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中学受験の壁 経済的ハードルを下げる制度が続々登場
中学受験の壁 経済的ハードルを下げる制度が続々登場
武蔵野大中高/「言語」の授業。考えを紙いっぱいに書いて思考をアウトプットしていく。中高も大学と同じキャンパス内にあり、緑豊かな恵まれた環境で勉学に打ち込める。2018年に就任した日野田校長の「失敗を恐れずチャレンジする精神」が、教員や生徒にも伝わり、学校の雰囲気が変わりつつあるという(写真:学校提供) 大宮国際/理科の授業。2時間続きの授業で深く学べる。実験は生徒が自分で調べながら進めていく。同校は埼玉県で3校目となる公立中高一貫校。MYPでのIB校に認定された後には、大学進学のためのディプロマプログラム(DP)での認定を申請する予定だ(撮影/柿崎明子)  有力中高一貫校が高校の募集を停止したことにより、中学受験が激化傾向にある。倍率は厳しくなりそうだが、その一方で近年は、中学受験の壁となっていた経済的ハードルを下げる制度も登場している。AERA 2019年9月23日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  中学受験をするか悩む際の大きな壁の一つが、経済的負担だ。だが、その点で受験の追い風となりそうなのが、20年4月から導入される私立高校授業料の実質無償化だ。中学とは直接関係ないが、6年間のうち半分が軽減されることで、中学受験に弾みがつきそうだ。  これまでも年収910万円未満世帯には、公立高校授業料相当の11万8800円の就学支援金が支給されてきた。それが今回の無償化で、年収590万円未満の家庭を対象に、私立高校授業料の全国平均額に当たる40万円に支給が拡充される。東京、大阪では先駆けて無償化が始まっているが、全国展開されることで経済的なハードルが下がりそうだ。  20年からは開成(東京都荒川区)がこれまで高校生を対象にしてきた「開成会道灌山奨学金」を中学生にも拡大する。これは受験前に奨学金を予約することで、経済的な心配なしに受験に臨める制度だ。出願時に申請を行い、資格要件を満たせば採用候補者となり、合格すれば入学金や授業料などが支給される。6年間で約460万円。就学支援金などの公的補助を受ければ、その分は減額される。同校の担当者は言う。 「経済的に苦しくても志の高い生徒に入学してほしい。奨学金を支給することで、生徒の多様化につなげたい」  従来、志望校を決める指標は、偏差値や大学進学実績だった。だが最近は、特色あるグローバル教育推進校の人気が高まっている。  なかでも注目は、武蔵野大中高(東京都西東京市)だ。前身の武蔵野女子学院中高は志願者が減少していた。18年に、日野田直彦さんが校長に就任。日野田さんは公立校としては最年少の36歳で大阪府立箕面高校の校長に就き、偏差値50の公立高校を、世界のトップ大学に進学者を送り出す高校へと改革した。  武蔵野大中高は今年、中学を共学化。説明会を開くと1千人が集まる人気校になった。人気の理由の一つが、マサチューセッツ工科大学(MIT)などで行う「アントレプレナーシップ海外研修」。一流の起業家たちの講演を聞いたり、グループで課題を設けてワークショップを行ったりする。最終日には起業家やMITの学生たちの前でプレゼン。夏休みに行われ、今年は中3から高3までの30人が参加した。日野田校長は言う。 「講演に来てもらった起業家は、本気で世界を変えてやろうという人たち。語学力が問題ではなく、言葉はわからなくてもそのパッションは通じる」  生徒はこのプログラムに刺激を受けて、帰国後は自ら英語を勉強するようになる。今年の4月からは英語と国語をコラボした「言語」の授業も始まった。英語科と国語科の教員がチームを作って、教材作りや授業の内容を考えるという。  公立中高一貫校にも新しい動きが広がっている。さいたま市立大宮国際中等教育学校は、国際バカロレア(IB)の11~16歳を対象とする中等教育プログラム(MYP)候補校で、認定されれば首都圏の公立中高一貫校としては、初めてのIB校となる。20年の認定を目指す。  同校では、道徳と学活以外はすべて2時間続きで授業を行い、授業には必ず生徒の活動が盛り込まれている。教科の枠にとらわれない授業も多く、週に1度、各教科の教員が集まって授業の方針を話し合っている。  独自の探究学習が3Gプロジェクトだ。今年の春から取り組んだのが「部活作り」。グループごとに候補を決めてポスター発表会を行い、投票で絞られた部活を生徒全員が体験、再投票で実際に活動をする部活を決定するという、生徒主体のプログラムだ。また、MYPカリキュラムの一つ、サービス・アズ・アクションでは、公的機関や企業、NPOなどから提供されたボランティアのプログラムを、生徒が自分たちで役割分担し、実施した。  IB校は圧倒的に私立が多いが、関田晃校長は、公立に導入する意義をこう語る。 「IBは非常に優れた教育プログラムです。公立なら経済的な負担も少なく、多くの生徒にチャンスが広がります」 (ライター・柿崎明子) ※AERA 2019年9月23日号より抜粋
AERA 2019/09/21 08:00
「50歳になるまでには」 40代女性のチャレンジ精神を下支えする意識とは
古谷ゆう子 古谷ゆう子
「50歳になるまでには」 40代女性のチャレンジ精神を下支えする意識とは
【親が勉強する姿を見せるチャンス!】48歳から大学院に入った女性。入学前も入学してからも図書館やカフェで、息子と猛勉強。「親が勉強している姿を見せることができるうえ、受験勉強にも伴走できました」(写真:本人提供) 自分時間を楽しむ5カ条(AERA 2019年9月16日号より)  公私ともに忙しい40代女性。そんな中、人生をさらに飛躍させようと「自分時間」に新しいことにチャレンジする人も多い。トレンド評論家の牛窪恵さんによると、40代女性の「自分時間」を求める動きには共通点があるという。AERA 2019年9月16日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  40代後半の大人女子たちが趣味や自分のための時間を積極的に持つようになった背景には何があるのか。世代・トレンド評論家で『なぜ女はメルカリに、男はヤフオクに惹かれるのか?』などの共著がある牛窪恵さんは言う。 「いまの40代半ば前後の女性たちは団塊世代の子どもに当たる団塊ジュニア世代。子どもの頃から一人部屋が与えられ、一人遊びに慣れている世代です。そのため、子どもがいてもいなくても、『一人の時間がほしい』と思う傾向がとても強いんです」  友達といても個別にゲームを楽しむ。一人になり音楽を聴く。昔からそうした楽しみ方をしてきたため、大人になっても自分の時間を大切にするのだという。  牛窪さんによると、団塊ジュニアは、男女平等の教育を受けている世代でもある。「夫の給料で○○させてもらう」という感覚は希薄で、家のなかに自分のテリトリーを持とうとする。自分の領域を決め、決められた空間でいかに楽しめるか、というのが共通するスタンスだ。 「消費に関しても、自分のテイストを大切にし、長く使えるものにお金を使う。安物買いは嫌いで、『質のいいものを使い倒そう』という考え方ですね」(牛窪さん)  新しいことにチャレンジしようとする女性たちを多く取材するなかで、牛窪さんが頻繁に耳にするフレーズがある。それは、「50歳になるまでには」という言葉だ。 「女性の場合、40代半ばから体力的な衰えを感じるようになることもあり、『このままぼーっと生きていると、新しいことにトライできなくなる』という意識も働くのかもしれません」(同)  牛窪さんによると、趣味や自分のための時間を大切にする女性たちのあいだで近年顕著に感じるものの一つがリカレント教育(学び直し)ブームだ。  ライター、プランナーとして働く女性(50)は、48歳のときに国立の大学院に入学し、今年3月に卒業した。執筆やプランニングの仕事をするなかで、「きちんと統計が取れるようになれば、もっと説得力のある記事を書くことができるのに」と日々漠然と感じていたことがきっかけだった。  当時、長女は高校2年生で1年間留学へ。長男は小学5年生。 「子育てが半分になったことも大きかった。実際に勉強を始めてみると、やはり子どもが幼いときは無理だっただろうな、と感じました」  前出の牛窪さんも、こう口にしていた。 「『何かに挑戦したいと思っても、子どもが幼いために物理的に難しい』と感じていた女性たちが、子どもから手が離れたことで実行に移すのも40代後半から50代の特徴です」  この女性は社会人入試を受ける前は1日最低6時間、最高で12時間、英語を中心に勉強した。やりたいことが明確だったから、楽しみながら頑張れたという。  大学時代はいかに授業をサボるかを考えていたが、勉強できるありがたみを感じた。そして子どもとの関係も変わった。 「長男は受験生だったこともあり、『一緒に勉強をしよう』と誘われるように。お互い“勉強仲間”のような感覚です」  今後は大学院で身につけた知識を武器に、さらに仕事でステップアップするつもりだ。  社会経験豊富な大人女子たちは、趣味や自分のための時間を“人生の小休憩”で終わらせない。心の充実感はそのまま、その後の人生のステップアップに繋がっていた。(ライター・古谷ゆう子) ※AERA 2019年9月16日号より抜粋
AERA 2019/09/15 16:00
五輪本番よりも面白い? 一発勝負“混戦のマラソン代表争い”
五輪本番よりも面白い? 一発勝負“混戦のマラソン代表争い”
写真左から大迫傑、設楽悠太、鈴木亜由子、福士加代子 (c)朝日新聞社 ※「AERAmookマラソングランドチャンピオンシップGUIDE」(朝日新聞出版)を元に作成しました  (週刊朝日2019年9月20日号より)  開幕まで1年を切った東京五輪の代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が9月15日、東京・明治神宮外苑発着の42.195キロで争われる。男子31人、女子12人が出場予定で、各上位2人が代表に内定する。夢舞台につながる一発勝負の見どころを紹介する。  代表選考はこれまで様々な騒動があったが、今回は順位がすべて。互いに牽制(けんせい)し合ってスローペースで進む展開が予想される。ペースメーカーがつかず、午前のスタートとはいえ残暑は厳しい。体力や精神力に加え、駆け引きを乗り越える対応力も求められる。  男子は「4強」を中心にレースが進みそうだ。  筆頭は、昨年10月の米シカゴ・マラソンで、2時間5分50秒の日本記録を樹立した大迫傑(ナイキ)。3月の東京マラソンは途中棄権に終わったが、「いい意味でMGCの予行演習ができた」と前向きだ。暑さ対策を兼ねて8月には米ダラスでのハーフマラソンに出場し、優勝した。風貌(ふうぼう)も変わり、髪を短く刈り込んで耳にはピアス。王者の表情には自信がみなぎる。  その大迫にライバル心を抱くのが、同学年の設楽悠太(ホンダ)だ。 「学生のころからずっと意識していた」  自身の日本記録を塗り替えられたことで、その思いは増した。7月には北海道で、双子の兄・啓太(日立物流)と東洋大時代以来となる合同合宿をした。啓太はMGCに出場しないが、「刺激をもらった。勝てる自信しかない」と強気だ。  成長著しい井上大仁(MHPS)は暑さに強い。高温多湿だった昨夏のジャカルタ・アジア大会で金メダル。保冷剤、ドリンク、冷やした帽子が入った冷却セットを用意して臨んだ。 「MGCでは、それのバージョンアップを考えている」  昨年の福岡国際で優勝した服部勇馬(トヨタ自動車)は、課題の「35キロ以降の落ち込み」を克服できるかが鍵を握る。自身4回目のマラソンとなった福岡国際では水分と糖質を補う2本の給水ボトルを交互に口にするなど工夫を凝らし、克服してみせた。 「福岡の時のような走りをしたい」  この4強を脅かす存在が、佐藤悠基(日清食品グループ)だ。東海大時代に箱根駅伝で3年連続して区間新記録をマークし、日本選手権1万メートルでは2011年から4連覇。スピードに絶対的な自信を持つだけに、体力を温存して終盤に持ち込めれば、勝機は十分にある。  MGCのコースで、選手たちがポイントに挙げるのが終盤の上り坂。四谷周辺を走る36~41キロは高低差最大30メートルの上り坂が続き、ここが勝敗を大きく左右しそうだ。  大学時代に箱根駅伝の5区を驚異的なスピードで駆け、「山の神」と呼ばれた今井正人(トヨタ自動車九州)と神野大地(セルソース)は、この上り坂を生かしたい。今井は男子のなかで2番目に年長の35歳。「まだまだやれるところを見せたい」と静かに燃えている。ケニアやエチオピアで合宿を繰り返す神野は「35キロ地点で10番手でも自分にはチャンスがある。終盤の坂でサヨナラ満塁ホームランを打ちたい」と大逆転プランを描く。  混戦模様の女子は、2時間22分台を2度マークした松田瑞生(ダイハツ)が軸になる。根っからの負けず嫌いで、日本選手権1万メートルで17年から2連覇するなど安定感と勝負強さが光る。鈴木亜由子(日本郵政グループ)は持ちタイムこそ2時間28分32秒で出場選手の中で最も遅いが、実力は折り紙付き。暑さも苦手にしない。  福士加代子(ワコール)は13年モスクワ世界選手権で銅メダルを獲得するなどキャリアは十分。37歳でのMGC出場は男女通じて最年長で、経験を生かした走りをしたい。ほかにも、初マラソンとなった3月の東京で日本選手トップになった22歳の一山麻緒(ワコール)、23歳にして5度のマラソンを経験する前田穂南(天満屋)、昨年の名古屋ウィメンズで活躍した23歳の関根花観(日本郵政グループ)、スピードが魅力で16年リオデジャネイロ五輪5000メートルに出場した23歳、上原美幸(第一生命グループ)と伸び盛りの若手にも注目だ。  日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは言う。 「ドキドキ、ワクワクで一瞬たりとも目が離せない。みなさんが感動するようなレースをしてくれるんじゃないでしょうか」  日の丸をかけた大一番。泣いても笑っても、恨みっこなしだ。(文/朝日新聞社スポーツ部・山口裕起) ※週刊朝日 2019年9月20日号
週刊朝日 2019/09/14 08:00
祝☆敬老の日!3世代で楽しめるおでかけスポット 〜関東編〜
祝☆敬老の日!3世代で楽しめるおでかけスポット 〜関東編〜
もうすぐ「敬老の日」。シニアの入場特典がある施設も多く、ご家族でおでかけするにも楽しい機会ですね。今回は、3世代で楽しめる関東の人気スポットを4つ、ご紹介します。ジブリ映画の世界に迷い込んだような古い建物、かわいい動物さんたちとの心癒すふれあい、未体験のびっくりお風呂、美味しい大粒ぶどう狩り…シニア世代も小さなお子さんもワクワク♪ まったりと楽しみたいカップルや女子旅にもおすすめですよ!記憶にあるような車内(江戸東京たてもの園) リアルな「ジブリ世界」をのぞいてみよう♪/江戸東京たてもの園(東京都小金井市) ■江戸東京たてもの園 都立小金井公園内にある、歴史的建造物を復元・保存・展示する野外博物館です。園内には、江戸時代から昭和中期までの文化的価値の高い復元建造物が建ち並び、建物の内部には生活民俗資料などが展示されています。建築好きの男性やインテリアにこだわる若者にも人気です。天井まで届く引き出しがある商家や銭湯、都電など、まるでジブリ映画『千と千尋の神隠し』の世界そのもの! また、茅葺き民家に伝統的な年中行事が再現されたりしています(9月10日~16日は「お月見飾り」)。さまざまな体験イベントも実施。「敬老の日」は、65歳以上の方は入園無料です。年齢を証明できるものをお持ちになって、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。 ■所在地:東京都小金井市桜町3-7-1 ■問い合わせ:042-388-3300 ■HP:https://www.tatemonoen.jp/ ■アクセス:JR中央線「武蔵小金井」駅よりバス 他 ※詳細は『江戸東京たてもの園』公式サイトをご参照ください 東京都のお出かけスポット天気※画像はイメージです 自然の中でかわいい動物さんたちとふれあおう♪/那須どうぶつ王国(栃木県那須郡) ■那須どうぶつ王国 「王国ファーム」「王国タウン」の2つのエリアで構成された、広大などうぶつテーマパークです。アルパカ・馬・ヒツジ・カピバラ・カンガルー・ペンギン・ハシビロコウ・ナマケモノ等々、人気者はもちろん、貴重で個性的なたくさんのどうぶつたちと出会えます。那須の大自然に広がる「王国ファーム」でおこなわれる、猛禽類や牧羊犬のショーは迫力満点! また、屋内施設中心の「王国タウン」は、雨の日でも安心です。どうぶつたちのパフォーマンスショーや餌やり体験など、驚くほど近くでどうぶつさんたちとふれあえますよ。施設内には、今年の夏に生まれたあかちゃんがいっぱい! 貴重なマヌルネコのこどもたちも公開中です。この時期だけの愛くるしさを、ぜひお見逃しなく。 ■所在地:栃木県那須郡那須町大島1042-1 ■問い合わせ:0287-77-1110 ■HP:https://www.nasu-oukoku.com/ ■アクセス:JR線「那須塩原」駅よりシャトルバス(予約制) 他 ※詳細は『那須どうぶつ王国』公式サイトをご参照ください 栃木県のお出かけスポット天気※画像はイメージです 超びっくりお風呂でワクワクしよう♪/箱根小涌園ユネッサン(神奈川県足柄下郡) ■箱根小涌園ユネッサン こどもも大人も楽しめる、箱根の温泉アミューズメントパークです。水着で遊べるエリアでは、屋外には温水の大型ウォータースライダーや展望露天風呂が! 屋内にはプールのように泳げる「神々のエーゲ海」を中心として、「ワイン風呂」「本格コーヒー風呂」「ドクターフィッシュの足湯」…等々、家庭ではなかなか実現できないユニークなお風呂が盛りだくさん! 秋限定で「紅茶」の優雅な香りに癒される至福のイベント風呂も登場しますよ。フォトジェニックな場所がいっぱいなので、いろんなお風呂でツヤツヤの記念撮影はいかがでしょうか。大人のかたは日本情緒たっぷりの「森の湯」も、ぜひ。宿泊してのんびり楽しむのもおすすめです。 ■所在地:神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1297 ■問い合わせ:0460-82-4126(受付時間/9:00〜20:00) ■HP:https://www.yunessun.com/ ■アクセス:小田急線「箱根湯本」駅よりバス 他 ※日帰り温泉「森の湯」および各更衣室での撮影は禁止です ※詳細は『箱根小涌園ユネッサン』公式サイトをご参照ください 神奈川県のお出かけスポット天気※画像はイメージです ぶどう狩りで秋を満喫しよう♪/みなかみフルーツランド モギトーレ(群馬県利根郡) ■みなかみフルーツランド モギトーレ 群馬県みなかみ町にある、広大なフルーツエンターテイメント施設です。楽しくフルーツ狩りや農業体験、手作り体験などができます。年間を通じてさまざまなフルーツが栽培され、季節ごとのフルーツ狩りが楽しめますよ。9月下旬頃までは、大粒ぶどうの旬! フルーツマルシェには、もぎたてのフルーツ・地元野菜はもちろん、農園で採れたフルーツを使ったジャムやジュースなどが並びます。テイクアウトできる自家製フルーツケーキは絶品。お子さんと「世界のりんご散歩道」や「噴水広場」で遊んだり、バーベキューもおすすめです。秋の味覚を満喫する一日を、ぜひご家族で楽しんでみては。 ■所在地:群馬県利根郡みなかみ町新巻5-10 ■問い合わせ:0278-64-2800 ■HP:https://www.mogitore.jp/ ■アクセス:JR上越新幹線「上毛高原」駅よりバス 他 ※詳細は『みなかみフルーツランド モギトーレ』公式サイトをご参照ください 群馬県のお出かけスポット天気 いかがでしたか? 「おでかけスポット天気」で、お近くの施設もぜひチェックしてみてくださいね! <注意事項> ■写真はイメージです ■営業日時・アクセス・料金など施設やイベントの詳細は、おでかけ前に公式サイトで最新の情報を必ずご確認ください※画像はイメージです
tenki.jp 2019/09/10 00:00
「のど自慢」出身のアニソン歌手は、水樹奈々と森口博子で絶滅するのか?
