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筋トレ効果は見た目だけでない! 「心身の健康」に数々のメリット
筋トレ効果は見た目だけでない! 「心身の健康」に数々のメリット
モデルは2.5次元ミュージカルなどの舞台で活躍する俳優の三浦宏規さん。たくましい筋肉は、舞台で作られた(撮影/写真部・掛祥葉子) 筋トレで得られる効果(AERA 2019年8月12ー19日合併号より) 筋肉率は徐々に減少していく(AERA 2019年8月12-19日合併号より)  今、大きな注目を集めている「筋トレ」。SNSでもその投稿が話題になっている。それだけ支持されるのは、見た目だけでないメリットがあるからだ。 *  *  *  姿見に映る無駄のないボディー。出勤前の入浴時、ダンサーのように割れた腹筋をまとった体を見ることが、朝の自分にスイッチを入れてくれる。  タブタカヒロさん(46)は外資系総合コンサルティング会社に勤務しながら、週末、個人コンサルタントとして7年半で延べ650人の相談に応じている。企業や個人のパフォーマンスを問うコンサルティング業において、鍛え上げられた体は「仕事ができる人」の証明書のようなもの。美しい姿勢、素早い動作は日々の筋トレの賜物だ。見た目に自信ができたことで発言にも説得力が増し、周りの評価も上がったと肌で感じている。  タブさんが筋トレを始めたのは、5年前、セミナーで講師をする自分の姿を写真で見て愕然としたのがきっかけだ。全体的にしまりがなく、どこかだらしない。身長175センチで体重は当時75キロほど。太っているわけではないと思っていたが、通勤電車で隣に座る人が窮屈そうにしていたことも気になった。 「このまま劣化したらただの“おっさん”になってしまう」  そこから毎晩、自宅でのトレーニングを始めた。帰宅してから夕食前の15~30分が筋トレの時間。バランスボールに座って腹筋500回、うつ伏せになり背筋300回、バランスボールに両足をのせて腕立て伏せ200回、スクワット300回など、時間は短いが内容はハードだ。それでも今やタブさんにとって、筋トレは歯磨きと同様の習慣となり、この5年間、体脂肪率12%をキープしている。 「筋トレを習慣にしたことで生活のリズムができて、十分な睡眠をとれるようになりました。朝もスッキリ目がさめて、一日中、仕事の集中力が途切れません。疲労が蓄積しなくなったので、持続的に高いパフォーマンスを出せます」(タブさん)  今、空前の筋トレブームが起きている。24時間営業のジムが多数登場し、インスタグラムには「#筋トレ」で4400万件、「#筋トレ女子」で1300万件の投稿が上がり、トレーニング中の写真や鍛え上げられた肉体が披露される。  7月下旬に本誌がインターネットで実施したアンケートでは、筋トレをはじめたきっかけについて、「見た目の維持」「ダイエット」「健康のため」などの回答が目立つ一方、その効果については50歳の公務員男性が「気力が充実して、何事も諦めなくなり、仕事の成果も上がった」と回答するなど、精神面に触れる人も多かった。 「筋トレが自律神経と脳内の内分泌系調節機能に作用する力には、科学的な裏付けがあります。ジョギングやエアロビクスなどでは1時間以上続けないと得られないレベルの活性化が、筋トレではわずか10分程度で起きることがわかっています」  こう話すのは、ボディービルダーとして世界選手権3位になった実績を持つ、東京大学大学院総合文化研究科の石井直方教授(筋生理学)だ。  自律神経への働きから説明しよう。自律神経は内臓や血管の働きをコントロールし、体内環境を整える役割を果たしている。起きているときや緊張しているときに優位になる交感神経と、就寝時やリラックスしているときに優位になる副交感神経がある。自律神経の乱れは、不安やだるさなど、さまざまな不調を引き起こす。 「筋トレによって自律神経のリズムが整い、交感神経と副交感神経がともに活性化すれば、ここぞというシーンで集中力を高め、リラックスしたいときにはくつろぐことができる。そんなメリハリのついた心身の状態が得られるのです」(石井教授)  内分泌系については、成長ホルモンの分泌が活発になることが挙げられる。骨が丈夫になって骨粗しょう症が予防でき、脂質の代謝もよくなりやせやすい体になる。免疫力も上がり、風邪をひきにくくなる。  筋トレは精神の安定にもよく、脳内に分泌されるドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンの状態を整えることが知られている。筋トレをすることで三つの分泌量が必要に応じて滑らかに流動し、セロトニンを基点としながら、上がったり下がったりする一番いい状態を、保つことができるのだ。  記憶力の向上も期待できる。収縮運動に伴って筋肉から分泌されるイリシンという物質は脳を活性化するが、これはイリシンが記憶をつかさどる海馬という領域に作用するためと考えられている。石井教授の研究室は昨年、海馬中で神経細胞を増やす「BDNF」(脳由来神経栄養因子)という化学物質が、筋肉を動かすことによって増えることを論文に発表した。石井教授は言う。 「筋肉に筋トレ時のような強い収縮を与えると、脳内の神経細胞を増やしたり、活性化させたりする物質が増えることは動物実験では立証済みです」 (ライター・村田くみ、編集部・渡辺豪) ※AERA 2019年8月12-19日号合併増大号より抜粋
ダイエット
AERA 2019/08/06 11:30
人工透析になるか、ならないかの違いは? 腎機能が急速に落ちていく慢性腎臓病
人工透析になるか、ならないかの違いは? 腎機能が急速に落ちていく慢性腎臓病
※写真はイメージです(写真/Getty Images)  人工透析に至る主な原因となる慢性腎臓病(CKD)は、国民の10人に1人がかかっている病気だ。人工透析にならないために、CKDの発症を予防し、発症しても適切な治療を受ける必要がある。 *    *  *  埼玉県在住の高橋健司さん(仮名・73歳)が自治体の健診で糖尿病と高血圧を指摘されたのは60歳のとき。「推算糸球体濾過量(以下、eGFR)」は46・7ml/分/1・73平方メートル(以下、単位略)で、尿たんぱくが出ていた。  eGFRは健康な腎機能を100としたときの指標で、低くなるほど腎機能が悪いことを示す。老廃物の一つである血液中のクレアチニンの値(血清クレアチニン値)をもとに計算する。  近くのクリニックを受診したところ、高血圧と糖尿病が原因のCKDで、ステージ3aと診断された。そこで治療を開始したところ血圧は下がり、血糖管理の指標であるHbA1cは11・8(%)から6・2、eGFRも52・2まで改善した。  しかし、3年ほど通院した後、数値がよくなったので薬を自己判断で中止。その後も不定期な服薬を繰り返していた。やがて少しずつeGFRが低下。クレアチニンの値も次第に上昇し、足にむくみも出てきた。このため、73歳のときに東京女子医科大学病院血液浄化療法科教授の土谷健医師を紹介され、受診をした。  結果は──eGFRが22(ステージ4)まで下がり、尿たんぱくは「3+」と高値になっていた。  診療した土谷医師はこう話す。 「『人工透析は避けたい』と現在、治療に専念されていますが、きびしい状況かもしれないとお話ししています。治療を継続していたら、と悔やまれます」  あらためてCKDとはどのような病気なのか、説明しておきたい。  腎臓は背側の腰の少し上に左右一つずつある握りこぶし大の臓器だ。主要な役割は毛細血管の塊である糸球体(一つの腎臓に100万個ほどある)と尿細管でからだの老廃物を除去し、水分や塩分などの量も調整する。わかりやすくいえば下水処理場のような役割だ。この働きが慢性的に少しずつ低下していく病気がCKDだ。  腎機能が低下していくと血中に老廃物や水分などがたまる。また、糸球体が壊れるために、血液中のたんぱく質など、本来からだに必要なものが排出されてしまう。こうした結果、むくみや倦怠感、食欲不振があらわれる。  また、腎臓は赤血球の産生を促すホルモンを作っており、CKDが進むとこのホルモンの産生が低下するため、貧血も進んでくる。心臓への負担から心不全や肺水腫など命にかかわる合併症も起こりやすくなる。  なお、日本におけるCKD患者は約1330万人といわれる。国民の10人に1人がCKDを患っているというのだから、他人事ではない。  CKDの原因として最も多いのが糖尿病だ。聖路加国際病院腎センター長の中山昌明医師はこう言う。 「高血糖により、毛細血管の塊である糸球体が障害され、硬くなります。また、糸球体から血液中のアルブミンなどのたんぱくが漏れることで、腎臓の尿細管や間質という部分も炎症→線維化というプロセスを経て、傷んでしまうのです」  しかし、糸球体は一部が壊れても他の糸球体が代償するため、CKDの症状は進行するまであらわれにくい。自覚症状を感じて病院に行ったときには、「即、人工透析」というケースは決して珍しくないのだ。 「CKDにならない、進行させないためには健診でeGFRの数値を必ずチェックすること。できれば数年分を確認し、急激に低下していないか調べるといいでしょう」(中山医師)  腎機能は個人差が大きいものの、一般的には40代前半をピークに加齢とともにeGFRは年間約1未満程度低下していく。一方、CKDを発症している人の中にはこれが倍以上のスピード(年間2ずつ低下)で低下する例もあるというから、怖い。 「例えば50歳でeGFR60くらいの人が治療せずにいると75歳で10未満となり、人工透析になる可能性が高い。一方、治療で悪化が防げれば加齢の分だけの低下にとどまり、85歳でeGFRは25程度。風邪や脱水など不可抗力で腎機能が落ちることもありますが、人工透析を受けずに十分に天寿を全うできる人が多いのです」(同)  なお、75歳を過ぎた高齢者で、eGFRが50程度であっても、数年来、値が横ばいで、尿たんぱくも陰性であれば心配はいらない。むしろ、健康の範疇だ。  CKDの治療は、主な原因となる糖尿病をはじめとする生活習慣病対策だ。塩分制限などの食事療法や運動療法、薬物療法などをおこなう。土谷医師は、 「生活習慣が乱れている人ほど、生活指導などによる改善効果も大きい。特に尿たんぱくが出ていなければ予後の指標となり、eGFRが改善するケースもみられます」  と、こんな例を紹介してくれた。  東京都在住の森田実さん(仮名・63歳)は40代から健診のたびに肥満と高血圧、高尿酸血症を指摘されていたが放置していた。しかし、3年前、痛風発作を繰り返すようになったことで近くのクリニックを受診。検査を受けると尿酸値が高いだけでなく、血圧が160/100ミリメートルHgもあった。さらにeGFRは27でCKDのステージ4だった。そこで主治医は土谷医師を紹介した。 「患者さんは身長172センチで体重89キロ。BMIは30・08(22前後が理想)で見るからに肥満でした。検査結果を見せて、『このままだと間違いなく人工透析になりますよ』と言うと、大変驚き、『心を入れ替えて治療に専念する』とおっしゃいました」(土谷医師)  薬物治療として尿酸値を抑えるフェブキソスタット、血圧を下げるアゼルニジピン(カルシウム拮抗薬)とロサルタン(ARB)などを服用してもらった。  その結果、1年後には血圧は130/82に低下し、eGFRは30・6でステージ3bに改善した。10キロの減量にも成功した。治療開始から3年目になるが、直近の検査結果ではeGFRは34・2とさらによくなったという。 「この10年、新しい薬が複数、登場していることがCKDの進行抑制につながっています。高血圧治療薬のARBやACE阻害薬、糖尿病治療薬のSGLT2阻害薬などには腎機能低下を抑える効果が確認されています」(同)  また、現在、CKDそのものに対する薬の開発も進んでいる。協和キリンが開発している「バルドキソロンメチル」という薬で、開発が成功すれば世界初のCKD治療薬となる(現在、糖尿病性腎症を対象に第3相臨床試験を実施中)。(文/狩生聖子) 東京女子医科大学病院 血液浄化療法科教授 土谷健医師 聖路加国際病院 腎センター長 中山昌明医師 ※週刊朝日  2019年8月9日号から一部抜粋
人工透析病気病院
dot. 2019/08/05 11:30
白い肌に涼しげな目元 今週の週刊朝日の女子大生表紙はウイスキー好きの深谷瑛理香さん
松岡かすみ 松岡かすみ
白い肌に涼しげな目元 今週の週刊朝日の女子大生表紙はウイスキー好きの深谷瑛理香さん
週刊朝日の表紙を飾った深谷瑛理香さん 津田塾大学 3年生 [COVER STAFF 撮影/渡辺達生、スタイリング/富田育子、ヘア&メイク/米澤和彦(エスキス)、アートディレクション/福島源之助+FROG KING STUDIO] 深谷瑛理香(ふかや・えりか)津田塾大学 3年生 [COVER STAFF 撮影/渡辺達生、スタイリング/富田育子、ヘア&メイク/米澤和彦(エスキス)、アートディレクション/、福島源之助+FROG KING STUDIO]  今年も女子大生表紙モデルの季節がやってきた。選ばれたのは櫻井優衣さん(早稲田大学・文学部3年)、大坪彩音さん(関西学院大学・社会学部3年)、深谷瑛理香さん(津田塾大学・総合政策学部3年)、京さくらさん(慶応義塾大学・文学部4年)の4人。そして今年撮影するのは、45年にもわたり、アイドルや女優を撮り続けてきた渡辺達生さん。今週の女子大生は、透き通るような白い肌に、水辺が似合う、涼しげな目元が印象的な深谷瑛理香さん。  蒸留酒好きで、21歳にしてウイスキーにハマり中。好きな食べ物は、「お茶漬け、ザーサイ、キノコ」という、なかなかに渋い感性の持ち主でもある。 「美しいものが好きなんです」と話すように、幼い頃から、周りの友達がアニメキャラクターに熱中する中、海外の画集や絵本に見入っては胸をときめかせていたのだとか。中でも好きなのは、葛飾北斎とピカソ。 「小さい頃から、胸をざわつかせるような視覚への刺激を欲しがってきました。描いた人自身や、時代背景に思いを馳せるのが好き。成り立ちを学ぶ過程が楽しいんです」 (本誌・松岡かすみ) ※週刊朝日  2019年8月9日号
週刊朝日 2019/08/04 11:30
三度の不倫報道でも消えない 斉藤由貴に世間が優しいのはなぜか?
宝泉薫 宝泉薫
三度の不倫報道でも消えない 斉藤由貴に世間が優しいのはなぜか?
