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義母の料理「手伝ったほうがよかったかも」不安に “義実家との付き合い方”正解あるのか
義母の料理「手伝ったほうがよかったかも」不安に “義実家との付き合い方”正解あるのか 写真はイメージです(写真:Getty Images)    年末年始、義実家で過ごす人にとって、義父母との付き合い方は頭の痛い問題だ。中でも悩みが発生しやすい場所は「台所」だろう。義実家でどう振る舞えばいいのか。AERA 2024年12月9日号より。 *  *  *  令和の時代は、かつてよりも義父母は優しくなっているようだ。嫁イビリをする義父母、泣く妻。わかりやすい不仲はそれほど見聞きしなくなったように感じる。 「昭和から平成の初めの20世紀は、嫁姑問題が社会問題でした。お嫁さんは『家風に合わせなさい』と厳しくしつけられ、嫌みを言われることがありました』」(くらし文化研究所主宰、作家・生活史研究家の阿古真理さん)  それが変わってきたのは、嫁姑問題を経験した60代以上が「自分と同じ目に遭わせたくない」と思う傾向にあるからという。だが、義父母といい関係を築けているように見えても、緊張が走る瞬間がある。義実家との間で「駆け引き」が起きる時だ。  東京都の30代の会社員女性は、この駆け引きが苦手だ。 「明るい義母ですが、怖いなって思った瞬間があったんです」  義実家で「手伝いましょうか」と伝えたが、「気にしなくていいから座ってて」と言われたので、お言葉に甘えてリビングで夫とアルバムを見てくつろいでいた。気づいたら、義母が料理を作ってくれていたので、「おいしそう!」と喜んだところ、視線を落とした義母に「無理しなくていいよ」と小声で言われた。 「本当は手伝ったほうがよかったかも」「私、だめなことをした?」と不安になった。義母の本音がつかめず、義実家が苦手になったという。 台所での悩みが多発  台所は悩みが発生しやすい場所だと、前出の阿古さんは言う。 「台所は主に使う人が便利なように、アイテム数が多い調理道具や食品類の置き場所が決まっています。しかし、特に台所の担い手が1人の場合、そのルールは他の人にはわからないことが多く、台所の担い手自身も自覚していないルールが多いので、他の人が使った場合にトラブルが生じやすいのです」 上の世代の価値観アップデート、コロナ禍に帰省しない期間が続いたことで、付き合い方はいまどうなっているのか(撮影/写真映像部・松永卓也)    料理に求めるものも違う。 「料理の仕上がりに美を求めるか、時短を求めるか、料理に向き合う姿勢は人によって違う」(阿古さん)  東京都の教育関係職の女性(48)は、料理するときに時短を心がけるが、義実家は違う。 「義母は料理上手で、義妹にはうちの料理の流儀がわかっていないと怒られます」  悩んだ結果、今は「手伝えることがあったら言ってください」と伝え、子どもたちと料理の配膳、片付けを率先して行うようにしているという。  別の会社員の女性(50)の場合は、年末年始になるといつも義母が夕飯を作ってくれていたが、あるとき「今年は買ったものを食べよう」ということになった。「義母に無理をさせていたかもしれないと後々思った」という。  悩むのは妻ばかりではない。埼玉県の会社員男性(30)も「食事の準備をどのくらい手伝うべきか悩む」とこぼす。別の会社員男性(32)は「自分の実家に帰省するとき、妻だけでなく、私もエプロンを持っていった方がいいんじゃないかと思っています」  義実家での自分の振る舞いが正解なのかわからず、実は自分のいないところで悪口を言われているんじゃないか、と疑心暗鬼になる人は多い。 ベストな立ち位置探る  阿古さんは、「本当の親子ではないから、義父母が何に喜び、不快に思うかわからないのが当たり前です。自分がダメだと思わないでください」とアドバイスする。そして、義父母にもタイプがあるとして、こう話す。 「自分の言葉の裏の意味を汲んでほしい人もいれば、直接伝えるタイプの人もいます。台所は人に荒らされたくないし、一人で料理したい人もいます。一方で昔と違って、体力が落ちて手伝いが必要になってきた義父母もいます」  義父母に、心配なことは聞き、嫌なことは伝えて、関係を深めていくしかないという。そうすれば、ここまでは甘えていい、ここは怒ってもいいと見えてくる、と阿古さんは考える。  もやもやしたり、気疲れしたり。義実家との距離感は頭の痛い問題だが、たまの帰省は視点を変えてみるチャンスでもある。  AERAが11月に実施したアンケートでは、コロナ禍を経て、数年ぶりに遠方の義実家に帰省したところ、「義父母の体が一回り小さくなっていた」「会える機会は限られていると気づき、積極的に帰省しようと思った」という声も寄せられた。年を重ねていく姿に、「宿泊を伴う帰省は義父母の負担になるからやめよう」と付き合い方を見直した人もいた。  義実家との付き合いに正解はない。 「仕事の人間関係はどこまで付き合うか条件が決まっていますし、仕事を成功させて利益を上げる目的もあり単純明快です。ですが、プライベートな家族との関係は、どこまでプライバシーを開示して、どのくらいの頻度で付き合うか、人によります。お互いのベストな立ち位置を探していきましょう」(阿古さん)  ベストな立ち位置を探る年末年始にしたいものだ。(編集部・井上有紀子) ※AERA 2024年12月9日号より抜粋  
お互いが専業主婦/夫を経験したことで感謝と理解が深まり、仕事が好きなことも再認識
お互いが専業主婦/夫を経験したことで感謝と理解が深まり、仕事が好きなことも再認識 荒木雄斗さん(右)、荒木 巴さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2024年12月9日号では、リストリクトの荒木雄斗さんとFBモーゲージの荒木巴さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫28歳、妻25歳で結婚。長女(1)と3人暮らし。 【出会いは?】夫の行きつけのバーで知り合い飲み仲間になり、交際に発展。 【結婚までの道のりは?】夫の転勤が決まったのを機に、「ついてきてほしい」とプロポーズ。 【家事や家計の分担は?】主に夫が朝、妻が夜の家事を担う。職業柄、夫は服をたたむのが得意。家計は妻が管理し、定期的に状況を共有。 夫 荒木雄斗[36]リストリクト 販売員 あらき・ゆうと◆1988年、群馬県前橋市生まれ。大学を卒業後、大手アパレルショップで販売員として勤務。他業種や専業主夫の経験を経て、2020年から現職。アパレルショップでの販売と新人教育を担う  彼女の料理がおいしいことに感動し、胃袋をわしづかみにされて結婚したのに、思いがけず僕が仕事を辞めてすべての家事を担った時期がありました。それまでも家事は分担していたつもりでいたけれど、自分の仕事がいかに雑だったか、そして自分には知らない家事が山ほどあることを思い知らされました。  何もせずにいると浴室の鏡はウロコ状態になることや、ゴミ箱も汚れることを初めて知りました。自分の知らないところで妻が頑張ってくれていたことに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。  お互いに専業主婦(夫)を経験したことで、互いへの感謝と理解が深まったし、自分は仕事が好きだったんだということも改めて気づくこともできました。今は共働きに戻り、家族も増えて分担すべきタスクは増えましたが、あの経験があったからこそうまく回せている気がします。  それでも食事だけは妻の手料理が食べたくて、任せてしまいます。いつも美味しいごはんをありがとう。 荒木雄斗さん(右)、荒木 巴さん(撮影/写真映像部・和仁貢介)   妻 荒木巴[33]FBモーゲージ 広報担当 あらき・ともえ◆1991年、兵庫県加東市生まれ。大学を卒業後、ウェディングプランナーとして勤務。結婚を機に退職し専業主婦の期間を経て、2017年にFBモーゲージに入社し営業担当。24年から現職、メディア対応などを担う  結婚と同時に夫の転勤についていくため仕事を辞め、専業主婦になりました。話ができる人もいない初めての土地で、家事だけを担う日々は私にとってとてもつらくて、新婚なのに夫婦げんかばかりしていました。  やっぱり私は仕事をしたい。再び夫が転勤になったのを機に働き始め、私にはこの生活が向いていると思えました。  そして今度は思いがけず、夫が専業主夫になることに。家のことをまったく気にしないで済む生活はとても新鮮。彼の家事スキルに不満がなかったわけではないけれど、家事を担ってくれるありがたさを思えば気になりません。独身時代のように仕事に集中できたのは、貴重な経験でした。  私は心配性で、いろんなことを思い詰めてしまいがちなので、夫の楽観的なところにいつも救われています。ひとりでいると考えすぎてしまうけれど、子どもが寝た後に夫とふたりで過ごすなにげない時間があることで、心を空っぽにしてリラックスできる気がしています。 (構成・森田悦子) ※AERA 2024年12月9日号
「日本は子どもを育てないのが最適解の社会?」 ひろゆき・ゆか夫妻が考える根本的な少子化対策
「日本は子どもを育てないのが最適解の社会?」 ひろゆき・ゆか夫妻が考える根本的な少子化対策    ひろゆきさんとゆかさんは、何もかもが合わないデコボコ夫婦。付き合い当初から喧嘩も絶えなかったそう。そんな経験をヒントに、渾身のアドバイスをお届けします。 *   *   *  前回の連載で、夜泣き対応をめぐって夫への憎しみが抑えられない妻へのアドバイスをした西村ゆか&ひろゆき夫妻。議論は続き、話題は少子化問題に。 (前編「『夫への憎しみを抑えられない』子育てで追い詰められた妻にひろゆき・ゆか夫妻が助言した、離婚する前にすべきたった一つのこと」はこちら)   男女は願望が異なる ゆか「育児の皺寄せや課題解決の負担が女性に行きやすい現状踏まえて、“男性に向けて”ひろゆき君が提言できることって何か思いつく?」 ひろ「男性側だから男性が提言して、女性側だから女性が提言するみたいなのは良くないと思ったり。んで、さらにそれを男性側とか女性側とか対立してるかのように役割を決めてるのも違うと思う」  ゆか「対立ではなく、『妊娠・出産以外のことは男女どっちがやってもいいよね?』に対して『そうだよね』じゃない理由があるの?という純粋な疑問。例えば、私は男性じゃないので、男女どちらでもできると思っていても『ここは実際難しいよ』という想像が及んでいない可能性がある。なので、『男性視点からはどう?』と聞いているわけ」 ひろ「一般論で言うなら、実際に男性と女性が接するので子供の対応は変わることが多い。『どっちがやっても一緒』が成立したとするなら、男性しかいない社会で育った子供と、女性しか居ない社会で育った子供が同じように育って同じように考えるのか?ってことになる。  個人的には、フランスほどの“行き過ぎた”男女平等は、果たして正しいのか?というのは、疑問に思うこともある」   ゆかさん&ひろゆきさんの日々が描かれたコミックエッセイ『だんな様はひろゆき』(原作:西村ゆか、作画:wako)は6万部突破!   ゆか「その辺突き詰めると、男性は頑張って外で稼いで女性が育てる昔の形に戻る論を想像するけど、終身雇用制が崩れて、男性が家計の中身を担うことが難しくなり、かつ核家族化で『社会で育てる』も出来ない状態だと、どうするのかなぁと」 ひろ「だから先進国は押し並べて少子化になってる。両親やシングルで子供を育てるのはコストが高すぎるので、『子供を育てない』が最適解になる」 ゆか「時間のある金持ちしか、子どもが持てないことになっちゃうね」 ひろ「現状の日本だと男性の収入と婚姻率は相関してるので、そうなってるね。んで、女性の収入と婚姻率はそこまで相関しない。高収入になると婚姻率が下がる。男性は下方婚をするけど、女性はしない。  結局、男女は願望が違うんだよね。同じ願望を持ってるわけではないので、『平等に入れ替えても上手くいくよね?』と思ったら、そうでもない、ってのが最近では分かったことなんじゃないかな」 ゆか「以前、別の悩み相談で取り扱った「家庭では平等より公平を目指そう」 につながる話でもあるね。先ほど『行き過ぎた男女平等は果たして正しいのか?』と言ってたけど、『正しくないのではないか? 昔のように男が稼いで女が育てる社会に戻った方が良いのでは?』という意見として、その状態が成立するのって大黒柱になれる男性だけで、男性が主として家計を担うことが難しくなり、かつ、社会で育てることも出来なくなった現状だと不可能じゃない?」 ひろ「人類は、社会主義を理想だと思ってやってみて上手くいかないとか、終身雇用をやってみて上手くいかないとか、社会システムは試行錯誤し続けてるんだよね。古いものが必ず正しいと言ってるわけではなくて、核家族と一夫一婦制のコンビネーションが上手くいかないのは、そろそろわかってきたという話だと思ってる」 ゆか「既に子がいる状態での、育児負担の軽減方法が課題だったけど、結婚と少子化問題にまで話が広がったね」 ひろ「部屋が汚い時に、どちらが根負けして掃除をし始めるのか?って議論があるじゃん。子供の不調を見た時に、根負けして世話をするのはどちらか?をやると、女性が根負けする率が男女平等のフランスでも高い」   ゆか「対して、男性が根負けするケースは?」 ひろ「性欲」 ゆか「また救いようのない回答だね」 ひろ「あとは争い事。リターンが大きいけどリスクも大きい作業。力仕事」   悪いのは自分じゃなくて社会かも ゆか「収入があまり多くないけど、子供欲しい男性はどうするといいと思う?」 ひろ「『稼げる女性と結婚すればいい』が一般的に言われるけど、日本では稼げる女性は下方婚しないんだよね。同じくらいの経済力のパートナーと、社会福祉を使いながら暮らすのが良いのではないかと思ってるおいら」 ゆか「自分の周りでも、経済力が近いパートナー同士は、うまくいってる人が多いかも。前半は、女性も大黒柱になる覚悟持って、男性も主夫になるメンタルを養え、みたいな話?」 ひろ「違う。やりたくないことはやらなくていい。それを補う社会的システムが出来れば解決すると思ってる」 ゆか「ここでの『やりたくない』は、自分にとって不得意・苦手なことって意味かね」 ひろ「そそ。個人が、個人の欲望を追求しても成立する社会システムになってればいい」 ゆか「具体的には? 例えば、教育無償化などは生まれてから少し先の話なので、結婚して子を持っても、なんとかなりそうだと思える。一方で、産後まもなくから未就学児の間の社会システムについてはどうだろう」 ひろ「中国のモソ族のように、生まれた家で一生暮らす。夫は夜に来て朝に帰る。お互いの相性が悪かったら、通い婚は終わる。妻が生んだ子供は、祖母、姉妹、兄弟が家族で育てる。妻が稼いでたら、問題なく成立する」 ゆか「知人の台湾人から『離婚率が高いから女性はキャリアを捨てないで、子供はその親がみる』って話は聞いたことがあるな」 ひろ「今の日本でも法的には可能。文化的に許容しない人はいるかもだけど、そういう家族が増えてくれば、モソ族タイプの結婚でもいいし、はたまた核家族でもいいし、昭和的大家族でもいいし、好きなタイプを選べばいい。という社会になる可能性も、ある。その方が、幸福になる人数は増えると思う」 ゆか「現状からいきなりその状態になるのは中々想像できないけど、社会システムは移り変わるものだから、次の100年でどうなっているのかは、確かにあらゆる可能性があるね」   ひろ「モソ族タイプの結婚だと、男性の収入は関係ない。核家族もバブル時代から始まったわけで、長いわけじゃないし、日本は大家族の方が歴史が長い」 ゆか「現状のシステムを維持する前提で、不平等や不公平を語るから詰んでしまうし、男女の分断という流れになりがちだけど、そうやって考えるとまだ道はあるね」 ひろ「実質的な一夫多妻制を日本でやってる人もいるしね」 ゆか「それこそ現行の婚姻制度にとらわれないなら、一夫多妻も一妻多夫も成り立つね。嫡出子でも非嫡出子でも、認知していれば子どもへの遺産は残せる。  事実婚を選ぶ人も既にいるし、日本ではまだ認められていないけれど、同性婚で養子を育てるという選択肢も出てくる。フランスでは、事実婚も同性婚も既にあるけど」 ひろ「日本の事実婚だと(配偶者への)遺産相続の遺留分がないとか、家族じゃないから面会出来ないとかがあるから、フランスのPACs(異性・同性間でのパートナーシップ制度)ほど都合良くないけどね。  結局、令和の核家族結婚とか、社会システムが悪いんだから、自分は悪くないって考えたほうが人生楽になるし、与えられた環境が合わないなら環境を替えちゃえばいいとか、気楽に立ち向かえると思うんだよね」 ゆか「自分が悪くないって考えられるのも、環境変えようって思えるのも、元気あってこそだよね。前回の質問者さんは、ワンオペの夜泣き対応で苦しんでいたわけだけど、突然変わるわけではない今のシステムで、まずは楽になる手段を活用して、少しでも追い詰められる状況を減らして欲しいな」 ひろ「日本は社会福祉がきちんとしてるから、とりあえず頼っちゃうってのを心の片隅に入れといたほうがいいような」 ゆか「自分が全部背負わなきゃ、って思うとしんどいもんね」 ひろ「余裕が出来たら納税して返せばいいので」     【お悩みを募集中!】 連載「西村ゆか&ひろゆきの夫婦のトリセツ」では、夫婦・パートナーにまつわるお悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム から!(https://publications.asahi.com/feature/nishimura/)   西村ゆか/Webディレクター。東京北区出身。インターキュー株式会社(現GMOインターネットグループ株式会社)、ヤフー株式会社を経て独立。2015年よりフランス移住。著書に『だんな様はひろゆき』(wakoとの共著、朝日新聞出版)、『転んで起きて』(徳間書店)がある。 ひろゆき/1976年、東京都生まれ。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。主な著書に、『論破力』(朝日新書)、『1%の努力』(ダイヤモンド社)などがある。   【こちらも話題】 深夜に大音量でゲームを始め、飛び起きた私に「耳栓したら?」 ひろゆきとの夫婦喧嘩の仲直りのルール 西村ゆか&ひろゆきの夫婦のトリセツ https://dot.asahi.com/articles/-/231832      
止まぬ電話とスマホの通知音でパニックに 一本の記事が老舗「鯱もなか」大ブレイクを演出した  