宝泉薫 宝泉薫
「のど自慢」出身のアニソン歌手は、水樹奈々と森口博子で絶滅するのか?
アニソンの歴史に名を刻むふたり。森口博子(左)と水樹奈々 (c)朝日新聞社  8月30日、秋に予定されていた香港公演の中止を発表した水樹奈々。現地デモの影響だが、ワールドワイドな活躍ぶりを改めて感じさせたニュースでもある。一方、その4日前にはこんなローカルっぽいツイートがバズっていた。彼女と同じ愛媛出身の一般男性がつぶやいたものだ。 「ずいぶん前に亡くなった婆ちゃんが存命中に『この前カラオケ好きの集まりに行った時に上手い女の子がおっての。会う度に上手くなっとるんじゃ。ナナちゃんは歌うの上手いんじゃ』って言うてたと家族内で話題に。その女の子が小さい頃の水樹奈々であったと知り、聞きに行きたかったと少し後悔」「家族と話していた時にこの話題が出て、両親が婆ちゃんから聞いた時(30年くらい前)にその女の子が『コンドウナナさん』という名前だったらしく、それで自分が『!?』となった次第です」  水樹の本名は「近藤奈々」で、子供の頃は演歌歌手を目指していた。地元ではのど自慢荒らしと呼ばれ、演歌のカセットも出している。芸能界入りのきっかけも地元ののど自慢で、その後、事務所の倒産や師匠によるセクハラといった苦難を乗り越え、声優兼アニメ歌手となった。やがて「紅白」に6年連続で出場するほど大成するわけだが、じつはこうした「のど自慢」出身の「アニソンの女王」は彼女だけではない。  たとえば、先日、ガンダムソング10曲をとりあげたアルバム「GUNDAM SONG COVERS」がオリコン2位を記録した森口博子。彼女は子供のころからアイドルに憧れ「ちびっこものまね紅白歌合戦」(テレビ東京)の常連だった。その後、スクールメイツでの活動を経て「勝ち抜き歌謡天国」(NHK)で優勝。その名人大会でも準優勝を果たす。コニー・フランシスの「ボーイハント」は絶品で、花村博美(本名)という少女の姿と声が今も目と耳に焼きついている。  これを機に、この番組で出会った平尾昌晃から「森口博子」という芸名をもらい「機動戦士Ζガンダム」の主題歌「水の星より愛をこめて」でデビュー。その後、数年くすぶったが、バラドルとして生き残り、今度は映画「機動戦士ガンダムF91」の主題歌「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」がヒットした。ここから「紅白」にも6年連続で出場するのである。  それゆえ、彼女は、 「節目、節目でガンダムが助けてくれた。歌い続けるパワーをもらった」(産経新聞)  と、語っている。そして、現在は「アニソン・デイズ」(BS11)の司会などで、アニメ界に恩返しもしているわけだ。小林幸子や藤井フミヤに自ら電話で出演交渉したり、アニソンと歌謡曲をつなぐような仕事は、彼女ならではだろう。 ■ともに堀越の芸能コース出身  さて、水樹と森口の共通点はほかにもある。どこよりも早くアニメ専門レーベルを設立したキングレコード所属であること。また、高校が堀越の芸能(現・トレイト)コースだったことだ。森口は荻野目洋子や井森美幸、武田久美子が同期、水樹はともさかりえや佐藤仁美、堂本剛が同期である。  が、最大のポイントはやはり「のど自慢」だろう。特にこのふたりは「ちびっこ」時代からなので、その影響は計り知れない。歌が大好きという無邪気な童心から始まって、芸能界の華やかさや、ときには大人の事情なども垣間見ながら、成長してきた。場慣れもするし、さまざまな歌に挑戦するから、幅広い音楽性も養われる。  そういえば最近、20年ぶりくらいに会った知人とアニソンの話になった。彼の知り合いが水樹の音楽チームにいて、ハードロックやヘビーメタルの要素をいち早くとりいれたひとりなのだという。  ちなみに、水樹は英国ロックの雄・オアシスの大ファンでもあり、彼女のサポートメンバーには北島健二や渡辺格、阿部薫といった実力派のミュージシャンがいる。たとえば北島は、長戸大幸がビーイングを設立した年にデビューさせた3人組バンド・WHYの一員だった(ほかふたりは、長戸の弟と織田哲郎)。水樹はいわば、演歌を土台にJポップ、海外のロックなどを融合させ、アニソンの新たな地平を切り開いたわけだ。  そして、忘れてはならないのが、水樹や森口の大先輩にあたる存在だ。こちらは元祖「アニソンの女王」というべき堀江美都子。彼女もまた「日清ちびっこのど自慢」(フジテレビ)から世に出て、小6でアニメ歌手になった。「キャンディ・キャンディ」の主題歌でブレイクし、声優もこなすようになり「ハローこちらミッチ放送局」などのラジオでも人気を博していく。アニメ畑の女性がアイドル化する先駆けのような人でもある。  2014年の「アニメロサマーライブ」では、衰え知らずの歌唱力とともに、57歳には見えない美脚も話題になった。ももいろクローバーZとコラボした「アクビ娘の歌」はこの年のアニサマでも有数の名演といえる。  なお、アニメ好きの少女でもあった森口は「キャンディ・キャンディ」を「人生のバイブル」と呼び、その理由をこう振り返っている。 「私は母子家庭で育ったんですけれども、母親が夜仕事に行く間はキャンディの頑張りで(略)夜の時間を乗り越えていけたという」(アニメイトタイムズ)  この「アニサマ」で、ももクロと世代を超えた共演をしていた堀江の姿は、まさに最近の森口とも重なるものだ。いずれは水樹も、その道を歩んでいくのだろう。 ■「のど自慢」的な文化がすたれつつある  では今後「のど自慢」と「アニソン」の関係はどうなっていくのか。  同じく14年の「NHKのど自慢」では、ゲストでもあった水樹の「DISCOTHEQUE」をうたった女子高生が優勝。ルックスもよく、ネットを騒がせた。その後、同一人物と噂される声優兼アニメ歌手がデビューし、活躍中だが「のど自慢」のことは公表されていない。  ちびっこ時代からの経験が活かされているという意味では、むしろ子役出身の悠木碧のような存在に注目すべきだろう。水樹と同世代の坂本真綾も似たケースだが、最近は「ちびっこのど自慢」的な文化がすたれつつあり、子役出身のほうに期待するほうがよさそうに思える。21世紀アニメの金字塔「魔法少女まどか☆マギカ」はヒロインの悠木なくして成立しない作品だし、エンディング曲のひとつ「またあした」は奇跡的な名曲だ。  実際、歌にも芝居にも自然体的なものが求められがちな今、ちびっこのど自慢的なスタイルは大げさで古くさく感じられるのかもしれない。しかし、それでも森口や水樹のような歌手が評価され、人気を博すのはそこにあるような芸能らしさが捨てがたいからではないか。そういえば、水樹は子供のころ、美空ひばりの名曲群を老人たちの前で歌って、その涙や笑顔に触れたことが原体験になっているという。 「時に、私の小さな手のひらに、お金を包んだ紙やティッシュがねじ込まれることもあった。いわゆる“おひねり”だ。子供ながらに、なんだかいいことをしている気分になったし、とてもうれしかった」(水樹奈々『深愛』より)  おそらく、芸能とは本来そういうものなのだろう。ふたりの女王は、いまやアニソンこそが芸能の王道であることを体現し、世に伝えているのだ。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。
dot. 2019/09/09 11:30
ビッグレース「秋のG1」を観に、競馬場へ行こう!
ビッグレース「秋のG1」を観に、競馬場へ行こう!
まだまだ暑さを感じる時期ですが、暑さがつらいのは人間だけではありません。寒さに強い動物もたくさんいますが、私たちの身近にいる動物の多くが、暑さに耐えています。 暑い夏が過ぎるのを待ち、秋に最大限の力を発揮しようとするのが競馬の競走馬です。やはり馬も暑さは苦手ですから、夏の間、強い馬は休養に入ります。その間、「G1」と呼ばれるもっともグレードが高いレースは開催されません。そのため、秋は競馬ファンにとって待ちに待った季節ともいえるわけです。そんな“秋競馬”の魅力とは?馬と騎手が一体となって疾走する大迫力のゴール前 秋のG1って、どんなレース? 競馬はよくわからない人にとっては、全国の競馬場でいろいろなレースをやっているけど何が違うの?と思われることでしょう。 陸上競技の「100m走」のようにわかりやすければよいのですが、競馬の場合は各レースに賞の名前がつきますし、そのレース名を一見しただけでは、どんなレースかよくわかりません。 そこで、まず基本的なこととして、「秋のG1」の「G1」は、「グレードワン(Grade1)」の略であり、重賞とも呼ばれることを理解しましょう。 そんな「G1」レースは、一年間でわずか24レース開催しか開催されない狭き門ですが、JRA(日本中央競馬会)の競馬には「格」があり、その順序は次のようになっています。 【オープン入り前】 新馬 ➡ 未勝利 ➡ 1勝クラス〈500万円以下〉➡ 2勝クラス〈1000万円以下〉 ➡3勝クラス〈1600万円以下〉 【オープン入り後】 オープン入り ➡ オープン特別 ➡ リステッド ➡ GⅢ ➡ GⅡ ➡ GⅠ 1年で約7000頭のサラブレッドが生産される中、「G1」に出走できる馬はそのうちのごくごくわずか。まさに「G1」は競馬の頂点であり、最高の晴れ舞台なのです。地方、中央……。コースにもそれぞれ特徴があります 超一流が集まるドリームレースとは? 同じ秋のG1レースでも、開催場所、出走条件、距離といったところが主な違いとなります。 例えば、秋のG1の皮切りとなる「スプリンターズステークス」は、中山競馬場、サラブレッド系3歳以上、芝1200mという条件で行われます。これはいわば「スプリント王決定戦」といったもの。陸上でいう100mのようなスピード感に満ちたレースなのです。 さらに、年齢制限のあるレースも競馬ならではです。 例えば「秋華賞」は、牝馬(メス)3歳限定のレース。馬の3歳は人間に換算すると17歳くらいの感覚なのだとか。つまり秋華賞は「将来有望な期待若手女子」が登場するレースということになります。このように、それぞれのレースの違いを知るとおもしろいですよね。 また、数ある秋のG1の中でも、特に注目のレースを紹介しましょう。 まずひとつめが「天皇賞」です。賞の名前からしてその格式の高さがうかがえますが、天皇賞には春と秋があり、春は長距離、秋は中距離という違いがあります。 なんといっても天皇賞のすごさは、超トップクラスの馬が集まること。芝2000mという中距離で行われることから、力のある馬が出やすいレースともいわれます。 世界の馬が最高賞金を狙う さらに秋のG1でもうひとつ注目のレースが「ジャパンカップ」です。 「ジャパン」の名前がつくくらいですから、世界のトップクラスの馬が日本に集結します。つまり、国際大会であり、世界トップクラスの馬が競い合う高レベルのレースなのです。 かつては、海外の馬がとても強く、日本の馬が勝てない時期もありました。ところが、2006年以降は日本の馬が優勝を続けており、ホームでしっかりと力を発揮しています。 そして何といっても、このレース最大の特徴は賞金にあります。なんと、優勝(1着)賞金の額は3億円! さすが国際大会だけありますね。こうした点から、日本最高賞金額のレースのひとつとして、ファン注目のレースに位置づけられています。 ── それぞれ特徴のあるG1レース。レースのこと、馬のことについて理解を深めると、より競馬の魅力がわかることでしょう。競馬場に行ったことのない人も、美しい馬の走りを見に、ぜひ一度行ってみてはいかがでしょう。出走前の馬の様子をチェックするパドック
tenki.jp 2019/09/07 00:00
瀬戸内寂聴「このまま百まで生きたらどうしよう」
瀬戸内寂聴「このまま百まで生きたらどうしよう」
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「90年、80年生きた物語にこそ価値」  セトウチさん  往復書簡三便目です。さて、二人の長い交友関係なので、色んな話をと思うのですが、何から話していいのやら、ゴルフに行った話も屋島に行った時のことや、インド旅行のこと、後楽園のロックコンサートを観に行った日のこと、天台寺のことなど、まあ徐々に思い出す話をしたいと思いますが、編集部からは時事的な話も、という注文もありますが、いかにも週刊誌的な発想ですね。時事的な話は花火みたいなもので、パッと、ひと時は関心を持たれるが、われわれの往復書簡でのテーマではなさそーな気がしませんか。新聞やテレビは毎日のように時事問題を取り上げていて、普遍的なものは何もないように思います。  ここでは、むしろ90年、80年生きた人間の物語の時間、そして空間こそ価値あるもののように思います。この企画の発注者はジャーナリズムですから、日々移りゆく時勢への関心は当然だと思います。われわれ老境にある人間は、生とか死についてが現実で、二人がどう思っているか、それは何なのか、われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか、というような、過去、現在、未来へと続く、この中での今という一瞬の生き方こそが重要ではないかと思うのですが、セトウチさんはどう思われますか。 「時事的な話を織り込む」ことは、得意ではないですが、しようと思えばできなくはないですが、話の賞味期限は非常に短いと思います。それよりも文学や芸術を二人の体験を通して語ることの方が、「生きてきた」または、あと残されたそう長くない時間をどう「生きるか」または、どう「死と向き合うか」というような話の方が、世の中のことを考える以前に考えなきゃいけないテーマではないでしょうか。  われわれは世の中のために生きる以前に、自分のために如何(いか)に生きるかをもっと腰を据えて考える必要があります。どうもわれわれは世間の風潮に振り回されて、自分を見失っているところがあると思います。こんなことを書いている僕自身がすでに時事的なことを語っているような気がしないでもないです。現代社会を語ろうとする時、不思議と気分が滅入(めい)ってしまいます。人間として生まれてきた以上、楽しく生きたいと思うじゃないですか。その楽しみを奪(うば)おうとするのはいつも不穏な社会的情況です。  セトウチさん、このへんでパッと明るく、暗い世間から離れて、面白い話をして下さい。文学も芸術も、ある意味で現実からの逃避のために存在しているものだと思います。またいつか、セトウチさんも、しましょうよ、とおっしゃっていた死後の話などもうんと楽しくできるはずです。死は生き物全てが避けられない事実です。この事実を語り合うということは、われわれのテーマかも知れませんよ。  さて、そちら京都は暑いんじゃないでしょうか。祇園祭の見物にいった時は熱中症寸前でした。僕は熱中症に三度ばかりなって病院で点滴を受けました。今年はまだなっていません。同じ暑いなら、もっと熱い温泉に行くつもりです。北朝鮮ではないですよ。そーいえばセトウチさんと城崎温泉へ行きましたね。そんな話でも如何ですか。 ■瀬戸内寂聴「このまま百まで生きたらどうしよう」  ヨコオさん  おっしゃる通り、時事的な出来事は、たちまち、時の流れに巻きこまれ、時勢から、また、吾々の記憶から去ってしまいます。どんな記憶も、体験した当人が死んでしまえば残りません。  戦争も天災も、過ぎてしまえば、時事的な出来事となります。ただ、それを味(あじわ)った人々が生き残れば、その人たちの記憶が語りつぐため、歴史となって残るようです。  あの長い戦争の生き残りが、私であり、ヨコオさん、あなたです。戦場に早く征かせる目的で、当時学生たちは卒業を半年早め、九月に卒業させられ、男の大学生たちは、戦場につれて行かれました。女の学生だった私は半年早くなった婚約者との結婚をして、男の仕事場の北京へ行きました。女子大の卒業式にも出なかったのを悔いもしていませんでした。  北京で女の子を産んだことも、夫に出征されたことも、最終の日本人の引きあげの、またとない経験の記憶も、今からふりかえれば、すべて時事的な出来事といえます。  いつの間にか、満九十七歳にもなってしまい、一向に死にそうにない毎日を送り、このまま百まで生きたらどうしようと、いささかあわてている毎日です。  小学生に上る直前、わが家は引越をして、眉山のすぐ下の町へ棲(す)みました。その町内に大きな風呂屋があり、うちの棺桶(かんおけ)のような風呂より、ずっと気持がいいので、私は毎日その風呂屋へひとりで通っていました。壁には富士山のタイル絵があり、湯舟は、子供の私が泳げるほど広いのです。あんまり人の入らない明るい午后に行くと、ほとんど客はまだなくて、広い風呂場を独占しているような壮快な気分になりました。ところが時々、その時間にひとりで入りにくるお婆さんに逢います。わが家に年寄はいなかったので、おばあさんの裸など、私には間近に見るのは、はじめてでした。私の入っている目の前の湯舟のタイルのふちをまたいで入ってくるおばあさんの裸は、信じられないほど皺(しわ)だらけです。落ちないように湯舟のふちにしがみついて、短い脚を、私の顔のまん前で思いきり上げて湯に入るので、汚い股のしょぼしょぼの毛までまる見えです。「よっこらしょ」と、口にだすので、その人物が生きている人間だとは思いますが、いつか、私や、姉や、母がそうなるとは、どうしても思えませんでした。  宇野千代さんは、八十過ぎでも、裸の躰(からだ)で風呂場の鏡の中に、ヴィーナスの様に生れた時の姿を映して、その美しさにうっとりされたと書いていらっしゃいました。私も一、二度、その真似をしてみたことがありますが、こっけいなだけで、独りふきだしたものでした。  ヨコオさん! いつかいっしょにインドに行った時、どこかの海岸で、黒い木綿の学生用の海水着を着た私が、坊主頭に日本手拭いをまいて、海へ走りだしたら、背後の砂場で、Iちゃんと二人で、ころげまわって笑っていましたね、たしか私はまだ五十代で、ピチピチしていた筈なんだけど。イギリス人の別荘のたくさんあるすてきな海岸でしたね。落ちていた椰子(やし)の実の美味しかったこと! ああ、もう二度と行かれないインドの旅、なつかしいなあ! では、またね、ごきげんよう!! 寂聴 ※週刊朝日  2019年9月6日号
週刊朝日 2019/09/01 07:00
【現代の肖像】Bリーグ・チェアマン、大河正明 56歳で決意した静かな勝負  <AERA連載>
【現代の肖像】Bリーグ・チェアマン、大河正明 56歳で決意した静かな勝負 <AERA連載>
年間80試合以上観戦する。「現場100回」。銀行員時代、苦手だった上司から学んだ(撮影/大野洋介) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  5月のチャンピオンシップでは、アルバルク東京が優勝を決め、千葉ジェッツの富樫勇樹がリーグ戦のMVPに選ばれた。年々盛り上がりを増すプロバスケットボールのBリーグ。しかし、リーグ分裂のため、国際資格停止処分が下されたこともあった。 Bリーグとして土台をつくった川淵三郎の後を受け、大河正明が確実に成長させていく。リーグも人生も、これからだ。  空気がふわっと1センチ浮いた。赤いTシャツを着た群衆が一斉に立ち上がっている。拳を突き上げた赤いかたまりの間から湧き上がった歓声が炸裂し、空気が振動した。  Bリーグ第3期チャンピオンシップの優勝が決まった。アルバルク東京が千葉ジェッツを4点差で下し、日本一の座を守った。昨年に続き2度目の顔合わせである。熱狂的な地元ファンに支えられて、18チームが540試合を戦い、残った上位8チームによるトーナメントを勝ち上がった。5月11日、横浜アリーナ。ゴールドの紙吹雪が舞い、チェアマン大河正明がキャプテンにティファニー製のトロフィーを手渡した。  音楽、チアリーディング、MC、映像が異空間を演出する。1万3千席のチケットは発売20分で完売。チケット売上額は約1億円に上る。  スポーツ関連事業、中でも「観戦」ビジネスはまだ日本に習慣づいていない。これからの成長分野だ。リーグ発足後わずか3年で、Bリーグとクラブチーム、そして日本バスケットボール協会の合計売り上げは270億円に届こうとしている。2026年には500億円を目指す。  この日、韓国のプロバスケットボールリーグKBLとの連携に向けた調印式と会見が行われた。 「昭和はプロ野球の時代、平成はJリーグの時代でした。そして令和はBリーグの時代です」  大河の口調は静かだが自信に満ちていた。翌朝のニュース番組では、我々はうかうかしていられないと、プロ野球解説者から本音がこぼれた。 ●地元が負けても楽しい場所にすること  国際バスケットボール連盟(FIBA)は、加盟国に国内のプロリーグは複数あってはならないと定めている。しかし、日本では日本バスケットボール協会の影響下にあるNBLと、独立系のbjリーグに10年以上分裂。FIBAは勧告の末、14年、日本バスケットボール協会に国際資格停止処分を下した。前後してFIBAがJリーグ初代チェアマン川淵三郎(82)に状況の打開を依頼。川淵が大鉈をふるい、Bリーグを発足した。そして川淵が後継者として第2代チェアマンに指名したのが大河だ。京都大学法学部卒、元銀行マン、前職はJリーグ常務理事、60歳。 「アリーナはサッカーの競技場に比べて規模がコンパクトで街の中につくれます。バスケットボール以外にもライブやイベントなど需要もある。バスケットボールは音楽やファッションとの親和性が高い。地元チームが負けても、来て楽しかったと言ってもらえる場所にすることが大事です」  大河はビジネスモデルを簡潔に説明していく。オレンジ色のスプリングセーターはポーカーフェイスの雰囲気を和らげているものの、数字に冷徹な最高財務責任者(CFO)のようにも見える。 トレーニング中もほとんど表情を変えない大河が苦しさに顔を歪めた。腹が立っても他人に悟らせない。唯一Jリーグ時代からの秘書・岡島正実は「機嫌が悪いと口を利かなくなる」のでわかる(撮影/大野洋介)  BリーグはトップリーグB1の18チーム、続くB2の18チーム、そしてB3の10チームからなる。地域密着を基本とし、B1は自治体などとの連携により5千人以上、B2は3千人以上収容できるホームアリーナを確保することが求められる。債務超過や3期連続で赤字となるなど経営状況によっては下部リーグへの降格や参加停止になる。大河はこれらのクラブライセンス制度をはじめ、Bリーグの枠組みをつくった。昨年度はB1では千葉ジェッツをトップに6クラブが営業収入10億円を超えた。150もの企業がサポートするクラブもある。  1993年に誕生したJリーグは、地域密着を土台とするプロスポーツビジネスのイノベーションだった。約20年遅れで誕生したBリーグは、アリーナスポーツとしてJリーグとは異なる市場を切り拓こうとしているという話である。  4月6日、大河は、茨城ロボッツの新設ホームアリーナ、アダストリアみとアリーナを訪れていた。群馬クレインサンダーズを迎えてこけら落としの試合が始まろうとしている。アリーナは水戸駅から繁華街を抜けてタクシーで10分の好立地に5千人を収容する。水戸市では中心市街地の人口空洞化が課題だ。街に活気を取り戻すための新しい活動の中心にいるのが水戸出身の茨城ロボッツオーナー堀義人(57)だ。グロービス創業者でもある堀が笑顔で大河と握手をし、大きな目を見開いた。 「Bリーグはふるさと水戸を元気に盛り上げるために最適なコンテンツです」 ●論拠を説明しながら辛抱強く意見を聞く  MCの軽快なリードでチアリーダーが選手を迎え、ティップオフ(試合開始)。試合中も大河は客の動線や空間演出をチェックし、スマホのアプリで他会場の試合経過を確認している。  夜8時、試合終了。カメラマンと私がタクシーに乗り込むと、年配の運転手が最近は海岸沿いのひたち海浜公園に賑わいをとられていたのだと言い、「こんなに大勢のお客さん、久しぶりだねえ。もう、網をかけてしとめたいね」と破顔した。  バスケットボール界の再出発にあたり、NBLとbjリーグのチームはリーグに退会届を出してBリーグに入会する手続きを踏んだ。だが、Bリーグはすんなり受け入れられたわけではない。  山形ワイヴァンズ社長の吉村和文(59)は、クラブオーナーたちの間にはクラブライセンス制度への反発があったという。 「いきなりそんな大きな数字を突きつけるなんて、無理難題言わないでくださいよ、という気持ち、ありましたよね」  吉村はソファから大きな体を乗り出した。 「でもね、大河さんは丁寧に説明して、納得するまでつき合ってくれました。クラブオーナーたちと議論が紛糾したり、失礼な発言が出たりしても感情的にならない。ものすごく我慢強い人」  吉村は山形市を拠点にケーブルテレビ会社、映画館など複数の企業を経営している。山形ワイヴァンズだけに注力はできず、ともすればクラブの経営状況は中途半端になりがちだった。だが、大河は、エンターテインメント性の高いBリーグと吉村の事業はうまくかけ合わせればシナジー効果が生まれる、そのためには経営と事業執行を切り分ける必要があると考えていた。ある日、吉村は大河からショートメッセージを受け取った。 「Bリーグの経営は片手間でできるものではないということが書かれていました。日頃とは違う改まったメッセージにドキッとしました」 ワールドカップ出場決定、オリンピック開催国枠決定と、バスケットボール界には追い風が吹く。2026年には1万~1万5千人規模のアリーナが10カ所はできていることを想定している(撮影/大野洋介)  カンフル剤を打ち込まれた吉村は、取締役会でクラブチーム経営に関するサポートを頼んだ。それを受けて社員たちがチケット販売やスポンサー獲得により一層動いた結果、翌年の売り上げは前年度の2倍近くに伸びた。  三菱財団常務理事の渡邉肇(63)は、三菱銀行(当時)で大河の3期先輩だ。新卒で二つの支店を回った大河が31歳で異動した本店企画部の上司だった。企画部は経営陣の直轄部である。銀行の経営に関わる調査を行い、幹部に提案をする。長期的な視点に立って、論理的に裏付けた提案が求められる。企画部には立場にかかわらず議論するリベラルな風土があった。平成に足を踏み入れた当時、大河は渡邉のもと予算グループというセクションで銀行業務の原価管理を担当していた。ひとつひとつの業務をコスト試算したのは、1989年に三菱銀行がニューヨーク証券取引所に上場したため、アメリカ流のコスト管理を導入したという背景がある。国内の都市銀行では新しい取り組みだったと渡邉は話した。 「いわゆる頭のいい人はたくさんいますが、その中でも彼は論理に優れていました。ただ、それだけではない。我々は現場に新しい方針や施策を提案します。相手によっては、否定された、と思われることもある。彼は論拠を説明しながら同時に相手の意見を辛抱強く聞く人でした。論理と共感性の二つにおいて彼に助けられました」  自ら考え、論理を組み立てる習慣は、京都の洛星中高バスケットボール部に始まっている。カトリックの進学校で校風はリベラル、体育会系の圧力は皆無。顧問の国語教師は競技経験がないため、アメリカから指導書を取り寄せ研究するような人だった。おのずと生徒同士でも戦術を考えることになる。その結果、中3の夏に全国大会で準決勝まで勝ち進んだ。  本店企画部勤務のあと、95年、大河は発足3年目のJリーグに総務部長として出向し、川淵と出会った。ベンチャービジネスに飛び込み、川淵の強烈なリーダーシップを間近に見た。  40代で関東圏の支店長になると、顧客に資産や家族の状況に合わせた運用を提案するコンサル型営業を推進し、鎌倉支店長、町田支店長を務めたときは好成績で表彰を受けた。  外資系コンサルの提案で、本店企画部が拠点支店の支店長に周辺支店の営業行員の人事権を掌握させる制度を導入したときのことである。人事権と営業管理が一致しない制度は現場に合わない。大河が異論を唱えたところ、逆に制度を普及させよと企画部に呼び戻されてしまった。だが大河は2年ほどかけて説得し、制度は廃止となった。 ●30歳のある真夜中に突然心臓に激痛が走る  巨大組織を器用に泳ぐタイプではないが、退職時の肩書は理事。役員になる直前のポストらしい。  ところが。 「本人はずいぶんと我慢をしたはずです」  京大法学部の同級生でJXTGホールディングス取締役の加藤仁(61)はこう慮った。加藤が指摘したのは、大河の病気である。  30歳のある真夜中、心臓を金づちで殴られるような激しい痛みが30分ほど続き、脂汗が流れ、手足は氷のように冷たくなった。死ぬかもしれないと思った。心臓冠動脈が痙攣する異型狭心症だった。ときを選ばず症状は起きる。重要な会議に出られなかった際、ある上司は「病気のヤツは要らない」と言い捨てた。  大河に病気の影を感じた記憶はないと渡邉は言うが、人知れず45歳まで続いていた。加藤は仕事帰りに一緒に飲んだとき、「俺、こんなん持ち歩いてるんや」と、大河が胸ポケットから薬の小びんを取り出したことが忘れられない。 3月、スカイマークの機体をBリーグのロゴと「スラムダンク」作者・井上雄彦のイラストで飾るBリーグジェットの披露会見。スカイマーク会長・佐山展生は「昨年9月に初めて観戦して伸びると直感した」(撮影/大野洋介) 「悔しいんやなあ。我慢してるんやなあ。そう思いました。本人は決してそうは言いませんが」  銀行員は50代に入ると人事部から紹介された関連会社に出向し、定年を迎える。だが大河は52歳で自ら行き先を決めた。Jリーグ事務局長だった佐々木一樹(67)が大河を誘った。 「Jリーグの経営基盤を整えたのは彼です。Jリーグはもう一度彼を必要としていました」  2010年、開幕17年が過ぎたJリーグでは経営に問題のあるチームが半数近くあった。リーマン・ショックで日本経済が打撃を受けており、クラブチームの経営健全化は待ったなしだった。大河は、3期連続の赤字または、債務超過にならないことを資格要件に含むクラブライセンス制度を設計した。  Jリーグマーケティング代表取締役社長の窪田慎二(49)は、この時期、大河の部下だった。 「大河さんとクラブチームに説明に回りましたが、なかなか理解されませんでした。でも、大河さんに説得されたクラブチームが渋々スポンサーや株主に説明すると、そんなの当たり前だろうと。