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36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定
36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定
吉沢拓さん  高い知能や、さまざまな領域で特別な才能を有する「ギフテッド」。世間では「天才児」のイメージも少なくない。しかし現実には、さまざまな才能があるがゆえに、周囲との軋轢に悩みながら社会を生きる当事者もいる。吉沢拓さん(36)は小学生時代、算数オリンピックの全国大会に出場し、学校でも前例がないほどの高IQを出した。自由な校風の中高、研究に没頭できる大学時代を経て、社会に出たところ、そこで、会社の上司や同僚との人間関係に絶望するほどの苦難を味わった。その半生を紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> *  *  * ■沈黙の全校集会  学校になじめないギフテッドを取材してきたが、会社ではどのような苦労があるのだろうか。そう考えていた時に、出会ったのが吉沢拓さん(36)だった。  ブログやツイッターで情報発信されている吉沢さんは、壮絶な経験をつづっていた。社会人になってから3度の長期休暇、自殺未遂を経験した。周囲との「ずれ」は、自分ができないからなんだ――。そう絶望した中で、自身がギフテッドであると知ったという。ぜひ会って話を聞きたいと思い、取材を依頼した。  初めて吉沢さんと出会ったのは、クリスマスムードに包まれた2022年12月のことだ。勤務先のIT企業は、東京の高層ビルにある。若者でごった返す道をかき分け、オフィスにたどりついた。  無人の受付機で来館の手続きを済ませると、すぐに吉沢さんが駆け寄ってきてくれた。細身の黒いスーツに身を包み、きれいにセットされたパーマヘア。清潔感あふれる姿からは、都会のビジネスパーソンのにおいがした。 「普段はこんな格好しないんですよ」  はにかみながらそう教えてくれた。  苦難の連続である社会人生活の前に、幼少期の吉沢さんについて、まず聞いてみた。  小学校低学年の時は、折り紙に没頭。大人向けの難しい本を見ながら、80センチ四方の紙から巨大な作品を作り上げた。習い事のピアノではソナタを弾けるものの、耳で聞いたものを再現するやり方で、譜面は読めないままだったという。  そして、小学生の時から、周囲との「ずれ」を感じていたという。算数オリンピックでは全国大会に出場し、出題されたある問題に魅了された。「こんな問題がこんなシンプルな方法で解けた。僕はそれが素晴らしいと思った」と全校集会で報告すると、聞いていた児童たちは黙り込んだ。算数の解き方をうれしそうに力説するものの、その内容は同級生には理解できなかったのかもしれない。 「それが初めて盛大にスベった経験で、すごくよく覚えています」  吉沢さんはそう言って苦笑いする。  小学校で行われたIQテストの結果は、80年の歴史がある小学校の児童でも前例がないほどの高い数値で、母親が学校に呼び出されたという。理解がゆっくりの児童に合わせた授業の進め方が合わず、いつの間にか学校が嫌いになっていた。 「なんとなく、周りとは合わないな、うまくいかないなと思っていました。自分が面白いって思うことを言うと、怪訝な顔をされたこともあります」  そんなことが積み重なり、授業中に教室を飛び出すことが何回もあった。屋上に行って、一人で泣いていたこともある。高学年のころから、学校にはあまり行かなくなったという。  一方で、自分で教材を進める方針の塾ではぐんぐんと吸収していき、10歳で中学の範囲までの勉強を終わらせた。楽しかった塾が居場所となり、模試では全国ランキングに入る点数を取り、表彰された。 ■自由な中高、楽な大学から一転  中学受験で、校則がなく自由な校風の進学校に合格。数学がおもしろくなくなり、勉強に割く時間は徐々に減っていったものの、数学や物理は自然と点数が取れた。日本史や世界史は苦手だったが、成績は学年の中で真ん中くらい。 「中高の時は、周りに賢い子がいっぱいいたので、会話のレベルがずれるというのはありませんでした。でも、クラスや部活ではなじめない。絡んでくる相手に『なんや!』と神経質な態度で接してしまうこともあった」と話す。  だが、自分の「居場所」が他にあった。インターネットで知り合った年上の友人たちのおかげで寂しい思いはしなかった。インターネットでやり方を調べて独学でサイトを作り、ゲームに熱中。多くの時間をインターネットで過ごすようになったのだという。  大学では、情報工学系のコースに進学した。 「授業も自分で選べ、他人に気を使わなくていい。生活が自分で完結していて、授業の単位を取れば文句を言われることもない。自分一人で研究でき、とても楽だった」  自分が興味を持ったシステムをつくることが評価の対象となり、とんとん拍子で卒業した。「社会をのぞいてみたい」と思い、研究職ではなく、就職を選んだ。  社会人生活では、視野の広さを活かした仕事ぶりが評価される一方、従来通りのやり方を踏襲する上司や同僚からは疎まれることもあった。学生時代の話をテンポ良く語ってくれた吉沢さんの表情が、真剣になっていった。 ■上司の「当たり前」が理解できず……  社会人になりたてのころは順調だったという。研修では、チームを組んでシステム開発をする場面があった。システムエンジニアとして入社していた吉沢さんはチームのメンバーを牽引してプログラムを作成。最優秀のリーダーとして、表彰された。  変化があったのは、現場に配属されてから。「配属されると、『半沢直樹』で見た世界が広がっていました。お気に入りとそうでない部下への扱いの差が大きく、『お前本当に使えないな』と言われることもありました」  自分以外の人が怒鳴られる場面も我慢できなかった。上司が大声で誰かの名前を呼び出すたびに吉沢さんも席を外し、トイレに逃げ込んだ。  システムエンジニアといっても、やることは議事録の作成や委託先の管理だった。議事録をつくるにも、上司やチームに「お伺い」を立てないといけない社風だった。上司から言われた通りに委託先へ依頼すると、委託先の人たちが倒れていく。どうすれば委託先の人も作業がしやすいのかを考え、働きやすい環境を提案。すると、委託先からは感謝された。  次第に、社内での調整や人間関係が複雑な社風についていけなくなった。上司が思い描いている通りの行動をしないと怒られ、上司の言う「当たり前」が理解できない。「自分はダメな人間なんだ。頭が悪いからわからないんだ」と考えるようになり、精神科を受診した。「うつ状態」と診断され、薬を飲んでも回復しない。長期休暇をとり、どんどん投薬の量が増えていった。  人事コンサルティングの会社に転職しても、順調とはいかなかった。「前例踏襲」を当たり前とする会社にとって、「前例」にとらわれずにより良い成果を求める吉沢さんの発想は、歓迎されなかったようだ。  より効率の良いシステム管理の方法を委託先と検討していると、不要な作業や発注方法に問題があることがわかった。その問題を解決することで委託先の品質が改善し、信頼係を築いた。本質的な解決に導けたことに手応えを感じていたが、「どっちの味方なんだ。厳しく取引先を管理しろと言っただろう。言われたことをやってない」と上司から怒られた。 ■がんばった時ほど「頭が悪い」  自分のアイデアや課題を解決するための踏み込んだ思考をもとに主体的に動くと、上司や先輩たちの考えと合わなくなり、低評価を受ける。「人の気持ちが理解できない」「思考能力がない」「自分の頭が悪いことを受け入れろ」とののしられることもあり、体調が悪化。休職した。経緯を聞いた重役と他の上司からは「あなたのような人材が会社に必要だ」と言ってもらえた。嬉しい半面、「だったら、なぜ守ってもらえないのか」という悔しさも入り交じった。  上司と吉沢さんの間には、見えている視点や仕事のやり方に大きな違いがあった。吉沢さんには、保身のためにやり方を変えようとしない上司の思考が見て取れた。一方で、上司や周囲の人には、会社やグループ企業全体のことを考えて提案する吉沢さんの考え方は理解できなかったのかもしれない。  吉沢さん自身は、上司や同僚と衝突するたびに悩んだ。「自分は正しいことをしているはずという思いと、自分ができないから悪いんだという葛藤をずっと続けてきた」という。  自分の能力を発揮できたと感じた時ほど「頭が悪い」「使えない」と批判された。既存の方法にとらわれずに効率の良い方法を考えようとすると、受け入れてもらえない。そんな思いがずっと頭をめぐった。  休職した時には、産業医にも相談へ行ったという。すると5分も話さないうちに「あなたはきっと境界性パーソナリティー障害で、人に興味のない人格障害」と言われた。それをかかりつけ医に相談すると、精神科病院への入院を勧められた。その診断に納得できず、外部の心理検査を受診。周囲とのなじめなさの原因は、境界性パーソナリティー障害などではなく、吉沢さんのIQの高さにあると判明した。  仕事場でも、医師からも、自分の人格や能力を否定されることを言われ続け、自分を支えることが難しくなってきた吉沢さん。このころには、趣味の音楽でイベントを開催してなんとか自分を保っていた。計画的に人をまとめて動かすのは得意だったため、手応えも感じていた。多くの人に楽しんでもらえる場を作れることに、喜びを見いだしていた。しかし、心身への負担も大きく、酸素が足りないなか、海面でもがくような感覚だったという。 (年齢は2023年3月時点のものです) ※<【後編】人生に失望した36歳「ギフテッド」男性はなぜ転職先で成果を出せたのか 「社会性が低い」の誤解>に続く ●阿部朋美(あべ・ともみ)1984年生まれ。埼玉県出身。2007年、朝日新聞社に入社。記者として長崎、静岡の両総局を経て、西部報道センター、東京社会部で事件や教育などを取材。連載では「子どもへの性暴力」や、不登校の子どもたちを取材した「学校に行けないコロナ休校の爪痕」などを担当。2022年からマーケティング戦略本部のディレクター。 ●伊藤和行(いとう・かずゆき)1982年生まれ。名古屋市出身。2006年、朝日新聞社に入社。福岡や東京で事件や教育、沖縄で基地や人権の問題を取材してきた。朝日新聞デジタルの連載「『男性を生きづらい』を考える」「基地はなぜ動かないのか 沖縄復帰50年」なども担当した。
ギフテッド書籍朝日新聞出版の本
dot. 2023/06/18 10:00
五月病、六月病にも効く「心の予防注射」とは? うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル【後編】
五月病、六月病にも効く「心の予防注射」とは? うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル【後編】
※写真はイメージです。本文とは関係ありません  4月から新しい環境で生活をスタートさせた人も多いでしょう。新生活に慣れた頃にやってくるのが、五月病。最近では六月病という言葉も使われます。  元陸上自衛隊のメンタル教官で、定年退官後はNPO法人メンタルレスキュー協会理事長を務め、数多くのカウンセリング経験を持ち、新書『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』の著者の下園壮太さん。陸上自衛隊の幹部自衛官だったときに、上司のパワハラでうつとなり地獄を見て、その後、退官して現在は航空業界で働くわびさん。その際の経験を記した著書『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』は、各方面で反響を呼びました。  自衛官の先輩、後輩でもある二人が、本当に役に立つメンタルスキル、バーンアウトしてしまう前に知っておいて欲しい「心の予防注射」について、語りあいました。 ※前編「屈強な自衛官でも、心は壊れる。うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル」よりつづく *  *  *■「我の健在」──まずは自分が生き残ることが大事 下園:自衛隊の幹部候補生は、戦場で自分たちが生き残ることが大事であることを基礎の基礎として必ず学びます。わびさんの著書でも「我の健在」という表現を紹介してますよね。 わび:おっしゃるとおりです。 下園:戦争というと、敵を倒すことだけが目標であるとイメージする人も多いでしょう。しかし、実際は違います。敵を倒すことだけでなく、その戦いで自分たちが消耗しつくさないようにすることも重視するのです。仮に戦闘で負けても、自分たちが生き残っているかぎり、リベンジのチャンスがあるわけです。  わびさんもそれを習ったはずだと思うのですが、「意識高い系」の志がそれを忘れさせてしまったのでしょうね。 わび:仕事をとにかく全力でと思っていて、その後のこと考慮せずに行動をしていました。だからこそ、精神を激しく消耗してしまったのだと思います。  その後、カウンセリングやメンタルヘルス関連の書籍を読むことなどからも「我の健在」の大切さを再確認し、今でも考え方の礎においています。 下園壮太著『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る 下園:人生は長期戦です。なおさら「我の健在」を重視する戦略が必要となるわけです。自分が犠牲になってもいいから、与えられた課題をとにかく完遂する(したくなる)のが日本人のメンタリティですが、それは短期決戦の考え方です。長期戦の場合、過重なミッションを果たした後は、しっかりとリカバリー期間を設けていかなければいけません。 わび:同感です。戦争でも、相手を倒す「決戦」と、一挙に決着をつけずに戦況を維持する「持久戦」を明確に分けています。現在の私はこの考え方を応用し、スケジュールの全体を把握して、「全力を出すべきポイント」と、「手を抜いて心身を休めるポイント」を見極めて仕事をしています。 ■「二正面作戦の否定」と「7~3バランス」 下園:自衛隊で学んだことが役に立っているわけですね。 わび:そうですね。だから、同じ自衛隊出身である下園先生と自分の考え方に共通点が多いように感じています。  例えば、私はベクトルの異なる目標を立てる「二正面作戦」を否定しています。かけ離れた目標は、両者が足を引っ張り合ってしまうからです。また、自分の人生の中で主となるものをしっかりと決めておけば、さらなる選択肢が現われた時にも迷子にならず、重要度が低いほうを切り捨てやすくもなります。  下園先生が提唱する「7~3バランス」がこれに近いなと思ったんです。 下園:そうですね。「7~3バランス」とは、無意識が望む「今の自分」を“0”、意識が望む「新しい自分」を“10”としたときに、“3~7”になるように目標を設定することです。多くの人は、「今の自分」と「なりたい自分」のギャップにイライラしてしまいがちです。分かりやすい例で言うと、ダイエットですね。「なりたい自分」に向けて完璧を目指して10頑張ってしまうと、どこかで無理が来て、リバウンドして「今の自分」に戻る0の状態になってしまいます。  0か10かの極端な方向を目指すのではなく、「3~7」の間に入るバランスの良い目標や、「3~7」の間の行動をしていたらOKと自分を評価する考え方で、わびさんの「二正面作戦の否定」と通じるものがあります。 わび著『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』(ダイヤモンド社)※Amazonで本の詳細を見る ■先を読み過ぎず「今」に集中 わび:私は“今”に集中することも大事にしています。私の悪い癖のひとつとして、先のことを心配したり、過去のことを振り返ってくよくよ後悔したりすることがあります。そうするとメンタルがどんどん疲れていくんですね。  対策として、思考を“今”に戻すようにしています。心配や後悔を断ち切って心に平穏を取り戻せるからです。私の場合は、筋トレや神社やお寺のお参り、ハーゲンダッツを食べることが思考を“今”に戻すスイッチです。 下園:自衛隊でも、そういう考え方はありますよね。戦場では、いつ何が起こるかわかりません。だから、不安に駆られて先の先まで読んでいくと、戦いの前に疲れ切ってしまいます。そこで“読まない”訓練をします。大きな計画ほど、当初だけを詰め、後はざっくりとした案にとどめておくのです。後半部分は、その時になって考えればいい、“今”に集中するというわびさんの考え方に近いですね。 わび:そのとおりですね。 下園:強大な敵が目の前にいるとき、正面から挑むことを自衛隊では「突破」と言います。一方で、正面の敵と戦わず、その後方に回り込み、戦わないで勝利する方法を「迂回」と言います。戦術セオリーとしては後者が圧倒的に有効とされているんです。  わびさんも、自衛隊生活では「突破」を繰り返して消耗してうつになってしまいましたが、その過程で得られた考え方も多いと思います。その結果、目の前の自衛隊という課題から離れることになったのですが、これは迂回しているものと考えることができます。戦術のセオリー通り、最も有効なルートを進み始めているのです。今、わびさんは重要な目標に向かって邁進しているなとお見受けしました。 わび:ありがとうございます。おかげさまで、現在携わっている仕事は大変なのですが、消耗せずに取り組むことができています。もし、これを読んでいる方のなかで心が弱っている方がいたら、「我の健在」を意識して、仕事への向き合い方を見直してみてはどうでしょうか。  そして疲れたときは、下園先生が仰る「おうち入院」も実践しています。病院に入院したつもりで、例えば週末の2日間、とにかくごろごろと寝るようにする。家族の理解が欠かせませんが、これでもかなり回復します。 【図版】ライフイベントのストレス ■「心の予防注射」──知っていることは力になる 下園:わびさんがやっているような、戦略的に仕事を見て、いつ「休める」かを先に考えておくのも大事ですし、疲れたときは「おうち入院」も有効です。