女優としての確固たる地位を築いた斉藤由貴  不倫報道によって失速する芸能人は多い。ベッキーや矢口真里しかり、小室哲哉にいたっては引退してしまった。特に最近は、バレやすさも使いづらさもどんどん増してきた印象だ。しかし、その例外的存在が――おととしの夏に生涯三度目の不倫騒動に見舞われた斉藤由貴である。 *   *   *  このときの相手はかかりつけの医師で、ともに妻子ある立場のダブル不倫。最初に「手つなぎデート」が報じられた際、彼女は「家族がみんなお世話になっているおじさん」だと説明した。ところがその後、キス写真や「相手とおぼしき男性が頭にパンティーをかぶった写真」が出てきてしまう。この騒動により、決まっていた翌年の大河ドラマ「西郷どん」を辞退することとなった。  が、仕事への大きな影響はほかにCMの降板くらいで、映画や舞台には変わらず出演。テレビドラマにもほどなくして復帰した。今年6月にはNHKBSプレミアムの連ドラ「長閑の庭」で存在感を示している。女子大生と大学教授の41歳差の恋愛を描いた作品で、彼女の役柄は大学教授の元妻。才気も色気もある、ちょっと神秘的な雰囲気がいかにもピッタリだった。  また、昨年のブルーリボン賞授賞式では「いろいろあった」ことを笑いにしてみせたし、バラエティ番組の「1週回って知らない話」ではVTR出演した長女に「普通のお母さんより、私は今の若干スリリングなほうが好きだよ」とフォローされていた。家庭のほうもまずまず安泰のようだ。   「彼女はそういう人だ」  ではなぜ、彼女は例外的存在でいられるのか。ひとことでいえば、それはファンや業界、さらには世間までもが「彼女はそういう人だ」と認めているからだろう。かくいう筆者もそのひとりだ。その理由を過去の取材経験から明らかにするとしよう。  最初にインタビューしたのは、86年の初頭。彼女はデビュー2年目で、19歳だった。ヴィスコンティの映画が好きという話から、こんな美意識を口にしていたものだ。     【こちらも話題】 「広末涼子」らしい“どっちもほしい”の貪欲さ 三度の不倫を乗り越えた「斉藤由貴」になれるのか https://dot.asahi.com/articles/-/191366   デビュー曲「卒業」が大ヒットした斉藤由貴(1989年撮影) 「単純にいっちゃえば、少し退廃的なところが、好きです。感覚にあってるんです。萩原朔太郎さんとかコクトーにも共感するところがありますし、とにかく絵的に綺麗なものってすごい好きなんです」(「よい子の歌謡曲」)  とはいえ、それらは「自分とはかけ離れた、鑑賞の世界」だとして、クリスチャン(モルモン教徒)らしい、健全さや潔癖さへの志向も語っていた。それゆえ、アイドルとしての仕事のなかには気の進まないものもあり、特に歌手デビュー2日後に司会を務めた「オールナイトフジ女子高生スペシャル」はやりたくなかったという。「夕やけニャンニャン」のパイロット版的特番だ。十年後の95年秋にインタビューしたとき、彼女はこう振り返った。 「あのときは、けっこう荒れましたもん(笑)こんなことしたくない!って。当時『女子大生』とか『女子高生』って言葉はフェティッシュな色合いが濃かったでしょ。性的な感じで、その一端に加えられるのが、単純に、生理的に受けつけなかったんですね」(「宝島30」)   「恋多き魔性の女」として注目を浴びる  ただし、この発言の時点で彼女は二度の不倫(妻子ある男性との恋愛)を経験していた。性的な扱われ方をあれほど嫌がっていた少女は皮肉にも「恋多き魔性の女」として世間の注目を浴びるようになっていたのだ。  が、驚くにはあたらない。頽廃と健全、彼女はその両極端なものに惹かれるのだから仕方のないことだった。それに本人にとっては、不倫といっても大真面目なものだ。故・尾崎豊とのとき(91年)には「同志みたいな感じなんです」川崎麻世とのとき(93年)には「傷をなめ合う仲」だと、それぞれ自分の口で説明もした。その表現からは、心のふれあいを強く欲していたことがうかがえる。  また、尾崎には覚醒剤での逮捕歴があり、不倫発覚と破局の翌年、26歳で急死して伝説の人となる。川崎については、カイヤ夫人の鬼嫁ぶりのほうが話題を集めた。相手やその妻の印象が強烈で、斉藤の存在がかすんだ感もある。そして、川崎との騒動渦中に発したこんな言葉も、正直でにくめないものだった。     【こちらも話題】 ミッツ・マングローブ「南野陽子が露呈させた斉藤由貴の立ち位置」 https://dot.asahi.com/articles/-/113060   連続テレビ小説「はね駒」のヒロイン・橘りん役に挑戦した斉藤由貴さん   「前の人とのことがあったにも関わらず、本当に学ばない人間なんだなと自分のことながら悲しい気持ちです」  このあたりで「彼女はそういう人だ」と気づいた人も多いだろう。それこそ、石田純一や火野正平あたりに近いカテゴリーに入ったともいえる。ただ、さすがに懲りたのか、彼女は軌道修正をした。「学ばない」発言の翌年、同じモルモン教徒の一般男性と結婚。やがて3児の母となり、しばらくは平穏な家庭生活を続けていくのである。  じつはこれ、彼女ならではのバランス感覚でもあった。筆者の取材ではないが、93年秋にこんな発言をしている。 「宗教の重荷がなかったら自分がどこかへ飛んでいっちゃうから。逆にそういう重荷があるからこそ、自分が飛んでいこうと思ってあがくのかもしれない。(略)モラルとかインモラルとかいう言葉にしても、そのふたつが離れているほど、よりドラマチックな生き方になりますよね」(「VIEWS」)   健全と頽廃のあいだで激しく揺れ動く  モラルとインモラル、すなわち健全と頽廃のあいだで激しく揺れ動くのが自分という人間であり、信仰などを活用してうまくバランスをとっていくしかない、という人生観が見てとれる。彼女もまた、自分はそういう人だ、ということをこの時期、気づき悟ったということだろう。  こうして十数年間、モラル=健全の側に安住していられた斉藤。しかし、子育ても落ち着いてくると、また、インモラル=頽廃の側へといざなわれるようになる。きっかけは、ダイエットだった。2012年に父親から「背中が丸いな」と言われたことから一念発起。固形物はキャベツとレタスくらいという、絶食に近い方法もとりいれながら、3ヶ月で11キロ痩せた。  このあたりから、女優業にも勢いが戻る。大河ドラマ「真田丸」や映画「三度目の殺人」などでの助演にさすがだという声が出た。本人は演技も肉体表現なのだから、肉体のための努力をすることが大事だとしたうえで「一生懸命頑張ってる人は評価されやすい」のではと分析していたものだ。     【こちらも話題】 ミッツ・マングローブ「恋愛真打・斉藤由貴に試される自問自答力」 https://dot.asahi.com/articles/-/112571    もちろん、それも当たっているだろうが、もうひとつ、自身の肉体への美意識が研ぎ澄まされたことで「頽廃」寄りになり、妖しい魅力が復活したということも大きいのではないか。ドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」で演じた、娘の愛を独占したいがために、その恋人を誘惑までする毒親は鬼気迫るものがあった。そんな女優としてのスケールアップの延長線上に「不倫」が待ち受けていたのも、彼女の場合は当然というか、不可避的なことだったのだ。   彼女は一種の「神」女優?  それでも、冒頭で述べたように、ファンや業界、世間は意外と優しかった。斉藤由貴という人間をかれこれ30年以上見てきたことで、そういう人だと学んだ結果だろう。もっといえば、女優とは案外そういうものだし、それで構わないのではないかということに彼女は改めて気づかせてくれたともいえる。ほとんどの芸能人が市民的な常識感覚を求められるようになるなかで、ちょっとズレていても許される彼女は一種の「神」女優なのかもしれない。  何より彼女がよいと思えるのは、悪気を感じさせないところだ。不倫騒動についても、本人は大真面目なので、罪悪感を引きずっているように見えない。そういえば、95年秋の取材の際、当時執筆活動にも力を入れていた彼女はこんなことを言っていた。 「この仕事って、自分を切り売りするようなものでしょ。人生を語るなんて、恥ずかしいことだし。それでも、世の中の人すべてが自分という人間を探して生きている中で、私には自分を表現しながら、濃縮した瞬間を得ることができる。(略)それが幸せだと思うから、この仕事やっててよかった、と」  芸能人として生きる限り、ときとして恥ずかしい自分もさらけださなくてはならない。その覚悟と引き換えに素晴らしい瞬間を得られるのだから自分は幸せだという、自己肯定感。斉藤由貴の打たれ強さはそこから生まれるのだろう。 宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
dot. 2019/08/02 17:00
第1335回 フックと食べ汚しが飼い主似
第1335回 フックと食べ汚しが飼い主似
 ある日家に帰ったら、ねずみ色の子猫がいました。  近くのホームセンターで買ったと家内から事後報告がありましたが、値段は明かされずじまい。娘夫婦が猫を飼いだしたのに影響されたのだ、とすぐわかりました。  犬も猫も、両方とも十数年前になくし、もう飼わないと決めたはずでした。でも、今やシニアの2人暮らし。散歩の必要のある犬はともかく、猫を迎え入れることに異を唱える理由はありません。  ですが、私は感じたまま落胆を口にしました。 「前にいたミミと同じねずみ色だ」  先代の猫ミミは雑種で、毛の模様が違うだけで、やはりねずみ色でした。なので新鮮味がなく、どうせ飼うなら茶系の猫がよかったのです。が、後の祭り。飼うことへの了承と聞き流されただけです。  名前もすでに命名ずみで、「ブルマ」(写真、雌)。漫画「ドラゴンボール」の登場人物からとったといいますが、運動会の女子の黒いパンツのような名前は呼びにくく、私はブーかブル。  飼いだして3年あまり。今度の猫ブルマは、餌をやり、文字通り猫なで声で接する家内にまとわりつくこともありますが、だいたいは攻撃的でダッコが嫌い。少しでも気を抜いて頭をなでていると、電光石火の早業でフックを繰り出します。  シカという感覚が手に走り、皮膚には白い線が。やがてそこから赤いものがジワジワとしみ出し……。  猫パンチという言葉には肉球のソフトな感触も伴いますが、フックには恐ろしい爪の切れ味が。  ペットは飼い主に似るといいます。ブルのフックは、さしずめ家内の日頃の私への憎まれ口。カリカリ以外の餌だと周りを食べ汚すところは、ご飯をよくこぼす私のようです。 (渡辺秀明さん 愛知県/69歳/アルバイト) 【原稿募集中!】 「犬ばか猫ばかペットばか」では、みなさまからの原稿をお待ちしております。 原稿は800文字程度で、ペットのお写真を添付のうえ、下記メールアドレスまでご送付下さい。 必ず名前、住所、年齢、職業、電話番号のご記入をお願い致します。 尚、掲載は本コーナーと「週刊朝日」の誌面となります。謝礼は6千円。 mypet@asahi.com ※著作権は本社に帰属します
ねこ動物
2019/08/02 15:40
「深キョン、恐るべし」新ドラマ「ルパンの娘」で深田恭子が輝く理由
カトリーヌあやこ カトリーヌあやこ
「深キョン、恐るべし」新ドラマ「ルパンの娘」で深田恭子が輝く理由
カトリーヌあやこ/漫画家&TVウォッチャー。「週刊ザテレビジョン」でイラストコラム「すちゃらかTV!」を連載中。著書にフィギュアスケートルポ漫画「フィギュアおばかさん」(新書館)など イラスト/カトリーヌあやこ  漫画家&TVウォッチャーのカトリーヌあやこ氏が、「ルパンの娘」(フジテレビ系 木曜22:00~)をウォッチした。 *  *  * 「カズくん、どうしてあなたは警察官なの?」  ベランダでジュリエットばりに嘆く深キョン。大泥棒一家Lの一族の娘・華(深田恭子)と、代々警察一家の息子・和馬(瀬戸康史)の恋物語だ。  冒頭のタイトルロールから、全身ピタピタローズピンクの泥棒衣装を着た深キョンが、「007」シリーズのボンドガールのごとくエロいポーズを連発する。  このエロ衣装を深キョンに着せたい!という、ものすごくシンプルで潔い意図で制作されたとしか思えないこのドラマ。  しかし深キョン、36歳。その佇(たたず)まいに、まったくアラフォー感がない。もはや年齢を超越した、「深キョン」という生き物だ。  今年の1月期にやっていたドラマ「初めて恋をした日に読む話」では、ピンク色に髪を染めた16歳の男子高校生と恋におちる役。違和感なし。  エリート商社マンから「つき合おう」とバックハグされ、「うん、飲みにならいつでもつき合うよ(ニッコリ)」と、小首かしげて天然ボケ発言をする。全然違和感なし。  とにかく「おい、ふざけんな、このババァ」と、なりがちなシチュエーションを、なんだったら「アラ素敵」レベルに成立させる深キョン、恐るべし。なんせリアリティーから離れれば離れるほど、深キョンは輝くのだ。  本作でも、毎回幼なじみの大泥棒(大貫勇輔)と、いきなりミュージカルをおっぱじめる。 「生まれ変わって裸の心でまたあなたと♪」 「巡り会いたいの~♪」  画面に流れる歌詞テロップ。ドラマが突然安いカラオケ映像になっても、視聴者に「うん、そうだね!」と思わせるのが深キョン。  漫画やアニメ、ゲーム原作を映像や舞台で演じる役者を、「2.5次元俳優」というけれど、もはや深キョンという存在自体が2.5次元なのだ。  シワとかほうれい線とか、二の腕のたるみとか、男関係どうなの~?とか、最近疲れやすいとか、アラフォーの女子会で語られそうなリアルが、深キョンからは一切漂ってこない。  そう、深キョンは概念であり、ファンタジーなのだ。  そんな深キョンを筆頭に、小沢真珠、マルシア、どんぐりさんと、スパイスの利いたキャラを詰め込んだ本作は、美魔女妖怪大戦争としても楽しみたい。 ※週刊朝日  2019年8月9日号
カトリーヌあやこドラマ
週刊朝日 2019/08/02 11:30
日本人女子選手がオーストラリア代表として活躍! 国籍を超えたラグビー「代表」の決意
日本人女子選手がオーストラリア代表として活躍! 国籍を超えたラグビー「代表」の決意
ラグビー・オーストラリア女子代表 小野麻子選手(29)/東京都生まれ。豪クラブチーム・クイーンズランド大学所属、クイーンズランド州代表。4月からオーストラリア女子代表。ポジションは9番スクラムハーフ(撮影/Miho Watanabe) ラグビー・日本代表 山中亮平選手(31)/大阪府生まれ。早稲田大学在学中の2010年に初めて代表入り。神戸製鋼コベルコスティーラーズ所属。ポジションは15番フルバック(撮影/Miho Watanabe) オーストラリアラグビー協会CEOのラエリーン・カッスルさん(48)(撮影/Miho Watanabe) 小野選手がコーチを務めるイプスウィッチ州立高校のラグビーチーム(撮影/Miho Watanabe)  ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、もうすぐだ。海を越えて世界で活躍する選手が増えるなか、「代表」が国籍だけにとらわれないことを、ラグビーが教えてくれた。 *  *  *  果敢に攻め続け、王者から大金星をあげたその戦いぶりが脳裏に焼き付いている人も多いはずだ。  日本が優勝候補の南アフリカに逆転勝利をおさめ、「歴史的快挙」と騒がれたラグビーワールドカップ(W杯)2015年イングランド大会。あれから早4年。日本でのW杯が、この9月にいよいよ開幕する。  だが、ラグビーが注目されるたびに、ある疑問の声が上がる。「なぜ日本代表には外国人選手が多いのか」という問いだ。  確かに、19年W杯を目指す日本代表42選手のうち、海外出身は19選手いる。15年W杯でも、主将を務めたリーチ・マイケル選手を含む10人が海外出身だった。だが、外国人選手が多いのは日本代表に限ったことではない。強豪国ニュージーランドにもイングランドにも、外国人選手はいる。  15人制ラグビーでは、現状、「当該国に継続して3年以上、もしくは累積10年以上居住」と「他国代表としての試合出場経験がない」の2条件を満たせば、代表入りが可能なルールになっている。だが、日本では外見や名前から目立ちやすいからか、疑問の声がなかなかやまない。  そんな中、独特なポーズで世界中から注目を浴びた五郎丸歩選手は、南アに勝利した後、ファンの興奮冷めやらぬうちに、こうツイートしていた。 <ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ>  翻って、この4月からオーストラリアの女子代表として活躍する日本人選手がいる。小野麻子さん(29)だ。 「ワラルーズ(オーストラリア女子代表の愛称)がアサコをレギュラーに選んだことは慧眼だと思う」  そう語るのは、オーストラリア東部の都市ブリスベンから南西40キロにあるイプスウィッチ州立高校で、小野選手を教師兼ラグビーコーチとして採用している校長だ。真摯にラグビーに取り組む小野選手への称賛は止まらない。 「プレーヤーとしてアサコがすばらしいのは、いっさい振り返ったり踏み出したりすることなく、両サイドにパスができること。わたしの知る限り、このパスが左にも出せる選手はほとんどいない」  小野選手がラグビーを始めたのは、中学1年生のとき。地元で所属していたラグビースクール「ワセダクラブ」でも、また、通っていた青山学院中等部(東京都渋谷区)でも、男子にまじって、ひとり練習していた。日本は、女子チームが十分に活動できる環境にはないと小野選手は言う。  当時は試合もほとんどできなかった。「もっとうまくなりたかったし、もっと試合にも出たかった」から、高校1年で渡豪を決意。そのまま現地の大学に進学し、卒業してからも現地クラブチームでプレーすることを選んだ。  15年、三菱重工相模原ダイナボアーズからスタッフとしてオファーがあった。 「25歳の女性でプロ契約してもらえるようなチームはなかったし、トップクラスのチームと一緒に勉強できるならと思って、お仕事をいただきました。ですが、帰国して、年に3、4回しか試合ができない環境になってしまって……。