知能の高さゆえにさまざまな生きづらさを抱えていることも多い「ギフテッド」。【前編】ではIQ130を超え、かつ「ろう者」でもある女性が「障害があるのに何でもできる」ことが原因で理不尽ないじめを受けたことを紹介した。その後、女性は親からの重圧と周りからの目に翻弄され、心を病んでいくことになる。どん底だった女性を救ったのは米国への留学だった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集>
【写真】「障害者なのに何でもできる」ことでいじめられた小学生時代
※【前編】<「障害者はバカでいたらいいのかな」 IQ130台の「ギフテッド」で“ろう”の女性が小学生で受けた理不尽ないじめと葛藤>から続く
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■「あなたのために」親の重圧
家庭環境はどうだったのか。尋ねると、女性はまた険しい顔を浮かべ、キーボードをたたき始めた。「褒められた記憶はない」「社会に出たら周りは聞こえる人ばかりなので、親は早くから慣れたらいいと思ったみたい」「当時は親に殺されるって思っていました。親は今は反省しているみたいですが」……。
「将来のために」と厳しくしつける両親だったそうだ。だが、聴覚障害がある子どもにこれほどつらい思いをさせることが信じられなかった。親が抱えていた不安はどういったものだったのだろうか。
女性によると、両親は女性が幼少時代、医師から「将来話せるようになるか、仕事に就けるかはわからない」と言われていたという。そのため、女性が将来一人で生きていけるようにと、聴者と同じ環境で育てようと考えたという。「聴者に認められるには勉強ができないといけない」「あなたのためにやっているの」などと、繰り返し言われた記憶が女性にはある。「親の前では『できる自分』を見せ続けなければならなかった」と振り返る。
■学校と家庭、引き裂かれる心
今では信じられないことだが、女性が生まれた1980年代はまだ、手話を使うことは多くのろう学校で禁止されていた。障害者基本法の改正で、手話が言語であると初めて明記されたのは2011年。それまで聴覚障害者には、相手の口の形を読み取り、それを真似ることで言葉を発する「口話教育」が盛んに行われていた。