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「朝起きられず学校に行けない」 不登校の原因にもなる「起立性調節障害」とはどんな病気?
「朝起きられず学校に行けない」 不登校の原因にもなる「起立性調節障害」とはどんな病気? 写真はイメージ(GettyImages)  不登校の子どもの3~4割にみられると言われる起立性調節障害。朝の体調不良が特徴的な症状ですが、学校に行けない原因が起立性調節障害によるものなのか、それ以外の要因があるのか、どのように見極めればよいのでしょうか。チェックする方法や症状、かかりやすい年代などについて、昭和大学保健管理センター教授で小児科専門医の田中大介医師に聞きました。 どんな症状があるの? Q 不登校の原因にもなる起立性調節障害とは、どのような症状がありますか?  “起立性”というのがポイントです。立ち上がったとき、寝ている姿勢から上体を起こしたとき、あるいは立ち続けているときに頭痛、立ちくらみ、めまい、吐き気といった症状が出現します。一方、必ずしも起立状態ではなく、座っていても下半身に血液がたまり、頭や上半身の血液が少なくなる点も注意が必要で、学校での授業終了後、イスから起立したときにふらつくというのもよくある症状です。  また、朝なかなか起きられずに午前中のうちは調子が悪く、夕方から夜にかけては元気になるのも典型的な症状の特徴です。学校というのは、通常、朝通学して午前から午後にかけて活動する場です。つまり起立性調節障害は、学校に通うための生活スタイルを送れなくなる病気ともいえます。 Q なぜ発症するのでしょうか。  第二次性徴が始まる時期、いわゆる思春期になると身長が急速に伸び、ホルモンの分泌が変化します。こうした身体的な変化に自律神経(交感神経と副交感神経)の発達がついていけずにうまく調節できなくなります。自律神経は血圧や心拍数をコントロールしているので、起立性調節障害になると、その働きに不具合が起き、からだを起こしたり、立ち上がったりしたときに下半身に血液がたまり、脳への血流が低下して立ちくらみやめまいなどの症状が出るのです。また、朝調子が悪いのも自律神経の調節がうまくいかないためです。休息モードである副交感神経(血圧や脈拍を下げる)が優位な状態から、活動モードである交感神経(血圧や脈拍を上げる)が優位な状態への切り替えがスムーズにいかないのです。 起立性調節障害になりやすいタイプはいる? Q かかりやすい年代は?  第二次性徴が始まる小学校高学年くらいから増え始めます。日本小児心身医学会によると、小学生の5%、中学生の10%が発症していると言われています。受診する年代は中学生が多いですが、話を聞いてみると小学校高学年くらいから症状が出ていた子も少なくありません。一方、低学年の子が起立性調節障害を疑って受診するケースもありますが、検査をしてみると当てはまらない場合が多いです。この場合は起きられない理由、学校に通えない理由がほかにないかを確認することが大切です。高校生になってから発症することもあります。一方、小中学生のときに起立性調節障害があっても高校生になると9割以上は回復します。 Q 起立性調節障害を発症しやすいタイプの子はいますか?  心理的なストレスが引き金となるという指摘もありますが、はっきりとしたことは明らかになっていません。また、几帳面で真面目な性格な子どもが発症しやすいとも言われています。成長過程における自律神経の不調なので、思春期の子は誰でも発症する可能性があるといえます。 Q 遺伝はありますか?  遺伝子レベルで解析されているわけではありませんが、約半数に遺伝傾向がみられると言われています。保護者世代は起立性調節障害という診断を受けていないことも多いですが、診察の際に「お父さん、お母さんが子どものころはどうでしたか?」とたずねると「学校の朝礼で倒れたことがある」「10代のころは朝起きるのが苦手だった」とおっしゃることがあります。 病気の可能性を調べるチェックリストは? Q 起立性調節障害かどうかをチェックするポイントはありますか?  起立性調節障害の身体症状には次のようなものがあります。 □立ちくらみ、あるいはめまいを起こしやすい □立っていると気持ちが悪くなる、ひどくなると倒れる □入浴時、あるいは嫌なことを見聞きすると気持ちが悪くなる □少し動くと動悸、あるいは息切れがする □朝なかなか起きられず、午前中調子が悪い □顔色が青白い □食欲不振 □おへその周りの腹痛(臍疝痛・さいせんつう)をときどき訴える □倦怠(だるさ)、あるいは疲れやすい □頭痛 □乗り物に酔いやすい 『小児心身医学会ガイドライン集改訂第3版』では、上記11項目のうち三つ以上、あるいは二つでも起立性調節障害が疑われる場合には、適切な対応が必要としています。ただし、あくまでも疑われる状態なので、診断には起立直後の血圧や心拍数を調べる「新起立試験」を受けることが不可欠です。 親はどんな声かけをしたらいい? Q 不登校が起立性調節障害によるものか、別の理由があるのかを見極める方法はありますか?  私の外来で、起立性調節障害の患者さんに学校に行きたいかどうかを聞くと、9割以上が「行きたい」と答えます。もし「行きたくない」と答えた場合には、その理由を丁寧に確認する必要があります。場合によっては、学校でのトラブルなど別の理由があることが考えられます。また、起立性調節障害であれば、夕方から夜にかけては元気になってスマホやテレビを見て笑ったり、ゲームを楽しんだりする傾向がありますが、夜になっても笑顔が全く見られない、元気がないといった場合は、抑うつ状態など精神的な不調も考えられ、注意が必要です。 Q 朝起きられない子どもに対して、保護者はどう声をかければいいですか?  朝はぐったりしているのに、午後になると走りまわったり、ゲームをしたりと絶好調。でも翌朝になると元気がなくなる。毎日このサイクルを見ていると、保護者としては朝の不調はサボりや怠けなのではないかと疑いたくなることもあります。疑うまではいかなくても、つい「もっとちゃんとしなさい」「少しはがんばりなさい」などと声をかけてしまうこともあるでしょう。しかし、このサイクルが起立性調節障害なのです。本人ががんばったところで、また、早く寝たところで、朝の調子がよくなるわけではありません。そのことをよく理解したうえで、声がけをすることが大事です。  起立性調節障害がある子は自分のつらさをうまく表現できない、伝えられない場合があります。伝えたところで、否定されてしまうこともあります。すると自分が悪いのではないかと思い、自分は親の期待に応えられないダメな子だと感じるようになる可能性があります。自尊感情の低下は症状を悪化させ、長引かせる要因になりかねません。  朝起きられない子から、「〇〇で困っている」「〇〇でつらい」など、保護者や学校の先生が相談を受けた場合、次のような声がけを意識しましょう。起立性調節障害のみならず、子どもからのさまざまな相談に対応するうえでのポイントになります。  ①受容する 「うん、うん、そうだったの」 ②共感する 「それはつらかったね」「大変だったね」 ③支持 「それでいいよ」「お母さんもそう思うよ」 ④保障 「大丈夫だよ」「心配ないよ」 ⑤援助 「助けるよ」「相談にのるよ」  また姿勢同型といって、子どもから小さい声で話しかけられたら小さい声で返す、座って話していたら、座るというように声量や姿勢を同調させると、子どもは安心感を抱きやすくなります。 田中大介医師の話をもとに編集部で作成 (構成/中寺暁子)  田中大介医師 〇田中大介(たなか・だいすけ)医師/昭和大学保健管理センター所長・教授。1990年、昭和大学医学部卒。昭和大学病院NICU、昭和大学附属豊洲病院小児科などを経て、2019年から現職。22年から昭和大学副学長。日本小児科学会指導医・専門医、日本肥満学会肥満症指導医・専門医。著書に『起立性調節障害 症状と治療』(徳間書店)、『起立性調節障害(OD)朝起きられない子どもの病気がわかる本』(講談社)など。
自民党に愛想を尽かした人たちがそれでも石破茂氏に期待する理由 「国民無視の反省を!」【2千人アンケート】
自民党に愛想を尽かした人たちがそれでも石破茂氏に期待する理由 「国民無視の反省を!」【2千人アンケート】 自民党憲法改正実現本部の会合へ向かう石破茂元幹事長=2024年8月  過去最多の候補者が名乗りをあげるとみられる、自民党の総裁選(9月12日告示、27日投開票)。AERA dot.は、次の総裁や自民党について意見を募る緊急アンケートを行い、約2000件の回答が寄せられた。「次の総裁にふさわしい人物」としてトップ3にランクインした石破茂氏(67)、高市早苗氏(63)、小泉進次郎氏(43)は、それぞれどのような人々に支持され、何を期待されているのか。忌憚(きたん)なき声の数々から、国民の間に渦巻く自民党への本音を読み解く。 *  *  *  アンケートは8月15日から18日に実施した。設問は3問で、「自民党にとって次の総裁にふさわしいのはだれか」を選択式、「その議員を選んだ理由」「自民党に求めることはなにか」をそれぞれ記述式で尋ねた。  AERA dot.のニュースサイトやSNS、メルマガなどを通じて回答を募ったところ、1939件の声が寄せられた。回答者の内訳は、男性が68.6%、女性が28.8%、その他が0.2%、回答しないが2.2%だった。  候補者のうち最多の608票を集めたのは、石破氏。その後を、409票の高市氏、244票の小泉氏が追う結果となった。  3氏はそれぞれ、どのような理由で支持されているのか。票を投じた回答者の属性やコメントをみると、三者三様の“カラー”が見えてくる。 「父親譲りの物言い」が印象的な進次郎氏  3位の小泉氏は、投票者の女性比率が38.5%と3人の中で最も高く、中には「世界に通用するルックス」(60代/女性)と爽やかな外見を魅力に挙げる人もいた。  とはいえ、支持理由として圧倒的に目立ったのは、今の自民党に風穴を開けられそうな「若い力」だ。 首相官邸に入る小泉進次郎元環境相=2024年6月 「若いので何かと新しい改革をしてくれると思います」(40代/女性) 「若い小泉さんに総理になって頂き、派閥やしがらみなどのない自民党及び日本を作って欲しい。麻生さんなど年寄りは引退して頂きたい」(70代以上/男性) 「国民に嘘をつかないで欲しい。透明性のある政治をしてください。自民党を刷新する、若い年代の政治もみたいです」(60代/女性)  裏金事件などを受け、麻生派以外の派閥は解散を決めた。しかし、重鎮たちが牛耳る権力構造からの脱却や、裏金問題の根本的解決には程遠いという不信感は根強く、若い小泉氏なら変えてくれるのではないか、という期待が高まっているようだ。  さらには、 「父親譲りのハキハキした物言いで日本の未来を変えてほしい」(40代/男性) 「今の自民党を変えられるのは、お父さんと一緒でこの人しかいない」(60代/男性)  などと、「自民党をぶっ壊す」をスローガンに“小泉旋風”を巻き起こした小泉純一郎元首相の姿を、息子の進次郎氏に重ねている人もいた。 なぜか女性人気が低い、女性議員  小泉氏とは対照的に、投票者の女性比率が19.6%と著しく低かったのが、得票数2位の高市氏だ。初の女性首相の誕生を願う同性からの支持を集めてもよさそうなものだが、むしろ共感を呼んでいるのは、保守派としての一貫した政治理念や国家観のほうにある。 「愛国心に基づく国益を考えられる政治家だから」(40代/男性) 「国力を向上させ、国民を豊かにし、国防を充実させ、他国との外交もしっかり実行できる人物」(70代以上/男性) 「日本の為に、主張すべきことをきちんと仰る方で、何も出来ずにただ『遺憾に思う』ばかりの方とは違う」(60代/女性) 閣議に臨む高市早苗・経済安全保障担当相=2024年8月  特に、高市氏を支持する人が「自民党に求めること」として寄せた不満のコメントの数々を見ると、現在の自民党に生ぬるさや不甲斐なさを感じ、失望している“岩盤保守層”の姿が浮かび上がる。 「本当の保守政党になる事」(40代/男性) 「国民の生活を守れ、財務省に寄り添わず国民に寄り添う政治をしろ、日本の資源を守れ」(60代/男性) 「中国、韓国など他国に、はっきり日本の立場を伝える党になって欲しい!」(60代/男性) 「日本国民を大事にして欲しい。私利私欲しか考えないなら即刻議員を辞めてほしい」(60代/男性)  だからこそ、“保守派のスター”だった故・安倍晋三元首相の後継者を自負する高市氏に、「良き時代の自民に戻ろう!」(60代/男性)と懐古の情を抱く人も少なくないのだろう。 堂々のトップは、“背水の陣”のあの人  そんな高市氏に200票差、小泉氏にはおよそ350票差をつけ、トップの得票を誇ったのが、今回の総裁選を“背水の陣”で臨む石破氏だ。「国民には人気だが国会議員には嫌われる」が定評の石破氏は、過去4度の総裁選で敗れたが、24日の出馬表明では「38年の政治生活の集大成として、これを最後の戦いとして全身全霊で臨んでいく」と決意を語った。  石破氏を支持するコメントを精査すると、「自民党には期待しないが、石破氏には期待する」という姿勢の人が多いことに気がつく。 「既存の自民党と違う考えを持っていて、今までも隠すことなく発信してきたから」(60代/女性) 「ブラック自民党に染まってなさそう」(60代/男性) 「民衆との感覚が一番近いと感じる。長いものにまかれない、不正には一番遠い自民党議員だと思う」(50代/男性) 「主流派ではない人脈の幹部がトップになることで、自民党が挙党一致で国民のことを考えて政治を行うかを見てみたい。国民に人気がある人がトップになることが、今の自民党が国民に受け入れられる筋道だと思う」(70代以上/男性) 「石破さんを選べない体質が自民党の本質」(70代以上/男性) ※AERAdot.編集部調べ。自民党にとって次の代表にふさわしいのは誰かのアンケート1位~5位。(敬称略) 「議員になった理由を念書に書いて」  自民党らしくないという理由で、自民党総裁に推されるのも皮肉な話だが、「石破総裁」を待望する人たちは今の自民党に何を求めているのか。 「自分の保身ばかり考えず国民の為になる行動を。政治屋が多すぎる」(50代/男性) 「防衛費の増大や保険証の廃止、マイナンバーカードの実質強制など国民の意見をまるで無視をしているやり方を反省してほしい」(60代/女性) 「議員になった理由がお金もうけ以外に何かあるのか、一人一人、口先でなく念書にかいて国民に見せるべし」(70代以上/女性) 「透明性の意味を辞書で引いて学んでほしい」(30代/男性)  辛辣(しんらつ)なコメントがずらりと並んだが、もはや完全に愛想を尽かし、絶望している声も散見された。 「正直、求めることは何もない。ずっと裏切られて、金欲ばかりの姿を見せつけられた。もううんざり」(60代/女性) 「自ら下野、解党が一番だが、政治資金問題、統一教会問題をクリアできないのならば、総選挙で大敗してもらうしかない」(60代/男性)  今回のアンケート結果が浮き彫りにしたのは、新総裁が誰になろうと、自民党は生まれ変わらなければならないという国民の切実な危機感だ。改革者に必要なのは、小泉氏の「若い力」か、高市氏の「保守の矜持」か、石破氏の「我が道を行く孤高さ」か、それとも……。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
“サイボーグ五輪”の車いすは、どんな悪路も乗り越える 人と機械の融合めざして障がい者が競う「サイバスロン」 まもなくスイスで開幕
“サイボーグ五輪”の車いすは、どんな悪路も乗り越える 人と機械の融合めざして障がい者が競う「サイバスロン」 まもなくスイスで開幕 大きな盛り上がりを見せたサイバスロンの第1回大会(サイバスロン2016)の会場。スイス・チューリヒ(ETH Zurich CYBATHLON Nicola Pitaro)    日本選手のメダルラッシュで盛り上がったパリ五輪に続き、パリ・パラリンピックも29日(日本時間)に開幕した。そして今、もうひとつの障がい者の国際大会の準備が、着々と進んでいる。それが10月25日からスイス・チューリヒで開催される「サイバスロン」。人と機械の融合を目指す、異色の“サイボーグ五輪”だ。さまざまな障害を克服するための最先端の技術を競う場だ。 *   *   *  ソファやテーブル、食器棚、階段……。  サイバスロンの競技会場で、観客が見つめる選手たちの「熱戦」の舞台にあるのは、日常生活で見慣れたものばかりだ。  競技に出場する身体障がい者の選手たちは「パイロット」と呼ばれ、さまざまな課題に挑戦する。その課題とは、階段を上り下りしたり、両手に荷物を抱えたまま一本橋を歩き切ったり、洗濯物を干したり、電球を取り換えたりするというもの。競技の種目とは思えないことばかりだ。  しかし、課題に向き合うパイロットたちが装着している義手や義足は、筋肉の微弱な電気を読み取り、コンピューター制御で細かい作業も可能にする最先端のもの。車いすも通常の車いすでは進めない悪路を文字通り突破し、パイロットを安全に運んでいくのだ。  サイバスロンは、機器を開発するエンジニアと、それを動かすパイロットが二人三脚でチームを組み、金メダルを目指す。  パイロットが課題を達成してゴールした瞬間、一斉に歓声が上がる。タイムだけでなく、動作の滑らかさも勝敗を分ける。   サイバスロンの共同代表、アンネグレット・ケルンさん   「今、パリでパラリンピックが開催されていますが、サイバスロンにとっての『競技』とは、体が不自由な人が日常生活で使う支援技術の開発を促進し、彼らが直面する課題に注目してもらうための手段です」  サイバスロンの共同代表、アンネグレット・ケルンさんは語る。    サイバスロン誕生のきっかけは2012年、電動義足を装着した男性が、米シカゴの超高層ビル「ウィリスタワー(旧シアーズタワー、442メートル)」の外壁を登ったことだった。 「チューリヒ工科大学のロバート・ライナー教授はそれを見て、衆目の前で競争することが実用的な支援機器の開発に役立つと考えたのです」     サイバスロン2016に出場したスロベニア・リュブリャナ大学の電動車いす(ETH Zurich CYBATHLON Alessandro Della Bella)    今大会では、世界各地から約80チームが参加する。  これまでも日本から複数のチームが参加してきたが、なかでも和歌山大学チームは16年の第1回大会から出場してきた。 「和歌山大のチームが参加してきたことを、とてもうれしく思います。コロナ禍を経て、チューリヒでお会いできることを楽しみにしています」   大きな盛り上がりに感動  和歌山大学システム工学部の中嶋秀朗教授らのチームは、8年前に初開催されたサイバスロンの電動車いすレースに出場した。  大会には25カ国から66人のパイロットが出場し、約4600人が観戦。競技者がゴールするたびに、観客席から大きな歓声が湧き上がった。想像を超える盛り上がりに、中嶋教授は感銘を受けたという。   サイバスロン2016の会場を快走する和歌山大学「RT-Movers」チームの電動車いす(ETH Zurich CYBATHLON Alessandro Della Bella)    サイバスロンは一見すると最新テクノロジーを競い合う「機械対機械」のバトルのようにも見えるが、そうではないという。 「人と人が競い合うので、観客は競技者に感情移入できるし、共感できる」  と、中嶋教授は語る。  同じ障がい者スポーツでも、パラリンピックは基本的に速さや強さを競うものだが、バイアスロンの醍醐味は別のところにあるという。  会場の観覧者はまず、自分たちが日常生活のなかで簡単にこなしてしまうことが、障がい者にとっては「障害」「困難」になっていることに気づく。そして、テクノロジーが障害を克服するのにどう貢献するのかを目の当たりにするのだ。 