検索結果1731件中 941 960 件を表示中

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く
「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く
無料だったおかわりを試験的に有料化したやよい軒(現在は無料に戻している)(撮影/写真:編集部・小田健司) 車いす向けの改修に反発する声が上がった国会。他人が得することを不快に思う心の動きとは (c)朝日新聞社  自分が不利益を受けるわけではなくても、他人の利益を不快に感じる。そんな人たちが少なからずいる。極端な不寛容さは一体どこから来るのか。技術の進歩が生んだ現代人特有の心情だとの指摘もある。AERA 2019年10月14日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  今春、定食チェーンの「やよい軒」が、無料だったご飯のおかわりを試験的に有料にするというニュースが流れた。運営会社は、おかわりをしない客から「不公平だ」という指摘があったと説明した。夏の参院選でれいわ新選組から車いすの議員2人が当選し、国会が改修されたというニュースには、ネット上などで「自己負担でやるべきだ」「我々の税金を使うな」といった反発がわき起こった。  どちらも、批判する人自身が、何らかの負担を強いられたわけではない。ただ、自分以外の人が利益を受けているのが不快という感情。「他人の得が許せない」人が増えている。 ●出席せずにいい成績「それ、ずるくないですか」  都内の女子大に勤める男性准教授(44)は、一昨年に経験した学生とのやり取りが今も忘れられない。9月中旬、ため息を大きくついた後、筆者にこうはき出した。 「本当にあきれかえるしかありませんでしたよ。付き合うのも面倒だから、叱ったりしませんでしたけど。あぜんとするっていうのは、こういうことなんだと思い知らされましたね」  新年度が始まったばかりの4月。近付いてきた1人の学生が突然訴えた。 「先生、お願いがあるんですけど」  学生が切り出したのは、准教授が授業で出欠を取っていないことについての申し入れだった。出欠を取ってほしいのだという。  最近の大学生の傾向だろうか。授業にはほとんどの学生が出席していた。准教授は、そんな状況で出欠を取ってもほぼ全員に等しく加点されるだけで意味がないと感じていた。そのため、その学生には必要に応じて授業の理解度を試す「レスポンス・ペーパー」を配って、内容次第で加点することを提案してみた。  申し入れが成績の評価に関する不満だと感じたため、配慮したうえでの提案だった。ただ、学生は予想と違う反応を示した。 「それはやめてもらえませんか」  出来の良い学生がいい点を取ることになるから、自分にメリットはないと感じたようだ。さらによく話を聞くと、本心とみられる言葉も出てきた。 「授業に出てこないのにテストで良い点を取って、いい成績を取る子がいるんです。ずるくないですか?」  体中の力が抜ける思いがした。そんな発想をするのか、と。 「そういう学生が仮にいたとしても、事情があって授業に出られないだけかもしれないでしょう。ずるをしているのではなく、損をしながら頑張っているのかもしれないよ」  准教授はこう諭してみたが、学生には伝わらなかった。それどころか、「出欠を取るのは当たり前だ」と、食い下がってくる。最後は納得しないまま、学生は立ち去った。  心理カウンセラーで「インサイト・カウンセリング」(東京都)代表の大嶋信頼さんによると、相談に訪れる人の多くは「他人の得が絶対に許せない」「いつも自分が損ばかりしている」という気分になっているという。そんな気持ちに苦しむ人たちが、この社会にあふれ返っているようだ。  大嶋さんは特に、そういう人たちが他者に攻撃的な言動をとってしまうケースは「『ルサンチマン』という言葉で説明がつく」という。  ルサンチマンとは、「強者に対する弱者のねたみや恨み」という意味だ。准教授が経験した例では、授業をきちんと受けながらも成績が心配される学生が弱者で、授業を受けなくても成績が良い方が強者と言えるだろう。大嶋さんは「多くのケースで、『弱者がすることは正しい』と思い込んでしまう傾向があります」とも指摘する。 ●子ども使ってスターと写真、母にも子にも腹が立つ 「あの人がずるい」。そんな感情から、楽しいはずの思い出を素直にそう振り返ることができなくなってしまった東京都内の女性(45)も9月、話を聞かせてくれた。  6年前の東京・六本木ヒルズ。女性が大ファンだった俳優のブラッド・ピットと、交際相手(当時)のアンジェリーナ・ジョリーが映画の宣伝で来日し、レッドカーペットを歩いた。そのイベントの抽選に当たった女性は、高校時代の友人と一緒に出かけた。  400人超のファンでごった返す会場。ブラピとアンジーの2人は、レッドカーペットの上でやや距離を置きながら別々にファンの声援に応え、写真撮影に応じたり、差し出される色紙にサインを書いたりしていた。  優雅な2人の姿とは対照的に、ファンの争いは熾烈だった。警備員はいたが、他人を押しのけてでも前に出てこようとする人たちばかり。女性も、その一人だったかもしれない。  その中に、小学校低学年ほどの子どもを連れた母親がいた。その母親が子どもに色紙を持たせてアンジーに向かうように指示しているのが分かった。 「慈善活動に熱心で気持ちの優しいアンジーなら、子どもに食いつくだろうと思ったんじゃないですか」  実際、アンジーはその子どもにサインを書き、いつの間にか近づいていた母親も含めてスリーショットでの記念撮影にも応じた。女性にとってはそれが、思い出したくないほど腹立たしい光景だったのだ。  女性は夫と都心で2人暮らし。普段、家の外で見かける他人の子どもは、騒がしかったり、うっとうしかったりする存在でしかなかった。 「だから余計に腹が立ったのだと思います。母親にも子どもにも」  こうした感情はどこから起きてくるのだろうか。前出の大嶋さんは、「優劣の錯覚」や「間違った平等意識」を原因に挙げた。 「他人との関係で自分が常に『上』で、相手が『下』だと信じて疑わない人は、『下』の人間が自分より得をしている場面に出くわすと発作を起こすように攻撃的な感情を抱いてしまうことがあります。平等意識も同じ構図です。みんな平等だと思っているかもしれませんが、この世の中で何から何まで全員が平等なんてあり得ないですよね」  宗教家はどうみるのか。浄土真宗本願寺派の研究機関、宗学院(京都府)の西塔公崇研究員(45)=富山県・金乗坊副住職=はこう話す。 「仏教の世界で言う『苦しみ』とは、自分の思い通りにならないときに抱く苦しい感情のことです。まさに、前出の大学生やレッドカーペットイベントの女性が抱いた精神的な苦しみが、当てはまるでしょう」  なぜそのような苦しみを感じるのか。 「自分中心の心があるからだと思います。自分にとって好ましいことばかりを追い求め、都合の悪いものに対しては拒絶するだけでなく、時には腹を立てます。そうすると、自分の都合でしか物事を見ていないから、結果的に物事の本当の姿が見えなくなるという事態を招いてしまいます」  また、宗教家の立場からこうも指摘する。 「宗教には、ある超越的な存在と出会うことによって自己の有限性を知り、自己を相対化させる機能があります。ところが、宗教が弱体化している現代において、人間は自己絶対化の度合いを増します。さらに、テクノロジーの進化でこれまで制御できなかったものを人間が制御し始めると、人間の絶対化は進みます」  技術の進歩で得た万能感が「自分中心の心」を生み、かえって人間を苦しめているのだ。 ●怒りにまかせた言葉の暴力、同僚は職場を追われた  東京都に住む専業主婦の女性(32)も、西塔さんが指摘する「物事の本質が見えなくなってしまった」一人かもしれない。自分の思い通りにいかないことから、過剰に人間関係を閉ざした状態が続いている。  女性は、街コンで知り合った夫と4年前に結婚した。夫は清潔そうな印象で、最初から好感を持てた。20代で結婚し、多くの人から祝福を受けた。  結婚から半年ほどたって、1通のLINEが入った。それほど仲が良かったわけではないが、高校時代に吹奏楽部で一緒だった同級生からの久しぶりの連絡だった。 「今度、結婚することになりました。式に来てもらえますか?」  こんな趣旨の連絡だった。別の同級生にも同じように式への案内が来ていて、「私1人では行けない」と言われたため、仕方なく参列した。新婦との交流の再開はその後、何年も心をかき乱され続けるきっかけとなった。  あるころ、頻繁にLINEがくるようになった。 「お茶しませんか」 「少し話したいことがあるんだけど」  当時は仕事をしていたため、多忙を理由に断っていた。だけど、直感はあった。子どもができたに違いない。さらに半年ほどたって、その直感が当たっていたことを人づてに知った。 「自分の方が先に結婚して、こんなに子どもを欲しがっているのに、『なんで後から結婚したあの子が授かったのか』ってずっと思っています」  他人の子どもの話題が苦しくなった。子どもの話題を目にしないよう、SNSは一切やめた。LINEも本当に親しい家族や友人だけとの連絡手段としてのみ使うなど、他人との意図しない接触を避け続けている。  女性はいま、不妊治療を受けている。まだ32歳。にもかかわらず、本人は「順調にいかなかった」との思いを強めている。 「他人の幸せがつらい。同級生に子どもができた件は、仲が良かったわけでもないけど知らないわけではないという中途半端な関係だからこそ、心がかき乱されました」  前出の大嶋さんは、自分の中で苦しむだけでなく、発作的に他人に攻撃的になるなど、直接言動に表れてしまうケースで特に注意を呼びかけている。「破壊的人格は、人間関係もチャンスも壊す」(大嶋さん)からだ。  都内の女性(35)は2年ほど前、給食の調理室で一緒に働いていた50代の女性が、職を失う場面を見た。 「彼女はとにかく新しく入ってきた若い人を片っ端からいじめていました。退職に追い込むまで。10人くらい辞めていったと思いますよ」  いじめは、言葉による過剰な攻撃だった。どんなささいなことでも厳しい口調で責め立てた。 「リンゴのカットの仕方が悪い」 「掃除もろくにできないのか」 「だからあんたは結婚できない」  自身はなぜかいじめの対象にならなかったが、ある日、どうしてそんな振る舞いをするのか聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。 「若い人はどこでも就職できるのがねたましいし、腹が立つ。私なんかはもうどこにも行くところがない」  この女性は、職場でのいくつものいじめの行為が会社に認定され、職場を追われたという。(編集部・小田健司) ※AERA 2019年10月14日号
AERA 2019/10/15 11:30
羽生結弦が4回転半に挑むか、女子は4回転時代に突入か 18日にGPシリーズ開幕
羽生結弦が4回転半に挑むか、女子は4回転時代に突入か 18日にGPシリーズ開幕
羽生結弦(C)朝日新聞社 宇野昌磨=撮影・加藤夏子(写真部) アレクサンドラ・トルソワ=撮影・加藤夏子(写真部) 紀平梨花=撮影・加藤夏子(写真部)  フィギュアスケートの2019~20年シーズンが本格的に始まる。世界各地で全6戦開かれるグランプリ(GP)シリーズの第1戦・スケートアメリカが10月18日に開幕する。男子は五輪2連覇の羽生結弦が4回転半ジャンプに挑戦するのか。女子は4回転時代に突入するのか──。専門家の見方を紹介する。  羽生の今季初戦は、練習拠点のカナダ・トロント近郊で9月にあったオータム・クラシック。ショートプログラム(SP)の4回転サルコーで尻もちをつくミスをした。しかし、1977年世界選手権銅メダルで解説者の佐野稔さんは言う。 「それ以外のところの出来がものすごく良かった。試合を見る限り、今季はよく練習を積めているなという印象を受けました」  注目の4回転半に関しては「右足の不安がついて回ると思う」と言いつつ、「彼が挑戦するなら(11月の)NHK杯あたりでは」と予想する。  羽生は昨年11月のロシア杯で、右足首を痛めた。その右足で着氷する4回転半は負担が大きいが、 「男子で(最初に)やるとしたら、やはり羽生君かな」  その佐野さんが「今、非常に楽しみにしている」と言うのが、18年平昌五輪銀の宇野昌磨だ。  今季は特定のコーチをつけないが、同五輪女子金のアリーナ・ザギトワ(ロシア)らを指導するエテリ・トゥトベリゼ・コーチのいるロシアや、06年トリノ五輪銀のステファン・ランビエル・コーチのいるスイスに合宿に行くなどしている。 「違う環境に身を置いた彼がどういう滑りを見せてくれるのか、それがすごく楽しみです」  一方、海外勢はどうか。 「(19年世界選手権金の)ネーサン・チェン(米)が今季さらに進化する気がします。22年北京五輪もおそらく意識しているであろう金博洋(中)も先日のロンバルディア杯(イタリア)で4回転ルッツをきれいに決めて優勝し、いいスタートを切っています。ビンセント・ゾウ(米)も上手にまとめてくるでしょう」  女子はどうか。フィギュアを長く取材するライターの田村明子さんは、今季シニアデビューした15歳のアレクサンドラ・トルソワ(ロシア)に注目する。 「(9月の)ネペラメモリアル(スロバキア)のフリーで4回転を3度着氷し、総合238・69点と(昨季のルール改正後の)世界最高得点(ザギトワ)を更新しました。ザギトワと(昨季GPファイナル覇者の)紀平梨花の争いに確実に食い込んでくると思います」  実際、5日に男女2人ずつによるフリーの合計点で争われた、日本、北米、欧州の3地域対抗団体戦・ジャパンオープン(さいたま市)で、トルソワは4回転を4本決めて160・53という高得点をたたき出し、ノーミスで滑ったザギトワと、3回転半を2本成功させた紀平を上回った。  GPシリーズ各大会の見どころについては、 「初戦で、3回転半を跳ぶエリザベータ・トゥクタミシェワ、4回転ルッツを跳ぶアンナ・シェルバコワ(ともにロシア)と(全日本女王の)坂本花織が対戦します。2戦目(スケートカナダ)では、紀平がいよいよトルソワと対決です。4戦目(中国杯)は(平昌五輪4位の)宮原知子にとって、GPファイナル進出を狙うなら絶対に勝っておきたい試合。やはりトゥクタミシェワ、シェルバコワとの戦いになるでしょう」  昨季までジュニアだったトルソワやシェルバコワ、昨季ジュニアGPファイナル覇者のアリョーナ・コストルナヤ(ロシア)が一気に台頭しそうな今季。GPシリーズ上位6人で競うGPファイナル(イタリア)進出に向け、いっそう厳しい戦いになりそうだ。 「GPファイナルだけでなく、ザギトワや(平昌五輪銀の)エフゲニア・メドベージェワ(ロシア)が欧州選手権や世界選手権に出られないという事態も十分にあり得るわけです。今季からガラリと表彰台の顔ぶれが変わる可能性もあります」         ◇  メインコーチ不在で臨む今季の戦いぶりに注目が集まる宇野。今季初戦となった5日のジャパンオープンでは、3月の世界選手権(さいたま市)で4本跳んだ4回転ジャンプを2本に減らしたものの、ともに出来栄え点(GOE)はマイナスの評価。得点は男子2位の169・09点で、同1位のチェンとは20・74点差だった。    試合後の会見で、 「プログラムの内容はもちろん詰めていきたいところはあるが、演技を終えた後に『楽しかったな』と思える演技を今シーズンのどこかでやれたら、と。これが今シーズンの最大の目標」  と述べた。 「ジャンプ以外のところを真剣に詰めていきたい。ジャンプへの挑戦はやめないとは思うが、プログラムというものが崩れない程度に挑戦したい」  6日に東京都内であったGPシリーズ開幕前の記者会見でも、「楽しみたい」を繰り返した。 「このまま、つらい、苦しいだけで(自分のスケート人生を)終わらせていいものか。選手生活はずっと続くわけではない。(これからは)曲に合わせて踊る『心地よさ』を大会の場で感じていければ。練習がつらい分、試合を楽しみたい」(本誌・大崎百紀) 週刊朝日2019年10月25日号
週刊朝日 2019/10/14 11:30
チームの勝敗や選手生命に関わる決断をする帯同ドクター どんな医師がなっている?
