは思い込み」(40歳・自営業) (フリーランス記者・小野ヒデコ) ※AERA 2024年11月18日号より抜粋  
「医療は総合力が重要なのです」 徳田虎雄の主治医、湘南鎌倉総合病院院長・小林修三の命の支え方
「医療は総合力が重要なのです」 徳田虎雄の主治医、湘南鎌倉総合病院院長・小林修三の命の支え方 徳田虎雄の「生命だけは平等だ」の理念を受け継ぎ、「やさしい病院」を追い求める(写真/倉田貴志)    湘南鎌倉総合病院院長、小林修三。湘南鎌倉総合病院は、徳田虎雄が創設した徳洲会グループで、「24時間・年中無休の救急診療」を受け継いでいる。その院長である小林修三は、徳田の最期を主治医の一人として看取った。内科医として、日々、患者へも向き合う。救急は外科医が花形になるが、それを支える内科も麻酔科も重要。院長として総合力を高め、健康と命を支えていく。 *  *  * 今年7月初旬、徳洲会湘南鎌倉総合病院のA棟15階の特別室で、小林修三(こばやししゅうぞう・69)は重大な判断に直面していた。14年間、主治医として診てきた患者の治療が限界にさしかかったのだ。  患者の名は、徳田虎雄。傘下に77の病院と、4万3千人以上の職員を抱える徳洲会グループの創設者だ。小林が徳洲会に入職したときの総帥でもある。  徳田は「生命だけは平等だ」と唱え、ゼロから巨大病院グループを築いたが、60代で難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。全身の筋肉がやせ細り、力を失った。気管を切開して人工呼吸器をつけ、胃ろうで栄養を補給する。  小林が医療チームを率いて主治医に就いたころ、徳田はベッドの背もたれを上げ、秘書が持つ透明な文字盤にギロリ、ギロリと視線を向けていた。視線の先の文字を秘書が一つずつ指して周囲に意思を伝える。徳田は声も出ず、身体も動かない状態で、病院運営の指令を発していたのだ。  やがて体力が衰え、腎不全となり、2017年に人工血液透析が装着される。腎臓内科医の小林は、緻密な全身管理をして徳田の命をつないだ。  その徳田の寿命が尽きかけていた。  小林は、特別室の隣室で徳田の親族と会い、病状を説明した。終末期の「インフォームド・コンセント(説明と納得・同意)」にとりかかる。その場で、いたずらな延命処置はしないと決まる。  7月10日午後8時15分、徳田は86年の生涯を閉じた。ようやく全身不随という肉体の檻(おり)から徳田の魂は解放されたのだった。 朝会で患者の待ち時間について訓話。待っている患者への説明の大切さを強調する(写真/倉田貴志) 入院患者の回診風景(写真/倉田貴志)   人の死からは逃れられない 人生の幕引きも考える  小林は、親族と交わしたインフォームド・コンセントについて、こう語る。 「徳田先生は、まぎれもない傑物です。ご家族に、まず申し上げたのは、ご本人の尊厳を重んじましょうということです。それで、強く、美しいままお見送りしようとなりました。医師は、人が亡くなる場面から逃れられません。嫌な商売ですが、先逝く方に人生の幕をどう下ろしていただくか、そのエンディングの舞台を設(しつら)える者でもあります。みんなが拍手をして、あなたはよくやった、すばらしい、ありがとうと言える場を提供するのも、われわれの仕事の一つです」  徳田が逝った翌日も、湘南鎌倉総合病院には救急患者が次々と運び込まれ、669床のベッドはほぼ埋まった。徳田が掲げた「24時間・年中無休の救急診療」は徳洲会の旗艦病院に受け継がれている。  院長の小林は、そのかじ取りに全力を傾ける。  毎朝、7時に自宅を出て迎えの車に乗り、大好きなクラシック音楽を聴きながら出勤する。病院に着くと、書類の山に目を通し、8時から講堂の「朝会」に出て職員を前にスピーチをおこなう。  私が取材で密着した日、小林は朝会を終えると、腎臓内科病棟の入院患者の診療検討会(カンファレンス)に加わり、部下の医師たちの治療法を厳しくチェックした。10時30分、数人の若い医師を引き連れて病棟の回診に出る。70代の糖尿病性腎症の女性患者と向き合い、こう語りかけた。 「おはようございます。元気そうじゃないですか。どうですか、あ、足がつったの。この病気で足がつるのはね、そろそろ腎臓が音を上げているサインです。でもね、ここからが再スタートですよ。いいですか。第二の人生の始まりですよ」  女性患者は、糖尿病の合併症で腎臓が機能せず、血液中の老廃物や余分な水分を尿として排泄(はいせつ)できなくなっていた。体外の人工腎臓に腕の血管から取り出した血液を送って浄化して戻す人工透析に踏みきるかどうか迷っていた。人工透析は、一度始めたら止められない、生涯つづく治療法なのだ。  患者の不安を小林は和らげようとする。 「透析ライフという言葉があります。1回4時間、週3回の透析が必要ですが、それ以外の時間をあなたらしく過ごしてほしい。いまお読みのその本は? へぇ、辻仁成の『冷静と情熱のあいだ』。恋愛小説ですね。音楽がお好きですか。カントリー&ウエスタンのファン! おー、透析を始めてもライブハウスに行けるよう、われわれも支えます。一緒にやっていきましょう……」 腎臓内科病棟に入院中の三十数人の患者全員のカンファレンス(写真/倉田貴志)    小林は、患者を包み込むように第二の人生に誘う。回診後、小林は口惜(くちお)しそうに言った。 「いまの患者さん、生活動作もしっかりしていたでしょ。ご本人、腎臓移植を希望していたんです。でも、ドナーとつながらなかった。もしも移植できたら、いつでも好きなときにカントリーソングを六本木のライブハウスに聞きに行けますよ」  脳死したら腎臓を提供すると表明しているドナー希望者は少なくない。問題は医療体制だという。 「日本では、突発的な脳死の臓器提供に即応できる移植医が少ないし、手術を支える麻酔科、術後のICU(集中治療室)、入院管理の腎臓内科の支援力が弱い。医療は外科が花形に見えますが、総合力が重要なのです。まだまだですよ」  と小林は話しながら足早に次の病室へ向かった。  物腰が柔らかく、穏やかに患者に接する小林だが、妻の孝子(61)は「根は短気です」と言う。 「最近はアンガーマネジメントを覚えたらしく、怒りがわくと、家では自室にこもってから出てきます(笑)。夫は大阪生まれでわたしは東京。彼の大阪弁はユーモアがあって、とてもいいんです。なのに標準語を使いたがる。何言うてんのぉ、と叱られると腹も立ちませんが、何言ってるんだい、とか言われると冷たい感じでしょ。もっと大阪弁を使えばいいのに、と思ってます」  小林は、大阪のど真ん中、四ツ橋の近くにあった料亭旅館(のち廃業)に生まれた。お座敷から三味線の音が聞こえ、母は長唄の師匠、父は貿易会社も営んでいた。  旅館のぼんぼんは、小6のときに家庭教師の大阪大学医学部の学生からベートーベンの交響曲第5番「運命」と第8番のLPレコードをプレゼントされ、聴いてみた。「世のなかにこんなすごい音楽があったのか」とぶっ飛ぶ。クラリネットに魅せられた。家庭教師のように大学の交響楽団に入ってクラリネットを演奏したいと憧れる。  高校は府立の進学校、天王寺高校に進み、浜松医科大学に第1期生として入学した。浜松医大は新設されたばかりでオーケストラはなく、浜松の室内管弦楽団に入った。 自宅近くの公園で、目に入れても痛くない孫たちと過ごすひと時が最高のリラックスタイム(写真/倉田貴志)    大学の医学部は、各診療科の教授を頂点に助教授(准教授)、講師、助手、研修医と、上意下達の強固なピラミッドで構成されている。  小林は、博士号を取り、卒業後も大学病院の医局に残った。ピラミッドのてっぺんを目ざして臨床と研究に打ち込む。86年に友人を介して知り合った孝子と結婚し、翌年、長女が生まれた。妻と幼い子を連れてテキサス大学に留学する。 収賄事件に巻き込まれ アカデミアに愛想が尽きる  小林を迎え入れた腎臓病理学の世界的権威、ベンカタッチャラム(愛称ベンケ・84)は、「勤勉で科学的好奇心が旺盛な修三は、自ら進んで腎臓病が移植や透析を必要とする末期段階に至るメカニズムの解明に努めました」と述べる。とくに助言はせず、「地位に関係なく、オープンな交流のなかで事実を語りなさいとだけ伝えた」と言う。ベンケ自身、南インドのケララ州で生まれ、米国で学問を究めている。その秘訣(ひけつ)を弟子に教えた。  小林は米国留学中に次女も授かり、研究が波に乗った。そこにピラミッドの頂から「帰国せよ」と声がかかる。仕方ない、大学病院に戻って患者を診ながら研究に打ち込もうと思った。  だが、いったん大学病院に復帰した後、次の赴任先に指定されたのは静岡県・伊豆の片田舎の病院だった。小林はキャリアを断たれて、茫然(ぼうぜん)とする。魂が抜けたような小林にベンケはぶ厚い3巻セットの自著にサインをして贈った。その3巻本は小林の宝物となる。 「修三は臨床分野の経験を広げなければならないとわたしも感じていた。だから励ました。彼の選択は正しかったのです」とベンケはふり返る。 民間では日本最大の病院グループ・徳洲会の旗艦病院の陣頭指揮を執る。小林の秘書・後藤順子は「院長は舞台の演出家のような周到さで皆を導く」と言う(写真/倉田貴志)    小林は、アカデミアを出て、伊豆の病院に移り、「世のなか」への目をひらく。「ごみ屋敷」の独居老人を往診し、医療の現実を知る。救急患者の受け入れへと動いた。 (文中敬称略)(文・山岡淳一郎) ※記事の続きはAERA 2024年11月18日号でご覧いただけます
松本人志「復帰」と百田尚樹の「30歳を超えた女」の「SF」に日本の「男社会」の強烈さを思う 北原みのり
松本人志「復帰」と百田尚樹の「30歳を超えた女」の「SF」に日本の「男社会」の強烈さを思う 北原みのり 名古屋市長選の応援演説に駆けつけ、冒頭に自身のユーチューブ番組での発言について弁明する日本保守党の百田尚樹代表。右は同党事務総長の有本香氏=2024年11月10日    作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は松本人志氏の訴訟取り下げと百田尚樹氏の発言と、日本社会について。 *  *  *  キオスクの店頭に並ぶスポーツ新聞、「松本 復帰」の文字がケバケバしく踊っている。足が思わず止まる。松本人志氏は自分が週刊誌相手に起こした裁判を取り下げただけである。それなのに、なぜ、復帰の話になっているのだろう?  松本氏が裁判を取り下げるというニュースが流れてきたとき、「良かった! 本当に良かった!」と、心から安堵した。女性が証言をすることで味わうだろう痛みや恐怖を考えれば、そんな負担、ないほうがいいに決まっている。だいたい松本氏が訴えを取り下げたということは、松本氏に勝ち目がない=「事実無根」と怒った週刊文春との闘いに勝ち目がないと認めたようなものだ。  訴えの取り下げにあたって松本氏の代理人弁護士は「強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました」とコメントを出していた。歯切れが悪く、モノハイイヨウ、な表現方法である。そもそも週刊文春の記事も「物的証拠がある」という前提で書かれてはいなかった。記事は被害を受けたという女性たちの証言、その証言を支える客観的な証言やLINEなどのやりとりで構成されていた。当たり前のことだが、「直接的な物的証拠がない」ことは、被害がなかったことを意味するわけではない。   また、松本氏側の弁護士は、被害女性の実名を暴露するネット投稿を「証拠」として法廷に提出したり、実名を突き止めた被害女性を探偵業者に尾行調査させたり、弁護士を通じて出廷しないよう説得しようとしたりしてきたと報道されている。そのような行為は、どれほど女性たちを恐怖させたことだろう。そしてそれは、松本氏自身が、女性が証言することを恐れていた証拠でもあろう。  今、ネット上では「復帰はありえない」という声と、「おかえりなさい」というファンや身内からの声が激しくぶつかりあっている。ファンからすれば「長い沈黙で禊ぎを済ませた」くらいの気持ちなのかもしれないが、それではテレビ界であれだけの権力を誇っていた松本氏が一瞬にしてテレビから消えた理由は、何だったというのか。 松本人志氏のXの投稿    松本氏による性被害に苦しみ、声をあげた女性が何人もいる、という事実が明らかになったからではなかったのか。そしてその多くは、物的証拠のない(報道によれば女性たちはケータイを取り上げられるなどしていた)被害であった。だからこそ刑事事件として訴えるのは難しく、だからこそ女性たちには強いメディアが必要だったのだ。  テレビに出て、自分の名前で、自分の声で表現できるというのは、大変な特権でもある。強い影響力を持ち、大きなお金が動く世界でもある。そういう特権の上で女性たちへの性加害に及んだ……と告発する被害者が複数いるのであれば、テレビに復帰できるには、「そろそろ1年経つから」「裁判しないことになったから」くらいの理由では到底無理なはずだと私は思う。芸能界の真摯な判断を期待したい。  そしてそんなところへの、日本保守党代表の百田尚樹氏の発言である。「これはSFやで」とふざけながら、少子化対策として「(女性は)30超えたら子宮を摘出する」「女性は18歳から女性は大学に行かさない」などと楽しそうに動画配信で話していた。あまりに酷い発言に「女性に失礼」どころか「SFに失礼」という怒りまで買っている始末だが、こんなふうに「軽口」として吐かれる暴言は、じわじわと女を絶望の淵に追いやっていくのだろう。女に希望を持たせない、女に尊厳を与えない、女を搾取することしか考えない社会で、女は安心して子供を産むことなどできないのだから。百田さん、女が子供を産みたいと思う社会にするならば、男が女への暴言を1回吐くごとにペニスの皮をピーリングナイフで削ぐ刑を提案しますよ。あ、SFやで。  そんなところへとどめのような公判記事だ。新潟地裁で、3年前に妻と1歳の娘を殺した罪などに問われている男の裁判が開かれている。 松本人志氏の性加害疑惑を報じた昨年12月27日発売の「週刊文春」  被告人質問によれば、男が妻に離婚したいと告げると、「本当に言っているの? 不倫して借金を作って私の口座の金を無断で返済に充てたりしたあなたにそれを言う権利も資格もない。これまで一緒にいてくれただけありがたいと思え」と言われたことに腹を立て殺害したという。さらにその一部始終を見ていた1歳の娘も殺害したという。私はこの事件自体を知らなかったが(もしかしたら忘れてしまっていただけかもしれない。あまりにも、女や子供が殺されている社会だから)、知っている、こんな男を私は知っている……という気持ちが抑えられない。いろんなことが、点で起きるいろんなことが、こういう事件に直面するたびに一気に面となって迫ってくるように感じるのだ。  日本社会、まだまだここは男社会、強烈な男様社会である。四方八方、「男様!」と書かれた面が女たちの人生を囲んでいるかのような社会だ。男社会は、男の暴力や男の暴言に寛容である。男社会は、女の怒りや女の裏切りを全力で潰しにかかる。男社会は、男を守る。男社会は、女を見捨てる。男社会は笑いながら女に暴力を振るい、楽しそうに女に暴言を吐く。  それがずっと許されてきたので、男自身、それの何が悪いのか実はよくわかっていなかったりするのだ。だから、女が怒るとびっくりする。女が牙を剥くと恨みをつのらせる。賢く臆病な女たちは、男を怒らせないことに細心の注意を払いながら、はりついた笑顔で生きる道を選ぶ。それはとても苦しいこと。だけど男を怖がらせたら自分の身が危険だ。  そんな女の苦しさなど、もう見たくない。殺される女を見たくない。怯える女を見たくない。いったいなぜ、この国は、女の声にここまで耳を塞ぐのだろうか。  
偏差値別“全落ち”防ぐ受験戦略 芝、鴎友学園女子、青学、フェリス女子学院……それぞれ第1志望なら併願先は?
