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顔面「グーパンチ」殴られるのは逃げ場のないホテルや車内 DV被害の相談3割が男性 
渡辺豪 渡辺豪
顔面「グーパンチ」殴られるのは逃げ場のないホテルや車内 DV被害の相談3割が男性 
(写真:Getty Images)    配偶者らパートナーからのDV被害を訴える男性が増加している。昨年、警察に相談や通報をした男性は全体の約3割だった。AERA 2024年6月10日号より。 *  *  * 「人に殴られるという滅多にない経験を、好きだった人にされたのは死ぬまで忘れられないと思います」  こう打ち明ける東京都の20代の会社員男性は、昨年夏まで約半年間交際した20代女性に繰り返し暴力を受けていた。  付き合い始めて数カ月後。「アルバイト先から給与が支払われない」と言う彼女のために家賃やサブスクの費用を肩代わりするようになった。その額は数カ月で数十万円に。女性は「お金がない」と言いながら整形手術をするなど浪費癖があった。男性が「もう少し出費を抑えたほうがいいんじゃない」と諭すと、女性は急に不機嫌になり、「グーパンチ」でいきなり顔面を殴ってきた。腕で顔を覆ってパンチを防ごうとすると、爪で引っかかれた。  殴られるのは逃げ場のないホテルや車内。さすがに無抵抗の相手を殴り続けるのは心が痛んで途中でやめるはずだと考え、「そんなに怒りが抑えられないんだったら、殴りたいだけ殴ってみろ」と言ったこともある。すると、全く容赦なく30発以上殴られ続けた。「この人は暴力をふるうことに全く良心の呵責がないんだ」。そう思い知り、金銭の問題も含めてこれ以上付き合うのは無理と悟った。別れ話を切り出すと女性は逆上し、「殺す」と言ってのしかかり、腕で首を絞めてきた。女性は華奢だが長身で腕をふりほどくのも、やっとの思いだった。身の危険を感じる局面でも、男性は一度も女性に暴力をふるわなかったという。正当防衛だと主張しても、やり返すとこちらがDV加害者に仕立てられかねない、と考えたからだ。しかし、身体的な痛みよりもつらかったのは、精神的ショックだったという。 「私自身、人を殴ったことはありません。人を殴る、という行為にはしる気持ちがそもそも理解できません。殴られている時は、どう受け止めていいのか分からない混乱状態に見舞われていました」  余程のことがなければ人は人を殴ったりしないはずだ。彼女を激高させるほどの落ち度が自分の側にあったのか。こうなる前に、なぜ自分は何とかできなかったのか。男性は殴られながら自問を繰り返したという。 AERA 2024年6月10日号より    周囲の反応も男性を苦しめた。「相手がヒステリックになっただけでしょ」「男なんだから、少し殴られたぐらい平気でしょ」。親身になってくれる人はいなかった。 「男の側が被害を受けたと言っても、大したことじゃないと思われるんです。友人からは、『結果的に別れられたからよかったじゃん』とも言われました。そういうことじゃないんだけどなって……」 言葉の暴力もあったが、ほとんどが身体的な暴力だった。女性は親と仲が悪く、つかみ合いのけんかをしたこともある、と語っていた。「沸点に達した感情を表す手段として、暴力が体内にインプットされてしまった人」。そんな印象が強く残ったという。 男性は彼女と別れた今も、殴られたシーンが不意によみがえることがある。 相談できぬ男性なお 「転職して東京で暮らすようになったのも、彼女の近くにいたいと思ったからでした。仕事の調子が悪い時、自分はなぜいま東京にいるんだろう、あんな暴力をふるう人間のためにかけがえのない人生の進路を変えられてしまった、もしかすると人生を棒に振ったんじゃないかと、とことん悪い方向に考えてしまうことがあります」  警察庁によると、パートナーからDV被害を受け、警察に相談や通報をした男性は2023年に2万6175人で全体の29.5%。女性の方が多い状況だが、13年に3281人(6.6%)だった男性被害者は18年には1万5964人(20.6%)と増加傾向にある。男性が被害を訴えやすい環境に変化しつつあるものの、「男だから」というジェンダー意識も相まって、DV被害を周囲に相談できない男性は依然として多いとみられている。  一方、加害の記憶に苦しむ女性もいる。東日本在住の看護師の50代女性は、アエラのアンケートにこんな言葉で始まる回答を寄せた。 「元夫が働かず、クズのような人でした」  修羅場は約10年前。2人の息子は当時、高校生と大学生。教育費がピークにさしかかっていた。住宅ローンも抱え、お金が最も必要な時期に「働かない夫」のために家計は突如、火の車になった。女性は2カ所の病院を掛け持ち勤務し、その合間に、入院した義父の世話もした。 働かぬ夫に怒り 「その時の気持ちはこっちが正義で、夫が悪。悪なんだから(夫は)懲らしめられて当然という感覚でした」 気づけば、日常的に夫を罵倒し、殴る蹴るの暴力を止められなくなっていた。  「夫がひきこもりにならず、働き続けてさえいてくれれば、私も夫もDVにかかわるような人生を送ることがない人間だったと思います」 虐待などのトラウマ経験のない女性がなぜ、DVの加害者になってしまったのか。事情を尋ねると、女性は罪悪感と後悔を口にしながら経緯を吐露した。  夫は新卒で大企業の研究職に就職。海外勤務も経験したエリート社員だった。感情をあまり表に出さず、まじめでおとなしいタイプ。喜怒哀楽がはっきりしていて感情の起伏が激しい女性とは対照的な性格だという。難点は「転職癖」。52歳までに官公庁を含め転職を7回繰り返した。理由はさまざまだった。 「上司と合わない」「仕事のレベルが低すぎる」「忙しい割に待遇が悪い」  どれも腑に落ちなかった。転職先が決まる前に辞職する場当たり的な行動も解せなかった。しかし女性は、正面から夫を問いただすことはしなかったという。 「若い頃は転職を繰り返すことがチャレンジ精神のようにも見えたし、高給を維持できる研究職の転職先がスムーズに見つかっていたこともあって目をつむることができました」 でも、と女性はこう続けた。「今思うと、夫に対する怒りや不信をずっと抱えていたのだと思います。DVをするようになって、私は許していなかったんだ、と自覚しました」 「動物以下じゃん」 「堪忍袋の緒が切れた」のは夫が52歳の時。「その年齢だと絶対に次の職場を確保できない」と諭す妻子の制止を振り切って辞職した夫は案の定、転職先を見つけられなかった。 「それ見たことかと。ぜいたくなんて言ってられない状況なのに、夫は『まともな仕事がない』と、そのままずるずると働かなくなり、自宅にひきこもるようになりました」  これを機に女性のDVが始まる。一方的に夫を怒鳴る日々が1年余り続いた。  ハローワークで仕事を探すよう促しても、「ろくな仕事はない」と拒む夫の背中を拳骨で叩きながら、「なに言ってんの!」と声を上げた。自宅にいてもほとんど家事をしない夫に「せめて買い物ぐらいして」と訴えると、「平日の昼間に外をぶらぶらしていると無職だと近所の人にばれる」とメンツを気にする夫にさらに苛立ちが募り、「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」と蹴飛ばした。  そして、「鳥や獣だって、巣立ちするまで子どもの世話をするのに、こうやって働かなくなったあんたは動物以下じゃん」と罵った。職場から帰宅し、「あー疲れた」とつぶやく女性に、「そんなに疲れるなら仕事やめて、みんなで生活保護を受ければ楽だよ」と返す夫にカチンときて、「ふざけんじゃないよ!」と罵声を浴びせた。 「言い返されると、怒りが増幅するんです」  別の部屋で寝ている夫のいびきも許せない。 「こっちが眠れないほど家計のことで苦しんでいるのに、いびきなんかかきやがって」 寝ている夫の枕元に詰め寄り、「うるさい! なに、いびきかいてんだよ。こっちは明日も仕事があんのに!」と怒鳴りつけたこともある。  夫は何を言われても、ただ黙っていた。蹴られても叩かれてもやり返さず、時折、「やめて」と言うぐらい。その反応も女性には気に食わない。 「やめてほしかったら働け!」  長男は大学院進学を断念して就職。東大受験を予定していた次男には「下宿代を捻出できない」と説得し、自宅から通える国立大学に志望先を変更してもらった。女性は息子たちとともに、夫に「出てけ!」と繰り返すようになった。夫は強く拒んだが、実家に追い出す形で別居。3年後に離婚が成立した。 「夫は今も実家でひきこもりの生活をしていると思います」 そう話した後、女性は少ししんみりしてこう言った。 「私と息子の3人が経済苦の状況で、夫が実家に出ていくのが合理的だと思っていました。でも今思うと、ちょっと気の毒だったかな。殴られたり罵られたりしても苦でないという人は世の中にいませんから」  冷静に振り返られるようになったのは、離婚から時間が経ち、夫との関係について距離をおいて考えられるようになったからだ。 「夫は社会人になるまでアルバイトをした経験もなく、バブル期に就職したので就職の大変さも全く味わっていません。常に居心地のいいところにいないと気が済まない、ずっと陽の当たるところを歩いてきた人が、52歳になって足もとが揺らぐ体験に初めて見舞われてショックだったんだと思います」 そしてこう続けた。 「夫はまじめで、趣味や息抜きできることがないから、仕事が気に入らないとそこにだけ意識が向いてしまったのかもしれません」 なぜDVを止められなかったと思うか問うと、女性は「相談できる人や場がなかった」ことを一因に挙げた。 「私にも心を許して話せる友人が周囲にいなかった。両親に相談しても仕方がないという気持ちもありました。人をケアする職業に就いているのに、家に帰ってくると怒りのスイッチが入ってしまう。自分自身も精神が壊れていく、という自覚がありました。ですから、DVをしていた時から相談できる人や場所がほしかったんです」 女性はDV被害者の相談窓口にしかアクセスできず、そこでは精神科や心療内科の受診を勧められたという。 「医師はカウンセリングをするわけではなく、抗不安薬や睡眠薬を処方するだけ、というのは職業上、知っていましたから、その時点で諦めました。今からでもカウンセリングを受けられるなら受けてみたいです」 罪悪感を払拭したい、と吐露する女性に同情しつつ、疑問もぬぐえなかった。アンケートの回答欄に元夫を「クズのような人」と表現した人物とは乖離があるように感じられたからだ。その点を問うと、女性は「反省する気持ちと憎む気持ちが同居」する複雑な心情を明かした。 「自分が逆の立場だったら、あんな言われ方をされたら居たたまれないだろうなと客観的に考えられるようになって、反省の気持ちがわきました。でも一方で、クズみたいな人だったから私はDVをやってしまった、という気持ちもあります。その両方の心情が振り子のように行ったり来たりしているのが正直な思いです」(編集部・渡辺豪) ※AERA 2024年6月10日号より抜粋
AERA 2024/06/08 16:00
高齢者率が高い奥能登で浮上した課題 地元のケア職も被災で問われる福祉職の派遣体制
高齢者率が高い奥能登で浮上した課題 地元のケア職も被災で問われる福祉職の派遣体制
立木茂雄(たつき・しげお)/1955年、兵庫県生まれ。専門は福祉防災学・家族研究・市民社会論。とくに社会現象としての災害に対する防災学を研究(写真:本人提供)    震災関連死を防ぐため重要な政策である広域避難だが、高齢者率が高い奥能登特有の課題が浮かび上がってきた。立木茂雄・同志社大学教授に聞いた。AERA 2024年3月4日号より。 *  *  *  広域避難を初めて大規模に行った災害という意味で、能登半島地震は、従来の大規模災害と一線を画する。広域避難は、要配慮者を守り「震災関連死」を防ぐためにも重要な政策だ。  契機は2013年に災害対策基本法が改正され、国や県が広域避難の際の調整機能を担えるようになったこと。東日本大震災の教訓がある。福島の精神科の入院患者を自衛隊のバスに乗せ広域に移動させる際、法的根拠がなく調整に時間を要し、人的な被害が出た。そうした負の教訓があったため、2013年の法改正に至った。  一方、奥能登ならではの課題も浮上した。災害現場に、介護や福祉の支援の手が圧倒的に不足していたと感じている。1月下旬に7市町で「福祉避難所」を開設できたのは、想定の2割しか開設されなかったという報道が相次いだが、想定を超える激甚災害下で2割開設できたのは現場の健闘が大きい。ただ、もともと高齢者率が高く、ケア人材が限られた中でなんとか維持してきた地域だ。ケアスタッフの多くが被災しており、早期から外部の介護福祉の支援者を被災現場に配備する体制を作るべきだったように思う。災害派遣福祉支援チーム「DWAT」など全国から外部の支援者が入ったのは、主に「1.5次避難所」の開設以降だった。  さらに国や県が早くから広域避難を呼びかけており、外部からの支援を受け入れる受援調整の担い手たちも急性期の段階から入れていくべきだったのではないか。個々の暮らしや介護の状況に応じて次なる居場所へとつなぐ「心理社会的な調整」ができる人材が、広域避難政策には欠かせない。 また、一般避難所や集落に残された「埋もれた要配慮者」の存在も無視できない。なぜなら、1.5次や2次避難は必要な人が自分で申請する「申請主義」での手続きだからだ。要介護認定がついて、普段から福祉のサービスを使っている人は、 専門職が代わりに手を上げてくれる。だが、激変する環境の中で急速に不調に陥った人などは、伴走する専門職の不在により困っていても声を上げられない。困っている当事者を支援につなぐため、高齢者や障がい者に対応できる福祉人材を投入して個別に訪問する「ローラー作戦」は、ようやく始まったところだ。  今、最も懸念されているのは、奥能登における介護福祉人材の流出だ。広域避難で外に出た要配慮者がやがて戻ってきた時に、支えるケアの資源が消えている可能性がある。戻ってきた人たちをどうケアするか。今こそ手だてを早急に用意していくフェーズにある。このままでは、人手不足により地元の介護・福祉事業所がつぶれてしまう可能性がある。被災した要支援者の受け入れは災害救助法の枠組みで補填されても、災害時にスタッフを雇用し続ける費用は、介護保険や障害者総合支援法上の制度では補填されない。公的な仕組みで雇用を守る、あるいはグループホーム併設型の仮設住宅や公営住宅を新設するといった、地域の介護・福祉事業が持続できる見通しを与えていく政策が助けになるだろう。  被災現場で起きていることは数十年先の日本の未来の課題の縮図。「コンパクト化した町でうまく支え合おう」などと、地域住民で合意形成しながら希望のあるビジョンを共有し、未来の見通しをみんなで持つこと──。  奥能登の課題解決への道すじは、人口縮小社会・日本の分水嶺(ぶんすいれい)である。 (ジャーナリスト・古川雅子) ※AERA 2024年3月4日号に加筆
AERA 2024/02/29 16:00
「落ちたら終わり」常に綱渡りの感覚 障害児の親たちが語る「仕事との両立阻む壁」とは
「落ちたら終わり」常に綱渡りの感覚 障害児の親たちが語る「仕事との両立阻む壁」とは
障害や医療的ケアのある子どもを育てる親たちがオンラインで集まった座談会。「障害児の親」といっても、子どもの障害は種類も重さもさまざまで、一律の制度ではこぼれ落ちてしまう人がいる。一方、個別の状況に配慮した柔軟な制度を設ける企業も出始めている(zoom画面を撮影)    仕事と育児の両立のための制度は徐々に整ってきたが、ほとんどが健常児の育ちを想定したもの。成長しても一人で留守番や登下校できない障害児や医療的ケア児らを育てる親たちが働き続けるにはさまざまな壁が立ちはだかる。両立に悩む親たち5人がオンラインで語り合った。  仕事と育児の両立のための制度は徐々に整ってきたが、その多くは健常児の育ちを想定したもの。成長しても一人で留守番や登下校できない障害児や医療的ケア児を育てる親たちが働くには幾重もの壁が立ちはだかる。両立に悩む親たち5人がオンラインで語り合った。AERA 2024年2月5日号より。 *  *  * ──司会の深澤です。私自身も脳性まひの長男がいるので、登下校や療育、リハビリへの付き添いなどと仕事との両立にとても苦労しています。みなさんはどのように働き続けてきたのでしょう。 神山春花(アパレル勤務、育休中):仙台の神山と申します。2歳の長男がダウン症で合併症などもあり、まだ自分で歩行や食事ができません。  長男の出産後、市役所に保育園について問い合わせたら、「特別支援枠の空きはないから、入るのは難しいと思った方がいいよ」と言われ、どうしたらいいのかと悩み、2人目を産んで育休期間を延ばす選択をしました。仙台市ではこれまで、保育園は軽度から中程度までの障害児しか受け入れがなかったんですけど、昨年、同じ境遇の親たちと団体をつくり、市に要望書を提出して交渉を重ね、来年度から重度の障害児も入園の対象となりました。先日、長男の入園も決まって、ほっとしているところです。 総勢10人のヘルパー 工藤さほ(新聞社勤務):障害の重いお子さんにも門が開いたっていうのは、ものすごく大きな前進ですね。  私は都内在住で、高1と中2の娘がいます。上の子が重度の知的障害を伴う自閉症で、私立の特別支援学校に通っています。片道1時間半近くかかり、登下校の付き添いは、福祉サービスの移動支援を利用し、総勢10人のヘルパーさんにお願いしています。ただ、朝はラッシュ時間帯で、娘の特性では公共交通機関を利用することが厳しいんです。公共交通機関でないと移動支援が受けられないため、全額自費で送迎をお願いしています。  今の悩みは、特別支援学校卒業後の居場所が限られる「18歳の壁」をどうするか。(常時介護を必要とする障害者が日中過ごす)生活介護事業所は午後3、4時には終わってしまい、親はとてもフルタイムでは働けません。健常のお子さんは18歳といえば手が離れますが、障害児の場合、より親の負担が増すのが悩みです。 林里奈(公務員):都内在住の林です。娘が重度の知的障害のある自閉症で、特別支援学校小学部の6年生です。私は公務員ですが、娘の場合、スクールバスの迎えの時刻が私の始業時刻とほぼ同じなんです。そこで、休憩時間を30分短縮して始業時刻を遅らせる制度を利用したり、移動支援を利用してヘルパーさんにバスポイントまで娘を送迎してもらい、働き続けています。障害のある子は放課後等デイサービス(放デイ)を利用するのが一般的ですが、娘は地元の学童を利用しています。ただ、中学に上がると学童は利用できないので、今後、預かり時間の短い放デイに預け、どうやって仕事を続けていくか、悩んでいます。 スクールバスに乗れず 出本紀子(病院勤務、時短勤務中):広島の出本です。小5と小3の息子がいて、長男に不安障害、強迫性神経症があります。2年半前から学校に行けなくなりましたが、自宅以外に息子が過ごせる場所はなく、児童精神科医からは1人で留守番できるのは中学生ぐらいからと言われ、職場と交渉し、介護休業や介護休暇の取得を認めてもらい、ファミリーサポートなどを駆使してなんとか仕事を辞めずにきました。