友人たちはまだラグビーをしていたし」  プレーヤーとしてあきらめきれない思いが募る。1年半後の16年、再びオーストラリアに戻った。  計4回もの前十字靱帯断裂という大きなケガを乗り越え、州代表選手として国内リーグ「スーパーW」で活躍していた小野選手に、オーストラリア代表監督から声がかかったのは、18年のこと。3年以上という継続居住条件を満たしていなかったが、「代表選手と一緒にトレーニングを」と誘われた。そして今年、居住条件をクリアし、晴れて「おめでとう」の電話を受ける。  オーストラリア代表として一度でもプレーすれば、日本代表になることはできない。だが、小野選手には迷いはなかった。「毎週末試合に出て、認めてもらえたというステップがあるから、ここがわたしのホームです」  小野選手が笑顔でそう答える。とはいえ、もちろん日本に対する思いは変わらない。 「もしオーストラリアと日本が対戦したら? どっちを応援するか、ものすごく悩みます」  現在、日本代表の合宿メンバーに選ばれている山中亮平選手(31)も、こう言う。 「外国人選手は、見た目は外国人ですけど、気持ちは日本人なんですよ。逆に僕が他の国の代表になるとしたら相当な覚悟がいると思う。彼らの思いを、理解してほしいですね」  ラグビーW杯は、オリンピックとサッカーW杯に次ぐ「3番目に大きな国際スポーツ大会」と力強く語るのは、女性として初めて、オーストラリアラグビー協会のCEOの座についたラエリーン・カッスルさん(48)だ。 「6週間にわたって日本に世界のベストプレーヤーが集まるというのは、本当にすごいこと。ファンにとっては唯一無二の機会に、ボランティアを体験する人々にとってもすばらしい体験になる。試合と試合の間に、互いの文化を味わえる貴重な機会にもなるでしょう。ラグビーは、性別も国籍も関係なくあたたかく迎えるスポーツですから、スタジアムで一緒に素敵な時間を過ごすこともできます。これほど大きな意義のある大会はありませんよ」  ラグビーは誰にでも楽しめるスポーツだと小野選手も言う。 「足が速くなくても、背が小さくても、シャイな子でも、ちょっと怒りっぽくても(笑)、それを生かせるポジションがある。観る側も、いろんな人に会えて、一緒に分かち合える」  開幕まであと2カ月を切った。山中選手は日本チームの強みとして、低いタックルのような泥臭いプレー、常に動き続ける勤勉さ、そしてチーム力の高さをあげる。そしてこう続ける。 「日本でのW杯開催は、何にも代えがたい経験。もちろん、出場したいと思っています。自分も今年がラストという意気込みで臨んでいますし、日本チームも全力で頑張っているので、応援してください」 (文/朝日新聞出版・伏見美雪) ※AERA 2019年7月29日号
AERA 2019/08/01 11:30
マッチョに嫌われる「いだてん」で、柄本佑が果たした役割
矢部万紀子 矢部万紀子
マッチョに嫌われる「いだてん」で、柄本佑が果たした役割
妻は女優の安藤さくら。柄本佑(えもと・たすく) (c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』 「いだてん~東京オリムピック噺」低視聴率の原因を勝手に分析するなら「マッチョなおっさん」に嫌われているのだと思う。  マッチョ心、ときめかないだろうなあ、と思う。「権力争い」とかが好きで、「御意」とかが好きで、それで大河ドラマを見ているおっさんには無理だろうなあ、と。  脚本家の宮藤官九郎は、男とか女とかをヒョイっと乗り越える人だ。女性に対する偏見のなさを背景に、「えっ、男が上とかって何ですか?」みたいな人だと勝手に思っていた。  ところが、このところの「いだてん」は攻めていた。「男らしさとは、女らしさとは」というテーマにまっすぐに取り組んでいた。人見絹枝という日本人初の女性メダリストを描いた結果なのだが、毎回泣けた。これを見ない人の気が知れない、とさえ思った。  ここから柄本佑の話をする。攻める宮藤を象徴する大事な役どころだ。まず名前から紹介する。「増野」だ。下の名前はない。番組ホームページの人物相関図に下の名前だけの人がいて、「シマ」だ。「増野」は「シマ」の夫だ。  途中を省くが、シマは女学校の先生だ。杉咲花が演じている。走ることが好きで、オリンピック出場を夢見ている。増野にプロポーズをされるが、「まだ自分は何も成し遂げていないから」と断る。増野は、「残念だなー、両親も気に入っていたのに」とサラッと言う。  ここまでの増野に関する情報は、「日本橋の百貨店に勤めている」しかない。三つ揃いをおしゃれに着こなし、お金持ちそうに見える。そんな人が親の話をしたから、薄情なお坊ちゃんだろうなーと思った。ところが、増野はこう続ける。 「結婚して子供を産んだ人は(オリンピックに)出場できないものですか? だったら出ましょうよ。子ども連れて、応援に行きます。あ、やめてくれって言うと思ってました? 続けてください、仕事も、走るのも。結婚のために、何も犠牲にしてほしくないんです」  宮藤にしては珍しい、思想信条を説明する台詞。宮藤はこのあたりから、「女らしさを強いる男のおかしさ」を堂々と打ち出すと決めたと思う。金栗四三という主人公は当初から女性への偏見がない人として描かれていて、随所に宮藤の非マッチョさが表れていた。だが、「男らしさ、女らしさってのをメインテーマにしますねー」という号砲が、この増野の台詞だったと思う。  柄本の自然な台詞回しで、「ああそういう人もいるだろうな」と見ている側もサラッと説得される。それが素晴らしい。シマちゃん(と金栗が呼ぶ)の側に立って、自分のことのようにうれしくもなった。  私が柄本に注目したのは2015年の朝ドラ「あさが来た」、ヒロインの姉の夫・惣兵衛役だった。江戸から明治に変わる時代の両替屋の跡取り。母親の言いなりで、全く笑わない人物なのだが、その向こうに何があるのか知りたくなる感じにさせられ、夢中で見た。  うまい役者なのだと気づいたのは最後も最後、死の場面だった。柄本の長い独白に惣兵衛という人の、たぶん60年ほどの人生が凝縮されていた。当時、柄本は29歳。以来、私の心のメモには、「老け役がうまい俳優は名優」と書いてある。  それから4年。再び、出合った柄本の名演技。ごくさりげない場面のものだった。  増野とシマの結婚後、関東大震災が起きる。その後が描かれ、金栗四三編の第一部が終わり第二部に入って、人見絹枝のパリ五輪が描かれる。その7月7日放送回をいろいろな人が「神回」と評していた。だが、柄本の名演技はそれより3話前にあった。  増野とシマの間に女の子「りく」が生まれる。シマは女学校に復帰し、りくは金栗の下宿先である足袋屋に預かってもらっている。増野が「いつもすみませーん、ありがとうございます」と足袋屋に入ってくる。そこから始まる場面だ。  増野は茶色でコーディネートされた帽子と背広姿だから、仕事帰りのお迎え当番だとわかる。そこに足袋屋の息子が「父ちゃん、大変だ」と飛び込んでくる。シマと金栗の勤める女学校で「事件」が起きている、と。増野は上がりかまちに座り、膝に乗せたりくをあやしながら、こう話しかける。 「こりゃあ、お母様のお帰りは、遅くなりそうだ。なー、りく」  この穏やかで短い台詞から、すべてが伝わってきた。増野の育ちの良さや品の良さ、シマの仕事を認めていること、妻と娘への愛情。「人生」が伝わってきた。 「事件」の最中、「女らしさって何ですか」「女らしくないって誰が決めたんですか」と女子学生が口にする。どなたか反論しなさい、誰もしないのか、と管理職らしき先生が言うと、シマちゃんがきっぱり「私はないです」と言っていた。クドカン、ストレートな意見表明。よいぞ、よいぞ。  事件の前、シマちゃんは岡山で人見絹枝を見出していた。そして関東大震災が起き、行方不明になる。増野は瓦礫の中を探し続ける。「増野シマさーん」とさん付けで呼びかける。ヨレヨレの帽子に開襟シャツを着て、背中にりくをおぶっている。  金栗の発案で「復興運動会」が開かれることになる。増野は「大々的に宣伝してください。シマの目にとまれば、必ず駆けつけると思うんです」と言う。だが、シマは現れず、代わりに現れたのが人見絹枝だった。「シマ先生から手紙をいただいた」と持ってくる。  手紙を金栗、そして増野が読む。「先日は突然、お声をかけてしまってごめんなさい」から始まり、「あなたが走る姿を世界中に見せたい」と続いていた。この時読まれたのは、そこまでだった。  その先を明かしたのは、銀メダルを取って日本に帰ってきた人見だった。身長170センチの人見が、運動をするたびに「バケモノ」などと野次られる様子が何度も描かれた上での凱旋だ。ラジオに出演し、こう語った。 「私に走ることを最初にすすめてくれた増野シマ先生が、こうおっしゃいました。あなたに対する中傷は、世界に出れば賞賛に変わるでしょう。本当にそうなりました」 だから勇気を出して走りましょう、と女性に語りかけた。走りましょう、跳びましょう、泳ぎましょう、と。  増野は街頭で、ラジを聞いていた。「人見絹枝、バンザーイ」と手をあげた。相変わらず粋な帽子で、ベストを着ていた。徐々に「バンザーイ」が広がっていった。  柄本の出番は、これで終わった。勝手に「増野ロス」になっている。(矢部万紀子)
矢部万紀子
dot. 2019/07/29 11:30
宇野昌磨、今シーズンはコーチ不在? 北京五輪に向け試行錯誤のチャンス
宇野昌磨、今シーズンはコーチ不在? 北京五輪に向け試行錯誤のチャンス
宇野昌磨(うの・しょうま)/名古屋市出身。平昌五輪で銀メダル獲得。2017、18年の世界選手権も銀メダル。昨季は四大陸選手権で優勝した(撮影/写真部・小黒冴夏)  昨シーズンのフィギュアスケート世界選手権では屈辱の4位という結果に終わった宇野昌磨選手。新たな練習拠点を求め、今期は長年師事した恩師のもとを離れることを決意した。コーチは不在のまま、シーズンの幕開けを迎えようとする宇野選手が現在の心境を語った。 *  *  *  宇野昌磨(21)は6月3日、公式ホームページにこう記した。 「グランプリ東海を卒業いたしました。まだ今後のことは具体的に決まっておりませんが(中略)新たなスタートを切りたいと思います」  グランプリ東海とは、宇野が15年もの間師事してきた山田満知子、樋口美穂子両コーチが所属するクラブ。つまり、二人からの独立を表明したのだ。  昨季の世界選手権は、表彰台落ちとなる4位。卒業への背中を押したのは、山田コーチだったと、宇野は言う。 「小さい時から一緒にやってきて、先生と選手以上の家族のような関係だからこそ、良い所も悪い所もある。『離れたほうがいい。もっと違う環境を見てもいいんじゃないかしら』と言われました」  しかし樋口コーチについて、「僕のことを一番理解している。他のコーチは考えられない」と、明言し続けてきた宇野にとって、新天地を決めることは簡単ではなかった。 「早くコーチを見つけようとは思っていません。今季は慌てて決めるつもりはなく、おそらく独りでやっていきます。所属がないからこそ、いろいろな所(チーム)を見られます」  新たな体験の一つとして6月13日から7月11日まで、ロシアのエトリ・トゥトベリゼコーチの夏合宿に参加した。アリーナ・ザギトワ(17)や4回転を跳ぶ女子を育てる、世界屈指のチーム。朝から晩まで休む間もなく、ロシアの少女たちに交じり、スパルタ式の練習メニューをこなした。 「エトリコーチは厳しい方と聞いていましたが、厳しさのなかに優しさも感じることができ、お互いの人間性をわかって合宿を終えることができました。ここ数年は、自分で考えて練習することがほとんどだったので、『これをやりなさい』と言われて環境に合わせながら練習するのは小さい時以来。好きではないバレエもトレーニングしましたし、いい経験になりました」  しかし一番期待していたジャンプ指導については、消化不良の面もあった。新たな4回転の練習はできず、すでに試合で挑戦している「トリプルアクセル+4回転トウループ」などを練習した。結局、ロシアチームへの移籍は見送られ、帰国した。  新たな視野を広げようと、8月中旬にはカナダ・トロントへ渡り、今季のプログラムに着手する。ショートは羽生結弦(24)の「SEIMEI」の振付師であるシェイリーン・ボーンに、フリーは羽生のエキシビションを振り付けているデヴィッド・ウィルソンと作る予定だ。すでにウィルソンとはコンセプトを話し合った。 「ジャンプのためのプログラムではなく、僕自身が作り上げるプログラムがいいと話しました。僕はこれまで振り付けに意見することはなかったけれど、自分らしさのある、自分が楽しいと思えるプログラムで試合に出てみたいんです。ここ数年はジャンプをメインにしたプログラムが続いていたのを自分でも実感していました。それは僕がジャンプを跳ばないと勝てない状態だったから。今季は(演技の点数が)重要視されていなくてもやってみたいんです」  ウィルソンは、プログラム全体の流れを重視し、ジャンプを自然に溶け込ませる振付師だ。宇野が楽しく踊る姿を想像し、ハイテンションな曲二つを提案。そのうちの1曲を宇野自身が選んだ。 「今までは美穂子先生が振り付けたプログラムしか試合ではやってこなくて、試合らしい(クラシックな)曲調が多かった。今季のフリーは『エキシビ!?』みたいなプログラムになると思います」  ショートも同様に、振付師が提案した曲から宇野が選んだ。 「選手に個性があるように、振付師さんにも個性があります。また違った自分が出せるかなと思います。ショートはダイナミックでハードな、シェイリーンらしい曲。みなさんも楽しみにしていてほしいです」  他にも、新たな刺激を取り入れようと計画している。9月にはスイスに渡り、06年トリノ五輪銀メダリストのステファン・ランビエールのもとで2週間ほど練習する。7月からは、本田武史コーチに、月に数回のジャンプ指導を依頼。しかしメインコーチは据えない予定だ。 「もうすぐシーズンに入る時期に、急に全然話したこともないコーチに、『全試合、帯同してください』というのは申し訳ない。ちゃんと拠点を置いて練習をしたうえでコーチをお願いしたい。今季、コーチは決まらないんじゃないかな」  確かに今季は、22年の北京五輪まで時間もあり、試行錯誤が許される最後のチャンス。羽生も、ソチ五輪の前シーズンにブライアン・オーサーのもとに移籍し、2年で結果を出した。来季までに最適な場所を探すというスタンスは有り得る。では宇野はどんなコーチを求めるのか。 「僕が一番欲しいのは、自分と同じようなレベルの選手がいる環境。4回転を複数跳んでいる選手の近くで練習したい」  コーチ不在でのシーズン突入は、やはり異例だ。試合では、独りでキス&クライに座るのかと聞くと、笑いながら答えた。 「そうなんですよ、今年はたぶん。(日本スケート連盟フィギュア強化部長の)小林芳子さんが座ってくれるかも」  そう冗談めかす21歳の目には、不安よりもむしろ自信が垣間見える。そこには、「コーチが決まらない」のではなく、「あえて決めないのだ」という決意が見てとれた。 「美穂子先生からは『どんな形になっても、これからも一番応援しているから頑張ってください』と言われました。これまで以上の結果を出すことが、満知子先生や美穂子先生のため、そして何より自分のためになる。自分のスケートというものを見つけたいと思っています」 (ライター・野口美恵) ※AERA 2019年7月29日号より抜粋
AERA 2019/07/24 11:30
古墳にコーフンしてますか? 世界遺産登録のウラで古墳ガールが増殖中
野村昌二 野村昌二
古墳にコーフンしてますか? 世界遺産登録のウラで古墳ガールが増殖中