偏差値別“全落ち”防ぐ受験戦略 芝、鴎友学園女子、青学、フェリス女子学院……それぞれ第1志望なら併願先は? 2024年2月1日、東京都内で私立中学の入試に臨む受験生たち。実力を磨き、努力が実を結ぶような受験戦略を立てて臨みたい    中学受験の入試本番まで、あと3カ月。合格を手にするためには、本人の実力に加えて、併願校選びも大切になってくる。中間層の学校の競争が熾烈化する中、努力が実る受験スケジュールを考えよう。AERA 2024年11月18日号より。 *  *  *  受験本番に向けて、最後の追い込みが始まっている。勉強とともに、もうひとつ肝心なのが本命校とあわせて受ける併願校選び。ほとんどの私立中学が入試を複数回実施しているため、受験スケジュールの組み方は千差万別だ。  来年の入試は、東京、神奈川の試験が集中する2025年2月2日が日曜日。一部のミッションスクールが入学試験を別日に変更する“プチ・サンデーショック”で、青山学院が入試日を2月2日から3日に変更。また、恵泉女学園がすべての入試を午後に行うなど、例年とは違った併願校の組み合わせが実現する。ここ数年、中学受験に臨む家庭が増え、中堅校の難易度が上がっている。併願校選びを失敗すると「全落ち」という結果にもなりかねないだけに、子どものモチベーションにも配慮しつつ、受験スケジュールは慎重に決めていく必要がある。 第1志望は動かさない  中学受験情報誌「進学レーダー」のアンケートによると、生徒の受験回数は平均6・7回で、5回受験した生徒が一番多いという。  安田教育研究所代表の安田理さんは「第1志望は、合格の見込みが薄くても動かさない方がいい。変えるとモチベーションが下がり、その後の入試にも悪影響を及ぼすことがある」と話す。その上で、併願校を決めていきたいところだが、指標になるのは偏差値だ。加えて模試の結果、過去問との相性などを元に「お試し校2~3校」「第1~3志望校」「平均偏差値からマイナス3~8ポイントの安全校」を組み合わせるのが定番だ。受験する学校の合格、不合格を想定し、難易度に幅を持たせて決めることが大切になってくる。  進学レーダー編集長の石井史子さんは、こうアドバイスする。 「志望順位が高い『軸となる学校』がどこなのか明確にすることが重要です。最も合格可能性が高いのはどこなのかを踏まえて、併願校を検討しましょう。2月4日以降は募集が少なく厳しい競争になるので、1月受験や午後入試も活用して早めに合格を得て、我が子が実力を最大限に発揮できる併願作戦をつくりましょう」 安田教育研究所代表:安田 理さん(やすだ・おさむ)/大手出版社の編集を経て、2002年に安田教育研究所を設立。教職員研修・執筆・コンサルティングなど幅広く活躍(写真:本人提供)   「進学レーダー」編集長:石井史子さん/2002年、中学受験塾「日能研」入社。教室長などを経て、24年から現職。1児の母(写真:本人提供)    やはり本命校の前に1月は「お試し校」として、受けた方がいいのだろうか。 「模試と本番とでは雰囲気がまるで違います。経験のためにも1月校は受けるべき。『志望校のために受験をする』ということを意識して、安全校と実力相応校、2校受けるのが理想です。不合格だったとしても必要な課題を見つけられれば受験した意味は大きいです」(石井さん) 必ず過去問に目を通す  受験する学校を決めたら、志望順位が低くても必ず過去問に目を通すことが肝心だ。偏差値に余裕があっても、ぶっつけ本番で臨めば不合格になる危険性が高い。 「問題の構成や時間配分も確認しておくといいですね。学校によっては4科すべて100点のところと、社会と理科が50点のところがあります。点の取れる科目と照らし合わせて、併願校はより合格の可能性が高い学校を選ぶといいでしょう」(安田さん)  では、具体的にどのように併願を組んだら良いのか、石井さんに第1志望校を軸にした併願パターンを指南してもらった(※青山学院以外は、すべて2月1日受験と想定。同じ学校でも、試験の日程によって偏差値が異なるので要注意)。  まずは男子校の芝(日能研偏差値61)が第1志望の場合。 「高輪、獨協のほか、世田谷学園は雰囲気に共通するところもあり、併願する受験生は多いです。1日午後に獨協(54)や佼成特奨(54)、2日は世田谷(57)、獨協(50)。算数が得意ならば午後に高輪の算数1科(61)もいいでしょう」  偏差値上位層が本命として狙う駒場東邦(65)の場合はどうだろう。 「午後受験への移動のしやすさもあり東京都市大学付属の併願が多いですが、神奈川在住だと共学ながら神奈川大学附属の併願も増えています」  のびのびとした校風が似ている栄光学園(鎌倉市・67)との併願も多いが、両校ともに難関校なので、1月校や午後入試で合格をとることが肝心だ。2日に本郷(65)、桐朋(63)、攻玉社(62)、城北(57)などを組み込んでみよう。  女子校は男子校と比べて選択肢が多い。第1志望が鴎友学園女子(62)の場合は「1月は女子校であるさいたま市の浦和明の星女子(64)や淑徳与野(60)など、女子校を併願にして本番に備えてみましょう」 AERA 2024年11月18日号より   12歳の意思で学校選び  鴎友学園女子はキリスト教系の学校を併願するケースが多いが、2日目に宗教のない田園調布学園(54)や大妻(57)なども選択肢に挙がる。 「1日午後は山脇(58)、同じ園芸の授業がある恵泉(55)などがいいですが、山脇は人気が上昇しているので、偏差値以上に厳しいと思っておきましょう」  神奈川県の女子校で人気の高いフェリス女学院(62)を第1志望に据える家庭も多い。 「以前はカトリック校とプロテスタント校を併願することは少なかったですが、1日午後の湘南白百合学園(58)、2日に横浜雙葉(56)なども選択肢に挙がってきます」  大学付属校からは、青山学院(男子54~56、女子59~61)を第1志望にしたケースを見てみよう。今年は2月2日から3日へ入試日程を変更している注目校だ。 「青山学院は大学への内部進学の割合が高いため、男子は同じように大学付属を併願することが多いです。1日は成蹊(50)や成城学園(53)、2日で立教池袋(56)、学習院(56)などです」  女子は校風で選ぶ風潮もあり、併願先は大学付属に限らずに幅広くみて、1日は香蘭女学校(58)、立教女学院(58)、学習院女子(59)など。2日は、山脇、大妻、田園調布(54)などが選ばれているという。  考えれば考えるほど、親子で悩んでしまいそうだが、安田さんは、併願校を選ぶ時の心構えを次のように話す。 「学校を選ぶ前に、まずご両親で我が子を成長させてくれそうな学校はどのような学校か話し合ってみましょう。そのいちばん大切なことを怠ってしまうと、学校選びが単に『受かりそうなところ探し』になってしまいます」  石井さんも「学校選びは6年間を想像して」とアドバイスする。 「学校に進学するのは子どもです。12歳は意思をもって学校を選べる年齢。全ての併願校が、子どもが進学したいと思っている、楽しく過ごせる学校となっているかを意識してほしいですね」 (ライター・柿崎明子) ※AERA 2024年11月18日号  
皇后雅子さま「華麗なるティアラのルール」 なぜ大統領を招いた宮中晩餐会で、宝冠は輝かなかったのか
皇后雅子さま「華麗なるティアラのルール」 なぜ大統領を招いた宮中晩餐会で、宝冠は輝かなかったのか オランダ国王夫妻を迎えた宮中晩餐会。当時、皇太子妃の「第二ティアラ」を身に着けた雅子さま=2014年、皇居・宮殿「豊明殿」    米国の大統領選は、共和党のドナルド・トランプ前大統領が勝利し、第47代大統領に就任することになった。トランプ氏は2019年5月、令和に入って最初の国賓として来日。皇居での宮中晩餐会に招かれ、皇后雅子さまとメラニア夫人という「皇后」と「ファースト・レディ」の白いドレスの競演が注目を集めた。このときの雅子さまは、晩餐会では着用されるティアラを着けていなかった。なぜティアラが、皇后や女性皇族の顔の上で輝かなかったのか。 *   *   *  東京・皇居で2019年5月27日夜、国賓のトランプ氏とファースト・レディのメラニア夫人を招いての宮中晩餐会が催された。宮殿の大広間「豊明殿」には、日米両国政府の要人や各界の著名人ら165人が招かれた。  宮中晩餐会における男性のドレスコードは、夜間略式礼装である「タキシード」。天皇陛下やトランプ大統領も、黒の蝶ネクタイのタキシードで臨んだ。  そして雅子さまは、淡いベージュのロングドレスに、繊細なレースのジャケットという装いだった。  このときの装いについて、長年パリコレで取材を続けてきたファッション評論家の石原裕子さんは、こう振り返る。 「雅子さまがお召しのレースのジャケットは、ごく薄く緻密で繊細な意匠がフランスの貴婦人に愛されたシャンテリーレースのようです。レースに織り込まれている薔薇は、アメリカの国花です。相手国への敬意を感じます」  一見控えめでありながら、繊細な装飾や仕立が施されていると指摘する。  そしてメラニア夫人は、羽の刺繍が施された、着物を思わせるケープ型のドレス。雅子さまもファースト・レディも、優雅なたたずまいだった。 2019年にトランプ大統領夫妻(当時)を招いて、皇居で催された宮中晩餐会で乾杯を終え、トランプ大統領に拍手を送る天皇陛下と皇后雅子さま、メラニア夫人(右)=2019年5月27日、皇居・宮殿「豊明殿」   王族であればティアラ着用?  しかし、宮中晩餐会の華やかな装いと言えば「ティアラ」だ。しかし、出席した雅子さまも、ほかの女性皇族もティアラを着用していない。なぜ雅子さまや女性皇族は着用していなかったのだろうか。 「宮中晩餐会の主賓が王族でない場合、皇室側も勲章とティアラは着用しない」  一般的には、そう説明されることが多い。     【こちらも話題】 英国王の晩餐会 笑顔の皇后雅子さまの頭上で輝く花とダイヤの宝冠は「初めて」の「第二ティアラ」 https://dot.asahi.com/articles/-/226295   ブータンのワンチュク国王夫妻を招いた宮中晩餐会。接遇するのは国王だが、事前のドレスコード調整で皇室側はブラックタイに和服などで、ティアラはなし。乾杯するのは当時、皇太子だった天皇陛下=2011年、皇居・宮殿「豊明殿」    2019年のトランプ大統領夫妻、2018年のベトナムの国家主席夫妻、2016年のシンガポール大統領夫妻を招いた晩餐会では、天皇陛下や男性皇族はタキシード、女性皇族は和装やティアラなしのドレス姿だった。  他方、2016年のスペインやベルギー国王夫妻を招いた晩餐会では、頸椎症性神経根症のためにティアラの着用を見送っていた当時の皇后美智子さま以外の女性皇族は、ティアラを着用している。   愛子さまティアラで晩餐会はいつ? 24年の「新年祝賀の儀」で、ティアラを着用した愛子さま。おばの黒田清子さんのティアラを借りており、新調のタイミングが注目される=2024年1月1日、宮殿    しかし、実際には両国間で事前にドレスコードの調整が行われると、宮内庁で儀式を統括する式部職を長く経験した人物は説明する。  夜間の男性の正礼装とされるのは、燕尾服(ホワイトタイ)または民族衣裳。準礼装とされるのが、タキシード(ブラックタイ)または民族衣装だ。宮中晩餐会でのドレスコードがどちらになるのかは、相手国との相談の上で決められる。  ちなみに、2005年のモロッコ国王、2011年のブータンの国王夫妻、2012年のクウェート首長を招いての晩餐会では、国王や首長らは民族衣装で臨んでいる。  対して皇室側は、燕尾服とティアラで臨むときもあれば、タキシードと和装のときもあり、相手が国王であっても服装は一律ではなかった。 「男性の燕尾服に対応する女性の正礼装がローブデコルテにティアラ(宝冠)です。国王かそうでないかというよりも、ドレスコードによってティアラの有無が決まるということです」  と、前述の人物は説明する。    愛子さまは、成年皇族としての公務や皇室行事に出席するようになって、まだ間もない。コロナ禍の間は、女性皇族も控えめな装いを続けていたため、愛子さまのティアラ姿といえば、成年の儀式の際と、女性皇族が4年ぶりにティアラを着用した2024年の「新年祝賀の儀」と機会が限られていた。  しかし、これからは晩餐会を催す機会があれば、愛子さまがティアラを着用することもあるだろう。  今年2月、初めて公務として午餐(昼食会)に出席された愛子さまは、今後の「晩餐会デビュー」の機会が待ち遠しいところ。ローブデコルテとともにティアラを輝かせた愛子さまの姿を見るのが楽しみだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 〈2024年上半期ランキング 皇室編3位〉愛子さま大統領との午餐デビューで待ち遠しい宮中晩餐会 雅子さまや佳子さまらの美しいドレスとティアラ姿 https://dot.asahi.com/articles/-/227336  
「恵子ちゃん、お帰りなさい」社長初日に迎えた声 フジワラテクノアート・藤原恵子社長