企業論理からすれば、赤字の経営なんてあり得ない」  クラブライセンス制度導入後、多くのクラブチームは経営状況が好転した。個々のクラブチームの経営内容が良くなると、Jリーグの価値は高まる。15年からは明治安田生命とJリーグの間にスポンサー契約(契約額は非公表)が実現した。  川淵がFIBAからバスケットボール界の整理を依頼されたのは、クラブライセンス制度の導入が一段落する頃だ。川淵の指示で大河は組織づくりのスケッチを描いたが、FIBAから指定された半年後の期限までに間に合うとは到底思えないほど、状況は混乱していた。  一方、川淵は心労で血圧が200を振り切るほどに上昇していた。誰かに後を任せたいものの、人選は難航。10人ほど後継候補と会ったが託せる人物に巡り合えない。  ある日、大河が川淵の執務室に顔を見せた。 「お手伝いできることがありますかって、言うんだよ。それも学生の頃にバスケットボールやっていたって言うじゃない?  経営実務は僕より優れてる。ああ、待ちびとが向こうから来てくれた、運がいいなあ、って思ったよね」  現場となった執務室で、川淵が笑顔になった。  大河は56歳、Jリーグ常務理事だった。だが、仕事人生でまだ力を出し尽くしていない、そんな思いがあったのか。荒野だったバスケットボール界に向かって静かな勝負に出た。  自分からポジションを取りに行くよりは、声がかかるのを待つタイプ。現場で率先して働き、成果を正当に評価されたい。部下に担がれる上司を嫌悪し正攻法でやってきた。どちらかといえば控えめだ。大河の性格を川淵は十分承知している。 「力を発揮したいという思い、本人にあったろうと思うよ。それでなかったら、僕のところにこないだろう?」 ●何万人もの人を感動に自身も奮い立たせられる  アリーナを中心に街が活気づく。試合のない日こそアリーナ周辺の街が元気でなくてはならない。たとえば最寄り駅とアリーナを結ぶ自動運転のモビリティーを整備すれば、街の快適性は上がり人が集まる。テクノロジーとの融合は投資対象としても事業価値を高める。  強さを追求するB1、地域に根づくB2。リーグごとに存在の意義は違っていていい。弱くても愛される、それこそが、目指す地域密着のプロスポーツのありようだ。何よりスポーツの社会的地位を向上させたいという思いがある。その原風景はJリーグにある――。  そんな話を大河から聞いたのは、チャンピオンシップの前日だった。リハーサルが行われている横浜アリーナの控室である。 被写体でありながら取材者をジッと観察するマンウォッチャー。取材終盤、リハーサル中の横浜アリーナでカメラマンがついに会心の笑顔をとらえた(撮影/大野洋介)  心臓病の気がかりを抱えて出向したJリーグで、試合に打ち込む選手の姿に心を震わせる観客を見た。大河自身、奮い立たせられた試合もあった。何万人もの心を揺さぶる仕事に関わる幸福感を味わった。  病気で抱えた悔しさや挫折感は、大河に弱い立場を察する目線を与えた。いつも心は平坦に見える。そう私が感想を伝えると、仏教系の小学校とカトリックの中高の12年間、宗教がそばにあったからではと、大河は自己分析した。信仰があるわけではないが、仏教もカトリックも「赦す」ということを教えてくれたと振り返った。  だが若かった頃、幼い長男に厳しく接したことには今も後悔がある。そこには子育てに悩んだ等身大の父親の横顔があった。Jリーグに転職を決めたときには、高校生だった末っ子の娘は人生の試練にあった。バスケット界に移るとき背中を押したのは社会人1年目の次男だった。試合で元気がもらえると言う娘を、時折試合に同伴する。 「人間の心はいくつになっても成長するんだよね」  3人の子どもの成長と、仕事に打ち込む父の充実感は、重なっているようだ。  プロスポーツやスポーツビジネスが子どもたちの憧れの職業になることを願う。 「そのためには、選手の報酬やセカンドキャリアについての策が必要。Bリーグやクラブチームで働く人たちの待遇も魅力的にしていかないと」  人生の放物線のピークはまだ訪れない。  (文中敬称略) ■大河正明(おおかわ・まさあき) 1958年/京都市生まれ。父は繊維会社の経理、母は専業主婦。5歳下に妹。幼稚園の頃は親分タイプのガキ大将。幼稚園の先生に、公立小では力を持て余すからと勧められ、私立京都女子大附属小に進学。 71年/カトリックの私立洛星中学高校入学。校風はリベラル。バスケットボール部に入部。ポジションはスモールフォワード。 77年/京都大学法学部入学。アルバイトして買った中古の黄色いセリカで、大学の友人と日本中を旅した。 81年/三菱銀行入行。京都から東京へ移り住んだ。初任地日暮里支店で中小企業を担当。 85年/京橋支店で大手上場企業を担当。この頃、プラザ合意により急激な円高に。 90年/本店企画部に異動。予算グループ配属。銀行経営の中枢に近い部署で、経営の本質を学んだ時期。心臓冠動脈異型狭心症を発症。以後45歳まで病気とのつき合いが続いた。 95年/Jリーグに総務部長として出向。30人ほどの組織にメーカー、エネルギー会社などさまざまな組織から出向者が集まり、企業ごとのカラーがよく見える環境だった。 97年/銀行に戻る。巣鴨支店副支店長。 2000年/海老名支店長。銀行がリテール営業に注力する方針を打ち出す。個人客向けに遺言提案や住宅ローンマーケットを開発。のちにFP技能士1級の試験に合格。 02年/本店リテール営業部次長。 04年/同部副部長。 06年/地区担当部長。 07年/鎌倉支店に支店長として赴任。最も成績のよい「総代店」として表彰を受けた。 08年/リーマン・ショック。 09年/町田支店に支店長として赴任。「総代店」表彰。 10年/銀行を退職、Jリーグへ転職。 理事を経て14年常務理事。 15年/日本バスケットボール協会へ。専務理事・事務総長に。B.LEAGUEチェアマン就任。 ■三宅玲子 1967年生まれ。本欄ではプロ経営者・松本晃、高岡浩三(ネスレ社長)、佐山展生(インテグラル社長・スカイマーク会長)に続き、経営者の執筆は4人目。 ※AERA 2019年6月3日号 ※本記事のURLは「AERA 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AERA 2019/08/29 15:08
8月29日「ベルばら」の日は、お姫様気分の映画はいかがですか?
8月29日「ベルばら」の日は、お姫様気分の映画はいかがですか?
漫画家・池田理代子さんの大ヒット作品「ベルサイユのばら」。漫画やアニメ、又宝塚の演目として、昭和生まれ(!?)の女子ならば一度はハマった経験があるのではないでしょうか。フランス王朝、ルイ16世のお妃としてオーストリアからお嫁入りしたマリー・アントワネット、彼女の侍従・男装の麗人オスカル、スウェーデンの貴公子フェルゼンの3人の恋模様を中心に描かれる物語です。少女時代誰でも憧れる、お姫様、豪華絢爛な宮殿の生活、かっこいい王子様…たちまち少女たちの心を鷲掴みにし大ヒットした「ベルばら」。かく言う筆者もマンガ本・テレビアニメに夢中になりました。1974年の8月29日、宝塚劇場で「ベルサイユのばら」が初演されたのを記念し制定された「ベルばら」の日。夏休みの終わり、当時きっとたくさんの少女たちが劇場に詰めかけ、夏休み最後の思い出を作ったのでないでしょうか。 今年の夏休みも残り僅か、お天気も秋の気配を感じる日が少しづつ増えてきました。夏の思い出作りに、ベルばらの日の今日はお姫様気分の映画を観るのはいかがですか?贅の限りを尽くしたベルサイユ宮殿で繰り広げられる物語に少女たちは夢中になりました ソフィア・コッポラ監督作「マリー・アントワネット」 巨匠、フランシス・F・コッポラの娘、ソフィア・コッポラの監督作、2006年公開のアメリカ映画「マリー・アントワネット」。史実を元に描かれてはいますが、14歳の若さでフランスに嫁いだアントワネットの豪華絢爛なライフスタイルがカラフルな映像美で描かれ、伝記映画と言うよりは、おしゃれな青春映画で、公開当時は賛否両論が巻き起こりました。筆者はロードショウで観ましたが、当時ファッション界のアイコンでもあった、ソフィア・コッポラのセンスあふれる世界観が存分に発揮され、衣装やインテリア、音楽全てがポップでおしゃれ、まるで豪華なファッション雑誌をめくるような気分で観たのを覚えています。主人公アントワネットを演じた、ファッションモデル顔負けのスリムでスタイル抜群のキルスティン・ダンストも当時おしゃれセレブとして大人気でした。次から次へと豪華なドレスをまとい、観客をお姫様気分にしてくれました。ドレスだけでなく靴やお菓子にもこだわり抜いたソフィア・コッポラ。公開当時、そんな小道具もよくファッション雑誌で特集が組まれていました。ライトな感覚で楽しめる伝記映画として、夏の疲れが溜まるこの時期、おすすめの一本です。映画に登場し話題になったマカロン。映画ではフランスの老舗高級スィーツ店「ラデュレ」が手がけた事でも話題になりました アカデミー賞作品「女王陛下のお気に入り」 こちらはフランス王朝ではありませんが、イギリスのアン女王とその女王を取り巻く側近や侍女たちの人間模様を描いた2018年公開の映画です。今年開催された第91回アカデミー賞では多くの部門でノミネートされ、アン女王を演じたオリヴィア・コールマンが見事主演女優賞のオスカーを手にしました。 共にオスカー女優のエマ・ストーン(2016年主演女優賞)とレイチェル・ワイズ(2005年助演女優賞)、と豪華な女優陣が脇を固め、アン女王の寵愛を巡って繰り広げられる身もフタもない攻防は、少女マンガのような展開で時にはコミカルに描かれ観客たちの心をつかみ、アカデミー賞でも大注目の作品でした。イギリス版「大奥」と評する人も。アン女王は、マリー・アントワネットととは違い華やかさには少々欠けていましたが、まわりの人々を振り回す「お姫様っぷり」は中々だったようです。 ヨーロッパ中世の女王を描いた映画は、もうそれだけで女性たちの「お姫様気分」を盛り上げてくれますが、この作品はそれに加え、主要キャスト3人の女優たちの高い演技力も見所だそう。どっしり腰を据えて映画観賞、という日はこの一本もいいですね。筆者も未見なので今度の休日に観てみようと思います。アン女王像
tenki.jp 2019/08/29 00:00
英語民間試験「中止」「延期」が9割 高校生が直訴する異常事態
英語民間試験「中止」「延期」が9割 高校生が直訴する異常事態
2020年度、大学入試はセンター試験から大学入学共通テストに変わる。その制度設計に不安の声が多くあがっている (c)朝日新聞社 「英語民間検定試験」2020年度実施概要(AERA 2019年9月2日号より) 「英語の民間試験」の実施、どう思う?(AERA 2019年9月2日号より) 何が問題なのか?(AERA 2019年9月2日号より)  2020年度からの大学入学共通テストに「中止」「延期」を求める切実な訴えが相次いでいる。異例の抗議と混乱が続くなか、文科省は実施を強行する構えだ。 *  *  * 「高校生です。当事者不在の議論に疑問を感じます。高校生の生の意見を、文科省のトップや幹部に伝えてください」  こう訴えたのは、都内の私立高校2年の男子生徒(17)だった。8月1日、東京都港区の日本学術会議講堂で開かれた、高校の国語教育をめぐるシンポジウム。大学教授らと、学校教育に指導や助言を行う文部科学省の視学官らが登壇し、2018年3月に告示された新学習指導要領をめぐって討論が行われた。冒頭の発言が飛び出したのは、会の終盤、質疑応答に入った時だ。男子生徒の視線は壇上の文科省の視学官に向かっていた。会場は一瞬しんと静まった。 「今の時期になってまで制度や問題に変更が加わるような、おぼつかない大学入学共通テストは、早急に延期もしくは中止にしてください」  彼らが受験する20年度から、大学入試はセンター試験から「大学入学共通テスト」へ変わる。英語は民間の検定試験を利用して「読む・聞く・話す・書く」の4技能を測り、国語と数学は「記述式問題」を導入する。  特に英語については、複数の民間試験を使ってうまくいくのか、告示当初から懸念の声はあがっていた。懸念は解消されないまま膨らみ、今年6月には大学教員らが英語の民間試験の利用中止を求める請願を国会に提出し、7月にはTOEICが試験団体から撤退した。  高校生が共通テストの延期や中止を直訴するのは、尋常ではない状況があるからだ。男子生徒はAERA取材にこう答えた。 「TOEICが英語の民間試験から撤退して、勉強していた人たちはかわいそうと思っていたら、国語や数学の記述問題の採点を大学生がするかもしれないというニュースが流れてきた。と思ったら、今度は数学の記述が数式とかだけになったって。次から次へとこんな状態では、20年度実施はどう考えても無理ですよね? 友だちとも、『やばくね?』という話になります」  男子生徒は教員志望。この夏から、大学受験に向けて基礎固めの勉強を始めた。カバンの中には受験予定の民間試験の参考書が入っていた。前日にツイッターでシンポジウムを知り、高名な学者たちの話を直に聞ける好奇心から参加した。 「議論を聞いているうちに、文科省の人に思いを伝えずにはいられなくなりました。場違いかなと、少し思いましたけど」  異例の行動に出たのは高校生だけではない。全国約5200の国公私立高が参加する「全国高等学校長協会」も、7月下旬、「英語の民間試験への不安解消」を求める要望書を文科省に提出。「不安を払拭できる実施体制が整うまで見送るべき」とも訴えた。同協会長の都立西高校・萩原聡校長(58)によると、文科省に要望を出すのは「極めて異例」のことだという。  英語民間試験に何が起こっているのか。民間試験は、高校3年の4月から12月の間に2回まで受験できる。各試験の成績は、英語力の国際指標とされる「CEFR(セファール)」に当てはめて、6段階で評価される。  校長協会がこれまで一貫して求めてきたのは、公平性を前提に、「生徒が希望する検定を、希望する時期に、希望する場所で受験できる」ことだ。  ところが、公平性ですら担保できない状況だ。47都道府県で実施が予定されているのは、GTEC(ジーテック)と英検の二つだけ。生徒の居住地域によって試験会場までにかかる移動の時間や費用の負担に大きな差が出そうだ。  受験料も試験によってまちまちで、2万円以上する試験もある。受験生は希望する試験を本番前に練習として受けることも想定され、回数を重ねることができる裕福な家庭の生徒が有利になる。  入試の「実質的な早期化」で、生徒たちの学校生活も損なわれようとしている。  萩原校長は言う。 「発表されている検定試験日の中には、インターハイの開催日と重なっているものもある。AO入試(総合型選抜)の生徒は6月ごろまでに受験しないといけないため、民間試験をとるか、インターハイをとるかの選択を余儀なくされる。高校3年の1学期は、生徒にとって集大成となる部活の大会や行事が目白押し。頭の痛い問題だ」  9月には、英検「S‐CBT」が20年4月から7月受験分の有料での予約申し込みを受け始める。