ライフイベントのストレス表を見て、仕事だけでなく、家族関係で色々あったときは、自分がいつもより疲れていると知っておくことも大事です。 わび:人は仕事をしているだけでなく、家庭生活も含めて、トータルで生きているわけですから、全体を見て、自分の疲れ具合を確認しておくことも大事なんですね(ライフイベントのストレス表参照 ※外部配信先では図版などの画像が全部閲覧できない場合があります。図版をご覧になりたい方は、AERA dot.でご覧ください)。 下園:うつの一番わかりやすい兆候は、眠れなくなる、食べられなくなることです。この二つが出てきたら、迷うことなく精神科医やカウンセラーなどの専門家に速やかに相談してください。 わび:私もうつになったときは、まさしくその状況でした。 下園:自衛隊の災害派遣のときに、私が隊員に教えているのもそのことなんです。災害派遣では多くのご遺体に接したり、非常につらい現実を目の当たりにします。そうしますと、誰でもご飯が食べられなくなったり、眠れなくなったりします。それは当然の反応ですし、やがて時が経てば、それも収まってきます。  ところが、そのことを知らない隊員は、「こんなことで食べられくなったり、眠れなくなったりするなんて、自分はなんて弱い人間なんだ」「とても、こんなことは人には言えない」と思い、挙げ句には「こんな自分では自衛隊は務まらない」とまで思い詰めてしまう。  だから事前に、その反応は当たり前で、誰もがなることなんだよ、と伝えておきます。私はそれを「心の予防注射」と言っていますが、知っていることで救われることはたくさんあるんです。 わび:「心の予防注射」に私も深く共感いたします。私もうつというつらい経験をして、それを乗り超えた今だからこそ、もっと早く知っておいたほうが良かった、と思うことがたくさんあります。  つらいときは、逃げてもいいし、うつでつらい思いをする人がもっと減って欲しいと思い、『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』(ダイヤモンド社)という本も出版しました。  下園先生の『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』(朝日新書)も「心の予防注射」として多くの人に読んで欲しいと思います。 下園:知っていることは力になりますからね。人間は誰でも疲労するし、疲れ切るとまともな判断もできなくなる。そのことを多くの人が知って、適切に休みを取りながら、それぞれの人生を楽しんで欲しいと心から願います。 (構成/星政明) 下園壮太さん 下園壮太(しもぞの・そうた)1959年、鹿児島県生まれ。NPO法人メンタルレスキュー協会理事長。元・陸上自衛隊衛生学校心理教官。1982年、防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊入隊。筑波大学で心理学を学び、1999年に陸上自衛隊初の心理幹部として、多くの自衛隊員のメンタルヘルス教育、リーダーシップ育成、カウンセリングを手がける。2015年に退官し、講演や研修を通して、独自のカウンセリング技術の普及に努める。惨事ストレスに対応するMR(メンタル・レスキュー)インストラクターでもある。主な著書に『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』『自衛隊メンタル教官が教えるイライラ・怒りをとる技術』(以上、朝日新書)など多数。 わび航空業界で働く危機管理屋。某国立大学卒業後、陸上自衛隊幹部候補生学校に入隊。高射特科大隊で小隊長、その後、師団司令部や方面総監部で勤務。入隊後10年間は順風満帆だったが、早朝から深夜までの激務と上司によるパワハラが重なり、メンタルダウン。第一線からの異動を経て、「出世ばかりが人生ではない」「人に認められるためではなく、もっと楽しく生きたい」と思い、市役所に転職。激務だった自衛隊時代に比べると天国のような場所だったが、自らの成長の機会を得るため、転職後1年半で航空業界にキャリアチェンジ。給料は市役所時代の倍に跳ね上がった。自衛隊などの社会人経験で身につけたメンタルコントロール術、仕事や人間関係に対する向き合い方などを中心にツイッターで発信を開始。普通の会社員にもかかわらず、開始して2年で8万人フォロワー突破。ツイートはネットニュースにも取り上げられ、人気を博している。著書に『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』(ダイヤモンド社)。
うつわびメンタルダウン下園壮太書籍朝日新聞出版の本自衛隊メンタル教官読書
dot. 2023/06/06 16:00
人生の激しい浮き沈みを経て「救い」の文化の先頭に立つ 表現者・高知東生
人生の激しい浮き沈みを経て「救い」の文化の先頭に立つ 表現者・高知東生
壮絶な生い立ちも力に変え、依存症のリカバリーカルチャーを牽引。小説、映画、音楽と新境地をひらく(撮影/東川哲也)  2016年、高知東生は大麻と覚醒剤の所持で逮捕された。人生が一変した。保釈後にどう生きていけばいいのか。煩悶する中で、カウンセリングに通い、依存症の回復プログラムを受ける。その過程で初めて、抱えていた苛烈な人生を話せた。今、表現者として、生きづらい人たちの支えになりたいと思う。そのことがまた、高知を救ってもいる。 *  *  *  誰でも心に「闇」を抱えている。言うに言われぬ怒りや悲しみ、孤独……。出生の秘密に苦しむ人もいる。芸能界で成功した高知東生(たかちのぼる・58)が自らの闇に向き合ったのは2016年6月、大麻と覚醒剤の所持で逮捕されたのがきっかけだった。 「動くな!」と大勢のマトリ(厚生労働省の麻薬取締官)が現場のラブホテルに踏み込み、「終わった」と高知は観念した。初めて薬物に接したのは故郷の高知県から上京して間もない20歳のころだった。羽振りのいい経営者に勧められて薬を使った。その後、俳優業で忙しい間は遠のくが、副業のエステサロンの経営で心労がたまるにつれ、愛人とともに手を出す。もうやめよう、次こそは、と切迫しながらズルズルと使用したのだった。  高知の身柄は東京湾岸警察署の窓のない独房に移され、35日間も勾留される。 「自分の愚かさ、後悔と罪悪感で胸が張り裂けそうでした。弁護士さんが面会のたびにスポーツ紙を持参して、外は大騒ぎです、叩(たた)かれまくってますよ、とおっしゃる。悪気はないのでしょうが、とても苦しくて……。別の弁護士さんに代わっていただき、元妻(俳優・高島礼子)に離婚届にサインをして送りました。もう迷惑をかけられません。自分なりのけじめでした」と高知は語る。  保釈後、裁判が結審し、「懲役2年・執行猶予4年」の判決が下った。「猶予期間が終わるまでは一般社会にいても刑務所にいるのと同じ。ふつうに暮らしちゃいけない。謹慎しなくては」と東京都狛江市の古びた寮の一室にこもる。そこは友人が宛(あて)がってくれた隠れ家だった。世間の記憶が薄れるまで身を隠そう、とびくびくオドオド娑婆(しゃば)への第一歩をしるす。そのまま日陰者の生活を送っていたら、はたしてどうなっていただろう。 ■何をして生きていくのか 保釈後に極度の人間不信に  国は社会防衛のために薬物使用を厳しく罰する。が、しかし、薬物で過ちを犯した人の再起には「更生」だけでなく、もう一つ重要な対応が求められる。それは「依存症からの回復」である。高知は薬物依存症だとは自覚していなかった。 撮影/東川哲也  あれから7年……、高知は変貌した。いまや依存症予防教育アドバイザーとして啓発セミナーや講演に飛び回る。自伝的小説『土竜(もぐら)』(光文社)を執筆し、映画出演、歌の作詞やデュエットとジャンルを超えて活動する。「リカバリー(回復)カルチャー」の旗手に躍り出た。「心の防弾チョッキを脱いで、ありのまま素直に生きるのが心地いい。出会える人たちが新鮮で、毎日が楽しいんです」と穏やかな笑みを浮かべる。  いかにして高知は自己変革を遂げたのか。内なる闇との激しい葛藤をくぐって、どう新境地に行き着いたのか。その心の旅路をたどってみたい。  保釈から数日後、サングラスにマスク、カツラを被った高知は、東京都小平市の国立精神・神経医療研究センターの門をくぐった。留置場でマトリに紹介された精神科医に会うためだ。緑豊かな敷地の低層の白い建物に入っていった。  センターの精神保健研究所薬物依存研究部長・松本俊彦が現れる。長身で細身のジャケットを着こなし、口髭(ひげ)をたくわえた松本はとても医師には見えなかった。松本は「大変でしたね」といたわり、こう話しかけた。 「高知さん、あなたは薬物依存症という病気です。ご自分の意志では薬物の使用をコントロールできなくなってしまう障害を抱えています。治療をして、回復をめざしましょう」 「えっ、病気? いえいえ、先生、僕は病気じゃない。運が悪かったんです」。とっさに高知は抗(あらが)う。病気を認めたら入院させられてしまうと怯(おび)えた。留置場の苦しさが頭をかすめる。その後も定期的に松本と会ってカウンセリングを受けたが、なかなか病気を認めようとはしなかった。  保釈後の1年間はエステサロン4店舗の整理に忙殺された。顧客に頭を下げ、スタッフに詫(わ)びて彼らの再就職先を探す。ようやく残務処理が終わると、胸にぽっかり穴が開き、地獄の苦悩にとりつかれた。何をして生きていけばいいのか、全然わからない。手がかりゼロなのだ。狛江の寮を出て横浜の中古マンションに移ったが、暮らしが立たない。愛車のベンツや、高級時計を次々と売り払う。メディアは「極秘復縁か」「離婚したはずなのに……」と元妻との関係が続いているかのように書き立てる。怒りがこみ上げた。親身になって励ましてくれた人物には「人生変わるから、この金のカエル買わないか」と売りつけられる。ネットワークビジネスに新興宗教、四方八方から手が伸びてきて、極度の人間不信に陥った。4年の執行猶予が明けるまで、こんな生活が続くのか。絶望感に苛まれ、「死のう」と思いつめた。 競輪の聖地、東京オーヴァル京王閣で催された「ギャンブル依存症トークショー」に登壇し、軽妙な語りで依存症を啓発(右は田中紀子)。近くにブースを開き、来場者のアンケートも(撮影/東川哲也)  そうしたなか、突然、マトリから携帯に「ちゃんとやっていますか」と連絡が入り、ぎょっとした。いくら捜査機関とはいえ、なぜ携帯番号を……。憤りが募り、心理的変化が生じる。とにかく薬物を止(や)めている事実を公にしなくてはいけない。「受診のたびに毎回、尿検査をしてください。証拠を積み重ねたいんです」と松本に申し出た。 ■幼いときから両親はなく祖母と伯父家族と育つ  依存症と向き合う素地が整った。殻に閉じこもるだけでは、この病気は癒やせない。外界とのつながり方に左右される。18年4月、世間の流言に対抗し、逮捕後中断していたツイッターを再開した。日記風に出来事を呟(つぶや)いて薬物と縁を切ったようすを伝えたい。いわば存在証明としてのツイートである。それに田中紀子(公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会代表)が反応した。  田中はギャンブル依存症の当事者で、回復した経験を持つ。日本では数少ない、依存症への介入(インタベンション)の専門家だ。ダイレクトメッセージで連絡を取り、19年2月、横浜のレストランでふたりは初めて顔を合わせる。途中で喫茶店に場所を変え、7時間ぶっ通しで喋りまくった。 「初対面で田中さんはすべてさらけ出してくれた。依存症で、育った環境も複雑で、と。そんな人、いままでいなかった。苦しさを分かち合ってくれて嬉しかったんです」と高知は言う。  田中は、幼少期にギャンブルで借金を重ねた父と母が離婚し、母子家庭で育った。母方の祖父もパチンコに入れあげ、暮らしは楽ではなかった。「親への恨みと感謝、アンビバレンツ(二律背反)な気もちがわたしは強かった。いきがって、成り上がってやると突っ走った。そこが高知さんと似ていて、年も同じ。松本先生と連携して、もう一度、高知さんが外に出られる役割を見つけよう、とサポートを始めました」と田中はふり返る。  高知は田中を対話相手に、12ステップ・プログラムに挑んだ。これは、1930年代に米国で創設されたAA(アルコホーリクス・アノニマス:匿名のアルコール依存症者たち)という自助グループが回復のために示したガイドラインだ。キリスト教の告解に似ている。まず自分がアルコールに対して無力で、思い通りに生きられなくなったと認めるところから自己解体にとりかかる。アルコールを薬物に置き換え、同じステップを踏む。  高知にとって、12ステップの苦行は避けては通れない道だった。とくにステップ4、「恐れずに徹底して自分自身の棚卸しを行い、それを表にする」ことは卒倒しそうなほどつらかった。来し方をすべて吐露しなくてはならないからだ。  ずばり弱点を突いてくる田中に「もうやっていられない。なんでそこまで言われなくちゃならないんだ」と何度もキレかかった。精神科医の松本は12ステップについて、こう説く。 「病院では依存症の症状や問題行動を修正します。でも生き方や、信念を変えるには医療とは別の精神的な領域がかかわってくる。12ステップは、その行動指針を得る手段です。これまで語れなかったことを人前で語るのは自分のなかの壁を突破し、新しい領域に踏み出す体験だろうと思います」  長い月日をかけ、帯状疱疹(たいじょうほうしん)2度、眩暈(めまい)症を3度発症しながら12ステップをやり通す。そこから立ち現れたのは苛烈(かれつ)な半生だった。  高知は本名を大崎丈二という。物心ついたときには祖母と伯父家族と高知市街の家で暮らしていた。両親がいない理由を祖母に聞くと、「死んだじいちゃんが鏡川に釣りに行って、赤ん坊のあんたが箱に入れられて流れていたのを拾ってきた」と告げられる。戦死した祖父が丈二の生まれた時代にいるはずもないが……。たいてい祖母と2人で、伯父一家の余りものを食べた。たまに「笑わせてくれたら食べさせてやるよ」と伯父にからかわれ、必死でモノマネをしてご馳走にありつく。  小学校5年に上がり、祖母から「この人がほんとうのお母さんや」と教えられ、実母とマンションで暮らし始めた。着物姿の母との生活は暗闇を手探りで進むような不安と緊張の連続だった。母と外に出れば、若い衆が付き従い、母を「姐(あね)さん」、丈二を「ぼん」と呼ぶ。ときどき母は連絡もないまま家をあけ、学校の行事にも顔を出さない。  ある日、「丈二のお父さんよ」と引き合わされた男性は、土佐で有名な侠客(きょうかく)だった。母はその人の愛人だと知る。組どうしの出入りで母が背中を斬りつけられる場面にも遭遇した。 ■息子と会った2時間後に母は自ら命を絶った  中高一貫校で全寮制の明徳(現・明徳義塾)に進み、野球部に入る。高2の3学期、野球部の保護者会の炊き出しに珍しく母がジャージ姿で参加した。エプロンをかけて立ち働く姿に嬉しさがこみ上げる。高3の夏、野球部を引退して間もなく、母が車で寮に訪ねてきた。そこで母と共有した時空は……、太い鉄鎖のように心を縛り続けた。 「俺が17歳の時に母親は自殺した。その日、寮生活をしていた俺に突然会いに来て『進路を今決めろ』と言い、別れ際に『ねぇ、私綺麗かな?』と聞いてきた。『実の息子に何言ってんや! 気色悪い。もう門限だから行くぞ』と言って車から降りると、母親は泣きながら笑っていた。それが最後の会話になった」と2020年7月19日、若い俳優が自死した直後に高知はツイートしている。少し補足しておこう。  進路を聞かれた丈二が父親の跡を継ぐとほのめかすと母は「任侠(にんきょう)の世界だけは絶対にいかん」と言い切った。じゃあ大学に行かずに職に就くと伝えたら、安堵(あんど)して車を発進させた。それから2時間後、母はトンネルの入り口に激突して命を絶つ。かけていた生命保険が失効する2日前だった。 「その日から俺は『なんであの時<綺麗やぞ、お袋>と言ってやらなかったのか?』『言ってたら死ななかったのか?』と苦しむことになった。喪失感、怒りや悲しみ、様々な感情をどう吐き出していいかわからず、俺はどんどん荒れていき喧嘩(けんか)ばかりするようになった。今も最後の一言への後悔は消えていない」とツイートは続く。  母の死後、父と教えられた侠客と血のつながりはなく、実父は徳島の任侠の世界で生きていると知る。丈二の煩悶(はんもん)はさらに深まった。 (文中敬称略) (文・山岡淳一郎) ※記事の続きはAERA 2023年5月22日号でご覧いただけます
現代の肖像
AERA 2023/05/19 18:00
病と貧困に対する「自己責任論」の怖さ 『妻はサバイバー』著者と精神科医・松本俊彦氏が語る、偏見と差別の内面化がもたらす負の連鎖
病と貧困に対する「自己責任論」の怖さ 『妻はサバイバー』著者と精神科医・松本俊彦氏が語る、偏見と差別の内面化がもたらす負の連鎖