「恵子ちゃん、お帰りなさい」社長初日に迎えた声 フジワラテクノアート・藤原恵子社長 夫は「社員は家族だ」と酒を飲むと口にした。「働きやすい職場」に、全国から見学にくる。数字を追うよりも、働きやすさを目指せば必ず数字はついてくる(写真/狩野喜彦)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年11月11日号より。 *  *  *  2001年の仕事始めの1月4日。社長だった夫が急死して5カ月余りがたち、社長を継いで初の出社日だ。出迎えてくれたなかに、四十数年前に中学校を出て入社し、遊び相手になってくれた社員の声があった。 「恵子ちゃん、お帰りなさい」  3、4歳のころ、自宅近くに独身寮があり、そこにいた若い社員たちと遊ぶのが、大好きだった。朝早く寮へいき、寝ているのを「起きて、起きて」「自転車に乗っけて」と揺すった。両親は仕事の後に彼らを自宅へ呼んで、風呂を勧めて食事も出す。家族のようだった。初の出社日にその顔をみて、緊張し切っていた心身が、軽くなる。  フジワラテクノアートの前身は、祖父の藤原研翁氏が1933年に岡山市滝本町(現・北区富田町)で創業した藤原製作所で、みそやしょうゆの醸造機械メーカー。50年2月に株式会社の藤原醸機へ改め、工場を北区中島田町に建設した。父・章夫さんは藤原醸機の3代目社長、母・貞子さんは専業主婦。恵子さんは51年5月に生まれ、妹と祖父母がいる6人家族だった。  4代目社長だった夫が友人と瀬戸内海へ船で釣りに出て、水難事故で急死した2000年7月23日の岡山市は、とても暑い日だったのを覚えている。四十九日を済ませ、大学4年生だった長女の加奈さん、1年生だった次女の由佳さんが住んでいた東京の家へいき、しばらく過ごす。何とも心もとない風情を加奈さんが心配したようで、図書館へ連れていかれ、「本でも読んでいたら」と言われた。  友だちが勧めてくれた宮部みゆきさんの本を持っていき、それを読んでいるときだけは何もかも忘れた。だから宮部さんの著書は全部、読んだが、この間に自分が何をしていたかは、それしか覚えていない。 主婦が突然、社長に社員全員の話を聞き「働きやすい職場」へ  年末が近づいて、父に「そろそろ帰れ」と言われて帰郷すると、「あなたが社長を継ぐのが一番いい」と言われる。名刺もできていて「仕方ない」と思って5代目社長へ就任を決める。  大学を出て半年で結婚。ずっと専業主婦で、会社の仕事の経験は、1日もない。その主婦が突然、社長になる。では何ができるかというと、妻として母として得た経験を、社員たちの暮らしに活かせたらいい。営業も技術も分からなくてもできるのは「働きやすい職場」づくり。それが、自分流の社長の姿だ。最初に、そう思った。  後になって分かったが、父に自分の社長就任を勧めたのは、母だった。母も家族のような会社の姿が大好きで「恵子なら、それを守ってくれるだろう」と思ったらしい。子どものころから暮らしのなかにあった「家族のような会社」が、藤原恵子さんのビジネスパーソンとしての『源流』だった。  最初に約120人いた社員と1人ずつ、何日もかけて面談した。いまの時代なら個人情報の話はしないだろうと思うが、みんな、悩みや家庭の事情を言ってくれた。そのとき聞いた話は全部、頭に残っている。  なかに、会社で取っている仕出し弁当が嫌だ、と言う人がいた。理由を聞くと「揚げ物が多くて、お腹をこわしそうだ」と言う。会社の周辺に、食べに出る店がない。社内に食堂と台所があったので、それを活かそうと思い、いろいろ例をみにいって、社員食堂をつくった。  次に、全社員にインフルエンザのワクチンを打ってもらうことにした。まだ冬で驚くほどインフルエンザで休むので、「これでは客はもちろん、同僚にも家族にも迷惑をかける」と決めて、費用は会社が出した。 「働きやすい職場」は、自分の生活のなかから「ああしたほうがいい」「こうしたほうがいいな」ということで考えた。それが、自分の強みだ。普通のトップならそんなことは二の次で、いくら儲かったかと数字を追うことに懸命だろう。でも、『源流』からの流れは水が澄んで、いろいろなことがみえていた。 6代続く女系家族で父の問いに頷いた祖母が願った婿取り  藤原家は自分の代まで6代続いて娘だけで、祖父も父も養子に入った。あるとき、父が妹と2人に「どちらが婿をとって後を継ぐか」と問いかけ、妹は嫌だと言い、自分が「はい」と頷いた。かわいがってくれた祖母のチヨさんに、小さいころから「恵子ちゃんは婿さんをもらって会社を継ぐのよ」と言われ続け、「そういうものだ」と思っていて、その願いに応じた。 家族同様の社員らの前で(写真/本人提供)    70年4月、兵庫県西宮市の神戸女学院大学文学部へ入学。自宅通学か寮に入るのが規則で、通うのは無理だから、初めて親元を離れて校内にあった寮に入った。寮は社会に出る前のミニ社会。気づかなかった自分の至らない点を知ることができて、貴重な経験だ。人格が形成されたのはあの4年間だ、と思う。  ある日、隣の部屋の先輩に誘われ、先輩の祖母の茶道教室へいった。帰郷したときに茶道好きの祖母に話すと、祖母は礼と挨拶へいき、恵子さんの縁談の世話も頼んできた。紹介されたのが宇澤善也さん。3歳上で、大阪大学工学部溶接学科を出て大阪市の鉄工所にいた。養子縁組を決め、74年3月に卒業、10月に結婚して岡山市に住む。  夫が偉いなと思ったのは、父と意見の対立はあったかもしれないが、父は営業畑、自分は技術で会社を盛り立てようと、立ち位置を決めていた点だ。父は海外営業が好きで、醸造機械を韓国や中国へ輸出した。いま、醤油やみそ、酒などをつくる醸造機械を27カ国へ輸出。ブラジル、タイ、台湾、中国に、藤原家と親戚付き合いをしてくれる客がいる。父の最大の遺産だ。 いま開花している夫が開発した機械休暇増は長女の助け  夫のほうは「フジワラは技術の会社でなければいけない」と技術分野に力を入れ、開発した機械がいま花を咲かせている。麹をつくる機械は、国内シェアが8割。94年に新工場を岡山市富吉の岡山空港隣の工業団地に完成させ、事務所棟と開発棟もつくって95年3月に本社を移転。この間、社名をフジワラテクノアートへ変え、94年2月に父が会長、夫は社長になった。  自らは、社長に就くと「働きやすい職場」づくりを重ねた。リフレッシュ休暇を有給休暇とは別に年に1度、3日続けて取得できる。有給休暇は1時間単位で取れるようにして、子育てや親の世話だけでなく、趣味にも取り組みやすくした。  大学を出て食品大手に勤めていた加奈さんが転じてきて、制度の変更や新設の思いを伝えると、実現へ知恵と力を出してくれた。母が就業経験もなく社長になった姿をみて「これは、助けないといけない」との思いを強めたのだろう。いまナンバー2の副社長。6代目社長の候補だ。  次女の由佳さんも姉の後に総合商社を辞めて入社し、東京駐在の取締役として海外営業や人事・総務、採用を担当。人に会うのが好きな自分は取引先との交渉と交流、技術分野は専門の専務が受け持っている。 「家族」が役割を分担し、それが一つにまとまっていくようにいくつもの流れが『源流』に合流し、水量を増している。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2024年11月11日号
「なまはげ」の動画でわんぱく息子をしつけることを妻から非難される 夫の悩みに”論語パパ”はどう答える?
「なまはげ」の動画でわんぱく息子をしつけることを妻から非難される 夫の悩みに”論語パパ”はどう答える? 「論語パパ」こと、中国文献学者・山口謠司先生  小学2年生の娘と保育園年長の息子を持つ30代の父親。やんちゃで手のかかる息子のしつけに、秋田の「なまはげ」の動画を使っていますが、妻から「恐怖を植えつけてしつけるべきでない」と責められています。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の疑問に答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  * 【相談者:8歳の娘と5歳の息子を持つ30代の父親】  小学2年生の娘と保育園年長の息子を持つ30代父親です。5歳の息子は、姉の髪の毛を引っ張ったり、マンションの駐車場で大声を出したり、保育園の昼寝の時間に暴れまわったりと、かなりやんちゃです。息子が悪さをするたびに、私が使うのが、秋田の「なまはげ」の動画です。スマホを掲げて「やめないとなまはげがくるよ」と脅すと、ぴたっと悪さをやめるので、手に負えない時に「なまはげ」の動画は欠かせません。しかし妻は、そんな私を「恐怖を植え付けてしつけるなんてただの心理的虐待だ」と非難します。息子が善悪の区別をつけるために効き目があると思うのですが、私は、息子を脅しているだけなのでしょうか? 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「子貢曰(しこういわ)く、我(われ)人の諸(これ)を我に加うることを欲せざるや、吾(われ)も亦(ま)た、諸(これ)を人に加うること無からんと欲す」(公冶長第五) ・「曾子(そうし)曰く、士は以(もっ)て弘毅(こうき)ならざる可(べ)からず。任重くして道遠し。仁(じん)以(もっ)て己(おの)れが任と為す」(泰伯第八) 【現代語訳】 ・子貢(孔子の弟子の一人)は言う。「私は、人が私にして欲しくないと思うことは、私自身、人にしないようにします」 ・曾子(孔子の弟子)が言う。「道を志す人は、大きな包容力と強い意志を持っていなくてはならない。なぜなら、その人の任務は重く、その人生行路ははるか遠いものだからである。その任務とは何か。それは、“仁”を実践し普及することである」 【回答】  お答えします!自分にとって恐ろしい容貌のものを、人から目の前に突きつけられて脅されたら、相談者さんは嫌ではありませんか? たとえば、仕事を失敗すると、上司が「お前なぁー」とか言いながら、怖い写真などを見せたりしたらどうですか? ハラスメントだと言って上司を訴えるのではないですか? いずれにせよ、怖いものを無理やり見せられると、嫌ですし、そんなことをたびたびする相談者さんのことも嫌いになるでしょう。  人としての生き方を説いた「論語」では、孔子の弟子の子貢が、こう言っています。 「我(われ)人の諸(これ)を我に加うることを欲せざるや、吾(われ)も亦(ま)た、諸(これ)を人に加うること無からんと欲す」(公冶長第五) 「私は、人が私にして欲しくないと思うことは、私自身、人にしないようにします」という意味で、孔子の生きた2500年前から大事にされてきた教えです。自分がして欲しくないと思うことは、他人にはしない。これは、わが子に対してだって、同じです。  相談者さんは、5歳の息子さんを「かなりやんちゃ」と、決めつけていらっしゃるようですが、「やんちゃ」というのは、元気があり余っているのです。さらに、息子さんはどこまで自分の行動範囲が許されるかを、自分自身の体を張って確かめているのではありませんか?  人に注意されたことを「はい」「はい」と言いなりになるより、「やんちゃ」な人間のほうが、活気に満ちて、世界を変える力があると私は思います。  そもそも、相談者さんは、親の言うことを素直に聞いて、大声も出さず、暴れたりすることもなかった「普通」の子どもだったのでしょうか?  孔子の弟子、曾子はこう言っています。 「士は以(もっ)て弘毅(こうき)ならざる可(べ)からず。任重くして道遠し。仁(じん)以て己(おの)れが任と為す」(泰伯第八)  これは「論語」の有名な一節です。訳すと、「道を志す人は、大きな包容力と強い意志を持っていなくてはならない。なぜなら、その人の任務は重く、その人生行路ははるか遠いものだからである。その任務とは何か。それは、“仁”を実践し普及することである」という意味です。  子どもを育てるということは、すべての親に課された重い責務です。相談者さんは、子どもを広い教養と徳を持ち、明るい未来をつくっていく、そんな「道を志す人」に育てたいと思いませんか?  そうであれば、「自分の子どもなら、恐怖を与えて言いなりにさせていい」という考えは、間違っています。まず父親である相談者さん自身が、「弘毅」すなわち、大きな包容力と強い意志を備えるべきなのです。  息子さんが「なまはげ」を見せられて「やんちゃ」をやめるのは、一時的なことでしょう。それよりも、なぜ公共の場で大声を出してはいけないのか、昼寝の時間に暴れてはいけないのかを、父親として広い心と強い意志をもって、息子さんに教えなければならないのです。  大声を出したり、暴れたりしてはいけないというのは、結局、「自分が嫌だと思うことは、他人にもしてはいけない」という教えにもつながります。  孔子は、自分の子どもにも弟子たちにも、「仁」の大切さを教えました。「仁」とは、人を思いやる気持ちです。相談者さんは、やんちゃな息子さんを、まず「仁」で満たしてあげてはいかがでしょうか。可能な範囲で、エネルギーを持て余している息子さんの気持ちを受け止めてあげるのです。 「なまはげの動画で恐怖を与えること」と「やんちゃな行為の一時停止」の連鎖を断ち切ったときに、息子さんは、そこに「仁」の一端を見つけられるのかもしれません。 【まとめ】 自分がして欲しくないと思うことは、他人にはしないこと。包容力と強い意志をもって、息子さんを受け止めてあげよう
「御影供」「尸る」…この漢字、読める? 漢検1級に中1から5回連続合格!スーパー中学生の勉強法とは
