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不登校と「子離れ」は相性がいい 「やめたい」「行きたくない」と意思表示できたらまずほめて
不登校と「子離れ」は相性がいい 「やめたい」「行きたくない」と意思表示できたらまずほめて やってみたらイメージしていたのと違った、なんてことはよくありますよね。経験の少ない子どもの場合、大人よりもっと「違った」と思う確率は高いのかもしれません  3人の子どもの不登校を経験し、不登校の子どもやその親の支援、講演活動などを続ける村上好(よし)さんの連載「不登校の『出口』戦略」。今回のテーマは「不登校と子離れ」です。 ***  前回の記事では、不登校家庭にありがちな親子の「負の連鎖」について、断ち切ってくれるのは「他人」が吹き込む新しい価値観だというお話をしました。今回は、不登校と密接にかかわっている「子離れ」について、具体的な事例を挙げてお話をしたいと思います。子離れって難しいんですが、不登校はいい機会になります。  子どもの不登校に悩むオカンをひとりにしないことを目的に、私が立ち上げた「オカンの駆け込み寺」で、相談を受けた事例です。  中学受験の勉強に励んでいた6年生の女の子が、夏頃から不登校に。今まで仲良し母娘だったお母さんは、理由を聞いてもそっけない返事で、我が子の変化に困惑し、「どうしたらいいかわからない」「このまま受験勉強を続けるべきかどうか」ということで相談にいらっしゃいました。  中学受験は親の関与度合いも高いので、我が子が受験勉強に一生懸命になっていればいるほど、親なら誰しも「サポートしてあげたい」と思うのではないでしょうか?でも、どこまでが必要なサポートでどこからが過保護になってしまうのか、という点は悩みどころだと思います。  中学受験期の子どもたちは、少しずつ思春期に差し掛かっていきます。思春期は親から自立する大事な時期。親に反抗的な態度を取ってみたり、生意気な口答えをしたり、親としては、この時期の子どもとどうやって向き合っていけばいいのか、本当に頭を抱えてしまいますよね。  この女の子は、5年生の時に本人の希望で受験塾に通い始めました。仲良しのお友だちが通い始め、その影響で自分も受験したいと思うようになって、親もそれに賛成したということでした。  しかし、子どもですから、実際に塾に行ってみたら思っていた以上にカリキュラムの進みが早く、ついていけなくなる、次第に塾がつまらなくなる、ということはよくあります。やがて塾に行きたくなくなり、休みがちになり、受験勉強にも身が入らなくなる、という流れです。やってみて初めて、「あれ、なんか思っていたのと違うな」ということに気付くんですね。  経験がないわけですから、これは仕方のないことですし、本来は「受験をやめる」という選択肢は、最初から念頭に置いておくべですよね。でも、多くの親御さんは、「自分がやるって言って始めたんだから、最後までやりなさい」「途中で投げるなんてよくない」と言ってしまうのです。  これは、他の多くの習い事にも当てはまります。「やめぐせがつく」「逃げぐせがつく」と言って本人が言い出した習い事をなかなかやめさせない親御さん、多いんじゃないかと思います。  ここで、よく考えてみてください。習い事であれ塾であれ、子どもが自分から「やってみたい」ということ自体に「主体性」があります。これ、「ほめポイント1」です。そして、実際に体験してみて、「自分には合わないな」と自分で感じることができ(「ほめポイント2」)、やめるという決断を自ら下すことができ(「ほめポイント3」)、親に自分から「やめたい」と言える(ほめポイント4」)。ここまでに、ほめるべきポイントが4つもあるのですから、このプロセスを受け入れてあげるといいのではないかと私は思います。 「自分でやろうと思ったのってすごいよね」 「自分の気持ちに気づけてよかったね」 「自分の気持ちを大事にできたね」 「やめたいっていう自分の気持ちを言うのって勇気いったよね」  こんな言葉と共に「気持ちを伝えてくれてありがとう」と、子どもの主体性とプロセスの部分にフォーカスした言葉かけをしてみると、子どもは「親は自分の気持ちを受け入れてくれた」「自分のことを信じてくれている」と、信頼感も安心感も増していきます。すると、自分にも価値を感じ、自己を確立できて、自己肯定感が育っていきます。これが結果的に、自立の道、親離れへとつながっていくのです。  こういうときに、親が「この子は自分の気持ちを自分で理解して、意思を持って伝えてくれるようになったな、成長しているな」と思えるか、「まだまだ危なっかしいから私がしっかりとコントロールしなくては」と考えるかで、ここから先はだいぶ変わってきます。 中学受験って、一度足を踏み入れるとなぜか抜け出しにくいのは事実です。とりあえずやってみる?程度だったとしても。魔物ですね photo 写真映像部・佐藤創紀  親の覚悟も関係してくるのですが、「子どもには子どもの意思があって、私の意見とは違って当然」とわかっていれば、子どもが決めたことに関してはあまり口出しをせず、信じて見守ることができます。子どもが決めたことで子ども自身が失敗しても、経験値が上がるからよし、と考えることもできます。  一方で、以前の私も含め、多くの親御さんは子どものことがかわいくて、心配の方が大きくなり、「大丈夫かしら……」という親心から先回りして、いろいろと助言しすぎたり、やらなくてもいい世話ばかり焼いたりしてしまいます。結果、子どもは自分で選び取るということができなくなります。すると、何から何まで親がコントロールしないといけなくなり、子どもはますます主体性がなくなり、意欲も低下して、自分の意見を親に伝えることをしなくなってしまいます。  相談者のお子さんも、本当は受験勉強をやめたいのに言えなくなって、頭がいたい、おなかが痛いといって塾を休むようになり、次第に学校にもいけなくなってしまいました。  オカンの駆け込み寺では「ことばかけ」「食事」「住環境」の観点から不登校の支援をさせていただいていますが、このケースではまず、お子さんへの関わり方をアドバイスさせていただきました。本当の気持ちを引き出すために、ことばかけを少しずつ変えていく方法です。  いままでは一方的に親が決めたり、代弁したりしていたようなので、子どもの意思を尊重することばかけをしてもらうようにしたのです。  例えば、「なんで塾に行けないの?理由を教えて」と聞くと黙り込んでしまうので、「算数は今どういうことを教えてもらっているのかな?お母さんにも教えてもらえる?」などと聞いて、子どもが頑張って取り組んでいることに親も興味を持つ。その上で、「へ〜、こんな難しい問題解いているんだね。すごいなぁ。結構難しそうだけど、ついていけてる?」と声をかけると、「実は算数が難しすぎてついていけないんだ」と教えてくれたりします。「授業はわかるんだけど先生が怖くて……」などと、本音が出てくることもあります。 あるドラマで、紺色のランドセルを手にした女の子が「お母さんが選んだの?」と聞かれて「私に選ばせてくれた」と答える場面がありました。そういうことなんですよね photo iStock.com/mamahoohooba  親は人生経験が長い分、プロセスを端折って結果に早く近づく方法を知っているので、「理由」の部分を端的に答えてもらえると思いがちですが、そもそもその「理由」に行き着くには背景の構造を理解する必要があり、それには自己認識が必要になってきます。人生経験が少ない子どもたちは、「自己認識」が十分ではなく、何か嫌なことがあっても、それは何が原因で、その結果なぜ今自分がこのように嫌なのだろうという背景の構造を理解できてない可能性があります。だから、大人が「なんで?」と理由を聞いても、言語化がうまくできずに黙ってしまったり、その場しのぎの言葉を発してしまったり、何度も同じ質問をされて「別に」「特にない」と答えるようになっているのではないかと私は考えています。  自己認識できるようになることばかけについては、この連載の第5回目でお話した「二者択一」のところをご覧いただくとヒントになると思います。ことばかけを変えていくことで、子どもの心をほぐして、気持ちとことばを引き出して、受け止めてあげることで、心が育っていくのです。  子どもは大人が思っている以上にいろんなことをちゃんと考えています。学校現場で中高生の話を聞いていると、お母さん、お父さんに心配をかけまいと遠慮したり、悲しませたくないと自分の気持ちを我慢したり。だからこそ、「あなたにはあなたの意見があるんだから、その考えを言ってもいいんだよ」「失敗することもあるかもしれないけど、それも人生経験!大丈夫!」「失敗は経験値のアップだね」と声をかけ、少しずつ親のコントロールを弱めていって、子ども自身に舵取りをさせる機会を増やしていくことが、子離れの第一歩になるのではないかと思います。  さて、相談者のお子さんですが、ことばかけを変えてみたところ、塾がしんどい、勉強についていけないから困っている、と徐々に話してくれるようになり、その意思を尊重して中学受験をやめることを決断しました。塾もやめ、好きな絵を描く時間をたっぷり取れるようになりました。食事のご指導もさせていただき、住環境も整えたところ、すっかり気持ちが緩んで私とオンラインで会話もできるまでになり、6年生の終わり頃には少しずつ登校できるようになりました。卒業式にも出席できて、地元の中学校に進学し、部活にも入って楽しい日々を生活を送っているとご報告をいただいています。  子離れというと、親としてはなんだか寂しい感じもしますが、やはり子どもは親とは別の生き物。まったく別の人生を送るわけです。もしいま、あなたが子どもの不登校という事態に直面しているなら、「いまが子離れの時期かもしれない」と不登校をとらえ直してみてください。自分の子育てを振り返る良い機会だと思えたら、不登校を悪いことと捉えずにすみますし、前向きな気持ちになれるのではないかと思います。  次回は8月20日配信。「ことば」「食事」「住環境」を整えるとなぜ不登校が解決していくのか、ということについてお話をしたいと思います。
犬だけじゃない 飼い主もトレーニング 「言うことを聞かない」「すぐ吠える」理由は生活環境にも一因が
犬だけじゃない 飼い主もトレーニング 「言うことを聞かない」「すぐ吠える」理由は生活環境にも一因が 【DOGSHIP合同会社】ヒューマン・ドッグ トレーナー・須崎 大(すざき・だい)/1975年生まれ、宮崎県出身。98年明治大学理工学部精密工学科卒業後、カナダ・バンクーバーのトレーナー養成学校入校。99年、K9 Kinship公認トレーナーとして認可。2014年から現職(撮影/写真映像部・上田泰世)    全国各地のそれぞれの職場にいる、優れた技能やノウハウを持つ人が登場する連載「職場の神様」。様々な分野で活躍する人たちの神業と仕事の極意を紹介する。AERA2024年8月5日号にはDOGSHIP合同会社 ヒューマン・ドッグ トレーナー 須崎大さんが登場した。 *  *  *  一般的な犬の躾の本は、犬本来の行動のみを研究した動物行動学に基づいて書かれている。そこには、犬の心理、飼い主の生活傾向は含まれていない。そのため、自分の愛犬が人に噛みつく、無駄吠えをするなどの問題行動を起こしたとき、飼い主は理解できず途方に暮れてしまうのだ。  長年、手のつけられない課題を抱えた犬たちの行動だけを分析することが多かった。しかし、現代社会においては、犬だけでなく人も一緒にトレーニングすることが問題解決には必要だと、長年の経験と研究から見いだし、メソッド化して活動している。  ケネディ元駐日米国大使の愛犬をトレーニングした経験もあり、全国から予約が殺到。3カ月から半年待ちという人気ぶりだ。  犬は本来、群れをなして生活しながら生きていくための知恵や秩序を学んでいた。  DOGSHIPでは、課題のある犬を1日15〜20匹預かり、動物看護師やトリマー6人が見守る中、同じ空間で過ごさせるトレーニングから始める。群れの中では、家の中では自分が一番という序列がリセットされる。  こうすることで、トレーナーの指示が受け入れやすくなる。そして、吠える・噛むなどの行動や主張が強い犬は、群れの中で是正されていく。  飼い主には、愛犬の習性や行動心理、そして個性を学んでもらう。セッションの中で問題行動の原因も探る。 「会社ではテキパキと働いても、家でだらしなければ、犬はその姿しか知らない。言うことを聞かない、吠えるなどには、飼い主との関係や生活する環境に理由があります」  飼い主を責めることはしない。解決策を見いだし共にペットと向き合うのだ。  小学校で犬を通じて命について学ぶ、動物介在教育も行っている。これまでに100校以上で授業した。最初は怖くて近づけなかった子どもも、授業の後には、触れる子も増えるそう。 「言葉が伝わらない犬でも、互いに創意工夫があれば心が通い合い仲良くなれるんです」  コロナ後、社員のコミュニケーション力の低下や出社率の低下に悩む企業が増え、犬と学ぶコミュニケーションの研修も行っている。  夢は大学で、一般教養や社会学として、動物から学ぶコミュニケーションを教えることだ。(ライター・米澤伸子) ※AERA 2024年8月5日号  
いきすぎ「美白」で不眠が加速 現代人の98%「ビタミンD」不足の衝撃 SPF30で95%合成阻害
いきすぎ「美白」で不眠が加速 現代人の98%「ビタミンD」不足の衝撃 SPF30で95%合成阻害 現代人の98%がビタミンD不足というデータがある。美白もいきすぐれば睡眠不足に(写真はイメージです/gettyimages)  紫外線は美肌の大敵とされているが、適度な日光浴は重要だ。ビタミンD合成を促し、睡眠の質向上、セロトニン分泌などの効果もある。日焼け対策も行き過ぎると不眠に陥り、肌の老化を早める可能性も……。医療関係者は、過剰な紫外線防御に注意を促す。 *   *   * 寝付けないのは「太陽光」不足  都内で働く30代女性は、コロナ禍を機にリモートワークに移行した。しかし、生活リズムが乱れがちで、毎日規則正しく起床するほうがいいだろうと、1年後に職場勤務に戻した。  だが、今度は夜なかなか寝付けず、不眠に悩まされるようになる。  医師に相談すると、「日の光が足りていないのでは?」と指摘された。通勤は電車を利用しており外を歩くのは数分程度なので、日光照射時間としては不十分なのだという。  確かにリモートワーク中は何かと外出したり、窓辺で日に当たったり、運動したりすることが多かった。だが、今は一日中、日光が遮断されたオフィスにいるし、極力直射日光を避けて生活している。日焼けを防ぐため、出勤前には日焼け止めを顔や腕に塗っていたし、メイク下地もUVカット機能付きだ。  紫外線は極力避けるべしと思っていたのに、それが不調を招いていたとは……。適度に太陽光を浴びる生活を心掛けたところ、以前より寝付きが良くなってきたという。 ビタミンDが睡眠の質とリズムに関係  この女性は、ビタミンD不足と考えられる。  ビタミンDは日光を浴びることで生成されるか、または食事から合成される。食事だけで十分な量を摂取することは容易ではない。  ビタミンDにはさまざまな効能があるが、近年、注目を集めているのは睡眠の質を向上させる働きだ。ビタミンD研究に携わる東京慈恵会医科大学の越智小枝教授は、こう指摘する。 「ビタミンDを 細胞に取り込むビタミンD受容体が脳の中にあり、睡眠の質・リズムに関係することが学術調査などで少しずつ明らかになっています」  概日リズム(サーカディアン・リズム)は、日の光を特に起床時に浴びることで整えられる。リズムを整えるだけでなく、ビタミンD自体に睡眠の質や満足感を向上する効果が期待できるようだ。 更年期は積極的にビタミンD摂取を  ほかにも、カルシウムを吸収し、骨や筋肉を丈夫にする働きがある。免疫システムにも有益とされ、新型コロナウイルスの重症化を防ぐというデータもある。  また、ホットフラッシュや関節痛など、いわゆる更年期の症状を軽くするとみられている。 「更年期は女性ホルモンの減少により骨密度が低下するので、積極的にビタミンDを補充することをおすすめします。ビタミンDは体内で合成される特殊なビタミン。ただの栄養成分ではなく、ホルモンとして認識するのがよいでしょう」(越智教授) 日焼け止めSPF30でビタミンD生成を95%阻害  そんな重要な栄養素、ビタミンDだが、現代人は不足しがちだという驚きのデータがある。  2023年に東京慈恵会医科大学が発表した調査によると、東京都内で健康診断を受けた5518人のうち、なんと98%がビタミンD不足であることがわかったのだ。  夏は紫外線が気になる季節だ。日焼け止めに帽子、日傘、手袋、サングラス……。美肌のために紫外線を徹底防御している人も多いだろう。  だが、過剰に防御すれば、冒頭のようにビタミンDが不足する恐れがある。  越智教授はこう指摘する。 「SPF30の日焼け止めで95%、ビタミンDの合成を阻害します。SPF50ならビタミンD合成は全くできてないと思ったほうがいいですね」  UVをカットした時点でビタミンD合成も止まると思ってよいという。 日光浴の推奨時間は1日15~30分  では、体に必要なビタミンDを合成するために、どのくらい日光浴をすればよいのだろうか。  必要な時間は、季節や場所によって大きく変動する。国立環境研究所の調査によれば、10μgのビタミンD生成に必要な日光照射時間は、夏の沖縄で約5分、冬の北海道で約139分と大きな開きがある。ちなみにこの数字は晴天時に顔と両手の甲を出した場合の比較だ。肌を露出する面積が広く、南に行くほど日に当たる時間は短くて済む傾向があると考えられる。  越智教授によると、推奨される日光照射時間は春夏の東京であれば、1日平均15分程度、秋冬なら30分程度。顔と手のひら・手の甲に日焼け止めを塗らず、露出した場合の目安時間だ。   東京慈恵会医科大学 臨床検査医学講座 講座担当教授の越智小枝氏    顔の日焼けを避けたいなら、腕や両脚など、少しでも面積の広い部位を露出しよう。それでも気になるなら、最も手軽なのはビタミンDのサプリメントだ。越智教授自身もサプリメントを摂取したことで、数カ月かけてビタミンD値が上がったことを実感したという。  また、シミやシワの懸念については、「シミ・シワは紫外線ダメージが蓄積することで起きるが、ビタミンDは日に当たった瞬間から合成される。短時間であれば紫外線ダメージは抑えられるのではないか」という説もある。 ビタミンD摂取に即効性はない  ビタミンD不足はさまざまな不調を引き起こす恐れがある。だが、不足を補ったからといって、直ちに効果があるわけではないという。 「不調を感じたら、体のバランスを見直すチャンス。日光浴をしたり、ビタミンDを豊富に含む食べ物を摂取したりしてもいい。体を全体的に整えることは大切です」(同)  良質の睡眠は、肌のターンオーバーを促すほか、脳の活性化や疲労回復などさまざまなメリットがあることがわかっている。  今夏は猛暑が予想される。不眠や不調が気になるなら、適度な日光浴やビタミンDが豊富な食事を取り入れてみてはどうだろうか。 (ライター・酒井理恵)
iDeCoのデメリット列挙「凍結中の年1.173%税も撤廃して!」米国401kは引出可能【12月改正発表で変わる点】