三嶋愛さん(23)/愛してやまないのは前方後円墳。中でも福岡県八女市にある「岩戸山古墳」は、「結婚したいナンバーワン古墳です(笑)」。福岡県筑前町の焼ノ峠古墳で(写真:本人提供) まりこふんさん/緑鮮やかな巫女コスチュームに身を包み、古墳への愛を歌う。『古墳の歩き方』(扶桑社)など古墳の本を出し、観光バスの古墳巡りで案内役も務める。東京都府中市の武蔵府中熊野神社古墳で(撮影/伊藤壮) 阿部みどりさん(37)/両手に持っているのは、自身がつくった古墳アクセサリー。古墳界では「みどりん」の愛称で知られ、古墳にコーフン協会の山梨支部長でもある(写真:本人提供)  古墳に夢中になる「古墳ガール」が全国に増えている。仁徳天皇陵とされる大山(だいせん)古墳などの「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」が7月6日に世界遺産に登録された。世界遺産登録が「古墳ガール」たちの古墳愛をさらに加速させている。 *  *  * 「もう、かわいくて」  キリンビールに勤務する三嶋愛さん(23)は、楽しそうに話す。同僚たちから「古墳ちゃん」と呼ばれるほどの古墳好き。古墳がかわいくて仕方ないという。 「前方後円墳のくびれ部分や曲線美は、見れば見るほど魅力的。岩がむき出しになっているイケメン古墳もいます」  と語り出したら止まらない。  古墳とは、3世紀後半から7世紀末にかけてつくられた皇族や地域の豪族たちの墓。その古代人の墓に夢中になる、三嶋さんのような「古墳ガール」が今、全国に増えている。  福岡県出身の彼女が、古墳愛に目覚めたのは小学生のとき。郷土史会の会長だった祖父と一緒に地元の古墳を見に行くようになると、その大きさや形に魅せられた。近くに古墳がある高校を選び、大学では地域創生を学び、古墳をテーマに論文を書いた。キリンビールへの就職を決めたのも、同社が2年ほど前に発売した、古墳をあしらったビールの「デザイン缶」を見て感動したからだ。  クッション、文房具、食器など、自宅は古墳グッズであふれ、休日は「墳活(ふんかつ)」と呼ぶ古墳巡りに出る。巡った古墳は300基近く。古墳と一緒に写真を撮ってインスタグラムに上げるのが楽しみだ。 「私の人生の節目に古墳があります。古墳は私の原点であり、アイデンティティーでもあります」(三嶋さん)  茨城県にも古墳ラバーの女性がいる。女子高生のヨスミナミさん(15/アカウント名)だ。 「格好いいです。大きな古墳は、抱きしめてくれるというか、包容力を感じます。神秘的で、パワーをもらえます」  小学4年の時に古墳のアニメを見て興味を持った。実物を見たいと親に連れていってもらい、ますます好きになった。  将来の夢は考古学者か学芸員。地元・石岡市にある東日本で第2位の大きさを誇る「舟塚山古墳」はまだ発掘調査されていないので、その発掘に携わりたいという。ヨスミナミさんにとって古墳とは? 「永遠の片思いです。だって、応えてくれないじゃないですか。私が一方的に愛を伝えているだけです(笑)」 「かわいい」とか「片思い」だとか、古代の権力者の「墓」になぜ若い女性が惹かれるのか。  そこで、日本でただ一人の「古墳シンガー」、まりこふんさんを訪ねた。  埼玉県生まれの自称「1500歳」。現在の古墳ブームに火をつけた立役者でもある。 「カジュアルに楽しめるのが古墳の魅力。私は、古墳の追っかけをしている感じです(笑)」(まりこふんさん)  もともとシンガー・ソングライターとして活動していて、15年ほど前、大阪公演中に初めて訪れた仁徳陵古墳の大きさに衝撃を受け、古墳にハマった。  以来、墳活を始め、古墳から湧いてくるインスピレーションで歌をつくった。やがて各地の古墳イベントに呼ばれるようになり、「古墳シンガー」に。ステージから「皆さ~ん、古墳にコーフンしてますか!」と叫び、歌を披露。古墳の魅力を熱く語った。すると、「実は私も古墳が好き」とカミングアウトする女性が次々と現れた。「古墳が好きと言うと『暗い』と思われがち。大きな声で言えなかった人が、こんなにいる」と知った。  古墳をゆる~く楽しみたいと2013年、「古墳にコーフン協会」を設立、会長に就任した。会員は30~40代の女性を中心に全国に350人超。まりこふんさんによれば、会員たちが古墳にハマったきっかけは「歴史が好き」「古墳グッズを好きになって」など、さまざまだ。 「楽しみ方も人それぞれ。誰が埋葬されているのか想像を巡らせたり、古墳関係のグッズや食べ物を買うのも楽しみという人もいます」(同)  山梨県に住む阿部みどりさん(37)は、古墳好きが高じて古墳グッズをつくっている。  2児の母であり、エレクトーンなどを教える音楽教室の先生だ。実は、身近に古墳があったことから、子どものころから古墳好き。大人になって自分なりの古墳を表現したくなり、得意のミシンで古墳アクセサリーをつくるようになった。キーホルダーやヘアゴム、ヘアピン……。実在する古墳の形をモチーフに、ビーズ刺繍でこうしたアクセサリーをこしらえ、ネットやイベントなどで販売。「かわいい」と人気で、制作が追いつかないほどだという。 「古墳はまだまだ謎が多く、ロマンがあります。古墳アクセサリーを通して、もっと多くの人に古墳を知ってもらえたらうれしいです」(阿部さん)  古墳ガールたちに共通するのは、古墳をもっと知ってもらい、古墳を未来に引き継ぎたいという熱い思いだ。 「1500年もの間、壊される機会があったはずなのに今も残っているのは、その時代時代に思いを寄せる人たちがいて守ってきたから。今、そのバトンが私たちに回ってきています」  こう話すのは、大阪府高槻市に住むマキリエさん(38)。  自宅の目の前にある「今城塚(いましろづか)古墳」の素晴らしさを多くの人に知ってほしいと思い、12年から同市の古墳公園で古墳フェス「はにコット」を始めた。今や古墳フェスは3万5千人が来場する巨大イベントに成長し、古墳や歴史に関心を寄せる人々の交流の場にもなった。 「古墳は全国に約16万基あり、この数はコンビニの3倍近く。私たちの生活圏内にも古墳があると気づいてほしい。古墳を知ることが古墳を守ることにつながります」(マキリエさん)  今月6日、ついに、仁徳天皇陵として宮内庁が管理する大山(だいせん)古墳など、「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」が世界遺産に決定した。古墳ガールたちに感想を聞くと、返ってきたのは、もちろんこの一言。 「コーフンしてます!」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2019年7月22日号
歴史
AERA 2019/07/21 17:00
杉山愛が語る錦織超えた16歳望月慎太郎の実力 ウィンブルドン・ジュニア初優勝
杉山愛が語る錦織超えた16歳望月慎太郎の実力 ウィンブルドン・ジュニア初優勝
ウィンブルドン・ジュニア選手権男子シングルスで初優勝した16歳の望月慎太郎(C)朝日新聞社 ジュニアの男子シングルス決勝でプレーする望月慎太郎(C)朝日新聞社  今年のテニス・ウィンブルドン選手権は、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)が連覇した。世界ランキング7位の錦織圭(日清食品)は準々決勝で敗退。1933年大会の佐藤次郎以来となる4強入りが期待されていただけに残念だったが、その錦織さえできなかった快挙を達成した選手がいる。  16歳の望月慎太郎(Team YUKA)が、ウィンブルドン選手権のジュニア男子シングルスで優勝したのだ。7月14日の決勝ではカルロス・ヒメノバレロ(スペイン)を6−3、6−2で破った。4大大会ジュニア優勝は日本男子初。ジュニアの世界ランキングで昨年末122位だったが、たった半年で1位にのし上がった。  ジュニアの世界ランキング女子1位に91年になったことがある、元プロテニス選手の杉山愛さんは、望月を称賛する。 「6月、初出場の全仏オープンジュニア男子シングルスでベスト4に進出してから、周囲の注目と期待が高まっていました。その中での今回の優勝。ジュニアは気持ちがうまくかみ合わなかったり、空回りしたりするものですが、最後まで気持ちが安定していて大舞台に強い子だと感じました」  決勝戦後のインタビューで望月は、 「最初は観客が多くて緊張したけれど試合が始まるとテニスに集中できた。たぶん人が多い中でプレーするのが好きかも」  と答える大物ぶり。 「慎太郎君は高い技術力を持っている。特にバックハンドが優れていて、全体的に安定していました。ネットプレーでもしっかりとアタックしてポイントを獲得するなど、上手でしたね」(杉山さん)  海外では早くも、「ネクスト ニシコリ」と注目される。 「錦織選手は29歳で、慎太郎君はまだ16歳になったばかり。ヨーロッパの選手に比べて体の線が細いですが、これからフィジカルを強化して、さらに強くなっていくと思います」(同)  望月は中学1年から錦織と同じ米フロリダ州のアカデミーに留学。錦織のヒッティングパートナーを務めるなど間近で練習を積んできた。驚異的な成長力で、錦織とともに日本テニス界を支えてくれるはずだ。 (本誌・岩下明日香) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2019/07/21 10:00
SixTONESジェシーさん、ジャガー横田さんも登場! AERA English特別号『英語に強くなる小学校選び2020』、7月18日発売
SixTONESジェシーさん、ジャガー横田さんも登場! AERA English特別号『英語に強くなる小学校選び2020』、7月18日発売
AERA English特別号『英語に強くなる小学校選び2020』 ※アマゾンで好評発売中!  株式会社朝日新聞出版(本社・東京都中央区)は、AERA English特別号『英語に強くなる小学校選び2020』(定価1080円)を7月18日に発売しました。来年度、小学3年生から英語が必修化されるなど、幼少期の英語教育に関心が高まっています。本誌では、先進的な英語教育をおこなう私立小学校の授業ルポや、親子で英語に向き合うベストな方法などを特集しています。  巻頭インタビューはSixTONESジェシーさん。バイリンガルとして育ったジェシーさんに、英語の魅力について聞きました。このほか、女子プロレスラーでタレントのジャガー横田さん、ラジオDJの秀島史香さんが、英語を学ぶことで開ける未来について語ります。  大特集は、全国の私立小学校・インターナショナルスクールの英語教育最新ルポ。注目の新設校・東京農業大学稲花小学校や千代田インターナショナルスクール東京をはじめ、英語教育に力を入れている小学校の英語授業に密着。各学校の特色とともに紹介します。  また、「そもそもなぜ子どもに英語を学ばせる必要があるのか?」「20年後も英語って本当に必要なのか?」など、研究者や有識者に未来の社会と英語の必要性について聞きました。さらに2020年度の教育改革とその後の学校教育の変化について、文部科学省や教育関係者の声も集めました。  子育ての中で自然に英語と触れ合える環境のつくり方、英語が得意な"スーパーキッズ"はどうやって英語を身につけたのか、セブ島親子留学など、子どもの英語教育にまつわる最新情報をお届けします。 【おもな内容】 ▼インタビュー「英語がつなぐ現在、過去、未来」 ジェシーさん(SixTONES)/ジャガー横田さん(女子プロレスラー、タレント)/秀島史香さん(ラジオDJ) ▼子どもの英語教育の正解を考える 英語ってなぜ必要? ホントに必要? 子どもたちの未来予想図/特別対談 茂木健一郎さん×瀧靖之さん 教育改革で何が変わる?/現場の変化を徹底予測 ▼ウチの子にぴったりなのはどの学校? 私立小学校&インターナショナルスクール 英語教育最新ルポ 東京農業大学稲花小学校/千代田インターナショナルスクール東京/青山学院初等部/星美学園小学校/文教大学付属小学校/東京都市大学付属小学校/東京三育小学校/玉川学園小学部/菅生学園初等学校/日本女子大学附属豊明小学校/昭和学院小学校/西武学園文理小学校/江戸川学園取手小学校/つくば国際大学東風小学校/ぐんま国際アカデミー初等部/鎌倉女子大学初等部/LCA国際小学校/追手門学院小学校/英数学館小学校/明治学園小学校/沖縄アミークスインターナショナル小学校 ▼コラム キーワードで読み解く教育 言語技術教育(慶應義塾横浜初等部)/国際バカロレア(アオバジャパン・インターナショナルスクール)/シュタイナー教育(シュタイナー学園初等部)/プログラミング ▼公立派ママ・パパも知りたい 手軽に気軽に! 英語に親しむ方法 YouTube・デジタル教材/英語の絵本/英語体験スポット ▼英語ができるだけじゃない!? スーパーキッズはこう育った! Laraさん(14歳・デザイナー)ほか ▼子どもを焦らせない 親が焦らない 子どもとの向き合い方 ▼1年で子どもが英語ペラペラに? セブ親子留学のススメ ▼合格したママに聞きました! なぜ幼稚園を受験したのですか? ▼独自調査 全国私立小学校200校 詳細データ 【商品概要】 AERA English特別号『英語に強くなる小学校選び2020』 定価:1080円(税込) 発売:7月18日 ※アマゾンで好評発売中!
dot. 2019/07/18 11:10
【現代の肖像】コラムニスト・伊是名夏子 「門前払い」をはねのけて生きる <AERA連載>
【現代の肖像】コラムニスト・伊是名夏子 「門前払い」をはねのけて生きる <AERA連載>
身長100センチのママ。5歳の長男も3歳の長女もママの電動車いすが大好きだ(撮影/松永卓也) 5歳の息子と3歳の娘にはすでに身長を越された。子育てで最も大変だったのは2人目の出産後。夫は夜勤や出張などのため不在がちで、子どもに何かあったらどうしようと、常に気が張りつめていた(撮影/松永卓也) キャンプにはまっているのは、「小さい頃に連れて行ってもらえなかったからかな」。重いものは持てないし、抱っこをお願いすることもあるが、企画や予約、役割分担などを担当し、輪の中心にいる(撮影/松永卓也) 買うのは子ども服。「車いすが黒いので明るい色を、そして子どもっぽくならないような服を選んでいます」。プチバトーは大好きなブランドだ(プチバトー下北沢店で)(撮影/松永卓也) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  自分らしく生きることは難しい。病気や障害があればなおさらだ。誰かに遠慮し、自分の気持ちをしまって生きる人も少なくない。  だが、彼女は諦めない。歩けなくたって、海外留学へ。好きな人にも猛アタック。2児の母になった。  自分でできないことは多い。反対に遭うこともある。だから知恵を絞り、味方を増やしながら、思いをかなえてきた。  東京都心部から西へ西へと車を走らせ、約2時間。豊かな自然が広がる東京都奥多摩町のキャンプ場に1台の車が到着した。運転席から男性が出てきて、バックドアを開け、スロープを引き出す。中から電動車いすに乗った女性が降りてきた。  女性は先にキャンプ場に着いていた若い女性たちと再会を喜び合った後、「みんな、荷物たくさんあるから、運ぶの手伝ってもらえる?」と呼びかけた。キャンプチェアやクーラーボックス、調理用具、食材などが運び出され、車いすの女性は、砂利道に電動モーターの音を響かせながら、バーベキュー場へと向かった。  輪の中心にいた女性は、伊是名夏子(いぜななつこ)(36)。国の指定難病でもある「骨形成不全症」という病気で、生まれつき骨が弱く、骨折や手術を繰り返してきた。身長100センチ。歩くことはできず、電動車いすが足代わりだ。耳の奥の骨も変化し、右耳は聞こえなくなり、左耳も補聴器をつけている。現在は5歳と3歳の子を育てながら、コラムニストとして新聞などに3本の連載を抱え、講演で全国各地を飛び回る日々を送る。 「最近、キャンプにはまってて」  春や秋には、こうして家族や友人たちと毎月のようにキャンプやピクニックに出かける。キャンプといえばバリアフルで、車いす利用者には縁遠いイメージがあるが、伊是名は私たちを縛ろうとするそうした先入観を軽々と超えていく。  この日、キャンプ場に集まったのは伊是名の夫(36)と子どもたちのほか、大学時代にスタッフをしていたフリースクールに当時通っていた生徒たち7人。もう10年以上の付き合いだ。 ●「1週間もつかもたないか」父はその場に座り込んだ  キャンプ場に到着してまもなく、「バリア」に直面した。トイレへ続く急斜面は舗装されておらず、途中に丸太階段もある。すると伊是名は周囲を見渡し、そのうちの一人に、 「さあや、お願い、トイレに連れて行ってもらっていい?」  と声を掛け、ひょいと抱き上げてもらった。 「さあや」こと佐藤沙安也(28)は言う。 「なっちゃん(伊是名)の頼み方は的確でわかりやすいから手伝いやすいですよ。それに、逆に私が苦手な部分は率先してやってくれるんです。今日だって、キャンプの企画を立てて、みんなのスケジュールを調整し、予約も担当してくれて。今日集まれたのもなっちゃんのおかげです」  そこにあるのは、障害があるから支えてもらう、助けてもらう、という一方的な関係ではなく、「お互いさま」という双方向の関係だ。伊是名は言う。 「障害があってもできることはたくさんある。人はそれぞれ自分の力を発揮できるポジションがあると思っているんです」  伊是名は1982年、沖縄県名護市の病院で生まれた。産声を上げた日、ほかの子と変わらぬその元気な泣き声に、父・進(74)は安心して自宅に帰った。ところが翌朝、進が出勤前に顔を見に立ち寄ると、赤ちゃんはまだ泣いていた。聞けば、一晩中泣き続けているという。  レントゲンを撮ると、両足の骨が折れていた。頭の骨もほとんど作られていない。医師の見立ては「(命が)1週間もつかもたないか」。両手両足にギプスをつけられた娘の姿を見た進は、体の力が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。  絶望の中、両親は娘が4月生まれにもかかわらず、「夏子」という名をプレゼントした。太陽が降り注ぐ沖縄の夏のように、明るい子どもに育ってほしいと、精いっぱいの願いを込めた。  医師の予想を覆し、生後1カ月を超えた。那覇市内の病院で診てもらったところ、全身の骨が弱く骨折や変形をしやすい「骨形成不全症」だと告げられ、命にかかわる病気ではないとわかった。  痛みとともに始まった伊是名の人生。骨を強くするために注射を1日おきに打っていたが、抱っこされただけで、またあるときはオムツを替えようと足を上げただけで骨が折れてしまう。 「骨折や打撲は日常茶飯事で、常に体が痛いのが当たりまえでした」  よく泣いていたが、6、7歳のある日、泣くのをやめようと決めた。 「だって、泣いたときにヒックヒックという振動が骨に響いて、余計に痛いってわかったから」  両親とも学校の先生で共働き。だが骨折が心配で、幼稚園や保育園に通わせることができず、就学前は高校の英語教諭だった父が夜間高校への異動を願い出て、朝から夕方まで面倒を見ていた。「親として何を残してやれるか」と考えた父は娘に英語を教え込む。高松宮杯(現・高円宮杯)全日本中学校英語弁論大会で2位になってアメリカのサマーキャンプに招待された経験は、のちの海外留学への強い動機になった。 ●猛反対を押し切り結婚、招待状が送り返された  けがも多く、歩けないため移動は抱っこ。それでも、自分も姉2人と同じようになんでも挑戦した。ピアノや習字、塾など習い事へも行った。  小学生の頃は家の近くにあるショッピングモールが大のお気に入りで毎週のように通った。店内はカートでも移動しやすいよう、通路が広く、段差もない。車いすの伊是名にも快適な空間だ。ただ一つ問題があった。車いす用トイレがなかったのだ。小6のとき、行動を起こした。  レジの横に「お客様の声を聞かせてください」と書かれた箱と備え付けの用紙を見つけ、「車いす用トイレを作ってください」と書いて箱に入れた。しばらく経っても変化はない。そこで今度は10枚持ち帰り、家族や友達、先生などにお願いして書いてもらった。すると、1カ月後、車いす用トイレができていた。 「障害があるから不便なことはいろいろとある。でも、考えて行動することで現状を変えることもできるんだ、と思えるようになりました」  小中時代の9年間は養護学校(現・特別支援学校)でほぼ先生とマンツーマンで過ごしてきた伊是名は、たくさんの友人たちと過ごす学校生活にあこがれ、高校は普通校を受験することにした。両親や養護学校の先生からはバリアフリーの新設校を強く勧められたが、伊是名が行きたかったのは沖縄県内で最も歴史のある県立首里高校だった。校舎は5階建てでエレベーターもない。