2018年シーズンが開幕して間もないプロ野球だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「敬遠球をめぐるドラマ編」だ。
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2018年シーズンから日本球界でも敬遠の申告制が導入され、3月30日の開幕戦では、早くも3度(DeNA・石田健大、ロッテ・涌井秀章、オリックス・近藤大亮)行使された。今回紹介する話は、申告制があったら、まず成立し得ない珍場面3題である。
1981年7月19日の日本ハムvs西武(平和台)、2点をリードした日本ハムは、6回にも2死三塁のチャンスをつくり、4番・柏原純一が打席に入った。
ここで西武・根本陸夫監督は、左のサイドハンド・永射保をリリーフに送った。3点目を許すと、試合がほぼ決まってしまうため、柏原を歩かせて一、三塁にした後、永射を大の苦手とする5番・ソレイタと勝負する作戦だった。
永射は柏原に対し2球続けてボール。いずれもバットが届きそうにないウエストボールだった。ところが、3球目の外角高めはストライクゾーンに近い微妙なコース。「ソレイタは永射が苦手だし、バットが届いたら是が非でも打ってやろう」と狙っていた柏原は、「イケる!」と左足を目いっぱい踏み込むと、大根斬りで思いきり振り抜いた。
快音を発した打球は、ダメ押し2ランとなって左中間スタンドへ。この瞬間、敬遠球をホームランというB級ニュースファンもあっと驚く快挙が実現した。
打たれた永射も「(次の)ソレイタを打ち取ることで頭が一杯。何となく投げた球がスーッといってしまった。もっと外角に外せば良かったが、まさかあんな球を打つとは……」と信じられない様子だった。