止まぬ電話とスマホの通知音でパニックに 一本の記事が老舗「鯱もなか」大ブレイクを演出した   名古屋城と鯱もなか  名古屋の銘菓の復興を大きく後押ししたのは、若夫婦の頑張りを紹介するYahoo掲載の記事だった。殺到する注文と激励の書き込みで廃業寸前だった老舗は一気に息を吹き返す。「鯱もなか」を経営する古田憲司氏の著書「鯱もなかの逆襲」(ワン・バブリッシング)から一部抜粋し、紹介する。   ***    元祖 鯱もなか本店が感謝してもしきれないほどお世話になったキーパーソン“名古屋ネタライター”大竹敏之さん。何を隠そう、「鯱もなか」が大バズリしたきっかけであるYahoo!ニュースの記事を書いてくださった張本人です。僕がもともと大竹さんの大ファンで、偶然参加したイベントでご挨拶をしたことからご縁が生まれました。  2021年9月。熟考を重ねて作成したプレスリリースを思いつく限りのメディアに送ってみたものの、なかなか思うような反応はありませんでした。そこで浮かんだのが、大竹さんでした。さまざまな媒体で記事を書かれている大竹さんなら、懇意にしているメディア担当者を紹介してくれるかもしれない。一方的でわがままな申し出とわかっていましたが、一縷の望みを託して大竹さんにメッセージを送りました。  すると驚いたことに、その日のうちに返信があり、翌日にはお店を取材してもらえることになりました。まさかの急展開。このときのことを大竹さんは次のように語ってくれました。 「届いたメッセージを見たら、ものすごい心意気じゃないですか。古田さんは不動産業もやられていたと聞いていましたから、ほかにもっと利益を出すビジネスを知っているだろうに……、なんて(笑)。和菓子屋を営むことは、相当大変ですよ。それでも跡を継ぐと決めた。ただ想いが先走っているわけではなくて、いろいろと計画的に取り組んでいることもプレスリリースを読んでわかったので、ぜひ私に取材させてよ! 連載しているYahoo!ニュース』で記事を書くよ! とお返事しました」 「仕事柄、名古屋の和菓子屋をはじめ、喫茶店、居酒屋、うどん屋などの飲食店とも広くお付き合いがありますが、後継者が見つからず悩んでいるお店が本当に多いんです。売上減に苦しんでいるケースもあるけれど、売れていないわけじゃないのに、跡継ぎがいないために店を閉めざるを得なかったケースも多々見てきました。だからこそ、古田さん夫妻の事例を取り上げることで、同じように後継者問題に直面している人たちを応援できるんじゃないかと思ったんです」  こうして、まさかの『Yahoo!ニュース』記事の取材を受けることになりました。   想像以上の反響  2021年9月11日午後5時過ぎ。  大竹さんから、夕方頃に記事が公開になると聞いていた僕が「そろそろかな?」とスマホを手にした瞬間、店の電話が鳴り出しました。  他のスタッフが電話応対をしていると、今度は同じ店内にいた妻のスマホが「チャリ~ン」「チャリ~ン」と慌ただしく鳴り始めました。じつはこの音、オンラインショップで注文が入った際に通知音が鳴るよう設定していたもの。  つまり、立て続けにオンラインショップで商品が売れているということです。もしかしたら、いや、きっと、記事を見た人から「鯱もなか」の注文がどんどん入っているに違いない。 「こんなに連続して通知が来ることなんて、いままでなかったね。やっぱり大竹さんの記事の効果はすごいね!」  切れ目なくかかってくる電話の対応に追われながらも、このときの僕らにはまだそんな会話ができるくらいの余裕がありました。  日付が変わって、9月12日の0時半過ぎ。  スマホの通知音は、鳴りやむどころか、さらに鳴る頻度が高まっていきます。妻は先に休んでいたので、僕は「ついに『鯱もなか』フィーバーが来た!」と一人祝杯を上げようとしていたとき、グループチャットにメッセージが届きました。 「Yahoo!のトップにうちの記事が載っています‼」  慌ててスマホで確認すると、確かに『Yahoo! ニュース』トップページのトピックスに、「鯱もなか」の記事のタイトルが! 思わずその場で「えっ!」と叫んでしまい、寝ていた妻を起こしてしまったのも仕方のないことでしょう。  『Yahoo! ニュース』に掲載された記事の中から、編集部が主要トピックにふさわしいと判断した記事がトップページに掲載されるようで、記事公開からトップページに上がるまでタイムラグがあったのは、このためだそうです。  ちなみに記事が公開された9月11日は、アメリカで起きた同時多発テロからちょうど20年目にあたる日。テロ関連のニュースが並ぶなかで、廃業寸前の和菓子屋の記事はひときわ異彩を放っていたように感じました。   注文殺到! 一番人気は「鯱セット」  そしてここから、息つく暇もないほど怒涛の展開が始まりました。  あまりの注文数に、通常ご案内している「注文後2~3日で商品発送」では確実に間に合わないため、到着遅延のお知らせを記載してもらうよう、ホームページ制作会社に連絡。せっかくのチャンスなので、クチコミやレビューが書き込める機能も実装できるように依頼しました。  記事の公開からわずか一晩で、公式LINEの登録者数は一気に300人以上増加しました。発送遅延のお知らせを一斉配信しようとするも、現状の契約プランではメッセージが送れない事実が発覚したため、至急プランをグレードアップ。公式LINEや代表メールアドレスに続々と届く激励メッセージの返信対応にも追われることになりました。  加えて、記事公開の翌日から3日間、僕には東京出張の予定が入っていたため、店は人手が足らず大パニックに。バズが来たときに備えて、あらゆる準備をしていたつもりでしたが、やはり起こってみないとわからないこともあるものですね。  このとき、オンラインショップで1000件近い注文があった商品こそが、サイトのトップに表示されるよう設定していた「鯱セット」でした。『Yahoo! ニュース』の記事を読んで「鯱もなか」に興味を持ってくれた人がオンラインショップを訪れ、吸い込まれるように「鯱セット」を購入……、まさに狙い通りの展開になったのです。  ちなみに、「鯱セット」は送料を抑えるため、集荷サービスのないクリックポスト(郵便ポストから発送できる日本郵便のサービス)を利用していたので、郵便局に持ち込むかポストに投函する必要がありました。日中は製造と梱包で手一杯だったため、1週間にわたって毎晩大量の荷物を車に詰め込み、名古屋市内の大きな郵便局をはしごしてポストに投函し続けたことは、いまでも忘れられません。不審者扱いされなくて本当に良かった(笑)。   取材依頼が殺到。カギはプレスリリース  記事がバズったことをきっかけに、メディアからの問い合わせや取材依頼がどんどんと舞い込むようになりました。現在でも定期的に取材を受けますが、やはり『Yahoo!ニュース』に記事が掲載されてからの半年間ほどは破竹の勢いでした。  地元名古屋のテレビ局やラジオ局、新聞社、出版社、WEBメディアだけでなく、全国放送のキー局の番組からも取材オファーが来るようになりました。正確に数えてはいませんが、軽く100件を超えるメディアからご連絡をいただいたと記憶しています。  元祖 鯱もなか本店に興味を持ってくださっただけでも光栄なことでしたが、もっとうれしいことがありました。それは、僕たちが発信したプレスリリースが非常に参考になったと皆さん口を揃えておっしゃってくれたことです。資料が手元にあったことで、復活劇の経緯がつかみやすく、原稿が書きやすかったとのこと。  やはり、僕の考えた戦略は間違っていなかったのだと確信した瞬間でした。事前に蒔いておいた種は、ちゃんと芽を出してくれたのです。   名古屋城= 金のしゃちほこ=「鯱もなか」  名古屋駅のキヨスクをはじめ、主要売店での場所取り合戦はまさに戦国時代のようですが、じつはすでに「鯱もなか」が天下を治めつつある場所があります。名古屋城です。  現在、正門横売店と天守閣下売店の2か所では「レモンケーキ」や「鯱サブレー」といった「鯱もなか」以外の商品の取り扱いもあり、ありがたいことに、名古屋城売店人気ランキング・ナンバーワンの称号をいただいております。  スタッフの方お手製のPOPや、SKE48中坂さんがレモンケーキを食べている写真、サインなどがディスプレイされていて、広くて目立つスペースに置いてもらっており、非常によく売れているのです。名古屋城=金のしゃちほこのイメージなので、鯱関連の商品は強いのでしょう。  また、毎朝、納品のために僕自身が名古屋城に足を運んでおり、名古屋城正門の看板の写真とともに、「名古屋城へレッツゴーです」と投稿することがルーティンになっていて、フォロワーさんやほかの企業公式さんも、名古屋城に行くたびに同じ投稿をしてくれます。  名古屋城を建て、天下統一を果たした徳川家康のように、「鯱もなか」も天下をとります! 【こちらも話題】 廃業寸前の老舗「鯱もなか」はコロナ禍で息を吹き返した 先代苦渋の決断に娘夫婦が待ったを掛ける https://dot.asahi.com/articles/-/241433 【こちらも話題】 「鯱もなか本店には価値がない」突きつけられた債務超過を克服したのはSNSの駆使だった https://dot.asahi.com/articles/-/241434
愛子さま23歳 皇室での存在感の高まりに「雅子さまのサポート」も期待 初の公式海外訪問は来年?
愛子さま23歳 皇室での存在感の高まりに「雅子さまのサポート」も期待 初の公式海外訪問は来年? 国スポの陸上競技を観戦する天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。初めてのおひとりでの地方公務だったが、終始堂々とされていた=2024年10月11日、佐賀市のSAGAスタジアム  12月1日、天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまの23歳の誕生日を迎えられた。今春に学習院大学を卒業して社会人デビューし、日本赤十字社での勤務やおひとりでの地方公務など、「初めて」づくしの1年だった。皇室での存在感を、どんどん高めている愛子さま。愛子さまが生まれた2001年から皇室番組の放送作家を務めるつげのり子氏は、来年には初めての海外訪問もあるのではないかと期待する。 *   *   *  今年は、愛子さまについて伝えるニュース記事の多くに「初めての」「初」という言葉が添えられた一年だった。  例えば、2月9日にはケニアのルト大統領夫妻を招いた昼食会(午餐)が開催され、愛子さまは宮中での食事を伴う公式行事に初めて出席。「宮中午餐デビュー」として注目を集めた。当日に体調を崩した秋篠宮妃紀子さまに替わって急遽出席されたにもかかわらず、堂々とした立ち振る舞いだった。 ケニアのルト大統領夫妻との午餐(ごさん)に臨む皇后さまと天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=24年2月9日、皇居・宮殿「連翠」  愛子さまが生まれた2001年から皇室番組の放送作家を務めるつげのり子氏は、 「初めてづくしで、愛子さまにとって今年は大きな変化の年でした」  と振り返る。  そんな1年を経て、皇室での存在感を高めてきた愛子さまに対して、つげ氏はこれから期待することとして、「雅子さまのサポート」を挙げる。 「雅子さまを補佐するような役割で、皇室としての役割をますます果たしていっていただきたいと願っています」   愛子さま初めての海外訪問は?  愛子さまの「初めて」は、今後も出てきそうだ。  例えば、「初」の海外公式訪問。つげ氏は「来年の可能性も大いにある」と話す。その訪問先になりそうな国のひとつが「ブラジル」だ。 「来年2025年は、日本とブラジルの外交樹立130周年の節目の年。1982年には陛下、88年には秋篠宮さまがそれぞれブラジルに訪問されています。天皇陛下の妹・紀宮さま(黒田清子さん)の初めての公式海外訪問先もブラジルでした。  上皇さまは皇太子時代から、美智子さまとブラジルを訪問されており、心を寄せられてきました。ブラジルは、日本から渡った日系人たちが苦労の末、活躍した土地です。来年3月には、ブラジル大統領夫妻が国賓として来日することが調整されています」  また、つげ氏はブラジルの後、愛子さまにはアフリカを訪問してほしいと考えている。皇室のアフリカ訪問は、ここ10年ほど途絶えているからだという。 「皇室の方がアフリカに訪問されるのは、2014年の秋篠宮ご夫妻がザンビア、タンザニアに訪問されてから途絶えています。2月にケニア大統領夫妻が来日し、そのときの宮中午餐に愛子さまも参加されています。来年の訪問はかなわないかもしれないですが、何年後かに愛子さまが訪問されることを期待しています」 佐賀空港を出発する天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。初めてのおひとりでの地方公務を経験された=2024年10月12日、佐賀市   これからも愛子さまらしく  そして、愛子さまの「初めて」で忘れてはならないのは、能登半島地震の被災地訪問だ。つげ氏も「愛子さまにとって、今年残された課題だったのではないでしょうか」と言う。  愛子さまは今年9月28日から1泊2日の予定で能登半島地震の被災地を訪れる予定だったが、石川県の能登地方での豪雨災害によって取りやめになった。 「来年、訪問することができる状況になったら、いの一番に能登半島の被災地に訪問されると思います」  とつげ氏は言う。    しばらくは、愛子さまの「初めて」が続きそうだが、つげ氏は今まで以上に「愛子さまらしく」を期待する。 「来年、皇室における大きな出来事のひとつとして、悠仁さまが筑波大学付属高校を卒業され、成年の記者会見があるはずです。そうすると、成年皇族として、愛子さまと悠仁さまを比較する話題も多くなってくるかと思います。  また、『愛子さまを天皇に』という世論の高まりがあるのも事実なので、そういった声を気にせずに、愛子さまにはどんどん前に出ていっていただきたいです。これまで通り、愛子さまは愛子さまらしくやっていただけたらと思っています」 (AERA dot.編集部・太田裕子) ◎つげのり子/放送作家。ノンフィクション作家。西武文理大学非常勤講師。日本メディア学会会員。2001年の愛子さまご誕生以来皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。
愛子さまと佳子さま「ペア公務」を宮内庁がインスタでアピール 「愛子さま効果」と「トラウマ」の克服
愛子さまと佳子さま「ペア公務」を宮内庁がインスタでアピール 「愛子さま効果」と「トラウマ」の克服 文化勲章受章者、文化功労者らを招いての皇居での茶会。愛子さまと佳子さまは隣に座って「ペア」で公務に臨み、息の合ったご様子=2024年11月、皇居・宮殿「連翠」    天皇、皇后両陛下の長女愛子さまと、秋篠宮家の次女佳子さまのおふたりの「ペア公務」が注目されている。開設から約8カ月になる宮内庁のインスタグラムは、これまで天皇ご一家の投稿が中心だったが、おふたりの「ペアショット」の動画も投稿されるようになった。12月にそれぞれ誕生日を迎え、皇室での存在感を増しているおふたり。宮内庁がおふたりの「ペアショット」を発信する理由は――。 *   *   *  宮内庁のインスタグラムに「変化」が見られたのは、秋の園遊会の後だった。  園遊会の翌日に、赤坂御苑の小高い丘である三笠山で、顔を見合わせて微笑みながら会話をする愛子さまと佳子さまの様子を撮影した動画がアップされた。  さらに、11月5日の文化勲章の受章者らを招いての皇居でのお茶会。両陛下を中心としつつも、愛子さまと佳子さまが同じテーブルに座り、笑顔で招待者と交流する「ペア公務」の動画が、即日アップされたのだ。  また、三笠宮妃百合子さまが亡くなられたことで中止になったものの、11月19日に32カ国の駐日大使を招いて開催される「鴨場接待」に、愛子さまと佳子さまがそろって出席されることが予定されていた。  これまでの宮内庁のインスタグラムの「傾向」から、愛子さまと佳子さまが「ペア」で接待を務める映像が投稿されるだろうと見られていた。    しかし、佳子さまにスポットを当てた投稿が、開設以来ほとんどされてこなかった宮内庁のインスタグラム。何が起きたのか。   2024年の秋の園遊会翌日には宮内庁インスタに、愛子さまと佳子さまの仲睦まじい「ペアショット」の動画が投稿された=宮内庁インスタより   佳子さまが登場しなかった宮内庁インスタ  宮内庁が4月にインスタグラムの運用を始めて8カ月。フォロワー数は180万人と順調に増えており、「官公庁のSNSとしては、かなり上手くいっている」とITジャーナリストの三上洋さんは話す。  宮内庁のインスタグラムでの発信は、天皇陛下と皇后雅子さまの公務を中心に、ご静養などでは愛子さまを含めた投稿が続いてきた。     2024年の春の園遊会で、招待者へのお声がけに備えて待機する間、愛子さまと佳子さまは楽しそうに言葉を交わしていた。この時期はまだ、宮内庁インスタにもおふたりの息のあった「ペアショット」は登場していない=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、JMPA    宮内庁は、「天皇ご一家専用と決まっているわけではない」としつつも、他の皇族についての投稿がない状況については、「情報発信等の状況を分析するなどし、改めて検討していく」とする姿勢にとどまっていた。  三上さんも、「投稿が天皇ご一家のものに限られており、他の皇族に関する投稿が宮殿や皇室行事以外ではないのが残念」、と話す。  公務の多い秋篠宮ご夫妻、美術の研究者としても知られメディアにも頻繁に登場している三笠宮家の彬子さま、根強いファンが多い高円宮久子さまなど、天皇ご一家以外の皇族についての写真や情報を期待する声は、SNSなどでも少なくなかった。 「なかでも佳子さまは、昨年11月の南米に続いて今年6月にはギリシャを公式訪問している。若い世代からの人気も高く、佳子さまが着用した服はSNSで話題になって完売になるほどで、皇族のなかでもインスタグラムとの親和性は高い。にもかかわらず、佳子さまを中心に撮影した画像、動画がないのは気になります」  と、三上さん。   秋篠宮家の「トラウマ」  皇室の事情に詳しい人物によれば、秋篠宮家に関する投稿がなされなかった背景には、過去の「トラウマ」が影響しているという。  宮内庁は秋篠宮家に向けられる世間の視線に神経を尖らせており、また秋篠宮家自身も関する投稿についても積極的ではなかったようだ。 「表向きの理由としては、秋篠宮家には対応する人手も時間もない、というものです。宮内庁公式インスタグラムに秋篠宮家の投稿をするとなれば、投稿する写真や動画の撮影や編集、選定にも手間がかかるのも確かです」(前出の人物)    秋篠宮家に関する発信を消極的にさせていたのは、昨年11月、南米ペルーのマチュピチュ遺跡を訪問した佳子さまが、 「この場に立って見てみると、おー、という感じがすごくします。何かこう、素敵なこう、空気を感じます」  と口にした感想に対して、「表現力や語彙力が不足している」といった批判がネット上に広がった一件だった。