松本秀男 松本秀男
チームの勝敗や選手生命に関わる決断をする帯同ドクター どんな医師がなっている?
松本秀男(まつもとひでお)/医師。専門はスポーツ医学。1954年生まれ。東京都出身。1978年、慶応義塾大学医学部卒。2009年から2019年3月まで、慶応義塾大学スポーツ医学総合センター診療部長、教授。トップアスリートも含め多くのアスリートたちの選手生命を救ってきた。日本臨床スポーツ医学会理事長、日本スポーツ医学財団理事長 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  世界の頂点を目指し、国際大会に参加するスポーツ選手たちのそばには、遠征に一緒に参加して彼らの健康管理や競技レベル向上をサポートするスポーツドクターの存在があります。今回はそんな帯同スポーツドクターがいったいどんな仕事をしているのか、どんな人が選ばれているのかについて、日本臨床スポーツ医学会理事長・松本秀男医師が教えてくれます。 *  *  *  陸上、水泳、サッカー、ラグビー、野球、スケートなど、各種スポーツの大きな競技団体にはほとんど、選手たちのメディカルサポートをするためにスポーツドクターが所属しています。各団体の代表選手たちが試合に参加するときには、帯同スポーツドクターが、国内のみならず、世界選手権やワールドカップなどの遠征試合にも同行します。  帯同スポーツドクターは、いったいどのような仕事をするのでしょうか。  海外遠征先では、競技によるけがの予防・治療はもちろん、選手たちの健康を全般的に管理し、風邪・腹痛・時差ぼけなどを含むあらゆる体調不良への対応を帯同スポーツドクターが担当します。そのため、現場で必要になりそうな医薬品や医療用具を事前にすべてピックアップし、救急箱に入れて準備していきます。  そのほか、感染症への対策も欠かせません。大会が開催される国により状況が異なるため、出発前には必ず現地の感染症流行情報を収集し、選手と監督・コーチらを含むスタッフ全員に必要な予防接種をおこないます。  さらに、ドーピング管理も重要な仕事です。遠征先で知らず知らずのうちにドーピング陽性となってしまう「うっかりドーピング」が起こらないよう、違反物質が含まれる現地のサプリメントやエナジードリンク、食品、医薬品などについて選手たちに注意喚起します。  また帯同ドクターは、万が一、選手が現地での治療が必要になった場合にも、すぐに対応しなくてはなりません。そこで、あらかじめ信頼できる病院はどこかを調べて、確保しておくのです。  このように、帯同ドクターには現地に着く前から、準備しておくべきことがたくさんあります。  そして、試合会場での帯同ドクターの仕事としては、基本的に選手がけがをしないように、そして最高のパフォーマンスが発揮できるように全力でサポートします。試合中は、帯同ドクターは選手のプレーを間近で見守り、万が一、試合中にけがをした際にはすぐに選手のもとに駆けつけ、けがの状態を診断します。そして、「競技を続けてよい」か「否」かを帯同ドクターはその場ですぐに判断しなければなりません。  たとえ選手や監督が強くプレー続行を望もうとも、選手のからだを第一に考えて「NO」と言える勇気も必要です。チームの勝敗や選手生命に関わる決断を迫られる帯同ドクターの仕事は、責任が重く、また常日頃からの選手や監督たちとの厚い信頼関係がなければ務まりません。  現地で治療が必要になったときには、帯同ドクターがさまざまな交渉をしたり治療について外国人ドクターと外国語でやり取りしたりします。帯同ドクターには高い語学力と交渉力が必要なのです。国によって法律上、衛生上の問題があるため、帯同ドクター自身が治療をするかどうかについてはケース・バイ・ケースです。  スポーツドクターは、自分自身がとにかくスポーツ好きな人が多く、選手たちと一体となって現場で活躍できる帯同スポーツドクターになりたいと希望する人はたくさんいます。実際にどのように帯同スポーツドクターが選ばれるのでしょうか。  その選出方法は、それぞれの競技団体により異なります。日本サッカー協会(JFA)の場合を例に挙げてみると、JFAに所属する専属医師の中から帯同スポーツドクターが派遣されています。JFAの場合、サッカーの競技の知識とスポーツ医学に関する知識が不可欠になるため、スポーツドクターの資格があることを専属医師になるための条件としています。  JFAには、日本代表、日本女子(なでしこジャパン)代表、U-18日本代表(18歳以下)代表など、いくつかのカテゴリーに、それぞれ3人ずつの専属スポーツドクターがいます。そして、各カテゴリーがおこなう試合、合宿、海外遠征などの1年間の活動予定に合わせて、3人のスポーツドクターのうちの1人が必ず帯同できるようにローテーションを組んでいます。  他の競技団体でも、だいたいがこれと同じようなやり方をとっており、足りないときには外部のスポーツドクターなどに依頼することもあります。    競技団体の専属スポーツドクターは、通常は公募制で決まるわけではありません。条件としてスポーツドクターとしての技量と人柄を備え、チームや選手とも相性がよく、厚い信頼を得られるような人物が望ましいのです。現実には、小さな大会などで経験を重ね、競技団体や選手、スタッフから信頼を得て、より大きな大会に声がかかることが多いようです。  そんな専属スポーツドクターたちも、チームに帯同するとき以外、普段は一般の病院に勤務しています。そのため、しばしば試合帯同などで勤務を抜ける事態になり、病院によっては日常診療に支障が出るケースもあります。  代表チームへの帯同となると、1年のうち数カ月病院を留守にすることもあります。勤務先の病院の上司、同僚医師たちの理解と協力がなければ難しい現状があるため、一般病院の勤務医で専属スポーツドクターになることは困難が伴います。スポーツ医学センターのような組織がある病院であれば、皆がさまざまなチームに帯同するため、比較的に専属スポーツドクターの活動がしやすいといえるでしょう。  将来的には、個人契約でなく、病院契約にできれば、帯同スポーツドクターの活動がよりやりやすくなっていくでしょう。  競技スポーツの現場で、スポーツドクターは大きな役割を果たしています。本来であればどのチームにも帯同スポーツドクターの存在が必要ですが、小さな競技団体や大学、高校などのアマチュアチームでは費用の面で雇うことが難しいのが現状です。今後、スポーツドクターの認知度が上がり、活躍の場がより一層増えていくことが期待されます。
病気病院
dot. 2019/10/14 07:00
青木功「今朝も妻にキス」“ゴルフ界のレジェンド”の素顔
青木功「今朝も妻にキス」“ゴルフ界のレジェンド”の素顔
青木 功(あおき・いさお)/1964年にプロ入り。71年の「関東プロ」で初優勝。76年に初の賞金王を手にし、78年からは4年連続賞金王。78年に英国開催の「ワールドマッチプレー」で海外ツアー初優勝し、80年の「全米オープン」ではジャック・ニクラスと争って2位。83年、PGAツアーで日本人男子として初優勝。92年からは米国シニアツアーに参戦し、通算9勝。2004年に日本人男子として初の世界ゴルフ殿堂入りを果たし、13年に日本プロゴルフ殿堂入り。15年に旭日小綬章を受章。16年3月にJGTO会長に就任。 (撮影/写真部・片山菜緒子) 青木 功さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子)  ゴルフ界の不動のレジェンド、青木功さん。アメリカゴルフツアー制覇や世界ゴルフ殿堂入りなど、日本人初の快挙を数多く成し遂げてきた“世界のアオキ”は、家族をこよなく愛するジェントルマン。この日の朝も、奥さまにキスして家を出てきたそうで──。作家の林真理子さんが青木さんの素顔に迫ります。 *  *  * 林:青木さんは、海外も含めて通算85勝、世界ゴルフ殿堂入りもなさって、まさにゴルフ界のレジェンドでいらっしゃいますよね。青木さんが海外の有名なプレーヤーたちと楽しそうに話している写真を昔から拝見してますけど、あれはどういうことをしゃべってるんですか。もちろん英語はペラペラ……。 青木:英語はできない。だけど、幸いなことにゴルフのルールは英語なんですよね。「○○を」と言われたときに、その「○○」がわかると、あとのああでもないこうでもないは、ジェスチャーを交えながらでも何とか通じるんです。 林:ほんとですか。 青木:なんか知らないけど通じてるんですよ。一生懸命しゃべろうとしてる気持ちが、相手もわかってくれるんじゃないかね。「イサオは英語ができないのに、なんで俺たちの会話に入ってくるんだ」って何度も言われました(笑)。グレグ・ノーマン(オーストラリア)らとPGAツアーに参戦していたときに、「シー・ユー・ネクスト・イヤー!」と言って帰ろうとしたら、「来年のいつ来るんだ?」って言うんですよ。口の中で、えーと、1月はジャニュアリー、2月はフェブラリー、3月はマーチ……。 林:アハハハ。ほんとですか。 青木:それで「マーチ! セカンド!」って言ったら、「よし、わかった」って(笑)。 林:でも、奥さまは通訳ができるぐらいに英語ペラペラなんですよね。 青木:女房は僕がアメリカで試合を戦っているとき、英語で次の試合の飛行機だとかホテルだとかの予約をやってましたからね。 林:アメリカに行ったのは、奥さまの影響が大きいんですか。 青木:「俺、アメリカに行きたい」と妻に言ったら、「英語できるの?」って言うから、「できないけど、おまえがいるじゃないか。行こう」って言ったんです。娘が日本に来たのは10歳のときかな。いちばん親がいなきゃいけない時期に二人でアメリカに行っちゃったから、娘には借りがあるんですよ。だけど、「ごめんね」っていろいろやってあげてるから、今は少しは満足してるんじゃないかな。 林:奥さまは再婚で、お嬢さんがいらしたんですね。ご本(『青木功 プレッシャーを楽しんで』)を読みましたけど、娘さんが初めて「お父さん」と呼んでくれたときのお話なんか、感動的でした。 青木:女房が「ジョエン(娘さんの名)になんて呼んでほしいの?」って言うから、「俺、『パパ』っていうほどじゃねえから、『お父さん』がいいや」って言ったら、それから1カ月か2カ月たって、3人でごはん食べてるときに、娘がいきなり「お父さんさあ」って言うんですよ。おっ、やっと「お父さん」って呼んでくれたと思って、隣の部屋に行って泣きました。 林:ギャラリーとして見に来ていたお二人のところに、ボールがコロコロッと転がっていったのがきっかけだったそうですね。 青木:僕がプロになって初めて勝った71年の関東プロで、ウィニングボールをポーンと投げたら、彼女たちのところに転がっていったんです。 林:運命の人だったんですね。 青木:だったと思います。 林:奥さまと結婚してよく言われたのが、「洋服のセンスがよくなった」って。 青木:みたいですね。ズボンにタートルネックのシャツばっかりで、ボタンがついたシャツなんて一回も着たことなかったからね。僕は着せ替え人形ですよ。「はい、月曜日はこれ、火曜日はこれ、水曜日は……」ってスーツケースに入れてくれて、僕は髭剃りとか歯磨きとかを小さな袋に入れて、それをポンとスーツケースに入れておしまい。 林:お嬢さんと奥さまをギュッと両腕で抱きしめてる写真がありますけど、実のお子さんじゃないのにあんなに愛してあげるなんて、素晴らしいと思いますよ。 青木:僕が女房と一緒になったときに、「ジョエンがどうするかは彼女に選ばせたい。ついてくるならすぐ養子縁組するから」と言って、ついてきたからすぐ養子縁組したの。 林:躊躇(ちゅうちょ)なくそこまでやってあげる人、なかなかいないと思いますよ。 青木:娘は他人だと思ってないからね。好きになった女房の子どもなんだから、俺の子どもと一緒だと考えてるんで。 林:素晴らしいです。もうお孫さんはできたんですか。 青木:いやァ、いないんだよ。結婚1回してやめちゃったから。 林:お父さん、いまだにお小遣いをあげちゃったりして。 青木:お小遣いはたまにあげています。 林:写真で見ただけですけど、お嬢さん、とてもきれいな方。 青木:童顔ですよ。 林:奥さまとは今も仲良くていらっしゃって。 青木:もちろん。「行ってくるね」ってキスして出てきますから。今朝もそう。 林:えっ……。なんでそんなに仲いいんですか。 青木:仲いいっていうか、そういうことをぜんぜん恥ずかしいと思わないんだよね。女子プロの子とも「おめでとう」ってハグしますよ。ほんとに親しい人だと、ほっぺにキスしますから、僕。 林:日本人の男性でそういうことができる人、なかなかいないです。 青木:でしょ。僕は恥ずかしいと思ったことがない。 (構成/本誌・松岡かすみ) ※週刊朝日  2019年10月18日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2019/10/13 11:30
「警察は肺を返せ!」香港デモ実弾発砲で学友が涙の抗議 「若者狩り」が止まらない
「警察は肺を返せ!」香港デモ実弾発砲で学友が涙の抗議 「若者狩り」が止まらない
デモ参加者の大半が掲げているプラカードの言葉は「政権に向き合い共産党への抵抗の継続を」。そして「ANTI CHINAZI」(撮影/今井一)  香港で今年6月から続く反政府デモだが、ついに「実弾」による負傷者が出た。響き渡る怒号にかき消される若者たちの声――。「AERA」2019年10月14日号では、ジャーナリスト・今井一が香港を取材。混乱が続く現地を駆ける。 *  *  *  実弾発砲で世界を震撼させた2日前、9月29日の午後。  中国建国70周年を祝う国慶節を目前に控え、灣仔(ワンチャイ)周辺に集結していた全身黒装束の「勇武派」と呼ばれる若者と200人ほどの武装警官が大通り上で衝突し、催涙弾と火炎瓶が飛び交った。警察による「若者狩り」が始まった。 夜の灣仔(ワンチャイ)。黒装束の若者狩りに向かう直前の武装警官隊(撮影/今井一) 国連旗を先頭に万国旗を掲げてデモ行進する若者たち。中国当局に対する香港市民の抵抗に対する国際的な支援がほしいという思いだ(撮影/今井一)  警官はみなフルフェイスのガスマスクをしているが、勇武派の若者もほぼ全員が同様のものを装着。その中には台湾のキリスト教会や若者らから香港市民に送られた数千のマスクも混じっている。そして、そうした現場に身を置く私たち報道関係者もまた7月以降、ガスマスクとヘルメットの装備が欠かせなくなった。  数時間にわたって双方の押し引きを取材し、いったん現場を離れようと車道から歩道に上がったその時、すぐそばで「黒警死全家(ハッゲンセイツィンガ)!」(悪辣な警官は一家そろって死ね)という女性の叫び声がした。目をやると声の主は黒装束ではなくカジュアルなプリントワンピースを着た小柄な女性で、再度「黒警死全家!」と叫びながら足早にその場を離れようとしていた。 反政府派にとっての「悪人」を、顔写真と本人に関わる一文を組み合わせトランプ仕立てにしたもの(撮影/今井一) (撮影/今井一)  外見と過激な叫びのギャップにやや驚きながら、私は彼女に話を聞かせてと頼み込み、通り沿いのカフェレストランに入った。警官隊が猛然と駆け抜けていく姿を窓越しに眺めつつ、アンバーと名乗る22歳の彼女はこんな話を聞かせてくれた。  初めて街頭に出たのは6月9日の100万人デモのとき。それまでは、不利益を被るので政治的なことにはかかわりを持たないようにしようと考えていた。なので5年前の「雨傘運動」にもまったく参加しなかったけど「逃亡犯条例の改変」はさすがに黙っていられなかった。北京の習近平政権やその傀儡(かいらい)の林鄭月娥(りんていげつが・香港特別行政区長官)を批判したら、勝手な罪状を押し付けられ逮捕されるようになる。 (撮影/今井一)  そのことで付き合っていた彼と何度となく話し合ったが、「非暴力の平和的な手段に徹するべきだ」という彼と折り合いがつかず交際をやめたという。ただし、自分と異なる考えの人たちを非難したり否定したりする気はないと彼女は話した。  こうした姿勢が今回の香港市民の運動に広がりをあたえている。抗議行動は一色ではない。幼児の手を引きデモ行進に参加している夫婦もいれば、警官と直接殴り合っている若者もいる。そのどれかだけではなくどれもが政府への示威行動であり、多彩な活動は二つの合言葉によって人々に共有されている。  一つは中国のことわざ「兄弟爬山、各自努力」で、兄弟各自、自身の持ち場を守り同じ目標に向かってがんばるべしという教え。もう一つは香港所縁の映画スター、ブルース・リーの言葉「…水は形を変え滑らかに流れつつ、時には強く激しくぶつかることもできる。水になれ、我が友よ」からとった「Be water」。まさに、香港市民はこの二つを実践し、特定のリーダーがいなくても運動は成立し継続できるということを見せている。 警官との攻防の中、銃で肺を撃たれた中学5年生の学友が校内で抗議のアピール(撮影/今井一)  そんな中、あの「事件」が起きた。国慶節(10月1日)には香港各地で中国政府と香港行政府に対する抗議運動が起こったが、九龍半島新界地区(セン湾:センはくさかんむりにに全)では数十人の若者が警官隊と衝突。その際、中学5年生(18)の少年が、数十センチの至近距離から警官に左胸を銃撃され、弾は心臓をかすめて左肺を貫いた。警察幹部は「自衛のための発砲で問題はない」とコメントしているが、足や腕ではなく左胸を撃ったこと、そして暴動罪などでこの少年を起訴したことにより警察への怒りと不信は最高潮に高まりつつある。  実は7月以降、若年層の運動への参加が増えていて、後方での手伝いといったことにとどまらず、撃たれた少年のように最前線に立って警察と衝突する者も少なくない。 (撮影/今井一)  銃撃事件の翌日、少年が通う公立中学校に足を運ぶと、彼の学友らが数十人、学校の門の内側で警察に対する抗議のシュプレヒコールを繰り返していた。制服姿のまま全員がマスクを装着。むせび泣きながら「黒警還肺(ハッゲンワンファイ)」(悪い警察は肺を返せ)と記したプラカードを掲げる女子もいた。そうした生徒らに「やめなさい」と促す教師もいるし、無関心を装って足早に下校する生徒もいる。だが、彼女らは教師の制止を振り切り敢然として叫び続けていた。 警官に左胸を撃たれた中学5年生(18歳)が通う学校の前で記者会見を行う若者たち(撮影/今井一) 「私たちは鏡に自分の姿を映して今の自分を確かめています。自分はどう生きようとしているのか。屈服したり諦めたりするのか、希望を捨てずに闘いを続けるのか。毎日試されている感じです」  そう話すメグは24歳。非暴力の活動に徹している。ただ、前出のアンバーら「勇武派」との共通点もある。それは、普通選挙制の導入を求めた5年前の「雨傘運動」には参加しなかったことだ。そして、今年6月の2度にわたる大規模デモに参加した段階でも普通選挙制については強い関心を持っていなかった。 (撮影/今井一) 「6月以降、運動に加わる中で気づきました。結局、普通選挙を実現させて、北京政権の言いなりにならない行政長官や立法会議員を自分たちが選び生み出さないと、林鄭が辞めたとしても同じことの繰り返し。香港の自治を確保して自由と民主主義を守るためには、欧米の市民が手にしているような普通選挙が不可欠なんです」  今、彼女らが掲げるスローガンは「五大訴求、缺一不可!(五つの要求、一つたりとも譲らない)」。 1.逃亡犯条例改変の完全撤回 2.市民の抗議活動を暴動とみなす見解の撤回 3.デモ参加者の逮捕・起訴の中止 4.警察の過度な暴力的制圧の責任を追及し独立調査委員会による調査を行う 5.普通選挙の実施  この手のスローガンは、世界史的には一握りの指導部や一人のリーダーが決めたことに、みんなが賛同したり従ったりするのが常だが、香港は違う。市民は携帯電話用の通信アプリ「テレグラム」などを使って意見交換を重ね、最大公約数的に決まったのがこの5項目なのだ。 (撮影/今井一)  当面はこの要求実現のための活動を続けるとして、最終的に香港がどうなればいいと考えているのか、相当数の香港市民に聞いてみた。その答えは主として次の二つ。 ・中華人民共和国の特別行政区という存在のままでいいから、普通選挙制の導入を含む自由と民主主義が確立された「一国二制度」の香港を保持したい。 ・30年前、市民が決起してソ連の衛星国だった東ドイツやチェコが民主化され、ソ連の共和国にされていたバルト3国が離脱・独立した。難しいけどそうした道を求めたい。 (撮影/今井一)  なるほどと思う。ただし、私はこの二つとは異なる可能性もあると考えている。それは、中国共産党による独裁体制の終焉だ。かつて超大国だったソ連の共産党による国家支配がロシア革命から74年で終わりを迎えたが、私は、そのあっけない体制瓦解を現場で目の当たりにしている。中国共産党による建国から70年。もし10年以内に共産党の一党独裁体制が終わるとすれば、そのきっかけは間違いなく香港市民の決起ということになるだろう。  威(おど)しても逮捕しても収まらない市民の抗議行動。業を煮やした林鄭長官は10月4日、緊急状況規則条例によって「マスク装着禁止令」(覆面禁止法)を発令。集会やデモ行進など抗議行動に参加する際、マスクなどで顔を隠すことを禁じると発表した(翌5日から施行)。こんなことをしても賢い香港市民は「水」のように対抗するだろう。抗議の動きはこの先も決して収まることはない。 (文/ジャーナリスト・今井一) ※AERA 2019年10月14日号より抜粋
AERA 2019/10/09 08:00
「月経カップ」も話題 進化を続ける生理用品、世界に広がる課税撤廃の声
山本佳奈 山本佳奈
「月経カップ」も話題 進化を続ける生理用品、世界に広がる課税撤廃の声
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員 写真はイメージ(Getty Images)  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、2人の女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「生理用品の課税」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  10月1日より、消費税増税に伴い消費税率が8%から10%へと引き上げられました。日本において消費税が導入されたのは、1989年の4月からでした。当時の消費税率は3%。ですので、30年をかけて二桁まで上げられたということになります。  日本で消費税と呼ばれている税は、海外では付加価値税と呼ばれるものにあたります。生産し流通する段階で生み出される価値に対して広く課税する仕組みであり、生み出される付加価値に税金を払っているのです。一方、消費することに対して税を支払うのが消費税です。考え方は違うものの、実態としては消費税と付加価値税は同じなのです。  ちなみに、付加価値税の始まりはフランスです。フランスの財務官僚であったモーリス・ローレが考案し、1954年にフランスで初めて導入されました。  世界で付加価値税を導入している国は、2018年4月時点で152カ国あります。しかしながら、国ごとに課税品目や軽減税率、そして制度自体も大きく異なっています。    さて、今回の消費税増税において軽減税率が初めて導入されました。生活必需品である飲食料品と新聞は負担軽減のため軽減税率の対象とする、つまりこれらに対する消費税は8%に据え置かれることになったのです。一方で、その場で食べる飲食物や酒、定期購読以外の新聞や電子版の新聞は、軽減税率の対象外であることはご存じのことと思います。  とはいえ、「なぜ新聞が軽減税率の対象となるのだろうか」「これだけが生活必需品ではない」と思った方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。トイレットペーパーや紙おむつ、洗剤や台所用品など、生活には欠かせない生活必需品が他にもたくさんあるにも関わらず、軽減税率の対象外であることに疑問を感じずにはいられません。特に、生理用品であるナプキンやタンポンが軽減税率の対象外であることに、私は一人の女性として憤りを覚えました。  経血で下着や服が汚れてしまわないように、経血を受け止めるのが生理用品です。生理は月経ともいい、約1カ月の周期で子宮の内膜がはがれ落ち、体の外へ排出される生理的出血のこと。女性であれば誰もが毎月生理と付き合わないといけなければならないわけであり、好きこのんで出血しているわけではありません。  英国のリバプール熱帯医学学校のvan Eijk AM氏によると、2017年時点で人口の約26%に当たる世界中の推定189億人の女性が生理のある年齢であり、1年あたり平均65日もの日数を生理に費やしていると言います。  およそ28日周期で生理がきているとして、1周期において経血を認めるのは3日から7日程度。経血を認める期間中は、ずっと生理用品を陰部に当て続けます。私の場合、特に初日や二日目は経血の量も多く、痛みやだるさがつらいのもこの時期です。いつの間にか違和感は無くなってしまいましたが、月経を迎えた頃は不快感にさいなまれ、「生理なんか来なくていいのに」と生理を恨んだこともありました。特に小学生の頃は、共学だったこともあり、ナプキンをこっそりトイレに持って入っては、ナプキンの包装を開ける音がなるべく鳴らないようにと、気を使う日々でした。  15~49歳の19,254人の月経を認めている日本人女性を対象に行ったオンライン調査の報告によると、74%が月経症状に苦しんでおり、50%が月経時の痛みを自覚しており、19%は出血量が多いと答えたといいます。  生理期間中は、大なり小なり日常生活に支障をきたすということです。実際、月経の症状は生産性の低下により、大きな経済的負担につながることがわかっており、先ほどの調査報告によると、なんと年間の推定経済的負担は683億円だったといいます。  ちなみに、低用量ピルを内服すれば、生理の経血量を減らすことができます。さらに、生理前のイライラや生理痛の改善に繋がり、生理周期は規則正しくなり、生理周期を伸ばすことさえできます。私自身、大学1年生の頃からずっと低用量ピルの内服を続けていますが、つらかった月経痛はほとんどなくなり、生理の経血量は驚くほど少なくなりました。それでも、ナプキンを当てる必要はありますし、毎月の低用量ピル代とナプキンの出費は、大学生の私にはつらかったです。  低用量ピルを内服している女子を対象にした興味深い調査があります。低用量ピルを内服している、内服したことがあり、または内服を検討している4039人の15~49歳の女性に対するヨーロッパ、北米、ラテンアメリカの8カ国で実施されたオンライン調査によると、女性のほぼ3分の1が、特に性生活やスポーツ活動において月経による出血が深刻な悪影響を及ぼしたと報告し、また、女性の34%の女性が生理の頻度を2、3カ月に1回へとに変更していることがわかったのでした。  日本ではナプキンが一般的な生理用品ですが、欧米ではタンポンが主流だといいます。さらには、最近メディアでも取り上げられている「月経カップ」を使用する欧米女性が増えてきているそうです。  ちなみに、冒頭でご紹介したリバプール熱帯医学学校のvan Eijk AM氏らは、4つの試験をまとめて解析した結果、月経カップを使用した際に月経血が漏れる割合はナプキンやタンポンなどの他の生理用品に比べて、変わらないかむしろ低いことが示され、感染率も同程度かむしろ低いという結果が得られたと報告しています。私はまだ「月経カップ」を使用したことはありませんが、実際に使ってみないと違和感や使いやすさなどは分からないので、次はトライしてみたいと思います。  さて、生理用品が課税対象となっていることに対して、課税廃止を訴える声が世界的に広がりをみせています。例えば、オーストラリアでは、コンドームや日焼け止めクリーム、ニコチンパッチなどの健康関連商品は非課税となっていたものの、タンポンをはじめとする生理用品は10%の付加価値税がかけられていました。女性にとって必需品である生理用品も非課税にすべきだとの声が高まり、2018年10月、課税対象から除外されることが決まりました。  米国でも、ニューヨーク州やフロリダ州など9つの州で課税対象から除外され、カナダでも2015年に課税が撤廃されました。けれども、生理用品が非課税になっている国は、ケニア、オーストラリア、インドなど一部の国にとどまっています。  生理についての理解が男性の間でも広まれば、日本においても生理用品が課税対象となっている現状を打破することができるのではないでしょうか。 ○山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員。
病気病院
dot. 2019/10/09 07:00
24歳で農村に移住した渋谷女子の孤独と涙 奮闘する彼女を救った、ばあさんたちの「魔法の言葉」
24歳で農村に移住した渋谷女子の孤独と涙 奮闘する彼女を救った、ばあさんたちの「魔法の言葉」