「障がい者の選手の動きにスピード感はありませんが、観客はこれまで日常生活でできなかったことができるようになるのを目にする。それに充実感を覚えて感動を呼ぶのだと思います」(中嶋教授)   身体障がい者の「パイロット」がゴールすると会場から大きな歓声が上がった。サイバスロン2016(ETH Zurich CYBATHLON Alessandro Della Bella)      和歌山大のチームは、段差や傾斜がある路面の状態をセンサーで検知し、パイロットが座ったシートを水平に保ちながら進む電動車いすを開発。北京パラリンピックの車いす陸上で、2つの金メダルを獲得した伊藤智也選手がパイロットを務め、4位の成績を収めた。  ただ、電動車いすとしての完成度は高かったものの、海外チームと比べて、速度に対する貪欲さに欠けていたと感じた。それは、日本と海外の福祉機器に対する考え方の違いでもあった。 「日本人は安心安全な機械を完璧に作って、使う人はそれに『おまかせする』という考え方です。ところが、外国の人は多少機械の完成度が低くても、それを『コントロール』して使いこなしていく意識が強いように感じました」     【こちらも話題】 「さすまた」より威力を発揮 社長への“うさばらし”で話題 警察も太鼓判の防犯製品開発秘話 https://dot.asahi.com/articles/-/194790   サイバスロン2016、電動義手のレース(ETH Zurich CYBATHLON Nicola Pitaro)   人と機械の融合の勘どころ  20年以上前から、さまざまな「移動用ロボット」の開発に取り組んできた中嶋教授。これからロボットを社会に普及させていくには、「積極的に使いこなしていく姿勢」がかぎになると感じている。  そんな背景もあって、中嶋教授は今大会での出場種目を変更した。新しく採用された種目「視覚支援レース(VIS)」だ。  画像センサーなどを身に着けた視覚障がい者のパイロットは、棚に置かれた特定の商品を見つける、いすが並べられた場所で空席を探す、さまざまな障害物にぶつからずに歩くなど、10の課題をクリアしなければならない。 「そもそもサイバスロンは『人と機械の融合』が大きなテーマですが、これまでに2回出場した電動車いすレースはどちらかといえば、機械(メカニズム)の性能に結果が左右されやすかった。それに対してVISは、人がいかに機械を使いこなせるかという接点(インターフェース)が重要なポイントとなるレースです」    最近、警備や案内、清掃などのロボットを目にする機会が増えた。しかし、日常生活を手助けするロボットを実際に使ってもらえるものにするには、機械としての完成度を上げるだけではダメだという。 「若いときはメカに対する憧れがありました。けれど、研究を進めるうちに、人間の奥深さというか、本当に人間に役立つロボットを作るための勘どころが見えてきた」  それにつながるのが、VISなのだと考えている。   新課題に対応した電動車いす  大阪電気通信大学工学部の鄭聖熹教授が率いるチームは、前回大会に続いて電動車いすの種目に出場する。  出場のきっかけは6年前、東北大学の研究室の仲間だった中嶋教授から「一緒に出ない?」と声をかけられたからだった。 サイバスロン2020で「でこぼこ道」の課題を走破する大阪電気通信大学「OECU &R-Techs」チームの電動車いす(ETH Zurich CYBATHLON TAKAO OCHI)    鄭教授のチームの車いすの特徴は小回りがきくことで、日常生活を想定した障害物のある場所でもきびきびと動く。その秘密は、前輪に採用された「オムニホイール」。複数の車輪を組み合わせて1つのタイヤを構成するもので、その場で方向転換ができる。  さらに、独立してパワフルに動く4つの車輪を細かく制御することで、でこぼこ道の課題も難なくクリアする。     【こちらも話題】 「チョロQ」がまもなく月面走行へ!? 手の平サイズの変形ロボットに詰め込んだメーカーのノウハウ https://dot.asahi.com/articles/-/209520     大阪電気通信大学工学部の鄭聖熹教授    ただ、今大会で使用する電動車いすの構造は、4年前から様変わりした。新たな課題「リフトアップ」に対応するため、いちから作り直したという。    以前からあった「レストラン」という課題では、太ももを半分までテーブルの下に入れる必要があるため、車いすの座面の高さは床から60センチ以下に制限される。  ところが、新課題「リフトアップ」では、状況に応じて座面の高さを変えなければならなくなった。 「これをクリアするためにはどんな構造がいいか、かなり考えました」(鄭教授)  新型の車いすは、真横から見るとX字状の構造をしており、これを「はさみ」のように動かすことで座面が最大30センチ上がる。それによって、今まで難しかった高さまで手が届くようになった。 「でも、それだけではないんです。目線が上がることで、健常者と普通の感覚で話せるようになる。なので、パイロットはとても喜んでいました」   今回のサイバスロンに出場する大阪電気通信大学「OECU &R-Techs」チームの電動車いす=鄭聖熹教授提供     競技結果より実用化を目指す  サイバスロンには、さまざまなタイプの電動車いすが登場する。大きな車輪が複数あるものや、重機のようないかついクローラーで動くタイプもある。  与えられたさまざまな課題を効率よくクリアするため、そのような仕組みが採用されたわけだが、鄭教授は「実用化には疑問符がつく」と感じる。  普通の家の中など日常生活で使えるようにするには、できるだけ普通の車いすの形やサイズから離れないようにしたほうがいい。それが鄭教授の設計のベースにあるという。    20年の大会はコロナ禍で、それぞれの出場国とサイバスロンの事務局があるスイスをオンラインで結んでの開催となった。そのため、出場環境を整えることができず、参加を断念したチームもあった。  中嶋教授は話す。 「第1回大会は相当盛り上がりましたが、今回はそれ以上に盛り上がることを期待しています」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)     【こちらも話題】 ガンダム世代の設計者が開発した「モビルスーツ」風の搭乗型ロボット お値段「4億円」の性能とは? https://dot.asahi.com/articles/-/199345  
小島よしおが「どうしたら早起きできる?」と悩む小5に伝えたい、早起きするよりも大切なこととは?
小島よしおが「どうしたら早起きできる?」と悩む小5に伝えたい、早起きするよりも大切なこととは? 小島よしおさん(写真/松永卓也=写真映像部) 「朝起きられなくて困っているんです」というのは、小学5年生の女の子。数多くの子ども向けライブを開催し、昨年9月に子どものお悩み相談本『小島よしおのボクといっしょに考えよう』(朝日新聞出版)も出版した小島よしおさんが、さまざまな悩みや疑問に答えるAERA with Kids+の本連載。小島さんは、朝起きることよりも、“睡眠時間”について考えてみようと提案してくれました。 【相談68】  小島よしおさん、こんにちは! 突然なのですが、私、朝起きられなくて困ってるんです。アラームをかけても音が聞こえないし、お母さんが呼んでも、聞こえないんです。そのせいで毎朝怒られて憂鬱(ゆううつ)です。どうしたら早起きできますか?(あやなん・小学5年生・女子) 【よしおの答え】  あやなんピーヤ、早起きに悩んでいるんだね。実はお悩み相談が始まってすぐくらいに、早起きのコツについて答えているんだ。そのときは、「寝る前に起きる時間を声に出して宣言する“心の目覚まし時計”」「早起きギャグ“ぱちょ~ん”」「早く寝るために楽しいことを考える」方法などを伝えているよ。  【この記事で、早起きのコツを伝えているよ!】 小島よしおが「中学受験の勉強が忙しくて早く起きられない」小6女子に、早起きのコツよりも伝えたいことhttps://dot.asahi.com/articles/-/64125  だけど今回は、“朝起きられない”という悩みを、ちょっと角度を変えて“睡眠時間”というところに注目して考えてみたいと思う。というのも、よしお自身がいま睡眠にすごく向き合っているんだ。  そもそも日本は、“睡眠不足の国”と言われるほど、大人から子どもまでみんなの睡眠時間が足りていないんだって。“睡眠負債”といって、睡眠不足が蓄積して心にもからだにも支障をきたしてしまうことが多いらしい。病気の原因にもなる“睡眠不足”について、小学生のうちから勉強するのは今後の人生にすごく役に立つと思う。ぜひお母さんも巻き込んで、一緒に考えていこう。 最近、睡眠の勉強を始めたよしお  どうしてよしおが睡眠について考えるようになったかというと、以前に比べて前の日の疲れが翌日まで残ることが増えたからなんだ。今年44歳になるから、年齢のせいなのか、子育ても始まってあまり眠れていないせいなのか……。 出典:厚生労働省ホームページ (https://e-kennet.mhlw.go.jp/tools_sleep/)  いい睡眠をとるには睡眠のことを勉強したいな、と思って睡眠研究の第一人者である柳沢正史さんが出演しているYouTubeを見たんだ。ノーベル賞をとるんじゃないかとも言われている人で、その人の話がすっごく面白くて。  朝起きられないというのも、そもそも睡眠時間が足りないから起こることらしいんだ。イギリスやアメリカでは、朝起きられない子どもたち、すなわち睡眠時間が足りない子どもたちが多いことを考慮して、「スタートスクールレイター」という制度を取り入れた学校もあるみたい。学校が始まる時間を2時間くらい遅くして、子どもたちの睡眠時間を確保する制度なんだ。この制度を取り入れたことによって、子どもたちの成績もアップしたんだとか。  あやなんちゃんがひとりで「スタートスクールレイター」を取り入れたら遅刻になっちゃうからなかなか難しいと思う。だけど、世界ではこんな取り組みがされるくらい睡眠時間っていうのは生活や成績にかかわる重要なものなんだね。 朝起きることよりもまずは睡眠時間量をチェック  じゃあなぜ寝ることがこれほど大事かというと、寝ないと脳みその“海馬(かいば)”が成長しないんだ。“海馬”は記憶にかかわるとっても大事な器官。海馬が成長しないと、新しいことを覚えにくくなったり、古いことを思い出しにくくなったりするんだ。早寝早起きとかの前に、しっかりと睡眠の量をとることが大事なんだって。  だから小学生はなおさら、睡眠時間というのはしっかり確保しないといけない。睡眠時間をしっかり確保したほうが、勉強したことが定着するし、運動もできるようになるんだよね。メジャーリーガーの大谷翔平選手や、棋士の藤井聡太七冠は、毎日10時間寝ているって聞いたことがあるよ。相対性理論を発見した物理学者のアインシュタインも、10時間睡眠をしていたひとり。すごい人はみんな、たっぷりと寝ているんだなあ。  ところであやなんちゃんは毎日何時間寝ている? 睡眠時間は足りているかな? 小学5年生だと10時間は必要かも。6歳は11時間、高校生以上は大人も含めて8時間半必須らしいからね。 「みんな、よしおと一緒に睡眠時間をじゅうぶんに確保しよう!」(写真/松永卓也=写真映像部)  だからまずあやなんちゃんに考えてほしいのが、朝起きることよりも睡眠時間を確保すること。そして、寝やすい環境をつくること。睡眠時間はもちろん、睡眠の質も大事だからね。ベッドタイム・ルーティンというらしいんだけど、眠りやすい環境づくりをすることもいい睡眠時間をゲットするための一歩だね。  よしおはお酒が大好きで、毎日必ず飲んでいたんだ。お酒を飲むと寝つきがよくてね。だけど自分の睡眠時間や睡眠の質を見直したら、お酒を飲んで寝ると浅い睡眠になっていることがわかったんだ。試しにお酒を飲まずに寝たら翌日のからだの調子がいいような気がして。それから週に1~2回はお酒を抜いて、睡眠の質を上げるようにしているよ。  あやなんちゃんは小学5年生だからお酒を飲むことはないと思うけど、何か睡眠の質を悪くしているものがあったら見直してみるのはおすすめ。ストレッチやアロマとか、睡眠の質を上げる方法を考えるのもいいかもしれないね。 勉強をする小学生時代の小島さん「小学生だと10時間くらいは寝ないとかもね!」(提供) 寝不足のミツバチはダンスが雑になる  よしおのおすすめは、スマートウォッチで睡眠時間を計ること。睡眠時間が計れるアプリがあって、睡眠の質や入眠時間なんかも計ってくれるんだ。スマートフォンのアプリでもあると思うけど、自分の睡眠状況がグラフで出てくるとなかなか楽しいんだよね。続けていると、寝起きがいい日とかが出てくる。  それとあわせて一日の行動や食べたものをざっくり記録すれば、あやなんちゃんの睡眠の質を上げるものがわかるかもしれないね。もう夏休みは終わっちゃうけど、自由研究にしても面白そう! 「こうしてわたしは朝起きられるようになった研究」とかね。  睡眠は、人間はもちろん動物や虫にとっても大切なもの。ミツバチは蜜がある花の場所を、お尻をふるダンスで知らせ合うんだけど、寝不足のミツバチはダンスが雑になるらしい。こんな豆知識も、面白いよね。  睡眠がこんなに大切だってこと、もしかしたらあやなんちゃんのお母さんも知らないことかも? この機会に、睡眠の大切さを知って、家族みんなで睡眠環境の改善や睡眠時間の確保に取り組んでほしいな。そうすれば、朝起きられない問題も、解決するかも! ……って、僕は思うんだけど、君はどう思うかな?小島よしお (構成/濱田ももこ、医療監修/柳澤綾子医師) 〇小島よしお(こじま・よしお)/1980年、沖縄生まれ千葉育ちのお笑い芸人。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。「そんなの関係ねぇ!」でブレーク。2020年4月からYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」で子どもの学習を支援する動画を公開。キッズコーディネーショントレーナーの資格を持ち、子ども向けのイベントを多数開催している。この連載をまとめた『小島よしおのボクといっしょに考えよう』(朝日新聞出版)が発売中! 【質問募集中!】 小島よしおさんに答えてほしい悩みや疑問を募集しています。こちらからお気軽にお寄せください!https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/37692
元自衛官だからこそ言える! 問題が起こっている「有事」よりも、何も起こっていない「平時」のほうが生きにくい理由 元幹部自衛官が教える人間関係のサバイバル術
元自衛官だからこそ言える! 問題が起こっている「有事」よりも、何も起こっていない「平時」のほうが生きにくい理由 元幹部自衛官が教える人間関係のサバイバル術 ぱやぱやくん最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』より(イラスト:なかきはらあきこ)    Xフォロワー約30万人の元自衛官のぱやぱやくん。自身の経験も踏まえたメンタルを安定するためのノウハウには、多くの注目が集まっています。そんなぱやぱやくんが自衛官の経験を元に「人間は、平時よりも有事のほうが生きにくい」という考えを持っています。その理由を、著者の最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』から内容を一部抜粋・再編集して紹介します。 *   *   *  災害や戦争で社会が大きく揺れ動き、生きるのも精一杯なときを「有事」と言います。  一方で、特に大きな問題がなく、平和なときを「平時」と言います。  世間一般では「有事はとても辛い、平時は問題がなく楽」と思われていますが、実は、「平時こそ生きにくい」という指摘もあります。  というのも、有事の際には「生き延び」さえすれば良いのですが、「生きていて当たり前」の状態の平時では、生きるための明確な理由を見つけるのが難しいからです。  また、平時では「生きているのに、何一つ達成できていない自分」に苦しさを覚えることさえあります。  そのように思い悩んでしまい、人間関係が上手く行かなかったり、仕事に支障が出てしまったりすることもあります。  最悪のケースとして、現代の日本では、命を絶ってしまう人すら出ているのです。    それに比べると、先ほども言った通り、有事は「生き延びる」「誰かの命を助ける」というアクション以外は、究極的にはどうでもいいのです。  先ほどから、私は、今が非常に生きにくい人にとって、この世界は戦場である、と言ってきました。  というのも、私は「まず生き延びること」、そして「自分の身を守ること」を優先すべきだと考えていたからです。  ここからテーマとしてお話するのは、生きるのが難しい「平時」の世界をどのように、そして誰と一緒に過ごすのかなのです。    皆さんもご存じのように、平時の世界では「死ぬ」までは行かないけれども、他の誰かを蹴落とし合っている競争が、常に繰り広げられています。  この競争で、あなたが直接、命の危機に瀕ひんすることはほとんどありません。  しかし、足を引っ張り合ったり、ときには相手のことを陰で悪口を言ったりというのがあふれているこの世界で、あなたのライフポイントは確実に削られています。  そうしたダメージを受けた際には、必ず回復をしなければなりません。食事や睡眠などは、もちろん回復のためには欠かすことができません。  しかし、人間が一人で生きていくことができない生き物である以上、誰とどのように生きていくのかを、ぜひ考えて欲しいと思っています。       著者の最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』    たとえばですが、厚生労働省の『国民生活基礎調査2019』では、日本人の世代別にどんな悩みがあるのかを調査しています。  そこで明らかになったのは、日本人はおおよそ20%くらいの人が対人関係で悩んでいるということです。  職場や学校、はたまた趣味の場などでも、自分とは合わない人が一人くらいはいます。  今、本屋さんに並んでいる書籍を読んでみると、こういった問題に直面したときに取るべき手段は「適当にあしらう」とか「相手にしない」というのが一般的です。    しかし、人間は、そんなに強くありませんよね。  だからこそ、ちゃんと信頼できる人間を見極める必要があります。そして、なるべくその人とだけ仲良くし、変になれ合わないようにすると良いでしょう。  人間関係を無理に広げて、無理に社交的にふるまう必要はもうありません。意識が高い人間関係を築くよりも、自分が安心できる関係性を作ることを重視してみましょう。 (ぱやぱやくん)   ぱやぱやくん/防衛大学校卒の元陸上自衛官。退職後は会社員を経て、現在はエッセイストとして活躍中。名前の由来は、自衛隊時代に教官からよく言われた「お前らはいつもぱやぱやして!」という叱咤激励に由来する。著書に『飯は食えるときに食っておく 寝れるときは寝る』(育鵬社)、『陸上自衛隊ますらお日記』『今日も小原台で叫んでいます 残されたジャングル、防衛大学校』(以上、KADOKAWA)など。   【こちらも話題】 元自衛官のぱやぱやくん直伝! 「思い込みという沼」にとらわれて、何もできなくなったときの対処法 元幹部自衛官が教える人間関係のサバイバル術 https://dot.asahi.com/articles/-/231518   【こちらもあわせて】 元自衛官が教える「人間関係を破壊する人」の接し方 「話してもわからない」相手とどう付き合うべきか? 元幹部自衛官が教える人間関係のサバイバル術 https://dot.asahi.com/articles/-/231628        
「そのままの自分」を生きてみる SNSで人気の精神科医×ポッドキャストでおなじみの「雑談の人」が初対談!