前出の関係者はこう話す。 「宮内庁はこの件がかなりトラウマになっているようで、ギリシャで同じことを繰り返すまいと、佳子さまの感想や受け答えについては同行した職員らも終始ピリピリしたムードで対応にあたっていました」   宮内庁インスタに即日投稿された、愛子さまと佳子さまの「ペア公務」の様子が映されたリール動画=宮内庁インスタより   愛子さまと佳子さま「ペアショット」の効果  一方で、公務の機会が多く、注目度も高いにもかかわらず、インスタグラムで佳子さまについての投稿がないのは不自然、という報道もなされていた。  その解決策が、愛子さまと佳子さまの「ペア公務」の発信であり、投稿に対してどのような反応があるか確認する意味合いもあったのではないかと、前出の人物は話す。 「愛子さまと佳子さまがペアになって公務に取り組むのは、ご年齢とご経験の面でもちょうどよい。何より、愛子さまとご一緒ならば批判も起こりにくいというメリットもある。  お茶会や鴨場接待のように、おふたりがペアを組む機会は、これから増えていくでしょう」   約70万の「いいね」がついたのは、長靴を履いた愛子さまが5月の御料牧場でタケノコ堀りをする「奇跡」のショット。プライベート感が伝わるカメラ目線の愛子さまは皇室ではレアショットだ=宮内庁インスタより   カメラ目線の愛子さま  前出の三上さんは、宮内庁のSNS戦略は、官公庁のSNSのなかでもかなり上手くいっている、と話す。 「たとえば、69万の『いいね』がついた、ご静養中の天皇ご一家を写した投稿などは、カメラ目線の愛子さまや雅子さまとのツーショットなど、SNS向きの写真をチョイスしており、国民が『へえ』と思うような投稿ができていると思います」  他方、仮に宮内庁が秋篠宮家への批判的な反応を恐れているならば、そのような状況だからこそ、インスタグラムに佳子さまの投稿を出すべきだ、と考えている。 「メディアを介さずにストレートに人びとに発信できるのが、SNSの最大のメリットです。特に宮内庁のインスタグラムは海外王室のインスタグラムと異なり、コメント欄も閉鎖されていますから、フォロワーの反応に振り回されることもありません」  宮内庁は、人びとの顔色をうかがっていてはダメだと、三上さんは言う。 「宮内庁や皇室が、自分たちの方針に沿って投稿をし続けることで、人びとの受け止め方も変わってくる。そこにSNSを運用する意味があります」  皇室との国民の「絆」の深め方も、変化する時代とともに変わらざるをえない。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 愛子さまと佳子さま 息ぴったり!のご公務と「紅白コーデ」 園遊会で雅子さまが「振り返らなかった」理由とは? https://dot.asahi.com/articles/-/239390    
折田楓氏より前に斎藤知事から「助けてください」と懇願された選挙コンサルタントの後悔 「こんなことなら私がやればよかった」
折田楓氏より前に斎藤知事から「助けてください」と懇願された選挙コンサルタントの後悔 「こんなことなら私がやればよかった」 折田楓氏(noteより)    兵庫県知事選で再選を果たした斎藤元彦知事(47)に降って湧いた「公職選挙法違反疑惑」は、いまだに収まる気配がない。発端はPR会社「merchu」代表の折田楓氏(33)が「note」にアップした記事だった。記事は、斎藤氏が同社に知事選での広報戦略全般を“仕事として”依頼したように読める内容だったが、騒動になると折田氏は記事の一部を書き換え、Facebookの投稿をすべて削除した。斎藤氏側も「ボランティアという認識だった」と弁明した。実は、斎藤氏は折田氏に接触する前、別の選挙コンサルタントに「助けてください」と依頼していた。なぜここまで騒動が大きくなってしまったのか。当該の選挙コンサルタントが今回の「問題点」を語った。 *  *  * 「私はひとりぼっちで街頭に立ちます。応援してくれませんか。助けてください」  今年9月末、斎藤氏から電話でこう懇願されたのは、選挙コンサルタントの藤川晋之助氏だ。藤川氏はSNS戦略を駆使して7月の東京都知事選で善戦した石丸伸二氏の選挙参謀を務めるなど、選挙のプロとして名が知られる人物だ。藤川氏はこう振り返る。 「最初に接触があったのは、斎藤さんが初めて街頭に立つ前でした。斎藤さんも頼る人がいなかったのでしょう。私の知り合いの大学教授を通じて、『斎藤さんが困っているので助けてあげてほしい。電話させていいですか』という相談があったんです。私が承諾すると、すぐに斎藤さん本人から電話がかかってきました」  当時の斎藤氏は、パワハラ疑惑などで県議会による不信任決議が可決されたことで失職、裸一貫で出直し選挙に臨もうとしている時だった。まだ世論も味方につけておらず、孤独な戦いを挑むことに不安も大きかったのだろう。 「ほそぼそとした声で、大丈夫かなと思いました。私は『しっかりしてください。あなたは全然悪くないから、大丈夫。同情するわけではないが、あなたのことをパワハラだと言うなら、私だってパワハラの10乗くらいになりますから』などと冗談を言って、私なりに元気づけようとしました」  しかし、この時期は兵庫県知事選に日本維新の会の前参院議員の清水貴之氏が出馬することが取り沙汰されており、藤川氏も“斎藤支援”を約束できる状況ではなかった。 「私も東京維新の会の事務局長を務めた経験がありますので、清水さんが出るとなれば浮世の義理があります。斎藤さんには『清水さんが出馬する場合は、表立って応援できないから』と答えました」 斎藤知事と写る折田楓氏(noteより)   まさかシロウト同然のPR会社に頼るとは…  結局、清水氏は出馬することになり、斎藤氏からの依頼は断ることにしたという。  このエピソードからもわかるように、斎藤氏は9月末の時点で、自分を助けてくれる選挙プランナーをいろいろと探していたようだ。そこで接触していたのが、PR会社「merchu(メルチュ)」の折田楓社長だった。  斎藤氏の代理人が11月27日の記者会見で語ったところによると、折田氏夫妻と会い、同社事務所を訪れて打ち合わせをしたのは9月29日とのこと。藤川氏に電話があったのは、その前だった。 「私としては、まさか選挙のシロウト同然のPR会社のキラキラ社長に頼るとは思いもしませんでした。結局、こんなつまらないことで足を引っ張られるのであれば、私が(広報戦略を)やってあげれば良かったと思っています」(藤川氏)  折田氏が今回の騒動となる記事をnoteに投稿をしたのは11月20日のこと。「兵庫県知事選における戦略的広報」と題した記事で、「広報全般を任せていただいていた立場として、まとめを残しておきたいと思います」と書き記し、こうつづっている。 <兵庫県庁での複数の会議に広報PRの有識者として出席しているため、元々斎藤さんとは面識がありましたが、まさか本当に弊社オフィスに起こしくださるとは思っていなかったので、とても嬉しかったです>(現在はnoteから削除)  そして、テーブルを囲む斎藤氏と折田氏、スタッフと思われる数人との写真を掲載していた。  また折田氏は「ご本人のSNSとは別に」4つのアカウントを立ち上げ、「私のキャパシティとしても期間中全神経を研ぎ澄ましながら管理・監修できるアカウント数はこの4つが限界でした」とも記している。  こうした折田氏の投稿は瞬く間に“炎上”。公職選挙法が禁じる「インターネットを利用した選挙運動の対価としての報酬支払い」に該当するのではないかと指摘され、SNSなどで批判が殺到した。  これに対して、斎藤氏の代理人は「(斎藤氏は)SNSの利用についての説明を受けた」が「広報全般を任せたというのは事実ではない」とし、「金銭はポスター、チラシ代など5項目についての71万5000円以外一切ありません」と会見で説明したが、折田氏の投稿とは食い違っている点が少なくない。 選挙コンサルタントの藤川晋之助氏(撮影/上田耕司)   選挙プランナーは「私が全部やった」なんて言わない  一連の投稿について、藤川氏はこう嘆く。 「選挙プランナーは、選挙後に『私が全部やりました』なんていう発言は絶対にしません。何か聞かれても『私はあまりお役に立てていません』と言うものです。それなのに、彼女(折田氏)は自己顕示欲が爆発し、承認欲求を満たそうとしてしまった。これが最大の失敗です。彼女は企業のPRには慣れているかもしれませんが、選挙に携わってきた人ではない。体質が違うんですよ。公職選挙法はとてもややこしくて複雑ですが、そういうことを知らないで発言していたのでしょう」  折田氏は斎藤氏の選挙カーに同乗したり、選挙期間中は斎藤氏にずっと帯同していたとされている。こうした折田氏の動きに関して、藤川氏はこう話す。 「会社の役員や取締役は特別職なので、ボランティアで選挙運動を手伝うのであれば大丈夫です。しかし、会社の従業員まで選挙運動をやって、それに対して社長が給料を払っていたら運動員の買収になってしまいます。仕事として請け負った場合、従業員がポスターを作ったり、チラシのデザインをしたりするのはOKですが、街頭演説の選挙カーの上に乗ったり、写真を撮ってSNSにアップしたりするのは選挙活動となり、グレーゾーンになってしまいます」  この点に関して、斎藤氏の代理人は会見でこう説明している。 「演説会場に社員さんがおられたことまでは確認しているが、その社員さんが何をしていたかは確認できていない。選挙運動には関わっていない」 「PR会社の社員さんが仮に選挙運動に関わっていたとして、PR会社が対価として給料を支払っていたら選挙違反にあたるかというと、それはそうだと思います」  一方、折田氏は県の重要会議のメンバーでもあり、「地域創世戦略会議」「兵庫県eスポーツ推進検討会」「次世代空モビリティひょうご会議」などで委員を務めていた。現職の県会議委員が知事選に関与し、報酬を得ていたことを問題視する声もある。  斎藤氏の代理人によると、「公職選挙法には違反していない。(折田氏は)現在も兵庫県の委員を務めていますが、県とは委託契約で、請負い契約ではありません。(報酬は)3年で約15万円」と説明するが、藤川氏はこう話す。 「彼女は行政にコネクションを持っているのでしょう。県関係の仕事に従事しながら、選挙で特定の候補を応援して報酬をもらうことは、かなりグレーだとは思います。この状況だと、誰かが告訴すれば受理せざるを得ないと思いますが、もし裁判になれば、新たな判例が出るかもしれません」 正々堂々と表に出てくればいい  折田氏はこれまで複数の自治体からPRを任された実績を公表しているが、今回のような騒動の後でも、変わらずにPR活動ができるものなのか。藤川氏はこう指摘する。 「内情について平気でしゃべられたら、クライアントはたまったものではありません。信用を回復するためにも、『私は悪くない』と思っているのであれば、正々堂々と表に出てきて説明すればいいんです。『選挙のことをよくわかっていませんでした。社長個人がボランティアでやっていたので大丈夫だと思っていました。世間をお騒がせして申し訳ありません』と言えばいい。それも言えないのだとしたら、やはり何かあるんじゃないかと疑われても仕方がありません」  そして、最後にこう続ける。 「私は斎藤さんは逸材だと思っているし、3年間ずっと改革を進めてきた。それが評価をされて選挙で民意を得たわけですから、こんなことでダメになるよりは、一日も早く疑惑を晴らして県政に邁進してほしいと思っています」  PR企業のトップとして、民意を得た県知事として、折田氏と斎藤氏の双方に自分の言葉で説明する責任がある。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
百合子さま斂葬の儀 天皇家の愛子さま、皇嗣家の佳子さま、悠仁さまの「新しい並び順」への驚きと皇室の「変化」の兆候
百合子さま斂葬の儀 天皇家の愛子さま、皇嗣家の佳子さま、悠仁さまの「新しい並び順」への驚きと皇室の「変化」の兆候 三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀に出席した愛子さま、佳子さま、悠仁さま=2024年11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地    101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さまの本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。孫の彬子さまが喪主を務め、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が参列。成年を迎えた秋篠宮家の長男、悠仁さまの姿もあったが、席順と参拝の順序は天皇、皇后両陛下の長女愛子さま、秋篠宮家の次女佳子さま、長男悠仁さまというものだった。従来の皇室の「ご身位」とは異なる「新しい並び順」だったことに、皇室に詳しい専門家たちは驚きを隠せない。 *   *   *  緑の木々に囲まれた豊島岡墓地に、雅楽の葬送曲「竹林楽(ちくりんらく)」が響くなか、百合子さまの柩をのせた霊車はゆっくりと進んだ。  一般の告別式に当たる「葬場の儀」が始まった。  百合子さまの祭壇に向かって右の幄舎(あくしゃ)には、秋篠宮さまご夫妻や天皇、皇后両陛下の長女愛子さまら皇族や親族が、左の幄舎には石破茂首相や額賀福志郎衆院議長らがそれぞれ着席。司祭長の坊城俊在氏が百合子さまの生涯についての弔辞を朗読し、喪主の彬子さまは頭を下げて聞き入っていた。  幄舎には、今年9月に18歳の誕生日を迎えて成年皇族となった悠仁さまの姿もあった。愛子さまとともに公の場に臨むのは初めてのことだ。   新しい「並び順」 「幄舎に着席なさり、そして順番に百合子妃殿下の祭壇に拝礼される皇族方の映像を目にしたとき、すこし驚きました」  こう話すのは、かつて皇室に仕えていた人物。注目したのは、悠仁さまが着席していた位置と拝礼の順番だ。  幄舎の先頭の最も中央に近い位置には、喪主である彬子さまが着席。その隣には皇嗣の秋篠宮さまと皇嗣妃の紀子さまが座っていたが、彬子さまの後ろの2列目に愛子さまが着席し、佳子さま、そして悠仁さまと並んでいたのだ。百合子さまの祭壇の前での拝礼も、この順序だった。     【こちらも話題】 三笠宮百合子さま101歳で逝去 「美しい日本語を話す方」「華族として結婚」した最後の妃殿下  https://dot.asahi.com/articles/-/240440   祭壇へと向かう天皇家の内親王の愛子さま、皇嗣家の内親王の佳子さま、皇位継承順位2位の悠仁さま。「宮内庁も並び順を工夫したのでは」と京都産業大の所功・名誉教授=2024年11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地    皇室典範では、父方に天皇の血を引く「男系男子」のみが皇位を継承することを定めており、多くの場面では男性皇族が優先されてきた。そのため、従来の皇室の「ご身位」に倣えば、「斂葬の儀」でも秋篠宮ご夫妻に続くのは皇位継承順位2位の悠仁さま、そして天皇家の内廷皇族で内親王の愛子さま、そして皇嗣家の内親王である佳子さまという「並び順」が想定された。皇室に仕えていた前出の人物が想像していたのも、そうしたものだった。  ところが、席と拝礼は、愛子さま、佳子さま、そして悠仁さまという順番だったのだ。    皇室制度や儀式に詳しい京都産業大の所功・名誉教授は、この順序に「変化の兆候」を感じたと話す。 「宮内庁も並び順について、いろいろ工夫されたのでしょう。皇嗣と同妃の後列に、まず愛子さまが着かれたのは、内廷皇族の代表というお立場だと思われます。続いて佳子さま、そして悠仁さまと、秋篠宮家の若い世代の皇族が並ばれたのは基準を『年齢順』としたからだと考えられます」  2013年に秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さまが伊勢神宮に参拝されたときも、佳子さまの後に悠仁さまが続いた。このときは佳子さまも悠仁さまも未成年だったため、姉弟の順序はごく自然に映った。  しかし、皇位継承順位2位の悠仁さまが成年皇族となった現在では、天皇陛下や皇族方がそろう宮殿や公の場面での順序は、大きな「意味」をもって世間に受け止められる。   三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀に出席し、祭壇に拝礼する秋篠宮家の長男の悠仁さま=2024年11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地   国連勧告は「お節介」と専門家  社会の価値観が大きく変わるなかで、皇室に向けられる視線も、以前とは違ったものになっている。  たとえば、秋の園遊会前日の10月29日には、女性差別撤廃条約の実施状況を審査する国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、「男系男子」が皇位を継承することを定める皇室典範について、「改正をして男女の平等な皇位継承を保障すべき」とする最終見解を公表した。  これを受けて、林芳正官房長官は翌日の記者会見で「大変遺憾だ。委員会側に対して強く抗議をするとともに削除の申し入れを行った」と述べたが、CEDAWの指摘に対して国民のあいだでも賛否があった。   三笠宮妃百合子さまの墓所に向かう天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2024年11月27日、東京都文京区の豊島岡墓地    この件について、所さんはこう指摘する 「国連の勧告は、身分の別と人権の差を混同した、見当違いのお節介です。ただ、斂葬の儀でも悠仁さまを前に、という声もあったでしょうが、世論や時代の流れを踏まえて自然なあり方を工夫したことは大切であり、それが皇室の将来にもつながるのではないか」 「年齢順」という考え方は、多くの人にとってなじみがあり、受け入れやすいものだと見る。  しかし、宮内庁は今後、愛子さまと悠仁さまのどちらが「前」か「後ろ」かということについて関心を注ぐ国民に対し、その判断の理由を国民に伝える必要性が増していくことになりそうだ。  悠仁さまが来春に高校を卒業した後は、宮中行事や祭祀に臨む機会も増えてくる。社会の価値観が変化するなかで、皇室のありようも注目されている。 (AERA dot.編集部・永井貴子)     【こちらも話題】 三笠宮妃百合子さま「斂葬の儀」に愛子さまも黒のベールで参列 1年続く皇室の儀式 なぜ皇族は豊島岡墓地に葬られるのか? https://dot.asahi.com/articles/-/241478  
三笠宮妃百合子さま「斂葬の儀」に愛子さまも黒のベールで参列 1年続く皇室の儀式 なぜ皇族は豊島岡墓地に葬られるのか?