「御影供」「尸る」…この漢字、読める? 漢検1級に中1から5回連続合格!スーパー中学生の勉強法とは 「漢検スーパー中学生」の角鹿脩斗さん(右)と父・哲弥さん。メダルは「日本漢字能力検定協会賞」(金紐)と「特別賞」(銀紐)。掲げた超難読漢字は「うぐえ」と読み、魚を捕る道具を意味するそうだ。   「磽腴」「膈噎」「尸る」――。みなさんはこれらの字が読めますか。はい、記者はひとつも読めませんでした。これは日本漢字能力検定「1級」の試験で出された問題です。こんな難読漢字をすらすら読みこなすのが、宮城県利府町に住む中学3年生、角鹿脩斗(つのか・しゅうと)さん。角鹿さんは、合格率が8%に満たない難関の1級に中1で初めて合格して以来、中2、中3とチャレンジを続け、計5回も合格しています。どんな勉強をしてきたのでしょうか。お父さんと一緒にお話を伺いました。 一字一字でなく「熟語」として覚える ――漢検は年3回実施されていますが、角鹿さんは中1で漢検1級に初挑戦して以来、5回連続で合格されています。2023年度の試験では1級の最年少合格者として漢検協会から「特別賞」を贈られたそうですが、どんなきっかけで漢検を受けるようになったのですか。 お父さん 私と妻が教師ということもあり、脩斗は幼稚園のころから親に漢字の読み方を聞くような子どもでした。漢字は幼稚園のころから、スケッチブックに「赤」なら赤クレヨンで、「青」なら青いクレヨンで書いて遊んでいました。文字そのものに魅力を感じていたようです。 脩斗さん 初めて漢検を受けたのは小2のときです。親の勧めで5級を受けて合格しました。テレビのクイズ番組で難読漢字が出ているのを見て、自分もできるんじゃないかとさらに意欲が湧いて、小4で2級に合格。それから中1で準1級、1級とチャレンジして合格しました。 ――漢検は2級までは常用漢字から出題されますが、1級にもなると故事成語やことわざへの深い理解が求められると言われます。1級は対象漢字6000字から出題されるそうですが、日常生活では使わない難解な漢字をどうやって覚えたのですか。 脩斗さん 漢字には2文字以上を結合した「熟語」として頻繁に使われる漢字と、「熟語」が少ない漢字があるんです。漢検では熟語で使われる漢字がよく出題される傾向にあるので、熟語を優先的に覚えました。 自宅の本棚には国語辞典や漢和辞典がずらり=本人提供 ――具体的な勉強のコツはありますか? 脩斗さん まず漢検1級のテキストにあたります。でも、一つひとつの文字を覚えようとしても意味がありません。単語として覚えたり、文学作品の中から漢字の用例を探して、言葉の意味とともに覚えたりするほうが頭に残りやすいです。  たとえば故人や神仏を供養する「御影供(みえいく)」という言葉があります。この3字はどれも常用漢字で、一つひとつの文字はそれほど難しくありませんよね。でも一字一字覚えてもあまり意味はなく、熟語として覚えたほうが身につきます。 ――なるほど! ほかにはどんなことを? 脩斗さん あとは漢和辞典を読むこと。同じ単語でも「この辞書には載っているけど、こちらの辞書には載ってない」というふうに比較しながら読むと、言葉の面白さに触れることもできます。国語辞典、漢和辞典、難読漢字辞典など、合計50~60冊の辞書を使っています。 ――50~60冊!? 中国古典からの出題も多いようですが中国語もできるのですか。 脩斗さん いいえ。試験に出る言葉は、昔の漢文が主で、現代の中国語とは乖離(かいり)しています。中国語にも興味はあるのですが、それよりも古典文学や歴史に出てくる漢文をもっと学びたいです。 お父さん 小さいころから「辞書が欲しい」と言えば、買ってあげていました。親はそれ以上のことはしていません。全部自分で調べて勉強していましたね。 ――1級は合格率が8%未満と超難関です。ほかに工夫したことは。 脩斗さん ネット上に1級に挑戦する人たちのブログやサイトがあるので、その人たちが発信する対策法を参考にしました。たとえば、スマホの単語帳アプリに知らない漢字や苦手な単語を入力して、すきま時間に見るようにしました。SNSのコミュニティーでやりとりしていた人と特別賞の表彰式で会ったのですが、直接お話ができてうれしかったです。漢字を通して、いろいろな人とコミュニケーションをとれるのが楽しいです。  好きな漢字は「魚偏」の漢字 ――1級に合格して、よかったことはなんですか。 脩斗さん まず、自分自身の自信につながりました。直近に受けたときの点数は200満点中194点だったんですが、あと6点をどうやって取ったらいいか、考えるようになりました。次は満点を目指します。  学校では「漢字好きの人」という印象を持たれるようになりました。授業中、先生から「この漢字のトリビアは何かない?」と聞かれることもあります。 ――好きな漢字はありますか。 脩斗さん 魚偏の漢字が好きです。とくに魚偏に鬼と書いて「イトウ」と読む漢字はおもしろいです。日本最大の淡水魚をさすのですが、この「イトウ」の読み方が定着したのは昭和に入ってから。それより前から中国に同じ漢字があるのですが、実は何の魚かよくわかっていない。文献調査ではチョウザメの一種ではないかとも言われていたようです。そんな、漢字にまつわる謎やエピソードを調べるのも楽しいです。 ――漢字を通して、世界が広がっているのですね。国語の成績も良いのですか? 脩斗さん いや、漢字や言葉は得意なんですが、文章の読み取りが苦手です(笑)。 ――改めてお父さんに伺います。脩斗さんは、どんなお子さんですか。 お父さん 小さいころから、好きなことを見つけるとそれにのめりこむような子どもでした。ただまんべんなくやるタイプではないので、興味のないことには見向きもしませんでしたが(笑)。 ――難しくても、好きなことだからチャレンジできたんですね。脩斗さん、お父さん、ありがとうございました。 (取材・柿崎明子) ※冒頭の漢字の読み方:「磽腴(こうゆ)」「膈噎(かくいつ)」 「尸る(つかさど・る)」
「やむを得ず専業主婦に」 育児や介護、夫の転勤など“誰かのために”仕事を辞める妻
「やむを得ず専業主婦に」 育児や介護、夫の転勤など“誰かのために”仕事を辞める妻 平日に子どもと公園でたっぷり遊んだ日、専業主婦でよかった、と思う。一方で、介護や子育てを理由に仕事を辞めざるを得なかったことにモヤモヤが募る(撮影/写真映像部・上田泰世)    結婚・出産後も仕事を続けるか。これは女性やその家族にとっても、その後の人生に大きな影響を与える選択である。アエラが実施したアンケートの結果は。AERA 2024年11月11日号より。 *  *  * アエラは9月から10月にかけて「専業主婦と働く女性」をテーマにオンラインでアンケートを行った。 「母が出産後からずっと専業主婦で、私も働かないのが自然の流れとして専業主婦をしています」(埼玉県、40歳)、「夫のお給料で生活していけたから」(愛知県、51歳)という人もいたが、「保育園に入れなかったため」(東京都、50歳)、「上の子が1年生のGW明けから小学校に行けなくなり、毎日『ママといたい』と泣くようになったことから仕事を一度辞めました」(神奈川県、40歳)と、やむを得ず専業主婦になったという人も多かった。  栃木県に住む女性(46)も、そのひとり。20代後半で結婚して2年後に長女を出産。3年後に次女、そのさらに3年後に三女を産んだ。幼い子どもはすぐに体調を崩すが、実家は遠方のため頼れない。子どものころから「ずっと続けられる仕事に就きたい」と思っていたが、長女の出産を機にやむを得ず退職。専業主婦生活になった。  子どもはかわいかった。でも、家事と育児だけをしている生活をもの足りなく感じ、「このままでいいのか」と悶々とする日々だったという。  両親は銀行員同士だったが、母は結婚を機に退社したと聞かされていた。「母が父より2~3歩下がっている姿を見ていて、違和感があった」。一方で、効率的に物事をこなし、コミュニケーション力も高い母親を見ていて「仕事を続けていたら、お母さんのほうが出世して社会貢献できていたのでは」と感じていたという。 誰かのために生きる  そんな両親を見てきたからこそ、同じ年の夫とは「友達のような関係で横に並んでいたい」と思っていたのに、専業主婦になると夫に対して引け目を感じてしまうことにも気づいた。 AERA 2024年11月11日号より    10年間専業主婦生活を送った後、三女が幼稚園に入るのを機にハローワークで仕事を探し、午前10時から午後3時勤務のパートに就いた。その後、子どもたちの成長とともに勤務時間を延ばしていき、契約社員を経て、現在は正社員として働いている。  仕事復帰後、初めて手にした給料の嬉しさをよく覚えている。「お母さんが稼いだお金」で家族にご馳走したという。  この女性は、NHKの連続テレビ小説「虎に翼」を見ていて、仕事と家庭の両立に苦労する主人公、寅子に共感したという。ただ、以前の自分だったら専業主婦の花江に自分を重ね合わせていただろう、と話す。 「介護や育児など抜け出せない状況があり、『誰かのために生きる』という生き方もあっていいと思うし、認められるべきだと思う。男性版の『花江』がいてもいいですよね」  女性の専業主婦願望などについて研究してきた跡見学園女子大学の石崎裕子准教授(社会学)は、こう指摘する。「子育てや家事、配偶者の転勤など様々な理由で仕事を辞める人がいるが、妻側が辞めることがほとんど。ただ、専業主婦としての経験が、再就職や起業、地域活動など次のキャリアを考えるきっかけになったという女性もいるだろう。本来は、誰もが、 仕事だけ、家庭だけではなく、その両方を行ったり来たりしたり、仕事や家庭以外の活動や学びなど複線的な生き方・働き方をすることができる社会が理想ではないか」  また、子どもに障害があるなどの理由で仕事を辞めざるを得ない人がいることについても「家庭で母親がひとりで抱え込むのではなく、社会で支える仕組みが必要」と話す。 (フリーランス記者・山本奈朱香) ※AERA 2024年11月11日号 より抜粋  
愛子さまのそばでいつもニコニコの天皇陛下 「注意されても嬉しい」笑顔に見える絆
愛子さまのそばでいつもニコニコの天皇陛下 「注意されても嬉しい」笑顔に見える絆 秋季雅楽演奏会を鑑賞する天皇陛下と長女愛子さま=2024年10月20日午後、皇居の宮内庁楽部、代表撮影    天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまは、10月11日に佐賀県を訪問し、初の単独地方公務に臨み、30日には秋の園遊会、11月5日には文化勲章の受章者を招いた皇居での「茶会」に初めて出席された。4月に社会人となり、お出ましや公務が増える愛子さまだが、そばで見守る天皇陛下はいつもにこやかな笑顔だ。そこには、娘の成長を喜ぶ父の顔があった。 *   *   *  10月20日に「秋季雅楽演奏会」を鑑賞した天皇陛下と愛子さま。お二人での鑑賞は2回目だったが、天皇陛下はずっと笑顔だった。  皇居にある宮内庁楽部に到着されると、正面、左、右に笑顔で会釈をされ、天皇陛下は愛子さまの方に視線を少しだけ向け、「さぁ、座りましょう」という合図のように左手をほんの少し動かされた。天皇陛下は柔和な優しい表情を愛子さまに向けられた。  演奏会の途中、愛子さまが天皇陛下に向かって熱心に話しかける姿があった。天皇陛下も愛子さまに顔を向け、何度も何度もうなずかれていた。愛子さまとご一緒されるときの天皇陛下の笑顔はいつも輝いている。    そんな愛子さまに向ける天皇陛下の笑顔は「天皇陛下が子育てに参加されてきた証」と、愛子さまが生まれた2001年から皇室番組の放送作家として活躍するつげのり子氏はいう。  特に愛子さまが幼い頃は、娘が可愛くて仕方ないというパパの顔の笑顔があふれていた。何度も愛子さまの特集番組を手掛けてきたつげさんが、愛子さまに向けた天皇陛下の“ベストスマイル”のひとつは、02年8月、愛子さまがまだ8カ月のとき。   頬をピシャピシャに笑顔  栃木県の那須御用邸で静養中、沼ッ原湿原を皇太子ご夫妻(当時)と愛子さまは訪れた。愛子さまは、天皇陛下の背負うベビーキャリーの中で、ごきげんのニコニコ笑顔。それ以上の笑顔だったのが天皇陛下だった。 「散策中はベビーキャリーに愛子さまをのせているので、陛下からはその表情は見えないのですが、はしゃぐ愛子さまの様子が伝わったのでしょう。その重みも愛おしいと思われたのかもしれません」  愛子さまが小さな足をバタバタさせる動きや重み、背中に伝わる温もり……愛子さまの全てが愛おしいという天皇陛下の笑顔には、私たちの心も和む。   【「週刊朝日」が無料で読める】 無料会員「アエラドットメンバーズ」始まりました! 「週刊朝日」も公開 記念キャンペーン実施中 https://dot.asahi.com/articles/-/237075     栃木県の那須御用邸に滞在中、沼ッ原湿原を訪れた皇太子ご夫妻(当時)と愛子さま=2002年8月、栃木県那須塩原市  さらに、このとき、つげさんの記憶に強く残っているのが天皇陛下のお顔をピシャピシャたたく愛子さまだ。 「散策の途中で休息され、雅子さまに抱っこされた愛子さまが陛下のほほに手を伸ばし、ピシャピシャとされました。そのとき、陛下は愛子さまが可愛くてたまらないというのが伝わってくる笑顔をされていましたね」  最近の出来事では、今年の夏、那須のご静養のときも、愛子さまが天皇陛下の顔にとまった蚊を払う瞬間が報じられた。そのときも天皇陛下はとても嬉しそうな笑顔をされていた。   愛子さまに注意されても嬉しい  愛子さまとご一緒のときだけでなく、父娘の何気ないエピソードを語られるときの天皇陛下の笑顔もまた印象的だとつげさんは話す。平成20年の皇太子さま(当時)のお誕生日記者会見のときのことだ。  その年の3月に学習院幼稚園を卒園される愛子さまの“成長エピソード”を記者から質問され、最後にこう語られた。 「愛子と一緒に手を洗っているときに,私が手に石鹸(せっけん)を付けている間に,水を出しっぱなしにしてしまい,愛子に水を止めるように注意されたことがあります」(平成20年「皇太子殿下お誕生日に際し」より)  この日の記者会見で、一番の笑顔だった。「娘に注意されても嬉しい」という笑顔だったとつげさんは振り返る。 「このとき、愛子さまは6歳でしたが、陛下が水の研究をされているのを、もしかしたらご存じだったかもしれません。洗面所で『お父様、お水は大切にしましょうね!』と愛子さまから言われ、陛下は『これは、愛子に一本取られた!』と思われたのではないでしょうか」  パパを注意するまでに成長した愛子さま。このときの喜ぶ笑顔には「天皇陛下も愛子さまもお互いに尊敬し、尊重し合っていることを感じます」とつげさんは話す。  来月12月1日に23歳のお誕生日を迎える愛子さまだが、その成長を喜ぶ天皇陛下の笑顔がすでに思い浮かぶようだ。 (AERA dot.編集部・太田裕子)   【こちらも話題】 愛子さまと佳子さま 息ぴったり!のご公務と「紅白コーデ」 園遊会で雅子さまが「振り返らなかった」理由とは? https://dot.asahi.com/articles/-/239390
低みから誇ってみせる「貧乏マウント」と「安物買い自慢」 会話の潤滑油として成立させる分岐点は?