「そのままの自分」を生きてみる SNSで人気の精神科医×ポッドキャストでおなじみの「雑談の人」が初対談!   7月18日、精神科医・藤野智哉さんは、著書『「そのままの自分」を生きてみる』2万部突破記念トークイベントに、「雑談の人」の桜林直子さんとともに登壇。「自分らしさ」「自分を大切にする」などをテーマにトークを展開しました。SNSで人気の精神科医とポッドキャストでおなじみの「雑談の人」の初対談を前後編に分けてお届けします。トークの化学反応をお楽しみください。(※この記事はトークイベントの一部内容を編集・構成したものです) 大盛況だった東京・六本木の蔦屋書店で開かれたトークイベント(photo ディスカヴァー編集部) 「自分を変えたい」と思う前にやることがある  藤野智哉(以下、藤野):はじめまして。精神科医の藤野智哉と申します。 桜林直子(以下、桜林):はじめまして。桜林直子と申します。 「雑談の人」という肩書で雑談をするというお仕事をしています。1人につき1回90分、全5回の雑談をするサービス(有償)をしたり、「となりの雑談」というポッドキャストのパーソナリティーなどをやっています。よろしくお願いいたします。 藤野:この「雑談の人」ってどういうことなんだろう、雑談ってどんな話をしてるのだろうか、などを今日は聞きたいなあと思っていました。よろしくお願いします。 桜林:ご著書(『「そのままの自分」を生きてみる』/ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読ませていただきました。この本には、「自分を変えたい」「変わりたい」と思う人がいて、変わりたい気持ちは素晴らしいことだけど、その前にやることあるよね、もうちょっとその手前の段階を見てみようよ、ということが書かれています。これは私が普段、雑談をする中でもすごくよくあることなので、「わかる、わかる!」と思いながら読みました。 藤野:「変わりたい」にもいろんな種類がありますが、ネガティブな「変わりたい」、つまり、「自分のこういうところが良くないから変わりたい」のようにおっしゃる人はすごく多いですね。ただそういう人は、なんとなくうまくいかないから変わりたいけれど、自分のどこが悪くて変えたい部分で、逆にどこは変わらなくていい部分なのかをあまり具体的に考えてはいない人が多いかもしれません。 桜林:「否定が先」みたいな感じですかね。 藤野:はい。否定から入ってもいいのですが、結局、ポジティブな感情をもつ「変わりたい」にどうやったらもっていけるかなんだと思います。だから、自己否定ではない、ポジティブな「変わりたい」にもっていけるかどうか、ちょっと立ち止まって見てみようよ、みたいなことがこの本のテーマですかね。  結局、こういう啓発本は「変わろう」と変化をうながすことが多くて、なんとなく背中を押してくれるけれども、それを読んでも結局変わらなかった人も多いと思うんですよね。だから、その手前の段階の本を作れたらなと。 大盛況だった東京・六本木の蔦屋書店で開かれたトークイベント(photo ディスカヴァー編集部) 桜林:その手前の段階、めっちゃありますよね。私は20代の自分の感覚でこの本を読んでみたんですよ。今の自分に必要な本というよりは、やっぱりかつての自分が必要だった本だなと思いました。その20代の自分に言わせると、やっぱり「変わりたい」は漠然としていて、「今のままじゃダメだ」「このままだとまずそうだぞ」ってことはなんとなくわかっているのですが、何をすればいいかはわからない。  この本が20代の私の目の前にあったとして、中身をパラパラと読んでこういうことが書いてありそう、とは理解できる。でも「みんなはそれでできるかもしれないけど、自分にはできないかもしれない」とか「これができるのは恵まれた人で、私は不幸でできない」なんていう、なんか謎の負の思い込みみたいなものが出てきて、ちゃんと読めないということがあって。でもこの本には「いつか変わるタイミングが来るからそのままでいいよ」ということも書かれていたんですけど、ほんとにそうですよね。 藤野:「タイミングは今じゃない」を、もう「無し」にしてしまう人ってすごく多いんですよね。タイミングが今じゃないだけなのに、もうずっとできないと思って、捨ててしまう人が多いんです。けれども、後から使えることやできることっていっぱいあるもの。可能性を狭めないっていうことはめちゃくちゃ大事だと思いますね。 自分の中にある「べき」に気づく 藤野:雑談に来られる方と、いろんな話のやり取りがあるんだと思いますが、「そのままの自分を受け入れられない」「変わりたい」とおっしゃる方って多いんですか? 桜林:そうですね。ただ、何か大きな困難を抱えて「変わりたい」わけじゃないことが多いですね。「なんだかこのままじゃまずそうだし、手を打ちたいんだけれど、もうどこから考えればいいかわからない」とか「今の何が不満なのかわからない」みたいな感じですかね。なので、「自分一人だと、同じところばかりを思考が巡ってしまう」とか「過去の嫌なことばかりを思い出してしまう」から、一緒におしゃべりで手伝ってくださいという方が多くいらっしゃいますね。自分の考えを疑うときに、「本当にそうだっけ?」の疑う部分を私がやる感じです。 初顔合わせとなった藤野さんと桜林さん。トークイベントは大盛況だった(photo ディスカヴァー編集部) 藤野:自分の「べき思考」に対して「その『べき』って本当に『そうするべき』だっけ?」と振り返るのを、ついつい忘れて勝手に決めつけてしまうんですよね。さっき担当編集者さんが「お店の前でお店に対して失礼な発言をするパートナーについ怒っちゃう」って言ってたんです。「そんなことを言うべきじゃない」みたいな感じで。僕自身も自分の「べき」思考で、「そんなことしたら失礼じゃん」みたいに怒ってしまったりすることもあるんですね。それって多分育ってきた環境によっても全然違うんですよね。  最近、僕びっくりしたんですけど、よくX(旧Twitter)で「世の中70億人いたら、それはいろんな『べき』があるよ」といった話をするんですけど。実はもう今人口が80億人ぐらいいるらしくて。僕が小中学生くらいのときに習ってきた常識ともう変わってるんですよね。自分たちの教わってきた「常識」とか「べき」って通用しないんです。 桜林:「べき」って自覚してないことも多いですよね。「だって当然でしょ」「みんなそうだよね」とか「ダメに決まってんじゃん」みたいなことってみんなが思っている。でも「べき思考」だとあまり自覚していない。それが自分自身に向くと……まあ、きついですよね。真実みたいになっちゃいますよね。 自分が一番自分に厳しい人がすごく多い 藤野:結局、自分が一番自分に厳しいという人がすごく多くて。ただ、「自分に自分で厳しくしすぎちゃうんです」と言う人って、そうは言いつつも人に厳しい場合もけっこうあるんじゃないかなと思います。やっぱりその「べき」は、人に対しても出てますから。 桜林:出ますね。 大盛況だった東京・六本木の蔦屋書店で開かれたトークイベント(photo ディスカヴァー編集部) 藤野:思い込みや思考の固さがある人は、「べき思考」に目を向けるといいと思います。自分が変わらなくても、世の中の見え方が変わることも多いですから。世の中って結局自分のフィルターを通して見てしまっているものです。「あなたには世界がどう見えているか教えてよ」というウェブ連載をされていると思うのですが、その連載タイトルがまさしくそうですよね。 桜林:そうですね。よく「会話はキャッチボール」と言われますが、 私と雑談する時間は「キャッチボールじゃなくていいから、 2人の間のテーブルにどんどん出してくれ」って言っているんです。「私がわかろうとわかるまいといいから、自分の話をどんどん出してくれ」って。そして、それを一緒に眺めて、「これはこういう意味だね」「違うことを言ってるね」とか「この言葉をよく使ってるね」などと一緒に眺めるのです。  だから、「世界はこういうものだ」と思いがちで、「他人は自分を傷つけてくるものだ」なんて言葉をいかにも真実かのように言う人もいますが、「あなたにはそう見えているのは事実だけど、果たして本当にそうだろうか」という話は、その人がテーブルに出してくれて初めて扱えるんですよね。 藤野:世の中に対する見方っていうのは、小さい頃からの経験で固まって、出来上がってきてしまっているものです。それを疑うことは、自分一人だとかなり難しいですよね。僕は「書き出してみてください」とよく言いますけど、本当は自分一人でそれをやるのはけっこう難しい。だから、それを手伝ってくれる人がいるといいんですけどね。皆さんのまわりに「雑談の人」がいるわけではないので。 桜林:増えるといいんですが(笑)。 藤野:世界の見え方と同じように、「しんどい気持ち」も人それぞれの出方があります。しんどいときに、思考が回らなくなって本が読めなくなる人、音に過敏になってしまってつらくなる人など、いろいろです。変わりたいと思って本を買ったけれど、読めないからダメなんじゃないかという人がいます。でも、本は読めなくても、オーディオブックで聞くことならできたりする。いろんな人がいるんです。だから「変わる」といっても人それぞれです。「変わりたい」と思ったとき、自分のよきタイミングで変われればいいということは知っていてほしいなと思ったりしてます。 頼り上手になるためには練習が必要 藤野:頼るのが下手というか、苦手な方がいます。何をどう頼っていいかわからなくって一人でがんばってしまうみたいな人ですね。僕はよく 「頼り上手」もスキルの一つ、という話をするんですけど。頼り上手になるためには、「頼る練習」が必要だと思うんですよね。 「自分らしく生きる」を語り合った藤野さん(右)と桜林さん(photo ディスカヴァ―編集部) 桜林:雑談でも、頼れない人はめちゃくちゃたくさんいます。別に自分でできることは自分でやればいいとは思うんです。ただ、頼ることに罪悪感を覚える人、「自分が苦しいから、頼らないほうが楽だ」って言う人がいます。急にでっかいことを頼るのはしんどいし、断られた時のショックが大きいですから、ちっちゃく頼る練習から始めるといいと思います。でも、雑談でそう話すと「ちっちゃいことってどんなことですか?」と聞く人もいます。  だから「例えば、荷物を持っていて、靴紐がほどけた時にどうする?」ときいてみます。すると「床に置いて結びます」「荷物を持ちながら苦しい体勢ですが、無理やり靴紐を結びます」なんて言う人もいるので、「いや、そこは『荷物を持って』って言おうよ」と言うんです。でも、そんな小さな頼みごとすらできない人がいるんですよね。 藤野:今、「靴紐を結んでもらおうよ」って言うのかと思ってドキドキしました。それは、僕の中ではかなりハードルが高いなと思っていて(笑)。 桜林:王子様思考! ちがいます。「ちょっと荷物を持っててよ」って話です(笑)。 藤野:よかった。でも、今のはちょっと面白いですね。こんな靴紐のことすら、やっぱりいろんな人のいろんな考えがあるんだ、という。僕は、がんばり屋さんも素晴らしいとは思うんですけど、がんばり屋から頼り上手へのシフトというのが、どっかの段階では必要になるタイミングってあるかなと思っています。僕はもう、けっこうおんぶに抱っこで生きてきてるところがあるんです。  今日のイベントも、「どんな話をしようか」みたいな事前の打ち合わせが一瞬あったんですけど。一瞬っていうのは本当に一瞬で。桜林さんから「大丈夫です」「なんとかします」っていう心強いお言葉があったので、それに頼ろうと(笑)。だから本当に打ち合わせもなく今日ここに来たんですけど、今のところはなんとかうまくいって。いってますよね? 桜林:大丈夫です。いってます(笑)。 藤野:だから、こういうふうに頼ってみると、また新しい扉が開いたりすることもあると思うので、ぜひ「頼る」練習をしてみてほしいなと思ったりします。(後編に続く) 藤野智哉さん(photo 本人提供) ◎藤野智哉(ふじの・ともや)/1991年生まれ。精神科医、産業医、公認心理師。秋田大学医学部卒業。幼少期に罹患した川崎病が原因で、心臓に冠動脈瘤という障害が残り、現在も治療を続ける。学生時代から激しい運動を制限されるなどの葛藤と闘うなかで、医者の道を志す。精神鑑定などの司法精神医学分野にも興味をもち、現在は精神神経科勤務のかたわら、医療刑務所の医師としても勤務。障害とともに生きることで学んできた考え方と、精神科医としての知見を発信しており、メディアへの出演も多数。著書に3.5万部を突破した『「誰かのため」に生きすぎない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『自分を幸せにする「いい加減」の処方せん』(ワニブックス)、『精神科医が教える 生きるのがラクになる脱力レッスン』(三笠書房)などがある。 桜林直子さん(photo 本人提供) ◎桜林直子(さくらばやし・なおこ)/1978年生まれ。東京都出身。洋菓子業界で12年の会社員生活を経て2011年に独立し、クッキー店「SAC about cookies」を開店する。noteで発表したエッセイが注目を集め、「セブンルール」(フジテレビ)に出演。著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)では、ユニークな視点から働き方・生き方についてのヒントを提案。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、雑談サービス「サクちゃん聞いて」を提供。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談』も好評配信中。 (ディスカヴァー編集部) *AERAオンライン限定記事
山崎元さんが亡くなる直前に「新NISA」は“オルカン”1本で良いと語った深い想い
山崎元さんが亡くなる直前に「新NISA」は“オルカン”1本で良いと語った深い想い 山崎元さん  株価が乱高下する中、新NISAを始めて戸惑いを覚える人も多い。2024年1月1日に亡くなった経済評論家の山崎元さんは、生前“オルカン”(「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」)を勧めていたが、投資指針についてどう考えていたのか? 闘病中に語られていた言葉を書籍『がんになってわかった お金と人生の本質』から抜粋して紹介する。 *  *  * お金に感情を振り回されない  経済評論家として、これまで多数の記事を執筆し、書籍を上梓してきたが、私がお金について言いたいことは非常にシンプルだ。  それは、お金に感情を振り回されず、冷静に向かい合って欲しいということである。  本当のことを言うと、私はお金に興味がない。純粋に仕事の対象だからだ。将棋の棋士が駒を懐に大事にしまい込まないように、私も商売道具であるお金に特別な執着心を持っていない。別の言い方をすれば、自分のお金というものが面倒と言えるかも知れない。やりたいことのために、呼吸をするようにお金を使って、足りなくもなく持て余しもせずとなれば、それが理想だ。  経済評論家をしながらも、お金の増やし方の細かなノウハウを提供していたわけではない。どちらかというと、金融商品の運用の仕組みを分析して落とし穴を分析したり、手数料が無料の証券会社のからくりを見破ったり、そういうことを面白がって評論家商売をしてきた。  日経平均株価が3万円を超えそうなどと市況に関するコメントをすることはあるが、それは評論家としてのサービスの範囲だと考えてきた。個別銘柄まで言及してしまうと自分の狙ったポジションとは違ってしまうので、そこまでは踏み込まない。  様々な立ち位置がある経済評論家の中で、私が目指したのは、「発言内容は厳しいけれど正確なことを指摘する山崎さん」。  そこで競争力を持っていれば、家族を養うくらいの収入は得られるだろうという目論見だった。難しい金融理論などの本も書いてきたのは、自分の言葉を信頼して貰うバックグラウンドを築くためでもあった。  経済評論家人生の中での反省点もある。活動開始から5〜10年くらいの頃までは、運用のプロである機関投資家の運用方法を簡略化すれば、個人も理想的な資産運用ができると考えていた。しかしこれは間違いだった。 山崎元『がんになってわかった お金と人生の本質 』(朝日新聞出版)>>ほんの詳細はこちら  なぜかというと、プロの運用法が必ずしも正しいわけではないこと、さらに、プロと個人では運用についての事情が根本的に違うからだ。日本の年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、分散投資している運用資産のアセットアロケーション(資産配分)の一部が値上がりすると、それを売却して、全体のバランスを取り直すリバランスを行っている。GPIFは国内外の債券・株式をそれぞれ25%ずつ保有しているが、個人がそれと同じことをする意味があるのだろうか。  決められた時期にある程度のパフォーマンスを出すことが求められるプロに比べて、個人の時間軸や投資の目的は様々だ。仕事の状況で、稼ぎが増えるかも知れないし、減るかも知れない。病気になって働けなくなってしまうかも知れないし、反対に、労働収入を得られないのに長生きしてしまうかも知れない。あるいは、家族との関係も変わるかも知れない。  個人でも、資産と負債の管理は重要だが、それはプロと同じ考え方をしていてはうまくいかない。それが分かってからは、私は、プロ面をして個人投資家に対して上から目線で運用を説く人物を否定するようになった。 運用に思い入れを持ち込まない  個人投資家が資産運用にあたって意識するべきことは何か。それはお金に感情を込めず、合理的な考え方で向き合うことである。お金は、生活や娯楽のための手段に過ぎないのだから、誰にとっても価値は同じ。新卒社会人や退職者、富裕層など属性によって運用スタイルは異なると思ってしまいがちだが、そうではない。異なるのは、投資に回せる絶対的な金額と背負うことができるリスクだけだ。  運用する商品は全世界株インデックスファンドだけでいい。値動きしても一喜一憂しない程度の金額をそこに投入したら、あとは自分がどう稼ぐのか、運用以外の部分を大事にしよう。  これは、他の趣味を持とうということではなく、運用に思い入れを持ち込むのはやめようということである。運用を必要以上にありがたがっていると、道を見誤る。例えば、NISA(少額投資非課税制度)の新制度の「成長投資枠」の「成長」という言葉に引きずられて、個別株を買ってしまうのは大きな誤りだ。  もちろん、リスクの範囲内で趣味として個別株のポートフォリオを持っているのはかまわないが、そうでない大多数の人は成長投資枠でも全世界株のインデックスに投資をしていれば十分だ。