オンラインイベントにのぞむ、(右から)永田豊隆記者、松本俊彦さん、司会の松尾由紀・朝日新聞ネットワーク報道本部次長=2023年3月21日、東京都中央区、塚本和人撮影  摂食障害やアルコール依存症で闘病する妻の姿を記録した、朝日新聞記者・永田豊隆さんによる渾身のルポ『妻はサバイバー』。2022年4月の発売後、多くの反響が寄せられました。今年3月下旬には、この本が問いかけるものを専門家の視点も交えて考えたいと、朝日新聞のオンラインイベント「記者サロン~『妻はサバイバー』の記者、精神科医・松本俊彦さんと語る」を開催。松本さんから宿題をもらった思いだと明かしたイベントの様子を、著者の永田さんにご寄稿いただきました。 *  *  * 始まりは結婚4年目、2002年に妻の摂食障害が明らかになったことでした。過食嘔吐や自傷行為、大量飲酒がやまず、精神科病院に入退院を繰り返し、アルコール性認知症になるまでの約20年間を描きました。  妻のサポートと記者の仕事のはざまで救いになったのが精神科医・松本俊彦さんの本でした。『薬物依存症』(ちくま新書)など一連の著作には回復に向けたヒントがあるだけでなく、専門である薬物依存症や自傷行為への偏見を事実によって反証する力強さを感じました。  その姿勢に共感して、「妻はサバイバー」を書く際はオンラインで取材にご協力をお願いしました。記者サロンが企画された際には、ゲストとして真っ先に松本さんが浮かびました。  収録当日、リアルで初めて対面。精神科医療のあり方、トラウマと回復、人とのつながりと孤立などについて、松本さんは豊富な臨床経験をもとに解説してくれました。  とくに力がこもったのが、精神疾患に向けられる偏見や差別に話がおよんだときでした。  精神疾患による苦しみは症状だけにとどまりません。偏見がつきまとい、当事者も家族も差別にさらされます。私も妻の救命治療を拒否されたり、人混みの中で嫌悪感に満ちた視線を浴びたり、「甘やかすからだ」と見当違いの説教をされたりしてきました。  人種やジェンダーをめぐってよく指摘されるように、現実からかけ離れたステレオタイプは偏見や差別を強化します。依存症患者に対する「意志が弱い」「人格破綻者」「快楽におぼれている」といったイメージはその類いです。違法性の問題もある薬物依存症はとりわけ強い偏見の目で見られがちです。 収録後に記念撮影する(左から)永田豊隆記者、松本俊彦さん、司会の松尾由紀・朝日新聞ネットワーク報道本部次長=2023年3月21日、東京都中央区、塚本和人撮影  松本さんは「自己治療仮説」という米国発祥の理論を紹介して、くぎを刺しました。  自己治療仮説は、依存症の本質が快楽ではなく苦痛にあると考えます。松本さんは「快感がご褒美となるのではなくて、その行動をとると苦痛がやわらぎ、『やめられないとまらない』状態になる」と解説しました。  裏付ける統計もあります。一例をあげると、幼少期の過酷な体験(小児期逆境体験)の影響に関する米国での調査(1998年)では、複合的な体験者は一般の人と比べてアルコール依存7.4倍、薬物注射10.3倍などリスクが上がります。根底にある苦痛を示す結果といえるでしょう。  こうした側面を知れば、人格や意志の問題にしてしまうことが偏見そのものだとわかります。ところが残念ながら、今でも「本人が痛い目にあわなきゃ治らない」などと考える人が医療や福祉の現場にすらいます。  こうした偏見は当事者に深刻なダメージを与えます。松本さんは「(社会の偏見は)セルフスティグマ、つまり自分たちに対する偏見をもたらす」と指摘しました。  スティグマは「烙印」と訳されます。差別や偏見で社会的にマイナスの意味づけをされることです。「セルフスティグマ」は当事者がスティグマを内面化して、自分の価値を低く考えてしまうことをさします。  松本さんによると、それは「『どうせ俺なんか』『こんなクズな俺はお医者さんに診てもらう価値がない』となって、助けを求めた方がいい局面で助けを求めなくなる」という結果をもたらします。  依存症は「否認の病」といわれます。病気だと認めない。病院に行きたがらない。入院したがらない。その間、本人だけでなく家族も苦しい思いを強いられます。  この否認についても、松本さんは「一般に否認とか治療抵抗といわれるものも、実は偏見を内面化したものでできあがっている」と解説します。  こうして社会の偏見はセルフスティグマとなって当事者を支援から遠ざけます。やっと支援につながったときには心身ともに重症化しているうえ、それまでの過程で家族との関係が険悪になったり、仕事を失ったりして、生活環境が悪化しています。当然、治療はより困難になるでしょう。 永田豊隆著『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)※Amazonで本の詳細を見る  それでも支援につながった人は希望を持てます。しかし、実際にはそうなる前に命を落とす人も多いはずです。  セルフスティグマの話を聞いて、私は既視感をおぼえました。  2000年代半ば以降、私は貧困問題の取材を続けてきました。段ボールの寝床で野宿生活者が語る半生に耳を傾け、母子世帯のアパートでギリギリの暮らしぶりを見聞し、炊き出しに並ぶ若い世代に派遣切り体験を聞きました。  社会的な背景と関係なしに貧困に陥った人などいません。労働者派遣法などの規制緩和、雇用保険や年金など社会的安全網の不備、高額な教育費・住宅費といったこの国の課題が、どの当事者の状況からも浮かんできました。  一方で、ネット上であがる記事への反応は違いました。 「努力が足りない」「頑張れば何とかなるはずだ」「若いのに生活保護なんて甘えてる」。貧困が自己責任であるという前提に立ち、生活保護制度の利用をあたかも恥や罪のようにさげすみ、本人の自助努力を促す内容が大半です。  そして、取材した当事者の多くは、こうした自己責任論を内面化しているようにみえました。 「働いて何とかしなければ」「生活保護だけは嫌だ」。水光熱費を滞納しても、治療代を払えなくなっても、住まいを失っても、生活保護制度の利用をかたくなに避けて過剰とも思える「自助努力」を重ねる。そんな人に多く出会ってきました。  こうして貧困問題においても、社会の偏見に端を発するセルフスティグマが当事者を支援から遠ざけます。やっと支援につながったときには、ネットカフェ生活や野宿で心身とも疲弊したり、多重債務に陥ったり、受診を手控えて持病を悪化させたりして、暮らしの立て直しはいっそう難しくなっているのです。  依存症も貧困問題も、実は一部の人しか支援にたどりついていない点でも共通しています。例えばアルコール依存症の推計患者54万人(2018年・厚生労働省研究班調査)のうち医療機関にかかっているのは約10万人にすぎません。生活保護基準以下の貧困層のうち実際に生活保護制度を利用している割合は、厚生労働省の統計から2~4割程度とみられています。  助けを必要としている人の大半がその入り口にたどり着けずにいる。その原因の一端は、社会が当事者に向ける偏見や差別の目にあると私は思います。 「この状況を変えたいが、容易ではない」。回復の希望を教えない学校での薬物乱用防止教育の問題点にもふれて、松本さんは難しさを打ち明けます。  セルフスティグマを当事者の責に帰すことはできません。変わるべきは当事者ではなく、当事者を追い詰めている社会の側です。  誰もが「助けて」と言える社会にするには、社会にある偏見を地道になくしていくしかありません。それはジャーナリズムの重要な役割の一つです。私は宿題をもらった思いで収録のスタジオを後にしました。 ※記者サロン「『妻はサバイバー』の記者、精神科医・松本俊彦さんと語る」は5月31日(水)まで配信中(申込締切5月31日20時)。申込はこちらより https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11010392
妻はサバイバー書籍朝日新聞出版の本永田豊隆病気読書
dot. 2023/05/12 17:00
元「かわいすぎるものまね芸人」おかもとまり “モテ”を前面に出す異色のシングルマザーで再び表舞台に
雛里美和 雛里美和
元「かわいすぎるものまね芸人」おかもとまり “モテ”を前面に出す異色のシングルマザーで再び表舞台に
おかもとまり  元ものまね芸人のおかもとまり(33)が、久々に公の場に出てきて話題となっている。2010年代に広末涼子のものまねで一世を風靡したおかもとだが、近年はメディアで見かける機会は激減していた。だが、2月9日に配信されたABEMAのバラエティー番組「ヒロミ・指原の“恋のお世話始めました”」に出演し、そのモテっぷりを見せつけたのだ。 「この番組は芸能人が合コンをする恋愛バラエティーですが、久々におかもとさんのタレントらしい露出となりました。女性参加者最年長で、『7歳の子を持つシングルマザー』として登場。『かわいいイメージだったけど大人っぽくなった』『めちゃくちゃきれい』と、男性陣のハートをわしづかみにし、元“かわいすぎるものまね芸人”の底力を見せつけました。芸人としての後輩にあたる22年のM-1ファイナリスト・カベポスターの永見大吾さんや元プロサッカー選手などから熱烈なアプローチを受ける驚異のモテっぷりでした」(テレビ情報誌の編集者)  もともと10代の頃にはアイドルとしてデビューしたおかもと。その後はアイドル活動に限界を感じ、憧れていた太田光代(現・タイタン社長)の所属事務所だった太田プロの門をたたいて芸人として再始動。「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)で披露した広末涼子のものまねで大ブレークし「奥さんにしたいお笑い芸人総選挙」でトップに輝いたこともある。  しかし、ブレークしていくにつれて本人は悩みが深くなっていったようだ。 「新ネタをつくったり、バラエティ番組でお話したりすることが苦しくなっていた。(中略)芸人さんの仕事が、本来やりたいことのネックになっているんじゃないかと」(「日刊SPA!」20年12月1日配信)  もともとクリエイター志向の強かったおかもとにとって、「かわいすぎるものまね芸人」という枠にはめられ、ときにグラビアアイドルのような振る舞いを求められる日々は、息苦しさを感じるものだったのだろう。プライベートでは結婚、出産を経験するが、そこでも別の悩みを抱えてしまう。 「15年に音楽プロデューサーとの結婚・妊娠を発表し、翌年には事務所を退社しました。独立後は、クリエーターとしての活動を開始しコラムサイトを立ち上げるなど、精力的に活動していました。一方で、私生活ではかなり追い詰められていたようで、SNSやブログで夫は軽い発達障害の傾向があると告白したり、待機児童問題の悩みを吐露したりするなど、主に家庭絡みの発言で炎上騒ぎを起こすこともありました。18年、精神的に限界を迎えたおかもとさんは死を考え、離婚届を置いて家を出たと語っています。これが原因で精神科病院へ措置入院することになるのですが、3カ月の入院期間は自分を見直す契機にもなったそうで、離婚、退院後は動画クリエーターとして活躍するようになりました」(同) ■辻ちゃんには勝てないと自己分析  入院中に原案を担当した映画「青の帰り道」(18年)や、原案・企画を担当したYouTubeアニメ「ウシガエルは、もうカエル。」(20年)などの映像作品が公開され、自身のYouTubeチャンネルも精力的に更新し続けるおかもと。現在は本来やりたかったことを着実に実現しているようだ。さらに今春から、ブログを約3年ぶりに再開させた。 「おかもとさんのインスタやブログでは、メイクやファッション、仕事の話に加えて息子との日々、恋愛への興味などをざっくばらんに“ありのままの自分”として披露し、いわゆる『すてきなママタレ』とは一線を画しています。食事やお弁当もスーパーの総菜や冷凍食品だけでなく、切っただけ、ゆでただけの野菜などもあって、本当にリアルです。とくにモテへの興味を隠さない部分は、世の中のシングルマザーにとってはある種の“救い”になっていると思います。これまで、芸能人のシングルマザーの恋愛は語られにくい部分がありましたが、彼女にはそれを壊していってほしいですね」(女性誌ライター)  本人は最近、インタビューで「ママタレは自分には絶対にムリ(中略)なぜって、辻希美さんに勝てる要素が1つもない(笑)」(「ENTAME next」23年4月8日配信)と分析しているが、自身を冷静に見られるのも強みだろう。今春、白百合女子大に入学したバツ2シンママの小倉優子や、今やご意見番に転身した鈴木紗理奈など、個性派が居並ぶ芸能人シンママ界にあって、台風の目となるかもしれない。  芸能評論家の三杉武氏はおかもとについてこう述べる。 「もともと幅広く知名度がある一方、露出を減らしていた時期があったことで“レア感”が増している感じがします。ものまね芸人時代はキュートなルックスで男性人気は抜群でしたが、女性ウケも悪くなかったように思います。私生活で紆余(うよ)曲折があったようですが、苦労した時期を経験しながらも、シングルマザーとして前向きに生きようとしている姿勢は好意的に見られるでしょう。また、若い頃から変わらぬ美貌でも話題になっているので、今後、バラエティー番組などで重宝されるのではないでしょうか」  おかもとが「モテ」という新しい形のシンママ像をつくるかもしれない。 (雛里美和)
おかもとまり
dot. 2023/04/25 11:00
拒食症・過食症の相談者「悩んでいるのに『問題ない』と言われた」 医師の態度に疑問の声
拒食症・過食症の相談者「悩んでいるのに『問題ない』と言われた」 医師の態度に疑問の声
※写真はイメージです(写真/Getty Images) 摂食障害(拒食症・過食症)は10~30代の女性に多く、医療機関を受診する患者は年間約22万人。しかし専門的な治療を受けられる医療機関が少ない上に、情報も乏しく、未受診の潜在的な患者や予備群はその何倍もいると考えられている。国立国際医療研究センター国府台病院(千葉県市川市)は早期治療につなげるため、全国の患者や家族の相談に応じる「摂食障害全国支援センター:相談ほっとライン」を2022年1月に開設した。寄せられた相談を解析したところ、6割は医療機関に受診経験があり、治療がスムーズに進んでいなかったり、通院をやめてしまったりするケースが多いことがわかってきた。同院心療内科診療科長の河合啓介医師に話を聞いた。 *  *  *  ほっとラインに寄せられた相談は、開設時(2022年1月11日)から23年1月末までの約1年間で856件。分析は2022年10月末までの数字で未受診患者は22%だったのに対し、受診経験がある人は「受診中(41%)」と「中断(16%)」を合わせると57%にのぼり、それ以外にも19%がうつや依存症など他の精神疾患で通院中だった。 ほっとライン開始(2022年1月11日)から10月末日までに寄せられた667件の相談のうち、22%は医療機関を未受診。受診経験がある人は「受診中(41%)」と「中断(16%)」を合わせると57%にのぼり、それ以外にも19%がうつや依存症など他の精神疾患で通院中だった(河合医師提供)  河合医師はこう話す。 「未受診者が多いと思っていたので、この結果は予想外でした。さらに相談内容から、病院とつながっていながら治療がうまく進んでいない状況や、『医師や病院の対応に十分納得できていない』と話す患者さんやご家族がいらっしゃることも明らかになりました」 ■医師の言葉がきっかけで、通院を中断してしまうケースも  寄せられた相談で多かったのが、医師の言葉や態度に疑問を持ったというもの。 「自分が治る気にならなければ一生治らないと言われた」「過食嘔吐で悩んでいるのに、『普通体重だから問題ない』と言われた」「体重が増えないなら、鼻からチューブで栄養を入れることになるよと、脅すような言い方をされた」など、受け取り方はさまざまだ。  また、「診察時間が短すぎる」「話をちゃんと聞いてくれない」「入院を勧められているが、娘(患者)は嫌がる。転院したい」「ずっと通院しているが良くならない。治療が間違っているのではないか」といった治療に関するものも多かった。 国立国際医療研究センター国府台病院心療内科診療科長の河合啓介医師 「顔が見えない電話相談ならではの率直な心の奥底からにじみ出るような訴えもあり、医療側の対応がきっかけで通院をやめてしまったという人も、少なくありませんでした」(河合医師) ■「食べれば治る」「食べなさい」では解決しない病気  患者が医師や治療に疑問を持つ背景には、この病気ならではの「治療の難しさ」がある。摂食障害はダイエットをきっかけに始まることが多いが、単にやせたいだけの病気ではない。心の不調がからだの症状に大きく影響を与える「心身症」の一つで、からだと心の両面から治療が必要だ。河合医師は言う。 「たとえば患者さんが医師から言われてとまどった言葉の中に、『食べれば治る病気』とか『もっと食べなさい』というものがあります。ほっとラインの電話口で、『言われて食べられるくらいだったら食べています』と悲しそうに語る人もいました。からだを心配して治療する内科系の医師にしてみれば正論なのですが、患者さんは理屈ではわかっていても太りたくない気持ちが強くて食べられない。それがこの病気の特徴で、点滴で栄養を入れればすべて解決するわけではないから、患者さんはどうしていいかわからず困っているんですよね。ここの部分を患者さんと話し合いながら、時間をかけて解決の糸口を探すのが、治療の第一歩です。とはいえ、現行の保険診療では患者さん一人にかけられる診察時間が限られてしまうのも事実です。診療報酬制度については、国とも交渉を続けています」 ■摂食障害を専門的に診療できる医師はごくわずか  摂食障害は、心身症を扱う「心療内科」の得意分野だ。しかし日本心身医学会と日本心療内科学会が認める合同認定制度の専門医は279人のみ(22年2月1日現在)。専門医がいる医療機関も偏っていて、重症者の受け入れが可能な入院病棟を持つ病院となるとさらに限られる。 「心療内科の看板を掲げているクリニックには、摂食障害を専門的に診療していないところも多いようです。一方、内科や精神科、小児科、婦人科などで働く医師の中にも、摂食障害に詳しい医師はいます」(河合医師)  ほっとラインに「通院先を変えたい」という相談が寄せられたときの回答は、ケース・バイ・ケースだ。「今の先生と話し合いましょう」とアドバイスすることもあれば、医療機関を紹介することもある。住まいや病状などを聞き取り、それぞれに合う医療機関を紹介しているという。 「現在、ほっとラインでは、紹介先として全国で400件ほどの医療機関をリストアップしています(公開の許可が得られたところは摂食障害「相談ほっとライン」のHPにも掲載)。残念ながら私たちも各地域の医療機関の実情を十分把握することはできていませんが、そのような状況の中でも、適切な医療につながるための相談窓口があることは、患者さんの救いになると考えています」(同) ■家族の理解や協力が、治療の糸口に  患者と医療間の齟齬(そご)は、患者・家族の理解不足が原因になっていることも少なくない。  拒食症で体重が激減した大学3年生の娘(21)を持つ母親は、「通院を始めたのに体重がほとんど増えない。担当医を変えてもらったほうがいいだろうか」とほっとラインに電話をかけてきた。コーディネーターがじっくり話を聞いてみると、治療が始まってまだ3週間。少しずつだが体重は増えているという。 「治療が始まったらすぐにぐんぐん体重が増えると思っている人が多いですが、特に『心』の部分は特効薬があるわけではなく、対話を中心とした心理療法などで時間をかけて治していきます。早く回復してほしいと願うご家族の気持ちもわかりますが、回復に時間がかかるむずかしい病気だということを理解しておく必要があります」  さらに河合医師はこう続ける。 「ほっとラインは未受診患者を早期に医療につなぐことを目的にスタートしました。しかし、つなぐだけではなく、その後の治療をスムーズに進めるためのサポートも重要だと痛感しています」 (文・熊谷わこ) この記事も読む≫≫中3娘の母「ガリガリにやせているのにもっとやせたいと言って食べない」 拒食の相談の大半は母親から