にもかかわらず、いまだほかの試験の詳細がわからない。 「遅くとも高校2年の夏休み前までには、どんな試験があり、いつどこで開催されるのかを生徒に説明したかった。9月からは進路指導も本格化する。具体的なことを説明できず、各学校は非常に困っている」(萩原校長)  各民間試験の情報は、学校に通知される仕組みにはなっておらず、教員が情報収集しないといけない。そのため、教員や学校間で情報格差も生まれている。 記者も取材にあたり、各民間試験のサイトにアクセスしてみた。ところが、「いつ、どのエリアで試験が実施されるか」という基本情報に、1回の検索で到達できたのはわずか。幾重にも検索しないといけなかったり、サイト内を探しても情報に到達できないケースも複数あった。 混乱にさらに追い打ちをかけるのが、大学側のスタンスだ。民間試験の活用は、各大学の判断に委ねられている。東北大学のように利用しない大学もあれば、出願資格にする大学、入試に加点する大学もある。加点の方式もさまざまで、詳細の決まっていない大学も多い。 試験の事業者はどんな状況なのか。多くの受験者が集中すると予測される、ジーテックと英検の両者は8月、会場確保のための需要把握に動いていた。 昨年、文科省は当時の高校1年生を対象に「どの民間試験を受けたいか」というニーズ調査を行ったが、詳細が決まらないなかでの実施だったため、ジーテックは、あらためて全国の高校に受験予定者数の調査を依頼した。英検担当者はこう胸の内を明かした。 「例えば北海道大学は、民間試験を利用しないと表明しています。そうすると道内の生徒がどれだけ民間試験を受けるのか。需要が読めないんです」  複数の民間試験を利用することについては、英語教育の専門家からも多くの問題が指摘されている。京都工芸繊維大学の羽藤(はとう)由美教授(63)は言う。 「一口に『英語力』といっても、それぞれの試験が測る能力は同じではない。今回の制度は、マラソンと50メートル走の成績を比べて、走力の優劣を決めるようなものです。セファールと成績の対応づけも各事業者が自己申告したもので、第三者による科学的な検証が行われていない。さらに一部の試験については、対応づけの前提となる『標準化』がきちんとなされているかも疑問です」  標準化とは、同じ能力の人がある検定試験を受けたときに、どのレベルのどの回を受けても同じ成績になるような処理をすること。これができていないと、今回の民間試験自体が成立しない。6月、羽藤教授ら大学教員が中心になって、英語の民間試験の利用中止を請願したのは前述のとおりだ。  AERAでは、8月、アエラネットやSNSを通じて、共通テストについてアンケートを実施。教員や保護者、生徒など271人から回答を得た。英語の民間試験について尋ねたところ、9割が「不安」(93%)、「問題がある」(91%)と回答。実施については、「中止すべき」が7割、「延期」が2割。9割が「20年度の実施を見送るべき」という、驚くべき結果になった。 「4技能を評価することの意義や重要性は否定しない。しかし試験の絶対条件である公平性の確保が不可能である以上中止すべき」(49歳男性・大学教員) 「理念はいいが、手段が目的になっている」(40代女性・高校教員)  回答者の多くは、英語の4技能向上を目指す改革の理念には賛同している。「延期」よりも「中止」を求める声が多いのは、制度設計自体に問題があり、延期して解決できるものでないと考えているからだ。  これらの声を文科省はどう受け止めるのか。錦泰司・大学入試室長はAERAの取材にこう答えた。 「多くの不安の声があがっていることは重々承知しています」  まず、散在している情報を整理し、一元化した英語民間試験専用サイトを8月中に立ち上げるという。サイトには各団体の試験日や会場は決まり次第加え、どのような採点体制をとるかも載せる。同時に、8月に全国の国公私立大と短大に、英語の民間試験の活用予定を学部学科、入学者選抜区分レベルまで調査。その結果を、未定分も含めて掲載する。  さらに民間試験の実施詳細がある程度揃った段階で、高校への再度のニーズ調査も検討している。 「例えば試験のニーズがあるのに会場が十分にない場合は、事業者に働きかけできるだけ多くの会場が設けられるよう努める。不安払拭に向け努力することで、20年度実施の準備を進めたい」  文科省はあくまで20年度実施を貫く姿勢だ。  だが、多くの生徒は9月の英検予約申し込み開始を前に、すでに具体的な判断を迫られている。いま必要なのは情報のフレームではなく、実施詳細だ。  高校2年の女子生徒は言う。 「なぜもっと細かく検討してから発表しなかったのか」  冒頭の男子生徒もこう言った。 「もし共通テストが失敗したら、犠牲になるのは僕たち高校生です」  声は届かないのか。試験実施まですでに8カ月を切った。抜本的な見直しのタイムリミットは、目の前に迫っている。(編集部・石田かおる) ※AERA 2019年9月2日号
大学入試
AERA 2019/08/26 16:00
山口智子さんは、どんな時も派手で自由で優しくて強い
矢部万紀子 矢部万紀子
山口智子さんは、どんな時も派手で自由で優しくて強い
女優の山口智子(c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』  ドラマ「監察医 朝顔」(フジテレビ系)の平均視聴率が、8月19日放送の第6話(14.4%=ビデオリサーチ調べ、関東地区)で番組最高を記録したそうだ。「月9」の好調で、不調続きのフジテレビ関係者もホッとしている。そんな報道もあった。  フジテレビ関係者ではないが、私も6話を見てホッとしたことがあった。それは、山口智子さん演じる興雲大学法医学教室主任・夏目茶子のこと。6話は5話から4年後で、第2部のスタート。そう予告されていた。夏目は主人公の監察医・朝顔(上野樹里)の上司だけど、1部だけかも。勝手に心配していた。  というのも、山口さんはこの夏、NHKの朝ドラ「なつぞら」にも出演していた。夏空と朝顔って小学生の夏休みの観察日記かい! とツッコミつつ、両方見ていたら、「なつぞら」の山口さん(おでん屋の女将・亜矢美)が8月15日を最後に消えてしまったのだ。  突然だった。詳しく説明はしないが、ヒロインなつ(広瀬すず)の「仕事と子育ての両立」問題を際立たせるために消した。そう思い、ご都合主義だーと小さく憤っていた。さらに、山口さんはたまにしかドラマに出ない。「ふたつも出るなら、どちらも短期決戦か」などと深読みもしていた。  そして注目の6話。茶子先生は東南アジアっぽいおしゃれな服を着て、激辛トムヤムクンを作り、法医学教室のメンバーに振る舞っていた。男性部下が「茶子先生、ますますパワーアップしてるな」「まるで魔女」と小声で会話していた。そう、ド派手で自由。それが茶子先生。その上、優しく強い。そんな茶子先生を、山口さんはとにかくカッコよく演じている。  第2話の衣装がすごかった。グレーのパンツの上に、赤と白のストライプの服を着ていた。横のシマシマでなく、縦のシマシマ。それもかなり幅広のシマシマ。こんな服、山口さんしか着こなせない。そしてこんな衣装の時の山口さんは、ウキウキ演技をする。でも優しく強い側面を出す時は、ガラッと変わる。大きな目で相手をじっと見つめる。それだけで説得されてしまう。  そもそも茶子先生は、東日本大震災で母を亡くした朝顔と遺体安置所で出会っているという設定だ。茫然自失の朝顔に、「ねえあなた、生きてるのよねえ」と声をかける。黒いニット帽に白衣姿で仕事をする茶子先生だが、山口さんだから十分におしゃれに見える。抑えた演技だが、アップになると包容力と力強さがにじむ。  で、実はこれ、「なつぞら」の亜矢美も、全く同じなのだ。医者ではなくおでんやの女将だから、一貫して派手な服装で自由そうに振る舞う。手のひらをヒラヒラと動かしたり、ちょっとその場で踊るような感じで話すのは、派手な時の茶子先生と全く同じだ。  ただし影もにじませる。ムーランルージュの踊り子時代に結婚の約束をした学生が、戦争に行って帰らなかった。孤独を抱えている時に、戦災孤児のなつの兄(大人になってからは岡田将生)と出会い、育てる。抱きしめて、「母ちゃんって呼んでみな」と言う。強さと優しさは人一倍で、それゆえに皆の前から消えていく。  先ほど「ご都合主義だー」と叫んだが一応、そういう説明はされていた。納得はいかなかったが、最後の亜矢美がきれいだったことだけは確かだ。一人電車に乗って夕陽を浴びていた。サングラスをカチューシャがわりにして、派手なイヤリングに派手なスカーフ。悲しそうな横顔だが、下は向いていない。手には缶ビール。これからも亜矢美は、どこかで強く生きていく。そう思わせるものだった。  「なつぞら」と「朝顔」の観察日記を書きながら(ウソ)、思い出したのが2017年に放送されたドラマ「ハロー張りネズミ」(TBS系)だ。山口さんは探偵事務所の所長で、ど派手な服を着て昼から缶ビール(缶チュウハイだったか?)を飲んでいた。  ワンパターンと言ってしまえばそれきりだ。だけど、スタイルが良すぎるのだと思う。モデル出身の170センチ。山口さんが出るんだから、派手で自由で優しくて強い女性を演じてもらおう。またはそういう女性の役だから、山口さんに頼もう。どちらなのかわからないが、制作者の「派手な服を着せたい心」を刺激してしまう。きっとそうに違いない。  少し前にさかのぼるが、7月5日に「あさイチ」(NHK)に出演した山口さんを見た。大根と厚揚げと、巾着と卵がぶら下がっているイヤリングをしていた。亜矢美のおでん屋にちなんだものだと説明して「こまごましたこと、好きなんですよ」と笑っていたから、自分で探したということだろう。  ちょっとハワイっぽい柄の、上下バラバラに見えて実はワンピースというおしゃれな服を着ていた。近江友里恵アナウンサーが、「今日のお洋服は、ご自身で選ばれたそうで」と紹介した。山口さんは「ガタイがいいので、海外に行ったら買うんです」と答え、「(スタイリストの用意する服は)はいらないんです」と言い、「うちの主人と同じサイズで」と補足していた。  唐沢寿明さんと同じとは本当かなと、ちょっと疑いつつ見ていたら、最後に好き嫌いクイズになった。山口さんの嫌いなものは「カラオケと体重計」、好きなものは「肉、柏餅、大福、風」だった。そっかー、体重計は嫌いかー。計らないのね。ふーん。  と、白けてもおかしくない状況なのだが、ギリギリ踏みとどまらせるのが、山口さんの山口さんたる所以だった。なんというか、素直なんだなと思わせる人なのだ。  番組の中で、31年前の山口さんの映像が流れた。女優デビューが朝ドラ「純ちゃんの応援歌」(88年)の山口さん。ヒロインに決まった時の記者会見の映像だった。「山口智子です。好きなことは、泳ぐことと料理をすることと歌舞伎鑑賞です」。少し高い山口さんの声がした。  次の瞬間、今の山口さんの声が聞こえてきた。「今、全くしないことばかりだなー」。そして「人間が根本から変わったとしか思えなーい」。ちょっと可笑しそうに、そう言った。  料理をしないという話は途中でもしていた。結婚している女優さんでこういう話する人って、あんまり多くないだろうなー。飾らない54歳なんだなー。  そんなふうに思う58歳の私、あんまり料理しません。(矢部万紀子)
矢部万紀子
dot. 2019/08/26 11:30
最近の若い選手に珍しい「渋野日向子」の長所とは? 丸山茂樹が指摘
丸山茂樹 丸山茂樹
最近の若い選手に珍しい「渋野日向子」の長所とは? 丸山茂樹が指摘
丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める この笑顔がいいんです! (c)朝日新聞社  ゴルフで日本勢として42年ぶりに海外メジャーを制覇した渋野日向子(しぶのひなこ)選手(20)。丸山茂樹氏も彼女を絶賛する。 *  *  *  ちょっと前の話になっちゃいますけど、やっぱり渋野日向子ちゃんのことですよね。  女子の今シーズン海外メジャー最終戦「AIG全英女子オープン」(8月1~4日、イギリス・ミルトンキーンズのウォバーンGC)で優勝。日本勢の海外メジャー制覇は1977年の樋口久子さん以来、男女を通じて42年ぶり2人目っていうんですから、すごいのひとことです。  最終日のプレーを見てて、決断力が素晴らしいと思いました。自分の中にあるマネジメントに対して、迷いなく打ててるなということですね。まだ20歳で、まったく怖いものなしの状態ですから。それに本人が挑戦者の気持ちを持ってるので、余計にそういうところがピュアな感じで出せてるのかな。石川遼の若いころもそうでしたけどね。  それにしても、勝ちきったのがすごい。最終日の18番で優勝を決めた5メートルのバーディーパットが典型ですけど、まったく守りに入ってない。これが入らなきゃ3パットでも関係ない、って考え方が僕は素晴らしいなと思いますね。  ゴルフってのはつらいことだったり、ミスしたことがたまりにたまって、なかなかそれをデリートできない難しさがあるんですよね。だからパソコンで言うならサーバーがものすごくきれいなときに、彼女のようにいろんなものを手に入れられるのは、もうほんとに天性のもの。そういう星の下に生まれたんだろうなという気がしますね。それは(松山)英樹も遼もそうだと思うんです。宮里藍ちゃんもそうでしょう。  また、明るいのがいいですよね。あれだけニコニコしてプレーができるってのは、最近の若い選手には少ないですし、我々男子ツアーにもああいうキャラクターの選手が出てきてほしいですよ。強くてスマイルができて、喜怒哀楽、まあ真剣な表情、悔しがってる表情、うれしい表情、人に対しての明るい表情。喜怒哀楽をしっかり出してやれるのは男子女子を通じて、いまの若い人には少ない。その中で素直な飾り気のない彼女の表情は非常にいいなと感じましたね。  8月5日付の世界ランキングでは14位まで上がってきました。日本勢では畑岡奈紗ちゃんに次いで2番目です。このままの調子でいったら奈紗ちゃんをとらえる可能性もありますし、東京オリンピックには絶対に出てもらいたいです。何せメジャーチャンピオンがオリンピックに出られなかったら困るじゃないですか。女子はほんとに何人も限りなく近いところにいたのに、樋口さん以来誰もとれなくて、それをいとも簡単に一発目でなしとげちゃったわけですから、そんな可能性を持った人が出られなかったら、ほんとに困ります。ハハハ。  話は変わりまして、息子の奨王(しょうおう・19)が今年も男子ツアーの「長嶋茂雄招待セガサミーカップ」(8月22~25日、北海道・ザ・ノースカントリーGC)に出させていただきます。去年の9月にアメリカで進学して、10月にけが。また今年に入って同じ箇所をやっちゃって。不安は残ってるでしょうけど、一つでも何かをつかむ試合にしてほしいです。 ※週刊朝日  2019年8月30日号
丸山茂樹
週刊朝日 2019/08/25 07:00
大学生の2人に1人が利用する奨学金制度 返済義務のない新しい「給付型」とは?
大学生の2人に1人が利用する奨学金制度 返済義務のない新しい「給付型」とは?
