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歌い手ファンは5歳から60代まで ネット文化がつなぐ世代間交流
歌い手ファンは5歳から60代まで ネット文化がつなぐ世代間交流
槇原敬之の「どんなときも。」を広島弁にアレンジして熱唱する歌い手の阿部さん。客席からは大きな歓声が上がった(撮影/伊ヶ崎忍) エグジットチューンズが主催する歌い手とボカロPのライブイベント「ETA」。2014年には、約2万5千人もの観客を動員した(写真:エグジットチューンズ提供) ツイキャスでの配信の様子。視聴者のコメントが画面下に表示される。「同時視聴者数は毎回50~100人の間くらいです」(阿部さん)(写真:阿部さん提供)  ネット上にヒット曲のカバーやアレンジ動画を上げて人気を得る「歌い手」たち。12年前に生まれたネット文化が今、音楽の市場やコミュニケーションの形を変え始めている。 *  *  * 「どうようなときも~どうようなときも~うちがうちらしゅうあるために~」  槇原敬之の名曲「どんなときも。」にうっとりと耳を傾ける観客たち。だが歌っているのは、本人ではなく一般の女性だ。しかも歌詞が広島弁にアレンジされている。どういうことか?  はたから見ると、少し不思議に思えるこの光景。しかしいま、こうしたネット発の「歌い手」らによるライブが盛況だという。  発端は、12年前に遡る。日本では2007年からニコニコ動画内に「歌ってみた」というカテゴリーが設けられ、ヒット曲を自分で演奏して歌ったり、アレンジを加えて歌ったりする動画が盛んに投稿されるようになった。  その後、初音ミクなどのボーカロイド(サンプリングされた歌声を自由に合成・加工できるソフト)を用いて作詞・作曲を行う「ボカロP」や、ボカロPの作った曲を肉声で歌う「歌い手」などが多数現れ、従来の音楽市場にはなかった新たな文化がネット上に形成されていった。  こうした流れの中で、東京都港区にあるレコード会社のエグジットチューンズは09年に、ボーカロイド曲を集めたアルバムをリリース。以来、「ぐるたみん」や「赤飯」といった人気歌い手やボカロPらの楽曲を多数リリース・配信し、セールス的にも成功を収めてきた。  同社のコンテンツ事業部主任の川合亮介さん(39)は、「人気のある歌い手やボカロPは総じてセルフプロデュース能力が高い」と話す。 「事務所に指示されて動くのではなく、自分でSNSを駆使してファンを増やしていける力があります。それとキャラクターが際立っている人が多い。もちろん声質や歌唱力も大きな魅力ですが、自分の“見せ方”にこだわりを持つ方は多いですね」  川合さんは「歌い手の人気は2.5次元的な側面がある」と語る。2.5次元とは、2次元(アニメやゲーム)と3次元(現実世界)の中間に位置する存在を形容したもの。例えばコスプレイヤーやアニメのキャラクターを演じる舞台俳優などがそう呼ばれる。 「弊社から作品をリリースしている歌い手やボカロPも、本名や素顔を公開している人はごくわずか。代わりに自分をキャラクター化したイラストをプロフィールアイコンにして活動されている方がほとんどです」(川合さん)  歌い手やボカロPのファン層は、10代前半から20代前半。アニメやゲームなどのサブカルチャーとも親和性の高い彼らにとって、そうした歌い手たちのアイコンは親しみやすい存在として映るだろう。  また、10代から20代の若者は、ユーチューブやニコニコ動画などを好んで視聴する層でもある。 「こうした動画共有サイトの盛り上がりと同時に、『歌ってみた』やボカロ音楽の人気が高まっていった部分はあります」(同)  10年代以降、音楽は「聴く」と同時に「視(み)る」ものになった。より多くの人に視聴されるには、歌の巧みさや楽曲の良さだけでなく、アーティスト自身のキャラクターや歌詞の物語性、斬新なミュージックビデオなど、総合力としての「世界観」をどれだけ演出できるかが求められる。  歌い手やボカロPのみならず、米津玄師やEve、Uruといった“ネット発”のアーティストが若年層から強く支持されるのは、こうしたメディアの特性を熟知し、没入感の高い音楽世界を構築できているからだろう。  一方で、歌い手を介して、現実世界に新たな「世代間交流」の場も生まれている。  今年2月、東京・代々木にあるライブハウス・バーバラで、5人の歌い手によるライブが行われた。集まった歌い手は、性別も年代もバラバラ。サラリーマンから主婦、女子高生、下は13歳の男子中学生まで名を連ねる。 「みるさん」の名で活躍する阿部知佳さん(42)は、11年前から歌い手としての活動を始めた。きっかけは「カラオケSNS」との出合いだったという。 「元々歌うことが大好きなのですが、当時は育児と仕事が重なってカラオケにも行けず、大きなストレスを抱えていました。そんなとき、自宅にいながら自分の歌を録音して投稿できるサイトがあることを知って、一気にハマったんです」(阿部さん)  今は「ツイキャス」などのライブストリーミングサービスを使って、週3日ほど自宅から弾き語りを生放送している。  配信中は、視聴者からリアルタイムでコメントやリクエストが届くため「自宅にいながらトークライブをしている気分」だという。 「このほかにも、ユーチューブに替え歌やボイストレーニングの動画を上げています。こっちは完成度の高い作品をネット空間に保存しておく『アルバム』みたいな感じですね」(同)  これまで最もヒットしたのは、映画「アナと雪の女王」の劇中歌「雪だるまつくろう」を広島弁にアレンジして歌った動画で、再生回数は423万回を超えた。  また16年には、本業のイラストレーションを生かし、自身の歌い手としての奮闘を描いたコミックエッセーを出版。さらに阿部さんの配信を見たプロのミュージシャンから誘われ、ワンマンライブも実現した。  阿部さんは、「歌い手をやる魅力は、こうしたお金では得られない特別な体験ができることにある」と語る。 「私は、普段は仕事をしながら、母親として子どもを育てている一般人です。でも歌い手として活動しているから、こうしてライブでステージに立ったり、テレビ番組に出たり、一瞬でもキラキラした世界を体験できる。すごく夢があると思うんです」  この日のライブに集まった歌い手やファンも、歌い手の活動を通じてSNSで知り合った人たちばかりだ。驚いたのは、観客の年齢層も幅広いこと。下は5歳の女の子から、上は60代の男性まで、約40人が一体となってライブを盛り上げた。  友人らとライブを観に来たという30代の女性は「歌い手の魅力は親しみやすさ」と語る。 「歌も素敵だけど、トークも楽しい。ライブだけでなく、家でもツイキャスの配信を見て楽しめるのもいいですよね」  また、60代の夫とライブに参加した50代の女性は、歌い手との交流が元気の素なのだそうだ。 「ファン同士でもつながったり、いろんな人と知り合う機会が増えて世界が広がった気がします」  メディアに華々しく取り上げられる歌手とは別に、ただ「歌うことが好き」という共通点を持った人々が集まり、こうした世代を超えたコミュニティーが形成されていることも、歌い手文化の見逃せない点だ。 「歌が好きで、スマホが1台あれば、だれでも歌い手になれます。年齢も関係ありません。私も、70歳になってもやってると思いますよ」(阿部さん)  そういえば、ここ何年も歌なんて口ずさんでいない。取材の帰り道、そう思って高校時代に好きだった曲を小声で歌ってみた。冷え込んだ東京の街が、何だか少しだけ暖かく感じられた。(ライター・澤田憲) ※AERA 2019年3月18日号
AERA 2019/03/18 11:30
“奨学金”を返済したのに希望する病院で働けない 医師が語る「地域枠入試は誰のため」
山本佳奈 山本佳奈
“奨学金”を返済したのに希望する病院で働けない 医師が語る「地域枠入試は誰のため」
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員 (写真:getty images)  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、2人の女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は医学部入試の「地域枠」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  2月末、全国各地で行われた国公立大学医学部の前期入試。昨年、東京医科大が、私立大支援事業に選んでもらう依頼をした見返りに文部科学省の前局長の息子を入試で合格させたとして、同大学の前理事長と前学長が贈賄罪で起訴されるなど、医学部における女子受験生や多浪生減点といった不正入試が明るみになってから初の入試。医学部受験生にとっては、昨夏以降、複雑な思いを胸に抱いたまま、受験に挑まれたことと察します。  裏口入学だけなら、もしかしたら「まあ、裏口はあると思っていたよね」で終わっていたかもしれません。けれども、女子受験生を一律に減点していたという事実は日本国内にとどまらず、「女子差別である」と、米国や英国をはじめ、世界各国で報道されました。  これら一連の報道や文部科学省の調査により、女子差別や多浪性差別に隠された医学部入試における闇が明らかとなることを期待したものの、究明されたとは言い難いまま迎えた入試となったのではないでしょうか。  受験シーズンも佳境を迎えている今、医師の偏在を解決するために、国や県が主導し、2009年の導入以降、大部分の医学部に設置された「地域枠」について、自身の受験体験記も交えながらお話したいと思います。 ■地域枠入試とは 「地域枠」とは、自治体から奨学金を得る代わりに医師になったら、約9年間、当該の自治体で医師として勤務することを“約束”するものです。仕組みは様々ありますが、自治体の多くは、地域枠で入学した医学生に、10%以上の年利で月20万~30万円の奨学金を貸し付けます。医学部卒業時に、借金が2000-3000万円にも上ることになりますが、奨学金が支払われた自治体の指定された医療機関で一定期間医師として勤務すれば、奨学金の返済が免除されるという仕組みです。  医師になる夢を諦められなかった私は、1年間だけ浪人して医学部を目指すことを決めました。 「私立の医学部に入るお金はない」  そう両親からはっきりと言われた私には、国公立の医学部に合格するしか医師になる方法はありませんでした。しかし、受ける模擬試験全てでD判定かE判定ばかり。「地域枠は一般枠よりも偏差値が下がるから、医学部に入りやすくなる」という噂を予備校で耳にしていた私は、願書を出す際、「医者になるチャンスが、ほんの少しでも広がるなら」と思い、「地域枠」を本気で検討したのでした。  募集要項には、滋賀で働く意思や義務年限、授業料や入学金が奨学金でまかなわれるということについての内容の記載はあったものの、奨学金返済時の利子のことなど詳しい記載はなかったように記憶しています。地元で医師として働けば、奨学金を返済しなくていいという制度は、親の負担も減るのでは、と少なからず魅力に思えたのでした。  けれども、生まれ育った滋賀にいるか分からない。卒業後、滋賀にいたいと思うかどうかわからない。県外に出てみたいと思うかもしれない――。そう考えた私は、地域枠を希望することをやめてしまいました。 ■「19歳の私」に6年先の人生を決めさせる  医師になるまで、最短でも6年かかります。つまり、「地域枠」を選択するということは6年先の人生を決めるということ。19歳の私にそんな先のことが、分かるはずも想像できるはずもありませんでした。今思うと、将来のことの約束を守る自信が私にはなかった、というのが正直なところだったと推測しています。  医師になり、私は生まれ育った関西を離れました。19歳の私と、25歳の私とでは、見ている世界も見えている世界も考え方もまるで違います。医学部の門すら叩いていない19歳に、将来の勤務の仕方を決めさせるのは酷なのではないでしょうか。  奨学金給付を受けている地域枠の医学生数名に話を聞いたところ、「年利に関する記載が入学願書になく、よくわからなかった」といった声や、「卒後9年間の義務年限や、10%もの金利を考慮すると、もっといい条件の奨学金があったのではないか」と漏らす医学生もいました。  文部科学省によると、2017年には全医学部入学者の20%を占めるまでになっている「地域枠」ですが、一方で、過去11年間で地域枠の定員の1割以上を占める800人以上の学生が、実際には勤務地に制約のない「一般枠」の扱いになっていることが昨年の厚生労働省の調査で判明しました。つまり、「地域枠」の定員が埋まらなかったというわけです。 ■制度の“離脱者”は「採用しないように」  厚生労働省は「地域枠」離脱者対策として、病院側に、入学時の取り決めを違反した地域枠卒業の医師を採用しないよう事実上の指示を出しています。これは借金を返済した医師を含めて、です。この結果、地域枠で入学した学生は、借金を返済しても希望する病院で働けなくなってしまうというありさま。さらには、地域枠の医学生が、地域枠から離脱しないようにするにはどうすればいいか、という議論すら行われているのです。  日本国憲法では就業の自由が定められおり、就業場所を強制することはできません。「地域枠」という制度は、10%もの年利付きの奨学金という形でお金を押し付けて多額の借金を背負せることで、勤務先や居住地を選択する自由を奪い、就業場所を強制していると見ることができるのではないでしょうか。  最近お会いした医師会の先生は、「開業医の子弟をいれるための制度だよね」と、はっきり言っていました。「息子や娘が医師として地元に残って働いてくれるのは大変ありがたい制度。それが地域枠の目的の一つなんだろうね」と。  現行の「地域枠」は、医師偏在を解消することに特化されており、若手医師の教育に対して十分に注意が払われていないことが最大の問題だと思います。地域医療が抱える問題は個別具体的であり、医師偏在を解消するための数合わせにしかすぎない「地域枠」では、地域医療に取り組む医師を集める解決にはならないのではないでしょうか。 ◯山本佳奈(やまもと・かな) 1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
大学入試
dot. 2019/03/13 07:00
女性の呪縛にとらわれすぎ? 「女っぽいと認めてもらえない」
古谷ゆう子 古谷ゆう子
女性の呪縛にとらわれすぎ? 「女っぽいと認めてもらえない」