低みから誇ってみせる「貧乏マウント」と「安物買い自慢」 会話の潤滑油として成立させる分岐点は? 「貧乏マウント」は、自分が経済的に苦しい状況にあることを強調して、相手に対して優位に立とうとする行動や態度を指すのだそう(写真:Getty Images)    日常に蔓延する「マウント」。取るのも、取られるのも避けたいところだ。しかし、親しみを込めた「マウント」には、コミュニケーションのヒントもあるという。AERA 2024年11月11日号より。 *  *  * 都内のホテルのロビー。8千円のランチビュッフェを食べ終えたマダム風の女性3人組の、こんな会話が耳に入った。 「うちの夫が貧乏マウントをとってくるので困っているのよ。『自分は毎日、職場近くのスーパーの500円弁当を食べているのに』って……」  夫にすれば、妻とのランチ格差にあきれて、つい出た言葉だったのだろうか。それとも、妻のホテルランチが頻繁だった場合、出費の多さをやんわり戒めたかったのかもしれない。 アシックスの靴で嫌み  それはともかく気になったのは、「貧乏マウント」という言葉だ。ネットで調べると、自分が経済的に苦しい状況にあることを強調して、相手に対して優位に立とうとする行動や態度を指すのだそう。  例えば、「月15万円の収入だと生活できない」というSNSの投稿に対して、「私はもっと収入が少ない時期がありましたが、普通に生活できました」というコメントを送る人がいる。子どもにアシックスのシューズを履かせて保育園に行かせると、別の保護者から「金持ちは違うなあ」と嫌みを言われる、といったパターンもあるという。  深刻なのは、生活保護受給者や非正規労働者のネット上のSOSの声に対して、「自分のほうが貧乏だ、甘えるな」という貧乏マウント的なコメントで貧困問題を打ち消し、当事者をさらに苦しめるケースだ。 「ツイッターは貧乏マウントばっかり。インスタグラムは金持ちマウントばっかり」というXの投稿もあった。なるほど。とはいえ、せめて周囲の人とは、金銭感覚をめぐってギスギスしない関係を築きたいものだ。  そこで思い出したのが、「安物買い自慢」だ。「自分はこんなに安い買い物をした」とアピールし合う文化が、とりわけ関西の「おばちゃん」たちの間に浸透している。この低みから自慢している感じは「貧乏マウント」と似ているのだが、相手を非難する意図は全くない。この違いはどこにあるのか。 親切心みたいな気持ち  というわけで、大阪在住歴が半世紀余に及ぶ50代女性に話を聞いた。 「安物自慢? そりゃ普通にしますよ。この服、安かってん、みたいなことは、仕事終わりで私服に着替えている時とかに職場の仲間に言いますし。特に多いのは、スーパーで安い食材が買えた時かな。とりあえず誰かに報告したくなりますね」 (illustration:土井ラブ平)    ただ、「自慢」と言われると、ちょっと違う、と女性は言う。 「たいがいは聞かれもしないのに言うんですけど、それは自慢とかではなくて、親切心みたいな気持ちかな。そもそも安くで買ったことは恥ずかしいことではないんです。お得やったから教えてあげよ、みたいな」  この女性に、周囲から安物自慢をされた時にどう感じるか尋ねると、こう即答した。 「うらやましいと感じます。たいていは『どこで買ったん?』と聞き返しますね」  おのずと会話が弾む、というわけだ。この女性は以前、単身赴任中の夫を訪ねた東京でこんな経験をしたという。  都心のおしゃれな喫茶店。女性店主から「あら、その財布、アナスイ?」と声をかけられた。ブランドの「アナスイ」にそっくりのデザインだったが、実は格安の「バッタもの」だった。これが大阪なら「違うねん、安くで買ってん」とアピールするところが、この女性はうつむいたまま小声で「はい」とうなずいてしまったそうだ。「安物自慢」は東京の人には通用しない、と本能的に悟ったのだ。  そう言えば、兵庫県出身の筆者もつい先日、腕に着けたスマートウォッチをひけらかし、「このスマートウォッチ、2千円台で買ったんですよ」と聞かれもしないのに周囲に報告しまくっていた。しかし東京では「えっ、嘘! どこで売ってるの?」という予期した展開にはならず、拍子抜けすることの連続だった。  小学校低学年の頃のほろ苦い記憶もよみがえる。近所の商店街を一緒に歩いていた母親にクリスマスケーキをねだると、「あと1日待ったら安くなるから、ちょっとだけ我慢しなさい」と諭された。クリスマスの翌日、同じ店に行くとなんとケーキは半額に。待ちわびたケーキの味はひときわ美味しかった。鮮やかなマジックを見たような感動を覚えた筆者は母の手腕を誇らしく感じ、小学校の作文に顛末(てんまつ)を洗いざらい書いた。すると、なぜか担任教師の琴線に触れ、学年集会で作文を読み上げられた。高揚した気分で帰宅すると、近所のママ友に一足早く作文のことを聞いていた母親から、「なんであんなん書いたんや、恥ずかしくて外出られんわ」と顔を真っ赤にして怒られた。あれも今思えば、安物自慢だったのかもしれない。  そもそもなぜ、関西人は安物自慢をするのか。国際日本文化研究センターの井上章一所長に聞いてみた。 「おっしゃるような傾向は概してあるように私も思います。しかし、どんな街にもいろんな階層の方々がいらっしゃるので、対比にやや偏りがあるかな、とも受け止めました」  たしかに、映画「男はつらいよ」シリーズに出てくる東京の下町の「おいちゃん」や「おばちゃん」なら、安物自慢をしていそうだ。 (illustration:土井ラブ平)   重病マウントで優越感  安物自慢にせよ、貧乏マウントにせよ、いわば低みから誇ってみせる、というのはいっけん矛盾した現象のように見えるが、じつは同様の形態は他にもある、と井上所長は指摘する。  例えば、病院でのこんな会話。 「あなた、何の病気?」 「肝硬変です」 「そう。私は肝臓がんです」  このやりとりも捉えようによっては、肝臓がんの患者が「自分のほうが重病だ」と、肝硬変の患者にマウントを取っているようにも受け止められる。「重病マウント」とでも言おうか。 「重い病気の人は、自分より軽い病で悩んでいる人を見ると腹が立つ、ということがあります。そのため、『自分の方が重篤だ』と優越感を持とうとするのだろうと思います」(井上所長)  熱烈な阪神タイガースファンで知られる井上所長にも思い当たる節があるという。 「阪神タイガースの暗黒時代に、私の応援するチームがどれだけひどい状態にあるのか、他のチームのひいき筋に自慢していたことはありました。そういう自慢はありうるんだと思います」 相手に親しみの感情が  その上で、「安物自慢」について井上所長はこう解説する。 「安いものを買うのは、賢い買い物をしているという知恵自慢にはなり得ますよね。その意味ではマウントを取っているという範疇(はんちゅう)に入るのかな。無駄遣いしているあなたよりも、私のほうが賢いよと」  そう言われると、冒頭のマダムの夫のケースも妻に対する「マウント」行為に当たる。しかし、マダムは夫に「貧乏マウント」されたことで真剣に傷ついたふうでもなかった。分かれ目は「親しみ」の有無だ、と井上所長は指摘する。マウントの語源とも考えられる霊長類の「マウンティング」がまさにそれに当たる。 「あなたなら近づいてもいいよ、と許された雄ザルは雌ザルの背中をかいたり、交尾の姿勢をとったりする。これをマウンティングと言いますよね。そう考えると、相手に対する親しみを込めたマウントの取り方もあるのかなと思います」  ということは、貧乏マウントも安物自慢と同様に、相手に対する親しみの感情が込められていれば、円滑なコミュニケーション術として成立し得るということか。井上所長はこう続けた。 「インターネットの世界で普及していますよね。あいつのマウントは威圧的だという言い方が。少なくないメッセージが、自慢という文脈で受け取られていると思います。だけど本来、マウンティングは、相手に対して親しみを込める行為なわけです。そこに立ち返るのならば、いい意味のマウントもあり得るのではないか、と感じました」 「マウント」も使いよう。「安物自慢」から始めてみるのはいかがでしょう。 (編集部・渡辺豪) ※AERA 2024年11月11日号  
いつか来るといいなと思っていたら「ほんとに来たー!」 国民的ドラマ「相棒」ノベライズの装画を描く仕事の現場
いつか来るといいなと思っていたら「ほんとに来たー!」 国民的ドラマ「相棒」ノベライズの装画を描く仕事の現場 「相棒」ノベライズ版の上巻カバーイラスト用の原画。イラストレーターの高杉千明さんが、相棒のふたりをアクリル絵具で仕上げた(高杉千明さん提供)  朝日文庫『相棒season22』ノベライズの最新刊が刊行された。例年、ドラマ「相棒」新シリーズの放送にあわせて、その前シーズンを文庫化している。10月から12月にかけて毎月1冊ずつ、上・中・下巻が刊行される。  国民的ドラマを活字で楽しむ――映像とはまたひと味違ったドラマ体験が味わえるのもノベライズならではの魅力。また毎シーズン、異なる人気イラストレーターが装画を手がけているのも見どころのひとつだ。ノベライズ『相棒』の「相棒」として、書籍の“顔”とも言うべき装画を担当した高杉千明さんにお話を聞いた。 *  *  *  2024年10月から始まったドラマ「相棒season23」(テレビ朝日系列、水曜21時~放送)。00年6月、土曜ワイド劇場の2時間枠で放送されたスペシャルドラマ(プレシーズン)からスタートしたこのシリーズは、国民的ドラマとして親しまれている。  水谷豊演じる杉下右京は、警視庁特命係の警部。捜査権のない特命係にいながら、事件に首を突っ込んでは数々の名推理で謎を解き明かす。いささか変わり者であり、また切れ者過ぎるゆえに上層部からは睨まれてもいる。  右京の相棒である亀山薫を演じるのは寺脇康文。初代相棒でもあり、一度は警視庁を退職し、腐敗が蔓延する南アジアの小国サルウィンで教育に携わっていた。だが、22年放送のSeason21でサルウィンからの退去を命じられ、妻の美和子とともに十数年ぶりに帰国。特命係に復帰している。  20年以上続くドラマゆえ、かつて登場したキャラクターが再び顔を出すことも。Season23の第1話「警察官A~要人暗殺の罠!姿なき首謀者」では、母親からのネグレクトで国籍のないまま育ち、半グレと暴力団員らの抗争に巻き込まれ窮地に陥っていたところを右京らに助けられた過去を持つ青年が登場(そのエピソードは、Season16 第19話「少年A」で描かれている)。その少年が成長し、警察官となって右京と再会する、というストーリーが展開する。 脚本・輿水泰弘/ノベライズ・碇卯人『相棒season22』上(朝日文庫)>>書籍の詳細はこちら  そんなドラマ「相棒」の世界は小説でも味わうことができる。文庫のノベライズ版は、実力派ミステリ作家の碇卯人が手掛けている。  物語とともに注目していただきたいのが、文庫の“顔”でもあるカバー装画。今回の『相棒22』ノベライズは、イラストレーターの高杉千明さんが手がけた。「相棒」のドラマは、仕事をしながら再放送で見ることが多いという。何度も見ている回は、冒頭で「あ、この犯人知ってる!」と思いながら見たりするのも楽しいと話す彼女に、装画の仕事についてお話を伺った。 ――「相棒」のおふたりを描くことになって、どうでしたか? 「相棒」のドラマは昔から好きで、このノベライズの装画のお仕事も、いつか私に来るといいなと思っていたから、「ほんとに来たー!」 って。やっぱり嬉しかったですね。  相棒のおふたりも、できあがった文庫を目にされることはあると思うので、右京さんや亀山さんが見てくださったかも……。そう思うだけで、ちょっと上がります(笑)。私はドラマのファンでもあるから、推しが見てくれてると思うと、純粋にうれしくて。言うなら、公式ファンアートみたいなところもあって、楽しいお仕事でした。  同時に、プレッシャーもありました。相棒はファンもたくさんいらっしゃるし、今回のノベライズは『相棒season22』。シリーズを重ねるごとに キャラクターも確立されていて、そこから外れるわけにはいかない。でも、自分らしさも出したいし、単なる似顔絵ではないところで描きたい。そのあたりも大変ではあったけれど、やりがいがありました。 ――いつもの装画のお仕事とは違うところもありましたか?  小説の登場人物であれば、たとえば髪が長いとか、三つ編みだといった描写があれば、そこからふくらませたイメージで描けばいいわけです。でも、ドラマのノベライズ本となると、実際にいらっしゃる、確固たるキャラクターのある人物に似せなきゃというか、見た方が誰かわからなきゃいけない、というのがある。 文庫ノベライズ『相棒22』シリーズ。装丁は大岡喜直さん(next door design)。  描くのは、意外と亀山さんのほうが難しかったです。右京さんの場合は、オールバックに眼鏡、英国スタイルのスーツにネクタイで「相棒」というタイトルロゴがあれば、ある程度「右京さん!」という印象になると思うんです。亀山さんにも、フライトジャケットやTシャツといった定番のスタイルはあるけれど、そこまで特徴的なものではないですよね。あと亀山さんの場合、喜怒哀楽の表現によってお顔の見え方もかなり違ってくる。その豊かな表情を絵にどう落とし込んでいったらよいか、結構悩みました。 縛りがあることでしか描けない絵がある気はします ――上・中・下巻、3冊でそれぞれ構図はどのように?  ドラマの雰囲気や、右京さんと亀山さんの恰好よさが伝わるといいなと思いながら描きました。静と動の対比とか、あと下巻では、右京さんがパッと手のひらを前に突き出す瞬間を描いたのですが、知的な人物のちょっとお茶目な一面を表現したいと思って、チャレンジしました。 ――今回はデジタルでラフを描いたあと、アクリル絵具で原画を仕上げていただきました。  デジタルであれば、いろいろ試したりもできるし、やり直せるところが良さでもありますよね。でも、アナログには一発勝負の良さ、みたいなものもあるかなと思うんです。もちろん直せたほうがいいときもあるんですけど、きっちり描くことだけがすべてじゃないというか。まあ不自由ではありますけど、そういう縛りがあることでしか描けない絵があるような気はします。  ちょうどアクリル絵具で描いているときに、途中で写真を撮ったものをお見せしますね。 デジタルで下描きしたイラストを隣に置いて見比べながら、仕上げていく(高杉千明さん提供)  汚れないようにチラシでカバーしながら、下描きのiPadを横に置いて、見比べながら描いていきます。最初にトレースしてはいるんですが、やっぱり色とか、細かいところまでは紙に写したとき、きれいに写しきれないので、横に置いて見ながら描き進めていきます。 脚本・輿水泰弘/ノベライズ・碇卯人『相棒season22』中 (朝日文庫)>>書籍の詳細はこちら ――高杉さんは、人物を描くとき、ご家族をモデルにされると伺ったのですが。  はい、しょっちゅうポーズのモデルとして協力してもらっています(笑)。家族にその体勢をとってもらい、撮影して資料にします。人体のつくりとか、位置関係をはかったりするのにも、よりリアルな感じで描きやすいんです。  先日、同じ朝日文庫から出た、北原亞以子さんの時代小説『夜の明けるまで』(「深川澪通り木戸番小屋」シリーズ)でも装画を描かせていただいたんですが、将棋を指す男性の背中の感じとかは、夫にこの姿勢になってもらいました。あと、娘には簡単な着物を羽織ってもらって、着物のしわの感じとかの雰囲気を撮って。写真の骨格をベースに着物のディテールを描いていきました。 北原亞以子さんの名作『深川澪通り木戸番小屋』シリーズ(朝日文庫で復刊、シリーズ全6冊)も、高杉さんが装画を手がけている。こちらはフルデジタルで制作。4冊目となる最新刊は『夜の明けるまで』 >>書籍の詳細はこちら 「相棒」でも、上巻の、右京さんの腕の組み方は、娘にやってもらいました。下巻は、自分で手をのばして洗面所の鏡に映したものを撮って、描きました。  リアルな手って、頭の中で想像しているのとちょっと違いますから。たとえば、手をグーで握る場合も、親指を中に入れているのと、出して人差し指にくっつけているのと、完全に離しているのでは、見る側の印象も違ってくると思うんです。 ――「神は細部に宿る」という言葉がありますけど、そういう細部があって、全体で見たときに、その人らしさが際立ってくる?  人ってこう、大胆な人とか、内気な人とか、そういったキャラクターがちょっとした仕草に出ると思うんですね。ですから、登場人物の“深み”のようなものが、細部の積み重ねで伝わる絵になるといいなと。立ち方ひとつとっても、一人ひとり違うはずですから、そういう小さいところもよりリアルに描いていくことで、その人の日常の立ち居振る舞いまで感じられるような絵になるといいなあと思っています。 (構成/書籍編集部 山田智子)
鈴木保奈美「舞台に立つ人間としても、学びと共感がある」 「自分と向き合う」5冊