瀬戸山美智子さん(撮影/高木あつ子)  男女関係の相談には「男のいいところ? いいところなんてないさ」。音痴で悩む人には「ジャズを歌うといいよ、わからないから」──。人生相談を受けた群馬県片品村に住む須藤カヲルさん(92)の言葉を集めた『片品村のカヲルさん 人生はいーからかん』が一冊の本になった。  本は、横浜市生まれで24歳で村に移住した瀬戸山美智子さんが、編集者やカメラマンと協力して作った。移住するまでは渋谷で働き、渋谷で遊ぶことが生きがいだった瀬戸山さんが、なぜ、群馬の農村に向かったのか。そして、移住してからの奮闘や人間関係に悩んだ日々、「人生の師」と慕うカヲルさんとの運命の出会いを語ってもらった。 * * *  東京から車で約180キロ、群馬県の北北東に位置する片品村は、人口約4300人の小さな村だ。日本最大の山岳湿地である尾瀬国立公園の群馬県側のふもとにあり、ウィンタースポーツ好きなら、関東地方唯一の特別豪雪地帯で、「スキー場の村」として知っている人が多いかもしれない。  そんな村に今から16年前、ちょっと場違いな女性がやってきた。瀬戸山美智子さん、24歳(当時は旧姓=桐山)。横浜生まれの横浜育ちの24歳。高校時代は安室奈美恵に憧れ、日焼けサロンに通った。専門学校を卒業後は渋谷のアクセサリー販売店に勤務。典型的な「渋谷女子」だった。 「仕事が終われば毎日のように友達と渋谷で遊んで、毎日のように終電で家に帰っていました。自分で言うのも変ですが、それでもわりと仕事ができて3年目で店長に抜擢されたんです」  仕事は楽しかった。ただ、店長になった頃から数字に追われ、ノルマを達成するために客に商品を売りつけるようになっていた。若くて体力はあっても、心身ともに悲鳴をあげていたのかもしれない。その頃、アトピー性皮膚炎が再発する。 「給料は全部ファッションと遊びに使っていたんですけど、『このままでいいのかな……』と思うようになって。それで、アトピーをきっかけに食べ物の本を読んだりすると、『え、日本の食料自給率って40%(現在は37%)なの』って愕然としました。そこから環境問題にも関心が出てきて、一人で渋谷の真ん中で『地球ヤバいよ!』って思うようになって、仕事を辞めちゃいました」 「人を良くする」と書いて「食」という漢字は成り立っている──。瀬戸山さんがこの頃に学んだ言葉だ。では、自分はどうすればいいのか。食に興味が出れば、おのずと農業にたどりつく。そんな時に、家庭菜園を持っているペンションがスタッフを募集していることを知り、3カ月間働くことになった。それが、片品村を訪れたきっかけだった。 「ちょっとした体験のつもりだったんですけど、毎日規則正しい生活と新鮮な野菜を食べてたら、3カ月で心もからだも良くなって『もっと続けたい』と思ったんです。そしたら片品で昔から作られてきた大白大豆を作っている豆腐屋さんがあって、そこで働くことになりました」 片品村の風景。右下はカヲルさん(撮影/高木あつ子)  村での生活は、何もかも新鮮だった。村の人はみんな親切にしてくれる。渋谷で客商売をやっていたから、愛嬌もあった。毎日、村の人が「今日はウチでご飯を食べていけ」と言って、夕食をごちそうになった。都会にはない暮らしだった。  片品村の冬は厳しい。そのため当初は雪が積もる季節は横浜で過ごしていたが、村の人からこう言われた。「村で冬を越した後の春は、本当に素晴らしいよ」。この言葉で、村への移住を決心する。 「それで家を借りて冬を過ごしたんですけど、水道管が凍ってしまったんですよ。車も持ってないし、雪女みたいに冬道をいつも一人で歩いていました。そしたら、村の人が軽自動車をくれたんですよ(笑)。驚きですよね」  厳しい自然と対峙しながら、少しずつ軸足を片品に移していった。ただ、すべてが順調だったわけではない。20代の若者に“村の現実”は甘くなかった。村の人たちは瀬戸山さんを歓迎してくれたが、やがて田舎の人間関係に悩むようになる。  ある時、観光客向けの地域づくりのイベントがあり、瀬戸山さんも参加することになった。やり手の店長だった瀬戸山さんにとって、「どうやって人を集めるか」は得意分野である。積極的に発言をして、人の集め方や目玉となる商品の見せ方などについて提案を続けた。その行動が、周囲から浮くきっかけになってしまった。最後には、村の人からこう言われてしまった。「あなたは仲間じゃない」  悔しかった。 「私のようなヨソ者は『仲間じゃない』って。もう、それを言われた後は、帰り道をずっと一人で泣きながら歩いていました」  希望を持って村に来たのに、周囲は「都会の人」としか見てくれていない。それまでの奮闘が、孤独に変わっていった。  そんな時、一人のおばあさんと出会った。居候をしていた家の近くで夫婦で炭焼きをしていた須藤カヲルさんだ。最初の出会いは今でも鮮明に覚えている。 須藤カヲルさん(撮影/高木あつ子) 「夫婦で小さなパワーショベルを使って作業をしてたんです。材料の木材や焼き終わった炭を運んでいるんですけど、危なっかしくて、それで、3人で作業すれば少しは楽になるんじゃないかなと思って手伝ってあげたんです。それが、カヲルさんとの出会いでした」  カヲルさんは1927年生まれ。夫の須藤金次郎さんは知る人ぞ知る炭焼き職人で、2010年に黄綬褒章を受章している。地元のナラ(どんぐり)の木を使った「尾瀬木炭」は、火力が強いのに煙が少ない。山桜の炭を蒸留・精製して作った木酢液も万能薬として使われている。  瀬戸山さんは、二人の仕事ぶりを見るに見かねて手伝ったわけだが、カヲルさんが「ありがとう」と言ってくれた。それ以来、炭焼きの作業を手伝うようになった。 「カヲルさんは村のおばあさんたちと3、4人ぐらいで味噌づくりもしていて、それも手伝うようになったんです。それで田舎暮らしに興味のある都会の若い人を集めてカヲルさんの味噌工場に押しかけて、味噌づくりを体験させてもらいました。そんな時はカヲルさんがわざわざ早起きして、私たちのためにおにぎりを作ってくれてるんですよ。でも、握力が弱ってるから、お米はボロボロで全然握れてない(笑)」  ある日、瀬戸山さんは、カヲルさんたちに村の郷土料理の作り方を教わろうとレシピを聞いた。すると答えは、「そんなの『いーからかん』だよ」。「いーからかん」は、村の言葉で「適当」という意味。「なんだかアバウトな答えだな」と瀬戸山さんは思ったが、出てくる料理は素朴な材料でもおいしい。それがいつも不思議だった。  カヲルさんは、ユーモアのある人だ。ジャガイモの作り方を聞いたら、不思議なことを言われた。 「『芋種盗んでも、子種は盗むな』って……。しかも、言った自分は大ウケしている。思わず、カヲルさんの若い頃の村の生活を想像してしまいますよね」  そのころ、農業系の生活雑誌「季刊うたかま」でカヲルさんが人生相談を担当することになった。カヲルさんの魅力について瀬戸山さんがインターネットで発信していたものが、編集者の目にとまった。読者からの人生相談をカヲルさんに伝える役目は、瀬戸山さんが担当することになった。 撮影/高木あつ子  料理の味付けが義理の母と違うことに悩む女性には「家族に一人はボケ役が必要」、子どもが部屋を散らかしてイライラするという相談には「散らかしっぱなしでいい」と答える。思いついたことをそのまま話しているようでいて、厳しい自然の中で長い人生を歩んできた「村の女」の知恵があった。 「あるとき気がついたんです。『いーからかん』は、『ちょうどいい』っていう意味でもあるんだなって。レシピ本みたいに料理を作るのではなくて、季節やその日の気候で塩加減を微妙に調整する。おおざっぱにやっているように見えて、たくさんの経験から『ちょうどいい』を熟知している。こだわりもない。『こんなおばあさんに私もなりたい!』って思うようになりました」 「いーからかん」という魔法の言葉と出合ったことで、自分自身も変わっていった。 「炭焼きは、最初は『手伝っている』って考えていたんですけど、途中から『学ばせていただき、ありがとうございます』って思うようになったんです。今考えると、村の人から『仲間じゃない』って言われた時は、私が都会人の目線で上から意見を押しつけていたんですよね。それを気づかせてくれた。今では『仲間じゃない』って言われたことに感謝しています」  そんな瀬戸山さんを、92歳になったカヲルさんは「何のこだわりもなく、村に入ってきてくれてうれしかった。娘のようだよ」と今でもかわいがっている。顔には年輪のように皺が刻まれている。夫の金次郎さんが亡くなった後は長男が炭焼きの仕事を引き継いでいる。カヲルさんは今年6月に大腿骨を骨折して今は仕事を休んでいるが、ケガをするまで小さな体で村の暮らしを続けてきた。 畑で昼寝するカヲルさん(撮影/高木あつ子)  入院中のカヲルさんに、人生の秘訣を聞いてみた。すると、手土産で持っていったらっきょうの皮を、素手で一枚一枚はがして食べながらこう話した。 「ボーッと生きていたらいい。頭が良くてはダメ」  そして、「早く村に帰りてえなぁ」とつぶやく。  瀬戸山さんは現在、炭焼きであまった材料を使ってアクセサリーを作って販売している。2012年に片品で無農薬農業を実践していた東京都出身の男性と結婚し、子どもも1人生まれた。村の人から借りた牛舎を自宅に改築し、屋号は「いーからかん」と名づけた。現在はコメのほかに大白大豆など40種類の野菜を育てている。 娘をカヲルさんに見せる瀬戸山さん=2014年(撮影/高木あつ子)  瀬戸山さんは、村の人たちからたくさんのことを学んだという。子どもが生まれる前は「このアニメはみせない」「これはやらせない」と考えていたことも、次第に「いーからかん」になっていった。それでも、村は高齢化が進み、仲の良かったおじいさんやおばあさんが亡くなったり、村から離れたりすることも増えた。「こんなにすごい人たちが村からいなくなるのかと思うと、本当に悲しい」という。  だからこそ、一時は「村に帰れないかもしれない」と思われたカヲルさんが、約3ヶ月のリハビリを経て9月に退院できたことは嬉しかった。自宅に着いたときは、瀬戸山さんの娘を含め、村の子どもたち3人がドレス姿でカヲルさんを迎えた。  そんなカヲルさんは、人生の最終ステージをどう考えているのだろうか。財産や銀行口座の整理など、死ぬまでにやるべき「終活」について人生相談を受けたカヲルさんの答えは、こうだった。 「終活ってなんだ?」  死後の手続きや身辺整理は、残った人の仕事。死んでいく人はそんなことを考えなくていいという。あと何年かはわからないが、生きる時間は有限である。カヲルさんと瀬戸山さんの「いーからかん」な関係は、残された日々も続く。(AERA dot.編集部/西岡千史) 『片品村のカヲルさん 人生はいーからかん』(ヘウレーカ刊、撮影/高木あつ子)
dot. 2019/10/09 07:00
ジェーン・スーが現代の結婚システムに「時代に合わなくなってる」
ジェーン・スーが現代の結婚システムに「時代に合わなくなってる」
ジェーン・スーさん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子) ジェーン・スー/1973年、東京都生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティー。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のパーソナリティーを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『私がオバさんになったよ』(幻冬舎)、『女に生まれてモヤってる!』(共著、小学館)など。 (撮影/写真部・片山菜緒子) “現代女性の代弁者”とも評されるコラムニスト、ジェーン・スーさん。結婚願望はないと話すスーさんですが、作家の林真理子さんとの対談では、結婚について語りました。 *  *  * 林:同業者としては、こういう優秀でおもしろい物書きの女の人に子どもを産んでほしいなって思いますよ。タレントさんの「○○さんの育児日記」みたいなのじゃなくて、「ちょっと腑に落ちた」とか「なるほど」と思える育児エッセーを読みたい。 スー:結婚して子どもを産むというシステムが今の時代と合ってないのかな、というのも若干ありますね。子どもを一人産んだ友達が、すぐ「一人だと可哀想だよ。2人目は?」って言われて苦笑いしてました。「私、一人っ子なんだけど、べつに可哀想じゃないよ」って(笑)。 林:今は結婚披露宴のあいさつで「早くお子さんを」なんて言うとヒンシュクを買うし、朝日新聞にも「もっと多様な人生が認められる世の中に」なんて投書が載るけど、もう十分多様な生き方が認められてるんだから、べつに黙ってたっていいのに、って私なんか思うんですよ。 スー:多様性に関しては、地域差がかなりあると思います。東京の中でも、港区、渋谷区あたりとほかの区は違うだろうし、東京と地方ではぜんぜん違うだろうし。あと、自分はそれによって被害を受けるわけでもないのに同性婚や夫婦別姓に反対したり、多様性の容認ということで言えば、まだまだという気がしますね。今まで「いない」とされていた人たちもたくさんいるので、次の時代はその人たちの声をどう社会に反映させるかということなんじゃないですかね。 林:ジェーンさん自身は、お書きになっているほど生きづらいと思ってないんじゃないかと思ったりするんですけど。 スー:すごく恵まれた環境にいると思ってます。こういう仕事をすることによって、より動きやすい状況にいられますし。ただ、いま自分が取引している仕事で、現場に女性はたくさんいますけど、役員レベルでは男性が多かったり、女性全体が発言権を持つというところまではまだいってないと思います。 林:マスコミの世界って、女の人もけっこう発言権があるんじゃない? スー:ギャーギャー言ってもたしなめられづらいというのはありますが、その声が反映されてるかどうかはちょっとわかんないですね。以前働いていたレコード会社でも、「女のほうが元気がよくていいよな」って言われて得意になってたんですけど、それってにぎやかしとして有効だったというだけで、上の人間にしてみれば、自分の腹心として育てていくつもりはさらさらなかったんだなと思います。男性の場合、一回失敗しても、30歳ぐらいまでだともう一回チャンスをもらえてる人もいましたけど、女性の場合はそういうことも少なかったように思いますし。 林:ジェーンさん、フェミニスト? スー:「どっちですか?」って聞かれると、「そりゃ男女ともに同権のほうがいいでしょう。フェミニストですよ」ってなりますね。女性と男性、お互いが背負ってる荷物が、時代に若干合わなくなってると思うんですね。専業主婦ってもう特権階級だし、勤めてるだけで給料が上がるということはないし、女性がたくさん社会に進出するということは、みなしのポストができたとしても、今までだったら出世できた男性が出世できなくなるということだし、この状態で今までと同じものを背負っていると、どっちもがお互いを傷つけることになるんじゃないか。だから「お互い荷物をおろしませんか?」ってなるといいなと思うんですよね。片方だけというのは、ちょっと無理かなと思う。 林:これからどんなことを書かれるか、楽しみですよ。 スー:ちょっと緊張してます。今までは好き勝手に書いてましたけど、これから何を書くつもりなんだ私、という。 林:偉そうに聞こえるかもしれませんが、今まで「第二の林真理子」みたいな人が何人も出てきて、「林真理子の座を脅かす存在」みたいなことを言われてたんだけど、私の中ではそんなふうに思う人は、ぜんぜんいなかったんです。でも、何年か前から、酒井順子さんの活躍なんか見て「すごいな」と思ったし、ジェーン・スーさんが出てきてこんなに華々しく活躍して、脅かされるどころか、時代がまったく変わってるんだなとつくづく思ってるんです。これからも頑張ってくださいね。 スー:はい、頑張ります! (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) ※週刊朝日 2019年10月11日号より抜粋
週刊朝日 2019/10/08 17:00
ジェーン・スー「“嫁”という規定演技ができない自信がある」
ジェーン・スー「“嫁”という規定演技ができない自信がある」
