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バレエ愛するトランスジェンダーの葛藤描く 実話に基づいたストーリー
バレエ愛するトランスジェンダーの葛藤描く 実話に基づいたストーリー
Lukas Dhont/1991年、ベルギー・ヘント生まれ。映画好きの母の影響を受け、「子どもの頃から映画を作りたかった」と映画の道へ。KASKスクールオブアーツ在学中に撮った短編作品が数々の賞に輝く。映画監督として注目を集めるが、俳優もできそうなほどのイケメンだ(撮影/慎芝賢) 「Girl/ガール」現役トップダンサー、ビクトール・ポルスターがララを演じる。7月5日から全国順次公開 (c)Menuet 2018 「リトル・ダンサー」/発売元・販売元:KADOKAWA、価格1500円+税/DVD発売中 (c)2000 Tiger Aspect Pictures (Billy Boy) Ltd.  AERAで連載中の「いま観るシネマ」では、毎週、数多く公開されている映画の中から、いま観ておくべき作品の舞台裏を監督や演者に直接インタビューして紹介。「もう1本 おすすめDVD」では、あわせて観て欲しい1本をセレクトしています。 *  *  *  トランスジェンダーを主人公にした映画は身近になってきたが、ティーンエージャーが主人公となると話は別だ。  映画「Girl/ガール」は母親代わりにかいがいしく6歳の弟の世話を焼き、親戚が集まれば食事の用意を整える15歳のララが主人公。彼女はどこから見てもすてきな姉だが、実はトランスジェンダー。国内有数のバレエ学校へ試験編入が許された彼女は、血の滲むような厳しいレッスンに耐え、プロのバレリーナを目指しているが……。  脚本も手掛けたのは、ベルギー出身のルーカス・ドン監督。長編第1作となる本作でカンヌ国際映画祭では新人監督賞など3部門で受賞。アカデミー賞外国語映画賞のベルギー代表となり、ゴールデン・グローブ賞でも外国語映画賞にノミネート、各国で多くの賞に輝く注目の映画監督だ。  本作の始まりはドン監督が映画学校へ入って間もない2009年、18歳の時に読んだ新聞記事だった。 「(撮りたい映画は)これだ! と思ったんです」  載っていたのは、バレリーナを目指すノラ・モンセクレールの記事。彼女は生物学的には男性として生まれたが、自分は女性だと確信し、学校側に反対されながらも自身のセクシュアリティーを公表。バレリーナになる夢を貫く意志を持っていた。 「15歳にもかかわらず、彼女は自分で選んだ世界を生きていた。クラシックバレエは男女しかない世界観。それまで規範に合わせて生きていた18歳の僕は、レッテルをはがそうとした彼女に尊敬の念を抱きました」  ノラの姿勢はかつて、周りの評価を気にして演技や歌などを「女の子っぽい」とやめてしまったドン監督の心に刺さった。ノラに会いたいとすぐに行動を起こしたものの最初は断られ、会うまでに1年かかったと言う。 「ノラの物語は多くの人に見られるべきだと感じていたので、彼女と会って話したいという衝動はずっと消えませんでした。ただ、会えてもすぐに映画の話を進めたわけではありません。彼女は若く、映画とは違ってバレエ学校では女子クラスを受講させてもらえていませんでした。デリケートな時期でもあったため、まずは彼女に対する尊敬の気持ちを伝え、友情を育んでいったんです」  脚本に4年。物語をララに絞るため、LGBTをテーマにした映画でよく描かれる「周囲との葛藤」を描かないと決めていた。それだけに、 「他者とかかわらずに彼女の内なる葛藤をどう描くのか、それを探すのに一番苦労しました。鍵となったのはバレエ界。もっとも女性らしい、女性の極みというイメージを持たれている世界ですが、そのイメージに近づこうとしていることこそがララの葛藤なんだと気づくまでにちょっと時間がかかりました」  悩みながらも自分らしく生きていくララ。そこにはノラだけでなく、監督自身も半分くらい投影されているという。 ◎「Girl/ガール」 現役トップダンサー、ビクトール・ポルスターがララを演じる。7月5日から全国順次公開 ■もう1本おすすめDVD「リトル・ダンサー」  男だから、女だから〇〇してはいけない──。幼い頃から性差別を受けることは少なくない。クラシックバレエもかつては女の子の習い事だった。男の子がバレエを習いたいと言えば引かれたものだ。マッチョな男性が多い土地柄ならなおさらそうだろう。 「リトル・ダンサー」の舞台はそんな雰囲気が充満する、炭鉱不況真っ只中の英国北部の炭鉱町。11歳のビリーは炭鉱労働者の父と兄、認知症の祖母との4人暮らしだ。父はボクシングの熱烈なファンで、ビリーを近所のボクシングジムに通わせていた。そんなある日、ジムの片隅でバレエ教室が開かれることに。そもそも音楽が好きでボクシングに馴染めなかったビリーはふとしたことから優雅なバレエにすっかり魅せられ、密かにバレエの指導を受けることになるのだが……。  男にとって強さがすべて、のように育った父や兄にしてみれば、男がバレエなんてあり得ない。だが、バレエを愛するビリーは諦めない。「自分らしく生きる」ことを貫く彼のダンスは、頑なだった父の心を打ち砕く。見る者の心もとらえて離さない。見終える頃にはすっかり勇気がチャージされているはずだ。 ◎発売元・販売元:KADOKAWA 価格1500円+税/DVD発売中 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2019年7月1日号
AERA 2019/06/29 08:00
瀬戸内寂聴が明かす、寂庵のスタッフが“若返る”理由
瀬戸内寂聴が明かす、寂庵のスタッフが“若返る”理由
「寂庵」での対談は、度々にぎやかな笑いに包まれた(撮影・楠本 涼) [左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章[右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)  作家の瀬戸内寂聴さんを支える66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんが『寂聴先生、ありがとう。』を6月に出版。8年間寄り添ってきた寂聴さんへの思いを3年かけて執筆した。前編に引き続き、師弟対談を掲載する。 まなほ(以下、ま):本では、先生が反原発で闘う姿も書きました。89歳で座り込みに参加したり、胆嚢がんの手術の退院直後に国会議事堂前の集会に出たり……。圧倒されました。先生は長らく政治応援はしてこなかったですよね。川端康成さんの頼みすら断ったのに、つい5年前、都知事選で細川護熙さんを応援した。そこに小泉純一郎元総理もいましたね。 寂聴(以下、寂):細川さんは好きだから。選挙手伝って知ったけど、奥様がとってもいい方。細川さんは演説へたなんだけど、奥様がすごくうまい。小泉さんは総理のときから知っています。私が小泉さんにあんましたこともあるくらい。 ま:うまいんですよ。私もたまに肩出すと「凝ってるね~」って先生がやってくれるんですけど、「なんで私がしなきゃいけないの!」って途中で我に返るんです。 寂:被災地へ行くと、何もしてあげることないじゃない。だから「みんな疲れてるでしょ? あんましてあげる、いらっしゃい」って言うの。それでおばあさんが「では……」って来るからやってあげると、「はぁ~、いい気持ち!」って言うの。ふっと見てみると、ずらーっと並んでるのよ! ま:疲れるし、結構力がいると思うんですけどね。 寂:徳島の女学校は、卒業時に本職のあんま師を呼んできて、習ってから卒業するの。それで、結婚したら「亭主をもめ」ではなく、「舅と姑をもみなさい」と言うの。 ま:秘書になって最初のころは、私も怒られたことがありました。 寂:えっ、そう? たとえばどんなこと? ま:一度私が何か余計なこと言って、怒られたことがありました。それですぐに「先生すみません。ごめんなさい」と謝ったときの手紙を全部載せました。私に限らず、基本どんなときに怒りますか? 寂:うーん……やっぱり出しゃばったときじゃない?よく知らないくせに知ったこと言ったりとかね。 ま:そんなに怒らないですけどね、最近は。 寂:やっぱり年をとったら面倒くさくなる。まあいいか、と思って。 ま:若い世代と一緒にいる生活はどうですか? 私が30代、20代が1人いて、あとはお堂のスタッフは70代です。 寂:70代だけど、うちに来ればみんな若返るの。ぱっと見たら50代にしか見えない。髪形とか、お化粧とか、服も派手なもの着ててね。だから毎朝、「今日のいいねえ」「似合ってる」「お化粧がうまくいってる」と、必ずほめてあげる。そしたら、みるみるきれいになる。単純よ、人間。  気持ちよく働いてもらいたい、とまでは思ってない。誰かを見たら、幸せにしてあげようと思ってるの。そしたらほめるしかないじゃない。「今日の服いいわね」なんて言ったら、その服が私のお古だったりする(笑)。みんなにこにこしてますよ。 ま:新聞の字は読みにくくないですか? 寂:私は平気。眼鏡かけるし、白内障の手術もしてるから。でもね、この手術はしないほうがいいよ。術後に病院の鏡を見るでしょ。自分がこんなに汚い顔だと気づいて「ああっ!」って。もうね、絶望するよ。 ま:「80歳のおばあさんがいる!」ってね。 寂:そうそう。そのときの秘書が廊下にいて、何事かと飛んできたの。私が「ほら、見て、おばあさん!」と言ったら「前からですよ」って。クビにしようかと思った。 ま:先生は今も手書き原稿ですけど、長時間書くこともありますよね。 寂:忙しくなければ何時間ってことはない。「新潮」と「群像」の締め切りがほぼ同じなので、そのときは一晩徹夜して両方とも書いた。97歳で文芸誌二つ連載する作家は、かつてなかった。よくやってるね。  記憶力がいいってよく言われるけど、ものを覚えようとしたことないんですよ。だけど子どものころ、四つくらいのことから全部覚えてるの。 ま:先生に「一番良かった時期はいつですか?」って聞いたら、「子どものころ、遊んだり勉強したりするとき」って言ったんですよ。 寂:汚い子だったから、おできに薬をつけて、みんな遊んでくれなかったけど、それが良かった。一人遊びをするためにいろいろ工夫して、想像力ができたの。小説家になった一番の原因はそこだと思います。石一つ拾ったら、その石で遊ぶことができたの。それが今、一から全部思い出される。 ま:これまで私にそんな話してくれたことなかった。「新潮」の連載のために書き始めてから「4~5歳のときの思い出をこんなに覚えてるんだ」と思ったわけですよね。かつて多分、その時代のことを書いたことないんですよ。だからそういう意味では「残る」ものになると思います。 寂:幼稚園に入る前だからね。ある夜のことを書こうと思って思い出すと、「こんなことも、あんなこともあった」ってその辺りのこと全部思い出される。このごろ、子どものころの世界が一番身の回りにある。書くまではそんなこといちいち思い出してなかったんですよ。 ま:私がすごいと思うのは、スランプが一度もないこと。私はこの本を書くのでさえ3年かかったのに、先生はいまだに何を書こうか悩むことはあっても、書けない時期がないじゃないですか。書き続けられる力が衰えず、それだけずっと生み出しているのはすごい。 寂:天才とかよく売れてる人は、「スランプで書けない」とか言うじゃない。あれ言ってみたいんだけどね(笑)。 (構成/本誌・緒方 麦) ※週刊朝日  2019年7月5日号より抜粋
週刊朝日 2019/06/29 08:00
クビ宣言する瀬戸内寂聴が66歳年下秘書に送った手紙の秘密
クビ宣言する瀬戸内寂聴が66歳年下秘書に送った手紙の秘密
[左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章[右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼) 「寂庵」での対談は、度々にぎやかな笑いに包まれた(撮影・楠本 涼)  作家の瀬戸内寂聴さんを支える66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんが『寂聴先生、ありがとう。』を6月に出版。8年間寄り添ってきた寂聴さんへの思いを3年かけて執筆した。対談では、まなほさんが出した手紙に寂聴さんが返事を書かなかった理由が初めて明かされた。 まなほ(以下、ま):今月8日に結婚式を挙げました。私がバージンロードを歩いてチャペルの前まで行ったとき、先生が大きな声で「きれいだよー!」と叫んでくれたのがすごくうれしかったです。 寂聴(以下、寂):車椅子にも乗らず、杖もつかず、ちゃんと出席できました。華やかで和やかな式で、まなほは格別きれいでした。 ま:2、3年前までは、この場に先生が来られることを二人とも想像できなかったので、夢がかなったという思いです。「次は赤ちゃんだね」と言ってくれました。 寂:新郎も優しそうないい男。まなほのほうが威張ってると思いますから、尻に敷くんじゃないでしょうか(笑)。 ま:今回の本では、前作が出てから自分に起きたことを書いています。講演もするようになったり、テレビに出るようになったり、本を出してからガラッと変わりました。それと結婚のこと。 寂:もう31歳でしょ? 赤ちゃんを産むには、若いときほど楽なの。 ま:彼と出会ったとき「これだ!」というのはなかったんですけど、適齢期っていうのと、赤ちゃんが欲しいっていうのはずっとあったので、ちょうどいいタイミングで結婚したいと思える人に出会えたから、それはよかったです。 寂:お世話してくださる人が随分いらして、お見合いも何度もしてるんですよ。とてもいいお話ばかり来たんだけど、結婚っていうのは条件じゃなくて「好き」という気持ちでしょ。昔と違うからね。私たちが若いころは、お見合いしたらその人と結婚しなきゃいけない。でも今は、自由恋愛だから。 ま:彼を選んだ理由としては……私は押しに弱いので、自分から行けないんですよ。押されてっていうのもあるし、フィーリングです。話してて楽しい人がいい、というのが一番にあって、今の彼にはあてはまりました。 寂:彼のことは、決まってから紹介された。見せないのよ、私がまた反対すると思って。 ま:彼と先生は仕事でも会ってたんですけど、全くそういうふうに思ってなくて。 寂:そう、お相手とは思わなかったの。寂庵にはいろんな人が出入りするからね。どれだかわからなかったの。 ま:先生がおしゃべりだから私、言わなかったんです。「しゃべらないでください」とお願いすると、「言われたくなかったら寂庵辞めろ」とか言うんですよ! 寂:だって、私がおしゃべりってことは、天下みんな知ってるから。ここでしゃべったことは、明日にはもう全国に広まるね。 ま:彼のことはちゃんと大切にずっと持っていて、いざ、というときに言いました。それでも私は「言わないでね。言ったらだめ」って言ったのに、先生は言いまくってましたけどね(笑)。 寂:「これを言っちゃあね、まなほが怒るからね、内緒よ」って言うの。お相手はハンサムですよ。ああ、ハンサムだからこの人「うん」って言ったんだな、って思った。だけどね、外から見ただけでは中身はわからないっていじわる言ってやる。 ま そう、それで「顔がいいから、たぶんすぐ女ができるよ」って……そんなことばっかり言われてます。でも、ブサイクだったら陰でボロクソ言ってると思う。イケメンお好きですもんね。 寂:だって見るだけでもいいじゃない? ご飯がおいしいよ。お相手はまなほのおかしいところを理解してるみたいなの。私がまなほといて笑うでしょ。その人も、まなほのおかしいところを笑うんだって。それなら大丈夫、と思って。 ま:あらためて彼が寂庵に挨拶に来たときに、「あ、あなただったの、よかった!」って言ってくれたんです。 寂:それはご挨拶で。あっはっは(笑)。 ま:こういうふうに、私にいじわる言うのが大好きなんですよ! 見てください、このうれしそうな顔。寂しいとか思わないんでしょう。 寂:ちっとも。二人で来たら、かえって今度はにぎやかになるんじゃないですか。 ま:結婚後も働かせてもらいます。今は京都で二人で暮らしてます。 寂:生きてる間に結婚式出られてよかったな、と思います。だって私はもう97歳よ。いつ死んでもおかしくない。 ま:週刊朝日と同じ年なんですって! 寂:いいねぇ、週刊朝日。このごろちょっと暇だとベッドで寝たいの。横になって読むには、重い本は読めない。だから週刊誌にとても詳しいんだよ、私! 端から端まで全部読むの。 ま:朝起きたらベッドから雑誌が落ちてますよね。読んでる途中に落ちたのかな。時々、表紙の俳優さんやジャニーズでも、先生が「あ、この子かわいいね」と思う人いますよね。  この本には、先生からもらった手紙の返事も載せました。これまで何度も先生に手紙を書いてきたけど、ずっと返事はもらってなかった。それを、当時連載していた文芸誌「群像」の小説『死に支度』を通じてもらったんです。小説に登場するモナ(私)宛てで。 <私の所から早く巣立って、自分の中に眠っている可能性の種を育てて、鮮やかな大輪の花を咲かせなさい。死なない私はモナが九十二のお婆さんになっても、傍についていてあげます> 寂:まなほに宛てて書いたって一銭にもならない(笑)。 ま:たぶん本当にただ忙しくて、「せっかくだから、ここで手紙の返事を書こう。そしたらお金にもなるし、まなほも喜ぶし」とひらめいたんじゃないですかね(笑)。 寂:まなほは文才が初めからある。手紙が素直でね、とてもいいの。この人にこう書きなさい、なんて言ったことない。 ま:一度私が手紙を書いたときに先生の部屋をのぞいたら、「あんた本当優しいね」ってちょっと泣いてたことがあったんですよ。 寂:目がかゆかったんじゃない? ま:そういうことしか言わないんだから~。でも、それはすごく覚えています。先生は、「秘書も書く仕事もどっちもできないから、秘書を辞めて書く仕事に専念しなさい」って言ってくれたけど、先生を見てるから書くことだけで生きていける自信は全くないし、まして小説も書けない。どうしても書くことで生きていく覚悟ができない、ってこの本の中で書いたんです。 寂:でもね、初めての本が売れて、すごいお金が入ってきたの。借りたいぐらいよ。だからやっていけますよ。運もいいのね。1冊だけでこれだけ売れたってことはすごいことなの。おもしろくなかったら人は買いません。おもしろいから読んでくれたんですよね。 ま:先生は今日もわざと私にいやなこと言って、私が耳を引っ張ったら「そんなのクビだ」って。そんなやりとり、毎日ですよ。もう8年一緒にいます。 寂:8年って感じ、しないね! ま:いつも2、3年って言われる(笑)。だけどこの本では、先生はかまわれすぎるのが嫌、基本一人が好き、とも書いています。 寂:そう、一人が好きなの。スタッフたちは午後5時に帰ってしまうから、夜は一人です。 ま:先生が「夜ぐらい一人にさせて」と言ったんです。周りの人から見たら、97歳を一人にするなんてけしからんって怒られるかもしれないんですけど、本人がそれを望んでいたら、私たちはむげにそれを断れない。一人で夜な夜な台所に来てお菓子食べて、お酒も飲んで、自由にしていますよ(笑)。 寂:ちょっとほっとするの。 >>【後編】「瀬戸内寂聴が明かす、寂庵のスタッフが“若返る”理由」へ続く (構成/本誌・緒方 麦) ※週刊朝日  2019年7月5日号より抜粋