関口舞(せきぐち・まい)/1990年生まれ。その人の内面を映し出すサービス「エムグラム診断」などを手掛けた後、2017年、SNS上でのコミュニケーションサービスを提供する「プールサイド」を設立(撮影/写真部・片山菜緒子)  3月8日は国際女性デー。いまだに女性差別を実感するニュースは後を絶たない。性差にとらわれず「自分らしく生きる」ことを改めて考えた。 *  *  *  2017年にSNS上でのコミュニケーションサービスを手掛ける「プールサイド」を起業した関口舞さん(28)は、自分自身が「女の子だから」という呪縛に過剰にとらわれてきたのかもしれないと感じている。 「関口さんって気が弱そうだけれど、起業って大変ですよ。大丈夫ですか」  新卒で入社した会社を半年で辞め、一つ目の会社を起業し、初めて資金調達をしたときのこと。ある投資家にそう声をかけられた。先輩起業家に「繊細そうだね」と言われたこともある。 「悔しかったし、見た目で判断された、と思いました。『起業家』という軸だと私は不安に思われるのか、と思った」(関口さん)  その頃から、なるべくスカートをはかないようにした。しっかりとした人に見られるよう、できるだけ強そうなパンツスーツで。メイクも控えめにした。 「20代前半だったこともあり、見た目や年齢、性別でバカにされるのではないか、と必要以上に構えていたように思います。『起業家は女っぽい感じでは認めてもらえない』という先入観に私自身がとらわれていました」(同)  変われたのは、必死に仕事をするうちに、自身が手掛けるサービスは、常に人の気持ちを考えている自分だからこそ生まれたものだと気づけたから。強く見せようと違う自分を演出する必要はないとわかった。  PRの観点から主にスタートアップを支援する「シプード」共同代表の舩木真由美さん(40)は仕事柄、多くの女性起業家と関わってきた。日本の女性たちのなかにある変化を感じている。  一つは、良い意味で女性が貪欲になっている、ということ。「家族や子どものために」が先に出て自分の意思は後回しという傾向がかつては見られたが、「自分のために」という考えが顕著になっているという。ネットなどを通して、世界中のロールモデルを探せるようになり、“世界基準”の女性の活躍が身近になっていることも大きいと分析する。  もう一つは、若い女性たちの多くが、働き続けることを前提に若いうちからキャリアプランを持っている、ということだ。 「20代のうちに子どもを持ちたいのだけれど、どうですか? 30代はどう生きたらいいですか?といった相談をよく受けます。25歳くらいまでには、将来を具体的に描いているように見えます」(舩木さん)  若い頃からキャリアプランを持つという傾向は、近年、教育現場でも重要視されるようになっている。  東京都品川区の品川女子学院はライフデザイン教育の先進校として知られている。高校2年生の家庭科の授業を覗くと、助産師の小笠原千恵さんが生徒の質問に答え、出産経験者の話を聞いた後、グループに分かれ「子どもを産むか産まないかは、誰が決めるのか」をテーマに話し合っていた。  生徒からは「いちばん大変な思いをする女性が決定権を持つべき」「パートナーとよく話し合って決めたい」などの意見が出された。 「答えを求めているわけではありません。出産をテーマに、将来の自分を考えるきっかけにしてほしい」(小笠原さん)  同校のライフデザイン教育の柱が、28歳になったときに社会で活躍する女性の育成を目指す「28プロジェクト」だ。大学を卒業し、社会人の自分を想定したプログラムを多く実践。例えば中学3年生では企業とコラボし商品開発を行う。高校1、2年生はクラス単位で「起業体験プログラム」にも取り組む。  プログラムでは、実際の起業のやり方に沿って会社登記など、株式会社を設立する手順を学ぶ。社長、会計など役割分担を決め、事業計画を立案。保護者や協力企業担当者に向けて、資金獲得のプレゼンテーションを行い、文化祭で商品化した品物を販売する。生徒たちはこれらの体験をすることで、社会で活躍するイメージを具体的にもつことができる。  また、女性リーダー育成の一環として、課題解決型の授業CBL(Challenge Based Learning)も行っている。身近な課題を見つけ、グループで話し合い解決策を探る。  昨年、東京医科大学の不正入試が発覚した際には、「いまだに女性差別があるのか!」と憤ったグループが、“身近な男女差別”として家事格差をテーマに取り上げた。保護者にアンケートを取り、啓発するウェブサイトを立ち上げたり、家事を細かく分類したシールを貼って、家事分担を見える化したシートを作成したりした。  広報部長の平川悟教諭は言う。 「本校はグループ活動が多彩で、リーダーを務める実践的な機会がいろいろと設けられており、中高時代を通じて自然とリーダーの資質が養われていると思います」  何をするのもすべて女子。女子校の環境そのものが、リーダー教育の場にもなっているのだろう。 「女の子だから」。こんな呪縛が、女性たちが一歩踏み出す勇気を奪っていた時代はもう終わった。女性だから、男性だから、そんなしがらみにとらわれず、誰でも自分らしく生きていいのだ。(ライター・古谷ゆう子、柿崎明子) ※AERA 2019年3月11日号より抜粋
AERA 2019/03/12 17:00
鉄剤注射が陸上女子をつぶす…4割が不必要に注射の実態も
島沢優子 島沢優子
鉄剤注射が陸上女子をつぶす…4割が不必要に注射の実態も
図版=AERA 2019年3月18日号より 貧血治療における鉄分摂取の方法と吸収する仕組みの違い(AERA 2019年3月18日号より)  鉄剤注射問題で日本陸連が「原則禁止」の方針を打ち出した。「結果を残さねば」と安易に行われてきた陸上選手をつぶしかねない悪習を断ち切れるのか。 *  *  *  昨年12月に駅伝強豪高校での不適切使用の実態が明らかになり、日本陸上競技連盟(以下、陸連)が原則禁止の方針を打ち出した鉄剤注射。肝機能障害などを引き起こす恐れがあるため、「行為自体はドーピングに近い」と陸連は2016年から警鐘を鳴らしてきたが、実は小学生の使用も懸念されている。  整形外科医の鎌田浩史さん(52)が所属する陸連ジュニアアスリート障害調査委員会では、13年から、小中高生らを対象に調査してきた。12歳の中学1年生に鉄剤注射使用の回答があったことや、小学生に鉄剤サプリメントの使用があることから、適切なケアがなされているのか疑問視されている。 「そこまで広がっているのかと衝撃だった。当然子どもたち自身の意思ではない。(指導者から)貧血が治るからやろうねと言われて受けたようだ。(害のあるものだという)認識はありません。競技力を上げるためというよりも、これで栄養つけるよ、くらいのものかもしれない」と鎌田さんは顔をしかめる。  16年度の調査では、中学生で鉄剤注射を使用した34人のうち4割以上もの選手が、「貧血がありますか?」の質問に「ない」と答えていた。 「つまりは4割以上が既往なし。本人が貧血で困っているわけでもないのに鉄剤注射を打たれている。ここが一番問題だと思う」  選手たちが指導者から与えられるサプリメントについても、どんなものなのか、何の効果があり、副作用はないのか等々を認識しないまま服用するケースが少なくない。上意下達の指導体制が浮かび上がった。  17年度の大学生対象の調査では、大学駅伝出場者の2割近い56人(17.4%)が鉄剤注射を「打ったことがある」と答えた。インカレ出場者と合わせた91人中、11人(12.1%)は、貧血と診断されていないにもかかわらず使用していた。 「中学生の実態とほぼ重なっている。これを一部だけと決め付けず根絶を目指さなくてはいけない。指導者、選手、保護者に対する啓発を行っていきたい」(鎌田さん)  一方、血液内科を専門とする首都圏在住の50代の男性医師は「医療の側の責任も大だ」と憤る。テレビのニュースを見て驚いた。長距離選手だった高校時代に鉄剤注射を打った女性が、就職して健康診断を受けたら、内臓疾患が見つかるなど体がぼろぼろだったと報じられていた。 「鉄剤注射は医師免許があれば誰でも打てる。専門外の先生たちは鉄の怖さを知らないのではないか。連続で打っていれば鉄過剰症になるし、糖尿病の原因にもなる。心臓に鉄がたまれば収縮力が落ちるので、運動パフォーマンスは悪くなる」  走れるようにとやったことが、マイナス要因になるわけだ。  自身の患者に、鉄剤注射によって鉄過剰症を起こしたケースはないが、アスリートにありがちな「鉄欠乏性貧血」の症状でやってくる中高の部活生がいる。生理のある女性が多いが、男子でも成長期に骨が急激に大きくなるなか、血液不足の状態になって鉄欠乏性貧血になるケースがある。  基本的に内服薬で治療し、注射が必要になるのは、薬を飲むと胃腸障害や吐き気などを起こすごくまれなケースのみ。内服薬であれば、体が吸収しなかった分は体のほうがいらないよ、となるので、便などに出る。  ところが、注射による投与はすべて体内にたまる(図参照)。 「良識ある医師なら、いくら頼まれてもそれはできないと断るのではないか」  問題を重く見た医師会もすでに動いている。各都道府県医師会などに所属する約21万人の医師へ向け、安易に使用しないよう伝達した。(ライター・島沢優子) ※AERA 2019年3月18日号より抜粋
AERA 2019/03/12 08:00
透析治療中止による患者死亡で注目される「人工透析」の実態と病院選び
透析治療中止による患者死亡で注目される「人工透析」の実態と病院選び
東京都福生市の公立福生病院(c)朝日新聞社 週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院2019」から 週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院2019」から  東京都・公立福生病院で、人工透析治療の中止を希望した女性患者が1週間後に死亡した問題で、東京都は病院への立ち入り調査を進めている。日本透析医学会はガイドラインに抵触する恐れがあるとして、近く、病院に立ち入り調査する方針だという。週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院2019」では、人工透析の病院選びについて、東京女子医科大学病院血液浄化療法科教授の土谷健医師と東邦大学医療センター大森病院腎センター教授の酒井謙医師に取材している。ここでは、その一部を抜粋して紹介する。 *  *  *  腎臓の機能が十分でなくなった場合、その機能を肩代わりする治療が腎代替療法。人工透析はこのうちの一つだ。  人工透析の導入原因は多い順に(1)糖尿病(2)慢性腎炎(3)腎硬化症。高齢化や生活習慣病の増加により維持透析を受ける患者数は年々増えている。2016年で32万9609人となっている(日本透析医学会統計調査)。  人工透析には血液透析と腹膜透析がある。腹膜透析は欧米では普及しているが、日本では約3%と少ない。日本の透析導入の平均年齢は70歳前後で、腹膜透析をおこなう病院が限られていることから、この方法を知らない患者も多い。  さらに腎代替療法には腎移植がある。さまざまな治療手段の中から患者に合った最良の方法を選ぶことが、生涯にわたり生活の質につながる。そのためにも、病院選びは重要だ。  18年度の診療報酬改定でこれらの腎代替療法を総合的に取り組む医療機関には、診療報酬が新たに加算されることになった。関連学会が作成した資料に基づき、腎代替療法について十分な説明をおこなっている病院に「人工腎臓導入期加算1」が、さらに加算1の施設基準を満たし、腹膜透析の患者の管理や腎移植に向けた手続きを実施しているなどの要件を満たしている病院(届け出制)には同加算2がつく。  導入期加算2について、東京女子医科大学病院血液浄化療法科教授の土谷健医師はこう言う。  「加算2がある病院は腹膜透析を含む、腎代替療法を総合的におこなっている病院といえます」  東邦大学医療センター大森病院腎センター教授の酒井謙医師は、こう話す。  「腎移植については同じ加算2でも移植手術はやらず、専門病院に紹介するところもあります。もちろん、こうした病院も重要です。詳しい内容は直接、主治医に聞くといいでしょう」  酒井医師は日本透析医学会専門医がいることも大事だという。  「ただし、数の差にはあまりこだわらなくていいと思います。日本透析医学会では一つの病院に1人専門医がいればクオリティーが確保できると考えています。なお、腎臓専門医も常勤していることが望ましいです」 ■透析以外の検査、治療もしっかりやってくれる  「患者のからだの異常を回診や検査で、こまめにチェックしてくれる病院が理想」というのは土谷医師だ。  「例えば血液透析を受ける患者さんは尿が出ないために、からだに余分な水分がたまり、心臓がむくんでしまうことがあります。この兆候をチェックするためには心臓が大きくなっていないかを胸部X線検査で確認することが大事。1~2カ月に1度、おこなうのが理想ですが、病院によっては間隔が空いてしまうこともあります」  薬価の高い薬にも同じことがいえる。  「腎性貧血の治療薬であるエリスロポエチンなどを患者さんの病状にあわせ、適切に処方してくれるかどうかも大事なチェックポイントです」(土谷医師)  酒井医師は看護師が中心となっておこなう「腎代替療法選択外来」があることがポイントになるという。  「治療法の解説を約1時間かけておこなう外来で、全国に普及しつつあります。家族背景や仕事、収入や哲学、ライフスタイルなどを相談しながら、患者さんに合った方法を考えるお手伝いをします。外来の有無は病院に直接、問い合わせることをおすすめします」  人工透析には週に1回、血液透析に通い、ほかの日は腹膜透析を組み合わせる「ハイブリッド療法」もある。  また、数は少ないが血液透析を在宅でおこなう在宅血液透析を導入している病院もある。  「患者さんの背景はさまざまですので、こうした治療法も含め、できるだけ選択肢を多く持っている病院が理想です。そして可能であれば自宅から近い病院を選ぶのが安心だと思います」(酒井医師)  高齢者が腹膜透析を導入する場合は介護サポートなどについても確認しておくといい。最近は在宅の患者を遠隔操作で見守る仕組みなどもあり、訪問診療や訪問看護を利用することで一人暮らしでも腹膜透析ができるようになってきている。 ◯東京女子医科大学病院血液浄化療法科教授 土谷 健医師 ◯東邦大学医療センター大森病院腎センター教授 酒井 謙医師 (文/狩生聖子) ※週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院2019」から
週刊朝日 2019/03/11 11:47
ペットの訪問葬儀 休日に家族そろって自宅でお骨も拾える
熊澤志保 熊澤志保
ペットの訪問葬儀 休日に家族そろって自宅でお骨も拾える
常福寺(東京都世田谷区)にある猫に特化した訪問葬儀サービス「キャットPaPa」では、動物納骨堂「佛性苑」内の仏像の下の合同墓に納骨する合同埋葬プランがある(撮影/今村拓馬) 動物納骨堂「佛性苑」には個別の納骨スペースもある(撮影/今村拓馬)  ペットを弔う方法として、訪問葬儀という選択肢が人気になっている。霊園まで出向く必要がなく慣れた自宅で行えるのがメリットだ。何よりも「ちゃんと送ってあげられた」という満足感を得られる。 *  *  *  訪問葬儀社から到着の連絡があったのは、土曜日の午後1時過ぎだ。埼玉県在住の女性(69)はスタッフを自宅に迎え、少し驚いた。黒い服に身を包んだスタッフの物腰が、神妙で丁寧だったからだ。もっと事務的に進むのかと思っていた。  リビングの真ん中の猫用ベッドには、花束に囲まれた愛猫が横たわる。高齢で体が弱り食べなくなって3日、2人の子どもも仕事終わりに県外から駆けつけ、金曜の明け方、夫(72)と家族4人でみとった。18歳だった。 「お口を清めてあげてください」  そうスタッフに説明され、ペット専門の神社で受けたという道具で末期の水を行い、ハッカ油の香るタオルで体を拭いた。  ペット用の小さな念珠(ねんじゅ)もあるという。夫が前脚に念珠をつけると、ほっと息が漏れた。大切に扱われているという実感に、どこかにあった「人の葬儀も大変な時代に、動物に大仰なことをするのは」という後ろめたい気持ちがほぐれていく。  火葬車まで愛猫を運び、花束で体を囲んだ。好きだったおやつも入れた。火葬を待つ間、遅い昼食をとり、愛猫の思い出話をした。約2時間後、まだ温かい骨を全員で拾った。  ペット葬儀を行うのも訪問葬儀を頼んだのもはじめて。いま、女性の胸に残るのは、「ちゃんと送ってあげられた」という満足感だ。小さな骨壺には、両脚をそろえ、こちらを見つめる愛猫の写真が添えられている。 「夫は大病をしたばかりで遠出する体力はない。私と子どもは働いているし、休日に自宅でできてよかったと思います」(女性)  ペットフード協会の2018年の調査によると、全国の推計犬・猫飼育頭数は合計1855万2千頭(犬890万3千頭、猫964万9千頭)にのぼる。だが、必ず迎える死について、ペットの死体の扱いを定める法律は今のところない。日本女子大学消費生活研究室の細川幸一教授はこう指摘する。 「ごみとして出していい、別料金で引き取る、一切扱わないなど、動物の死体の扱いは自治体によりまちまち。ペット火葬を行う自治体もあるものの、まだ多くなく、返骨のないところが大半です。社会の実情に追いついていません」  多くの飼い主が民間のペット葬儀を利用するなか、特に注目されているのが、冒頭の訪問葬儀だ。訪問葬儀は固定火葬炉のあるペット火葬場ではなく、移動火葬炉を積んだ車両で火葬する。人が霊園まで出向く必要がなく、慣れた自宅でペットを送れるというメリットがある。  女性が葬儀を依頼したジャパン動物メモリアル社によると、訪問葬儀の依頼は年々増加し、同社が行った訪問葬儀は3年間1都3県で1万5千件にのぼる。料金はプランとペットの体重ごとに設定され、女性が利用した「家族立ち会い葬」は6キロ以下で2万7千円(税込み・出張費込み)。週末や、平日なら家族の集まる夕方や夜間の依頼が多い。犬や猫が多数を占めるが、ウサギや小鳥やアロワナ、蛇まで、動物の種類はさまざまだ。(編集部・熊澤志保) ※AERA 2019年3月11日号より抜粋
動物
AERA 2019/03/09 08:00
イスラエル人が飛騨高山を目指す理由とは?