ジェーン・スー/1973年、東京都生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティー。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のパーソナリティーを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『私がオバさんになったよ』(幻冬舎)、『女に生まれてモヤってる!』(共著、小学館)など。 (撮影/写真部・片山菜緒子) ジェーン・スーさん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子) 『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』や『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』などの著書で知られるコラムニスト、ジェーン・スーさん。“現代女性の代弁者”とも評されるスーさんと作家の林真理子さんが、結婚について語りました。 *  *  * 林:ジェーンさんはお母さまが41歳のときの子なんですってね。 スー:そうなんです。 林:私も母が39歳のときの子で、お互い高年齢出産での子どもだから、非常に親近感を持ってるんです。母親が高年齢出産の娘って、たぶん独特の死生観を持っていると思いますよ。自立しなきゃ、一人で食べていかなきゃって人一倍思うんじゃないですかね。 スー:それはすごくあると思います。30歳ぐらいのときにお付き合いしてた男性と話をしてて、「いま子どもを産んだら貯金が足りないし、私は1年働けないし」みたいなことを言ったら、「なんで自分のお金で全部まかなおうとするの?」って言われて、私は自分で何とかしようという気がすごく強いんだなと思って。 林:なるほどね。ジェーンさんが書く仕事を始めたのは、いくつぐらいのときですか。 スー:35~36歳なので、スタートはかなり遅いんです。 林:35~36歳って、ちょっと婚期を逃しちゃったかな、みたいな非常に微妙な年代ですよね。 スー:そうですね。結婚しなきゃいけない、子どもがいなきゃいけない、私はなんで結婚できないんだろうと思ってたら、実は自分はそんなに結婚願望がなかったんだということを見落としていて、そこからはつきものが落ちたように、やりたい放題で。 林:私はジェーンさんよりずっと年上なんで、結婚しなきゃいけない、子どもを産まなきゃいけないという呪縛から逃れられなかったし、結婚したらしたで「こんなもんか」という感じで、べつに結婚なんてしなくてもよかったって思いますよ。 スー 結婚してる人って、完璧には相容れない他者と生活しているので、「欲の手離れ」が早かったりしますよね。そこは見習いたいところです。独身で働いてると、ままならないものが身近にあるという状態がないので、全部が思いどおりにならないと気がすまなくなってくるんですよね。それは気をつけなきゃなと思います。 林:でも、いま思いどおりでしょう? スー:いちおうパートナーと一緒に住んでいるので、完全に思いどおりにはなかなかならないですけど、これも修行と思ってます。 林:物書きの女の人って、そういうのがいいかもしれない。気軽に解消できるし、向こうの家族との付き合いもしなくていいし。 スー:突き詰めていろいろ考えたんですけど、“嫁”という規定演技ができないだろうという、謎の自信があるんですよ。たとえば相手の家に行って季節のあいさつをするとか、義理の実家のルールを学ぶとか、そういう能力が著しく低いんじゃないかと思っていて、それがいちばんコワいのかなと思いますね。 林:それが楽しいときもありますよ。 スー:「パフォーマンスとしてリラクゼーションになっている」という林さんのエッセーを読んで、すごいなと思いました。懐が深いというか、そこを楽しめる幅があるんだなと思って。 林:あちらでは仕方がないという感じだし、したことがない世界が広がるのもおもしろいじゃないですか。 スー:うーん、そこがなんか……。 林:それは年代の違いかな。 スー:たとえばママ友との付き合いを想像しても、調子に乗ってしゃしゃり出て、ママ友を引き連れて、いい気になってる自分が簡単に想像できるんですよね。 林:私なんかそういう自分がイメージできるから、できるだけ控えめに、「教えてください」とか、そういう自分を演じるのが好き。 スー:なるほど、それを演技としてやるんですね。 林:演技というか、面倒くさくなっちゃって、そんなにしゃしゃり出なくなりますよ。向こうはどう思ってるのか知らないけど、ママ友生活は楽しい日々でした。 スー:結婚したり子どもを持ったりすることをイデオロギー的に反対してるわけではないですけど、自分がやりたいことを優先してたらこうなっていたという。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) ※週刊朝日  2019年10月11日号より抜粋
週刊朝日 2019/10/08 17:00
「株式会社竹内まりや」を分析する夫・達郎がすごかった
矢部万紀子 矢部万紀子
「株式会社竹内まりや」を分析する夫・達郎がすごかった
デビュー40周年。竹内まりや (c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』  古い話で恐縮だが、1994年に週刊誌に記事を書いた。テーマは「変わるフランス料理店」だったのだが、こんなふうに書き始めている。 <ある昼下がり、麻布の店で竹内まりやさんに会った。「とてもおいしかったわ」という声まで聞いた。やったね。やっぱりフランス料理っていいかも。>  もう時効だと思うので書いてしまうのだが、河合奈保子さんが一緒だった。正確には西麻布にある有名店で、シェフに取材に行ったらちょうど2人がランチを終えるところだったのだ。窓際に座る2人のきれいなシルエットが今でも記憶に残っている。  8月の終わり、朝日新聞に竹内さんのインタビューが連載された。その中で竹内さんは、河合さんのことを話していた。「けんかをやめて」を提供し、「歌手と作曲家というそのときの出会いから友人としてのおつきあいに発展して、今でもメールをやりとりしています」とあった。私が西麻布で見た2人は、まさに「友人同士」だった。そっかー、今でもやりとりがあるんだなー。と、しみじみ。  竹内さんは1955年生まれ。今年64歳になる。私が高校生のときにデビューし、以来ずっと活躍している。カラオケでは、よく竹内さんの曲を歌った。代表曲のひとつ「元気を出して」は失恋した友だちを励ます歌だが、「す、こ、し、やせた、その、かーらだに、似合う服をさがしーてー」という歌詞に「失恋したら、せめてやせないとダメだよねー」と女同士笑いあったのは、アラサーの頃だったか。 「竹内さんの思い出」2連発になってしまった。この夏から秋にかけて、竹内さんの露出が急増したからで、有り体に言うならばデビュー40周年記念アルバム「Turntable」の宣伝だった。思い出いっぱいだから、喜んで追いかけた。先ほど触れた朝日新聞のインタビューも読み、NHKで放送された「竹内まりや Music&Life~40年をめぐる旅」も見た。  3月にオンエアされ、「11年ぶりのテレビ出演」で話題になった特番の完全版だそうだ。私は9月7日に見たのだが30日にも再放送されていたから、高視聴率だったのだろう。竹内さんの40年を40の楽曲とインタビューで振り返っていた。  夫の山下達郎さんのことを「達郎」と呼んでいた。「音楽に対する誠意ある姿、ブレないポリシーがあり、媚を売って世の中をわたることができない人」だから信頼し、結婚した。出産後に出したアルバム「VARIETY」がチャート1位になったのも「達郎の協力、彼のプロデュース」が大きく、いつも一緒で疲れないかと聞かれるが「プラスのことが大きい」。そんなふうに語っていた。  デビューしたばかりの竹内さんが坂本九さんと「カレンダー・ガール」を歌っている場面が流れるなどなど、NHKならではの秘蔵映像がたくさんあった。だが、この番組の一番の目玉は、「山下達郎、竹内まりやを語る」だったと思う。 「竹内まりやさんの曲が今も輝き続けるのはなぜか、この人が語ってくれました」とナレーションが入る。「山下達郎です」と声が聞こえた。画面はステージでマイクを握る山下さんの静止画。「恋の嵐」がバックに流れる中、山下さんの解説はこう始まった。 「竹内まりやが40年間続けてきた音楽スタイルは、どなたにでも受け入れていただける、いわゆるミドルオブザロード・ミュージックです」  ミドルオブザロード・ミュージックって? 英語ができないので、そこで一瞬思考が停止する。後に英和辞典で引いたところ、「middle of the rord <人、政策、音楽などが>穏健な、中道の」とあって、ああ道の真ん中ね、「どなたにでも受け入れていただける」ことなのね、と理解した。ことほどさように山下さんの解説は丁寧で、わかりやすく伝えようと練った文言だったと思う。その結果、マーケティング講座で「株式会社竹内まりや」を分析するすご腕マーケッターの講義のようになった。講義のサマリーを書いてみる。  株式会社竹内まりやは「トレンドに媚びず、普遍性を模索する」という姿勢を貫き、生産者としては「シンガーというより作詞家作曲家」という立ち位置を維持してきた。だから幅広い商品(「曲想」と表現していた)が生まれ、30年前の商品(「作品」と表現していた)でも古びない、と。そして、すご腕マーケッターは、講義の最後をこう締めた。 「そして何よりすべての作品に通底しているのが、人間存在に対する強い肯定感です。この考え方が、浮き沈みの激しい音楽シーンの中で、長く受け入れられてきた、最も大きな要素であると私は考えております」  竹内さん、鬼に金棒だな。そう思った。優秀なマーケッターがいれば、生産に当たってブレずにすむ。「うちの会社が作る商品って、こうだよね」と確認しながら、商品を作る。その拠り所を可視化してくれるからだ。しかもそのすご腕マーケッターが「売れる根底にあるのは、あなたの感性だ」と言ってくれている。自信を持って、進んでいける。  山下さんの解説の後、竹内さんは年齢と共に訪れた心境の変化を語った。30代、40代の時は無我夢中で、「次」のことを考えていた。50代を過ぎ、「こんなことがしたい」と思えることが、とても幸運なのだと気づいた。60歳になってからは、瞬間瞬間が愛おしいと思えるようになった、と。  2007年に発表した「人生の扉」という曲がかかった。51歳になって桜を見て、「あと何回、この桜を見るのかな」と思う自分がいることに気づき、まっすぐに表現したと竹内さん。年齢を重ねることを肯定する「応援歌」だった。  サビは英語だ。「I say it’s fun to be 20 You say it’s great to be 30」から始まる。この調子で、40歳は「lovely」、50歳は「nice」、60歳は「fine」、70歳は「all right」、80歳は「still good」と続き、90歳も「maybe live」と予想した。その上で、弱っていくことは「sad」、年をとること は「hard」で、人生は「no meaning」って言うけれど、と歌って、こう締めくくる。「But I still belive it’s worth living」  聴き終わり、「ノーブレスオブリージュ」という言葉が頭に浮かんだ。フランス語が語源で、「高い身分の者が果たす、それに相応した責任・義務」などと解説される。竹内さんという恵まれた人生を送ってきた人が、相応の責任・義務として、高齢者(とその予備軍)を励ましてくれている。そう感じたのだ。  竹内さんは、出雲大社の前にある大きな旅館の娘だ。高校時代に1年間、アメリカ留学をしている。慶応大学文学部英文科に受かり、そこでのバンド活動が歌手デビューにつながった。山下さんと結婚し、子育てをしながら音楽活動を続けた。  そういう人が、年を重ね、「生きるっていいわね」「年取るっていいじゃない」と言ってくれる。しかも、英語で。ベタな励ましが、一挙におしゃれになる。それも、竹内さんだから果たせる「ノーブレスオブリージュ」。そう思った。  感動したのが、英語の意味が分かりまくったことだ。簡単でわかりやすい英語。「ミドルオブザロード」がピンとこなかった私だから、とてもうれしかった。こういうのも、ヒットのツボだろうなー、と実感。竹内さん、「75歳くらいまでは、歌っていたいかな」と語っていた。「株式会社竹内まりや」も竹内さんも、安泰だと思う。
矢部万紀子
dot. 2019/10/07 11:30
紀平梨花は4回転お預けも…今後の成功を予感させた“冷静な自己分析”
紀平梨花は4回転お預けも…今後の成功を予感させた“冷静な自己分析”
紀平梨花の結果は144.76点で女子6人中3位(撮影/加藤夏子) 存在感をアピールした女子2位のアリーナ・ザギトワ(撮影/加藤夏子) 女子1位は4回転を4度決めたアレクサンドラ・トルソワ(撮影/加藤夏子) 「自分も(トリプル)アクセルを大分かかって安定させてきている。トゥルソワ選手も(4回転を)ぱっと跳べたように感じるかもしれないですが、結構前からしっかり、徐々に徐々に完成度を高めてきていると思う」  ジャパンオープン(フリーのみを滑走。日本・北米・欧州の3チームが競う団体戦)の前日、練習後に取材を受けた紀平梨花への質問には、欧州チームの15歳、アレクサンドラ・トゥルソワ(ロシア)についてのものが多かった。紀平の言葉には、今季シニアに参戦し強力なライバルとなるであろうトゥルソワへの敬意と同時に、自らの歩みへの自信もにじんでいた。  初戦(オータム・クラシック)の前に痛めた左足の影響もあり、紀平はこの大会で挑戦したいとしていた4回転サルコウには結局挑まずに終わった。トリプルアクセルを2本成功させたものの、最後のジャンプ・トリプルループの着氷が乱れ、氷に手を着いてしまう。 「トリプルループのミスは、あまりよくないミスだった。まとめられたとは言えますが、ループですごく悔しい思いをしたので、そこはしっかりと改善できたらいい」  女子の1位は3種類の4回転を4本着氷し、160.53という高得点をたたき出したトゥルソワだった。一方、2位となった平昌五輪女王のアリーナ・ザギトワ(ロシア)はトゥルソワとは違う種類の強さを発揮する。トリプルアクセルや4回転を跳ばなくても、前後に難しい動きを入れたジャンプをきっちりと成功させることで高い出来栄え点を引き出し、154.41を獲得。紀平の得点(144.76)を上回った。  トリプルアクセル、そして練習で成功している4回転サルコウばかりが注目されがちな紀平だが、その強さの要因はジャンプの大技だけではない。踊る能力が高くスケーティングも美しい紀平は、すべての面で優れたスケーターだ。  紀平が本来の力を発揮すれば、大技を武器にするトゥルソワ、完成度の高さを誇るザギトワと互角に競うことができるだろう。ただ怪我の影響もあり十分に追い込めなかったこのジャパンオープンでは4回転を入れられず、ミスもしたことでロシア勢の後塵を拝する結果となった。 「まだ他のジャンプが上手くはまらない。本当は4回転を入れたいですが、入れることによって他を崩したくない」という試合前日の紀平のコメントは、オールラウンダーでありつつ大技習得を目指す道の険しさをうかがわせる。  ただ紀平がこの試合で、6分間練習で不安定だったトリプルアクセルを本番では2本とも成功させたことの意味は大きい。どんな調子でも試合では決められるようになったところに、苦しみながらも長年大技と向き合ってきた紀平の強さがある。試合後の記者会見で、紀平は4回転に対する決意を語った。 「怪我をしっかり治して、どんな挑戦でもできるよう、また練習でしっかり全力を出せるように、まずはコンディションを整えたい。北京オリンピックには必ず4回転を持っていけるように、練習をしっかりしていかないといけない」  17歳にして自らの現状を冷静に認識し、大技の習得を焦らない賢さこそ、北京五輪で金メダル獲得を目指す紀平の最大の武器となるかもしれない。(文・沢田聡子) ●プロフィール 沢田聡子 1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
フィギュアスケート
dot. 2019/10/06 11:30
「高校の受験勉強はくだらない」上野千鶴子が語る“17歳の原点”
「高校の受験勉強はくだらない」上野千鶴子が語る“17歳の原点”