週刊朝日 2019/06/29 08:00
追悼 京マチ子さん、佐々木すみ江さん…大女優に訪れた最期
上田耕司 上田耕司
追悼 京マチ子さん、佐々木すみ江さん…大女優に訪れた最期
石井ふく子さん(左)と京マチ子さん=2006年10月撮影 (c)朝日新聞社 昨年の誕生日で破顔一笑する佐々木すみ江さん=所属のアルファエージェンシー提供  何歳になっても変わらない「らしさ」があった。ずっと貴婦人のようだった大女優。動けるうちは動きたい、と努めた90歳。よく生きて、よく逝った著名人の最期を追う。 ■京マチ子 看取った女優語る「何歳になっても貴婦人」  愛称ワンタン。  往年の大女優をして「ワンタンがいなければ生きられない」と言わしめた女優がいる。渡辺陽子さん(79)。5月12日、京マチ子さん(享年95)を看取った。 「京さんは3年くらい前から血流が悪くなり、股関節を悪くして歩くのが困難になっていらした。肺にも水がたまって、病院に通っていました。美しかった足も紫色に腫れて。だけど、杖をつくのは嫌っておっしゃって、壁やテーブルをつたって歩いていました」  京さんは大阪府出身で、普段の会話は関西弁。 「かめへん、かめへん」 「無理したらあかんよ」  という調子だった。  OSSK(大阪松竹少女歌劇団)に入り、大映に引き抜かれ、数々の映画に出演した。  映画「羅生門」(1950年)、「雨月物語」「地獄門」(53年)で、数々の国際映画賞を受賞。56年には米映画「八月十五夜の茶屋」でマーロン・ブランドと共演し、米ゴールデングローブ賞主演女優賞の候補入りするなど、国際派女優の先駆けだった。  京さんと渡辺さんは66年に帝劇で上演された「源氏物語」に共に出た。  若いころから、市川さんというマネジャーが京さんの才能を見いだし、身の回りの世話をしていた。その市川さんが約7年前に亡くなり、渡辺さんは京さんと急速に仲良くなる。いつしか毎日のように自宅に通うようになったという。  京さんは7年ほど前から、女優の若尾文子さん(85)、奈良岡朋子さん(89)、テレビプロデューサーの石井ふく子さん(92)らと同じマンションに住んでいた。 「4人ともバラバラに住み石井先生の新年会に出席していたんですが、縁というのは不思議なもので、年がたって人間関係が絞られていくうちに同じマンションに住むようになったんです」 「京さんは何歳になっても、きれいにお化粧してピアスをしていた。部屋の中もコーディネートして清潔に優雅に暮らし、最後まで貴婦人でした」  ただ、石井さんが演出した2006年の「女たちの忠臣蔵」以降は、表舞台に姿を見せなかった。  昨年7月には歩くのが難しくなったことなどから、一人で東京・渋谷のケア付き高級マンションに引っ越した。部屋はそれまで住んでいた部屋の半分くらいの45平方メートルだが、食事のルームサービスが付き、医者が訪問し、看護師が常駐。 「今年3月には都内の病院に9日間、入院していました。肺と足の水を抜く治療をして、足の腫れは引いたんです。退院されてケアマンションに帰ったときにはみなさんから『お帰りなさい』と歓迎され、『ここでずーっと暮らしていたいの』と言ってました」  再度、体調を崩したのは今年のゴールデンウィークに入ったころから。「物が食べられなくなり、好きなリンゴジュースを飲んでいたんですが、それも飲めなくなり、水だけになった。脱水症状になって呼吸も苦しくなり、言葉数も少なくなっていきました」  渡辺さんは、京さんが亡くなる2日前の5月10日に石井さんに連絡を入れ、11日には石井さんが京さんのもとを訪れた。 「石井先生は1時間以上、京さんの手を握っていました。これまでの思い出が走馬灯のようによみがえったのでしょう。石井先生は、素のままの個人として矢野元子さん(京さんの本名)とわかちあえるものがあったんだと思います」  京さんは石井さんを心待ちにしていたらしく、「ワンタン、ありがとう、うれしい」としみじみ語った。  翌12日午前9時半、容体急変の知らせがあり、渡辺さんは駆けつけた。 「まだ体が温かかったけど、息があったのかどうかわかりません。ドクターもやってきて、午後0時18分、臨終となりました」  京さんは生前、「延命治療はしないで」と、周囲に話していた。2日後の14日に荼毘(だび)にふされた後、赤坂近辺の和食料理店で、「石井先生たち、ごく親しい6人でお食事をして別れを惜しみました」。  京さんはハワイが好きで毎年のように訪問した。 「私も4~5回、ご一緒しましたが、シャワーツリーの花が好きで、『空気と風がいい』と言っていましたね。昔からの友人がいっぱいいて」  ホノルル郊外に墓もあり、やがて納骨するそうだ。 「ワンタン、と今でも京さんから呼びかけられているようです。私が思う以上に、京さんは私のことを思ってくれた。生涯のかけがえのない日々をいただいた」 ■佐々木すみ江 「動けるうちは仕事を」突然の幕に遺作4作も  90歳になっても先々の仕事の話があった。でも突然、人生の幕は下りる。女優佐々木すみ江さんは2月17日、自宅で倒れ、救急車で病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。  今秋公開予定の映画「惡の華」などが遺作となった。井口昇監督は昨年11月の群馬県桐生市でのロケを振り返った。 「佐々木さんはにこやかで、肌艶も良く、お悪そうなところはなさそうで予定どおり撮影が終了しました」  佐々木さんの役どころはヒロインの祖母で孫の友達を明るくもてなす役。 「この作品には、“大人”が出てくるシーンが少ない。だからこそお芝居のしっかりした女優さんに出てもらいたかった」(井口監督)  所属事務所アルファエージェンシーのマネジャー齊藤真純さんは言う。 「佐々木さんは携帯電話、メールの打ち返しも速く、スマートフォンの普及とともにスマホに変え、メールも動画も駆使するほど時代の流れに敏感で、新しいものに目を向けていました」  最後の映画のロケ地は広島県呉市。こちらは2020年公開予定の映画「記憶屋」。亡くなる1カ月前の1月18日だった。このとき、台本4ページもの長いセリフを完璧に覚えていたという。  健康にはとても気を使っていたという。 「健康食品をまめにチェックしていたし、テレビの健康番組も大好きでした」  中でも、手作りの「レモン酢」は常備していた。 「きれいに洗ったレモンを輪切りにして、氷砂糖とお酢を耐熱ガラス瓶に入れ、電子レンジで温めてから、常温で氷砂糖が溶けていたらできあがり。水や炭酸水などで割るのですが、私も飲んでいます。ある日、テレビの情報番組を見てすぐ、『レモン酢に使うお酢はリンゴ酢のほうが体にいいみたいよ』と電話で教えてくれたこともあります」  佐々木さんは1951年に劇団民芸の研究生となり、舞台をメインに活躍。71年の民芸退団後はテレビドラマへの出演が増えた。  アルファエージェンシーの万代博実社長と佐々木さんの出会いは40年前にさかのぼる。 「前の事務所を辞めた佐々木さんが、うちに入りたいと来られたので、喜んでご一緒させてください、と」  83年には「ふぞろいの林檎たち」(TBS系)で、小林薫と中井貴一の母を演じ、子供が産めない嫁につらく当たる姑役が評判に。2007年に放送された井上真央主演の「花より男子2」(同)に出演。メイド頭・タマを演じた。  08年のNHK大河ドラマ「篤姫」では篤姫の乳母役を好演し、代表作の一つに。冒頭の井口監督が佐々木さんと仕事をしたのは2度目で、最初は深夜ドラマ「神様のイタズラ」(BS-TBS)だったという。 「女子中学生とおばあちゃんの体が入れ替わってしまうというコメディーでした。佐々木さんは女子中学生のように『イエーイ』『まじすごい』と言い、かわいらしいしぐさをしてくれました」  万代社長が語る。 「年を重ねても自分に厳しく、コメディーやシリアスな役でも、こわもてやチャーミングなおばあちゃん役でもなんでもこなした」  たしかに90歳になったが、広い守備範囲を生かし、「体が動くうちは仕事をしたい」と周囲に語っていた。「惡の華」「記憶屋」ほか2作、撮影済みの遺作があり、今年から来年にかけて公開される。(本誌・上田耕司) ※週刊朝日  2019年7月5日号
週刊朝日 2019/06/27 08:00
アニソンカフェで「ヲタ芸」やってみたら、元高校球児でもハードすぎた件
アニソンカフェで「ヲタ芸」やってみたら、元高校球児でもハードすぎた件
オープン前の「ヲタ芸」練習。ポイントは、腕をしっかり伸ばすことだ。 営業時間は18~翌5時(土日祝は17時~)で料金は歌い放題・飲み放題の男性が30分1,400円、女性1,000円(税込み)。もちろんソフトドリンクだけでなくアルコールも提供している。女性に限りコスプレで来店すると割引の対象となるようだ。 選曲のジャンルが決まっているので、自分が歌っていないときも楽しむことができる。  曲が始まり、サビが流れると、「ローマーンース!」のかけ声が会場全体に響いた。次の瞬間、体を左右に思い切り反らしながら腕を天井に向かって突き上げる。一心不乱に踊り続ける彼女たちの額は汗でびっしょり。その様子を後ろから見ていた記者は、異様な空気に終始圧倒されていた。  何かが憑依したかのように踊り続けているのは、「セーラームーン」のコスプレやピンクのウィッグをかぶった女子高生姿の女性たち。彼女たちの視線の先には、ステージ上で美声を披露するアイドルの姿……ではなく、ポロシャツを着たごく普通の成人男性だった。  6月1日にオープンした東京・池袋のアニソンカフェ「すた~ず@IKEBUKURO」は、カラオケ中にコスプレ姿のスタッフらが「ヲタ芸」で盛り上げてくれるカラオケバーだ。2015年に1号店をオープンして以降、アニメの世界に入り込めるとして人気を集めている。池袋は6店舗目の出店だ。そんなうわさを耳にした体力自慢の元高校球児の記者(25)が、「ヲタ芸」研修を体験することになった。 *  *  *  帰宅ラッシュの人混みをかき分けて池袋駅から歩くこと5分。飲食店や雑居ビルなどが立ち並ぶ繁華街に「すた~ず@IKEBUKURO」はあった。店に入り目に飛び込んできたのは、清潔感あふれるシンプルな内装。店員やコスプレ姿の女性たちが開店に向け準備を進めていた。コスプレ姿の人たちを除けば、一見してここがサブカル系専門の店だとは思えない。  とまどいながらも、従業員にあいさつを済ませてスーツ姿から動きやすい服装に着替えると、さっそく店長の澤田健人さんが店のシステムについて教えてくれた。  店内は一般的なカラオケ店のような個室式ではなく、スナックのイメージに近い。カウンターに10人、テーブル席に20人ほどが座れる広さだ。カラオケ中はコスプレ姿のスタッフらが盛り上げてくれるので、「おひとり様」でも孤立する心配はないという。 「コスプレ姿で接客するのはアルバイトで採用した方々です。プライベートのコスプレ経験がある人がほとんどで、衣装は自前で好きなものを持ち込んでもらっています」(澤田さん)  アルバイトは学生ら16~23歳が中心だ。特定のコスプレイヤーを目当てに来店するファンも多いという。  20代の紅音(あかね)さんはセーラームーンのコスプレをしていた。頭からつま先まで本格的なコスプレだが、全身の衣装はネット通販などで意外にも1万円前後でそろえられる安さだ。アニメと同様にスカートが極端に短く、正直目のやり場に困ってしまった。筆者同様にヲタ芸は未経験だというが、「研修、一緒に頑張りましょう」と励ましあった。  ヲタ芸とは、アイドルのコンサートなどで、ファンが曲を盛り上げるために行う独特な踊りやかけ声のことだ。聞けば、ヲタ芸には曲ごとに数えきれないほどのパターンがあるそうだ。覚えられるのか不安になったが、いくつかの基本的な型を覚えれば、どの曲でもある程度は対応できるという。5人のアルバイト(うち2人がヲタ芸未経験)とともに、まずは踊ってみることになった。  店長から最初に教わったのは、「サンダースネイク」という技。名前からして激しさを感じさせる。まず両手を前に向かって縦回転させながら繰り返し交差させ、両腕を体の左から右に持ってくる。その後両腕をまっすぐ上に伸ばして体の前で大きく円を描くように振り回す。とにかく腕をめちゃくちゃに振り回すのだ。  そしてそのまま冒頭の「ロマンス」へと続く。技名のとおり「ローマーンース!」と声を出しながら激しく体を動かす。それぞれ曲のサビを盛り上げる重要な技だ。  店長や先輩スタッフの動きをまねながら10分ほど基本動作を繰り返す。高校時代、真夏の炎天下で何時間も走らされた筆者だが、気づけば息が上がり汗だくに。激しい運動だが、やっていると意外と楽しい。 「それでは、曲に合わせてみましょうか」  そういって澤田さんが流した曲は、筆者と同世代の20~30代なら誰もが知っているであろうアニメ「デジモンアドベンチャー」の「Butter-Fly(バタフライ)」。 「よし、やるぞ!」と意気込んだのもつかの間、曲が流れると技のタイミングがあわない。経験者の先輩たちを見ると、意味の分からない単語を叫びながらオリジナル技を繰り出している。いや、聞いてないんですけどそんな動き…。  残念ながら1曲目では、店長直伝のサンダースネイクとロマンスを繰り出すことはできなかったが、曲が終わった後には達成感を味わえた。踊ることで歌い手との一体感を感じられるのだ。もちろん、筆者の踊りは傍からすれば見るに堪えない出来だっただろうが…。 「最後に歌ってみませんか」と澤田さんが提案してくれた。大のカラオケ好きの筆者は「お願いします」と即答。リモコンで、歌い慣れた「Butter-Fly(バタフライ)」を選曲する。従業員としてはイマイチだったが、音程は外さない自信がある。ステージに駆け上がると、カフェ内の視線が集まるのを感じた。緊張感が高まる。 思えば、大人数を前に歌うのは初めての経験だ。マイクを握る手に汗がにじむ。手をズボンで拭っていると、曲のイントロが流れてきた。 「やばい…あがり症なの忘れてた」  そんな臆病な記者のピンチを救ってくれたのは、コスプレ姿をした”元同僚”たちだった。手拍子やかけ声などを駆使して全力で盛り上げてくれる。その勢いはサビになっても終盤に差し掛かっても衰えない。いや、むしろ彼女たちの熱量に記者の声量が負けているようだった。気がつけば緊張も解けていき、調子に乗った記者はステージ上で元同僚たちをあおりながら歌っていた。まるでアイドル歌手にでもなったような気分だった。  曲が終わると、息を切らして倒れこむスタッフたち。なりふり構わず、好きなことに夢中になる。これが「アニソンカフェ」の魅力なのだ。翌日、記者の全身がひどい筋肉痛に襲われたことは言うまでもない。  池袋店の開店初日、店内は身動きが取れないほどの人でにぎわっていた。一人で来たという20代男性はアニソンカフェの魅力をこう語る。 「アニソンカフェはオタクに優しい。普通のカラオケだとアニソンは入れづらいですが、ここなら歓迎される。同じ趣味を持った人たちが集まるので、その場で意気投合することも多い。あの空間自体が、ハブのような役割を果たしているんです」  仕事以外で友人をつくる機会はめっきり減った。そんな時には、心の友をアニソンカフェに求めてみるのもいいかもしれない。(AERA dot.編集部/井上啓太)
