2005年廃止となったブルートレインの元祖、特急「あさかぜ」(C)朝日新聞社
2005年廃止となったブルートレインの元祖、特急「あさかぜ」(C)朝日新聞社
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 かつて日本各地を縦横無尽に走りまわった寝台列車も、現在の定期運行は「サンライズ出雲・瀬戸」のみ。長距離夜行バスの台頭や航空、さらに新幹線という身内のライバルにも囲まれながらも健闘してきた寝台列車、そして寝台車とはどのような存在だったのか。その足取りをたどってみた。

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■一大ブームとなった「ブルートレイン」

 わが国に寝台車が登場したのは1900(明治33)年4月。JR山陽本線の前身にあたる山陽鉄道が神戸~三田尻(現・防府)に1等寝台車を連結したのが最初であった。同年10月には官設鉄道が新橋~神戸の急行に1等寝台を導入、1931(昭和6)年2月には大衆向けに3等寝台が登場し、好評裡に受け入れられた。夜行列車が長距離輸送の主役となるなか、寝台列車も急速にその勢力を伸ばすこととなったのである。

 寝台列車が夜のスターダムに上ったのは、1956年11月に東京~博多でデビューした特急「あさかぜ」が嚆矢であった。「あさかぜ」は1958年に新型車両20系客車に置き換えられ、接客面でも一大革新が実現するなどエポック的存在となった。

「あさかぜ」に投入された20系客車は、エアコン普及以前の時代に全車に空調設備を完備、台車をエアサスペンションにすることにより振動等の軽減がはかられるなど、その居住性の高さから「走るホテル」ともたとえられ、たちまち一世を風靡。また、車体色から「ブルートレイン」との愛称で親しまれ、のちに「ブルトレブーム」を築いてゆくことになる。

 1971年には新系列の寝台車として14系客車が落成。東京~宇野の特急「瀬戸」を皮切りに特急「さくら」などへ運転区間を広げてゆくなか、73年には24系客車が誕生した。これらの形式はいずれも車体がブルーをまとっており、「フルートレイン」の系列がほぼ出揃うこととなった。

 一方、1967年には新大阪~博多に寝台特急「月光」がデビュー。投入された581系電車は世界でも稀な寝台電車で、通路をはさんで左右に並ぶ3段式寝台は、日中はボックスシートに組み立て直されて昼夜兼行で活躍することとなった。翌年には対応電源を汎用化した583系も登場し、電化区間の拡大とともに活躍の場を広げていった。寝台列車全盛期の到来である。

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より快適に、より豪華になっていく寝台車