Nissim Otmazgin Nissim Otmazgin
イスラエル人が飛騨高山を目指す理由とは?
関西観光ツアーのイスラエル人団体。添乗員の言うことを聞かないので一苦労します Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長  飛騨高山で知られる岐阜県高山市は2016年、ヘブライ語で書かれた観光マップを作成しました。最近、外国人観光客が増えている高山市では、英語や中国語など11カ国語の観光ガイドが作られていますが、人口約800万人の小国イスラエルのための案内書をわざわざつくったのは、「イスラエル人が年間一万人も高山市に観光にくるためですよ」(同市担当者)というのが理由です。  なぜ高山観光にくるのかは後ほど述べますが、イスラエル人が多いのは高山だけではありません。主要な観光地でも同じです。昨年4月に京都に行ったとき、三条の商店街、清水寺三年坂、哲学の道を歩いているときでさえ、ヘブライ語が聞こえてきました。団体旅行だけではなく、家族連れや若いバックパッカーのイスラエル人も増えてきました。日本旅行熱は本物です。  イスラエル人にとって日本は、遠くて不便、物価が高いと三重苦な国でした。最近の円安、イスラエルの経済力アップでかなり事情が変わりました。17年には、一人当たりのGDPで日本を追い抜いています。物価高はイスラエルも同じで、東京の物価はそう高くは感じなくなってきています。エルサレムのちょっとしたホテルなら一泊2~3万円はします。  イスラエルは四国くらいの面積しかありません。こんな小さな国からなぜ、日本にこんなに観光にくるようになったのでしょうか。第一にはイスラエル人の「旅行好き」な国民性があるでしょう。人口800万人のうち半分の400万人が一年間で少なくとも一回は外国旅行にでかけているという統計があります。だから、休日ともなると一番大きなベン・グリオン空港はとんでもないくらいに混みあっています。空港の組合はイスラエルで最も強いのですが、もしストライキになるなら国全体はものすごい混乱になるでしょう。だからというわけではないでしょうが、この組合の要求はたいてい通ってしまいます。  もう一つの理由はユダヤ民族しての文化と歴史的な背景です。1948年にイスラエルが建国するまで、ユダヤ民族は約2000年間にもわたり、しばしば世界中のあちこちを動いてきました。あるときは迫害から逃れ、また生活のあてを探して……。ユダヤ民族のディアスポラ(民族離散)の存在は、世界を旅するという国民性を考えるうえでは大事なことです。またイスラエル経済が世界の市場に広がっているということも忘れてはいけません。経済発展を続けるために国外で勉強し、ビジネスの好機をうかがい、外からなにかを学ぶことに国を挙げて奨励しています。ユダヤ人の頭のなかは大きな地球儀があるのかもしれません。  最近では若い世代の海外旅行熱が高まってきています。イスラエルは国民皆兵です。高校を卒業すると男子は3年、女子は2年の兵役につきます。ちなみに私は4年間、戦車部隊の士官として従軍していました。ちょっと長かったですね。最近の若い人たちは兵役期間が終わっても、すぐに大学に行きません。バックパッカーとしてアジアや南米などを数カ月間、貧乏旅行をしながら回ります。そして23~24歳くらいに大学に入学します。    イスラエルの大学生は先進国の大学生(とくに日本)と比べると年上ですが、それだけ経験も積んでおり、成熟した考えも持っているところが違います。日本にお願いがあります。民泊禁止はなんとかならないでしょうか。日本に興味を持った大学生が研究の最後に日本に行くとホテルに泊まることが多く、日本人の生活に密着できないため日本熱が冷めてしまう学生もいます。  日本に魅かれる理由にイスラエルのメディアは日本を好意的に紹介するせいも大きいですね。年配のイスラエル人は、茶の湯、生け花、歌舞伎など伝統的な日本文化や自然に興味を示します。イスラエルの旅行会社は日本ツアーを2週間程度で組むときは、東日本では富士山、日光、西日本は広島と厳島神社。そして京都、奈良、高野山、飛騨高山を組み入れます。イスラエル人団体旅行の特徴は、団体行動ができないこと。勝手に好きなところに行く、おしゃべりをやめない。とにかく添乗員泣かせなんです。  イスラエル人にとっての「聖地」は、杉原千畝(ちうね)記念館です。名古屋市の北約50キロに杉原氏の生誕地岐阜県八百津(やおつ)町にあります。第2次世界大戦中に外交官、杉原氏(1900~86年)はリトアニア・カウナスの領事代理を務めていたとき、ナチスの迫害から逃れようとしたユダヤ人に2139通の日本通過ビザを発給。家族らを含め約6千人の命を救い、ユダヤ人を救ったドイツの実業家の名にちなんで「日本のシンドラー」と呼ばれています。杉原記念館を訪れた観光客はそのまま足をのばして同県高山市に行っていたのですね。  日本への旅行には最近、環境が整ってきました。イスラエル人はユダヤ教信者が多いのですが、東京、京都、神戸にユダヤ教の教会であるシナゴークができて、お祈りがしやすくなりました。またユダヤ教徒には、コーシャと呼ばれる食事規定があります。豚肉、エビ、タコ、イカなどが制限されています。イスラム教にも同じような食事規定がありますが、最近の日本では対応した料理を出すレストランも増えてきました。今年9月には、成田-テルアビブ(ベン・グリオン空港)を結ぶ直行便も開設さる予定です。これまでは、欧州各都市、アジアを経由して20時間近くかかっていましたが、これからは13時間で行けます。楽になりますね。  国外に行くことはそんなに大事でしょうか。外に出れば、その国と人々との絆が強くなります。自分の国の文化にも敬意を払うようになるでしょう。実際、私は日本に旅行した経験で日本を研究しようと決心しました。自分の人生の大きな部分は日本という国が作っています。今、イスラエルには年間約2万人の日本人が観光にきています。この日本人についてはこれから書いていきたいと思います。 ○Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。07年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。
dot. 2019/03/03 11:30
40歳で白血病宣告され、解雇 無菌室から復帰した世田谷の人気ラーメンカフェ店主
井手隊長 井手隊長
40歳で白血病宣告され、解雇 無菌室から復帰した世田谷の人気ラーメンカフェ店主
店主・飯野浩史さん(筆者撮影)  競泳女子の池江璃花子選手が2月12日に自身のTwitterで白血病であることを告白し、世界中から続々と応援のメッセージが集まっている。その1週間後の19日には、タレントの堀ちえみさんがブログで舌がんの手術をすることを明かした。このニュースを見ていて、あるラーメン店主のことを思い出した。  世田谷の馬事公苑にある「RAMEN CAFE de IINO」は店主・飯野浩史さん(45)の「ゆっくりくつろいでほしい」という思いから、コーヒーやスイーツなども提供する、小型犬同伴可の一風変わった“カフェスタイル”のラーメン屋さんだ。  毎日笑顔でラーメンをふるまう飯野さんだが、実は4年前に白血病を宣告された。ラーメン屋として、独立しようとしていた矢先の病気発覚だった。 「RAMEN CAFE de IINO」店内(筆者撮影)  40年以上続く老舗の日本蕎麦屋の息子として育った飯野さん。お店では蕎麦だけでなくラーメンも提供していたこともあり、父親に連れられ、麺類の食べ歩きをする子ども時代を過ごした。  ドラッグストアのエリアマネージャー、大手焼肉チェーンのスーパーバイザー、保険関係といろいろな仕事をしてきたが、自分でも商売をやりたいという思いから都内の某有名ラーメン店で働くようになる。2011年2月、37歳の時だった。  修行を始めて4カ月が経ったある日、友人から店を開きたいと相談を受ける。いつかは自分のお店を持ちたいと思っていたこともあり、お店の立ち上げにかかわることを決意した。原宿にオープンしたラーメン店で飯野さんは店長となる。  しばらくはそのお店でラーメンを作っていたが、12年8月、古巣の有名店から「大型商業施設にオープンする新店を手伝ってほしい」という連絡がくる。10月、飯野さんは副店長として再び古巣のお店に立つことになる。半年後には店長に昇格。お店が2年契約ということもあり、2年間勤務したら独立しようと考えていた。  独立を見越して準備をしていた14年4月、飯野さんの体に異変が起こる。  背骨が痛く、腰痛のような症状がなかなか取れない。ラーメン店の仕事はハードではあるが、それにしてもおかしい。あまりにも体調が悪い日が続いたため、病院で血液検査をすると、思ってもみない結果を告げられた。 「白血病の疑いがあります。すぐ大型病院に行って検査をしてください」  紹介状を持って、神奈川県内の大学病院で精密検査を受けた。「フィラデルフィア染色体陽性の急性リンパ性白血病」。5年間の生存率は30%未満で、骨髄移植しか完治の道はないと宣告された。  そのまま入院となり、翌日から抗がん剤治療が始まった。ショックを隠し切れないなかで勤務先にそのことを伝えると、見舞いにきた社長から解雇を告げられる。テナントの契約満了まで、後2カ月だった。 飯野さん。移植直前、一時退院のときに撮った(飯野さん提供)  40歳を過ぎて白血病、しかも突然無職となり、先が全く見えなくなった。しかし飯野さんには奥さんと3人の子どもがいる。下の子は当時、まだ幼稚園に通っていた。 「絶対に生き続けなくては」  抗がん剤の副作用は想像以上につらかった。髪の毛は抜け落ち、舌はしびれ、体重は30キロも落ちた。厳しい治療の日々に何度も心が折れそうになった。だが、一つの光が差し込む。治療を始めて3カ月経った7月、奇跡的にドナーが見つかったのだ。もちろん成功するとは限らないが、完治にはこの道しかない。8月から無菌室に入り、移植手術を受けた。無事に成功し、順調に回復。11月に退院した。 「治療はただただ苦しかった。でも、ドナーさんが見つかってから、治る道が明確になったように感じて希望を持てました」  闘病中、飯野さんの支えになったのは「家族」の存在だ。  白血病となると本人以上に家族がパニックになってしまうことも多いというが、看護師でもある奥さんは強かった。夜勤のシフトを組んで、昼間は毎日飯野さんの元に来てくれた。長女の高校受験も控えていたが、看病から子どもたちのケアまで完璧にこなしてくれたという。 「家族を支えなければいけないという思いが原動力でした。治すことを目標にするのではなくて、治った後に何をしたいかを描きながら闘えば、絶対に乗り越えられると思います。今この治療に立ち向かわなければ次にはいけない、そんな思いでした」  だが、退院後も順風満帆とはいかなかった。抗がん剤の影響で、手の震えや舌のしびれがなかなか取れない。飲食の仕事に戻るのは厳しいのでは――。そんな周りの声もあった。  それでも飯野さんは諦めなかった。 「今は料理をできなかったとしても、飲食業にかかわっていれば、いつか戻れる日が来るかもしれない」 「自分が今できることをやろう」  友人たちも、飯野さんの“業界復帰”を支えてくれた。かつての経験を生かし、鵠沼海岸でフレンチレストランの立ち上げにも携わった。味はわからなくてもできることはある。とにかく、必死でもがいた。  そんな飯野さんの姿を見て、サラリーマン時代の先輩が声をかけてくれた。退院翌年の15年3月、武蔵小山の珈琲店で配膳の仕事を手伝うことになった。 ラーメンをふるまう飯野さん(筆者撮影)  かき氷が人気のお店だったため、冬場の寒い時期は売り上げが厳しくなる。もう一本柱が欲しいという話を聞き、飯野さんはラーメンを提案した。昔から温めていたレシピがあり、今がチャンスだと思った。舌はまだしびれていて、味の感覚も厳しかったが、周りの人たちに味見をしてもらいながらラーメンを作った。これが好評で、レセプションを開けばラーメン評論家やグルメライターなどが集まり、口コミがどんどん広がっていった。 「こんなに美味しいラーメンが作れるんだから、自分のお店をやった方がいい」という声もお客さんからたくさん上がっていた。  舌のしびれは多少残るが、前に比べると味もわかるようになってきた。お店をやりたい気持ちもある。だが、体力はまだない。どうしたらいいか、友人に相談を始めた。すると、都立大学駅のあるバーから、昼間限定で間借り営業の誘いがやってきた。 「昼だけなら体力が持つかもしれない」  16年1月に間借りでラーメン店をオープンさせる。珈琲店で出していたラーメンの評判やメディアの反響もあり、人気店に成長する。その後、11月には友人と共同で六本木のバーを間借りしてもう1軒、ラーメン屋を開店。少しずつ体力も戻り始め、ラーメン店のプロデュース業にも拍車がかかってくる。そんなある日、以前立ち上げを手伝った鵠沼海岸のレストランのオーナーから、「資金援助をするから、自分のお店を立ち上げたらどうだ」と誘いを受ける。  プロデュース業も順調で、今なら体力も大丈夫だ――。医師から「まだ完治はしていないが、3年経って血液の数値も安定している。拒絶反応も出ていないから、開店してもいい」と許可をもらい、17年8月、ついに自分のお店「RAMEN CAFE de IINO」をオープンした。 「あっさりIINO 塩煮干」は800円(筆者撮影) 「舌はしびれているし、とにかくはじめは苦い感じがしました。歯ざわり、舌ざわりが頭の中のイメージと全然違う。『しょっぱい』『甘い』『辛い』などの味はわかりますが、風味などはまったくわかりませんでした。いつかは舌が戻ると信じてもがき続けましたね」  病魔に侵される直前まで、ずっとラーメンを作ってきた飯野さん。食材を組み合わせるだけで、どんな味や風味になるかは頭の中でイメージできた。そのイメージと自分の舌で感じる味の違いを少しずつ戻していったという。「想像通りの味を舌で感じられたらOK」。そう考えて、味覚を戻していった。 「人から命をいただいたので、今後は同じような病気で苦しんでいる人を励ましていきたい。人に恩を返したいんです」  医師からは、完治までは5年と言われている。骨髄移植をしてから、今年の8月でようやく5年が経つ。まだ油断はできないが、飯野さんは今日も笑顔でラーメンを作り続けている。(ラーメンライター・井手隊長)