dot. 2019/06/25 17:00
棚橋弘至「手ぶらで来てください」初心者がプロレスを楽しむコツ
棚橋弘至「手ぶらで来てください」初心者がプロレスを楽しむコツ
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/1976年、岐阜県出身。99年に新日本プロレスに入門。確かな技術とスター性で団体のエースとして活躍。2009、11、14、18年にプロレス大賞のMVPを受賞。近年は、高学歴レスラーとしてバラエティー番組に出演するほか、映画「パパはわるものチャンピオン」(18年)で主演も務める。近著に『カウント2.9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』。 (撮影/写真部・片山菜緒子) 棚橋弘至さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子)  多くの「プ女子」ことプロレス女子を生み出した、プロレスブーム再燃の立役者、棚橋弘至さん。今ではドラマやバラエティー番組に出演するなど、プロレス界の内外で新境地を開拓する棚橋さんに、作家・林真理子さんが迫ります。 *  *  * 林:この対談を読んで「見に行こうかな」と思う方もいると思うので、プロレスの見方というか、初心者はこういうところを見てほしいというのを教えていただけませんか。 棚橋:まずは僕を見てほしいですね(笑)。僕、プロレスを見たことがない方にいつも言うんですけど、「手ぶらで来てください」って。 林:先入観なしに手ぶらで。 棚橋:はい。選手の名前も技も知らなくていい。大きい選手同士がぶつかり合うというのは非日常的で、ふだんはあり得ないことなので、ただ楽しんでいただきたい。でも、必ず“推し”の選手が見つかります。最初は棚橋推しでもいいんですが、たとえば今チャンピオンのオカダ・カズチカなんか、身長191センチあって端正な顔つきなので、そういう“推し”が見つかると、応援にも熱が入るし見るのが楽しくなります。手ぶらで来てもらって、いくつかお土産を持って帰ってもらう。そうすると復習したくなるので。 林:また見に行きたくなるんですね。でも、そういう“推し”の選手が苦痛に満ちた顔をしたり血を流したりすると、ファンの人、もう見たくないって思うんじゃないですか。 棚橋:でも、やられても立ち上がっていく、負けても次は頑張るというのがプロレスのいちばんの魅力で、自分が応援してる選手が頑張る姿とか、苦しいけど頑張っているところにエネルギーを感じてもらいたいですね。僕、よく言うんですけど、プロレス会場はパワースポットなんです。プロレス観戦で感じたエネルギーを日常生活に持って帰って、生活を充実させてほしいという気持ちがあります。 林:棚橋さん、東京スポーツの「プロレス大賞」をもらったんですよね。 棚橋:はい。2018年にMVPをいただきました。 林:内館牧子さんが講評をおっしゃってましたね。 棚橋:内館先生は、僕がブーイングをもらっているころから「あの子は頑張ってる」とおっしゃって、ずっとMVPに推してくださってたんです。ほかの選手がMVPをもらったときも、なぜか「棚橋」に一票入ってるんですよ。内館先生は、必ず僕に一票入れてくれるんです。 林:内館さん、お相撲だけじゃなくてプロレスもお好きで、今のブームの先駆者という感じなんですね。 棚橋:女性の読者が多い林先生にもお力をお借りしたいです(笑)。 林:わかりました(笑)。今、地方にはどのぐらい行ってらっしゃるんですか。 棚橋:年間150試合、プラス海外の試合もちょくちょくあるので、1年間で日本を2周ぐらいするイメージですかね。北海道から沖縄まで。 林:そういうときは自分で健康管理をしなきゃいけないわけですよね。食べるものも気をつけて。 棚橋:はい。試合が終わるのが9時半とか10時なので……。 林:その時間でがっつり食べられるものは、焼き肉ぐらいじゃないですか。 棚橋:なので、夜はプロテインだけですませてます。この前はケガで1カ月運動ができなかったので、体重が10キロ増えたんです。5月のはじめにギプスが取れて、少しずつ運動して1カ月で10キロ落としました。 林:1カ月で10キロ! 私、代謝が悪くて、最近何をやってもやせないんですが、どうやって1カ月でそこまで落としたんですか。 棚橋:食事と運動ですね。減量は食事が8割、運動2割です。 林:糖質はカットですか。 棚橋:とってますけど、運動前とか朝とか、適量を適時に。成人男性は1日2500キロカロリーとらないといけないんですけど、僕は朝晩2食にして、1500キロカロリーにしてます。12時間に1回、固形のものをとって、あとはプロテインを3~4回。たんぱく質は1日に150~200グラムを摂取し、運動前に少しエネルギーを入れて、徹底した食事管理と運動量で10キロ落としました。 林:ほぉ~。プロテインって減量にいいんですか。 棚橋:プロテインは、筋肉をつけるために飲むというイメージなんですけど、プロテインというのはたんぱく質を英語にしただけで、たんぱく質はアミノ酸に分解されて皮膚とか髪の毛、臓器になるんです。なので女性が美しくなるためにはコラーゲン単品をとるよりも、プロテインをとったほうがいいと思うんです。 林:これはいいことを聞きました。私もいま、筋トレをやってるんですけど、これがなかなか……。 棚橋:トレーニングって可逆的で、人間の体は限界を少し超えると筋繊維が破壊されるんですね。そうすると、こわれた体の部位は、こわれたときよりも強くなって戻ってくるんです。なので、できる範囲のことをやってたら体は進化しないんです。いつもよりも少しキツいことを繰り返していくと、体が進化していくんですね。 林:なるほど……。「もうできない~」なんて言わないで……。 棚橋:できなくなったあとの一回が大事なんです。 林:わ、わかりました。気持ちを入れ替えます(笑)。今、俳優さんでも鍛えてる方って多いですよね。 棚橋:はい。武田真治さんとか。 林:ドラマの中でパッと脱ぐと、西島秀俊さんなんかもすごい筋肉をしていてビックリしますけど。 棚橋:筋肉って、男性ホルモンが分泌しないと構成されにくいので、男性が非常につきやすいんですよ。ライオンのオスにはたてがみがあって、クジャクのオスはきれいな羽がある。人間のオスは何かといったら、筋肉だと思うんですよ。男性の筋肉というのは、生物学的にメスを引きつける美しいものだと思うんです。これから筋肉の時代が来ますね。 林:棚橋さん、ジャケットの二の腕、パンパンに張っててはち切れそう。カッコいいです。 棚橋:ええ、筋肉はオスのたてがみですから、美しいんです(笑)。 林:最新の技術で腹筋を6分割してくれるクリニックがありますが、あれはニセのたてがみなんですね(笑)。 棚橋:人工的なシックスパックもありますね。筋肉のいいところは、年齢に関係ないんですよ。若いときは筋肉がつきやすいんですけど、60代70代になっても、トレーニングをやればやっただけ返ってくる。筋トレというのは何歳になってもできるんです。健康的な老後には筋肉が大事になってきますね。 林:話が変わりますが、このあいだは映画(「パパはわるものチャンピオン」)の主演もなさったんでしょう? 主演というのはすごいですね。 棚橋:いいチャンスをもらいました。 林:そのあと、オファーもいっぱいですか。 棚橋:はい。2時間ドラマとかですね。二足のわらじで頑張りたいと思っています。 林:プロレスラーって年齢的にはどうなんですか。 棚橋:長くできる競技ではあるんですけど、次のステップを見せたいんですよね。「プロレスラーになりました」「チャンピオンになりました」で終わりではなくて、チャンピオンになったあと、テレビとか映画とか、いろんなジャンルで活躍できるところを見せられれば、プロレスラーになりたいという人がもっと増えてくると思うんです。それが僕の役目かなと思ってます。 林:今までのお話でもわかるけど、最近、クイズ番組とかバラエティー番組で棚橋さんをときどきお見かけしても、ほんとに頭の回転速くて、プロレスラーらしくないですよね。こんなこと言うと、ほかのプロレスラーの方に怒られちゃうけど(笑)。 棚橋:プロレスラーから遠いイメージもおもしろいんじゃないかということで。もともと僕はプロレスラーらしくなくて、運よく勉強もできたので(笑)。 ※週刊朝日  2019年6月28日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2019/06/24 11:30
警察の働き方改革で登場した顔認証を超える驚異的なシステムとは?
警察の働き方改革で登場した顔認証を超える驚異的なシステムとは?
防犯カメラが重点配置されている新宿・歌舞伎町(撮影・初瀬礼)  繁華街で警視庁が設置した監視カメラは悪質な客引き行為を見張るだけでなく、日々、犯罪の芽を監視する装置として、もはや欠かせないものとなっている。プライバシーの侵害などマイナス面もある防犯カメラだが、テロの脅威を背景に、海外ではSFかと思わんばかりの顔認証システムが進化し続け、犯罪捜査に役立てられている。注目の警察小説「警察庁特命捜査官 水野乃亜 ホークアイ」で、手配犯追跡のためにAIによる顔認証システムが本格導入される近未来を描いた初瀬礼が、その現状を報告する。   秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまが通うお茶の水女子大学付属中学校で、悠仁さまの机の上に刃物が置かれていた事件が、平成が終わろうとする4月26日に発生した。警視庁は元号が変わる直前の4月29日、建造物侵入の疑いで56歳の男を逮捕した。この事件は元号が変わっても、暫く話題になっていたが、筆者が注目したのは容疑者逮捕に至る背景を報じた週刊朝日の記事だった。  警視庁は刑事部にある捜査支援分析センター(SSBC)を投入、防犯カメラの画像を繋ぐリレー方式を駆使し、短期総力戦で臨んだという。現場近くある防犯カメラやスマホに映った犯人の痕跡をSSBCの要員が手分けして探し、映像解析したものだ。ちなみにこのSSBCの略は捜査(S)、支援(S)、分析(B)がローマ字読み、なぜか最後のCのみCenterに英単語の頭文字だそうだ。  2002年に歌舞伎町で運用が始まった警視庁の街頭防犯カメラシステム。その設置台数はその後、渋谷、池袋、上野、六本木、そして錦糸町に広がり、195台に及んでいる。カメラの設置は犯罪を抑止するだけでなく、強引な客引きも減る効果があったとされるが、カメラが撮影しているのは大半が一般市民の日常生活だ。かつて警視庁の捜査官達と歌舞伎町近辺の店で待ち合わせる時には必ず、店の出入りは別々にし、一緒にいる姿をカメラの前にさらさないようにしていた。 歌舞伎町に設置された警視庁の防犯カメラ(撮影・初瀬礼) その防犯カメラだが、実はその台数は諸外国と比べると、決して多いとは言えない。監視カメラ大国イギリスで、ロンドン警視隊庁が設置している監視カメラは6万台と言われている。  日本で防犯カメラの代わりに街角で目を光らせているのは人間の眼だ。筆者が書いた警察小説「警察庁特命捜査官 水野乃亜 ホークアイ」は街角でひたすら手配犯を探す見当たり捜査班に配属された警察庁の若手女性キャリアが主人公だ。見当たり捜査は手配犯の写真を覚えこんだ捜査員達が繁華街の街角に立ち、目を凝らし、探すという気が遠くなるような手法だ。当然、執念だけでなく、経験がものをいう世界だが、現在の警察は人事交流という名の下に、数年ごと定期的に別の部署へ配置換えする人事方針を打ち出しているという。警視庁のあるノンキャリの元公安捜査員は筆者にこう嘆いた。 「この方針のせいで、いい捜査員になったなと思える時期に異動してしまうんですよ」  また、今、世の中を席巻しているのが働き方改革の波だ。従業員をきちんと休ませるということは、すなわち、今まで通りの働き方では仕事は回らないことを意味する。それは警察とて同じだ。だが、事件は警察の思うようには起きてくれるわけではない。  小説の中で登場した画像分析システム「ホークアイ」は、人材難に悩む警察が人に代わるものとして鳴り物入りでアメリカから導入したAIによる手配犯発見システムだ。街角にある防犯カメラが撮影するリアルタイム動画と、警視庁が持つ手配犯の画像を即座に照合するというものだが、現実にはまだ、こうしたシステムは日本に存在しない。  だが、顔認識技術を使って犯罪者をあぶり出そうという試みは、海外ではすでに使われ始めており、日々、進歩し続けている。その最前線は中国だ。中国ではすでに「天網」と呼ばれる顔認証を使った捜査支援システムが存在している。  この技術を提供しているのがWatrixというベンチャー企業だ。この歩行認証ソフトウエアは、監視カメラの動画が捉えた個人のシルエットとその歩き方から、その人物の3Dモデルを作る。個人が持つ歩く癖、すなわち、歩幅、歩長、歩調、スピード、進行ライン、足の角度、おしりの角度といったさまざまな動作が分析されているのだ。(ビジネスインサイダーより)WatrixのCEOであるHuang Yongzhenは、このシステムは、背中を向けたり顔を覆ったりしても、最大50メートル離れた場所から人を識別できると述べた上で、顔認証にないメリットを挙げた。 「歩行の分析は、足を伸ばして歩いたり、ひっくり返ったりするだけではだまされません。全身のすべての特徴を分析しているからです」(AP) 『ホークアイ』初瀬礼著 (はつせ・れい)1966年長野県生まれ。上智大学卒業後、1991年にフジテレビ入社。社会部記者やモスクワ特派員、ディレクター、プロデューサーを経験。13年、サスペンス小説「血讐」が日本エンタメ小説大賞・優秀賞になり、デビュー。主な著書は「シスト」、「呪術」  一方、去年、12月に中国・浙江省で初めて公開され、注目を集めた技術がある。中国のIT大手「捜狗(Sogou)」が開発した口唇形状認識だ。 話す人の唇の動きを画像認識することによって会話の内容を解読するというもので、ディープラーニングを応用し、中国語の口の動きを数千時間かけて学習させたことで認証率を上げ、間違いを少なくしたという。(AFPより)ちなみにこの会社は去年、世界初という人工知能(AI)合成によるテレビキャスターを発表して話題になった。  中国でもプライバシーの議論は起きているものの、当局が進める社会統制に企業がビジネスチャンスを見出し、積極的に協力する体制が整えられてきている。2018年2月の日経新聞は、中国公安部は2015年、顔認証システムと監視カメラを使って「いつでもどこでも、完全にインターネットに接続し、完全にコントロールされた」ネットワークの実現を目指す方針を明らかにしたとを報じた。実際、中国の民間企業や顔認証分野のスタートアップは不正行為や犯罪行為を監視するために、政府と積極的に手を組んでいるという。  顔認証に必要なのは技術だけでない。防犯カメラに撮影された人々と照合するために必要なのが、手配犯のデータベースだ。中国の場合、犯罪に関わる人だけでなく、それ以外の一般市民の顔写真の収集も進んでいるといい、その数は十億件に上っていると考えられている。世界的に批判を浴びている新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒の取り締まりの一環に、こうした顔の記録が使われているのではないかという懸念は強い。  また、顔認証などの人工知能技術を活用している中国の企業であるSenseNetsが収集したと見られる個人データ250万人分ほどが誰でもアクセスできる状態でインターネット上に置かれていたと今年2月、イギリスのコンピューターセキュリティーの会社が発表した。(マイナビニュース)アクセス可能になっていたデータには、個人のIDカード番号、性別、国籍、住所、生年月日、写真、雇用主などが含まれていたという。  こうした動きは中国独自のもので、日本では導入されるはずがないと思う人は多いだろう。だが、かつてイギリスで防犯カメラが犯罪対策の名の下にあちこちで設置された時、人権問題は当初は議論されたものの、慣れてくると、人々は不満を言わなくなっていった経緯がある。街中にAIによる顔認証監視の網が張り巡らされた時、かつてのイギリスのように、我々も「慣れて」しまうのだろうか? (初瀬礼) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2019/06/18 17:00
指原を脅かす、ファーストサマーウイカを発見した!
