「学部長との出会いが大きかったですね。ずっと『できる』ことで嫌な思いをしてきたので、『できる』ことの良さを自分で感じたかったし、人にも思われたかったんです」

■可能性を閉ざさない

 教員を志したのは、そのころだ。米国のろう学校で、小中学生に将来の夢を聞く機会があった。子どもたちはなりたい職業よりも、「自分はバカだから」「周りの大人がそうだから」といったイメージで将来を考えていた。

 日本のろう学校で知り合った子どもたちも同じことを言っていた。手話を使えば、子どもたちは豊かな表現をしたり深い考察をしたりと、それぞれに光る才能がある。しかし聴覚障害があるというだけで、自分の可能性を閉ざしている。

「子どもたちの様子を見ていると、自分の経験が何か役に立てるのではと思いました。それぞれが『できる』ことを、親や先生、何よりもその子自身が考えて学ぶ力を育てたいと思ったんですね。私は苦しかったけれど、大学院や留学をして聴覚障害に関して専門的に学ぶ機会に恵まれたのはたしかで、自分の『できること』がポジティブになるかもと思いました」

 日本に戻り、教員になってまもなく10年になる。

 社会には今も、ろう者に対して「かわいそう」「頭が悪い」「音楽に親しまない」といった先入観があると女性は感じている。

 ろう者の中にも、手話はできるのに日本語がうまく読み書きできないことを理由に「勉強ができない」と思い込む子が多い。

 そんな子には、「手話はばっちり。日本語に置き換えるのがまだ難しいね」と伝えている。手話と日本語を区別して評価すると、自信を持てる子どもは多いからだ。聞こえないことを理由に、できる、できないを評価するのではなく、その子の得意なことと苦手なことを見つめ、一緒にどうするかを考えられる教員になりたいと思っている。

 女性は「それぞれが持つ才能をそのまま発揮できる社会になればいいと思います」との思いを私に伝えてくれた。

(年齢は2023年3月時点のものです)