4月14日に始まった熊本・大分地方の地震がいまだ収まる気配もなく、現地の人の心労はいかばかりかと心が痛む。という私も福岡の出身であるから、九州に住む人間の地震に対する恐怖心がよくわかる。ほとんど揺れることのなかった場所に長く住むものにとっては、震度3でも心臓が止まりそうなほどなのに、震度5・6・7が立て続けに襲われる日々など想像だにしなかっただろう。
最初の余震で、楼門が崩壊した阿蘇神社は、その後拝殿も倒壊してしまった。2300年もの歴史を持つ神社にあってさえ、過去に記録がないほどの被害の大きさだという。その上、熊本県人にとっての誇りである加藤清正公が築城した熊本城までもが大きな被害にあったとなれば、心までも折れそうな気分になろう。
ところで、熊本県民でもなければあまり聞くことのないこの阿蘇神社だが、実は今の宮司は祭られている神さま「健磐龍命(タケイワタツノミコト)」の子孫(代々宮司は阿蘇さん)であるという、生粋(仏教などと混交することなくというべきか)の神社なのである。
そして、この阿蘇神社、熊本県以外には2社しか存在しておらず、東京・羽村にその1社が鎮座する。せっかくなので羽村・阿蘇神社について少しご紹介しておこう。
●阿蘇神社(東京都羽村市)とは
実はこの阿蘇神社は、東京でもある点において有名な神社だ。自転車乗りにはこの社の出す「自転車守り」は一種のステータスとなっている。というのも、東京人にとって絶好のサイクリングコース「多摩川サイクリングコース」(略称・多摩サイ)の終点が、まさに阿蘇神社・南門にあたるのだ。
本家の阿蘇神社に負けず劣らず、羽村の阿蘇神社の創建も古い。多摩川が氾濫した時、阿蘇媛命(健磐龍命の妻)が現れ、これを治めたという逸話とともに推古天皇9年(601年)に創建されたと社伝にある。健磐龍命自身が開拓の神であり、名前に「龍」があることから水を治めるパワーを持っている神として、多摩川の治水のため選ばれた神さまとしても不思議ではない。その後、日本三大怨霊として知られる平将門が社殿を造営、その将門を討った藤原秀郷が鎮魂のため社殿を修復、以後も小田原北条氏、徳川家康をはじめとした江戸幕府の寄進が続いている。「長渕郷総社竜水山阿蘇宮」と称していた社名を、現・阿蘇神社に変更したのは明治期になってからのことである。蛇足だが、こちらの宮司は宮川さんといい、阿蘇氏の分家のひとつと言われていて、第2次世界大戦の敗戦後、神道を排除しようとしたGHQの説得にあたったお一人でもある。