上野千鶴子さん (c)朝日新聞社  今年4月の東京大学入学式で述べた祝辞が大きな話題を呼んだ上野千鶴子名誉教授。入試での女子差別問題などを訴えた上で、「純粋な知識欲」の在り方を語りかけた。そんな上野イズムの原点ともいえる53年前の寄稿を発見。教育ジャーナリスト・小林哲夫氏が、ご本人に改めて伺った。 「へ~、高校生のガキの文章にしては、けっこう、まともなこと書いているじゃん」  53年ぶりに高校新聞に書いた自分の文章を読み直して、上野千鶴子さんは開口一番、こうつぶやいた。  1964(昭和39)年、上野さんは石川県立金沢二水高校に入学した。最初は名門バドミントン部に入部したが、ランニングと素振りばかりに耐えきれず、1カ月で辞めてしまう。その後、文芸部と新聞部に入った。文芸部の部員たちは熱心に太宰治を読んでいたが、上野さんはセンチメンタルだと思って嫌気がさす。文芸部からも足が遠のき、新聞部で好きなことを書くようになった。ベトナム戦争、広島と平和、制服制帽の是非など、多くの記事を書いた。そして、高校教育の在り方を批判し、17歳の上野さんはこう訴える。 「現実の高校の授業は非常につまらない。私をも含めて、大多数の高校生は、授業中の自己を、少なくとも本来的な在り方であると考えていない」(二水新聞)。上野さんは当時を次のようにふり返る。 「とにかく授業は退屈で、教師を信用していませんでした。授業中は寝てばっかりです。高校生だったわたしは知的には早熟で、性的にはオクテだった。とても頭でっかちの少女でした。授業では知的好奇心が満たされず、本や雑誌ばかり読んでいました」  とくに熱心に読んでいたのが、「思想の科学」(思想の科学社)である。同誌の書き手には、さまざまな学問分野のリベラル系知識人が集まっていた。加藤周一、鶴見俊輔、花田清輝、丸山眞男、都留重人、佐藤忠男などだ。上野さんは鶴見に私淑していた。加藤が大好きだった。そして、花田に魅了された。 「田舎の高校生にすれば、『思想の科学』はたいへんな情報源でした。これによって社会の動きを知り、論理的な思考方法を身につけることができました。影響を受けたのは花田清輝でしょうか。彼の文体は皮肉、洒脱、屈折、そして華麗さがあり、わたしもああいう文章が書けるようになりたいと思ったものです。だけど、こういう話を共有できる友人や教師が周りにいなかった」  これがおもしろくない教師へのいらだちであり、17歳の上野さんはこう吐きだしている。 「今の高校教育は、しかし学問などといえたものではない。あるのは断片的な知識の切り売りと、無意味な叱咤激励ばかりである」(二水新聞)  受験のための勉強への批判でもある。  上野さんは優等生だった。金沢二水高校にトップの成績で合格しており、2位以下を大きく引き離している。学年が上がっても、高校での成績は上位を続けていた。しかし、3年になって一度、男子に追い抜かれたとき、先輩女子から、「やっぱり、3年生になると男子は違うわね」と言われてしまう。 「頭にきました。これでわたしに火がついた。男の子は晩熟、女は早熟と信じられていた時代ですが、わたしはおかしいと思い、京大受験に向けて猛勉強をはじめます。塾にも予備校にも行かず、学校も頼らず自分で取り組みました」  67年、京都大文学部に合格した。定員200人、志願者1453人、受験者1303人、合格者204人。6.5倍という難関だった。難易度は旺文社模試によれば、東京大文科三類に次ぐ2番目。  上野さんはほかに関西の私立大学に合格したが、京都大以外、考えられなかったという。それは、受験前の大学見学ツアーが大きい。 「関学大はキャンパスがきれいすぎて合わない。同志社では男女が手をつないで歩いていた。京大ではみんな暗い顔して一人で歩いていました。それを見て、わたしが行くところはここだ、と思ったのです」  知的探究に飢えていた上野さんにすれば、京都大の暗い顔の学生に、知を追い求めている姿を見たのかもしれない。  その後、京都大の大学院に進み、平安女学院短大、京都精華大の教員を経て、93年から東京大で教えるようになった。2011年に退職する。17歳の上野さんはこう問いかけている。 「学問という、一つの理性的、体系的な世界へ眼を見開かせてほしいのである。我々の人間としての純粋な知識欲を刺激してほしいのである」(二水新聞)  19年、上野さんは東京大入学式祝辞で、「純粋な知識欲」がどうあるべきかについて、一つの答えを出してくれた。 「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています」(19年4月12日)  17歳の問い、いまの答えを見ると、上野さんの知に向かう姿勢はぶれていない。そして力強い。  上野千鶴子さんが少女時代に抱いた知的好奇心は、その後、社会学者として一つひとつ満たされてきた。なかでもジェンダー分野での研究成果は、次の世代に多くの影響を与えた。そして、上野さんはいまでも著書、講演などをとおして、新しい知を社会に広く発信している。  2021年から入試制度が変わる。上野さんがかつて「くだらなすぎる」と断罪した「受験勉強」は改善したか。英語民間試験導入で迷走する文部科学省には今でも難問となっている。 ※週刊朝日  2019年10月4日号
週刊朝日 2019/10/06 07:00
順風な妹と苦境の兄 柔道・阿部きょうだいが歩む東京五輪への道
順風な妹と苦境の兄 柔道・阿部きょうだいが歩む東京五輪への道
2018年世界選手権で「きょうだいV」を果たし、笑顔を見せる阿部一二三と詩 (c)朝日新聞社 小学生のころの阿部一二三(右)と兄の勇一朗さん(左奥)、妹の詩=父の浩二さん提供  2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第2回は、きょうだい出場を目指す柔道男子66キロ級の阿部一二三(22)と女子52キロ級の詩(19)。正式競技となった1964年東京五輪から半世紀。日本発祥の柔道が母国の五輪に戻ってくる。金メダル量産の期待がかかるお家芸のなかでも、2人は注目の的だ。苦境に立つ兄、順風の妹。果たして。朝日新聞社スポーツ部・波戸健一氏が2人の関係性や強さの秘密を綴る。 *  *  *  重苦しい記者会見だった。  世界選手権2日目が行われた8月26日の夜、東京・日本武道館。この日戦った男子66キロ級と女子52キロ級のメダリストたちが壇上に並んだ。中央には2年連続で世界女王に輝いた詩が座る。重い体をひきずり、首から銅メダルをさげた一二三が詩の左隣に腰掛けた。世界王者から陥落した兄の右目は、試合中の激突でボクサーのように赤黒く腫れていた。  アゼルバイジャンであった昨年の世界選手権。21歳の兄と18歳の妹が成し遂げた「きょうだいV」によって2人は世界の注目の的になった。国際柔道連盟は公式サイトで「柔道史に新たな一ページを開いた」と快挙を紹介したほどだ。  それから1年。一二三は準決勝で丸山城志郎(26)に延長3分46秒で技ありを奪われ、2020年東京五輪の代表を争うライバルに痛恨の黒星を喫した。その後の3位決定戦に勝って涙ぐんだ姿は、圧倒的な強さを誇っていた1年前の姿からはほど遠かった。  会見では、まず詩に質問が飛んだ。 「あいにく、お兄さんが金メダルを取れなかった。感想を聞かせてください」  詩は淡々と語った。 「2人で優勝するというのが一つの目標でもありました。お兄ちゃんが負けてしまってすごく悔しいんですけど、また2人で頑張っていきたいなと思います」  一二三からは、普段の強気な言葉が一切出なかった。 「妹が優勝で僕が3位。きょうだいで優勝できなくて、兄として残念、情けないと感じます」  無理もない。これで丸山には昨年11月のグランドスラム(GS)大阪、今年4月の全日本選抜体重別選手権に続いて3連敗。日本代表の井上康生・男子監督は「世界最高峰の戦い。どちらが代表になっても金を取れる」と健闘をたたえたが、五輪代表は各階級1人。この日の結果で丸山が先行したのは間違いないからだ。  一方の詩は、強さに磨きがかかっている。  兄譲りの豪快な担ぎ技に加え、「昔は怖かった」という寝技の技術も目を見張る。立ち技で崩した相手を寝技で仕留める練習に時間をかけ、自信を持って繰り出せる攻撃の形に昇華させた。今春、日体大に進学し、より専門的にトレーニングを積めるようにもなった。 「今までにない筋力がついてきている」  88年ソウル五輪銅メダリストで、日体大柔道部の山本洋祐部長は詩の成長に胸を張る。  女子52キロ級は92年バルセロナ五輪で女子が正式種目になって以来、日本勢が一度も頂点に立てていない。そんな階級で底知れぬ怪物ぶりを見せたのは、16年リオデジャネイロ五輪金メダリストのマイリンダ・ケルメンディ(コソボ)を撃破した準決勝。延長にもつれた熱戦は、互いに指導2に追い込まれていた開始7分過ぎ、詩がうつぶせになったケルメンディの体をひっくり返し、強化してきた寝技で抑え込んだ。 「世界一の投げ技、テクニックを持つ柔道家。東京五輪でも最大の強敵になる」  コソボに初の五輪金メダルをもたらしたレジェンドも脱帽するしかなかった。  2人の柔道の出発点は、兵庫警察署(神戸市兵庫区)の柔道教室「兵庫少年こだま会」。たまたま自宅のテレビに映った柔道選手を見て「ビビッときた」という一二三は6歳で通い始めた。2年後、5歳になった詩も兄を追って柔道着に袖を通した。 「今では想像もつかないけど、一二三はよう泣きました。体が小さいから、大きい上級生に圧倒されて。ただ整列するだけなのに泣いていました」  そう回想するのは同会の高田幸博監督だ。力が弱く、すぐ転がり、寝技も簡単に抑え込まれる。しかし、運動神経は大器の片鱗(へんりん)があった。 「小学校低学年で道場の端から端まで逆立ちで歩くんですよ。前転や後転も身軽でした」  試合では、なかなか勝てなかった。負けて泣きじゃくる息子に、「一緒にトレーニングしよう」と手を差し伸べたのが消防士の父・浩二さん(49)だった。活用したのは重さ3キロのメディシンボール。砲丸投げのように突き出したり、真上に投げ上げてみたり。ラグビーのパスのようにボールを横に投げる動作もやった。 「スポーツは円運動が大事や」と腰や腕をひねる運動を重視した。 「あれが正解やったのか、今もわからない。僕自身も背負い投げをイメージしてみて、どんな動きが大事なんやろうって。試行錯誤でした」  浩二さんは振り返る。  詩が柔道を始めたころ、「兄より妹のほうが素質がある」  と言う人もいた。 「一二三の柔道を見ていたから成長が早かったのでしょう。それと兄以上の負けず嫌い。試合で負けた時、次はやったるという闘争心は詩のほうが上だった」  高田監督は振り返る。泣きながらコツコツ努力を重ねる兄、その背中を見ながら伸び伸びと取り組む妹。周囲は詩のこんな勝ち気な言葉を覚えている。 「一二三の妹じゃなくて、いつか詩の兄ちゃんって言わせたい」  中学生で2人は全国区の選手に。ともに高校2年の時にシニアの強豪が集まる講道館杯で優勝。一二三の跡をなぞるように詩もきれいな成長曲線を描いた。  三つ違いのきょうだいは本当に仲が良い。この春、詩が大学進学のために仕立てた紺色のスーツの裏地は、一二三と同じものだった。照れる兄に「まねするな」と言われたが、「格好いいから」と迷わず選択。海外遠征にも着ていくお気に入りの一着だ。  兄が妹について、妹が兄について話す時、互いへの尊敬が言葉の端々からにじみ出る。 「切磋琢磨(せっさたくま)しながら、すごく刺激をもらっている」  と一二三。詩は、 「お兄ちゃんの柔道を見て学んできた。東京五輪で2人で優勝するために、自然と頑張ろうって気持ちになる」  きょうだいで金メダルを獲得すれば、夏季五輪では日本勢初の快挙だ。実現するかどうかは、一二三の立ち直りにかかっている。事実上2人に絞られた代表争い。まずは11月のGS大阪で、丸山に勝つ必要がある。 「もう一度、私を引っ張ってくれる存在になってほしい」  そんな妹の思いを受け、兄はかつてない逆境をはね返せるか。(朝日新聞社スポーツ部・波戸健一) ※週刊朝日  2019年10月11日号
2020東京五輪
週刊朝日 2019/10/05 17:00
女優・前田敦子は、伝説の“おニャン子”を今越えようとしている
宝泉薫 宝泉薫
女優・前田敦子は、伝説の“おニャン子”を今越えようとしている
AKB48を初期から支えた前田敦子 (c)朝日新聞社  半年前に第1子を出産した前田敦子の主演映画「葬式の名人」が公開中だ。その番宣でバラエティ番組にも多数出演。「しゃべくり007」では「28に見えない」とネットがざわつき、年齢より若く見える有名人を挙げる大喜利現象が発生した。また「沸騰ワード10」では酢にハマっている食生活を告白。「お酢をかけるとカロリーが半減される」というサンドウィッチマンみたいな理論で笑いをとった。  そんな前田がAKB48を卒業したのは、今から7年前。グループは今も存続しているが、彼女をはじめ「神7」と呼ばれたメンバーたちはもういない。その次の時代を支えた指原莉乃も卒業した。現在のAKBはスター不足を否めず、後発の乃木坂46や欅坂46に圧され気味である。  そこでふと考えたくなったのが、おニャン子クラブとの比較だ。こちらは実質2年数ヶ月の活動だったが、伝説としてのイメージは揺るぎがない。つい先日も、渡辺美奈代が50歳のバースデーライブを超ミニスカートで行ない、ネットニュースになった。解散から32年たってもなお、それくらいの注目度はあるのだ。 ■川栄、指原の失速  おニャン子が伝説化したのは、秋元康が手がける大所帯グループの嚆矢(こうし)ということに加え、ひとりのメンバーの芸能人としての長期的成功が大きい。工藤静香だ。ブーム後半に登場した彼女は解散後、ソロアイドルとしてヒット曲を連発、ドラマにも主演した。私生活では諸星和己やYOSHIKIらと浮名を流したあと、平成随一の男性スター・木村拓哉と結婚。主婦となってからも、趣味の画業などで話題をふりまき、最近は次女・Kokiのモデルデビューで注目を維持している。  じつはブームが伝説化するには、こうした存在が不可欠なのだ。GSブームでは沢田研二や萩原健一、70年代のアイドルブームでは山口百恵、80年代のアイドルブームでは松田聖子がいた。  ではAKBにおいて、工藤のような存在になりそうなのは誰か。卒業してからの飛躍という意味で、似ている気がしたのは川栄李奈だ。女優としてのスキルはもとより、握手会での不運な事件を乗り越えた精神力は、トップクラスの芸能人となる可能性を充分に感じさせた。  が、これからピークに達しようとする前に、結婚。その相手も大物とは言いがたい。出産後に復帰するにしても、いったん止まった勢いを再び加速させられるかについては疑問符がつく。  また、バラエティタレントとして冠番組を持つまでになった指原も、このところ頭打ちのように思える。スキャンダルを逆手にとって自虐キャラでブレイクしたことについて、有吉弘行は「トラブルが生んだ奇跡」と評したが、その面白味がうすれてきた印象だ。  何よりAKBで惜しまれるのは、ミリオンセラーを連発する音楽グループ出身なのに、歌で勝負する人が少ないことだろう。歌番組で見かけるのは山本彩くらいだし、必ずしもファン以外の認知度が高いとはいえない。 ■前田は卒業組でもセンター  そんななか、歌でもそれなりに頑張ってきたのが前田だ。AKB時代に2枚のシングル、卒業後に2枚のシングルと1枚のアルバムをリリースし、チャートアクションも悪くなかった。  11年の初主演映画「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」では挿入歌もうたうという王道的展開。同僚の峯岸みなみや注目株だった川口春奈を従え、堂々たる主役ぶりを見せた。そのパンフレットのなかで、秋元はこんな「予言」をしている。 「前田は、中学2年14歳からAKBに入ったので、無垢な赤ちゃんの状態から始まりました。そこからいろんなことを吸収してきたんですね。だから吸収力はすごいなと思います。(略)ほんとうに女優として、やっていけるんじゃないかと思いましたね」  まだ何にも染まっていない女の子が何者かになっていくのを見るのが好きなこの男にとって、前田は理想的な素材だったのだろう。その「吸収力」はアイドルのソロ歌手という形式が難しい音楽的状況もあって、もっぱら女優業で発揮されていくようになる。「葬式の名人」の樋口尚文監督も、こんなエピソードを明かした。 「私の前作の映画の試写を銀座の古びた地下の映画館でひっそりとやっていた時『オジサンが何かヤバいことをやってるらしい』と凄い嗅覚でかけつけてくれたのが、他ならぬあっちゃんと、デビュー前のあいみょんでした」 つまり、いくら吸収力があっても感度が悪ければ意味がないわけで、彼女はそのあたりも優れているということだ。