摂食障害病気病院
dot. 2023/03/08 06:30
中3娘の母「ガリガリにやせているのにもっとやせたいと言って食べない」 拒食の相談の大半は母親から
中3娘の母「ガリガリにやせているのにもっとやせたいと言って食べない」 拒食の相談の大半は母親から
摂食障害全国支援センター:相談ほっとライン 撮影/高野楓菜(写真映像部) 摂食障害(拒食症・過食症)は10~30代の女性に多く、医療機関を受診する患者は年間約22万人。しかし専門的な治療を受けられる医療機関が少ない上に、情報も乏しく、未受診の潜在的な患者や予備群はその何倍もいると考えられている。国立国際医療研究センター国府台病院(千葉県市川市)は早期治療につなげるため、2022年1月に「摂食障害全国支援センター:相談ほっとライン」を開設し、全国の患者や家族から寄せられる相談に応じてきた。開始1年間に寄せられた856件の相談内容から、どのようなことが見えてきたのか。同院心療内科診療科長の河合啓介医師に話を聞いた。 *  *  * ■拒食症の相談の多くは母親から  摂食障害は、低体重に陥る「神経性やせ症(拒食症)」と、体重は正常範囲の「神経性過食症(過食症)」に大別される。ほっとラインに寄せられる毎月70~80件の相談のうち、7割は拒食症だ。  中学3年生の娘を持つ母親(40代)は電話口でこう訴えた。 「何日も前から娘がほとんど食べ物を口にしていません。すでにガリガリにやせているのにもっとやせたいと言って食べないし、病院に連れていこうとしても太らされるから絶対にいやだと言い張っている。どうすればいいんでしょうか」  電話を受けたコーディネーターは、母親に、まずはじっくり娘の話を聞くことや、心配している気持ちを伝えること、受診に導くための具体的な言い方などを助言。さらに居住地から行きやすい医療機関を教え、「本人を連れていくのが難しいなら親が相談に行くこともできる」と伝えた。河合医師はこう話す。 「どう回答するかは、ケース・バイ・ケースです。拒食症は低栄養による合併症を起こしやすく、患者の約5%が死亡していて、致死率が高い。そのため命の危険がある場合は、すぐに救急搬送を依頼するようにアドバイスすることもあります」  拒食症は極端な食事制限などで体重を落とすことに固執し、明らかにやせているのに「まだ太っている」と思い込んでさらにやせようとする。拒食症では本人よりも親からの相談が多く、やせの程度が悪化するほど親の相談割合が増える。そのほとんどが母親だ。 身長と体重から算出する「体格指数BMI(Body Mass Index)」では、18.5未満はやせ(低体重)、15未満は最重度のやせに分類される(河合医師提供) 「これ以上やせたら死んでしまう。無理やりにでも入院させたい」 「1年前から生理が止まっているようだ。将来、子どもを産めなくなるのではないか」 「医師から脳が萎縮していると言われた。もっと早く受診させればよかったと後悔している」  というように、やせすぎた子どものからだを心配して相談してくるケースが目立つ。  一方、本人は「やせたままでいたい」「もっとやせたい」と思っているので、やせの程度が軽いうちは本人からの相談は少ない。かなりやせてから『からだがきついのでどうすればいいか』と相談してくることはあるものの、『心の部分には踏み込まれたくない』と言われてしまうこともあるという。 国立国際医療研究センター国府台病院心療内科診療科長の河合啓介医師 「ある相談者が『(やせによる)低血糖で内科や救急科は受診するけれど、精神科や心療内科には行きたくない』と言っていたのが印象的でした。治療への不安からこのような言葉が出ている可能性もあるので、病院に行きたくない理由を尋ねるようにしています」(河合医師) ■過食嘔吐で跳ね上がる食費、汚物だらけの部屋  過食症はやせ願望や肥満への恐怖は拒食症と共通だが、食欲をコントロールできず、無茶食いをする。食後は激しい自己嫌悪に陥り、過食をなかったことにしようと嘔吐や下剤の乱用などの「代償行為」をおこなうのが特徴だ。河合医師は言う。 「体重は正常範囲なので、命が危険にさらされることは拒食症ほど多くはありません。しかし過食嘔吐をしたり、大量の食べ物を調達するために万引きをしたりするなど、生活への悪影響が大きい。本人も家族も拒食症とは違う苦しみを抱えています」  親からは、 「食べ物を置いておくと全部食べられてしまう。隠したり、冷蔵庫に鍵をかけたりしているが、対処しきれない」 「娘にキッチンとトイレを占領され、しかも吐いたもので汚いまま。生活がめちゃくちゃです」 「調味料を1本丸々飲まれてしまう、からだも心配です」 「食費が毎月20万円を超えていて、もう家計が持ちません」 「娘が『食べ物を買ってこないなら、死んでやる』『万引きしてやる』と言っている。言うことを聞いたほうがいいでしょうか」  といった切実な悩みが寄せられる。 「親も持てあましてしまい、『強制的に入院させるしかないと思っているが、適切に対応してくれる医療機関をどうやって見つければいいのかわからない』といった相談もありました」(河合医師) ■周囲に苦しみをわかってもらえない  本人も悩んでいる。高校3年の女性は2年前から過食嘔吐が始まった。学校に行っている間は普通に過ごしているが、夜間の過食が抑えられず、毎晩台所で食べ物を探し回る。翌日の父親や弟のお弁当のおかずまで食べてしまうので、家族から冷たい目で見られ、弟は口をきいてくれなくなった。「それでも無茶食いを止めることができない」と相談してきた。河合医師はこう話す。 「過食症の人の話から見えてくるのは、『自分の苦しみを周囲にわかってもらえない』という孤独感です。拒食症は極端にやせるので周囲の人も心配しますが、見た目が変わらない過食症は苦しみが伝わりづらい。吐いたもので毎日のようにトイレを詰まらせ、家族から『いいかげんにしろ』と叱られたり、友だちに話しても『だったら食べなきゃいいじゃん』と突き放されたり……。学校にも家にも居場所がなく、ますます孤立してしまうことが少なくありません。最近はSNSが同じ苦しみを抱えた人の交流の場になっていますが、間違った情報を広めてしまう危険もはらんでいます」  また、起きている時間のほとんどを過食嘔吐に費やしているので、「勉強をする時間がなく、成績が落ちてしまった」という相談もあるという。 ■適切な治療に早くたどり着くためにほっとラインの利用を  ほっとラインでは40分ほどかけて、相談者の話に耳を傾ける。本人の苦しみに共感し、一人ひとりの状況に応じたアドバイスをおこないながら、摂食障害の専門的な治療を受けられる医療機関につなげていく。 「これまで大変でしたね。心配だから、思い切って治療を受けてみましょう。治療を受けられる医療機関を紹介しますから、安心してください――そんなスタンスです」(河合医師) 「病院に行かずに治す方法を教えてほしい」という相談もあるが、摂食障害はもともとの性格や環境、対人関係、大きなストレスとなる出来事など、さまざまな要因が絡み合って発症するため、病態が複雑で、治療も難しい。 「ほっとラインだけですべて解決することはできず、摂食障害に詳しい医師による心身両面からの治療は必要です。そこにできるだけ早くたどり着くために、ほっとラインを利用してほしい。電話相談はどうしても当たり障りのない一般的なアドバイスになりがちですが、相談した人がほっと安心できたり、次にすべき行動が見えるような対応を心がけています」(同) (文・熊谷わこ) この記事も読む≫≫拒食症・過食症の相談者「悩んでいるのに『問題ない』と言われた」 医師の態度に疑問の声
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dot. 2023/03/08 06:30
研究者も注目! 50年前に高齢化問題を描いた『恍惚の人』の真実
研究者も注目! 50年前に高齢化問題を描いた『恍惚の人』の真実
『恍惚の人』出版のころの有吉佐和子さん(和歌山市立有吉佐和子記念館)  1972年に出版された有吉佐和子さんの小説『恍惚(こうこつ)の人』は認知症と介護の現実をリアルに描いた。出版から半世紀、200万部を超えるベストセラー小説に研究者が改めてスポットを当てた。著者が本当に伝えたかったこととは──。医療ジャーナリストで介護福祉士の福原麻希さんが、有吉さんの言葉を紹介する。 *  *  *  1972(昭和47)年は札幌五輪が開かれ、沖縄が返還された。高度経済成長期の真っただ中、すでに多くの著作を発表していた作家・有吉佐和子さん(1931~84年)の新作『恍惚の人』(新潮社)は、家族が認知症(当時は痴呆と呼ばれていた)になったときの日常を表現した書き下ろし長編小説だった。法律事務所で働く昭子(40代半ば)が認知症の義父・茂造(84歳)を介護する様子を描いた。  当時、認知症に関する情報がなかった読者は、次から次へと出てくる茂造のエピソードに衝撃を受け、メディアは「恍惚ショック」と書き立てた。「認知症になったら家族に迷惑をかける」「そんな高齢者になりたくない」というイメージは、多くの人々の意識に深く植え付けられた。  しかし、有吉さんはそんな社会の受け止め方とは違い、先を見越して高齢社会の行く末に警鐘を鳴らしたかった──。そんな研究が最近、発表された。  東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター研究員の山本栄美子さんは、こう話す。 「有吉さんは当時、新聞や雑誌で急速に高齢化が進んでいる特集記事が出ても、誰も自分に関係あると思わないことに問題意識を持っていました。そこで、老いるとはどういうことかを小説として描写することで、社会の意識を高めて、将来の高齢社会にどのように備えたらいいかを考えてもらいたかったようです」  山本さんは「老いと日本人の迷惑意識」に関するプロジェクト(※1)に所属して、日本で多くの人が「老いること=迷惑をかけたくない」と考えるのは、いつから、どんなことがきっかけだったのかを研究する。山本さんは過去の論文や雑誌記事などをくまなく調べた結果、有吉さんの「真意」が見えてきた。 刊行翌年の1973年、主人公の昭子を高峰秀子、義父の茂造を森繁久彌が演じた映画も大ヒットした=書影撮影・上田泰世(写真映像部) ■高齢社会の対策 人々に促した  例えば、72年発行の雑誌「潮」で女優・高峰秀子さん(故人)と対談した記事で、有吉さんはこう憤っていた。 「『(この小説は)モーロクヂヂイの話だ』なんて評論家に書かれてカッときているところなの。(中略)私だって高峰さんだって、いずれああなるんだから。私、人間を冒涜したくないという配慮はしているつもりなのに、その精神を読み落とされてるのは残念だわ」(※2)  また、同年の新潮社のPR誌「波」では、戦後の代表的な文学評論家の平野謙氏(故人)との対談で、こう話している。 「老人問題は他人ごとじゃない。私たちの問題と思えば、人ごとにしたり、突き放したりしない。(中略)小説ならば、少なくても読んでいる人に、あなたもですよ、という不気味な呼びかけができるでしょう」(※3)  この平野氏との対談では『恍惚の人』執筆についていろいろなエピソードが記されている。  有吉さんは、もともと、和歌山市民図書館に遺族から寄贈された蔵書の一部約1600冊が有吉佐和子文庫として収められるほどの読書家として知られる。この小説を執筆するときも、「老年学(高齢者の医学)」を5、6年学んでいた。専門書を読むだけでなく、外国へ行ったときには介護施設を見学したり、専門家を訪ねて話を聞いたりもしていたという。  そんなふうに学んでいるうちに、「日本の三世代同居が一番老化予防になること」、このため「スウェーデン、イギリス、スイスが日本に学べと言っていること」にも有吉さんは気づく。高峰さんとの対談ではこう嘆く。 「日本はすごく遅れているというのか。例えば住宅公団だって、『核家族、核家族』なんていうものだから、老人の部屋のない建物ばかりつくっちゃって。皆が一緒に暮らせやしないじゃないの」(※2)  60~70年代、3世代同居が当たり前だった時代から核家族化が急速に進んでいた。有吉さんは、そんな核家族化に反対していた。 「『親に孝』ということを学校で教えないことが具体的に老人問題に響いている。机をたたいて、あなたの親でしょうといいたくなる」(※3)  当時、有吉さんはあまりにも勉強しすぎて「小説を書くときに知識や情報を削ぎ落すのが大変だった」とも言う。そうやって学んだ医学の知識や情報をふんだんにちりばめた小説だったから、読者の心情に深く突き刺さる描写が生まれた。  厚生労働省は「人生100年時代」を掲げて施策を講じている。だが、72年の男性の平均寿命は70.50歳、女性は75.94歳で、当時の老年学では、いまほど認知症の知識が明確でなかった。国内の専門書も少なかった。  東京さつきホスピタル(東京都調布市)精神科の上田諭(さとし)医師は、「有吉さんには責任がないこと」と前置きしながら、「小説の後半には人が亡くなる前の混乱状態を描写している部分もあり、エピソードのすべてが認知症の人を表現しているわけではない」と指摘する。  また、小説上の展開として、認知症が急速に進行する印象を持つが、実際には、長い時間をかけて、いくつかの症状が出てくるもので、近年、それらは介護者の対応によっておさまることもあるとわかってきている。  だから、「認知症」をこわがらないでほしい。  有吉さんの娘で、大阪芸術大学教授、作家の有吉玉青(たまお)さんはこう話す。 「研究者の方々が、母の作品をお取り上げくださいますこと、うれしく有り難く存じます。母は初期の作品から、社会的な背景をベースに小説を書いていたと強く思います。それは祖母が社会派で、家庭にはいつも社会に対する問題意識があったからかもしれません」  有吉さんは体が弱く、医師から「20歳まで生きられるかどうか」と言われていた。「作品を書き上げるごとに、入院するほどだった」と玉青さんは振り返る。しかし、「小説の続きを書きたかったのでしょう。書きたいから生きられ、書いたから生きていけたんだと思います」と話す。 執筆机(和歌山市立有吉佐和子記念館)  有吉さんは84年、53歳で急逝する。72年の平野氏との対談で、こう言い残していた。 「耄碌(もうろく)して、はたに迷惑をかけても、私は生きてやろうと思いました」(※3) 「長生きすると、周囲に迷惑をかけるから」と思う高齢者は多い。半世紀前に高齢社会を予見した有吉さんの、この言葉を広く伝えたい。 ※1文部科学省および日本学術振興会 科学研究費助成事業・基盤研究A「日本社会の『老い』をめぐる分野横断的研究-『迷惑』と『ジリツ』の観点から」(主任研究者 岡山大学 本村昌文)/※2「『恍惚の人』を書かせたボルテージ 一生懸命働かなければボケちゃう。私、ボケるのいやだ!」(潮、1972年9月号)/※3対談「“老い”について考える」(波、1972年6月号)※週刊朝日  2023年3月10日号
有吉佐和子
週刊朝日 2023/03/06 11:30
「父をあぼんしたら…」ALS患者嘱託殺人事件の元医師の驚きの“思想” 父親殺害の裁判始まる
今西憲之 今西憲之
「父をあぼんしたら…」ALS患者嘱託殺人事件の元医師の驚きの“思想” 父親殺害の裁判始まる