いまは介護時間(「育児・介護休業法」で定められた短時間勤務)を利用して働けていますが、今年の11月に期限を迎えます。仕事中、ピエロが綱を渡るシーンが頭に浮かび、「落ちたら終わり」という感覚をずっと持っています。 三村晋也(小学校教員、休職中):千葉県で公立小学校の教員をしています。来年度小学校に入学の次男が重症心身障害児で、人工呼吸器や経管栄養などの医療的ケアもあります。妻も教員でしたが、育休を最長3年間取得しましたが預けられる保育園が見つからず退職しました。さらに、2歳上の長男が不登校になり、妻が校内で付き添うことになり、次男の面倒をみるため、私が今年度1年間休職をとっています。  次男の就学先については市の教育委員会から特別支援学校を勧められましたが、医療的ケアがあるためスクールバスに乗れず、田舎で移動支援の事業所もなく、親が片道1時間かけて送迎しなければなりません。でも、別々の学校にそれぞれ付き添うと、親が二人とも働けない。そこで、次男も長男が通う地元の小学校の特別支援級に通学し、妻が付き添う形を考えています。 ──障害児育児と仕事の両立は日々も大変ですが、特に保育園入園や就学、中1、そして18歳の壁など、追いつめられるタイミングが幾重にもありますね。また、2021年に施行された医療的ケア児支援法には、家族の離職防止が明記され、住んでいる地域にかかわらず適切な支援が受けられるようにすることが「国や自治体の責務」とされましたが、三村さんのお話を伺うと地域格差も大きいと感じます。 病室からそのまま出勤 神山:林さんや工藤さんなど、都内だと障害がある子も保育園に当たり前に入っていてすごく驚きました。こちらでは、行政の側に「ハンディキャップがある子どもは母親が仕事を辞めて家庭で大切に見るべき」みたいな考えがあって、窓口の職員からも刷り込まれます。都内には、保育園申し込みの際に障害児だと選考の点数が加点され、入園しやすくする区もあると聞きました。地域で受けられるサービスや制度などに格差があるので、国で一律にしてもらえたらなと思います。 工藤:保活で思うことは、私の娘は本当に育ちがゆっくりで、無理に急かせて入園させてしまうと、自傷行為が悪化するなど強度行動障害を発症するリスクもあります。子どもの特性によっては乳幼児期に親子で療育を受けることも大事ですので、仕事を保障しながら親子で通園できる環境や、子どもの状態に応じて育休期間を柔軟に対応していただけるような制度も必要だと思います。そして、働くことが「母親のわがまま」のように言われることもありますが、いまは共働きしないと生活できない家庭も多く、障害児を育てるには予期せぬ出費も多い。自分の死後も子の生活を保障するためにも働き続けたいんです。 ──こうした綱渡りの日々に、子どもや家族の入院や不登校などが重なると、追いつめられてしまいます。 三村:医療的ケア児の次男は2カ月に1度は約2、3週間入院します。休職前は勤務した後、まだ仕事が残っていても午後6時には学校を出て病院に直行し、妻と交代して病室に泊まり込み、朝そのまま学校へ、という生活を送っていました。そこに長男の不登校が加わって長男にも付き添いが必要になった。ぎりぎりで成り立っていた生活が崩れ、綱渡りどころか、綱がつながらなくなってしまって。教員のようにリモート勤務できず、柔軟な働き方ができない職種は両立が難しいと感じています。 子が小児がんで入院 林:私の一番の危機は、娘が1歳半で小児がんになったときでした。腫瘍が見つかってすぐに手術が必要ですと言われ、入院し、私が24時間付き添いました。退職も覚悟しましたが、仕事を辞めると上の子が保育園退園になってしまう。母親が入院の付き添いでいないのに、子どもの日中の居場所がなくなるってすごい矛盾してますよね。最終的には、介護休暇を取得し、離職も退園もせずに済みました。 出本:私は長男が学校に通えなくなって、使用できるありとあらゆる休暇を利用したけれど、もうどうにもならなくて、職場でも退職勧奨を受け、もうやめるしかない、と覚悟しました。でも長男から「お母さんに仕事を続けてほしい」と言われました。私は言語聴覚士として病院で働いているんですが、長男は宿題の作文にも私の仕事について書いてくれて。その頃、ようやくつながった不登校支援グループの方から「動物を飼えば1人でいられるかもしれない」とアドバイスをもらい、猫を2匹飼い始め、長男が1人でいられるようになったから今働けているんですけど、たまたまうまくいっただけ。一つでもピースが欠けたら仕事は続けられていないと思います。 神山:私も同じで、たまたま長男と次男の育休を続けて取得できたから、退職せずにすみました。もし、1年以内に育休復帰しなければならなかった場合、市役所への要望や交渉などをする余裕もなかったと思います。 障害児育児盛り込んだ制度 ──運や環境に恵まれた一部の人だけでなく、働きたい人が働ける制度が必要です。 工藤:私のケースですが、障害や医療的ケアのある子を育てる社内の仲間たちと会をつくり、労働組合を通じて会社に訴え、障害児や医療的ケア児を育てる従業員が、子の年齢に関係なく何度でも時短勤務や勤務配慮を申請できる制度が創設されました。国も、当事者の声に耳を傾けてくれて、春の通常国会に障害児・医療的ケア児を育てながら働く親への配慮の視点を盛り込んだ「育児・介護休業法改正案」を提出する方針です。 ──先日、朝日新聞でも報道されていましたが、JR東日本では今年4月から、障害児や医療的ケア児、難病の子どもを育てる社員の仕事と育児の両立を支援するため、子どもの年齢にかかわらず、短時間勤務制度などを利用できるようになるとのこと。また、電機メーカーの労働組合でつくる電機連合も、今年の春闘に障害児や医療的ケア児を育てる家族への支援制度を盛り込み、個別の事情に配慮した両立支援制度の門が少しずつ開き始めています。 障害児の選択肢少ない ――障害児の学びの場について、林さんのお子さんは特別支援学校に通っていますが、就学相談の際に悩んだりしましたか。 林:娘には、まずは身辺自立させたいという希望があったので、そのためには特別支援学校しかないと思い、迷いませんでした。ただ、特別支援学校だと地域との接点がなくなってしまうので、学童を利用させたいと思いました。いまは道を歩いていても声をかけてくれる子たちがいたり、落とし物をしたときに娘の名前を見て学童に届けてもらったりしたこともあって、地域に見守ってもらっているという心強さがあります。 工藤:日本では特別支援教育の選択肢が少なすぎると思います。健常児の場合、特に都市部では私立の学校が山のようにありますが、私立の特別支援学校は全国に10校程度。障害児こそ特性がさまざまなのに、選択肢が少なく、適応できない場合に代わりの育ちの場がなさすぎます。 特別支援学校に学童を 林:工藤さんがおっしゃるように、障害のある子にも選択肢があって、自分らしくいられるような居場所が選べたらいいのにな、というのは上の子の中学受験を通してすごく感じました。中学受験では各学校が「うちの学校はこんなことやってます」と猛アピールし、おもてなしもすごい。一方で、障害のある娘には選択肢がない。中学に入っても部活動もなく、放課後の居場所は放デイだけ。そのなかで娘が幸せに楽しく過ごせる場所が見つかるのかな、と考えてしまいます。積極的に選べるものが少ないのが悲しいです。 工藤:それに、多くの小学校では校内や近くに学童保育が併設されているのに、特別支援学校には全国的にありませんよね。北海道など雪深い地域だと、学校から放デイまでの道路が大渋滞して到着する頃には子どもが疲弊しきっていると聞きます。林さんがおっしゃる地域とのつながりは切れてしまうかもしれないけれども、特別支援学校内学童は障害児の選択肢の一つとしてどうでしょう。 林:学内学童は必要だと思います。特別支援学校に通う子どもの多くは、スクールバスで長い時間移動して通学しています。放課後の移動がなくなると身体的にも精神的にも負担が軽減されます。また、放デイは毎日利用できるとは限らないですし、複数の事業所の掛け持ちも多いです。慣れた場所で毎日利用できるのであれば子どもの気持ちも安定しますし、親も安心して働けます。特別支援学校に通わせたいけれど、学内学童がないから、小学校内の特別支援学級を選んでいる家庭もありますし。 三村:いまは特別支援学校に学童がないので仕事をしていない親御さんの中にも、学童があれば働きたいという潜在的ニーズはあるんじゃないかと思います。 工藤:皆さんとお話しして、私たちのような親の存在を、声を上げて見える化していくことがとても大事だと感じました。今日はありがとうございました。 (編集部・深澤友紀) ※AERA 2024年2月5日号に加筆
AERA 2024/02/04 16:00
逆走してきた車と正面衝突で集中治療室へ 病院で目にした「生老病死の世界」を写した写真家・柳岡正澄
米倉昭仁 米倉昭仁
逆走してきた車と正面衝突で集中治療室へ 病院で目にした「生老病死の世界」を写した写真家・柳岡正澄
撮影:柳岡正澄   「撮ってるうちに気づいたんですけど、病院の中って、すごい場所やな、と思った。ほんまに撮りたいシーンがたくさんあった」と、柳岡正澄さんは振り返る。 作品「患者ID 0397098」は8年ほど前、柳岡さんが交通事故で総合病院に入院したときの記録である。 自分自身の姿をセルフタイマーで写しただけでなく、他の患者や家族、病院関係者にもレンズを向けた。105日間の入院中に撮影した写真は約2千枚にもなる。 「ほんまに枚数はめちゃくちゃ撮ったんです。衝撃的なシャッターチャンスがあったから。でも、作品としては出せないやつばかりで。例えば、認知症の患者が自分の尿瓶(しびん)を持って廊下をウロウロしている姿とか、同級生の奥さんが夜中、廊下で泣いている写真とか。もっと鬼畜生になったら出せると思うんですけど。やっぱり根性がないんでしょうね」 撮影:柳岡正澄   目覚めたら病院だった 2015年12月、柳岡さんが車で買い物に出かけたのは昼ごろだった。市街地の広い通りで信号待ちをしていると、真正面から白い車が猛スピードで向かってくるのが目に映った。 「逆走ですよ。信号は赤やから止まると思ったら、そのまま突っ込んできた。一瞬やったけど、ほんまに怖かった。ほぼ正面衝突。それから記憶がなくなって、機械のガーガーいう音と痛みで目が覚めたら、病院のMRIの中だった」 さいわい命に別条はなかったものの、胸と腰の骨が折れていた。ベッドの上にあおむけで全身が固定され、食事や排せつも身動きできない状態で行った。 2週間の絶対安静期間が過ぎるとリハビリが始まった。 「装具屋さんが体の寸法を測って鉄のコルセットを作ってくれるんです。薄い鉄ですけど強烈なやつを体にぎちぎちに巻いてリハビリをした」 最初は足に力が入らず、歩行器をつけても歩くことは困難だったが、次第に歩けるようになると、痛みよりも退屈さのほうが苦痛になった。 「朝、1時間くらいリハビリセンターで過ごしたら、それからまる1日、することがないんですよ。婦長さんが『リハビリにもなるから、病院内をウロウロしなさい』と言うので、ウロウロしよった」 そこで目にしたのは、「生老病死(しょうろうびょうし)」の世界だったという。それは仏教の言葉で、生まれること(生きること)、老いること、病むこと、死ぬこと――人間に定められた4つの苦しみである。 撮影:柳岡正澄   病院で出会った同級生 「総合病院の中って、もろに生老病死の世界なんです。一番上の階は子どもが生まれる産婦人科で、地下は霊安室。その間に外科や内科、精神科がある。そこでは、いろいろありますわ」 リハビリセンターでは中学校と高校の同級生と出会った。脳の病で、1人は言葉を発せなかった。 「結局、2人とも亡くなりました」 リハビリが始まってしばらくすると、柳岡さんは妻に頼んで小さなデジタルカメラを持ってきてもらった。 「写真を撮る者として、ものすごい、ムラムラっときたんですよ。それで、カメラを歩行器の前に置いて撮影を始めた。そしたら、病院の中を勝手に撮らないでくださいと、婦長さんに怒られた」 しかし、柳岡さんは諦めなかった。撮影を認めてもらおうと、交渉した。 「知り合いなら撮ってもいいですか、と聞いたら、知り合いだったらいいですって言う。それで、いろいろ写した」 さらに、コントラストを極端に高めて写せる機能を使って撮影すると、個人を特定できなくなった。 「これならOKですか、って、婦長さんに念押ししたら、いいですけど、あまりカメラを持ってウロウロしないでくださいね、って言われた。でも、結構撮りましたね」 撮影:柳岡正澄   話し相手も亡くなった 撮影では逆光を多用した。明るい窓際や照明にレンズを向けることで、病室でたたずむ男性や、談話室で時間をつぶす患者の姿がシルエットになって写っている。 リハビリセンターや談話室ではよく話をした。 「みんな退屈やからね。ウロウロ出てくるんですよ。糖尿病の患者さんから『あんパン買うてきてくれ』とか、頼まれるんですよ。で、『自分で買うてこい』って、言うて。その方も亡くなりました」 コルセットで固定した体や、つえを装着した腕をアップで写した患者の写真もある。 特に印象に深いのは首もとにチューブが見える写真で、顔の表情はわからないが、口紅を塗った唇が生きている証のように感じられた。 「この女性はがんでガリガリだったんです。兄貴が同級生やから話が弾んで、見舞いというか、よう話に行きました。撮ってもええか、って言うたら、顔は撮るなって、怒られましたけど。この人も亡くなられました」 撮影:柳岡正澄   誰もいない夜のナースステーションの写真は不気味だ。一方、空のベッドに写った枕は柳岡さんのものだという。 「病院では起きている時間が不規則になって、夜中に目が覚めたりするんですよ。それで自分のベッドを撮った」 手首に柳岡さん名前と患者IDが記されたリストバンドが見える写真は退院する際に撮影した。 「リストバンドをはさみで切るとき、主治医の先生に、写真を撮るからちょっと待ってくれ、言うて写した。バンドを外した瞬間、現実の世界に戻った」 撮影:柳岡正澄   交通事故でトラウマに 実は、柳岡さんの本業は僧侶である。 「お坊さんらしくないって、同級生にもよう言われますよ。一番向いてない、とかね」 1952年、京都市生まれの柳岡さんが写真を始めたのは20歳のころだった。 「学校の校長先生をしていたおじさんが写真好きで、いろいろ教えてもらった。ようカメラを借りて撮影した」 78年、夭折(ようせつ)した父親に代わり、寺を継ぎ、住職となった一方、2003年に開催した写真展「ガンガー」以降、インドやインドシナ半島周辺をテーマに個展を開いてきた。 「バングラデシュ、ラオス、ベトナム、タイなんかが好きですね。お経の内容を現地に行って実体験しているような気がする。ああ、こういう場所でお釈迦(しゃか)さまは説教なされたんやなと思って、ワクワクするんです」 唐の時代の僧、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がインドから中国へ経典を持ち帰ったルートを旅したこともあった。インド北部の山岳地帯、インダス川沿いの道を高山病に苦しみながらオートバイで走破した。 「ほんまにびっくりするような、荒涼とした月のような世界で、すごかったです。感動しました」 ただ、交通事故の体験はトラウマになったという。警察によると、事故を起こした車を運転していたのは85歳以上の男性だった。 「例えば、駐車場の狭いところで向こうから車が来るじゃないですか。そうすると、ちょっとびびるんですね。また突っ込んできいへんかなと思って。うちももうじき後期高齢者になるんですけども、やっぱり怖いですよ」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】柳岡正澄「患者ID 0397098」 OM SYSTEM GALLERY(東京・新宿) 1月18日~1月29日
柳岡正澄アサヒカメラ写真展写真家
dot. 2024/01/17 17:00
お笑い芸人・ハウス加賀谷 中学時代に幻聴、幻覚を発症 「かがちん臭いよ」と声が聞こえて…
平尾類 平尾類
お笑い芸人・ハウス加賀谷 中学時代に幻聴、幻覚を発症 「かがちん臭いよ」と声が聞こえて…
統合失調症に対する理解を呼び掛ける講演活動を全国各地で精力的に行う    お笑いコンビ「松本ハウス」は1990年代のバラエティー番組で大ブレークし、多忙な日々を送っていたが、ハウス加賀谷(49)の統合失調症の症状が悪化。99年に活動休止を余儀なくされた。2009年に相方の松本キック(54)と活動を再開後は芸人活動の傍ら、統合失調症に対する理解を呼び掛ける講演活動を全国各地で精力的に行っている。【前編】では表舞台から姿を消した当時の思いなどを語ってもらった。【後編】では幻聴、幻覚に悩んだ学生時代、両親に抱く特別な思いについて話を聞いた。 【前編はこちら→お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」】  お笑いコンビ「松本ハウス」は1990年代のバラエティー番組で大ブレークした   世の中にはいろいろな人がいる ――講演活動に対する思いを聞かせてください。  講演に来てくださるのは(統合失調症の)当事者、ご家族の方が多いです。もちろん、初めてこの病気を見聞きする方もいらっしゃいます。知らない方たちに感じてほしいのは、世の中にはいろいろな人がいるということです。統合失調症でも症状は様々ですし、ひとくくりにできない。僕が特別とかではありません。講演は全国各地に呼んでいただいていますが、コロナ禍はなかなか開催できなくて。その時にX(旧ツイッター)を始めて、皆さんからの質問に回答する【ハウス加賀谷のなんでも質問箱】を設置しました。職場や学校、家族間での人間関係に悩んでいる方や、精神疾患で悩んでいる患者さんやご家族から多くの相談が寄せられて。今までの合計で9000本近くに答えていますが、こちらの回答が2000文字近くになってしまう時もあります。 統合失調症でも症状は様々ですし、ひとくくりにできないという   「こういう意見もあるんだな」 ――凄い数の相談件数ですね。  正直言うと、僕の意見で誰かを救えるとは思っていないです。例えば、「息子が精神疾患になって病院に行きたがらないんですけど、どうすればいいでしょうか」と親御さんから質問が来る。患者本人に病識がないケースですね。こういう質問の回答が一番難しい。正解がないからです。ただ、僕は医師でも看護師でも学校の先生でもない。自分の言葉に責任を持たなければいけないけど、気兼ねなく発言できる部分はある。10代で統合失調症を発症して、今49歳になって。経験を積んだことで、アドバイスできることが増えている。医師や家族に打ち明けられないことでも気軽に相談してもらえれば。「こういう意見もあるんだな」と思ってもらえれば十分です。  加賀谷は中学2年の夏休み前に、統合失調症の陽性症状である幻聴を発症した。授業中に教室の後ろの席から「かがちん臭いよ」「うわ、臭い」という声が聞こえてくる。驚いて振り向くが誰も言っていない。