矢部万紀子 矢部万紀子
指原を脅かす、ファーストサマーウイカを発見した!
指原莉乃の地位も危うい?(c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』  若い女子と話すと、「テレビは見ない。Netflixを見てる」とみんなが言う。「バラエティーとか嫌い」とも言う。理由はいろいろだが、それぞれになるほどと思う。  ある日曜の夜、バラエティー風ニュース番組(←具体的)を見たら、おっさん(81歳←具体的)がジェンダー問題についてトンデモナイ発言をしていた。だから若い女子がテレビを見ないわけだ、私もNetflixの世界に引っ越そう。と、思った。2ケ月前のことだ。  だけど長年の習慣からついスイッチを入れてしまい、そうするとけっこう面白いことに出合ったりする。だからテレビはやめられないよなあ、と思ってしまい、こういうのを腐れ縁というのだろう。  で、今回ご紹介するのが、テレビで見つけたすごい女子。ファーストサマーウイカさん(29歳)。断言しましょう。指原莉乃さんの地位を脅かすのは、ファーストサマーウイカさんをおいて他にいない!  発見したのは6月9日(日)、「ワイドナショー 」(フジテレビ系)だった。メインの松本人志さんの隣の隣に、目の周りをバッチリ強調する今どきメイクの女子が座っていた。司会の東野幸治さんの紹介で、「29歳の現役アイドル」「大阪出身」「5人組アイドルBILLIE IDLEのメンバー」だとわかった。  最近東京に出てきたばかりで、「いろいろ勉強させてもらってます」と言う彼女の関西弁に「おばちゃん感すごい」と松本さんと東野さんが反応。最初から2人がひきつけられている感じはあったのだが、話題が山里亮太さんの結婚になったところで、彼女がいきなりすごい実力を発揮した。その発言を記憶の限りで再現してみる。 「少ないテレビ経験で山里さんとは2回ご一緒させていただいて、チンチンにすべって舌噛んで自決したろってくらいな時にも、ジェントルでフォローしてくれて。メニュー見てちゃんと選んだけど、隣の人の見てたら、そっちのがよかったなーみたいな感じで、蒼井さんに嫉妬してます」  うーん、文字にしてしまうとすごさが伝わらないから、分析していく。  まずは「少ないテレビ経験で」と謙虚な感じで入り、いきなり「チンチンにすべる」と意表を突く言葉を持ってくる落差。さらには「舌噛んで自決したろってくらいな時」まで一挙に言って、そこから通常モードに戻す緩急自在なスピード感。笑い、驚いた。  東野さんが即座に「チンチンにすべるって」と反応し、「メニュー見てアジフライ定食頼んだけど、隣にホイコーロー来たら、そっちのがよかったって」と続け、メニューのチョイスに笑った。東野幸治、芸人心を刺激されるの図。松本さんが「芸人さんじゃないんでしょ」と続けた。ここだけでも相当すごかったが、そこからも彼女はみせてくれた。 「#Ku too」問題で彼女は、高校時代のバイト体験をもとに「強制とかは絶対違うと思う」と真っ当なコメントをした。そこで「SMの女王様は、ヒール絶対やと思うで」とボソッとつぶやく松本さん。この「ボケ」を瞬時に拾ったのが彼女。「SMの女王様も出勤の時は……」と言ったところで東野さんが、「広げんでいい。女王様の出勤なんてどっちでもええわ」。  合格! 松本さんの番組への出演許可証ゲット! そう思った私は、彼女をもっと知りたくなり、レギュラー出演しているFMヨコハマの「Tresen!」を聞いてみた。わかったのは、彼女の器用さだった。 「ファーストヒョウイウイカ」というコーナーがあった。「ファーストサマーウイカ」が誰かに「憑依(ヒョウイ)」してリスナーの悩みに答えるから「ファーストヒョウイウイカ」。そこで彼女は、自分とは全く違うキャラとなって、「山ちゃんと優ちゃんを結びつけたのは、実はワタクシなんですね」と話し始めた。  声の調子、語り口調はデヴィ夫人にそっくり。全部自分の手柄だと言いながら、「いえ、大したことではないのですが」などと言って、図々しいのに謙虚なのも夫人っぽい。そこからリスナーのリクエストで、収納の達人の「松岡シュウノウ」に憑依した。「松岡修造」由来なのに人と目を合わすのが苦手と言って、ボソボソしゃべり続けた。  面白い!と絶賛するものではなかったが、リスナーに面白がってもらえていることは伝わってきたから、それだけでも上出来だろう。さらに発見したのは、あまり関西弁を使わないこと。もしかしたら戦略かもと思ったのは、「女優」の彼女もいるからだ。  ミツカンのWEB上にあるドラマ仕立てのCMに、出演している。高橋一生演じる「〆野さん」という謎の男が主役。彼女は「糖質オフしようと思っているのに、ついつい食べてしまう」めぐみ役。100%標準語で、器用に演じている。  ちなみにこのCMはシリーズになっていて、〆野さんも他の出演者もいい味で面白いからオススメ。という話はさておき、指原莉乃さんの話に移る。  私が指原さんの力のほどを実感したのは、「バチェラー・ジャパン」(Amazonプライム・ビデオ配信)だった。若い人に評判だからと見たところ、シーズン1は超つまらなかった。2になって今田耕司&藤森慎吾の吉本興業ペアに加え、彼女が「ナビゲーター」として参加したら、グッとよくなった。  詳細は省くが、恋愛リアリティー番組に出演する女性たちのズルさ、計算高さを彼女が口にして、痛快さが上がった。今田&藤森の「女性を見る目のなさ」も指摘していたから、溜飲を下げた女性も多かったはずだ。とにかく賢く、抜群のトーク力が際立っていた。  で、ファーストサマーウイカさんだ。指原さんの地位にとって代わる素質十分なことは、すでにご理解いただけたと思う。そこで、彼女の今後についてなのだが、狙うべきは、Netflixの人気番組「テラスハウス」だと思う。 「バチェラー」と同じ恋愛リアリティー番組で、山里亮太さんが出演者たちにツッコミを入れる副音声が人気だ。しかし山里さん、蒼井さんとの結婚で、少しツッコミにくくなる可能性アリと思う。そこで、彼女の出番。関西弁でガンガンいく女子。出演者たちに容赦なく向かっていくのだ。  最初の頃は、チンチンにすべるかもしれない。でも大丈夫。山里さんが、前と同じように、ジェントルにフォローしてくれるに違いない。
矢部万紀子
dot. 2019/06/17 11:30
「パパ」「ママ」は恥ずかしい?親を下の名前で呼んでみた理由
「パパ」「ママ」は恥ずかしい?親を下の名前で呼んでみた理由
※写真はイメージ(Getty Images)  昔のような家父長制の強い家制度が崩れ、いわゆる「友達親子」という言葉も市民権を得た。時代の流れを象徴するかのように、両親を「お父さん、お母さん」などではなく、名前やあだ名で呼ぶ子どもたちが現れ始めている。 *  *  *  子育てや育児の情報を発信している「ベネッセ教育情報サイト」が2018年、全国の小学4年~中学3年の子どもを持つ保護者360人を対象に行ったアンケートによると、保護者を名前で呼んでいる子どもは約3%だった。09年は1.5%だったことから、その割合は増加している。  中学生のころから両親を名前で呼んでいるという神奈川県の会社員男性(25)もその一人だ。 「幼いころは『パパ、ママ』でした。母親がそう呼ばせたかったそうです。ただ小学校高学年にまでなると、『ママ』と呼ぶと周りから驚かれるんですよね。それから徐々に呼びづらくなって、何度か呼び方を変えようと試みました。『お母さん』とか『おふくろ』『おやじ』とか。でも、いまさら呼び方を変えようとしても違和感があるし、どこか恥ずかしさを感じた。結局、自然と両親を名前で呼ぶようになっていきました」  名前で呼び合う関係については、「親子の関係が崩れる」「距離感が近くなり、包み隠さず話し合える」といった意見もある。家族社会学を研究しているお茶の水女子大学の小玉亮子教授は、「呼び方にこだわる必要はない」と話す。 「子どもの成長にしたがい、親子が依存から自立へと関係を築いていけるのであれば問題ありません。『ババア』などと呼び方自体に侮蔑的な意味が含まれていなければ、呼び方は何でもよいと思います」  前出の男性のケースについては「呼び方を変えたことで自立につながった」と分析する。 「アメリカなどでも、幼少期は『ダディ、マミー』と呼び、徐々に『ダッド、マム』と変えていきます。日本であれば『パパ、ママ』から『お父さん、お母さん』といった具合ですね。親子の適切な距離や関係は、子どもの成長段階によって変わってきます。呼び名はその関係性をつくる重要な要素の一つ。『パパ、ママ』は小さい子どもは呼びやすいですが、小学校入学が、自立のために呼び方を変える一つのタイミングですね」  周囲の環境に影響されて、呼び方が変わるケースもあるようだ。都内の会社員、緒方和樹さん(34)は母親の澄子(すみこ)さん(61)を「すみ」というあだ名で呼んでいる。 「小学校までは『お母さん』と呼んでいましたが、中学あたりからだんだんと人前で呼びづらくなりました。友人らも『おふくろ』だったり、なかには名前で呼んでいる人もいて、『お母さん』は少数派でした」  和樹さんの場合、母親と同じ職場で働くようになったことも影響したようだ。 「高校からアルバイトを始めたのですが、勤務先で関連会社のパートとして働いていた母と一緒に働くことがたびたびありました。上司や同僚に説明する際に、毎回『お母さん』と言う訳にもいかず…。フレンドリーな職場だったので、そこであだ名での呼び方が固定されていったのかもしれません。私につられてか、妹と弟も、母をあだ名で呼ぶようになっていきました」(和樹さん)  名前やあだ名で呼ばれる関係について、親はどう思っているのか。前出の澄子さんは「親しみやすくて気に入っている」と話す。 「自然な流れであだ名になったので、特に嫌だという意識はありません。一時期、息子から『おふくろって呼ぶ?』と冗談交じりに聞かれましたが、私が歳をとったみたいで『それだけは嫌!』と答えたんです。息子が私を友人に紹介する時もあだ名なのですが、親しみを持ってもらいやすいのか、友達の輪に入るような感覚で話に入れることもあります。息子の嫁や孫も「すみちゃん」って呼んでくれて、距離感が近いんです」  上記は呼び方を変えたことで関係性がよりよくなった例だと言えそうだ。 「名前やあだ名で呼ぶことは、実は対等な関係を築きやすいというメリットもあります。親は『お父さん、お母さん』や『パパ、ママ』と呼ばれることで、親になった自覚を持ち、その役割を演じようとします。成長の過程で呼ばれ方が変わったことで、子どもを対等な一人の人間として認識できるようになったのでしょう」(小玉教授)  親子関係に悩む人は多い。そんな時には一度、呼び方を変えてみてはいかがだろうか。(AERA dot.編集部/井上啓太)
ママ友出産と子育て
dot. 2019/06/12 08:00
「新生なでしこ」攻守のカギ握る22歳コンビ レジェンド引き継ぎW杯に挑む
「新生なでしこ」攻守のカギ握る22歳コンビ レジェンド引き継ぎW杯に挑む
メンバーを固定せず、積極的に若手を起用する方針でチーム作りを進めてきた高倉麻子監督。その采配には賛否の声があるが、本番で結果を出せるか (c)朝日新聞社 11年のなでしこジャパン初優勝時はまだ中学3年だった長谷川唯。高い技術に加え、「頭を使ったプレーが得意」と話す通り、卓越した戦術眼が光る (c)朝日新聞社 ボランチの杉田妃和はリーチの長さを生かしたドリブルやボール奪取が魅力だ (c)朝日新聞社  女子サッカーのW杯が開幕した。日本は優勝、準優勝だった前2回に続けるか。下の世代で監督を務めてきた高倉監督の「秘蔵っ子」たちが新戦力だ。 *  *  *  なでしこジャパンが参加するサッカー女子ワールドカップフランス大会(6月7日から7月7日)が開幕した。  2011年ドイツ大会は優勝、15年カナダ大会は準優勝。その間に行われた12年ロンドン五輪でも銀メダルを獲得し、世界大会で3大会連続で決勝に進出する黄金期を築いたなでしこジャパン。だが16年リオ五輪アジア予選で敗退すると、その後は指揮官の交代や世代交代を強いられるなど、チームは勢いと同時に世間の関心も失った。  16年4月からチームを率いるのは、A代表初の女性監督となった高倉麻子監督(51)。14年にU-17W杯を制し、16年にはU-20W杯で3位と年代別の代表で結果を出してきた指揮官は、自ら育ててきた秘蔵っ子を積極的に招集し、チームの平均年齢は24歳7カ月と今大会に出場する24チームで2番目の若さとなった。澤穂希や宮間あやらレジェンドはもういない。17人が初出場というフレッシュな顔ぶれで、来年の東京五輪につながる戦いが期待される。  攻撃のキープレーヤーを託されているのが22歳のMF長谷川唯(日テレ・ベレーザ)だ。156センチ、46キロと小柄だが、今春に日本大学を卒業すると5月にはチームでも数少ないプロ契約を勝ち取った。高い技術と広い視野が武器だ。 「(欧米の大柄な選手を相手にも)体格差はあるけど、怖さはない。W杯は目指していた大きい舞台ですけど、試合になれば国内のリーグ戦とやることは一緒。自分が中心にならなければいけない自覚はあるし、見ている人に楽しんでもらえるプレーでチームの勝利に貢献したい」  強心臓の持ち主でもある長谷川が、主戦場の左サイドから前向きで仕掛ける場面が増えれば日本のチャンスといえるだろう。  また、ボランチで攻守のつなぎ役となるのが長谷川と同じ1997年1月生まれの杉田妃和(INAC神戸)。A代表出場は7試合(W杯開幕時)とチームに定着したのは今年に入ってからだが、世代別のW杯で2度の大会MVPを獲得した逸材だ。3月の米国遠征、4月の欧州遠征でも的確なポジショニングとマイボールを相手に簡単に渡さない優れたキープ力が光った。 「攻撃も守備も相手の流れをつかむことが大切。これまでやってきたように、W杯でも試合を読むプレーができれば」  同じポジションには11年の優勝メンバーで、4度目のW杯となるベテラン阪口夢穂(31、日テレ・ベレーザ)もいるが、右ひざの故障明けでどこまでプレーできるか未知数なだけに、杉田にかかる期待は小さくない。  11年の優勝を知るのは阪口、主将の熊谷紗希(28、リヨン)ら5人。14年のU-17W杯を制した長谷川や杉田、昨年のU-20W杯優勝メンバーらを加えたチームはバランスが取れているようにも見える。しかし、8年前、4年前に比べれば、経験不足は否めない。  世界ランキング7位のなでしこは、グループステージでアルゼンチン(10日、37位)、スコットランド(14日、20位)、イングランド(19日、3位)と対戦する。チーム最年長の鮫島彩(31、INAC神戸)は簡単な試合は一つもないとする。 「スコットランドは急速に力を付けているし、(3月に0-3と敗れた)イングランドは明らかに強い。ただ、厳しい戦いを粘り強くモノにしてきたのがなでしこ。振り返れば優勝した11年大会も準優勝した15年大会も、全部ギリギリの試合でした」  新生なでしこジャパンにとって初の大舞台。かつてのような泥臭くも懸命な戦いで、再びブームを起こせるか。(スポーツライター・栗原正夫) ※AERA 2019年6月17日号