三笠宮妃百合子さま「斂葬の儀」に愛子さまも黒のベールで参列 1年続く皇室の儀式 なぜ皇族は豊島岡墓地に葬られるのか? 本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」で、三笠宮妃百合子さまの祭壇に拝礼する喪主の彬子さま=2024年11月26日午前10時43分、東京都文京区の豊島岡墓地    101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さまの本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれ、皇族方のほかに石破茂首相ら三権の長など各界から約500人が参列した。皇族の逝去に伴う一連の儀式については、一般には聞き慣れない名称や決まり事も少なくない。しかし、朝廷儀礼に詳しい専門家によると、中世から続く儀礼もあれば、明治以降に慣例化したものもあるという。 *   *   *  26日午前9時頃、百合子さまの柩を乗せた霊車は長い歳月を過ごした三笠宮邸を出発し、皇居の前では300人を超える宮内庁職員に見送られて、皇族専用の埋葬地である豊島岡墓地に到着した。  宮内庁楽部による雅楽の葬送曲「竹林楽(ちくりんらく)」が奏でられる中、霊車は墓地内をゆっくりと進む。黒いベールで顔を覆った喪主の彬子さまに続き、皇族代表の高円宮妃久子さまと親族に伴われながら柩は葬場に安置された。  午前10時からは、告別式にあたる「葬場の儀」が始まり、秋篠宮ご夫妻や天皇、皇后両陛下の長女の愛子さま、秋篠宮家の次女の佳子さま、長男の悠仁さまら皇族方のほか、石破首相ら三権の長など約560人が参列。喪主の彬子さまはときおり、ハンカチで涙をぬぐわれる場面もあった。  落合斎場で火葬されたご遺体は午後に墓地に戻り、夕方「墓所の儀」で故・三笠宮さまの墓に埋葬された。    本葬が営まれたのは、皇族の埋葬地として知られる豊島岡墓地。東京・文京区の護国寺に隣接する、皇族専用の墓地だ。  しかし、宮内庁のウェブサイトによると、皇室の陵墓は近畿地方を中心に北は山形県から南は鹿児島県まで1都2府30県にあり、その数は460か所におよぶという。  では、近代皇室における皇族の墓地が、なぜ豊島岡墓地になったのか。こうした決まり事の多くは明治、大正の時代にでき、皇室儀礼のよりどころとなっている。  朝廷儀礼に詳しく、『中世天皇葬礼史』などの著書がある追手門学院大学の久水俊和准教授によると、1873(明治6)年に生まれてすぐに亡くなった明治天皇の長男である稚瑞照彦尊(わかみずてるひこのみこと)と長女の稚高依姫尊(わかたかよりひめのみこと)を、豊島岡墓地に埋葬したのが最初だ。明治期の宮内省に関係する公文書類をまとめた『帝室例規類纂』に、この長男と長女を埋葬した経緯が記載されているという。  久水さんは、こう解説する。 「明治の皇室は京都から東京に移ったばかりで、天皇家の菩提寺である御寺(みてら)として知られた京都の泉涌寺(せんにゅうじ)のような菩提所がなかった。そこで、徳川将軍家の祈願寺である護国寺の境内に埋葬し、そこから皇族専用の埋葬地となったのでしょう」   【こちらも話題】 三笠宮百合子さま101歳で逝去 「美しい日本語を話す方」「華族として結婚」した最後の妃殿下  https://dot.asahi.com/articles/-/240440     三笠宮妃百合子さまの通夜に参列する彬子さま。祭壇には、両陛下や上皇ご夫妻からの供物や皇族方から贈られた白い花が並ぶ=2024年11月24日午後5時59分、東京・元赤坂の三笠宮邸   復活を願った「殯」の儀式  一般の本葬にあたるのが、26日に営まれた「斂葬の儀」だ。  久水さんによると、「斂葬」は近代以降の名称で、「斂」は埋葬を、「葬」は告別のことを指すという。 「斂葬の儀」では、棺前に米や酒が供えられ、宮内庁楽部が雅楽で葬送曲を奏でる。  本葬までには、一般の納棺にあたる儀式「お舟入(ふないり)」や、ご遺体に別れを告げる「拝訣(はいけつ)」、柩を通夜の部屋に移す「正寝移柩(せいしんいきゅう)の儀」、位牌にあたる「霊代(みたましろ)」を「権舎(ごんしゃ)」と呼ばれる邸内の部屋に安置する「霊代(れいだい)安置の儀」などの儀式が営まれる。  しかし、天皇、皇后両陛下、そして上皇ご夫妻は弔問のみで参列はしない。「斂葬の儀」でも両陛下の側近が勅使、皇后宮使として拝礼し、上皇ご夫妻も使いを出した。  儀式に参列しない理由は明文化されておらず、「まさに慣例です」と久水さん。 「しかし、中世でも公式には参列していないものの、天皇がひそかに父帝や妃である皇后など身内の葬儀を見守った事例も記録に残っています」    そして特徴的なのが、天皇や皇族が亡くなった際の一連の儀式の期間の長さだ。 「斂葬の儀」で百合子さまの祭壇へと向かう秋篠宮ご夫妻と愛子さま、佳子さま、悠仁さま=2024年11月26日午前9時31分、東京都文京区の豊島岡墓地    当時天皇であった上皇さまは、2016年8月、退位の希望を国民へ向けて提起したビデオメッセージのなかで、そのことについても述べられている。 「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後、喪儀に関連する行事が1年間続きます」  皇族である百合子さまの場合は、天皇よりは短いものの、亡くなられた翌16日から一般の納棺にあたる「御舟入」や一連の儀式が営まれ、さらに26日には本葬の「斂葬の儀」と三笠宮家の墓に埋葬される「墓所の儀」など、一連の葬儀は1年後の「墓所一周年祭の儀」まで続く。  上皇さまがメッセージで述べられた「殯」とは、古代においては「招魂」と「鎮魂」、そして「死の確認」の儀式だった、と久水さんは言う。 「まずは、生き返ることを願って亡くなった人の魂を歌舞などで呼び寄せる。それがかなわない場合は、霊魂を慰め、亡骸が朽ち果てていくさまと死を確認する。その間は米や酒を絶やさず供える。何段階もの儀式を経るため、どうしても安置する期間が必要になります」  かつて皇室も、その一連の儀式ごとに亡骸に対面して、その身体が朽ちる様子を見届けていた。だが、平安時代に薄葬の風潮が強まると、「殯」の風習も消えていった。  そして明治政府のもとで、古代国家で営まれていた葬送儀礼とともに「殯」も復活した。  こうした現在の皇室儀礼の多くは明治から大正の時代に再構築され、慣習としていまも運用されているという。   三笠宮さまの「斂葬の儀」に参列した演歌歌手の石川さゆりさん(中央)=2016年、東京都文京区の豊島岡墓地   三笠宮さまの本葬では、石川さゆりさんも参列  そして、葬儀において故人の人柄がにじむのが、参列者の顔ぶれだ。  2016年に逝去された三笠宮崇仁さまの「斂葬の儀」にあたっては、三笠宮さまのご研究仲間のほかに、演歌好きの三笠宮さまがファンと公言し、親しく交流を重ねてきた演歌歌手の石川さゆりさんの姿もあった。  百合子さまは、大正から令和まで四つの時代を生き、皇族として80年という歳月を過ごされた。そのなかで夫の三笠宮さまを支え、5人のお子さまを育ててきた。また、「母子愛育会」の総裁として福祉の向上に取り組み、「民族衣裳文化普及協会」の名誉総裁として着物文化の継承にも力を尽くしてこられた。  この日の斂葬の儀には、旭日重光章の受章者で、75歳の現役バレリーナとして知られる森下洋子さんも参列した。豊島岡墓地門の周辺には、拝礼のために並ぶ人びとが長い列をつくった。  列に並んでいた都内で勤務する男性は「講演会でお世話になったので百合子さまにお礼を伝えたところ、数行ですが直筆のお手紙をいただいて驚きました」と、その人柄を偲んだ。  穏やかで包み込むような優しい方――そんなお人柄を慕う人たちが、百合子さまを見送った。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 三笠宮百合子さま101歳で逝去 「美しい日本語を話す方」「華族として結婚」した最後の妃殿下  https://dot.asahi.com/articles/-/240440    
料理教室やお茶会で信用させて“陰謀論”に落とし込む…マルチ企業元社員が明かす「洗脳」の手口
料理教室やお茶会で信用させて“陰謀論”に落とし込む…マルチ企業元社員が明かす「洗脳」の手口 母親がマルチ企業に“洗脳”されてしまった真紀さん(仮名)※以下、写真はすべて真紀さん提供  AERA dot.は今年8月、マルチ商法にのめりこむ親のもとで育ち、生きづらさを抱えるようになった人たちを追う連載「マルチ2世~“商業カルト”で家庭崩壊~」を掲載した。連載ではマルチ商法に関わったことで多額の金銭や人間関係を失ってしまった当事者に焦点を当てたが、商品を“売る側”はどのような手法で近づいてくるのか。マルチ企業の勧誘や洗脳の手口について、元社員に取材した。 *  *  * 「入社の動機は『世の中から病を少なく』という会社の理念に共感したからです。親しい人をガンで亡くしたこともあり、自分も役に立ちたいと思って」  こう話すのは、マルチ商法によって健康商材を販売していたA社の元社員・関口誠さん(仮名)だ。数年前、A社に入社した当時はマルチ商法の仕組みやその悪質性についてよく知らなかったという。  A社は、自社の未公開株式を購入した株主を対象に、「ガンを副作用なく治す」とうたうヨウ素水などを販売していた。顧客リストには、関口さんが把握する限り2~3万人が登録されており、数千万円を投資している大口株主もいた。株主の大半は、健康面に不安を抱える高齢者だったという。  A社のビジネスがここまで広がった背景には、株主たちが親族や友人などを勧誘する「マルチ商法」のビジネスモデルがある。勧誘の動機は、成功した際の紹介料目当てだったり、純粋にA社の製品に心酔していたりとさまざまだが、その熱心な勧誘活動によって株主の数はねずみ算式に増えていった。 「A社は全国各地で健康セミナーを開き、未公開株の購入者を募っていました。セミナーの受け付けでは、誰の紹介で申し込んだのかを必ず確認します。これをしないと紹介料が払えなくなるので、聞きそびれた時はものすごく怒られました」(関口さん) A社が株主に対し、さらなる株式購入を促すLINEのメッセージ リーダーと取締役による“搾取構造”  A社は株主たちをいくつかのグループに振り分けて管理していた。各グループには「リーダー」と呼ばれる古参の株主がおり、グループ内の株主たちと日常的にコミュニケーションを取って勧誘活動のアドバイスなどをしていたという。  さらに各グループは取締役一人ひとりの直下に置かれ、株主が株の販売に成功すると、販売額の10%がグループリーダーに、30%が取締役に支払われる。グループリーダーと取締役が不労所得的に多額の報酬を手にする“搾取構造”ともいえるシステムになっていた。これにより、ある70代の女性リーダーは月に1000万円以上稼ぎ、社内で表彰されていたという。  勧誘活動は、個々の株主だけでなく会社の従業員も精力的に行っていた。だがそのやり方は、だまし討ちに近いものだった。関口さんが証言する。 「私は昔、子どもたちにサッカーを教えていたのですが、会社から『シニア向けのスポーツ教室を開いてほしい』と言われました。A社は他にも、料理教室やお茶会などと称して高齢者を集める場を用意しては、全国各地で開かれる自社の健康セミナーに勧誘していたんです。社長の著書や会社案内のDVDを『本当は何万円もするけど特別に差し上げます』と言って渡し、『是非セミナーに来てください』と誘うと、一定数が義理を感じて参加してくれました」  そのセミナーにも、人の心をつかむさまざまな仕掛けが用意されていた。中でも、登壇した社長が自身の過去と医療への思いを切々と訴えるのは恒例だった。  心臓病を患う弟が15歳で亡くなり、娘も「3日後に死にます」と白血病を宣告されたのちに命を落とし、妻は子宮ガン、父はくも膜下出血……。家族を失う苦しい経験から、一人でも多くの命を救う決意をしたという物語を、悲しげなBGMにのせて語りかける。 A社の未公開株を購入するための申込書 「ガンは3日か5日で100%殺せます」  関口さんは、A社のセミナーは「ショーのようだった」と振り返る。 「このシーンではこの音楽を流す、ここではマイクを右手に渡す、などとかなり細かく演出が決められていました」  参加者の心を揺さぶる上で、特に効果的だったのが“陰謀論”だ。社長は「私の家族は抗がん剤や放射線治療をしなければ死ななかった」などと、標準治療の恐ろしさをよどみなく説いた。 「ガンは3日か5日で100%殺せます。でも日本の厚労省、医師会、メディアは、ガンは治るという情報を国民に与えない。年金の支払額を抑えるためには、65歳を超えたら死んでもらわなきゃ困るんです」 「世界では人口削減計画が動いていて、コロナ禍はでっち上げです。この中にコロナのワクチンを接種された方はいますか? 解毒しないと2年以内に99.9%死にますよ」  こうして健康不安をあおった後に社長が 「私は日本で一番大きな製薬会社を作って、正しい薬に塗り替えていく」 「国連のメンバーが事業に協力してくれている。国連ジュネーヴ事務局内に事務所を構えていいと言われた」  などと壮大なビジョンを語り、自社への投資を呼びかけるのがお決まりだった。参加者たちは熱心に聞き入り、セミナー終了後は会場限定で配られる株の申込用紙に続々とサインしていた。荒唐無稽とも思える話を信じてしまう理由について、関口さんはこう話す。 「社長は、この世で起こることはすべて知っているかのように語るんです。あまりに堂々とした姿に、自分も入社当初は、そうなのかと受け入れてしまいました」  こうしたA社の巧みな勧誘により、母親が“洗脳”されてしまったと語るのは真紀さん(40代女性)だ。 A社が販売していた、成分表示のないヨウ素水 ヨウ素水の驚きの製造現場  A社社長を「あがめ奉っていた」という真紀さんの母親は、A社の未公開株に約1500万円をつぎ込んでしまった。夫が認知症の末に亡くなり、自身も乳ガンの再発におびえていたこともあり、「このヨウ素水を飲めば認知症もガンも治る」などと口にする社長の姿に、「お父さんが生きている時に社長の話を聞きたかった」と涙していたという。  ヨウ素水を飲みはじめた母親は、「リウマチがよくなっている気がする」「よく眠れるようになった」と喜んでいた。しかし、病院での血液検査の数値に変化はなく、明け方4時にメールを送ってくる様子からして眠れているようには思えなかった。  特に真紀さんが気になったのは、ヨウ素水に成分表示がないことだった。A社の相談窓口に問い合わせると、「研究段階のものを特別に株主のみなさまにご提供しているので、表示はない。不安に思われる方は飲まなくて大丈夫です」と返ってきた。不信感を募らせた真紀さんは、A社から手を引くよう何度も母を説得したが、LINEで「バーカ!」と返ってくるなど完全に洗脳されている様子だった。 真紀さんが入手した、A社のセミナーで使用されていた資料の一部。ヨウ素水はコンゴ民主共和国で製造されているとのことだったが…  A社は、ヨウ素水をアフリカのコンゴ民主共和国で製造しているとうたっていた。しかし前出の元社員・関口さんは、社内で目撃した驚きの製造現場について明かす。 「滅菌設備も冷蔵庫もない会議室で、化学の知識があるわけでもない社員たちが作っていました。薬品を希釈したりプラスチック容器に詰めたりするのは手作業でしたが、当初はマスクや手袋、帽子の着用すら徹底されていなかった。限られた数人以外は、作業部屋に立ち入ることも中をのぞくことも厳禁だったので、社員の大半は実態を知らなかったと思います」  さらに関口さんは、ミーティングで飛び出した一人の取締役の発言に耳を疑ったという。 「『(薬は)効くと思ったら効く。これをプラシーボ効果って言うんだ、おぼえとけよ』と。そして効果があった人の感想や体験談を集めるよう指示されました」 A社に“洗脳”された母と真紀さんのLINEのやりとり 集団訴訟を起こされたA社の現在  セミナーでは社長までも「治るという明るい希望と絶対に直したいという勇気を持たない限りどんなに良い薬でも効果がない」と説き、会場のスクリーンには「息子の命を助けてもらってすごく感謝している」と涙ながらに話す女性の姿が映し出された。  一方で、A社の製品やビジネスに疑問を感じた株主からは、株の購入費用の返金を求める電話がかかってくることも多くあったという。そうした現実を目の当たりにするにつれ、「これは病気を患う人のわらにもすがる思いを利用した詐欺だ」と確信した関口さんは、会社を去る決意をした。  A社はその後、国に届出なく未公開株を販売した金融商品取引法違反などの罪で社長らが逮捕、起訴された。当時の報道によると、全国約1万5千人に対し、総額約80億円の未公開株を販売したという。また株主からは集団訴訟も起こされたが、同社は新しい社名のもと、資金集めの手法を未公開株から暗号資産に変えて、現在もビジネスを続けている。  AERA dot.は関口さんの証言内容についてA社に複数回にわたり見解を求めたが、期日までに回答はなかった。関口さんは、マルチ商法の被害に遭う人が少しでも減るようにと、こう注意喚起する。 「セミナー会場で商品やサービスを買うよう持ちかけられても、即決せずに家族と相談してほしい。また、商品の成分や効果について細かく質問したり、聞いたことのない話が出たら一度ネットで調べてみたり、企業の説明をうのみにしない姿勢も大切です」  巧みな言葉で心の奥の不安につけ込まれた時、果たしてワナだと気づけるか。自衛のためにも、明日は我が身という危機感だけは持っておくべきだろう。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
信子さま「皇族費は月10万円しか受け取っていない」と訴えていたことも 彬子さまとの母娘の溝と三笠宮家「新当主」の行方