鈴木保奈美「舞台に立つ人間としても、学びと共感がある」 「自分と向き合う」5冊  暑かった夏が過ぎ、ようやく涼しくなってきた。木々が色づき、深まる秋。そんな時こそ、手に取りたい本がある。人生を支える言葉に出合い、新しい発見と気づきによって広がる世界を堪能したい。俳優の鈴木保奈美さんが、おすすめの本を語ってくれた。AERA 2024年11月11日号より。 すずき・ほなみ/1966年生まれ、東京都出身。2023年11月から、BSテレ東「あの本、読みました?」(毎週木曜22時)MCを務める(photo ©BSテレ東) よりよく生きるヒントを発見  原田マハさんの印象派の画家をテーマにした小説が好きで、舞台もヨーロッパやアメリカのイメージが強かったのですが、『板上に咲く』は日本の、それも東北から始まる、板画家・棟方志功さんのお話です。棟方さんというと、子どもの頃、実家のカレンダーで見たな、という程度の知識しかありませんでした。この小説では、菩薩を題材に連作に取り組む芸術家の、不器用で骨太な生き方、精神論に触れることができます。ゴツゴツとして見える作品の線は作家の骨や筋肉が投影されているように感じられ、大地を踏みしめて生きていた人間像が浮かんできます。読み終えた時には、ぼんやりとしか知らなかった棟方志功が一人の芸術家として、まさに作品と同じように、くっきりした輪郭でドンと見えてきました。  加藤シゲアキさんの『なれのはて』は、テレビ局員の男性が主人公で、メディアで働く人の葛藤や、組織で働くとはどういうことか考えさせられます。私もテレビ局は身近なので面白く読み始めたのですが、実はそこだけに留まらず、全く違う世界にひょいと連れていってくれる。太平洋戦争時の東北への空襲の話、古い名家の因習にまつわるミステリーや家族間の葛藤など、たくさんの要素が詰め込まれていますが、見事に流れるようにストーリーが構成されていて、「この先、どうなるの?」と気になってノンストップで一気に読んでしまいました。気づいたら午前4時になっていました。 鈴木保奈美さんの「自分と向き合う5冊」AERA2024年11月11日号から 恩田陸「spring」は子育て論としても読める  恩田陸さんの小説はもともと好きで、ピアノの世界を描いた『蜜蜂と遠雷』も面白かった。そして新作『spring』はバレエダンサーの物語です。私はバレエを観るのが好きですし、表現する、舞台に立つ人間としても、学びと共感がある一冊でした。   ただ、読み進めるうちに、子育て論としても読めるな、と。主人公は幼い頃、学校に馴染めませんでした。世界の見え方が、どうやら他の子どもたちと違っていたから。偶然バレエに出合って、彼の才能に気づいてくれる大人がいたことで、天才ダンサーとして成長していくのですが、彼のように才能があるのに発見されずに生きづらさを抱える子はたくさんいるのではないか、そこを掬い上げていくのが大人の責任ではないか、と読みながら考えました。 鈴木保奈美さん(photo ©BSテレ東) 『パン屋の手紙』と『主夫と生活』は旅先の小さな雑貨店で見つけました。『パン屋の手紙』は北海道に実際にあるパン屋さんが、尊敬する建築家に店の建て替えの依頼をするために出した手紙から始まる往復書簡です。店主と建築家のやり取りは、まじめで丁寧で時に哲学的です。パンを作るとはどういうことか、お客さんに食べてもらうとはどういうことか、素材との向き合い方、美しいとは何かまで、深い話をしています。知的な往復書簡に憧れました。実は私はこちらのパン屋さんに行ったことがあります。くるみパンは日本一美味しいと思っています。  伊丹十三さんの訳が軽妙な『主夫と生活』は、ニューヨークの有名なコラムニストが仕事を辞めて妻と役割を交換し、主夫になってからの1年間を綴ったエッセイです。簡単だと思っていた家事の複雑さに打ちのめされたり、サボったり、でもだんだんと楽しみ方をみつけて上手くなっていったり。  これは1970年代の話なのですが、現代の我々のジェンダー感覚が50年前と変わっていないことに衝撃を受けました。ただこのご夫婦、お互いにバンバン文句を言い合っていて、面白いんです。よりよく生きるヒントはそこに隠されている気がします。 (構成/編集部・井上有紀子) ※AERA 2024年11月11日号
女性は50代後半で「素敵な奥さん」をやめた 「むき出し」で同志との不倫に飛び込んだワケ
女性は50代後半で「素敵な奥さん」をやめた 「むき出し」で同志との不倫に飛び込んだワケ いい母、いい妻として生きてきた女性が自分を壊し始めた理由とは(撮影/インベカヲリ)  現代日本に生きる女性たちは、いま、何を考え、感じ、何と向き合っているのか――。インベカヲリ☆さんが出会った女性たちの近況とホンネに迫ります。 *   *   * 私のブラックな面をお話しします 「今日はインベさんに、私のブラックな面をお話ししたいんですよね」  待ち合わせに現れた裕子さん(50代後半/仮名)は、会うなりそう言ってニッコリと笑った。主婦である裕子さんは、サラリーマンの夫と社会人の娘と暮らしている。  子育てを終えた今は音楽活動をしているらしく、細身で美しく、肌はつややかで、目はキラキラしていて、いかにも充実した日々を送っていそうな雰囲気があった。  そんな彼女に一体、どんなブラックな面があるのだろう。 「私は子育てをする中で、いい人にならなきゃ、いい母にならなきゃ、いい妻にならなきゃ、そう思って生きてきたんですね」  話は、結婚当初のことから始まった。 いつも笑顔でいられるように  きっかけは、友人に誘われて参加したセミナー。“笑顔と言葉で人生が変わる”という話に感銘を受けた裕子さんは、その考え方を学ぶためにセミナーを受講するようになったという。 「言霊ってあるじゃないですか。マイナスなことを言うと、マイナスに引っ張られる。だからプラスの言葉を使うようにする。あとは、エレガントでいるための仕草とか、いつも笑顔でいるための方法を学んで、目標を立てて理想の自分を想像するということを続けてきました」  そのおかげで、実際に人間関係は良好だったという。 「私、人を嫌いになることはいけないことだと思っていたから、苦手な人ともうまく付き合っていたんですよ。この人腹立つなあと思っても、その人のいいところを見つけて紙に書く。そうすると、その人もいい人なんだと思えてくる。相手にも事情があるだろうから、幸せを願ってあげようって。バカですよね~。でも、そうするとイライラがなくなるんです。そういう訓練をしていたから、当時は本当に嫌いな人がいなかった」 「いい奥さん」を演じています!  ということは、よほど、“いい人”でいることがうまかったのだろう。 「はい。みんな、私に会うと『元気になる』とか言ってくれましたから」  では、夫や子どもの前ではどうなのか。 「私は、家庭でも『いい奥さん』を演じています!」  あまりにキッパリと言うので驚いてしまった。 自分の感情にしていた蓋が外れたきっかけがあるという(撮影/インベカヲリ☆)   家族全員が他人みたい 「私、夫とけんかをしないんですよ。すごくないですか? 夫に文句やぐちを言わないんです。怒りが湧いたときは、陰で枕をバンバン叩いたりしながらも、夫の前ではニッコリ。イラッとしたときは、『ありがとうございます』って心の中で唱えていると落ち着くんですよ。はっはっは!」  当の夫は、機嫌が悪くなると無視するタイプだという。裕子さんは、それを空気で察し、理由は聞かずに時が経つのを待つのだそうだ。 「夫には、めっちゃ気を使いますね。『何を喋ればいいんだろうこの人』って思いながら生活している。たぶん、うちは普通の家庭とは違うと思います。家族全員が他人みたいで、団欒がない。リビングで夕食を終えると、夫は自分の部屋に行き、娘も自分の部屋に行き、私はリビングで過ごす。みんなで一緒にテレビを見るとかはないんです」 自分の感情に蓋をしていた  そうした生活の中で、裕子さんはいい妻を演じているというのだ。夫の目には、さぞ楽しそうに映っていることだろう。 「そうでしょうね。家を出るときも、『いってきま~す♪』みたいな」   それがフェイクだというのだから、まるでホラーだ。  こうして結婚生活を30年以上続けてきた裕子さんだが、ひょんなことからその考え方が大きく変わることになったという。 「私、兄がいるんですけど、表向きは仲良くしつつも、ずっと苦手だったんですよ。夫と似ていて、すごく気を使う相手なんです。たぶん、どこかで兄に認められたい気持ちがあったんだと思う。そこも、自分の感情に蓋をして、ごまかしていたんですね」 私この人嫌いだ!  ところがある日、ふとしたことがきっかけで兄と大げんかをしたという。 「数年前なんですけど、はじめて兄に対して文句が言えたんです。あれは自分でも結構びっくりした。『あ、言えた!』って。『私この人嫌いだ!』って。そのときに、蓋がバンッと開いた感じがしたんですね。それからは、兄と距離を置いています」  この「蓋が開いた」という表現は象徴的だ。その後、裕子さんは、ふいに強い衝動にかられ、本格的な音楽活動を始めた。すると、これをきっかけに、それまでの生き方に疑問を持ち始めたという。 何を歌ってもつまらない 「いつもの癖で常に笑顔になってしまって、歌の先生から『何を歌ってもアイドルソングみたいでつまらないんだよね』って言われたんです。クッソーと思って、こいつをぎゃふんと言わせてやるって思ったときに、『あれ? これって邪魔になるかもしれない』って気づいたんです。  別にいい人の部分は、これまで通り持っておけばいいんですけど、表現をするうえでは、自分の内側とも向き合っていかなきゃいけない、黒い部分もさらけ出せなきゃいけないって。そこからは、閉めていた蓋を開ける作業というか、感情を解放することを始めたんですね」  おそらく、兄との一件で「蓋が開いた」ことと、音楽活動にのめりこんでいったことは、どこかでつながっていたのだろう。これを機に、裕子さんは、それまでの自分を壊す作業を始めたという。 一番やっちゃいけないことをやろう 「でも、まず壊すすべがわからなかったんです。それまで本当に、いい人、いい母、いい妻でいようと思って生きてきたから。どうやって壊そうと思ったときに、一番やっちゃいけないことをやってしまおうと考えたんですね。もちろん、人に危害を加えるとか、盗みをするとかはダメですよ。犯罪以外の中から、自分が絶対にやらないことをしようって」  そこで思いついたのが、浮気だった。それまでの裕子さんは、潔癖なまでに浮気は絶対にいけないことだと考えていたからだ。 「音楽仲間の男性に、私は今こういう状況で、いい表現をするために自分を壊したいと思っている。だから相手をしてもらえないかって頼んだんです。その人が私に好意を寄せていることはわかっていましたから」  こうして、ダブル不倫が始まった。その関係は、今でも続いているという。つまり自分を壊す作業は、現在進行形なのだ。 時間が足りなくなるくらい 「それからは、むき出しです。『アイドルソングみたいだね』とも言われなくなったし」  裕子さんの目標達成力には、驚くばかりである。 「彼は同志みたいなものです。一緒に切磋琢磨している相手。音楽の話になるとお互いすごくぶつかるし、全部を吐き出せる。思っていることが違ったりすると、『なんでそう思うの? おかしいじゃん!』みたいなことも結構言い合うし、そこで私の感情の揺れを受け止めてくれる人。その人が安定剤のようになってくれるから、私は自分を保てているんです。2人でいると、時間が足りなくなるぐらいずっと喋っていられる」 音楽とセックスは似ている  この関係性によって、裕子さんから人間臭さが立ち現れてきたということなのだろう。 「でも、壊す作業ってほかに何かあったのかな? 自分の中では、もうそれしかなかったから。音楽とセックスっていうのは、ちょっと似ている部分があると思うんですよね。没頭するっていうか、動物的になるみたいな。私はそこと向き合っているぞ、みたいな。でも、これって悪い女のたわごとですよね。いい人をやめちゃったでしょう、私。フフフ」  それでも、離婚して一緒になるつもりはないという。 「お互いの家庭は絶対に壊さないというのが条件です。別に私、音楽で生計を立てている男性と結婚しようとは思わない。そんなリスキーな人と一緒になるのは嫌ですね。お金は大事です」 もしも音楽をやっていなかったら  彼女は今でも、家に帰ればいい妻を演じている。しっかり蓋を閉めているので、夫が妻の変化に気づくことはないという。 「もしも音楽をやっていなかったら、私は一生、素敵な奥さんのままで死んでいっていたでしょうね」   ブラックな面を話す裕子さんは、どこか誇らしげだった。  人は自分を押し殺したままでは生きていけないのだなということを、私はしみじみ感じた。
「おむすび」父親役が好評の「北村有起哉」 プライベートでも子煩悩な“パパ素顔”
「おむすび」父親役が好評の「北村有起哉」 プライベートでも子煩悩な“パパ素顔” 朝ドラ「おむすび」で父親役を好演する北村有起哉    現在放送中の連続テレビ小説「おむすび」(NHK)でヒロイン・米田結(橋本環奈)の父親役として、存在感を発揮しているのが、米田聖人を演じる北村有起哉(50)だ。  聖人は元理容師で、現在は福岡県糸島の実家で農業にいそしんでいる。娘のことを常に心配する生真面目なキャラクターで、結の帰りがいつもより遅くなった際は、「おかえり。どこにおった? 誰とおった? 何しよったんや?」と質問攻めにしたことも。このシーンには視聴者から「過干渉すぎ」「超過保護!」との声が上がる一方、「震災の影響なのかな」「神戸でどれだけの物を失ったんだろう」という声もあった。結の一家は以前、神戸市で暮らしており、1995年に発生した阪神・淡路大震災で被災し、聖人の故郷である糸島へ移住した経緯があるからだ。一家にはどんな過去があり、そこがどう描かれていくかは今後の注目ポイントといえるだろう。 「シリアスなシーンもありますが、10月15日放送回では、なんと50歳の北村さんが高校生時代の回想シーンを自ら演じ、話題となりました。いくら演技派の北村さんとて、高校生役には少々無理があり、失礼ながら思わず笑ってしまいました。SNS上では『コントにしか見えない』『振り切った回想シーンもいい!』などとさまざまな意見が上がっていました」(テレビ情報誌の編集者) 「わろてんか」(2017年)での落語家役や、「エール」(2020年)での劇作家&演出家役に続く、朝ドラ出演となった北村。名バイプレイヤーとして知られるが、実は2世俳優だ。 「北村さんの父親は、2007年に亡くなった名優・北村和夫さんです。現在、奇しくも昼の時間帯で再放送中の『ちゅらさん』で和夫さんが出演していて、その後に始まる『おむすび』で有起哉さんを見ることができますが、SNSでは顔や声が似ているとコメントしている人もいました。ファンにはたまらない共演リレーですね。和夫さんは『おしん』で舅として父親役をしていたのでが、有起哉さんは若い頃から父を超えたいと思っており、今回の朝ドラで父親役を得てようやく目標が達成され『ほっとした』とインタビューで語っていました。朝ドラとは縁の深い北村さんですが、妻も実は『さくら』でヒロイン役を演じた高野志穂さん。2人は2013年に結婚。現在、2人の子どもがいます」(同) 妻はかつて朝ドラでヒロイン役を演じた高野志穂((写真:YUTAKA/アフロ))   私生活では2人の男児のよきパパ 「おむすび」の劇中では2人姉妹の父親役だが、プライベートでは男兄弟の父親である北村。長男が生まれた際は、積極的におむつ替えを手伝うなど、子煩悩ぶりを発揮していたという。また「子どもは本当にかわいい。息子が絵本を持ってきて僕の上にちょこんと座ると、台本を読んでいてもそっちを優先しちゃう」とも話している(「サンスポ」16年1月30日配信)。家庭では良きパパとして愛情を注いでいるようだ。 「自身のインスタグラムでは息子たちが時々登場し、ファンを癒やしています。7月7日には『たまにそそのかすと、素直にゴシゴシ上履きをやります。毎週やってほしいんだけどね……』とつづり、お風呂場で一生懸命上履きを洗う兄弟の写真がアップされていました。丸刈りの息子2人に『ほっこりする写真』『昭和の子どもみたい』と反応するコメントもあがっていました。コワモテや悪役も多くこなす北村さんだが、優しいパパというギャップに驚く人も多そうです」(同)  そのよきパパぶりは共演者からも一目置かれているようだ。ドラマ「先生のおとりよせ」(2022年・テレビ東京系)で共演した向井理は、北村とともに出演した「マイナビニュース」(22年4月22日配信)のインタビューで、役者として北村に惚れた部分について問われると「家庭を大事にしているところが、すごく信頼できます」と発言していたこともあった。  脇役で存在感を放ち続ける北村だが、映画ライターは彼の原点についてこう述べる。 「北村さんは俳優としては“一匹おおかみ”のような生き方ですね。特定の劇団には所属せずに、舞台のプロデュース公演を中心に活動されてきました。『大きな組織に所属するより、やりたいことを自分で見つけていく方が性に合っている』と話していたこともあり、自分のペースで役者を続けることを大事にしているようです。今年で50歳となった北村ですが、役者人生の根底にあるのは、映画デビュー作となった1998年公開の『カンゾー先生』の監督・今村昌平氏からの言葉だったとも語っています。オーディションで同作の出演が決まったものの、毎日、下働きの日々が続き、スタッフと一緒に馬車馬のように働かされ、不貞腐れてしまったそうですが、そこで今村監督に『お前、要らないからもう帰れ。お前の代わりはいくらでもいる』と静かに言われたそうです。そこで“試されている“と北村さんは気づき、翌日から心を入れ替えたと語っていました」 ひげを生やすとワイルドなイメージに変貌する北村有起哉   魔性の女に翻弄される小説家役も  エンターテイメントジャーナリストの中村裕一氏は北村についてこう述べる。 「役のタイプや肩書、大小問わず、これまで出演した作品はテレビドラマだけでも100本を超えており、その時点でかなりの実力派であることは疑いの余地がありません。初主演ドラマ『ムショぼけ』では、出所したばかりで世の中の変化に戸惑う元ヤクザ、映画『終末の探偵』ではやさぐれた探偵、ドラマ『ウツボラ』では前田敦子演じる魔性の女に翻弄される小説家と、どんな役柄でも違和感なくしっかりと演じ、作品世界に厚みを持たせストーリーを成立させています。個人的には、小芝風花主演のコメディードラマ『事件は、その周りで起きている』で演じているとぼけた雰囲気の警部、『たそがれ優作』で演じている名脇役俳優がそれぞれいい味を出していて印象に残っています。これからさらに脂が乗ってくると思いますが、そのままマイペースで俳優業を続けていってほしいですね」  名バイプレーヤーとして名高い北村の演技は、視聴率が低迷する「おむすび」の救世主になるかもしれない。 (高梨歩)
2児の父・芸人マシンガンズ滝沢が振り返る、妻が“産後うつ”だった頃 「自分のことでいっぱいいっぱいだった」
