――スポーツ危機管理では暴力、体罰の問題も含まれるでしょうか。

 もちろんです。

 わたしたちは暴力追放、体罰をいっさい認めないという教育、指導方針を掲げています。数年前、日本体育大学OBの教師による体罰で悲しい事件が起きました。わたしたちはこうした問題から逃避するのではなく、率先して立ち向かい、再発防止を講じなければならない。これもスポーツ危機管理研究所をつくった一つの背景になります。

 戦後、体育教師の養成は軍隊教育の延長線上にあったことは否めません。それを色濃く示したのが日本体育大学であり、わたしもその影響を受けました。しかし、一方で、フェアプレー、規範となる高潔な人格、豊かな人間性を身につけるようにたたき込まれ、いまでも続いています。

 スポーツの試合では常に対戦相手に敬意を払わなければならない。試合前後に必ず礼をする。これは日本人が武士道精神を心に宿しているからです。相手を尊敬するところからは暴力も体罰も無縁なことです。そのことを大学でしっかり教えたい。

――大学の体育の授業はどうあるべきでしょうか。

 1990年代の大学設置基準大綱化以前、一般教養科目として体育実技は必須でした。しかし、いま、多くの大学で選択科目になっています。グラウンド、体育館、シャワー室などの施設が十分ではなく、それにお金をかけるよりは……という考え方が強いようです。もともと大学が文部科学省に体育は必修科目から外してほしい、と要請したのが始まりです。

 わたしは、体育を必修にすべきだと思っています。運動不足は万病の元です。大学で教育を受けた者が、からだを動かすことを日常的な営みとして生活に刷り込めるようになればと思っています。

 そもそも、「体育」は明治時代初期に日本人が英知を集めて作った言葉です。体(からだ)を育てる、という意味があります。一方、「スポーツ」は気分転換、余暇をすごすレジャーなど幅広い意味で使われており、麻雀や競馬などギャンブルも含まれます。そこには学問的な要素はありません。「スポーツマンシップはすばらしい」と言っているのは日本独自の考え方です。スポーツに何か聖なるものを求めて、「スポーツの日」「スポーツ協会」と呼ぶ考え方は、やや国際性に欠けると思います。

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