超順調だった中学受験後に“茨の道”が待っていた…。素直な娘が豹変した「反抗期」の乗り越え方【体験記】
超順調だった中学受験後に“茨の道”が待っていた…。素直な娘が豹変した「反抗期」の乗り越え方【体験記】 (写真はイメージ/GettyImages)  小学生の成長度合いは個人差が大きく、精神年齢の高い子のほうが有利とも言われる中学受験。今回は学習面・生活面、共にしっかりしていて、大人の手を煩わせることなく中学受験をクリアした女の子(現在高校2年生)のストーリー。受験は大成功だったものの、その後の反抗期の到来で苦労した家族が、長く暗いトンネルをどう抜けたのか、リアルな声をお届けします。 中学受験は6校すべて合格! 大成功で幕を閉じる  先に中学受験を終えた兄が、毎晩食卓で学校での出来事を楽しそうに話すのを聞いて、「私も地元の公立中学ではなくて、自分の行きたい学校を選びたい!」と言い出した妹のAちゃん。  それを機に5年生から地元の塾に通い始め、お母さんと一緒に学校見学会や文化祭などに積極的に参加しました。一番最初に訪れた都立中高一貫校の女子生徒が、ハキハキした快活な印象で、またそれをサポートするような男子生徒のジェントルな一面にも好感を持ち、第1志望校はすぐに決まったそう。お母さんは私立の女子校に惹かれたそうですが、娘の感覚を信じて第1志望校をこの学校に決め、適性検査の作文対策などを始めました。  しかし、通っていた塾での作文添削は、何を書いてもほぼ満点。Aちゃん自身が「これで本当に受かるのかな? 塾を変えるべきなんじゃないか」と疑問を感じるようになり、お母さんに相談をしました。6年生の夏休みですから、この時期の転塾は受け付けないところがほとんですが、お母さんもAちゃんの判断を尊重し、都立専門コースのある塾に直談判。例外的に転塾を認めてもらいました。 「自分の置かれている状況を客観的に把握できるようなところがありましたね。塾の先生や親から指示されたことは、きちんとこなす子でしたし、学校の先生ウケも良くて内申点も申し分なかったので、中学受験はとんとん拍子に進んでいきました」とAちゃんのお母さん。  結果、受験した6校全ての合格を手にし、無事に第1志望校の都立中高一貫校に入学を決めて、中学受験は大成功で幕を閉じました。 本当の戦いは中学に入学してからすぐにやってきた!  受験中は、大人のアドバイスにも素直に従いよく勉強もして、まったく手のかからなかったAちゃんですが、中学入学をしてからすぐに反抗期に入り、徐々に態度が変わっていきました。  当時はコロナ禍で入学式もなく、「新しい中学生活が始まる!」というような気持ちの盛り上がりもなく、なんとなく学校生活がスタート。勉強する習慣もプツンと途切れてしまったようで、部屋を覗けばYouTube三昧。受験中にお母さんがほとんど言ったことのない「勉強しなさいよ!」を何度も言う生活になっていったのです。  よく家族とおしゃべりをする子だったのに、口数も少なくなり、学校生活での様子もすっかりわからなくなってしまいました。  三者面談では「提出物を期限内に出さない、遅刻も多い、成績が低迷している」といった耳の痛い話を初めて聞かされ、お母さんはAちゃんを叱らざるを得なくなりました。しかし、反抗期に突入しているAちゃんからすれば、くすぶっているイライラの火種に油を注がれるようなもの。小言を言われるたびにバトルとなり、「ママのような生き方はしたくない!!」とまで言われるように。お互いが疲弊していったと言います。 猫が親子の会話の「取り次ぎ役」に!?  中学2年生になると、ついには、食事以外は部屋に入ったきり、必要最低限の連絡事項ですらしゃべらなくなってしまいました。コミュニケーションが途絶えてしまうことだけは避けたいと悩んだ結果、お母さんは飼っている猫(カイくん)に話すふりをして、Aちゃんに声を届ける苦肉の策を考えました。 お母さん「カイくん~、明日、Aちゃんはお弁当いるのかねぇ?」 Aちゃん「今週は毎日お弁当いる、ってこの間言ったのにね。カイくんは聞いてたよね? 誰かさんは全然人の話を聞いてないんだね、それとも記憶力が弱いのかね~?」  といった具合に、猫を介してかろうじて、Aちゃんとつながりを保っていたといいます。 【※この記事を1ページ目から読む】  直接話すこともなくなって約3年経ち、Aちゃんは高校2年生に。そんなある日、ついに長かった反抗期の終わりを感じるような出来事がありました。「大学は美大に行きたいから、予備校に行かせてください」とAちゃんがお母さんに頭を下げてきたのです。  周りの友達と進路について考えるようになったことをきっかけに、少しずつ自分の考えを話すようになり、大学のことを相談するようにもなりました。「ああ、この子はもう大丈夫だ」とお母さんは感じたそうです。 「中1から約5年間、本当に長かった反抗期の終わりがようやく見えてきました。今になって思うことは、親の言うことを素直に聞いていた娘が変わってしまったことにイライラしたり失望したりして、口論を重ねたことは無意味だったのかもしれません」 長いトンネルを抜けて、いま思うことは  時期が来れば反抗期は終わる、いずれ大人になるということをその時には見通すことができず、目の前の荒れた娘の姿にただただ小言をぶつけていたようだとお母さんは振り返ります。 「ただひとつ、とても良かったと思っていることは、娘には将来をともに考えるような仲間がいたことです。家でのストレスも、友達と会うことで発散しているようでしたし、何より友達に会うために学校に楽しそうに通ってくれたことに感謝しています。中学受験の志望校探しで学校見学をしたときに、『この学校がいい!』と言った娘のインスピレーションを信じて本当に良かったと思っています」と、学校選びの重要性を教えてくれました。  中学受験をスムーズに終えたからと言って、安泰な生活が送れる保証はどこにもありません。思春期・反抗期に影響を与えるのは、親ではなくむしろ距離の近い学友や先生。ですから、幸せな10代を送るためには、学校選びが重要なカギになるといっても過言ではありません。反抗期はいずれ終わるもの。わが子が楽しそうに登校しているならば、寛容な気持ちで遠くから見守るのも手です。それが親にとっても子どもにとってもストレスの少ない反抗期の過ごし方となるようです。 【※この記事を1ページ目から読む】 (取材・文/鶴島よしみ)
定年時に住宅ローン残高「1千万円」はアウト? プロが教える「老後破綻」を避ける4つのルールとは
定年時に住宅ローン残高「1千万円」はアウト? プロが教える「老後破綻」を避ける4つのルールとは   老後破綻しないための住宅ローンの組み方とは(写真はイメージ/gettyimages)  働けど働けど、住まいがどうにも高すぎる――。現代人にとって、マイホームは手の届かぬ夢になりつつある。35年という長期ローンを組んでも、無事に老後にたどり着けるのか。高騰する住宅価格に悩む現代人を追う連載の4回目は、老後破綻に陥らないローンの組み方について。 *   *   * 身の丈を超えなければ家を買えない 「身の丈を超えた金額でなければ、家を買えなくなってきている今、住宅ローンの組み方もこれまで以上にシビアに考える必要があります」  こう話すのは、家と住宅ローンの専門家で、『家を買うときに「お金で損したくない人」が読む本』の著者でもある、公認会計士の千日太郎さん。 住宅ローンについて「自分の年収でいくらの家が買えるのか?」という視点から考える人が多いが、「年収だけでは適正なローン金額を判断することはできない」と釘をさす。 無理なく完済するためのルール  千日さんが「大前提として押さえておくべき」とする、無理なく完済できる住宅ローンのルールは、次の4つだ。 1 毎月の返済は「手取り月収の4割以下で、ボーナス払いなし」 2 返済額が一定になる「元利均等返済方式」 3 シミュレーションの金利は「固定金利」 4 定年時のローン残高は「1千万円以下」  1〜3は、現役時代の持続可能性を確保するためのルール、4は老後の持続可能性を確保するためのルールだ。それぞれ、順を追って説明しよう。 ボーナスはローン返済の算段に入れない  1について。住宅ローンの支払いは月ごとになるため、手取りの月収をベースに判断するといい。「4割」という数字は、あくまで目安の上限で、収入や家族構成によっては、3割でも厳しい場合もあるし、収入が多ければ5割を超えても問題ない場合もある。また、ボーナスは不確定要素が大きいため、ローン返済の算段に入れないほうがいい。 「30代の一般的なサラリーマンの収入を目安として、手取り月収の4割までと設定しても良いでしょう。賃貸住宅に住んでいるなら、現時点の家賃を目安にするのも一つです」(千日さん)  特に30代は、ローンを最も多く借りられる年代でもあり、頭金ゼロのフルローンで、自分が無理なく返せる金額をはるかに超えて借りてしまう人も多いという。 「頭金がないフルローンで買うのは、いざ売ろうとしたときに、売却額よりローンの残債のほうが高くなるオーバーローンになる可能性も低くない。オーバーローンでは、家を売らなければならない事態となったときに売れなくなるリスクが高いことを認識してほしい」(同)   老後破綻しない住宅ローンの組み方とは 返済計画が立てやすい返済方式  次に2だ。住宅ローンの元金と利息の返済方式には、「元利均等返済」と「元金均等返済」がある。元利均等返済は、毎回の返済額が同じ額になる返済方式で、金利が変わらない限りは、毎回の返済額が一定になるため、返済計画が立てやすい。  元金均等返済は、毎回支払う「元金」部分が均等になる返済方式で、毎回の返済額は、元金部分に残高に対する利息額を上乗せして払うため、残高が減っていくに従って利息額も減っていく。しかし、金利が上がると、その月から上がった分だけ返済額が増えることになる。 「変動金利で借りる場合は特に、元金均等返済はお勧めしません。銀行は元利均等返済を勧めるのが普通で、そのほうが審査に通りやすい」(同) 金利が上昇するリスク  続いて、3。住宅ローンは、変動金利のほうが低金利のため、たくさんローンを借りられるように思える。実際、住宅金融支援機構の調査(2023年)によれば、変動金利を選んでいる人が約7割に上る。しかし、変動金利には「金利が上昇する」というリスクがつきまとう。千日さんは言う。 「そのリスクには、貯蓄で対応しなければなりません。私は、変動金利でローンを組む場合、毎月の支払い額の4分の1を貯蓄することを推奨しています」  これに対し、固定金利ならば、金利の上昇リスクに備える必要はない。 「金利がこの先どうなるかは正確に予測できないので、金利ではなく、毎月の返済額で判断しましょう。自分が無理なく返済できる額をシミュレーションしたいなら、固定金利で計算することをお勧めします」(同) 40歳近い契約世帯主の平均年齢  最後に、4。リクルートのSUUMOリサーチセンターの調査(2023年首都圏新築マンション契約者動向調査)によれば、契約世帯主の平均年齢は39.2歳。35年ローンを組んだ場合、ローン完済より先に定年退職を迎える人が多いはずだ。重要なのが、「定年時のローン残高がいくらになるか」ということ。その金額を定年退職までに繰り上げ返済しなければ、現役のうちに住宅ローンが終わらないことになる。 「定年時の残高が1千万円を超える住宅ローンには一定のリスクがあります。一般的なサラリーマンの給料で1千万円を貯めるには相当な年数が必要。現役時代に定年時のローン残高を目標に貯蓄し、さらに余剰資金は老後資金に充てるような資金計画を立てる必要があります。定年時のローン残高が高いほど、定年までの貯蓄目標が高くなるのです」 「退職金で完済」はNG  「退職金で完済したらいい」と考えるのはNGだという。 少子高齢化が進み、働き手が少なくなることを考えれば、今後、受け取る年金額は今より下がることが想定される。老後の生活が破綻しないためにも、退職金は老後資金に充てる計画が大切だ。 「『借りられる金額と返せる金額は違う』といわれます。これから肝に銘じるべきなのは、『返せる金額と老後を生きられる金額は違う』ということ。住宅ローンは基本的に現役時代の給料を貯蓄して完済しましょう」(同) 50年ローンの完済年齢は80~82歳  一方で、住宅ローンの返済期間も長期化している。かつては最長35年とされていたが、今は50年に引き延ばす動きがある。50年ローンの場合、完済時の年齢を80〜82歳と設定するところが多い。 「マンションの価格が高騰し、従来型の住宅ローンでは、現実的に貸せる人がいなくなってしまう。金融機関としてはリスクも大きいものの、背に腹は代えられないということで苦肉の策として出したのが、50年ローンです」(同)  定年の年齢を、20年近く超えて組むことになる「50年ローン」。「老後の生活が破綻するのでは」と懐疑的な見方も強いが、千日さんは「基本的には、なるべく長くローンを組んだほうが、借りる人にとってのメリットは大きい」と、こう指摘する。 「無理なく返せる金額」が重要 「計画性は必要ですが、ローンを長く組むほどに、人生の中で、いつ何にお金を使うかの選択肢を増やすことができる。月々の返済で必死になるより、“払ったつもり貯金”として、毎月一定額を貯蓄していけば、いざというときの予備費にもなる。繰り上げ返済にも使えます。資金と選択肢を温存することにもつながります」  ローンで大切なのは、早く返すことではなく、無理なく返せる金額を組むことだという。前出の有田さんも、「金利や教育費が上がる可能性も踏まえて、現役時代に自由になるお金を手元に持っておくことは大切」と、こう指摘する。 「老後不安が大きいせいか、貯蓄型の外貨建て保険やiDeCo、会社のDCなどを併用して、老後にかなりお金をまわしている人も多いのですが、あまりお金を固めすぎると、いざというときに身動きが取れなくなります。若くて元気なうちに、やりたいことをやったり、行きたいところに行ったりと、いろいろな経験をするためにも、手元にある程度、自由になるお金を持っておくのは大切です」  では、増加する単身世帯は今、どんな物件を買っているのか。選び方のコツと併せて、次回、解説する。 (ライター・松岡かすみ)
東MAXが語る、50代になってからの大学生活「講義はいつも一番前。30歳年下の同級生と楽しく」
東MAXが語る、50代になってからの大学生活「講義はいつも一番前。30歳年下の同級生と楽しく」 東貴博さん  タレントの安めぐみさんとの間に、9歳の長女と2024年に生まれたばかりの次女を育てる東貴博さん。東さんは、仕事、育児に加え、2021年に駒澤大学法学部政治学科に入学。24年3月までの3年間で、必要単位を全て取得し、自主中退したことで話題を呼びました。仕事に子育てに「学び直し」にと奮闘する東さん。そのバイタリティーの源とは? ※前編<東MAXが語る、9歳長女の子育て「朝ごはんもリクエストに合わせて作っています」>から続く 一か八かで大学入試に挑戦。「学ぶなら今しかない」 ――2024年春、駒澤大学法学部での学びを終えられたとのこと。芸能界で活躍され、とてもお忙しい中、大学進学を決めた理由は?  昔から、大学にはいつか行ってみたいという気持ちはあったんです。でも、18歳の時は受験に失敗して、さらに父親(故・東八郎氏)が亡くなってしまったこともあり、大学に行ってる場合じゃなくなったんですよね。  そこからはもう仕事だけに突き進んで、おかげさまで順調にやってこられて。ずっと大学のことなんて、忘れていたんです。でも、師匠である欽ちゃん(萩本欽一氏)が、古希を過ぎてから大学に入学したと聞いて、「すごいな!」って。やっぱり楽しそうだなぁと思ったんですよね。自分も挑戦してみたいと思うようになったんです。 ――でも、よく勉強する時間が取れましたね。  幸か不幸か、当時、コロナ禍で、仕事にも少し空きができたんですよ。大人の学び直しで「リスキリング」も話題になってたでしょう。僕は、学び直したいんじゃなくて、元々、学んでないんですけど(笑)、「大学に行くなら今しかない」と思って。  受かるとも思ってなかったけど、まずは半年くらい勉強してみて挑戦することにしました。社会人入試は苦手な英語もないですしね。ちょうど長女も小学校受験をする時だったので、「パパも一緒に勉強するわ」と伝えて頑張りました。そうしたら、なんと合格をいただいたんです。通うかどうかも迷いましたが、とりあえず行ってみようと。 家族旅行の様子(東さんのブログから) 長女と夜景デートを楽しむ様子(東さんのブログから)  行ってみたら、大学での勉強は、めちゃくちゃ楽しかったです。なんていったって、友達がみんな18歳ですからね。僕のことは、世代的に「知ってるようで、知らない」。でも「親が、なんか『すごい!』って言ってた」みたいな微妙な感じで(笑)。そういうのも楽しかったですね。  大学には、週4でがっつり通いました。朝、6時に起きて娘を駅まで送り、そのまま大学へ行くというルーティンができて、効率的な生活でしたね。 成績は学部でトップクラス。価値がわかるから学べた ――大学ではなぜ法学部を選ばれたんですか?  法学部政治学科という学科で、ここなら「社会のしくみ」をある程度理解できるんじゃないかな、と思ったんです。それまで本当にざっくりと生きてきた人間だから、いろいろと社会のことを学び直したかった。  将来、子どもにいろいろ聞かれた時も、「今、社会はこういうことだから、こうなってるんだよ」って伝えられたらいいな、と思って。 ――お子さんに背中を見せてあげるためでもあったんですね。  そう、そうやって教えられるようになりたいなーって思ってたんですけど、でもやっぱり、今、もう子どもたちは、iPadで授業受けたり、英語もできたり、そういう面では子どものほうが先を行ってますよね(苦笑)。 ――授業成績は学部でトップクラスだったそうですね。  なんかすごいことですよね。まあ、18歳の学生さんは、まだどれだけ手を抜いて進級するか、みたいなところもあるかもしれない。遊ぶことも大事ですしね。  でも僕は、やっぱり自分で稼いで大学に通っているから、なんていうか元を取ろうとするんですよね(笑)。仕事も勉強も全部一緒だから。 ――大事な時間とお金を使ってこそ、学びができるということを、大人になるとわかりますよね。  そう、だから僕だけ一番前に座ってね。すごく熱心に聞いてうなずくものだから、先生もやりづらそうだった(笑)。先生から質問があっても誰も答えないから、僕ばかり答えてしまったり。でも、だんだん僕が間違えたりしながら答えていると、ほかのみんなも発言しやすくなったみたいで、授業が活性化してくるのも面白かったです。 東さんが長女につくった朝食(東さんのブログから) 次女のお食い初めをお祝い(東さんのブログから) ――ほかの学生たちとの交流は?   楽しかったですよ。グループワークでの発表の機会なんかもあって。消極的な子にはその子にあったポジションを作ってあげて、やる気があんまりなくても参加できるようにして。あとは「こっちでだいたいやっとくから」みたいな感じで(笑)。そのときの講義は全員S評価をもらえました。 「飛田さん(東さんの本名)はプレゼンが上手ですね」ってまわりから言われたんだけど、人前で話す仕事をしてるから、当たり前ですよね(笑)。 大学に誰でも行けるよう3年間で卒業できる仕組みを ――卒業をせず、3年修了時に自主退学された理由は?  卒業に必要な単位を全て取得したものの、駒澤大学には3年で卒業できるしくみがなかったからですね。飛び級で大学院に行くことはできるけど、卒業は基本的にできないしくみなんです。でも、今、私立の大学に4年間通うと、400〜500万円の学費がかかります。家が裕福な子はいいかもしれませんが、難しい子たちは奨学金を借りなくちゃいけない。これはそのまま借金になってしまうじゃないですか。  もし、3年でも卒業が可能なら、少なくとも100万円は学費を減らすことができる。大学在籍年数を4年か3年か、選べるしくみが今後できたらいいのでは、という気持ちもあって。それで、僕自身は3年で退学を選ぶ、ということをしました。  もちろん4年かけてしっかり学ぶことが基本です。ただ、家庭の事情はそれぞれなので、いろいろなニーズに応えていけるといいのかな、と。3年で卒業できる優秀な子がいたら、早く就職できるし、社会にとっても即戦力になる若手人材が増える。いいことずくめなんじゃないか、と僕は思っているんです。 ――それは学生を見ててそう思われた?  コンビニで100円のコーヒーをおごったら、すっごく喜んでくれた子がいたんです。地方から出てきて、当時はコロナ禍でバイトも制限されていて。「親にも負担してもらってるけど、自分では思うように稼げないから、飲み物は一切買わない。食堂に行けば水は飲めるから」って言うんですよね。そういうのを聞くと、若い子が大学でしっかり勉強をして早めに必要単位を取って、就職活動も頑張って1年早く社会に出られるというしくみがあっても、いいんじゃないかなあって。 ――東さんの行動に影響を受ける学生も生まれそうです。  僕の場合は3年生で退学ですが、4年生分の学費約101万円を、能登半島地震の支援金に寄付させてもらいました。時間もお金もいろんな使い方ができるといいですよね、という意味を込めて。  早く社会に出て早く稼ぐことができたら、結婚も早くなって、少子化対策にもなるのでは?ってそこまではわからないけど。少なくとも大学に行くことをあきらめる人が、少しでも減ったらいいな、というふうには思っています。  ま、家族には「あれもこれも、やりすぎじゃない?」ってあきれられていますけどね(笑)。 長女が次女にミルクをあげる様子(東さんのブログから) (取材・文/玉居子泰子) ※前編<東MAXが語る、9歳長女の子育て「朝ごはんもリクエストに合わせて作っています」>から続く 〇東 貴博(あずま・たかひろ)/1969年東京都台東区浅草生まれ。お笑いコンビ・Take2として人気を博し、俳優としても活躍。通称「東MAX」。亡き父は、昭和を代表するコメディアン東八郎。妻はタレントの安めぐみ。2021年、駒澤大学法学部政治学科への社会人入学が話題に。24年に、必要単位取得後中退。小学4年生になる長女と、生後6カ月になる次女の子育てをしながら、公私共に精力的に活動を続けている。
担任から「将来胸が大きくなるだろうね」 ミックスルーツの子どもたちが教育現場で受ける差別や偏見
担任から「将来胸が大きくなるだろうね」 ミックスルーツの子どもたちが教育現場で受ける差別や偏見 ほめ言葉のつもりで口にしたことも相手を傷つけることがある。マイクロアグレッションへの知識が求められている(撮影/写真映像部・東川哲也)    複数の国にルーツを持つ人とその子どもたち。日々の生活の中で無自覚な差別や偏見に直面し、苦しむケースは多い。アンケート調査から見えてきた実態とは。AERA 2024年8月26日号より。 *  *  *  厚生労働省の人口動態統計によると、2022年に生まれた子のうち、父母のどちらかが外国籍の子は50人に1人(1.98%)。出生数全体が減少傾向にある中で、05年に2%台に乗って以降、ほぼ同じ割合で推移している。海外から日本へ転入してくる外国人とその子どもも増加中だ。  日本で生まれ育ったのに「日本語話せるの?」と聞かれたり、出身地を聞いて「走るのが速そう」と言われたり。周囲が無意識に発する言葉に傷つく人は多い。そんな「マイクロアグレッション(無意識の偏見・差別)」について今年3〜4月、社会学者の下地ローレンス吉孝さんらは、日本における複数の民族・人種等のルーツがある人々(ミックスルーツ)を対象にアンケート調査を実施した。  その結果、回答者の98%がマイクロアグレッションを受けており、68%がいじめや差別を、32%が不登校を経験していることがわかった。メンタルヘルス不調の割合は全国調査と比べて5・1倍も高く、多かった経験や症状は「自己肯定感の喪失・損失」(69%)、「社会への信頼感の喪失・損失」(53%)などだった【※欄外注】。 見世物にされている 「マイクロアグレッションとは、障害者やLGBTQ、人種・民族的少数者など社会におけるマイノリティーの人に向けられる『偏見や先入観がかいま見える言動』のこと。相手をほめたつもりでも、無意識の偏見が出てしまうことがあります」  こう話すのは、自身もドイツと日本にルーツをもつ著述家のサンドラ・ヘフェリンさんだ。 「たとえば、よくハーフの子どもは『何々語でしゃべってみて』と言われたり、その国の名物料理の話ばかりふられたりする。そんなふうに、その子の『外国』の部分にばかりスポットをあてるのはやめてあげてほしいですね。自分は日本にもルーツがあるのに外国人扱いされていると感じることもあるし、『見世物にされている』と感じる子もいる。それにハーフだからといって必ずしも両方の言語を話せるわけでもありません」 AERA 2024年8月26日号より    気にしない子もいるが、その子が不快感を示した時は考えてほしいとサンドラさんは言う。 「髪の色や身体の大きさなど、見た目のこともなるべく言わないほうがいいし、言う必要もありません。子ども同士もそうですし、大人は特に慎重になってほしいです」(サンドラさん)  大阪府に住む49歳の女性は、祖母が中国人。顔立ちからはわからないが、足の長さが祖母に似ており、近所の人や周りの子どもたちからはよく「気持ち悪い」と言われていたと振り返る。 「おばあちゃんがそういう民族で、私はそれを受け継いでいた。目立ってしまうので、体育の時間は大嫌いでした。自分からルーツのことは話せなかったし、たまに言うと驚かれて、『聞いてはいけないことを聞いた』みたいな雰囲気になる。それも嫌でした」(女性) 学校で教員がいじる  違和感は他にもあった。同じ学校にいたブラジルやアメリカにルーツがある子は「かっこいいね」と言われるのに、アジアにルーツがある自分はネガティブに見られていることを感じた。「目の前で中国人の悪口を言う人もいます。今働いている店でも、職場の人が中国人のお客さんの声の大きさを『きついわ』と言ってくることがあります。『実は私、祖母が中国人なの』と話すと『ごめん』と謝ってくれるんですけれど……」(女性)  学校で教員からマイクロアグレッションを受けることもある。千葉県に住む男子大学生は、中学生のとき同じクラスにアフリカにルーツをもつ友人がいた。 「彼はずっと日本で暮らしているから日本語ペラペラなのに、その先生は彼に『言ってること、ワッカリマスカ〜?』と声をかけて笑いをとっていたんです。わざと慣れない日本語を話すようなイントネーションで、彼をいじっていた。笑ってた子が多かったけど、俺以外にも、その子と同じサッカー部だったメンバーは笑ってなかったと思う」  冒頭のアンケートにも、こんな声が寄せられている。 「小学生の頃、男の担任に、ハーフ(ヨーロッパにルーツをもつ)だから将来胸が大きくなるだろうね、英語と日本語を磨けばアナウンサーとかいいんじゃないなどと男子グループの前で言われ、男子に笑われた経験は、今でも思い出すと身の毛がよだつ」(日本と英国・20代) 「韓国とのハーフかどうかは見た目ではわからないので、ヘイトなり嘲笑的な発言なりを聞かされ同意を求められることがよくあります。塾の大きな教室で先生が『韓国人は〇〇だからしょうがないね』といい、学生が皆笑っている中、自分1人だけ笑えず涙が出そうになるのを堪えたことは10年以上経った今でも鮮明に覚えています」(日本と韓国・30代)  教員の自覚のなさは深刻だが、さらに大きな問題につながるケースもある。 千の切り傷による死  サンドラさんによると、米国生まれのある男性は日本とアルゼンチンにルーツがあり、三つの国籍を持っていた。そのままで問題なかったのに、受験を前に中学校の教員が生徒に複数の国籍があることを問題視。それを機に、彼は一時日本国籍を失ってしまった。成人後に男性は間違いに気付き、国籍を取り戻せたが、この間大学の奨学金を申請できないなどの不利益を受けたという。「先生が半端な知識や思い込みで口を出さないでほしい」とサンドラさんは話す。  冒頭のアンケート調査結果の提言にはこう書かれている。 「『大げさな』と思われるかもしれませんが、日々のマイクロアグレッションによって積み重なる傷痕は『千の切り傷による死(Death by a Thousand Cuts)』と言われるほどに深刻なものなのです」  ミックスルーツの人たちは、今後も間違いなく増えていく。想いと知識を深める時に来ているのは間違いない。(ライター・大塚玲子) ※調査結果は、あくまでも回答した人の傾向や割合を示すもので、いわゆる「ハーフ」や「ミックス」などの人々の全体の一般的かつ代表的な経験や傾向を示しているわけではありません ※AERA 2024年8月26日号  
資産 1億 円でFIREして気づいた必須4条件とは? 逃げるように会社を辞めるか営業成績を残すか…桶井道【投資歴25年おけいどん】
資産 1億 円でFIREして気づいた必須4条件とは? 逃げるように会社を辞めるか営業成績を残すか…桶井道【投資歴25年おけいどん】 イラスト/西田ヒロコ 個人投資家の桶井道(おけいどん)さんの連載「おけいどんの投資&適温生活LIFE」。今回のテーマは、FIREするために準備しておくべきことについて。4年ほど前に早期退職した「億り人」の結論です。 ◇  こんにちは、桶井 道(おけいどん)です。2024年6月から当コラム「桶井道の投資&適温生活LIFE」が始まり、6・7月は拙著からの引用記事でした。今回は寄稿となり、私の生の声をお届けします。  この記事では、「FIREするために準備しておくこと4つ」について、FIREして約4年が経過する私の経験をもとに解説します。  私は、2020年秋に、資産1億円+年間配当金(手取り・以下同)120万円をつくり、約25年間勤めた会社を早期退職して、FIREしました。それから約4年が経過し、資産1.8億円+年間配当金230万~240万円(2024年見込み)です。  FIRE前はいろいろな悩みや心配があり不安を感じていましたが、約4年間を振り返りますに、FIREするために準備しておくことは4つだけでいいとの結論に至りました。そして、他の多くの不安は、FIRE後に何とでもなると断言できます。FIREのために準備しておくべきこと4つとは、次になります。 1 お金の準備 2 家族の同意 3 ビジネスパーソンとしての自分への納得 4 生きがいの用意 ひとつずつ解説していきましょう。 1 お金の準備   FIREとは、FI=経済的自立とRE=早期退職を意味します。よって、お金の準備はFIREとは切り離すことができません。必要となる資産額は人によって異なりますが、少なくとも数千万円以上は必要となるでしょう。上述のとおり、私は資産1億円でFIREしました。その後も株式投資によって資産を1.8億円まで増やしています。   そして、資産額を築くことだけではなく、「不労所得>支出」の体制を構築して、キャッシュフローをプラスにしておくことが理想です。キャッシュフローをプラスにすると、資産の取り崩しが不要ですので、必要な資産額のハードルを下げることができます。私はこれを株式からの配当金で得ています。今年は年間配当金230万~240万円の見込みです。これをさらに積み上げて、「配当金(不労所得)>支出」の体制を構築します。そうなれば、資産の取り崩しが不要であり、今好きでしている仕事をいつ辞めても安全圏ですし、たとえ株式相場が荒れて評価額(=資産)が減ろうとも、メンタルを保つことができます。ちなみに、両親からたびたび聞きますが、老後資産が十分にあっても、日々お金が減るのは不安になるようです。 2 家族の同意   家族に黙って、ある日急に早期退職すると、たとえお金の問題が解決していようと、揉める原因になります。FIREを思い描いているなら、希望段階から家族に考えを共有しましょう。FIREという言葉自体は一般的になりましたが、いざ自分の家族がFIREするとなると違和感が生まれると思います。働き盛りの世代なのに、平日の昼間に家にいるとなると抵抗を感じる方が多いでしょう。十分に時間をかけて、FIREしたい思いを語っていきましょう。   FIRE後、家でダラダラする訳ではなく、家事・育児・介護参加やボランティア活動など新しい生活を提案すれば納得してもらえる可能性が高まると思います。私の場合は、難病の父の介護や父の仕事を手伝うこともFIREの理由のひとつでした。   また、自分のためにも、家族のためにも、急な変化を避けて、非正規雇用での短時間勤務を挟んでから、FIREするのも一案だと思います。労働時間を徐々に減らしていくことで、生活やメンタルをFIREにフィットさせるのです。私は時短社員を挟んでダウンシフトを経験してから、フルFIREしました。 3 ビジネスパーソンとしての自分への納得   ビジネスパーソンとしての自分への納得、これは盲点でしょう。私もFIRE後に感じたことです。逃げるように会社を辞めたのでは、FIRE後に後ろめたさが出てくると思います。自分はビジネスパーソンとして失格だったなと、あとから思いたくないでしょう。そこで、自分自身がビジネスパーソンとして仕事をやり遂げた納得感や達成感というものを得ておくのが、FIREしてから意外に大切だったように感じています。  私は、20代のとき従業員数千人の中で営業成績1位を取りました。40代では、S&P500に入る米国大企業の2社と単独で取引に成功しました。FIRE直前にも、複数の前任者が3年ほどできていなかった案件を1年以内に達成しました。これら結果は、FIREした今となって、自分のビジネスパーソン時代の誇りとなっています(失敗も少なからず経験しましたが〈苦笑〉)。   FIRE後に「ビジネスパーソンとしてやり遂げた」と思えるのと、「いけてなかったなぁ、もう思い出したくないな」と思うのと、どちらがいいでしょうか。誰しも答えは前者になると思います。とはいえ、体調不良などの理由がある場合は、すぐに退職すべきだと思います。「納得」より健康が最優先です。 4 生きがいの用意   FIRE後の生活についても、多少は思い描いておいたほうがいいです。私の場合は父の介護や仕事の手伝いもありましたが、それ以外はのんびりしたいと思っていました。ところが、いざFIREしてみると暇で刺激がない生活を辛く感じました。FIRE前はのんびりしたいと思っていたのに、FIREするとのんびりが苦痛になったのです。  幸い、宝島社さんから、出版オファーがあり、新たに集中できるものを得ました。その後も、2冊目、3冊目、4冊目と毎年出版オファーがあり、連載も大手メディアで3つ持たせてもらって、物書きという仕事で第二の人生を満喫しています。  このように、私は結果的には生きがいを見つけることができましたが、できればFIRE前から、どう生きたいのか考えておいたほうが良いと思います。のんびり隠居するのは65歳以降でいいでしょう。それまでは、何を生きがいにするのか決めておくのが理想です。毎日、何をするのか時間を持て余すのは、意外とメンタルに悪く響きます。  私がこの約4年間のFIRE生活を振り返っての結論として、FIREに必要なことは、「お金の準備」「家族の同意」「ビジネスパーソンとしての自分への納得」「生きがいの用意」の4つだけだと思います。先述のとおり、FIRE前に他にも多くの悩みや心配がありましたが、この4つ以外はFIREしてからでも何とでもなりました。多くが杞憂でした。このことは、改めて後日にでも書きたいと思います。 資産1.8億円+年間配当金(手取り)240万円を実現! おけいどん式「高配当株・増配株」ぐうたら投資大全 商品価格¥1,980 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 桶井 道 (おけいどん)/ 個人投資家(投資歴20数年)・物書き。1973年生まれ。会社員人生25年間「労働+節約+貯金+投資」の歯車を回し続けて、2020年47歳で資産1億円とともに早期退職した。それから3.5年で資産を1.8億円にまで成長させる。投資先は世界30か国の高配当株や増配株、ETF、REITなど幅広い。現在は両親(父は難病で要介護5、母はがんサバイバー)の介護・見守りをしつつ、物書きとして第二の人生を満喫している。子ども食堂への支援も行う。著書は『今日からFIRE! おけいどん式 40代でも遅くない退職準備&資産形成術』『月20万円の不労所得を手に入れる! おけいどん式 ほったらかし米国ETF入門』(ともに宝島社)、『お得な使い方を全然わかっていない投資初心者ですが、NISAって結局どうすればいいのか教えてください』(すばる舎)、『資産1.8億円+年間配当金(手取り)240万円を実現! おけいどん式 高配当株・増配株 ぐうたら投資大全』(PHP研究所)など。連載は「アエラドット」「マネー現代」「プレジデントオンライン」。 ◆X(旧ツイッター)アカウント @okeydon ◆ブログ『おけいどんの適温生活と投資日記』 https://okeydon.hatenablog.com/ ◆著者による書籍 https://www.amazon.co.jp/stores/%E6%A1%B6%E4%BA%95-%E9%81%93/author/B08Y93HR3H?ref=ap_rdr&isDramIntegrated=true&shoppingPortalEnabled=true