でも、小5から通っていた塾の友達と一緒の学校に通いたかったことや、あこがれていた男子も進学予定だと聞いて、反対を押し切って受験。無事に合格した。  移動はどうしたのかというと、古い車いすをかき集めて各階に置いておき、階段はクラスメートに抱っこを頼んだ。 「お願いするときのコツは、タイミングを見極めることと、なるべく弟や妹がいて抱っこが上手な人に頼むこと、それから説明の仕方を工夫すること。例えば、『右肩と左のおしりを持ってね』『今日は雨が降っているから足元注意してね』と伝えれば、助けてくれる人も安心でしょ」  大学進学のときも両親の強い反対に遭った。姉2人と同じように東京の大学への進学を望む伊是名に、車いすでの一人暮らしを心配して県内の大学への進学を勧める両親。だが伊是名は譲らなかった。大学時代にはアメリカとデンマークへ留学したが、これも絶対に親に反対されると思い、先に試験に合格し、事後報告。作戦勝ちだった。  早稲田大学ではカンボジアの孤児を支援するNGOサークルに入った。そこで現在の夫と出会う。伊是名から猛アプローチするも、何度も振られた。障害があると引け目を感じて恋愛に踏み切れない人も少なくないが、伊是名は言う。 「気にしませんよ。だって考えても歩けるようにはならないですから」  その後、互いに海外留学で1年以上離れて過ごし、再会した。就職活動で悩んでいた彼の相談に乗る中で、今度は彼のほうから「付き合おう」と言い出した。どんなところに惹かれたのか。 「なっちゃんは『自分はこう思う』とか『こうしたほうがいい』とは決して言わないんです。『あなたはどう思うの?』と問いかけ、自分自身の中に眠っている答えを上手く引き出してくれて」  話すうちに自分のやりたいことが明確になり、第1志望の就職先から内定も得られた。気がつくと、かけがえのない存在になっていた。  だが、結婚までの道のりは険しかった。5年付き合って結婚を決めたが、夫の両親は、伊是名の障害を理由に猛反対。すでに招待状も送っていた結婚式をキャンセルすることになった。その半年後、式を挙げたが、夫の親族側は誰も出席せず、招待状も未開封のまま送り返されてきた。 「夫の両親は、障害者が家にいることがどんなに大変かわかっているのか、と頭から反対で。私たちがどんなに『大丈夫、できます』と伝えても一切聞いてくれず、とっても悲しかった」  その分、たくさんの友人たちが祝福してくれた。二人は、「僕たちが幸せに暮らす姿を見れば、いずれわかってもらえる」(夫)と強い気持ちで結婚生活をスタートさせた。 ●ハイリスクの妊娠・出産、周到に準備して臨んだ  障害と共に自分の人生を切り拓いていくとき、人並み以上のハードルがあるのは事実だ。だから伊是名は実に細やかに、あらゆる事態を想定して事前の備えを怠らない。人に対してもこまやかな心配りでたくさんの味方を得たからこそ、困難な中でもやりたいことを次々に実現してこられた。  妊娠・出産がまさにそうだ。骨形成不全症は2分の1の確率で遺伝する。母体や赤ちゃんの命の危険も一般の妊婦と比べて高い。将来、子どもがほしいと考えていた伊是名は、まずは自分の体について知るため、20代の頃から婦人科を受診した。だが、多くのクリニックで「門前払い」を受ける。 「足を開いて座る内診台には座れないと決めつけられ、子宮や卵巣、膣に異常がないかを確認してもらえなかったんです」  でもそこであきらめることなく、同じ病気で出産を経験した女性から病院を紹介してもらった。初めて、伊是名の子宮は一般女性の平均以上の大きさだとわかった。医師は言った。「妊娠、出産の可能性は十分にありますよ」 「すごく嬉しかった。そのときに撮った子宮のエコー写真は宝物になりました」  結婚後も自身の病気や出産のリスクについて学び続けた。夫の転勤で移り住んだ香川県では、大学院に進学して特別支援教育を専攻。低出生体重児で生まれた赤ちゃんの障害のリスクを学び、自分と同じ骨形成不全症の女性たちへインタビューして論文も書いた。  あらゆるリスクを想定して妊娠に臨んだが、母子ともに無事に生まれてくる保証はなかった。伊是名が第2子を出産した際の主治医で、現在は東京女子医科大学准教授の水主川純(43)によると、母体が小さいため、胎児の成長とともに胃や心臓、肺などが圧迫され、呼吸が苦しくなったり心臓への負担が高まったりするほか、出産予定日近くまでおなかで赤ちゃんを育てることが難しいため、赤ちゃんが低出生体重児で生まれやすい。赤ちゃんに病気が遺伝していれば胎内や出産時に骨折する危険性もある。  水主川は、伊是名の妊娠についてこう振り返る。 「ハイリスクの妊娠でしたが、伊是名さんはいつも明るい顔をしていて、出産に前向きでした。『ちっちゃい頃は転ぶたびに骨折していたんです』などと笑ってなんでも話してくれて。コミュニケーションを取りやすかったことも、出産がうまくいった要因の一つだと思います」  2回の妊娠は、予想を超えて順調に経過。どちらも予定日より1カ月あまり早い妊娠35週(9カ月)のときに2160グラムで生まれた。第2子出産では、最初の帝王切開時に子宮の上部を大きく切る特殊な手術法だったため、子宮破裂の危険も高かったが、無事乗り越えた。 ●互いの姓を大事にしたい、3月にペーパー離婚  病気が子どもに遺伝する確率は5割。それを理由に、親や親族から出産を大反対されたが、伊是名も夫も障害のある子を育てる心づもりはできていた。知り合いに病気が遺伝した子を育てている素敵なロールモデルがいたことも大きかったが、 「私自身、障害がなければよかったと思ったことがないですから」  と伊是名。夫も遺伝のことは全く気にしていなかったという。 「一つの家に車いすの人が2人いるとどうなるのかなと考えていたぐらいですね」  当時のフェイスブックには、夫の気持ちがこう綴られている。 <車椅子でも、発達障害でも、アレルギーがあっても、性的マイノリティーになったとしても、自分らしく生きてくれればいいし、そう生きられる環境を作ってあげたい>  子ども2人には、病気は遺伝していなかった。  日々の子育ての中で、伊是名には「できないこと」が多い。例えば5キロ以上のものを持つことができないので、愛する我が子も生後6カ月で抱っこできなくなった。素早くは動けないから動き回る子どものオムツ替えも難しい。そうした子育てを支えるのが、総勢10人のヘルパーだ。  障害者総合支援法の重度訪問介護のサービスを利用して、朝7時半から夜9時まで、1日3人のヘルパーに合計10時間来てもらっている。ヘルパーは訪問介護の事業所などに派遣してもらうのが一般的だが、伊是名はすべて自分で探し、シフト管理もしている。 「ヘルパーさんにもそれぞれ得意なことや苦手なこと、くせなどがあるので、相手によってお願いする仕事やお願いの仕方を変えています」  片づけ上手の人には整理を手伝ってもらい、料理が得意な人には作り置きのおかずもつくってもらう。スケジュール管理が苦手な人には前日に再度連絡を怠らない。その姿は、「介護を受ける障害者」のイメージは全くなく、さながら10人の部下をまとめる管理職だ。  子育てで大事にしているのは「自分のことは自分で決める」ことだ。ある日の食事中、妹が兄のコップを使っていた。「これ、僕のだよ」と取り返そうとした兄に、妹は「いいじゃん、お兄ちゃんなんだから」と言い返した。やり取りを聞いていた伊是名がすかさず間に入る。 「お兄ちゃんなんだから、なんて言わないよ」 「○○だから」。私たちのまわりにあふれるこうした「呪い」は、その人自身の生きる世界を狭めてしまう。伊是名は「障害者だから」「車いすだから」という言葉をはねのけて生きてきたからこそ、誰もが自分の意思に自由に生きられるよう、こうした呪いの言葉を丁寧に取り除いていく。  義父母も今は孫たちにめろめろだ。結婚のとき、夫が話していた通りになった。  今年3月、ペーパー離婚した。  2010年に結婚式を挙げたとき、互いの生まれながらの姓を大事にするため、事実婚を選んだ。その後、第1子を妊娠中、生まれてくる子どもを非嫡出子にしないために婚姻届を提出。コラムニストの仕事は旧姓で続けていたものの、病院や市役所で夫の姓で呼ばれるたびに、違和感があった。  離婚届を提出した後、住民票の続柄の欄には「妻(未届)」と記載してもらった。 「やっとありのままの自分を取り戻せた」  これからも自分の道を歩いていく。 (文中敬称略) ■伊是名夏子 1982年/沖縄県今帰仁村出身。英語教諭の父・進(74)、家庭科教諭の母・トミ子(71)の三女として生まれる。名護市内の病院で生まれたときにすでに両足の骨が折れていた。生後1カ月で「骨形成不全症」と診断される。翌年、那覇市に転居。 89年/沖縄県立鏡が丘養護学校(現・特別支援学校)小学部に入学。 95年/中学部に進学。 96年/中学2年生のときに高松宮杯(現・高円宮杯)全日本中学校英語弁論大会で2位になり、副賞でアメリカでのサマーキャンプへ招待される。 98年/沖縄県立首里高校に入学。放送部、生徒会、インターアクト部に所属。 2001年/早稲田大学第一文学部に入学。初めて一人暮らしをする。カンボジアの孤児を支援するNGO「風の会」で活動。 03年/大学3年生のときにアメリカ西海岸のカリフォルニア州立大学サクラメント校に1年間交換留学。 04年/デンマークの全寮制の学校バーナホップフォルケホイスコーレに3カ月留学。帰国後、フリースクール「おひさま地球子屋」スタッフとして活動。 06年/早稲田大学第一文学部総合人文学科英文学専修卒業。卒業後もフリースクールのスタッフとして働く。 07年/沖縄のバリアフリーネットワーク会議バリアフリーツアーセンターで勤務。 08年/沖縄県の小学校で1年間英語講師として勤務。 10年/大学時代から付き合っていた恋人と結婚(事実婚)。夫の転勤で香川県に転居。 11年/香川大学大学院に入学。発達障害児のICT利用を研究。 12年/かがわ青少年育成支援ビジョン策定検討会委員を務める。 13年/大学院修了。修士論文のテーマは「20代の骨形成不全症の女性の当事者研究」。第1子出産。子どもを非嫡出子にしないために出産直前に婚姻届を提出。 14年/夫の転勤で川崎市に転居。 15年/第2子出産。 19年/約6年間の婚姻期間を経てペーパー離婚し、事実婚に戻る。現在は琉球新報、東京新聞、ハフポストでコラムを連載中。5月に初の著書『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)を上梓予定。 ■深澤友紀 1978年生まれ。琉球新報社を経て、2012年、朝日新聞出版に入社。現在「アエラ」編集部。スポーツ、働き方、子育て、障害児・者、沖縄などを取材。著書に『産声のない天使たち』がある。 ※AERA 2019年4月22日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
AERA 2019/07/18 10:30
国内で進む成熟前傾現象 月経の理解を広げるきっかけに
山本佳奈 山本佳奈
国内で進む成熟前傾現象 月経の理解を広げるきっかけに
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員 (写真はイメージ/Gettyimages)  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、2人の女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「月経に対する理解の重要性」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  先月末、滋賀県の県立高校で女子生徒が月経で水泳授業を見学する際に、なんと月経の日数を体育科の教員に口頭で告げるように指導していたという報道がありました。この高校を卒業した女性は「自分や友達は日数を教師に言うのが嫌で、無理してプールに入った。足に血を滴らせながら授業を受けていた子もいた」と話しました。  水圧によって月経血が基本的に水中に出ることはないため、基本的にはプールに入ることはできますが、月経痛や月経量には個人差が大きく、また水中では大丈夫でも、プールサイドで月経血が出てしまう可能性は十分あります。足に血を滴らせながら授業を受けていた子のことを思うと、いたたまれなくなります。  小学4年生の冬のある日。母から生理ナプキンとショーツを渡され、いつか必要になる日が来るからと告げられました。初潮がまだだった私は、生理のつらさを予想することなどもちろんできず、こんなものを毎月使わないといけないってどういうことなのと理解できていませんでした。  小学5年生の春頃でした。初潮を迎え、ショーツを汚してしまった私は、あのことか、と母に言われたことを思い出し、母に報告しました。すると、母はおめでたいと言って赤飯を準備するでありませんか。おめでたい、なんて言われても、私には何がおめでたいのかさっぱりわからず、むしろ毎月生理がやってくるのかと思うと、嫌で嫌で仕方なかったことを覚えています。  生理ってこんなもんだと思い込み、受け入れて毎月のように付き合うこと10年あまり。医学部に進学し、生理ってこんな仕組みだったのかと知ったのでした。  女性なら誰でも付き合っていかないといけない月経。今回は月経についてお話ししたいと思います。  そもそも月経とは、生理ともいい、約1カ月の周期で子宮の内膜がはがれ落ち、体の外へ排出されることを言います。月経の初日から次の月経の始まる前日までの期間が月経周期であり、月経周期は25日から38日程度が正常と言われています。  卵子の元となるのが原始卵胞です。卵巣の中にある原始卵胞は、脳下垂体から分泌される卵胞刺激ホルモンの刺激をうけることで成熟卵胞に発育し、成熟卵胞からは卵胞ホルモンが分泌され、子宮内膜が増殖します。  卵胞ホルモンが増えてくると、脳下垂体から卵胞刺激ホルモンと黄体形成ホルモンが急激に分泌されます。急激な分泌により、成熟卵胞から卵子が排出されるのです。  排卵した後の卵胞は黄体とよばれ、主に黄体ホルモンを分泌することによって、子宮内膜は妊娠可能な状態になります。しかし、妊娠が成立しなかった場合、つまり受精卵が着床しなければ、黄体の機能はしだいに衰え、女性ホルモンの量は減少します。それによって、子宮内膜ははがれ落ち、血液とともに子宮口から排出されるのです。これが月経の仕組みです。  簡単に言えば、受精卵が着床できるよう、子宮内膜のベッドをフカフカにして準備しては、待っていた受精卵がやってこないと必要なくなった子宮内膜のベッドを剥がして身体の外に出す、の繰り返しが月経なのです。  この月経ですが、近年、月経の開始、つまり初潮の時期が早まっていることがわかっています。これを「成熟前傾現象」といい、大阪大学が行った全国初潮調査があります。この調査によると1889年での平均初潮年齢がおよそ14.7歳であったのに対し、2008年ではおよそ12.2歳になっていました。また、2008年時点で、小学校6年生の12月末頃には半数の女子児童が初潮を迎え、3~4年生でも初潮を迎える子がいることが当たり前になってきているのです。  日本は初潮が最も低年齢化している国のひとつです。先進国では身体的な発達の促進(これを「成長加速現象」と言います)や成熟前傾現象は停止傾向にあるのに対して、日本では、1980年代から17歳の平均身長がほとんど伸びていない一方で、初潮年齢は低下を続けているのです。  多くの女性が子供を5人以上産んでいた頃と比べて、現代の女性は月経回数がとても増えています。初潮年齢も今より遅く、また妊娠や授乳を繰り返していたため、月経が止まっている期間が長いからです。  月経や排卵の回数が増えた結果、私たち現代の女性は、子宮内膜症、子宮体がん、卵巣がんになりやすくなり、また出産回数が少ないと、乳がん発症のリスクが高くなることがわかっています。  読者のみなさんのなかには、月経前のイライラや憂うつ感に悩まされている方も多いのではないでしょうか。これを月経前症状群(PMS)といい、月経の始まる3日~10日前頃から症状が出現し、月経が始まると軽減したり、消失したりするのが特徴です。おなかや乳房の張り、腹痛といった身体の症状から、イライラや憂うつといった精神的不調を生じることもあります。  また、月経中に強い下腹部痛や腰痛といった症状に悩まされている方もいらっしゃると思います。この月経困難症では、子宮内膜で作られるプロスタグランジンという物質によって、子宮が収縮するために腹痛や腰痛が生じたり、頭痛、吐き気、下痢などの症状が引きおこされたりします。ただし、子宮筋腫や子宮内膜症などの病気が原因となっている場合もあるので、痛みがひどければ一度医師に相談することをお勧めします。  ここで、毎月当たり前のようにやってくる月経が、どれほど女性の生活や仕事に支障をきたしているかを調査した結果を紹介します。  2019年6月、オランダのラドバウド大学医療センターのSchoep氏らは、FacebookやTwitterなどソーシャルメディアで募った15~45歳のオランダ女性32,748人へ行った調査の結果、生理症状のせいで仕事や勉強が普段よりはかどらない日が1年間に平均およそ23日あり、それらの生産性低下を合計すると、年間約9日間を棒に振っていると報告しました。対象となった女性の13.8%が月経期間中に欠勤を報告し、3.4%が毎月またはほぼすべての月経周期で欠勤を報告しており、生理と関連して女性がとった病欠の日数は、年間で平均1.3日であったといいます。  最後に。「生理がつらければ休んでいいよ」と、男性の上司が当直を変わってくれたことがありました。自分から言い出せなかった私には、救いの一言でした。月経痛がひどくてトイレにこもるようになって初めて、低用量ピルを飲めば月経痛が改善されることを知りました。月経について、月経痛について、月経がもたらす影響について、改善策について、知識が広まる一助になれば、と願っています。 ○山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
病気病院
dot. 2019/07/17 07:00
和菓子店の冷蔵庫に女子大生の遺体 父親は自殺 謎を解くカギは2人の携帯?