iDeCoのデメリット列挙「凍結中の年1.173%税も撤廃して!」米国401kは引出可能【12月改正発表で変わる点】 7月3日、厚生労働省社会保障審議会の年金部会。公的年金の見通しを示す財政検証の結果が公表された。厚労省によると、iDeCoの拠出限度額引き上げ等について「2024年の公的年金の財政検証にあわせて結論を得る」としている    資金引き出しの不自由さ、高い手数料、凍結中の特別法人税、出口の課税。個人型確定拠出年金で、変わってほしい点を列挙する。厚生労働省に届きますように。AERA2024年7月29日号より。 *  *  *  iDeCo(個人型確定拠出年金)の改正に向けた検討がなされている。6月、岸田文雄首相は企業年金やiDeCoに対し「加入者の利益最大化へ改革の検討を進め、年末までに結論を得る」と発言した。12月の税制大綱で発表されるか。  iDeCoはNISAより不人気だ。2024年3月末現在、NISAは2322万口座(休眠口座も含む)。iDeCo加入者は328万人。数字だけ見れば7倍の差だ。iDeCo改正の議論中なら、よりよい制度になってほしい。そこで改善希望点を列挙すべく取材した。 所得控除は魅力  まずは一般の声を聞こう。教育職(専門は英語)の40代独身男性、ユキトさんはiDeCoに月1万2千円を拠出(積み立て)している。買っているのは「楽天・全米株式インデックス・ファンド」。iDeCoを始めたのは22年8月だ。24年6月時点でiDeCoに投じたお金は26万9370円、評価額は37万8093円。差し引き10万8723円(約40%)の利益だ。  ユキトさんは08年にリーマン・ショックが起きた頃、大学院生時代に投資を始めた。なぜiDeCoは約2年前なのか。 「30代後半になり、金銭的な余裕が少しでてきた点が大きいです。『老後まで資金を拘束されても困らない』と思いました。勉強のためにやってみよう、というのが一番の動機です。SNSで投資に関する発信を始めたので、iDeCoの情報も書きたいと。掛け金が全額所得控除になる点は魅力でしたし」  かつては途中で引き出せないことをネックに思っていたが、今は考えが変わった。 「私は投資で高めのリスクを取るタイプです。資産の95%がリスク資産。全体の7割が個別株で、FXなどでレバレッジをかけた取引もします。本業が安定しているので、これらのリスク資産が仮に全損しても老後はなんとかなりますが、相場は何が起こるかわかりません。現役時代に手が出せない『保険』としてiDeCoを活用します」 AERA 2024年7月29日号より    iDeCoは一時金として受け取る場合は退職所得控除が、年金として受け取る場合は公的年金等控除が適用される。これらの税制優遇はメリットだが、逆に言うとNISAのように完全非課税ではない。出口の税金は気にならないか? 「受け取り時も完全非課税になったら言うことなしですが、所得控除をしてもらって最後も税金なしにしろというのは虫がよすぎるので自重します(笑)」 高く不透明な手数料  ユキトさんの一番の願いは毎月の拠出金額上限の増加。 「NISAはつみたて投資枠で年120万円、成長投資枠も合わせると年360万円まで拡充されたので、iDeCoもせめて年60万円……月5万円ぐらい掛けられるとうれしい」  ユキトさん以外からは、「手数料が高い」「途中で引き出せるように」という声が多かった。  手数料に関しては本誌としてもぜひ改正を、と思う。国民年金基金連合会(以下、国基連)が初回のみ取る手数料が2829円。毎月拠出の場合はそのたびに171円(内訳は国基連に105円+信託銀行に66円)。これは月5千円の拠出でも6万8千円の拠出でも定額、という点がまたいただけない。月5千円で171円を抜かれると、資産の値動きがなかったとしても毎月3.4%ずつ目減りすることになる。掛け金を拠出せずに保有するだけ(運用指図者)でも信託銀行への66円は取られる。受け取るときも1回440円。移換するようなことがあれば4400円など。昭和か。これらは手数料が最安水準のネット証券の場合だが、銀行や対面証券のiDeCoではさらに高くなるケースもある。これらを改正でどこまで引き下げてくれるか。現状維持なら失望する。  税理士で1級ファイナンシャル・プランニング技能士の西原憲一さんも、iDeCoの手数料に疑問を呈した。 「手数料が高いのもそうですが、それがどのように活用されているかが不透明。積極的な情報公開がありません。NISAより不人気とはいえ、iDeCoの加入者は328万人まで増えました。増加に伴い、手数料を少し引き下げてもいいはずです」 AERA 2024年7月29日号より    手数料の大半が「天のほうから国基連に下りていらした方の、謎に高そうな人件費」に消えていたら……と、根拠のない邪推をしたくなろうというもの。  iDeCoは、どこが改正されそうなのか? 「まず加入可能年齢の引き上げ。一律70歳まで加入できるようにという案があります。次に拠出限度額(積み立てるお金)と、受給開始年齢(受け取る時期)の上限の引き上げ。この二つは今年の公的年金財政検証に併せて結論が出る方向です。手続きの簡素化も進みそうですね。現状は紙でしかできない手続きも多いので、マイナンバーを活用したデジタル化に舵を切ります」  西原さんは、老後まで資金を引き出せない点にも触れた。 「住宅資金や教育資金など、まとまったお金が必要となる世代にとって、iDeCoは優先順位が低くなります。老後資金のフォローが目的の『年金制度』ですから資金ロックをかける意義はわからなくもないですが、条件付きでの引き出しを認めて加入のハードルを下げてもいいのでは、と考えます」 米国では引き出せる  米国の確定拠出年金「401k」(米国の内国歳入法401条k項に基づき導入されたことに由来)では特に理由がない場合、10%のペナルティー課税がありつつ、引き出し可能となる59.5歳より前に引き出せるという。さらに「恒久的な障害を負った」「長期失業で医療保険を払う」「自分か家族が最初の家を買う」「自分か家族の高等教育費」などの名目であれば、一部金額制限があるもののペナルティーなしで引き出せるという。もっとも、このルールにより「物価高による生活苦で引き出す人が増加」「退職時に引き出すケースが多い」という米国での報道も散見される。引き出しの是非について結論は出ないが、iDeCoの不安の一つは解消されるだろう。なお、個人型確定拠出年金と同種の制度で米国のように中途引き出しを可能にしている国は今回の取材で見つけられなかった。  凍結されたままの、特別法人税に関してはどうか。特別法人税とは企業年金の年金積立金に対して課されるが、iDeCoも対象だ。積立金の全額に一律1.173%。凍結(とりあえず取らない)の延長が続いており、今のところ「26年3月末まで凍結」である。 AERA 2024年7月29日号より   「凍結ではなく撤廃を希望します。iDeCoに加入している人とそうでない人の『税負担の公平性』が建前ですが、違和感があります。完全に無くせば『いつかは1.173%?』という不安要素が取り除かれます」 受け取り時の課税継続  受け取る時の税金も非課税にしてほしい、という要望は。 「これはさすがに非課税とはならないでしょう。掛け金が全額所得控除されていますから、受け取り時も課税しないという発想にはなりづらい。もし非課税にするのなら、制度開始時にそういう建て付けにしているはずです。企業版DCとの整合性も考慮する必要があります」  そういえば、iDeCoにも関わる「退職所得控除の見直し」が報じられたが消えた。 「結局は政治の話。この手の案は浮かんでは消え、の繰り返しです。経済情勢や選挙、他の政策とのバランスで締めたり緩めたり。租税負担率と社会保障負担率を合計した『国民負担率』が45.1%(24年度見通し/財務省)まで来ている状況でのさらなる徴税には反対したい」  この状況を、江戸時代ならぬ「令和の時代の五公五民、一揆寸前?」と表現した記事を見かけた。まさに。(経済ジャーナリスト・向井翔太、編集部・中島晶子) 西原憲一さん(にしはら・けんいち)(52)/税理士、1級ファイナンシャル・プランニング技能士。投資の税金、相続も強い。会計、コンサルで多忙な現場屋(写真:本人提供)   ※AERA 2024年7月29日号  
新NISAの出口戦略とは? 2000万円あっても投資信託の取り崩しは「長生きリスク」に 桶井道【おけいどん】
新NISAの出口戦略とは? 2000万円あっても投資信託の取り崩しは「長生きリスク」に 桶井道【おけいどん】 イラスト/西田ヒロコ  個人投資家の桶井道(おけいどん)さんの連載「おけいどんの投資&適温生活LIFE」。今回のテーマは投資の出口戦略の実際についてです。出口戦略とは、投資で増やしたお金を将来どのようにして利用できる形にするか、その方針のこと。桶井さんは「ただ現金化するだけでは、長生きした場合にいつ資金が尽きるか不安になってしまいます」と言います。長生きリスクを考慮したうえで、出口戦略はどんな方法が考えられるのか。桶井さんの著書『お得な使い方を全然わかっていない投資初心者ですが、NISAって結局どうすればいいのか教えてください!』(すばる舎)の一部を抜粋し、編集しました。 主に3つの出口戦略が考えられる 投資の出口戦略として考えられる方向性は、大きく分けて次3つです。 ① 増やした資産を全額現金化する ② 投資信託を少しずつ取り崩す ③ 個別株やETFから配当金や分配金を受け取る  このうち、①の全額現金化は非現実的です。老後に資産運用をせずに逃げ切る、つまり死ぬまで生活に必要な現金を維持するには、現金化した時点で相当な資産が必要だからです。 自分の寿命がいつ終わるかはわかりませんし、昨今の物価高のゆくえも気になります。いくらあれば安全圏か、事前にはわかりません。  また運用なしでは現金が減る一方になりますから、仮に資産額には余裕があったとしても(あるように思えても)、メンタル的によくありません。やはり、なんらかの方法で運用を継続するのが現実的でしょう。 投資信託の取り崩しに「老い」が立ちふさがる  ②の投資信託の取り崩しはどうでしょうか? 先に結論から言うと、私はオススメしません。投資信託は、分配金を出さずに自動で再投資するタイプであれば、お金の増え方の面では効率的なケースが多いです。そこは否定しません。しかし、投資は「数学的要素(=効率)」だけでは語れません。人間には心があることと、老化により能力が落ちることが問題となります。  株式市場では数年ごとに暴落があります。少しずつ投資信託を取り崩していく過程のどこかで、必ず暴落が起こると考えなくてはなりません。私自身、20数年間投資してきたなかで、リーマンショックや ITバブル崩壊、コロナショックを経験しました。S&P500の下落率(月次ベース)は、 コロナショックのときには20%、ITバブル崩壊のときには46.3%、リーマンショックのときには52.6%に達しました。 Getty Images  これらの数字を見ると、投資信託の取り崩しは心理的に容易なことではない、と想像できるのではないでしょうか? 平常時にはできると思いがちですが、いざその暴落の渦中にいると、想像を絶する難しさがあります。さらに、暴落とまではいかずとも、価格の数%程度の下落は毎年のように起こります。    仮に投資信託の評価額が2000万円あったとしましょう。1か月で8%価格が下落したとすると、評価額では160万円目減りすることになります。そうした状況下で、その月の生活費分(年金では不足する額)の投資信託を、平常心で取り崩せる(売れる)でしょうか?  きっと、不安になります。いまビジネスパーソンである方には給料というキャッシュフローがありますが、老後にはそれがなく、投資信託と公的年金に頼るしかありません。収入が不足するなかでの資産(評価額)の減少は、想像以上にメンタルに堪えます。その状況下での取り崩しなのです。一部とはいえ価値の減少を確定することになる行為ですから、想像以上に心理的な抵抗が生じます。 「いまのあなた」はできるが「老いたあなた」は判断を誤る  また、人間は老います。老化とともに投資に必要な判断力、視力、手指の動きなどが鈍くなります。「いまのあなた」はあたり前に投資判断ができるかもしれませんが、「老いたあなた」は判断を誤ったり、判断ができなくなったりします。認知能力が落ちるからです。「いまのあなた」は文字がはっきりと見えます。  たとえば「6」と「8」や、「バ」と「パ」を見間違えることはないでしょう。しかし「老いたあなた」は、老眼や白内障を患っていて見間違える可能性があります。「いまのあなた」は手指が自由に動いて、スマホやパソコンを自由に操作できています。しかし「老いたあなた」は、現在のように手指が自由に動 かなくなるものです。「いまのあなた」が普通にできることでも、「老いたあなた」はいろいろとできなくなるのが現実です。  あなたがまだ若ければ、きっとご両親も高齢ではなく、老いるということを具体的に想像できないと思います。しかし仮にあなたが30代なら、10代の頃のようなほとばしるエネルギーはもう自分にはないことを感じているはずです。40代にもなれば、徹夜をしたら翌日は確実に堪えます。50代ならば老眼が始まっているでしょう。 桶井さんの著書『お得な使い方を全然わかっていない投資初心者ですが、NISAって結局どうすればいいのか教えてください!』(すばる舎)  私自身のことを言えば、40代後半から手元の文字が見えにくくなりました。こうして冷静に考えてみれば、誰しも老化に伴う能力の低下を感じているはずなのです。私は、父が高齢になって「鈍く」なり、それを自覚して自ら投資家を引退する姿を目のあたりにしました。高齢になると、自分もきっといまのようにはいかないな……と痛感したものです。  内閣府発表の『令和3年版 高齢社会白書』によれば、平成30年度末で75歳以上の高齢者が「要支援」の認定を受ける割合は8.8%、「要介護」では23.0%、合計で31.8%となっています。実に高齢者の3人に1人は「要支援」もしくは「要介護」の状態にあるのです。年齢が上がるとともに、その率が上がることも容易に想像できます。決して他人事ではない数字だとわかっていただけたでしょうか? 長生きリスクの不安を抱えたくない…持続可能な「じぶん年金」  そのように能力が落ちた状態で、投資信託を少しずつ取り崩していくのは非常に難しいだろう、と私は考えています。さらに言えば、資産を長く取り崩し続けていると、その資産がいつか枯渇してしまうのではないかと不安になるものです。65歳のときには十分あると思えた資産が、85歳になったときにはずいぶんと減ってしまい、「これで100歳まで持つのだろうか……」と不安になります。本来、長生きは嬉しいことのはずなのに、「長生きリスク」を心配する。生活費が足りないために無理な節約をする。──私は、老後にそんな不安 を抱えるのはイヤですし、倹約に汲々とする生活もしたくありません。 Getty Images  経済的に安心できる老後を送る、というゴールを想定するのであれば、 投資信託を少しずつ取り崩していく出口戦略は、目的達成に適していないように私には感じられます。  私は本書でも、他のメディアでも、これまで一貫して「じぶん年金」をつくる出口戦略をオススメしてきました。冒頭で示した方向性の③にあたります。長期投資でつくり上げた資産から、年金だけでは老後の生活に不足する分の資金を配当金や分配金の形で継続的に受け取る仕組みをつくりましょう。それが「じぶん年金」です。  改めて定義すれば、「じぶん年金」とは、個別株の配当金およびETFの分配金を老後の生活費にあてる出口戦略です。原則として保有する株式等は売らず(取り崩しせず)、何か大きな買い物をするときのみ売却します。老後のキャッシュフローを「公的年金+じぶん年金 > 生活費」としておけば、取り崩す必要は生じません。しかも、公的年金(老齢年金)は課税所得であるのに対して、新しい NISAの「成長投資枠」からの「じぶん年金(個別株やETFの配当金・分 配金)」には税金がかかりません。永久に非課税です(ただし、特定口座 等からの「じぶん年金」には課税されます)。  老後の生活費について公的年金では足りないとされる金額は、およそ 2000万円です。月額では約5万円が不足します。資産運用を通じて毎月5万円の手取り収入を生むことができれば、それが「自分で用意する、自分のための年金」=「じぶん年金」となってくれるでしょう。 お得な使い方を全然わかっていない投資初心者ですが、NISAって結局どうすればいいのか教えてください! 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。 桶井 道 (おけいどん) 個人投資家(投資歴20数年)・物書き。 1973年生まれ。会社員人生25年間「労働+節約+貯金+投資」の歯車を回し続けて、2020年47歳で資産1億円とともに早期退職した。それから3.5年で資産を1.8億円にまで成長させる。投資先は世界30か国の高配当株や増配株、ETF、REITなど幅広い。現在は両親(父は難病で要介護5、母はがんサバイバー)の介護・見守りをしつつ、物書きとして第二の人生を満喫している。子ども食堂への支援も行う。著書は『今日からFIRE! おけいどん式 40代でも遅くない退職準備&資産形成術』『月20万円の不労所得を手に入れる! おけいどん式 ほったらかし米国ETF入門』(ともに宝島社)、『お得な使い方を全然わかっていない投資初心者ですが、NISAって結局どうすればいいのか教えてください!』(すばる舎)など。連載は「アエラドット」「マネー現代」「プレジデントオンライン」。 ◆X(旧ツイッター)アカウント @okeydon ◆ブログ『おけいどんの適温生活と投資日記』https://okeydon.hatenablog.com/ ◆著者による書籍 https://www.amazon.co.jp/stores/%E6%A1%B6%E4%BA%95-%E9%81%93/author/B08Y93HR3H?ref=ap_rdr&isDramIntegrated=true&shoppingPortalEnabled=true
コンビニやファミレスで相次ぐ「脱24時間営業」 働き手不足の時代、厳しい学生アルバイトの確保