京都地裁  難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者から「安楽死」の依頼を受け、知人の医師と共謀して殺害した罪で起訴された元医師の山本直樹被告(45)が、父親への殺人罪に問われた事件。山本被告に対する裁判員裁判が1月12日、京都地裁で始まった。弁護側は、知人の医師が実行犯で、単独の犯行であると主張し、無罪を訴えた。この事件、「安楽死事件」と性質は一変し、検察側の冒頭陳述からは、父親や老人全般に対する被告らの激しい侮蔑や偏見が見て取れる。  山本被告と医師の大久保愉一(よしかず)被告(44)は、ALSの女性患者(当時51)から女性自身の殺害を依頼され、2019年11月、京都市内の女性患者のマンションを訪れ、薬物を注入して殺害したとして嘱託殺人の罪に問われている。その事件の捜査の過程で、山本被告の父、靖さん(当時77)を殺害した疑いが浮上し、山本被告と共謀したとして大久保被告と、山本被告の母親の淳子被告(78)も殺人罪で起訴された。  ALSの女性患者への嘱託殺人事件は裁判員裁判にならないこともあり、靖さんの事件の裁判とは分離された。 靖さん殺害事件の初公判で山本被告は、検察側の起訴内容について、 「私は母親や大久保被告と共謀して父を殺害したことはありません」  と否認し、無罪を主張した。 山本直樹被告(ツイッターから)  検察側は冒頭陳述で、山本被告らの犯行の詳しい経緯などについて述べた。  まず、動機について。検察は、靖さんが長く精神疾患を患い、入退院を繰り返していたことで、山本被告や淳子被告は約30年間、苦しい状況だったとした。そこで、山本被告の知人の大久保被告とともに「厄介払いのため、殺害を計画した」とした。  検察は、3被告が殺意を持っていた証拠として、3人がやりとりした150通のメールすべてを証拠として開示した。 「厄介」とされる靖さんのことを、「くそじじい」「ぼけじい」「粗大ごみ」などと誹謗し、「あぼん(死なす、殺すといった意味)」といった隠語を使って、 「父をあぼんしたら、普通の家庭」 「いい加減あいつ(靖さん)をあぼんしないと」 「医療従事者が(靖さんを)長生きさせている。早くあぼんさせてくれ」 「あぼんの目的達成のため、寿命を縮める最後のチャンス」  などと殺意を示すようなやりとりが交わされていた。  そして、11年3月5日。山本被告と淳子被告は、長野県の精神科の病院に入院していた靖さんを、神奈川県の病院に転院させるとの理由で連れ出し、新幹線で大宮駅(埼玉県)に到着すると、車いすの靖さんをレンタカーで東京都江戸川区内のアパートに運び込み、そこに合流した大久保被告が「靖さんに薬液を投与して殺害した」(検察)。  靖さんを殺害後、淳子被告は偽造された死亡診断書を役所に出して火葬許可書を入手。犯行前から近くの葬儀場や山本被告らが宿泊するホテルなども手配しており、殺害の5日後の3月10日に火葬したとした。数日後には、 「化け物(靖さん)さらばじゃ」  とのメールもあったという。  その後、4月22日、山本被告はタイなどを経由して、アフリカ南部の国、エスワティニ(旧スワジランド)に行き、空港近くに靖さんの遺骨を埋めたとされる。その時の現地の写真もメールで送っていた。遺骨を埋めるためだったのか、パームツリーのような木の下で、赤い土を掘っている様子が写っていた。  検察側は、犯行の3日前に、「ゴールは近い」と靖さん殺害の決意をメールしている点や、犯行の直前に、大久保被告が山本被告に、車いすに人が乗ったまま運べる車を手配できるレンタカー会社のURLなどを送り、 「(新幹線は)大宮駅がちょうどいい。高崎駅まで迎えに行ってもいいが」  と具体的に提案している点などを踏まえ、 「事前にアパートやレンタカー、車いすを予約するなど、綿密な計画を立てて実行した」 「入院していた病院での診察記録などから、靖さんが病死や自然死することは考えられない」  などとして、3人が共謀して犯行に及んだと指摘した。 大久保愉一被告(ブログから)  一方の山本被告。  弁護側は冒頭陳述で、検察とは違う展開を述べた。 「山本被告と淳子被告は靖さんを連れ出して計画を実行しようとしました。しかし、新幹線の中で考え直し、中止することにして、大久保被告もそれに同意しました」 「新幹線の車中で(何らかの薬で)靖さんをぐったりさせるのが山本被告の役目でしたが、中止したのでしませんでした」 「靖さんをアパートに連れて行った時でした。山本被告と淳子被告の2人が目を離した間に、大久保被告が殺害してしまったのです。その場には山本被告も淳子被告もいない、大久保被告の単独犯。こんなことがあるのかと思われるでしょうが、これが現実なんです」 「大久保被告は、高齢者や障がい者は何ら価値がなく、長生きさせる方がおかしいという考えの持ち主です。大久保被告が自分の判断でやった犯行です」  などと主張し、当初の殺害計画は中止したため山本被告に殺意はなく、犯行現場にもいなかったと、無罪主張の根拠を述べた。  しかし、大久保被告が殺害したために、その後の計画を復活させ、警察への通報は避けて、死亡届の入手と火葬へと動いたとした。  検察、弁護側両者の冒頭陳述では、靖さんを殺害するまでの経緯は食い違うが、大久保被告が実行犯であるという点は一致している。  検察が主張した、大久保被告の薬液注入による靖さん殺害事件。この事件が発覚するきっかけとなった、ALSの女性患者の嘱託殺人事件についても、山本被告と大久保被告が、なんらかの薬物を投与して殺害したとされる。  この両被告は以前、電子書籍で共著の本を出版した。そのタイトルは、「扱いに困った高齢者を『枯らす』技術:誰も教えなかった、病院での枯らし方」。  本の説明書きには、 「証拠を残さず、共犯者もいらず、スコップや大掛かりな設備もなしに消せる方法がある。医療に紛れて人を死なせることだ」 「入院中の病室で普通にあるものを使えば、急変とか病気の自然経過に見せかけて患者を死なせることができてしまう」  などと書かれている。  それを実践したのが、靖さんやALSの女性患者の事件だったのだろうか。  靖さんの事件では、遺体が検視も司法解剖もされずに火葬されており、「遺体なき殺人事件」だ。  異例ずくめの裁判は、淳子被告の初公判が2月13日の予定で、大久保被告の日程は決まっていない。山本被告は、2月7日に判決が言い渡される予定だ。 (AERA dot.編集部 今西憲之)
dot. 2023/01/13 17:21
「体が動かない」サッカー部の人気者が不登校に どん底からの立ち直り、19歳男性の場合
「体が動かない」サッカー部の人気者が不登校に どん底からの立ち直り、19歳男性の場合
写真はイメージです(Getty Images)  不登校の子どもの増加が止まらない。高校生もかなり多く、現在、60人に一人が年間欠席が30日以上といわれている。原因のトップ3は、(1)無気力・不安、(2)生活リズムの乱れ・遊び・非行、(3)入学・転編入学・進級時の不適応となっている(文部科学省「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」より)。しかし実際にはひとりひとり事情がある。誰もがうらやむような人気者が、ある日突然立ち上がれなくなり、不登校になってしまうこともある。そんな経験をした男性に、どうやって再び前に進むことができるようになったのか、話を聞いた。 *  * *  重原誠(仮名)さんは、現在19歳。男ばかり三人きょうだいの長男で、実家暮らしをしている。 高校1年のときに不登校になり、退学。それから3年ほど引きこもり気味になり、体調を崩して入退院を繰り返した。 「ようやく外に出られるようになり、今では勉強したり、友達とサッカーができるくらいに回復しました。でもすいぶん勉強が遅れてしまったので、まだ今年度の大学受験は無理。来年1年間、予備校に通って頑張ろうと思っています」(誠さん)。 ■学校一の人気者で、頑張り屋  誠さんは、学校で中心的存在の生徒だった。中学では学級委員に選ばれ、活発で頼りがいのある存在。ときどき一発芸を披露しては、みんなを笑わせるような人気者だった。サッカー部員としても、誰よりも練習熱心で、朝は誰も来ていないうちからグラウンドに出て、3キロ走るのが日課だった。 職員室は、しばしば頑張り屋の誠さんの話題でもちきりになった。先生たちはよく、ほかの生徒に「誠を見習え」と言っていたものだった。 「あの頃の自分は目立つのが大好きで、自分が中心にいないと気が済まなかった。毎日が楽しくて楽しくて、幸せだなぁと思いながら通学していました」(誠さん)。  高校は志望校に合格し、迷わずサッカー部を選んだ。しかし、予想以上に練習がハードで、レベルが高かった。それまでのポジションはフォワードだったが、とてもついていけず、レギュラーになるために選手層の薄いゴールキーパーを目指すことにした。  誠さんは中学時代以上に、練習に励んだ。早朝の練習はもちろん、午後の部活の後もひとりで居残りして自主練。夜8時までに学校を出るのがルールだが、こっそり隠れて練習していた。  ところが、初めてゴールキーパーとして出場した試合でチームは大敗。「自分のせいだ……」。それまで以上に、体力の限界まで、練習で自分を追い込む日々。さらに、練習以外にも重要なことを任されることが多くなったが、「期待にこたえなければ」という一心で頑張っていた。「みんなはやる気が足りない。僕がこのチームを変えてやるんだ!」。そんな思いで燃えていたという。  次の試合の前日、監督からこう言われた。 「うちはゴールキーパーが弱いと思われてるから、どんどんシュートを打つ作戦で来るはずだ。明日の試合に勝てるかどうかは、お前次第だぞ」  体がカーッと熱くなるような気がした。監督の期待に絶対に応えたいと思った。  そして当日。必死でゴールを守ったが、試合終了間際のロスタイムに、誠さんのミスで得点を許し、チームは負けてしまった。悔しさ、情けなさでいっぱいだった。 「こんなに頑張ったのにダメなら、どうしたらいいんだろう。もうこれ以上は無理だ……」 試合直後、体に力が入らなくなった。這いつくばるように片づけをしていたが、倒れて起き上がれなくなった。体温が異常に低くなっていて、そのまま病院に運ばれた。 ■体と心がバラバラに 誠さんは、しばらく入院することになった。 「実はそのだいぶ前から体はSOSを出していたのに、自分だけが気づいていなかったんです。周りの友人や親からも、『お前大丈夫か?』と心配されていたし、自分自身も、ときどき走っている車を見ながら『ここに飛び込んだら、ラクになれるんじゃないか』と思うことがありました。でも、どうしても頑張ることをやめられなかったんです」 しかし入院中も、「こんなところにいるわけにはいかない、学校に行かないと、サッカーの練習をしないと」と焦る。でも体は全く動かない。 「まるで、体が『動いちゃダメ』と自分を止めているようでした」  退院してからも、体は思うように動かなかった。担任の先生が迎えに来てくれて、抱えられるようにして登校したこともあるが、教室に入るとまた倒れてしまう。何とかしようと思えば思うほど、どんどん悪くなる。その後も病院通いをしながら、登校しては倒れる、ということを繰り返した。医師の診断は、「適応障害」だった。  仲のよかった友人たちは、だんだんと離れて行った。あんなに自分に期待してくれていたサッカー部の監督にも避けられているように感じた。「そっとしておこう、サッカーのことは忘れさせてあげよう」という配慮だったのかもしれないが、誠さんにはわからなかった。 「捨てられたように感じたんです。どうして一緒にいてくれないんだろう、どうして助けてくれないんだろうと寂しかった」  両親も気落ちしていたという。母親はしばらく休職し、そばにいてくれることになった。父親は関心がないように見えた。 ■「2年は学校に行けないよ」と告げられた 一度、精神科の病院で暴れたことがある。 「僕が行かないと、ゴールキーパーがいないんだ! 早く戻らせてくれよ! 学校に行かせてくれよ!」 泣き叫び、暴れる誠さんに医師はこう告げた。 「君は少なくともあと2年以上は学校に戻れない。2年は治らないよ」  ショックだった。医師に対して怒りがわき、殴ってやろうかとも思った。しかし本当は心のどこかで、自分もそんな気がしていたという。 再び、入院生活になった。ちょうどコロナ禍になり、やがて家族も病室に入れなくなった。人と話をする機会が減り、外に出て運動することもできなくなり、症状が悪化した。  数週間後に退院し、担任と相談した結果、高校は中退して通信制の高校に入ることにしたが、しばらくするとまた体が動かなくなった。  それからも、少し良くなったかなと思うと、体が動かなくなったり過呼吸になってまた行けなくなる。休んでしまったことに対する罪悪感で「次こそは行かないといけない」と思ってしまうと、さらに不安になり症状が悪化する、という悪循環だった。  サッカーもできない。勉強もできない。学校にもいけない。前に進もうとすると、体が固まる。 「もう、どうでもいい」  誠さんは、家の中に引きこもるようになった。  年が明け、同級生たちが、就職や大学進学など進路を決める時期になった。ある日父親が、誠さんに急に強く迫ってきた。「学校に行けないなら、どこでもいいから就職先を探したらどうだ!」 今まで全く僕に関心がなかったのに、何もしてくれなかったのに、なぜこんなふうに急に言ってくるんだろう。誠さんの心は、父親への腹立ちと恐怖でいっぱいになった。 父親がいる家にはいられない。でもどこに行けばいいのか。 誠さんが頼ったのは、ひきこもりやニートの社会復帰を支援する「八おき塾」の代表、鳥巣正治さんだった。鳥巣さんは自宅に招いてくれて、話をきいてくれた。 「そんなにお父さんが嫌なら、しばらく離れたらいい」と言われ、少し気持ちが楽になった。  引きこもってから半年。卒業式を間近に控えたある日、元の高校のサッカー部の監督から連絡があった。 「卒業証書は渡せないけれど、一緒に練習した仲間だ。部室でみんなと卒業式をしよう」  母親が車で送って行ってくれたが、いざ学校が近づき、歩いている同級生たちの姿を目にすると胸が苦しくなり、体が動かなくなった。結局、学校には入ることはできなかった。 「自分はたった9カ月しか通っていないのに、もう高校生活は終わってしまった。そして自分と同じ場所にいたはずの同級生たちが、自分よりずっと大人に見えた。いつの間にかこんなに差が開いてしまったと思うと、ショックで、悔しくて」  誠さんは車の中で泣きじゃくるばかりで動けない。見かねた母親が鳥巣さんに連絡した。 鳥巣さんは迎えに来てくれて、誠さんの体が動くようになるまで待ってくれた。 「鳥巣さんはしっかり僕に向き合ってくれて、本気で治そうとしてくれている。その気持ちが僕には伝わりました。『もう一度頑張って、みんなに少しでも追いつきたい』と決意したのはそのときです」(誠さん)。 ■完璧主義の自分と上手につき合う そこから、八おき塾に通うようになって、元引きこもりや不登校だった卒業生たちが元気に働いている様子をつぶさに見ることができた。「病気はもう治らないんじゃないか」というあきらめは、消えていた。 そして、自分が抱えている問題が見えるようになってきた。ひとつは、「最初から全力で物事を頑張らないといけない」と考えてしまうことだ。そこで考え方を少し変えて、「少しずつ段階を踏んで努力する」ようにしてみた。 たとえば、学習塾に自分で申し込みをしようと思ったが、人が怖くてなかなか電話ができない。そんなとき、鳥巣さんがこんなアドバイスをくれた。まず一日目は、塾のことを調べる。次の日は、電話で話す内容を紙に書く。その次の日は、その電話番号を押してみる。そして次の日は、発信ボタンを押して電話をかけてみる。毎日一歩ずつ進んでいき、そのたびに「できた」ことを喜びなさいというのだ。 以前の自分は、何かをクリアしても、「ここがよくなかった」という課題をつねに探し、次に何をやるべきかすぐに考えていた。「できた」ことをひとつひとつ喜ぶというのは初めての経験だった。  八おき塾に通いだして6カ月後、スタッフや仲間たちによる誠さんの卒業式が行われた。父親も参加してくれた。驚いたのは、あいさつの途中で父が涙を流したことだ。 「父は自分に無関心で、自分のことを厄介者と思っているとばかり思っていた。でも本当はすごく心配してくれていたんだな、ということが伝わりました」  現在、誠さんは週3日間学習塾に通い、高校生たちと一緒に勉強をやり直している。まだ調子が悪いときもあるが、以前と比べて回復してきているのは誰の目にも明らかだ。  病気になって、友人はいなくなったと思ったが、中学のときの友人たち3人が、ずっと自分のことを気にかけてくれていた。月に1回くらいは「生きてるか~」と連絡をし続けてくれたのだ。 「昔の自分は八方美人で、友達がたくさんいると思っていたけれど、実は本当の友達はいなかったのかもしれません。今は、少ないけれど自分のことを大切に思ってくれている友達がいることがわかって幸せです」(誠さん)。  ときどき、友達や弟とサッカーをする時間がとても楽しいという。 「以前は、学校に行けなくなる人の気持ちなんて全く理解できなかったけれど、今は弱い人の気持ちもわかるようになりました。あのまま楽しいだけの人生を歩むより、病気になって、失敗してよかったと今は思えます。みんなに遅れを取ってしまったけれど、10年後くらいには追いつきたい。少しずつやれることを増やしていって、『自分、変われたな』と思いたいです」 (取材・文/臼井美伸) 臼井美伸(うすい・みのぶ)/長崎県佐世保市出身。出版社にて生活情報誌の編集を経験したのち、独立。実用書の編集や執筆を手掛けるかたわら、ライフワークとして、家族関係や女性の生き方についての取材を続けている。佐賀県鳥栖市在住。http://40s-style-magazine.com『「大人の引きこもり」見えない子どもと暮らす母親たち』(育鵬社)https://www.amazon.co.jp/dp/4594085687/
ひきこもり
dot. 2022/11/15 08:00
極度の低栄養状態になっても「まだ太っている、やせなくては」と思い込む摂食障害【精神科医が解説】
極度の低栄養状態になっても「まだ太っている、やせなくては」と思い込む摂食障害【精神科医が解説】