和菓子店の冷蔵庫に女子大生の遺体 父親は自殺 謎を解くカギは2人の携帯?
木津いぶきさんの遺体が見つかった東京都荒川区の和菓子店(C)朝日新聞社  和菓子店を営む父親と娘の間に一体、何があったのか? 7日午前0時50分ごろ、東京都荒川区東尾久4丁目の和菓子店で、冷蔵庫の中に大学1年の木津いぶきさん(18)の遺体が見つかり、警察が行方を追っていた父親(43)が7日早朝、さいたま市内で自殺し、謎が深まっている。  発端は6日夕方、いぶきさんの家族からの110番通報だった。 「父が自殺すると連絡してきた」  そこで家族と警察が和菓子屋に駆け付けたが、シャッターが閉まり、配達用のオートバイがなかった。たまたま、空いていた窓から警官が中に入ったところ、業務用冷蔵庫に、背中を上にしていた遺体を発見。娘のいぶきさんとわかった。 「父親はその後も家族に電話。『いぶきを店で切った。死にたい』などと話し、捜索したところオートバイを発見。さらにさいたま市の河川敷で首を吊っている父親の遺体を警視庁の捜索隊が見つけた。いぶきさんの遺体には、首を絞められたような痕跡があった。父親が経営する和菓子屋の業務用冷蔵庫で発見されたことや店内が荒らされたりしている形跡がなかったことから、2人になんらかのトラブルがあったのではないか」(捜査関係者)  木津さん一家は荒川区の自宅近くで15年前から和菓子屋を営み、地元では知られる名店だったという。  一方、大学生のいぶきさんは父親の和菓子屋ではなく、他でバイトをしていたという。  和菓子屋から木津さんの自宅まで、歩いて10分ほどだという。なんらかの用件があって、いぶきさんが店に立ち寄ったではないのかとみられている。 「自殺した父親は温厚で、いかにも和菓子の職人さんという感じ。いぶきさんも昔は店に来ていた。父親はいぶきさんにバレエを習わせ、中学は私学の学校に通わせるなど、教育熱心でしたよ。一方で、いぶきさんの成績が上がらないと手が出たりときつい一面もあったようだ」(近所の人)  そのためか、最近はいぶきさんが和菓子屋にほとんど寄りつかなかったという。 「それなのにどうして、その日は店に立ち寄ったのか、よくわからない。和菓子屋は、6日午後5時前には閉店していて、手伝いが必要なこともなかった。母親は警察に対し、ここ最近、父親が思い詰めているようにも思えたと話している。父親が最近、いぶきさんが言うこと聞かないと、手を上げることもあったそうだ。父親と母親は再婚で、いぶきさんは妻の連れ子のようだ。父親は自殺する直前、自分の携帯電話で家族に連絡してきているが、自殺した現場周辺の捜索でも発見されていない。同様に、いぶきさんの携帯電話もまだ見つからない。また、和菓子屋を捜索したところ2人で死ぬという内容のメモが見つかった。筆跡は父親のようだ。どうも2人の複雑な関係がこの事件の背景にあるようだ」(前出の捜査関係者)  父親が18歳の娘を殺害した動機は何だったのか。謎の解明が待たれる。(本誌取材班) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2019/07/09 17:17
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春風亭一之輔 春風亭一之輔
一之輔がNHK朝ドラ『なつぞら』を見なくなった理由
春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。新刊書籍『春風亭一之輔のおもしろ落語入門 おかわり!』(小学館)が刊行されました! イラスト/もりいくすお  落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「なつぞら」。 *  *  *  朝ドラの『なつぞら』は開始から2週間で観るのをやめてしまった。録画予約を消去できないのは松嶋菜々子の母さん役にまだ未練があるから。舞台を東京に移してからはあまり出てないみたい。あんなお母さん欲しいぞ。『まんぷく』も『半分、青い。』も観ていたのに、何故『なつぞら』は離れてしまったのか? 「広瀬すずの顔って、ちょっと俺のタイプとズレてるんだなー」と呟いたら、「おーい、死んでしまえー」と家内。あれ? 俺の意見は死に値するほど?  梅雨も半ばを過ぎ6月21日から毎年恒例・全国ツアーの北海道巡業が始まった。今年は旭川・札幌・苫小牧・帯広の4公演。独演会なので前座さんとの二人旅なのだが、誰に付いてきてもらうかでかなり旅の趣が変わってくる。うちの弟子は生意気にも予定が入っていた。こちらとしても弟子との長旅はお互いに気詰まり、それはそれでちょうどいい。  よその一門でいい前座さんはいないかな、と寄席の楽屋を見回す。最近、女の子の前座さんが増えた。むさ苦しい男より女子に世話をやいてもらったほうが嬉しいに決まってるが、自意識が邪魔して女子には頼めない。長旅だ。何かあったらどうする? 仮に「やだ~、一之輔師匠、私のこといやらしい目で見てる~!」とか思われたとしたら私は耐えきれない。決してやましい気持ちなどないのに何故? そんな気持ちなど毛頭ないのに! 向こうから「師匠~、私を連れてって~ん!」とか言ってくれないかなあ。……断じてやましい気持ちなどなくそう思う!  だから旅の仕事を頼むなら男前座だな。今回は柳家小はださんに決定。小はださんは入門4年目の29歳。立教大学を6年かけて卒業した勉強家だ。身長178センチ。「ムショ帰り」な髪形で、「靴ベラ」みたいな顔をしてる。もしくは壁に立てかけた「しびん」。愛嬌があるといえばあるし、ないといえばまるでない顔。「日大顔」からあえて言わせてもらうと、あれは「立教の顔」ではない。ジャズが好きでやたら詳しい。そんな顔じゃない。学生時代は少林寺拳法をやっていたそうだ。なるほど、香港映画のやられ役にいそうな顔。目黒生まれだと言う。「どこの目黒?」と聞くと「東京の、です」と嘘をついた。あの顔で、あの目黒に生まれるわけがない。絶対嘘をついている。  前座の中にはよく『一生懸命顔』の人がいる。額に汗して、目を血走らせ、威圧しながら気を使ってくる、一緒にいると疲れる奴。その点、小はださんは『こいつ大丈夫か?顔』だ。こちらが心配になる顔。気が利かなそうな顔だが、実はほどよくテキパキしていて、押しつけがましくない気の利かせようがいい。旭川の楽屋にハンガーがないと自前の携帯ハンガーを出してきた。そこまでしなくていい顔なのに。無理するな、小はだ。 「好きな女性のタイプは?」と聞くと「あの人です……ほら……あの……」と石田ゆり子の名前が出るまで5分。「好きじゃないだろ?」「いや、私はあの『顔』が好きなんです!」と。「広瀬すずはどう?」と聞くと「う~ん……」と考え込んだ。おーい、お前も死んでしまえー。  明日は帯広公演。十勝に行けば二人とも『なつぞら』の良さがわかるだろうか。なつよ、俺たちを待ってておくれ。 ※週刊朝日  2019年7月12日号
春風亭一之輔
週刊朝日 2019/07/07 16:00
新五千円札の顔、津田梅子 日本最初の女子留学生が見た過酷な女性差別とは?
新五千円札の顔、津田梅子 日本最初の女子留学生が見た過酷な女性差別とは?
 2019年4月9日、新紙幣のデザインが発表され話題となった。新しい5000円札の顔に選ばれたのは、日本女子教育の先駆者・津田梅子。満6歳でアメリカに渡り、帰国後は津田塾大学を創設するなど女性の地位向上のため生涯を通して教育に身を捧げた女性だ。7月5日発売の『津田梅子』(大庭みな子著)は、津田梅子の手紙の内容を交えて彼女の心情を紐解きながら、その生涯を追った伝記文学である。本文より一部をご紹介しよう。 *  *  *  18歳の梅子にとっては、結婚の問題は重大である。まず、日本の異常な早婚と、若い男女が交際の場を持たないことにがっかりし、その上結婚後の女性は子供を育てながら夫とその家族のために献身的に働く以外に何の目的もなく、一生を終わってしまうのに、それでよいのだろうかと思う。  アメリカで長い間知り合いだった日本人の男性も、帰国後は少数の例外を除いて会いに来ることもなかった。  日本の女性は、一人で外を歩くこともできない。ほかの女性が外を歩くなら自分も一緒に歩くが、当時良家の子女の外出は人力車が普通だった。梅子は食欲だけが素晴らしく肥る一方なので、良い天候が続くことさえ、この天候が日本人を怠け者にする原因ではないかと本気になって悩んでいる。  かたや文法もシステムもルールも全くないように思える日本語をただ覚えることの難しさに途方に暮れている。日本では手に入れることの難しい手持ちのわずかな洋服は、肥って日増しにきつくなり、日本政府は帰国留学生に無関心で、仕事の紹介もしない。  いったい自分たちは何のために日本国民のお金を使って11年もアメリカで勉強させられたのであろう。社会を改善するなどという考えにとりつかれているのは、登ることのできない山を目の前に置かれたようなものではないか。その上、18歳にして結婚にも夢が持てない国情である。 ■1883年1月6日  ………多くの結婚はお互いに相手を何も知らない者同士で行われることをご存知ですか。男性は何となく結婚したくて、誰かに良い相手はないかと言います。すると仲人は家族や両親の間に話を付けて見合いをすることになります。満足すれば婚約となり、間もなく結婚式です。  婚約は結婚同様、聖なる誓いと見なされ、破約は大変なことですし、そんなことをしたら、どちらかに秘密の理由があったと疑われ、一般に女性の方が非難されます。  ほんとうの恋愛結婚は男性――大抵は地位の高い男性が、歌や踊りをする低い階級出身の女性と結婚するときに限られているくらいのものです。彼女たちは確かに美しく、芸もしっかりしていますが、これは男性を歓ばすためだけに生きているからです。  男性が女性を訪れもしないで、どうして恋愛など生まれるでしょう。男と女が交歓の機会を持てる社交界は全くないのです。男性の側は結婚のために、女性の家族、父親や兄弟を見にくることはありますが、女の方はそうできても大抵はしません。  我が家でもよくあることですが、客は家族と一緒に食事はしません。父の客のときは父だけが客と一緒に食事をとりますし、私の客のときは、私と父だけが客と一緒に食べます。  ………社会を改革するなら、男女とも教育を受けるべきで、教養を高めた双方が混じり合って意見を交換しなければ。特に女には教育が必要です。……… ………………………………………………  梅子が日本の結婚観、そして男女の地位の違いに疑問と抵抗感を抱き、そして女性の教育の必要性を強く実感したことが窺える内容となっている。  そしてこの手紙から数年後、梅子は再びアメリカへ留学した。日本で教育者としての道を歩むために、アメリカでもう一度学ぶことにしたのである。  3年の留学生活を終えて帰国した梅子は、華族女学校などで教育者として指導を行いながら、国家の方針とは異なるやり方で未来の女性を育てるため、私塾を創設する決意を固めていく。  そして1900年、ついに梅子は念願の私塾を創設するに至ったのだ。 ……………………………………………… ■モリス夫人宛の手紙 1899年12月28日  昨年お話したように(前年1898年、梅子はデンヴァーで開かれた万国婦人連合大会に日本女性代表として出席するためにアメリカに渡り、ひき続いてヨーロッパ、アメリカを旅して、アデリン始めブリンマー時代の友人たちに会っている)、華族女学校を今年度が終わったら辞めるつもりです。どんなにこの時を待ちのぞんでいたか、わかって下さると思います。幼い貴族の子女を教えるという名誉はあるにしても、………私の計画はより高等な教育、とくに英語で政府の英語教育者の資格試験に備えようというものです。  今のところ、私立校でこの試験に備えた教育をするところは皆無で、女性で試験を受ける人はほとんどいません。  国立の女子師範学校は大変良い教科を教え、教員養成をしていますが(英語はない)、実際に職場を得られる人の数は限られていますし、卒業後の義務や制約があるので、問題があるのです。私は女子の高等教育に全力を尽くしたいので、どうしても自分の学校を持ちたいのです。  日本でも名の知られているアリス・ベーコンが助力してくれることになっていますので、とても大きな力になると思います。  御存知のように日本での授業料はとても安いものですから、学校を維持するのに、授業料に多くを期待できません。いま勤めている学校を辞めるのですから、政府から貰うサラリーは諦めますが、自分の生活費をこの新しい私塾から期待することはできません。とにかく五年ほどやってみて、充分な基盤の上に学校が成り立つかどうか見きわめるしかありません。………  とにかく、仕事を始めるための建物と敷地を手に入れるには3000ドルから4000ドルかかります。来年の夏までにどうしようかと頭を悩ませています。  この計画にすっかり頭のいっぱいな私は、どうしたらこの資金を集められるかあなたに御相談すれば、助けていただけるのではないかとお願いの手紙を書いている次第です。  例の留学基金の委員会の皆さまはこの計画に関心を持って下さるのではないでしょうか。ブリンマーに送った留学生は戻って来て私を助けてくれるでしょう。………ブリンマーのミス・トーマスにも助けていただけるか、お願いの手紙を書きました。 ………道が開けるのを祈っています。  政府の学校で働いている限り、自分の考えている教育を実行する自由がありません。あなたやあなたの周囲の方に、私がこの計画のため華族女学校を辞めたがっているのを知られるのはかまいませんが、まだ辞意を表明したわけではないし、政府に対する責任から自由になっているわけではありませんので、この話が日本に伝わってこないよう用心して下さいませ。東京はゴシップのひどいところですから、噂が誇大されて流れるのは困るのです。どうぞ、相手を選んでお願いして下さいますか。――『津田梅子文書』より  梅子は遂に私塾創設の機は熟したと判断したのだ。思えば長い歳月であった。華族女学校で教え始めて以来、10数年の歳月が流れていたが、梅子の内部世界では恐らく物心ついて以来、いや7歳のとき日本女性の未来のため、自分は外国に学ばねばならぬとその幼い魂に刻みつけられて以来の、培われ、熟成し、遂に発酵し始めた想念だったに違いない。私塾創設に踏み切ったとき、梅子は35歳であった。
朝日新聞出版の本読書
dot. 2019/07/05 17:00
少年・小林信彦がみた太平洋戦争とは?