コンビニやファミレスで相次ぐ「脱24時間営業」 働き手不足の時代、厳しい学生アルバイトの確保 (写真:Getty Images)    日本の働き手不足が危険水域に達している。地方だけでなく、都心の生活インフラにも影響が出始めている。もはや「働き手」欠乏症ともいえる状況に瀕している。特効薬はあるのだろうか。AERA 2024年7月29日号より。 *  *  *  10月から24時間営業をやめる予定という首都圏の50代のコンビニオーナーに話を聞いた。アルバイトの採用が難しくなる中、勤務経験の長い社員待遇の店員の離職を防ぐのが狙いだという。 「24時間営業で得られる利益を失っても、社員の働き方を見直し、働き手を安定的に確保することを優先させたほうが、結果的に長く経営を持続できると判断しました」(オーナー)  特に厳しいのは、週末や夜勤の担い手になる学生アルバイトの確保。そもそも応募に来る学生が少ない。面接に来ても「土日は休みたい」と勤務条件を逆提示される。採用してもすぐにやめてしまう。 「人と接するのが苦手というか……。レジなどでお客様からちょっと強めに何か言われると、すぐにやめてしまいます。コロナ禍で中学時代をマスクで過ごした子たちが、高校に入ってアルバイトで接客しようとしてもかなり厳しい気がします」(同)  店舗で雇用している4人の社員は20~30代。10月以降は午前5時~午後11時の営業にシフトする。 「この営業時間であれば社員が夜勤に入らなくて済みます。社員にはコンビニで働きながら、結婚も子育てもできる、と思ってもらいたい。それには1日8時間を超える時間外労働を減らして有給休暇もとれる態勢にしたい、と思ったのが時短営業に踏み切る理由です」(同)  数時間の勤務に入ってもらうスポットワーカーの募集も試みたが、人材の当たりはずれの幅が大きく、当日数時間前にキャンセルする人もいるなど、安心して任せるにはほど遠いのを実感した。チェーン本部も表向きは時短営業には柔軟に応じる姿勢を見せるが、本音では24時間営業を続けさせたい意向がにじむという。「24時間営業をやめるとこれだけ利益が減ります」と本部が提示したデータには、時短分の人件費削減が反映されていなかった。「このデータはおかしい」と指摘すると、バツが悪そうに引っ込めた。時短営業を思いとどまらせるため、作為的なデータを提示したとしか受け取れなかった、とオーナーは憤慨する。 (写真:Getty Images)   「呆れてしまい、まだこんなことするんですか、と少し声を荒らげてしまいました」 「年中無休」「24時間営業」で家族を縛るコンビニ経営は時代錯誤だとオーナーは訴える。 「コンビニのフランチャイズシステムは家族経営で支えられてきました。この仕組みができたのは専業主婦が当たり前だった昭和の時代で、オーナーの妻の労働力は無償提供を前提にしています。オーナー夫婦のいずれかは他の仕事に就くべきです。そのほうが家計も潤います」 人手不足倒産が増加  コンビニオーナーの高齢化も進む。近隣店舗の60歳を過ぎたオーナーが深夜勤務中に脳出血で倒れた。同じことが、いつどこのコンビニ店舗で起きてもおかしくはない、とオーナーは考えている。  日常の便利さを支えるだけでなく、災害時の「指定公共機関」でもあるコンビニはもはや社会に不可欠な公共財だ。一方で、「年中無休」「24時間営業」の経営スタイルは構造的な働き手不足の時代に持続可能なビジネスモデルといえるのか。  コンビニ経営に詳しい武蔵大学の土屋直樹教授は24時間営業をしない店舗が増えている背景には、働き手不足と採算性の問題があると指摘する。 「コンビニの業務は複雑化していますが、最低賃金ぎりぎりの時給で、接客のストレスもあるコンビニの仕事は敬遠されがちです。オーナーにとっては時短営業で人件費を圧縮し、利益率の低い時間帯は店を閉めることが経営効率アップにつながります」  日本では今、ほとんどの産業で働き手不足が顕在化しつつある。帝国データバンクが5月に発表した、24年度の業績見通しに関する調査では、業績の下振れ要因として「人手不足の深刻化」を挙げる企業の割合がトップ。実際、従業員の退職や採用難、人件費高騰などを原因とする「人手不足倒産」は23年度が過去最多の313件と前年度から倍増。24年上半期(1~6月)も182件発生し、過去最多を大幅に上回るペースで推移している。  今回アエラが実施したアンケートでも、さまざまな職場から悲鳴のような声が寄せられた。中でも看過できないのは、公的機関で働く人たちが機能不全寸前だと訴える現実だ。 (写真:Getty Images)   「小学校の現場で教職員の人数が必要最低限しかいない」と嘆くのは東京都の男性教諭(43)。複数の職員が超過勤務で切り盛りしているが、「仕事を何とかこなすだけの無機質な職場になってしまう」と胸を痛める。「仕事の量に対して絶対的に人数が足りない」と訴える埼玉県の公務員の男性(45)は現場対応から管理職の業務まで一人で当たっているという。愛知県の保育士の女性(51)は「人手不足で職場がギスギスしている」と感じ、そのしわ寄せで子どもの命にかかわる保育事故が起きないかと懸念を深めている。栃木県の相談業務の女性(52)も「働いているみんなに余裕がなく、休みが取りづらい」と吐露。互いに面談し、つらさを吐き出し合うことで何とか業務を維持しているという。  一方、コロナ禍で大きな打撃を受けた飲食業界では、人口減少や働き手不足などを見据えた変化も起きている。 ファミレスも22時閉店  週末の午後9時。東京・渋谷の道玄坂はすれ違う人の肩と肩が触れ合うほどの混雑だった。この坂沿いにある全国チェーンのファミリーレストランに入店しようとすると、店員がちょうど入り口に「CLOSE」の立て札を掲示するところだった。ラストオーダーは午後9時だが、ドリンクコーナーのみの利用なら、と何とか入店させてもらった。  午後10時の閉店10分前から店内にBGMが流れる。音量が徐々に上がるが、席を立つ客はまばら。座席の半分の40人ぐらいはまだ店内にいる。閉店5分前で、まだドリンクコーナーで飲み物をおかわりする人もいた。変化が起きたのは閉店2分前。「閉店の時間がまいりました」というアナウンスとともに、ドビュッシーの「月の光」が流れる。すると、席を立つ客が相次ぎ、あっという間にレジ前に行列ができた。ただ、ほとんどがキャッシュレスで支払うこともあり、レジはスムーズに進み、10分後には店内に一人も客は残っていなかった。閉店の1時間前にオーダーストップした厨房では、店員が片づけをほぼ終えた様子で談笑していた。 AERA 2024年7月29日号より    ファミリーレストランと言えば、かつては24時間営業の代名詞のような存在だった。それで思わず、出口付近にいた大学生の男女のグループに「ファミレスが午後10時に閉店するのって早いと思いませんか?」と尋ねてみた。1人は「渋谷にしては早いかな」と反応したが、他のメンバーからは「でも居酒屋じゃないから」「ファミレスだから仕方がない」といった意見が続いた。驚いた。それでつい、50代の筆者はこのファミリーレストランがもともと24時間営業だったことを伝え、「かつてのファミレスは終電に乗り遅れた時に始発までドリンクバーで粘れるところ、というイメージだった」とこぼすと、一斉に「えーそれ知らなかった」「ファミレスにそれ(24時間営業)を求めていなかった」と逆に驚かれてしまった。  ライフスタイルや価値観の変化とともに、企業のサービスに対する消費者の意識も着実に変化している。 消費者ニーズとも合致  リクルートワークスが22年に20~60代を対象に実施した「企業のサービス」に対する考え方の調査結果が興味深い。料理の味が十分おいしい前提で、飲食店の具体的なサービス内容の事例を挙げ、それによって次回の来店をやめることにつながるかを問う調査だ。  その結果、「飲み水やお茶、飲み物はセルフサービス」で90.3%、「配膳はロボットやベルトコンベアなどのシステム」で85.3%、「注文はオンライン」で75.3%、「店員の『おもてなし』はなし(気遣いなし、愛想なし)」で53.4%が、それぞれ「来店をやめることにつながらない」や「気にならない」「むしろそのシステムの方が良い」と肯定的な回答をした。  また、コンビニの営業時間について「24時間営業である必要があると思いますか」との質問に、「必要ない」が7割近くに上った。24時間営業が必要ではないと回答した人が希望する開店時間の1位は「午前6時」(36.2%)。午前5~7時で全体の8割強を占めた。希望する閉店時間の1位は「24時」(33.6%)で、22~24時が全体の8割近くだった。  コンビニやファミレスの「脱24時間営業」の動きは、働き手のみならず、消費者のニーズや意識とも合致している可能性がある。構造的な働き手不足と、企業サービスの過剰感や公的機関の過重負担をどう捉え、持続可能な形にバランスを図っていくか。これからの日本社会を考える上で不可避の課題の一つといえそうだ。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2024年7月29日号より抜粋  
2度の結婚・離婚を経験した「南果歩」が語る“新しい恋” 「出会った人と感情が動いたらお付き合いします」
2度の結婚・離婚を経験した「南果歩」が語る“新しい恋” 「出会った人と感情が動いたらお付き合いします」 南果歩さん(撮影/植田真紗美)    これまで200本を超える作品に出演してきた俳優の南果歩さん(60)は、私生活でも波瀾万丈な人生を歩んできた。【前編】では、5人姉妹の末っ子として生まれ育った環境や在日3世というパーソナリティーへの思いを語ってもらったが、【後編】では2度の結婚と離婚への思い、シングルマザーとして育てた息子が結婚して“初孫”ができた喜びなどを聞いた。 ※【前編】<「南果歩」60歳だから語れる“波瀾万丈”の人生 「在日3世として生まれたことは私の“核”になっています」>より続く *  *  *  南さんは、最初の夫で作家・アーティストの辻仁成氏との間にひとり息子がいる。辻氏と離婚した際、長男はまだ5歳だったが、南さんは幼子を抱えながら仕事をして、シングルマザーとして息子を育てあげた。そこには南さんなりの“子育て観”があったという。 「もちろん、かわいいし、愛情を持って育てましたが、子どもが全てとか、子どもが自分の人生の真ん中にいるっていう考え方は危険だなと思っていました。私の役目は、息子をいつかきちんと社会に送り出すこと。それを第一に考えて子育てをしてきました。もちろん、仕事をしながらの子育ては大変でしたし、周りの力を借りながらでないと成立しなかったと思います。今は、息子は大学を卒業して独立したので、私の子育ても終わりました。やっと1日の24時間が自分の時間になったような感じで、20代に戻ったような感覚ですね。かなり経験を積んだ20代ですけどね(笑)」 南果歩さん(撮影/植田真紗美)   再婚して「良かったこと」  シングルマザーとして子育てをしていた南さんは、ドラマ「異端の夏」で共演した渡辺謙氏と、2005年12月に再婚した。南さん41歳、息子は10歳だった。 「再婚して新しい家族を築く中、母として子どもと向き合う時間をより多く持てたことは良かったですね。シングルマザーだった頃はとにかく時間がなかったので。私にとってもそれまでの子育てを取り戻す貴重な時間でした」  再婚後は家族3人でロサンゼルスに移住し、3年ほど暮らした。南さんが運転する車に息子を乗せ、毎朝小学校まで送り、その後、南さんは語学学校へ通うような生活だった。 「ロスにいても、家庭内では子どものために日本語を話していたので、私の英語力は日常会話ができるくらいですよ(笑)」  だが、幸せな生活に暗雲が立ち込めたのは、17年3月のこと。週刊誌で渡辺氏と年下女性との不倫が報じられ大騒動となった。当時の心境を聞くと、南さんは、 「もうそれは過ぎたことなので……」  と言葉少なだった。  この騒動により、南さんは体調を崩してしまう。医師からは「重度うつ病」と診断されたという。22年に出版された南さんのエッセー『乙女オバさん』(小学館)では、主治医から「山のように出された薬」と記されていた。そのときは大量の薬を飲んで耐えたのだろうか。 「薬は飲んでいないんです。私がどうしてメンタルのことをエッセーに書こうと思ったのかというと、コロナ禍でメンタルを患っている方がたくさんいらっしゃると感じたからです。薬を使わなかった私のケースを一例として見ていただきたい。決して参考にしてほしいと思っているわけではなく、あくまでも一例として見て頂きたいんです。同じ病気でも千差万別、それぞれの症状があるわけですから。まずは自分にあった処方を主治医と相談しながら探すことが必要です」 南果歩さん(撮影/植田真紗美)   新しい恋のきざしは?  このとき、南さんは大量の薬を全て捨て、息子が大学に通っていたサンフランシスコへ向かったという。 「サンフランシスコへ行ったのは転地療法のためです。しばらく滞在してまた東京に戻ってくるような生活で、それを何度か繰り返しました。私の場合、それで心身がゆっくりと回復していきました」  大学生だった長男も無事に卒業して独立。今は結婚をして、子どもも生まれた。  6月16日、自身のインスタグラムでは“初孫”を腕に抱いた写真を披露し、スポーツ紙などでもニュースになった。南さんは、そのときの感触をこう振り返る。 「とうとう、グランマになりました(笑)。実際に触れてみると、やっぱりとてもかわいいし、不思議な感覚がありました。私がというより、息子が父親になったんだなという感慨のほうが大きいです」  初孫もできた南さんは、今年1月に還暦を迎えた。現在は独身だが、新しい恋のきざしはあるのだろうか。 「出会った人と、感情が動いたらお付き合いしますけど、特にタイプの人を探したりはしていませんね(笑)」  身の回りの変化は他にもあった。2020年には、所属していた芸能事務所から独立し、個人事務所を設立した。独立後は海外での仕事も増えてきた。 「個人事務所なので、仕事を決める際もスピード感を持って決められるようになりました。現在は日本のマネジャーとアメリカのマネジャーとの体制です。アメリカのマネジャーは、海外のオーディションの話を持ってきてくれます。ネイティブ並みに英語がしゃべれるわけではないですが、私の語学力と演技力が必要であれば、アメリカに限らず、どこの国にでも出かけて行きたいと思っています」 南果歩さん(撮影/植田真紗美)   海外の配信ドラマにも出演  22年3月から、Apple TV+で配信中のアメリカのテレビドラマシリーズ「Pachinko(パチンコ)」に出演している。これは韓国系アメリカ人作家のミン・ジン・リー氏の同名小説に基づいたドラマだ。 「ご縁があって、いろいろな話をいただくなかで、面白い役、良い作品だと思ったものに出演させていただいています。最近は、それがたまたま海外にベースがある作品だったりしています」  一方、来年公開予定の映画「ら・かんぱねら」は、佐賀県の有明海で、海苔師として生きる徳永義昭さんが、フジコ・ヘミングさんが演奏する「ラ・カンパネラ」を聴いて感動し、ピアノ演奏に挑戦するという物語。南さんは主人公の妻役を演じている。 「この映画は実話をベースにしていて、実際に海苔師さんがピアノを弾くまでのプロセスを追っているんです。実際に佐賀県でロケをして、その土地に滞在して、その土地の空気を吸いながら撮影できました」  還暦を迎え、海外にも活動の幅を広げている南さん。プライベートも含めたこれまでの経験のすべてが、“演じる力”に昇華されているようだ。 (AERA dot.編集部・上田耕司) ●南果歩(みなみ・かほ)/1964年1月20日、兵庫県尼崎市生まれ。地元の高校を卒業後、桐朋学園芸術短期大学演劇科に入学。同大学在学中にオーディションで応募した映画「伽椰子のために」でヒロイン役に抜擢されて女優デビュー。NHK連続テレビドラマ小説「梅ちゃん先生」やNHK大河ドラマ「麒麟がくる」「定年女子」などに出演。朗読も定評があり、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震後などの被災地へボランティアで出むき、子どもたちに絵本の読み聞かせも行っている。
「ペストを知りたければまず猫の話から」“日本一生徒数の多い”社会科講師が「勉強になる」と感嘆した佐藤優氏の講義ノウハウ
「ペストを知りたければまず猫の話から」“日本一生徒数の多い”社会科講師が「勉強になる」と感嘆した佐藤優氏の講義ノウハウ 佐藤優氏と伊藤賀一氏(写真:朝日新聞出版写真映像部・東川哲也)  コロナ禍に世界が覆われたとき、さかんに言及されたのがカミュの小説『ペスト』だった。中世のペストについて知識を得るにはどうすればよいのか? 「私は猫の話から入ります」と話すのは同志社大学で学生指導にあたる佐藤優氏だ。「日本一生徒数の多い社会科講師」スタディサプリ講師・伊藤賀一氏と、現代に生きる西洋哲学と思想の意義について語り合った共著『いっきに学び直す 教養としての西洋哲学・思想』から一部抜粋・再編して紹介する。 *  *  * 平気で「事実誤認」する特任教授 佐藤優(以下、佐藤):ソフィストというのは、西洋哲学史において重要です。ソフィストといわゆる哲学者の違いは何かと言うと「対価を取るか取らないか」なんですね。でも対価を取らないと、「親分・子分」という関係になりがちです。だから対価を払うことによって、「知はいただくけれど、あなたに従いたくありません。私は私の人生を歩きます」とある意味でドライに知を獲得できます。 伊藤賀一(以下、伊藤):なるほど。 佐藤:ソクラテスは死刑判決を受けて毒杯を持ってなお、「死んでも魂が……」と言っていたといいます。そんなことをしないで隣の町に逃げれば良かったんです。こういう先生に師事する弟子は大変です。その点、ソフィストのほうが、「偉くなりたいのなら」「弁論が上手になりたいのなら」「私に任せておきなさい」と結果に見合う方法論を教えてくれる。 伊藤:そう考えると、小・中・高校には教員免許がありますが、塾・予備校の講師は免許はありません。「教え方のプロ」「受験対策の専門家」として知識を切り売りしている面があります。べつにそれを恥ずかしいと思ったことはないですけれど。佐藤先生は、大学の教員についてどう思われますか。 佐藤:大学教員は「デタラメ率」がかなり高いです。市場原理が働いていないから、ソフィストにはなれていないと思います。 伊藤:そもそも免許もないですからね。 佐藤:はい。しかも一度なったら、犯罪で捕まるか破廉恥行為でマスコミが大騒ぎすることがない限り、クビにはならない。同志社大学にいる外務省出身の特任教授が著書に、「名誉革命の結果、マグナ=カルタができた」と平気で書いています。 伊藤:時系列がメチャクチャですね。 佐藤:「宗教改革はイタリアで始まった」とかね。 伊藤:それはすごい(笑)。 政治家になれなかった人が哲学をやる 佐藤:よく言われるようにソクラテス自身は自分の思想を文字に残していません。弟子たちがどこまで先生の言うとおりに書いていたのかは検証不能です。あくまでも弟子である「プラトンの目」を通したソクラテスですからね。イエスもそうですが、口述したものをテキストに起こしていく作業には必ず偏差が生じます。  もう一つ、注目しないといけないのは、プラトンとアリストテレスは、なりそこないの政治家だということです。二人とも政治や、権力への意思はあったけれど、うまくいかなくて哲学者になった。これはマルクスもヘーゲルもそうですけど、政治をやりたいという意欲がみなぎっているが政治家になれなかった人が、意外と哲学をやる。こういうのも哲学史を学ぶうえで面白いところだと思います。 伊藤:倫理の教科書とか図説資料集を見ると案外わかることって多いと思うんです。資料集は中身がすごく濃い。目から入ってくる情報、特に地図は面白いですね。例えば、地中海周辺図を見ても、ここにイオニアという場所があり、あそこにアテネがありスパルタがある。 佐藤:エーゲ海のちょっと外れたところから、哲学が生まれていることもわかります。 伊藤:ギリシア哲学というと、ソフィスト、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、アレキサンダーが出てきて、ヘレニズム思想がどうだというところでつまずいてしまって、その程度でやめちゃう人が多いので、まずは佐藤先生とのこの共著で、いかにここが面白いものか知ってほしいですね。 佐藤優・伊藤賀一『いっきに学び直す 教養としての西洋哲学・思想』(朝日新聞出版)>>書籍の詳細はこちら 「人を見た目で判断する」元祖はこの人 佐藤:アリストテレスに従うと、顔が大きいとか頭が大きいのは、基本的にそれだけで高貴な印で、筋骨隆々なのは生まれながらの奴隷ってことになるんです(笑)。だから「人を見た目で判断する」という現代的な流行の元祖はアリストテレスです。プラトンは内面を重視した人ですから。アリストテレスには今でいう自然科学の実験という発想はなかったんです。岩波文庫に入っているような大きな作品以外で、例えば、「小便と糞の違いについての研究」というのがあります。糞は時間が経つとにおいが減少するのに、小便はなぜいっそう臭くなるのか。  あと、「好色な人間はなぜハゲているのか」という命題があります。人間の体の中には体液と熱が流れていて、好色な人間は下半身に熱が溜まりやすい。その結果、頭が冷える。頭が冷えることは毛髪にとってよくない。そうしたことから「好色な人間はハゲる」。ですから、好色イコール禿頭という、今でいう偏見につながるような小品がアリストテレスにはある。全集を読んでいて面白いなと思ったところです。 伊藤:なるほど(笑)。 哲学史に現れないローマ法 佐藤:ヘレニズムを考える場合、なぜヘレニズムが必要なのかというと、ヨーロッパができる一つの柱がヘレニズムだからです。もう一つ、「宗教と中世思想」で出てくるのがヘブライズム、そして、ギリシア哲学と宗教の間にもう一つ出てくるのがラティニズムです。ローマは建設とか法律とか、実用知において非常に優れていたけれど、哲学的に見るものはなかった。だから、ローマ神話はあるけども、ローマ哲学はないですね。  でも、あえて言うとローマ法とかローマ建築の中に哲学は埋め込まれているわけです。特にローマ法のような法的な体系です。例えば契約においては、「合意は拘束する」という原則があります。別に合意したと言ったって守らなくても構わないわけです。しかし「合意は拘束する」と言われたら、破ったらいけない基本的ルールだと思われている。  