クマの捕獲をめぐる全国からの批判に苦慮 背景には過疎化や第一次産業の後継者問題も
クマの捕獲をめぐる全国からの批判に苦慮 背景には過疎化や第一次産業の後継者問題も 市、鳥獣被害対策実施隊、警察を対象に行われたクマの市街地出没を想定した実地訓練=2024年7月、由利本荘市(写真:秋田県提供)    日本各地でクマによる人身被害が急増、環境省によると昨年度の被害者は過去最多の219人(死者6人)。今年も8月6日時点の速報値で48人(死者2人)が被害に遭っている。その背景には過疎化や第一次産業の後継者問題などもあるという。AERA 2024年8月26日号より。 *  *  *  クマが出没する原因の一つは「集落に食べ物があること」。米ぬかを頑丈な場所に保存したり、畑や果樹園を電気柵で囲い、庭木になったものはこまめに除去したりなどの意識が必要だ。 「クマに『来ないでね』と言っても伝わらないですし(笑)、人間の側が賢くなって、『クマが来てもいいことがない環境づくり』をやるしかないんです」(秋田県自然保護課・ツキノワグマ被害対策支援センターの近藤麻実さん(40))  県民全員が「クマとの付き合い方ならちゃんと知ってる。大丈夫」と言えるような、正しい知識を持った県になることを目指したいと、近藤さんは力をこめる。その一方で、「難しさ」も感じている。  クマの捕獲(駆除)への対応をめぐり、秋田県には全国から「パニックになってクマをただ殺している」「何も対策をしていない」など、さまざまな批判が寄せられているのだ。  現在、秋田県では捕獲したクマの「放獣」(山へ返すこと)は一切やっていない。県の「管理計画」にもそう明記してある。  個体数が減っていれば放獣も選択肢として考えるべきところだが、クマに関しては絶滅を心配するレベルからはほど遠く、あえて放獣する必要性も低い、ということも判断の理由だ。 「仮に放獣するならできるだけ集落から離したいのですが、そんな山奥となると国有林。そこへ放すことは不可だと言われて。さまざまな理由で『放せないし、放さない』と決めています」  人の生活圏に出てきた個体は捕獲(駆除)する、という取り組みだ。山奥まで分け入って捕獲しているわけではない。 「『捕獲だけ』に熱心と映っているかもしれませんが、電気柵の設置や放置果樹園の伐採などの対策も進んでいます。地域の努力をきちんと見てほしいです」 AERA 2024年8月26日号より   第一次産業どうするか  近藤さんは批判の背景に、クマという動物が持つ「ある特性」があるとも感じている。 「クマは『人を二分する動物』。『かわいそう』『殺すな』『山に返してやれ』という方々と、『何言ってんだ、毎日クマが出る地域に住んでみろ』『お前の家にクマを送りつけてやる』という人たちと。人を『一頭も殺すな』派と『全滅させろ』派の二大勢力に分けてしまう。クマにはそんな一面もありますね」  いまの状況は、いつ頃「解決」できるのか。近藤さんは「気持ちとしては2、3年で。でも実際は簡単ではない」と話す。 「畑に電気柵を張る対策をすべきとわかっていても、農家の方も高齢で『もう張るのはしんどい』と。電気柵など対策用の資材を買えなくはないけど『子どもも後は継がないし、俺も来年にはやめる。いまから買ってもなぁ』という話もよく聞く。これはもはや、『過疎地においての第一次産業の後継者をどう維持するか』についての話なんです」 自治体としての戦略を  クマと鉢合わせしないよう草刈りをしたい。でも過疎化が進み住民の手ではできない。そうなったとき、誰がそれをやるのか。行政はどこまで手助けするのか。自治体としての「戦略」を真剣に、具体的に考えなければいけない段階に来ていると近藤さんは警鐘を鳴らす。 「核は『人が減る中で、地域社会をどう維持するか』を行政がどう考えるのか、です。クマは、その中の一部でしかない。解決には10年20年かかる。そう想定せざるを得ないと思います」  猛暑が続く夏。クマにとっては山の食物資源が乏しい端境期であり、1年で最も体重が減り、活性が落ち、休息時間が長くなる個体もいる時期だという。 「そんな夏を経て、昨年の秋田県でのクマ出没は9月と10月に急増し、人身事故も増えました。11月から12月にかけて冬眠してくれるまで、まったく気の抜けない毎日が続きます」 (編集部・小長光哲郎) ※AERA 2024年8月26日号より抜粋  
元チャットモンチー福岡晃子が、息子の発達障害を“受け入れられた”きっかけとは 「親がこの世を去るまでに一人でも多くの味方を」
元チャットモンチー福岡晃子が、息子の発達障害を“受け入れられた”きっかけとは 「親がこの世を去るまでに一人でも多くの味方を」 福岡晃子さん(撮影/weathershop) 2018年に活動を「完結」させたロックバンド・チャットモンチーの福岡晃子さん。20年に出産し、その直後に徳島県の海辺の町に転居しました。音楽活動や映像制作などを続けながら、24年4月には、初エッセイ『おかえり』(millebooks)を上梓しました。その中には、息子である「豆太くん」(仮名)が、発達障害の一つ、自閉スペクトラム症と知ったときのこともつづられています。豆太くんは現在4歳。福岡さんはわが子の「いま」と「この先」をどう見ているのでしょう。※前編<元チャットモンチー福岡晃子が語る「徳島移住」を決めたワケ 「プライバシーの壁がめくれた。めちゃくちゃ子育てしやすい」>から続く 「普通」かどうかなんて気にしない。なのになぜ苦しいの? ――ご著書には、福岡さんが豆太くんの発達障害にまったく気づいていなかったと書かれていましたね。  そうなんです。保育園で発達のテストがあったんですが、その結果をみて先生に「検査を受けたほうがいいのではないか」と言われました。私はそれまで「豆太は早生まれだから、言葉も行動もゆっくりなんだ」と思っていたんです。  でも周囲の友だちに話すと、「もしかしたらそうかと思っていた」って。私は母親なのに全然気づけていなかったんだなぁって、そのことにショックを受けました。 ――発達障害と診断されたあと、受け入れるまでには時間がかかりましたか?  苦しくて苦しくて、1週間くらいあまり眠れなくなりました。  でも、その「苦しさ」って何なんだろうと考えたんです。自分の子どもが「普通の子」じゃないっていうことが苦しいのだとすれば、私は人に対して無意識のうちになんらかの線引きをしていたんだな、と気づきました。 ――「線引き」とは?  人ってデコボコしているものじゃないですか。私だってこんな服装で、こんな髪色で、全然「普通」じゃない。  自分が普通じゃないくせに、子どもには「普通」を求めていたんだなって気づいて……。もうそれ自体がまちがいだったって知りました。そこから、気持ちは大きく変わりました。 同じポーズで寝る豆太くんと犬(福岡さん提供写真) ――「普通」でなくてもいい、と思えるようになったのですね。  そうですね。自閉スペクトラム症というと「ギフテッド(特別な才能のある子)なの?」と言われることもあるんですが、それを求めているわけでもありません。  ただ、息子が成長して自分は多くの人と違う個性と持っていると気づいたときに、どんな選択をさせてあげられるかは重要だと思っています。選択肢を提示して「どれにする?」ではなくて、息子が「自分はこれをやりたい」「これをしていると心が落ち着く」と思えるものを見つけるまでサポートするのが、親の役目なんじゃないかな。  好きなもの、楽しいと思えることが1つでも見つかれば、もうそれだけで十分だと思っているんです。 妊娠中に思い描いた「かっこいい母」にはなれなかった ――ご著書には、「私は強くてかっこいい母親になると思っていた」と書かれていました。でも実際には、「まったくそうはなれなかった」と書かれているのが印象的でした。  私は元々努力型で、がんばることは全く苦じゃないんです。勉強もバンドも、全て努力で乗り越えてきました。だから仕事も子育ても必死でがんばればうまく行くと思っていたんです。でも子育てには「がんばる」が全然通用しない。そのことに衝撃を受けました。 チャットモンチーでベースを弾いたいた福岡さん(福岡さん提供写真)  叱っても、言い聞かせても、伝わらない。「2歳児 子育て やり方」と検索しても、その回答は豆太には当てはまらない。そもそも、すぐに解決するものじゃないし、成果はなかなか見えるものじゃない。  そのうち体の奥の方からマグマみたいなため息がわきだしてきて、酸欠で倒れるんじゃないかって思うほど息苦しくなってしまうんです。  東京にいるころ、電車のなかで大騒ぎする子をみて「なぜ親は叱らないんだろう」って思っていたんです。でもいまなら、めちゃくちゃわかる。口先だけで怒っても、この年齢の子にはわからないんです。怒られたことの恐怖は残るんだけど、理解できてはいないんです。  それでも親が怒るのは、「私はちゃんと叱っていますよ」っていう周囲へのアピールでしかない。私が東京で子育てしていたら、アピールのために叱っていたと思うんです。  でもこの町では、小さなことで怒らなくてすむんです。息子がスーパーで余計なものを買おうとすると「それいらんやろ?」と、店のおばちゃんが戻してくれる。勝手に店を飛び出すと、止めてくれるお客さんもいる。いろんな人が息子を理解してくれているこの町は、本当にありがたいですね。 ご近所さんにご飯をふるまってもらうことも多いそう(福岡さん提供写真) 「いやだ!」の理由を考える。それが他者へのリスペクト ――豆太くんとのかかわりは変わりましたか?  豆太のことを、深く考えるようになりました。「豆太はなぜこんなことをしたんだろう」「なぜイヤなんだろう」と、夫とよく話します。すべてに理由がないとしても、私たちが考えないと豆太の伝えたかったことは一生伝わらないから。 ――豆太くんのためにしてあげたいと思っていることはなんですか?  夫とは「情報を常にアップデートしていこう」と話しています。息子に役立ちそうな記事や本を見つけたらシェアするし、それについて話します。社会の中でこの子はいまどういう立ち位置にいるのかを知っておく必要があるし、どんな選択が可能かも知っておきたい。  調べると、海外には自閉症に特化した教育を行っている学校もあって、そういうところに一時的に親子で留学することもできるかな、と。そのくらいフットワーク軽く、豆太の将来を考えていきたいですね。 親がこの世を去るまでに一人でも多くの味方を ――なぜ豆太くんの発達障害を公表しようと思ったのでしょう。  日々のエッセイをつづるうえで、豆太のことを書かないのは違うんじゃないかと思ったからです。とはいえ、彼が大きくなってこの本を読んで「なんで勝手に書くん?」と思うかもしれない。すごくすごく迷って、本を印刷する直前までめっちゃ悩みました。  でも障害がある子の場合、親がこの世を去るまでに一人でも多くの味方をつくってあげることが大事だと思うんです。そのためにはこういう伝え方も必要なのかな、と考えました。 4月に出版されたエッセイ本『おかえり』の表紙イラストの元になった家族写真(福岡さん提供写真) ――福岡さんの言葉は、わが子の発達障害で悩んでいる方の励みになったのではないでしょうか。  そんな声もいただきました。わが子が発達障害だとわかっている方の多くは、自分のことを責めていることが多いんです。高齢で産んだからだとか、接し方が悪かったのではないかとか、本当に悩む。でも絶対に親のせいではないし、巡り合わせだと私は思っています。 ――福岡さんにとって、豆太くんの存在がいかに大きいかを感じます。豆太くんとともに福岡さんも変わってきたんですね。  めちゃくちゃ変わりました。豆太は私にいろんなことを教えてくれる先生です。彼がいなかったらきっと私は視野が狭いままで、今みたいに開放的な気持ちで生活はできなかったと思います。  近所の子たちも、すごくいろんなことに気づかせてくれる存在です。子どもそのものが、ものすごくパワーがある生き物だなぁと思うんですよね。一方で、大人の影響をめちゃくちゃ受ける鏡みたいな存在でもあります。近所の子も含めて、彼らのまえで恥じぬ自分でいられたらと思っています。 (構成/神 素子) ※前編<元チャットモンチー福岡晃子が語る「徳島移住」を決めたワケ 「プライバシーの壁がめくれた。めちゃくちゃ子育てしやすい」>から続く 〇福岡晃子/1983年徳島県出身。音楽家。徳島市のイベントスペース「OLUYO」主催。2002年よりロックバンド「チャットモンチー」のメンバーとして活動。18年に活動を「完結」させ、20年に徳島県南部に移住。23年ソロアーティスト「accobin」として自身初となるソロアルバム「AMIYAMUMA」を発表。24年初エッセイ『おかえり』(millebooks)を出版。
「子どもたちの想い出の場でエロはやらないで」 行政はAVの影響力を考えるべき 北原みのり
「子どもたちの想い出の場でエロはやらないで」 行政はAVの影響力を考えるべき 北原みのり (写真はイメージです/gettyimages)  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は公共の場と撮影について。 *  *  *  所用でレンタルスペースを探していたら、廃校になった小学校校舎が出てきた。市が管理している元小学校の教室を、ヨガ教室や読書会などで利用する市民に開放しているという。全国で廃校校舎が増えている今、なかなか良い取り組みだなぁと感心していたところ、注意書きに「AV撮影は禁止」と記されていてハッとした。わざわざ「AV撮影」と具体的に注意しているということは、その手のことが過去にあったのかもしれない。  今月、埼玉県鴻巣市の閉校した小学校で、若い女性タレントらの浴衣・制服姿の大規模撮影会を行政が許可したことが話題になった。市側は抗議の声に「断る内容のイベントとはいえない」と回答したそうだ。「性的なイベントではない」という判断をしたのか、「性的なイベントであっても断る程度のものではない」という判断をしたのか、どちらにしても「問題ない」という姿勢である。反対の声の中には地元の女性からの、「子どもたちが通っていた想い出深い学校で性的なイベントを行ってほしくない」という切実な訴えもあった。それこそ「若い女を撮影したい」「撮影イベントで利益を出したい」という欲望よりも優先されるべき市民感情なのではないかと私は思う。  また、少し前のことだが、東京都杉並区では、女児が実父に性虐待されるという設定のAVが、区が管理する小学校隣接の公園で撮影されたことが話題になった。「区の公有地でのAV撮影は禁止すべき」という陳情が区民からあがったが、杉並区はこの陳情を不採択とした。「AVであるということを理由に一律に撮影を不許可にはできない」というのが、不採択の主な理由のようだ。  この国で幾度も繰り返される「公共とエロ問題」である。  元小学校での撮影会に賛同する人は「表現の自由だ」「職業差別をするな」という主張を崩さず、反対する人は「撮影会は性的搾取である」「女性差別だ」と声をあげる。杉並区での陳情を不採択にした議員たちは「AVだからといって全て排除すべきでない」と考え、採択側に立った議員たちは「区の施設ではAV撮影を禁止すべき」と主張する。その対立議論はずっと並行線のまま火花を散らした。  興味深いことに、杉並区で区民のこの陳情に対して不採択を主張したのは共産党、立憲民主党、公明党の議員らで、趣旨採択が妥当だと主張したのは自民党の男性議員だった。保守だろうがリベラルだろうが女だろうが男だろうが、この手の議論は常に荒れがちだ。というより、リベラルな女性のほうがこの問題では揺れる。朝ドラ「虎に翼」の寅子風に言うならば「ごめんなさい。児童虐待のストーリーは論外だけど、だからといってAVを全否定するのは職業差別だったわ」とか「はて。AV撮影を一律禁止するとは? 表現の自由の毀損にあたらないの?」と真面目に迷うのが、今どきのリベラル女性なのかもしれない。正しくありたい女性ほど、“正しさの地図上”で指針を失いさまようように。 「他人のセックスを観たい」  そもそも、そんな平凡でシンプルな欲望から生まれたAVは、ありとあらゆる性暴力映像を含む巨大産業として発展してきた。日本はAV生産量も消費量も世界トップクラスで、世界最大級のAVサイト“ポルノハブ”への1カ月の訪問数は日本から約4億もあるのだという。日本のアマゾンの1カ月の訪問数が約5.5億なので、いかにAVが日常化、環境化しているかがわかる数字だ。 “AVは毒のようなもの”  乱暴だが、いったんそんなふうに考えてみてもよいのではないかと、私は最近考えるようになった。  毒=悪、ではない。毒=誤、でもない。ただ、毒=強い刺激物として考える。毒には強烈な刺激があり、重篤な影響があるが、薬にもなることもある。人体への影響が大きいので量と質を間違えてはいけない。中毒症状や、禁断症状などもあり、依存のケアも必要だ。刺激物は魅力的であり、それが正しくないものだからこそ楽しく、やめられない。だからこそ取り扱いにも生産にも注意と倫理が必要だ。AVとはそのようなものではないか。  日本でAVが誕生し、まだ50年も経っていない。昔はAV以外のエンタメが発展すればAVなど廃れる……と思われてきたが結局そうはならず、欲望は欲望を生み、刺激はさらに強い刺激を追いかけるように加速し、AV産業は発展してきた。それなのにAVがどのようなもので、そのような刺激が私たちの人生を、私たちの社会をどう変化させるのかなど、ほぼ研究されていない。近年、AVの中毒性や、AVの依存性や、AVが脳に与える影響や、AVが生活習慣に与える影響などが研究対象になることも海外では増えてきているが、AV大国の日本だからこそ考えられることは山ほどあるはずだ。 「子どもたちの想い出の場でエロはやらないでほしい」  そういう感情を大切にすることで守られる社会がある。だからこそ、AVが何であるのか、その影響力について行政は慎重に考えるべきだと私は思う。杉並区は区民の声を採択すべきだった。