少年・小林信彦がみた太平洋戦争とは?
 それは、当時唯一の娯楽だった日本映画を観ることと同時進行の体験だった。スクリーンと現実の双方から戦争の表裏を知り、多感期の少年は成長した。『アメリカと戦いながら日本映画を観た』(朝日文庫)で当時の様子を克明につづった86歳の小林信彦にとって、“日本が<聖戦>を戦った日々”は忘れられない記憶である。小林少年の目に映った戦争の正体とはいかなるものだったのか? 本書の「はじめに」をお届けする。 *  *  *  これからぼくが試みようとすることは、たぶん、前例がないのではないかと思う。  ひとことでいえば、<聖戦>の中で一人の少年がどのように育ち、戦争にまつわる大衆文化を享受し、戦争の渦に巻き込まれ、敗戦にいたったか――という事実の記述なのだが、これだけではなんのことだかわからないだろうから、くわしく説明したい。  ぼくは1932年(昭和7年)に生れた。場所は日本橋区(現・中央区)の両国である。 「中央区年表」によれば、この年は<準戦時体制>に分類されている。1932年に、中央区(当時はこの名称はない)で起ったことを、簡単に紹介してみる。時代色を知るためには、くだくだ説明するよりこの方が具体的で良いと思う。  1月 日本軍の<錦州入城>で株が暴騰(前年九月から満州事変が始まっている)  2月 日本ゼネラル社32年型シボレー発表展示会を日本橋通りで開く  4月 新しい<両国橋>完成  8月 国際反戦デー。夜の銀座はビラまきと検束で沸く  同月 警視庁管下のカフェー、バーの数は7,511軒、女給22,779名と「国民新聞」報道。<エロ、エロ、エロ時代>と伝える  10月 銀座4丁目角の服部時計店、落成式。時計塔が銀座の名物となる  11月 株式市場、昭和三年以来の高値となる  12月 白木屋デパートの出火。死者10名  同月 銀座二の二、KKプレイガイド社設立  おことわりしておくが、これはあくまで中央区(旧日本橋区と旧京橋区)での出来事である。「中央区年表」の1932年のページのごく一部を(少し直して)引用した。  これだけでも大震災からの完全な立ち直り、侵略戦争による好況、モダンなビルの完成といった様子がうかがえる。プレイガイドの設立は、演劇・演芸・スポーツの入場券発売という、<モダン都市>の大衆文化の成熟度をうかがわせる。  視野をひろげるために、「昭和史年表」を見ると――、  第一次上海事変、満州国建国の宣言、五・一五事件、社会大衆党の結成、大阪で国防婦人会発足、などがある。  マスコミ的な事件としては、第一回日本ダービー、坂田山心中事件、そして、さきほど引用した白木屋(現在・東急日本橋店)の火事があり、婦女子のズロース着用を促進させた。  この火事は12月16日。ぼくが生れたのは4日前の12月12日である。だから、当然のこととして、ぼくは1932年について何も記憶していない。  とりあえず、次のことを前提にしたい。   1 ぼくが生れたのは<モダン都市・東京>の発展のさなかであったこと。   2 生れた時、すでに戦争が始まっていたこと。    戦争は、日中戦争→大東亜戦争(太平洋戦争)とつづき、家が焼かれたあとで、中学一年のとき、ようやく終る。ここを強調しておきたいが、ぼくがものごころついてから中一まで、日本はずっと戦争をしていたのである。しかも、その戦争は<良い戦争(グツド・ウオー)>、日本流にいえば、<聖戦>である。 <聖戦>の中で子供が成長するというのは、どういうことか。  まず、戦争、または<聖戦>に対する疑いはいっさい持っていない。ぼくは幼稚園には行かず、いきなり小学校に入ったのだが、その年、1939年(昭和14年)は、ノモンハン事変の年であり、国民精神総動員運動の推進が企画されている。  しかし、そうしたことは、ぼくにはほとんど影響がなかった。<ノモンハンでは日本がソ連の強力な兵器に打ちのめされたらしい>と噂されたが、真実は報道されなかった。  マスコミは新聞とラジオ(日本放送協会<のちのNHK>の放送)だけである。(くどいようだが、述べておく。民放ラジオはまだなかった。テレビはむろんない。いくら念を押しても、民放ラジオがあったと思っている若い人がいるので、しつこくダメ押しをしておく。)  テレビに代る映像は<ニュース映画>である。  事件をフィルムにおさめ、映画館で上映するので、2、3週間のずれはできるが、当時としては、<もっとも早いニュース映像>であった。  1939年の4月5日には、映画法が公布される。10月1日から施行されたこの法律は、   a 映画脚本の事前検閲   b 映画製作・配給の許可制(すべて政府の許可がいる)   c 外国映画の上映制限   d 文化映画の義務上映(1940年にはニュース映画も義務づけられる)  等、16の条項から成っている。  これ以前に、すでに<検閲制度>が生きていたのだから、もはや自由はあり得ない。 <映画法>はナチ政権下のドイツが制定したものの真似である。テレビのないこの時代、ヒットラーはいち早く、映画の宣伝効果、映画による情報操作に着手していた。  小学校に入るか入らないころから、ぼくは映画を観ていた。  父親(商人)が自動車好きのモダニストだから、洋画ばかりであったが、ここでは<ニュース映画>のことを書く。 <最前線での日本兵>を観たいという大衆の要求で、5つの社がニュース映画を作っていた。しかし、ニュースだけでは興行が成立しないので、<ニュース映画館>があちこちに生れた。ぼくがつれて行かれたのは銀座の映画館である。たしか<金春(コンパル)>といったと思う。どういうフィルムをならべていたか、想い出してみよう。  朝日世界ニュース  パラマウント・ニュース(アメリカ製)  文化映画(主として国策にそったドキュメンタリーの短篇)  マックス・フライシャー系の漫画(ポパイかベティ・ブープ)  ディズニー系の漫画(ミッキー、ドナルドなど)  季節物(たとえば相撲、たしか前半戦・後半戦と二週に分れていた)  小学生であるぼくのお目あては、ポパイであり、ドナルド・ダックであり、ディズニーのシリー・シンフォニー・シリーズだった。ポパイは白黒だったが、カラーで二巻物の「ポパイのアリババ退治」もここで観ている。  また、フレッド・アステアのRKO時代のミュージカルのダンス・シーンのみを切りとった短いフィルムを上映したこともある。  父親はモダニストではあったが、リベラリストではなく、警防団やらなにやらの要職にいた。家の近くの久松警察とも親しかった。そのくせ、映画に関しては徹底した洋画派で、ハワード・ホークスの「コンドル」やヘンリー・キングの「スタンレー探険記」を好んだ。(もっとも昭和14、5年ともなると、ガソリン不足で、好きなドライヴ一つできなかったから、洋画を観るしかなかったのかも知れない。)  小学1、2年の身としては、「コンドル」はむずかしかった。日比谷映画でやったチャップリンの「街の灯」「モダン・タイムス」の二本立ては面白かったが、疲れたのか、帰りに寄った銀座の<フロリダ・キッチン>でぼくは吐いている。  親子にとってありがたいのは、ドロシー・ラムーアのサロン姿が総天然色で拝める「ジャングルの恋」とワイズミュラーの「ターザンの猛襲」の二本立てで、父親はドロシー・ラムーアを楽しみ、ぼくは象の大群を楽しんだ。映画といえば即アメリカ映画、と、ぼくは考えていた。(日本映画は学校で強制的に観せられるものでしかなかった。)  こうした時代の下町をぼくは『ぼくたちの好きな戦争』の前半で描いている。にせのアステア、にせのグルーチョ・マルクスが出没する下町である。昭和14、5年に下町アメリカニズムがピークに達した現象の分析は、瀬川昌久氏の『ジャズで踊って』がくわしい。タップダンスが子供たちの間にまでひろがったことも書いてある。  この<燃えるようなアメリカニズム>は翌年までつづく。昭和16年12月8日、アメリカとの戦争に突入する日まで。  開戦の前日まで上映されていたのはフランク・キャプラの「スミス都へ行く」だったといわれるが、ぼくは記憶していない。  真珠湾での圧勝と英国のプリンス・オブ・ウェールズを沈めたことで、日本中が燃え上る。全員が憑かれたようになる。  ぼくもそうだった。12月8日以後、アメリカ映画は上映されないから、日本映画を観るようになる。映画が唯一の娯楽だった時代だから、どうしてもそうなる。  しかしながら、たとえ国家が敵対したとはいえ、日本映画はハリウッド映画を手本にして発達してきた。松竹の数々の都会喜劇はエルンスト・ルビッチを手本としたし、東宝の航空映画「燃ゆる大空」(1940年)はハリウッドの航空映画を手本にしている。太平洋戦争に突入したからといって、その影響が消えるわけでもない。  ぼくが試みようとするのは、文字通り<聖戦>のさなかにおいて、一人の少年、すなわち、ぼくが、どのように<国策映画>や<国策演劇>を味わったかという報告である。  日本映画は前記の映画法によってぎりぎりに縛られており、しかも太平洋戦争開始とともにさらに規制がきびしくなってくる。軍が映画の利用価値を本気で考えたからである。ぼくたちにあたえられるのは、すべてが<国策映画>と考えてよい。(こうした中でも、例外が生じてくる。そのことは後で記す。)しかしながら、アメリカ映画少年(少年といえるかどうか?)だったぼくは、<米英をやっつける映画>のあちこちに、アメリカ映画の匂いをかぎつけたのである。
朝日新聞出版の本読書
dot. 2019/07/05 08:00
【現代の肖像】大学院生・小林さやか「相手の力を引き出す究極の生徒」<AERA連載>
【現代の肖像】大学院生・小林さやか「相手の力を引き出す究極の生徒」<AERA連載>
「キャラ変する力と人を信じる力は自信がある」。受験を成功させたのも、望む自分になるため(撮影/岡田晃奈) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  黒髪ボブの女子高生が泣きながら廊下を走ってきて、両手を広げた茶髪にセーター姿の若い女性にぎゅっと抱きつく。 「さやちゃん、話したかったよー」  茶髪の女性は生徒を抱きしめて秘密の打ち明け話に耳を傾けると、「よしよし」と頭を軽くたたき、肩を組みながら歩き出す。恋の悩みか人間関係の悩みなのか、ボディーランゲージで包み込む先輩力がひたすら眩しい。  この「先輩」が校舎を歩けば、ピースしながら飛び出してくる女子や、職員室の前で出待ちする体操着の3人組、はしゃぐ男子グループが次々に「さやちゃん、来てたんだ!」と寄ってくる。  こんな学園ドラマみたいな人気者キャラ、リアルで初めて見た! でもここはセットではなく実在する私立校、札幌新陽高校なのだ。  さやちゃんと呼ばれているのは昨年、「校長の右目」としてインターンをしていた小林(こばやし)さやか(31)。有村架純主演で映画化もされた『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の主人公ビリギャル本人だ。  この本は名古屋にある個人塾講師だった坪田信貴(現・坪田塾塾長)が、高校の問題児でビリ周辺の成績を彷徨っていた小林と出会い、彼女が1年間で偏差値を爆上げして慶應義塾大学に合格を果たすまでを綴ったベストセラー書だ。1年半後には映画化、主演の有村が日本アカデミー賞の優秀主演女優賞を受賞した。  そのビリギャルだった小林が大学を卒業し、社会人を経て、大学院で教育を勉強したいと考えていた昨年、教師や生徒の頑張りを熱く語る札幌新陽高校校長・荒井優の日誌をFacebookで見て感動し、メッセージを送った。それがきっかけで昨年3月から4カ月間、同校のインターンに。教育現場を勉強するという立場で、すべて無償だ。 ●野球の才能のある弟に嫉妬を感じた小学校時代  それにしても校内でのモテっぷりは凄い。久しぶりの訪問なのに、生徒や教師からひっきりなしにイベントや相談の誘いがかかる。現在2年生の似奈は小林に、悩んでいた進路やイジメのことを保健室で相談したり、LINEでアドバイスをもらったりしたという。似奈(にいな)は、「少し前まで勉強をやる意味も学校にくる意味もわからず、遅刻ばかりでグレていた。さやちゃんはイジメる子たちを見下すと同じ土俵に立っちゃうから、その子たちより上に行け、と言ってくれてすごく楽になれた」  高校をやめて美容の専門学校に行きたかったが、サロンをやるなら経済学も必要と小林に言われ、勉強する意味がやっと分かったという。  カリスマっぷりがさらに立証されたのが、教師に呼ばれて「ちょっと行ってくる」と面談室に消えた時。30分後には「飲食店のバイト1本で生きたい」という退学希望の女子生徒を「社会を知らなきゃ店は成功できない」とものの見事に翻意させていた。小林はいつも、生徒の気持ちを否定するのではなく、肯定することからはじめる。だから説得力がハンパない。 「カルテルって何? カテーテルじゃないよね?」。社会の授業で生徒側に立って質問し、笑いをとる。小林が発言すればするほど、生徒の反応が盛り上がっていく(札幌新陽高校で)(撮影/岡田晃奈)  ビリギャルの本が出たのは小林が25歳のころ。突然の社会的な大ブームで、小林の人生はありえないほど大きく変化した。 「あの本がなかったら今ごろ名古屋から出てもいなかったし、講演活動も全然してなかった。ビリギャルがすべてをくれたからもの凄く感謝してる」  小林にとって、「学校」とは、中学教師の吐いた心えぐる言葉に傷つき、いつも教師の否定のまなざしが突き刺さる場所だった。慶大受験でやっとそこから脱けだした元ギャルが、教育の世界に自分を生かそうと決心したのは一体なぜなのか?  生まれも育ちも名古屋。飲食店などを経営する父と、専業主婦の母の長女として生まれる。2歳下の弟、6歳下の妹と3人きょうだいだが、幼いころから家の「スター」はいつも弟だった。父は野球選手を目指していた自分の夢を弟に託すため、つきっきりで野球を指導し、娘には関心を示さず子育ても母親任せ。食卓では弟だけ座布団があり、料理も品数が多いという明白な格差があった。 「弟は野球の才能もある上に、おちゃらけてて愛される人気者。何の才能もない私は、どうして男に生まれなかったんだろう、どうして弟ばかり愛されるんだろうといつも嫉妬していた。家族の中では弟の陰に隠れてハッピーじゃなかったし、小学校での私は自信がなくて引っ込み思案だし、みんなの中で意見が言えない子だった」  小学2年。同級生をイジメていた子に「何でそんなことするの?」と言ったため、矛先が自分に向くようになった。ある日そのイジメっ子にみんなの前で悪口を言われて、唯一信じていた子にまで笑われ、それに大きなショックを受けて、母の後押しで学校をやめた。何校も断られた末、母の送り迎えで学区外に越境入学することに。 「それでも時々、ハブにされたり嫌な思いもしていたし、教室にいる自分が好きになれなかった」  繊細な小林は毎日、自分に向けられる他人の視線が気になってたまらず、それを気にする自分との闘いで疲れ果てていたのだ。 「ああちゃん(母)だけは『さやちゃんは世界一幸せになれる子だから』と言い続けてくれたけど、理想と現実のギャップが大きすぎて。私の人生はこれじゃ終われないと思ってた」  公立中学に進学すると、小学校での人間関係がそのまま持ち越され更につらくなる。すべてをリセットしようと市内のお嬢様校を受験し合格したことが、人生初の成功体験だ。 「入学した途端、勉強をやめた。めっちゃ空気読んでセルフプロデュースして、憧れてた人気者の同級生を真似てはきはきしゃべる活発な子にキャラ変したら、クラスの中心にいる人気者になれた」 ●父や教師に何度怒られても友人は裏切らなかった  中3になると厳しい校則に反発してギャル化まっしぐら。映画の有村架純そのものの超ミニスカートに巻き髪と細眉で、更に身体だけ日サロで焼く。「キャラ変」に磨きをかけたのが中学生合コンだ。小林が幹事を務めて、主要な男子校と女子校からメンバーを集め、安い昼カラオケをハシゴしていたという。 「まつげエクステ、サービスで30本もつけられちゃった」(撮影/岡田晃奈) 「幹事の使命感で、どんな子たちと出会っても楽しくする自信がある。