幻聴は休み時間、給食の時間も絶えず聞こえ、「自己臭恐怖症」という精神疾患を併発していた。声が聞こえると、わきを力いっぱい締め付ける。左右の肩甲骨を寄せ、胸が突き出た体勢で腕や肩、頬の筋肉が震える。背中を壁にピタリとつけないと歩けなくなっていた。病院の皮膚科で診察を受けたが、医師に「臭わないですよ」と異常がないことを伝えられ、神経科へ。問題は解決せず、皮膚科でわきの皮膚を切り取る手術をしたが、幻聴は続いた。幻覚も発症し、絶望感に襲われた。16歳の時に心の病にかかった人たちが共同生活をして社会復帰を目指すグループホームで2年間生活し、投薬治療により症状が改善に向かった。 統合失調症の症状が悪化し、99年に活動休止を余儀なくされた     中学2年の夏休み前に、統合失調症の陽性症状である幻聴を発症した   ――幻聴、幻覚を発症した学生時代を振り返っていただけますか。  孤独でしたね。SNSでいろいろな情報を手に入れられる今とは違って、幻聴や幻覚に理解がない時代でした。医師から「加賀谷君は臭くないですよ」って言われても、額面通りに受け止められない。たとえ臭くなくても、僕が思っている現実が全てになってしまうんです。この苦しさを誰にも理解してもらえない。あきらめに近かったですね。 中1の時は友達がいて楽しかった ――幻聴を発症する予兆はあったのでしょうか。  これが難しいんですよね。僕は小3から学習塾に通うのですが、中学受験で難関中を目指す有名学習塾の入塾テストに合格して。トップレベルの子が集まる一番上のクラスに入って勉強一色の生活でした。限界を迎えたのが小5です。ノートのページが急にめくれなくなり、黒板の内容を同じページの余白に書き写していたら、隙間がなくなって字で真っ黒になった。先生が異変に気付いて親に連絡して。塾を辞めて、中学を卒業するまで一度もノートを取りませんでした。精神的に追い詰められていたから、パーンと何かがはじけたのかもしれません。ただ、この出来事がその後の幻聴と関連性があるかと言われると分からない。中1の時は友達がいて楽しかったですから。記憶の限り、幻聴は突然来た感覚なんです。   小3から学習塾に通ったという  グループホームで過ごして将来を模索するなか、お笑い芸人の道に憧れを抱く。大きな影響を受けたのがビートたけしだった。深夜のラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」を中学時代から毎週録音して何度も聞いた。自分をさらけ出して笑いを取る話術に魅了され、「自分も漫才の舞台に立ちたい」とお笑いの世界に飛び込んだ。 「両親につらい思いをさせてしまった」と振り返る   ――デビュー後、精神疾患を公表して活動していました。  社会にはいろいろな人がいます。障碍者を色眼鏡で見て心ないことを言うディレクターがいたし、先輩の芸人の中にも悪気はないのかもしれないけど、障碍をいじる人はいました。松本ハウスの出演が決まっていた番組で、番組の方から「今回はごめんなさい」って出演に急にストップがかかったり。でもそういう人ばかりではない。芸を笑ってくれたり、障碍を理解してくれたりする方もたくさんいます。そこは忘れないようにしています。 少しずつ続けたから前に進めた ――統合失調症の症状が悪化して99年に芸能活動を休止。10年後に活動を再開しました。  活動を休止して精神科病院に入院した時は、先のことなんて何も考えられなかったです。自宅療養中に芸人として舞台に戻りたいと思いましたが、あとから考えてよかったのはスモールステップを刻んだから。いきなりお笑いの世界に復帰しようと大きなステップだったら踏み外したり、届かなかったりしたと思います。「今日は少し本を読もう」とか、「アルバイトで働いてみよう」とか、自分のできる範囲でできることを少しずつ続けたから前に進めたと思います。 両親のことは尊敬しているという   ――活動を再開して14年が経ちました。ご自身の人生を振り返っていかがですか。  恵まれた人生だと思います。両親のことは尊敬しています。うちの親はちょっと変わっているんです。父の知り合いの方から「変わり者の加賀谷さんの息子ですか?」って聞かれて(笑)。その時に、「変わり者と思われても家族のために一生懸命働いてくれていたんだ」ってしみじみ感じました。母さんは天然ですね。言えませんが、凄いエピソードがいろいろあります。精神疾患になったけど、両親に恨みはありません。小学生の時の受験勉強でああなってしまったけど、僕が中学受験に向いていなかったということです。当時は受験戦争が熾烈な時代で、子供によい教育をしなければいけないという使命感が親にもあったと思う。中学で統合失調症を発症した時、親は罪悪感を覚えたと思います。僕のせいですよ。つらい思いをさせてしまった。でも、ずっと支えてくれたんです。感謝の思いしかありません。 (平尾類) 【前編はこちら→お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」】 【前編はこちら】 お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」 https://dot.asahi.com/articles/-/210666
ハウス加賀谷松本ハウス統合失調症
dot. 2024/01/06 11:00
お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」
平尾類 平尾類
お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」
   今から30年前の1990年代。強烈な個性で大ブレークしたお笑いコンビがいた。「松本ハウス」だ。ボケ担当のハウス加賀谷(49)は、丸刈り頭にピチピチの白いシャツと紫のパンツという奇抜な格好で、独特のポーズを決めながら「か・が・や・でーっす!!」と叫び体を張る。勢いがあるだけでなく、頭の回転が速い。絶妙な間で冷静な発言をして爆笑をかっさらうことも。バラエティー番組「電波少年」「ボキャブラ天国」に出演したのをきっかけにメディアに引っ張りだこになったが、人気絶頂の99年に表舞台から突如姿を消す。加賀谷の「統合失調症」の症状が悪化し、コンビでの活動を休止したからだ。精神科病院の閉鎖病棟で入院生活を送り、自宅療養を経て、2009年に相方の松本キック(54)と活動を再開。現在もアルバイト活動の傍らで芸人活動を続けている。活動休止までの経緯、復帰してから芸人引退を考えていた時期があったことなどをインタビューで明かしてくれた。 【後編はこちら→お笑い芸人・ハウス加賀谷 中学時代に幻聴、幻覚を発症 「かがちん臭いよ」と声が聞こえて…】 バラエティー番組「電波少年」「ボキャブラ天国」に出演したのをきっかけにブレークした。ハウス加賀谷さんと松本キックさん(右)   1日10件ほどを4時間ぐらい ――現在はどのような生活を送っているのでしょうか。  ウーバーイーツのアルバイトを週に5日ぐらい入れています。以前は自転車で都内を配達していたのですが、暑さや寒さがしんどかった。「バイクがいいですよ」と友人に言われ、今年の8月に免許を取りました。精神疾患を持っていておっちょこちょいだからバイクは危ないと思っていたけど、トライしようと。1日10件ほどを4時間ぐらいで回ります。10件にしているのは1000円のインセンティブがつく時があるから。メンタルに凄くいい仕事だと思います。届け先のお客さんに「ありがとうございます」って言ってもらえますしね。その一言が心にしみるんです。 お笑い芸人としての活動は月に1度のライブに出るぐらいだという   ――体調はいかがですか。  最近5年ぐらいはずっといいです。今年9月に(フジテレビのドキュメンタリー番組)「ザ・ノンフィクション」で発作を起こした様子が放送されましたが、あれは何年に1回起きるかというレアなケースです。昔は夕方に不安になることが多くて頓服中毒になって。今も頓服薬は常備していますが、全然飲んでいません。体重はマックスで105キロあったけど、8月からダイエットを始めて91キロに落ちました。1日1食を夕方に実家で食べています。おなかがすいた時は無糖のコーヒー牛乳を1杯飲むと空腹感がおさまります。 愛されるということが芸人の根幹 ――お笑い芸人としての活動は?  基本的には月に1度のライブに出るぐらい。たまに他の芸人にオファーをもらって出る時もあります。今は即興で漫才をやるんですけど、お客さんに喜んでもらえることが何よりもうれしい。僕は17歳でお笑い芸人になって、大川興業の大川豊総裁から習ったことは1つだけ。「皆様から愛される芸人になってください」。今はYouTubeの再生回数とか目に見える数字が重視される時代ですが、愛されるということが芸人の根幹だと思って大切にしています。  1991年に松本キックとお笑いコンビ「松本ハウス」を結成すると、「ボキャブラ天国」で爆笑問題、ネプチューンらと共に人気が爆発し、テレビ、イベント、CM出演、営業、本の出版とひっきりなしに仕事が入った。だが、加賀谷は心と体のバランスを崩していく。処方していた薬の量を自分で調整するようになり体調が悪化。遅刻が増えるようになり、仕事に支障が出るように。幻聴、幻覚に悩まされて薬を大量摂取し、自殺未遂を図ったこともあった。99年に芸能活動を休止する。 1991年に相方・松本キックとお笑いコンビ「松本ハウス」を結成     「ボキャブラ天国」で爆笑問題、ネプチューンらと共に人気が爆発した   ――当時を振り返るといかがだったでしょうか。  人気が出たことは素直にうれしかったですが、(自分の境遇や世間への)憎しみがエネルギーになっていた部分があった。病気の僕をバカにしていた人たちに対して、「ざまあみろ」という意識があったと思います。お金がたくさん入るし、街を歩けばワーワー言われる。勘違いしていました。当時は自分のことが嫌いだったので、その自分を評価される矛盾がどんどん苦しくなって……。最後に頼ったのは家族でした。母親に電話したら、僕が住んでいた中野坂上に布団一式運んで一緒に住んでくれて。「入院したほうがいい」と言われましたが、僕は中学、高校と病気に苦しんで人生がどん詰まって芸人になった(詳細は後編)。初めて見つけた居場所だったので失いたくなかったんです。仕事があるしキックさんもいる。ただ、もう限界でした。統合失調症の治療で精神科病院の閉鎖病棟に入院して。部屋のスペースが6畳ほどの保護室に入るのですが、外側からカギをかけられてこちらからは出られない。喫煙所に来る入院患者が「ハウス加賀谷だ!」ってのぞきにきて、監視カメラも設置されていて。テレビに出ていた数カ月前とあまりに状況が違う。あの時は何も考えられなかった。 人気絶頂の99年に表舞台から突如姿を消した   アパレル会社の内職は長く続いた ――7カ月間の入院生活の後、10年間の自宅療養をしました。アルバイトで社会復帰した時はいかがでしたか。  自分は接客業が向いていると勘違いしていました。寿司屋、喫茶店で働いたけどうまくいかない。ウェ―ターで運ぶ時に薬の副作用で手が震えて、コーヒーがこぼれてしまう。コントとして見ていたら笑えるけど、お客さんからすれば迷惑ですよね。芸人を再開した後もアルバイトは続けています。肉体労働で1袋25キロのセメント袋を運んで3階に上ったり。いろいろやりましたが、アパレル会社の内職は長く続きました。1人でコツコツやる手作業のほうが性に合いますね。 テレビ、イベント、CM出演、営業、本の出版とひっきりなしに仕事が入った   自分を見つめ直した ――2009年に松本キックさんとコンビが復活し、芸能活動を再開します。  自宅療養している時に芸人に戻りたいという思いが出てきたので、アルバイトなどのステップを踏んでコンビを再結成しましたが、実は復帰後に辞めようと考えたことがありました。芸人としてやれることがほぼない現実を突きつけられて。ネタを覚えられないし、振りと落ちなど基本的なこともできない。いろいろな現場に行くんですけど、不完全な状態だから結果を出せない。そういう状況が積もり積もって、キックさんとの関係もうまくいかなくなった。ただ、5年前ですかね。体調を崩して入院した時、自分を見つめ直したんです。「ちゃんとしたハウス加賀谷ってなんだ?」って。ちゃんとできないことでお客さんに喜んでもらえたのに、ちゃんとした加賀谷を演じようと思うことがおかしいんじゃないかと。そう考えると気持ちが楽になった。「好きなようにやればいいんだ」って。ダメな自分をさらけ出して、キックさんに助けてもらいながら笑いに変えられるようになりました。そこから体調もよくなりましたね。 テレビに出ずっぱりだった時期よりも、今のほうが幸せだという ――加賀谷さんの表情が穏やかに見えます。  今が一番楽しいです。だって、今を生きているから。09年に復帰して何年かうまくいかなかった時は過去を振り返って生きていたからつらかった。テレビに出ずっぱりだった時期よりも、今のほうが幸せですよ。商業的に成功していないので芸人としては不正解かもしれないですけどね。体や心が不調になったら大変なんです。健康は奇跡みたいな状態です。世の中には多くの方たちがままならないことを抱えて生きている。僕は頭がある程度働いて、体調もそこそこいい。これは当たり前じゃないですから。 (平尾類) 【後編はこちら】 お笑い芸人・ハウス加賀谷 中学時代に幻聴、幻覚を発症 「かがちん臭いよ」と声が聞こえて… https://dot.asahi.com/articles/-/210692
ハウス加賀谷松本ハウス
dot. 2024/01/06 11:00
発達障害疑いで手遅れにならない? 予約とれない児童精神科 医師「グレーゾーンケースは多少猶予ある」
発達障害疑いで手遅れにならない? 予約とれない児童精神科 医師「グレーゾーンケースは多少猶予ある」
※写真はイメージです(写真/Getty Images)   児童精神科医が少ない中、発達障害の疑いで受診したくても予約がいっぱいで初診まで何カ月も待たなければならないような事態が起きている。愛育クリニック(東京都港区)も毎月の予約は、受け付け開始から5分以内に埋まるという。発達障害関連が約6割を占めるそうだ。愛育クリニックの小児精神保健科部長を務める小平雅基医師に取材した。前編に続いて、後編をお届けする。 *  *  * 【愛育クリニックの小児精神保健科】 愛育病院が田町に移転した2015年に、跡地に愛育クリニックが開院。その中に児童精神科としての「小児精神保健科」があります。児童・思春期専門の精神科医(児童精神科医)が子どものこころの問題の相談にあたっています。遊戯療法(プレイセラピー)や認知行動療法、ペアレント・トレーニング、PCIT(Parent-Child Interaction Therapy:親子相互交流療法)といったさまざまなプログラムがあり、診断だけでなく継続的に治療やサポートをしています。   【前編の記事はこちら】 発達障害は「病気」ではない? 診断は難しい? 児童精神科医に聞いてみた「グレーゾーンの概念はあやふや」 https://dot.asahi.com/articles/-/206175 ――愛育クリニックの小児精神保健科では、患者さんの数は増えていますか?  8年前にクリニックが稼働しはじめた当初は、それほど患者数は多くはなかったのですが、年々増えて現在に至っています。完全予約制で、現在受け入れ可能な初診者数は年間400人弱ですが、常に満杯です。 子どものこころ専門医で、愛育クリニック(東京都港区)の小児精神保健科部長を務める小平雅基医師 ――初診の予約は取りにくい状況ですか?  当クリニックの場合は翌月の初診予約を毎月1日にネットで受けつけます。現在は予約開始時間からだいたい5分以内で予約は埋まります。運が良ければ1カ月でかかれる人もいますが、4カ月予約が取れなかったという人もいるような状況です。予約が埋まる時間がどんどん短くなってきているので、予約がとりたくてもとれない人はかなりいらっしゃるのではないでしょうか。 ――初診の内訳はどうなっていますか?  発達障害関連の初診時診断が全体の約6割を占めています。ただこれはあくまでも初診時に親御さんが「困っている」と訴えている問題と、子ども本人の訴えや面接での様子からとりあえず診断した場合に「発達障害と思われるものが6割くらい」という意味です。注意欠如・多動症(ADHD)と診断をつけたけれど、その後経過を見ていくうちにトラウマ関連の問題ではないかと変更される場合もあります。また初診時は親御さんから「こだわりが強い」との訴えがあり、自閉スペクトラム症(ASD)と診断したが、よくよく経過を診ていってみると、ASD特性の程度は軽く、むしろ強迫症状がそれに加わって全体での「こだわり」がひどくなっているといった場合などもあります。 ――保育園や学校で発達障害の可能性を指摘されて受診するお子さんが多いのでしょうか。   当初は「指摘されたから渋々」というケースも多かったのですが、最近は予約がなかなかとれないので、あまりモチベーションが高くない人は多くないように思います。  ほかの医療機関を何カ所か回った上で「より専門的な医療がないか」と期待して受診してきたり、もっとモチベーションの高い親御さんですと、事前にいろいろ調べてきて「ペアレント・トレーニングなどのプログラムを受けたい」と希望してきたりする親御さんが多いです。 早くかかれる医療機関にかかる人も ――児童精神科は長期の予約待ちが発生している状況なので、待ち時間が短い(児童精神科の専門医ではない)小児科医や内科医を受診する人も少なくありません。  東京や横浜など首都圏では、「発達障害を診ています」というクリニックは実は結構増えてきていて、内容にこだわらなければそれほど待たずに受診できるようになってきていると思います。「放課後デイサービスなどの支援制度を利用するために、とりあえず医師の診断書がほしい」とか、「不安だからとにかく早く診てもらいたい」という人たちは早くかかれる医療機関にかかっていると思います。  ただ小児科医と言っても経験はさまざまで、先生によっては私よりよほど発達障害に詳しい先生もいます。あまり専門性が高くない医療機関にかかって診断をもらっている人が少なくないことは、間違いないような気はしますが。 ――こうした状況について、小平先生はどうお考えになりますか。 「診断がつくのかどうか」ということにばかり社会の注目がいくことが、妥当かどうかという気はします。本来は「診断された後に子どもに何が提供されるか」がとても大事なはずです。例えば「放課後等デイサービスに行く」「学校での合理的配慮を受けたい」ということがその子や家族にとっての希望であれば、早くに診断されることは望ましいでしょう。逆にその診断によってその子がひどく傷ついたり、家族の諦めが際立ったりする場合や、発達障害以外の病理も複雑に絡み合っているような場合は、「発達障害の診断を早急にする意味があるのか」という気持ちになります。基本的には、その後の支援もなくただ診断するだけというのは、医療的にはナシですよね。   ――児童精神科全体で予約待ちが発生している現状において、信頼のおける児童精神科医に受診できるまで待っていてもいいのでしょうか。