W杯
AERA 2019/06/10 18:38
“芦田プロ”と称賛のコメント力 愛菜ちゃんの意外な「ゴスロリ趣味」
丸山ひろし 丸山ひろし
“芦田プロ”と称賛のコメント力 愛菜ちゃんの意外な「ゴスロリ趣味」
「マル・マル・モリ・モリ!」のヒットは2011年。芦田愛菜 (c)朝日新聞社  2011年頃に子役として大活躍した芦田愛菜(14)が再び脚光を浴び始めている。数年前まで学業のため芸能活動をセーブしていたようだが、最近になってテレビ番組などにたびたび出演。大人顔負けの受け答えを見せ、そのコメント力に称賛の声が相次いでいる。  特に注目を集めたのは、5月に出演したNHKの改元に伴う特別番組。令和を迎えたことについて、「歴史的には、譲位されて上皇となった天皇がたくさんいるってことは知っていたので、上皇さまとお呼びすることに混乱はありません」「気持ちが一新されて、前向きな気持ちになっています」などと落ち着いた様子で語り、SNS上では「14歳とは思えない素晴らしさ」と、驚きの声が多く寄せられた。  才色兼備かつ、そつのない振る舞いからネット上では“芦田プロ”と呼ばれることがある彼女。名門中学に通い、演技力も抜群。そして大人顔負けのコメント力――「完璧」という言葉しか思い浮かばないが、そんなイメージとは裏腹に、意外にも年頃の女の子っぽい人間らしさが垣間見えることもある。  例えば、コメント力に定評のある芦田も時には言葉を詰まらせることが。バラエティ番組で藤田ニコルが9科目中8科目「1」という中学3年生の時の成績表を公開し、芦田はその感想を聞かれたのだが、「えっ……」と絶句。さらに、藤田から「友達にはいないタイプだよね」と振られると「でも、いや……」と、全く言葉が出てこなかった(「池上彰と“女子会”」2018年4月16日放送)。  一方、どうやら芦田はスポーツ全般が苦手なようだ。水泳では、25メートル泳ぎ切れるまで補習授業に行かなくてはならないと明かしていたことも(「怪盗グルーのミニオン大脱走」公開記念舞台挨拶、2017年7月22日)。さらに球技も苦手で、ドッヂボールやバレーボールで活躍できない運動オンチだという(『誰だって波瀾爆笑』2017年8月13日放送)。  成績表に対するリアクションといい、自身の欠点といい普通の女子中学生らしい一面も持ち合わせている芦田。また、ファッションやオシャレに興味を持っている様子もうかがえる。芦田はピンヒールに憧れがあり、母親のそれを玄関で履いて遊んだりしているそうで、実際にショッピングのロケ企画では、30分かけてピンヒールを吟味。さらに、「ゴスロリを着てみたい」と話し、洋服を前に「カワイイ」を連発。ゴスロリ衣装を試着して「もう、すごく楽しいです!」と喜んでいた(「櫻井・有吉THE夜会2時間SP」2017年6月29日放送)。 ■杉田かおるや安達祐実とは違った路線を進むのか  一方、「夏休みの宿題の進め方にも親近感を覚えます」と話すのはテレビ情報誌の編集者だ。 「バラエティ番組で明かしていたんですが、夏休みの宿題で最初の一週間くらいは『やるぞ!』と進めるそうですが、結局、中だるみして最後のほうになって焦ると。また、昨年出席したイベントでは夏休みにやりたいことを聞かれ、『河原でバーベキュー』と返答。川で魚のつかみ取りをして焼いて食べたりしたいと話していましたね。幼い頃から子役として活躍し、中学校生活を送っている芦田ですが、そんな大人過ぎず子供っぽくもなく、あくまで自然体なんです。才色兼備だけど、自身は全く背伸びをしていないところに視聴者は好感を覚えるのだと思いますよ」  最近、露出が増えた芦田の新たな魅力について、ドラマウォッチャーの中村裕一氏はこう分析する。 「これまで年齢の割に落ち着いた発言がクローズアップされ、大人びた印象が強かったですが、あまりにもそれらが完璧すぎたこともあり、彼女の口から失敗談や日常のエピソードを聞くと、それだけでちょっとホッとするという不思議な現象が起きています。これからはもう少し等身大の彼女を見かける機会が増えるのではないでしょうか。気になる彼女の将来ですが、女優としては同じく子役出身の杉田かおるや安達祐実とはまた違った、彼女ならではの個性を存分に発揮した道を歩むものと思います。しかし、もしかしたらある日突然、芸能界を離れ、まったく異なるジャンルに飛び込むこともあるかもしれません。いずれにせよ、賢い彼女のことですから、どの世界でもきっと成功すると思います」  中学生に差し掛かると姿を消す子役が多い中、好感度をキープし続ける芦田愛菜。今後、どのように成長していくのか楽しみだ。(ライター・丸山ひろし)
dot. 2019/06/07 11:30
川崎殺傷事件、岩崎容疑者に起きた犯行“4カ月前の異変”とは?
川崎殺傷事件、岩崎容疑者に起きた犯行“4カ月前の異変”とは?
バスを待つ児童らが刃物で襲われ、小6の児童と保護者が死亡した現場付近/5月28日午前8時44分、川崎市多摩区、朝日新聞社ヘリから (c)朝日新聞社 過去に起きた主な無差別殺傷・傷害事件(AERA 2019年6月10日号より)  川崎市多摩区で起きた19人の死傷者を出した事件は、岩崎隆一容疑者が自殺したことで多くの謎が残ったままだ。犯行に至った経緯とは何だったのか。 *  *  * 「普段から通学途中の子どもたちのしゃべり声は聞こえていましたが、尋常じゃない声に家を飛び出しました」  5月28日、川崎市多摩区の路上で登校中の児童らが襲われ、19人が死傷した事件。現場近くに住む20代のアルバイト男性の目に飛び込んできたのは、小学生と、ワイシャツを着た社会人風の男性が血を流して倒れている光景。亡くなった小学6年の栗林華子さん(11)と、同校に通う子どもの見送りにきていた外務省職員の小山智史さん(39)だった。  事故にしては様子がおかしい。一度自宅に帰り鍵を閉め、再び路上に戻ったのは午前8時前。市バスの停留所の前に、黒のTシャツに黒いズボンをはいた坊主頭の男が、首から大量の血を流して倒れていた。身長は170センチ程度。がっしりした体形に見えた。それが、岩崎隆一容疑者(51)だった。  現場は、JRと小田急の登戸駅から西に約250メートルの住宅街。襲われたのは、同区内にあるカリタス小学校のスクールバスが止まるバス停に並んでいた児童らの列だった。  同じく現場に遭遇した男子大学生は、こう振り返った。 「犯人の男は血の海のなか。小学生の女の子が『お母さん』などと叫んでいた。壮絶でした」  同小を運営するカリタス学園は事件当日、緊急の保護者会を実施。系列の幼稚園から高校までの保護者1200人が集まった。保護者会を終え、高校に娘を通わせる父親が心情をこう絞り出した。 「小学生への無差別殺人事件と言えば、『池田小事件』を思い出します。ただ、犯人の宅間守(元死刑囚で2004年に執行。当時40)は事件後の裁判などで犯行に至る理由が明らかになりましたが、岩崎容疑者は自殺した。これでは、圧倒的な不条理だけが残ってしまう」  池田小事件が起きたのは01年。宅間元死刑囚が出刃包丁を持ち、大阪教育大付属池田小学校に侵入。8人の児童が死亡したほか、教諭2人を含む15人も重軽傷を負った。 「エリート校の子どもをたくさん殺せば、確実に死刑になると思った」  宅間元死刑囚は事件後、そう動機を語った。事件は、離職や離婚を繰り返す思い通りにならない自身の人生の対極にあるエリート層への、身勝手な「怨恨」とも見られた。  では、スクールバス乗り場でカリタス小の児童と保護者が被害を受けた今回の事件はどうだったのか。  カリタス学園は1960年に創設されたキリスト教系の私立学校で、幼稚園、小学校、女子中高を運営する。同学園の関係者はこう話す。 「ほかの私立小学校と比べて特に高いほうではありませんが、小学校の初年度は入学金も入れて100万円以上はかかります。小学1年生から英語とフランス語を教える外国語教育や、カトリック教育が特徴的です」  犯行は行きずりだったのか、最初からカリタス小の児童を狙ったものだったのか。事件後の捜査により、計画的犯行だった可能性が高まっている。  岩崎容疑者の自宅は、登戸駅から小田急線で3駅の「読売ランド前」駅から徒歩15分ほど。岩崎容疑者は事件当日、自宅からまっすぐ駅に向かい、電車に乗り、登戸駅で降りた後、どこにも立ち寄らず事件現場に直行した。そして、犯行はわずか十数秒の間に行われた。  現場に立つと身震いがする。カリタス学園のスクールバス乗り場前の歩道は、身長170センチの記者が大股で歩いて6歩程度で渡れる狭さだ。バス停の向かいに住む79歳の無職の男性はこう話す。 「子どもたちはいつも引率の教師の指示に従って、整列して待っています。バスを待つ間、本を読んでいる子が多かった」  事件当時、バス停には60人を超える児童が並んでいた。事件が起きたのは、バスが到着した直後。朝のラッシュ時で駅に向かう人も多く、狭い場所に固まっていたのは間違いない。列の先頭で児童をスクールバスに乗せていた倭文覚(しとりさとる)教頭は当時の状況をこう話している。 「目の前に犯人が両手に長い包丁らしきものを持って、無言で児童に刃物を振りながら、スクールバスの乗り場のほうに走っていく姿を確認した」  整然と並んだ児童たちを、次々に手にかけた岩崎容疑者。許しがたい凶行に駆り立てたものは何だったのか。岩崎容疑者の自宅近くに住む80代の女性は、事件を受け、約40年前の記憶を思い出した。 「岩崎容疑者が小学生時代だったと記憶していますが、近所の飼い犬がうるさいと血相を変えて怒鳴りこみに来て、町で話題になったことがありました」  最近では約1年前に「庭の木がフェンスを突き抜けて当たった」と隣家に怒鳴りこむトラブルも起こしている。  複雑な家庭で育った。複数の住民によれば、岩崎容疑者は約40年前、両親の離婚をきっかけに、父方の兄である伯父宅に預けられた。それが現在の自宅だ。現在は伯父、伯母と3人暮らしだが、移り住んだ当時は伯父の子、つまりいとこ2人も家にいた。先の80代の女性は続ける。 「りゅうちゃんと呼ばれ、3人で遊ぶ姿を見たことがある」  一方、この家族をめぐるこんな話も出てきている。 「いとこの1人がカリタス学園に通っていたらしい」  家族関係がうまくいかず、その恨みを引きずっていたのか。今ではもう本人に確かめる術もなくなってしまった。  岩崎容疑者は長期間働いていなかったという。一緒に住む伯父、伯母とも会話がなく、2人がいる時間帯は台所や風呂にも姿を見せないなど、いわゆる「引きこもり」に近い状態だったとみられる。そんな岩崎容疑者の身辺に最近、ある異変が起きていた。  川崎市は29日、岩崎容疑者の伯父、伯母ら親族から計14回にわたり相談を受けていたことを明らかにした。伯父らは昨年6月から訪問介護のサービスを受け始めたが、サービス開始前、自宅に介護サービスが入ったときに岩崎容疑者がどんな反応をするかを心配して市に相談したという。  市によると、伯父らの不安をよそに、岩崎容疑者が訪問介護のスタッフらとトラブルを起こすことはなかったという。 「(岩崎容疑者に)手紙を書いて、コミュニケーションを試みたらどうですか」  今年1月、伯父と伯母は市精神保健福祉センターのそんな勧めで、岩崎容疑者の部屋の前に手紙を置いた。すると数日後、岩崎容疑者はこう言い放ったという。 「洗濯、買い物など自分のことはちゃんとやっている。自分で好んでこの生活をしているので、引きこもりのような状態ではない」  岩崎容疑者はその4カ月後、4本の包丁を持って家を飛び出した。自宅から最寄りの読売ランド前駅までは、傾斜のきつい下り坂が続く。あの朝、岩崎容疑者はどんな思いでこの坂道を下っていったのだろうか。(編集部・澤田晃宏、川口穣、深澤友紀) ※AERA 2019年6月10日号より抜粋
AERA 2019/06/03 17:09
授業料免除に月10万の奨学金も 児童養護施設出身の学生を支援する大学続々
作田裕史 作田裕史
授業料免除に月10万の奨学金も 児童養護施設出身の学生を支援する大学続々
児童養護施設から青山学院大学に進学した学生は、入学前にグループホームで生活する母親に会いに行った。「大学で勉強することを伝えると、喜んでくれて、『がんばってね』と言われました」(撮影/横関一浩) 児童養護施設の子どもを支援する主な大学(AERA 2019年6月3日号より)  児童養護施設で育った子どもたちにとって、大学進学という選択には大きな壁がある。そんな中、児童養護施設から社会へ巣立つ子どもたちを支援する行政や企業、大学が増えてきている。 *  *  *  高校生のうちから将来を見据えて貯金を続けることは簡単なことではない。特に施設で暮らしていると、家計管理や適切なお金の使い方などが身につけにくいとも言われ、進学のための資金を自分で用意できる人は限られる。そんな中、独自に施設出身者へ支援する大学も増えてきている。  中でも青山学院大学では全国的にも珍しい、児童養護施設出身者に限定した推薦入試制度を18年度に始めた。書類審査と面接に合格した生徒は入学金や4年間の授業料が無料になり、さらに月に10万円の奨学金が給付される。この制度で18年度は2人、19年度は1人が入学した。  この春入学した茨城県内の児童養護施設出身の女子学生(18)は、当初は国立大学の受験に向けて猛勉強していたが、昨年9月に施設の職員からこの制度の入試要項を手渡され、青山学院大学を受験した。 「進学したら奨学金を借りて、アルバイトもするつもりでしたが、生活がぎりぎりだなと不安もありました。青学の制度なら、勉強も生活もしていける見通しを立てることができたので、安心して入学できました」(児童養護施設出身の女子学生)  児童養護施設に入所したのは9歳のとき。母一人子一人で暮らしていたが、母親の精神疾患が悪化して育てられなくなり、施設に入った。自宅には自分の机もなかったが、施設では放課後に一つの部屋に集まって宿題をし、土曜日にも学習時間が設けられていたので、自然と勉強するように。学校で月1回行われる計算や漢字のテストで100点を取ったとき、施設の職員がとても喜び、「次もがんばって」と声をかけてくれた。その期待に応えて100点を取り続ける中で、成績が上がっていった。努力すれば点数という結果に表れることも楽しかった。  高校はほぼ全員が大学に進学する県立の進学校だった。学費の心配があったが、施設の職員に「奨学金の制度もあるし、学力があるんだから大学を目指した方がいい」と背中を押された。  周囲が塾に通うなか、放課後は学校で閉門時刻まで勉強した後、近所の図書館に移動して午後8時まで勉強した。施設では小さい子どもたちもいて騒々しく、勉強に集中できないので、職員に頼んで、午後5時半の門限を特別に延長してもらっていた。  