2児の父・芸人マシンガンズ滝沢が振り返る、妻が“産後うつ”だった頃 「自分のことでいっぱいいっぱいだった」 お笑い芸人、マシンガンズ滝沢秀一さん  漫才コンビ、マシンガンズの滝沢秀一さんはごみ清掃芸人として活動しています。そもそもごみ清掃員を始めたのは、長男の出産費用を稼ぐことがきっかけでした。現在小学生になるお子さん2人との関係や奥さまが産後うつを発症したときのことなどをうかがいました。※前編<芸人・マシンガンズ滝沢が「ごみ清掃員」になって驚いたこととは 「顔が見える社会が作られていないことを実感」>から続く 家に入る前にテンションを上げる ――滝沢さんは小6の息子さん、小2の娘さんがいらっしゃいますが、お子さんたちとはどのような関係ですか?  家にいる時間が少ないので、いるときは全力で接します。遊び相手にも話し相手にもなります。息子はサッカーをやっているので、一緒にやることもありますね。 ――芸人のお仕事のほかに清掃員もされていて、家でも全力となると疲れないですか?  仕事から帰るとき、家の前で1回「ふうっ」ってテンションを上げるんですよ。漫才をするために舞台に出るときと同じような感じです。自分が疲れていて、そのまま不機嫌な感じで帰ったら僕はラクかもしれないけど、家族は気分がよくないですよね。家全体の空気が悪くなると取り戻すのにエネルギーを使うので、僕がテンションを上げて機嫌よく帰ったほうが家族も機嫌がいいし、結果的にそのほうがラクなんです。 ごみ清掃員として講演もする滝沢さん ――息子さんは思春期に入るころだと思いますが、難しいと感じることはありますか?  難しいですね。宿題をまったくやらないんですよ。とにかく勉強をしない。妻の今一番の悩みの種です。 ――滝沢さんご自身は、子どものころどうでしたか?  ちょうど息子くらいのときに目覚めて、勉強をちゃんとやるようになりました。それまで全くやっていなかったから、このままじゃやばいって自分で思って。本人がやる気にならないと難しいですよね。 妻が産後うつに。当時は寝た記憶がない ――滝沢さんが12年前にごみ清掃員の仕事を始めたのは、息子さんの出産がきっかけだそうですね。 【雑誌「AERA with Kids」バックナンバーが読める!特典満載】 無料会員「AERA with Kidsメンバーズ」始まりました https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/238846 マシンガンズ滝沢さん一家  妻から出産費用が必要だと言われて。たまたま就職できたのがごみ収集会社でした。子どもができてからは、とにかくお金を稼がないといけないというのが一番にあって。それまではやりたくないことはやらないという感じだったんですけど、そうは言っていられなくなりましたね。クレジットカードって作るだけで、入会特典で3000ポイントとかもらえることがあるじゃないですか。10枚くらいクレジットカードをつくって、そのポイントでオムツを買ったこともありました。 ――奥さま(友紀さん。イラストレーター、エッセイ漫画家として活動)は2人目のお子さんの出産後、産後うつになったことを公表されています。滝沢さんはどのようにサポートされましたか?  サポートというか……、自分のことでいっぱいいっぱいでしたね。妻は1~2カ月くらい入院していたんです。娘は乳児院、3歳の息子は僕の実家に預けていました。僕は朝5時から夕方までごみ清掃に行ってという生活で。夜はお笑いライブに出ることもありましたし、移動の電車の中でネタや小説を書くこともありました。やるべきタスクが多すぎて、当時は寝た記憶があんまりないですね。 ――滝沢さんご自身も大変な思いをされたんですね。  大変でしたけど、誰かが代わってくれるわけではないし、やるしかないという感じで。後から聞いた話ですけど、息子の保育園の先生は、お迎えにきた僕のことを見てびっくりしていたみたいですね。大変な状況のはずなのに、あまりに淡々としていて逆に怖いみたいな(笑)。自覚はないんです。実際はパニック状態でしたね。 ――奥さまが回復されていく様子をそばで見ていていかがでしたか?  劇的に回復するというのはなくて、徐々にという感じでしたね。退院しても、乳児院にいる娘とはすぐには一緒に暮らせなくて。まずは30分だけ一緒に散歩をするとか、育児ができる万全の状態になるまで、段階をふまないといけないんです。妻はそれがつらかったみたいですね。 ――大変な時期を乗り越えられて、奥さまとの関係は変わりましたか?  正直、乗り越えたという感じはまだありません。目の前のタスクをこなしていたら、あるとき偶然抜けたというか。ずっと産後うつになったときの延長線上にいる感じなんです。子どもたちが成長して多少はラクにはなっているとはいえ、子育ては続いているから、何が起きるかわからないし。僕が家にいられたらいいですけど、芸人をやっている以上どうしても外に出ないといけなくて。今も僕があんまり忙しすぎると、妻は不機嫌になりますね。 ――そういうときはどうするのですか?  話しかけたほうがいいときと話しかけないほうがいいときがあるんですよね。それを長年の関係性をもとに見極める。間違えたかー、というときもありますよ(笑)。 子どもをたくさんの芸人に会わせる ――2023年に『THE SECOND~漫才トーナメント~』でマシンガンズが準優勝して、注目を集めました。ご家族の反応はどうでしたか?  子どもたちは僕が漫才をやっているのをテレビで見るのが初めてで。決勝の日は子どもの友だち20人くらいが家に集まって、テレビの前で応援してくれました。それを聞いていたから、1回戦では負けられないなって。 ――決勝までいって、盛り上がったでしょうね。  帰ったら大量のピザの箱がありました(笑)。 ――お子さまは何か言っていましたか?  すごい!って言っていたかな。その後家でのロケとか、家族でテレビに出る機会もあって、楽しんでくれているみたいです。「パパ、セカンド以降、忙しいよね」って、大人みたいなことも言っています(笑)。 ――小6となると、進学や将来の話をすることもありますか?  僕は芸人とか、それ以外の、例えば元芸人で今は税理士をやりながら塾の講師をしている友人とか、子どもたちをいろいろな大人に会わせています。仕事場に連れて行くこともありますし。世界は1つじゃないということを伝えたくて。例えば学校でいじめとか問題があったとしても、世界は学校だけではないということを知っておいてもらいたいんです。 ――相方の西堀さんと会うこともありますか?  よく懐いていますよ。子どもたちは錦鯉(長谷川雅紀さん、渡辺隆さんからなる漫才コンビ)が大好きで、単独ライブに連れて行って会わせたら息子はうれしすぎるあまり、うれしくなさそうにしちゃって(笑)。後から聞いたらパニックだったみたいです。娘はうれしい気持ちをそのまま表現できるんですけど。 ――たくさんの芸人さんに会っていたら、お笑いをやりたいって言うかもしれないですね。  まぁ、いいんじゃないですかね。芸人っていい人が多くて、僕はこれまで悪い人に会ったことがないし。やりたいということがあれば、環境を整えて応援したいと思っています。 (構成/中寺暁子) ※前編<芸人・マシンガンズ滝沢が「ごみ清掃員」になって驚いたこととは 「顔が見える社会が作られていないことを実感」>から続く 〇マシンガンズ 滝沢秀一/1976年生まれ。東京都出身。1998年に西堀亮とお笑いコンビ「マシンガンズ」を結成。2012年に定収入を得るために芸人の仕事を続けながら、ごみ収集会社に就職。芸人とごみ清掃員という二足のわらじを続け、2018年にごみ清掃員としての体験をつづったエッセイ『このゴミは収集できません』(白夜書房)を出版、ベストセラーとなる。2020年に環境省「サステナビリティ広報大使」に就任。2023年『THE SECOND~漫才トーナメント~』グランプリファイナル準優勝。  
2024年この本が読みたい!「本屋大賞」「芥川賞」「直木賞」
2024年この本が読みたい!「本屋大賞」「芥川賞」「直木賞」 「売り場からベストセラーをつくる!」を目標に、商品である本と顧客である読者を最も知る立場にいる書店員が、「売れる本を作っていく、出版業界に新しい流れをつくる、ひいては出版業界を現場から盛り上げていく」ために発案した「本屋大賞」。 2024年度は、 ・本屋大賞:2022年12月1日〜2023年11月30日の間に刊行された日本の小説 ・翻訳小説部門:同期間に日本で刊行された翻訳小説 ・発掘部門:ジャンルを問わず、2022年11月30日以前に刊行された作品 を、全国の書店員が選びました。 そして、「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 2024年本屋大賞」の発表会が、2024年4月10日、明治記念館にて行われました。 それでは、本屋大賞と翻訳小説部門、発掘部門の本をご紹介をします。   今年最後のビッグセールAmazonブラックフライデーは11/29(金)~12/6(金) 2024年本屋大賞「成瀬は天下を取りにいく」宮島未奈 成瀬は天下を取りにいく 商品価格¥1,705 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 著者の宮島未奈氏は、坪田譲治文学賞やダ・ヴィンチ「BOOK OF THE YEAR 2023」小説部門第1位、「中高生におすすめする司書のイチオシ本 2023年版」第1位などを続々受賞した作家です。 「成瀬は天下を取りにいく」は2023年、最注目の新人が贈る傑作青春小説です。 ■あらすじ 2020年、中2の夏休みの始まりに、幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。 コロナ禍に閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。 M-1に挑戦したかと思えば、自身の髪で長期実験に取り組み、市民憲章は暗記して全うする。 今日も全力で我が道を突き進む成瀬あかりから、きっと誰もが目を離せない。   寒くなる前に。冬支度セール会場はこちら。最大10%ポイントアップキャンペーンも実施中! 2024年本屋大賞 翻訳小説部門第1位「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」ファン・ボルム(著)牧野美加(訳) ようこそ、ヒュナム洞書店へ 商品価格¥2,640 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 インターネットで人気を呼び、韓国で累計25万部(2023年9月26日現在)を突破した、心温まるベストセラー小説。新米女性書店主と店に集う人々の、本とささやかな毎日を描いています。 著者のファン・ボルム氏は小説家であり、エッセイスト。大学でコンピューター工学を専攻し、LG電子にソフトウエア開発者として勤務した経験を持ちます。 ■あらすじ ソウル市内の住宅街にできた「ヒュナム洞書店」。会社を辞めたヨンジュは、追いつめられたかのようにその店を立ち上げた。 書店にやってくるのは、就活に失敗したアルバイトのバリスタ・ミンジュン、夫の愚痴をこぼすコーヒー業者のジミ、無気力な高校生ミンチョルとその母ミンチョルオンマ、ネットでブログが炎上した作家のスンウ……。 それぞれに悩みを抱えたふつうの人々が、今日もヒュナム洞書店で出会う。 2024年本屋大賞 発掘部門「プラスティック」井上夢人 プラスティック (講談社文庫 い 72-4) 商品価格¥880 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 「プラスティック」は、2024年本屋大賞発掘部門「超発掘本!」に選出されて続々重版中です。 著者の井上夢人氏は、1982年「岡嶋二人」で第28回江戸川乱歩賞、第39回日本推理作家協会賞、第10回吉川英治文学新人賞を受賞。1989年に「岡嶋二人」解散。1992年「井上夢人」としてソロデビューしました。 最新刊は「魔法使いの弟子たち」講談社です。 ■あらすじ 54個の文書ファイルが収められたフロッピイがある。 冒頭の文書に記録されていたのは、出張中の夫の帰りを待つ間に奇妙な出来事に遭遇した主婦・向井洵子が書きこんだ日記だった。 その日記こそが、アイデンティティーをきしませ崩壊させる導火線となる! 2024年本屋大賞はこちらもおすすめ! ■2位 水車小屋のネネ 商品価格¥1,980 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■3位 存在のすべてを 商品価格¥2,090 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■4位 スピノザの診察室 商品価格¥1,870 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■5位 レーエンデ国物語 商品価格¥2,145 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■6位 黄色い家 (単行本) 6%オフ 商品価格¥1,960 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■7位 リカバリー・カバヒコ (文芸書・小説) 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■8位 汝、星のごとく 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■9位 放課後ミステリクラブ 1金魚の泳ぐプール事件(2024年本屋大賞ノミネート) 商品価格¥1,210 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■10位 君が手にするはずだった黄金について 商品価格¥1,584 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 2024年本屋大賞 翻訳小説部門はこちらもおすすめ! ■2位 卒業生には向かない真実 〈自由研究には向かない殺人〉シリーズ (創元推理文庫) 商品価格¥1,439 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 ■3位 不便なコンビニ 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 2024年上半期 第171回芥川賞はこの2冊! 2024年7月17日に、第171回芥川龍之介賞の選考委員会が開催され、朝比奈秋氏の「サンショウウオの四十九日」と松永K三蔵氏の「バリ山行(さんこう)」が授賞作となりました。 そこで、第171回芥川賞の2作品をおすすめします。 第171回芥川賞 「サンショウウオの四十九日」朝比奈秋 サンショウウオの四十九日 商品価格¥1,870 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 著者の朝比奈秋氏は、1981年生まれ。2021年「塩の道」で第7回林芙美子文学賞を受賞し、22年に同作を収録した単行本「私の盲端」でデビューしています。 医師としての経験と驚異の想像力で同じ身体を生きる姉妹、その驚きに満ちた普通の人生を描いた作品です。 ■あらすじ 周りからは一人に見える。でも私のすぐ隣にいるのは別のわたし。 不思議なことはなにもない。けれど姉妹は考える、隣のあなたは誰なのか? そして今これを考えているのは誰なのか―― 第171回芥川賞 「バリ山行」松永K三蔵 バリ山行 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 著者の松永K三蔵氏は1980年生まれ。関西学院大学卒。2021年「カメオ」で第64回群像新人文学賞優秀作を受賞しデビューしました。 こちらの「バリ山行」は、会社も人生も山あり谷あり。圧倒的生の実感を求め、山と人生を重ねて瞑走する純文山岳小説です。 ■あらすじ 古くなった建外装修繕を専門とする新田テック建装に、内装リフォーム会社から転職して2年。 会社の付き合いを極力避けてきた波多は同僚に誘われるまま六甲山登山に参加する。 その後、社内登山グループは正式な登山部となり、波多も親睦を図る目的の気楽な活動をするようになっていたが、職人気質で職場で変人扱いされ孤立しているベテラン社員妻鹿があえて登山路を外れる難易度の高い登山「バリ山行」をしていることを知ると……。 2024年上半期 第171回直木賞はこちら! 芥川賞と同日、第171回直木三十五賞の選考委員会が開催され、一穂ミチ氏の「ツミデミック」が授賞作となりました。 第171回直木賞 「ツミデミック」一穂ミチ ツミデミック 商品価格¥1,870 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 著者の一穂ミチ氏は、1978年生まれ。関西大学卒。2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビューしました。 「ツミデミック」は稀代のストーリーテラーによる心揺さぶる全6話です。 ■あらすじ 大学を中退し、夜の街で客引きのバイトをしている優斗。 ある日、バイト中にはなしかけてきた大阪弁の女は、中学時代に死んだはずの同級生の名を名乗った。 過去の記憶と目の前の女の話に戸惑う優斗は……「違う羽の鳥」 調理師の職を失った恭一は家に籠もりがちで、働く妻の態度も心なしか冷たい。 ある日、小一の息子・隼が遊びから帰ってくると、聖徳太子の描かれた旧一万円札を持っていた。近隣の一軒家に住む老人からもらったという。 隼からそれを奪い、たばこを買うのに使ってしまった恭一は、翌日得意の澄まし汁を作って老人宅を訪れるが……「特別縁故者」 2024年上半期 第171回芥川賞の候補作はこちら! 転の声 価格¥1,650 詳細はこちら 海岸通り 価格¥1,540 詳細はこちら いなくなくならなくならないで 価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 2024年上半期 第171回直木賞の候補作はこちら! 地雷グリコ 価格¥1,925 詳細はこちら 令和元年の人生ゲーム 価格¥1,650 詳細はこちら われは熊楠 価格¥2,200 詳細はこちら あいにくあんたのためじゃない 価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。   まとめ 2024年の「本屋大賞」と、2024年上半期の「第171回芥川賞」「第171回直木賞」の作品をご紹介しました。 秋の夜長のひととき。話題作に触れてみてはいかがでしょうか? (暮らしとモノ班)   寒くなる前に。冬支度セール会場はこちら。最大10%ポイントアップキャンペーンも実施中!