信子さま「皇族費は月10万円しか受け取っていない」と訴えていたことも 彬子さまとの母娘の溝と三笠宮家「新当主」の行方 2024年の秋の園遊会で、「三笠山」に並ぶ皇族方=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA    101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さま。一般の納棺にあたる儀式「お舟入(ふないり)」が11月16日、東京・元赤坂の赤坂御用地にある三笠宮邸で営まれた。26日に文京区の豊島岡墓地で執り行われる、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」で、宮内庁は孫の彬子さまが喪主を務めると発表した。その一方、百合子さまの長男寛仁さまや三笠宮崇仁さまなど、これまでの三笠宮家の皇族の死去に伴う一連の儀式に参列していないのが、寛仁親王妃の信子さまだ。そこには長年の確執があり、三笠宮家の「新当主」問題にも影響しそうだ。 *   *   *  16日の「お舟入(ふないり)」の儀式は、百合子さまが長くお住まいだった三笠宮邸で営まれた。孫で故・寛仁親王の長女の彬子さまと次女の瑶子さま、高円宮妃久子さまと長女の承子さまら親族が見守る中、百合子さまのご遺体がひつぎに移された。  続いてご遺体に別れを告げる「拝訣(はいけつ)」が営まれた。天皇、皇后両陛下の長女愛子さま、秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さま、常陸宮妃華子さまらが加わり、お別れの拝礼をした。  三笠宮家の行事として営まれた一連の儀式には、参列していない皇室メンバーもいる。  慣例により参列しない天皇陛下と皇后雅子さま、そして上皇ご夫妻は、前日に引き続き16日も儀式の前に弔問に訪れた。  そして、三笠宮家の一員であるにもかかわらず、参列していなかったのが、百合子さまの長男の妻である寛仁親王妃の信子さまだ。    信子さまは前日の15日、弔問のために車で赤坂御用地に入った。信子さまだけが外から車で訪れたのは、信子さまは2009年以降、家族と「別居」しているためだ。  百合子さまの容態が悪化したことで、孫の彬子さまは訪問先の英国から帰国。高円宮妃の久子さまも奈良県や米国訪問を中止するなどして、入院先の聖路加国際病院へ駆けつけていた。 「しかし、信子さまとご家族の断絶は続いたままで、百合子さまのお見舞いに訪れた姿は確認されていません。15日も赤坂御用地を車で訪れていますが、今回も弔問はできなかったという話も聞こえてきます」(事情に詳しい人物)   信子さま(当時の麻生信子さん)との婚約会見では寛仁さまが「7年前に結婚を僕が申し込んだが、若すぎると反対された。7年目にして実現した」と話し、7年越しのプロポーズが話題に=1980年4月、宮内庁   「宮家へ戻るとストレス性ぜんそくが再発」  信子さまと家族の溝は、なぜ生じたのか。  信子さまは、明治の元勲である大久保利通を親戚に持ち、九州財界を代表する名家に生まれ育った。兄は麻生太郎元総理だ。  1980年11月に“ヒゲの殿下”と親しまれた寛仁さまと結婚。当時、「長年好意を寄せ続けた寛仁さまが、7年越しの恋を実らせた」と、熱愛ぶりが話題になった。だが、十数年で破綻することになった。  信子さまは2004年以降、気管支ぜんそくによる入退院を繰り返し、軽井沢での療養生活に。09年秋には宮内庁が「宮邸にお戻りになると、ストレス性ぜんそくが再発する恐れがある」という主治医の見解を公表。信子さまは入院先から宮邸に戻らず、宮内庁分庁舎として使われていた旧宮内庁長官公邸で暮らし、寛仁親王家では寛仁さまと彬子さま、瑶子さまの3人が生活するようになった。    複数の関係者によると、寛仁さまは長い闘病の末、12年に亡くなったが、それまでの数年、信子さまが病院へ見舞いに訪れることはなかった。息を引き取る直前にようやく足を運んだが、すでに寛仁さまは意識がない状態。まだ意思疎通できたころの寛仁さまの意向や周りの反対から、信子さまは病室に入れなかったともいわれる。  そして寛仁さまの葬儀の喪主は、彬子さまが務めた。妃の信子さまではなく娘が喪主となった理由について、宮内庁は当時、筆者の取材に「寛仁殿下のご意向」と答えている。   「母には三笠宮両殿下にお詫びしてほしい」  その後の寛仁親王家は、混乱が続いた。  寛仁さまが亡くなって1年を経ても当主が決まらず、寛仁親王家は消滅。母娘3方は百合子さまを当主とする三笠宮家に合流した。   2007年秋の園遊会に臨んだ寛仁さまと瑶子さま。寛仁さまは、留学で学んだ英国ファッションの著書も出されており、シルクハットを手にダンディな装いがお似合い=2007年10月、赤坂御用地、JMPA    寛仁親王家をめぐる混乱については、彬子さまが「月刊文藝春秋」(2015年7月号)に載せた手記「彬子女王 特別手記 母には三笠宮両殿下にお詫びしてほしい」でも触れている。   寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙る父と母との確執であり、それは父の死後も続いていた。母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も「話し合いを」と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけであった。    彬子さまは信子さまについて、公務に復帰するのであれば、三笠宮両殿下にお詫びとご報告をしてほしい、ともつづっていた。  16年の三笠宮崇仁さまの葬儀でも、高齢の百合子さまに代わり、彬子さまが喪主代理を務めた。信子さまは、三笠宮さまが亡くなる1カ月ほど前に、入院中の聖路加国際病院を訪ねたが、このときも面会はできていない。もっとも、この一件も「面会できない状況だとご存じのはず」と、三笠宮家側は不信感を募らせたようだ。   信子さま「月10万円の皇族費しか…」と訴え 24年秋の園遊会に臨んだ信子さま。帯からのぞく翡翠のような玉飾りは、おそらくご愛用の懐中時計=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA    この年の夏には、信子さまと三笠宮家の間で、あるトラブルも起きていた。  彬子さまも妹の瑤子さまも不在中だった旧寛仁親王邸の三笠宮東邸を、信子さまが訪問。弁護士と鍵の専門業者を連れてきていた。  宮邸の職員は信子さまに「扉は開けられません」と繰り返したが、鍵の専門業者が通用口の鍵を開けて信子さまは邸内に入り、荷物をまとめて宮邸をあとにしたのだ。    事情を知る人物によれば、この「騒動」で信子さまはご自身の「正当性」を主張されていたようだ。  当時、信子さまは、ご自身に年間1525万円が支給されている皇族費について「月額10万円しか受け取っていない」と訴えており、日常の費用は三笠宮東邸に請求していたという。 「妃殿下は『月額10万円では、新しい物品をそろえることができない。自分の荷物を取るために鍵を開けざるを得なかった』と正当性を主張されていたようです」  宮内庁も、長年にわたる宮家内の愛憎劇に頭を悩ませているようだという。   2024年の秋の園遊会に臨んだ彬子さま。日本美術の研究者として活躍し、英国留学生活をつづったエッセイ「赤と青のガウン」は異例のベストセラーとなっている=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA   妻以外の女性皇族は「当主」になれないのか  宮殿行事や皇室行事で、隣に並ぶ信子さまと彬子さま、瑤子さまが、互いに目を合わせたり、母娘でほほ笑ましく談笑したりする光景を目にしたという話は、あまり聞こえてこないようだ。  そしてこれから問題となるのは、三笠宮家の「当主」問題だ。    戦後の皇室において、宮家の男性皇族が亡くなった後は、故・秩父宮妃勢津子さま、故・高松宮妃喜久子さま、高円宮妃久子さま、そして三笠宮家では宮妃の百合子さまが当主を務めてこられ、妻である宮妃以外の女性皇族がなった例はない。  そもそも「当主」はどのように決まるのか。  元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、「当主」について法律で定められた規定はないと話す。  ただし、生活には資金が必要で、それぞれの皇族には、「皇室経済法」に基づいて、品位保持のための「皇族費」が国から支給されている。同法には「独立の生計を営む親王」を基準に、妻は2分の1、子どもは減額されるとある。 「つまり、その家の生計の中心になる皇族がいわゆる『当主』です。それぞれの皇族費の額はさておき、まずはご家族と宮内庁が話し合い、どなたが『当主』になるかの合意が必要です。その結果を天皇陛下にご報告し、了承が得られれば、内閣総理大臣や衆参両院議長ら8人で構成される皇室経済会議に諮ることになります。そして、皇室経済会議で『独立の生計を営む皇族』として認定されれば、その皇族はいわゆる宮家の『当主』となります」  皇族の身位によって支給される皇族費の額面の増減はあるが、「独立の生計を営む皇族」については、同法6条2項の「皇族が初めて独立の生計を営むことの認定は、皇室経済会議の議を経ることを要する」という規定があるのみだ。   寛仁親王妃信子さまの療養先となっている宮内庁分庁舎。下の1棟が旧宮内庁長官公邸で、もう1棟は旧侍従長公邸。25年度から始まる改修工事には13億円が計上されている=2009年、東京都千代田区三番町   13億円で改修する信子さまのお住まい  では、誰が三笠宮家の「新当主」となるのか。  もともと三笠宮家については、長男の寛仁さまが継承することを想定し、寛仁さまは宮号を受けないまま寛仁親王家として独立した生計を営んできた経緯がある。 「これまでの慣例に従えば、寛仁親王妃の信子妃殿下ですが、寛仁親王を含め三笠宮家の皇族のお見舞いにも葬儀に伴う儀式にも参列できていらっしゃらない。そうした方に当主が務まるのかといえば、難しいでしょう」(前出の宮家の事情に詳しい人物)  親王妃以外の女性皇族が「当主」になった例はないが、法律上は内親王、女王も「独立の生計を営む」皇族になることが想定されている、と山下さんは分析する。となれば、信子さま以外にもこれまで親王が亡くなった宮家を支えてきた彬子さま、瑶子さまのいずれにも可能性としてはあり得る、という。 24年秋の園遊会に臨んだ瑶子さま。金髪ピンクメッシュのまとめ髪と、「裏葉柳(うらはやなぎ)」のやさしい地色の訪問着が品良く調和している=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA    また、山下さんは「三笠宮家」とは別の宮家ができる可能性もある、と話す。  というのも三笠宮家の3方の女性皇族は、3つの「宮邸」をお持ちだ。 「故・百合子妃殿下がお住まいだった三笠宮邸、旧寛仁親王邸である三笠宮東邸、そして信子妃殿下がお住まいの、旧長官・侍従長公邸だった宮内庁分庁舎の3つです」  そして信子さまがお住まいの宮内庁分庁舎は、バリアフリーなどの改修工事が予定されており、宮内庁は25年度の概算要求に約13億円の予算を計上している。 「多額の国費をかける改修工事が意味するのは、宮内庁も含めて周囲は信子妃殿下の終のお住まいと考えてのことでしょう。信子妃殿下、彬子女王殿下、瑶子女王殿下がそれぞれ『独立の生計を営む皇族』として、別々の宮家の当主としてお暮しになる可能性もあると思っています」(山下さん)    26日には、豊島岡墓地で百合子さまの本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われる。果たして信子さまは参列されるのか。そして、三笠宮家をめぐる「新当主」の行方が注目される。 (AERA dot.編集部・永井貴子)    
角田光代の「ナムル観」をくつがえした韓国料理店とは/著名人3人の「行きつけ」を公開
角田光代の「ナムル観」をくつがえした韓国料理店とは/著名人3人の「行きつけ」を公開 角田光代さんの行きつけ「Onggi」の「とうもろこしのチヂミ」。弱火でじっくり火を入れ、外はサクッと中はもっちりした食感。店内には、カウンター席とテーブル席がある  11月も下旬に入り、忘年会の店選びをしている人も多いのではないか。気の置けない仲間同士ならともかく、自分がホストになって誰かをもてなそうというときは、確実においしい店を選びたいのが人情。そんなとき、「誰かの行きつけ」がたよりになる。 老舗、王道、ニューオープンなど、250軒の飲食店を網羅した東京のグルメガイド『東京おいしい店カタログ』は巻頭で、小説家の角田光代さん、ミュージシャンの小宮山雄飛さん、文筆家でエッセイストの甲斐みのりさん3人の「行きつけ」を3店ずつ紹介している。  3人が語る「行きつけの理由」もそれぞれに味わい深い。11月21日に発売されたばかりのこの本から、この巻頭企画をほぼ丸ごと配信したい。 *** 作家 角田光代さんの3店  現代に生きる人々の人間模様をテーマにした作品で、数々の賞を受賞している角田光代さん。彼女が「行きつけ」として紹介してくれたのは、作り手の魅力が伝わる、韓国、中国、モンゴルの料理を提供する3店だ。 【Onggi(オンギ)/杉並区】 角田さんの心をとらえた「旬野菜のナムル」は目にも鮮やか。料理はすべて、コース(6600円から)で提供される  Onggiは、西荻窪にあるこぢんまりとした韓国料理店。店主のカンさんが目指すのは、今までの「辛くて刺激的な料理」というイメージを覆す、新しい韓国料理だ。  旬の野菜をたっぷり使ったコース料理で、そのなんとも滋味深い味わいに心身ともに元気になれる。角田さんが「ナムル観をくつがえされる」と評するナムルは、白ウリや茎ワカメ、ズッキーニなど7種ほどの旬菜を使い、野菜のおいしさを引き出したひと皿。テンジャン(みそ)が添えられ、少しずつ混ぜていただくのもおすすめだ。  角田さんは言う。「野菜中心、和の食材も取り入れた、本当においしい韓国料理です。音楽と韓国ドラマにくわしい店主のカンさんとのおしゃべりも楽しみのひとつです」。 【手作り餃子の店 吉春(よしはる)/調布市】 奥から吉春餃子、夏胡瓜と木耳の水餃子(写真は各2人前)。麺点師の資格をもつ姉の千恵子さんが餃子を包み、弟の隆一さんが茹で・焼きを担当している  角田さんの「行きつけ」2軒目は、中国吉林省出身の吉村千恵子さん・隆一さん姉弟が切り盛りする餃子の店。熟練の技で作り上げる餃子は、皮からすべて手作り。鮮度を保つため、餡を作る直前に粗めにひくという米沢豚とキャベツ、ニラが入った定番餃子から、季節の野菜を使う餃子も好評だ。  友人に連れて行ってもらって「感動しました」という角田さん。「オーソドックスな餃子も季節の野菜入りもあり、身体の中からきれいになるような餃子です」と話す。食材から作り方まで細部にこだわった餃子には、またすぐにでも食べたくなる魅力が詰まっている。 【馬記 蒙古肉餅(マーキー モウコローピン)/新宿区】 一度煮てから蒸したラムを自家製のチリソースやニラ味噌をつけていただく手抓羊肉(奥)と、蒙古肉餅。肉餅の中の肉は羊と牛から選べる 「満席でも日本語が聞こえてこないときがあります」と角田さんが言うように、「馬記 蒙古肉餅」は世界各国の人々が本場のモンゴル料理目当てに訪れる名店だ。内モンゴル出身の店主夫妻が切り盛りする。  角田さんが推す「蒙古肉餅」は、羊肉をクミン、コショウ、ショウガなどで味付けし、ネギを加えた餡を生地で挟んだ内モンゴルの家庭料理。シンプルながらあとを引くおいしさだ。「羊肉好きの私にとっては羊祭かと思うくらいの羊メニュウがあってうれしい。店名にもなっている羊の肉餅、ラム串がおいしいです」と角田さん。羊を愛する人は、是非訪ねてほしい。 小説家 角田光代さん/横浜生まれ。1990年『幸福な遊戯』(角川書店)で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』(文藝春秋)で直木賞を受賞。2007年『八日目の蝉』(中央公論新社)で中央公論文芸賞を受賞。ほか著書多数 ミュージシャン 小宮山雄飛さんの3店  ミュージシャンのかたわら、グルメ雑誌やTV番組などで活躍し、自らのレシピ本も出版している小宮山雄飛さん。お気入りは数多くあるというが、今回はその中から、厳選した店を特別に紹介してくれた。 【初音鮨/渋谷区】 すじこの細巻き。すじこの塩気と風味の良い海苔との相性が抜群だ。店に入ると美しく磨かれたカウンターが出迎えてくれる  1978年の創業以来、地元の人たちに愛されている町鮨「初音鮨」。ヒノキのカウンターには店主自ら豊洲で目利きした良質なタネが並び、期待が高まる。この日のおすすめは新子(コハダの稚魚)の酢締め。個体の特徴を見極めながら締める時間を調整し、絶妙な味加減に仕上げる。新子は身が小さいため2枚重ねて握るのだが、これはこの時期ならではのスタイルだという。  小宮山さんが必ず頼むというすじこの細巻きは、塩気が効いていてお酒のつまみにぴったりだ。日本を代表するクリエイティブディレクターの杉山恒太郎さんに「すじこの細巻きをツマミに酒を飲むのがかっこいい大人だ」と教わって以来、必ず頼んでいるという。  小宮山さんは言う。「週末は昼からこちらで飲むことも多く、家族とも友達とも行ける素敵なお店です」。 【並木藪蕎麦/台東区】 天ざるそば。優しい甘みの海老天はサクサクの食感がいい。2011年に改装したが、内観は昔と変わらない。店構えには老舗の風格が漂う  浅草・雷門にほど近い場所に佇む「並木藪蕎麦」。大正2年の創業から約1世紀続く、日本を代表する蕎麦の名店のひとつだ。濃いめのつゆでいただく十割蕎麦は創業当時から一切変わらない味で、何代にもわたって多くの常連が通う。  小宮山さんがこちらでいただくのは、「天ざるそば」。「よくある大きな海老1本ではなく、中くらいのサイズの海老が数本付くのですが、衣とのバランスや揚げ方も見事でおいしいです」と小宮山さん。飾り気のない洗練された店内もまた、老舗の美学を感じさせる空間だ。 【ハングリータイガー/港区】 魚介の旨味と隠し味の大葉が爽やかな「ペスカコンバジ」。1967年創業のこの店は、ピザや前菜などのメニューも充実している  小宮山さんが中学生の頃から通っているという老舗イタリアンが「ハングリータイガー」。直径2.1ミリの昔ながらの太麺を使ったパスタはボリューム満点で、ランチタイムには近隣で働く人たちの行列ができる。  看板メニューは「ダニエル」。どこか懐かしい味わいの中に、ガーリックのパンチが効いて、不思議とまたすぐにでも食べたくなる。小宮山さんのお気に入りは、ペスカトーレにバジリコがたっぷり入った「ペスカコンバジ」。極太のワイルドなパスタに魚介とニンニクの風味が効いていて、お気に入りです。 ミュージシャン 小宮山雄飛さん/東京都出身。渋谷区観光大使。ホフディランのVo&Keyとしてデビュー。グルメ全般に精通し、食関連の雑誌連載やカレーのレシピ本出版など、広範囲で活躍中 文筆家・エッセイスト 甲斐みのりさんの3店  旅や食べもの、建築についての著書も多い甲斐みのりさん。教えてくれた「とっておき」は、東京らしい景色を望めるレストランや、まるで映画に出てきそうなバーまで、心躍る3店だ。 【東京會舘銀座スカイラウンジ/千代田区】 「舌平目の洋酒蒸 ボンファム」。時間帯や天気によって変わる景色を眺めながら、伝統の料理に舌鼓を打つ至福の時間をぜひ  1965年のオープン以来、回転レストランとして人気を博した「東京會舘銀座スカイラウンジ」。東京交通会館の15階にあり、丸の内や銀座、東京駅方面を一望できる。現在、回転は止まっているものの、「長年の間受け継がれてきたクラシックスタイルの伝統料理はどれも絶品」と甲斐さん。  お気に入りのひとつ「パフェ マロンシャンテリー」は、70年以上前に誕生した東京會舘伝統のスイーツ「マロンシャンテリー」がパフェになった、銀座スカイラウンジ限定のメニュー。「舌平目の洋酒蒸 ボンファム」も、「ふっくらした舌平目を芳醇なソースが包み込み、なんとも幸せな味わいです」(甲斐さん)。非日常な空間で伝統を感じる味を堪能したい。 【サントリーラウンジ イーグル/新宿区】 冷製牛肉の葱巻き4180円(奥)とビーフストロガノフ。サントリー・プレミアムソーダのハイボールも人気。バーテンダー上原幸雄さんとのトークも楽しい  新宿駅からほど近いビルの地下に降り、レトロな看板を横目に中に入ると、豪華客船のバーをイメージしたラグジュアリーな空間が広がる。そこが、「サントリーラウンジ イーグル」だ。創業は1966年。歴史が刻まれたカウンターで、気さくなバーテンダーが出迎えてくれる。  料理も豊富で、中でもビーフストロガノフは店の名物。自家製デミグラスソースと生クリームの濃厚な風味にファンも多い。甲斐さんにとってここは、「古い映画の中に迷い込んだような特別な空間」。古き良き昭和の折り目正しい洋食と、サントリーウイスキーのハイボールを楽しんでいるという。 【呉さんの台湾料理/杉並区】 料理を作るのも食べるのも大好きという店主の呉さんが生み出す「インゲンの四川風セット」。カリッと焼きあがった葱油餅を見ているだけで、おいしそう  食べ歩きが大好きと語る店主の呉瑞榮(ウー・ジェイロン)さんが営む「呉さんの台湾料理」。彼女が腕を振るう料理は、「どれもおいしくて手頃で、思わずたくさん注文したくなります」と甲斐さん。「家庭ではなかなか作れない味です」とも話し、日替わりランチもよく利用しているという。  揚げたインゲンとひき肉を炒めたものを葱油餅に挟む「インゲンの四川風セット」は、外はカリッ、中はモチモチの葱油餅とインゲンの食感はもちろん、自分で包むという行為も楽しく、クセになる味わいだ。 文筆家・エッセイスト 甲斐みのり/静岡県生まれ。旅、散歩、お菓子、手みやげ、建築などを主な題材に執筆。著書は『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』(エクスナレッジ)、『にっぽん全国おみやげおやつ』(白泉社)など多数 (ライター 野口ひとみ/写真 辻 嵩裕 樋口勇一郎/生活・文化編集部)  