それから「後法は先法に優先する」というのも、ケースバイケースで良い場合もあるけども、私たちが常識と思っていることの多くが、ローマ法によって作られています。哲学史の中からはこぼれ落ちてしまうけれども、中世が成立する過程においては結構大きいことです。ローマ法的な概念によって、キリスト教がヨーロッパに入ってきたということは指摘しておきたいと思います。哲学史で整理すると、残余の部分が出てくるものがあります。 伊藤:自分は予備校講師が長いので、生徒さんに点数を取らせないといけないというのが常に意識にあります。例えば、ソクラテス・プラトン・アリストテレスが三人セットにされているのは、師弟関係があるからだけじゃなくて、あくまでも「ポリス」という都市国家の枠内で「ポリス市民」として物事を考えている人たちだからです。それがヘレニズムの人たちの「世界市民」とは違うと教えます。 ギリシア哲学に見るドメスティックバイオレンス 佐藤:重要な点ですね。ポリスの構成員というのは基本的に「自由」であることです。自由民には貴族と平民がいて、それ以外に奴隷、女性、子どもがいた。この人たちは自由民の外側にいます。だから、ポリスの基本は「ノモス」、つまり法になるけれど、奴隷や女性、子どもたちをすべて包括した社会とは何か、ということは教科書に出てこない。  家庭や家政というのは「オイコス」です。そこを支配する力は何かといえば、それはノモスじゃなくて「ビア」といって「暴力」です。家庭の領域には、政治の領域における法はなくて、暴力が平然と介入してくる。こうしたヨーロッパ的なルールは根源的に、今でいうところのドメスティックバイオレンス(DV)とつながりがあるんじゃないかと見ることもできます。経済の領域においても、「金さえあれば何でもできる」というある種の暴力性が潜んでいる。だから現代においてもギリシア哲学の大枠は重要だと思います。 佐藤優氏(写真:朝日新聞出版写真映像部・東川哲也) 水の使用量でわかる生活の乱れ 佐藤:もう一つ、私が注目しているのは「水道の哲学」です。マルクス=アウレリウスは帝国を牛耳ることができましたが、ギリシアとローマの違いは何かといえば、水道という技術の有無だと思う。ギリシアは井戸を造っただけでした。それでは水の確保ができないから、都市国家よりも大きくはならない。ところが、ローマは水道を造った。だから帝国にまで強大化しました。古代中国の帝国でも治水を重視していた。だから水を管理できることと帝国とには大きな関係があります。エジプトもメソポタミアも水道は重要でした。ところが、ギリシアにはあれだけ優秀な人たちがいたにもかかわらず、水道の哲学を唱える人がいなかった。もし、ギリシアで水道について思想と技術を確立できる人がいたら、ギリシアは巨大国家になっていた可能性があります。 伊藤:うーん、なるほど。 佐藤:こうした考えは、近代以降になると「インストルメンタリズム」になります。プラグマティズムのような「道具主義」という思想です。道具の思想というのは重要です。なぜなら、大学生になって娘や息子が下宿するようになったときも、生活の乱れをチェックするためには、水道の使用量を見たらわかるからです。下宿先に新しく一人加わっても電気代は増えないけれど、水道は生活用水に比例して増えるからすぐにわかる。逆に、水道を全然使っていないということは家に帰っていないということです。水道使用量の推移を見れば、生活の乱れはだいたいわかる。だから古代から水は重要です。都市国家で終わるか、巨大帝国になるかは水次第です。 「汚い水」によって人間ができた 佐藤:伊藤先生は、受験生に対して、どうやってユダヤ教とかキリスト教とかに関心を持たせていますか。 伊藤:まず、世界人口81億人のうち、キリスト教徒は世界に26億人以上、イスラム教徒(ムスリム)は20億人以上いる。でも、同じ神を崇拝している一神教なので、ユダヤ教があって、ユダヤ教が一番上、次がキリスト教、そしてイスラーム。この三きょうだいだと教えています。ヤハウェとアッラーが同じ神様だと知らない生徒がほとんどで、中学生までだとほぼ知らないです。 伊藤賀一氏(写真:朝日新聞出版写真映像部・東川哲也)  あとは、ヒトラーのホロコーストを例に出したり、中世のペストの話をしたりして、ユダヤ教徒がなぜ弾圧されているのかということを教えるようにしています。ユダヤのほうが衛生面で厳しく、清潔だったからペストに感染する人が少なくて、「あいつらが毒をばらまいている」という話になった……といった説明から入らないと、なかなか高校生でもユダヤ教については興味が持たれません。 佐藤:私はユダヤ教を教えるとき、まずこう言います。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が同じ神だとみんな習ってきたんだけど、本当にそうなのかな? ユダヤ教とキリスト教はそもそも、「ヤハウェ」という呼び方も含めて一緒だ。イスラム教は「アッラー」という。しかしそれぞれの神様は本当に同じなのだろうか? もし同じだとすれば、なぜ人間観がこんなに違うのか? 人間はどうやってできたか、みんな知ってる? イスラム教では汚い水によって人間ができたんだ。汚い水、つまり精液でできたんだ。それに対して、ユダヤ教とキリスト教では、神が創ったんだ――。  こんなふうに人間観の違い、原罪観の違いを考えさせるために、ここから始めます。キリスト教は生まれながらに原罪を負っている。それに対してイスラム教では人間はまっさらで、「最後の審判」によって決まる。これまでやってきた良いことと悪いことを天秤にかけて、ちょっとでも良いことが多ければ天国に行けるし、ちょっとでも悪いことが多ければ「ゲヘナ」という地獄で火の中に投げ込まれる。イスラム教徒はリアリティーをもって「火の中に投げ込まれる」と思う。だからイスラム教徒と結婚した場合、火葬ができない。もし火葬すると、近隣のムスリムたちが集まってきて、「なぜゲヘナに入れられなければならないんだ」と大騒動になる――こんな話をします。違う宗教であっても神様が一緒なら人間観は近づくはずなのに、なぜこんなにも人間観が離れているのか。こうした問いはとても有効だと思います。 伊藤:なるほど。 佐藤:中世のペストの話に関しては、私は猫の話から入ります。中世は猫にとっては受難の時代だった。「猫目」といって目の色がいろいろ変わるし、身のこなしが軽いから悪魔の手先だということで、猫は大変ひどい目に遭って虐待されていた。ところがユダヤ人は猫を大切にする。猫がたくさんいるからユダヤ人の居住区域(いわゆるゲットー)ではネズミが少ない。だから、ネズミたちは基本的にキリスト教徒の地区にいる。するとノミを通じてペストが媒介される。しかし当時はノミが原因だと思われていないから、「ユダヤ人は特殊なことをしてキリスト教徒だけに酷いことをしている」。そんな流言によってユダヤ人の弾圧が起きる。しかしその謎を解く鍵は、猫にあった。イスラム世界は猫を大切にするし、その意味において猫にとっても住みやすいところである――。こんなふうに、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、近いところと遠いところがあるんだけど、みんな不思議に思わない? といった具合に彼らの関心をひきつけます。 伊藤:講師として、とても勉強になります。
ポテトサラダのマヨネーズ「加えるタイミング」の正解と科学的根拠とは?
ポテトサラダのマヨネーズ「加えるタイミング」の正解と科学的根拠とは? ポテトサラダは、水分をよく飛ばしながら冷ますと味がぼやけずに調味料がしっかり全体に絡む。川上文代さんのレシピでは、マヨネーズだけでなく練乳も加えてミルキーに仕上げている  ポテトサラダをつくるなら、ジャガイモは皮付きのままゆでて、熱いうちに皮をむいてつぶす――。料理の本には、こう書いてある。でも、熱いうちにつぶすのって、つぶすこちらも熱いし暑い。特に夏は。少し冷めてからではダメなのだろうか?  料理研究家でありシェフでもある川上文代さんが出したばかりの『おいしさの秘密を大解剖!調理科学でひも解く 基本の料理』は、基本の料理のレシピはもちろん、美味しく仕上げるための「コツ」、そして「熱いうちにつぶす」のような「常識」への疑問について、科学的な根拠をもって答える本だ。  例えば「熱いうちにつぶす」の根拠は、「じゃがいもは加熱によって細胞同士をつなぐ接着剤のような役割を持つペクチンがやわらかくなり、冷めると再び細胞同士がくっついてかたくなるので、熱いうちに潰すのがポイント」と説明されている。そして、これに続く一文はさらに目からウロコだった。「マヨネーズは熱によって分離するので、粗熱を取ってから加えて」。  熱いうちにつぶしたら、その勢いで、まだ熱いじゃがいもにマヨネーズを混ぜていたような……。マカロニサラダの項にも、「マヨネーズは卵黄が乳化剤として働きますが、熱が加わると乳化力が低下して分離しやすくなるため、全体が冷めてから加えて和える」と説明されている。  本にはほかにも、多くの「コツ」が示されているが、ここでは、川上さんが「料理で最も重要」とする火加減、そして水加減についての説明を引用して紹介したい。「強火」と言われて、コンロのつまみを全開にしていたり、「ひたひた」がイメージできなかったりするなら、読んでみてほしい。 *** 水加減のこと  おいしく仕上げるための大切な要素に、水加減があります。特に、煮物や煮込み料理などのレシピで、「たっぷり」「かぶるぐらい」「ひたひた」という表現をよく見るのではないでしょうか。これは、食材に対する水の適正量を表しています。水加減を誤り、煮崩れてしまったり、均一に火が通らなかったりするのを防ぐための目安です。 水加減の「たっぷり」は、食材が完全に水につかっていて、食材の分量からさらに1/3量ほど多く水が入った状態。肉や青菜をゆでる、乾物を戻すときなどに 水加減が「かぶるぐらい」なら、食材が水にちょうどつかるくらいの状態。煮汁を残しながらゆっくりと煮るときの量。ゆで卵やかたまり肉を煮るなどに 食材が水につかるか、水面からわずかに出ているくらいの状態が「ひたひた」。かぼちゃやじゃがいもを煮崩れなしで煮上げたいときや、リゾットを作るときに    ただし、食材が持つ水分量や火力などによっても微調整が必要です。これは、作りながら食材の状態を見て加減するのがポイント。それ以前に、「たっぷり」「かぶるぐらい」「ひたひた」の意味を正確に把握していない場合は、この記事に添えた写真を見て覚えましょう。食材を最適な状態で加熱し、レシピ通りのやわらかさにすることができるようになるはずです。 火加減のこと  料理によって火加減はさまざまですが、食材にどのように火を通すかでおいしさが左右されます。火が強すぎると煮崩れの原因になったり、火が弱すぎるとうまみが出なかったりします。  レシピ通りの火加減にしてもうまくできないという場合は、強火、中火、弱火の正しい意味を理解できていないのかもしれません。強火といわれてコンロのつまみを全開にしていませんか? 正しくは火がフライパンや鍋の底に勢いよくあたるくらいの火加減です。 こんな風にぼこぼこ沸騰している状態が「強火」。このままで煮続けると煮崩れてしまうので、煮汁が煮立つまでは強火、そのあとは中火~弱火に  中火はフライパンや鍋の底に火がちょうど届いているかくらい。弱火はフライパンや鍋の底に火があたるかあたらないかくらい。IHの場合、10段階調整で強火は7〜9、中火は4〜5、弱火は2〜3が目安です。コンロやIHによって火力は違うので、鍋の中の状態を見て判断しましょう。 食材を煮込むときは、基本的に煮汁が軽く対流する程度に調節するのがベスト。火加減でいうと弱めの中火~中火くらいがこの状態 弱火にするときは、食材にじっくり火を通したいとき。ただ、煮込み料理の場合、弱すぎると火が通らず、うまみやアクも出ないので注意して (構成 生活・文化編集部 森 香織/写真 邑口京一郎)   【PR by 暮らしとモノ班】 みんな大好きポテトサラダ!おいしくつくるコツから保存方法までポテサラ豆知識/a> https://dot.asahi.com/articles/-/229215  
坂本美雨「“無関心”にどう立ち向かうか?と考えた」多数の著名人も参加するガザ人道支援オークションを開催
坂本美雨「“無関心”にどう立ち向かうか?と考えた」多数の著名人も参加するガザ人道支援オークションを開催 ミュージシャンの坂本美雨さん。パレスチナ・ガザ人道支援の義援金を集めるためのオークション企画「Watermelon Seeds Fundraiser」を立ち上げた(撮影/MURAKEN)      ミュージシャンの坂本美雨が、パレスチナ・ガザ人道支援の義援金を集めるためのオークション企画「Watermelon Seeds Fundraiser(ウォーターメロン・シーズ・ファンドレイザー)」を立ち上げた。このオークションには、漫画家の浦沢直樹、映画監督の濱口⻯介、俳優の満島ひかり、ミュージシャンのUA、加藤登紀子、小泉今日子、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、コムアイ、小室哲哉、さだまさし、志磨遼平(ドレスコーズ)、高木完、森山直太朗らが参加している。オークションは2024年7月29日(月)よりYahoo!オークション内にて開始予定。集められた義援金はJVC(認定NPO法人日本国際ボランティアセンター)などを通し、ガザに送られる。  パレスチナ自治区ガザの保健当局の発表によると、イスラエル軍とイスラム主義組織ハマスの戦闘によるガザでの死者数は3万8000人を超えている。4月末の時点で、子どもと女性、高齢者を合わせて1万4000人以上の身元を確認しているという。飢餓の高いリスクも指摘されており、弱い立場の人々が過酷な状況に追い込まれているのはまちがいないだろう。 「いろいろな意見があっても、“ガザの人たちに生きていてほしい。子どもたちを守りたい”ということに反対する理由はないはず」という坂本美雨に、このプロジェクトを立ち上げた経緯を聞いた。 * * * ――パレスチナ・ガザ人道支援の義援金を集めるためのオークション企画「Watermelon Seeds Fundraiser」を立ち上げたきっかけは何だったんですか?  どこから話せばいいか迷ってしまうんですが、何より願うのは停戦、そしてその後のパレスチナ解放です。ただ、昨年 10 月以降発信を続けてきたなかで、日本のアーティストたちが声を上げることのハードルの高さを肌で感じ、みんなが参加しやすいアクションがあったらいいなと思いました。停戦を求めることと並行して、今は検問所が封鎖され人道支援も届かず飢餓が深刻なので一人でも多くの命を守ることが最優先だと思い、たくさんの人の思いを巻き込める義援金の募り方を考えました。  また、ガザの人たちとSNS のダイレクトメールを通してやりとりしてきたことも大きいです。GoFundMe(アメリカのクラウドファンディング・プラットフォーム)で、暮らしの全てを失ったガザの人々が生活資金や避難資金を募るプロジェクトが膨大に立ち上げられているのですが、それをSNSで拡散しているうちに、ガザの人たちからどんどん連絡が来るようになって。 今回のオークション参加者には坂本美雨さん自ら連絡をとって協力を依頼したという(撮影/MURAKEN)      やりとりをしていると、一人ひとりの顔が見えてくるんですね。名前や家族構成、「こんな仕事、こんな勉強をしていた」ということだったり、破壊される前の家の暮らしぶりや、今の避難生活のこと…。英語が堪能な方が多くて、学ぶことに意欲的で、そして、とにかく子どもたちがかわいい! そうやって人柄がわかってくると、 もう他人じゃないですよね。 ――ガザの人たちを身近に感じるようになった。  そうなんです。友情も芽生えてくるし、「とにかく生き延びてほしい」 という気持ちが強くなって。いちばん最初にやりとりし始めたのはガザ南部ハンユニスに住んでいる青年だったんですが、1 週間くらい連絡が取れなくなったことがあっ たんですよ。心配で気が気ではなかったのですが、「ハンユニスが爆撃されて、ラファに避難した」と連絡があって……。 「自分は安全な場所で家族と何不自由ない生活を送っている。だけどあの人たちはたった今も命が危険な状況にある」という意識を常に抱きながら 9カ月過ごしてきて、娘を愛おしく思えば同時にガザの子どもたちを思い、苦しくて音楽活動も難しくなったんです。ガザの人たちからメッセージがくるということは、私のインスタも見られるということなので、彼らが見たらどう思うだろうといつも意識していた。その中で、日々パレスチナのことを思っていることを伝えたいと思い始めました。世界に無視されていると感じている彼らに「日本でもあなたたちのことを考えてる人がいる」と知って欲しかったんです。さらに「自分にできることは何だろう?」と考え、「Watermelon Seeds Fundraiser」を立ち上げる準備をはじめました。 ――参加を表明している方々には、美雨さんが直接依頼したそうですね。  ガザの今の状況を説明して、日本のアーティストとして何かできないか、特に子どもたちに対して、一緒に手を差し伸べてくれないでしょうかとお願いしました。もちろん様々な事情や意識の違いがありすべての方に賛同いただけたわけではないですが、多くの方が「一緒にやるよ」と言ってくれて、オークションのために貴重なものを出品してくださって。本当に感謝しています。 「父(坂本龍一さん)だったらどうしただろう?」とずっと考えていたと語る、坂本美雨さん(撮影/MURAKEN)     「父だったらどうしただろう?」とずっと考えていた ――パレスチナの歴史はとても複雑で、現在のイスラエル軍によるガザへの攻撃に関しても、さまざまな意見があります。ただ、立場を超えて、「子どもたちを助ける」というのは絶対に必要なことだと思うのですが。  そう思います。ガザに関する情報を発信、シェアするようになってから、私のところにもいろいろなコメントが寄せられるようになりました。「イスラエルの人も殺されている」「ハマス側も悪かったよね」といった意見もありましたが、今のガザで行われていることはジェノサイドであり、明確な国際法違反です。そして、その国を欧米諸国が武器や資金提供をしてバックアップしているわけです。国際社会が有効な手だてを示せないなか、何の罪もない子どもたちが殺され、飢えている。国連(UNRWA=国連パレスチナ難民救済機構)が立ち上げた学校や食糧の倉庫も爆撃されていますが、そこには日本からの資金も入っています。もちろん当事国や国際社会が停戦に向けて動くべきであって、そこに個人レベルでできることはデモや政府に意見を届けることなど小さな力かもしれない。それでも今は応急処置的にでも、目の前の命のためになにかしなくちゃいけないと思うんです。  今回の「Watermelon Seeds Fundraiser」にはたくさんのアーティストが出品してくれましたが、それでも集められる金額は必要な規模に比べたら微々たるものでしょう。でも、目の前に血を流している人がいるんだから、とりあえず止血しなくちゃいけない。そんな思いでこのプロジェクトを立ち上げたんですよね。 ――坂本龍一さんも、東日本大震災の被災地支援や森林保全活動、東京・神宮外苑再 開発計画への抗議など、さまざまな社会運動に関わってきました。  はい。発信をしだしたのは、父(坂本龍一)が蒔いてくれた種でもあると思います。「父だったらどうしただろう?」 とずっと考えていたので。  もし父が生きていたら、パレスチナ問題に対して怒り、悲しみ、できることは何でもやったはず。一度知ったら、もう知らないふりはできない人でしたし、そういう気質は受け継いでいるかもしれません。「自分の立場をどう使うべきか」ということ、反対意見に傷つき過ぎず、強くいる様もたくさんみせてもらいましたから。 “無関心”にどう立ち向かうかも大きな課題 ――日本のアーティストが社会的なメッセ―ジを発信したり、行動を起こすことはまだまだ少ないですよね。 