この合コン幹事のスキルが今の講演活動に生きてる」  この頃、文字通り学年ビリの成績を記録。大人から見れば最悪な落ちこぼれでも、仲間目線で見れば友達の中心にいる人気者キャラだった。  そのころ野球に自信をなくしていた弟は、監督でもある父の文字通り血を吐くようなスパルタ教育に苦しんでいた。試合でエラーすると、帰りの車の信号待ちでパンチが飛んできて口が血だらけに。自分は坊主頭でオシャレもできず父に半監禁状態なのに、毎日、友人と遊んでいるギャルの姉はキラキラしてて楽しそうに見える。  教師や父に否定され外のギャルライフに逃れた姉と、父に期待され過干渉に耐えていた弟。姉弟はお互いを羨んでいた。母は強い母性愛で3人の子どもを受容してくれたが、子育てを巡って父は母をなじり激しい口論が絶えず、母はいつもバッグの中に「離婚調停に勝てる」を謳ったマニュアル本を持ち歩いていたという。 「私は両親が一刻も早く離婚したほうがいいと思ってた。父親に『クソジジイ、ああちゃんに指一本触れたらただじゃすまねえから』とまで怒鳴ってた。今なら、父親は寂しかったと分かるけど」  小林は何度、父や教師に怒られてもギャルの仲間を大切にする正義を貫いたが、中3で教師を信用できなくなる大事件が起こる。  たばこの所持が見つかって約2週間の停学処分になり、校長室で「君は人間の屑だ」とまで言われた上、「君の親友がお前を売ったからたばこがバレた。一緒にたばこを吸った友達の名前を言えば退学を免除してやる」。裏切りを示唆するありえない恫喝に「卑怯すぎる」とガンとして口を割らなかった。学校に呼び出された母に心配をかけたことは悔いたが、教師への不信感は心に根深く焼きついた。  嫌いな学校で大学まで行くより就職したほうがずっとマシだ。そう考えていた高2の時、母に坪田を紹介され、坪田の薦める慶大受験を決心する。自分を遊べない環境に追い込むため、髪をおかっぱに切り落としメイクもやめ、塾と家で勉強して学校で爆睡するという凄まじい勉強っぷりで、合格判定をジリジリとあげていく。  一方、苦痛でしかない野球をやめた弟は、髪を伸ばして金髪にし、ピアスをつけて、ヤンキー仲間とつるむようになった。が、父はますます母の子育てを否定してキツくあたり、父vs.母・さやか・弟の対立関係は悪化の一途をたどる。 「ぼくは怖いし勝てないから、今まで父に正面から刃向かったことがない。でも姉ちゃんは家の中で一番気が強くて、1人だけ父にがんがん意見していた。ぼくはいつも姉ちゃんのあとを追いかけてた」(弟)  弟にとってのヒーローは、いつも閉塞した空気に突破口を開くかっこいい姉だったのだ。 ●ビリギャルが大ヒット 生活も意識も怒濤の変化  高3の冬。小林は慶大の総合政策学部(SFC)に見事合格、渾身の猛勉強のリベンジを果たす。 「受験は住む世界を一変させる便利なツール。ダンスやアートは才能やセンスに左右されるから結果が出ないことも多いけど、受験は暗記。勉強した分、わりと平等に結果が返ってくる。私は弟と違って飛び抜けた才能が何もなかったから、慶大という『外の世界』に留学するような気持ちで勉強していた」 埼玉県桶川市民ホールでの「手をつなごうPTAべに花講演会」(撮影/岡田晃奈)  シャンパンゴールドのスーツと金髪カールのド派手な名古屋嬢姿で入学式デビュー。その「留学先」で仲間たちと期間限定の飲食店運営やバイトにうちこんで、恋愛にのめりこむ。大学からの友人かな子(30)は、当時の小林を「明るくハジけてたけど、周りをよく見ていて面倒見がいいし、人に気が使えるから、仲間にもすごくモテた」という。  一方、家に帰らず生活が荒れていく弟に「このままでは死んでしまうのでは」と、両親は休戦状態に入り、弟の救済のために団結した。そこから弟の生活も徐々に落ち着き、小林が卒業してウェディングプランナーをやっていた25歳の頃、ようやく家族に雪解けの兆しが見えた。  弟は23歳で結婚、子どもも誕生して父の居酒屋で店長として働きはじめる。妹は上智大学に入学。その過程を経て父が劇的に優しくなり、両親の関係も和解へと一歩前へ進んだ。  この年、ビリギャル本が発売され翌々年には映画も大ヒットして、小林は怒濤のような社会現象のど真ん中に放り込まれた。次々にイベントやメディアに呼ばれ、体験を語る中で、小林の意識は急速に変化していく。講演では夫婦問題に悩んだ母に共感して泣く女性も、さやかちゃんに救われたと言う高校生も、そして小林が「クソジジイ」と呼んだ父に、娘との接し方が分からない自分を重ねる男性もまた多かった。 「ビリギャルは自分じゃなく家族の物語で、自分よりずっと大きなもの。だからそのメッセージをみんなに伝えて、教育や子育てに生かす使命を与えられたんだと思うようになった。私は敬語ができないし勉強もできなかったし、いつも何かが足りなかった。必死な姿を周りに見せているから、みんなが助けてあげなくちゃと思ってくれる」  本や映画から人々がイメージするビリギャルは、サクセスストーリーの主役だけにポジティブで屈託がなく、他人の目なんか気にせず目標にまっしぐら。いっぽう小林自身は、人の視線や感情を気にする繊細さを持つ。札幌新陽高校でも、「誰かに感情移入すれば、他の生徒たちを傷つけてしまうのでは?」とかなり悩んだ。  人を押しのけて、自分を前面に出すのも苦手だ。テレビの食レポコーナーに出演して一言もしゃべれずひどく落ち込んだこともあるし、自分のカメラ目線のドヤ顔写真は絶対見たくないという。  昨年、学生時代に出会い、25歳で結婚した男性と、話し合いを重ねて仲のいい友人に戻った。手をつないで離婚届を出しに行ったというブログが、SNSで大きな話題にもなった。好きな気持ちは変わらなくても、「結婚当時は一般人だった私が、ビリギャル本が出てから色々なメディアに出たり講演をしたりして、価値観や生活サイクルが変化したりズレてしまったのは大きかった」という。 ●エラそうな肩書よりずっと生徒側にいたい  ビリギャルと小林さやかの間でいつも揺れている気持ちを、どうすればもっと強く確かなものにできるのか? そう悩む小林をかな子は、「さやかは暗かった子ども時代を今も心に住まわせているから、ネガティブな子どもや、自分を強く見せようとするギャルやヤンキーの気持ちもわかるし、寄り添ってあげられる」と評する。 同世代の教師や飲み仲間とすすきのの居酒屋「ごんべゑ」で(撮影/岡田晃奈)  悩んでいるネガティブ要素が、子どもたちとの関わりで大きなプラスに転じつつあるのを、小林はまだ明確に自覚していない。 「私が体験したことを日本の教育現場にどうしたら落とし込めるかを学んで、教師や親に働きかけるメッセンジャーになりたい。なぜ学校へ行くのか、なぜ校則があるのか、イジメられたらどうしたらいいか? 教師や大人がそれにちゃんと答えられないから生徒が反抗する。生徒はいつも教師を見透かしてる」  現場を学ぶために経験した札幌新陽高校でのインターンでは、臨時担任としてクラスをサポートし、ホームルームや授業を担当したり、よさこい踊りの練習や青空学級、部活の応援、悩み相談など何でもやった。最後の日は「ずっとここにいて」と引き留め、泣いてくれた生徒たちとの絆に感動して号泣した。高校生の頃、教師の視線がつらくて逃げ出したかった小林が、初めて心から学校を好きだ、と感じた瞬間だ。 「話を聞いて救われたって言ってもらうと、すごく自己肯定感が持てるけど、ビリギャルをちゃんと社会に還元できてるのか時々、不安になる。まだ、腹をくくれてない」  元プロサッカー選手の友人で、札幌新陽高校勤務の中原健聡(たけあき)に、この悩みを打ち明けると、「そんなに気になるならこんな仕事やめちまえ」と一喝された。深夜3時まで話は続き、「死んでもやる」「じゃあ腹くくれ」。小林は中原の「俺も怖くて眠れない日もある。みんな一緒や」という言葉に、救われたという。 「彼女の純粋な共感力は凄いから、抱えてる課題に向き合うにはこっちが最大限の本気を出さなあかんと覚悟させられる。その才能が坪田先生に凄いコーチングスキルを発揮させたし、無関心だった俺を真剣な相談相手に変えたし、あなたも今まさに本気になっているでしょ?」(中原)  その言葉、すとんとおなかに落ちた。確かに小林の相手をまるっと信じる壁のなさ、教育の盲点へのピュアな問いかけは、どんな人の警戒網も瞬時に消滅させる。結果、相手からとことん本気なメッセージを引き出して、生きる力として消化してしまう。つまり彼女は凄まじい吸収力を持つ究極の生徒なのだ。 「今は体験談や成功体験でしか話せないから教育理論の支えが欲しくて、大学院に通う決心をした。一生、生徒側にいたい。エラそうな肩書なんかいらない。生徒代表として、子どもたちと学校や親をつなぐメッセージを発信し続けたい」  教師や校則ととことんぶつかった自分を忘れないから、悩みを抱えた生徒たちのヒーローになれる。そんな小林が、巨人化したビリギャルを駆け足で追い越す日はもうすぐだ。 (文中敬称略) 「子どもはいっぱい失敗して試行錯誤すべき。ギャルやヤンキーの反抗も他人と同じは嫌という自己表現。思春期に反抗心を隠していると、闇を持ったまま大人になる」(撮影/岡田晃奈) ■小林さやか 1988年/名古屋市で生まれる。 94年/名古屋市の市立小学校に入学。 96年/通っていた市立小学校から別の市立小学校に転校し、越境通学する。 2000年/市立小学校を卒業。受験し、名古屋市内の大学まで一貫教育の私立中学に入学。それまでのおとなしい性格が一転、キャラ変に成功。 02年/中学3年で学年ビリを体験。その後も底辺付近をうろつく。たばこの所持が見つかり、約2週間の停学処分に。 03年/私立中学を卒業し、そのまま付属の高校へエスカレーター入学。 04年/市内の個人塾で、当時、塾講師だった坪田信貴と出会う。この出会いをきっかけに、慶應義塾大現役合格を自らの目標に掲げ猛勉強を始める。 06年/1年半で偏差値を約30から約70にまで上げ、慶大総合政策学部(SFC)に入学。下北沢の居酒屋バイトでサービス業の楽しさに目覚める。 10年/慶大卒業。究極のサービス業に就きたいと、大手ウェディング企業に就職。プランナーとして働く。 13年/商社を経て、ウェディングのベンチャー企業に転職。坪田の著作『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA アスキー・メディアワークス)が出版され、100万部を超すベストセラーに。結婚。 15年/有村架純主演、土井裕泰監督で、「映画 ビリギャル」が公開され、大きな注目を集める(製作中はスタッフとして参加)。母、ああちゃんと連名の『ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話』(KADOKAWA アスキー・メディアワークス)を執筆、出版。 16年/子育てママ応援イベントや、学生や親向けの講演活動などで全国を駆け回る。 18年/札幌新陽高校で「校長の右目」という肩書で、3月から7月までインターン生として滞在。その傍ら年間100本以上の講演をこなす。生活リズムの変化に伴う互いの価値観とビジョンのすれ違いにより、話し合いの結果、円満離婚。現在は良き友人となっている。 19年/3月28日に、夢をかなえる法則や家族の物語とともに、後輩たちに向けて書いた初の単著『キラッキラの君になるために~ビリギャル真実の物語~』(マガジンハウス)を出版。 ■速水由紀子 東京都出身。現代人の意識変化を執筆する。著書に、『悪魔のDNA 園子温』(祥伝社)、『家族卒業』(朝日新聞出版)、『「つながり」という危ない快楽』(筑摩書房)など多数。 ※AERA 2019年4月22日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
AERA 2019/07/04 13:10
官能ラブストーリーからLGBT作品まで 演技の幅広げる志尊淳の「役者論」とは
官能ラブストーリーからLGBT作品まで 演技の幅広げる志尊淳の「役者論」とは
俳優・志尊淳(撮影/平岩紗希)  相次ぐ出演作のなかで、驚くほど幅広い役柄を演じる俳優の志尊淳さん。24歳とは思えぬ落ち着いた雰囲気だが、演技について語る言葉からは熱い気持ちと若さが伝わってきた。 *  *  *  甘いマスクとたしかな演技で知られる志尊淳(しそんじゅん)(24)。その出演作が、相次いで放映、公開を迎える。  6月26日から配信される連続ドラマ「潤一」では官能ラブストーリーに挑み、作品は仏・カンヌでの国際的なドラマの祭典“カンヌシリーズ”に正式出品された。7月9日から始まる連続ドラマ「Heaven? ~ご苦楽レストラン~」ではレストランの接客係となったイマドキの若者を演じる。8月23日公開の「劇場版おっさんずラブ~LOVE or DEAD~」でおっさんだらけのラブバトルに参戦したかと思えば、10月公開の映画「HiGH&LOW THE WORST」では最強の不良リーダーに扮するなど、その役柄は驚くほど幅広い。 「僕自身は自分を求めてくださるというその期待に、全身全霊で応えようと突っ走っているだけです。責任がぜんぶ自分に返ってきますから、手を抜こうという発想はみじんもありません。お芝居をすることに大きな楽しみを見いだしてacいるので、いまの自分の環境はすごく刺激があります。楽しくてしかたないです」  デビューは2011年のミュージカル「テニスの王子様」。当時からキュートなルックスは話題だった。「可愛い」と言われることに反発したこともあるが、「それが自分の個性でもあるから、役者としてはプラスです」と笑う。  18年には、連続ドラマ「女子的生活」で「体は男性、見た目は女性、恋愛対象は女性」という複雑な人物を違和感なく演じ、その演技力が高く評価された。同年、連続テレビ小説「半分、青い。」の主人公の友人でゲイセクシュアルの美青年“ボクテ”役で広く世に知られるようになる。 「いろいろなタイプの役をいただきますけど、『実際の志尊ってどんな人なのかわからない』といわれるのが、役者として本望だと思っています。作品における自分の立ち位置は意識しますね。自分にどんな役割が求められているのか、その作品にとってどういうスパイスになれるか。自分の役をとことん煮詰めていきます」  24歳とは思えない落ち着いた雰囲気があり、話す言葉からは確固たる信念が伝わってくる。  周囲の俳優たちについてたずねると、「みなさん素敵な方ばかりです」と笑顔を見せ、幾度か共演した高橋一生(38)の人間力の高さとカッコよさに憧れていること、「半分、青い。」で共演した豊川悦司(57)の豊かな人間性に感銘を受けたことなどを教えてくれた。一方で、「でも、そういう方々に自分の芝居を寄せていこうとか、まねようとかは思いません」と語る。 「それをやったら本来の自分じゃなくなっちゃいますから。僕は自分で納得しないとやれないし、頑固な性分なので物事を突き詰めていきたい。とくに仕事の上ではそうですね。筋が通らないことが嫌なんです。でも、妥協しないところが自分の取り柄だとも思うので、自分なりのやり方でやってます」  この先、こんな役をやりたいという希望はない。自分に舞い込んでくる役を精一杯演じたいという。 「この役を志尊に、と預けてくださるのは、それができると評価していただいたということ。うれしいですよね。どんな役に出合えるのかはギャンブルみたいなところもあるし、すごい冒険だと思います。だから、自分でゴールは決めたくない。『いま』が一番大事で、先のことはあまり考えられないです」  いまを見つめる姿には、若さゆえの真っすぐな姿勢が感じられた。 「この仕事をしている中で、これ以上の幸せはもうない、やりきったと思うことはないのかもしれないとも思います。俳優って不思議な世界ですから」 (ライター・早川あゆみ) ※AERA 2019年7月1日号
AERA 2019/07/02 11:30
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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