“地域での体験が家族みんなの人生を豊かに” 夫婦でこれからの働き方、暮らし方を語り合う
“地域での体験が家族みんなの人生を豊かに” 夫婦でこれからの働き方、暮らし方を語り合う 戸崎亘さん(右)、戸崎あすかさん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2024年11月4日号では、製薬会社に勤務する戸崎亘さんと戸崎あすかさん夫婦について取り上げました。 *  *  * 妻33歳、夫37歳で結婚。息子(4)、娘(2)と4人で暮らす。 【出会いは?】友人の紹介で知り合う。 【結婚までの道のりは?】2人ともお酒(特に日本酒)が好きなこと、おいしいご飯を食べ歩くのが趣味であったことなど共通部分があり、すぐに意気投合。付き合い始めて1年ほどで自然な形で結婚まで行きついた。 【家事や家計の分担は?】食事は主に夫、洗濯は主に妻。掃除は2人でする。財布は完全に別。 夫 戸崎亘[44]大手製薬会社 会社員 とざき・わたる◆1979年生まれ、東京都出身。大学卒業後、大手製薬会社に入社。大手ドラッグストア本部への営業を経て、環境分野の新規事業、地域連携ビジネスなどに携わる。現在は広報・CSV推進部で、主にCSVの取り組みを推進している Well-beingな社会の実現を目指す自社で、体の健康を作るうえで基本となる食や農に関する課題や、その食が生まれる地域の課題も解決しようと、各地のパートナーと連携しながら新しい価値の創出や仕組みづくりを進めています。  出張で地方に出かけることが多く、行ってよかった場所にはできるだけ家族も連れていき自分の経験を家族と分かち合えるように努めています。さまざまな地域での体験が家族みんなの人生を豊かにすると考えているからです。  妻とは人生観についてよく語り合います。何が起きるかわからない時代だからこそ、子どもたちには五感を鍛えることを大切にしてほしい。五感が育まれる場所は自然の中だと思うのですが、東京暮らしは自然との距離が遠いことが一番のネック。「ゆくゆくは2拠点生活もいいね」と話していて、しかるべきタイミングで踏み出すことができればと思います。  この先も働き方を含めていろいろな生き方、暮らし方を一緒に模索していきたいです。 戸崎亘さん(右)、戸崎あすかさん(撮影/写真映像部・和仁貢介)   妻 戸崎あすか[40]外資系製薬会社 会社員 とざき・あすか◆1983年、福岡県出身。大学卒業後、自動車会社などを経て、現在の勤務先に入社。マーケティングのブランドマネージャーとして、難病の一つであるSLE(全身性エリテマトーデス)の治療薬を担当している  製薬会社でマーケティングのブランドマネージャーをしています。グローバルチームとのやりとりや営業向けの資材や資料作り、講演会の企画など仕事は多岐にわたります。  出産後もフルタイムで働いていますが、今は自分のキャリアよりも子育てを優先したい。仕事は楽しいですが、家族ありきで働いています。  亘さんも仕事を楽しんでいて、出張先で出会った人たちから学ぶことが多いようです。いいと思ったことは私にも共有してくれます。生きることは食べることと教わり、有機野菜や手作りのみそを毎日の食事に取り入れています。  家事や育児の能力の高さにも脱帽です。朝5時に起きて家族のために朝ご飯を準備してくれたり、晩ご飯に唐揚げを作ってくれたり。おいしい食事を家族で楽しく食べている瞬間に幸せを感じます。子どもたちがもう少し大きくなったら、4人で食事を作りたいです。  責任感の強さから無理もしていると思うので、適度に力を抜きながら過ごしてね。 (構成・浴野朝香) ※AERA 2024年11月4日号  
岡崎慎司、人生のキーワードは「挑戦」 「目標を達成した瞬間に、新たな夢が生まれます」
岡崎慎司、人生のキーワードは「挑戦」 「目標を達成した瞬間に、新たな夢が生まれます」 岡崎慎司さん(おかざき・しんじ)/1986年、兵庫県宝塚市生まれ。滝川第二高校卒業後、2005年に清水エスパルスに入団。11年にシュトゥットガルト(ドイツ)への海外移籍後、イギリス、スペイン、ベルギーのチームでプレー。24年8月から現職(写真:岸本 絢)   「人生100年時代」と言われて久しい。より良く生きるためには、大人になってから人生後半戦の第2エンジンの着火が鍵を握る。プロサッカー選手として現役を引退し、新たなキャリアをスタートさせたFCバサラ・マインツ監督、マイスターヨーロッパ代表の岡崎慎司さんに話を聞いた。AERA 2024年11月4日号より。 *  *  *  今年、19年間のプロサッカー選手人生に幕を下ろした岡崎慎司さん(38)は、FCバサラ・マインツ(ドイツ6部リーグ)の監督に就任し、新たなキャリアをスタートさせた。 「以前から監督という職業に関心を持っていましたが、それ以上に、『試合に勝つことで日本人の価値をドイツで証明したい』と思ったことが大きいです」 全部を取りにいこう  その原点には、24歳でブンデスリーガ(ドイツ1部リーグ)のシュトゥットガルトに移籍し、孤軍奮闘した経験があった。 「めちゃくちゃしんどかった記憶があります。これまでの“当たり前”が通用せず、通訳がいても本当に苦労しました。何より、最初は“日本人”に全く興味を持ってもらえませんでした」 「和」を重んじ、助け合いの精神が求められる環境から一変、自己主張が当たり前の価値観に触れ、戸惑った。完全にアウェーの中、周りに合わせて自分もエゴイストのように振る舞おうと思ったこともあった。だが、そんな自分に違和感を覚え、ストレスを感じたという。 「試行錯誤した結果、自分は日本人として、チームメートを助け、チームに貢献して試合に勝ち、そして一番目立ちたいと思いました。だから『全部を取りにいこう』と。そのためには、周りと同じやり方をしていたらダメだと思いました」  その軸を持ち、サッカーと自分自身に向き合い続けた岡崎さん。実績を残していくにつれ、周りからの見られ方も変わっていったという。 「結果を出すと、『日本人すごい』となるんですよね。勝負の世界では、結果がものをいうのだと改めて感じました」  その同時期、一つの転機が訪れる。岡崎さんの母校、滝川第二高校(神戸市)の先輩にあたる山下喬さん(39)がドイツでサッカー留学の仕事をしていることを知った。会ったところ、渡独した日本人選手たちが、長く、安心して競技ができる場所を作りたいとの思いで意気投合。2014年には二人でサッカークラブを設立した。それが、現在岡崎さんが監督を務める「FCバサラ・マインツ」だ。30年までにプロ3部リーグ昇格を目下の目標に据えている。 AERA 2024年11月4日号より   サッカー関連事業を  サッカー選手として注目を集めてきた岡崎さんだが、その一方で現役時代にサッカー関連事業をほかに二つ起こしている。二つ目は、地元の兵庫県でサッカーチーム「バサラ兵庫」などを運営する「マイスター」。そして三つ目は、ドイツを基盤にこれまで育てた二つのチームや事業をより強化する包括的な役割を担う「マイスターヨーロッパ」だ。 「新しく会社を作った理由の一つは、ヨーロッパで経験を積んだサッカー選手が現地に残る選択肢を作りたいと思ったからです」と岡崎さんは説明する。  昨今は欧州リーグで戦う日本人選手は増えているものの、引退は日本で迎えるケースが圧倒的に多い。ネクストキャリアにおいても、帰国した方が解説者や指導者になれる可能性も高い。だが、貴重な海外経験が日本で上手く生かされていないことを長年課題に感じてきたと岡崎さんは吐露する。日本人選手が欧州でキャリアを築く一例として、自らが監督として一定の評価を得て他チームからオファーをもらうことを目指す。  これまで国内外において20人ほどの監督のもとで競技をしてきた岡崎さんは、中でも高校サッカー部時代の監督だった黒田和生さん(75)から受けた影響は大きいと振り返る。 「年齢関係なく挑戦し続ける姿や、コーチや生徒たちに自由にやらせる器の大きさを見て『こういう人間になりたい』と思っていました」  岡崎さんの人生において「挑戦」はキーワードだ。日本代表選手として50得点を記録、イングランド・プレミアリーグ所属のレスター・シティFC在籍時にリーグ優勝を果たすなど数々の偉業を達成しても、満足したことは一度もないと言い切る。 「目標を達成した瞬間に、新たな夢が生まれます」  常に先々のことを考えている岡崎さんが、車の運転中も考え事をしていた時のこと。うっかり道を間違えてしまった。「隣にいた妻から『今を生きて』と突っ込まれました」と苦笑いをする一面も。 「僕は人の縁に恵まれています。僕の思いに共感し、実現してくれる仲間がいたことが大きいですね。自身のキャリアに不安を感じたことはないです」  飽くなき向上心に突き動かされる岡崎さんの挑戦は、仲間と共にこれからも続いていく。(フリーランス記者・小野ヒデコ) ※AERA 2024年11月4日号  
愛子さま振袖姿で2回目の園遊会 皇族方の「並び」を超えてご一家の会話に思いを馳せてしまうワケ
愛子さま振袖姿で2回目の園遊会 皇族方の「並び」を超えてご一家の会話に思いを馳せてしまうワケ 秋の園遊会に臨む天皇、皇后両陛下と長女愛子さま、秋篠宮ご夫妻と次女佳子さま=2024年10月30日、東京・元赤坂   天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が30日、赤坂御苑(東京・元赤坂)で開かれた。4月に春の園遊会でデビューした両陛下の長女愛子さまにとって、今回は2回目。気になるのが、皇族の方たちの「並び順」だ。象徴天皇制に詳しい名古屋大学准教授の河西秀哉氏に話を聞いた。 *   *   *  園遊会当日のお昼前には、前日まで降り続いた冷たい雨がやみ、心地よい秋の日差しが降り注ぐ中開催された。  園遊会は天皇、皇后両陛下が主催し、各界の功労者たちと懇談する行事で、今回はやり投の北口榛花選手や柔道の阿部一二三選手など、パリオリンピック、パラリンピックの金メダリストのほか、建築家の隈研吾さんや、歌手で俳優の杉良太郎さんなど、約1400人が出席。  前日の雨に濡れた木々の緑がまぶしい赤坂御苑の小高い丘、三笠山に天皇、皇后両陛下がお立ちになり、続いて秋篠宮さま、紀子さま、そして、艶やかな桜色の振袖姿の愛子さま、その隣には佳子さまが並ばれた。  愛子さまが初めて園遊会に出席されたのは、今年4月23日に行われた春の園遊会。3月に学習院大学を卒業されたばかりの園遊会デビューは注目を集めた。  愛子さまが出席するようになって、立ち位置にも注目が集まった。愛子さまは、紀子さまの次、佳子さまの前に並ばれるが、象徴天皇制に詳しい名古屋大学准教授の河西秀哉氏は「このような順番になっています」と話す。   悠仁さま出席なら愛子さまより前 「天皇陛下と皇后雅子さまの後に、皇位継承順位1位で皇嗣の秋篠宮さまと皇嗣妃の紀子さま、天皇家の内親王である愛子さま、そして皇嗣家の内親王である佳子さまという順番です。これは皇室典範にある“身位(しんい)”通りの並び順です。  ご身位とは、日本の皇族の皇室内部での身分及び地位の差異を示す区分のこと。現代日本の皇室、皇族の身位は、天皇陛下、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の順です」    秋篠宮家の長男、悠仁さまは、9月6日に18歳の誕生日を迎え、成年に仲間入りされた。今回の園遊会には出席されなかったが、今後、ご出席される場合、このご身位からすると、「秋篠宮さまと紀子さまの間か、秋篠宮ご夫妻の隣か、いずれにしても愛子さまの前になります」と河西氏は付け加える。  ただ、ご身位は理解しても、園遊会という懇談の場で、天皇皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻、悠仁さま、愛子さま、佳子さま……とバラバラになるよりも、ご一家がそろわれたほうが会話も弾むのでは? とも思ってしまう。 秋の園遊会に臨む天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2024年10月30日午後1時50分、東京・元赤坂 JMPA   期待したい愛子さまのサポート 「ご身位自体は揺るぎのないもの」と前置きをしたあとで、河西氏は「必ずしもこの順番で並ぶということもないのでは」と話す。天皇陛下と皇后雅子さまと、その娘の愛子さまが並ぶメリットを、河西氏はこう説明する。 「愛子さまの母である雅子さまはお元気に園遊会に出席されていますが、体調は快復途上ではあるので、“母のサポート”という役割のもとでそばにいるのはいいのではないかと思います。そういう点からは、必ずしもご身位という規定に厳密に沿わなければならないというのはないのでは」  ご家族が並ぶことにより、懇談の場が和むことも期待される。  春の園遊会では招待者のひとり、現代芸術家の横尾忠則さんと雅子さまの「猫談義」が話題になった。続いた愛子さまも横尾さんと猫のお話しをされている。天皇陛下、雅子さま、そして愛子さまと横尾さんご夫妻の5人であったら、さらに猫談義に花が咲き、懇談の場も和んだのではないだろうか。  だが、ご家族単位での並びが実際に実現するかというと、「難しいのでは」と河西氏は話す。 「天皇陛下が“やりましょう”といえばご家族単位での並びになるでしょうが、そのような並び順にしてしまうと、皇嗣で弟の秋篠宮さまより、娘の愛子さまが上に見えてしまうことに気を遣われると思います。宮内庁も前例主義を採るのであえて変更はしないのではないでしょうか」  今回の秋の園遊会でも、天皇、皇后両陛下、そして愛子さまのお人柄がにじみ出る、終始笑顔に包まれた会話を楽しませてもらった。ご家族ではどんなやりとりをされているのか、園遊会のたびにそんなことにも思いを馳せてしまうのだ。(AERAdot.編集部・太田裕子) 【こちらも話題】 園遊会で皇后雅子さまのお着物に注目 袖には天皇家の「菊紋」と格調高い鳳凰の帯、愛子さまが幼い時期は「貝遊び」の柄行も https://dot.asahi.com/articles/-/238532

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