「無駄をなくしてしまったら、人間は生きてこられなかった」 科学者・中村桂子が考える無駄の大切さとは
「無駄をなくしてしまったら、人間は生きてこられなかった」 科学者・中村桂子が考える無駄の大切さとは 中村桂子さん(左)と春山慶彦さん(右) 「生きものは複雑で、矛盾だらけ」と、生命誌研究者の中村桂子さんは語ります。登山地図GPSアプリ「YAMAP」の開発者、春山慶彦さんと中村さんが、「無駄の大切さ」について語りました。春山さんの著書『こどもを野に放て! AI時代に活きる知性の育て方』(集英社)からお届けします。 無駄の大切さ   春山慶彦(以下、春山) 今、遊びや無駄、余白といったものが、どんどん社会からなくなっていっています。効率に押されて、ぼーっとしたり、何も考えない時間がなくなりつつあると思います。 中村桂子(以下、中村) 以前、縄文時代の狩猟採集民は、毎日必死に獲物を追いかけていたと考えられていたけれども、実際はそうではなかったことがわかってきましたよね。現在、アフリカで狩猟採集をして暮らしている人たちの調査でも、狩りをしている時間はとても短くて、週に15時間くらい、実働時間は我々よりずっと少ないですね。おそらく古代の狩猟採集民もそのような感じで、時間がたっぷりあったことでしょう。周囲の自然から、基本的な衣食住が得られれば、それ以上に働くこともなく、あとはゆったりとみんなでおしゃべりしたり、空想の世界で遊んだりしていたのではないかと思います。 春山 そうですね。歌ったり、踊ったり。 中村 人間は生きものであると考えると、本来はそういう無駄なものが欠かせないと思います。というのは、生きものは無駄があることで続いてきたからです。  生きものの基本的な仕組みはとても合理的です。そうでないと動かない。でも、一方で、たくさんの無駄も抱えているのです。  たとえば、新型コロナウイルスのパンデミックで免疫ということが盛んに言われるようになりましたけれども、私たちの身体の免疫は、異物を捉える受容体を持つ免疫細胞によって支えられています。免疫研究がはじまったときは、外から異物が入ってきたら、その都度、それに対応する受容体を持つ免疫細胞を生み出すと考えられました。効率を重視するならばそう考えるのが普通ですし、合理的ですよね。 春山慶彦さん  ところが実際に研究してみたら、100万種とも一億種とも言われる異物の一つひとつに対応できる免疫細胞を常に準備しておくのが免疫の仕組みだということがわかったのです。ある異物が入ってきたとき、それに対応する免疫細胞がその異物を抑えますが、待機していた他の免疫細胞は無用だから死んでしまう。このように、要るか要らないかわからないものを毎日大量につくり続けているなんて、大変な無駄ではありませんか。でも、それをやってきたからこそ、我々は免疫で守られるようになって、生き続けてこられたのです。その無駄をなくしてしまったら、おそらく人間は生きてこられなかったでしょうね。 春山 無駄に英知がある。 中村 生きものの世界は、一面だけを見てこれは無駄だからなくすという形で動いてはいません。今の社会はあまりにも効率重視になっていますが、何が無駄かと決めつけることはできません。生きものは複雑で、矛盾だらけというところが、機械との大きな違いです。 人間ほどへんてこな生きものはない   春山 人間とは何かということを突き詰めれば突き詰めるほど、それは「弱さ」だなと思います。これからの時代で大事になってくるのは、人間の弱さに立ち返ることではないでしょうか。  中村先生のご本(『生る 宮沢賢治で生命誌を読む』)の中で、「確かにそうだな」と思ったのが、二足歩行の話です。なぜ人間は二足歩行をするようになったのか。それは、森が後退してサバンナになったとき、人間は森の中では弱い動物だったから、他の強い動物たちに食料争いで負けてしまった。そのため、競争相手がいない遠くまで食べ物を採りに行かないといけなくなった。そうやって採ってきた食べ物を、今度は家族や大事な仲間たちに持ち帰らないといけない。そこで手が必要になり、二本の足で歩くようになった。人間の弱さゆえに、直立二足歩行という特徴が生まれた話は大変興味深かったです。 中村 人間の弱さが直立二足歩行につながったというのはまだ仮説ですが、かなり有力であると言われています。何しろ600万年以上も前のことですから、これからわかっていくことがたくさんあるでしょう。たとえば、今まで人間が直立二足歩行をはじめたのはアフリカだとされてきましたが、つい最近、樹上生活をしながら二足歩行している仲間の化石がヨーロッパで見つかっています。ヨーロッパで何が起きていたのかまだこれからの研究を待たなければ何もわかりません。直立二足歩行がいつどこでどうやってはじまったかについては、まだきちんとわかっているわけではないのです。  ただ私は、この「人間は弱かったから直立二足歩行になった」という説が大好きです。直立二足歩行のおかげで人類はいろいろなことができるようになりましたが、それは強かったから獲得できたわけではなく、弱かったからと考えるとおもしろいですよね。生きものというのは、調べれば調べるほどへんてこだと思います。 春山 へんてこ(笑)。 中村 生きものほど、へんてこなものはないと思いますよ。先ほども申し上げましたように、生きものは矛盾だらけです。そもそも、全部違って全部同じというのですから。生きものを調べると、そういう変なことばかり出てきますね。  今、「地球の危機だ」とか「生きものが消えるかもしれない」などと言われていますが、生きものは人間が何かしたくらいのことでは消えないでしょう。この地球上で40億年続いてきたシステムがあるのですから、生きものは地球がなくなるまで続いていくと思います。  では、生きものがどうしてそんなに続いたのかと言えば、へんてこだったからです。繰り返しますが、合理的に効率よくやろうとしていたら、生きものはとうの昔に消えていたと思います。それから、一つの価値基準で競争させて、いいものだけを残そうとしていたら、やはり消えていたでしょう。矛盾を組み込んで、「何でもあり」でやってきたからこそ、生きものは続いてきた。これが生きものの本質だと思います。  そこでは、弱さも必要です。弱いからこそ、生きものが続いている。先ほどの仮説に従うならば、人間はたまたまその弱さゆえに二足歩行をはじめ、脳が大きくなり、いろいろなことができるようになりました。他の生きものたちにも、それぞれの弱さを生かして生きているものがいます。自分だけでは生きていけないなら、他の生きものに寄生するなど、やり方はいろいろあります。弱さは人間だけのものではなく、生きものの特徴なのです。 「人間が二足歩行という特殊なことをやったのは、どうも弱さと関係しているらしい」と考えると、楽しいですよね。弱いといろいろなことを考えて工夫しなければなりません。だからこそ新しいことをする可能性が出てくるわけで、何か人の生き方と通じる部分がありますね。 春山 弱さが新しさを生む可能性につながっている。そう考えると希望が持てますし、わくわくします。人間の弱さを起点に、社会システムを見直すことができると、もっと生きやすい世の中になるのかなという気がします。 中村 人間は弱かったから、思いやりを持つ力や想像力が発達し、社会をつくっていった。人間のように大きな社会をつくっている動物は他にいないけれど、その源は人間の弱さにあったと考えると、生きものとしての本来の生き方が見えてくるように思います。 ○春山慶彦さん/株式会社ヤマップ代表取締役CEO。1980年福岡県生まれ。同志社大学卒業後、写真家を志してアラスカ大学に留学。帰国後、「風の旅人」編集部を経て、2013年に登山地図GPSアプリ「YAMAP」を提供するヤマップを設立。編著書である『こどもを野に放て!』(集英社)は、読書家としても知られる春山さんが、養老孟司さん、中村桂子さん、池澤夏樹さんと、自然体験を通してAI時代に活きる知性の育み方を語り合った対談集。
元自衛官のぱやぱやくん直伝! 「思い込みという沼」にとらわれて、何もできなくなったときの対処法 元幹部自衛官が教える人間関係のサバイバル術
元自衛官のぱやぱやくん直伝! 「思い込みという沼」にとらわれて、何もできなくなったときの対処法 元幹部自衛官が教える人間関係のサバイバル術 ぱやぱやくん最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』より(イラスト:なかきはらあきこ)    Xフォロワー約30万人の元自衛官のぱやぱやくん。自身の経験も踏まえたメンタルを安定するためのノウハウには、多くの注目が集まっています。人間だれしも、あんまり親しくない人に対して、どうしても「思い込み」が先行して動いてしまいがち。本記事では、そうした思考にハマったときの抜け出し方を、著者最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』から内容を一部抜粋・再編集して紹介します。 *   *   *  今まで普通に仲良くしていた人と、急に仲たがいをしてしまったり、「なんか嫌だな」と思うようになったりした経験はないでしょうか。  もちろん、環境が変わったことで、少しずつお互いの違った部分が見えるようになり、今までとは違った関係になったということはあるでしょう。    でも、それとは違って、まともだったはずの人が、急におかしくなってしまうケースもたまにあります。  特に、その人にとって「強いストレス」「限られた人間関係」「閉鎖的な環境」の3拍子が揃そろってしまった場合には注意が必要です。この3拍子は、核シェルターや潜水艦と似たような環境と言えるからです。  特に陸上自衛隊などでは、業務の特性上、この負の3拍子が揃いやすいのです。  なので、元々はものすごく人柄の良い人が「過度なギャンブルをする」「キャバクラにのめり込む」「職場の人と不倫をする」などといった、通常ではありえないような問題行動を起こしてしまうこともあります。  実際に、私の知り合いにも「どうして、あの人があんな問題を……」と思うようなトラブルを引き起こした人がいました。しかし、よくよく話を聞いてみると、その背景には「とてつもないストレスがあった」などの原因がある場合も少なくありません(もちろん、だからと言って、許される話ではありませんが……)。    先ほど言った負の3拍子である「強いストレス」「限られた人間関係」「閉鎖的な環境」が揃っている環境は、私たちの日常でいろいろなところに存在しています。  多くの人が思い当たるのは、強いストレスがかかり、同じ人間と付き合い、職場の外の情報と隔離されている、仕事ではないでしょうか。     著者最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』    ただし、仕事だけではもちろんありません。 「学校のクラス」「大学の研究室」といった教育の現場や、「子育て」「姑との同居」などのプライベートな空間、あるいは受験を控えた「浪人生活」なども、その例に当てはまります。  こうした環境に置かれても「自分は大丈夫」と確信を持っていられる人は、海や山、熱帯のジャングルから南極まで生き残れる最強生物のクマムシのような人だけです。  だからこそ、あなたは「強いストレス」「限られた人間関係」「閉鎖的な環境」という負の3拍子の状態に陥っていないかを、随時チェックしておく必要があります。    もし仮にその状態にはまっていると気づいたときには、まず「限られた人間関係」から抜け出す努力をしてみてください。 「友人に電話する」「カウンセリングを受ける」「SNSで仲間を見つける」「会社の他部署の人と仲良くなる」など、努力の仕方はどんなものでも構いません。    なぜ人間関係を広げることが一番大切なのかと言うと、この状態にいるときには、まずは、自分の「思い込み」という沼から抜け出す必要があるからです。  自分の偏見に基づいて、物事を判断するようになると、小さな間違った選択の積み重ねのせいで、いつのまにか人生を大きくコースアウトしてしまう可能性もあります。    自分中心に物事を考えてしまうのは、どうしようもない部分があります。  だからこそ、まずい状況に置かれたときには、意識してなるべく多くの人に会ってみましょう。冷静になりたいときに頼るべきなのは、他人の力です。 (ぱやぱやくん) ぱやぱやくん/防衛大学校卒の元陸上自衛官。退職後は会社員を経て、現在はエッセイストとして活躍中。名前の由来は、自衛隊時代に教官からよく言われた「お前らはいつもぱやぱやして!」という叱咤激励に由来する。著書に『飯は食えるときに食っておく 寝れるときは寝る』(育鵬社)、『陸上自衛隊ますらお日記』『今日も小原台で叫んでいます 残されたジャングル、防衛大学校』(以上、KADOKAWA)など。  
虐待事件からの解体的出直しは現場の声を生かすツートップ体制で始まった 神出病院の再生
虐待事件からの解体的出直しは現場の声を生かすツートップ体制で始まった 神出病院の再生 神出病院 (c)神戸新聞社    トップダウンからツートップ体制に。組織の解体的出直しは運営の根幹を変えることから始まった。看護師らによる精神疾患患者への集団虐待が発覚した2019年の神出病院事件。職員たちは事件後、どのようにして理想の病院を作り直してきたのか。神戸新聞取材班による「黴の生えた病棟で ルポ 神出病院虐待事件」(毎日新聞出版)から一部を抜粋し、再生の道を報告する。 ※神戸市の病院で2019年に起きた虐待事件の実態や、精神医療体制の問題、渦中にあった病院が果たしてきた再生について4回に分けて報告します。今回はその4回目に当たります。 * * *  神出病院では2021年6月に土居正典が新院長に就いて「解体的出直し」が始まり、3年を迎える。院内にまかれた「改革の種」はようやく芽吹きつつあるように見える。  私たちが神出病院内に初めて足を踏み入れたのは、土居新体制がスタートして1年4カ月になる22年10月だった。  事件発覚直後、敷地内を行き交う職員たちは下を向き、私たちと目も合わせようとしなかった。当時うかがい知ることができなかった病院の内部で、彼らは何を考えて働いていたのか。事件を経て、今、どこへ向かおうとしているのか。聞きたいことはたくさんあった。  直接職員に話を聞かせてほしいと、断られることは覚悟の上で記者が事務長の登隆一に取材を申し込むと、1週間後に「院内で検討を続けている」と連絡が来た。あまり期待をせずに待っていると、その約1カ月後に正式に返答があった。   今を見てほしい 「事件の報道では病院の職員全体が悪者になった。集団ごと責められた恐怖心が、職員にはまだ残っている」  登はそう前置きした上で、 「今の神出病院を見てほしい」 と応じ、さらには院内の見学も認めた。  事件のあったB棟4階から、女性専用のA棟4階へ移る。5メートル幅の広い廊下には開放感があった。「ちゃんとメンテナンスをしたら贅沢な造りの建物なんですよ」と合流した院長の土居が言う。フロアには、公衆電話が置いてある。患者たちが院内で携帯電話を使うことは禁止しているが、入院したら外部と連絡が取れなくなっていた事件発覚前の状態を改め、テレフォンカードを使って家族らとやりとりができるようにした。  壁に貼られた献立表には、料理の写真を添えてわかりやすく伝える工夫がされていた。全て新調したという食器も見せてもらった。「かつては、子どもが砂場で遊ぶおもちゃのお皿よりも汚かった」。登が顔をしかめて回想すると、看護師の女性が「今は患者さんがよく、おいしいって褒めてくださるんです」と控えめに笑った。  これらは全て患者へのアンケートの結果を受けて改善したという。 「こんにちは」  行き交う職員たちがカメラを持つ記者を物珍しそうに眺めつつ、あいさつをしてくれる。患者は廊下や談話室を自由に往来している。談話室の窓際に置かれたイスには年配の女性患者3人が座り、顔を寄せ合っていた。 「いつも同じ場所で集まっている仲良しグループなんです」と職員が言う。どんな話をしているのかと聞くと、「健康のこととか、ですね」と職員は笑顔でこちらの目を見て、はっきりと答えた。   現場で高まった危機感  これまで知られてこなかった、事件後の彼らについて迫ってみたい。  病院の法人が事件の原因究明のために立ち上げた「危機管理委員会」は名ばかりで、組織に大きな変化は見込めない。そこでさまざまな部署から集まった20人ほどの職員が自主組織「改善委員会」を立ち上げた。「何もしなければ再び事件が起きる」「これ以上病院の名前を傷つけたくない」――現場の危機感は高まっていた。  患者家族に文章や写真で入院中の生活を伝える「安心レター」を配り、職員間で虐待防止策を話し合う。「A院長(注:事件当時)の反発を買い、衝突したとしても構わない」。そんな決意を確認し合って事務所に集まり、意見を交わす。しかし、誰を中心に活動をするか、責任と権限は誰にあるかが定まらない。思うように進まず、場はピリピリした。 「みんな鬱屈した思いが今にも爆発しそうだった」。精神保健福祉士の40代男性が当時の緊迫したさまを語った。 「自分たちで何とかしなくちゃいけないという焦りばかりが募っていた。多くの改革案が出されたけれど、どれもほとんど形にならなかった」  2021年6月1日に着任した新院長の土居も、出だしから壁にぶつかっていた。就任前から思い描いていた組織改革や救急医療の導入など、立て直しの方針はしっかり職員に伝えた。法律や人権意識を基にした守るべきルールを示し、今までの業務のやり方を変えるよう強く促した。しかし、うまくいかない。 「『法令や人権、正しい医療知識に基づいて行動することが正しい』というのは私の考えだ。しかし、それを押しつけるだけでは(トップダウンの)A院長体制と変わらない。私も同じ道を歩いてしまっていた」  トップ専制方式の危うさは知っていた。神出病院だけでなく、全国の精神科病院で院長や経営者に権力が集中しやすい傾向がある。  就任から2カ月たった8月、土居は事実上のツートップ体制を取る。立て直しの旗振り役として呼んだ公認心理師の大久保恵を「病院改革執行責任者」に据え、院長と同じ運営の権限と院長に対する監視機能を与えた。職員の主張や不満をすくい上げ、院長にもフィードバックしながら、職員に改革の趣旨をかみ砕いて伝える。院長、職員のメンター(助言者)的な存在となるのが大久保の役割だった。   各人がオールを握る  続けて2人は、病院の「理念」を新たに定義する。 「思考を止めてトップの指示通りに動くのをやめて、一人ひとりが自分たちでオールを握って舟を漕ぎだす。そのためには、目指すべき方向を正しく伝える灯台のようなビジョンが必要だったんです」  そう大久保が語る。10人前後の職員と議論をしながら、全職員への聞き取りを通じて組織内で何が起きているか、職員らが何を目指そうとしているのかを探る。管理職だけで頭をひねって答えを出すのではなく、現場を正しく見ることができれば、自ずと進むべき方向に光が見えてくると考えた。  職員は自信と誇りを失っていた。同僚がおぞましい虐待をしながら誰も止められず、患者を助けられなかったこと。周りに流されて、少なからず患者の身体拘束や隔離で違法行為に加担していたこと。世間から浴びせられる視線が痛く、つらい。自分たちで改革に踏み出そうともがいては挫折し、ここで働くこと自体が苦しいと打ち明ける職員もいた。   【こちらも「黴の生えた病棟で」の記事】 黒カビは壁一面、そして天井にまで広がっていた 病棟の劣悪な生活環境が虐待の温床に https://dot.asahi.com/articles/-/230310     「それでもやっぱり、患者さんのためにとの思いで医療者を志した人たちなんです」と大久保はためらうことなく言う。職員たちの本当にしたかった医療、目指したい方向性を集約した理念の言葉は次のようにまとまった。 「患者様への理解に基づいた、心ある医療を提供します」  これを職員一人ひとりが自分の心の中に落とし込むことが、立て直しの第一歩となった。   タテとヨコの「チーム医療」を活発化  病院独自の理念を定義する議論がまとまるにつれ、実現への道筋が見えてきた。  キーワードは「チーム医療」。虐待事件の再発防止に欠かせないのは、個人を孤立させない組織づくりだと見据えた。  判断に迫られた時には職員一人に責任を負わせない。周りと話し合って決める。幹部は部下たちへの声かけを怠らず、いつでも相談に乗りやすい「縦軸」を太くする。  院内には、精神科医、内科医、看護師、臨床心理士、作業療法士、精神保健福祉士、薬剤師、管理栄養士……とさまざまな職種の職員がいる。それぞれの立場で知識や知恵を出し合い、コミュニケーションを高めて「横軸」を太くする。組織の縦横に血が巡るようになることが、職員の孤立を防ぎ、活力を生む好循環につながると考えた。 (敬称略)   【「黴の生えた病棟で」の記事はこちら】 「○○君、口、口」その病院で繰り広げられていた虐待シーンは押収スマホに収められていた https://dot.asahi.com/articles/-/230309  
