●清正公ゆかりの地も全国に

 さて、築城の名手・加藤清正が建てたお城といえば本城のほか、江戸城や名古屋城、秀吉の朝鮮出兵の折には蔚山倭城も建造した。実際に熊本の地で過ごした期間は短かったが、「熊本」の名付け親でもあり、また、荒廃していた土地をかんがい・開墾し豊かな土地へと変えていった領主・清正を、熊本の人たちはとても敬愛した。明治になってからも熊本城内には加藤神社が創建されるほどで、ハワイに多く移民した熊本県民は、ハワイ諸島にまでも加藤神社を分祀して持っていったほどである。

 また、江戸にいたのもわずかな期間ではあるが、東京には清正ゆかりの地が多く残されている。1番有名なのは明治神宮の「清正井」であろう(これは名前だけでほとんど清正とは関係ないようだが)。

 次に、港区白金にある「清正公」(覚林寺)。もともとは熊本藩の中屋敷があった場所に創建されたお寺だが、勝負の神さまとして有名な場所である。朝鮮出兵の際、李氏朝鮮の国王の孫を日本へ連れ帰るのだが、この子が清正を慕い、位牌(いはい)を祭って創建したものである。毎年5月の大祭では、菖蒲(勝負)入りの勝守が授与される。

 また、大田区にある日蓮宗大本山の池上本門寺の大堂(祖師堂)は、清正が母の七回忌供養のために建立したもので、清正本人が兜をかぶったまま縁の下を通ることができたほどの大変大きなお堂であったという(第2次世界大戦の空襲で焼失)。その壮大さを江戸の人々は、「池上の大堂、上野(寛永寺)の中堂、芝(増上寺)の小堂」と呼んでいたほどだとか。残念ながらすべてのお堂は今はもうない。

 このように熊本県民にとって阿蘇神社と熊本城の持つ精神的な意味は大きい。

 実はこの地震のあと、私のブログ(「東京のパワースポットを歩く」)の「鹿島神宮」の記事にアクセスが集中した。日本で唯一の「地震除け守り」を出しているお宮である。今回の地震が人々に与えた不安は九州人だけのものではないようだ。何しろ地震は今の人間にとっても予測できない天変地異のひとつである。神頼みしたくなる気持ちはよくわかる。かくゆう私も唯一肌身離さず持っているお守りは鹿島さまのこのお守りだけなのだから。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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