※写真はイメージです(写真/Getty Images)  かつては拒食症と呼ばれていた「神経性やせ症」やいったんのみ込んだ大量の食べ物を意図的に吐き出す「神経性過食症」などは、「摂食障害」と呼ばれる精神疾患の1つです。  うつ病、統合失調症、不安症といった精神疾患を持つ人の半数は10代半ばまでに発症しており、全体の約75%が20代半ばまでに発症しています。精神科医で東京都立松沢病院院長の水野雅文医師が執筆した書籍『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)から、「摂食障害」について一部抜粋してお届けします。前編に続いて、後編です。 【前編はこちら→】食べては吐くを繰り返す「神経性過食症」や拒食症 ダイエットが発症のきっかけに【チェックシート】 *  *  * 【治療】  摂食障害は、単に体重や食事、栄養だけの問題ではありません。体だけでなく心のケアも含めた治療を行います。治療の第一歩は、心と体がどのような状態なのか判断することです。通常は問診で、どのような症状が、いつから現れ、どのように変化してきたのかなど、経過を聞き取り、発症のきっかけは何か、体重の変化があるのか、やせたい気持ちや自分の体重や体形についての考え方などを確認していきます。幼少期の話や日常生活の様子などが参考になることもあります。 東京都立松沢病院院長の水野雅文医師  体については、診察のほか、血液検査をはじめとする検査を行います。  治療の柱となるのは、栄養療法と心理教育、精神療法です。それぞれの患者さんの症状や、症状の重さ、別の病気の有無や、背景の問題などに応じて治療を選択していきます。  栄養療法の目的は、栄養状態を改善して、適正な体重に戻すこと。栄養士による食事のアドバイスや、必要に応じて補助的な栄養補給なども行われます。  心理教育では病気について正しい知識を学び、摂食障害患者特有の考え方や食行動の習慣に働きかけて、拒食や過食という手段に頼らなくても心地よく過ごせるような考え方を身につけます。  精神療法には専門家によるカウンセリングが中心ですが、より専門的な精神療法として摂食障害に特化した認知行動療法が行われることもあります。  補助的に抗うつ薬や抗不安薬といった薬物療法を実施することもあります。  治療は通常は通院で行いますが、著しい低体重や合併症がある場合、食事を全くとれない場合、外来治療では体重の回復が難しい場合、精神的に不安定な場合などは、入院で治療することがあります。  家族に摂食障害に対する理解と協力があると治療を進めやすくなるので、家族への説明やアドバイス、支援も行われます。 イラスト/タナカ基地 『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)より 【大切なこと】  摂食障害の多くは、ダイエットをきっかけに発症します。体重をうまく減らせると、一時的に達成感や充実感が得られるので、さらに極端な食事制限や偏った食事を追求する――といった悪循環に陥ります。その結果、極度の低栄養状態になり、誰が見ても危険だという状態になっても、自分ではまだ太っている、もっとやせなくては、と思い込んでいる人が多いのです。  無理なダイエットをした反動で過食に転じることもあります。拒食と過食の繰り返しで病気が長期化してしまう場合も少なくありません。  摂食障害を治療するには、家族や周囲の理解とサポートが不可欠です。本人の話をじっくり聞いて、気持ちを受け入れ、その上で心配していることを伝えて良い方法を一緒に考えることが大切です。  しかし、極端な低栄養状態に陥っているときは、本人が嫌がっても病院を受診させる必要があります。  根気強く患者さんと寄り添って治療に臨んでいただくことが、本人への何よりの支えとなります。 『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版) ※『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)より抜粋 水野雅文(みずのまさふみ) 東京都立松沢病院院長 1961年東京都生まれ。精神科医、博士(医学)。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院博士課程修了。イタリア政府国費留学生としてイタリア国立パドヴァ大学留学、同大学心理学科客員教授、慶應義塾大学医学部精神神経科専任講師、助教授を経て、2006年から21年3月まで、東邦大学医学部精神神経医学講座主任教授。21年4月から現職。著書に『心の病、初めが肝心』(朝日新聞出版)、『ササッとわかる「統合失調症」(講談社)ほか。
摂食障害病気病院
dot. 2022/08/21 09:00
恐怖から始まりバカボンパパ登場? 早世の詩人が描いた貴重な短編集
恐怖から始まりバカボンパパ登場? 早世の詩人が描いた貴重な短編集
 ドイツ文学者・松永美穂さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国 シルヴィア・プラス短篇集』(シルヴィア・プラス著 柴田元幸訳、集英社、2310円・税込み)の書評を送る。 *  *  *  シルヴィア・プラスをなんとなく敬遠していた。30歳でガス自殺してしまった詩人、という暗いイメージが自分のなかで先行していたせいかもしれない。今回、没後半世紀を経て発見された作品などが入った短編集を読んで、ほんとうにびっくりした。彼女の多彩さと、溢(あふ)れる生命力が感じられたのだ。特に冒頭の表題作。列車に乗っている話だから、ということもあるが、明るい(とはいえ不穏さも混じる)疾走感がある。  この短編の主人公メアリは、当時の作者と同じ20歳くらい。行く先もよくわからないまま、両親に急かされ、一人で列車に乗り込む。「北への旅行」と「終点に着くまで」がキーワード。そもそもメアリは行きたいわけではない。だが両親は聞き入れない。「誰もがいずれ家を出なくちゃならないのよ」という母親の言葉は、これが単なる物見遊山ではなく、メアリの巣立ちだということを示している。一人旅が初めてらしいメアリには、車中で話し相手ができ、一緒に和やかに食堂車に行ったりするが、やがてこの列車の恐ろしい真実が明らかになる……。  怖い。そもそも列車に乗り込むとき、号外を配る人の「一万人が処刑」という不吉な呼び声も聞こえていた。なんなのだ、この世界は。ミステリーと怪談をミックスしたような不思議な味わい。読み終わってからも「第九王国」やメアリのその後について、想像をめぐらしたくなる。「第九」からの連想もあるかもしれないが、日本のモダニズム作家尾崎翠の「第七官界彷徨」を思い出した。  本書に収められた8篇の短編は、異なるテイストで作者のさまざまな面を見せてくれる。プラスが自殺未遂をくりかえして精神科病院に入院し、その後、治療を受けながら病院内で働いた経験を反映した作品が二つあり、特に「ブロッサム・ストリートの娘たち」では、病院独特のエピソードや、そこで勤務する女性たちの会話にしみじみさせられた。その病院で使われる「ブロッサム・ストリート」という隠語の意味には、どきっとさせられるのだけれど。  タトゥーショップを描いた「十五ドルのイーグル」も非常におもしろかった。日本ではあまり馴染みがないけれど、アメリカの商店街で通行人がタトゥーショップを覗き込むシーンを想像すると、愉快な気持ちになる。好奇心を掻き立てられる場所に違いない。友だち同伴でやってきて、くしゃくしゃの一ドル札を尻ポケットから引っ張り出す男の子。タトゥーを入れるには決断と勢いが必要だ。当然ながら絵柄は料金に応じてランク付けされていて、「十五ドルのイーグル」というタイトルが、そのあたりを軽妙に表現している。タトゥー師はベテランで、自分なりの哲学を持つ男。そんな彼と、最後に出てくる妻とのギャップが凄まじくて、思わず笑ってしまう。  プラスは児童文学も執筆していて、今回の短編集にも、そこだけ紙の色や活字の大きさを変えて、子ども向けの短編「これでいいのだスーツ」が入っている(このタイトルの訳し方はインパクト大だ。赤塚不二夫「バカボン」のパパの声がどこかから聞こえる気がする)。民話によくある、リフレインのある語り口で、楽しい内容。7人兄弟(「おそ松くん」のところより一人多い)の話だから、くりかえしも多い。  すべてが明るいわけではなくて、悲劇的な終わり方をする話もあれば、病気や死、人間関係の難しさについて考え込ませる話もある。でもこの本を読んで、プラスは人を笑わせることも好きだったんだな、と思えた。伝記小説や研究書も出版されているが、作品を通して彼女の新しい面に近づけたのは、とても嬉しい。貴重な短編集だ。※週刊朝日  2022年7月22日号
週刊朝日 2022/07/16 17:00
職場で増える「いじめ」と「いじり」で傷つく人たち ストレスのはけ口が同僚や部下に
野村昌二 野村昌二
職場で増える「いじめ」と「いじり」で傷つく人たち ストレスのはけ口が同僚や部下に
職場のいじめ対策として、いじめに遭ったときの証拠を音声やメモで記録しておくことが重要だ、と専門家は指摘する(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)  いじりで同僚や部下が笑ったとしても、心の中では傷ついている人が多い。全国の労働局に寄せられる「いじめ・嫌がらせ」の相談も急増中だ。AERA 2022年6月13日号の記事から紹介する。 *  *  *  今も、いじめられていたときの恐怖がフラッシュバックする。 「呼吸が苦しくなったり、急に泣き出したりします」  2年前まで介護施設で働いていた中部地方で暮らす女性(20代)は、そう明かす。  女性は元々、軽度の知的障害と発達障害のADHD(注意欠如・多動症)を抱えている。就職時の面接では「一つずつ指示してほしい」「ゆっくりでないと理解できない」と伝えていた。しかし、就職後まもなく言葉の暴力が始まった。 ■復帰しても再びいじめ  すぐに仕事を覚えられなかったり、二つ以上のことを同時にできなかったりすると、同じ部署の先輩や主任が、 「なんでそれができないの!」 「なんで同時にできないの!」 「前も教えたじゃん!」  などと罵声を浴びせてきたという。  上司に相談しても信じてもらえないと思い、一人で悩みを抱えた。しだいに精神的に追い詰められ、本気で命を絶とうと考えたこともあった。  精神科を受診し、うつ病と適応障害と診断されて入院。退院して職場に復帰したが、いじめは再開し体調を壊して再び入院した。すると、研修期間中という理由で「首」を言い渡され、8カ月で退職した。今も精神科に通院し、睡眠剤を飲まないと寝ることができないという。 「社会に出るのに恐怖を感じて、仕事に就くことができません」  職場のいじめが深刻化している。厚生労働省によれば、2020年度、全国の労働局などに寄せられた職場のトラブルなど民事上の相談件数は延べ約35万件に上る。内容別では、パワーハラスメント(パワハラ)などの「いじめ・嫌がらせ」が最も多く約8万と全体の約23%。9年連続トップで、この10年間でほぼ倍増した。事例としては、上司から非難・罵声を浴びせられるなど精神的な攻撃が挙げられている。 AERA 2022年6月13日号より  なぜ、人を追い込む職場のいじめは起きるのか。 『大人のいじめ』の著者、坂倉昇平さんによると、近年見られる職場のいじめの背景には長時間労働に象徴される厳しい労働環境があるという。坂倉さんは労働問題に取り組むNPO法人「POSSE(ポッセ)」理事で、労働組合「総合サポートユニオン」執行委員でもある。 「残業が多く休憩が取りづらいなど、過労死するほど過酷な労働環境です。膨大な業務量によって疲労や不満などのストレスがたまると、そのはけ口を会社側ではなく同僚や部下に向けるのです。また、命令に従わせるため意識的にいじめるケースも多く見られます」  坂倉さんによれば、いじめが起きるのは大企業から中小企業まで幅広い。職種は、サービス業や保育・介護といった人間の労働力に頼る「労働集約型産業」に多い。効率的にハードワークをこなせない「生産性の低い」人が狙われやすく、職場に迷惑をかける存在だから「いじめても良い人」として扱われてしまうという。 「しかも、今はコストカットによって人が減らされ、そこに名ばかりの『働き方改革』が追い打ちをかけます。残業時間の上限が決められても仕事量は減らしてもらえず、負担が増えるばかり。こうして、いじめはさらに加速していくことになります」(坂倉さん) ■体形をいじられて涙  一方、いじりもいじめ同様、人を傷つけ苦しめることが少なくない。人をもてあそぶいじりは陰湿ないじめとなり得る。 「おいっ、ドスコイ!」  イラストレーターのharaさん(28)は20年11月、パート先の接客・販売業の店内倉庫で作業しているとき、いきなり声をかけられた。  聞き違いかと思ったが再び、 「おい、ドスコイ!」  と呼びかけられた。振り返ると男性上司が、 「怒った?」  と笑いながら立っていた。  haraさんは、子どものころからぽっちゃりした体形をいじられてきた。コンプレックスから摂食障害に苦しみ、過食嘔吐を繰り返した。しかし、6年ほど前にありのままの体を愛する「ボディーポジティブ」という考え方を知り、自分の体形を卑下しないようにしようと心がけていた。上司からいじられたのは、そんなときだった。 イラストレーターのharaさんが自らの体験を描いた漫画『自分サイズでいこう 私なりのボディポジティブ』(KADOKAWA)から(絵 haraさん提供) 「怒った?」  と上司が聞くので、勇気を振り絞り、 「サイテーですね!」  と言い返した。  上司はちょっとうろたえた様子だった。その後、休憩時間になってharaさんはトイレに駆け込んだ。悲しみなどさまざまな感情が湧き出たが、「言い返せた」とも思った。涙がこぼれた。 「いじりは、相手が笑ってくれているからちゃんと愛として成立している、と安心している方も多いかもしれません。ですが周りが盛り上がるなか、真顔で『今の傷つきました』『やめてください』と言い返せる人がどれだけいるのだろうと思います。上司と部下の関係性だと特に困難です」(haraさん) 職場のいじめやハラスメントの専門家がいる主な相談窓口(AERA 2022年6月13日号より) (編集部・野村昌二)※AERA 2022年6月13日号より抜粋
AERA 2022/06/12 08:00
大量の食べ吐き、飲酒…“サバイバー”夫が歩んだ壮絶な20年 家族が苦しむ「すき間」とは
大量の食べ吐き、飲酒…“サバイバー”夫が歩んだ壮絶な20年 家族が苦しむ「すき間」とは
ある日の食卓。アルコール性の認知症になってから、料理は私が担当し、朝のうちに用意しておいた夕食を一緒に食べる(photo:朝日新聞社・永田豊隆)  およそ20年、朝日新聞記者・永田豊隆氏は、精神疾患を抱えた妻の介護と仕事の両立に悩み続けた。日本は世界的にみて精神科病床数が多いが、精神障害者が地域で暮らす支えが十分ではない。家族にのしかかる負担について、介護当事者である永田氏が綴る。AERA 2022年6月13日号から。(前後編の前編) *  *  *  大量の食べ吐きや飲酒、自傷行為、極端な感情の浮き沈み。精神障害を抱えた妻の闘病をたどる『妻はサバイバー』を4月に出版した。これまでの経過をありのままに書いたところ、「壮絶だ」「言葉にならない」という反響が多く寄せられている。  妻の症状を知ったのは、20年前にさかのぼる。  結婚から3年たった2002年、彼女が29歳のとき、摂食障害がわかった。何時間もかけて大量の食べ物を食べては吐く。食料代がかさんで借金を抱えた。人が変わったようになった彼女は私を罵倒し、時折暴力もふるった。  5年後、知人による性被害が発覚。それまで受診を拒んでいた精神科病院に入退院を繰り返し、大量服薬による自殺未遂を重ねた。間もなく連続飲酒が続くようになり、アルコール依存症になった。その間に専門的な心理療法を受けて、幼少期の過酷なトラウマが浮き彫りになった。  19年夏、救急搬送がきっかけでアルコール性認知症が判明。以来、妻は酒をやめた。  今は認知症の症状をケアしながら、やっと夫婦で落ち着いた日々を送っている。 ■精神障害当事者の周辺に家族の苦悩がある 「壮絶」という声が多いのは、それだけ妻の症状が衝撃的だったということだろう。しかし、まず知ってほしいのは、私の体験が決して特殊ではないということだ。  今回の本がネットで期間限定公開された際、精神科医を名乗るアカウントから「急性期病棟で働くと日常」という指摘があった。その通りだと思う。私が妻の治療を通じて出会った限りでも、精神障害の当事者と壮絶な日常を送る人は少なくないが、ほとんど周囲に知られていない。アルコール依存症患者だけで推計約100万人、摂食障害の受診者だけで21万人にのぼる。それぞれの周辺には家族らの苦悩があるはずだ。その一端は時折、悲劇的な事件として現れる。 <川崎市の自宅で長男(当時37)を4カ月にわたって監禁したとして、両親と妹の3人が逮捕監禁容疑で逮捕された。長男には精神疾患があったとみられるが、医療機関は受診していなかったという。父親は容疑を認め「外に出して迷惑をかけたくないと思った」と供述しているという>(22年2月1日付朝日新聞)  家族が負担を抱え込むことなく患者の治療が進むように、精神科医療を中心にさまざまな支えがある。  なのに、なぜ、こうした悲劇が後を絶たないのか。  それは、支えにいくつも「すき間」が空いていることが大きい。すき間に落ち込むとき、家族の苦しみは何倍にもなる。  私自身、何より悩まされたのは、入院治療と在宅治療の間のすき間だった。  自傷行為をするなど妻が不安定な時期、私は何とか入院させようと必死になったが、妻は嫌がった。だますように車に乗せて強引に入院させたこともあるが、その後、本人は医療への拒否感を強めたように見えた。  無理もない。本人にしてみたら拉致されるのと同じだ。入院中は携帯電話を取り上げられ、個室に隔離されることもある。日本は先進国の中で飛び抜けて精神科病床数が多く、家族の同意で強制的に入院させる医療保護入院という制度もある。でも、強引な入院は本人の心に傷を残し、その後の治療に支障をきたす場合がある。  ただ、症状が悪化しているときに自宅で一緒に暮らすのは、正直、家族にはつらすぎる。本人の安全も守れない。訪問看護やヘルパーを利用するにしても時間数は限られ、急変への対応は難しい。  強制的に入院させるか、自宅で耐え抜くか。家族にとってどちらも苦しい。地域の支えが乏しく、この二つしか選択肢がないことが問題だ。そのすき間を埋める中間の方法があれば道が開けるのではないか。精神科医や精神保健福祉士ら多職種のチームで自宅を訪問するACT(包括型地域生活支援プログラム)など注目すべき取り組みはあるが、実施されているのはごく一部の地域にとどまる。 2008年ごろからアルコールに頼るようになった。2018年7月、主治医に勧められて妻がつけていた飲酒の記録(photo:朝日新聞社・永田豊隆) ■救急搬送で断られた入院、制度は「すき間」だらけ  生き死にに関わって深刻なのは、精神科医療と身体科医療のすき間だ。  14年、妻はアルコール性の肝機能障害が重症化して救急搬送されたが、総合病院で入院を断られた。死を覚悟したが、最終的には精神科病院が引き受けて一命を取り留めた。  その後、精神障害が理由で治療を断られるケースが妻だけでないことも知った。身体の病気は精神科で治療するには限界があるが、身体科の医師が「精神面のケアができない」として敬遠することが珍しくないのだ。二つの領域の狭間で、患者は治療を受ける権利を奪われる。  現状では、身体合併症を診てくれる医療機関を家族が自力で探さなければならない。せめて救命を終えるまで身体科で治療をしてから精神科に引き継ぐ態勢を徹底して、すき間をなくせないものか。今も私は、いざというときに身体の病気を診てもらうことができないのではないかという恐怖感を抱え続けている。(朝日新聞記者・永田豊隆)※AERA 2022年6月13日号より抜粋
AERA 2022/06/11 11:00
摂食障害、アルコール依存症、認知症…妻の介護を綴ったルポ出版 著者の願いは?
