(3)「妻の気持ちに共感しますが……」のニュアンスは最後の1文字「が」に象徴的に表れています。「が」は逆説の接続詞ですから、同じように感じているのであれば、「が」はつかないはずです。(カウンセリングで私がそう指摘すると、無理やり最後の「が」を飲み込む方がいらっしゃいますが、そのことで突然共感していることにならないのはもちろんです)。

 ここまでの共感を「男性的な共感」と呼ぶことにします。

■女性が求める「共感」

(4)の「男性は共感してくれない」は「同じように感じる」と解説しましたが、これはもう少し考える必要があります。例えば、が保健所で殺処分されるのを悲しい、と一人が感じて、もう一人も同じように感じたとします。これは、共感ではなくて、同感です。<共>という概念は、2つのものがたまたま一致したということではなく、相互作用があるということです。なので、本当の意味が「私の思うとおりにしてくれない」とか、「私と同じ意見を持ってくれない」なら、これは男性的な共感ということになります。

 では、男性的な共感でない共感、仮にそれを「女性的な共感」と呼ぶとすれば、それはどのようなものでしょうか。

 中学の理科で共鳴という現象を習ったと思います。音叉(おんさ)という、叩くと特定の高さの音を出す実験器具を2つ並べて、一つをたたくと、叩いてないもう一つの音叉も振動して音を出すという現象です。当然、共鳴して鳴り始めた側の音叉の振動もまた元の音叉に影響を与えます。

 この2つの音叉の振動を2人の気持ちと考えてみると、一人の人の気持ちの振動が、もう一人の気持ちの振動を引き起こす現象と理解できます。これが「女性的な共感」です。

 注意すべきことは、周波数の違う音叉では共鳴が起こらないことです。つまり、共鳴(共感)するためには、相手の周波数に自分を合わせる必要がある、ということです。ただし、叩かなかった側の音叉の振動は共鳴するために合わせたものであって、自分発のものではありません。つまり、自分の気持ちが現実に振動しているけど、その振動は自分のものではないということです。文学的な言い方にするなら、感情を心の波とするならば、相手の心の動き(心の波)と同じように自分の心を波立たせて、重ね合わせてみる、ということです。冒頭に書いた友人の鍼灸師は自分の体を使って患者の体の体験を追体験しています。これが女性的な共感です。

次のページ