不登校を「出口」に導く3つの要素 「ことばかけ」「食事」「住環境」の根拠と効果
不登校を「出口」に導く3つの要素 「ことばかけ」「食事」「住環境」の根拠と効果 不登校の原因は多くの場合一つではありませんが、「出口」に向かう方法は一つではありません。出口は必ず見つかります  3人の子どもの不登校を経験し、不登校の子どもやその親の支援、講演活動などを続ける村上好(よし)さんの連載「不登校の『出口』戦略」。今回のテーマは「不登校を出口に導く3要素」です。 ***  7月30日に配信した 不登校と「子離れ」は相性がいい 「やめたい」「行きたくない」と意思表示できたらまずほめて では、私が立ち上げた「オカンの駆け込み寺」への相談事例をご紹介しました。今回も、別の小6女児の相談事例をご紹介しながら、「ことばかけ」「食事」「住環境」を整えるとなぜ不登校が解決していくのか、ということについてお話ししたいと思います。  今回ご紹介する女の子も、やはり受験期に不登校になり、お母さんが駆け込んでこられました。状況をお聞きすると、なんとなく体調不調が続いているけれど病院に行くと異常はなく、万策尽きてどうしたらいいかわからない、ということでした。  大事なわが子がつらい思いをしている、その原因は自分にある、と涙ながらに語るお母さん。娘を思うが故に自分を責めていて、精神的にも限界の様子。子どもが不登校になると、「自分のせいではないか」と自分を責めてしまうお母さんはよくいらっしゃいます。でも、いくらお母さんが自分を責めても不登校は解決しません。私はいつも、「責める必要はないですが、子育てを振り返る機会を持ちましょう」と声をかけ、それまでの子育てを一緒に振り返ることにしています。  このとき、お母さんがおっしゃったのは、大きく3つ。「いままで娘にはネガティブなことばばかりかけていた」「受験期なので親のほうが気を使って、好きなものをできるだけたくさん食べさせていた」「便秘気味の状態が続いている」でした。  私は、「ことばかけ」「食事」「住環境」の観点から不登校のご家庭にアドバイスしています。わが子3人の不登校の経験や、学校などで続けている不登校支援活動で親御さんや子どもたちからさまざまな話を聞くなかで、学び、実践し、導き出したもので、この3つは不登校と密接にかかわっていて切り離せない、と確信しました。 日本人が昔から食べてきた漬物や納豆など、腸活にいいとされる食材には手軽に食べられるものがたくさんあります。華やかな器で気分も上がります  ことば一つでやる気が出たり、逆に何もする気にならず自信を失ってしまったりする、ということは、この連載でも繰り返しお話ししました。  食事については、腸内環境を整えることを中心にアドバイスをしています。緊張するとおなかが痛くなったり、下痢をしたりすることがありますよね。「腸脳相関」といって、脳で感じる強いストレスが腸内細菌に影響を与え、不調をきたしているのです。逆に、「幸せホルモン」と言われるセロトニンの多くは腸で作られています。腸で作られたセロトニンが直接、脳に届くわけではありませんが、セロトニンを作るのに必要なトリプトファンは腸から脳に送られています。  つまり、メンタルには腸と脳が密接に関わっているということです。そこで私は、東洋医学をベースにした食養生を支援に取り入れました。現代は「飽食の時代」で食べすぎによる体への影響が大きいので、「何を食べるか」ではなく「何を食べないか」が重要です。  住環境については、片付けや換気といった単純なことから、化学物質対策まで試していただきたいことがいくつかあります。  部屋を片付けたら気持ちがスッキリした、窓を開けて換気をしただけでよどんでいた空気がすがすがしくなった、という経験をお持ちの方は多いと思います。いますぐできることですから、まずはやってみてください。  そして、私たちはたくさんの化学物質に囲まれた生活を余儀なくされています。「香害」「スメルハラスメント」という言い方があるように、化学物質の匂いで調子を崩す人も増えています。科学的には人体への影響ははっきりしていませんが、少なくとも実際に気分が悪くなるようなら、避ける必要があります。子どもたちの不調の原因がここにある可能性も否めません。実際に、今まで相談を受けた中には、化学物質対策をしたことでお子さんの不調が改善した事例もあります。  食育と同じくらい「住育」も重要。不登校に対してさまざまな角度からアプローチしていくことで、少しずつ、その子に合った接し方や改善策が見つかっていきます。 受験期と思春期が重なり、不安やストレスが心身の不調につながった結果、不登校に。こんなケースも少なくありません photo iStock.com/FG Trade  さて、冒頭でご紹介した6年生の女の子ですが、まずは子どものことばを引き出す声かけを実践してもらい、否定語を使わずにポジティブ変換したことばを使ってもらうようにしました。例えば、「もっと勉強しないと成績が上がらないよ」は「勉強大変だよね。頑張ってるね!応援してるよ」に変換。勉強しないことにフォーカスするのではなく、お母さんはあなたの味方だよと伝えるだけで、子どもは安心感が持てるしやる気が出ます。早くお風呂に入ってほしいときは、「ダラダラしてないでさっさとお風呂に入りなさい!」ではなく「疲れちゃったよね。お風呂に入ると疲れが取れるよ〜!」という具合。これで、親子のコミュニケーションが復活しました。  次に、便秘です。これまでは下剤を飲んで無理やり出していたそうですが、緊張を取り払う生活を心がけて腸が動きやすい状態を作り、食養生を取り入れて、よくかみ、余計なものは減らしてシンプルな食生活を心がけていただきました。コロッケや、ハンバーグ、パスタなど好物中心の食事に偏っていましたが、野菜を増やして、お菓子も控えめに。朝はパンをやめて、ごはんとおみそ汁などの和食に。これを続けることで、快便になりました。  最後に住環境。できるだけ換気をし、空気の循環を促す。柔軟剤や除菌スプレーなどの香りに敏感なお子さんは一定数いて、それが不調の原因になっていることもあるので、こうした化学物質にも気をつけてもらいました。できれば掃除もこまめに、とアドバイスしました。  こうして、「ことばかけ」「食事」「住環境」に複合的に、継続的に取り組んでもらうことで、この女の子は徐々に元気になっていったのです。  当初は受験も諦めたほうがいいのでは、と思っていたそうですが、本人のやる気が出てきて集中力も上がり、最終的には第1志望の学校に見事合格しました。受験期と思春期が重なり、不安やストレスが不調につながっていることが大きな原因だったのかもしれませんが、何よりお母さんが3つの要素をすぐに実践し、継続したことが結果につながったのだと思います。  このお子さんは受験が終わったころから学校にも行けるようになり、卒業式にも無事に出席。中学校に進学後も部活に励み、頑張って勉強している、とうれしい報告をいただいています。「ことばかけ」「食事」「住環境」への取り組みも、ゆるく継続されているとのこと。そう、ゆるいくらいでいいんです。  多くの子どもたちと接する際に「朝ごはん何食べた?」「昨日の晩ごはんは何だった?」と聞くことが多いのですが、「何も食べてない」「菓子パンとジュース」「コンビニ弁当」などと答える子が多いことがいつも気になっています。もちろん、ご家庭によってさまざまな事情がありますので、いつもいつも一汁三菜を手作りで、すべてオーガニック食材で、などと言っているわけではありません。ただ、糖類などの大量摂取は血糖値の乱高下の原因になり、精神が不安定になる要素にもつながることがわかっていますので、気を付けたいところです。  私自身も支援をしながら学び続けています。不登校のお子さんと向き合っている親御さんには、ことばかけはもちろん食事や住環境の観点からも打つ手があるということを頭の片隅に置いていただければと思います。多角的な視点を持つことで、自分を責めずに済みますし、肩の荷を少しだけ下ろすこともできます。このことを、忘れないでいただきたいです。  最終回となる次回は9月3日配信。不登校を経験したからこそできること、そして、将来の可能性についてお話ししたいと思います。
公的資金を完済させた自立心 父に試された「一人旅」 りそなホールディングス・東和浩シニアアドバイザー
公的資金を完済させた自立心 父に試された「一人旅」 りそなホールディングス・東和浩シニアアドバイザー 社長時代の基本姿勢は多様な人材を入れて、多様な意見を聴く。「予定調和」を壊し、「組織を揺らす」の言葉が口癖だった(写真/山中蔵人)    日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年 8月12日-19日合併号より。 *  *  *  2005年が明けるころ、りそなホールディングス(HD)の執行役財務部長のときだ。地域密着の金融機関としてサービスを多様化するため、分離していた信託会社の吸収合併を進めた。まず、合併前に信託会社を100%子会社にする。それには、信託会社の株主へ信託株と交換に渡すりそな株が必要だ。  そこで、ひらめいた。  金融危機下で資本強化に公的資金が注入された際に預金保険機構が持ったりそなの普通株を買い戻し、それを交換に充てれば、公的資金の返済にもなる。普通株は、市場を流通している株式と同じ。買い取り価格は市場の終値にすればよく、株価に影響を与えない。30代前半に3年いた旧・埼玉銀行の資本市場部で得た知識が、役立った。  同年2月に買い取った普通株は27億3千万円分。りそなグループへの公的資金の注入額は、金融危機が広がった1998年から03年までに3兆1280億円だから、その1千分の1にもならない。でも、金融界はもちろん社内さえ「無理」と思っていた返済は、始まった。公的資金を完済し、経営の「自立」への第一歩。社内にあった諦めムードが、消えていく。  82年4月に入行した旧・埼玉銀行は、91年4月に協和銀行と合併し、翌年9月にあさひ銀行へ改称した。バブル経済がはじけ、あさひも他の大手行と同様に系列ノンバンクなどが抱える巨額の不良債権が重荷となり、公的資金の受け入れに追い込まれる。98年8月、体力強化に東海銀行との経営統合を決定し、埼玉県内の支店長から合併担当の企画部副部長へ戻された。生き残り策を考える部が新設されると、その副部長へと移る。 (写真/本人提供)   生き残りのために志望した海外業務も自らの手で幕を引く  01年5月、海外業務からの撤退を発表した。公的資金で経営が支えられているなか、コストが大きいのに「うちも国際的な銀行です」という見栄など要らない。国内で地域密着の銀行として歩む、と明示した。銀行に就職したのは、海外で仕事をしたかったからだ。それが、自分の手で幕を引く。生き残るには、仕方ない。交渉は、1人でまとめた。このときのキーワードも、子どものころ父が身に付けさせてくれた「自立」だ。  東海との合併協議も、打ち切った。合併に三和銀行(現・三菱UFJ銀行)が参加を求め、協議が複雑化。三和主導の空気が強まるなか、上司の了承を得て離脱する。首脳陣は、次に同じ地域密着型の大和銀行との合併を進めた。協議がまとまり、大和は先行して近畿の地方銀行とともに持ち株会社の大和銀HD(現・りそなHD)を設立。あさひは埼玉県内の支店を引き取る「埼玉りそな」をつくり、あとは大和銀HDと合併した。  大和銀HDは翌年にりそなHDを名乗り、その企画部次長として本社を置いた大阪市で勤務が始まる。この時点でりそなグループへの公的資金の注入総額は1兆1680億円。まだ、もっと大きな嵐が待っていた。  金融当局は03年5月、利益が出ない銀行、赤字に陥る銀行へ思い切った注入を断行した。りそなHDへは、1兆9600億円。「特定の取引先に融資が集中して不良債権化し、健全経営に必要な自己資本が不足している」との理由だ。注入総額は3兆1280億円へ膨らみ、メディアは「実質国有化」と書き立てる。でも、社長会見を2度開き、「国有化」への質問を粛々とさばく。  このとき、経営の立て直しに二人三脚で取り組むことになるJR東日本出身の細谷英二氏の会長就任も、発表された。細谷会長は、公的資金返済の鍵は収益を上げるだけでなく、財務にあるとみて「きみが財務部長をやれ」と命じた。  初めての分野だが「公的資金は必ず返す」と自らに確認し、日々、「どうやれば返済できるか」を考え抜く。冒頭の返済の「第一歩」は、そこから生まれた。東和浩さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったという父の「自立」の教えが、りそな生き残りへ背中を押す。 宮崎駅で電車に遅れ案内所の女性に借金叱られても思い出に  1957年4月、福岡市中央区で生まれ、福岡県庁の職員だった父、母、妹の4人家族。中学校へ進むころ、自分が「九州を1人で一周したい」と言ったのか、父が勧めたのか覚えていないが、父は「お金は出してやる。その代わり、1日で帰ってこい」と決めた。息子の「自立」の力を、試したのだろう。  時刻表を開き、博多から小倉へ出て日豊本線で宮崎へいき、そこを折り返し地点に小林、熊本経由で戻ってくる、と順路を決める。ところが、国鉄(現・JR)の宮崎駅で好きな遺跡の見物へ出て、戻りが遅くなって予定の電車に乗れず、計画が狂う。駅の案内所の女性に「乗り遅れたのだが」と相談したら、のびやかな時代だったからか、お金を貸してくれて「これで、タクシーで小林駅まで乗ったら間に合うよ」と言われる。  すぐに霧島連峰の東にある小林市へ向かうと、女性が言った通り予定の電車に追いついた。自宅へ帰って父に報告すると、すごく怒られて「とにかく、その方へ手紙を書いて、お金を返しなさい」と言われて返す。でも、いい思い出だ。  学習塾の友人と一緒に鹿児島市の私立ラ・サール学園を受験して合格、寮生活が始まる。両親は、黙って送り出す。自立心を高める生活で、詳しくは次号で触れるが、『源流』からの水量が増していく。大学も、早くから東京へいくと決め、上智大学経済学部へ進む。直前に父が亡くなったが、母は東京への進学に何も言わない。本心では寂しかったと思うが、「どんどん外へ出よ」という主義だった。 公的資金ついに完済「青空を、仰げた」スタートラインに  2012年11月、多くのことを学ばせてくれた細谷会長が亡くなった。翌年1月にりそな銀行社長への就任が決まり、記者会見で公的資金について「完済へ向けてシナリオを策定し、改革を深化させるのが私の使命」と宣言する。4月に、細谷さんの思いを継いで社長になる。  2015年6月25日、りそなは最後の1280億円分の優先株を買い取り、公的資金を完済する。「青空を、仰げた」と表現した。翌日に大阪市、2日後に東京で開いた臨時全国支店長会議で、こう語りかけた。 「これは、ゴールではありません。スタートラインです。公的資金が注入されたという事実と歴史は消すことができません。しかし、12年間かけて努力し、3兆1280億円全額を自力で返済し終えたということには、自信を持つべきです」  口調は普段通り穏やかでも、胸中で「ついに返したぞ」と叫んでいたに違いない。  りそな銀行の会長、りそなHDの会長を経て、2022年6月に65歳でシニアアドバイザーへ退いた。いまは旧・大和銀行が本拠を置いた大阪市で、商工会議所の副会頭として来年の大阪・関西万博の盛り上げに力を入れている。最近、大阪へいって歩くと、外国人客の多さに驚く。昔からビジネス書を読むよりは、歩くのが好き。歩けば、何か発見があるからだ。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2024年8月12日-19日合併号

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