ラーメン
dot. 2019/02/24 12:00
AIは中立ではなく「女性嫌い」 検証結果で見えてきた負の側面
AIは中立ではなく「女性嫌い」 検証結果で見えてきた負の側面
マサチューセッツ工科大学のジョイ・ブォラムウィニ氏による調査では、米国の誰もが知る著名な黒人女性たちを、AIが「男性」と判定(同氏の動画から)(ジョイ・ブォラムウィニ氏提供) 米ラスベガスで1月に開かれた世界最大級の見本市「CES」でも、「スマートホーム」や自動運転技術など、AI関連の最新展示が席巻した(写真:Getty Images) 人間のクイズ王者に圧勝したことで知られるIBMのAI「ワトソン」は、採用選考のエントリーシート評価にも使われている (c)朝日新聞社  人工知能(AI)による採用審査など、日本でもAI社会の広がりを身近に感じるようになった。だが、AIには「女性嫌い」という厄介な偏見があり、「ヘイト」を増幅させる危険性もある。朝日新聞IT専門記者の平和博氏がAIの実態をレポートする。 *  *  *  IT5社の人工知能(AI)が男性を女性に間違える割合はコンマ以下。一方、女性を男性に間違える割合は最大で2割近い──。  マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの研究者、ジョイ・ブォラムウィニ氏らは今年1月28日、ハワイ・ホノルルで開かれていた米国人工知能学会と米国計算機学会の会議で、AIが人の顔の画像から性別などの特徴を識別する「顔認識」について、IT各社の機能を比較した結果を発表した。  比較したのは、IBM、マイクロソフト、アマゾン、さらに米国のベンチャー「カイロス」と中国のサービス「フェイス++」の5社。その結果には、共通する傾向があった。  いずれも男性を女性に間違える割合は1%未満なのに、女性を男性に間違える割合は、はるかに高かった。最大のアマゾンでは19%。5人に1人の割合で女性を男性と判定するということだ。  つまり、いずれも女性に不利な傾向を示していたのだ。  さらにアマゾンでは、別の観点からもAIによる女性の扱いが問題となっていた。  AIを使った人材採用システムをアマゾンが開発しようとしたが、AIが「女性嫌い」で使い物にならず、断念した──ロイターが2018年10月にそう報じている。  アマゾンは14年に専任チームを立ち上げ、AIによって履歴書を審査するためのシステム開発に取り組み始めた。AIが応募者の履歴書の内容を評価し、5点満点でランク付けする、という仕組みだった。  だが不具合が明らかになる。ソフトウェア開発などの技術職で、女性に対しての評価が低くなるという偏りが生じていたのだ。  原因は、AIが学習したデータにあった。AIは、あらかじめデータを使って学び、その中からモデルとなる特徴を見つけ出す。このモデルに基づいて新しいデータの仕分けなどの作業を行う。だから、学習するデータに問題があれば、AIから出てくる判定結果にも問題が生じる。 ●学習データに基づくAI、正確で中立だとは限らない  システム開発に際して担当者たちは、過去10年にわたって同社に提出された履歴書をAIに学習させた。問題は、その大半が男性からのものだったということだ。そして、採用された技術職も大半が男性だ。  するとどうなるか? AIは男性の方が採用に適した人材と判断し、男性の履歴書の評価を高くするようになってしまう。その結果、履歴書に「女性チェス部部長」のように「女性」という言葉が入っていると評価を下げていたのだ。女子大卒業という履歴書で評価を下げられたケースもあったという。 「女性」に関連する言葉での差別が行われないよう、システムに修正を加えたが、そのほかの差別が生じる可能性を否定できず、アマゾンは17年初めに開発を断念。専任チームは解散した。  AIに期待されるのは、正確さや中立性、そして高速で大量のデータ処理をすることだ。ただ、AIが正確で中立だとは限らない。社会に差別や偏見があれば、AIもデータを通じて差別や偏見を学ぶ。しかも単に反復するだけでなく、高速な自動処理によって、それを増幅させてしまう危険性もある。  平成も終わろうといういま、なお「女性嫌い」の価値観が、AIから吐き出されるかもしれないのだ。  アマゾンでは開発を断念したが、AIを使った採用システムは様々な企業で取り入れられ、日本でも導入が始まっている。  ソフトバンクは17年5月から、新卒採用選考のエントリーシート評価に、IBMのAI「ワトソン」を導入した。「ワトソン」の自然言語処理の機能を使い、エントリーシートの内容を判定。合格基準を満たした項目は選考通過とし、その他の項目は人間の人事担当者が確認して最終判断を行う。「応募者をより客観的に、また適正に評価する」としている。 「ワトソン」は11年、米国の人気クイズ番組で人間のクイズ王者2人に圧勝したことで知られる。導入することで、書類評価にかかる時間を75%削減し、面接にあてるという。  サッポロビールも19年度入社の新卒採用のエントリーシート選考で、三菱総合研究所とマイナビが開発したAIシステムを導入した。  AIがどのような基準で判定をするのか、その詳細を外部から知ることはできない。ただ、日本社会の中に「女性嫌い」が色濃く存在すれば、AIはそれを反映していくだろう。 「女性嫌い」の顕著な一例が、昨夏に発覚した医学部入試における女子受験生差別の問題だ。  東京医科大学では、10年以上前から女子や浪人年数の長い男子の受験生が不利になる、不正な得点操作が行われていたことが明らかになった。  大学関係者は調査に対して、「女性は結婚や出産で長時間勤務ができない」などとその理由を話したという。問題は医学部入試だけではなく、女性医師の採用問題に直結していたのだ。  順天堂大学、北里大学などの医学部入試でも同様の不正があったことが明らかになっている。  男女雇用機会均等法では、性別を理由とする人材募集、採用の差別を禁止している。だが実際には、企業の新卒採用の選考をめぐっても、同様の「女性嫌い」は長く指摘されてきた。 ●アマゾンが抱えた課題は、いまの日本の課題でもある  アマゾンの採用AIの開発チームが抱えた課題は、いまの日本の課題でもある。 「女性嫌い」な事例は、ネット広告にもある。カーネギーメロン大学などの研究チームが14年8月に発表した論文で調べたのは、グーグルの広告配信システムのAIだ。  グーグルは、ユーザーの過去の検索履歴や閲覧履歴などをもとに、興味や関心を判断し、それに沿ったネット広告を表示している。その判断に差別はないか。研究チームは専用プログラムを使って、男女半々で合わせて1千人の架空ユーザーをつくり出し、それぞれに100カ所の求職サイトを閲覧させた上で、グーグルから表示される広告を測定した。  すると、男性の架空ユーザー向けには年収20万ドル(約2200万円)以上の役員ポストをうたう転職支援サービスの広告が1800回表示されたのに、女性の架空ユーザーには同様の広告は300回しか表示されなかった。女性向けには、一般的な求人サービスや自動車販売などの広告が、男性向けよりも多く表示されたという。  ただし、この実験結果には、グーグルのAIの判定だけでなく、広告主による配信先の指定が影響している可能性もあるという。  AIは学習するデータ次第では「ヘイト」にも染まる。その一例がマイクロソフトのチャットAI「Tay(テイ)」の実験だ。 「Tay」は「19歳の米国女性」というキャラクター設定のAIとして、16年3月23日にツイッター上で公開された。若いユーザーとの会話から学習していくという設計だった。  だが、ネットを荒らすユーザーたちが「Tay」に目をつけ、差別的な言葉を「学習」させていく。それによって、「フェミニストは大嫌いだ。全員死んで地獄で焼かれろ」「ヒトラーはなにも悪いことはしてない」「ホロコーストはでっちあげ」などのツイートを発信するようになる。このため公開からわずか16時間後、9万6千件を超す投稿をした後、「Tay」は停止されることになった。 ●前向きな狙いで使っても、差別を広げる可能性がある  AIの「女性嫌い」を改めさせることはできるのか。  冒頭で紹介したMITメディアラボのブォラムウィニ氏らの結果発表には、続きがあった。約1年前の18年2月にも、やはりIT各社のAI顔認識の精度を比べ、公表している。この時に比較したのはマイクロソフト、IBM、フェイス++の3社。そしてこの18年2月のデータを今回発表したデータを比べると、AIの誤認識の割合は、特に女性に関して3社とも10ポイント前後の明確な改善が見られたという。  ブォラムウィニ氏はこの間、前回の検証結果をIT各社に通告。その上で、AIによる女性への「格差」をアピールする動画をユーチューブで公開した。  動画では特に誤認識率の高かった黒人女性に焦点をあて、前米大統領夫人のミシェル・オバマ氏や、女子プロテニス選手のセリーナ・ウィリアムズ氏、著名な司会者のオプラ・ウィンフリー氏らの顔写真が、IT各社のAIによっていずれも「男性」と判定される様子を映しだした。これらのキャンペーンが世論を喚起し、IT各社が顔認識の精度向上に取り組む動機づけになったという。  ブォラムウィニ氏自身も黒人女性だ。かつてAIに自分の顔が認識されなかった経験があるという。18年6月のニューヨーク・タイムズへの寄稿で、同氏はこう述べている。 「AIは、世界を変える可能性がもてはやされがちだ。だが実際は、それがどんなに前向きな狙いで使われたとしても、バイアス(差別・偏見)や排斥を増幅してしまう可能性がある。私の経験がいい例だ」  それを放置するのではなく、検証し、公表し、世論を喚起することで改めさせる──今回の検証結果について、ブォラムウィニ氏らはそう総括する。 「女性嫌い」などのAIのバイアス問題は、他人事ではない。筆者の近著『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書)では、AIによって未来の犯罪を予測され、テロリストに仕立てあげられ、リベンジポルノのフェイク動画を拡散され、大統領選の裏工作まで行われている米国などの実態を取り上げた。  AI社会のとば口で、改めてこの身近な問題をしっかり検証し、改めさせる必要が日本にもある。(朝日新聞IT専門記者・平和博) ※AERA 2019年2月25日号
AERA 2019/02/20 17:00
堺屋太一さん記者に託した日本人への伝言「“低欲社会”に必要なのは楽しい国造り」
堺屋太一さん記者に託した日本人への伝言「“低欲社会”に必要なのは楽しい国造り」
堺屋太一さんは時代を鮮やかに切り取ることができる稀有な存在だった(撮影・長谷川唯) 17日に行われた堺屋さんの告別式(撮影・多田敏男) 17日に行われた堺屋さんの告別式(撮影・多田敏男)  万博プロデューサー、「団塊の世代」の名付け親、通産官僚、作家、エコノミスト、経済企画庁長官――。多彩な才能で知られた堺屋太一(享年83)=本名・池口小太郎=さんが亡くなり、17日、葬儀・告別式が都内でしめやかに営まれた。  弔辞を読んだ橋下徹前大阪市長(49)が涙を見せながら、「政治家にしてくださってありがとう。大阪万博の時は見に来てください」と語りかけた。  発想のスケールが豪快で、時代や世相を大局観で切り取ることができる人だった。  1997(平成9)年には朝日新聞に近未来小説『平成三十年』を連載。20年後の沈滞する日本の姿を統計やデータから描き出し、「何もしなかった日本」に警鐘を鳴らした。  堺屋さんは本誌でも2014年夏から15年秋にかけて、連載「堺屋太一が見た 戦後ニッポン70年」を執筆した。傘寿(80歳)にあわせて、人生を振り返る書き下ろし。当初約50回の予定だったが、興が乗って、64回まで続いた。連載に連動した番外コラムも積極的で、30回も書いてくれた。  週刊朝日副編集長として打ち合わせや取材のほか、連載後も、堺屋さんの事務所をよく訪ねた。1時間から2時間ほど、政治・経済から国際政治、地方政治や大阪のこと、そして世の流行まで、縦横無尽に堺屋節は続いた。いつも決まって「どう思います?」。若輩者の意見にも、じっと耳を傾ける聞き上手だった。  高校時代にボクシング部に在籍して、女子プロレス好き。ヒール役を自任する尾崎魔弓さんのファンで、月刊誌で対談もしている。取材の息抜きに、破顔一笑して女子プロレスの話になることもしばしばだ。  1970(昭和45)年の大阪万博の開催は、堺屋さんが34歳のころ。企画から運営準備まで6年近くかかわった。総入場者数はのべ6422万人。通産官僚でありながら、万博の名プロデューサーとして知られた。  ペンネームの堺屋太一は、安土桃山時代の先祖の大阪商人から取ったと聞いた。石油が枯渇した日本を描いた『油断!』、戦後のベビーブーム世代を、地層の塊という地学用語でたとえた『団塊の世代』などがベストセラーに。  大河ドラマの原作となった『峠の群像』『秀吉』など歴史小説も得意で、流行作家として予測小説、歴史物、文明評論の世界を自由に行き来した。  意外だったのは、内閣官房参与で政権の「ご意見番」なのに、東京五輪のサマータイム導入には大反対だったことだ。昨秋に堺屋さんを訪ねると、 「五輪のマラソンのたった1日のことが動機です。動機不純で、定着するはずがない。体協(五輪組織委員会)の人たちの金集めの一環ですよ」  そう怒っていた。戦後のサマータイムが導入されたのは1948年。堺屋さんが学校に通っていた頃だが、 「記憶には全くないです。いつも学校に遅刻していったから」  アハハと笑った。  このとき聞いたのが、小説をなぞったような、現実の「平成30年」へのぼやきだ。 「日本人の人生は、東京一極集中で画一的な型にはめる規格化が進みました。正社員優遇、小住宅持ち家主義。キャバレーもなくなり、カジノをつくるといえば『依存症が』と反対される。生活は貧しく、均一化しましたね」  いまが明治日本、戦後日本に続く大転換期だと力説した。 「日本に欠けているのは、楽しい国造りです。楽しい国は、多様性と意外性がある。安全で清潔な国なのにそれが欠けている。欲がない、夢もない、やる気がない、低欲社会ですよ。日本の人口は減少する。楽しい日本をどうするか。これを考えるしかない。日本を楽しい社会にするべきです」  編集者として堺屋さんと40年つきあった豊田利男さんによると、2025年の大阪・関西万博が決まった昨年11月は、大喜びだった。 「万博をやるまで生きていたい。大きな万博を2度経験するやつはそうはいないぞ」  そう語っていたのに、年明けに体調を崩して入院、容体が急変した。  堺屋さんは、改元をはさむゴールデンウィークをめざして、本を執筆中だった。遺作となる本の仮タイトルは、堺屋さんが名付けた。『三度目の日本』(祥伝社)。これはわれわれ日本人への伝言だろう。  堺屋先生、ありがとうございました。(朝日新聞オピニオン編集部次長・金子桂一) ※ ※週刊朝日 2019年3月1日号