パートナーとの性欲ギャップに悩む人たち 「夫から『気持ち悪い』」「まるでレイプ」「多産DV」
パートナーとの性欲ギャップに悩む人たち 「夫から『気持ち悪い』」「まるでレイプ」「多産DV」 写真はイメージです(写真:Getty Images)    夫婦やカップルなどパートナーとの間で性欲に差がある場合、セックスレスに陥ったり、望まない妊娠を繰り返したりするケースがある。性欲についての正しい認識に加え、欠かせないのは相手への思いやりだ。AERA 2024年11月25日号より。 *  *  * 「夫婦で同じ方向を向いていればよかったのに、と思います」  東日本在住の女性(40代前半)は、高校時代に出会った同い年の夫と、大学卒業後すぐに結婚。互いに初めての彼氏・彼女であり、初めての性行為の相手だ。女性は「いつまでも女と男でいたい」という想いが強く、結婚後、数年間の不妊治療を経て出産した後も「ママではなく女」を常に意識していたという。 「子どもが小さいうちはなんやかんやで間が開くことはありましたが、それでも月に1回、平均して月に2~3回はありました。私の方が積極的。しなくても、常に一緒にくっついていたい」  だがいつ頃からか、女性がベッドで「ねぇねぇ」と話しかけても、聞こえないふりをされたり、「うるさいなぁ」と言われたりするようになってきた。「不妊治療のストレスが影響しているのかもしれない」「仕事が忙しいのだろう」などと考え堪えていたが、思い切って「しないの?」と聞いた時、飲んでいたお酒のコップを投げつけられ、「そんなにしたかったら外でしてこいよ」と怒鳴られた。結婚10年を少し過ぎた時のことだ。 「その後夫はいびきをかいて寝てしまった。私はキレて泣きながら、そう言うならしてやろうじゃないのと、ネットで検索しまくった。それが婚外恋愛に至った最初です」  そう打ち明ける女性は、夫以外の男性と関係を持つ中で、性行為の内容には天と地ほどの差があることを知ったという。 夫から「気持ち悪い」  夫との性行為はずっと「はい、終わりました。じゃ、寝ます」といった風。性行為を2人で創意工夫し、自由に楽しみたいと夫に伝えたこともあったが、「気持ち悪い」と返され、むなしい想いに襲われてきた。  けれど、婚外恋愛を始めてからは、愛情や性欲の面で夫に何も期待しなくなった。“コミュニケーションの一環”として夫に求められたら応じるが、年に1~2回。このままフェードアウトするだろうと感じていた。 AERA 2024年11月25日号より    一方の夫は、コロナ禍以降、妻の気持ちが離れていっていることにようやく気付いたのか、就寝中にモゾモゾと体に手を伸ばしてくることが増えた。かと思えば、「俺は男として必要?」と感情的になって責められる。今さら何を言っているの、というのが女性の本音だ。  筆者はこれまで、性の悩みに応じる専門家や、性欲にギャップがある夫婦・カップルに取材をしてきた。共通点として多いと感じるのは、対話の断絶だ。  例えば、結婚30年で、ともに50代の夫婦の場合。  夫の相談は「妻は若い頃は性行為を楽しんでいた。しかし急に拒否をするようになった。認知症が原因ではないか。薬で治らないか」。黙って夫の横に座っていた妻に、後から話を聞くと「若い頃から性行為が嫌い。年齢を重ねるにつれ、その気持ちが強くなり、性行為なんて考えたくもない。夫に触られるだけでゾッとする」と話す。 多産DVに陥ることも  妻50代、夫40代の結婚14年目の夫婦では、妻は夫の行為を「まるでレイプ」と感じていた。子育てと仕事で疲労困憊の日々の中、寝ているところを叩き起こされ乱暴に行為が始まる。夫は妻が積極的に応じないのは「自分が育児を手伝わないから」と考えていて、「妻以外の女性とする気にはなれない。禁欲がつらい。絶望的だ」と主張する。  この夫婦のようなケースでは、妻は望んでいないのに妊娠し、子どもを産む「多産DV」に陥ってしまうこともある。  妻30代、夫40代で結婚10年の夫婦の場合、1人目を出産後、妻は性欲が低下。だが夫は性行為に応じないと暴れて暴言を吐き、手がつけられなくなる。「妻としての義務。病院で診てもらえ」と言われ、婦人科を受診させられたこともあるという。  さらに、頼んでも避妊をしてくれない。子どもは2人だが、実は一度、夫に内緒で中絶している。子どもの進学などを考えると、すぐには離婚はできないが、いつかは、と考えており、これ以上子どもができないよう、密かにピルを飲んでいる。 亀山早苗さん(かめやま・さなえ)/大学卒業後、フリーライターに。男女関係についての取材を手がける。著書に『セックスレス そのとき女は』など(撮影/写真映像部・松永卓也)    男女関係についての著書が多数あるフリーライターの亀山早苗さんは「男女で性欲のギャップがあるのは当然」と指摘した上で、「性欲がある側にしてもない側にしても、相手の気持ちを無視して何かを強要するのは、もはや性欲の問題ではない、支配欲に尽きます」と一刀両断する。 「女性は性ホルモンの分泌がライフステージで大きく変化するため、性欲もその影響を受けやすい。性欲って、それ単独なら処理のしようもあると思うんです。ところが、夫婦やカップルは日常生活や家族としての愛情から性欲を導き出そうとするので、相手とのギャップが生まれやすい。そのギャップは次第に『この人と一緒にいてはダメだ』という想いにつながってしまう」(亀山さん)  亀山さんは、取材した妻から「夫を諦める」という表現をよく耳にするそうだ。意味するのは「何も期待しない」。そうやって夫婦関係を淡々と続けていくのだ。「正面切っての“話し合い”というより、日常的に思いやる言葉を掛け合っていれば、後から修復も利くのではないかと思います。そうでなければ、定年後や子どもが独立した後は、地獄または虚無が待っているんでしょうね」(同) (ライター・羽根田真智) ※AERA 2024年11月25日号より抜粋  
「夫への憎しみを抑えられない」子育てで追い詰められた妻にひろゆき・ゆか夫妻が助言した、離婚する前にすべきたった一つのこと
「夫への憎しみを抑えられない」子育てで追い詰められた妻にひろゆき・ゆか夫妻が助言した、離婚する前にすべきたった一つのこと    ひろゆきさんとゆかさんは、何もかもが合わないデコボコ夫婦。付き合い当初から喧嘩も絶えなかったそう。そんな経験をヒントに、渾身のアドバイスをお届けします。 *   *   * 質問05:  ゆかさんひろゆきさんこんにちは。  毎晩飲み歩く夫への憎しみを抑えられません。  まだ小さい子供がいる、共働きの夫婦です。夫の仕事は営業職なのですが、毎晩のように飲み歩き、帰ってくるのが日をまたぐこともしばしば。子供がまだ夜泣きをするため、「少しでも早く帰ってきてほしい」とお願いしても、「仕事だから仕方ない」と、取りつく島もありません。  夫のほうが稼ぎは多いのは事実ですし、当初は彼の仕事を理解しようと思っていたのですが、風のうわさだとどうやら女性のいるお店にも行っているようなのです。最近は、家計からの持ち出しも増えたように感じています。  毎晩、暗がりで泣いている子をあやしていると、飲み屋ではしゃぐ夫の姿が脳裏にちらつき、言葉では言い表せないような憎しみでどうにかなってしまいそうです。休日は良き父親なので離婚は回避したいのですが……。 これ以上、私は何をすればいいのでしょう?   ゆかの回答  体を休ませて、睡眠を取る時間を確保するために出来ることをしましょう。共働きということで、質問者さんも日中は働きに出ていると推測します。夜泣きをする年齢のお子さんということで、深夜にも及ぶ育児疲れと睡眠不足、サポートする相手の不在が問題だと思います。ワンオペ育児とサポート不足は産後うつを引き起こします。出産後、1年未満に死亡した女性の死因1位は自殺というデータもあります。  病院で診断書を出してもらい、旦那さんに週に1−2回でも夜間育児の分担をしてもらう、仕事上、それがどうしても難しいということなら、実家、義実家、友人、夜間対応のシッター……とにかく頼れそうな先を見つけてください。  ぶっちゃけ、体が疲れているのに、ロクに睡眠も取れない状態であれば、(同じく育児当事者である)相手の帰りが遅い理由が、飲み歩きであれ人命救助であれ、腹が立つことに変わりはないと思います。  今後一生、この状態が続くわけではありません。夜泣きがなくなり、夜通し睡眠が取れるようになれば違ってくると思います。  今質問者さんがすべきことは、自分が死なないように、この大変な時期を乗り切ることです。相手を憎むのも、離婚を考えるのも、まずは自分が元気になってからです。   ゆかさん&ひろゆきさんの日々が描かれたコミックエッセイ『だんな様はひろゆき』(原作:西村ゆか、作画:wako)は6万部突破!   ひろゆきの回答  課題が複数あるので、一つずつ処理していきます。  まず、本当に仕事なのか?という調査。  携帯電話の位置情報を共有していいか?と聞いて、共有してくれれば解決です。  ちなみに、日本ではキャバクラで接待という仕事もあるので、「キャバクラに行ったから仕事ではない」という短絡的な考えは間違いです。  営業は人と仲良くなることで結果を出す仕事なので「すべてが経費で賄えずに個人のポケットから出すこともある」というのも日本に限らず、他国でもよくあることです。そこを含めて、営業の給料が高めになってる会社もあります。  さて、上記のことが頭では理解していても感情的に処理しきれないというもう一つの問題です。  まず、貴女は夫のことが嫌いです。  好きな部分もあるとは思いますが、嫌いな部分があることを自覚してください。 「飲み屋ではしゃぐ夫の姿が脳裏にちらつき」というのが、見ても居ないものを想像して怒ってるのですね。好意的に想像するのであれば、「夜中までやりたくもない接待をしている長時間労働で苦労して働いてる夫」を想像することも出来るはずです。  嫌いな部分があったら、その人を嫌いになるしかないという思考になってしまってるのだと思います。「休日は良き父親なので」という好きな部分があるにもかかわらず、嫌いな部分だけを見て離婚の方向でしか考えられなくなってるのだと思います。  人間には好きな部分もあれば嫌いな部分もあるのは当然です。でも、好きな部分が多いので、一緒に居るという人がほとんどです。  そして、嫌いな理由が「飲み屋ではしゃぐ夫の姿が脳裏にちらつき」という貴女の想像上の話なんですよね……。勝手に想像して、勝手に嫌いになって、離婚しかないと思い込む、という心理状態になってるので、心の余裕がないんだろうなぁ……と想像します。  というわけで、労働時間と子育て時間でどれくらいの時間が掛かってるのか?睡眠時間が1日に何時間なのか?というのを1週間分出してみて、睡眠時間や余暇の時間が少なすぎるので何とかしないと精神的に壊れてしまうというのを、旦那さんに伝えてみてください。    ちなみに、日本の残業の過労死ラインは1カ月あたり80時間です。平日に、8時間労働をして、子供の送り迎えや子育てに3時間かかるとすると、1日に3時間の残業時間と同じようなものです。  休日も食事や世話で6時間取られるとすると、平日が3時間×5日で15時間。休日が2日×6時間で12時間 週に27時間の残業相当の労働。1カ月だと108時間の残業時間相当の労働ということになります。  30時間ぐらい減らしたいけど、どうしたらいい?と相談してみると、子育ての大変さが共有出来るのではないかと思います。  例えば、週末の1日はベビーシッターを雇ったり、実家に預けたりすると、6時間×4日で24時間分の労働が減ることになります。  営業で稼いでる人ならお金で解決して家族円満のほうがいいですよね?という説得の仕方も出来るのではないかと……。   夫婦で話し合ってみた ゆか「私が短い回答の時は、君が長いの法則」 ひろ「課題が二つだったからね。心の病になってそうだな、ってのは2人とも思った様子だけど、君はどこでそう判断した?」 ゆか「共働きで子どもが夜泣きする年齢、夫に協力は求めてたが、叶わなかったこととか、文面から追い詰められてそうって思った」 ひろ「おいらは『暗がりで泣いている子をあやしていると、飲み屋ではしゃぐ夫の姿が脳裏にちらつき』ってところかな」 ゆか「日中は会社、帰宅すると育児が待っている。夜泣きする年齢ということで、子どもは1歳未満〜1歳半くらいと推測すると、産後の疲労、育児の疲労が蓄積する上に睡眠不足も重なったヤバい状態。  さらに、旦那さんに協力を得られないまでは事実だろうけど、不在時に旦那がどんな状態で過ごしているかってところで想像にとらわれちゃってる感もあって、だいぶ事態は深刻そうだなと」 ひろ「子供にもよるけど、赤ちゃんが、寝たいのに寝れないから泣いてるっていう悪循環になってるパターンを日本で聞くんだよね。赤ちゃんって意識が統一されていなくて『寝たい』と『遊びたい』が同居してたりして、本当は寝たいのにそこで持ち上げて抱っこしたりあやしちゃうと、寝れないから不快になっちゃうことがあるらしい。  人が抱えてないと寝ないという習慣漬けにもなっちゃうから、横に居て、安心感は与えるけど、ほっとくっていう欧米式に変えたほうがいいと思うんだけどね」     ゆか「泣いたらすぐにあやすのではなく、様子を見て、原因に応じて対処するのは正しいと思うけど、質問者さんが休める環境が整わないと、本質的な改善とは言えないなと。でも、ほっとける時とほっとけない時があって、後者の時に動くのが、質問者さんしかいないというのが問題なんじゃないかね」 ひろ「自分が疲れてるのにあやしてるけど、子供が泣き止まないという何をしても上手くいかないというストレスに繋がる。んで『飲み屋ではしゃぐ夫の姿が脳裏にちらつき』という想像をして、余計に腹を立てるという悪循環が起きてる」 ゆか「流れとしては分かるよ」 ひろ「まず、相手が関与しなくても改善できそうな提案ね。『一人で眠るためのスキルを育てる消去法』とかでググってください、と」 ゆか「『ねんトレ』って出てきた」 ひろ「トレーニングで半分の子供は夜泣きが減る」 ゆか「入眠前に睡眠の環境を整えて、1人で眠れるようにするトレーニングね。規則正しい生活リズムを整えることがポイントだから、確かに1人でできるというか、むしろ1人の方が良さそう」   夫は本当にヤバい人か? ひろ「おいらは、夫への疑惑の解消について書いたけど、君が書かなかったのは、なんか理由があるの?」 ゆか「質問者さんが、結構精神的に追い詰められてる気がしたから。既に、うつ症状になりかけているんじゃないかと。なので、あまりやることを増やさない方が良い気がしたの」 ひろ「たしかにね。でも『病院で診断書を出してもらい』は、いきなりかな、と」 ゆか「追い詰められた中で育児を担う場合の最悪のケースって、母子の命に関わることになると思ったから。質問にも、協力は求めたけど叶わなかったことが書いてあるし、第三者で、ある程度専門的な立場からのお墨付きがある方が、スムーズだと思った」 ひろ「なんの診断書をどうもらうの?」 ゆか「うつ症状とか睡眠障害とか適応障害とか……最終的にどういう診断をするのかは医師が決めるものだけど、産後の疲れが取れない中、パートナーの協力が得られない状態でワンオペが続き、睡眠不足も重なり、最近では夜になると実際には起きていない妄想が頭から離れない……って現状を説明して出してもらえば良いと思う」 ひろ「平日仕事してて、夜間に子どもを連れて精神科の予約をするのは結構ハードル高いかもよ。休日だと夫との合意が先になるし」   ゆか「会社や業種にもよるけど、仕事の合間や昼休み、午前休、午後休で時間は作れる。ケースは違うけど、私も20代の時会社を休職したことがあって、同じようにして、会社の近くの病院で診断書を書いてもらったよ」 ひろ「最近って、心療内科は予約とりづらいらしいよ。予約1カ月待ちとか」 ゆか「治療目的ならある程度時間をかけて自分に合う病院を選ぶのが良いけど、今回は診断書をもらう(=ヤバい状態ってことを客観的に証明する材料をgetする)が目的だから、オンライン診療も含めて探せば選択肢多いし、比較的すぐ見つかると思う」 ひろ「オンライン診療はありかもね。診断書取れると説得が楽になるしね」 ゆか「あと、医師の専門的な診断がある場合での旦那さんの反応で、今後も一緒にいていい人かどうかも、ある程度わかる気がするんだよね」 ひろ「それで協力的じゃなかったらヤバいしね」 ゆか「遅くまで飲み歩くことも仕事の一環かも知れないし、女性がいる店に行くのもその延長かもしれない。ただ、助けられない理由がなんであれ、質問者さんが大変なことは変わらないじゃん。楽になる状態にならないと意味がないと思う。  仮に仕事の都合で自分がコミットできなくても、自分の実家なり奥さんの実家に頭下げて頼むなり、お金多めに払って夜間のシッターサポートしてくれるところ探すなり、協力の仕方って色々あると思うんだよね。だから、診断書見てどういう反応を取るのかで、一緒にいて大丈夫な人か、ヤバい奴かも測れると思う」 ひろ「まぁ、ヤバい奴だと割り切って、ATMとして使うというのも選択肢だけどね。『育児に協力してくれる人』という認識をするから、怒りが生まれてくるわけで。『夜中に帰ってきて、朝に出かけていくおじさんが、毎月まとまったお金をくれる』と考えると、あんまり気にならなくなったり」 ゆか「質問者さんが正常な状態で、それを望んでいるのなら異論はないけどさ、本来育児って、母親だけがするものじゃないじゃん。なので、元気だったらまだしも、弱っている状態で色々やらせるのも酷だなと思って『ああしろ、こうしろ』と書かなかった」 ひろ「憎いから離婚するってなると、経済的にはもっと厳しくなるからね」   ゆか「なので、対応次第で『自分が当事者だと思っていない人』認定ができたら、しばらくは、離婚するよりはマシな生活ができるから一緒にいるって割り切っていた方が良いかなと。既に疲れてるのに、相手を憎むことにまで労力を割いたら本当に辛いと思うんだよね」 ひろ「現状のやるせなさをぶつける相手が夫しか見えないから、憎むってことになってる面もあるだろうから、余裕が出来たら憎む必要もなくなる可能性もあると思うんだよね」   大丈夫になる方法は必ずある ゆか「ところで『家計の持ち出し』って部分が引っかかるんだけど、何これ?」 ひろ「経費で落ちないから自腹で接待営業って意味じゃないの?」 ゆか「なんかさ、諸々の不満をお金で解決できるレベルの稼ぎだったらいいんだけどね……。自分が手を動かすか、代わりにお金を出すかしかないわけで」 ひろ「若いと厳しいかもねー」 ゆか「『家事育児』って、何故かセットになった状態が当たり前のようにはびこってるけど、本来育児って1人でやるもんじゃないんだよね。昔は大家族だったり近所でサポートしてくれたりする社会だったから、片方の親と、他にサポートしてくれる相手で回っていたけど、今は核家族化で地域のコミュニケーションも昔ほど密じゃない。  若くて収入が少なかったり、そこまで会社で自由に働き方を選べなかったりするとか理由は色々あるけどさ、結局皺寄せが母親に多く回ってしまう状況が、よりその人を追い詰めてしまうところがどうにかならないものかと。しかも、その追い詰められた存在が、さらに弱い子どもを育てているという」 ひろ「男女平等を推し進めた結果はフランスがわかりやすくて、子供に対して時間を使いがちな女性がひたすら子育てに回ることになり、キャリアを作れなくなる。んでも、男女平等の結果だから受け入れるしかない。  日本は、収入が少なくて扶養されている配偶者が国民年金の第3号被保険者になれるというある種の不平等があるけど、その結果、家事育児に専念しても部分的には困らないという社会になってはいる」     ゆか「制度としてはまだセーフティーネットがある、ということだね。だけどここで想定する夫婦関係にとっての最悪は、『平等にも公平にもならない』ところだと思っていて。夫が仮に手を動かさなくても、その人が他にサポート要員を見つけてくれば良いと思うのね。後は、見つけることすらできなくても、そこで発生するお金を負担すればまだマシだと思ってる。