手遅れになるというようなことはありませんか。   「とにかく急いだほうがいい」というケースへの対応策は、十分とは言えないまでも社会システムの中に用意されています。自殺をしようとした場合など緊急な場合には精神科の救急システムで、入院病棟を持つ医療機関が対応していますし、親の虐待が認定されるケースであれば児童相談所がかなり積極的に介入するようになっています。1歳児健診や3歳児健診で明らかに発達の遅れが見られる子どもには発達障害の枠組みで療育機関などが対応していると思います。そのような「明らか」なケースには、緊急的あるいは構造的な支援が動いているわけです。  問題は「グレーゾーン」と称される程度のケースや、問題が複雑で介入が一筋縄ではいかないケースなどがたくさんあるわけですが、「グレーゾーン」ケースであれば時間的な猶予は多少あるでしょうし、一筋縄ではいかないケースでは専門性が高くない医療機関が「とにかく急いで発達障害診断をする」だけはあまり意味がないように思います。 がん診療のように検査や診療の流れがきちんと作られていない ――長期の予約待ちを改善するために、たとえばがん診療のように、最初の段階である程度ふるい分けをして、高度な医療が必要であればもっと大きな病院に行きましょうといった、医療機関の機能分化はできないものでしょうか。  がん診療の場合は「こうなったらこういうふうに展開する」といった検査や診療の流れがきちんと作られていて、共有されていますよね。児童精神科の場合は発達障害概念だけが一気に膨らんでしまったがために、子どものこころの医療全体の高度医療性をどう考えるかは、まだ十分に議論されていないように思います。自殺や虐待を除いて、子どものこころの緊急性をどう規定するのかは難しいですよね。また正直、大きい病院が、すべての領域の専門性を持っているというわけでもないので、問題によってはクリニックのほうが専門的ということもあります。しかしこの傾向は子どもだけでなく、実は成人も含めた精神科におけるテーマのようにも思います。  当クリニックを受診する患者さんの親御さんを見ていると、いろいろよく調べていますし、いくつかの医療機関を回ってきた人の中には、「過去に受診したところでは納得がいかないから、もっと専門的なところへ」という思いで受診してくる人もいます。意識が高い親御さんが、機能の高い医療機関に寄ってきているという傾向は一つの現実だと思います。 ――いい医療にたどり着くには、市場原理的に親が賢くなるしかないのでしょうか。  児童相談所や療育機関からの紹介で、一筋縄ではいかないようなケースが適切な児童精神科につながることはよくあります。そのような点から言えば、医療だけでなく子どもに関わる専門的な機関の機能向上は一つの答えなんだろうと思っています。また医療機関同士の連携もやはり大事で、自分のところではできないケースを他に紹介できる能力というのも大事な気がします。実際に県域レベルでそのようなネットワーク作りをしている地域も存在します。  そのためにも医師は「発達障害をただ診断しているだけ」ではなく、幅広く研鑽(けんさん)を積む必要があると思っています。そしてそのためにも、「信頼のおける児童精神科医」が増えるような医学教育制度も大事だと思います。ただそのような機能を地域が有さないのであれば、やはり市場原理的な要素は働いてくるのだろうと思っています。 ――親はどう行動すればいいのでしょうか。  個人的には市場原理が全て悪いとは思っていないので、納得がいかなければ他の医療機関も考えてみるというのは一つだと思います。基本的には、「診断されること」が大事なわけではなくて、子どもにとっての良い方向性を見つけられることだと思うので。  親御さんの中には、医師から「障害だ」とか「病気だ」とか言われて諦めモードになってしまう人も少なくなくて、そうなると子どももやさぐれて、家族全体が機能低下してしまいます。これは医師側の問題であることも否定はしませんし、子どものやさぐれ問題が膨らんで医療にくる子も少なくありません。  そのためにも、ご家庭で「医学的な診断を受けることが、どういう意味を持つか」については、冷静に考えなければいけないですよね。診断されることで福祉のサポートにつながって機能がアップするなら早いほうがいいですし、逆に親御さんが子どもに対して諦めの気持ちを抱きそうだったり、ネグレクト的になってしまいそうなら、もしかすると医療機関よりも児童相談所や場合によっては心理相談機関のほうがいい場合もあるように思います。  逆に言うと、そういう意味でももっと発達障害概念の啓発が必要なのかなとは思っています。やはり診断されることで子どもや家族が希望を持てるような体制が大事なんだろうと思っています。 (文・熊谷わこ) 【こちらも話題】 発達障害の疑いで児童精神科にかかりたくても「予約いっぱい」 1年待ちも 片道2時間に頭抱える親 https://dot.asahi.com/articles/-/198476 【こちらも話題】 児童精神科医が足りない 発達障害「これだけで決めちゃうの?」 予約待ち短いクリニックを選んだ親は驚き https://dot.asahi.com/articles/-/198479
発達障害児童精神科
dot. 2023/11/23 11:00
『平穏死10の条件』長尾和宏医師が聞く 国内最大規模・在宅患者8000人を診る「悠翔会」が発展を遂げた秘訣
『平穏死10の条件』長尾和宏医師が聞く 国内最大規模・在宅患者8000人を診る「悠翔会」が発展を遂げた秘訣
長尾和宏医師(写真左)と医療法人社団悠翔会理事長・診療部長の佐々木淳医師(同右) 写真/上田泰世(写真映像部)   国内に24の診療拠点を持ち、非常勤含め約120人の医師が約8000人の在宅患者を24時間体制で診る医療法人社団悠翔会。理事長の佐々木淳医師は、たまたまアルバイトで在宅医療に触れたことをきっかけにこの世界に飛び込み、患者と家族の生活と人生観を大切にする医療を追求し続けてきた。 好評発売中の週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん2024年版 在宅医療ガイド』では、そんな佐々木医師に、ベストセラー『「平穏死」10の条件』『痛くない死に方』などの著者で自らも28年間在宅医療に取り組んできた長尾和宏医師がインタビュー。これまでの取り組みと日本の在宅医療の現状について聞いた。前編・後編にわけてお届けする。 *  *  * 長尾和宏医師●ながお・かずひろ 1958年生まれ。東京医科大学卒業。大阪大学病院等を経て1995年兵庫県尼崎市で長尾クリニック開業。28年間在宅医療に携わり、2023年6月同クリニックを定年退職。日本尊厳死協会副理事長。『「平穏死」10の条件』『痛くない死に方』など、著書多数。 佐々木淳医師(医療法人社団悠翔会理事長・診療部長)●ささき・じゅん 1973年生まれ。筑波大学卒業。三井記念病院勤務後、2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。同大医学部病院等を経て06年、東京都千代田区に一つめの在宅療養支援診療所を開設。08年医療法人社団悠翔会(改称)、理事長就任。 長尾和宏医師(以下、長尾) 佐々木先生と初めてお会いしたのは10年ほど前、とあるシンポジウムでした。その時に議論を交わして「こういう頼もしい先生が出てきたんだなぁ」と思い、それ以来ずっと注目していましたよ。 佐々木淳医師(以下、佐々木) 長尾先生は、当時から超有名人だったので(笑)あの時は緊張していましたが、さまざまな問題に関してつねに学会より数年先をいく発言をされている先生という印象でしたね。 医師になって9年目 経験ゼロからのスタート 長尾 私は28年間、尼崎市で在宅医療に携わってきましたが、今年6月に定年退職して今はフリーランスです。佐々木先生が在宅医療に取り組み始めたきっかけは何だったのですか? 佐々木 医師になって9年目、大学院で研究をしながら、アルバイトでたまたま在宅医療に触れたことが転機となりました。自分がこれまで医療に対して抱いていた使命感みたいなものが、もしかしたら間違っていたかもしれないと感じたのです。その価値観の転換は大きな衝撃で、すぐに大学院に退学届けを出し、貯金も経験もないまま東京・千代田区に在宅療養支援診療所を開設しました。 長尾 私は医師になって12年目に開業し、自分の家で最期まですごしたいと考える患者さんと出会い、それから在宅で診る患者さんが増えていきました。最初は医師と看護師、3人体制で始め、開業して4年目に医療法人にしました。先生は? 長尾和宏医師 写真/上田泰世(写真映像部)   佐々木 私たちは5人体制でスタートしました。訪問診療は半径16km圏内というルールがありますが、私は田舎育ちのせいか半径16kmという距離は「たいしたことない」という感覚で……。千代田区の診療所で東京23区全域を診療圏にしようと考えていたのですが、都内の移動は予想以上に時間がかかりました。患者さんの増加に伴い対応が困難になり、拠点を分けることが必要だということになったのです。開業して1年半後に次の診療所を作り、そのときに法人化しました。 約8000人の患者を24時間体制でサポート 長尾 先生が理事長を務める「悠翔会」の取り組みについて教えていただけますか。 佐々木 もともと、超高齢化社会で、今の医療制度では支えられない人たちを救うしくみを作りたいと考えていました。悠翔会は、「かかわったすべての人を幸せに」を理念とし、すべての患者さんとご家族に安心できる生活と納得できる人生を提供することをミッションとしています。現在、首都圏近郊を中心に国内24カ所に診療所を設け、60人超の常勤医と、ほぼ同数の非常勤の医師や精神科、皮膚科、歯科などの専門医、合わせて約120人の医師が約8000人の患者さんを24時間体制でサポートしています。 長尾 開業して17年で国内最大ともいえる在宅医療専門クリニックに成長したのですね。そこまで飛躍的な発展を遂げた秘訣は何ですか? 佐々木 大きくしようと思っていたわけではなく、結果的に大きくなったと思うのですが、実は、当会は私も含め、在宅医療を経験してきた医師は多くありません。ただ、病院で仕事をしていて、どうも患者さんを幸せにできている実感がないと感じ、患者さんの望みをかなえるためにどうすればいいか、治らない病気や障害があっても人生最後まで幸せに生き切るためにどうすればいいかと考え、そのためには在宅医療が必要なのではないかと考えた人たちが集まってくれた。そういう医師が患者さんのことを真摯に考え、実践したいと考えたときに、型にはまったルールを押しつけず、それぞれの医師が思う形で力を発揮できる環境を整えることが重要と考えました。  私たち悠翔会は、私たちにしかできない方法で目の前の患者さんを幸せにすることを存在意義としています。その理念さえ共有できれば、それを具体的にどのように実践するかは現場の先生方にお任せしています。ですから、24のクリニックはそれぞれに違った個性と強みを持っています。 医療法人社団悠翔会理事長・診療部長の佐々木淳医師 写真/上田泰世(写真映像部)    例えば、「うちの地域はがん患者さんが多いけれど在宅で診られる先生が少ない。では、うちはがんに特化しよう」とか「この地域は医療的ケア児のニーズが満たされていない。じゃあ子どもも診よう」「この地域は経済的に困窮している人が多く、一人暮らしの人や精神的な疾患を抱えている人もいるようだ。ソーシャルワーカーを置いて、精神科の診療もがっちりできる体制を作ろう」など、クリニックごとに拠点のリーダーが、地域に応じた診療サービスを自らの裁量で作っていけるようなシステムにしています。理事長というと私が経営しているように見えるかもしれませんが、実際には私と24人の院長、歯科や精神科など各部門のリーダーが、それぞれの優れた知恵や経験を共有しながら共同運営しているという感じです。 医師の質を評価する診療満足度調査を実施 長尾 医師を採用するときには、どのような点を重視しているのですか? 佐々木 医師としてのキャリアや専門性より、仲間として信頼して仕事を任せ合えるかを重視しています。私自身もほぼ未経験からのスタートでしたし、経験が少なくても、医師として学び続けたいという謙虚さがあれば活躍が期待できそうな気がします。一方で、努力で獲得するのが難しいかもしれないと考えているものがコミュニケーション能力です。在宅医療においては、患者さんと話をすること自体が治療手段になることもあるほど、対話が大事だと考えています。そのため、面接では主に、コミュニケーション能力と、悠翔会の理念・価値観を共有できるか、学び続ける謙虚さがあるか、という3点をみていますね。 長尾 実は、医師にはコミュニケーションが苦手という人も多いように思うのですが、医師やスタッフの研修や、仕事を評価する制度などはあるのですか? 佐々木 コミュニケーションスキルをアップするための研修などはおこなっていませんが、医師に対する評価システムはあります。在宅医療の質の評価には、「医学的な評価」と「患者満足度の評価」という2つの基軸があると思っています。医学的評価とは、患者さんを急変させない、入院させないために医学的な治療・管理ができているかという指標で、コロナ前のデータではありますが、悠翔会では救急搬送を3分の1に減らし、入院日数を1人当たり平均30日減らしたという実績があります。 長尾 それはすごいことだと思います。在宅医療の意義を数値化して、救急医療を崩壊から守る実績を作ったということですからね。 佐々木 一方で、患者満足度の評価については、在宅医療に対するニーズは患者さんによってさまざまです。病気をとことん治す努力をしたい人もいれば、医療行為はなるべくせず自然に過ごしたい人もいて、その患者さんのニーズに合った医療が提供できているかが重要な指標となります。当会ではそれを図るために「診療満足度調査」を実施しています。患者さんと、診療に関わるケアマネジャー、訪問看護師、地域包括支援センターや高齢者施設のスタッフなどに定期的にアンケート調査を実施し、コミュニケーション能力や身だしなみ、診察時間、医療的な対応など、具体的な質問項目をたてて医師の評価をおこない、結果をフィードバックしています。  もちろん私自身もチェックされています。私も含め、多くの医師は自分の診療に自信を持っていますから、きっと良い結果だろうとワクワクして見るのですが、意外とそうでもないこともあって(笑)。でも、よくないところがわかれば、改善すべき点がわかりますし、それぞれの先生方の良さや個性がわかる利点もあります。 長尾和宏医師が監修した週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん2024年版 在宅医療ガイド』   長尾 質の評価はとても難しいといわれていて、学会でもつねに話題に上がりますが、悠翔会のシステムはとても画期的ですね。そのシステムを一般化して地域や日本全体で活用すれば、在宅医療の質や信頼度の向上につながるのではと思います。また、悠翔会では医療や介護に関わる多職種のための学びの場、「在宅医療カレッジ」も実施していますね。 佐々木 在宅医療は多職種協働が基本です。連携促進のためにも各専門職の役割や他職種領域について学ぶことが重要と考え、それぞれの領域のトップランナーを招き、セミナーを開催してきました。コロナ禍で一時中断しましたが、その後はオンラインと対面でのハイブリッドで開催しています。 (構成/出村真理子) 後編に続く:【対談】『「平穏死」10の条件』長尾和宏医師×在宅医療のニューリーダー佐々木淳医師 在宅医療は質の時代へ ※週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん2024年版 在宅医療ガイド』より
在宅医療
dot. 2023/11/23 08:00
城田優「表に出るのはもう疲れた」 大河ドラマ電撃出演も演出家への興味を隠さないワケ
雛里美和 雛里美和
城田優「表に出るのはもう疲れた」 大河ドラマ電撃出演も演出家への興味を隠さないワケ
城田優      昨年3月に“ガーシー砲”で被害を受けた俳優・城田優(37)の近況に変化がありそうだ。被害を受けて以降、地上波のテレビでは表立った露出を控えていたように見えたが、今夏、電撃的に大河ドラマ「どうする家康」に森蘭丸(森乱)の兄・長可として登場。その雄姿にSNSからは快哉(かいさい)の声が挙がり、俳優としての存在感を見せつけた。しかし、一方で、最近は裏方への強い興味をうかがわせる発言も……いったい何が起きているのか。  綾野剛とともに暴露系YouTuberで元国会議員・ガーシー(東谷義和)被告によるリークの影響を真っ向から受けた城田。なぜターゲットにされたのか。 「城田優の他にも、綾野剛、佐藤健、ロンドンブーツ1号2号の田村淳など、手当たり次第にかみついていたように思われがちですが、ガーシーは実は攻撃相手については慎重に選んでいた節があります。城田については、芸能事務所・ワタナベプロダクションとの専属契約を解消、フリーになっていたため、事務所の庇護が受けられないと踏んでのことだったのではと言われています」(週刊誌記者)  ガーシー砲により、CM動画の削除などが続いた城田だったが、そもそもなぜ前事務所を退所したのか。   【こちらも話題】 城田優「一軒家ぶっ壊したいぐらいストレスたまっている」に心配の声 https://dot.asahi.com/articles/-/41833 容姿のせいでオーディションに落ち続けた 「城田さんが独立したのは、自分のコネクションで仕事を取れる実力があったからです。テレビや映画でも活躍するかたわら、ミュージカル界でも着実にキャリアを積み上げてきました。今では、国内外のミュージカルスターとの親交も深く、事務所に頼らずとも仕事を取ってこられるほどの実力者です。城田さんクラスになると、数年先までは舞台の予定が埋まっているもの。自分で仕事をつくれる彼にとって、事務所は自由な活動にブレーキをかける存在と感じられる部分もあったのかもしれません」(舞台関係者)  ガーシー砲以降、地上波では露出を減らしていた城田だが、その裏では舞台や配信ドラマなどで、歩みを止めることなく活動していた。しかも舞台では俳優としてだけではなく、演出も手掛けるようになり、むしろ活躍のフィールドは広がっている。俳優だけでなく、裏方でも才能を発揮できるのは、城田の歩んできたキャリアにある。 「新人時代、城田さんはそのエキゾチックな容姿のせいで“普通の役”にハマらず、オーディションに落ち続けた過去があったとインタビューで語っています。その後、16歳のときにタキシード仮面で、『舞台』という自らを輝かせるフィールドに出ていきました。20代のころは、役の見せ方より自分の見せ方に腐心していたという城田さんですが、30代に入るころには、一つひとつの役に思い入れをもって取り組むようになったようです。2019年にはミュージカル『ファントム』で主演と恋敵のダブルキャストに加えて、演出も担当したり、ミュージカル『エリザベート』で共演した尾上松也さん・山崎育三郎さんと新プロジェクト『IMY(あいまい)』を立ち上げたりするなど、活動の幅を広げてきました」(前出の舞台関係者)   【こちらも話題】 朝ドラ好演で知名度アップ「佐久間由衣」が綾野剛を夫に選んだワケ https://dot.asahi.com/articles/-/190946 20年間疲弊してきたと告白  こうしたなか、「Yahoo!ニュース エキスパート」(9月10日配信)に掲載されたインタビューが話題となった。そこでは“裏方”への強い興味を示していたからだ。 「インタビューでは『僕はもう出役としてはやり尽くした』と語っており、俳優やタレントとして表に出ることで心が疲弊し、疲れたと話していました。20年間そうした経験をしてきて、『もうこれ以上そこで疲弊したくない』とインタビューで語っていたのが印象的です。現在の城田さんは裏方志向が強く、今後は演出家として生きていく気持ちがあるのだと思います。本人は俳優に限界を感じていると言っていますが、時代劇でも爪痕を残せるほどの実力を持った俳優なだけに、彼の姿をまだまだドラマや映画で見たいというファンも多いでしょう。役者としても唯一無二の存在感を放つ城田さんを失うのは惜しいですね」(前出の週刊誌記者)  芸能評論家の三杉武氏は、俳優としての城田についてこう評価する。 「城田さんといえば、ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』のタキシード仮面役で注目を集めると、若手男性俳優集団『D-BOYS』に加入し、その中でも人気メンバーとして存在感を放ちました。06年に『純ブライド』で映画初主演を飾ると、その後『花ざかりの君たちへ』や『ROOKIES』などのヒットドラマに出演。中でも妻夫木聡さんが主演を務めた大河ドラマ『天地人』での真田幸村役は印象深いですね。最近でも、昨年1月公開の映画『コンフィデンスマンJP 英雄編』では英語とスペイン語のセリフのみでスペインのマフィア役を演じ、観客を驚かせました。目鼻立ちのハッキリとした美形な顔立ちと長身は舞台映えしますし、近年はとくにミュージカルでの活躍が目立ちます。ルックスの良さばかりに目が行きがちですが、演技力や歌唱力も業界内でも高い評価を受けていますし、まだまだ俳優として活躍してほしいと思います」  俳優・城田優の演技をまだ見たい人は多いはずだ。 (雛里美和)   【こちらも話題】 きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと https://dot.asahi.com/articles/-/204091