週刊朝日 2019/02/17 12:00
年間300万人! タカラヅカ、盛り上がりの陰に独特の“流儀”
首藤由之 首藤由之
年間300万人! タカラヅカ、盛り上がりの陰に独特の“流儀”
元宙組トップスターの朝夏まなと (c)朝日新聞社 元月組トップスターで俳優・歌手の龍真咲 (c)朝日新聞社  1月2日朝、都内に住む60歳代のA子さんは、まだ暗い6時前に家を出た。向かった先は日比谷の東京宝塚劇場。この日は宝塚歌劇の雪組東京本公演「ファントム」の初日で、ご贔屓(ひいき)の若手男役が劇場入りするのを見届ける「入り待ち」に行くのだった。 「公演は午後からなのですが、初日は舞台で『通し稽古』をするため朝が早いんです」  人気の男役トップスター望海風斗を含め、タカラジェンヌたちは7時台に劇場入りする。A子さんによると、自分のご贔屓を見ようと劇場前には多くのタカラヅカファンたちが詰めかけていた。もちろん、ほぼ全員が女性だ。  A子さんはやってきた若手男役が「今日から頑張ります」とあいさつするのを聞き、「東京公演、お怪我のないように……」などと認(したた)めた激励の手紙を手渡した。  ちょうど8時前だったので、100メートルほど離れた日比谷通りに移って、スタート直後の箱根駅伝の選手たちに声援も送れた。  いったん家に帰って仮眠を取り、午後3時に再び劇場へ。幕間を含めて3時間のステージを楽しみ、また劇場前に陣取った。 「今度は帰るのを見届ける『出待ち』です。結局、家に帰ると午後10時をすぎていました」  A子さんの2019年は、こうして朝から夜まで「タカラヅカ漬け」で始まった。  阪急電鉄の創始者、小林一三が作り、女性だけでミュージカルやレビュー公演を行う世界でも珍しい宝塚歌劇団(以下、タカラヅカ)。その超人気が止まらない。  タカラヅカは東京・日比谷の東京宝塚劇場(2千席)と兵庫県宝塚市の宝塚大劇場(2500席)の二つの旗艦劇場を持つが、どちらも連日、満員御礼だ。  近年、劇場からの生中継映像を全国各地の映画館で上映する「ライブ・ビューイング」が急増しており、こちらも盛況。全国ツアーなどほかの公演も同様で、ひところは年間250万人といっていた観客は270万人に増え、昨年はとうとう300万人の大台を突破した。  自らもタカラヅカファンでタカラヅカについての著作も多い中本千晶さんによると、14年の「100周年」で一気に盛り上がり、それが今までずっと続いているという。 「劇団の広報戦略が功を奏しテレビで取り上げられたことなどで、『一度見てみたい』という人がすごい勢いで増えました。いずれは沈静化するとみられていたのですが、5年たった今もその兆しはありません。エンタメ業界でタカラヅカの一人勝ちの状況が続いています」  もともとタカラヅカファンのボリュームゾーンは40代から60、70代の女性だが、中本さんは、次のように指摘する。 「タカラヅカといえば1970年代の『ベルサイユのばら』の大ヒットが有名ですが、当時ファンになった女子高生やその周辺の世代がボリュームゾーンとしっかり重なっています」  出た! 昨年来、記者が注目している「大人女子」たちだ。  子育てを終えて自由になった彼女たちが、旅行やファッションなどさまざまな分野で旺盛な消費活動をしている様子は18年11月16日号などで報じた。その元気な大人女子たちが新規に、あるいは再び観劇を始めるなどで、タカラヅカファンの世界に進出している可能性がある。  東京都八王子市のB子さん(50)は、復活組の一人だ。 「京都の女子大に通っているときにファンになりました。平成のベルばらは全部見ています。卒業してからは見なくなったのですが、下の子の世話が一段落したころに誘われて復活しました」  11年に、ママ友の姪がタカラヅカの「生徒」(歌劇団では団員のことを生徒という)なので、「ぜひ見てほしい」とすすめられたのがきっかけだった。年に数回、行く程度だったが、やがてその生徒に私設のファンクラブ(タカラヅカには公式のファンクラブは存在しない)ができ、自分もその一員になってから火がついた。  15年11作品20回、16年14作品30回、17年19作品52回、18年21作品63回。完全な右肩上がりだ。  タカラヅカには冒頭の雪組のほかに、花、月、星、宙(そら)と全部で五つの組があり、それぞれの組が順番に公演していくので、ほぼ年中、公演がある。 「どの組のも最低、数回は見ます。でも、私がファンの生徒さんは宙組なので、宙組の公演は集中的に見ますね。昨年暮れの東京が宙組だったのですが、同じ公演を10回見に行きました。年間に100万円ほど使っていますね」  都内のC子さん(46)も、B子さんと同様、子供に手がかからなくなってからタカラヅカファンになった。ただしC子さんは「新規」だ。 「中3の長男が部活の野球部を引退するとき、同じ野球部のママ友たちと同じ趣味を持とうとなり、ミュージカル好きの人がタカラヅカを提案しました」  たまたま最初に見たのが当時月組の男役トップだった龍真咲の公演で、あまりの素敵さにすぐはまってしまった。 「そのあと宙組男役トップの朝夏まなとさんの『エリザベート』を見て、沼に落ちてしまったんです。朝夏さんのファンクラブにも入ったのですが、17年秋の退団が決まり、結局、その年は、朝夏さんを見るために全部で50回ぐらい観劇しました」  B子さん・C子さんともに、はまったのはここ数年のことだ。実は冒頭のA子さんもゆるいタカラヅカファンだったのが、頻繁に行くようになったのは今のご贔屓のファンクラブに入ってからだ。  いったい、タカラヅカの何がイマドキの大人女子をひきつけているのか。  元阪急社員で『元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略』の著書もある阪南大学の森下信雄専任講師は、そもそもタカラヅカファンの世界は女性コミュニティーに向いている側面があるという。 「ふだんは積極的に宣伝もしないタカラヅカがなぜ満員を続けられるのか。それは、言葉は適切かどうかわかりませんが、『お客さんがお客さんを連れてくる』という、いわば『ねずみ講』のようなシステムがあるからなんです」  こういうことだ。ファンクラブの存在などタカラヅカには長年にわたって築かれた独特の「流儀」があり、タカラヅカファンたちは何も知らないずぶの素人が入り込んでくるのを、あまり好まない。その代わりに自分の世界観を共有してくれそうな知り合いを誘い、見る前にその流儀を徹底的にレクチャーするのだ。 「教えてあげること自体が楽しみに加わります。観劇プラスアルファの世界です」  いかにも大人女子が好きそうな世界だ。そして、連れてきた知り合いがはまれば、その人がまた別の知り合いを連れてくる。客が客を呼ぶ構図である。(本誌・首藤由之) ※週刊朝日  2019年2月22日号より抜粋
週刊朝日 2019/02/16 10:00
池江璃花子選手白血病 “急性リンパ性”なら小児型治療で7割根治も
熊澤志保 熊澤志保
池江璃花子選手白血病 “急性リンパ性”なら小児型治療で7割根治も
池江璃花子選手(18)は2月12日、ツイッターで白血病を公表。〈今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、また、さらに強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張っていきたいと思います〉などと綴った (c)朝日新聞社 骨髄移植認定施設の移植件数トップ10(AERA 2019年2月25日号より)  池江璃花子選手の白血病公表で、日本中に応援する声が溢れ、骨髄バンクに問い合わせが殺到。現場では若い世代の白血病治療の研究が進んでいる。  2月12日、競泳女子の池江璃花子選手(18)が、自身のツイッターで白血病を公表した。  治ってほしい。笑顔を見たい。そんな気持ちが誰にもある。メディアでは治療法が報じられ、SNSには数多(あまた)の応援コメントが寄せられ、骨髄バンクにはドナー登録を希望する問い合わせが殺到した。  白血病は血液のがんと言われるが、肺がんや胃がんなどのいわゆる「がん」とは少々違う。常磐病院血液内科の森甚一医師はこう解説する。 「早期発見が根治につながる、という認識は間違いです。白血病に早期、進行期という区別はなく、根治の可能性は白血病細胞の遺伝子にどんな傷がついているかによります」  白血病には急性と慢性があるが、池江選手は「入院治療しているということは、急性白血病では」と森医師は言う。急性白血病には、急性リンパ性白血病(ALL)と急性骨髄性白血病(AML)がある。治療法は型により異なるが、まず抗がん剤治療を行い、その後必要に応じ骨髄移植を行うのが一般的だ。  血液内科医で医療ガバナンス研究所の上昌広理事長は言う。 「小児は9割がALLで、年齢が上がるにつれ、AMLが増えます。池江選手の年齢だと可能性は半々でしょう」  ALLとAMLの治療期間の目安は違い、「ALLは通院期間を含め2年程度、AMLは半年程度。骨髄移植を行う場合、期間は延びる」(上医師)という。  闘病記『無菌室ふたりぽっち』の著者で、朝日新聞記者だった37歳の時にAMLを発症した今田俊さん(50)は、抗がん剤治療の際、慢性的な吐き気と倦怠感に苦しんだ。食欲が落ち、一時は体重が10キロ以上落ちた。 「1回の抗がん剤治療は1カ月くらい続き、それを何度も繰り返す。『絶対治す』と思っていても、モチベーションを保つのが難しい。『こんなつらいことをいつまで続けなければならないのか』と思ったことも。十数年前と比べ、医療が進歩したとはいえ、決して甘い病気ではないと思う」(今田さん)  半年ほどの抗がん剤治療の後、仕事に復帰。通院し維持療法を行っていたが、再発し、骨髄移植を受けた。移植後、3年ほどで体力は回復し、現在はフルマラソンを完走するほどの健脚だ。  15~39歳の思春期・若年成人層はAYA(Adolescent and Young Adult)世代と呼ばれる。名古屋医療センターの安田貴彦医師は言う。 「がんの罹患率や死亡率が最も低い世代で、これまで臨床研究は多くありませんでしたが、近年米国では増えてきています」  AYA世代のALLの場合、成人型より小児型の抗がん剤治療を行ったほうが予後がよいとわかっている。大人と子どもでは耐えられる抗がん剤の量が違い、小児型治療のほうが強い抗がん剤を用いる。成人型の治療を行った場合の5年生存率は約5割だが、小児型の治療では約7割に上がった。白血病は5年再発がなければその後再発することは稀であり、「根治」とされるという。 「小児科と内科が協力し、治療にあたる病院も増えた」というのは、国立がん研究センター東病院の細野亜古医師だ。  学業や仕事で活躍していた世代にとって、心的な葛藤も大きい。闘病生活に入らざるを得なかった悔しさがあり、長い治療にあたっては不安もわき起こる。 「白血病は治療をはじめて数カ月は仕事や学業を中断せざるを得ないため、社会的・精神的なサポートが大切です。周囲の支えはもちろん、同年代の患者と交流を持つピアサポートも活用できれば」(細野医師)  前出の今田さんも闘病中の励みになったのは、「家族や友人らの応援」だった。  池江選手は13日、<今の私の率直な気持ち>として、ツイッターを更新した。 <私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています><私にとって競泳人生は大切なものです。ですが今は、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えて頂きながら戦っていきたいと思います> (編集部・熊澤志保) ※AERA 2019年2月25日号
AERA 2019/02/16 08:00
大ヒット木村拓哉「マスカレード・ホテル」で一つだけつらかったこと
矢部万紀子 矢部万紀子
大ヒット木村拓哉「マスカレード・ホテル」で一つだけつらかったこと
