朝、列車に乗ろうと待合室で待っていると、長い列車旅の疲れを漂わせながら、眼だけが落ち着きなく動く若者をよく見る。田舎からバンコクに働きにきたのだ。
「バンコクはスリが多いから気をつけなさい」
「バンコクの警察はここより厳しいから、注意しろよ」
両親や仲間からいろんな言葉を聞かされてバンコクにやってきた若者たちだった。
どこかおどおどした表情で、朝食のおかゆを駅前屋台で注文する。なまりを気にして、声は小さい。
1杯40バーツ……。田舎では20バーツだったおかゆが倍に跳ねあがる。彼らにとってバンコクは厳しい街なのだ。
バンコク中央駅は、そう、日本でいったらかつての上野駅である。駅前の雑然とした風景は、田舎から出てきた若者の脳裏に刻まれる。
この駅からもう何回、列車に乗っただろうか。待合室周辺は冷房も効いているのだが、ホームに出ると、突然、アジアの空気に包まれる。朝、着いた夜行列車のなかで国鉄職員が昼寝をしている。車両を清掃する人たちが日陰でまどろんでいる。夕方発の各駅停車に乗ると、発車してすぐ、駅でもないところで停車する。仕事を終えた保線区の職員の帰宅列車に利用しているのだ。こうして発車して間もなくの場所で10分遅れる。
文句をいう乗客は誰ひとりいない。
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など