城田優ガーシーどうする家康
dot. 2023/10/23 11:00
【漫画】『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』【無料1~5話】
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第1話/第2話/第3話/第4話/第5話 【関連記事】 摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院したわたしが伝えたいこと 苦しんだ日々は「変なんかじゃない」
AERA 2023/10/21 15:36
摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院したわたしが伝えたいこと 苦しんだ日々は「変なんかじゃない」
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入院中、「自分は病気なんだ」「わがままじゃなかった」と安心して初めて、体形の変化に気づいた (c)もつお/KADOKAWA 『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』から  高校1年生のある日、“神様”が現れた。不安を感じるとその声が聞こえ、指示通りすると不安が消えた。やがて神様の命令に支配され、摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院することになった──。病気の受容と回復に至るまでの道のりを描いた漫画が注目を集めている。漫画家のもつおさんが伝えたいこととは。AERA 2023年10月23日号より。 *  *  *  なぜ、自身の経験を描こうと思ったのだろうか。 「自分なりに病気に区切りをつけるためでした。大学3年生になって、摂食障害の症状も落ち着いてきましたが、病気のことは誰にも話していませんでした。神様の存在も含めて誰かに伝えてみたら、『治ったと実感できるかな』と思ったんです」  コミックエッセイの公募を見つけ、最初に「神様」の絵を描いた。下描きもせず、わずか2~3日で一気に描き上げたタイトルは「わたし宗教」。応募して入賞し、SNSで公開されると大きな反響があった。摂食障害の当事者やその家族からの共感も多かった。 「『この話を読んで、明日を生きるのが楽になれる人がきっといる』という感想を見つけた時は、描いてよかったと思いました」  それをベースにしたデビュー作が完成するまでには、3年がかかった。 「当時の感情がフラッシュバックして、長時間描くのが難しいことがありました」  神様のことを描いていいのか、悪者にしていいのか、不安に駆られることもあった。神様とは何だったのか、改めて自分と向き合うことにも時間をかけた。作中では、もつおさんが辿りついたその正体も明かされている。 「時間がかかっても諦めなかったのは、同じ状況で苦しんでいる人のためになればという思いがあったからです。私自身、病気のことを誰にも相談できなかったのが一番つらかったから」  1作目『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』をきっかけに家族との関係を見つめなおし、2作目『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』では家族の視点も描いた。先日刊行した3作目『精神科病棟の青春 あるいは高校時代の特別な1年間について』では、自身の体験をベースにセミフィクションの形をとって入院中の日々を綴った。 【こちらも話題】 武田真治マッチョ化の影に、過去の拒食症と母への想い https://dot.asahi.com/articles/-/102672 「神様」の命令に支配され、食事をとることができずに痩せていく。家族も苦しい時間を過ごした (c)もつお/KADOKAWA 『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』から わがままじゃなくて私は病気だったのか  作品からは、精神科病棟に入院することへの戸惑い、病識を持つことの難しさや、回復につながるさまざまなきっかけが伝わってくる。  もつおさん自身が、入院には必死で抵抗したという。 「家族から『入院しかない』と説得されても、『見捨てられた』と涙が止まらなかった。精神科病棟は未知だったし、さまざまな状態の患者さんを見て『怖い』という気持ちもあったんです」  心療内科で診断がついても入院しても、自分が病気とは思わなかった。一方で、親に土下座をされても状況が悪くなっても食べないのは、「自分がわがままだからでは」とも思っていた。病識を持てたのは、入院してしばらくしてからだ。 「自分のことも娘のことも責めたらダメ」「無理に原因探しをしなくていい」。同じ病気の娘を持つ人のこんな言葉に救われた(c)もつお/KADOKAWA 『精神科病棟の青春 あるいは高校時代の特別な1年間について』から 【無料漫画】『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』はこちら 「摂食障害で入院中の大学生の女性と初めて話した時に、『何食べて生きてた?』『私、ガム』『私、海苔』とか、楽しく話せたんです。彼女に『同じ病気の人と会えてよかったな』と言われて、『そうか、私は病気だったのか』と腑に落ちました。私はその人をわがままと思わなかったし、闘病している他の患者さんもわがままじゃないと思った」 「先が見えない」と思った入院は、結局、大きな転機になった。受けた治療も合っていて、結果として「命をつなぐことができた」。  体重が少し増え、病棟から通学しているとき、友人に言われた言葉がある。  ──頭がおかしくなって、入院したわけじゃないんだよね? 「悪気はないとわかったけど、摂食障害のことを言っているのだと思ったとき、ショックでした。病棟の人たちが頑張って闘病している姿を見ているから、『頭がおかしい』の一言で片づけられることに、怒りもありました」  自身が最初は「怖い」と感じたように、馴染みのない多くの人にとって精神疾患やその患者は「怖い」ものかもしれない。物語の終盤、主人公の父親が精神疾患に拒否反応を示し、退院する娘に「忘れなさい」「あんなところに入院させるのは本当に嫌だった」と言うシーンがある。  それに対し、主人公ははっきりと否定する。「そんなふうに言わないで」「変なんかじゃない」。それは、いまのもつおさんの思いにつながるものだ。 【こちらも話題】 結婚4年目、妻に異変が起きた。摂食障害、アルコール依存症......夫婦の壮絶な20年を綴った体験記 https://dot.asahi.com/articles/-/6097 3作目、病院から自宅へ戻る車の中で主人公は父親にこう伝える (c)もつお/KADOKAWA 『精神科病棟の青春 あるいは高校時代の特別な1年間について』から   「病棟であったこと、先生や看護師さんとの思い出は大切なものだと、知ってもらいたい」と、もつおさんは言う。  退院してからも決して順風満帆ではなく、美大に入ってからも、神様との葛藤はしばらく続いた。過食嘔吐も経験した。発病してから、今年で10年。好きなことができ、普通にご飯を食べることができ、大切な家族や友達がいる。いま、とても幸せだと感じている。 「あの時、私も家族も『お先真っ暗』と感じていました。『この病気は治らない』とか、よくない話を少しでも聞いたら絶望していた。今は先がないなんてことはないと思うし、心の病気は『絶対治る』とは言えないけど、『よくなる解決策はある』と思うようになりました。それを伝えていきたいし、私がやらなければいけないことかと思っています」 (ライター・羽根田真智) 【前編を読む】神様はなぜ現れた? もつおさんが明かした病気の始まり きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと 【無料漫画を読む】『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』 ※AERA 2023年10月23日号より抜粋
摂食障害強迫性障害
AERA 2023/10/21 15:36
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プロローグ/第1話/第2話/第3話/第4話/第5話 【関連記事】 きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと
AERA 2023/10/21 10:30
きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと
きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと
(c)もつお/KADOKAWA 『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』から   “神様”の命令に従っていたら、摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院することになった──。病気の受容と回復に至るまでの道のりを描いた漫画が注目を集めている。漫画家のもつおさんが、神様との出会いや当時の心境を語った。AERA 2023年10月23日号より。 *  *  * 「このベンチを触れば、明日のテストは最下位じゃないかもしれない──」  部活に習い事、塾。青春真っただ中にいた“わたし”が、“神様”と出会ったのは、高校1年生のある夜、塾からの帰り道だった。 「テストの成績は悪く、部活のギターの練習もできていない。終電も逃してしまった。すべてに努力し、充実しているけれど疲れていて、そんな時、ふと駅のベンチに目が留まったんです」  そのとき、唐突に聞こえてきたのが「触れば悪いことが起きない」という“声”だった。 「自分の意思とは関係なく、脳に響いてきた。次第に声は大きくなり、気づくとベンチを触っていました。すると声はやみ、気持ちがすっきりしました」  以後、不安を感じると「○○を触れば悪いことが起きない」という声が聞こえるようになった。触ると不安がなくなり、テストの成績が良くなったり、友人関係がうまくいったりした。 「偶然かもしれませんが、声の言うとおりにすれば願いが叶う。“成功体験”が重なるうち、私を救ってくれる“神様”と呼ぶようになったんです」  神様。現在、漫画家として活動するもつおさん(26)は、強迫性障害と摂食障害で精神科病棟へ入院することになるきっかけになった声をそう表現した。 「病気になった当時のことは、すごく鮮明に覚えています」  もつおさんは自身と家族の経験を漫画にした。『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』には、病気の受容と回復に至るまでの道のりが、ほのぼのとした絵柄で克明に描かれている。 【こちらも話題】 武田真治マッチョ化の影に、過去の拒食症と母への想い https://dot.asahi.com/articles/-/102672 ごく普通の高校生だったわたしは、摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院することになる。「神様」が現れたのは高校1年生のある日だった (c)もつお/KADOKAWA 『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』から 【こちらも話題】 結婚4年目、妻に異変が起きた。摂食障害、アルコール依存症......夫婦の壮絶な20年を綴った体験記 https://dot.asahi.com/articles/-/6097 “神様”は食事も制限、突然死してもおかしくない  突然現れた神様は、「ベンチを触る」という他愛ない命令を下しただけだった。だが、命令は徐々に激しく、複雑にエスカレートしていく。触る順番、手順、回数。中断すればやり直し。無視すれば、ペナルティーで命令が増えた。気がつけば言葉は「触れば悪いことが起きない」から「触らなければ悪いことが起きる」に変わり、家でも外でも目に付いた物をペタペタ触った。食事の制限までが追加され、思うように食べられないようになった。  勉強も趣味も人間関係も二の次になり、身体はみるみる痩せていき、母親に連れられ心療内科に通うようになる。  摂食障害の一つである「神経性やせ症(拒食症)」は10代の女性に多く、死亡率は6~20%にのぼる。患者は明らかに痩せていても「痩せている」と認識せず、痩せるために食事量を制限する。過食するケースもあり、嘔吐を繰り返したり、下剤を使用するなどして、体重増加を防ぐことが多い。日本摂食障害学会評議員で、精神科医の宗未来医師によれば、重症の神経性やせ症に対し、「効果の証明された外来治療は存在しない」という。 「推奨されるのは認知行動療法などですが、適応は諸外国で可能な高強度型でもBMI15以上で、日本で可能な簡易版ではBMI17.5(身長160センチで体重44.8キロ)以上とごく軽症のみ。さまざまな試みがなされていますが、多くの患者さんが外来治療では不十分で、特に命の危険性も高い重症者では入院による栄養補給が唯一の治療選択となります」  他の精神疾患が併存することも珍しくない。もつおさんも、摂食障害と強迫性障害と診断された。だが、診断がついても事態は好転しない。「お願いだから食べてください」と父親に泣きながら土下座されたこともある。それでも神様の命令はやまず、従うことをやめられない。「自分ではどうしようもできない。頼まれても食べられるものじゃないのに」と思ったが、神様の存在を打ち明けることはできなかった。  学校は休みがちになり、栄養不足で失神することが増えた。限界は感じていた。 「一生こんな状況が続くのは、心がもたない。死ぬ恐怖より、神様との生活が続く方が怖かった。16年間生きてきて初めて死にたいと思い、1日に何度も死ぬことを考えていました」  神様と出会って半年。身長は160センチあるのに、体重は35キロを下回った。血液検査の数値は医師から「いつ突然死してもおかしくない」と言われるほどに悪化した。そして、とうとう精神科病棟へ入院する──。  読者が目の当たりにするのは、一人の高校生と家族の日常が猛スピードで変容していくさまだ。(ライター・羽根田真智) ※AERA 2023年10月23日号より抜粋 【続きはこちら!】摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院したわたしが伝えたいこと 苦しんだ日々は「変なんかじゃない」 【無料漫画はこちら!】『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』
摂食障害強迫性障害もつお
AERA 2023/10/21 10:30
藤井聡太「八冠」の前人未到の偉業を詳報 「秀才にして天才」「完全無欠な棋士」/『AERA』10月16日発売
藤井聡太「八冠」の前人未到の偉業を詳報 「秀才にして天才」「完全無欠な棋士」/『AERA』10月16日発売