親にも施設の職員にも「勉強しなさい」と言われたことはなく、自分を律して勉強してきた。そんなときに支えになった一冊の本がある。小学6年生のときに読んだ『ひとりぼっちの私が市長になった!』。児童養護施設出身で茨城県高萩市長になった草間吉夫さん(52)の著書だ。 「施設にいた頃の葛藤とか、出た後の経済的な大変さやまわりの視線など苦しい環境を乗り越えて、誰もが挑戦しないようなことをやっていてあこがれました。施設から大学へ行く子は少ない。私も誰かを勇気づけられる人になりたいと思ったんです」(児童養護施設出身の女子学生)  こうした思いはあるが、自分の将来のことを具体的に考えるのは「うまくなくて」と話す。小中学生の頃は、将来の夢は施設の職員だった。でも、「家庭で育っていないから、施設の子に教えられることって少ないのかな」と考え、目指すべきではないと思った。ただ、子どもとかかわりたいという思いは変わらず、大学では「子ども・若者活動支援プログラム」を学ぶため、この春新設されたコミュニティ人間科学部を選んだ。 「施設で育ったことがマイナスではなく、プラスに変えられるような人生を見つけたいんです」(児童養護施設出身の女子学生)  青山学院大学の入試では、児童養護施設の施設長の推薦書と本人の志望理由書や学修計画書などの書類審査と面接で合否が決まる。白濱哲郎大学政策・企画部部長は言う。 「どの書類もとても熱心に書かれていて、点数なんてつけられません。不合格通知を受け取った子は希望を失うのではないかと心苦しいです。ただ、学生1人への支援は4年間で1千万円近くになり、1学年1、2人の受け入れが精いっぱいです。例えば全国の私立大学が施設出身者を1人ずつ受け入れれば、約600人が入れます。ぜひ他の大学にも入試制度が広がればと願っています」(白濱部長)  同大学では、この制度で入学した学生に教員のアドバイザーをつけ、困ったときの相談に乗るほか、月に1度は会って奨学金を手渡しているという。  児童養護について詳しい大阪府立大学の伊藤嘉余子教授もこう言う。 「海外では、社会的養護の子どもに高等教育のチャンスを保障するために、多様な機関が多様な配慮をしています。福祉以外にも、教育、住宅などあらゆるジャンルを含む社会全体の理解と協力が大切です」(伊藤教授)  進学というハードルを乗り越えたとしても、困難は待ち受ける。児童養護施設から社会へ巣立つ子どもたちを支援するNPO法人ブリッジフォースマイルの18年調査によると、大学等に進学した施設出身者のうち16.5%が中退していた。一般進学者の中退率2・7%と比較して大きな差がある。同NPOの林恵子理事長は言う。 「行政や企業、大学の支援は拡充してきていますが、それらのほとんどが順調に生活できている学生のためのプランニングです。風邪を引いてバイトに行けないだけで生活費が足りなくなる人や、対人関係がうまく築けずに大学へ行けなくなる人、留年すると学費の助成はなくなってしまい退学を選ぶ人もいます。入学して終わり、ではなく、彼らがやり直すためのセーフティーネットも必要だと思います」(林理事長) (編集部・深澤友紀、アサヒカメラ編集部・作田裕史) ※AERA 2019年6月3日号より抜粋
大学入試
AERA 2019/06/01 17:00
萩野公介、内村航平、桃田賢斗は?どこよりも早い東京五輪金メダル予測 
秦正理 秦正理
萩野公介、内村航平、桃田賢斗は?どこよりも早い東京五輪金メダル予測 
柔道の阿部詩(C)朝日新聞社 競泳の大橋悠依(C)朝日新聞社 陸上・競歩の鈴木雄介(C)朝日新聞社 バドミントンの桃田賢斗(C)朝日新聞社  チケット争奪戦で早くも機運が盛り上がる2020年東京五輪。日本オリンピック委員会は金メダル30個を目標に掲げるが、主力選手の相次ぐ故障などで暗雲が立ち込める。それでも、過去最多の1964年東京、04年アテネ両五輪の16個は上回りそうだ。  目標達成にはスタートダッシュが肝心。開会式翌日から行われる競泳に期待したいが、エース格の選手たちを中心に苦しんでいる。  16年リオデジャネイロ五輪男子400メートル個人メドレー金メダルの萩野公介は不調に悩まされ、世界選手権代表選考を兼ねた4月の日本選手権を欠場。昨夏のアジア大会6冠の池江璃花子は白血病を公表し、本番に間に合うか不透明だ。日本選手権で日本水泳連盟の派遣標準記録を突破し、代表入りした選手は、前年の21人の半分以下の10人だった。  その中で最注目は女子個人メドレーの大橋悠依だろう。18年のパンパシフィック水泳選手権で200メートル、400メートルの2冠を達成した。  00年シドニー五輪代表の萩原智子さんが、まだ代表決定前との前提で解説する。 「個人メドレーでここまで安定感のある選手はなかなかいません」  萩原さんは自身の経験から、「個人メドレーは調子の波が出やすい」と話す。 「バタフライはいいのに平泳ぎはダメといった、各泳ぎの調子の良し悪しは当日に出てきます。大橋選手は良し悪しを把握して、まとめる能力が高いです」  男子の注目は200メートル平泳ぎ世界記録保持者の渡辺一平だ。 「193センチという身長は世界に引けを取りません。しかも水の抵抗を受けない泳ぎができる。(04年アテネ、08年北京両五輪2冠の)北島(康介)さんの姿勢がお手本になっています」  小柄なハンディを補うために技術を磨き続け、世界と戦ってきた北島の姿勢が受け継がれているという。 「苦手としていたコーナーワークもターン動作が0・1~0・2秒ほど縮まるなど成長が見られます。世界トップ級との戦いではその差はとても大きい。まだまだ伸びしろを感じさせます」  長らく萩野と競泳陣を牽引してきた瀬戸大也は、400メートル個人メドレーとともに200メートルバタフライも期待値は大きいと話す。昨年末の世界短水路選手権では世界新記録を達成している。 「200メートルという距離に対するペース配分が上手で、元々バタフライが得意な選手。水面を滑るような泳ぎでスピードもあげやすい。もちろん個人メドレーについても、彼自身がリオ五輪以降失っていたハングリーさを取り戻せた!と話しているので期待です」  とはいえ競泳陣全体については、「世界は常に動いている。危機感もある」と萩原さんは話す。  同様に心配されるのは体操だ。男子は内村航平がケガと30歳という年齢からくる衰えで以前の輝きを失い、白井健三もケガに苦しむ。  88年ソウル、92年バルセロナ両五輪メダリストの池谷幸雄さんはこう指摘する。 「内村の衰えは隠せず、20年大会が東京に決まっていなければ引退していたはず。世代交代は起きていて(19日の)NHK杯でそれがはっきりした。優勝した谷川翔が今後日本の体操を担っていくでしょう」  谷川の「6種目すべて安定しているオールラウンダー」という強みは内村と共通している。  だが、池谷さんはこう話す。 「個人総合で五輪を連覇している内村に比べれば、粒が小さいことは否めない。団体も含め、金が取れるかというとまだまだ厳しいのでは」  女子は18年世界選手権個人総合銀メダルの村上茉愛が腰痛でNHK杯を棄権した。かつての教え子の村上については、「健康体であれば実力は世界トップクラス。金も狙える立ち位置です」と期待する。  近年躍進する卓球は、4月の世界卓球で中国勢の巻き返しに遭い、金メダルはゼロ。男子シングルスで15歳の張本智和や、女子ダブルスでともに18歳の伊藤美誠・早田ひな組の成長に期待したい。  3大会ぶりに復活した野球は、前回北京五輪で4位にとどまった。ソフトボールはいまだにエースの上野由岐子頼みで苦しい。  追加競技のスポーツクライミングは有力選手が多いが、五輪ではスピード、ボルダリング、リードの3種目の総合成績で順位が決まる。昨年の世界選手権では男女ともに表彰台を逃しているだけに不安が残る。  同じく追加競技の空手には男子形の喜友名諒ら、スケートボードには女子ストリートの西村碧莉(あおり)らメダル候補がいるが、初の五輪でどう戦うか。  陸上はリオ五輪銀メダルの男子400メートルリレーに注目が集まるが、5月11日の世界リレーではバトンパス失敗で失格、19日の国際大会では圧勝と極端な結果で、すべてはバトンパス次第。マラソンは男子の大迫傑が昨年10月に日本人初の2時間5分台を記録したとはいえ、世界との差はまだある。  陸上で期待できるのは男子競歩だ。スポーツライターの折山淑美さんは「鈴木雄介が金メダルを獲る可能性は高い」と話す。鈴木は20キロの世界記録保持者だが、4月には初挑戦の50キロで日本記録を樹立した。 「20キロは強豪の層が厚いうえ、調子が結果に直結しやすい。実力が結果につながりやすい50キロの方が金の確率は高そう。どちらを選ぶのかも注目です」  目標達成へ、頼みの綱は日本のお家芸である柔道だ。折山さんは「男女ともに金メダル候補が複数いる」と期待する。男子では60キロ級の高藤直寿、66キロ級の阿部一二三か丸山城志郎、73キロ級の大野将平と軽量級の選手を挙げた。 「軽量級は昔から選手層が厚く、結果も出している。井上康生監督になってからより締まってきました」  女子では52キロ級の阿部詩と70キロ級の新井千鶴が期待だという。 「阿部選手は昨年の世界選手権で、オール一本勝ちで優勝しました。新井選手は17、18年の世界選手権を連覇しています。メダルに限りなく近い存在と言っていい。ただ他にも層は厚いので、まずは今夏の世界選手権を注視したい」  また、57キロ級の芳田司、78キロ超級の朝比奈沙羅も昨年の世界女王だけに期待大。一本による決着の増加を目指すルール変更も「一本の美学」を標榜する日本にとって追い風だ。  女子レスリングも日本の稼ぎ頭といっていい。「霊長類最強女子」と呼ばれた吉田沙保里が引退したものの、50キロ級の須崎優衣、53キロ級の奥野春菜、57キロ級の川井梨紗子と人材は豊富だ。 「それぞれ世界選手権を連覇していますし、メダルは確実に取れるでしょう。柔道と同様、あとは何色のメダルを獲るか、というレベルにあります」(折山さん)  躍進著しいのがバドミントンだ。桃田賢斗は違法カジノでの賭博スキャンダルを経て「一回り強くなった」と折山さんは分析する。 「それまでは才能だけでやっていてムラっ気もあったが、スキャンダルを機にフィジカルトレーニングでしっかり体を作りあげ、精神的にもたくましくなった」  女子は多士済々。ダブルスは世界ランク1位の永原和可那・松本麻佑組を筆頭に5位以内に3組入るという充実ぶりだ。  まとめれば、現時点で金メダル数は過去最多を上回れるが、目標30個は不調や故障に苦しむ選手の復活次第。金メダル“倍増計画”の成否やいかに。(本誌・秦正理) ※週刊朝日オンライン限定記事
東京五輪
週刊朝日 2019/05/29 10:00
「この舞台を見て生きようと思った」 女性を魅了する2.5次元ミュージカルの「魔法」
大道絵里子 大道絵里子
「この舞台を見て生きようと思った」 女性を魅了する2.5次元ミュージカルの「魔法」
ミュージカル『薄桜鬼 志譚』風間千景 篇/歌・ダンス・殺陣により新選組と、それに対峙する風間千景ら「鬼」を表現。ヒロイン千鶴役は毎回違うキャストが演じる (c)アイディアファクトリー・デザインファクトリー/ミュージカル『薄桜鬼』製作委員会 “Pretty Guardian Sailor Moon” The Super Live/今年3月のアメリカ公演では、ワシントン・ニューヨーク共に、チケットはソールドアウト。大成功をおさめた (c)武内直子・PNP/“Pretty Guardian Sailor Moon” The Super Live製作委員会  日本ならではのカルチャーとして世界から注目を集め、いまや市場規模は150億円以上にもなるという2.5次元ミュージカル。自分の好きなキャラクターが現実に現れるという「魔法」に魅了されるファンが後を絶たない。 *  *  *  いろんな要素があるなか、日本2.5次元ミュージカル協会の代表理事、ネルケプランニング代表取締役会長の松田誠は、2.5次元の一番の魅力は「魔法」だという。 「自分の好きなキャラクターが現実に目の前に現れ、パフォーマンスをする。ときには舞台を下りて客席にやってきて、その風を実際に肌で感じることができる。その瞬間、魔法にかけられたような気持ちになる。それが2.5次元の魅力だと思うんです」  ならば魔法を体験してみたい。ということで行ってきましたミュージカル『薄桜鬼 志譚(したん)』風間千景(かざま・ちかげ)篇(薄(はく)ミュ)。原作は幕末を舞台に新選組が活躍し、鬼が跋扈(ばっこ)する世界を描く女性向け恋愛アドベンチャーゲームだが、薄ミュは主人公が様々なキャラクターと結ばれるルートを一つの作品にしてシリーズ化している。今回は中河内雅貴(なかがうち・まさたか)演じる風間千景という鬼の剣士がお相手だ。  会場は熱気ムンムン。グッズ売り場も長蛇の列だ。ブロマイドを束で買う人、それをトレーディングする人、ファン同士で盛り上がる人。ほぼ女性だ。  着席してトキメク準備をしていたが……いざ物語が始まると、恋愛要素の前に、命を懸けて己が信念と仁義を貫こうとする男の絆の物語だということに気づいた。そう、(私を含む)女子が大好きなやつ。目の前で繰り広げられる壮絶な殺陣。生々しい音。そして悲しいクライマックス。キャストの気迫や思いがまっすぐ伝わってきて、気づくと涙が……。会場のあちこちからも啜り泣く声が聞こえてくる。なるほど、これが魔法なのか。それにしても風間と土方歳三(和田雅成(まさなり))の殺陣、美しすぎ!  30代の会社員女性は興奮冷めやらぬ様子で言った。 「感動でした。やっぱり生は迫力が違う。本当に元気をもらいました。行ける限り、当日券に並んでリピします!」  脚本を手掛けた毛利は言う。 「以前『この芝居を見るまでは死ぬつもりでした。でもこの舞台を見て、生きようと思います』というファンレターをもらったこともあります。こっちも本気だけど、お客さんもものすごく本気なんですよね」 「美少女戦士セーラームーン」を原作とする“Pretty Guardian Sailor Moon” The Super Liveは、昨年11月にフランス・パリで、今年3月にアメリカ・ワシントンとニューヨークで公演し、海外ファンを熱狂させた。2.5次元はアニメや漫画と並ぶ日本が海外に誇るコンテンツとなりうるのだろうか。そう尋ねると松田は笑った。 「いやいや、僕たちは漫画やアニメ・ゲームの力を借りてるので、並ぶのはちょっとおこがましいですね。ただ、原作の漫画やアニメ・ゲームだけでは伝わらない何かを伝えることはできるし、コンテンツとして長生きさせることもできます。日本国内でも2.5次元の世界観が少しずつ浸透してきたし、世界各国での経験を生かして、自信もついてきました。でも、まだまだ。今、スタート地点に立った感じです」 (ライター・大道絵里子) ※AERA 2019年5月27日号より抜粋
AERA 2019/05/27 11:30