「マスカレード・ホテル」で木村拓哉と共演した長澤まさみ (c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』  木村拓哉、並びにジャニーズ事務所、やっぱりすごいっす。やるときはやるっす。  大ヒット中の主演映画「マスカレード・ホテル」について、あれこれ考えた末の結論だ。実に凡庸である。  2月4日発表の映画ランキングによれば、公開3週目で累計207万人を動員、興行収入は26億円を突破したという(興行通信社提供)。2ケ月以上独走していた「ボヘミアン・ラプソディー」に動員数で勝った、最初の映画でもある。  SMAPは解散したが、木村はずっと木村している。映画にドラマと途切れることなく主演、昨年はゲームソフトのキャラにもなった。年末ビックカメラに行ったら、天井から木村の超デカいポスターがぶら下がっていて驚いた。そして、その頃からテレビ界全体に「キムタク祭り」的な空気が流れ出した。  祭りに参加したつもりはないのだが、私の頭も次第にキムタク色を帯び、ついつい公開直後に「マスカレード・ホテル」を観に映画館へ。  日頃はファンでもない私の、この行動に至る道を説明するなら、「オールドテレビファン」として毎朝新聞のテレビ欄をじっくり眺めるという習性に起因する。 「マスカレード・ホテル」を製作したフジテレビが12月14日から1月18日まで、連日木村主演のドラマ「HERO」を再放送していた。1月18日は映画公開日。その日まで少しずつ、「ほーら、あなたはだんだん、マスカレード・ホテルに行きたくなーる、行きたくなーる」という作戦。  フジテレビはテレビ欄の一番右にいる。15時50分~だから真ん中あたり。右の真ん中にいつも「HERO」。週末の夜は、映画「HERO」。実際にチャンネルを合わせなくても、その気になってくる。 「振り向けばテレ東」などと言われるフジテレビ。「マスカレード・ホテル」をヒットさせねばという必死さが、圧になって伝わってきた。木村拓哉主演映画を外すわけにはいかないのね、大変ね。そんな気持ちにもなった。  2018年の映画「検察側の罪人」も木村&二宮和也のダブル主演で、公開の前後はテレビCMもたくさん流れていた。だがその時に比べて今回はフジテレビの「圧」に加え、ジャニーズ事務所の存在もビシビシ感じた気がする。  1月2日、「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」(TBS系)に木村が出演。映画に絡んで「何やってもキムタクって言われる」と語った。1月20日には「ザ!鉄腕!DASH!!」(日テレ系)に出演。山口達也メンバー脱退以降視聴率が低迷していたTOKIOの番組だが、キムタク効果で18.6%の高視聴率。どちらも即座に記事化され、ネットの世界を駆け巡っていた。  局を超えての出演、即ニュース。さすがメディアごとに担当者を置き、日頃から関係性作りに余念がないとされるジャニーズ事務所。そんなことを思いつつ、公開からすぐの月曜日に映画館へ。フジテレビ&ジャニーズの思う壺。  昼過ぎの回だったが、初老の夫婦、会社をサボってるらしい男性、若いカップル……要は老若男女でほぼ満席だった。  そして「マスカレード・ホテル」、ちゃんとおもしろかった。  連続殺人事件が起きていて、犯人は殺害現場を数字で予告している。次は都心の超一流ホテルと判明、木村扮する刑事がフロントマンになり潜入捜査をする。それが大筋。  前半は豪華俳優が宿泊客となりチェックインし、エピソードを終えるとチェックアウト。濱田岳、高嶋政宏、松たか子、生瀬勝久らが次々と問題多めの客を演じ、それはそれで巧みなのだが、「これじゃあ、ホテルあるあるじゃん。捜査はどうなったわけ?」と退屈しかけたところから事件が動き出す。最後はなるほどー、こう来たかー、と思わせてくれて、終わってみればあっという間の2時間13分だった。 「マスカレード・ホテル」の鈴木雅之監督は「ロングバケーション」(1996年放送)に始まり、「HERO」(2001年放送も2014年放送も)を演出した人だというから、木村を使う才能が抜群なんだと思う。  スター性というか、オレさま性というか、そういう彼の見せ方がわかっているのだろう。「上から」の物言い。型破りの変わり者。誰よりも強い正義感。「HERO」の久利生公平検事の人物像が、ほぼそのままに「マスカレード・ホテル」の新田浩介刑事だ。そんなカッコいい役を、木村はカッコよく演じている。 「マスカレード・ホテル」には、他にも「HERO」との共通点があった。仕事で相棒を組む女性と「同僚以上、恋人未満」な感じになることだ。  2011年放映の元祖「HERO」は、松たか子演じる検察事務官が相棒。木村と松の掛け合いがラブコメっぽいドキドキ感で、それがドラマの魅力になった。「マスカレード・ホテル」は、長澤まさみ演じるホテルウーマンが相棒。緊張感あるやりとりが続くが、そこは美男美女、ドキドキ感も醸し出す。最後は「恋人未満」を暗示させるシーンも用意され、めでたし、めでたし。  ではあるのだが、一つ気になったことが。新田刑事、一体、いくつなんだろう。  現実の木村、1972年生まれの46歳。長澤は87年生まれの31歳。画面の木村を見ていると、現実の長澤の年齢に近い設定だと思う。同年代の男女が、次第に信頼感を上げていくお話。そうわかるのだが、ちょっと苦しい。 「HERO」の松たか子は77年生まれで、木村とは5歳差だった。「恋人未満」にリアルさがあった。長澤とは15歳差。だから「おんなじぐらいの年ってことよね」と頭で確認しながら観る感じ。  別に構わないと言えば構わないが、少しつらいと言えばつらい。  木村が「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」で「何やってもキムタクって言われる」と語ったのは、案外この辺りのことを感じているということではないだろうか。(矢部万紀子)
矢部万紀子
dot. 2019/02/11 11:30
悠仁さまがお茶の水女子大学附属中に内部進学 競争よりも伸ばす教育
熊澤志保 熊澤志保
悠仁さまがお茶の水女子大学附属中に内部進学 競争よりも伸ばす教育
南方熊楠記念館で、アメーバ状になった粘菌の標本を熱心に観察していた/2017年12月5日、和歌山県白浜町で(右) (写真:代表撮影) 小学校最後の運動会で「大玉おくり」の競技に参加した。放課後遊びでは、下級生のまとめ役にもなっているという/2018年5月19日、東京都文京区で(写真:代表撮影) 12歳の誕生日をもうすぐ迎える悠仁さまと、シャボン玉で遊ぶ眞子さま(左)、佳子さま。きょうだい仲が良いという/2018年8月10日、東京・元赤坂で(宮内庁提供)  悠仁さまの進学先がお茶の水女子大学附属中学校と発表された。内部進学のかたちだが、皇族が学習院以外の中学に通うことは戦後初めてという。 「進学先については、4年生、5年生くらいの頃から、少しずつ話し合って、長男自身の考えや希望などを聞くことがありました」「長男自身が自分の考えを深めることを大事にしてまいりました」  昨年11月22日、秋篠宮邸で行われた秋篠宮さまの53歳の誕生日を前にした会見で、悠仁さま(12)の進学について、そう紀子さま(52)は説明された。「中学校でどのようなことを学びたいか、どのような活動をしたいか」話し合い、進学先を考えてきたという。秋篠宮さまが会見で、「進学先については、そう遠くないうちに発表されることと思います」と言われたとおり、それから約2カ月後の2月4日、悠仁さまの進学先が発表された。幼稚園、小学校に続き、お茶の水女子大学附属中学校に通う。皇族が学習院以外の中学に通うことは、戦後初めてのことだ。  発表されるまでは、筑波大学附属中学校などさまざまな中学の名前が出て、臆測が飛び交ってきた。ある記者は「中学校に下見に来ていた」という話を、複数の学校の生徒の親から聞いたという。 ほんわかしたムード  お茶の水女子大学の附属校は、中学までは共学だが、高校から女子校になる。男子生徒は外部の高校を受験しなければならない。学校側は共学化の可能性を「大学の方針として、附属高等学校の共学化は考えていない」「10年20年先はどうなるかわからないが、しばらくは女子校で」とはっきりと否定している。  なぜ、複数の選択肢のなかでも、お茶大附属中だったのか。  元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、「環境の変化を忌避したからでは」と言う。 「5月1日から秋篠宮殿下が皇位継承順位第1位の皇嗣となられることに伴い、ご一家のお世話をする組織がこれまでより格段に大きくなり、関わる人員も増え、環境が大きく変わります。悠仁親王殿下のご年齢で、学校の環境まで変わるのは負担が大きいのではと案じていましたから、正直ほっとしました」  会見の言葉にもあるとおり、「校風と子どもの個性を考えて決めたのでは」というのは、塾ソムリエとして知られる名門指導会代表の西村則康さんだ。 「お茶大附属中はほんわかとしたムードで、生徒さんには楽器のできる子も多く、どこか学習院と似ています。小学校では 『てつがく科』などの授業も採り入れ、客観的な認知力向上に力を入れている。穏やかで感受性の豊かなお子さんが多い印象です」  候補校として挙がることの多かった筑波大附属中は、お茶大附属中とは雰囲気がかなり違う。 「内部進学の基準も厳しいため、競争を意識している家庭が多い。中高では抜群に優秀な外部生が進学してくるので、熾烈な環境下で競争心を持ち、たくましくやっていくタイプのお子さんが向いています」(西村さん)  とはいえお茶大附属中でも、内部生と中学から入学する外部生との学力差を体感する在校生は多いようだ。お茶大附属幼稚園から小学校に進み、現在5年生の女子児童の父親(45)は言う。 「中学にあがると、外部進学者との学力の差が大きくて戸惑う、という話は上級生の保護者から聞いています。内部進学者も少しずつ減っているようなので、中学受験も視野に入れ、娘は塾に通わせています」  この父親によると、女子の半数、男子のほとんどが小学校から塾に通っている印象だという。  一般の進学先として考えた場合、お茶大附属中は男子にとっていささか特殊だというのは、『受験と進学の新常識』などの著書がある、教育・育児ジャーナリストのおおたとしまささんだ。 「高校から女子校になるので、わざわざ中学受験をしてまで3年間だけ通おうとする男子は多くありません。偏差値も男女間で差があり、女子は66ですが、男子の偏差値は50(四谷大塚)程度です」  前出の西村さんも言う。 「高校受験に苦労する男子生徒は多い。もちろん、優秀で意識の高い生徒はいますが、最難関校である筑波大学附属駒場や筑波大附属に進学できるケースは稀です」  結果、お茶大附属中に対する保護者の評価は「二分されている」という。 「哲学的な幅広い教育を歓迎する保護者もいますが、実質的な受験指導をやってくれないと嘆く保護者もいます」(西村さん)  だが、大学受験まで見据えた場合、後々響いてくるのは、一見学力とは関係ないように見える精神性だという。 「伸びない子は『僕はこう思う』で止まる。伸びるのは、『こう考えている人がいるかも』と立場を変えて考えられる子です。学力を支える基盤としてお茶大の教育は効果的です」(同)  実際、お茶大附属小の校風は、悠仁さまに合っていたようだ。  冒頭の会見の折には、夏休みの社会の宿題で戦争について調べて広島行きを希望され、紀子さまと広島に行かれたことなどが説明された。秋篠宮さまは「自分の意見をはっきり言うようになった」「人の話にもきちんと耳を傾けるようになった」と語った。お互いのいいところを見つけて言葉にする「いいとこ見つけ」を学校で行い、家庭でも家族の「いいところ」を教えてくれたり、考えている時や困っている時には言葉をかけてくれたりもするという。  これまで、皇族は学習院に通うのが慣例だった。皇太子さまも秋篠宮さまも幼稚園から大学まで学習院に進んでいる。  学習院を、「皇室と同じクラスタ(属性)の人を育むゆりかご」と指摘するのは、『美智子さまという奇跡』の著者でコラムニストの矢部万紀子さんだ。  秋篠宮さまは学習院大学で紀子さまと出会い、結婚された。初等科から学習院だった黒田慶樹さん(53)を妹の清子さん(49)に紹介したのも秋篠宮さまだ。 「学習院は『皇室』という特別な存在の人に壁を作らず、親しく感じる人を育む役割を果たしてきました。秋篠宮さまはそのことを実感されていたので、妹に同級生を紹介されたのだと思います」(矢部さん)  しかし、眞子さま(27)は学習院女子高等科を卒業後、ICU(国際基督教大学)に進学し、佳子さま(24)は学習院大学を退学して、ICUに入り直した。佳子さまはその理由を会見でこう語った。 「幼稚園から高校まで学習院に通っており、限られた一つの環境しか経験できていないと感じることが多くございました」  矢部さんは言う。 「同じクラスタだけではイヤ、ということの表明だったと思います。悠仁さまは将来の天皇として、非常に重いものを担われます。学校は教育の場であるだけでなく、人と出会い、人間をつくる場です。今回は選択から外れた学習院ですが、『クラスタ』の視点に立てば、3年後には学習院回帰も検討されるのではないでしょうか」  高校や大学はどこを選ぶのか。これから3年間、ご本人とご家族が熟慮のうえ、将来も考え、選択されることだろう。 「眞子さま、佳子さまもご参考に、ICUに進まれるのでは」「歴史もありOB・OGも多い学習院が環境として整っているのでは」という声もあるが、ある記者は「専門領域がカギになる」と考えている。 「もし、秋篠宮さまが学習院大学に満足していたら、眞子さまや佳子さまにも学習院を勧められていたのでは。そうではないということですから、専門性や国際性も視野に入れてお考えになるのではと思います」  皇室には、理系の研究者が多い。昭和天皇は海洋生物や植物を研究する生物学者であり、天皇陛下は魚類学者としても知られている。秋篠宮さま自身は学習院大学法学部政治学科を卒業後、オックスフォード大学に留学して魚類分類学を学び、現在は東京農業大学農学部バイオセラピー学科の客員教授、東京大学の特招研究員を務めている。  秋篠宮さまは佳子さまに対して、こうも述べられていた。 「公的私的は別にして、ライフワークになるようなものを持ってもらいたいなと思っています」  現在、悠仁さまは理科が得意だという。12歳の誕生日を迎えた昨年9月には、野菜作りや田んぼ作りにも熱心な様子が伝えられた。もしもやりたいことや興味を持たれた分野が理系の領域であるなら、その専攻につながる進路を選ぶ可能性も少なくない。(編集部・熊澤志保)
悠仁さま秋篠宮さま皇室
AERA 2019/02/10 10:00
人気局アナ、続々退社…フリー女子アナ戦国時代、新井恵理那や川田裕美の“牙城”を崩せるか?