10月16日発売のAERA 10月23日号は、前人未到の偉業を成し遂げた藤井聡太八冠について詳報します。将棋に詳しい著名人もそのすごさを様々な表現で表し、祝福しています。表紙も八冠誕生直後の報道写真です。特集は「大学の就職力」。大学生の就職ランキングで上位となる人気110社が採用したい大学はどこなのか。2023年3月卒の大学生の就職実績を大型一覧表にし、どの企業にどの大学から多く就職しているのかを詳細に分析、大学の就職力を探ります。深刻さが増すイスラエルとパレスチナの衝突。ガザ地区で報復の連鎖が起きていますが、いま軍事衝突が起きた背景を中東問題を専門とするジャーナリストが記事にします。野球は、阪神の18年ぶりのリーグ優勝で沸きましたが、今度は38年ぶりの「日本一」に向けクライマックスシリーズがスタートします。OBの能見篤史さんが今年の阪神の強さを分析します。大好評連載「松下洸平 じゅうにんといろ」は、脚本家の生方美久さんとの対談のいよいよ最終回です。ほかにも、多彩な記事が詰まった一冊をぜひご覧ください。   藤井聡太「八冠」独占 前人未到の奇跡的な大記録、「八冠」独占を成し遂げた藤井聡太。沸き上がる周囲をよそに、本人はいたって冷静です。「タイトル戦の結果はよかったんですけど、それに見合った力があるかというと、やっぱりまだまだ」と、さらなる研鑽を誓いました。師匠の杉本昌隆八段は「全冠制覇も藤井八冠にとってはゴールではありません」と言うほど、さらに大きな可能性を秘めた21歳。強さはどこにあるのか、これまでの戦いを振り返りながら、また将棋に詳しい識者の分析も交え詳報します。将棋連載「棋承転結」を持つ本誌の蓄積を生かした充実の内容です。 ガザ「報復の連鎖」の背景 パレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスがイスラエルに大規模攻撃を仕掛け、イスラエル軍が報復を行うという、悲劇の連鎖が続いています。今後この攻撃の応酬がどのような方向に向かうのか、停戦へのカギはどこにあるのか、私たちは考えなければなりません。この地区は歴史的にも複雑な事情を抱えて今があります。なぜ今、攻撃が起こったのか、ハマスやイスラエルの狙いはどこにあるのか、など中東問題専門のジャーナリストが読み解きます。またイスラエル在住の国立ヘブライ大学教授が現地の様子や今後への不安を語るインタビューも掲載しています。 阪神の強さをOB能見篤史が語る 2位広島に11.5ゲーム差をつけ、圧倒的な強さで18年ぶりにセ・リーグを制した阪神。元阪神のエースで、日本シリーズでの対戦も予想されるオリックスでもプレー経験がある能見篤史さんに、今年の阪神の強さの秘密や10月18日から始まるクライマックスシリーズの行方を聞きました。能見さんが強さのポイントと指摘する岡田彰布監督が取り組んだ意識改革とは、また今季のMVPを挙げるなら誰か、などファンにはたまらない内容です。 松下洸平×生方美久 松下洸平さんがホストを務める対談連載「松下洸平 じゅうにんといろ」は、脚本家の生方美久さんがゲストのいよいよラスト回です。松下さんが主演の一人を務め、生方さんが脚本を担当するドラマ「いちばんすきな花」もスタートしました。生方さんは地上波の連ドラについて「過小評価されている。連ドラのよさがちゃんと受け継がれていってほしい」と語ります。松下さんは「人の心に刻まれる作品を目指したいなと思っています」と言います。二人のドラマ愛あふれるトークです。またゲスト最終回恒例のそのゲストをイメージした「色」選び。生方さんは何色でしょうか。誌面でご確認ください。 ほかにも、 ・精神科病棟に入院したわたし 苦しんだ日々は「変なんかじゃない」 ・フィギュアGPシリーズがついに開幕 宇野昌磨、鍵山優真、坂本花織…熱い戦い ・米軍基地の辺野古移設計画 政治力なき国の解決策 ・森友改ざん訴訟敗訴を赤木雅子さんに聞く 「裁判官と国はグルだ」 ・トップの源流 リコー・山下良則会長 ・向井康二が学ぶ 白熱カメラレッスン ・武田砂鉄 今週のわだかまり ・ジェーン・スーの「先日、お目に掛かりまして」 ・大宮エリーの東大ふたり同窓会 ゲスト・松本紹圭 ・現代の肖像 入山章栄・経営学者 などの記事を掲載しています。 ※発売日の10月16日(月)正午からは、公式X(@AERAnetjp)と公式インスタグラム(@aera_net)で、最新号の内容を紹介する「#アエライブ」を行います。ぜひこちらもチェックしてください。 AERA(アエラ)2023年10月23日号 定価:470円(本体427円+税10%) 発売日:2023年10月16日(月曜日)
AERA 2023/10/13 17:53
精神科医Tomy「患者に割ける時間に限界。せめて何かひと言アドバイスしたい」 SNS時代の医師の多様性
精神科医Tomy「患者に割ける時間に限界。せめて何かひと言アドバイスしたい」 SNS時代の医師の多様性
YouTube の動画撮影や原稿の執筆は、お気に入りの京都をイメージした和室で 写真/上田泰世(写真映像部)  軽快でいて柔らかな言葉で悩みや不安に寄り添う"精神科医Tomy"。SNS やYouTube などで多くのフォロワーに支持され、著書も大ヒット。好評発売中の週刊朝日ムック『医学部に入る2024』では、インターネットを駆使して情報発信する医師、Tomy 先生の素顔に迫りました。同ムックの記事をお届けします。 *  *  * ツイッター初投稿から2カ月目で運命の大バズり ストレスを減らすたった一つの方法。それは「手放す」こと。執着を手放す。「こうならなきゃいけない」を手放す。人をコントロールしたい気持ちを手放す。手放せるものは沢山あるわ。手放せば手放すほど心は楽になっていく。最後にどうしても手放せないものが残る。これが生きる理由よ。  Tomy先生がこの言葉をツイッター(現X)でつぶやいたのは2019年の8月のこと。その2カ月前から投稿し始め、もともとブログに多くの読者がいたこともあり、フォロワー数は日ごとに増えていましたが、この言葉で大バズり。Tomy先生いわく「お祭りが始まっちゃったのかな?」という状態だったそうです。 「ツイッターを始める人が急速に増えたころで、気に入ったつぶやきを純粋な気持ちでリツイートしてくれる人が多かったんです。いいタイミングだったと思います」  これらの名言はいったいどこから生まれるのかと聞くと、「パソコンの中に膨大なメモを入れていて、そこから拾っているんです」と教えてくれました。 「精神科医の仕事は病気の診断をして薬物療法をおこなうのが基本です。患者さんに何かアドバイスしたくても、待合室には1 日100人もの患者さんが待っていて、1人に割ける時間にはどうしても限界があります。でもせめて何かひと言、短くてもぼくらしい言葉でアドバイスしたくて、思いついた言葉を片っ端からパソコンのメモアプリに入れていきました」  この人には、この言葉。こういう人にはあの言葉。そうやって書きためた短いメッセージは、ツイッターの140文字という文字数制限とも好相性でした。  一方で、断定的な表現は避け、受け取った人が自由に解釈できるような余韻を残すことを意識しているといいます。 「ぼくが一人で診られる患者さんの数には限りがありますが、不特定多数の人にも自分の思いが届けられ、反応が返ってくるのは純粋にうれしかったですね」 小説を書くという夢を抱いて精神科医の道へ  もともとTomy先生は小説を書くことに憧れる文学少年だったそうです。なのになぜ医師に? 「父が内科の開業医だったので、自分も将来は医師になるというイメージしかありませんでした。作家は……芸能人になるのと同じくらい遠い憧れでした」  精神科を選んだ理由はと聞くと「手先が不器用だったんです」と笑いつつ、こう付け加えました。 「一番文系に近い診療科かな、とも思いました。でも実際には精神分析みたいなことはしないし、神経内科とか生理学とかに近いですね。それでも精神科には、人の心を探るロマンみたいなものがあって、好きになりました」  医学部を卒業し、精神科医として働き始めたTomy先生。そのかたわらブログを書き始めたのは10年のことでした。 「小説を書きたいけれど、新人賞に応募しようにも仕事が忙しくて長い作品を書く時間なんてない。しかも父が倒れ、仕事の合間に父の入院する病院にお見舞いにも通っていました。その父が亡くなったとき、心と時間に少しだけ空白が生まれたんです。『だったらブログを始めたら?』と言ってくれたのは、いっしょに暮らしていたパートナーでした」  パートナーは27歳のときに知り合った精神科医の男性。Tomy先生の夢を応援し続けてくれる大切な存在でした。ブログは “精神科医Tomy”というキャラクターを作って、顔は明かさずに書き始めることに。 「当時は自分がゲイであることを公表すべきじゃないと思っていたんです。だからブログにだけは『ゲイの精神科医』として登場し、パートナーとのほのぼのとした生活や、悩み相談への回答をオネエ口調で書きました。ぼくは普段そんな話し方はしませんが、思いがけない効果がありました」 障子越しの優しい朝日を浴びながら、パソコンに向かうのが日課だそうです。SNS への投稿は「読む人が『自分を否定された』と感じないような、寄り添う言葉遣いを意識しています」と言います 写真/上田泰世(写真映像部)  一般的に、医師が所属や本名を明かして個別の悩み相談に答えるのは難しいところがあり、「これは正式な診察ではない」と伝えても誤解が生じやすいものです。でも、親しみやすいイラストがトレードマークの医師キャラで「こう思うわ!」と言えば、診察だと思われにくく、柔軟に受け止めてもらいやすかったといいます。 「ブログの読者も増え、12年に初の本を出すことができましたが、残念ながら売れませんでした」 大切なパートナーを失い「どうしても本を出したい」  その翌年、大きなできごとがTomy先生を襲います。パートナーが突然この世を去ったのです。あまりにも大きな喪失感。心の空洞を埋めるように仕事に没頭するうちに、不眠の症状に悩まされるようになりました。うつ病の一歩手前だったといいます。 「かなりつらい思いをしましたが、徐々に普通に仕事をして、普通に寝て、普通に笑えるようになった。そのとき、心から『本を出したい』と思いました。大事な人を亡くした人を支えられるような本を、絶対に出そうと」  19年にツイッターが大きくバズったのをきっかけに、Tomy先生の本は次々に出版されるようになりました。念願だった死別をテーマにした本だけでなく、夢だった小説も出版し、多くの人の心の支えになっています。そして、今年、新しい形の医療を目指すクリニックを準備中です。 「医師としての人生設計を少し変えることにしたんです。セカンドオピニオンのオンライン診療も検討していて、今後も診療は続けていきますが、軸足は執筆活動に置くつもりです」  医師にならずに、最初から作家の道を歩んでいればよかったとは思わなかったのでしょうか? 「多分うまくいかなかったと思いますよ。作家は成功する確率が低い仕事ですから、いばらの道を進むようなもの。精神科医という本業がなければ、夢を持ち続けることは難しかったでしょうね」 医師免許という手札を持ち 別のカードを加えていく  だからこそTomy先生は、「もし医師になりたいと少しでも思うなら、まずは医師になる道を選んで」と提案します。 「何歳からでも医師にはなれますが、若いうちの方が医学部受験はしやすいと思います。医師免許という手札を持ったうえで別のカードを増やすんです。SNS時代になって、さまざまな業種がボーダーレスになっていますが、医師も同じ。医学の道を邁まい進しんするのも素晴らしいし、医師免許を持ったうえで別の夢を追いかけることもできる。医師になることで、むしろ人生の選択肢は増えるのだと、ぼくは実感しています」  最後に、SNSネイティブの読者世代に向けてTomy先生はこんなアドバイスをしてくれました。 「SNSは、自分で制限をかけて使ってください。どっぷりつからないでほしいですね。SNSでは簡単に情報も刺激も手に入りますが、大事なことは『その過程』。創意工夫して方策を考えて、ムダをたくさん積み重ねることが大切なんです。自分の体を使ってあれこれ試した経験があるかどうかが、将来的な差になると思います」 (文/神 素子) 精神科医Tomy 1978 年生まれ。東海中学・東海高校を経て、名古屋大学医学部卒業。医師免許取得後、名古屋大学精神科医局入局。精神保健指定医、日本精神神経学会専門医。X(旧Twitter)フォロワー38 万人突破、YouTubeチャンネル登録者数2 万人超、ダイヤモンド・オンラインで連載中。『精神科医Tomy が教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉』など著書多数 ※週刊朝日ムック『医学部に入る2024』から
精神科医Tomy医学部に入る2024受験
dot. 2023/10/01 16:30
盗んで心の穴を埋める「クレプトマニア」 医師「真面目で融通の利かない人こそ注意」
盗んで心の穴を埋める「クレプトマニア」 医師「真面目で融通の利かない人こそ注意」
店内に設置された防犯カメラの映像。犯行の一部始終が録画されており、捜査機関に被害を報告する際に貴重な資料になる場合が多い(写真:関係者提供)    クレプトマニア──。盗癖、盗症などと呼ばれ、ややもすると犯罪行為の正当化とも受け取られかねない生きづらさを抱えた者たちの姿に迫る。AERA 2023年9月11日号より。 *  *  *  犯罪とわかっていても、盗まずにはいられない──。  都内の警備会社でいわゆる“万引きGメン”として勤務する30代の男性は、盗癖、盗症のある「クレプトマニア」を「珍しくない」としながら、彼らの抱えた問題にこんな見解を示す。 「窃盗は許容できませんが、加害者たちの話に耳を傾けると、その人なりの背景が見えてきます」  顔色の悪い初老の女性の万引き犯のケースでは、体調が悪そうなので注目していると、弁当をいくつも盗み始めた。女性は末期がんだと言い、「食べられないのはわかっているけど、盗むと健康だった頃に戻れる気がする」と話していたという。  Gメンの間では有名な話もある、と男性は話す。ある女性は優秀な万引きGメンで、メディアにも取り上げられるほど活躍していた。しかし大切な人を続けて亡くしたことを機に、仕事を辞めてしまった。その後、女性は万引き犯となり何度も捕まっていたという。  現場に立つからこそ得た視点もある。 「彼らが心に開いた穴を埋め合わせるように盗んでいると思える場面さえあります。社会が万引きという結果だけに罰を与え、刑事罰によって盗む手を止められたとしても、心の穴は開いたままです。そのまま放置された人は、自傷等に向かう気がしてなりません」(男性) 他人に頼れない性格  クレプトマニア当事者だった高橋悠さんは、現在、治療が奏効して無事に社会生活を送っている。筆者の前に現れた高橋さんはいかにも誠実で真面目な、自律的な人物に思えた。万引きの常習者、というイメージとの乖離(かいり)を感じる。 「私は昔から白黒はっきりさせないと気が済まない不器用な性格で、他人に頼ることができませんでした。加えて、出生時の性は女性ですが性自認が男女双方に当てはまらないXジェンダーで、幼い頃から窮屈な思いをしていました。両親はそんな私を温かく育ててくれ、褒めてくれたこともあったと思いますが、当時負けん気が強すぎた私は、その言葉を素直に受け入れることができませんでした」  小学校時代は歯に衣着(きぬ)せぬ優等生的存在であり、同級生から一目置かれていたが、転居先の中学校は規模の小さい“ムラ社会”的な要素が強く、細やかな気遣いが求められた。 万引きの被害が発覚したあと、店側が盗られた商品を把握・管理・処理するために発行するレシート。万引きGメンの間では通称"ジャーナル"と呼ばれている(写真:関係者提供)       「同級生たちが流行のアイドルの話題で盛り上がるのに相槌を打ったり、部活で真面目にやらない層に合わせてキャプテンとして振る舞わなければならなかったり、苦痛に感じることが多くありました。結局、摂食障害となり、中学生の頃に入院しました」 「お金を使うのが怖い」  その後、学生時代は自らの性自認について理解してくれる周囲に恵まれた。中学時代から患っていた摂食障害は完治こそしていないものの、精神的な安定を得られた。だがそれは就職を機に暗転する。 「成人式も紋付き袴(はかま)を着て出席した私ですが、社会人になって周囲に理解を求めることがどうしてもできませんでした。『女性として振る舞わなければ』という意識があったと思います」  最初に就職した職場は典型的なブラック企業だった。就労形態を勝手に変更されたり、ハラスメントを受けたりすることは日常的だった。何とか逃れてたどり着いた転職先では、それを取り戻すかのように「認められたい」という思いから自ら長時間労働にのめり込み、うつ病を発症した。  皮肉にも会社側が高橋さんの労働時間を調整する配慮を行ったことが、クレプトマニアへの引き金になってしまう。 「時間があれば『摂食障害』について調べていました。そんなときに摂食障害とクレプトマニアの関係について書かれた本に出合いました。ちょうど労働時間の減少で給料が下がり、前職で不当な収入減少を経験していることもあって、『お金を使うのが怖い』と思うようになってしまったんです。本に書かれたことが自分のことのようで、クレプトマニアに近づいているという認識を持つようになりました」  クレプトマニアを身近なものとして自覚し始めた高橋さんは、結果として、パン一つを盗んだ経験から万引きを重ねることになる。 「万引きがバレて逮捕されたこともありますが、取り調べのときに『次はどうやったらバレずに盗めるか』と対策を考えている始末でした。通院先の主治医と交わした『万引きをしたら正直に申告する』という約束も反故(ほご)にし、自助グループにも更生したような顔をして参加していました」 被害者の気持ちを知り  高橋さんが万引きをやめたのは、自身が窃盗被害に遭った経験が大きいという。クレプトマニア治療で有名な赤城高原ホスピタル(群馬県)に入院したとき、同じ病気で入院している患者による院内窃盗があった。被害者の気持ちを知ったことを契機に「盗(と)りたい」という気持ちが薄れていったという。 ますだ・ゆうすけ/早稲田メンタルクリニック院長。「精神科医がこころの病気を解説するCh」(YouTube)を運営(写真:本人提供)    高橋さんは、盗みへの依存という経験をこのように振り返る。 「思い返すと、常に何かに熱中することで私は人生をやり過ごしてきました。学生時代は部活だったり受験勉強だったり、社会人になってからは仕事だったり。その対象が万引きになっても、金銭の枯渇恐怖から抜け出せずにどんどん依存していきました。クレプトマニアは罪の意識が希薄だと言われます。私自身、『盗ってもいいだろう』くらいに考えていました。相手の立場を推し量ることができていませんでした」  精神科医としてYouTubeを通じて心の問題について発信している早稲田メンタルクリニック院長の益田裕介さんは、クレプトマニアを「我慢の病気」と指摘する。 「日常生活においてストレスが限界に達し、頭が何も考えられない状態になったときに、盗った瞬間だけ光明を感じるといわれています。しかしまたすぐに罪悪感に襲われ、自己肯定感も下がってしまい、日々の生活でストレスを補充していきます」 心の不調和が必ずある  もちろん、普通に生きる人々もストレスを感じるが、うまく発散している。益田さんは、クレプトマニアの人々が最も違う点は、「他人に頼る、打ち明ける」ことが極めて苦手であることだと指摘する。 「万引きという犯罪のイメージと異なり、もともと真面目で融通の利かない人こそ注意したい病気です」  盗りたくないが、盗らざるを得ない。そんな人々に社会はどう向き合うべきか。日常臨床に加えてさまざまな疾患を抱える人たちの患者会を組織する益田さんは、こんな見解を示す。 「現代社会は個人の行為を自己責任に帰す傾向があります。資本主義による競争社会では“みんな平等”という建前を守るために、それは必要なのかもしれません。しかし実際には発達障害などの生きづらさを抱えるがゆえに衝動性を我慢できない人や、さまざまな特性を抱えながら生きている人が大勢います。彼らは総じて、日常生活における悩みを同定する力が弱く、自分が何にストレスを抱えているのかわからないままに依存症に陥ります」  さらに続ける。 「万引きにしても薬物にしても、『犯罪だから』と厳罰を与えるのではなく、もっと具体的に生活をアシストしてあげる制度を整えることが求められると思います」  万引きという逸脱の根源には、ときに本人にさえ知りえない心の不調和が必ずある。逸脱を忌避すれば社会の表層は行儀の良さが維持されるが、個人が抱えるやるせない気持ちの置き場はなくなる。必要なのは逸脱を許さない態度ではなく、それぞれの背景と向き合って解決していく社会の覚悟かもしれない。(ノンフィクションライター・黒島暁生) ※AERA 2023年9月11日号