「大学初年度にかかる費用」  大学進学に際して気になるのが、お金の問題だ。4年間の学費だけで最低でも400万円程度が必要となる。景気回復の実感がないなか、注目すべきは給付型奨学金の存在だろう。返済義務がない制度を利用すれば、親子ともストレスの少ない4年間を過ごせる。好評発売中のアエラムック「就職力で選ぶ大学2020」では、まなびシード代表取締役で奨学金アドバイザーの久米忠史さんを取材した。 *  *  *  少子化で18歳人口が減少する一方、文部科学省の「学校基本調査」によると大学や短大進学率は2018年度に過去最高の57・9%に達している。もっとも、不況風の影響から、すべての家庭がその経済的負担を楽に背負えるわけではない。  文科省の統計によれば、大学進学によってかかる子ども一人あたりの初年度の費用は、国立大学で約82万円、私立大学では文科系学部で110万円台、理科系の学部では140万円台にもなる。一人暮らしの必要があれば、4年間の生活費も重くのしかかる。長引く景気低迷によって奨学金の必要性は高まり、いまや大学生の2人に1人が何らかの奨学金制度を利用しているといわれている。  そのなかでも、奨学生の多くが利用するのが日本学生支援機構(JASSO)の「貸与型奨学金制度」だ。無利子の第一種と有利子の第二種の2種類の貸与がある。こうした従来の貸与型に加え、18年から本格導入されたのが、JASSO初の「給付型奨学金制度」だ。 ■JASSOの給付型では入学金と授業料の減免も 「新たな給付型奨学金制度は、低所得者層に対する実質的な高等教育無償化政策です」  そう語るのは、奨学金アドバイザーの久米忠史さんだ。全国の高校や進学相談会で保護者向けの講演を行う奨学金制度のエキスパートはこう続ける。 「給付型奨学金制度は、4人世帯で年収270万円未満という住民税非課税世帯、およびそれに準ずる経済的に苦しい家庭が対象です。20年度から始まる新給付型奨学金では、支援内容が一気に拡充されます」  例えば、私立大学に通う一人暮らしの学生に対する支給額は、現行制度では満額で年間約48万円。一方、新制度では年間約91万円に拡充される。さらに、新制度では文科省が定める一定要件を満たした大学や短大、専門学校を対象に、入学金と授業料が減免される。私立大学の場合、上限で入学金の約26万円、授業料の約70万円の減免を受けることができる。久米さんはこう解説する。 「住民税非課税世帯なら厳しい成績基準もなく、学費の減免に加え生活費も支給されるため、国立大学であれば実質的に無償で進学できることになります。住民税非課税世帯に準ずる家庭に対しても、経済状況に応じた割合での支援が行われます」  例えば、4人世帯で年収約300万円なら奨学金給付額と学費の減免額の3分の2が支援され、年収約380万円なら3分の1が支援される。JASSOが公表している数字はあくまで目安であり、各家庭の経済状況が考慮される。世帯収入が提示された金額を超えていても相談してみる価値はある。 ■JASSOの返済利率が低い点は認識しておきたい  一方、より年収の高い中流世帯にとっては、無利子か有利子の貸与型奨学金制度を選択することになる。こうした世帯の保護者に対し、久米さんがよく行うアドバイスは教育ローンとの併用法だという。 「近年、奨学金の返済トラブルの報道が過熱したことで、奨学金による子どもへの負担を不安視する保護者の方は非常に多いです。そこで親が教育ローンを借り入れ、奨学金の受給額を下げようとする方がいるのですが、得策ではありません」  JASSOでは奨学金返済の金利は上限を3%と定めるが、実際はそれよりはるかに低金利なためだ。久米さんは言う。 「JASSOの返済利率は借り終わった時点での数値が適用されます。19年3月では、固定金利で0・14%、変動金利では下限に設定している0・01%でした。さらに今年度から、利率の最下限が0・001%まで引き下げられています。4年後の金利をお約束することはできませんが、基本的に教育ローンより有利です」  教育ローンの利子は、日本政策金融公庫の国の教育ローンでは1・71%の固定金利だが、銀行系では2~3%、信販会社では3~6%と利率が高まる。久米さんはJASSOの利子がゼロに近いことを指摘したうえ、貸与型奨学金の受給額を最大化し、教育ローンの金額を最小化して、卒業後に親子が協力して返済する形を提案している。  新たな「給付型奨学金制度」によって低所得者層の進学はフォローされた。しかし、年収500万円以上の中流世帯でも経済的に進学が容易でない事実は変わらない。そこで、今後は中流世帯を対象とした大学それぞれの取り組みがポイントになると久米さんは予測している。 「東京など都市圏の大学では入学者のローカル化にともない地方の優秀な学生を求めています。そのため地方出身者を対象とした支援が盛んですね」早稲田大学の奨学金制度「めざせ!都の西北奨学金」が一例だ。成績優秀な首都圏以外の出身者を対象に、父母の控除前の収入が800万円未満であることなどを条件として授業料の半期分を減免している。  入試前に申請し、事前に授業料減免の可否がわかる「予約型」の支援制度の存在も認識しておきたい。大学独自の奨学金はこうした「予約型」が主流になってきている。  特待生制度などの奨学金も注目すべきだろう。聖心女子大学では、一般入試の成績上位10人程度に対し、授業料の全額70万円を4年間給付。上位50 人程度には半額を給付している。  各大学独自の奨学金制度に意識を向けると同時に、久米さんは受験生や保護者はより広くアンテナを張る必要があると強調する。 「入学後の申請を前提とする民間企業や団体の奨学金制度も広く調べておくべきでしょう。世帯の収入基準は緩い傾向にあり、4人家族で年収700万から800万円以下を想定している制度が多い点が特徴です」  企業の場合、卒業後の対象企業への採用応募や入社を条件とするケースが多い。例えば、トヨタ自動車グループの「トヨタ女性技術者育成基金」では、世帯収入に関係なく工学系専攻の女子学生に対し、年間60万円を実質無利息で貸与する。卒業後に製造業に入社すれば元金の半額、基金参加企業に入社すれば全額の返済が免除される。少子化にともなう人材不足を背景に、こうした就職を前提とする企業の奨学金制度は増加していくことが見込まれる。  センサー機器の製造を手がけるキーエンスが母体となるキーエンス財団のように給付型奨学金を支給する団体も増えてきた。奨学金応募の際の所得制限や同社への採用応募の必要はない。給付期間は4年間で、19年4月入学者は125人が対象となった。こうした民間の給付型奨学金の存在は決して認知度が高くない。だからこそ「狙い目」だと久米さんは話す。 「受験生の保護者の方々は、まずは情報収集が重要です。JASSOや大学のほか、自治体や民間の奨学金制度を広く調べ、併願可能なものはどんどん応募されることをおすすめします」(文・吉田大悟) ※アエラムック「就職力で選ぶ大学2020」から
dot. 2019/08/18 17:00
年収“自称”1億円のライブ配信者・コレコレ 「ヒカキンは僕の弟子」
年収“自称”1億円のライブ配信者・コレコレ 「ヒカキンは僕の弟子」
コレコレ/1989年8月12日生まれ。広島県出身。Twitcasting (通称:ツイキャス)」、YouTube、ニコニコ動画で活動する配信者、YouTuber。雑談、逆凸、ゲーム実況、凸待ちなど、シャンル、放送スタイルを問わず展開。顔出し配信の時は鼻マスクや鼻テープをつけた姿がトレードマーク。アイドルプロデューサーとして現在、オーディション企画を進行中(撮影/写真部・片山菜織子) 「見かけたら火を付けたりゴミを絶対に投げないでね!」(コレコレ談)(撮影/写真部・片山菜織子)  パソコンやスマホからライブ配信ができるサービス「ツイキャス」で、その人気の高さから“王”と呼ばれる配信者がいる。その男の名は「コレコレ」(30)。16歳でライブ配信を始め、「ねとらじ」や「ニコニコ生放送」などの配信サイトが誕生すると、またたく間に人気者の階段を駆け上り、いまでは「日本トップのライブ配信者」と呼ばれるようになった。「楽して生きていきたい」と話す一方で、人気YouTuberやアイドルプロデューサーとしての顔も併せ持ち、コミュ障なのに女性にモテる。コレコレとは何者なのか。生い立ちや年収、女性関係、メディアの取材を受けない理由など、話を聞いた。 *  *  * ――メディアのインタビューを受けるのは初めてですか? ほぼ初めてと言っていいですね。僕、基本的に引きこもりなので、家から出たくないんです。YouTube用の動画の撮影が唯一、外に出る機会といっても過言ではありません。昼夜逆転の毎日で、夜の8時に起きて、昼に寝る。動画は1週間に1回、外出して収録しているので、それ以外の週6日間は家にいます。「ツイキャス」のライブ配信は起きてすぐにやってます。 ――コレコレさんといえば、“ツイキャスの王”として知られています。そんな人のひととなりを知りたくてインタビューを申し込みました。お生まれはどちらですか? 生まれは広島県です。あまり詳しく聞いたことはないんですが、父は船に乗る仕事をしていて、1年間、家に帰ってこないこともありました。たぶん海賊かなにかをやっています(笑)。母は専業主婦で、妹が一人います。教育熱心な両親で、塾にも行かされましたし、中学は私立の進学校に通っていました。「勉強していい大学にいきなさい」というのが両親の教えでした。 ――そんなコレコレさんがライブ配信者になったきっかけは? 高校で私立の男子校に入学したことがきっかけです。女子がいない毎日で、学校生活がつまらなかった。そんなときにネットに出合いました。当時、学年でトップの成績をとったご褒美に両親がパソコンを買ってくれたんです。 ――両親からの“ご褒美”が、ライブ配信者になるきっかけになったんですか? はい。もちろんYouTubeもツイッターもない時代です。ネットユーザー自体もそれほど多くなかった。「こんな世界があるんだ」と、一気にハマりました。親がいろんなサイトにアクセスできないようにパソコンを設定していたんですが自力で解除して、「2ちゃんねる」とかをよく閲覧してました。 ――なぜネットの世界にハマったんでしょうか? 例えば、恋愛とか人間関係って過程と結果がある程度予測できるじゃないですか。でもネットの世界は体験したことがなかった。危険性も魅力的でした。 ――男子校なのに恋愛経験は豊富だったんですか? あ、いえまったく(笑)。中学くらいからコミュ障でしたから。でも小学生のときはクラスの人気者で女子にはモテたんですよ。 ――なるほど。当時のライブ配信というのはどういったものだったんですか? 16歳のときに「BARギコっぽいONLINE」という、マイクを通した声を配信できるサイトの存在を知ったんです。それが僕のライブ配信の始まりでした。視聴者は3人くらいしかいませんでしたが、ほぼ毎日自分の部屋で夜9時から配信し続けているうちに、そのサイトで一番の人気配信者になりました。パソコンに向かってしゃべっていたら親に「頭がおかしい」と思われて、精神科に連れて行かれそうになりましたけどね。 ――クラスでも人気者になったんじゃないですか? 先生に伝わってやれなくなると嫌だったんで、誰にも配信のことは言いませんでした。僕にとってはなくしたくない大切な世界でしたから。 ――昼は“コミュ障”、夜は“人気配信者”。そんな二重生活を送られていたんですね。 はい。クラスメートはとにかく勉強を頑張っている人たちだったので、別に教えても興味なかったと思います。人気配信者のほとんどが学生時代の卒業アルバムの写真をネットにさらされていますが、僕はコミュ障で友達もいなかったので、いまだにさらされていません。 ――それはそれで寂しいような気もしますが……。そのころは「配信者として生きていこう」とは考えなかったんですか? とくにやりたいことはなかったので、夢はリストラのない公務員でした。卒業後は広島の大学に進学して、1人暮らしを始めました。 ――サークルやコンパなど、楽しい大学生生活のスタートですね。 いやいや、大学に入っても友達は一人もできませんでした。できなかったというか作らなかったというか……。とにかく、今も昔もリアルの人間関係にあまり興味はないので。毎日、配信ばかりやっていました。 ――そのころ、「ニコニコ生放送(以下、ニコ生)」が誕生します。 「ニコ生」は音声だけでなく映像も配信できる点が新しかった。始めて1週間くらいで人気がでて、2カ月でコミュニティー登録者が1位(約2万3千人)になりました。 ――参加するすべての配信サイトですぐに人気を得ていますが、どういったところがウケたと思いますか? 僕は昔から声が高くて、女の人の声まねができたんです。ネット上で電話ツールを使ってエロいことをしようとするおっさんを釣る企画がウケたのもきっかけの一つ。今ではみんな同じような企画をしていますが、僕が初めてやりました。「ニコ生」ではその企画があたって一気に1位に上り詰めた。 ――そうした企画はどうやって考えているんですか? 基本的に発想の源泉はネットで話題になったニュースです。例えば、「ネカマ(ネット上で女性を装う男性のこと)にだまされた」というニュースだったり、「家出少女に悪さをする大人が急増中」というニュースだったり、そうしたニュースをヒントにして企画を考えます。家出少女に化けて、おっさんにおしおきをする企画とか。いわゆる「釣り企画」です。最近では、視聴者のお悩み相談コーナーを始めたんですが、その内容が「有名YouTuberにひどいことをされた」とか、ここでは言えないような内容の相談がくるようになってヒットしました。毎回、僕と視聴者で解決策を考えています。いろんな案が瞬時に集まり、おもしろいように解決していくので、最近は有名人にひどいことをされた女性が僕のライブ配信に集まるようになった。 ――YouTubeでは、タバコのポイ捨てを注意する企画も人気ですね。 僕、タバコが嫌いなんですよ。東京に出てきたのは3年前くらいですが、渋谷に行ってみるとタバコがいっぱい道に落ちている。都会の生活に慣れてしまうと気にならないのかもしれませんが、田舎出身の僕からすると、あれって本当に驚きでしかない。「なんで誰も掃除しないの?」「なんで注意しないの?」って。それで企画として渋谷で掃除したり、注意をしてみたらけんかになって、こっちとしては最悪の気分なんですけど、人気企画になった。企画は全て自分一人で考えています。 ――ライブ配信では元彼女の存在や恋愛事情を包み隠さず話していますね。 自分の私生活もコンテンツの一つだと考えています。それと、隠し事をすると配信者としてはしんどいんですよ。 ――「しんどい」ですか? はい。他人に対して痛烈な悪口を言うこともあるので、自分自身が隠し事をしていると、バレたときにしんどい。それとトークをするうえで、「これは言わないようにしよう」って気をつけながらだと、話が面白くなくなるんです。そういう微妙な空気の違いを視聴者は感じ取りますから。 ――コレコレさんといえば、今もつけていらっしゃるマスク姿がトレードマークですが、それは身バレ防止のためですか?   いや、もはや僕はマスクをしていたほうが身バレします(笑)。まあコンプレックスですかね。とにかくみせたくない。 ――鼻と口を? というか、顔の全てをみせたくない。 ――常に持ち歩いているんですか? はい。常に3枚は持っています。渋谷とかでは撮影中にマスクを外そうとしてくる不届き者もいますんで。事務所の人と会うときも必ずつけています。外すときは家の中か女性と会うときくらいです。 ――女性関係についても聞きたいのですが、いま彼女はいらっしゃいますか? いまはあんまり時間ないんで……。 ――いきなり歯切れが悪くなりましたね。 いや、すぐに浮気をしてしまうんですよ。女性ファンからの誘惑が多くて。体重は100キロを超えているんですが、めちゃくちゃモテます。ネットで人気者になるとブサイクでもモテる。配信者じゃなかったら、いまごろ孤独死してるかもしれません。 ――あえて聞きますが、友達は? 今も昔も安定のゼロ人です。でもむなしいとかは全然思いません。ただネットがなくなったらやばいですよ。そうしたら家に引きこもります。あ、いまも引きこもってるか笑。 ――動画でよく共演されている「ぷーさん」という方は友達ではないんですか? 彼はもともと視聴者です。会社を経営されていて、僕のオフ会に参加してくれたことがきっかけで連絡をとりあうようになりました。話も合いますし、面白い人なんで一緒に動画を作っています。初めのころは動画を撮影する仲間という認識でしたが、撮影とは関係なく会う機会も増えました。いま考えると、これが友達なのかなって思います。 ――“コミュ障”を克服したいと考えたことはありますか? まったくないです。ネット上で人とコミュニケーションはとれているので、「それでいいじゃん」と思っています。もちろん会社員だったらネガティブな感情を抱いていたでしょうが、僕は配信者なので。まったく困っていません。 ――コレコレさんのファンには、きゃりーぱみゅぱみゅさんや藤田ニコルさんなど有名人も少なくありません。彼女たちに会いたいとは思いませんか? えー何を話したらいいのかわからないんでいいです。 ――ヒカキンさんはいかがですか? 彼は僕の弟子なんですよ。これはちゃんと書いておいてください。彼が無名時代に僕のチャンネルで紹介したこともあります。その当時は僕のほうが有名だったんですよ。まあ、いわゆる“売名”を手伝ってあげた。だから僕の弟子です。その話をライブ配信で何回も言ったら、ツイッターのフォローを外されました(笑)。 ※後編に続く 【プロフィール】 コレコレ/1989年8月12日生まれ。広島県出身。Twitcasting (通称:ツイキャス)」、YouTube、ニコニコ動画で活動する配信者、YouTuber。雑談、逆凸、ゲーム実況、凸待ちなど、シャンル、放送スタイルを問わず展開。顔出し配信の時は鼻マスクや鼻テープをつけた姿がトレードマーク。アイドルプロデューサーとして現在、オーディション企画を進行中。詳しくはコチラ。コレコレさんのYouTubeチャンネル/ツイッター (AERA dot.編集部)
dot. 2019/08/12 20:00
ホントに大丈夫? 金メダルねらうソフト女子が直面する“脱・上野問題”
ホントに大丈夫? 金メダルねらうソフト女子が直面する“脱・上野問題”