ジャンプ以外でも成長を期待…紀平と宮原、“新たな表現”でより洗練されたスケーターへ
ジャンプ以外でも成長を期待…紀平と宮原、“新たな表現”でより洗練されたスケーターへ
さらなる成長が期待される紀平梨花(左)と宮原知子(右) (c)朝日新聞社  濱田美栄コーチの下で切磋琢磨する、紀平梨花と宮原知子。よきライバルである二人はともに、来季新しい振付師によるショートプログラムで新たな表現を開拓する。  5月24日、千葉市・幕張イベントホールで、今年も「ファンタジー・オン・アイス」が幕を開けた。羽生結弦、アリーナ・ザギトワなど世界トップレベルの現役スケーターが参加するこのアイスショーで、日本女子を引っ張る紀平と宮原は、早くも来季への第一歩を踏み出した。  宮原は、公演開幕当日の朝自らのブログを更新し、来季の新プログラムを発表していた。ショートの曲に選んだエジプト調のダンスミュージック『Yalla, Tabla & Percussion Solo, Egyptian Disco (Buddha Bar Edit) / DJ Disse』について「今までの自分のイメージとは裏腹の曲ですが、『新しい挑戦として少し変わったものを』と思い、選曲致しました」とつづっている。  振付師は、近年前衛的な振付で頭角を現したブノワ・リショー。メタリックな上衣と黒のパンツのセパレートタイプの衣装で登場した宮原は、ブノワ・リショーらしいコンテンポラリーダンス(既成のジャンルに属さない、自由なダンス)風の振付を、持ち前の端正なスケーティングで滑りこなした。「これまでの自分にはなかった動きがたくさん入り、難しいプログラム」とブログで吐露していた宮原だが、彼女には吉田都さんにも指導を受けたバレエの基礎がきっちりと身についている。基本的な所作の美しさが、モダンな振付に挑戦するときも必ず宮原を助けるだろう。  そして、紀平の新しいショートプログラムは『Breakfast in Baghdad』。上下黒のシックな衣装に身を包んだ紀平は、高音の女性ボーカルによるエキゾチックな曲に乗り、大人びた演技を披露した。今季のエキシビション『Faded』で見せていた陰のある曲もこなす表現力の幅が、来季は競技会でも発揮されそうだ。こちらの振付は、ダンサブルなナンバーを得意とするシェイ=リーン・ボーン。氷上で抜群の音感を見せてシニア1年目としては驚異的な演技構成点を得ていたのみならず、自身のツイッターで披露する陸上のダンスレッスンの動画でも、卓越した“踊れる能力”を感じさせていた紀平とシェイ=リーン・ボーンのタッグは、フィギュアスケートファンの期待が高まる組み合わせだといえる。  16歳という年齢の割には重みや深みを感じさせる紀平の魅力は、シェイ=リーン・ボーンの振付により、来季さらに引き出されるのではないだろうか。  宮原はトリプルアクセル、紀平は4回転と、ジャンプの面でも来季に向けて新たなことに挑戦している二人だが、彼女たちの武器はそれだけではない。まずスケーティングの確かな技術が基礎にあり、その上で陸上でもバレエ・ダンスのレッスンを積み、身体表現を磨き上げてきた。来季を見据えて取り沙汰されるのは、ジュニアから上がってくる4回転を跳ぶロシア勢の脅威だが、シニアのプログラムとしての完成度を高め続ける紀平と宮原の表現面での挑戦は、シーズンが深まるにつれ彼女たちにとり大きな武器になるに違いない。(文・沢田聡子) ●プロフィール 沢田聡子 1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
dot. 2019/05/26 17:00
質のいい母乳を作るために「和食」より大事なことは?
中田馨 中田馨
質のいい母乳を作るために「和食」より大事なことは?
母乳育児は自分のペースで進めることが大事(写真:gettyimages)  赤ちゃんが産まれると「母乳育児をしたい」と思いう人が多いでしょう。母乳育児と聞くと、赤ちゃんの幸せそうな顔、ママの穏やかな微笑み、そんなイメージが浮かびませんか?   でも、実際は幸せなイメージだけではありません。ずっと抱っこしていて腕や肩が痛い。乳首がこすれて痛い。赤ちゃんが母乳しか飲まないので赤ちゃんを預けて外出ができない。赤ちゃんにとって「質のいい母乳」を出すために、油っこいもの、甘いものは我慢。お母さんの食事管理や時間管理をしながらの授乳、赤ちゃんがちゃんと飲んでいるか確かめるための体重計測。母乳だけで育てようと思うと、さまざまなことが起こり、考えなければいけないこともたくさんあります。今回はそんな母乳の質について考えます。 ■母乳が軌道に乗るまでには3カ月  母乳は吸えば吸うほど出る仕組みになっています。赤ちゃんがおっぱいを吸うと乳頭に刺激がいきます。そうすると脳のプロラクチンが作動しておっぱいが出るのです。ですので、吸えば吸うほどお母さんの脳は母乳を作る伝達回路が作動します。  赤ちゃんを産むまで私は、てっきり、「産めば自然に母乳が出る」と思っていたため、生まれてすぐの長男の授乳時には、ほとんど出ない母乳に「どうして?」と悩んだものです。赤ちゃんが飲む量と母乳の需給バランスが整うのには、なんと3カ月くらいかかるそうです。最初は赤ちゃんもお母さんも初心者。うまくいかないことは当たり前で、母乳も最初はなかなか出ないこともあります。軌道に乗り始めるのに3カ月かかると知っていれば、必死になりすぎなくてもいいことがわかり、気持ちがラクになりますね。 ■質がいい母乳って?  保育所では、働きながら母乳育児をしているお母さんもいます。仕事をはじめて間もないころによくあるトラブルが「乳腺炎」。休憩時間に搾乳しているけれど、それでは間に合わないのです。中には「働き始めるとランチは外食するので油っぽい食事が多かったかな」なんて反省するお母さんもいます。  食事は「関係ない」という専門家と「関係ある」という専門家がいます。実体験でいうと「根菜を食べると何となく、母乳がよく出たような気がする」ということもありました。でも、「質のいい母乳は、あなたの食事で決まるんですよ!」と言われたら、プレッシャーに感じるお母さんもいるでしょう。食事だけが質のいい母乳を作るのではありません。やはりお母さんの体調が良いことも質のいい母乳ができる基本になります。 ■和食以外は食べてはだめ?  おいしいおっぱいを作るために和食が推奨されています。私たち日本人は昔から和食を食べて生活してきました。とはいえ、和食以外のものを食べたくなることもありますよね。「ケーキが食べたい!」「唐揚げが食べたい!」。食べたい欲求があるのに、我慢して食べないほうがお母さんの精神安定にはよくありません。食べたいときは食べても大丈夫です。食べ物に敏感になりすぎず通常の食事をとりましょう。  育児はこれから長く続きます。母乳は1歳半ごろまで飲み続ける子が多いといいます。最初に頑張りすぎてスタートダッシュすると疲れます。「もう嫌だ!」と途中で投げ出してはもったいないので、「食べたいものを食べる」日があっても大丈夫。母乳や育児はマニュアル通りに進まないものです。頑張りすぎずマイペースで進めていきましょう。 ※AERAオンライン限定記事 ◯中田馨 なかた・かおり/1978年生まれ。兵庫県の認可保育園、中田家庭保育所施設長。一般社団法人離乳食インストラクター協会代表理事。保育士目線の離乳食講座受講生は4年で2000人。自身も中3男子、小5女子の子育て中。
AERAオンライン限定子育て
AERA 2019/05/25 11:30
天皇陛下はパワースポット化する? やんごとなきダジャレを拝聴したい
天皇陛下はパワースポット化する? やんごとなきダジャレを拝聴したい
(イラスト/辛酸なめ子) 5月4日、令和初となる一般参賀に集まった人たちに手を振る天皇、皇后両陛下(c)朝日新聞社 漫画家、コラムニスト 辛酸なめ子(しんさん・なめこ)/1974年、東京都生まれ。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。一般参賀に足しげく通い、皇室ウォッチャーを自任している。 (撮影/山本友来)  5月27日、天皇、皇后両陛下は令和初の国賓となるトランプ大統領と会見する。天皇陛下は、令和初の一般参賀でも柔和で真面目な物腰が印象的だったが、実は意外な一面もあるという。皇室ウォッチャー・辛酸なめ子さんは、AERA増刊「ドキュメント新天皇誕生」の中で、少しだけナナメから天皇陛下への期待を語る。 *  *  *  毎年のようにはせ参じている一般参賀。なかでも今年1月2日の一般参賀は、改元前の天皇、皇后両陛下のお出ましラストということで、例年以上の混雑ぶりでした。午前8時過ぎから約3時間ほど、愛国者の集団の「君が代」の歌声などで気を紛らわせながら並び続け、11時ごろやっと宮殿前でお出ましを拝見することができました。混雑の中、人々が掲げるスマホで、皇室の方々のお姿を垣間みられたのは一瞬でしたが、陛下のお言葉が心にしみました。「年頭にあたり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」という言葉でしめくくられ、てっきり新元号の候補は「安寧」かと思っていたのですが……。天皇陛下はいつも通り、ゆっくり淡々とお話しされ、平成最後のお言葉を耳に刻みました。 「令和」になったら、お出ましのフォーメーションも変わってきます。中心は新天皇陛下と皇后陛下になり、これまで傍らで柔和な笑みを浮かべていた徳仁さまがセンターに。畏れ多くも妄想ですが、「令和」という単語にはイケメンっぽい響きがありますので、新天皇の男前度もさらに高まるのではないでしょうか。周りにも「徳仁さまがすてき」と言う女子が何人もいますが、改めて魅力について考察させていただきます。  今年2月の59歳の記者会見での発言は非常にまじめで、「このお方についていけば安心」という思いを新たにしました。声も深みがあります。「自己研鑽につとめ」「国民と心を共にし、苦楽を共にする」「象徴としての務め」といった意識の高い言葉が印象的でした。雅子さまについて触れられるとき、キリッとした表情になられ、「私もできる限り力になり雅子を支えていきたいと思っています」とおっしゃったのにしびれました。「僕が一生全力でお守りします」という名セリフがフラッシュバックします。令和の一般参賀では、お二人の仲むつまじい様子も拝見できることでしょう。  徳仁さまは、秋篠宮さまに比べて生真面目な印象ですが、実はフランクでユーモア精神もおありです。英国留学について思い出の手記には、天井を指して「私はデンカ、これはデンキ」と友人に説明したエピソードが書かれています。元テニスプレーヤー佐藤直子さんの手記にも、パーティーでテーブルを動かすときに挟まられ「殿下、出んか」と小さな声でおっしゃられたとありました。今後、また徳仁さまのやんごとなきダジャレを拝聴できればと思います……。  そして徳仁さまは「水」と「山」のスペシャリスト。水問題について研究され、ご講演集『水運史から世界の水へ』も出版されました。日本の水資源、防災について深い知識をお持ちです。山に関しては、「歴史と信仰の山を訪ねて」と題した原稿を機関誌「山岳」に寄稿。信仰のあるところを中心に170以上の山に登られている登山家であらせられます。山の神々に挨拶することでパワーを得、日本の繁栄と安泰を祈られているのでしょうか。日本の水と山のエネルギーを吸収し、体力や生命力をチャージされ、徳仁さまご自身がパワースポットとなっていかれるのだと思います。平成のある年の一般参賀では、陛下のお言葉の途中に雨がやむ、というミラクルが起こりましたが、新天皇陛下にもさらなるポテンシャルを感じます。一般参賀に伺えば、健康回復したり運気も高まったりする、そんなジンクスが生まれそうです。(文・イラスト/辛酸なめ子) ※AERA増刊「ドキュメント新天皇誕生」掲載
皇室
AERA 2019/05/24 19:52
紀子さま友人が明かす 秋篠宮家“大批判”の真相
永井貴子 永井貴子
紀子さま友人が明かす 秋篠宮家“大批判”の真相
秋篠宮ご夫妻 (c)朝日新聞社 秋篠宮ご一家 (c)朝日新聞社  週刊誌やネットで秋篠宮家バッシングがエスカレートしている。「早く天皇をやりたいという『秋篠宮の乱』」「紀子妃がのんきに旅行」「悠仁さまには友人がいない」……。一体、どこからそんな情報が流れているのか。紀子さまの長年の友人が真相を語った。 *  *  *  秋篠宮妃紀子さまの長年の友人である女性は、今月中旬に発売された女性週刊誌の記事を見て驚いた。 <紀子さま「悠仁さま刃物事件」から長野スキーへ直行!の慄然> <紀子さま 母子スキー旅行を初日で切り上げ 急きょ帰京の戦慄>  お茶の水女子大学付属中学校で、秋篠宮家の長男、悠仁さまの机に刃物2本が置かれる事件が起きた4月26日に、紀子さまと悠仁さまが長野県にスキー旅行に出かけたという記事だった。 「この代替わりの大切な時期に泊まりがけで東京を離れることが軽率であり、事件が発生して犯人も逮捕されていない危険な状態であるのにいかがなものか」と「紀子さま批判」を展開した記事もあった。  しかし、実際の話は違う。  事件当時、悠仁さまの学級は体育の授業で教室は無人だった。戻ってきた生徒らは、誰かのいたずらではないかと考え、学校側も犯罪とは認識していなかった。そのため、大きな騒ぎとはならず、この日の夕方、悠仁さまは長野県への「ひとり旅」に出かけた。宮内庁が事態を把握したのは翌27日朝。連絡を受けた悠仁さまは旅行を中止して、この日帰京した。  これが事件発生後からの大まかな流れだ。女性週刊誌の記事は、誤った情報をもとに作られたとみられる。  冒頭の友人女性は当惑の表情を浮かべ、「そもそも、当初から悠仁さま単独の旅行と決まっていたのです。4月末から5月初めは代替わりに伴う儀式や行事が控えており、紀子さまは、『この大切な時期ですから、私は一緒に行くことはできない』と言っていたのに……」と話す。  もちろん「ひとり旅」には護衛も、付き添った大人もいる。友人女性が続ける。 「旅行の目的もスキーではなかった。ご両親は、自分たちは公務で忙しいが、12歳の悠仁さまには、自然と触れ合い、土地の風土を肌で感じ、情緒を育む経験を積んでほしい、というお気持ちでした」  刃物事件での秋篠宮家批判は、さらに続いた。女性誌以外の一部の週刊誌では、上皇后となった美智子さまが、公人としてクラスメートや保護者、学校などに迷惑をかけたのだから秋篠宮夫妻がお詫びすべきだと考え、上皇さまも同意見だったが、「秋篠宮さまは『大騒ぎする話ではない』『悠仁が悪いことをしたのでもないのに』と、(謝罪の)コメント発表は見送られた」と書かれている。  この点について上皇ご夫妻に仕える宮内庁幹部は、「ご家族間でそのようなやりとりがあったのか、真実はご本人方にしかわからない。しかし、上皇、上皇后両陛下が秋篠宮家の問題に口を挟まれるかどうか……」と首をかしげる。