この映画での役柄は、生活費にも事欠くなかで喪失感を抱えながら投げやり気味に生きるシングルマザー。パンフレットのコメント欄には、他の映画監督からの「立派にもう大人の女優なんですね」「前田敦子さんの奇跡感が凄いです!」といった賛辞が並んでいる。  そんな女優としての実績と評価は、他の「神7」たちと比べても一段二段抜けている印象だ。前田は卒業組のなかでもセンターであり続けているのである。  ■秋元康の挫折  にもかかわらず、グループ時代の輝きからは少々かすんで見えたりもするのは、AKBが今も現役グループであることが大きい。それこそ、おニャン子は2年数ヶ月で終わった「企画モノ」だが、こちらは十年以上も売れ線の「定番商品」で、やめた人がそれを超えるのは難しいのだ。   また、おニャン子の面々はグループのそういう本質を自覚していたから、ガツガツするしかなかった。特に私生活においては、前出の工藤はもちろんのこと、芸人や作曲家と結婚したり、ミュージシャンと不倫したり、あるいは系列グループに就職したり、その社員と結婚したり、さらには闘病経験を機にコメンテーターになったりと、その上昇志向や生き残り戦略は目を見張るものがあった。その究極が、秋元を射止めた高井麻巳子だろう。  一方、前田も尾上松也やTaka(ONE OK ROCK)野田洋次郎(RADWIMPS)らと浮名を流したが、尾上以外は信憑性が低い。結婚相手の勝地涼にしても、彼女のほうがやや格上だから、恋愛にガツガツとしてきた印象はない。  ちなみに、AKBを定番商品にまでしたのは、秋元の挫折からくる執念である。フジテレビ主導だったおニャン子が番組人気の低下で切り捨てられたことから、彼は自分自身の主導で劇場主体の地に足のついたグループを作ることを目指した。その品質を磐石にするために、恋愛禁止のルールなどでメンバーの帰属意識を高めたわけだ。総選挙というシステムも、内なる競争をあおることで、外への「ガツガツ」を生まないという効果がある。 ■前田が発した伝説の名言  そんなチーム優先主義を象徴したのが、第3回総選挙で前田が発したあの名言だ。 「もちろん、私のことが嫌いな方もいると思います。ひとつだけ、お願いがあります。私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」  これをとっかかりにして、批評家の濱野智史は『前田敦子はキリストを超えた』という本を書き、ものまねをしたキンタロー。は一発屋として一世を風靡した。実際、AKB史上最大の名場面であり、その世界観を世に示したともいえる。  が、もうひとつ重要なのは、こういう発言をしながらも、センターとして輝き続けた前田の強さだ。それは女優、とりわけ「主演女優」としての適性にもつながっている。チームプレーである映画やドラマで主役を張るには、協調性と自我の両立が必要で、彼女はそれを高いレベルで実現できる人なのである。  というわけで、AKBが将来、どれくらいの伝説になるかは、彼女の活躍にもかかっている。はたして、おニャン子が輩出できなかった本格的女優として大成できるのか。主役を続けるのも大変だし、その答えが出るのはずっと先のことだろうが、前田敦子にとって「主演女優」が天職であるのは間違いない。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。
dot. 2019/10/05 11:30
「医療マンガ大賞」創設 医者と患者の“視点の違い”をマンガで表現する狙いは?
「医療マンガ大賞」創設 医者と患者の“視点の違い”をマンガで表現する狙いは?
9月30日に開催された「医療マンガ大賞」創設記念トークセッション。左から佐渡島庸平氏、こしのりょう氏、大塚篤司氏、井上祥氏(撮影/白石圭)  医者と患者のエピソードをマンガにしようという取り組みを横浜市が始めている。医療に関する広報の新たなコンセプト「医療の視点」を掲げ、そのプロジェクトのひとつとして「医療マンガ大賞」を創設した。9月30日には、それを記念したトークセッションが、横浜・BankART Stationで行われた。セッションには佐渡島庸平((株)コルク代表取締役会長/編集者)、こしのりょう(マンガ家)、井上祥((株)メディカルノート代表取締役・共同創業者/医師)、そして『心にしみる皮膚の話』を出版した大塚篤司(SNS医療のカタチ/医師)の各氏が登壇した。 *  *  *  医療マンガ大賞は、患者と医療従事者の間で生じるコミュニケーションギャップに着目し、各々の視点からの捉え方をマンガ化することで、視点の違いに互いに気づき、共感を促進することをめざす。今回、横浜市は、3人の現役医師が主催する市民講座「SNS医療のカタチ」と、お題に対してマンガを描くことでマンガ家としての成長を応援するマンガ投稿プラットフォーム・コミチとコラボして、医療マンガ大賞を創設した。  マンガは、(株)メディカルノートが監修したエピソード6点と、Twitterで募集して応募があった156作品から選定したエピソード4点の、計10点を原作エピソードとする。10のエピソードはコミチのホームページで公開されている。これを原作としたマンガを一般の人に描いてもらい、応募してもらう。  応募作は、今回のトークセッションに登壇した4人に加え、筑丸志津子(横浜市医師会常任理事/医師)と荒木田百合(横浜市副市長)各氏によって審査される。審査を通った8作品(大賞1作、入賞7作)は、横浜市公式サイト、市内配布物、各審査員SNSなどで使用される予定。  しかし、なぜ横浜市は、この医療マンガ大賞をはじめとして、医療情報発信の取り組みに力を入れるのか。横浜市医療局長・修理淳氏に聞いた。 「横浜市は他都市とくらべても、今後特に高齢者の絶対数が増えるスピードが速いと予測されています。地方もじゅうぶん高齢者は多いですが、すでに人口減少の段階にある。一方横浜市は、今年が人口増加のピークにあり、今後減少段階に入ると予想されています。高齢者の比率は高まっていくため、人口の多い横浜市の高齢者の絶対数もますます増えていきます」(修理氏)  また、病院のあり方も変わっていくべきだと指摘。「病床数も足りないので増やすべきですが、いまは急性期医療を中心とする病院が多い。しかし、今後高齢者が増えていくなかでは、慢性期医療を専門とした病院も増やしていくべきと考えています」(同氏)  このような背景から、市民に医療情報の啓発をすすめるために始まった横浜市の「医療の視点」プロジェクトだが、今回のように、医療とマンガを組み合わせることのメリットとはなにか。そのヒントがトークセッションで話された。  大塚医師は10年以上前、ニセ医学をひたすら否定しつづける匿名のブログを書いていたと告白。しかし叩いても叩かれて終わるだけ、と気づいた大塚医師はブログの更新を終了。以後10年、インターネットでの情報発信はやめていた。  佐渡島氏はこれに関連して、認知バイアスについての実践調査について語った。以前、飲み会で血液型診断を信じている人に対し、それがいかにナンセンスなのかを論理的に説明した。すると「血液型診断を信じている女子にものすごく怒られた(笑)」という。  これを受けて大塚医師は「それは心理学のバックファイヤー効果です」と解説する。 「自分がかたくなに信じていることに反論されると、人は信じていることをより強固に信じるという概念で、2010年に提唱されました」  それでは誤解を解くのが難しい医療情報を、わかりやすく、相手に反発されないように伝えるにはどうすればいいのか? 『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』など数々の大ヒットマンガを手掛けた佐渡島氏は「物語においては、情報は添え物。情報を主におくのではなく、感情の動きを主にして描くといいと思います」と言う。不安な気持ちに惑う患者に対して論理で詰めるのではなく、感情の物語で接近することができるのがマンガならではの強みだ。  横浜市は、2015年から2040年にかけての25年間で、75歳以上人口が1.5倍以上に増える見込みだという。増大する医療需要と不安を解消できるか。横浜市は、マンガにその可能性を見いだしている。  今回の「医療マンガ大賞」の応募には、居住地の条件はとくにない。応募期間は9/30(月)21:00~10/10(木)23:59。結果発表は11月初旬予定で、大賞1作品には30万円、入賞7作品には各10万円が原稿料として贈られる。エントリーはコミチWEBサイトからおこなうことができる。 (文/白石圭)
病気
dot. 2019/10/04 16:24
女子がカツオに恋をする? 荒牧慶彦、「サザエさん」出演の舞台裏
大道絵里子 大道絵里子
女子がカツオに恋をする? 荒牧慶彦、「サザエさん」出演の舞台裏
AERA 2019年9月30日売り表紙に俳優・荒牧慶彦さんが登場  ミュージカル「テニスの王子様」や「刀剣乱舞」シリーズで人気の俳優・荒牧慶彦さんがAERAに登場。演じることについて、現在の想いを聞いた。AERA 2019年10月7日号から。 *  *  *  シャッターを切るたびに、男性スタッフからも「キレイ」「カワイイ」「甘い……」と感嘆の声が上がる。フワフワした空間の中にいる荒牧慶彦は、誰の目にも美しくてはかなくて、最強だ。  常に控えめな笑みを浮かべ、カルピスウォーターを「小さい頃から好きで」と幸せそうに飲む姿は小動物のよう。この浮世離れしたオーラを放つ彼が2.5次元というジャンルに出合い、人気者となるのは必然だったのだろう。  大学卒業後「25歳までに芽が出ないならやめる」と両親を説き伏せて俳優の道へ。初めてのオーディションはミュージカル「テニスの王子様」。すぐに役もファンも獲得し、次々と2.5次元舞台に出演。その人気は、舞台「刀剣乱舞」で不動のものに。足掛け3年、231公演に出演するなかで、彼が演じた山姥切国広(やまんばぎりくにひろ)はさまざまな出会いや経験を重ね、コンプレックスや迷いを克服していったが、同様に彼自身も成長できたと振り返る。 「231公演には僕の喜怒哀楽すべてが詰まっていて。大変な思いもしたけど、この作品のおかげで芝居や殺陣がより好きになったし、芯も強くなった。僕、人に言えないコンプレックスがあったんです。中学のころからアトピーで、ずっと恥ずかしくて……でももういいかなって。そんな自分も表に出せるようになった。そしたら、すごく楽になりました」  彼が新たに取り組むのは舞台「サザエさん」のカツオ役だ。まさかのオファーに「僕も笑いました」と言いつつ、今の自分にしか出せないカツオ像を模索している。 「サザエさん役の藤原紀香さんや波平の松平健さんを始め、みなさん『磯野家ってこうだよね!』という芝居をされていて。僕も見劣りしないよう、必死です(笑)」  思いがけずカツオに恋する日が来るかも!? その魅力は劇場で確認してほしい。 (ライター・大道絵里子) ※AERA 2019年10月7日号
AERA 2019/10/04 16:00
電撃結婚もマイナスなし 多部未華子の実力と愛される理由
丸山ひろし 丸山ひろし
電撃結婚もマイナスなし 多部未華子の実力と愛される理由
“多部ちゃん”の愛称で親しまれる多部未華子 (c)朝日新聞社 電撃ゴールインした女優の多部未華子(30)。相手は写真家の熊田貴樹氏で10月1日、所属事務所を通じて結婚したことを発表。署名入りの文章で、「3年前に撮影の場で知り合い、その後交際に発展し結婚という運びになりました」と報告した。  人気商売の女優業。競争は厳しく、結婚によって人気が低下することも当然考えられる。一方、多部の結婚にSNS上では「多部ちゃんおめでとうございます」「多部ちゃんファンの私も嬉しい!」など、祝福の声が相次いでいるのだ。多部は7月期に放送され、話題を集めたドラマ「これは経費で落ちません!」(NHK総合)での好演が光ったが、結婚発表で改めて多くの視聴者から支持されていることがわかったと言えるだろう。彼女の好感度の源とはなんなのだろうか……。 「13歳でデビューし17年のキャリアの持ち主ですが、実は東京女子大学出身の才女でもあります。ウェブマガジンのインタビューで明かしていましたが、犯罪心理や発達心理などを学びたくて入学したそうです。大学は仕事の都合で休学を挟みつつも、6年かけて卒業。復学した当時は授業に出席して隣に座っている人に自分から話しかけることもあったとか。また、インカレのテニスサークルに入り、サークルの仲間とは今でも付き合いがあり、困ったことがあった時は相談することもあるそうです。芸能界に友達が多い方ではないと話していたこともあります。醸し出す人気女優らしくない、親しみやすい雰囲気を視聴者は感じ取っているのではないでしょうか」(テレビ情報誌の編集者)  数々のドラマや映画で主演を務めながらも、一般人に近い感覚を持ち合わせているのだろう。そんな多部だが、性格は意外とさっぱりしているようだ。  仕事上での人間関係で意識していることについて聞かれた際は、「興味を持たないこと」と返答。お互い不快にならないように深入りしないということで、深入りされたいような素振りもしていないという。また、仕事とプライベートはしっかり分けるタイプで、30歳になった今は、「やりたくなかったら、やらなくてもいいのではないか」という気持ちもあるそうだ(「クランクイン!」2019年8月3日)。  また、ドラマ「これは経費で~」の記者会見(2019年7月12日)では、「私は貸したお金は返ってこないと思うタイプ」と告白。同ドラマで多部が演じる、「何事にもイーブンに生きる」をモットーとする主人公とは逆の考え方で、「全く共感できないですね」と言い笑いを誘っていた。そんな性格ゆえ、視聴者には自分をしっかり持った魅力的な女性として映るのかもしれない。 ■ベテラン俳優が「天才」と認めた演技  もちろん女優として多部の演技力は評価が高く、共演者もベタ褒めしている。 「『これは経費~』で共演したジャニーズWESTの重岡大毅は試写会で『職人のイメージすらある。パンパンパンとOKを出して小走りで帰っていく』と多部の演技を絶賛。過去にも奥田瑛二が舞台『サロメ』(2012年)で共演した際、『天才』『体のキレ、頭の良さ、感性が素晴らしい』と褒めちぎっていました。演技力に関しては数々の賞も受賞し、折り紙付きです。また、派手さのないところは、視聴者は感情移入して見ることができますし、ある意味、他の女優とも被らない。好感度もあり、かけがえが無い存在として第一線で息の長い活躍ができると思います」(同)  ドラマウォッチャーの中村裕一氏は、そんな多部の魅力についてこう分析する。 「ともすると若手女優のイメージすらある彼女ですが、実は10年前にNHK朝の連続テレビ小説『つばさ』のヒロインを務めているんです。5年前には松尾スズキ率いる劇団・大人計画のミュージカル『キレイ~神様と待ち合わせした女~』で主人公を演じました。さらに現在、UQモバイルのCMでは深田恭子や永野芽郁と一緒にコミカルな表情を披露するなど、活躍の場が実に幅広い。10代の頃から落ち着いた雰囲気を持っていましたが、お高く止まっている態度など見せず、非常に親しみやすい。それでいて、いざ演技となると役になりきった芝居をしっかりするので、安心して見られる数少ない実力派女優の一人です。華やかな世界に身を置きながら、ことさら派手に自分を主張しない彼女の存在感の心地よさが、今回の結婚発表における祝福の声の多さにつながっているのだと思います」  結婚後も今まで通り仕事を続けるという多部。等身大のヒロインとして、年を重ねるたびに魅力も増していきそうだ。(丸山ひろし)
dot. 2019/10/03 17:30
吉沢亮が「当時は嫌で仕方なかった」けど9年間続けて良かったと思うこととは?