東京五輪で金メダルをねらうソフトボール女子だが… (c)朝日新聞社  2020年7月24日の開幕まで1年を切った東京五輪。さまざまな競技がメダル獲得に向けてラストスパートに突入しているが、2008年北京以来の五輪復帰を果たしたソフトボール女子日本代表も12年ぶりの金メダルを視野に入れ、強化に本腰を入れている。  2019年に入ってからは、5月の女子アジアカップ(インドネシア)、6月の日米対抗(仙台・東京)という2つの国際大会に出場。8月30日~9月1日には、現時点で正式決定している五輪前最後のビッグトーナメントとなる『JAPAN CUP 国際女子ソフトボール大会』(ジャパンカップ、高崎)に挑むことになる。同大会には金メダルのライバル・アメリカを筆頭に、チェコやチャイニーズ・タイペイといった欧州、アジアの強豪国も参戦。「東京五輪の前哨戦」とも位置付けられている。  そんなソフト女子にとって目下、最大の懸念材料は、大黒柱・上野由岐子(ビッグカメラ高崎)の負傷離脱だ。11年前の北京五輪決勝・アメリカ戦で413球を投げ切り、37歳になった今も日本の絶対的エースに君臨する剛腕が4月27日の日本リーグ・デンソー戦で相手打球を顔面に受け、下顎骨骨折の重傷を負ってしまったのだ。  当初の診断は全治3カ月だったが、7月21~28日の福島、7月28~8月8日の高崎での両合宿には不参加。状態が不安視されている。  宇津木麗華監督は7月29日のメディア公開日に「今は軽くピッチングをしている段階。まだバッターを入れた投球練習はできていない」と上野の現状を明かした。「ジャパンカップには戻ってくる予定で、そこに照準を合わせて調整している」とも語っているが、本当に万全の状態で復帰できるかどうかは未知数だ。仮にマウンドに戻ってきたとしても恐怖感や違和感に襲われる可能性も否定できない。 「ベテランだし、いろんな経験もあるから大丈夫でしょうけど、相手に打たれて顔に当たったトラウマを持つ可能性もゼロではない。もう1回当たって同じようなケガをするのも心配なんで、相談しながらやっていこうと思っています」と指揮官も語っているだけに、いかにして「脱・上野」を図るかが、ソフト女子にとって大きなテーマになってくるのだ。 「ピッチャーを育てていかないといけない」というのは、宇津木監督が2016年12月に2度目のソフト女子代表監督に就任してから、ずっと言い続けていること。「上野みたいなピッチャーがいたら、いくらアメリカが強くても簡単には打たれない」と絶大な信頼を寄せる上野は30代後半になった今も、多彩な球種と最高球速116~117キロのスピードを武器に日本の大エースに君臨している。  しかしながら、アメリカなどライバル国の研究も進み、彼女1人だけでは五輪を戦い抜けないのも確かだろう。実際、2018年世界選手権決勝・アメリカ戦(千葉)でも、日本は上野1人が10回を完投したが、アメリカは北京で上野と投げ合ったモニカ・アボット(トヨタ自動車)を含む5人のピッチャーが継投を重ね、最後の最後で勝ち切って王者に輝いた。宿敵・アメリカには最速120キロと言われるアボットに加え、同程度のスピードボールを投げられるキャット・オスターマンも現役復帰し、ピッチャーの人材がとにかく豊富だ。そこは日本との大きな差。こうした現状と反省を踏まえて、宇津木監督も上野以外のピッチャーの必要性を改めて痛感したという。  そういう意味で、大エースが負傷離脱した今年は他の選手に経験を積ませるいい機会になったとも言える。指揮官が最も大きな手ごたえをつかんだのが「ポスト上野一番手」と目される藤田倭(太陽誘電)だ。6月の日米対抗第3戦で藤田は8回を完投し、強打を誇るアメリカ打線を零封。1−0勝利の原動力になった。 「藤田はもともと我が道を行くタイプ。その性格を間近で見て『チームのために何ができるか考えた方がいい』『ソフトボールのためにもっとやれることがあるんじゃないか』と何度も話してきました。2012年から代表に呼んで、長いスパンで見てきたけど、最初はアメリカに5~6点は取られていたのに、今は2点以内で勝負できるようになった。6~7年かけて彼女を引っ張ってきて本当によかったなと思います」と宇津木監督もしみじみ語ったが、上野が万全でない今こそ、一気にエースの座に躍り出る必要がある。  藤田は球速108~110キロと上野よりは劣るものの、敵との駆け引きがうまくなり、メンタル的にも落ち着いてきた。さらに、所属の太陽誘電では2016年日本リーグでホームラン王と打点王の両方を獲得している通り、打者としても非常に有能だ。そこは指揮官も高く評価する点。28歳と旬の年齢でもあるだけに、ジャパンカップでさらなるブレイクを遂げ、「上野に並ぶ大黒柱」へと飛躍してくれれば理想的なシナリオだ。  それ以外の投手陣を見ると、31歳のベテラン左腕の尾崎望良(太陽誘電)、24歳の中堅である濱村ゆかり(ビッグカメラ高崎)と岡村奈々(日立)、19歳の勝股美咲(ビッグカメラ高崎)らがいるが、いずれも宇津木監督が「大勝負を託せるピッチャー」と認めるレベルには達していないようだ。 「30代の尾崎は経験があり、左投げで変化球も持っている選手だけど、1試合を任せるのはまだまだかなと。濱村や岡村も同じくらいのレベルなんで、部分的なところで力を発揮してくれればいいと考えています。若い勝股も才能はありますが、少し前に守備で自滅した試合があった。今日いいピッチングをしても、次の日はダメという感じで波があるし、1年後の東京五輪を考えると柱になるのは難しいかもしれない。やっぱり上野が戻って藤田と2人でチームを背負い、他のピッチャーは1イニングでも2イニングでも投げられるようになってもらうしかないと思います」と宇津木監督は厳しい表情をのぞかせる。  つまり、上野への依存度の高さは依然として大きいと言わざるを得ないのが、ソフト女子の現状なのだ。その大黒柱が今月末のジャパンカップで完全復活を遂げ、「1年後は問題ない」というところを示してくれればいいが、果たして指揮官の思惑通りに物事が進むのか。いずれにしても、日本の12年ぶりの金メダル獲得は上野、藤田を軸としたピッチャー陣の動向にかかっているといっても過言ではない。(文・元川悦子)
dot. 2019/08/11 17:00
ユーミン×Char対バンに懐かしい青春の香り ラジオマンら陶酔
延江浩 延江浩
ユーミン×Char対バンに懐かしい青春の香り ラジオマンら陶酔
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞 Char(左)とユーミンのコラボ  TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は「ユーミンとCharの夢のコラボ」について。 *  *  *  ワクワクする対バンだった。ユーミンとCharは、ともにティーンでデビューした早熟の天才である。Charは8歳でギターを始め、11歳でバンドを結成するとドアーズをコピー、中学3年でスタジオミュージシャンに。14歳からキャンティに出入りしたユーミンは17歳で作曲家デビュー、72年にかまやつひろしのプロデュースで荒井由実としてシングル「返事はいらない」をリリース、翌年リリースしたアルバム「ひこうき雲」は今も永遠の名盤として聴き継がれている。  八王子の呉服屋の娘と品川戸越の開業医の息子。良家の子女で元祖ロックを愛する少年少女の対バンは、会場が専門学校キャンパス内の施設ということで、どこか懐かしい青春の香りがする学園祭のノリとなった。 「ユーミンとかオレがウロウロしていた日比谷野音や共立講堂では、先輩のバンドがライブをやっていて、クリエイションもフラワー・トラベリン・バンドもサディスティック・ミカ・バンドも、あそこから海外へ出て行った」とChar。  そんな思い出話も含め、オープニングは二人の音楽談義の映像が流れた。 「付き合っている女の子の家に行くと、荒井由実のレコードがあるんだよ。洋楽のメロに、よく日本語を乗っけているなっていうのを検証できた。当時のスッチー(スチュワーデス)は普段洋楽しか聴かないって顔をしているのに、とにかく家に行くと必ずあるんだよ」 「それがお嬢さんの成れの果て(笑)」(ユーミン) 「同性に好かれるのはすごい大事で、特に女子の方が情報をゲットするのが早いんだな」 「意識しているわけじゃないけど、作品のリアリズムだと思う。それまで、女の子の歌って男目線の歌詞だったけど、私は普通に女子が思うこととか風景を歌っていたから、シンパシーを持ってもらえたんじゃないかな」とユーミン。  Charとのデュエット「Corvett 1954」でユーミンのライブがスタート。 「今日は『ロック・ティーン』に戻りたい人が集まっている。東京の不良を思い切りぶちかましましょう!」とユーミンが高らかに宣言すると、「まさかユーミンと蒲田で対バンするとはね。ここはヤバイ場所だったんだ」とCharが会場を沸かせた。  Charのギタープレイが炸裂した「SMOKY」に、「超かっこいい! スカッとしたギターを聴いていると下北にスモーキー・メディスンを見に行ったのを思い出す」とユーミンが拍手し、ユーミンの「雨のステイション」で、観客は一転10代の頃のセンチメントに酔う。そして、「埠頭を渡る風」「BLIZZARD」でまたもや大歓声に。Charがカバーするクリームの「Crossroads」に、ユーミンが「Sign of the Time」「恋のスーパーパラシューター」を重ね合わせマッシュアップ、「DANG DANG」にCharのカッティングギターが光り、全員がスタンディングオベーションとなった。二人とも東京っ子らしく(それは僕ら観客も)、ケレン味のない粋なステージだった。ライブが終われば楽しかったと言いあいながら、それぞれの自宅に帰るのだ。  ミッツ(・マングローブ)と連れだって楽屋挨拶を終え、帰りのエレベーターの扉が閉まる直前、そこを通りかかったCharが小林麻美さんに手を振った。彼は麻美さんやユーミンと1歳違い。「来ていたんだ。久しぶり!」 ※週刊朝日 2019年8月16日‐23日合併号
延江浩
週刊朝日 2019/08/11 16:00
好きになるのに男も女も関係ない! 「おっさんずラブ」が切り拓いたドラマの新境地とは
矢部万紀子 矢部万紀子
好きになるのに男も女も関係ない! 「おっさんずラブ」が切り拓いたドラマの新境地とは
「劇場版おっさんずラブ ~LOVE or DEAD」は8月23日から全国ロードショー。特典つきの前売り券は3万セットが1週間で完売したという (c)2019「劇場版おっさんずラブ」製作委員会 主要キャラクター3人に加え、劇場版では新たに山田正義役で志尊淳、狸穴迅役で沢村一樹が出演する (c)2019「劇場版おっさんずラブ」製作委員会  8月23日公開の「劇場版 おっさんずラブ LOVE or DEAD」。「おっさんずラブ」こそ、いま隆盛する「男×男の恋愛もの」という新ジャンルの旗手だった。「おっさん」たちの恋愛模様が、なぜ働く女性の心をわしづかみにしたのか。 *  *  *  このドラマの特徴、否、特長としてあげたいのが、登場人物がみな「男と男」の恋愛に偏見を持っていないという点だ。これこそ「ファンタジー」かもしれないと思う。  初回、田中圭演じる春田創一と幼なじみの荒井ちず(内田理央)が居酒屋で話す。「春田」「ちず」と呼び合う関係だ。ちずが「告られたって?」と春田に言う。「でも相手はおっさんだよ、部長だよ」と、春田が答える。ちずはこう返す。 「社内恋愛が嫌なの? 年上だから?」  同じシチュエーションでこう返す自信、私はない。が、「男だからだよー」と答える春田に、ちずは「好きになるのに男も女も関係ないでしょ」と言う。  えらいぞ、ちず。えらいぞ、制作者。ドラマを見ながら、心で拍手した。プロデューサーは、テレビ朝日の貴島彩理さんだった。オンエア当時、28歳。劇場版にも「プロデューサー」として名を連ねている。  ドラマが評判になるにつれ、貴島さんはインタビューを受けることが増えていった。よく語っていたのが、「BL(ボーイズラブ)でなく、今どきの働く男女の恋愛がテーマ」ということだった。「同性であることを忘れるほど素晴らしい人が現れた時、人はどうするのだろうと思ったのが企画の出発点」ということも語っていた。  そのテーマをはっきり打ち出すには、偏見のある人物の存在は不要と判断したのだろう。ドラマの中で、「男×男」という事態に一番戸惑っているのは、春田本人だ。次第に林遣都演じる牧凌太に引かれていくが、気持ちに頭が追いついていけない。ちずと牧との間で、心が揺れたりもする。  視聴者の一人として、春田と同様、事態に追いつけない感じはあった。なぜ、春田は牧に引かれていくのか? 今ひとつ、はっきりしない。  吉田鋼太郎演じる黒澤武蔵も牧もすごく家事能力が高い人として描かれていた。身の回りのことが全くできない春田の世話を、2人がせっせと焼く。ルームシェアと言いながら、洗濯、掃除、料理はすべて牧、春田は「うっめー」と身もだえしながらから揚げを食べるばかり。黒澤も負けじと、春田に弁当を作ってくる。「はるたん」と書かれ、さながらキャラ弁だ。  家事能力と愛情の交換?  そこだけは、最後までモヤモヤしてしまった。  とはいえ、「おっさんずラブ」が果たした功績は大きいと思う。それは、日本のドラマ界に「男×男の恋愛もの」という分野を築いたこと。そう思っている。  この4月に始まったドラマだけで「俺のスカート、どこ行った?」(日本テレビ系)、「腐女子、うっかりゲイに告る。」(NHK)、「きのう何食べた?」(テレビ東京系)があった。少なくともドラマの分野で、「男×男」は普通になった。  そのなかで我が一押しは、「きのう何食べた?」だった。よしながふみの同名漫画を原作に、内野聖陽と西島秀俊のゲイ同士のカップルを描く。内野はカミングアウトしている美容師、西島はしてない弁護士。一緒に暮らす2人。切なく温かいドラマだった。  ある時、内野のインタビューを読んだ。「2人はベッドではどうなのかな?とか、そういう話」を西島としている、と語っていた。「あ、これ、おっさんずラブになかったとこだ」と思った。 「おっさんずラブ」はお祭り、ワッショイワッショイと進んでいった。「きのう何食べた?」は静寂の中で、愛とは生きるとはと考えさせられた。  進化する「男×男」のドラマ。はじめの一歩は「おっさんずラブ」。次にどこへ行くのか。劇場で確かめていただきたい。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2019年8月12・19日合併増大号より抜粋
矢部万紀子
AERA 2019/08/11 11:30
現役女子高生ラッパー玉名ラーメン 忘れたくない思いを音に残す
岡村詩野 岡村詩野
現役女子高生ラッパー玉名ラーメン 忘れたくない思いを音に残す
玉名ラーメン(本人提供) 2作目のEP「organ」(本人提供)  玉名(たまな)ラーメンというアーティストがいる。本名は公開していないが、東京に生まれ東京に暮らす、まだあどけなさを残した18歳の現役女子高生だ。  1年前はほとんど知られざる存在だった。今年に入り、積極的に作品を発表するようになってから、多くのミュージシャン、ライター、編集者らが注目するようになり、生演奏の場に呼ばれる機会が増えた。この夏も引っ張りだこの人気で、これから間に合う公演だけでも、新木場スタジオコースト(8月25日)、渋谷WWW X(8月30日)など東京都内の人気のライブハウスで開催されるイベントに出演することが決まっている。  彼女はラッパーと紹介されることが多いが、そのパフォーマンスや作品は一般的なイメージのラッパー、ヒップホッパーの域からはみ出たもので、どちらかというとポエトリー・リーディング(朗読)にも似た側面がある。自力で覚えたPCの音楽制作ソフト(Garage Band)を駆使して作るバック・トラックに、自作の日本語詞を乗せて完成させた曲は、一聴すると少し寂しげで翳(かげ)りのあるタッチだが、聴く人の遠い記憶をゆるやかに喚起し、目の前にある風景を鮮明に脳裏に刻みつけていく。矛盾した言い方だが、まるで夢を見ながら覚醒していくような歌、音楽なのだ。  自ら音楽を作り始めたのは高校に入ってから。もともと言葉を編み出すこと、歌うことに自覚的だったことから、学校の合間や移動時間に詩を書くようになったという。そこから、今度はラップの自由なスタイルに惹かれ、楽器も機材もロクに触ったことがなかったが、見よう見まねでトラックを作って自らラップするようになっていった。  影響を受けた音楽、アーティストは特にいない。よく知らない国の音楽や、よく知らないアーティストの投稿動画をYouTubeで観るのが好きで、そこから刺激を受けているという。近年、CDなどの独立した音盤ではなくYouTubeをプラットフォームにして音楽を制作する若い世代は少なくないし、作品をまずはインターネット上で発表するアーティストも増えている。  けれども玉名ラーメンはそうした手法以上に、「何者が作ったかわからない作品が混在しているからこそ面白い」という感覚からYouTubeを利用しているのだという。  今年2月に初めての4曲入りEP「空気」を配信とストリーミングで発表。CDのリリースはない。ただし、ライブ会場や一部のショップでは自作のZINE(ファンジン。写真や文章などを掲載した自主制作の冊子)に同じ内容のEPをつけた形で販売している。このZINEがまた彼女にとっては重要な表現手段だ。自ら撮影したスナップや手書きの文字(歌詞)が自由にレイアウトされたそのZINEをめくりながら、幻想的かつ抽象的な曲、ちょっと舌足らずだけど言葉がスッと耳に届く歌を聴いていると、「この歌、記憶にとどめておきたい」という感情が沸き起こってくる。  彼女は言う。 「忘れたくない、という想いが他人より強い。忘れたくないから音にしているし言葉にしている。人間なので忘れちゃうんですけど、忘れちゃうのが怖いし悲しいから、絶対忘れたくない」  その一方で、彼女は忘れてもいいもの、葬り去った方がいいものには毅然とした態度で臨む。鋳型にはめられることに対しては、徹底的に抗(あらが)う。 “らしさなんてうるせえ 投げかける常識へのquestion  未来 過去 そして今 自分の色自分で決める”(「own」から)  iPhoneのメモ機能を使い、ふっと思いついた言葉や表現をササッと記録していく。そうして言葉の断片から発展していった彼女の歌詞は、過去の記憶と現在の景色とが見事なコントラストで描かれたものだ。人間の記憶は日々どうしたって薄れていく。脳細胞が生きている以上、どれほど鮮明な記憶であったとしても、新しくインプットされた情報が上書きしていってしまう。しかし、玉名ラーメンはそこに抗おうとして、忘れたくない思いを音に残していく。忘れたくないのに忘れていってしまう宿命に苛(さいな)まれながら、音に記憶させていくのだ。  彼女の作品は、今日起こった出来事、出会った人、思ったこと、感じたことなどを淡々と綴っているものも多い。だが、それは安易な情緒などではなく、忘れないための行動でもある。そのきっかけとなったのは彼女の祖父の死。リスペクトしていた亡き祖父と“共演”すべく、祖父の声を逆再生した音声を用いた「genome(ゲノム)」という曲を昨年9月に作った。 “私にくれたもの、私にくれた愛、全部覚えてる genome”(「genome」から)  個体から個体へと受け継がれる遺伝子を意味するゲノムになぞらえつつ、血縁であること以上に、祖父との交流で受け取ったものこそ忘れたくないと綴る彼女。それは祖父の遺志を継承し、表現者として生きていく決意表明のようでもある。実際にこの曲を完成させてからの彼女は、より自覚的に活動をするようになっていく。  7月14日に配信で発表された2作目のEP「organ(オルガン)」は、8月27日にZINEと合わせた形でライブ会場、通販、ショップなどで販売される予定だ。また、ヒップホップでアジアを接続するという企画の一環で、10月14日まで愛知芸術文化センターで開催されている企画展「アジア主義の三つのテキストの朗読」にも参加。そこでは英語と日本語字幕とセットになった映像として彼女の作品も展示されているという。  単なる女子高生ラッパーとしての玉名ラーメンではなく、思い出を残そうとする一人の人間としての玉名ラーメンの存在を、私も2019年夏の記憶として脳裏に刻もうと思っている。(文/岡村詩野) ※AERAオンライン限定記事
