中也は、当時つきあっていた長谷川泰子といると、子どものように甘えん坊で、どこに行くのかも分からない男だった(長谷川泰子『ゆきてかへらぬ 中原中也との愛』)。
人に対する表現で「青鯖が空に浮かんだような顔」「蛞蝓みたいにてらてらした奴」なんてことは、やはり文豪と言われる中也や太宰ならではの表現と言うほかない。
ところで、永井荷風は、菊池寛のことが大嫌いだった。
それは、荷風が菊池寛の先祖にあたる漢詩人・菊池五山のことを雑誌で書いて「菊地五山」と誤字をしたことをあげつらって『文藝春秋』に書いたからだった。
菊池寛は「自分の名前を書き違えられるほど、不愉快なことはない。自分は、数年来自分の姓が菊池であって菊地でないことを呼号しているが、未に菊地と誤られる。(中略)だが、文壇中一番国語漢文歴史等の学問のある永井荷風先生が、菊地と書く時代だから、雑誌社の人達などに、菊地と間違えられるのは、あきらめるより外仕方がないのかな」と書くのである。
これに対して、恥を曝された永井荷風は、『断腸亭日乗』に「菊池は性質野卑(やひ)奸(かん)キツ(キツはけものへんに橘の右側)、交を訂(てい)すべき人物にあらず」と記すのだ。
「野卑奸キツ」という成語はない。
「野卑」とは「下品でいやらしいこと」を、「奸キツ」は「いつわること、いつわることが多いこと」をいう。しかし、「奸キツ」とは、永井荷風のように漢文に素養のある人しか使えない言葉であろう。
「奸」は「姦」とも書かれるが、「ねちねちと仲間と徒党を組んで良くない行為をすること」をいう。また「キツ(キツはけものへんに橘の右側)」とは「人の道にはずれたように、ややこしく入り組んだ策を弄すること」を意味する。
菊池寛という人物は、あっさりしたおもしろい人物だったように思えるのだが、永井荷風の目には「野卑奸キツ」と映ったのであろう。
孤独を愛する永井荷風と、大勢と一緒にいることを好んだ菊池寛の性格の違いなのかもしれないが、いずれにせよ「野卑奸キツ」なんて言葉で相手を罵るなどということは、文豪・永井荷風にしかできないことだろう。
文豪たちの語彙の深さ、おもしろさ、そして何より悪態をつく彼らの人間くさい一面を、ぜひ楽しんでもらいたい。(大東文化大学文学部中国文学科教授・山口謠司)