高梨歩 高梨歩
人気局アナ、続々退社…フリー女子アナ戦国時代、新井恵理那や川田裕美の“牙城”を崩せるか?
新井恵理那 (c)朝日新聞社 ■フジの最終面接で落ちた新井恵理那  1月末でTBSを退社した吉田明世アナ(30)、3月以降の退社を発表したテレビ朝日の宇賀なつみアナ(32)。そして2月5日、アイドル並みのルックスで人気を誇るTBSの宇垣美里アナ(27)が3月いっぱいで退社すると自身がアシスタントを務めるラジオ番組で発表した。さらに、同8日には、テレビ朝日の小川彩佳アナ(33)が一般男性との結婚を発表し、同局を退社してフリーとして活動する意向だという。  人気の局アナが相次いで独立し、2019年はフリー女子アナウンサーの戦国時代になることが必至だ。  そんな中、すでに頭ひとつ抜け出した人気を誇るフリーアナがいる。情報番組「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)、「新・情報7daysニュースキャスター」(TBS系)などにレギュラー出演し、「2018タレント番組出演本数ランキング」(ニホンモニター調べ)で、女性タレント部門の2位に輝いたフリーアナウンサーの新井恵理那(29)だ。  昨年の出演番組数は443本にも及び、今勢いに乗っている新井は1月27日放送の「誰だって波瀾爆笑」(日本テレビ系)に出演。順風満帆とも思える彼女からは考えられない失敗エピソードの数々を告白し、SNSなどで話題となった。  青山学院在学時は女子アナの登竜門とも言われる「ミス青学」コンテストでグランプリを獲得。周囲の勧めもあり、フジテレビのアナウンサー採用試験を受験し、トントン拍子に最終面接まで進んだ新井。残り4人に選ばれ、「これはもう決まるかもしれない」とワクワクし始めていたという。  最終面接では、特技として、口笛でウグイスの鳴きマネを披露したが、結果は不合格。「乗り気になっていたのに……」と一人お台場の商業施設のトイレで泣いたそうだ。「これでウグイスと会話することができた」と面接で言ったと話すと、「だから落ちたんだよ!」とコーナーの進行役であるバイきんぐ・小峠英二(42)に鋭く突っ込まれていた。 「同番組では他にも、ほぼ受かるといわれる高校の推薦入学に落ちた話や、高校時代の失恋話など、飾らない彼女の素顔が見えるエピソードを数多く披露していました。こんなに売れっ子なのに節約家で、服はセールでしか買わないとか、アクセサリーは手作りなど親近感を覚えた視聴者も多かったようです」(芸能ウェブメディアの編集者)  一方、新井には天然なところもあり、そこにハマる芸人も多いようだ。バラエティ番組「東京らふストーリー」(テレビ朝日系)で共演するフットボールアワーの後藤輝基(44)は「新井さんの面白さに気づけたのがデカかった」と同番組の新春スペシャル収録後の囲み取材で語り、新井が打ち合わせにモロッコ旅行で買った民族衣装を着てきたことを明かした。  同じく共演者のアンタッチャブル・山崎弘也(43)も、この新井の珍行動に「こんなにすごい人なのかと思いましたもん」と驚いたそうで、「今年(収録は2018年末)、新井さんを発見できたことが一番の収穫」とその逸材ぶりを評価していた。  かわいらしいルックスからはもちろんだが、そこからは想像できない、ちょっと“抜け”た部分が共演者や視聴者から支持されているようだ。 ■下手すぎるスキップで一躍有名になった川田裕美  他にも独特の“抜け感”で人気になったのは、2015年に読売テレビを退社し、フリーとなった川田裕美(35)だ。2011年から約4年間「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ)で宮根誠司(55)のアシスタントを務めていた彼女。知名度はあるとはいえ、フリー転向を発表した当初は活躍が厳しいと予想されていた。だが、その下馬評を覆し、昨年12月にオリコンから発表された「第15回 好きな女子アナウンサーランキング」では、これまでのランク外から初の4位に入る大躍進を果たした。 「川田さんの人気を押し上げたきっかけは、彼女の運動音痴ぶりと趣味にあると言えます。バラエティー番組でスキップを披露したところ、あまりにもヘタすぎて放送事故だと話題になりました。交互に足をあげることができず、まるで生まれたての小鹿のようで……。でも彼女自身はウケを狙いたいわけではなく、とにかく一生懸命にスキップをしているつもりなんです。そこがまた面白くて。SNS上でも『何度見ても爆笑できる』『1年分笑った』などの声が挙がっていました。また、川田さんは『あんこ愛』が強すぎることでも有名です。自宅の冷蔵庫には大量のゆであずきの缶を常備していて、多い日は2缶を平らげてしまうこともあると言い、大福はまずあんこを吸い出してから食べるという衝撃の食べ方をテレビ番組で明かしたことも。卵焼きやグラタン、筑前煮にまであんこを入れる彼女独特のレシピには、さすがに賛否両論があがっていましたが、インスタグラムにアップされる川田さんオススメの和菓子は『手土産の参考になる』との声も多いです」(前出の編集者)  ファッション用語での“抜け感”はバランスのよい隙間を意味するが、新井&川田は本当の意味でちょっと抜けているところがある。だが、その独特の“抜け”がかえって視聴者に「隙間」という安心感を与えているのかもしれない。  芸能リポーターの川内天子氏は言う。 「局アナに求められるのは信頼性やアナウンス技術、進行力です。一方、フリーアナウンサーに求められるのは圧倒的に『個性』です。こうした状況で、フリーアナはいかに視聴者に親近感を感じてもらえるかが肝になってきます。スキップが下手な川田アナや、カラオケでプロ級の腕前を披露した高橋真麻(37)を見てもわかるとおり、“人間味”をうまく醸し出せれば、視聴者も安心して受け入れるのです。局アナは30歳が転機と言われるとおり、最近はその前後でフリーになる女子アナも増えており、戦国時代を通り過ぎて淘汰の時代に入りつつあります。今年は誰がフリーになって成功を収めるのか、見ものですね」  成功すれば局アナ時代の何倍、何十倍もの年収になる。チャンスを追い求める女子アナたちの戦いは続きそうだ。(ライター・高梨歩)
dot. 2019/02/09 11:30
“円満退部”でなければ引退も…実業団陸上の悪しき制度
川口穣 川口穣
“円満退部”でなければ引退も…実業団陸上の悪しき制度
陸上長距離の選手は、ほとんどが駅伝での活躍を期待されての雇用。実業団連合に登録できないと競技を続けられないケースが多い (c)朝日新聞社 為末さんは「陸上界の“常識”を世の中と同じにしなければ、陸上そのものが世間に受け入れられなくなる」と懸念する(撮影/岡田晃奈)  実業団の陸上選手は“円満退部”でなければ、「無期限で登録を認めない」という厳しい移籍制限がある。 *  *  * 「ウチではできないの? “円満”は出さない。引退覚悟だね?」  数年前、全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)常連の強豪企業に所属する主力選手が、練習方針の違いから移籍を求めた。冒頭はその際の監督からの発言だ。“円満”とは、陸上競技の実業団選手が所属先を円満に退部したことを示す「退部証明書」のこと。日本実業団陸上競技連合ではこの退部証明書を持つ者を円満移籍者とし、「円満移籍者でない場合は無期限で登録を認めない」という厳しい移籍制限を設けている。  クイーンズ駅伝常連チームの元コーチ(30代男性)は言う。 「選手と指導者の相性はある。移籍して飛躍する例も多いです。でも、チームによっては頑なに移籍を認めません。この制度があるためにやむなくチームにとどまったり、引退に追い込まれる選手は大勢います。選手の可能性を閉ざす悪しき制度です」  元陸上選手で、コメンテーターや経営者として活動する為末大さん(40)も指摘する。 「実業団選手は会社員。会社員は同業他社への転職も自由。仮にプロとみなすにせよ、所属先が認めなければ無期限に移籍できない現状は行き過ぎです」  実業団連合側は制度について、「苦情は寄せられていないし、問題も把握していない」と説明する。だが、こんな証言も。  前出のコーチが所属していたチームでは数年前、監督のパワハラが原因で、選手の大半が退部を求めた。監督は「走りたいなら俺に従え。イヤなら引退しろ」と移籍を拒否。最終的には、立場が上の部長が押し切って移籍を認めたが、威圧的な監督を恐れ、引退した選手もいた。  日本代表経験もある現役の男子選手(34)も移籍で苦労した。彼は実業団からの移籍を2度経験している。最初は22歳のとき。新興チームのなかで中心選手として活躍したが、ロードとトラックの両方に力を入れたいと移籍を切り出した。監督は理解のある人で、話だけは聞いてくれた。しかし、すぐに「嫌がらせ」が始まった。移籍を申し出た直後に人事部から呼び出され、給与の過払いを理由に数十万円の支払いを求められたという。給与は手取りで14万円程度。抗議したところ請求は取り下げられたが、強い圧力を感じた。  このときは最終的に、「2年間は実業団の大会に出場しない」という条件で旧所属先と移籍先が合意し、移籍した。日本選手権には出られたが、実業団選手の檜舞台・ニューイヤー駅伝には2年間出場できなかった。 「それでも受け入れてもらえたのは幸運です。でも、当時は駅伝で活躍するのが大きな目標。脂がのっている時期だけに、とても悔しい思いをしました」  2度目の移籍は26歳のとき。慕っていた監督がチームの内紛で退部することになり、自身も移籍を申し出た。しかし、新監督や陸上部長は認めなかった。 「何度出向いても、“円満は出さない”の一点張りでした」  退部証明書はもらえなかった。結局、強行退部して、実業団連合非加盟で“円満”が必要ないクラブチームに移籍した。 「移籍が必要な場面はあります。でも、今はどんな理由があろうと“ダメなものはダメ”で終わり。選手のほうを向いた制度に変わってくれれば……」(同選手)  実業団連合は昨年末、制度について、会長名義で「真摯に(見直しの)検討を始めたい」との声明を出した。しかし、「問題があるかも含め、今後検討する」段階で、道筋は見えない。  陸上競技発展のためにも、少しでも早い制度改正が必要だ。(編集部・川口穣) ※AERA 2019年2月11日号
AERA 2019/02/05 17:00
「はじこい」で深田恭子の人気再熱!? アラサ―女性から絶大な支持を得る理由
藤原三星 藤原三星
「はじこい」で深田恭子の人気再熱!? アラサ―女性から絶大な支持を得る理由
深田恭子 (c)朝日新聞社 ■F1層のハートをしっかり鷲掴み  女優・深田恭子(36)の女性人気が、ここにきて急上昇している。1996年にホリプロスカウトキャラバンで2万人近い応募者の中からグランプリを受賞。1998年に放送された「神様、もう少しだけ」(フジテレビ)でHIVに感染する女子高生を演じると、瞬く間にブレイク。以後、コンスタントに主演作を量産しながら現在に至る。  キャリア20年強の人気女優でありながら、「意外と代表作がない」と言われがちな女優であることも事実なのだが、現在放送中の連続ドラマ「初めて恋をした日に読む話」(TBS系、以下「はじこい」)では、「受験、就職、恋愛となにもかもうまくいかなかったドジなアラサー女子役」を好演。SNS上では「やっぱり深キョンはかわいい」「ドン臭い深キョンはやたらリアル」「この役は深キョンにしかできない」など、女性視聴者から大絶賛ツイートが殺到しているのだ。  民放ドラマ制作スタッフは次のように語る。 「深キョンの芝居は彼女にしかできない独特な間合いやセリフ回しなので、ちょっとドジな役をやらせたら右に出るものはいません。今回の『はじこい』は東大受験に失敗した過去を持ち、厳しい親と同居しながら職場の三流予備校でも居場所がなく、本気の恋愛もしたことがないという役柄。『親との確執』『仕事の悩み』『本気の恋』と、ドラマ業界で最も重要視されるF1層(20~34歳の女性)に広く訴求できる題材なんです。この手の役が得意な女優としては綾瀬はるか(33)や石原さとみ(32)がいますが、より天然でドジなテイストにリアリティーを求めるならば、深キョン一択というのがドラマ業界のセオリーになりつつあります」  とはいえ、深田も今や36歳。同じ年齢の女優に目を向けると、加藤あい(36)、吹石一恵(36)、真木よう子(36)など結婚や離婚が女優としてのキャリアに影響を与えがちな年齢ともいえる。だが、深田は20年もコンスタントに女優業を続けながら、F1層のハートをしっかり鷲掴みにしているのだ。 「ある意味、ストイックですよね。これだけの美貌を持ちながら独身を貫くその姿に、同年代の独身女性は自分を重ねたくなるのかもしれません。『深キョンも独身なんだから、私が結婚できなくてもまだ大丈夫』と心の保険になってるというか(笑)。とにかく、30代女性で深キョンを悪くいう人は皆無ですよ。今後もアラサー女子の悲哀や恋愛を描いた物語は多数作られていくと思いますが、今は深キョン、綾瀬はるか、石原さとみのホリプロ三銃士が席巻しています。それぐらい、いまのホリプロ女優は層が厚い。少し前だと中谷美紀(43)、竹内結子(38)、柴咲コウ(37)、北川景子(32)らスターダスト勢(中谷は2015年に独立)が強かったのですが、今後しばらくはホリプロ女優の天下が続くでしょう」(前出のドラマ制作スタッフ) ■恐ろしいまでのセルフプロデュース力を持つ  女優として順調にキャリアを重ねる一方、プライベートではサーフィンをこよなく愛し、昨年発売された20冊目の写真集「深田恭子写真集 Blue Palpitations」もスマッシュヒット。これだけ写真集をリリースしている女優も類を見ないが、これもまた深キョンだからこその“なせるワザ”という。  スポーツ紙の芸能担当記者は次のように語る。 「深キョンの写真集は、健康美を強調した写真が多いんです。ですから、女性ファンも手にとりやすいと言われていて、それがヒットの秘訣なんでしょう。太すぎず細すぎない彼女の体形に好感を持つ女性はたしかに多いでしょうね。また、36歳でサーフィンをガンガンやり、『趣味に生きてる』というライフスタイルも世の女性に好感を与えます。女性にとって30代中盤とはいろいろ隠したくなるお年頃ですが、深キョンはむしろ年々解放感に満ち満ちています。このまま攻めまくって、世界一キレイなアラフォー女優になってほしいですね」  TVウオッチャーの中村裕一氏は深田恭子の魅力について、こう話す。 「あくまで画面からうかがい知ることしかできませんが、今の彼女の人気は、自分の価値観をしっかり認識したうえでのマイペースな性格と、そんな彼女のパーソナリティーを尊重し、無理な要求をしないマネジメントが見事にかみ合った結果ではないでしょうか。一般的に、女優は節目節目で大胆な露出やイメージとは異なるキャラに挑戦し、ステップアップしていくものですが、彼女の場合、それがまったくないのに、ここまでの人気を得ているのは、まさに奇跡と言ってもいい。もし、自分でそこまで考えてやっているとしたら、恐ろしいまでのセルフプロデュース能力の高さです。役の幅も意外と広く、いい意味ですべて彼女の色に染め上げてしまう、実に不思議な存在の女優と言えます。これから先、40歳、50歳になってもずっと“深キョン”のままであり続けることでしょう」  ここにきて深キョン再評価が沸騰している理由――。実は、彼女による緻密で見事なセルフプロデュースがなせる技だったのかもしれない。(ライター・藤原三星)