「政治的なことはあまり言わないほうが崇高」「アートを通して表現するべき」みたいな考え方もありますよね。でも、アーティストというのは人間のことを考え、追求し、人間に何かを伝える職業。生活に密着しているし、切り離すことはできないと思うんです。自分たちが自由に表現できる環境を守っていくためにも、社会に声を上げることは必要だと思います。一方で若い人たちの動きに勇気をもらえることもあります。アメリカで起きたプロテスト運動も、コロムビア大学を筆頭に学生たちからはじまりましたよね。若い人たちが先にアクションを起こし、教授たちの発言も活発になりました。日本の大学でも少しずつプロテスト運動が起きていますが、「大人が不甲斐なくて、本当にごめん」と思うことは多いですし、“無関心”にどう立ち向かうかも大きな課題だと思っています。 ――「Watermelon Seeds Fundraiser」がガザの状況に関心を持つ人が増えるきっかけになればいいなと思います。  報道も減っている印象があるので、たとえばガザに入っているジャーナリストをフォローして現地の状況を知ってもらえたらいいなと思っています。調べてもらえれば、「どうにかしなきゃ」と心が動くと思うので……。あと、普段の生活で使っているお金がどういうふうに回っているのか、どう世界につながっているかについても考えないといけないですよね。何気なく買っているもののお金が回りまわって、兵器の購入や開発などに使われていることもある。そういった構造を理解することで、お金の流れを生み出す作用を良い方向に持っていくことも可能じゃないかなって。今回のオークションが、そういう思考やビジョンにつながったらいいなと思っています。 ――私たちの日常ともつながっている問題だと。  はい。こういう発信をするたびに「自分の生活で手いっぱいの人もいるんだよ」「“何も言わないのは加担だ”というのは残酷だし、それこそ人を排除することになるのでは?」という意見も寄せられます。  それも理解できます。私もそうですが、みんな自分の日常でいっぱいいっぱいだし、(イスラエルを支援している)企業へのボイコットが難しいこともわかる。でも、もっと視野を広げると、生活が苦しいことの一因は政治の問題でもあると思うんです。今の政府がどんなことにお金を使っているのか? 軍事費を増やして、イスラエルからドローンを輸入しようとしているとしたら、「そんなお金があるんだったら、私たちの生活のためにやれることがいっぱいあるんじゃない?」と。そうしたことが実は全部つながっている。ガザのこと、今回のオークションのようなアクションも、他人の事柄に口を出しているわけではなくて、私たちの問題でもあるということを伝えられるといいなと思っています。 *オークション企画「Watermelon Seeds Fundraiser」の詳細はこちら https://auctions.yahoo.co.jp/topic/promo/watermelonseedsfundraiser/ (取材・文/森 朋之) さかもと・みう/1980年生まれ。97年「Ryuichi Sakamoto featuring.Sister M」名義でデビュー。著書『ネコの吸い方』(幻冬舎)やSNSで愛猫サバ美との日々を発信するなど「ネコの人」としても知られ、動物愛護活動にも長年携わっている。2015年に第1子が誕生し、22年には長女「なまこ」ちゃんとの暮らしをつづったエッセー『ただ、一緒に生きている』(光文社)を出版。音楽活動に加え、ラジオパーソナリティー、執筆、演劇など表現の幅を広げている。
「ふるさと納税」仲介サイトに逆風? ポイント競争規制で何が変わるのか 横川楓
「ふるさと納税」仲介サイトに逆風? ポイント競争規制で何が変わるのか 横川楓 横川楓さん    自治体に寄付をすることで、各地の特産品などを手に入れることができる「ふるさと納税」。ネットショッピングのように寄付先を選べる「仲介サイト」を利用している方も多いと思います。しかし、そのルールが今後、大きく変わるかもしれません。 *   *   *  先日、インタビューを受けた際に、「ふるさと納税」が話題になりました。  私はシャインマスカットが好きなのですが、普通にスーパーで買うとかなり高いため、税金的なメリットを受けながらゲットできるということで、シャインマスカットが返礼品となっている自治体に毎年、ふるさと納税をしています。  そんなふるさと納税で、大きなニュースがありました。   「ふるさと納税ポイント競争規制 付与サイトで募集、禁止へ」(6月26日配信、朝日新聞デジタル) 総務省は25日、ふるさと納税のルールを見直すと発表した。利用者にポイントを付与する仲介サイトを通じて自治体が寄付を募集することを、来年10月から禁止する。利用者を囲い込むためのポイント競争が激化しており、規制の必要性が指摘されていた。   仲介サイトに「逆風」 「ふるさと納税」は、自治体に寄付をすることで、そのお礼として特産品などの返礼品がもらえる制度。「納税」とついているので勘違いされている方も多いのですが、自治体に寄付をする仕組みです。  寄付した金額のうち2千円を超える額が所得税と住民税から控除され、所得税の還付を受けられたり、住民税が減額されたりします。  税金面でのメリットと、おいしい特産品などがもらえるということもあり、毎年ふるさと納税をしているという人も多いのではないでしょうか。     【こちらも話題】 人口8千人の町で“疑惑”の企業版ふるさと納税4億3千万円が無駄に  東京の大企業Gの関与は? https://dot.asahi.com/articles/-/226529      ふるさと納税をするにあたり、多くの方が利用しているのが、ふるさと納税の仲介サイトかと思います。上記の記事によると、仲介サイトは自治体への寄付の受け付けなどを担い、「楽天ふるさと納税」「さとふる」「ふるさとチョイス」「ふるなび」を運営する4社で9割以上のシェアを占めるそうです。  利用者としては、ネットショッピングで買い物をするかのように、仲介サイトで簡単にふるさと納税ができます。また、利用者の多くは、各種ポイントが貯まることをメリットと考えているはず。  しかし、今回の総務省の発表によると、来年10月からはポイントを付与するサイトでは寄付の募集が禁止に。つまり、ポイントがつかなくなるということになりそうです。   ふるさと納税は自治体のサイトでも  ふるさと納税の窓口となっている仲介サイトですが、「ポイント」という大きなメリットがなくなれば、利用者の寄付先の選び方も変わってきそうです。  先の会見で、松本剛明・総務相が「ふるさと納税は返礼品目当てではなく、寄付金の使い道や目的に着目して行われることに意義がある」と述べていました。  実は多くの自治体が、寄付金の使い道などを詳しく説明し、ふるさと納税を直接受け付けるウェブサイトを設けています。このようなサイトを通して、利用者は寄付の「先」をより意識して、ふるさと納税ができるわけです。  現在、すべての自治体に直営サイトがあるわけではありませんが、今回の総務省の発表を受けて、オリジナルのふるさと納税サイトを作る自治体が増えていくのではないでしょうか。     【こちらも話題】 「セーラームーン」から「呪術廻戦」乙骨憂太くんまで全力で 推し活マネースケジュールのすすめ 横川楓 https://dot.asahi.com/articles/-/225254      なお、自治体のサイトと仲介サイトで、ふるさと納税の手続きに大きな違いがあるわけではありません。直営のサイトからでも、ワンストップ特例などは同様に利用できます。  ただ、一つの仲介サイトでまとめて複数の自治体にふるさと納税をするのではなく、それぞれの直営サイトで手続きをすることになりますので、寄付上限額を超えないように利用者自身で注意する必要があります。    今回の総務省の発表に対しては、仲介サイト側から反対の声もあがっています。  ふるさと納税をめぐるルールは、これまでに何度も変更がありました。私自身、これからもふるさと納税でシャインマスカットをゲットしたいと考えているので、今後の推移を見守っていきたいと思います。     横川楓(よこかわ・かえで) 1990年生まれ。経営学修士(MBA)、ファイナンシャルプランナー(AFP)などを取得し、「やさしいお金の専門家/金融・経済アナリスト」として活動。一般社団法人日本金融教育推進協会代表理事。「誰よりも等身大の目線でわかりやすく」をモットーにお金の知識を啓発、金融教育の普及に取り組んでいる。著書に『ミレニアル世代のお金のリアル』(フォレスト出版)、『お金の不安と真剣に向き合ったら人生のモヤモヤがはれました!』(オーバーラップ)。   【こちらも話題】 身をもって体験した、「お金」と「知識」と「推し」で変わる生活 私が「お金の専門家」になった理由 横川楓 https://dot.asahi.com/articles/-/216230    
「面接官の方が見られている」変わる採用面接 「上から目線はNG」企業と個人が対等化
「面接官の方が見られている」変わる採用面接 「上から目線はNG」企業と個人が対等化 (写真:Getty Images)   「働き方」の決定権が個人にシフトする中、就職面接にも異変が起きている。面接は企業から「選考」されるだけの場ではない。応募者が面接官に「逆質問」するシーンも当たり前になりつつある。AERA 2024年7月22日号より。 *  *  *  企業と個人が対等化している状況は、面接での「逆質問」のシーンにも表れていることがアエラのアンケートで浮かんだ。  東京都の人材紹介会社に勤務する役員男性(58)は管理職採用の面接を受けた際、「自分が想定する仕事と実際の内容にギャップがないか」確認するため、営業先の部署や競合企業について逆質問した。面接官は「具体的に仕事の内容をイメージされていますね」と歓迎してくれたという。男性は「逆質問」という呼び方には違和感があると話す。 「面接は、企業と応募者が互いにコミュニケーションし、働く条件のすり合わせをする場だと考えています。ですから、応募した側が質問するのが、『逆』だとは全く思いません」  この男性は、別の企業の中途採用面接でも人事担当者が「会社説明をします」と話し始めた際、「私から会社説明をしますので、間違っているところを修正していただけますか」と切り出し、企業の市場環境を分析する「3C分析」を披露し、驚かれたこともあると明かした。  逆質問は転職の場面でより顕著だという。 「採用する企業、応募する個人ともにすり合わせしたいポイントが多様で、それらの具体的な内容や優先順位などを確認するため、互いに質問し合う場面は新卒の就活よりも多くなる傾向にあります」  こう指摘するのはリクルートの藤井薫HR統括編集長だ。  キャリア採用の場合、求めるスキルや経験、提供できる待遇が具体化している企業が多く、個人の側もキャリアを積んだ人ほど仕事の内容や待遇、働き方など条件面で受け入れ可能なラインが明確化しているからだ。  逆質問はごく一部のスーパー人材に限らない。サービス業で働く40代の会社員女性は「会社を選ぶ際に外せない条件は何ですか」と今春の中途採用面接で問われた際、「逆に採用するにあたって求めている人物像を教えてください」と逆質問したという。「お互いに選ぶ立場であることを重んじていました」と振り返る。 AERA 2024年7月22日号より   旧来型の質問はNG  働き手不足が深刻化するのに伴い、生き方・働き方を決める主権が働く個人にシフトしつつある、と藤井さんは唱える。そうした中、面接にも変化が求められているという。 「あなたは我が社にどんな貢献ができますか」と問いただす旧来型の面接はNG。応募者が人生で何を最も大事に思い、キャリアをどう伸ばしたいと考えているのか。そのために、どんな制約があると感じているのか。そうした個人の特性や希望に関心を持って傾聴する面接官と、「尋問」のようなスタイルで面接に臨む面接官とでは、面接を受ける側の印象は全く異なる。今は複数の企業の面接を同時進行で受けるのが当たり前。しかも、一人で複数社の内定を獲得する人も少なくない。面接でどれだけ対話を重ね、入社後の仕事や生活スタイル、将来のライフキャリアをイメージできるかが内定受諾の決め手になる傾向も浮かんでいる。  藤井さんは言う。 「最後に選ばれる企業になるためには、将来の仲間に接する気持ちで、どうすればその人の才能を開花させ、力を発揮してもらえるのかについて、どれだけ真剣に考えられるかが問われています。そのために必要なのは面接官の聞く力です」  面接は、採用に値する人材かを企業から「選考」されるだけの場ではなく、その企業はキャリアを積むのにふさわしい組織か、自分に合う会社か、個人が見定める場でもある。「面接官のほうが見られている」という現実はこんな回答からも浮かぶ。  東京都の出版社勤務の女性(30)は学生時代の就職活動を振り返り、「面接官と会社のイメージが重なる面も否めません」と打ち明ける。  ある企業の2次、3次面接でのこと。いずれも面接官席に居並ぶのは高齢の男性ばかりだった。そのときふと、「このおじいちゃんたちを喜ばすことができれば、受かるんだろうな」「ちょっとおバカな女の子を演じたらいいんだ」との考えがよぎった。そして実際、そういうキャラを意識して面接に臨んだところ、狙いが的中したのか内定を得ることができた。しかしその後、「この会社にいても、ずっとあのおじいちゃんたちに媚を売らないといけないんだろうな」との思いが膨らみ、結局内定を辞退したという。女性は就活時、人事担当者や面接官の言葉選びにも意識を払っていたと打ち明ける。 「些細なことですが、例えば、外国人を『外人』と言う人がいれば、人権意識が低い会社なのかな、と考えて敬遠する気持ちになることもありました」 新卒は丁寧にやさしく  前出の役員男性も、自身がたばこを吸わないこともあり、たばこの匂いのする面接官がいると、その会社は辞退する気持ちになった、と吐露した。役職柄、自分が面接官になる場合もあるというこの男性は、こんな心得を説く。 「面接官は応募者と対等。絶対に上から目線では話しません。特に新卒の就活生は丁寧にやさしく接しないと、相手が固まってしまいますから物腰にも細心の注意を払います」  今までの学生生活で全く縁のない会社の一室に呼び出され、両親よりも目上の大人たちの前に座らされて根掘り葉掘り聞かれるかもしれない面接は、新卒の就活生にとってストレスでしかないのはよく分かる。 「新卒の就活生には特に、面接でリラックスしてもらうことが重要です。面接で話しやすい雰囲気をつくれるかによって会社の印象はがらりと変わります」  こう強調するのはリクルート就職みらい研究所の栗田貴祥所長だ。面接で逆質問がしにくい企業は、企業側が聞かせない雰囲気をつくってしまっているケースが多いと指摘する。 「個人にとってはこの職場であれば自分の将来を託せると思えるか、企業にとっては本当に活躍してくれる人なのかを見定め合うのが面接です。そのために気になる点を質問し合うのは本来あるべき姿だと思います」  構造的な人手不足に伴い、とりわけ新卒採用が困難になる中、企業によっては面接の目的は「選考」よりも「動機づけ」の比重を高める傾向もあるという。面接の途中で、この人にはぜひ入社してもらいたいと感じた人材には、残りの時間を費やして応募者が希望する勤務地や身に付けたいキャリアなど内定を受諾する動機づけにつながるポイントを聞きだす必要がある。このため、「対等な関係で相互に理解し合える場づくり」という意識で面接を設定する企業が増えているという。 「企業にとっては入社してもらうことがゴールではありません。入社後、会社に定着して、活躍してもらわないと採用コストや教育コストも無駄になります。企業にとって最も悩ましいミスマッチを防ぐためにも、入り口段階の面接でしっかり相互理解を深め、十分納得した上で入社してもらうことが重要です」  働き手が豊富だった時代、企業は優秀な人材だけを集めればよかった。しかし、働き手がどんどん減っていくこれからの時代は、働く個人の強みを企業側が最大限引き出し、生かしていかないと事業を回せなくなる。栗田さんはこう強調する。 「そのことに気づいていない企業は、相変わらず上澄みの人材のみをすくい取ろうとする『上から目線の面接』をしてしまいがちです。今後は就活生のこれからの人生やキャリアに自社はどんな可能性を提供できるのかを真剣に考えて向き合わないと、応募さえしてもらえなくなる企業が増えるのは確実です」  面接で「見られている」のは企業側、面接官のほうであることを肝に銘じる必要がありそうだ。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2024年7月22日号より抜粋  
"元極道"VTuberとして人気の著者が伝える「若者が悪党から身を守るための知恵」
"元極道"VTuberとして人気の著者が伝える「若者が悪党から身を守るための知恵」 『裏社会から人生を守る教科書』懲役太郎 さんが出版  裏社会というものは、いわゆる"普通の暮らし"をしている者にとっては縁遠い世界だと考えている人も多いことでしょう。しかし、昔はハッキリと線引きされていた「表の社会」と「裏の社会」の境界線が、現在は非常に曖昧になっているようです。そのため、「『裏社会の搾取』に知らないうちに騙され巻き込まれてしまう若者が実際のところ急増している」(同書より)と、書籍『裏社会から人生を守る教科書』の著者である懲役太郎さんは記します。 では、どうすれば前途ある若者が人生を棒に振らずに済むのでしょうか。それは、この社会の実態と危険性について知っておくことです。同書は"元極道"VTuberとしても活動する著者が、身近なところに潜む裏社会の脅威と騙しの手口を明かし、自分自身と大切な人の人生を守るための知恵を提供する一冊です。 日本という国はとても素晴らしいところがたくさんありますが、いっぽうで著者は現代の若者の「危機管理意識の低さ」について警鐘を鳴らします。著者は騙されやすい人が増えている原因をリストアップして分析し、それを予防することが危機管理意識を高めることにつながるとしています。 若者が陥りやすい社会の落とし穴として挙げているのが、「お金と仕事関連」「恋愛と遊び関連」「メンタル関連」という3つのテーマです。たとえば「お金」に関して陥りがちなのが、メイクやファッション、ブランド品、遊び方、アプリ課金など見栄や物欲のために際限なくお金が欲しくなってしまうという状態。ここで「楽して稼ぎたい」という欲に駆られてしまうと、そこに悪党たちがつけ込んできます。「犯罪歴を負って経歴が傷つく『闇バイト』を紹介してくるかもしれないし、心に傷を負う『体を売る仕事』を紹介してくるかもしれない。見栄と物欲から始まる『楽して稼ぎたい欲求』に気をつける必要がある」(同書より) 私たちは「どんなにお金を使っても、上には上がいて見栄に切りはない」と知り、「自分の人としての価値は、お金では買えない」ことに気づくことが大切だと続けます。 ほかにもマッチングアプリやドラッグ、ブラック企業など、日常生活の延長線上に裏社会の搾取が待ちかまえていることは少なくありません。裏社会から自分の身を守るためには、その手口を事前に知ること、自分の通う場所や付き合う人間関係を見極めることがいかに大事か気づかされます。 とはいえ、「今この瞬間も悪党の手口はアップデートされて新しいものが誕生している」(同書より)と著者。最新の手口については文中にあるQRコードから著者のYouTubeチャンネルに飛んで学べるようになっており、書籍とYouTubeを連動させる試みがなされています。 同書は若者に向けた語り口になっていますが、大人にとっても知っておくべき情報が満載です。もうすぐ夏休みが始まりますが、今年は同書を読んで脅威から自分の身を守る方法を親子で話し合ってみるのもよいかもしれません。[文・鷺ノ宮やよい]
「挑戦を怖がる」「失敗すると泣く」内向的な子が、チャレンジできるようになる親のかかわり方とは?
