歌い手ファンは5歳から60代まで ネット文化がつなぐ世代間交流
槇原敬之の「どんなときも。」を広島弁にアレンジして熱唱する歌い手の阿部さん。客席からは大きな歓声が上がった(撮影/伊ヶ崎忍)
エグジットチューンズが主催する歌い手とボカロPのライブイベント「ETA」。2014年には、約2万5千人もの観客を動員した(写真:エグジットチューンズ提供)
ツイキャスでの配信の様子。視聴者のコメントが画面下に表示される。「同時視聴者数は毎回50~100人の間くらいです」(阿部さん)(写真:阿部さん提供)
ネット上にヒット曲のカバーやアレンジ動画を上げて人気を得る「歌い手」たち。12年前に生まれたネット文化が今、音楽の市場やコミュニケーションの形を変え始めている。
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「どうようなときも~どうようなときも~うちがうちらしゅうあるために~」
槇原敬之の名曲「どんなときも。」にうっとりと耳を傾ける観客たち。だが歌っているのは、本人ではなく一般の女性だ。しかも歌詞が広島弁にアレンジされている。どういうことか?
はたから見ると、少し不思議に思えるこの光景。しかしいま、こうしたネット発の「歌い手」らによるライブが盛況だという。
発端は、12年前に遡る。日本では2007年からニコニコ動画内に「歌ってみた」というカテゴリーが設けられ、ヒット曲を自分で演奏して歌ったり、アレンジを加えて歌ったりする動画が盛んに投稿されるようになった。
その後、初音ミクなどのボーカロイド(サンプリングされた歌声を自由に合成・加工できるソフト)を用いて作詞・作曲を行う「ボカロP」や、ボカロPの作った曲を肉声で歌う「歌い手」などが多数現れ、従来の音楽市場にはなかった新たな文化がネット上に形成されていった。
こうした流れの中で、東京都港区にあるレコード会社のエグジットチューンズは09年に、ボーカロイド曲を集めたアルバムをリリース。以来、「ぐるたみん」や「赤飯」といった人気歌い手やボカロPらの楽曲を多数リリース・配信し、セールス的にも成功を収めてきた。
同社のコンテンツ事業部主任の川合亮介さん(39)は、「人気のある歌い手やボカロPは総じてセルフプロデュース能力が高い」と話す。
「事務所に指示されて動くのではなく、自分でSNSを駆使してファンを増やしていける力があります。それとキャラクターが際立っている人が多い。もちろん声質や歌唱力も大きな魅力ですが、自分の“見せ方”にこだわりを持つ方は多いですね」
川合さんは「歌い手の人気は2.5次元的な側面がある」と語る。2.5次元とは、2次元(アニメやゲーム)と3次元(現実世界)の中間に位置する存在を形容したもの。例えばコスプレイヤーやアニメのキャラクターを演じる舞台俳優などがそう呼ばれる。
「弊社から作品をリリースしている歌い手やボカロPも、本名や素顔を公開している人はごくわずか。代わりに自分をキャラクター化したイラストをプロフィールアイコンにして活動されている方がほとんどです」(川合さん)
歌い手やボカロPのファン層は、10代前半から20代前半。アニメやゲームなどのサブカルチャーとも親和性の高い彼らにとって、そうした歌い手たちのアイコンは親しみやすい存在として映るだろう。
また、10代から20代の若者は、ユーチューブやニコニコ動画などを好んで視聴する層でもある。
「こうした動画共有サイトの盛り上がりと同時に、『歌ってみた』やボカロ音楽の人気が高まっていった部分はあります」(同)
10年代以降、音楽は「聴く」と同時に「視(み)る」ものになった。より多くの人に視聴されるには、歌の巧みさや楽曲の良さだけでなく、アーティスト自身のキャラクターや歌詞の物語性、斬新なミュージックビデオなど、総合力としての「世界観」をどれだけ演出できるかが求められる。
歌い手やボカロPのみならず、米津玄師やEve、Uruといった“ネット発”のアーティストが若年層から強く支持されるのは、こうしたメディアの特性を熟知し、没入感の高い音楽世界を構築できているからだろう。
一方で、歌い手を介して、現実世界に新たな「世代間交流」の場も生まれている。
今年2月、東京・代々木にあるライブハウス・バーバラで、5人の歌い手によるライブが行われた。集まった歌い手は、性別も年代もバラバラ。サラリーマンから主婦、女子高生、下は13歳の男子中学生まで名を連ねる。
「みるさん」の名で活躍する阿部知佳さん(42)は、11年前から歌い手としての活動を始めた。きっかけは「カラオケSNS」との出合いだったという。
「元々歌うことが大好きなのですが、当時は育児と仕事が重なってカラオケにも行けず、大きなストレスを抱えていました。そんなとき、自宅にいながら自分の歌を録音して投稿できるサイトがあることを知って、一気にハマったんです」(阿部さん)
今は「ツイキャス」などのライブストリーミングサービスを使って、週3日ほど自宅から弾き語りを生放送している。
配信中は、視聴者からリアルタイムでコメントやリクエストが届くため「自宅にいながらトークライブをしている気分」だという。
「このほかにも、ユーチューブに替え歌やボイストレーニングの動画を上げています。こっちは完成度の高い作品をネット空間に保存しておく『アルバム』みたいな感じですね」(同)
これまで最もヒットしたのは、映画「アナと雪の女王」の劇中歌「雪だるまつくろう」を広島弁にアレンジして歌った動画で、再生回数は423万回を超えた。
また16年には、本業のイラストレーションを生かし、自身の歌い手としての奮闘を描いたコミックエッセーを出版。さらに阿部さんの配信を見たプロのミュージシャンから誘われ、ワンマンライブも実現した。
阿部さんは、「歌い手をやる魅力は、こうしたお金では得られない特別な体験ができることにある」と語る。
「私は、普段は仕事をしながら、母親として子どもを育てている一般人です。でも歌い手として活動しているから、こうしてライブでステージに立ったり、テレビ番組に出たり、一瞬でもキラキラした世界を体験できる。すごく夢があると思うんです」
この日のライブに集まった歌い手やファンも、歌い手の活動を通じてSNSで知り合った人たちばかりだ。驚いたのは、観客の年齢層も幅広いこと。下は5歳の女の子から、上は60代の男性まで、約40人が一体となってライブを盛り上げた。
友人らとライブを観に来たという30代の女性は「歌い手の魅力は親しみやすさ」と語る。
「歌も素敵だけど、トークも楽しい。ライブだけでなく、家でもツイキャスの配信を見て楽しめるのもいいですよね」
また、60代の夫とライブに参加した50代の女性は、歌い手との交流が元気の素なのだそうだ。
「ファン同士でもつながったり、いろんな人と知り合う機会が増えて世界が広がった気がします」
メディアに華々しく取り上げられる歌手とは別に、ただ「歌うことが好き」という共通点を持った人々が集まり、こうした世代を超えたコミュニティーが形成されていることも、歌い手文化の見逃せない点だ。
「歌が好きで、スマホが1台あれば、だれでも歌い手になれます。年齢も関係ありません。私も、70歳になってもやってると思いますよ」(阿部さん)
そういえば、ここ何年も歌なんて口ずさんでいない。取材の帰り道、そう思って高校時代に好きだった曲を小声で歌ってみた。冷え込んだ東京の街が、何だか少しだけ暖かく感じられた。(ライター・澤田憲)
※AERA 2019年3月18日号
AERA
2019/03/18 11:30