翌89年7月21日には、大阪と札幌とを結ぶ特急「トワイライトエクスプレス」がデビュー。編成端をまるごと個室とした2人用A個室寝台「スイート」をはじめ、高さ1633ミリにも及ぶ大型窓を設けたサロンカー「サロン・デュ・ノール」など、これまでにない豪華な設備は、まさに新時代の列車を実現したといっていいだろう。団体臨時列車からスタートしたのち、同年12月から一般の臨時列車として週4往復が設定されたものの、予約困難な状態がその“生涯”を通じて続くこととなった。
本州~北海道の寝台列車が好調を続けるなか、1999年7月に特急「カシオペア」が上野~札幌でデビュー。前年7月に東京~高松・出雲市を結ぶ特急「サンライズ瀬戸・出雲」が登場している。これらの列車にはいずれも新造車両が投入されたことが特筆できるが、とりわけ「サンライズ~」は583系以来の寝台電車(285系)となった。「カシオペア」(E26系)は個室A寝台と食堂車、ラウンジカーで構成、「サンライズ~」も個室寝台中心の編成で利用者の支持に応えた。
■人気の一方で衰退が進んだ寝台列車
接客設備の改善が好評を得るなか、大半の寝台特急に個室寝台が連結されていったが、一方で運行に陰りが現われるようになっていた。とりわけ東京・京阪神~九州の衰退が目立つようになり、1993年3月に食堂車が営業を休止、翌94年には東京~熊本・長崎の特急「みずほ」が廃止された。寝台列車の改廃はその後も続き、2009年3月をもって東京駅発着の「ブルートレイン」が全廃、その歴史を終えた。
寝台列車の状況悪化の背景として、航空運賃の低廉化や夜行高速バスの発達、新幹線の延伸と速度向上などを受けた旅客層の転移が指摘できるが、24系など「ブルートレイン」車両の老朽化も看過できない段階に達していた。個室寝台が人気を博す一方で、勢力の大半を占める2段式B寝台が時代にそぐわなくなっていたことも無視できないだろう。また、JR各社間による車両の受け持ち(車両基地を含む)や運行距離に基づく収入の分配問題、夜行運転に伴う人的コストなど、会社間での調整が寝台列車など夜行列車運行の足かせになっていたとの指摘もある。