AERA 2023/09/11 07:30
「自宅に帰りたい」寝たきり患者を在宅へ ICT機器で病院が状態把握し悪化させないケア【離島の在宅医療・前編】
杉村健 杉村健
「自宅に帰りたい」寝たきり患者を在宅へ ICT機器で病院が状態把握し悪化させないケア【離島の在宅医療・前編】
訪問診療する対馬病院院長の八坂貴宏医師(撮影/木村和敬)   病院に行くことが難しい患者の自宅に、医師が訪問して診療するのが「在宅医療」だ。日本でもっとも離島が多い長崎県では、離島で在宅医療をおこなう医療機関は減少傾向にある。この課題に対して、同県は2022~23年度に医療ICTを活用して効率的な医療体制の構築を図る実証事業に取り組み始めた。その現場のひとつ、離島の対馬にある長崎県対馬病院の在宅医療を取材した。前編後編の2回に分けてお届けする。 *  *  * 過疎化・高齢化が進む離島  長崎県・対馬は、九州と韓国の間に浮かぶ島で、南北に約82キロと縦長の形をしている。人口は約2万8千人。病院は二つあり、最北端に上対馬病院、南半分のおよそ中心あたりに対馬病院がある。    今回取材した対馬病院は、2015年に新築移転した病院で、25の診療科を持ち、病床数は275床。医師47人が勤務している。 2015年に新築移転した対馬病院。25の診療科を持ち、病床数は275床。1日平均600人以上の外来患者が訪れる。内科患者の7割は65歳以上の高齢者だという(撮影/木村和敬)    19年4月に八坂貴宏医師が院長に就任し、在宅医療やICT導入に積極的に取り組んでいる。  在宅医療は、医師が訪問する「訪問診療」と看護師が訪問する「訪問看護」があり、組み合わせておこなうことも多い。ときに、患者や家族からの緊急の要請に応じて駆けつける「往診」もある。  こうした在宅医療は、過疎化・高齢化が進む離島やへき地で、診療機会の減少が懸念される患者への診療提供の方法として期待されている。高齢で日常生活動作が衰えた患者は、家族のサポートなしで遠くの病院まで通院できなくなるからだ。この課題に対して、長崎県はICTを活用して解決していこうと「地域医療充実のための医療ICT活用促進事業」(2022~23年度)を実施している(詳細は後述)。  この事業に離島で唯一参加しているのが対馬病院だ。院長の八坂医師自ら担当している。今回、この事業の実情を探るべく、7月上旬、対馬を訪れた。 長崎県の対馬(撮影/木村和敬)   今年6月にICT機器導入  対馬病院を出発して訪問診療に向かう車を追いかけて、南に約25分。途中、左手に海を臨みながら、港町を過ぎ、山あいの入り組んだ道に入っていく。戸建ての家の前に車を止めて、八坂医師と訪問看護師が赤木良夫さん(仮名、76歳)の自宅に上がる。出迎えた妻の幸子さん(仮名、66歳)が、1階リビングに置かれた良夫さんのベッドの前で八坂医師に話しかける。 「先生、今日は(夫の)顔色いいでしょう」  夫婦二人暮らし。良夫さんは、電気工の職人だったが、広範脊柱管狭窄症という脊椎の病気で現在は寝たきり生活を送っている。手足の筋力が低下し、自分で食事や排せつができず、1年前、尿路感染症を起こし対馬病院に入院していた。根本治療がなく、このままでは命も危ないという状態だったが良夫さんの「病院はいやだ。自宅に帰りたい」という希望から、在宅に切り替えた。 対馬病院から車で約25分かけて患者宅に訪問して診療をおこなう。遠いところでは1時間ほどかかる家もある(撮影/木村和敬)   「当初は『1カ月ももてばいい』という状態でした。なんとか夫の希望をかなえ、1年間在宅でやってこられました」  と幸子さんは話す。入院中は病院まで通い、つきっきりで看病するのが体力的にきつかったという。在宅になってからはそんな苦労からも解放された。週2、3回の訪問看護と月1回の訪問診療を受けながら、幸子さんが介護をしている。当初危うかった状態も、自宅に帰り食事がとれるようになって落ち着いた。 毎日3回、幸子さん(仮名、写真右端)が血圧や脈拍などを測定する(撮影/木村和敬)    この赤木家の在宅医療に、今年6月からICT機器が導入されている。幸子さんが毎日朝昼晩の3回、脈拍、血圧、体温、血液酸素濃度を測ると、数値がスマホに自動転送される。このデータがネットワークを介して対馬病院に届き、八坂医師は病院のパソコンや手持ちのタブレット端末で良夫さんの状態を把握することができる。これらのICT機器は、長崎県の実証事業として県から貸与されたものだ。 「これまでは毎日、ノートに脈拍、血圧などを記入して、訪問看護師さんが来るときに見せていました。高熱が出たとき、とくに夜の場合、看護師さんに電話してもいいものか迷っていましたが、いまは、状態を八坂先生が診ていてくれるという安心感があります。困ったときはチャット機能で問い合わせることもできて、とても助かっています」(幸子さん) 血圧や脈拍などを測定する機器、連携に利用されるスマホ(撮影/木村和敬)    八坂医師はICT機器導入の手ごたえをこう話す。 「24時間バイタルデバイスでチェックできるので、早め早めに対応ができるようになりました。おかげで、悪化させない、入院させないケアができやすくなったと思います」  良夫さん本人は、寝たきりではあるものの、電気工の職人として「(弟子に)技術を伝えたい、教えたい」と言って、それを生きる目標にしている。幸子さんは「それをかなえてあげたい」と献身的に介護を続けている。 病院内のモニターで、ICT機器を通じて送られてくる患者情報をチェック。タブレット端末でも見ることができる(撮影/木村和敬)   長崎県の医療状況  ここで、長崎県の医療状況やICT事業について簡単に説明しておこう。  長崎県は日本で最も島の数が多い都道府県だ。県の担当課によると、人口10万人あたりの医師数は、全国267.0人に対し、長崎県は332.8人と意外に多い。しかしこれは内訳として本土部が多く、離島部は213.7人と少ないのが現状だ。訪問診療をおこなう医療機関の数でみると、約半数が長崎市を中心とした本土の長崎医療圏に集中しており、離島医療圏では22施設と県全体の件数の2.8%にすぎない。  対馬の人口における65歳以上の割合は、38・6%。全国平均の28・6%はもちろん、長崎県33・0%よりも高い。  長崎県は、▼離島へき地を中心に住民の過疎化・高齢化が進行することで訪問診療のニーズが増える▼訪問診療実施医療機関は減少傾向(15年:456施設↓19年:418施設)にあることから、1機関あたりの負担軽減や離島僻地における診療機会の確保を図る必要性を認識。医療ICTを活用した効率的な医療体制の構築を図る狙いで、今回の事業を開始した。  具体的には、在宅医療に取り組む事業所に患者用のICT機器を貸出し、機器を通して各施設で患者の状態を共有できるようにする。患者や家族は、自宅で体温、脈拍、血圧、酸素飽和度などを毎日測定。データはスマホを介して、サーバに自動転送。事業者はパソコンやタブレット端末などで、患者の状態を把握できる。これにより、訪問診療の回数を減らすなど、医療機関側・患者側双方の負担を減らそうという試みだ。 ★「AERA dot.」のコラムニストだった大石賢吾・長崎県知事のインタビュー記事はこちら:精神科医コラムニストから長崎県知事に 「誰も取り残されない社会の仕組みづくり」目指して  応募できる事業者の条件は、患者の診療情報を複数の医療機関で共有できるシステム「あじさいネット」(長崎県医師会や長崎大学が運営)に加入していること。  長崎県は応募があった事業者から、11事業者を選定し、現在、各事業者で実証事業が進められている。このうち、離島部で選定されたのが対馬病院だ。  八坂医師は、対馬病院の在宅医療の状況についてこう話す。 「私が院長に就任する以前は、入院していた患者が退院して自宅に戻る場合、条件が合うケースにだけ、在宅医療を提案するという具合に、細々と実施していた状況です。私は、前任地の五島列島の上五島病院で在宅医療に取り組んできたので、対馬でもやるべきだと考えました」  院長就任翌年の20年には地域医療連携室を充実させ、地域の医療機関、行政、介護福祉施設などとの連携を進め、21年には訪問看護ステーションを設置し、医療保険・介護保険の両方で訪問看護をできるようにした。在宅医療の対象は、入院から退院する患者だけでなく、通常の外来で通院が困難になった患者にまで広げ、認知症にも対応するようにした。  現在、対馬病院で訪問診療に携わる医師は7、8人。訪問看護師は4人で、平均20~25人の在宅患者を担当している。八坂院長は、在宅医療に取り組む理由やICT事業応募の理由についてこう語る。 「私自身が島出身で、我々の仕事は患者の生活や生きていくことを支えることだと思っています。病気を治すことだけではないですから、病院の中で仕事をするのではなく、患者の生活が見える外へ出ていく在宅医療に取り組んでいます。ICTについては、離島だから本土並みの医療が受けられないということがあってはならないし、離島医療が都会と同じ医療の質を提供できる形を目指したいと思っています。その可能性が広がるものであれば何でも新しいことにチャレンジしてみたい。やれることはやるという感覚ですね」 最近の良夫さん(仮名)の様子を幸子さん(同)に確認する八坂医師。幸子さんは、「日々の状況を把握してもらえているので安心感があります」と話す(撮影/木村和敬)    ICT事業は今年2月から開始し、県から貸与された機器は3セット。研究ベースで1年間おこなうものなので、1人あたり3~6カ月程度で複数人に使うことで、どういう人がマッチしているかを検証していきたいという。すでに2人の患者の使用が終了している。うち1人は外来の60代糖尿病患者に使ってもらい、日々のデータ把握により、意識向上につながり、体重減少に成功した。もう1人は、在宅の90代慢性心不全患者で、同居の息子がICT機器でデータを管理。「毎日状態を病院に把握してもらっているので安心感があった」という声をもらったという。 取材・文/杉村 健(編集部) 後編に続く:医療的ケア児の通院「泣き出すと酸素量も低下」 5分で終わるオンライン診療導入で恩恵【対馬の在宅医療・後編】
在宅医療
dot. 2023/09/01 16:30
【肝がん治療・全国24位】世界に認められた技術で信頼を得る福山市民病院 大学病院に引けを取らない
【肝がん治療・全国24位】世界に認められた技術で信頼を得る福山市民病院 大学病院に引けを取らない
  福山市民病院 外科科長 門田一晃医師  がんの治療実績を「数」で比較をすると、全国から患者が集まるがん専門病院や人口の多い大都市圏の大学病院が上位を占めることになります。しかし、そうした病院がない地域では中核病院、市民病院や総合病院などがその役割を担うことがあり、大学病院と同等の医療水準を求められることも珍しくありません。福山市民病院(広島県福山市)もそのひとつで、肝がん治療において全国24位、中国・四国地域5位です(週刊朝日ムック『手術数でわかるいい病院2023』調査による、2021年治療数)。これだけの実績を上げられる理由を探りました。  本企画「『手術数でわかるいい病院』ランキング上位の証し」は、いい病院ムックのランキング上位病院を取材し、「数」だけでは見えづらい各病院各診療科の特徴や試み、強み、展望などをリポートしていきます。 *  *  *  福山市は人口約45万の工業都市。世界最大級の製鉄所を擁するほか、造船、繊維、精密機械などの製造業が集結し、それらを輸送するための通運企業も本社を構えるなど、中国地方を代表する都市のひとつに数えられます。  しかし、地理的に見ると広島市と隣県の県庁所在地である岡山市とのちょうど中間にあることから、医療面においては「大学病院の隙間」という位置づけに置かれています。そのため福山市民病院が地域の基幹病院としての重責を任されています。同院で肝がん治療の実績を支えているのが、外科科長の門田一晃(もんでん・かずてる)医師です。  大学を卒業後は首都圏の大学病院やがん専門病院など、日本を代表する大規模病院で研鑽(けんさん)を積み、10年前から故郷に近い福山の地で、肝がん手術に特化した診療に従事する門田医師。これまで腹腔鏡(ふくくうきょう)による肝切除術の執刀症例数は520件、ロボット手術も20件に上ります。これは地方の市民病院としては、かなり健闘しているといえるでしょう。 「基本的にすべての症例について当院で医療を完結させることを念頭に置いています」(門田医師、以下同)  同院では、手術に耐えられない患者や手術を希望しない患者などには、ラジオ波焼灼術や薬物療法などの選択肢も提示し、それぞれの患者の状態に応じた弾力的な対応が取れるよう、すべての症例をカンファレンスで検討しています。この取り組みが、同院の肝がん治療の症例数を増やす結果につながっているのです。 世界的に認められた腹腔鏡の高度な技術  門田医師は21年6月、あるニュースで世界にその名をとどろかせました。米国で開催された国際腹腔鏡肝臓学会で高難度の手術映像を披露し、最優秀賞「ベストビデオアワード」に選ばれたのです。大学病院やがん専門病院ではなく、地方の市民病院の勤務医がこうした国際的な賞に輝くのは珍しく、日本の外科治療の技術の高さをあらためて世界に見せつける結果となりました。  門田医師が受賞した大きな理由は、肝臓の血管を取り囲む薄い膜「レネック被膜」を、がん治療で組織を摘出する際に一緒に切除するか、あるいは摘出しない部位と一緒に温存するか――という“考え方”を腹腔鏡手術に導入したことによるものです。レネック被膜を切除部位と一緒に摘出すればがんの取り残しを予防でき、逆に肝静脈に付けて残すと静脈の強度が高まることが分かっています。切除するか残すか、その判断は症例ごとに異なりますが、このことを考慮して腹腔鏡手術をおこなうことで手術成績を高める取り組みが評価されたのです。 「受賞を報道されてから、患者さんに声をかけられることが増えました。また『福山市民病院にこんな医者がいるんだ』と知ってもらうきっかけにもなったようで、広島市内や大阪のような遠方からの患者さんもみられるようになりました。海外からの講演依頼や他病院からの見学希望者も増えました。“人に教える”ということは、自分自身も勉強しなければならないので、いい循環になっていると思います」 地元の開業医に、取り組みを知ってもらうのが重要  受賞の反響を受け止めながらも、門田医師の視線はあくまで“市民”に注がれています。 「大切なのは、福山市民病院でおこなわれている肝切除術がどのような手術なのかを、市民の皆さんに広く知ってもらうこと。特に地域の開業医に当院の取り組みを周知する必要があり、そのためには地道に論文を書いて、学会に発表していくことが何より重要だと考えています」 【病院ランキング】肝がん治療数全国21~30位(週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院2023」より) 【病院ランキング】肝がん治療数全国1~40位の病院はこちら  一方で、最先端の治療技術を学び、臨床に導入する努力も怠りません。近年は肝がんの切除術にもロボット手術の導入が進んでいます。冒頭で触れた「レネック被膜」の取り扱いについても、腹腔鏡や手術支援ロボット「ダビンチ」に手術時の視野を拡大する機能があるから検討できるもので、開腹手術をして肉眼でこれを意識することは困難です。 「当院では旧式タイプのダビンチ1台で対応してきましたが、この8月に最新型の手術支援ロボット2台を導入したことで、ロボット手術の適応拡大が可能になりました。3D画像で体の中を立体画像としてとらえることができ、手ブレ補正機能により血管や肝門に近い部位の手術はやりやすくなると期待しています」  肝がんは、がんの中でも「再発」のリスクが高いという問題点があります。これについて福山市民病院では、「がん地域連携パス」という診療計画書を使った医療連携で対応しています。 「手術の後は、その患者さんのかかりつけの医療機関を受診し、定期的なフォローを受け入れてもらいます。この大元になるのが“がん地域連携パス”。これは、がん診療連携拠点病院(ここでは福山市民病院)と地域の開業医の間で作成したパス(診療計画書)を元に、双方の医療機関が共同して診療を継続していくというもの。ふだんの採血や超音波検査は地域のクリニックで対応してもらい、4カ月に1度のCTやMRI検査などは福山市民病院でおこなうことで、定期的かつ継続的なフォローアップを、クリニックと病院が自然な流れの中でおこなえる仕組みです」  転移性肝がんについても積極的な取り組みを見せます。 「転移性肝がんが見つかった場合は、可能な限り切除を目指しますが、それが困難なケースでは、薬物療法でがんを小さくしてから手術に持ち込む“コンバージョン手術”も検討します。また、がんが血管に浸潤している場合は、血管を切除すると肝機能が悪化する危険性があります。そこで首や足の血管を移植して肝臓の血管をつなぐ“血管再建術”をおこなうこともあります」 診療科の枠を超え、必要な情報をスタッフ間で共有  大都市の病院に対する引け目は感じていない。むしろ、市民病院ならではのチームワークの良さが同院の医療水準を高め、患者メリットの向上に役立っている、と門田医師は分析しています。その代表的な取り組みが、先に触れたカンファレンス(症例検討会)です。 「当院はとにかく診療科の間の垣根が低い、というより垣根がないんです(笑)。すべての診療科の医師が一つの同じ医局にいるので、分からないことがあればすぐに、簡単に相談できる。加えてがんの症例には、症例検討会を毎週2回開催し、すべての症例について、その患者さんに関わるすべてのスタッフが、必要な情報を高いレベルで共有しています」  症例検討会に参加するのは、外科医や内科医、放射線科医のほか、看護師や薬剤師が加わるのはもちろん、同院ではがん治療のチームに身体疾患を熟知している精神科医が必ず加わる点も大きな特徴。これは数字には出にくいものの、患者の安心感を高めるうえでの意義は大きい。 「高齢の患者さんは睡眠薬を常用しているケースが多く、術後にせん妄(注意力、思考力の低下などの意識の混乱)を起こすリスクが高い。そこで精神科医が術前から睡眠薬の量や種類を調整することで、せん妄が起きる危険性を下げてくれているのです。これは患者さんだけでなく外科医にとっても大きなメリットになるし、入院日数を短くすることにも貢献しています。せん妄が生じたときでも術前から精神科医から患者さんに情報提供することで、患者さん自身が慌てずに看護師に報告してくれるなどの効果を実感しています。また、がんの患者さんは心理的な大きな負担が加わるので、メンタルの専門家が治療チームにいることの安心感は計り知れません」 高度技能を持つ外科医の数で「中国・四国トップ」に  福山市民病院は、2009年から日本肝胆膵外科学会の「修練施設」として認定されています。この認定には、高難度の肝胆膵外科手術を年間50例以上実施する「A施設」と30例以上実施する「B施設」があり、同院は「A施設」に分類されます。  大学病院ではなく、地域の市民病院がこうした認定を得て、高度に専門特化された外科治療をおこなうには、そこで働く医師の技量にも高い水準が求められます。  門田医師は、2014年に日本肝胆膵外科学会が認定する「高度技能専門医」の資格を取得しました。資格取得当時、資格保持者が全国で90人という状況で、同院にこの資格を持つ医師は門田医師が2人目、「肝胆膵外科高度技能指導医」の資格保持者を含めると5人となり、この数字は中国・四国地区で最多を誇るものとなりました。  このように、医師の力量と病院の実力が高度な水準で融合した結果、福山市民病院は全国有数の肝切除術の実績を残すことができるようになったのです。  診療科の垣根を越えるフットワークと、世界が認める高度な技術によって、医療の地域間格差を解消する取り組みが、ここ福山で実践されています。 (取材・文/長田昭二) 【取材した医師】 福山市民病院 外科科長 門田一晃(もんでん・かずてる)医師 1977年広島県府中市生まれ。2003年東京慈恵会医科大学卒、NTT東日本関東病院、国立がん研究センター東病院、東京大学医学部附属病院を経て、13年から現職。日本内視鏡外科学会技術認定医、日本肝胆膵外科学会高度技能専門医・評議員、米国外科学会フェロー、日本消化器外科学会外科専門医・指導医・消化器がん外科治療認定医、Da Vinci surgical system 術者認定、他。 福山市民病院:広島県福山市蔵王町5-23-1   ムック『手術数でわかる いい病院』特設WEBページ(https://publications.asahi.com/mp/goodhospital/)では、手術が検討される病気の解説や病院選びのヒント、進行した病気が見つかったときにどう受け止めればいいのかなど、後悔のない治療を受けるために知っておきたい情報を無料で公開しています。  