「挑戦を怖がる」「失敗すると泣く」内向的な子が、チャレンジできるようになる親のかかわり方とは?   写真はイメージ(GettyImages)    内向的な子どもは、初めての挑戦を嫌がったり、失敗すると怒ったり泣いたりしてすぐにあきらめてしまうなど、「チャレンジができない」というケースも多くあるようです。こんなとき親はどのようにサポートし、声がけをするのがよいでしょうか? 元スクールカウンセラーで臨床心理士の吉田美智子さんの著書『声かけで伸ばす 内向的な子のすごい力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、内向型とHSC(Highly Sensitive Childの略)型の二つのタイプそれぞれの接し方を紹介しています。  まずは、子どものタイプが内向型かHSC型か、チェックしてみましょう。当てはまる数が多いほど、その性質の傾向が強くなります。同数の場合は、子どもの様子を見ながらどちらの性質で困っているのか判断しましょう。 【日常生活のお悩み】チャレンジできない  自転車の練習中に転ぶと、泣いてすぐにあきらめてしまう。折り紙が上手に折れないと、怒って投げだしてしまう。ダンス体験に連れていくと、他の子どもたちは初めてでも楽しそうに踊っているのに、固まって親から離れようとしない。このように、チャレンジを怖がってしまう子どもは多くいます。  子どもが失敗を嫌がるのは、物事の理解や予測ができないことに関係します。初めての自転車や折り紙がうまくできなくても、練習したらできるようになることは、大人には自明のことですが、子どもはまだそれがわかりません。  できないことがわかるとびっくりしたり、腹を立てたり、悲しんだり、固まったりするのです。感情を表現することは、子どもなりのストレス発散で、固まるのは怖さを最小限にとどめる方法です。大人は、子どもなりに対処しようとしていると理解して待ってあげましょう。  子どもが失敗したときは、「グッジョブ!」と言ってハグしてあげるなど、親は失敗しても気にしないし、子どものチャレンジを素敵なことだと感じている姿勢を伝えられるといいですね。すると、子どもは少しずつ失敗への不安をやわらげていけます。 好きなことへの「チャレンジ体験」が効力感を生む  子どもが失敗して「もうやらない」となったら、少し時間をおきましょう。怖い気持ちがやわらぐと、自然と「またやってみようかな」と思えてきます。練習するとできるとか、できるようになってうれしい体験を重ねると、子どもも自分なりの予測を立てて、努力できるようになるのです。  ちなみに、自転車や折り紙ができるようになるには、身体能力や指先が充分に発達している必要があります。無理してがんばらせるより、ラクにマスターできるときまで待つのも賢い選択です。「少しがんばったらできた!」という手応えは、子どもの次もチャレンジしてみたい気持ちを引きだします。  また、子どもが好きなことを応援するのも大切です。子どもは、自分が好きなことをしているときに、自然とチャレンジしています。好きなことで培ったチャレンジ体験が、苦手なことへ挑戦するときに「できるかもしれない」という効力感をもたらします。  では具体的に、内向・HSC型の子どもへの、OKな接し方をみていきましょう。 【内向型】〇「わたし(親)はできると思うけどな〜」と親の意見を伝える  内向型は、自分の予測がはずれることを嫌うので、幼少期は失敗を怖がり、チャレンジすることに対して消極的なところがあるかもしれません。失敗すると「もうイヤだ」と言って、意固地になるところもあります。そんなときは「イヤだったね」と言って、その気持ちをそのまま認めてあげましょう。ほとぼりが冷めると、再チャレンジできます。  また、自分がやりたい、できるようになりたいと思うときには、持ち前の粘り強さを発揮してがんばり抜くことができます。達成したい気持ちが強いぶん、「できない!」と泣いたり怒ったりしながら行うなど、感情的になることもありますが、一生懸命な気持ちを応援してください。  やりたいことはがんばれる内向型ですが、興味がないことや無理だと思うことには消極的になります。そういうときは、「できるよ」とか「やってごらん」とうながしてもうまくいきません。  子どものやりたくないを受け入れたうえで、「わたしはできると思うけどな〜」と親の意見を伝えたり、「苦手だと思うと、本当に苦手になっちゃうんだって〜」と一般論を伝えておくと、子どもがそれを気に留めて考えてくれます。  自分の中で咀嚼して、「そうかもしれない」と思うと、別のときに「苦手と決めつけるのはいけないんだよ」などと言いだすこともあります。このように、子どもが納得して動くまで待ってあげるといいですね。 【HSC型】〇子どものそばにいて、緊張しない場所をつくる  HSC型の子どもは、初めての場面で緊張していると、固まってしまう傾向があります。固まることで自分を守りながら、周りの様子を観察しています。そんなときは、親が一緒にいてあげたり、安心して観察できる場所をつくってあげたりしてください。  緊張がほぐれて興味が湧くと、自分からチャレンジしますし、活発に参加することもできます。初めてで緊張したけど大丈夫だったという経験を積み重ねていくと、子どもの中にも初めてでもできるイメージが湧くようになり、自分で不安をコントロールできるようになっていきます。  また、周りの環境に影響されずにチャレンジするには、次のような方法も効果的です。 1)自分と他者の間に境界をつくる  相手の気持ちがわかるからといって、相手を優先して自分をないがしろにすることは、やりすぎでよくないことだと教えていきましょう。   2)気持ちを切り替えるスイッチを見つける  心配なことだけに支配されずにリラックスできるように、子どもなりの方法を親と一緒に見つけてください。   3)自分の気持ちを確認する  自分軸がわからなくなったときには、自分の思っていることを紙に書きだしたり、親に話を聞いてもらったりすることで、自分の気持ちを確認させましょう。 1)〜3)を親子で少しずつ練習していくと、周囲と自分の線引きができるようになっていきます。  では、次に内向・HSC型に共通する、NGな接し方を解説します。 ×「失敗してもいいからやってごらん」   「失敗してもいいからやってごらん」は使う場面によって、励ましにも脅しにもなります。  子どもが「やってみたいけど失敗が怖い」と訴えたときは、失敗してもひとりじゃないよ、大丈夫という意味の励ましの言葉になります。  でも、「失敗が怖いからやりたくない」と言っているときは、失敗を怖がらないでやりなさいという命令の言葉になってしまいます。 ×「もっとこうしたほうがいいよ」  子どもががんばっていると、つい「もっとこうしたほうがいいよ」とか「次はここに気をつけようね」などと助言したくなるものです。  でも、子どもにとって親の助言は「これじゃダメ」という否定の意味で伝わります。どこまでがんばればよいかわからず、やる気を失うこともあるかもしれません。エンドレスにダメだしすることで、子どものやる気がなくならないように注意しましょう。 ×「ちゃんとがんばりなさい」  子どもがすぐにあきらめて投げだす態度をとると、大人はちゃんと集中してがんばればできるのにもったいないと感じて「ちゃんとがんばりなさい」と言いたくなります。  残念ながら、この言葉は抽象的すぎるので、子どもにはうまく伝わりません。チャレンジしてみたものの、子どもが集中できずにいたら一度休憩をはさんでみましょう。また、あきらめている様子が見られるときは、コツやヒントを教えるなど、具体的なサポートをするとがんばることができます。
不登校家庭にありがちな親子の「負の連鎖」断ち切ってくれるのは「他人」が吹き込む新しい価値観
不登校家庭にありがちな親子の「負の連鎖」断ち切ってくれるのは「他人」が吹き込む新しい価値観 真っ青な空に白い雲。これだって、雲の下に入れば空の色は暗く、雲だって真っ黒に見えたりします  3人の子どもの不登校を経験し、不登校の子どもやその親の支援、講演活動などを続ける村上好(よし)さんの連載「不登校の『出口』戦略」。今回のテーマは「親の視点が変われば、状況も変わっていく」です。 ***  前回の記事では、「不登校で選択肢が広がる」ということについてお話をしました。今回は、親の視点が変われば、状況は180度変わっていく、ということについてお話をしたいと思います。  わが子が不登校になると、自分の子育ては失敗したと自己嫌悪に陥って周りに引け目を感じてしまい、「他の人には知られたくない」「人にも会いたくない」という気持ちになったり、自分やわが子を哀れに感じてしまったりすることがあります。ママ友とも次第に連絡を取らなくなり、気がつけば自分も子どもも孤立していた――。そんなお話もよく聞きます。  私も、長男が不登校になった当初は近所のママ友に「息子さん、元気?どうしてる?」と聞かれるのがイヤで、人と会わない時間帯に買い物に出かけていました。でも、誰にも会いたくないな〜と思っている時に限って、噂好きのママ友に遭遇したりするものですよね。みなさんも、こんな経験はありませんか?  不思議なのは、親の心の状態が子どもに伝播してしまうことです。以心伝心とはよく言ったものですね。私が人に会うのを避けるようになると、長男もだんだん、外に出なくなっていきました。  その頃は昼夜逆転になってしまう日もあり、このままずっと部屋にいるだけだと体が鈍ってしまってよくないんじゃないかと思ったので、ランニングに誘ってみました。案の定、拒否されましたが、夜ならどう?と暗くなってから走ることを提案すると、「じゃあやってみる」と長男。家の近所で1キロくらいのランニングを始めました。1日目、2日目と走りましたが、3日目で挫折……。失敗体験がさらに積み重なってしまった、とまたそこで自己嫌悪に陥ったことを覚えています。 成澤俊輔さんは徐々に視力を失う難病で、視覚障害による孤独感や挫折感から大学在学中に引きこもりを経験。就労困難者の就労を支援し雇用を創造をするNPOなどで活動し、現在は約60社の経営者に伴走中  不登校の出口が見えそうで見えない。そんな焦りとまた向き合う日々が続き、一歩進めば「ああ、よかった」と実際以上に喜び、ちょっとうまくいかないと「一歩進んだ分どころか、三歩くらい下がったんじゃないか」と落ち込むという、一喜一憂の日々でした。  そんな私を見て、また長男はその影響を受けるんですよね。私がいろいろなことに敏感になると、長男までもが敏感になり、「またできなかった」「また迷惑かけちゃった」「また心配かけちゃった」と必要以上に重く受け止めてしまう。私自身も、「余計なことをしたかも」と必要以上に心配して、それがまた伝わるという負の連鎖が起きていたのだと思います。  当時の私は務めていた会社を辞め、就労移行支援事業所のFDA(NPO法人Future Dream Achievement)のボランティアに参加していました。長男も将来お世話になるかもしれないと思った私は、実際に活動に参加して、そこを利用している人たちがどのような生活を送っているのか、自分の目で確かめたかったのです。  当時、その団体の代表理事を務めていたのが「世界一明るい視覚障害者」として活動している成澤俊輔さんでした。ある時、成澤さんに「村上さんの息子さん、引きこもってますよね?ちょっとお願いがあるんだけど」と声を掛けられました。「全盲のビジネスパートナーが東京に出張に行くから泊めてもらえない?彼も、7年間引きこもっていたんだよ。なにか、息子さんのお役に立てるかもしれないよ」というのです。「え?7年も?うちの息子の数カ月なんてまだまだですね」と答えると、「そうそう、あははは〜。じゃあよろしく」……。そんな明るい成澤さんに、断る理由はありません。  結局、そのパートナーの方に1週間、わが家に泊まっていただきました。最初、長男は人に対する苦手意識が大きすぎて会おうともしませんでしたが、私は彼に長男の様子をいろいろと話しました。2日目くらいだったと思います。夕飯のときに「村上さん、昼夜逆転ってなんで起こるか知ってますか?」と聞かれたんです。「さあ、夜ダラダラしてるから朝起きられないんじゃないんですかね?」と答えると、こんなふうに教えてくれたんです。 「違うんです。昼間は、みんなが学校に行ったり会社に行ったり、活発に活動してるじゃないですか、でも自分は引きこもっていて、なんだか動けない。だからね、怖いんですよ。夜になると学校からも会社からも家に帰るでしょ。そうすると安心するんです。だから、夜は活動できるんですよ」  自分には全くない視点でした。「そうか、そうだったのか」と長男の気持ちが理解できたような気になって、嬉しくなりました。「しんどかったんだね」と長男に声をかけると小さく頷きました。そして次の日の朝、部屋から出てくるようになり、全盲の彼が駅まで行くのに付き添って、送り迎えをしてくれるようになったのです。  人は、自分の主観や価値観というフィルターを通して人を見てしまいます。家族にはそれを押し付けてしまいがちだし、相手のことを考えずに物事を進めてしまいがちです。でも、他人が介入してくれて、思いもよらなかった質問を投げかけてくれたおかげで、別の視点を得ることができ、息子には息子の言い分、気持ちがあるという当たり前のことに気づかせてもらいました。  それまでの私は、前回の記事で書いたように、不登校は選択肢が狭まり、将来の道が閉ざされると思い込んでいたのですが、子どもへの声掛けや、家族以外の支援者の介入などにより、不登校に対する視点が変わっていったのです。  人生は長い。その長い人生の中で、挫折の経験は誰にでもあります。その挫折の一つとして、不登校なんていう事象は別に大したことないんじゃないか、と思えるようになったのです。さらには、「いまのこの時期は、実は重要な時期なのかもしれない」と思えて、それを長男にも伝えるようにしました。 「いまは辛いなーって思ってるかもしれないけど、ここがどん底だとしたら、さらに下はないからね。あとは上向きになるだけだから大丈夫」 「この状態って、仮にあなたがずっとずっと続けたいって思っていても、実質無理なんだよね。これは一生続けようと思っても難しい。だったら、いまのこの状況に自分も向き合って、なんだったら楽しんでみるのもいいんじゃない?」 「こんなに自分と向き合える時間って社会人になったらなかなかないことだから。一生のうちでいまが一番自分と向き合える時期なんだと思う。だからこの時期を大事にするといいよ。絶対に大丈夫だから」 口には出さなくても、親の思いは子どもに伝わってしまいます。しかも、ネガティブな気持ちほど、伝わりやすいような気がします photo iStock.com/spukkato  こんなことを伝え続けたのです。このときは、私自身も心の底からそう思っていましたので、迷いなく言い切れました。不登校に対する視点が変わり、子どもに対する視点も変わる。だんだんと、私自身も迷いや不安がなくなっていきました。近所でママ友に会っても「あ、うちの子は学校、一旦辞めて、通信制の高校に通ってるよ〜」と明るく話せるようなったんです。  そして、わが家に泊まった全盲の男性のように、家族以外の人と関わると、家の中に新しい風が吹き込むんだと知った私は、その後、自分で立ち上げた団体の仕事の打ち合わせも自宅でやるようにしました。いろいろな大人たちが、家にやってきては新しい風を持ち込んでくれて、時には長男も輪に加わったり、私が「今日はこういう人が来て、こういう話をしたんだよね」と伝えたりしていました。 「不登校になったからこそ、こういう時間が持てるし、学校に普通に通っていたら得られない情報を得られるのはラッキーなことだよね」。長男にも堂々と、こう伝えていました。以前の私とは、180度変わったのです。  私が悲壮感を漂わせたり、ため息ばかりついていたり、ということがなくなり、明るさを取り戻すと、長男の表情もほぐれてきました。親も子も、ガチガチに固まっていた気持ちが少しづつ解けていったのだと思います。親子って、不思議ですね。子どもは親の写し鏡で、親の代わりに気持ちを表現してくれているかのような存在なんだと学びました。  私はこの経験があったからこそ、次男や長女の不登校のときは、早い段階で気持ちを切り替えることができたのです。不登校って、悪くない。子どもも、若いうちに挫折を経験し、それを乗り越えることで心の筋肉が鍛えられます。  目の前で起きていること自体は変わらなくても、自分の視点が変われば道は必ず開けてきます。不登校のお子さんをお持ちの親御さんはいろいろな悩みや不安があると思いますが、そんな時こそ是非、視点を変えてみてください。  次回は7月30日配信。「不登校は子離れする良い機会」というテーマでお話しさせていただきます。
路面電車はなぜ復権? 「豊かな社会を支えるためのインフラ」として見直される理由