摂食障害、アルコール依存症、認知症…妻の介護を綴ったルポ出版 著者の願いは?
「妻はサバイバー」は2018年、朝日新聞デジタル、大阪府内版などで連載。大きな反響を呼んだ  精神疾患を抱えた妻(49)の介護と仕事、その両立に悩み続けた20年近くにわたる日々──。朝日新聞デジタルで大きな反響を呼んだ連載に加筆した『妻はサバイバー』(小社刊)が4月に刊行された。著者で朝日新聞記者の永田豊隆氏(53)に、ともに本を作った編集者がインタビューした。 *  *  * ──本の発売から1カ月近く経ち、多くの感想が寄せられています。  反響の大きさにとても驚いています。「あまりの壮絶さに驚いた」というご感想をたくさんいただきましたが、私にとっては意外な感じがします。というのは書いたことは日常なんですね。やはり妻のような疾患のことはあまり知られていない。同じような障害を抱えている皆さんは、ひっそりと人知れず生きている。それが大きいんだろうなと思います。その壁が大きいからこそ「壮絶だ」という驚きにつながるように感じます。 ──当事者の手記がほとんどない中で貴重な記録になっている、という評もいただいています。身近な方の反応をお聞かせいただけますか?  今回の出版を世界で一番喜んでいるのは多分、妻じゃないかと思います。「私みたいに苦しむ人を減らしてほしい」という妻の言葉に背中を押されて連載を始めた経緯もあります。妻はゲラの段階から何十回となく通読して、本になったら感慨深く眺めながら何度も最初っから最後まで一日の半分以上読んでいるんじゃないかと思うぐらいです。同じ本を擦り切れるまで読むのは最近の傾向としてはあったんです。認知症になると内容を忘れるからということもあるんでしょうけど、もしかすると何度読んでも初めて読んでいるような感じなのかもしれないですね。同僚からも好意的な反応が多く、後輩の女性記者から「最後のところ、読んで泣きました」という電話がありました。「お前がこんな状況だって知らなかったよ」という声もよく聞きます。 ──この20年を振り返ったとき、特に苦しかったのはいつごろですか。  時期でいうと二つあって、一つは精神科を本人が受けようとしなかった最初の5年間、受診自体が大きな壁だった時期です。もう一つは断酒するまでの最後の2年間ですね。どちらもまったく希望が見いだせなかった。最後の2年間は冷静に考えると精神科医療、特に依存症医療の限界という課題もあると思いますが、どこも引き受け手がなかったんです。一般の精神科では「飲酒の依存症がかなり進行しているから」ということで診てくれない。一方、依存症の専門医の対応は、本人が頑張ってお酒をやめて治療プログラムなどに足を運ばないと基本的にはサポートがないんですね。内科も「お酒を飲める体にして帰すだけになるので、もう診ません」という対応ばかり。このまま痩せ衰えて死んでいくんだろうかというのが最後の2年でした。そこから予想外の認知症がわかって治療の方向が変わり、今に至るのですが、あのままだったら今ごろ生きていませんでしたね。 ──厳しい状況で周囲の方に助けられた経験を書かれていますが、無理解に苦しんだことについてお聞かせください。  確かに私は周囲との関係ではかなり恵まれていたと思いますが、苦しんだこともあります。一つはアドバイス、助言をしたがる人が多いことです。情報を与えてくれるだけならいいのですが、本当に困っているときの助言は暴力に等しいときもあるんです。例えば「力ずくで酒をやめさせろよ」「入院させればいいじゃないか」という類いです。強制的な入院が本人に心の傷を残してその後の治療を難しくすることもあるというのをわからずにおっしゃっていて、助言してもらいながらひどい言い方かもしれませんが、一種のマウンティングではないかと思うときもあります。助言する側のほうがなんとなく優位に立てるという心理があるのでしょうね。逆に本当に力になってくれた人たちというのは、目の前にいる永田が大変そうだ、力になってあげたいと、わからないことをわかった上で接してくれるんです。摂食障害や依存症のことがわからなくても、力になりたいというスタンスを示してくれるだけで気持ちが楽になることも多いんです。同僚で、発達障害の子どもを育てながら、そのことを記事に書いている記者がいるんですけど、そういう仲間たちとお互いのぐちを言い合ったりするのも、すごく力になりました。 ──精神科医療など制度的な問題について、どのようにお考えですか。  日本の精神科医療がトラウマを重視していないと感じます。精神疾患の大元の部分にトラウマがある場合、そこにきちんとアプローチしないと、様々な悲劇がこれからも起こると思います。問題の根本に薬物治療と入院治療だけに頼っている現状があるような気がします。精神科の場合、受診自体を敬遠するケースは残念ながらすごく多いんです。これは本人のせいではありません。症状の特性で自分が病気だという認識を持ちにくいこともありますが、一つは社会全体の理解が少ないこと。「そんなところに行かされたら終わりだ」と。しかし精神科医療の現状を理解して嫌がっているという側面もあると思うようになりました。いったん入院したら長期入院させられてしまう。「医療保護入院」が適用されれば本人の意思とは別に入院させられる。本人からしたら拉致されて隔離される経験ですよね。私もこの制度を散々利用してきたわけですが、そこの迷いや自戒も含めて、この本を書きました。 『妻はサバイバー』(1400円+税) 妻に異変が起きたのは結婚4年目、彼女が29歳の時だった──。激しい過食嘔吐、途切れない飲酒、大量服薬、リストカット、そして40代で認知症に。人を愛するとはどういうことか、胸を打つルポルタージュ。(本の帯から抜粋) ──連載を本にまとめるとき、エピソードを加筆していただきました。  妻の料理のことや引っ越しのときにアジア系の女性に花をプレゼントした話などを盛り込みました。今回のルポは私自身の格好悪いことも含めてあるがままに書こうと心がけていたんですけど、そうすると妻はとんでもないだけの人に見えると思ったんですね。大変なこともいっぱいあったんですけど、普段は笑ったりバカを言ったり、人として当たり前のやさしさや温かさを持った人間ですから。「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」というサイトを見て、私たちが書いてきた薬物事件の報道って、その人を人間として描いてきただろうかと思ったんですね。このルポも身近な人のことをちゃんと人間として書いているかという問いが自分に刺さって、それでいろいろな記憶がよみがえってきて、エピソードを加えたんです。この本が、似たような状況で困っている方の参考になったり、精神科医療を考えるきっかけになったりしたら、うれしく思います。それは妻の強い願いでもあります。 (聞き手/四本倫子、構成/本誌・堀井正明)※週刊朝日  2022年6月10日号
週刊朝日 2022/06/02 11:00
コロナ、物価高、ウクライナ侵攻 今こそ必要なのは「ネガティブ・ケイパビリティ思考」だ
コロナ、物価高、ウクライナ侵攻 今こそ必要なのは「ネガティブ・ケイパビリティ思考」だ
通谷メンタルクリニック診察室でペットセラピー犬の心(しん)くんと 『ネガティブ・ケイパビリティ』という本が、著者も驚く広がりを見せています。著者は、精神科医で作家の帚木蓬生さん。「答えの出ない事態に耐える力」について書いた本で、刊行は2017年ですが、医療界のみならず、教育やビジネスの世界、子育て世代にも響いて、コロナ禍以降は、先の見えない時代を生きる知恵としても引き合いに出されています。 この力を知ると「生きやすさが天と地ほどにも違ってくる」と著者が言うネガティブ・ケイパビリティについて、詳しく聞きました。 ※「医師だけでなくビジネスパーソン、主婦をも救う『ネガティブ・ケイパビリティ』とは?」よりつづく *  *  *――ネガティブ・ケイパビリティは、「性急な見解や解決を求めずに、不思議さや疑いのなかに、居続けられる力」だそうですね。この言葉に出会ったのは、若い医師の頃だとか。  そうです。私は32歳で精神科医になった ので、37歳か38歳くらいですかね。アメリカの精神医学誌に、“Toward Empathy:The Uses of Wonder”という論文がありまして。Wonder、つまり、あらっと不思議に思う気持ちですね、それによってEmpathy、共感に届いていく、ということです。なんかいい感じがして読み進めていくと、深い深い内容でした。そこにキーツのネガティブ・ケイパビリティについて書いてあったのです。 ――この言葉を知っているかどうかで「生きやすさが天と地ほどにも違ってきます」とまで書いておられました。その時どうして、心が揺さぶられたのでしょうか。精神科医になって、数年。教わったとおりにはいかない現実にぶつかっていたのでしょうか。  それはもう大変なものですよ。なかなか治らない、治ってもまた入院して来られますし。第一、有能な先輩たちの患者さんが、そう簡単には治らないわけですから。それなのに先輩たちは腐らずにやっている。  ああ、これはあの精神につながっているんだなあと思って見ていくと、眉間にしわを寄せない、患者さんから好かれる精神科医はだいたい、本人は知らずに、このネガティブ・ケイパビリティを実行している人たちだ、ということに気がつきました。 心くんは副院長でもある ――いまは福岡県でクリニックを開いていらっしゃいますけれど、お医者さんなのに、白衣は着ない方針だとか。  九州大学にいた頃は、皆、白衣でした。それで、先輩の精神科医が、保健所、今は精神保健福祉センターになってますけれど、そこへ週一回くらい行って相談にのっておられまして、息子が酒ばっかり飲んで困りますとか。その仕事は背広でなさっておられたのですが、「白衣を着ていないと、身の上相談になってしまって」と、よくこぼしておられました。その先生は真面目なので困っておられましたが、私は、いいな、これこそ精神科医の王道じゃないかと、ちらっと思いまして。それが頭にずっと残っていました。  勤務医の時は白衣がいりますけれど、17年前に開業してからは、白衣を着ないようにしました。そうしたら、本当にうちのクリニックは身の上相談所になりまして。よかったなあと思いますよ。身の上相談なしに精神科医療は成り立ちませんから。 ――白衣を脱いだだけではなくて、できるだけ派手な服を着るようにしているそうですけれど、どうしてですか?  フランスに留学していたときに、日本人の団体さんがようみえてましたけれど、皆、ドブネズミでした。日本にいるときはシックな色で良い服装でも、パリの乾いた空気のなかで見るとドブネズミなのですよ。中国からの人たちは赤やグリーンの服を着ています。それに、フランスの公園で車椅子を押してもらって散歩している高齢のご婦人だって、口紅つけてネッカチーフつけて、本当にきれいでした。  それで私も白髪になって、初めて赤いの着てみたら、これはいけるね、と思いまして。派手な服装をしてみたら、患者さんも変わりました。患者さんも、特に高齢の患者さんが、派手な服装でみえるようになりました。良いことだと思います。 ――患者さんたちに、新型コロナはどんなふうに影響しましたか。  後遺症なのか気合が入らないとおっしゃっていた方もいます。施設にいる親御さんに会えなくなってしまった人もいます。あとは、コロナ鬱ですね。気晴らしがなくなって、どこにも行けない。カラオケも閉まる。老人会のサロンもなくなって、お寺さんの集まりもなくなっちゃった。そういう日常がなくなって、抑うつ、不安、不眠が出ました。今ではだいぶ慣れてきたので、そういう患者さんは減りました。 2017年の発売以来、重版を続け5万部に迫った帚木蓬生さんの著書『ネガティブ・ケイパビリティ』(朝日選書)。本書が説く、「生きやすくなる」考え方とは ――ネガティブ・ケイパビリティは、2020年から再び、引き合いに出されることが多くなりました。全国紙の記事検索をしてみると、ネガティブ・ケイパビリティという言葉が出てくる記事の件数が多いのは、ご著書『ネガティブ・ケイパビリティ』が出た2017年よりも、2020年なのです。 この年の4月に最初の緊急事態宣言が出されて、5月にすぐ「コロナ禍を生き抜く 答えなき不安に耐える」という帚木さんのインタビューが読売新聞に載りました。朝日新聞の「論壇時評」でジャーナリストの津田大介さんは、2020年の1月と12月の2回、ネガティブ・ケイパビリティに触れています。1月は芸術の話でしたが、12月は、コロナ禍と、不寛容と分断が進んだ一年をふりかえって、危機の時のネガティブ・ケイパビリティについて書いておられました。  そういうのは、初めて知りました。  即断即決とはいかないからだと思います。先が見えない、わからないなかで、すぐに答えを出さなくてもいいというこの概念を知ることで、ホッとするのではないでしょうか。迷い、揺れ動きながら、問いを発しながら生き続ける知恵、ですからね。ネガティブ・ケイパビリティは。 ――また、今年、私たちは、ウクライナの危機を目にして、心穏やかではいられなくなりました。毎日のように、爆撃の様子や悲しみや恐怖に触れて、つらくなった人たちもいます。しかもこの戦争がなかなか終わらない。このような場合にも、ネガティブ・ケイパビリティは、何か私たちの力になってくれるでしょうか。  そうですよねえ……。  ネガティブ・ケイパビリティは、英語で言うと“stay and watch with wonder”、つまり、興味を持ち続けて、踏みとどまって見続けることですから。その心で見ていればよいんじゃないですかね。  コツコツと日常生活をしながら、踏みとどまって見続ける、問い続ける。“do the right thing”正しいことをしながら。それでいいんじゃないでしょうかね。悪いことは長続きしませんから。そう思います。 (取材・文/河原理子)
書籍朝日新聞出版の本読書
dot. 2022/05/24 08:00
5月号書評家 東えりか Azuma Erika貴重な当事者たちの声
5月号書評家 東えりか Azuma Erika貴重な当事者たちの声
『妻はサバイバー』 永田豊隆 著朝日新聞出版より発売中 <川崎市の自宅で長男(当時37)を4カ月にわたって監禁したとして、両親と妹の3人が逮捕監禁容疑で逮捕された。長男には精神疾患があったとみられるが、医療機関は受診していなかったという。父親は容疑を認め「外に出して迷惑をかけたくないと思った」と供述しているという。(2022年2月1日朝日新聞)> 世間は精神障害者に優しくない。世間体や迷惑をかけたくないと家族だけで精神疾患患者をケアした結果、この事件のように死に至らしめたというケースは珍しくない。  本書の著者で朝日新聞記者の永田豊隆は、精神障害者にとっての世の中の障壁について、本文でこう語っている。<それは社会の偏見であり、差別感情だと私は思う。段差と違って目に見えないが、強固だ> 私は精神疾患患者とそれを支える家族の問題に関心があり、多くの関連書を読んできた。だが精神科の医師や施設側の視点で書かれたものが多く、当事者の声はなかなか表に出てこない。その意味でも、本書は一人の新聞記者とその妻の20年にわたる精神疾患との闘いを綴った稀有な記録だと思う。精神障害者の家族の多くが、川崎の事件のようにできるだけ世間から秘匿しようとするなか、著者とその妻は、自分たちの体験を公にして悩んでいる人たちの救いになって欲しいと願った。  永田の妻が発症したのは2002年の秋。結婚4年目、29歳で専業主婦の妻は突然大量の食べ吐きをするようになる。「食べたい」という衝動を抑えきれず、普通の食事の3倍は食べ、そのあとペットボトルを手にトイレにこもる。それを何往復もしてやっと落ち着くという異常な行動は「摂食障害」という病名が付けられた。  私がこの病気を初めて知ったのは人気兄妹デュオ、カーペンターズのボーカル、カレン・カーペンターの死によってだった。食べたいだけ食べてあとで吐く、というダイエット方法が精神疾患であり死につながるとは思ってもいなかった。後年、スポーツ選手やファッションモデルなどの告白により顕在化するが、厚生労働省によると2017年に摂食障害で医療機関を受診した患者は約21万人とされる。  妻の異変に気付いたのは赴任先の岡山だった。大きな事件の取材が落ち着いたあと、貯金が減っているのに気づく。頭痛、腹痛、だるさを訴え発熱し、急激に痩せていく。衰弱しきって入院してもすぐに退院を望み、帰宅すると過食を繰り返す。医師には精神科を勧められるが本人が同意しない。精神科受診のハードルは高かった。  過食だけでなく性格も猛々しくなり、罵倒や暴力、いわゆるDVも始まった。貯金も底を尽きつつあった。  上司に相談して仕事の負担を減らし、妻に内緒で保健所や公的相談機関を頼った結果、一人の精神科医に出会う。のちのちまで心の支えとなったこの医師は、治療を拒否する妻と会うことなく、代理の夫の話を聞いてアドバイスを授けた。代理受診という方法がある事を初めて知った。  妻の摂食障害や暴力などの原因は幼い頃の親からの虐待にあった。過食嘔吐はその虐待からの逃げ場だったと後に告白している。詳しく書かれていないが、優秀な臨床心理士の聞き取りによって明らかにされた実態は、医師たちが驚くほど過酷なものであったようだ。  一進一退を繰り返すなか、幻覚症状も現れる。解離症状もみられ、自殺衝動も起こった。知り合いの男にひどいセクハラを受けていた事実も発覚して、妻自身が苦痛に耐えられなくなり、ようやく精神科を受診すると決断。入院に至ったときは発症から5年が経っていた。  一息つく間もなく、過食嘔吐のあとさらにアルコールに手が出るようになる。医師の制止も聞かず連続飲酒が始まり低栄養と肝機能障害が進む。ケアに疲れた夫も適応障害と診断され休職を余儀なくされた。ここまで読むと、よくぞ持ちこたえたと感心せずにはいられない。何もかも放り出して逃亡してもおかしくない状況なのになぜなのか。  ひとつには記者という仕事が支えてくれたのかもしれない。凄惨な状況のなか、妻を助けるため原因を探り、医療や公的支援などを取材する第三者的な視点が彼を冷静にしたのだろう。さらに患者の保護者として日本の精神医療の問題点を実感することができたのも本書を意味のある内容にしている。精神疾患を患う患者が身体疾患の病院から断られるケースなど、現在のコロナ禍で多く起こっていたのではと推察される。拒否された家族の失望はどれほど深いか。 辛く苦しい闘病生活は、ある日終わりを告げる。思いもかけない結末に、読者は驚きとともに「なるほど」と安堵すると思う。本書を読んで身につまされる人は多いだろう。永田さん、あなたが本当の「サバイバー」だ。