いい病院2023#肝がん#手術
dot. 2023/08/20 08:00
発達障害の疑いで児童精神科にかかりたくても「予約いっぱい」 1年待ちも 片道2時間に頭抱える親
発達障害の疑いで児童精神科にかかりたくても「予約いっぱい」 1年待ちも 片道2時間に頭抱える親
※写真はイメージです(写真/Getty Images)   子どもの発達や心の問題を診療する児童精神科医が足りない。診療を受けたくても予約が1年待ちのところもあるという。なぜこのようなことが起きているのか。現状や課題について、国立国際医療研究センター国府台病院・児童精神科診療科長で児童精神科医の宇佐美政英医師に取材した。 関連記事はこちら:児童精神科医が足りない 発達障害「これだけで決めちゃうの?」 予約待ち短いクリニックを選んだ親は驚き *  *  * 予約が取れても3カ月待ち  2022年10月、関東地方に住む会社員女性は、小学1年生の息子の担任から呼び出しを受け、発達障害の可能性があることを指摘された。専門の医療機関で診察を受けるように勧められ、渡されたリストにあった病院の小児科に電話したが、「発達障害を診る児童精神科部門は予約制で、当面、予約がいっぱい」と断られた。リストはもちろん、リスト以外の医療機関もネットで調べて次々電話をかけたが、最も早いところで3カ月半、半年以上先の日程を言われたことも。 「ただでさえ予約が取りにくいうえに、就学前健康診断で予約が集中したようです。予約自体を受けてもらえないところも多かった」と女性は話す。結局、かかりつけの小児科医を受診し、大学病院に直接紹介してもらうことができたが、それでも3カ月待ったという。  関西に住む女性も1年前、当時小学1年生だった娘の受診予約で苦労した。大学病院やこども医療センターなど大きな病院で診てもらいたくて近隣の県まで広げて電話をかけたが、予約は一番早くて半年先。待つのが不安で、次々電話をかけ、4カ月後の予約が取れた県外の発達専門のクリニックで診てもらうことができた。  自閉スペクトラム症(ASD)と診断され、療育プログラムを勧められたが、クリニックまで片道2時間近くかかる。女性は、 「まだ1年生で体力がなく、学校もあるので、通うのが難しい。できれば自宅近くで同じように療育を受けられればいいのですが……」  と頭を抱えている。 発達障害の指摘で、受診希望者が急増  なぜこれほどまでに、受診まで時間がかかる状況が起きているのか。  一つ目の理由は、発達や心に問題を抱えている子どもが増加していること。近年特に増えているのは、発達障害だ。国立国際医療研究センター国府台病院・児童精神科で長年子どもたちを診療してきた診療科長の宇佐美政英医師はこう話す。 「世界的に見た自閉スペクトラム症の有病率は、1975年には5000人に1人でしたが、2023年4月のCDC(米国疾病対策センター)の発表では36人に1人まで急増しています」 国立国際医療研究センター国府台病院・児童精神科診療科長で児童精神科医の宇佐美政英医師(撮影/写真映像部・高野楓菜)    日本でも発達障害が増えている。全国児童青年精神科医療施設協議会が、同会に加盟している38の医療施設を対象に「2021年度に児童精神科外来を受診した子どもの疾患」を調べたところ、発達障害が全体の半数を占めていた。 「当院の外来受診者も、2003年からずっと発達障害が全体の半数を超えています」  と宇佐美医師。 「発達障害がなぜ増えたのか、著名な論文でも『まだよくわからない』とされています。ただ、病気自体が増えたというよりは診断名が知られたとか、世の中で認知されたといったことが大きく関係していると思います。実際、学校の先生たちもちょっと疑わしければすぐに指摘しますし、適応指導教室(不登校児を対象にした公立のフリースクール)などを利用する際も『診断書をもらってきてください』という時代です」  また、子どもが抱える問題は、発達障害だけにとどまらない。21年度の小中学生の不登校は約24万人で9年連続増加し、過去最多となった。 10年前と比較して小学生は3.6倍、中学生は1.7倍(中学生は20人に1人が不登校)に増加。21年度の児童相談所による児童虐待相談対応件数も、過去最多を更新した。子どもの自殺も増え、22年に自殺した小中学生と高校生は512人にのぼり、1980年以来、最も多くなっている。 子どもの発達や心を診療する専門医はわずか500人  児童精神科医が不足していることも、初診待ちが長期化する理由の一つだ。 「児童精神科医」になるには、トレーニングを経て精神科専門医か小児科専門医となった上で、日本児童青年精神医学会の認定医資格を取得する。日本児童青年精神医学会認定医数は、501人(23年4月1日)にすぎない。 資料提供:宇佐美政英医師   「心療内科医や小児科医、精神科医の中には児童精神科医と同様の診療ができる医師もいますが、全く足りていません。診療している医師に大きな負担がかかっている状況です」(宇佐美医師)  全国児童青年精神科医療施設協議会が加盟医療機関に勤務する児童精神科医75人に行った調査によると、児童精神科医1人が担当する外来患者数は平均132人(最大360人)。児童精神科医の56%は、通常の勤務における退勤時間が19時を過ぎていた。 子どもの診療は手間も時間もかかる  なお、この調査では、80%以上の児童精神科医が、「初診に60分以上、再診に30分から60分の時間を要している」と回答。子どもの心の診療には時間がかかることが、浮き彫りになった。宇佐美医師は言う。 「大人の精神疾患は、うつ病にしろ、統合失調症にしろ、効果が期待できる薬がたくさんありますが、子どもに安全性と有効性が確認された薬はほとんどなく、使えたとしても効果が出にくいことがあります。また、大人は『今この状態だから、こういう治療が必要』と論理的に説明すれば納得してもらえることが多いですが、子どもは理解できなかったり、思春期ともなれば、『大人の言うことなんか聞いてたまるか』と理屈を言われれば言われるほど反発したりすることもあります」  まずは子どもと他愛のない話をしたり一緒に遊んだりして時間をかけて関係を築く。その上で子どもがどのような問題を抱えているのかを一緒に考え、子ども自身が解決に取り組んでいけるように支えていく。また、家庭環境や学校との関係、どうやって社会復帰させていくか、さまざまなことを考慮しながら治療を進める必要もある。  児童精神科医により早く診てもらうに越したことはないが、長期間の診療待ちを余儀なくされている現状で、どう行動すればよいのだろうか。宇佐美医師はこうアドバイスする。 資料提供:宇佐美政英医師   「まずはかかりつけの小児科医や精神科医に相談してみるのも良いでしょう。医師同士の評判を頼りに、児童精神科や子どもの診療に強い精神科医を紹介してもらうのも良いかもしれません。クリニックのホームページなどで、心療内科や精神科の専門医の有無や『子どもの診療に特化しているか』を確認して選ぶようにしてください。自殺をしたい気持ち(自殺念慮)が強いなど、急を要する場合は、入院施設のある精神科に診てもらうことも選択肢の一つです」 (取材・文/熊谷わこ)  
発達障害精神疾患児童精神科
dot. 2023/08/15 08:00
ベッドで血を吐きアルコール依存症と診断された女性が「ストロング系」を“着火剤”と話すわけ
國府田英之 國府田英之
ベッドで血を吐きアルコール依存症と診断された女性が「ストロング系」を“着火剤”と話すわけ
  写真はイメージです(Getty Images)    夏の暑い時期、冷たいビール、サワーでのどをうるおす機会も増えるだろう。ただ、家飲みをする場合は注意も必要だ。アルコール度数の高い「ストロング系」商品が登場して久しいが、最近は主流の度数7~9%を上回る12~13%の高アルコール商品まで販売されている。安く早く酔えるからと気軽に飲み続けた結果、いつのまにか飲む量がコントロールできなくなりアルコール依存症に陥った事例も少なくない。「依存症に陥る強力な着火剤だった」と振り返る、当事者の女性に話を聞いた。  首都圏で実家暮らしをしている加納早織さん(41=仮名)は、美術系の学校を卒業し、広告会社などで働いてきた。服装もおしゃれで、雰囲気は年齢より若く見える。はきはきと話す彼女の姿に、アルコール依存の面影は感じられない。  だが、わずか半年前。朝から晩まで酒に溺れていた加納さんは、翌朝、自宅のベッドで血を吐き救急搬送された。アルコールの大量摂取による急性膵炎(すいえん)と診断され、その後約1カ月間入院した。 「毛布をつかんで、息が苦しくてもがいたのは覚えています。家族が『救急車を呼ぶね!』と言っているのは聞こえましたが、答えることすらできなくて……」  加納さんはその時のことをそう振り返る。  20代の学生時代、飲酒は友人たちと食事をする際にたしなむ程度だったという。社会人になり、仕事で怒られるなどしてストレスがたまったときなどは、同僚たちと憂さ晴らしで飲みに行き、酔うことが徐々に増えていった。とはいえ、よくある社会人の「ヤケ酒」の範囲内だった。  “転落”するきっかけは30代に入ったころ。しばらくの間、酒からは遠ざかっていたが、派遣社員として新たに勤めた職場で、仕事や人間関係のストレスにさらされるようになり、酒に頼りたくなった。久しぶりに飲もうと飲食店に入ったが、酔った男性客にしつこく話しかけられ、余計ストレスがたまった。  誰にも邪魔されない「家飲み」をしようと決め、初めて手を出したのがストロング系だった。コンビニで350ミリリットルの缶を1本だけ買って家で飲んだ。それを選んだ理由は、値段が安いのにちゃんと酔えそうで、なによりおいしそうだったから。缶のデザインも気に入り、女性一人で購入する抵抗感もなかった。 「実際に飲んだら酔いが早く、気分が良くなって、『これだよ~』って思ってしまったんです。ジュース感覚で飲みやすい味に感じた」(加納さん)  すぐに500ミリリットルを買うようになり、数日で一晩に飲む本数は2本、3本と、どんどん増えていった。  飲む量が急激に増えていっていることは自覚していたが、自分で量を減らすことはできなかった。記憶をなくしたりはしないのだが、ついにはストロング系だけでは飽き足らず、ウォッカを混ぜて飲むようになり、“壊れた”飲み方をする日々が長く続いた。  そして昨夏、派遣先の都合で仕事を辞めると、飲み方が一気に崩壊した。朝からストレートでウォッカを飲むようになり、自分の部屋で吐きながら飲み続けた。約半年後、ついにはベッドで血を吐いたのである。  退院後、アルコールの専門外来を受診して依存症と診断され、断酒に取り組みはじめた加納さん。だが、「できるかも」と思えたころにまたストロング系に手を出した。 ストロング系が国内でどれだけ飲まれているか 「ご飯を作りながらちょっとだけ飲みたくなってしまい500ミリリットルの缶を1本だけ飲んで、まったく大丈夫だと思ったから翌日は2本飲んで……。1週間後には朝からウォッカを飲む状態に戻ってしまい、すぐに専門外来に連絡をしました」  それから3カ月。医師の勧めで「断酒会」に参加するようになり、一滴も飲まない日々を過ごしている。  ストロング系じゃなくても、加納さんが依存症になっていた可能性はある。ただ、興味深い論文がある。  慶応大の吉岡貴史特任助教(前福島県立医大臨床研究イノベーションセンター)と岡山県精神科医療センター臨床研究部の宋龍平医師は昨年2月、ストロング系が国内でどれだけ飲まれているかや、問題飲酒との関連についてインターネットで調査。回答のあった約2万8千人のうち、56%がストロング系飲料を「飲んだことがある」と答えた。  さらに、このうち現在も習慣的に飲酒している約1万5千人について調べると、ストロング系を「現在も飲んでいる人」は、「飲んだことがない人」に比べ、健康に悪影響を及ぼす「問題飲酒」に当たる人が2倍以上いることが分かった。  加納さんも、当事者としてこう感じている。 「最初に飲み方がおかしくなったきっかけも、スリップ(再飲酒)したきっかけもストロング系だったことを考えると、依存症に陥る強力な“着火剤”になるものだとは感じています。ストロング系をきっかけに、深みにはまっていく人や、さらなる深みに落ちていく人。さらに、そこから脱出しかけている人をまた深みに引き戻してしまう危険性があることは間違いないです」  アルコール依存症専門の心療内科「さくらの木クリニック秋葉原」の倉持穣院長が、こう指摘する。 「臨床的な実感としてですが、ストロング系がアルコール依存症の発症や進行に大きくかかわっている患者さんは多いと思います。最近、外来にやってきた患者さんにもストロング系がきっかけで一気に酒量が増えてしまった人や、短時間に何本も飲んでしまうという方が数多くいます」 ストロング系1本で男性は上限近く、女性は上限超  倉持院長によると、そもそもアルコールは大麻より強力な依存性薬物で、長期間飲み続けると、欲求が満たされたときに活性化し快感をもたらす、脳の「報酬系」という回路に変化が生じ、次第に飲酒をコントロールすることができなくなっていく。  厚生労働省が定める、生活習慣病のリスクを高める1日平均の純アルコール(お酒の量×アルコール度数×0・8)の摂取量は、男性が40グラム以上、女性が20グラム以上。500ミリリットル(度数9%)のストロング系1本(36g)で男性は上限に近くなり、女性は簡単に上限を超えてしまう。  倉持院長は、ストロング系に手を出しやすく、ハマりやすい点についていくつかの理由を挙げる。 ▽安く早く酔えてお得 ▽若者向けのイメージを作りだしている ▽酒臭さがなく、人工甘味料・香料を加えたり強炭酸にしたりして飲みやすくしている ▽フレーバーを季節ごとに変えるなど消費者の購買意欲を上手に刺激している ▽「プリン体ゼロ」「糖類ゼロ」など健康に配慮しているかのような記載がある  普通の酒好きは、急激なスピードで依存症へと引き込まれていく。倉持院長がこう指摘する。 「どんなお酒でも飲み過ぎてはいけませんので、ストロング系でなければ依存症の危険性がないということでは決してありません。それでも、ストロング系が高リスクなのは明白で、専門医の間では長く問題視されてきました。にもかかわらず、いまだに悪ノリのような商品まで開発されてしまっています。売らんがための商品開発や宣伝の陰で、悲惨な目に遭っている人がたくさんいることは知っていただきたい事実です」  企業側が売るのをやめればいいと考えることもできるが、話はそう単純ではないようだ。倉持院長は、こうした商品が生まれた構造的な問題にも触れる。 仕組みを考える必要がある  ビールの酒税が高かったため、低価格で売れるものを求めて各社が開発したのが発泡酒。その発泡酒が人気となって発泡酒の酒税も上がった結果、同じ流れで酒税が安いままだったストロング系に注力するようになった、との指摘があるのだ。 「販売側の責任だけを問うのではなく、アルコールの量に比例して課税する制度にするなど、安くて手軽に買える高アルコール商品が生まれにくい仕組みを考える必要があるのではないでしょうか」(倉持院長)   アルコール依存に陥れば、本人が苦しむだけではなくその家族にも大きな負担がかかる。前出の加納さんも、ストロング系に気軽に手を出し「これだよ~」とまどろんだあの夜、その先に苦しむ事態が起きようとは夢にも思わなかったのだ。 (AERA dot.編集部・國府田英之)
ストロング系アルコール依存症
dot. 2023/08/01 19:01
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すべては命を救うため──。朝から翌日夕方まで、36時間の連続勤務もざらだった医師たち。2024年4月から「働き方改革」が始まり、原則、時間外・休日の労働時間は年間960時間に制限された。いま、医療現場で何が起こっているのか。医師×AIは最強の切り札になるのか。患者とのギャップは解消されるのか。医師676人に対して行ったアンケートから読み解きます。

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3月8日は国際女性デー。AERA dot. はこの日に合わせて女性を取り巻く現状や課題をレポート。読者とともに「自分らしい生き方、働き方、子育て」について考えます。

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