でも、それすら厳しいとなると」 ひろ「実家が遠くて若いから、経済的にも厳しいってなるパターン」 ゆか「今回の質問については、実家が遠いとか、親族の協力の可否は書いてないから、可能性あったら頼ってくださいだよね、まずは」 ひろ「診断書をもらって、休業補償で働かないで手当をもらうというパターンもある。その場合は、給料の8割が働かなくてももらえるから、子育てに専念しててよくなる。夜泣きの対処をして、夫に相談して、親族援助も得られないなら、行政に頼る手もあるから、詰むことはない」 ゆか「産休・育休終えて、復職をしてからの休職になるだろうから、質問者さんの精神的なハードルもあると思うけど、背に腹はかえられないという感じだよね」 ひろ「まずは『大丈夫になる方法はある。その中からどれを選ぶか?』という話で考えたほうが弱ってる人にはいいと思うんだよね。どうにもならないと思い込んで、もっと悪い選択肢を取る人いるからね」 ゆか「そこは同意。まずは質問者さんの心身の健康を、最優先に考えてほしい。恨むとか、その想像が本当か確かめるとかは、ある程度元気になってから確かめれば良いし、とりあえず子どもにとっての良い父親であるのなら、パートナーとして適しているかどうかを、ゆっくり時間かけて見極めれば良いと思う。その間、お金貯めたりもできるし」 ひろ「まぁ、離婚はすげーエネルギー食うらしいからね。弱ってる時にやるべきことではない気はするね」 ゆか「何事も、体が資本ですからね」   総括 ・1人で抱え込まない! パートナーや親族、友人、行政、民間のサービスなど、頼れそうなものは全て活用して、負担を軽減しよう ・病院で診断書をもらい、その上で育児負担の軽減・分担を旦那さんと話し合い、反応を見てみよう ・まずは自身の健康が第一。休業補償をもらいながら休職する選択肢も視野に入れよう ・何事も体が資本。恨んだり、疑惑を確かめたりするのは自分が元気になってから     【お悩みを募集中!】 連載「西村ゆか&ひろゆきの夫婦のトリセツ」では、夫婦・パートナーにまつわるお悩みを募集しています。ご応募はこちらのフォーム から!(https://publications.asahi.com/feature/nishimura/)   西村ゆか/Webディレクター。東京北区出身。インターキュー株式会社(現GMOインターネットグループ株式会社)、ヤフー株式会社を経て独立。2015年よりフランス移住。著書に『だんな様はひろゆき』(wakoとの共著、朝日新聞出版)、『転んで起きて』(徳間書店)がある。 ひろゆき/1976年、東京都生まれ。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。主な著書に、『論破力』(朝日新書)、『1%の努力』(ダイヤモンド社)などがある。   【こちらも話題】 深夜に大音量でゲームを始め、飛び起きた私に「耳栓したら?」 ひろゆきとの夫婦喧嘩の仲直りのルール 西村ゆか&ひろゆきの夫婦のトリセツ https://dot.asahi.com/articles/-/231832        
「詰め込み過ぎてないですか?」 銀シャリ・橋本直、些細な気付きを繊細に綴った初エッセイ集
「詰め込み過ぎてないですか?」 銀シャリ・橋本直、些細な気付きを繊細に綴った初エッセイ集 橋本直(はしもと・なお)/1980年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学経済学部在学中の2002年にNSC大阪校に通う。大学卒業後の2005年に「銀シャリ」を結成。2016年に「M-1グランプリ」優勝(撮影/写真映像部・佐藤創紀)    AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。  お笑いコンビ「銀シャリ」の橋本直のエッセイ20編を収めた、橋本の初めての著書。日常のささいな出来事へのツッコミ、お笑い芸人になるまでのこと、相方の鰻和弘への思い、結婚した妻からのダメ出し予想など、多彩な比喩とユーモアを交えてつづっている。鰻によるシュールな4コマ漫画を各章に収録した一冊『細かいところが気になりすぎて』。橋本さんに同書にかける思いを聞いた。 *  *  *  「銀シャリ」の漫才で、怒濤の勢いで言葉を繰り出す橋本直さん(44)。その能弁はエッセイでも変わらない。 「あとから読んで、口数が多いなと思いました。詰め込み過ぎてないですか? 止まり方がわからないんですよ」  飛行機内のドリンクサービスに緊張し、進化する携帯電話の機種変更におののき、洗濯機にジェルボールを入れたかどうかわからなくなって洗濯物を掘り返す。日常生活のささいなことにツッコミまくるのだが、なぜかいちいち共感してしまう。 「汁」と名付けられた章では、ラーメン、鍋など、各種汁のおいしさを礼賛している。 「汁はめっちゃ好きなんで、いっぱい言いたいことあるから書こうと。汁にこれだけ熱量ある人間はいないはず」  かと思うと橋本さんが高校1年生のときに亡くなった父親のこと、相方の鰻和弘さんへの思いもつづられている。 「エッセイは一人だから暴走できるんです。漫才と違ってキャッチャーがいないから、全部出し切って投げました」  短い文章を新聞に寄稿したことはあるが、長いエッセイを書くのは今回が初めてだ。 「いかつかったですね。4分のM−1グランプリと10分の寄席の漫才が全然違うように、短いものを薄めて長くしてもダメ。とりあえず言いたいことがあふれるままに書いていきました」  どのページにも、これを言いたい、ツッコミたいという熱がみなぎっている。「毎日いろんなことが気になってムクムクしている」ので、ネタは永遠に尽きないそうだ。 『細かいところが気になりすぎて』(1650円〈税込み〉/新潮社)お笑いコンビ「銀シャリ」の橋本直のエッセイ20編を収めた、橋本の初めての著書。日常のささいな出来事へのツッコミ、お笑い芸人になるまでのこと、相方の鰻和弘への思い、結婚した妻からのダメ出し予想など、多彩な比喩とユーモアを交えてつづっている。鰻によるシュールな4コマ漫画を各章に収録    漫才、エッセイで見せる言葉のセンスの裏には読書体験がある。本好きだった父親の影響もあり、中学生のときにサッカー日本代表を描いた一志治夫『狂気の左サイドバック』でスポーツ・ノンフィクションに目覚め、高校の終わり頃にはドラマの原作になった桐野夏生『OUT』で小説の面白さを知った。  大学時代、お笑いのビデオを夜遅くまで見ていると、家族が寝静まった朝4時過ぎに朝刊が届く音がする。新聞や地域情報誌からコラムを切り抜いてファイルに入れ、学校に行くときに読むくらい活字にはまっていた。  今回、エッセイを一冊にまとめたら、芸能界の話はほとんどなく、日常の風景ばかりだった。 「自分は日々の暮らしの中で、ちょっとしたことに気づくのが好きなんだと改めて思いました。取るに足らないことを、ちょっとだけ足るようにして世に送り出したい。僕は毎日を繰り返し丁寧に生きてる人が好きなんですよ」  あとで振り返ったら、いちばん愛おしいのは普通の日々だと思っている。仕事では芸能界という「ぶっ飛んだ世界」にいるからこそ、何でもない日常がよりくっきりと色鮮やかに見えているのかもしれない。そんな橋本さんのメガネで世の中を眺められる20編が収められている。 (ライター・仲宇佐ゆり) ※AERA 2024年11月25日号  
すでに組んだ住宅ローンの金利は交渉で下がる!? 元メガバンク支店長が教える「交渉の余地が十分にある人」とは
すでに組んだ住宅ローンの金利は交渉で下がる!? 元メガバンク支店長が教える「交渉の余地が十分にある人」とは お金の専門家・菅井敏之さん(本人提供)   物価高が続き、給料も上がらず、なんとなく生活が苦しい時代。長生きリスクが心配でこの先、お金に困らない生活を送るには……。お金に関する「教えて!」を解決する短期連載。第3回のテーマは「銀行とどう付き合えばいいのか」。元メガバンク支店長でお金の専門家・菅井敏之さんに、バブル時代に青春を謳歌した筆者、バブ子(バブル女子)が聞きます。教えて、菅井さん! ――前回、銀行との正しい付き合い方でお金を借りられるという話を聞いて、さっそく地元の金融機関に口座をつくりました。人生後半戦、家を売ったり買ったりするということが、必ずあると思うので、少し安心した気分です。 「この物件ステキ!」 菅井:それは良かったですね。銀行は「返済率35%(収入の35%)」まで貸してくれます。でも私は自分で返すことができる金額は年収の20%くらいまでと考えています。年収が600万円の人であれば、120万円ぐらいまで。ローンの支払い額を低く抑えるために最初に年収の20%の借り入れと決めておけば、購入できる物件の価格が自動的に決まりますよね。年収500万円なら住宅ローンの支払いは年間100万円。毎月でいえば8万3000円。仮に住宅ローン(35年)の金利 が1%だとすると、だいたい3000万円の物件になります。これに預貯金で頭金を用意できる人はその額をプラスした物件が購入できるというワケです。このように金額を定めてから物件を探せばいいのですが、多くの人が物件を先に見て「この物件ステキ! 予算以上だけど買うわ」となってしまいます。これが悲劇の始まりです。 ――わかりますが、ハマります(笑)。 菅井:「お金を借りることができる」と「お金を返すことができる」はまったく違います。借りられる額を聞いて、自分がその額を返せると思うのがキケン。身の丈以上の物件を購入し、ドツボにハマってしまいます。 ――わかります。わかります。ではどうすれば。 菅井:まず夫婦の収入を合算したローンを組むことは避ける。妻側が出産や育児で収入が減れば、返済が厳しくなりますから。そうなって返せなくなりカードローンを借りてその支払いもまた別のカードローンから借りる……という悪循環の果てに破綻した人をこれまでに私はたくさん見てきました。ボーナス払いも絶対にやめましょう。ローンは年収の20%に抑え、毎月均等に返済することです。もしローンの支払いを3カ月以上延滞してしまったらアウトです。せっかく購入した家だけでなく、預貯金まで差し押さえられてしまいます。そして債権回収会社は任意売却にかけますが、それでも成立しない場合は最終的に競売にかけられることがあります。夢にまで見た我が家が、あっという間に知らぬ誰かのものになり、手元に残ったのは残債のみ。これは悲惨です。 10年持っていくらで売れるか ――ローンの話はそれくらいにして……。損しない不動産の買い方を知りたいです。 菅井:「おすすめ5原則」があります。これは、「安全性・収益性・健全性・成長性・流動性」です。これらが高いものを選べば、失敗しにくいと言えると思います。安全性でいえば築年数が古すぎないというのもポイント。陥りやすいのが、利回りの高さだけを見ること。「10年持っていくらで売れるか」のトータルで見てください。パートナーとなる仲介会社や管理会社が健全であるかもポイント。将来性のあるエリアで需要のある間取りや立地であることも重要です。お勧めエリアはこっそりお教えします。 ――実は驚いたことがあります。すでに組んでいる住宅ローンの金利ですが、「もう少し下げてもらえませんか」と掛け合ってみると、意外とできるって本当ですか。 菅井:はい、本当です。現在の市場金利や、銀行の金利を調べて比較して、他行で低い金利の住宅ローンを見つけたら、それをもとに(交渉材料として)自分の銀行に交渉するのです。「借り換えを検討していますが、登記費用などがかかるので、レートを下げてもらえませんか」と。銀行員時代はローンの引き下げ交渉なんて日常茶飯事でしたよ。相手が信頼のおける顧客で、ローン返済履歴が良好であれば銀行側にとっては手放したくないわけですから、交渉の余地は十分にあります。それを機に銀行が条件を見直すきっかけにもなります。 ついで買いの誘惑 ――何でも任せきり&ほったらかしにしないで、自分で情報をとって、まめに行動するって大事なんですね……。 菅井:銀行に対する意識を変えて、もっと銀行を上手に使ってほしいと思っています。ところで、お金をどこでおろしていますか? ――コ、コンビニです……。楽ですもん。 菅井:確かにコンビニでの現金引き出しは非常に便利で良いと思いますが、私から見ればお金が必要になってコンビニでその都度下ろすというのはキケン。手数料がかかる人もいるでしょうし、ついで買いの誘惑もあります。お金はもっと計画性を持って下ろして使うのが理想です。 ――結局お金が貯まる人と貯まらない人の違いはそこにあるんですよね。計画性……。 菅井:1回目でもお話ししましたが、同じ45歳で年収1300万円の人が貯金ゼロなのに、年収500万円の人が預金2000万円という例。これ、本当にシンプルなんです。計画性の違い。お金をどう使い、どう回し、どう貯めていくかを考えて生きる人と、その場しのぎでお金を使っている人の違い。実はお金持ちになるって、すごく難しいことでもなくて、極めてシンプルな心掛けでなれるんです。次回はそのお金持ちの人のお金に対する捉え方と管理の仕方についてお話ししたいと思います。バブって生きるのも楽しそうですが、ほんの少しお金との向き合い方を変えるだけで、もっと違った楽しさも加わると思いますよ。 ――お金を増やすことや回すという感覚がわからなくて……。次回楽しみにしています! 次回の「教えて! 菅井さん」のテーマは、お金持ちの人がやっていることについて。「お金が貯まらない私は、貯まっている人と何が違うの?」です。 (構成/AERA dot.編集部・大崎百紀) 菅井敏之(すがい・としゆき)/1960年、山形県生まれ。学習院大学卒業後に、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。東京と横浜で支店長を務め、25年間銀行マン。48歳で早期退職。現在は10棟のアパート経営で年間7,000万円の不動産収入を得ている。また、人気講師として全国で講演やセミナーを行っている。現在は帝国ホテル内でお金に関する相談を受けている。著書に「お金が貯まるのはどっち!?」(アスコム)など。お金の専門家・菅井敏之公式サイト「お金が貯まるのは、どっち!?」(https://www.toshiyukisugai.jp/)  
「女の子なのに算数が好きなんだ」と子どものころに言われ 犬山紙子が娘の「ジェンダー教育」に力を入れる理由
「女の子なのに算数が好きなんだ」と子どものころに言われ 犬山紙子が娘の「ジェンダー教育」に力を入れる理由 犬山紙子さん  イラストエッセイスト、コラムニストとして多方面で活躍する犬山紙子さん。自身が体験してきた女の子の理不尽さを自分の子どもに味わわせたくないという思いから、7歳になる娘さんが生まれて間もないころから「ジェンダー教育」を始めたそうです。『私、子ども欲しいかもしれない。』(平凡社)『アドバイスかと思ったら呪いだった。』 (ポプラ文庫)という著書でも知られる犬山さんがジェンダー教育に力を入れるようになったきっかけや思い、手助けになっているものについてうかがいました。※後編<犬山紙子が子育てで“本当になくなってほしい”と思う親の対応とは 「謙遜じゃなくて、ただの悪口だと思うんです」>へ続く この社会で女の子を育てるのがすごく不安だった ――「ジェンダー教育」を意識されるようになったきっかけを教えてください。  私は、子どもを産んだときに、「すごくうれしい」「本当にかわいい」という気持ちと同時に、この社会で女の子を育てるのは不安だな、という思いがとても大きかったんです。というのも、私自身が女として生きてきて、女じゃなかったら受けなかった理不尽な思いというのがあったからです。友人やまわりの人に話を聞いても同じような気持ちを抱えていました。  日本はジェンダー・ギャップ指数でかなり遅れているという現実もあるなかで、娘に女の子だからという理由で自分の意志を取り下げることなく、自分でよかったと思って生きてもらうためにはどうしたらいいかと考えたのがきっかけだったと思います。 ――女性特有の理不尽さについては、子どものころから感じていましたか?  私は算数がすごく好きで算数の勉強をしていると、「女の子なのに、算数が好きなんてすごいね」と言われることがありました。これは一見褒め言葉のようなんですけど、“女の子は算数が苦手”であるという前提がある言葉ですよね。やっぱり算数では男の子にかなわないのかな、と思うようになりました。他にも、食事のときに動くのはなぜか女性だけなんだろうだとか、かわいくしていないと冷遇されるんだなあとか、意見をはっきり言うと気が強いと言われたりだとか。   また、中学になると電車通学になって、そこで痴漢に遭ったんです。それまでは親に守られ、まわりからも子どもとして扱われていたのが、急に大人の男性から性の対象として見られてしまう。これは男子にもありえることですが、当時は学校や家庭での性教育もまだまだな時代で、痴漢に遭ったことに対して怒っていいのかもわからなかったし、親に言って心配させたくない、まわりに相談して逆に自分が責められたらどうしようという思いもありました。加えて、それをまわりに言うと自慢だと思われるかもしれないという懸念もありました。痴漢に遭うだけでも理不尽なのに、ちゃんとした性教育を受けていないために適切な対応がとれなかったんです。 【雑誌「AERA with Kids」バックナンバーが読める!特典満載】 無料会員「AERA with Kidsメンバーズ」始まりました https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/238846 犬山さんと娘さん(提供) 心のケアについてはカウンセラーを頼ったほうがいい ――実際には、親がいつも子どものそばについて性被害から守るということは難しいと思います。親の介入についてはどうお考えでしょうか?  たとえば私自身、痴漢に遭う経験をしましたが、子どもには絶対に痴漢に遭ってほしくないんです。だからといって、電車通学を禁じるのかといえば、禁じることはできません。そこはやっぱり子どもの学びたい気持ちに忠実に、もし電車通学で行きたいところがあれば制限したくない。となると、痴漢に遭う可能性はどうしてもあるわけです。そうなったときに親としては性教育をして、痴漢にあった方は何も悪くないことを伝えることと、傷ついた心は臨床心理士などのプロに頼る大切さを伝えることが必要なのかなと思います。自衛について教える時は「自衛しなきゃいけない社会がおかしいのだけど」「自衛できなかったとしても、それは何の落ち度でもない」ということをセットで伝えようと思っています。  カウンセリングは私自身もお世話になりましたし、知見のある方に話を聞いてもらえることはとても救いでした。行きつけのカウンセラーを見つけて、子どもも抵抗なく受けられるような土台作りは、親がしてあげられることの一つではないかと思います。また、私が今まで取材をして得たことや、精神的に不調を抱えたときに得た知識はシェアできると思います。今も、娘が悲しそうにしていたり、友だちとケンカしてつらそうだなというときには、「再評価」というネガティブな気持ちとの付き合い方を伝えたりしています。拙著『女の子に生まれたこと、後悔してほしくないから』を書き進める中、小児精神科医の内田舞先生に教えてもらった方法です。  性被害に限らず、友だちのつき合い方や傷ついたときの対処法など、子ども向けの心のケアについては良書がたくさん出ているので、それも心強いですね。 ――犬山さんご自身が子どものころにそういった心のケアに出会っていたら、捉え方なども違ったと思いますか?  それはすごく思います。たとえば性被害に遭うと、“自分は価値のない人間だ”、“自分は汚い”という方向に考えてしまいがちなんですよね。思春期のルッキズムについても、大学生のころ、自分の見た目に悩んで生理が止まるレベルの無理なダイエットをしてしまったことがありました。そういうときにプロに頼るという選択肢があって、正しい知識を身につけていたら違っただろうというのはすごく感じます。 「料理をするのはほとんど夫」という犬山さんと劔さん夫妻(提供) お手本は『虎に翼』。