dot. 2019/02/05 11:30
追悼・橋本治さん「女子高生の口調で真っ当な小説を書こうと思った」
追悼・橋本治さん「女子高生の口調で真っ当な小説を書こうと思った」
インタビューは15時から22時ごろまでノンストップのことも。縦横無尽に話題が広がった/2017年11月、仕事場で(写真部・小原雄輝)  小説、評論、古典の現代語訳、エッセーと幅広く活躍した橋本治さんが亡くなった。享年70。精力的に執筆を続け、「真面目にふざけてきた」という作家がたどり着いた境地とは。 *  *  *  作家の橋本治さんが1月29日、肺炎のために亡くなった。70歳だった。  最初に注目されたのは東京大学在学中の1968年に描いた、駒場祭のポスターだ。「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」のコピーとともに話題をさらった。  イラストレーターとして活動しながら、77年に女子高生・榊原玲奈の一人語りが疾走する『桃尻娘』が小説現代新人賞の佳作に入選。以来、活躍は小説にとどまらず、日本初の本格的な少女漫画評論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』、『桃尻語訳 枕草子』をはじめとする古典の現代語訳、エッセーと、膨大な仕事を残した。  この数年、「橋本治の小説作法」を一冊にまとめるべく、十数回にわたりインタビューを重ねてきた。あまりに多才で、「どこにも位置づけられない人」だったが、橋本さん自身は「小説を書くために、エッセーや評論を書いて、書き方を学んでいった」と言っていた。 「作家になる強い決意もないままにデビューしてしまい、最初の1冊は勢いで乗りきれたけれど、自分には武器がなかった。『完本チャンバラ時代劇講座』を書いてから、三人称が書けるようになったんです」  橋本さんの評論やエッセーは、テーマそのものへの関心はもちろんだが、つねに「小説に生かせる」という意識があったのだと思う。 「声なき者の声に耳を傾けるのが作家の仕事」と、橋本さんは繰り返し語っていた。 「『桃尻娘』を書いた頃、女子高生に聞くべき意見などないと思われていたけれど、彼女たちにだって言いたいことはあるんじゃないか。当時は、滅茶苦茶な文体でまともなことを書くなんてありえなかったんですよ。だからこそ、女子高生の口調で真っ当な小説を書こうと思った」  同様に、『窯変(ようへん) 源氏物語』では女たちに語られる一方だった光源氏に、『巡礼』ではゴミ屋敷の主人に、「声」を与えた。  180センチと背が高かった橋本さんは、超人的な量の原稿を書き続けてきた。2010年に顕微鏡的多発血管炎という免疫性の難病になったが、仕事量はあまり変わらなかった。  それでも会うと、具合が悪そうな日もあり、歩く速さは少しずつ、ゆっくりになっていった。会話の切れ味や、センスは変わらなかったけれど。  橋本さんは、いつも日本の社会とその行く末を視野に入れながら、仕事をしていた。  昨年3月、作家デビュー40周年記念と銘打たれた『草薙の剣』を出版。12歳から62歳まで、10歳ずつ年が違う6人の男を主人公にした長編小説だ。敗戦、高度経済成長、昭和の終焉、バブル、二つの大震災を生きた日本人の現在を問う作品は、高い評価を得て、昨年末には野間文芸賞を受賞した。  同時に、1月にはユーモア小説というべき『九十八歳になった私』を、6月には落語で世界文学を語り直す新シリーズ『おいぼれハムレット』も上梓。幅の広さはあいかわらずだった。  昨年6月に上顎洞がんの手術のために入院、療養を続けていた橋本さん。10月に退院した直後に受け取った直筆の手紙には、こう書かれていた。 「『真面目なことをやって、しかも同時にふざけたことをやるということをしないと、文学の可能性はすごく狭くなる』ということを考えた結果、爆発してしまったのです。(中略)色々な小説を書いて、そのどれにも紛れもない作者自身がいる。そういう幅が得たかっただけで、今や私は自由です」 (ライター・矢内裕子)
お悔やみ
AERA 2019/02/03 10:00
大坂なおみ、全豪制覇の裏に「和の精神」? 海外メディアも“禅の心”を称賛
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大坂なおみ、全豪制覇の裏に「和の精神」? 海外メディアも“禅の心”を称賛
決勝戦の翌日、メディアを前に優勝トロフィーを披露する大坂なおみ(写真:getty Images)  1月26日に全豪オープンの女子決勝が行われ、世界ランク4位の大坂なおみが同6位のペトラ・クビトバ(チェコ)を7-6、5-7、6-4のフルセットで下し優勝。昨年の全米オープンに続き、自身2度目となるグランドスラム制覇を成し遂げた。  決勝では第1セットをタイブレークの末に奪ったが、第2セットではこの試合初めてブレークを許すなど厳しい立ち上がりとなった。しかし、そこから盛り返し、5-3とリード。第9ゲームには40-0とし、試合を決めるチャンスもあったが、そこからクビトバの脅威的な粘りにあい第2セットは5-7で落とす嫌な流れとなった。  このセットでは終盤に思い通りのプレーができず、ミスした後にボールをコートに強く打ちつける場面も。精神的な乱れがコート上で出てしまった。しかし、この日の大坂はここから自身のプレーを取り戻した。第3セットは第1ゲームこそ悪い流れを引きずったが、徐々にペースに持ち込み、第3ゲームをブレーク。その後はサービスゲームをしっかりとキープし、見事に勝利をたぐり寄せた。  大坂は今季開幕戦となるブリスベン国際でも、試合中にラケットを投げるなど、精神的な弱さを露呈。自身のSNSに「大人にならなければいけないと、自分に言い聞かせている」と語ったように、メンタルの成長が今大会の課題の一つでもあった。  実際、前述のとおりイライラする場面も見受けられた。さらに、相手のクビトバは2度のグランドスラム制覇の経験があり、16年12月には強盗に襲われ、利き手の左手に重症を負いながらも復帰した強い精神力を誇る選手。第2セットで逆転を許した場面では、もうダメだと思ったファンも多かったはずだ。  しかし、結果的に大坂は“逆境”を跳ね返した。米大手スポーツ専門局「ESPN」のウェブサイトも「世界ナンバーワンとなる選手のナオミオオサカは、コート上で完全に成長しきった姿を見せた」と、その精神力を称賛している。  同サイトは、この試合の第2セットで一度勝利を掴みかけたが、そこから逆転を許してしまった場面に言及。「このようなシチュエーションでは、たいていの選手は一気に勢いを失ってしまう。特に21歳のオオサカのように若い選手は」と、試合の流れを分析。10年以上のキャリアを誇るベテランのテニス記者も「大きなリードを失った選手が、そこから立ち直れずに終わってしまったのを何度も見た」と、いかに不利な状況に陥っていたかを説明した。 「ESPN」のウェブサイトによると、第2セットを落とした大坂はロッカールームに戻り泣いていたとのこと。それによって気持ちを切り替えるという手法は、“ユニーク”だと評し、「オオサカは不屈の精神、そして究極の禅の心をもった大人だ」と、逆境から立ち直ったメンタルの強さを高く評価した。  大坂は試合後「自分の感情を『無』にできることが、大人になったことなのかどうなのかは分からない。時に感情的になるのはとても自然なことだし。でも、そのようなこと(感情の起伏)でエネルギーを消費したくないの。コート上でも同じことを考えてる」とゲーム中の心の持ちようを明かした。  この試合でも、それを実行していたのは事実だったようで「第3セットの時は感情のスイッチをオフにするように心がけた。だからそのセットは叫んだりすることもあまりなかった。でも、それが自分を成長させているのか分からないし、そうは思わない」と、コメントしている。  メンタルが強いことはスポーツで勝ち進んでいくうえでの需要なファクターだが、試合中に時折見せる“弱弱しさ”、そしてそれに立ち向かう姿を披露してくれるのも大坂の魅力の一つ。全豪オープンの優勝によって世界1位となることは確定しているが、まだまだ21歳と若い大坂が、技術的にも精神的にもどうやって「本物の女王」なるかというプロセスも今後大いに楽しみにしたい。
dot. 2019/01/27 13:54
卓球女子“新星”の父親が明かす14歳でも冷静な理由 張本と対照的?
卓球女子“新星”の父親が明かす14歳でも冷静な理由 張本と対照的?
 14歳の木原美悠。冷静な試合運びに大人も舌を巻く(c)朝日新聞社 卓球界にまた新星が現れた。1月14日から20日に行われた全日本選手権の女子シングルスで、14歳の木原美悠が、優勝候補の一人だった平野美宇(18)を5回戦で敗ったのだ。平野は中国代表の五輪メダリストを破るなど、今や伊藤美誠(18)とならぶ世界トップクラスの選手。木原はその平野を相手に4−1で勝利した。  その後、決勝に進出。伊藤に惜しくも敗れたが、卓球コラムニストの伊藤条太さんは言い切る。 「予想以上の伸び。でも、まぐれではありません。平野や、その後の森さくら(22)、カットマンの佐藤瞳(21)を連破して、決勝では伊藤からも1セットを取りました」  伊藤さんは、木原のプレーの特徴として球威の強さを挙げる。かつて石川佳純が中学2年でベスト4入りして話題になったが、当時の石川よりも球威があるという。 「(まだ筋力がついていない)中学2年にもかかわらず、ドライブでも点を取れるくらいのスイングスピードがあり、球威がある」  さらに、メンタル面も指摘。 「常に冷静なんです。得点したら、張本智和選手の『チョレイ!』の様に大声を出すのが普通。でも、彼女はほとんど声を出さず、出す場合も控えめです」  一般には無名に等しい木原とは何者なのか。急成長の秘密を探るべく、父親を取材した。  木原の父・博生さんは兵庫県明石市で卓球教室を開いている。子供たちを日本代表に育てたいという思いから、脱サラして教室を開いた。木原は幼いころから父の教室で腕を磨いてきた。博生さんもわが子の快進撃に驚いていた。 「正直あそこまでいくとは思っていませんでした。平野選手のところがヤマ場かなと思っていましたが、平野選手に勝って、決勝までいったので、びっくりしました」  14歳とは思えない冷静な試合運びについて、父の博生さんは、こう明かす。 「もともとの性格もあるんですけど『あまり人にええとこ、あかんとこ、みせたら相手もわかってくるで』と言いきかせてたので、それもあると思います。相手選手としては、読みにくいでしょうね」  木原は現在、東京のJOCのエリートアカデミーで練習を重ねる日々で、親元を離れて暮らす。寂しくはないのかと聞くと、博生さんは、 「あまり(笑)。他の生徒もいるんで、それほど寂しいというのはないですね。娘からのホームシックの電話?いや、美悠の場合は絶対に寂しいとか、帰りたいとか言わないですね。精神的にはめちゃくちゃ強いです」  平野、伊藤に続き現れた新星・木原。1年後に東京オリンピックが迫るが、十分に代表候補になったといえる。父・博生さんも期待する。 「東京五輪は狙ってほしいですね。東京がダメでもその次の五輪で行ってほしいです」  冷静な14歳の快進撃に、新年早々驚かされた卓球界。今後が楽しみだ。 (本誌・大塚淳史) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2019/01/26 17:18
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

ロシアから見える世界

プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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