吉沢亮が「当時は嫌で仕方なかった」けど9年間続けて良かったと思うこととは?
吉沢亮(よしざわ・りょう)/1994年生まれ、東京都出身。2011年「仮面ライダーフォーゼ」で注目を浴びる。人気漫画「銀魂」(17、18年)や「キングダム」(19年)の実写版映画など話題の作品に多数出演。NHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」での山田天陽役で幅広い層に人気に(撮影/写真部・掛祥葉子、スタイリスト/荒木大輔、ヘアメイク/内山多加子[Commune Ltd., ]、衣装協力:YOKE/STUDIO FABWORK  JOHN MASON SMITH/HEMT PR その他スタイリスト私物) 映画「空の青さを知る人よ」は10月11日(金)、全国東宝系ロードショー。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」の長井龍雪監督最新作。過去と現在をつなぐ、せつなくて不思議な“2度目の初恋”の物語。 (c)2019 SORAAO PROJECT  NHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」での山田天陽役で大人気になった俳優の吉沢亮さん。映画「空の青さを知る人よ」では、声優に初挑戦する。その吉沢さんが、時を超えて会いたい人とは? 小中学生向けニュース月刊誌「ジュニアエラ」10月号でインタビューした。 *  *  *  今回、初めて声優に挑戦しました。しかも31歳の売れないギタリスト・金室慎之介と、13年前の過去から時間を超えてやってきた「18歳の金室」こと“しんの”の2役を演じています。  18歳のしんのは青春真っ盛りで恋にも夢にもまっすぐでキラキラしているんです。僕の高校時代はキラキラしていなかったから、うらやましいなと思いながら演じましたね。  しんのは13年の時を超えてある人にあることを伝えにやってくるんですが、もしも僕が13年の時を超えてどこかに行くなら、小学6年生の僕に会いに行こうかな。勉強はちゃんとしておいたほうがいいよと伝えたい。特に英語と社会は大人になってから必要だぞって!  ちなみに大人になってから、子どものころやっていてよかったと思えるのが剣道。小学校から中学校まで9年間続けました。当時は汗臭くて、嫌で仕方なかったんですが、ちょっとしたことでは驚かない平常心は、剣道から学んだことだと思うんですよね。 【吉沢さん教えて!】 <Q.1> テレビゲームがやめられません(小4・男子)  僕も後悔するまでゲームをやってしまうことが! ときには外で遊んでみるのをおすすめするよ。外で友達と遊ぶのも楽しいぞ!! <Q.2> 3歳上のお兄ちゃんがいつもちょっかいをだしてきて、けんかになります(小4・女子)  僕は男ばかりの4兄弟で、子どものときはしょっちゅうけんかしてたけれど、いまはもうしないよ。きょうだいげんかは子ども時代にしかできないから、いつか懐かしく思えるよ。 ※月刊ジュニアエラ 2019年10月号より
ジュニアエラ朝日新聞出版の本読書
AERA with Kids+ 2019/09/30 17:00
「ほぼ日」でも連載した女子高生イラストレーター 才能開花させた教育方針
「ほぼ日」でも連載した女子高生イラストレーター 才能開花させた教育方針
桜林直子さん(母、右)、あーちん(娘)/最近、メダカを飼うのにハマっているあーちん。「いまの『好きの3強』は、生き物、絵を描くこと、食べ物」(娘)。「子どもと言っても、別の人間。私が何も染めない状態で、この人が何が好きなのか、興味がある」(母)[撮影/工藤隆太郎]  親なら誰しも、子どもの才能を伸ばしたいと思うもの。AERAで活躍する女子高生イラストレーターは早々にその才能を開花させたという。背景には、母親の独自の教育方針があったようだ。AERA 2019年9月30日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  AERA本誌連載「午後3時のしいたけ.相談室」に毎週おやつのイラストを添えてくれているあーちん(17)は、女子高生イラストレーターだ。9歳のときにほぼ日マンガ大賞に入選し、「くまお」をほぼ日で連載。『くまお はじまりの本』『フランスたべきろく』の著書がある。  一体どんな子育てで才能が開花したのか。  あーちんと母親の桜林直子さん(40)に会いに行くと、二人は雰囲気も話し方もゆるふわ系。直子さんには、子どもの才能を開花させようなどというギラギラ感が全くない。例えば、あーちんの絵の才能に行き着いたのは「暇な時間があったから」と直子さんは言う。 「小学校でも周りの友達は、習い事をたくさんしていて、忙しそうだった。この人だけ暇で(笑)、遊ぶ人がいなかったんです。暇なときに何をするかというと、絵を描いてた。逆説的ですけど、暇なときに頼まれなくてもすることが本当に好きなものなんだと思うんです」  絵を描くのが好きとわかってからも、特にああしろこうしろと指示したことはない。その代わり、直子さんがしたことといえば、あーちんと“目線が合いそうな人”を探すこと。 「子どもの頃って、誰に褒められるかが大事。あんまりピンとこない人に褒められても嬉しくない。絵は好きだけど絵画教室に通うとかそういう感じじゃなさそうだなとは感じていました。ほぼ日の賞はまさか通るとは思わなかったけど、サイトをよく見ていたので、この人たちが絵をいいねって言ってくれたら嬉しいだろうなって」  そしてその応募がきっかけとなり、ほぼ日の大人たちとあーちんが出会い、連載、出版、と世界は広がっていった。 「うちの場合は片親なので、私が褒めると、私がいいと言ったものがいいもの、って洗脳みたいになっちゃう。それをすごく危惧してきました。あんまり私のせいにしないで、私の言うことを信じないで、ってよく言ってるんです。私以外のいろんな大人に褒めてもらって、分散させたい」 (編集部・高橋有紀) ※AERA 2019年9月30日号より抜粋
AERA 2019/09/29 17:00
渋野日向子ら「黄金世代」が躍進…若手の台頭が生み出す“悩ましい課題”
dot.sports dot.sports
渋野日向子ら「黄金世代」が躍進…若手の台頭が生み出す“悩ましい課題”
「黄金世代」の中心的存在となった渋野日向子 (c)朝日新聞社  国内女子ツアーは、「黄金世代」の活躍が目覚ましい。AIG全英女子オープンを制し日本人として42年ぶりのメジャー優勝を成し遂げた渋野日向子や、先日の日本女子プロゴルフ選手権で優勝した畑岡奈紗を筆頭に彼女たちの席巻ぶりは目を見張るものがある。  ゴルフにあまり興味がない方々のためにお伝えすると、「黄金世代」とは1998年4月から99年3月生まれのツアーでプレーする女子プロたちを指す言葉だ。渋野は1998年11月15日生まれの20歳、畑岡は1999年1月13日生まれと、この「黄金世代」にドンピシャで、世代を代表するゴルファーと言える。  そもそも「黄金世代」という言葉が出始めるようになったのは2016年後半くらいからだろう。この年の日本女子オープンで、当時高校3年生だった畑岡が史上初のアマチュア優勝を達成。2017年のプロテストでは合格者22名のうち、なんと半数の11名が「黄金世代」で、その中には勝みなみ、新垣比菜、小祝さくら、淺井咲希が含まれる。  2018年になるとサイバーエージェントレディスで新垣が、CAT Ladiesでは大里桃子が初勝利。その後もTOTOジャパンクラシックで畑岡、大王製紙エリエールレディスオープンで勝が優勝し、トップ選手としての存在感を発揮した。そして今季になると、「黄金世代」はさらに躍進。9月22日現在で河本結、原英莉花、小祝、淺井が1勝、勝が2勝、渋野は3勝をすでにマーク。6人が現時点で優勝しており、その勢いは増すばかりだ。  もちろん国内ツアーには賞金女王を争う申ジエやイ・ミニョンの強豪韓国勢や鈴木愛、成田美寿々といった実力者が揃っているし、見事に復活を果たしている上田桃子らベテランも健在だ。しかし「世代」で括ると「黄金世代」は頭一つ、いや二つほど人気と存在感、そして数で抜けていると言える。  彼女たちの存在は、そのままツアーの若返りにも大きな影響を及ぼしている。今季のシード選手50人の平均年齢は26.4歳で、2013年の26.7歳を下回り2001年以降では最少。ベテランがシード落ちしたこともあるが、低年齢化は「黄金世代」が要因の一つになっているのだ。  こうなると気になるのは、「黄金世代」なぜ強いのかということだろう。  プロゴルファーは年齢の差こそあれ、その多くは小学生くらいからゴルフを始めている。そして彼女たちも例外ではない。彼女たちが小学生の頃というと、おおよそ10年前くらいになるが、この時にテレビの画面の向こうで活躍していたのが宮里藍だった。  宮里が東北高校3年生でプロツアー優勝の快挙を成し遂げたのは2003年で、米ツアーを主戦場とし世界ランク1位に輝いたのは2010年。黄金世代が物心ついた時に世間は「藍ちゃんフィーバー」に沸き、彼女たちがひた向きにボールを打っていた頃に宮里は憧れのアスリートとなっていた。彼女たちの目には常に宮里が映っており、宮里が世界で活躍する姿を見て彼女たちは育ってきた。  人気スターが誕生すると、それに続く子供達がたくさん生まれ切磋琢磨し新たなスターが生まれる。こうしてそのスポーツはさらなる発展を遂げるわけだが、今の女子ツアーがそれに当てはまるのではないだろうか。宮里を目指した小さな女子ゴルファーが全国でそのスキルを磨き、良きライバルとしてお互いを高め合う。一人が良い成績を挙げれば「あの子にできるなら、私もできる」と別の子が闘志を燃やす。この好循環が今の「黄金世代」を作り上げているのだろう。  一方で、彼女たちが早く活躍すればするほど、今後の女子ゴルフは女子ゴルファーの次なるステップへの手段となり、早期引退を招く可能性もあるように思う。 「黄金世代」に限らず多くの女子ゴルファーは、ジュニア時代からゴルフに没頭してきたものが多い。20歳前後や20歳台前半で成功を手にすると、そこで満足し、バーンアウトを引き起こしてそれまでのモチベーションを保てなくなってもおかしくはない。これまで女子ゴルフには明確に「引退」という概念はほとんどなく、レベルが落ち試合に出られなくなるなどで、「そう言えば、あの時のプロは何をしているのだろう?」などと“自然消滅”することがほとんどだった。  しかし、「黄金世代」が憧れた宮里は31歳で引退し、賞金女王にも輝いた古閑美保も29歳で「身も心も限界」として現役生活に幕を下ろすなど、女子ゴルファーの身の振り方も変化している。芸能界のアイドルのようだが、第一線で活躍するゴルファーの低年齢化と早熟化は、それだけその選手の限界も早めることにつながることは否定できないだろう。  種目やシステムは異なるが、例えば選手としての平均寿命が2、3年とも言われるサッカーのJリーグは、引退選手へのセカンドキャリアを支援する仕組みがある。試合でプレーできない、できなくなったプロゴルファーは指導者になるケースが多いし、そんなイメージしかないだろう。  しかし、第2の人生の選択肢は多いに越したことはない。宮里や古閑は引退後にメディア出演をしたり、古閑はタレントとして活躍しているが、それはほんの一握りだけができることだ。息の長い選手としてプレーしてもらうことが一番だろうが、ゴルフの世界にも、今後は他スポーツのような選手支援システムが必要になってくるかも知れない。
dot. 2019/09/24 17:00
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

ロシアから見える世界

プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

ロシアから見える世界
カテゴリから探す
ニュース
【訃報】稀代の風刺画家、山藤章二さん死去  「週刊朝日」を後ろから開かせ続けた45年
【訃報】稀代の風刺画家、山藤章二さん死去  「週刊朝日」を後ろから開かせ続けた45年
訃報
dot. 5時間前
教育
〈訃報・山藤章二さん〉山田太一さんと週刊朝日で対談「教えと仕事が別なのは面白いもん」
〈訃報・山藤章二さん〉山田太一さんと週刊朝日で対談「教えと仕事が別なのは面白いもん」
山藤章二
週刊朝日 3時間前
エンタメ
〈ドラマ「夫の家庭を壊すまで」最終回きょう〉「家康」のくのいち役が高評価も「松本まりか」がいまいち女性から支持されないワケ
〈ドラマ「夫の家庭を壊すまで」最終回きょう〉「家康」のくのいち役が高評価も「松本まりか」がいまいち女性から支持されないワケ
松本まりか
dot. 1時間前
スポーツ
【ソフトバンク・日本ハム・ロッテ】ドラフト戦略どうすべきか 1位は誰? 2位以下で“狙いたい”のは
【ソフトバンク・日本ハム・ロッテ】ドラフト戦略どうすべきか 1位は誰? 2位以下で“狙いたい”のは
ドラフト
dot. 4時間前
ヘルス
〈あのときの話題を「再生」〉サラリーマン家庭で医学部に息子2人進学 親子で目指した合格 父「決意を確かめる意味で違う道も提案」
〈あのときの話題を「再生」〉サラリーマン家庭で医学部に息子2人進学 親子で目指した合格 父「決意を確かめる意味で違う道も提案」
医学部に入る2024
dot. 9/26
ビジネス
〈石破ショック〉日経平均株価急落でメンタルを保てるか 新NISAからの投資初心者に「ノールック」のすすめ 桶井道【投資歴25年おけいどん】
〈石破ショック〉日経平均株価急落でメンタルを保てるか 新NISAからの投資初心者に「ノールック」のすすめ 桶井道【投資歴25年おけいどん】
石破ショック
dot. 4時間前