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AERA 2019/08/10 17:00
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宝泉薫 宝泉薫
もこみち「オリーブオイル婚」のお相手「平山あや」の過去と評判
連名のFAXで結婚を発表した速水もこみちと平山あや (c)朝日新聞社  オリーブオイル婚。速水もこみち(34)の結婚にはそんな愛称がつけられた。相手の平山あや(35)に関連した要素は入っていない。実際ちょっと影がうすいというか、彼女のキャリアを詳しく思い出せる人は少ないかもしれない。 *  *  *  平山は98年、ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝。14歳で芸能界入りした。翌年には「可愛いだけじゃダメかしら?」で連ドラデビューを果たし、その後「笑っていいとも!」や「平成教育予備校」といったバラエティにも進出していく。高校は「トレイト(芸能)コース」のある堀越に進み、同期には松本潤、中村七之助、松田龍平、水川あさみといった面々が。なお、02年までは本名の「平山綾」で活躍していた。  とまあ、悪い滑り出しではなかったが、世に出るタイミングとしては今イチだった。スカウトキャラバンで優勝した夏、2年前のグランプリ受賞者・深田恭子がドラマ「神様、もう少しだけ」で大ブレイク中。また、前年にグラビアデビューした優香(こちらはオーディションではなく、スカウト組)も人気上昇中だったからだ。ホリプロのアイドル戦略は、このツートップを軸に展開されていた。  その翌々年、事務所創立40周年記念企画として出版された『ホリプロの法則』でも、深田と優香には多くのページが割かれたが、平山は年表部分に名前が出てくるだけだ。しかも、彼女の2年後には綾瀬はるか(審査員特別賞)その2年後には石原さとみ(グランプリ)が登場。彼女は事務所の戦略のなかで、埋もれてしまった感もある。  さらに、スキャンダルにも見舞われた。2000年10月、写真誌にこんな記事が掲載されたのである。 「モー娘。の次は16歳アイドル『押尾学』土下座口説き現場」  プレイボーイぶりで鳴らしていた押尾。そのふた月前には安倍なつみとのお泊まりデートが発覚していた。平山の場合は口説かれただけなのに、彼女まで「食われて?」しまったかのような印象を与えてしまったのは、いかにも痛手だった。  それでも彼女は地道に仕事をこなし、女優として成長していく。07年にはドラマ「働きマン」で速水と共演。その1年余りのち、ヤフー知恵袋に「二人で歩いているのをみた」という書き込みがされたことから、この共演が交際につながった可能性が高い。 ■似たもの同士のふたり  じつは俳優デビューから数年、速水は「棒読み」「大根」などとこきおろされていた。08年にはドラマ「絶対彼氏」でロボットを演じ、むしろハマリ役だと皮肉られてもいる。ここ数年の芝居はかなりこなれているので、努力家でもあるのだろう。平山は役者として3年先輩で、学年はひとつ上。業界内の評判はよく、インタビューなどからも真面目な性格がうかがえる。結婚発表にあたって、速水が「尊敬」という言葉を使い、平山が「仕事に対する姿勢と才能に満ちあふれた人柄、魅力にひかれ」と説明していることからも、似た者同士、通じ合うものがあったのではないか。  そんな彼女の最大の代表作は、ノーシンピュアのCMかもしれない。03年から6年間、起用された。このCMヒロインは、安西ひろこに始まり、彼女のあと、南明奈、トリンドル玲奈と来て、藤田ニコルに引き継がれている。現在のキャッチコピーは「悩める女子のピュアな味方 生理痛にはノーシンピュア」。平山も着ぐるみに入ったりしながら、悩ましいけど頑張る女子を等身大で演じ、共感を集めていた。  そういう人なので、人生観もわりと普通だ。4年前には、主演映画の舞台あいさつで、 「結婚はしたいですが、残念ながら31歳になってしまったので、頑張りたいです」  と語っていた。今回、妻となったことで、役柄にも幅が増すだろう。作品世界を邪魔しない堅実な演技ができる彼女は、おそらく公私ともに嫌われにくいタイプ。ノーシンピュアのCMを卒業したあとも「平山あやに戻して欲しいです。この人は普通に好きなんで」という声がネットに出ていた。女性ファンの多いイケメンが選ぶ相手としても理想といえる。  小泉進次郎・滝川クリステルほどの派手さはないものの、こちらも景色のよさを感じさせる結婚だ。ともに料理好きということで、夫婦共演もそのうち実現するかもしれない。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
dot. 2019/08/09 14:30
【小島慶子さん連載】明日こそ、間に合う人になろうと思いながら <第4回>
小島慶子 小島慶子
【小島慶子さん連載】明日こそ、間に合う人になろうと思いながら <第4回>
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、小説『幸せな結婚』(新潮社)、対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。 ■「意志が弱い」という負のレッテル  年末年始を家族と過ごそうと12月の半ばに豪州パースに帰ってきて、今日までの8日間ほぼずっとパソコンの前に座っているのですが、現時点で6000字の原稿(これです)が仕上がっておらず、明後日のクリスマスまでに対談のゲラを11本直して(絶対に不可能)、大晦日までに2万字以上の小説を書かねばなりません。  ADHDの特徴として時間管理が苦手というのがあるのですが、これはなかなか理解し難いでしょう。心がけと工夫次第でできることだとされているからです。遅れないのが当たり前の人にとっては、そんな簡単なことができないのはだらしないからだろう、としか考えられないと思います。甘えているから、怠けているから、あるいは頭が悪いから、約束を守れないのだと。  時間管理が難なくできる人の頭の中がどうなっているのか、見せて欲しいものです。いつも目の前に日付と時間が表示されていて、やるべき仕事リストが整然と締め切り順に並んでいるのかしら。  私はといえば、スケジュール表とリマインダーと手書きのメモを駆使しても、締め切りや約束の時間を忘れたり勘違いしたりが日常茶飯事です。 「今日は10時集合だぞ」とわかっていたのに、シャワーを浴びているうちに「10時半集合だぞ」に書き換わってしまうとか、火曜日には「木曜日までに3000字のエッセイを書かないとな」と覚えていたのに、水曜日に書いた2000字のエッセイに手こずっているうちに木曜日になってしまい、3000字の方をすっかり忘れてしまうとか、呆れるような勘違いや失敗が多いのです。  そうであれば、何事も早め早めに行動するようにすればいいですよね。ところがそうできるのは10回に1回ぐらい。いつもバタバタと、目の前に山積した問題を片付けるのに追われています。  大人のADHDについて調べると「難しい仕事を後回しにしてしまう」という特徴があると書いてあります。これは説明しても絶対にわかってもらえないだろうと思うので、本当は書きたくないのですが、よくわかります。  やらなくてはならないことがあるのに、なかなか取りかかれない。やろうと思うと頭が重たく詰まったようになって、その感覚から逃れるために他のことをしてしまうのです。今読まなくてもいい仕事の資料を読み始めてしまうとか、ツイッターを見るとか本を開くとか、とにかくやるべきことと違うことをすると重苦しい感じが取れる。で、またやらねばなと思うと、透明な壁に突き当たったような感じで呼吸が浅くなり、体も置きどころがないような感覚になるのでまた違うことをして楽になる……不快感や説明のつかない苛立ちのようなものに邪魔されて、なかなか行動に移せないのです。  当事者研究で知られる熊谷晋一郎さんは、精神障害や発達障害は「心がけが悪い」「意志が弱い」などの負のレッテルを貼られやすいと指摘しています。そのためには当事者の語りを聞くことが大事だと。  聞いたところで「言い訳だ」と笑う人が多いのかもしれません。でも何も言わないと、本当にただのだらしない人だと思われてしまうので、こうして説明することも時には必要なのでしょう。  脳の機能障害は、足が動かないとか目が見えないというのと違って、他人からはどこがどう「普通と違っている」のかが見えにくいものです。加えて多くの人は「脳は意志の力でコントロールできる」と信じているので、うまくできないことがあるのは心がけが足りないからだと思いがちです。  耳の聞こえない人に話しかけて、聞こえないことがわかればそうかと納得するのに、時間管理ができない人に締め切りを守れと言って「できないんです」と言われたら、態度が悪いと怒ってしまうのはなぜでしょう。それは、心がけ次第で耳が聞こえるようになることはないけれど、心がけが悪くて締め切りを破る人はたくさんいると考えるからです。大抵の人には、夏休みの宿題を先延ばしにして最終日に半泣きでやった経験が一度ならずともあるはずです。だから時間を守れないのはよくあることで、自分は、間に合わない人がどうして間に合わなくなるかを「知っている」と思ってしまうのです。聞こえない人に「なぜ聞こうとしないのですか」と尋ねないのは、聞こえないということは「特別なこと」で、自分の心がけが足りないせいで音が聞こえなくなった経験もないからでしょう。  ADHDの難しいところは、自分でもこの困りごとは障害ゆえなのかそれとも他のことが理由なのか、はっきりとわからないことです。意志が弱いと言われればそうなのか、と思うし、機能障害ですと言われればそうなんだ、と思う。脳みそのことを脳みそが客観的に眺めるのは難しいので、これが意志なのか機能なのかを判じかねる(というか意志を持つこと自体が脳の機能なんじゃないかと思うんですが、と考えることもまた脳の機能ですよね、って言ってる意識もまた、以下略)。  身体の他の部位は客観的に見ることができるけれど、脳みそは主観の塊です。脳は脳の外側に出られない。ADHDは検査して数値で測れるものでもないし、レントゲンに撮って「ほら、ここです」と言えるものでもない。だから本人も「これは機能障害によるものです、こっちは違います」なんて説明できないのです。 ■「聞かされる身にもなって欲しい」という友人の一言  さて、前回は高校生活で「コミュニケーションは型である」ことを学んだ話を書きました。おかげで人間関係が改善し、中学の時のような暗黒の日々ではなくなりました。仲のいい友達もでき、お腹が痛くなるまで笑い転げたり、家族や友人関係の悩みを打ち明けあったりする青春の日々でした。  相変わらず余計なことを言ってしまったり、距離の取り方を間違ってしまうことはありましたが、高校生の人間関係というのは大人のそれよりもむき出し感があるといいますか、まだみんなそれぞれに粗削りなところもあったせいでしょうか、トライアンドエラーで学習することができたのです。それに、私がそのような失敗をしやすいことを周囲が「まあいつものことだからな」と思ってくれていたのも有難いことでした。今思うとこれもADHDの衝動性のコントロールがうまくいっていなかったことが原因の一つでしょう。友達とのやり取りの中で、ああ、自分の言動は相手にとっては唐突なことがあるだけでなく、圧が高くてダメージやインパクトを与えやすいのだなと気づきました。  このころの私にとっては学校での問題よりも母との関係の方が深刻でした。いわゆる過干渉である上に他者という概念を持たない母とのコミュニケーションはかなりのエネルギーを費やすもので、毎日数時間に及ぶ口論が続き、だいぶ追い詰められていました。  私も私で何としても母に理解されたいという執着が強すぎたものですから、母の蒙昧ぶりを責めたり、感情を爆発させたりしてしまい、余計話が長くなります。ああわからないんだなと諦めてしまえばいいのに、そうもいかないのが家族の面倒なところです。  そんな母に対する愚痴をよく夜の11時過ぎまで友達に電話で話していたのですが「聞かされる身にもなって欲しい。度を越している」と言われてハッとしました。自分のことしか見えてなかったんだな、私。  この友人とは今も交流が続いていますが、はっきりと言ってくれて本当に良かったです。当時は傷ついて落ち込みましたが、言われなければ自分が何をしているのか自覚することができませんでした。  私は「自分の話は伝わっていないのではないか」という不安が強いのですが、これは先述したような空気の読めなさと長く格闘してきたことに加えて、母とのやりとりのある種のトラウマだと思います。「聞きたいようにしか聞かない」という強力なフィルターのかかっている人が相手だと、数時間かけて手を替え品を替え説明しても結局何も伝わらなかったりします。その時の徒労感と孤独は筆舌に尽くしがたいものがあります。  多感な時期に毎日それをやっていたのですから、低温火傷のようにじっくり深度まで達する心的外傷となり、「いかに言葉を尽くそうとも、私の話は伝わらない」という銘文が自意識の基盤に刻み込まれてしまったのかもしれません。  しかし今、これが役に立っていることも確かです。伝わらないことを前提に、少しでも相手の生理や心理に親和性が高いチャネルで言葉を届ける努力をする習慣がついたからです。  人は誰でも程度の差はあれ認知の歪みがあるもので、それはその人が人生のある時期に過酷な環境を生きのびる為に身につけたものなのだと思います。母が他者という概念を持たないのも、そのようにしないと、つまり外界から影響を受けないように回路を遮断しないとサバイブできなかったのだろうと思えば、責めても仕方がないし、むしろ共感しないでもありません。その人がそうなるに至った背景を自分なりに想像し、極力相手の不安を取り除いて話をする方が手っ取り早いということを次第に学習しました。 ■恋愛の裏側にあった、支配欲  これは仕事上では非常に役に立つのですが、なぜか交際する男性に限っては、踏み込み過ぎて裏目に出がちです。つまりそんなところを掘ると恋愛関係を平和裡に運営していくのは困難になるのです。恋ってカウンセリングじゃないですし、誰しもそっとしておいてほしいことはありますからね。私が「あなたを縛っているものはなんなの? 自由になりたいとは思わないの? 目を覚ませ!」などと叫んだら、先方としては「ありのままを受け入れて欲しいのに」と一人雪山にでも籠りたくなるでしょう。  そんな余計なことをする私の動機は、一義的には相手を知りたいからなのですが、裏に隠されているのは支配欲だと思います。相手を苦しみから解放してあげる救世主気取りなんですね。頼まれてもいないのに駆けつけてドアを蹴破ろうとするのですから、相手にとったら単なる不法侵入です。  どうも私には、人の屈折を見てみたいという強い欲求があるようです。更に言えば、その人が変わるところを見てみたいのです。ですから、ぱっと見はごく普通なんだけど、注意して見るとそこはかとない狂気や闇の気配が感じられる人が気になってしまいます。となると惹かれる相手は、見る人が見たら「そいつはやめておけー」というめんどくさい案件にならざるを得ません。  そもそも最初の恋愛がいけませんでした。大学に入って最初に付き合ったのは失恋したばかりの男性で、その元恋人というのが私が通っていた女子校の先輩で伝説の美少女と言われた人でした。そんな伝説の美少女の後釜に座れたことが嬉しくて、毎日毎日、彼の失恋話に付き合ったんですね。今なら「セラピーかよ」と思うようなデートでしたが、何しろ私は初めての恋愛でしたから、彼の元彼女への未練タラタラの繰り言に付き合いながら「うわ、受話器から男の人の声がする」「うわ、隣に男の人が座ってる」とかいちいちメタ視点で新鮮味を感じていたのです。  しかも男性が傷ついている様子や悲しむさまを間近で見るのは初めてのことでしたから、非常に興味深く、目が離せませんでした。やがて、私まで元彼女にフラれたような気持ちになって泣いたりして、なんなら元彼女のことを好きになってしまいそうでした。  しかもそんな彼が、私の肉体にはしっかり欲情したりするのを見ると、なんて身勝手なのかしらと思いながらも、その人間の浅ましさというか心なさみたいなものの味わいを興味深く思ってしまう自分もおり、傍目には失恋の寂しさと性欲処理のために男に利用されただけなのですが、本人としては「実に珍しい体験をしたものだ」というそれなりの手応えを感じていたのです。彼には、結局「前の彼女が忘れられない」とフラれました。  このとき自覚した「人の得体の知れなさに近づきたい」という思いは、私が生来持っているものではないかと思います。その後もいくつか恋をしたものの、ひとさまからみたら愚かな恋でも、本人としては人間に対する考察を深める機会になったので、悪くはなかったんじゃないかと思います。相手が私との恋愛をどう思ったかはわかりませんが、中には現在も良好な友人関係を保っている人もいるので、さほど非人間的な女と思われたわけでもないのかもしれません。 ■いまに続く、遅刻常習犯  話を学校に戻しましょう。  時間管理が苦手であるということは遅刻が多いということです。私が暮らしていた東京郊外の新興住宅地から新宿にある学校までは片道2時間ほどかかりました。女子高校生にとって髪の毛というのは重大な問題で、毎朝5時に起きては長い時間をかけて髪をドライヤーでセットしておりました。髪を引っ張ったり巻いたりしてようやく納得が行く形になった時にはバスの時間が迫っており、自宅を飛び出して全力疾走でバス停まで行き、駅に着いたら通勤快速という名のノロノロ電車に乗り込んで、肋骨が折れそうな混雑の中、痴漢(当時はまだ犯罪と認識されていませんでした)との戦いを続けて終点の新宿まで50分。そこから山手線に乗り込んで高田馬場駅へ。しかし学校は駅から徒歩で20分の場所にあり、とても間に合いません。  すると駅周辺にはたいてい私と同じように切羽詰まったセーラー服がウロウロしているので、タクシーに相乗りして学校まで行くのです。当時の初乗りは470円から520円。バレないように先生の死角で降りて、授業開始の本鈴と同時に教室に滑り込む……高校生がタクシー割り勘なんて、いかにもバブル期らしいですね。月に5万から8万も小遣いをもらっているような同級生もいましたが(親は何を考えていたんでしょう)うちにはそんな余裕はなかったので、お小遣いは月に数千円。毎日タクシーに乗るわけにはいきません。仕方なく駅から学校まで走るのですが、運動部で鍛えているわけでもないので息が続かない。  結果として、遅刻常習犯でした。そこから今に至るまで、私はずっと遅れ続けているのです、明日こそ、間に合う人になろうと思いながら。(続) ※『一冊の本』2019年2月号掲載 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
BusyBrain私の脳の混沌とADHDと小島慶子
dot. 2019/08/09 14:24
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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