ジェンダー問題の絶望だけでなく希望もセットで伝える ――「ジェンダー教育」や「性教育」を取り入れるにあたり、おすすめの方法はありますか?  私はSHELLYさんや産婦人科のお医者さま、性教育について発信されている方の言葉、それ以外にも国際セクシュアリティ教育ガイダンスを参考にしました。このガイダンスは、子どもの年齢によって伝えるべき内容が詳しく書いてあるので、この年齢でこのぐらいのことを理解してもらうといいんだな、というのがよくわかる道しるべだと思います。本が好きな子であれば、子ども向けでよさそうな絵本や本を本棚に差しておくと、子どもが勝手に手に取って自分ごととして読んでくれるので、おすすめです。 【こちらも話題】 SHELLYに聞く子どもへの“性教育”のコツ「『なにを質問してもいい』という親子のオープンな関係をつくることが第一歩」  女の子の場合は、10歳くらいのある程度の年齢になったら、ジェンダー問題の構造を伝えつつ、絶望だけでなく希望もセットで伝えるのが大切だと思います。たとえば、NHKの朝ドラでやっていた『虎に翼』を一緒に見るのもとてもいいなと思いました。法曹界で女性の社会進出の道を開いた主人公を描いたお話ですが、以前、娘の友だちと一緒に遊んだときに、7歳の子たちが「感動した! めちゃくちゃいい!」って言うんです。ジェンダーを扱った映像作品を一緒に見て、女の子もこうして仕事をしていてもいいし、こういう人たちのおかげで状況は変わってきて、今も変えようとしている人たちがいると思えることが希望ですよね。  私はテレビでもYouTubeでも「女のくせに」みたいな言葉が出てきたときには娘に耳打ちをするんです。あまりに悪質でなければ見ちゃダメと制限はせず、気になる発言があったら発言した人の人格を否定をするのではなく、「ママは今の発言のこの部分はどうかと思う」というふうに伝えるようにしています。 ――家庭内で、夫の劔樹人さんとの間で役割分担のようなものはあるのでしょうか?  うちは夫もジェンダーロールなどに反対の立場。私のほうが仕事で家を空けることが多いこともあり、料理はほとんど夫がしていますし、保育園の送り迎えもしていました。そういう意味では、女性が働く姿も男性が家事する姿も娘に見てもらえていると思います。ただそれは男女両方の親がそろっていないといけないということではなく、身近にそういう大人がいることが子どもにとって大きなことだと思っています。 娘さんがすることに「女の子だから」という枕詞はついてほしくない、と犬山さん。娘さんとのツーショット(提供)  やっぱり私は娘が何をするにも「女の子だから」という枕詞がついてほしくないんです。たとえば専業主婦になって子育てをしたいと思えばそれでも全然いいんです。ただ、それが「女だからそうしなきゃいけない」ではなく、「自分がこうしたいからする」であってほしいと思っています。 (構成/渡邉朋子) ◯犬山紙子/1981年生まれ、大阪府出身。イラストエッセイスト、コラムニストとして活動しながらテレビやラジオに出演するなど、マルチに活躍。2018年には児童虐待防止のボランティアチーム「#こどものいのちはこどものもの」を発足。2024年10月には『女の子に生まれたこと、後悔してほしくないから』を出版。小学2年生、7歳の女子のママ。
怪人・岩松了が紡ぐ繊細で美しいラビリンス 「峠の我が家」
怪人・岩松了が紡ぐ繊細で美しいラビリンス 「峠の我が家」  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は演劇「峠の我が家」について。 「峠の我が家」左から岩松了、二階堂ふみ、柄本時生(撮影/宮川舞子) M&O playsプロデュース「峠の我が家」2024年10月25日(金)~11月17日(日)東京・本多劇場 作・演出:岩松了 出演:仲野太賀/二階堂ふみ/柄本時生/池津祥子/新名基浩/岩松了/豊原功補 *東京公演のほか、新潟・宮城・富山・愛知・広島・岡山・大阪公演あり。 *  *  * 「岩松了」という人物が怪人であることは間違いない。  会話はもちろん挨拶もしたことはないが、何年かに一度見かけ、いつもその存在感に圧倒される。  何年も前、笄町にある隠れ家のような和食屋で誰もが知っている有名女優二人と食事をしていて、周りはその光景に緊張しながらも会話に耳をダンボにしている中で平然と食事を楽しんでいた。  紀伊國屋サザンシアターで、確か長塚圭史演出の「十一ぴきのネコ」だったと思うが、辺りを睥睨するかのように現れ、僕の隣にドンと座ったのも岩松了だった。  岸田國士戯曲賞、紀伊國屋演劇賞(個人賞)、読売文学賞など名だたる賞を受賞した劇作家であり演出家であり、俳優であり、映画監督である。  そんな岩松作・演出の芝居「峠の我が家」を見た(下北沢・本多劇場)。  峠にある一軒の旅館には主人・佐伯稔(岩松了)と息子・正継(柄本時生)とその妻・斗紀(二階堂ふみ)が住んでいる。そこに若者・修二(仲野太賀)と彼の兄嫁(池津祥子)が訪ねてくる。彼らは兄の戦友の家に軍服を届けに行くという……。 「軍服」という響きを不穏に感じた。軍服は旧日本軍のものなのか。  そういえば来年は敗戦80年である。  起承転結のある明確な物語ではない。  ストーリーは水面下で進行している。  ただ登場人物が「軍服」にこだわっているように、過去にあった戦争への恐怖がそこかしこにあるのはわかる。  次第に斗紀と若者・修二が惹かれあっているのが、うすうすわかってくる。それは許されることのない恋なのだろうか。  そんなことを考え始め、僕は次第に「岩松了」という人物の脳内を探るようになっていった。 「峠の我が家」左から仲野太賀、二階堂ふみ(撮影/宮川舞子)  パンフレットにキャストたちのこんな言葉が掲載されていた。 「全体的には戦争の影を感じるというか、罪を犯した者や失った者の許しを求めて惹かれ合うようなイメージ」(仲野) 「どこに辿り着くかわからない船に乗っているような感覚」(二階堂) 「観ている間に感じさせる『何か』、曖昧で言葉にできない『何か』が、岩松さんのホンの持ち味というか、魅力なのかな」(新名基浩) 「(岩松脚本の)登場人物は必ず何か背負っていて。実像か否かの境界も曖昧だったり、さらに命や時代感も含めて描くので、本当に恐ろしい台本」(豊原功補) 「壮大な神話の一編、そんな印象を持ちました 始めがあって終わりがあるのではなく、ぐるぐると回り続ける時の流れの中にいる人達…そんなイメージも」(池津)  ……雨を吸った落ち葉は音もたてずに人を抱きしめる。  ……亀は人の運命を背負っている。だから歩くのが遅い。  なんとも繊細で美しい光景が演者の口から紡ぎ出されるが、それは岩松の夢の世界の風景なのかもしれない。  不条理な異界と現実を繋いでいたのは柄本時生演じる主人の息子正継だった。  気遣いがあり、まっとうで、まず人のことを思う正継を足がかりに僕は筋を追いながら岩松のラビリンスの舞台を堪能した。 「峠の我が家」左から二階堂ふみ、仲野太賀(撮影/宮川舞子) (文・延江 浩) ※AERAオンライン限定記事
純烈リーダー・酒井「妻の力は計り知れない」 子どもたちに苦労を見せず「演じ切ってくれました」
純烈リーダー・酒井「妻の力は計り知れない」 子どもたちに苦労を見せず「演じ切ってくれました」 純烈のリーダー・酒井一圭さん  ムード歌謡グループ「純烈」のリーダー兼プロデューサーとして活躍中の酒井一圭さん。子役、戦隊ヒーローを経て、元ヒーロー俳優を中心にした純烈を2007年に結成。しかし、ムード歌謡はゼロからのスタートで、ヒット曲に恵まれるまでには長い下積み時代がありました。暗中模索のなか、酒井さんを支え続けてくれたのは妻、美紀さんの存在でした。夫婦円満の秘訣や、ご自身が両親から学んだことなどをお聞きしました。※前編<純烈リーダー・酒井一圭 4人の子どもに身をもって伝えてきた「絶対チャンスに恵まれる」秘訣とは?>から続く 子どもたちに苦労を見せず「演じ切った」妻 ――純烈が軌道に乗るまでは、いろんな苦労があったと思います。山あり谷ありの人生のなかで4人の子どもに恵まれ、奥様と仲良くやってこられた夫婦円満の秘訣は?  これはもうね、本当に奥さんが辛抱してくれただけだと思います。1人目が生まれて、2人目が生まれて、そのタイミングで僕は純烈を結成するんですけど、デビューはしたものの形になるまでは何年もかかった。その間、家にろくにお金を入れられなくて、普通は「ええ加減にせえよ」となりますよね。  たとえばうちの母だったら、俺そっくりのタイプやから「何年くすぶっとんねん!」「遊んでる場合か!」と罵ると思う。物にあたったりね(笑)。でもうちの奥さんは、子どもたちにそんな苦労はまったく見せず、俺の悪口も言わんと演じ切ってくれました。純烈がテレビに出るようになって、番組のなかで紹介される当時の苦労エピソードを見て初めて「え、うち、お金なかったの?」と子どもたちは気づくわけです。 「ってことはさ、ママがすごく頑張ってくれたってことだよね。パパ……むちゃくちゃじゃん!!」って(笑)。奥さんへのねぎらいと、とんでもないやつだという私の評価と(笑)それは上の3人……いや4人とも分かってて、ゲラゲラ笑ってる感じですね。  だから自分も運はいいほうだと思うけど、純烈が成功した7割は奥さんの運だと思う。この人の運や人間力でバックアップしてもらえたから、純烈として成功して馬主になりたいという夢も、たくさん子どもが欲しいという夢も叶えられた。俺が投げるむちゃくちゃな球を全部受け止めてくれた名キャッチャーなんです。 足湯を楽しむ酒井さんと三男一女 ――つくづく奥様と出会えてよかったですね。  ホンマにそう! じゃないと4人の父親にはなれなかったですし……。  そう、一人目の出産のとき逆子やったんです。奥さんに「これまで死にそうになったことある?」と聞いたら「やっぱりあれが1番」というのがこのお産で。 ――酒井さんは1年間、育休を取って付き添ってたんですよね。  ま、当時はほぼニートでしたからね。毎回、奥さんと一緒に産婦人科に通って、エコーで胎児を見ながら「ちっちゃいなぁ」とか言ってたのが、だんだん赤ちゃんの姿になっていくのも見てきたんですけど、いざ生む段になったら逆子だったんですよ。最後までいきんだらあかんと言われて、格闘してる奥さんの腰をお義母さんと交代で必死にさすりました。30数時間かかって生まれてきたときは本当に感動した。  奥さんいわく「最初のお産が大変過ぎて、あとの3人はチョロだった」って(笑)。そういうところも本当に尊敬するしすごいと思う。 ――今は酒井さんの個人事務所の社長も務められているんですよね。  苦労かけたから、今はお金のことも全部やってもらってます。だから計り知れないよね、奥さんの力は。お弁当を作ったり、洗濯物を毎日二回転させながら、仕事と家族の両方とも円滑に回してくれてるんだから。 子どもたちのレールは絶対敷かない ――ちなみに先ほどお話が出ましたけど、お母様は奥様と真逆のタイプですか?  いや、それが二人ともさそり座の女で、意外と似てるところもあるというか……。一つは母も奥さんも俺の扱いがうまい。それと、我慢強くて諦めないところも似てると思う。とことん生んだ人間に対して並走する強さがあるところも。  うちの母は、なんて言えばいいんやろ……まぁ 闘争心というかファイターとして自分を奮い立たせてやってきた人だと思うんですよ。うちは弟が自閉症という障害があったので、弟が生きていく環境を整えるために町や福祉にかけあうということをずっとやってきた人です。さらに僕は「今日も酒井くんの問題について考えましょう」みたいな保護者会が開かれ続けた問題児。でも母は逃げることなく被告人席に座って頭を下げ続けてくれた。  それでも僕に制限をかけるということはなかったんですよ。もちろん「警察のご厄介にだけはなるな」みたいなことは言うけど、だからといって縛り付けることはしなかった。子役をやるときも、俳優をやるときも、結婚する時も俺に決めさせてくれた。それは父も同じスタンスで、僕が決めたことをただ見守って応援してくれて、謝らなあかん時だけ謝りに行ってくれました。僕が両親に一番感謝してるのは、そこなんです。だから僕も子どもたちのレールは絶対敷かないと決めてるんです。 ――お子さんにはどう伝えているんですか?  とりあえず、やりたいことはやりまくれ、と。当然、学生のうちは学校に行くとか勉強するとか、やらなあかんこともあるじゃないですか。それをやらんでも「これで食っていける」みたいな確固たる何かを掴んでいたら、学校とか勉強にこだわる必要はないんだけど「ある程度アベレージは取っといた方がええんちゃう? その辺は自分で考えや」というのは言ってますね。  4人の中だと一番下の子は勉強ができるけど、もうゲームばっかりやってるんですよ。この先どんな大人になるんやろとは思うけど、そこも見守ってるところです。  ま、一人一回ずつくらいは親に迷惑かけるのは全然ありやから、そろそろかけや、とも思うんですけどね、まだないんですよ。 スーパー銭湯などで地道な営業活動を始めたころの酒井さんと子どもたち 来年50歳、一番気になるのは子どもたちの目線  ――逆にお子さんから教えられたことはありますか?  奥さんがすごいのはもちろんなんだけど、やっぱり4人の存在が自分を親にしてくれましたよね。あの人たちがいてくれるから、こっちも道をそれず、見られて恥ずかしくないようにしっかりやらなあかんなと思う。純烈のために家族のために、もうひと踏ん張りできる「重し」になって、俺を育ててくれているのはすごく感じます。そういう意味では、この先、純烈としてどう進んでいくのか、最終的にどう着地させていくのか、人生をどう閉じていくのかも含めて、子どもたちの目を1番気にしてると思う。 ――来年3月にはメンバー、岩永洋昭さんの卒業が予定されています。純烈の物語もまだまだ目が離せませんが、プロデューサーである酒井さんの思いは?  コンサートのペース配分も含めて、どう進んでいくのがベストか、ほんまにいろんなパターンを考えてる最中です。今は年間300ステージに立って、アクセルベタ踏みですからね(笑)。これは紅白初出場を叶えるためのペース配分だったんです。2018年に突破してからもずっと続けてきたけど、もう僕も来年50歳になりますし、メンバーの数も変わってきたり、環境も様々に変わっていく中でどう塩梅をつけていくか……。  ま、来年3人で始動して、その雰囲気を見て決めるかな。定期的なライブはやるけど少しだけアクセルを緩める感じにするのか、まったく別の章が始まるのか……。今のところ、ぐわ~っと加速させるイメージはないんやけどね、でもこれがわかんない。「え、俺そんなこと言った?」ってことの連続ですから(笑)。 (取材・文/大道絵里子) ○酒井一圭(さかい・かずよし)/1975年、大阪府吹田市出身。「純烈」のリーダー兼プロデューサー。1985年にドラマ「逆転あばれはっちゃく」で子役デビュー。戦隊ヒーローや俳優、プロレスラーなどを経て、2007年にムード歌謡グル―プ「純烈」を結成。2018年から6年連続で紅白歌合戦出場を果たす。今年11月25日には「純烈 in 日本武道館『純烈魂』」を開催予定。
「妻が専業主婦の上司」には家庭の事情で仕事を断りづらい “妻が働いているか・専業主婦か”は男性にも影響
「妻が専業主婦の上司」には家庭の事情で仕事を断りづらい “妻が働いているか・専業主婦か”は男性にも影響 教育関連職の女性(48)は、"疑似専業主婦"時代、専業主婦は自分には向いていないと痛感。「私にとって仕事は精神安定剤なのだと感じました」(写真:Getty Images)    専業主婦の「働くのは“負け”」という言葉に頭痛がした育休中の女性、新生児を抱えてキャリアを考える友人に絶句した専業主婦。女性たちが抱えるそれぞれのモヤモヤは男性にも影響を与えている。AERA 2024年11月18日号より。 *  *  *  女性たちが抱える互いへのモヤモヤは男性にも影を落とす。 「妻が専業主婦の男性」と「共働きの男性」では、「柔軟性が異なると感じる」と話すのは、東京都の会社員女性(47)だ。 「共働きの男性は各々バックグラウンドが異なることを認識しているため、理解があるケースが多い。一方、妻が専業主婦の男性は『一生仕事に全振りできる』という前提で物事を考えるので、それ以外の想像力が乏しい印象です」  例えば、共働きの社員が、家庭の事情でできない仕事があると訴えると、個別の話にされたり、文句と捉えられたりして、働く気があまりないとみなされてしまうことがあるという。  この女性の取引先の共働きの男性社員は、家族が体調不良になった時、妻が専業主婦の上司に相談しなかった。「言ってもわかってもらえなさそうだったから」とこぼす姿を見て、女性は「(立場が違うと)わかり合えないのだろうかと思ってしまった」と話す。  両者の間にある溝は確かに存在するようだが、共働き世帯が増え続けているにもかかわらず、その溝は埋まらないのだろうか。  東京都の自営業の女性(40)は、20代で結婚を機に退職し、専業主婦になった。長男(9)の小学校受験のため通った教室では「働いているお母さんと、働いていない私とでは全く違っていた」と振り返る。特に顕著だったのは、絵を描く課題で使用するクーピーの削り具合だったという。 「本番同様に先が尖った状態で練習しないと意味がないのに、働いているご家庭のペン先の削り具合はバラバラでした。お洋服も整っていないことがあり、一分一秒たりとも余裕がなく、そこまで気が回らないんだなと思っていました」 AERA 2024年11月18日号より   多様化するキャリア  息子は無事に有名私立小学校に合格。一方、子どもにきちんと向き合えていないように感じていた共働き家庭の子どもも難関小学校に合格していたという。 「働いているお母さんは、仕事で培った要領の良さが備わっていたのだと思います」。そう話す女性は23年に起業し、働き始めている。 「長男の同級生のママの中には『暇だから働き始めた』という人もいます。私の場合、社会的な役目を果たしたいという思いが強いので、時間とお金の余裕の有無にかかわらず仕事はしたい。その点は価値観が違うのだと思います」  働き方やキャリアの積み方が多様化する中、この女性のように、専業主婦と働く生活を行き来する人も増えている。仕事を続けると、やりがいや面白みを見いだすようになっていき、職場が社会との接点となり、よりどころの一つとなっていく経験をする人も多いだろう。それは両者の溝を埋めるきっかけになるかもしれない。  ソニー生命保険が定期的に実施している「女性の活躍に関する意識調査」などを担当するソニーフィナンシャルグループ金融市場調査部長の渡辺浩志さん(50)は、「既婚や子どもの有無などの回答者の属性が不明」と前置きした上で、こう話す。 「経年調査では、専業主婦を希望する数値は全体的に下がってきています。特にコロナを機にリモートワークが増え、仕事と家庭の両立がしやすくなったり、もしくは人とのつながりが希薄になったりしたことで、社会との接点を維持したいと思う人が増えたのかもしれません」 自分がどう生きたいか  東京都の教育関連職の女性(48)は、子どもが小学生だった5年ほど前、専業主婦のママたちに尊敬の念を抱いたことが多々あった。  PTAの会議の進め方がテキパキしていたり、短時間で大量の印刷物をきれいに揃えたりと枚挙にいとまがないという。  女性が大事にしている価値観は、自分はどう生きたいのかを考えて、自分で選択できることだという。かつて体調を崩し、一時的に専業主婦状態だった時期を経験している女性は、専業主婦になりたい想いも、働きたい想いも尊重されるべきと考えている。 「世の中は仕事で結果を出している人の方が目立ちますが、子育てや地域の見守りをはじめ、パートナーが仕事に集中できるように家事全般を担うなど、専業主婦の人たちがいなかったら回ってない部分だって実はたくさんあります。そのことを、男女や立場関係なく、忘れてはいけないと思っています」 (フリーランス記者・小野ヒデコ) ※AERA 2024年11月18日号 より抜粋  

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