先の友人女性も話す。 「紀子さまとこの件を話題にしていないので、真実はわかりません。しかし、個人的には、ありえない話と感じます。紀子さまは、事件直後から学校の生徒や保護者が不安に陥っていないか、自分たちの言動で事件に関して学校関係者などが責められたり、傷ついたりすることはないか、と気にかけてきました。秋篠宮さまも、一つひとつにお考えがあって、言動をなさる方です」  秋篠宮家に対する批判は、宮内庁職員やスタッフの紀子さまへの不満という形で数年前から、少しずつ報じられてきた。本誌でも、「秋篠宮邸で働くのはきつい」と、職員が口にしているのを聞いており、他にもそうした声が宮内庁内で出ているのは確かだ。  だが、ここ数カ月は、秋篠宮家への批判が目に見えて過激になり、さらにエスカレートしている。  秋篠宮さまが、昨年11月の誕生日の会見で、天皇の代替わりに伴う大嘗祭は宗教色が強いことから、皇室の「私費」にあたる「内廷会計」で賄うべきだと発言した際も、「(宮内庁長官らが)聞く耳を持たなかった」と強い表現を使ったことから、批判を受けた。 「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」  今年4月に朝日新聞が、高齢で即位する難しさを指摘した秋篠宮さまの言葉を掲載した。すると、新天皇に対する「早期退位勧告」と一部の週刊誌で曲解され、ネット上でも同様の分析が拡散された。  秋篠宮さまは、意に沿わない形で解釈されたことに、戸惑っていたという。  秋篠宮さまと親しい、国立科学博物館館長の林良博氏は、エスカレートする秋篠宮家への批判にいら立ちを隠さない。 「秋篠宮さまは、ご自身の立場をわきまえる、節度のある方です。お兄さまの新天皇陛下とも非常に仲の良いご兄弟で、陛下を支える役目に徹しておられるのは間違いありません。ご兄弟で争う、などとうがった報道は、非常に腹立たしい」  元宮内庁職員の山下晋司氏は、「眞子内親王殿下と小室圭さんのご結婚問題が、秋篠宮家への批判の口火となったのは明らかです」と話す。  重ねて、勤務先の奥野総合法律事務所が生活費を支援しての米フォーダム大学への留学や、大学が小室さんの入学を「プリンセス・マコの婚約者」とホームページで紹介し、学費の全額免除という奨学金を支給したことなど、小室さんが眞子さまとの関係から特別扱いされたのではという待遇の不透明さなどに世間の不信感が募った。  秋篠宮さまは、昨年の誕生日の会見の場で「このままでは、婚約にあたる納采の儀を行うことはできません」と発言し、小室家の金銭問題に対し、明確な説明を求めたが、次女の佳子さまは「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と文書で発言したことに、「親子断絶」などと報じられもした。  現在のところ、二人に進展はなく、小室圭さんの代理人弁護士は、メディアの取材に、「二人は頻繁に連絡を取っている」などと答えており、小室さんと眞子さまの結婚の行方に着地点は見えない。  悠仁さまをめぐっても、「学校で友達がいない」「周囲から浮いている」といったネガティブな報道が目立つ。  だが、こうした記事について先の友人女性は、一笑に付す。 「悠仁さまは、お茶の水女子大付属小の頃から、放課後にお友達と遊ぶのを、それは楽しみにしていました。大勢の友達に恵まれて下校時間ギリギリまで遊ぶのが楽しくて仕方がないという生活です。学校では、放課後に校内に残って遊ぶためには、保護者が書類にサインをする必要があるのです。悠仁さまは宮邸に帰ってお母さまの顔を見ると、真っ先に明日遊ぶための書類にサインをせがむそうです。サインをもらい忘れたときは、相当にしょげていらしたそうですよ」  こんな報道もあった。  4月8日、お茶の水女子大付属中の入学式で、今年から始まった新入生代表宣誓を、114人いる中で悠仁さまが行ったことに対し、「悠仁さまが選ばれたことに違和感がある」「特別待遇」などと選出過程に懐疑的な見方を示す内容だった。  学校側は本誌に、宣誓を始めた理由について、「国からの予算が毎年削減され、学校の経営が苦しい状況で生徒の母校愛を育むため」と説明。代表となる生徒の選出基準については、「学業を申し分なく修め、豊かな人格的成長が認められる生徒を総合的に判断して選出した」と答えた。  悠仁さまの成績は、学年でもトップクラス。代表の候補に選ばれて、やる意思があるか聞かれた悠仁さまは「やる」と答えたという。 「雅子さまと愛子さまへのライバル心から、悠仁さまの東大進学を目指している。特に、農学部が候補となっている」といった報道もあった。  小学生の頃は、昆虫が大好きで図鑑を熱心に読んでいたという悠仁さま。知識欲は旺盛で、いまは不思議や驚きを体験できる、化学の実験に興味を示しているという。  先の林氏が言う。 「私が東大農学部の学部長を務めていた時期は、たしかにご家族で、東大の演習林に滞在され山登りをなさったこともあります。しかし、それは悠仁さまが生まれる前の話で、秋篠宮家は、悠仁さまのご興味と意思を第一に尊重なさるご家庭です。対抗意識で、ご長男の進学先を決めるなどということは、まず考えられません」  本誌でも、宮務主管として秋篠宮家を支えていた故・日野西光忠氏からこんな話を聞いた。  秋篠宮さまとの食事の席で、悠仁さまの教育話で盛り上がった。東大出身の日野西氏は、「目指せ東大」と冗談交じりに伝えたのだという。悠仁さまが小学校に入ったばかりの頃の話だ。  次第に、悠仁さまの東大進学が秋篠宮ご夫妻の希望である、といった趣旨の報道が目につくようになったが、日野西氏はこう話していた。 「あくまで、悠仁さまの進学への意思と学力がどこまで伸びるかが全て。両殿下の希望で進学先を決めるご家庭ではない」  一方、山下氏は、1993(平成5)年に起きた、週刊誌と月刊誌による「皇后バッシング」をほうふつさせる状態だ、と振り返る。山下氏は当時、宮内庁で広報を務めていた。こう語気を強める。 「あのときは、皇后陛下(当時)が10月20日のお誕生日当日に倒れ、声を失った。それでようやくバッシングが収束した。最近の秋篠宮殿下のご様子を拝見すると疲労の色が強いのが気になります。あのときと同じようにならないよう、宮内庁は早めに手を打つべきだ」  代替わり後の5月から秋篠宮ご夫妻を支える皇嗣職大夫(こうししょくだいぶ)が定例会見を行うことになり、発信の場はできた。(本誌・永井貴子) ※週刊朝日  2019年5月31日号
皇室
週刊朝日 2019/05/24 16:00
将来「令和大学」も誕生する? 平成30年間で100校以上が大学名を変えた理由
将来「令和大学」も誕生する? 平成30年間で100校以上が大学名を変えた理由
2020年から東京都立大に名称を戻す首都大学東京 (c)朝日新聞社  2019年、東都医療大(埼玉・千葉)が、創立10周年を機に「東都大」に校名を変更した。あるテレビ局のドラマ制作担当者がこんな話をする。 「それ、ほんとうですか。困りました。ドラマで架空の大学として東都大はよく登場しますが、もう使うことはできないでしょうね。東都大の教授が殺人、なんてストーリーでは、確実にクレームが来ますから」  たしかに「東都大」という名はドラマ、小説、漫画で架空の大学としてよく登場する。たとえば、高視聴率を誇ったドラマ「白い巨塔」。舞台は浪速(なにわ)大学病院となっている。以下、フジテレビの同ドラマ出演者を交えて登場人物を紹介すると、主人公の財前教授(唐沢寿明)、里見助教授(江口洋介)は浪速大出身だが、財前教授の指導教官、東貞蔵教授(石坂浩二)は東都大出身となっている。浪速大は大阪大、東都大は東京大がモデルといわれる。  東都大は「太陽にほえろ!」「JIN-仁-」「特捜最前線」「相棒」などにも出てきた。漢字の並びや語呂がいい、という理由らしい。「東」京大と京「都」大をつなぎ合わせた、「東」の「都」にある、などの理由もある。  これからは東都大が使えなくなる。ドラマで東都大教授が教え子に手を出した、東都大の学生が人を殺した、といったストーリーは、名誉毀損ものになりかねない。 前出の浪速大も、じつは、かつて実在していた。大阪府立大の旧校名で、1949年から1955年まで浪速大と名乗っていた。「白い巨塔」は作家・山崎豊子の原作がベースとなっている。同作品が初めて世に出たのは1963年の「サンデー毎日」連載なので、時期的には「セーフ」だ。   ちなみに東都の名は、「東都大学リーグ」という、関東地区の大学野球のリーグ名にも使われている。こちらは「東都」という言い方がすっかり定着している。東都大学リーグの加盟校である亜細亜大野球部の関係者は「関係ないですよ。でも、東京六大学に対抗して、『東都』って強くアピールしていたけど、すこし言いづらくなるかな」と話す。  大学の校名が変わることはよくあるのだろうか。  平成の約30年間(1989~2019年)に校名変更したところは115もあった(文部科学省調べ)。校名変更の理由、パターンは次のように分類できる。いくつかの大学を例にあげながら解説しよう。 (1)経営者が変わり、新しい大学に変わった。 ▽日本橋学館大→開智国際大(2015年)。経営者が開智学園に変わったことによる。 ▽道都大→星槎道都大(2017年)。星槎グループの系列になる。 ▽京都学園大→京都先端科学大(2019年)。日本電産会長の永守重信氏が大学経営者(理事長)になり、工学部設置を予定している。 (2)系列校と統合して総合大になった。 ▽武蔵工業大→東京都市大(2009年)。同じ学校法人の系列校、東横学園女子短期大学と統合し、都市生活学部と人間科学部を設置した。 (3)学部増設で学部の構成が変わり、現行の大学名が適さなくなった。 ▽宝塚造形芸術大→宝塚大(2010年)。2010年、看護学部設置による。 ▽足利工業大→足利大(2018年)。2014年に看護学部を設置し、卒業生を出して工学部との2学部体制が確立した年に「工業」を外した。 ▽岐阜経済大→岐阜協立大。2019年、看護学部設置による。同大学の竹内治彦学長は「大垣女子短期大学に設置していた看護学科をベースに、4年制に発展させることが大学名称変更の直接の契機になりました」と説明する(大学ウェブサイト)。 (4)医師養成大学であることを明確にした。 ▽東北薬科大→東北医科薬科大(2016年)。国内で37年ぶりの医学部設置で、医学部も持っている大学ということを明確にした。 ▽藤田保健衛生大→藤田医科大(2018年)。同大学の才藤栄一学長は、「これは、『独創一理』という建学理念の下、次の50年もスピード感を持って世界の医学・医療をリードするという決意の表れです」と述べている(大学ウェブサイト)。 (5)校名変更で大学のイメージを変えようとした。 ▽松山商科大→松山大(1989年) ▽高千穂商科大→高千穂大(2001年) ▽金沢経済大→金沢星稜大(2002年)など (6)私立大から公立大へ設置者が変わった。 ▽鳥取環境大→公立鳥取環境大(2015年) ▽山口東京理科大→山陽小野田市立山口東京理科大(2016年)。これは日本でもっとも長い名称の大学。 ▽成美大→福知山公立大(2016年) ▽諏訪東京理科大→公立諏訪東京理科大(2018年)など (7)「市立」と付けて、公立大であることを強調する。公立大のほうがブランド力はあるからというのが一つの理由。 ▽尾道大→尾道市立大(2012年) (8)女子大の共学化。少子化を見据えて共学化に踏み切った。 ▽武蔵野女子大→武蔵野大(2003年)。この共学化は、大学業界でもっとも成功したビジネスモデルといわれる。2002年3学部で学生数4090人だったのが、2018年9学部で学生数8743人になった。2019年には2学部を新設している。 ▽金沢女子大→金沢学院大(1995年) ▽静修女子大→札幌国際大(1997年) ▽鹿児島女子大→志學館大(1999年) ▽文京女子大→文京学院大(2002年) ▽東海女子大→東海学院大(2007年) ▽文化女子大→文化学園大(2011年) ▽東京純心女子大→東京純心大(2015年) ▽広島文教女子大→広島文教大(2019年)など (校名変更から翌年以降に共学化した大学を含む) (9)都市名を冠して大学所在地をアピールした。世界的に観光地として知名度が高い京都、神戸が多い。 ▽八代学院大→神戸国際大(1992年) ▽親和女子大→神戸親和女子大(1994年) ▽松蔭女子学院大→神戸松蔭女子学院大(1995年) ▽ノートルダム女子大→京都ノートルダム女子大(1999年) ▽光華女子大→京都光華女子大(2001年) ▽那須大→宇都宮共和大(2006年) ▽東邦学園大→愛知東邦大(2007年)など (10)大学名称の地名、地域名が広がった、狭まった。 ▽京浜女子大→鎌倉女子大(1989年) ▽秋田経済法科大→ノースアジア大(2007年) ▽福岡経済大→日本経済大(2010年) ▽近畿医療福祉大→神戸医療福祉大(2013年) (11)大学の所在地を変更した。 ▽北海学園北見大→北海商科大(2006年)。もともと所在地は北海道北見市だったが、札幌市に移転したため。 (12)大学院大が大学に変わった。 ▽デジタルハリウッド大学院大→デジタルハリウッド大(2005年) ▽新潟リハビリテーション大学院大→新潟リハビリテーション大(2010年) ▽ビジネス・ブレークスルー大学院大→ビジネス・ブレークスルー大(2010年)  名称先祖返りする予定の大学がある。首都大学東京は、2020年に東京都立大に戻る。もともとこの名称だったが、石原慎太郎都知事時代の2005年、ほかの三つの都立大学(短大を含む)と統合したときに、首都大学東京として生まれ変わった。  しかし、小池百合子都知事になった今、「18歳人口の減少や大学間競争が激しさを増している中、教育研究成果の都政への還元など、都との連携を一層強化する取組を進め、都立の大学であることをわかりやすく発信」(東京都ウェブサイト)することを理由に、東京都立大に戻すことを決めた。  校名変更で唯一、元号を採り入れたのが、帝京技術科学大→帝京平成大(1995年)である。平成のつく大学はほかに平成音楽大、平成国際大などがあるが、いずれも平成になって新設された大学だ。  校名に元号がつく大学は、明治大、大正大、昭和大などがある。令和時代となった今日、大学経営者は当然、意識するだろう。令和大、令和○○大はいつ誕生するか。早い者勝ちだが、校名変更ではなく新設する場合、急ぐあまりに教育の中身がおろそかかになっては困る。令和最初の設置不認可が令和大、ではしゃれにならない。宮内庁に怒られますよ。(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)
dot. 2019/05/22 08:00
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