路面電車はなぜ復権? 「豊かな社会を支えるためのインフラ」として見直される理由 宇都宮LRT:車両は低床で、停留所のホームとの段差はほとんどない。窓は広く、落ち着いた間接照明の光も快適。片道14.6キロを約1時間かけて走る    かつて「邪魔者」扱いされていた路面電車が復権している。いま注目の「LRT」をはじめ、全国約20の街を快走する。街づくりの装置としても期待される、その魅力を紹介する。AERA 2024年7月15日号の記事より。 *  *  *  まるで滑るように、黄色と黒の車体が宇都宮の街を走る──。 「揺れもほとんどなく快適です」  6月上旬、JR宇都宮駅東側と郊外の芳賀町(はがまち)を結ぶ、次世代型路面電車「芳賀・宇都宮LRT(通称、宇都宮LRT)」に乗ると、向かい合わせのボックス席に座った70代の女性は笑顔で話す。  全長14.6キロ。市街地を抜け、鬼怒川周辺の田園風景を望みながら進み、工業団地の間を快走する。LRTは「Light Rail Transit」の略で、「次世代型路面電車」をいう。従来の路面電車より、床が低く高齢者や車いすでも利用しやすく、振動や騒音も少ないのが特徴だ。  先の女性は、以前は車で移動していたが、年も年。そろそろ運転が難しくなるだろうと考えていたという。今日は、駅前のビルに買い物に来たのだという。 「前より外出するようになりました(笑)」(女性) 街並みとのマッチング  いま路面電車が復権している。そもそも「路面電車」とは、道路上にレールのような軌道を敷き、自動車などと一緒に交通機関として運行する電車のこと。法規的には、一般の「鉄道」に対して「軌道」と呼び、基本となる法律も「鉄道事業法」と「軌道法」とで異なる。  日本の路面電車は1895(明治28)年に営業を始めた京都市から全国に拡大した。戦前の1932(昭和7)年には、全国65都市で総延長は約1500キロに上った。  だが戦後、モータリゼーションが進み道路で大渋滞が発生すると、原因として路面電車がやり玉に挙げられた。路面電車は「邪魔者」扱いされ、「時代遅れ」の烙印を押され、高度経済成長の60~70年代にかけ、次々と消えていった。代わりに、地下鉄やバスが都市の公共交通の主役となっていった。 AERA 2024年7月15日号より    そうした中、90年代に入ると路面電車は見直されるようになった。現在、北は札幌市から南は鹿児島市まで、約20都市で運行され、総延長は約220キロに及ぶ。  鉄道ジャーナリストの松本典久さんは、「身近な公共交通手段になっている」と路面電車の魅力を話す。 「利用している乗客同士の距離感が近く、運行速度も車窓を眺めるのに適当な速さがある。旅先で利用すると、その街を近くに感じることができます」  たとえば、北海道函館市を走る函館市電は「街並みとのマッチングがいい」と言う。函館山の麓や五稜郭公園といった観光名所と函館駅などを結ぶ総延長約11キロの路面電車だ。 「特に函館駅前から函館どつく前に向かう区間は、坂の上から見下ろすと市電の背後に函館港が広がり、函館らしい情景が楽しめます」(松本さん)  東京の街と文化を多面的に感じることができるのは、「都電荒川線(愛称・東京さくらトラム)」だ。東京北部の12.2キロを約1時間で結ぶ。  下町情緒が残る三ノ輪橋(荒川区)を起点に、大塚駅前(豊島区)などを経由し、そびえ立つ超高層ビル「サンシャイン60」の近くを通り、学生たちで賑わう早稲田(新宿区)まで、東京ならではの風景を味わえる。  路面電車は、そこに暮らす人々にとって欠かせない存在でありシンボルでもある。  沿線住民から「チン電」と親しみを込めて呼ばれているのが「阪堺(はんかい)電車」だ。  ナニワで唯一の路面電車で、阪堺電気軌道が運営している。通天閣にも近い恵美須町から堺市西区の浜寺駅前までを結ぶ「阪堺線」と、大阪市阿倍野区の天王寺駅前から大阪市住吉区にある住吉までを結ぶ「上町線」の2路線がある。 注目の「LRT」  15年ほど前、利用客が減り阪堺線の堺市内の区間は廃線の危機に直面したが、堺市が2011年度から10年間で総額50億円の経営支援をすることで、存続が決まった。地元の人々に支えられ、今も地域の足として活躍している。  そして今注目されているのが「LRT」だ。 函館市電:明治30年に開通した亀函(きかん)馬車鉄道がルーツ。沿線に絵になる歴史的建造物や坂道があるのが特徴で、市電の背後に函館港が広がる    日本初の本格的LRTが走ったのは富山市。06年、赤字のJR富山港線をLRT化し、第三セクター「富山ライトレール」として運行を開始した。駅を新設し、乗り場をバリアフリーにしたりして利便性を高めていった。今では金沢市や神戸市、那覇市などでLRTの導入が検討されている。先の松本さんは、「LRTは誰もが利用しやすい公共交通」だとしてこう語る。 「歩道→横断歩道→停留場の安全地帯→車両と最小限の動きで移動できる。車両の床面もフラットな構造が増え、利用しやすい。また、エネルギーの観点からすれば、電力による路面電車はクリーンで、さらに電力回生などによるさらなる効率化も期待できる。明日の公共交通としてふさわしい」 社会支えるインフラ  冒頭の宇都宮LRTが開業したのは昨年8月。沿線にはホンダやキヤノンなどが並ぶ工業団地が複数あり、朝夕、周辺の道路は通勤の車で渋滞が発生していた。解消策として30年ほど前から新交通システムが検討され、整備費などの観点からLRTに絞り込まれた。  開業から約1年。宇都宮LRTを運行する「宇都宮ライトレール」によれば、3月末までの利用者数は約271万人と、当初見込み(約220万人)の約1.2倍となった。同社経営企画部係長の宮崎拓(たく)さんは、次のように話す。 「通勤・通学はもちろんのこと、ライトラインが日常の交通手段として定着し、その利便性から、多くの方にご利用いただいていると認識しております」  国内外の公共交通に詳しい関西大学の宇都宮浄人(きよひと)教授(交通経済学)は、「LRTは街づくりの一つの装置」と評する。日本の地方都市の多くは車が中心になっていて、都心から郊外に無秩序に市街地が広がるスプロール化が進行している。車が多いと渋滞があり、事故も起き、二酸化炭素の排出も減らない。社会的な負荷が増し、持続可能な社会の構築につながっていない、という。 「一方でLRTは、バスと異なり時間が正確で、大量輸送ができます。しかも、バリアフリーで快適。車を運転できない交通弱者だけでなく、運転する人も街中の渋滞を気にしなくていいので自由度が増します。さらに、郊外に広く薄く住んでいた人たちが、自然に沿線に誘導され、人口集積をもたらす機能もあります」(宇都宮教授) 都電荒川線:沿線には、観光名所も多数あるが、地域の生活に根付いた路線になっている。池袋の超高層ビル「サンシャイン60」を背景に走る(写真:編集部・野村昌二)    日本の公共交通は単独の収支で評価され、「赤字」か「黒字」かで判断される傾向が強い。宇都宮LRTも当初、採算性が議論された。しかし、宇都宮教授はこう強調する。 「市民体育館や図書館も、利益は出ていませんが豊かな社会を支えるためのインフラです。欧州では、公共交通は採算性で評価しません。街づくりの装置として位置づけられています。車以外の選択肢があり誰もが移動しやすい街は、魅力にあふれています。長期の視点が必要です」  路面電車の走る風景は、どこか懐かしく温かさも感じさせる。次の旅の計画は路面電車のある街を選んではどうだろう。(編集部・野村昌二) ※AERA 2024年7月15日号 【PR by 暮らしとモノ班】 ・ミラーレス一眼カメラは鉄道撮影に向いてるの?気になるモデルもチェック! ・石破首相も大好き!鉄道模型ジャンル別人気ベスト3 ・大人向けになった!「プラレール リアルクラス」は飾って良し、走らせて良しの再現度にときめく ・「プラレール」はなぜ人気なの?鉄道好きな子どもの定番おもちゃの魅力
タレント・杏さゆりの人気絶頂期は躁うつとパニック障害でも番組出演 「3カ月止まった生理が」
タレント・杏さゆりの人気絶頂期は躁うつとパニック障害でも番組出演 「3カ月止まった生理が」 杏さゆりさん(撮影/いずれも写真映像部・東川哲也)  高校生だった2000年にミスヤングマガジンで準グランプリを受賞し、グラビアアイドルとして人気を集め、バラエティー番組やドラマ、映画などでタレント、女優として活躍した杏さゆりさん(40)。だが、人気絶頂期に当時の所属事務所から給料が1円も支払われていなかったと明かす。【前編】では学生時代に受けた凄絶ないじめの体験談を語ってくれたが、【後編】では給料が未払いの時期に躁うつ、パニック障害を発症したつらい経験、10年ごろから軸足を置いた舞台の魅力などについて語ってもらった。 【前編】<タレント・杏さゆりが物心ついてから高校卒業式まで受けたいじめとは 少女漫画で「死を踏みとどまれた」>から続く ――杏さんは舞台を中心にした生活が15年間続いています。  そうですね。グラビア、バラエティー番組などいろいろやってきましたが、24、25歳ごろですかね。当時のマネジャーに「舞台で力を磨いたほうがいい」と言われたんです。初舞台が「燻し銀河」だったのですが、頭から最後まで舞台に出ずっぱりでメチャメチャ大変で(笑)。でも稽古の毎日がすごく楽しかった。学生時代に演劇クラブや演劇部に入っていたので、「舞台が好きで芸能界に入ったんだ」と初心に戻れました。「GACKT眠狂四郎無頼控 」では日本各地を一年中飛び回ったり、多い時は年間8本の舞台に出たりしていましたが、キャパオーバーになってしまうのでここ数年は年間3本に抑えていました。 手が震えて手汗を毎回かく ――舞台の魅力を教えてください。  会場は毎回同じ空気じゃなく、独特の緊張感があります。全然緊張してなさそうと言われるんですけど、メチャメチャ緊張する人間なんです(笑)。舞台の袖で手が震えて手汗を毎回かく。映画みたいに見てもらえる人数は多くないかもしれないけど、生ものなのでお客さんたちのリアルな熱量を感じながら演じられるのが舞台の醍醐味だと思います。   ――15歳から芸能活動をしていますが、高校卒業後にイギリスに留学しています。両立は大変ではなかったですか。  イギリスと日本を往復する生活が2年間続きましたが、私には合っていましたね。日本に戻ってくると仕事を1カ月パンパンに入れられるんですけど、「あと3日で終わる」と先が見えるのでストレスがない。稽古、本番の段取りが決まっている舞台と感覚が似ているかもしれません。日本にいる時はオン、イギリスにいる時はオフとうまく使い分けができていました。 ――芸能活動に専念して帰国した2003年以降に人気が爆発します。雑誌でグラビアの表紙を毎回のように飾り、CM出演、バラエティー番組でも引っ張りだこでした。  忙しすぎてその辺の記憶が薄くなっているのですが、睡眠時間がなかなか取れず、移動の時に寝ていました。その時の給料が毎月10万円だったんですけど、何とも思わなかったんです。グラビアをやっていると撮影現場で基本的に1人なので人と比べることがない。ただ、同じ世代のグラビアアイドルやタレントとテレビなどで共演するようになると、いろいろ考えるようになって。彼女たちがブランドで身を包んだり、着飾ったりしているのを見てコンプレックスを感じるようになりました。自分は1000円のバッグをずっと使っているのが恥ずかしいなって。 社長のパソコン画面は、外人女性とビーチでピースの写真! ――給料を上げてほしいと事務所に伝えなかったんですか。  父親に「給料は自分から言うものではなく、評価されて上げてもらうものだ」と言われていたので我慢していました。でも、社長に久々に会ったら高級ブランドに身を包んで、パソコンのスクリーンセーバーを見たら、外国人女性とビーチでピースしている写真が映ってました。もう限界でしたね。「給料を30万円にしてください」と言ったら、あっさりOKしてくれたんです。でも翌月以降未払いで……。1円も払われない時期が半年以上続きました。家賃は会社が出してくれていたんですけど、この時期は家賃未払いの赤い紙がいつも届いていましたね。   ――体調を崩したのはこの時期ですか。  はい、精神的につらくて眠れなくなって。病院で診断を受けたら、躁うつとパニック障害を発症していると言われました。でも仕事が入っているので休めない。薬を飲むとボーッとしてしまうのでバラエティー番組に出演させていただく時は薬を飲まずにテンションを上げていました。無理をしているので終わったら反動がくるんです。帰りの車で倒れるように寝て、家に着くとマンションの下に母親が来てくれて肩を担がれて部屋に戻りました。薬を飲んでも2時間ぐらいで起きるし、この時は本当にしんどかったですね。 ――つらい生活の中で転機があったのでしょうか。  仕事が一区切りしたタイミングで、イギリスに行きました。高校卒業後に留学した場所なんですけど、自然豊かな静かな環境で、日が昇る前の時間帯から夜中まで毎日ずっと空を眺めていました。頭を空っぽにする生活で心が癒やされましたね。1カ月ぐらいボーッとしていたら、3カ月止まった生理がきて。ジョギングしたりフランスの友達に会いに行ったり徐々に活動的になりました。  当時日記を書いていたのですが、最初のころは字の筆圧が弱くて薄いんですよ。でも元気になるとどんどん濃くなる。2、3カ月経った時、田辺エージェンシーからオファーをいただいたので日本に戻りました。芸能界に戻るという小さい光を目標に生きていたのでありがたかったですね。その後は病状がゆっくりですが改善して。今はパニック障害の症状も全然出ていないです。 バー、税理士事務所などでアルバイトも ――田辺エージェンシーに5年間所属後、独立しました。  自分の生活は自分でどうにかしなきゃいけないので、生きることに必死でしたね。芸能界でいつ仕事がなくなるのか不安がありましたし、暇があれば働いていました。アルバイトはいろいろやりましたよ。カレーを作ったり、バーでお酒を出したり、税理士事務所でレシートをひたすら打ち込む仕事をしたり……。耳鼻科で先生が使った器具を殺菌する仕事もしました。   ――杏さんと気づかれることはありませんでしたか。  ありましたよ(笑)。でも悪いことをやっているわけではないですしね。バイトを経験することでいろいろ勉強をさせていただききました。接客業はいろいろなお客さんが来ます。クレームをつけられても穏やかに対応しないといけない。心の中では「もう来るな」と思っても、「また来てくださいね」って(笑)。 自分が幸せだったら幸せ ――最初の所属事務所で給料がしっかり払われていたら違う人生だったと考えたりしましたか。  うーん、もちろんその時は怒っていますし、負の感情になりますが、今は楽しく過ごせているし、幸せの形って人それぞれじゃないですか。私は自分が幸せだったら幸せだと思う。つらいことも過ぎ去ると、あの時を経験して今があるんだなって。だから、給料未払いだったことも恨む気持ちはないんですよね。全てが割り切れるわけではないけど、杏さゆりを世に出してくれたわけですしね。感謝の思いは持っています。 ――今後の人生設計を教えてください。  舞台に出続けてきたので、他の仕事に挑戦してみたいと考えています。興味があるゴルフや美容についての発信など、必要とされる仕事があるなら全力でやりたい。バラエティー番組なども呼んでいただけるならありがたいです。舞台での活動は7月いっぱいでいったん休止しますが、素敵な作品に巡り合えた時の喜びはなかなか経験できないですし、またいつか出演させていただきたい思いはあります。   (平尾類) 杏さゆり(あんず・さゆり)/1983年9月20日生まれ。神奈川県出身。15歳の時に原宿でスカウトされ、2000年にミスヤングマガジンにて準グランプリを受賞。「くびれの女王」と呼ばれた。グラビアで絶大な人気を誇るだけでなく、英語力を生かして「100語でスタート!英会話」(NHK)にレギュラー出演し、バラエティー番組やCMにも出演するなど幅広く活躍。00年代後半以降はドラマ、映画、舞台、ミュージカルに精力的に出演し、女優としても評価を高めている。
タレント・杏さゆりが物心ついてから高校卒業式まで受けたいじめとは 少女漫画で「死を踏みとどまれた」
タレント・杏さゆりが物心ついてから高校卒業式まで受けたいじめとは 少女漫画で「死を踏みとどまれた」 杏さゆりさん(撮影/いずれも写真映像部・東川哲也)    2000年代前半にグラビアアイドルとして人気を集め、バラエティー番組などでもタレントとして活躍した杏さゆりさん(40)。その後は「GACKT眠狂四郎無頼控」に出演するなど舞台を中心に活動している。コミュニケーション能力が高く、ハキハキとした受け答えで明るい性格のイメージが強いが、小学生の時から高校までいじめを受け続けていたという。【前編】では学生時代に受けた凄絶ないじめ、心の支えになった存在、家族に明かした時の心境などについて語ってもらった。 ――杏さんがいじめを受けたのはいつごろでしょうか。 写真の顔には画びょうや塗りつぶし  物心ついてからずっといじめられていた感覚でした。通っていた小学校は全校生徒が180人しかいなくて、1学年に1クラスしかなかったんです。1、2年でいじめの標的になると、クラス替えがなく同じメンバーで学年が上がるのでいじめがずっと続く。無視されたり、物を隠されたり……。遠足の写真が廊下に貼り出されるじゃないですか。その時に私の顔だけ画びょうが刺さっていたり、ペンで塗りつぶされていたりしていました。  やっているのは特定の人たちです。いじめのきっかけは些細なことだと思うんですけど、ストレス発散でイライラの感情をぶつけられていた感じでした。つらいんですけどいじめられている環境に慣れてしまって……。今振り返れば良くないんですけどね。両親に心配されたくなかったので、学校は休みませんでした。負けず嫌いというか、強がりだったのかもしれない。だから家族は私がいじめられていたことを当時はまったく知らなかったです。     ――楽しい思い出はなかったですか。  小6の時に少人数で立ち上げた演劇クラブで過ごした時間が唯一の心のよりどころでした。当時大人気だった少女漫画『姫ちゃんのリボン』の真似っこをしていたら楽しくて。私はポコ太役でした。演じることが楽しかった思い出がありますね。 生きていればいつかいいことが… ――中学時代もいじめは続きましたか。  はい、中学は3つの小学校の生徒が集まるので、人間関係がリセットされるかなと思ったら、またいじめられて。男子はいじめてこなかったです。女子のいじめは複雑なんですよ。いじめのリーダーが好きだった男の子が好きな色と、私の好きな色が重なったことが気に食わなかったらしくて。そんなのどうでもいいじゃないですか(笑)。でも大ごとになって、入学して数日で女子たちからの無視が始まりました。もうその空間にいるのがつらい。  休み時間は隣のクラスに行って、演劇部で知り合った数少ない友達と過ごしていました。いろいろ我慢していたんですけど、体育の授業だけは無理でしたね。女子同士でペアを組むんですけど、私は誰も組んでもらえない。1人で過ごすのがつらくて、体育の授業だけ保健室で過ごしていました。 ――精神的につらかったと思います。心の支えは何だったんでしょうか。 『ふしぎ遊戯』という少女漫画に救われました。主人公が「もう私のことを放っておいて。あなただけ助かって」と言ったら、柳宿(ぬりこ)というキャラクターが「生きてりゃあねえ!! つらいことでもいつか笑って懐かしく話せる時が来るのよ!」って助けるシーンがあるんです。その場面を読んで号泣しました。「私も生きていればいつかいいことがあるかもしれない」って。死を考えないように踏みとどまれました。   ――杏さんは2000年にミスヤングマガジンで準グランプリに輝いています。当時高校生でしたが、この時も学校でいじめは続いていたんでしょうか。  高校に入ったら新しい生活を楽しめると思ったんですけどね……。高1の時に雑誌のグラビアに出始めたので、仲良しだと思った1人の女子だけに伝えたんですよ。「こういう雑誌に出るんだけどびっくりしないでね」って。自慢とかそういうつもりはまったくなくて、隠していると思われるのが嫌なので先に伝えたら、その子が他の女子たちに「雑誌に出ることを自慢された」と広まって。また無視されるようになりました。でも、小・中学校でいじめを経験したので、もうあんな思いをしたくないと思って、他の女子に話しかけにいったんですけど逃げられて。 卒業式の後に呼び出されて  卒業式の後、「私たちのイライラを聞け」と数人の女子に呼び出されました。高校生って進路で悩むじゃないですか。私はA子に「大学に行くか迷う」、B子には「海外留学を考えている」と話していたんです。そしたら「あいつはバラバラなこと言う嘘つき」と裏でなっていて。その怒りを一人一人にぶつけられました。もうどうしようもできませんでしたね。 ――小学生の時から受けたいじめで心に深い傷を負ったと思います。家族に伝えられないままだったんでしょうか。  