最初の読者から 2022/05/10 13:37
うつ病はいつの間にか「以前と違う状態に」 2週間以上続く症状に注意【チェックシート】
うつ病はいつの間にか「以前と違う状態に」 2週間以上続く症状に注意【チェックシート】
東京都立松沢病院院長の水野雅文医師 うつ病、統合失調症、不安症といった精神疾患を持つ人の半数は10代半ばまでに発症しており、全体の約75%が20代半ばまでに発症しています。精神科医で東京都立松沢病院院長の水野雅文医師が執筆した書籍『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)から、「うつ病」について、チェックシートとともに一部抜粋してお届けします。 *  *  * 【診断】  気分の落ち込みや睡眠障害などは、うつ病ではなくても少し調子が悪い時によく経験する症状です。また、風邪などのように「いつから始まった」という具体的な発病の時期がはっきりせず、いつの間にか、「以前と違う状態になっている」ことが少なくありません。  そのため、本人も病気だと思わず、受診が遅れがちになります。症状が長く続いている場合(目安は2週間)は、医療機関を受診してください。  不登校や引きこもりでは、うつ病になっているケースも少なくありません。家族など周囲の人は「怠けている」などと決めつけず、本人の話をしっかり聞き、必要に応じて専門家につなげることが大切です。  うつ病は、他の病気のように血液検査や画像検査などで異常を見つけることができないため、医師が詳しい聞き取りをして診断をつけることになります。  うつ病ではないけれど、うつ病に似た症状を起こす病気との鑑別も必要です。精神疾患では、「不安症」や「パーソナリティ障害」「適応障害」「認知症」などがありますし、精神疾患以外でも、甲状腺や肝臓の病気などさまざまです。  近年は、うつが流行のようになって、うつやうつ病という言葉があまり抵抗なく使われるようになりました。誰でもかかる身近な病気として捉えるなどいい面もあるのですが、健康な心の動きをうつ病だと決めつけたり、うつ病を「大した病気ではない」と軽視する風潮もあります。  適切な治療につなげるには、正確な診断が欠かせません。うつ病かどうかの判断は自分で行わず、心配な場合は医療機関を受診してください。 『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)より 【治療】  うつ病になるのは心が弱いからだと勘違いされがちですが、根性を鍛えて治るものではありません。医師による治療が必要です。  うつ病の主な治療法は、「心身の休養」「抗うつ薬を主体とした薬物療法」「カウンセリングなどの精神療法」の三つです。  とくに休養は、うつ病治療の基本と言えるもの。「休んでいたら周囲から怠け者だと思われないだろうか」などと、休養をとることに抵抗感を抱く人もいますが、心と体の両方をしっかり休ませることが、すみやかな回復につながります。自宅では十分に休めないという場合は、入院も一つの選択肢になります。  休養を取りながら、重症度に応じて薬物療法や精神療法を組み合わせます。 【大切なこと】  以前はうつ病は「心の風邪」などと言われましたが、風邪のようにすぐに治るものではありません。治療でいったん症状が治まったからといってそのまま右肩上がりに良くなるわけではなく、足踏みをしたり、少し逆戻りをしたりすることもあります。そうした上下の波を繰り返しながら、ゆっくり回復していきます。  症状が安定し、調子が上向いてくると、復帰を急いでつい頑張りたくなるものですが、無理をすると悪化することもあります。また、勝手に薬を飲むことをやめてしまったり、治療をやめたりしてしまうのは好ましくありません。  治療には時間がかかることを知っておき、決して焦らないこと。少しずつ、ゆっくりと時間をかけながら進めていきましょう。  うつ病は誰でもかかる可能性がある身近な病気ですが、実際に家族や友人など身近な人がうつ病を発症したら、どう対応すればよいかわからずに混乱してしまうこともあるでしょう。適切な対応をするには、本人だけでなく周囲もうつ病を正確に理解することが大事。医師や専門家からアドバイスをもらいながら、本人を温かく見守り、支えていきましょう。 ※『心の病気にかかる子どもたち』(朝日新聞出版)より抜粋 水野雅文(みずのまさふみ) 東京都立松沢病院院長 1961年東京都生まれ。精神科医、博士(医学)。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院博士課程修了。イタリア政府国費留学生としてイタリア国立パドヴァ大学留学、同大学心理学科客員教授、慶應義塾大学医学部精神神経科専任講師、助教授を経て、2006年から21年3月まで、東邦大学医学部精神神経医学講座主任教授。21年4月から現職。著書に『心の病、初めが肝心』(朝日新聞出版)、『ササッとわかる「統合失調症」(講談社)ほか。
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dot. 2022/05/09 07:00
元マネージャーが書いた野口健の表と裏「抗い難い魅力と中毒性がある」
元マネージャーが書いた野口健の表と裏「抗い難い魅力と中毒性がある」
小林元喜(こばやし・もとき)/1978年、山梨県生まれ。法政大学経済学部卒業。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。村上龍のアシスタント、都知事時代の石原慎太郎の公式サイト制作・運営、野口健事務所などを経て、現在はベンチャー企業に勤務  誰よりも近くにいて、表も裏も知り尽くした元マネージャーの小林元喜さんが、登山家の野口健さんの評伝『さよなら、野口健』(集英社インターナショナル 2090円・税込み)を書いた。18年間に事務所を3回辞め、合計10年間マネージャーを務めた。 「野口さんには抗い難い魅力と中毒性があるんです。辞めた後も考えない日はないくらい頭の中にずっと野口さんがいる。だから彼のことを書いて自分たちの18年間に決着をつけたいという思いはありました」  40人以上の関係者と野口さんを取材し、生い立ち、恋愛、七大陸最高峰世界最年少登頂、エベレスト清掃登山、橋本龍太郎との関係、政治家を志したことなど、軌跡をたどった。野口さんを「登山家としては、三・五流」と評する登山家にも話を聞いた。  波乱に満ちた半生だけでも読み応えがあるが、途中から野口さんの日常に小林さんという登場人物が加わり、内側から素顔を描いていく。二人の人生が交錯し、ページを繰る手が止まらない。  二人は2003年に友人の紹介で出会った。 「話も面白かったですけど、別れ際に握手をしたときグッと何かを持っていかれちゃったんです」  5歳上の野口さんに一度で魅了され、「この人は俺がいないとダメなんじゃないか」と事務所の設立に奔走する。  以来18年間、二人の関係を小林さんは「蜜月の時代もあれば、倦怠や互いに傷つけ合う不和の時代もあった。野口の優しさにひとり涙した時もあれば、二度と会わないと絶交を誓った期間もあった」と書いている。  目標を次々に実現する並外れた実行力、環境保護や被災地支援に真摯に取り組む姿を目の当たりにする一方、小さなミスを責められ、楽しそうにしていないと不機嫌な顔をされる。常に最高のパフォーマンスを求められる日々は小林さんを追い詰めていった。なにしろこの本は、自分の中の野口さんを消そうとして京都の縁切り神社を訪れる場面から始まるのだ。  小林さんは20歳頃から小説家を目指していた。自身が心揺さぶられた作品には人間の負の部分が描かれていた。そこを書かなければ美しさも出てこない。野口さんをどこまで書くか迷いはあったが、本気で書くなら自分のこともさらけ出さないと礼を失すると考えた。 「家庭もあるし、今は普通のサラリーマンですから怖かったですね。でも思い切って、困窮したことや精神科に入院したことを書いたら、連動するように野口さんのことも踏み込んで書けた。僕としては二人で並走した感じがありました」  野口さんは「俺が原稿をチェックしたら面白くなくなるから見ないよ」と言い続けた。何度も書き直し、3年かけて初の著書を完成させた。 「この本を書くことによって、自分の人生には意味があったと思えるようになりました」  と小林さん。開高健ノンフィクション賞の最終候補に残った作品だ。(仲宇佐ゆり)※週刊朝日  2022年4月15日号
読書
週刊朝日 2022/04/07 11:30
川上未映子、新著でコロナ流行前夜を描く 「あの時期の手触りを残したい」
川上未映子、新著でコロナ流行前夜を描く 「あの時期の手触りを残したい」
かわかみ・みえこ/1976年、大阪府生まれ。『乳と卵』で芥川賞、『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。毎日出版文化賞を受賞した『夏物語』は世界40カ国以上で刊行が予定されている(photo 編集部・戸嶋日菜乃)  AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。 『春のこわいもの』は、川上未映子さんの著書。2020年3月(と作中では明記はされていないが)の東京を舞台に、感染症大流行前夜を描く6篇を収録した短編集。ギャラ飲み志願の女性、ベッドで人生を回顧する老女、深夜の学校へ忍び込む高校生、親友を秘かに裏切りつづけた女性作家……など、6人の男女が体験する甘美な地獄巡り。コロナ禍の息苦しさのみならず、<わたしたちはいつだって「災厄の前日」を生きている>という筆者の思想を色濃く反映した最新刊。川上さんに、同書にかける思いを聞いた。 *  *  * <きょうは明日の前日だから……だからこわくてしかたないんですわ>  本書の最初に綴られているのは、大島弓子の漫画『バナナブレッドのプディング』の冒頭で主人公の衣良が言うセリフ。収録されているコロナ禍直前を舞台にした六つの物語にとても相応(ふさわ)しい。川上未映子さん(45)は東日本大震災の後に「三月の毛糸」という小説や「まえのひ」という詩を書いている。これらでもやはり地震の起きる直前に視線を注いでいた。 「それをまだみんなが知らなかった瞬間を書きたくなるんです。例えば行ってきますって家を出て行って帰れない人が必ずいるわけです。自分あるいは自分の大事な人にそういうことが起きるとは誰も思っていない。でも絶対に毎日どこかで起きている。いつか自分もそうなるかもしれないという恐怖ではなくて、絶対に誰も望まないことが起きてしまうっていうことへの驚嘆なんです。明日何が起きるかわからないからわくわくできる人もいると思う。でも、私はやっぱり逆のものを感じてしまうんです」  本書に登場するのは、精神科病院に入院中の女性、ギャラ飲みの面接を受ける女性、ベッドで死期を待つ老女、SNSで作家を中傷し自殺に追い込んだ女性、夜の学校に忍び込む男子高校生、親友を裏切った女性作家……みな閉塞感を感じつつ、それぞれの現実を生きている。そこにコロナ禍がひたひたと迫ってくる。 『春のこわいもの』 (1760円〈税込み〉/新潮社) 2020年3月(と作中では明記はされていないが)の東京を舞台に、感染症大流行前夜を描く6篇を収録した短編集。ギャラ飲み志願の女性、ベッドで人生を回顧する老女、深夜の学校へ忍び込む高校生、親友を秘かに裏切りつづけた女性作家……など、6人の男女が体験する甘美な地獄巡り。コロナ禍の息苦しさのみならず、〈わたしたちはいつだって「災厄の前日」を生きている〉という筆者の思想を色濃く反映した最新刊 (photo 編集部・戸嶋日菜乃) 「感染症みたいなものすごく大きな得体の知れないものが覆い被さってきたときに、もともと持ってる逃れようのないオブセッションとか記憶とかそういったものが染み出してくる。それでどうしようもなくなるような状況を書くことで今っていうものを残せないかっていう気持ちでした。何となく怖かったものが明確になった人もいるだろうし、おろそかにしていたものにものすごく価値を見いだした人もいただろうし。私たちが隠してたものがどう引きずり出されるかっていうことに迫りたいという感じです」  六つの物語はバラバラなようでいて、すべて「記憶」というキーワードでつながっている。記憶という実体のないもの。そのあまりにも曖昧で、あまりにも個人的なものが、各々の「生」にとても大きな力を持っているということを改めて思い知らされる。 「私たちはもうコロナがいつ始まったかもあやふやなそんな中で生きている。でも、コロナだけじゃなくて、どの瞬間も過去はそうなのかもしれない。希望と忘却はセットですから、忘れて傷が癒えていくということもあるでしょう。でも、それでもやはり変わってしまったものはあるし顕在化したこともある。そういうあの時期の手触りを残せたら。あと、私たちが本当は何に囚われているのかということも。読んでくれた人の中に絶対消化できない鉛のように何か一つでも残ればと、そんな気持ちです」 (ライター・濱野奈美子)※AERA 2022年3月21日号
AERA 2022/03/20 08:00
医師676人のリアル

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すべては命を救うため──。朝から翌日夕方まで、36時間の連続勤務もざらだった医師たち。2024年4月から「働き方改革」が始まり、原則、時間外・休日の労働時間は年間960時間に制限された。いま、医療現場で何が起こっているのか。医師×AIは最強の切り札になるのか。患者とのギャップは解消されるのか。医師676人に対して行ったアンケートから読み解きます。

あの日を忘れない

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どんな人にも「忘れられない1日」がある。それはどんな著名な芸能人でも変わらない。人との出会い、別れ、挫折、後悔、歓喜…AERA dot.だけに語ってくれた珠玉のエピソード。

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3月8日は国際女性デー。AERA dot. はこの日に合わせて女性を取り巻く現状や課題をレポート。読者とともに「自分らしい生き方、働き方、子育て」について考えます。

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