高校卒業後に家族の転居に伴って私もイギリスに留学したのですが、「一番近い家族のことを愛せない人は他人を愛せない」と気づいて。父、母、兄、姉と、家族一人一人と話す時間をつくってもらい、「私は小学生の時からいじめられていた」と伝えました。母は正義感が強いので「なんでその時、言ってくれなかったの?」って泣いて、私も「ごめんね」って涙が止まらなくなって……。2人でずっと泣いていました。     ――いじめられた経験を心の中でどう整理していますか。  当時は逃げる選択肢がなかったし、我慢することしか考えられませんでした。でもいじめる側じゃなくてよかったと思います。美化するわけではないですが、いじめられることによって人の心の痛みが分かる人間になった。いじめる人に言いたいのは、暴言や陰湿ないじめはすべて自分にはね返ってくるということです。  芸能界で仕事をするようになってから仕事先の人に「杏さんと同じ高校の方に『仲良しでした』と言われました」って伝えられたことがあって。名前を聞いたら当時いじめてきた女子でした。その時は「そうなんですね」と返しました。恨むとかではなく、嫌いな人に関わらず前を向いて歩いていきたいです。 逃げても、頼ってもいいんだよ、と伝えたい ――杏さんの言葉には重みを感じます。  いじめはいつの時代もあります。セミナーなどでいじめの体験談を話す機会があったんですけど、10代の女の子が「話を聞いてください」って声を掛けてくれて、2人で30分ぐらい話したことがありました。その子は学校でいじめを受けていて家庭環境も複雑でいろいろ抱えていて。その子は話す時に斜め下を見るんです。目を合わせるではなく。でも本人は一生懸命に目を合わせて話を聞いているつもりなんです。病気だった時の昔の私が同じだったから気持ちがすごくわかる。下からのぞき込むようにして目を合わせていろいろ悩みを話してもらって。 「笑おう! 自分で口角を上げて、毎日トレーニングしてみよう」って伝えたら、ちょっと笑ってくれたので、「いい笑顔してるじゃん! すごくいいよ」って話したら、その子が泣きながら笑顔で帰っていきました。今回のインタビューもそうですが、私はいじめられてこんなに悲しかったというつもりはないんです。私の話を見聞きして、生きることに前向きになる方が一人でも増えれば幸せです。いじめから逃げても大丈夫だし、我慢する必要はない。家族や周りの人たちに頼っていいんだよと伝えたいです。 (平尾類) 杏さゆり(あんず・さゆり)/1983年9月20日生まれ。神奈川県出身。15歳の時に原宿でスカウトされ、2000年にミスヤングマガジンにて準グランプリを受賞。「くびれの女王」と呼ばれた。グラビアで絶大な人気を誇るだけでなく、英語力を生かして「100語でスタート!英会話」(NHK)にレギュラー出演し、バラエティー番組やCMにも出演するなど幅広く活躍。00年代後半以降はドラマ、映画、舞台、ミュージカルに精力的に出演し、女優としても評価を高めている。
「300万円預金で宝くじ1万8千円分絶対もらえる」「普通預金0.25%」おいしい預金大集合
「300万円預金で宝くじ1万8千円分絶対もらえる」「普通預金0.25%」おいしい預金大集合 (イラスト:おーるい みちひさ)    物価高で家計を守りたくても、給与は上がらず節約はもう限界。そこで提案したいのは、お金の置き場所を変えること。おすすめの普通預金と定期預金を紹介する。AERA 2024年7月15日号より。 *  *  * AERA 2024年7月15日号より    元本保証は譲れない。「金利上昇局面なのはわかったが、個人向け国債などは面倒」な人は、普通預金の置き場所を変えよう。現在、窓口がある一般的な銀行の普通預金の金利は0.02%。それが10倍になる銀行がある。地味に人気なのが、あおぞら銀行BANK支店(原則ネット専用)の普通預金で、金利は0.2%だ。同行BANK企画部部長の生越(おごせ)大輔さんに取材した。最近の口座数はいかほど? 「BANKはスタートから5年目ですが、20年7月末が17.3万口座でした。24年6月末が約74万口座ですので、約4.3倍に増えました。普通預金残高は初年度の約5倍、2兆円台に乗せています」 金利0.2%の原資  なぜ0.2%の金利を出せるのか。その原資が知りたい。 「当行は有人店舗が19店舗でBANKはネットで預けていただきますので、コストが抑えられる点がまず挙げられます」  あおぞら銀行は旧日債銀で、従来、事業再生や買収関連ファイナンスなどに強い。新興企業や中小企業向け融資にも積極的で、企業向け貸し出しにより利益を稼いでいる面がある。主力はノンリコースローンを含む投資銀行業務で、審査には高い専門性が求められる。それゆえ利鞘も相対的に高くなる。 「BANKは個人のお客さま向けの魅力的な預金にサービスを集中しています。住宅ローンも取り扱っていません。ユーザーインターフェースの充実などは最低限の保証としています」  便利にすればするほどシステム管理コストがかさむ。そこをシンプルにして預金金利に特化しているわけだ。しかし普通預金金利は定期預金と違い、毎日見直し。明日下がっても文句は言えない。金利上昇局面とはいえ0.2%がずっと続くか心配。 AERA 2024年7月15日号より   「19年7月のサービス開始以来、0.2%から一度も変えていません。現状、下げる予定もありません」  ここでいじわるな質問をした。あおぞら銀行は24年3月期の決算発表で、配当見送りを発表している。その影響で株価は一時大幅下落した。無配転落の主な理由は、米国のオフィス向け不動産ノンリコースローンの損失に備えた引当金の発生と、米国金利上昇に伴う有価証券の含み損処理を行ったこと。業績面が、われわれの受け取る金利に影響しないか? 「一定の自己資本比率を維持し経営の健全性を保ったうえで処理をしております。また、預金金利は業績より市場環境や競争事業とリンクしています。業績の影響で預金金利が下がることはありません」 「しまホ!」0.25%  BANK普通預金の利払いは毎年2月、8月の第2金曜日の翌日(土曜日)。日々の預金残高で金利を計算し、半年分がまとめて振り込まれる。つまり頻繁に出し入れしないほうが得。生活決済資金ではなく、サブバンクとしていつでも引き出せる金庫代わりに使うのがいい。とはいえ急にお金が必要なときは、ゆうちょ銀行ATMから手数料無料で何度でも入出金可。  あおぞら銀行以外で話題なのは、島根銀行スマートフォン支店「しまホ!」だ。「しまぎんふるさと普通預金」が0.25%。国内の普通預金では現状、最高金利である。地銀だが島根に行く必要はなく、全国からスマホで預けられる。入出金はセブン銀行ATM、ローソン銀行ATMで。平日日中は回数制限なく手数料無料だ。  主要ネット証券の一角、松井証券も23年10月に銀行サービス「MATSUI Bank」を開始した。住信SBIネット銀行のマツイ支店という位置づけで、普通預金金利は0.2%だ。セブン銀行とローソン銀行のATMにアプリとキャッシュカードを対応させており(その他キャッシュカード対応ATMあり)、入出金手数料が無料になるのは月5回まで。松井証券のサービスだが、松井証券での投資が必須ではないのでご安心を。 AERA 2024年7月15日号より    ふだんの銀行から0.2%の普通預金にお金を移動させるだけで、もらえる金利が増える。100万円を置いておけば年間で税引き後約1590円。ふだんの銀行(0.02%)のままなら約159円。チリツモ勝負だ。 ことら送金手数料タダ  ところで、メインバンクから他行に資金を振り込みで移動させるときは、基本的に振込手数料がかかる。ネット振り込みでも数百円、これは痛い。なにかいい方法はないか。消費生活アドバイザーの丸山晴美さんに聞いた。人呼んで節約の女王である。 「メインバンクに振込手数料無料サービスの条件などがない場合、『ことら送金』を使ってみましょう。1回10万円までの、アプリによる個人宛て送金なら手数料無料です」  ことら送金という名前のアプリがあるわけではなく、対応金融機関それぞれのアプリから送金する形。全国288の銀行、信用金庫、ゆうちょが対応している(24年4月17日現在)。 「メインバンクが三井住友銀行なら『Olive』アカウントを利用しましょう。毎月、決まった日に同じ金額を自動で他の口座に送金する『定額自動送金』が手数料無料でお得です」  高金利の普通預金もいいが、定期預金はどうか。丸山さんは5年以上など、期間の長い定期預金は勧めなかった。 「金利上昇の雰囲気がある今、わざわざ定期預金で固定するのも微妙な気がします。1年もの、長くても3年もので、とりあえずの資金置き場として使うなら……。インフレ、円安時代の定期預金は短期が鉄則」  定期預金は夏のボーナスキャンペーン真っ盛り。auじぶん銀行、オリックス銀行、ソニー銀行、SBI新生銀行などが高金利を提示している。新規口座開設ならauじぶん銀行の1年もの0.55%、オリックス銀行の1年もの0.60%が高い。 「宝くじ付き定期預金もおもしろいですよ。スルガ銀行ドリームダイレクト支店(他4支店)が『宝くじ付き』のパイオニア的存在です。預金金利自体は0.025%ですが、預入金額に応じて宝くじがもらえます」 生越大輔さん(おごせ・だいすけ)(51)/2024年1月に新設された、あおぞら銀行BANK企画部のトップ。BANKブランドを生かした非対面取引の発展に注力(写真:本人提供)    スルガ銀行で、たとえば300万円を預けると3年で60枚(ドリームジャンボ、サマージャンボ、年末ジャンボ)。宝くじを60枚買うと300円×60枚=1万8千円分である。 「連番、バラ、連番+バラから選ぶことができ、連番とバラのどちらも10枚のセットに1枚は必ず300円が当たります。もしかしたら、もっと高額が当たるかもしれない……っていう夢があって楽しいですよね」  60枚(300万円の預け入れ)なら1年で「ドリームジャンボ、サマージャンボ各5枚+年末ジャンボ10枚」なので、少なくとも年末ジャンボ10枚から1枚は当たり、3年で900円の当せん金。120枚なら1年で「ドリームジャンボ、サマージャンボ各10枚+年末ジャンボ20枚」となり3年で確実に3600円が当たる。  同様のサービスは香川銀行セルフうどん支店、大阪シティ信用金庫夢ふくらむ支店、瀬戸信用金庫インターネット支店でも取り扱っている。 (経済ジャーナリスト・向井翔太、編集部・中島晶子) ※AERA 2024年7月15日号より抜粋  
【2024年上半期ランキング 社会編2位】「痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい」 21歳美大生が能登町の写真をSNS載せ続けた理由、届いたエール
【2024年上半期ランキング 社会編2位】「痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい」 21歳美大生が能登町の写真をSNS載せ続けた理由、届いたエール 津波が引いたあとの能登町。がれきの山が積み上がるが、空気感や能登にさす光の美しさは変わらなかった(坂口歩さん撮影)  早いもので、2024年も折り返しです。1月~6月にAERA dot.に掲載され、特に多く読まれた記事をジャンル別に、ランキング形式で紹介します。社会関係の記事の2位は「『痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい』 21歳美大生が能登町の写真をSNS載せ続けた理由、届いたエール」でした(この記事は1月20日に掲載したものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。 *   *   *  1月1日に発生した能登半島地震で、見慣れた光景はすべて奪われた。  それでも、そこに「能登」があると感じた。  「町はめっちゃ悲惨なんですけど、能登の青空や町の空気感、光のきれいな感じは全然変わってなかった」  石川県能登町出身の坂口歩さん(21)は、変わり果てた地元を見て、言葉を選びながらそう話した。 「ひどいんだけど、きれいだなって。そのきれいさが悲しくもあり、救いでもあり……。きれいだと思っていいのかなとか、複雑な気持ちもありました。でも、やっぱり能登って美しい町だなって思ったんです」  何かに突き動かされるように、カメラのシャッターを夢中で切った。そうすることで、自分自身の心が救われていたのだと振り返る。 がれきが積み上がる能登町(坂口歩さん撮影) 津波で全身ずぶ濡れになった子どもたち  正月は能登町の実家に家族や親戚が集まって食事をするのが恒例だった。金沢美術工芸大学(金沢市)に在学中の坂口さんも昨年12月29日に実家に帰省。今年もいつもと変わらない時間を過ごしていた。  いとこが帰るのを見送って少しすると、大きな揺れが起きた。  能登地方では近年よく地震が起きていたため、今回も「いつもの地震だ」と重く考えていなかった。だが、すぐにまた地震が起きた。  さっきより大きい、これまで感じたことのない揺れ。家はギシギシと音を鳴らし、今にもつぶれそうだった。着の身着のまま、慌てて外に飛び出した。 地震で倒壊した家屋(坂口歩さん撮影) 「ご近所さんを確認して、みんなで避難することになりました。父と兄はパジャマみたいな格好。車も置いて、家の裏にある高台に向かいました」  少しして、近くの林の奥のほうから、「ドーン」という波の音が聞こえてきた。木がなぎ倒されているのか「バキバキ」という轟音、車のクラクションのような「プープー」という音。すでに携帯電話の電波は途切れ、今何が起きているのか知るすべもない。 「津波きたんかな」 「怖いね」 「大丈夫だよ」  集まった地域の人たちと、そう口々に励ましあった。 電線が切れ、ぐちゃぐちゃになった地元。車も全て流された(坂口歩さん撮影)  日が落ち、急激に気温が低くなった。近くのビニールハウスに移動し、置いてあったダンボールを敷いて腰を落ち着けた。  1時間ほどして、近所の公民館は電気がついた。Wi-Fiもつながる、といううわさが坂口さんの耳に入った。 「でも、公民館のほうがビニールハウスより標高が低いんです。津波も怖いし、移動するか迷いました。ただ、寒さで凍え死ぬよりはいいよねって夜8時半くらいに家族全員で避難しました」  公民館にはすでに70人ほどが避難していた。けがをしていたり、津波にのまれて全身がずぶ濡れになった子どももいた。 「町は悲惨だけど、空のきれいさは変わらなかった」という(坂口歩さん撮影) 「能登町」のことを忘れないでほしい  地震発生から2日後、意を決して自宅を見に行った。水は引いていたが、壁に残る跡から、津波が2メートル近くあったことが想像できた。言葉にならない感情が込み上げ、無我夢中で写真を撮った。 「まるで別世界に来たんじゃないかと思うくらい、ひどかった。津波で家のなかもぐちゃぐちゃでしたが、テーブルの上に置いていたこのカメラはぎりぎり水に浸かっていなかったんです。撮るのに夢中になることで、自分の心を救っていたような気がします」 津波の被害をギリギリで免れたカメラ(坂口歩さん撮影)    美大の作品づくりで、昨年末には地元の親子を被写体に公園で撮影をしたばかりだった。カメラには地震が起きる前の能登の写真も残っている。 「それが、災害の写真になってしまって。あぁ、って感じです」  避難していた公民館の前を給水車が通り過ぎていったこともあった。他の避難所の様子がわからないため、「気づいてもらえていない」「もっとひどいところがあって、うちらは後回しなのかな?」と落ち込む日々。テレビでは、輪島市や珠洲市、七尾市の情報が多く、能登町のことは知られていないのではないかと不安になった。  そこで、X(旧Twitter)とインスタグラムに能登町の写真を投稿し、こうつづった。 <痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい、、でもこの方法しかなくて、、能登にはニュースに出てる七尾、珠洲、輪島だけじゃなくて、能登町もあります、能登町の中にもいろいろあって、、津波も来てる、物資も足りない、忘れないでほしい、、> 「投稿を見た人から、『忘れてないですよ』『大丈夫、がんばって』『謝らなくていいですよ』という声が届いて、うれしかった。同じ能登町で被災した人なのか、『ほんと、そう!』って共感してくれる人もいました」  地震発生から日が経つにつれ、公民館に避難する人も増えていった。ただ、パーテーションはなく、プライバシーもゼロ。足を伸ばして寝ることができず、お風呂にも入れない。教室2つぶんほどのスペースに100人以上の人が集まり、ピリピリした空気が漂った。 津波の跡が残る家屋。2メートル近くまできていたという(坂口歩さん撮影)  家族全員の車が流され、金沢にいつ戻れるかもわからなかった。だが、7日の朝。避難所にいた女性に声をかけられ、一緒に金沢に向かうことになった。 「2時間後出発ね!って感じでした。そんなに戻りたいとは思っていなかったんです。でも、私のメンタルも終わってたし、避難所から一人でも多く出てほしいという状況だったから。(能登を離れることも)怖いし、一人だけ金沢に行くのも申し訳ないし、でもここから出たほうがいろんな意味でいいんだろうな、って」  地震の揺れで、金沢の自宅もぐちゃぐちゃになっていた。だが、蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押すだけで電気がつく。その一つひとつに感動した。 「能登はいいところ」だから忘れないで  金沢に戻ってから、友達や大学の先生の支えで、少しずつ前を向けるようになっている。それでも、不安は尽きない。 「とにかくお金がなくて、他にも困っている学生がたくさんいると思います。大学も就活、生活するのにもお金が必要で……。なかなかしんどい状況です。奨学金の情報とか、なんでもいいので教えてもらえるとうれしいです」  と小さな声でつぶやいて、こうも続けた。 「ツイッターで津波の動画が上がっていたりして、そういうのを見たら『能登怖い』『行きたくないな』って思う人がいっぱいいるんじゃないかなってのがすごい不安で。でも、能登ってすごいきれいなところで、本当に穏やかで、めちゃくちゃいいところだからそれを忘れないでほしいんです」 地震が起きる前に撮影した能登。やわらかい光と穏やかな海が美しい(坂口歩さん撮影) (編集部・福井しほ) ※AERAオンライン限定記事 地震発生から金沢への避難まで、 坂口さんが描いた絵 地震発生前から翌日までを描いた(絵:坂口歩さん) 絵:坂口歩さん 絵:坂口歩さん (絵:坂口歩さん) https://twitter.com/sinpiiin/status/1743504497270522305

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